8/17(木)の「ニュース・ステーション」で報道してましたが、軽井沢の先人の知恵というのがあるそうです。それは「娯楽を人に求めず、自然に求めよ」という言葉だそうです。人のプライバシーを犯して楽しんでんじゃないよ! 自然の中に娯楽を!(影の声:両方楽しもうぜ!←こらぁ[日当の声])(200008180332)

 警察による盗聴が開始されるそうで、ニュースになってますね。でも、私が芸能人に出したレターがプライバシーを無視して勝手にFAXしまくられ、コピーが配布されまくるという(多分)現実の前に、私は「警察による盗聴?なぁ〜んだ、そんなこと」と思ってしまいます(^^;。だから、盗聴に関しては、私の認識、感覚は、かなりズレております。私のプライバシーは芸能人脈の中だけではなく、その周辺の一般人や、テレビの報道人や政治家などにも渡っている兆候がありますので、政治家も見ていると私は思っています。(200008160434)
(→阿修羅発言 (200703232136))

 「国が今すぐすべきことだと思います」の中の記述からの続きなのですが、どうも私には、「盗聴をしない」ことのほうが常軌を逸しているように思えるのです。盗聴の元々の発想は、犯罪対策であるはずで、だから正面から取り組めていると思うのです。犯罪を追及する時に、盗聴「すら」させないという世論の身勝手さは今の時代の一つの傾向を表していると思います。警察が存在してもしなくても、信用できてもできなくても、対犯罪行動としての盗聴は、私にはむしろ「当たり前」だと感じます。

 その純粋な必要性があって、その上で、今の警察が信用出来るか出来ないかという話になって来ればいいのですが、このような「純粋必要性」すらスッ飛ばしてしまおうとする感じを見ると、何の為のそのような主張なのかと思います。

 まあ、確かに警察が過去の盗聴の事実を認めていない為、「信用できない」との主張も分かるのですが、それは「警察への」不信というより、これは個人へ還元して考えるべき課題と思います。大体において、どこの誰でも「勝手な盗聴」をする可能性はある訳ですから。しかし、「勝手な盗聴」は犯罪です。普通の(?)犯罪を含めて、このような犯罪もビシバシ取り締まるべきでしょう。

 その観点から行くと、なぜ、報道機関を盗聴対象から外したのでしょうか? 秘密の情報、プライバシー情報が沢山集まるからでしょうか? 実際の所、マスコミというのは、情報の売買、賄賂の巣窟ではないのでしょうか? 有名人のプライバシーなど秘密情報が売買されてるようですね。AさんからBさんからCさんからDさんからEさんへと情報の経路が固定的になっておるようで、それは秘密でしょう。このような人から人への「固定経路」によって情報はあっという間に「皆が知ってる秘密」という状況になるようです。警察へ(芸能関係の)誰かが圧力をかけたのか、それとも、「警察としては何も知らないままでいたほうが厄介な事にならないでいいだろう」と判断したのだろうか? なぜ、警察は「芸能界の闇」に関わろうとしないのでしょうか? 実際の所、「見えない所」では、詐欺や人身売買が横行している可能性があると思いませんか? まあ、本人が承知の上で商品(売買の対象)になってるという側面があるというのも事実だろうとは思いますけどね。だから本人が強く主張すれば、そのような売買が犯罪として成立するのでしょうね。

 そういう訳で、私は盗聴自体は純粋に必要性があると思っています。その観点からもう一つ言わせていただきますと、ネットワーク環境の中では匿名で行動する事ができます。この匿名性には問題があると思います。匿名性から非人道的な振る舞い(犯罪)が発生しているのです。ネットワークの中でも匿名が不可能なシステムにすべきではないでしょうか?

 以上の3つの主張を簡潔にまとめますと、

1.犯罪対策なら盗聴してね
2.芸能界を盗聴してね
3.ネッワーク環境下での匿名を禁止してね(199908040427)

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