いかにして前世を認識するか

「いかにして前世を認識するか」というシュタイナーの邦訳書がイザラ書房から\2,100で出版されています。その中でルドルフ・シュタイナーは次のようなことを述べております。

『わたしが自分の意志に反してなったもののなかで、もっとも素質がないものを、切実に望み、欲するようにしてみると、そこから得られる表象が自分の前世の像を形成する』

と言っています。「前世」とは、もちろん「過去世」です。私の場合、今もっとも素質のない、また、やりたくない事というのは、「社会的関係」です。あれやこれやの立場を考慮して、それに基づいて自分の方針を決める、というやり方です。多分、私の過去世の一つでは、そのような社会的な関係性によって自分の方針を決めていたのかも知れません。こういうことは最も苦手とするところです。また、MSさんの場合は、多分、誰もが納得するかと思いますが、彼女が最も送りたくない人生とは「ストイックな禁欲的な人生」でしょう(^_^;)。従って、この観点からも、MSさんの過去世が聖マチルダ皇后であった可能性が高まると思います。どうでしょうか。

●The Arcturian Council via Daniel Scranton, May 21st, 2019 https://sananda.website/the-arcturian-council-via-daniel-scranton-may-21st-2019/
"Everything that you resist in this lifetime, you have been a proponent of in another lifetime. You cannot resist another without resisting a part of yourself."
『あなたがこの人生の間に抵抗することすべてが、あなたの別の人生では支持していました。 あなたは自分の一部に抵抗せずに他の人に抵抗することはできません。』 (201905221505)


それと、以下に、繰り返しになりますが、改めて私自身の過去生の記憶が復活した体験から理解したことを述べておきます。

自己を探求するのが普通の時代にさえなれば、自己の転生の記憶を思い出すというのは、段々と普通の事になる筈です。「過去世」と言うと、今の時代、疑問を「表明」する人が沢山いると思いますが、精神文明は随分と遅れてるように思います。生まれ変わりを疑問に思える程に、人は自己探求ということを忘れているように思います。過去世の記憶は魂にあり、魂の記憶は、その人固有の切っ掛けによって、が溢れ出す事で、そのパワーが脳細胞に情報を刻印するのです。その記憶は元々脳細胞にあるものではなく、脳細胞には「フィーリング」として幼い時から「感じられていた」漠然としたものでしかなかったのです。その漠然と感じていたフィーリングの意味の詳細が頭の中で展開するのが「過去世の記憶の復活」です。その「フィーリング」というのは、例えば、昔好きだった曲を聞くと当時の情感(フィーリング)と共に色々な感情や記憶を思い出しますよね。それと「全く同じ」です。違う点は、今の生で体験していない、しかし、まさに「自分の記憶」が復活する、という点です。「自分の記憶」と分る根拠は、自分(肉体)は、生まれた時から、まさに自分(魂)と共にあったからです。証明などしなくても、自分で思い出すようになる人が増えればいいなと思います。

今発売中の「ムー」誌の1998年03月号の「南山宏のちょっと不思議な話」コーナーで、臓器移植を受けた人たちの60%の人が、前の持ち主の記憶を思い出してしまうという、その種の経験をしているそうですね。肉体上のプロセスとしては、過去世の記憶を思い出すのと同じである事は、間違いないでしょう。(199802100229)

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