株式日記と経済展望の2003年12月7日号に載ってましたが、「やはり男尊女卑が良い」という理論があるようです。西尾幹二という方が説いておられるそうです。氏によると「羞恥心」のあるなしが、男尊女卑(羞恥心あり)と女尊男卑(羞恥心なし)の分かれ目になると指摘しているそうです。でも、私はこの解釈はどうかなとも思う。「羞恥心」が先ず[あるか/無いか]以前に、その「羞恥心がなくなる」原因は、若くしてSEXをしてしまった事実から逃げられない為に、靴のかかとを踏んで歩くようになるのだし、犬のような目(←特定個人を攻撃したのではなく、慣用句として)になってスタスタ歩くようになるのであろう。肉体が完成してから初体験をするようにすればいいのに、まだ完成していない10代の頃に初体験をして、「自分を壊す(=ホルモン・ショック)」風潮がイカンのだと思います。これで羞恥心を感じ難くなってしまった。先ず、ここを改めさえすれば、男も女も「結婚」を破壊しなくなるのではなかろうか。(200312080022)
(→阿修羅発言

 私は真理の同盟メーリングリスト(JAOTML)を購読しているのですが、アメリカで9年間にわたって預言の言葉を受けているJohn Learyというカトリックの人がおり、彼の受けた預言を邦訳していました。その預言については実証され続けてきているそうです。そのJohn Learyのホームページにある2003.07.31(木)のメッセージの邦訳でした。そのメーリングリストの日本人は、聖シャーベルやリトル・ペブルに関するホームページを持っており、リトル・ペブルはあまり良くない評判も聞くので、私は全然詳しくない為、公開はためらわれていたのですが、John Learyという人は、独立している人のようです。また、彼の受けた預言は既に実証されているのが沢山あるそうで、それ故、ここにもMLの翻訳内容を転載してみようと思います。

イエズスが言われる。「私の者たちよ、人間を創造してから、私はあなたたちを、夫と妻という適切な婚姻において結ばれるべき男と女にした。これが、家庭が子供を世に産み、育てる正しい方法である。何世紀にもわたり、このことは、社会を構成する家族についての容認されている典型であった。しかし、離婚と同性愛という異常が、社会に典型として入り込んだとき、ノアの時代やソドムとゴモラの時代と同様、これらの文明は破壊されたのである。わが教皇は、同性愛者の婚姻に対する教会の立場について大まかに述べ、それが不適正であり、同性愛者による養子縁組は容認できないとした。そのような同性愛者の婚姻は、私の最初の方式を悪魔が悪用したものである。私の律法を破る者は、自分の罪に対する私の罰を願っているのだ。同性愛者の婚姻を容認し得るものとして助長する国々には、私の怒りと破壊が及ぶであろう。手遅れになる前に、アメリカよ、痛悔せよ」。
 だそうです(^^;。目にしてしまった(^^;ものは御紹介しておきますので。ただ、これは、同性結婚を禁止する文脈から出てきていますね。1:1の結婚だと、色々な意味でガチガチな気もしますが、やはり、下記にも述べましたように、1:1は「純愛の形式」であることに間違いはないようです。(200308220002)

 2003.08.09(土)のフジテレビの「ayu ready」に石田純一さんが出ていて、彼の過去の発言をボードにまとめてました。その中に『三角関係は角が立つから関係を多くして丸くしたほうがいい』(2000.01「スケすけシルバ」で放送)という発言があったそうですので、一応、ここにも載せておきます。「1:1の夫婦関係では角が立ちすぎるかも知れないから、どうしよう」という発想から生まれたアイデアである点も私と同じでした。石田純一さんの勝ちぃ〜(^^;。(200308112120)

 某神霊が「女性枢軸主義」のほうが良いと述べているので、それを元に述べています。そのような社会になると、結婚の形も違ったものになるかも知れません。今までの社会では男と女が1:1で夫婦となり、家族を構成しました。しかし、女性枢軸形式の社会では、女性=家=土地という不動で一体のものがあって、男性は色々な女性に「呼ばれる」訳です。その家族とその男性の同意が成立すれば、その男性「も」その女性を中心とした家族の一員となる訳ですね。
 今まで私は「結婚は人生の墓場」という相に関して、バカの壁があったのかも知れません。そのような窮屈な相が発生した時は、人によっては地獄のような試練の場合があるのでしょうか。それは、男女が1:1で固定しているからではないのでしょうか。

 女性枢軸社会の男性側から見れば、自分が関わった(例えば)3人の女性=3つの家族が自分の家族(家)になりますね。女性側から見れば、自分の家族は家=土地と一体ですね。そこに時々、夫「達」が現れる訳です。もし、その内の一人の男性と険悪になれば、その男性は来なくなる場合はそれでOKで、他の男性と仲良くする、ということになりそうですね。あるいは、その険悪になった男性が逆の性格で、つきまとい、暴力をふるうのであれば、他の男性や「他の家(近隣社会)」が助けてくれるでしょうね。このような社会では、地域社会的な繋がりが従来よりも緊密なものになりそうですね。なぜなら、「夫達」が普段から往来しているので、共有結合した分子のような結合体に「成り易い」からですね。妻=原子核で、夫=電子ですね。ちょっと例えが難しい? 従来の男女比1:1形式の家族だと、それで安定してしまい、周囲社会とは隔絶しがちだったと思います。でも、男性が「今日はA子ちゃんの家に泊まろうかなぁ〜、明日はB子ちゃんで、C子ちゃんは来週でいいかなぁ〜」みたいに動き回るので、比較的開かれた家族となって、社会と「反応」するように思います。
 女性枢軸社会では、男も女も「同意」が基本となるのは当然と思います。つまり、男も女も、自分の好みの「複数の」異性と結婚することになる訳です。故に、従来の1:1形式に於ける窮屈さとか「結婚は人生の墓場」状態には、なり難い社会ではないでしょうか。1:1では、大体の場合、女性が圧迫される場合が多かったかも知れませんね。それも開放されることと予想します。でも、1:1形式があり得ることも当然です。気持ちが純粋な人は相手は一人だけであり続けたいと思うのも自然な感情ですから。1:1家族を見た時は「お互いに相当惚れ合っているんだな」と理解されるようになると思います。このような家族・カップルに「邪魔は禁物」ですね。
 また、多分このような社会でも、「結婚契約を外れる」と、それは不倫として裁かれるようなものである点は従来と同様だろうと予想します。また、家族の子供達は、従来と比べて、人と交わりコミュニケーションするようになると思います。ゲームや機械とお友達状態には、なり難くなると思います。なぜなら、家族自体が社会に開かれているから(従来比)。

 今、私が思い出しているのは、アメリカ歌手マドンナの結婚です。彼女はニューヨークの公園にいた好みの男性を捕まえて(^^;結婚というか、授精しました。すぐ離婚しましたよね、確か。マイコー、いや、マイケル・ジャクソン【つい先日、洋楽一覧にSarah Brightmanの歌の動画をリンクしましたら、翌日(2003.04.23)の夢に彼が出てきて動画を見ていました(→その後の展開:動画一覧へ)】の結婚形式も、固定しない形式ですよね。アメリカの芸能界では、何かそういう思想が息づいている?(200307212304) 関連記事(200402042248)関連動画(200402052241)、(→阿修羅発言) (200506142038)、東スポ記事(200506142013)

現在の社会の構成は、男性中心社会になってますが、どうもこれは違うんじゃないかと思いました。それは、一人の人間を見てみれば、分かります。人間は何か方針を決めてその通りに行動を律して行くような人はほとんどいません。かえって、このようなやり方、論理性によって現代人はストレスを抱えています。それは、今の人間という存在には無理がかかる方法です。実際の人間の姿というものは、何かをやりたいという気分や衝動や欲望や感情が湧き起こって、それに従って、というか、それがやりたくて行動します。それは一概に欲望だとか悪だとか決めるのは間違いです。何事も一時的な部分だけで判断できません。もしかしたら、それはその人の使命に関わる訓練だったりしますから。

さて、本題に戻りますが、人間が行動するのは、その基本に、「パワー」の促しがあるからです。この、個人の内面を社会に映すのが、無理のない社会を造りますでしょう。つまり、実際には、社会を動かしているのは、女性であり、その社会の「女性」に受け入れられたなら、それはその社会にとって本物ということになりそうです。夫婦でもそうではないでしょうか。妻の強力なバックアップ無しで男がいくら方針を決めたとしても、何も実現できないのではないでしょうか。実現しようとすれば、現代社会のような無理、ストレスが生じてくると思います。そのように社会というのも、基本方針を実際に決めるのは女性ではないかと思います。それに、男性は「どうしてもこうでなければ嫌だ」という人は、人数として比較的少ないのではないでしょうか。それなら、社会の中心は女性のほうがいいかも知れません。

一人の人間の内部を見てみると、思考作用というのは、そのようなわくわくというパワーのバックアップがあってこそ、継続するものです。女性に元気づけられた男性こそ、色々なアイデアを生み出すのではないでしょうか。それらは女性を喜ばせることになり、ますますアイデアが沸いて来るということになりそうですね。

それに、現代は、男性の家に女性が嫁ぐという習慣がありますが、これも逆にしたほうがいいかも知れませんね。子供が欲しくなった女性に呼ばれて男性がその家に嫁ぐという形式です。そうすれば、女性は何人でも好きな男性の子供が持てますし、性格に邪悪さのある男性は自然と女性に呼ばれなくなりますから。男性が優位な社会だと、何かと悪い遺伝子を残しそうですが、女性優位の社会なら、男性はまず女性に認められようとして、社会も良くなって行くと思われますね。(1996.12.04)





































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