1995.03.15:「神の名を騙って言葉を告げる者、騙る神の名において裁かれよう」自分の発言LOG(下記)との関連からすると、前回の私の発言[=このリンク元]の記憶の元になっていたのは、実は上記6/24のメッセージだったかも知れません。というのは、6/17に、丁度書き込みを再開していたFMISTYで、自分は以下のような発言をしていましたからです。下記の発言で私は始めて「123の仕組み→345の仕組み」という順序の側面を発言したと思いましたから。
1995.04.25:「神名騙り神業持するが如くの振る舞い、神々の名において浄めよ」
1995.06.24:「命満つのは葉月か皐月か。神の名騙り奢りし者に相応の制裁を…」
RESを感謝です、長髄彦さん。
“さん”づけですみませんが、今まで自分は年上の人との付き合いが、
年下や同年代よりもずっと多かったので、その感覚です。
| オリハルさんが、好きだ嫌いだというときの[某神霊]は、具体
|的にはなにを意味しているのでしょうか。
意図を述べずに質問してすいませんでした。自分は述べるべきことがあるのですが、
[某神霊]も結構関わっており、そのあたりを述べる時に長髄彦さんに対して特別に考
慮すべき何かがあるかどうかを知ろうとしたのでした。
一二三神示は色々な解釈が成立つと思うのですが、私の解釈としては、今まで自分が芸
能界で秘文(123)の仕組→次に[某フォーラム]で御代出づ(345)の仕組→今後一般へ向
けて弥勒(567)の仕組と展開して行くようで、神示によれば、横の道(567)=
人の道で、縦の道(369)=天地の道ということです。それを組合せますと、
3 ←日の位置
567 ←月の位置
9 ←地の位置
1234567と展開してきて、567=369が成立するので、7から9にいたり、
最後に十(十字)が出来ます。「8」だけがぬけているのです。どこでぬけたかと言い
ますと、人の道が天地の道に切替わる時、と言えそうです。この時に8が見えないとこ
ろで関わっているからなのだと思います。自然に考えても8がなければ9には至らない
訳です。
長髄彦さんにとって「8」とは?
オリハル