戦争論-1 「嫌いな人がいる人へ」

戦争終結への道]を参照してみて下さい。(200607232332)



 私には誰も何も教えてくれなかったので、大切な事を若い人に知らせるべきだという想いを最近持ちます。それで当ファイルを作成します。

精神論-1 「善悪の区別」

 善悪は人間に固有で必要な概念であり、原理・原則です。若い頃は、善悪をそんなに区別しない人も多いと思います。潜在意識の中は、まだ何も蓄積していないのですね。だから、「悪への抵抗感」とか、そういう性質が薄い人も多いのだろうと思う。このような精神段階から機械的・本能的に発してくる発想⇒行動は、「人を犠牲にしてでも利益に向かってまっしぐら」というものです。それは(この例に於いては)善悪を考慮していないので、「人を踏みつけても何とも思わず、彼ら/彼女らの犠牲の上に平気で自分の利益を打ち立てる」というのが最初にイメージするものだと思います。そして、それを実行に移してしまう人も、(仮に例えば)3/4はいるだろうと思います。でも、残りの1/4の人は、人に犠牲を強いる行動は採りませんでした。
 人を踏みつけなかった1/4の人たちは、その善意の為に損失者となり(物質的結果については)悔しい思いをします。しかし、待って下さい。1/4の皆さんは(霊的な成果については)自信を深め、自分に安らぐ、という当たり前だが基本的な基盤を(善性の故に)形成します。1/4の皆さんの潜在意識の中には「自分=善」という方程式が沢山形成されて行きます。これは「人生経験」であり「自己形成」です。死んだ後に持って行けるのは自分だけだと言われます。この1/4の人々は、社会の中でも、「出る杭を伸ばす」人々になることでしょう。優秀な人が、その能力を発揮できる社会になることで個々人=社会の豊かさが増すのでしょうね。こうなる為には、「自分の中の嫉妬心を軽蔑したりして脇にけておく」事が普通にできる人が増えることではないでしょうか。誰の中にも怒りもあれば悲しみもあり、嫉妬心もあれば優越感もあり、という具合であり、その比率や階層が人によって違っているだけですね。
 一方、あざとく利益をかっさらって行った3/4の人々の精神について見てみましょう。彼らは最初こそ勝利したと思っていました。しかしそれは、最初の10年or数十年程度だけです。彼らの潜在意識の中には、知らず知らずの内に「自分=悪」という方程式が蓄積して行きます。それ故、霊的な損失者になって行くのです。そういう人々の自己認識の最たる表現の一つは「自分は早く死んだほうが良い」とか「人類や地球が崩壊したって別に構わない」などと口走るところに現れるようです。一見、謙虚さの表現の一種のようにも見えてしまいますが、これは本心らしいのです。そういう自己認識が蓄積している証です。こちらの3/4の人々は、社会的な振る舞いとしては、普通に=機械的に「出る杭を打つ」発想・振る舞いをするだけでしょう。優秀な人が収入を増やす等の可能性拡大は単に嫉妬画策妨害され、その能力が他ならぬ3/4の人々自身に還元されることもなくなるのでしょう。個々人=社会がこのようになってしまう現状は「自分の中の嫉妬心を満たすことを何よりも大切にし、嫉妬心に自分が動かされる」事が何食わぬ顔でまかり通って=普通の事になっている為だと思われます。(200607040002)

精神論-2 「関係性に埋没しないように」

 人間「関係」を人生の最終目標と(本能的に)している人は、物事を関係性の次元で考える。「真実の次元で考えること」は、そういう認識のある人でも捨て去ってしまうか、本能的に考える人にとっては思いも寄らない。関係の中に最終目標を定めているから、関係性の中で「最高」を目指す。貴族だとか上流階級という概念⇒観念⇒感覚や、何カラットだとか別荘だとかいうところに力点を置く人々が出てくるのもそういう発想でしょう。ただ、上に立つために積極的に他者を攻撃する訳ではないから基本的に善良です。人によっては「上に立とう」として(大人も子供も)いじめを始める人がいる。そうすることで彼らは「上に立ち」プライドは満足し、自分の足元の人々の苦しみを見て自分と比較し、偽りの喜びに浸る。「偽り」の意味の基本は、「関係性に立脚し過ぎた精神状態」という意味である。彼らは自分をアゲアゲして、人をサゲサゲし続けなければならない精神世界で生きているから。(→阿修羅発言 (200701100024))

 故に、既に頭が固まってしまった人は比較的手遅れだとしても、やはり若い頃から、こういう認識を持っている事で、自己教育の方向を定め易くなります。なぜなら、この檄文げきぶんを読んだ人は「知った」わけだから。本能的に生きていると(物事をあまり考えないでいると)、やはり人との関係性に埋没してアゲアゲしたりサゲサゲしたりするような人生に「なってしまう」のです。「自己教育」はそれを防ぐ効果があります。「性格に軌道修正を加える」のは、まず知識⇒認識を持ち、自分の中の概念⇒観念⇒感覚というちょっとした進化を引き起こすまで継続する必要があり、他の人に強制されるようなものではないので、必然的に自己教育になって行くからです。何の疑いもなく関係性をメインにする(=アンバランス係数が高い)「感覚」の人々は、経済で言えば、絶えず価格変動の波にさらされるようなものです。利益を継続的に得続けていられる人は全体の5%程度しかいないそうです。「波」ですから、ここで経済と同じように捉えられると仮定すると、人間関係という精神世界の波の中に浸り続けてアゲアゲしたりサゲサゲしたりしながら(優越感や勝利感などの精神的な)利益を「継続して得られる人」は全体の5%程度ということになるのでしょう。しかし、彼らは相当の努力を払って自分の周囲の世界に対してアゲサゲさせたり、他の人を作為的・強制的にサゲさせて生きてきた結果として「関係性に立脚し過ぎた精神状態」という不幸が、彼らの精神の中でかなり拡大しているという状況に光を当てる必要があると思います。

 勿論、そういうアゲサゲの波は誰でも関わっているものですが、今はそういう精神世界があまりにも拡大してアンバランスに過ぎる(他人をサゲサゲ=いじめの原因)という認識を広める必要がありますね。でないと、そういう人々の人生の上げ下げの波は、発想中心が偽悪醜で「聞くに堪えない」でしょうから。でも、そういう「比較意識」から比較的自由な(アンバランスではない)人々は、その中心の真善美が有効であり、上げ下げに対しても操作の手を加えたり意図したり等しないでしょうからきっと和音・リズム・メロディーすらあり、その人生波動には「秀逸」マークが点くと思います。(200612190230)

この文章は[謙虚さと傲慢さ]と同時にタイプしたものです。(200612190325)
本日の追加更新
【大天使ミカエルが、絶対的・究極的な立場・観点から人間関係というものの位置づけついて述べたことがあります。(201309252313)】

精神論-3 「アセンション」

 アセンションについて、幻想傾向のある人々は何か奇跡的な事が一瞬にして起きるかのようなことを「信じている」と思います。確かに、歴史上の偉大な存在は肉体を含めてアセンションしたと私も信じています。しかし、ほとんど全ての大多数の人々はゆっくりとアセンションをするものだと、これまた確信しています。
 多分、「アセンション」という言葉が何か革新的なイメージを伴っていることもあるからなのだと思います。それで、最近湧いて来た想いを説明しようと思った次第です。
 とは、プラスとマイナスが引き合うところからも分かるように、物質世界においてさえ働いている究極の力だと考えられます。「常に新しい」その力は生命の基本です。つまり、生命の中心にはがあります。かたや、生命体は別々の個体であり、皮膚等によって仕切られています。この「仕切られている」というのが否定性・拒絶・部分性の根本原理です。マインドは、部分と部分を組み立て、比較し、分析・分解します。このため、「あなたとは考えが違う!」と分断が起こります。
 英語ではハート(Heart)とは中心(Center)という意味で使われるところからも分かるように、中心です。生命の中心を占めるのは・ポジティブであり、ネガティブでは「あり得ない」わけです。これは基本原理ですね。ところが、マインドの癖などにより、例えば「恨み」が人生の中心になったりします。しかし、究極的には生命の中心にはなり得ないのです。原理的に、科学的にそうでしかないと思われます。ところが、この科学的な原則を「知らない」または「気付かない」人が多いので、人々は、ネガティブ傾向にはまってしまいます。ネガティブ傾向にはまるとどうなるのでしょうか。
 次元の構造を人は理解する事が出来ます。ブリちゃんが「5次元以上=ME」と叫んだところから分かりますように、人の精神は5次元以上の構成体だと分かります。だから、いくら知識を蓄えても理解しても悟っても、その人の三次元の外見は同じままです。三次元の外見が同じでも時間軸は刻々と変化しつつあるのに、これも見えません。ただ、(ここが重要なのですが)いくら見えなくても、精神性というのは、「極めて重要な要素」なのです。例えば、「ある生活」、「喜びに溢れた生活」、もう言わなくても明らかでしょう。5次元以上=精神を満たすと「生きてて良かった」となるのです。これは「尊いこと」と言われます。「尊いこと」を表現するものが「真の芸術」と言われても何らおかしくありませんよね。つまり、目に見えない領域とは「極めて重要」なものなのです。
 この「目に見えない領域」を人は「一生かけてメンテナンスする」わけです。仮に、ネガティブな考えばかり心に抱く人がいるとして、その人の精神はどうなって行くでしょうか? 明らかと思いますが、精神が単純化し、感覚も単純化し、大雑把になり、瑠璃色と群青色の違いだとか、俳句に季節感を感じるとか、そういう細かい・微妙な事柄に対応できなくなって来ます。また、自分の内なる世界に貧困を感じてしまうため、内へ向かうよりも外に「何か楽しい事」を探すのです。
 一方、プラスの力を精神的な方針として努力している人は生命の中心から恩恵を受けます。目には見えませんが、そのような人は「冬」という言葉一つにも、多くの概念・経験・イメージ・・喜びを想起するようになります。「冬」という言葉にそういう沢山の豊かなタグがついているようなものですね。それは明らかですが、生命の中心からバックアップされるために脳細胞の活発化に繋がるものだと言えるでしょう。また、当然、脳細胞だけではなく、身体の色々な側面に変化をもたらすでしょう。このようなところで「アセンション」を捉えると正確だと思います。

 私は個人的に「意識」というのは、ゼロと無限が結びついたものと捉えてはいます。0=卍=∞という記号を使ったりしています。このようなところからすると、最早、量子レベルを超えた所にあると思うので、そのようなところでは、肉体を含めたアセンションはあり得るだろうとは思いますが、「地上から」登って行ける人は、実際にはほんの数える人しかいないと思います。ただ、「天から」の力が及んだような場合には、それは現実のものになる筈なので、「ほぼ全ての人が」肉体を含めてアセンションすると考える事もやぶさかではありません。(201309260018)

【→阿修羅発言 ←『私の本体』(201309261404)】
【→大天使ミカエル・・・2013年9月25日 特別な鍵は自分のハートのなかに隠されている(201309272017)】
【→父なる神/ゾラとの対話 2013年10月5日 ←『70億人の人間の次元上昇が起きるが、次元上昇のルートは個人の選択次第である。』(201310061927)】
You had surprised us when you had said you were going to ascend as one collective. (201612271851)
But those of us who mentor to you, who have been with you all the way from the beginning, knew that the Collective Consciousness here on the planet could make this happen. (201701050401)


精神論-4 「エゴ(偽我)と自己(真我)、及び第6次元

(Transl-Escorted=グーグル翻訳可能)
 若い時にエゴの正体を人から教えられたかったと私も思っているので、このページに投稿しました。エゴとは偽の自己と定義されます。真の自己は宇宙の根本()に基づいていますが、エゴは「根拠がない」自己なのです。
 私は宇宙人とのコンタクト体験があるので断定できます。彼らはテレパシー能力があります。しかし、地球人はそうではありません。地球人はマインドが孤立することになります。例えば、「被害妄想」というのは典型的(誰もが持っている)な孤立状態です。例えば私は運転する仕事の中でよく見ます。前の自動車の運転手が「自分は追跡されている」という感性を持つ人がかなり多い(50%程度?)。しかし、彼らの思いこみには「根拠がない」のです。根拠が存在しないので、いずれ消えて行く自己です。
 ここで、私は少し難しい種類の「根拠なし」を例に挙げます。永続的に継続しないものがあります。例えばお金は死後の生活に持って行けません。人間関係もほとんどが永続的ではありません。勿論、人生ではお金や人間関係は必要です。ただし、これらは「所有」の領域周辺の意識だと思います。
 厳密に述べるならば肉体は自己ではないと言えます。勿論、空腹になれば食べ物が必要です。必要性を満たす程度の所有欲は必要です。しかし、過剰な所有欲は周りの人々にとって迷惑です。ここで述べたのは「所有欲の量的側面」です。「所有欲の質的な別側面」について述べてみましょう。
 典型として、「人の心を所有しているという幻想を持つタイプの人」が挙げられます。仏教では一切皆苦と言います。仏教は(この世や所有という)執着を離れることでそれを解決しようとします。具体的な例を挙げると、例えば、私がAさんと仲良くなりそうになるとき、B氏が「彼はAさんの悪口を言っていたよ」と陰口し始めます。悪口ではなかった話を悪口にされてしまいます。あるいは、私が独身女性Cさんと結婚しようとすると、突然に独身女性Cさんが注目され、男性が押し寄せます。私自身は真の自己が目覚める思春期の前でさえも、この種の振る舞いを私はしたことがありません。私は他者の結婚や友人になる可能性を破壊しようと意図したことがありません。勿論、私は自らの意図としてそのような行動をしたことはただの一度もありません。私個人の認識では、そのような振る舞いは「あまりにもあり得ない」事柄に属するからです。しかし、人の振る舞いを見ていると、まるで動物のように反射的に動くようです。仏教的に表現すると、「移り変わるもの=根拠のないもの」への執着(人間関係の所有)が苦しみを人間社会に生みます。近頃では金融の動向で戦争が引き起こされる場面があるようですが、これも所有欲ですね。
 このように、人間は一時的な根拠(執着≒所有欲)によって戦争を起こします。その理由はエゴ(動物性)によって生活しているからです。人間は真の自己(人間)として行動できるようになるべきなのです。その為には人の心を所有する対象のように考えるのを止めることです。「いつでも神に見られている」という意識を持つというのも一つのツールでしょう。ただ、「神を私の味方につける」という考え方はエラーがありますね。「法則1のページ」で述べましたように、「私が神によって所有される」というのが正しい認識ですね。
 エゴについてさらに述べれば、誰でも肉体を持っているのですから、食欲や性欲や所有欲に関連した話題などを「軽く楽しむ」ことが出来るのです。この世の豊かさとはそういうものではないですか?特定の話題に関して妙に真剣になったり拒否したり、執着がある(=アンバランス)時にはその裏にどのようなエゴ(根拠がない)がありますか?例えば、宗教の教義は「根拠なし」が沢山あるように思います。宗教は幻想の中で生きる人(エゴの強い人)を量産している可能性があります。
 ルドルフ・シュタイナーによれば、「人間理想像」を追求するのが宇宙の宗教です。だとすれば、エゴを否定せずに超克し、真の自己として生きるのは「宇宙の目的(第6次元)」に従っています。
 もし人々がこの宇宙の目的(第6次元)を若い時に知っていたら、それだけで真の自己にとって苦がなく生きて行けると思います。人間は宇宙の目的(第6次元)を知らないから、彼らは物質界の出来事に傷つきます。例えば、出来ごとに傷ついてしまうのは、エゴが肥大していた側面があったからです。その時に「宇宙の目的」をツールとして思い出してみましょう。エゴ(根拠がない)を一つ一つ止めることにして、真の自己として所有や執着を離れましょう。苦しい体験というのは、真の自己として生きる事を促進する体験となります。宇宙の目的を私の目的として生きる事です。(201508240303)

 国際政治の場でも根拠のない動きがよくありますね。例えば、軍拡競争も根拠が存在しないエゴの動きですね。あらゆることが軍事と関連付けて考えられ、誤認だらけの判断が国を導いて行くものです。(201508240427)

●アシュターが上記の私の発言の「翌日」に反応してくれたようです。⇒JapaneseEnglish (201509270116)


精神論-5「権利主張マインドによる人間関係、義務遂行マインドによる人間関係」

 資本主義・利益・お金というのを人間の精神(マインド)の中に組み込んで権利を主張しながら振る舞う人もいれば、義務遂行マインドによって振る舞う人もいます。この大きな分かれ道を選択する場所にいるのが若い人々だと思います。それぞれの道のその後について以下に述べてみます。

 肉体的には皆、同じ人間で、おいしいものはおいしいし、熱いものは熱いし、寒いものは寒く、「利益が欲しい」というのも共通ですね。しかし、マインドは皆、微妙に違っており、「どんなに人を蹴落としても権利を主張し、利益が欲しい」人もいれば、「そんなことまでして利益を得ようとは思わない。人としての義務を大切にする」という人もおり、両者のベクトルは正反対にもなり得ます。

・利益・権利第一マインド:
 利益優先マインドの人は、相手に関して何か知ると、その情報の使い方にも何段階かあるでしょう。
1.その情報を利用して相手から利益を得ます。(単に情報を使っただけ、と言う)
2.相手自身を利用して利益を奪います。(ちょっと協力してもらっただけ、と言う)
3.相手の縄張り(例:結婚の権利)を冒して損害を与えた上に利益を奪います。【この種の人は政治家になることは禁止すべきです】
 なぜ、知り得た情報を「使う」のでしょうか? それは自分が上に立とうとするからです。無自覚に「そう判断⇒行動してしまう」のです。このような性格・行動は無自覚的に続いて行くものです。そして、本人は「知っている人」とばかり付き合います。その為、周囲の人々は辟易して来る場合も多いでしょう。利益優先マインドの人間同士は集まってグループとなり、グループ以外の外部の人間に対しては、非常に冷たく判断し、冷たく行動する傾向があるようです。

・義務優先マインド:
 義務優先マインドの人は、相手に関して何か知ると、自分の義務として相手の縄張りを冒さないという行動を採ります。そして、知り得た情報を全体の為に使います。つまり奉仕します。奉仕する人は、人の下に立とうとするから奉仕するのです。奉仕する相手は事柄の属性にもよりますが、そのサービスが及ぶ範囲が多ければ多いほど、広ければ広いほど良いことになります。つまり、特定のグループの縛りの中で行動しない傾向が出て来ます。義務優先マインドの人は、相手に関して何か知ると、それによって自分の行動や発想を制限するようになります。何か相手についてさらに知ると、どんどん自分の制限=義務が増えて行きます。そのようながんじがらめから抜け出そうとする傾向が出て来ます。とはいえ、この種の人は知っている人と知らない人の間に区別を設けないスタンスにあることでしょう。その奉仕はなるべく多くの人々に行き渡ったほうが良いという原理・原則が存在するので、全くの他人に対して暖かい心を持ち、彼らの為に何かをしようと考えると思います。(201608062251)

 私は以前から自分のことを「逆人間」と言って来ましたが、義務優先人間を意味していました。逆人間は少ないと思われます。(201608080010)


精神論-6 3D物質世界では3つの自分になる

長くなったので、見易さのために別ファイルにしました。(201611062007)


社会論-1「ヤクザの接近という現実」

 ヤクザは一般の人に混ざっています。外見上からは分からない場合も多いと思う。でも、さすがにイキナリ暴力を振るうことはないようです。彼らの目的はお金で、その為に人の弱点情報をつかみ、「言うぞ、言うぞ」と言いながら迫ってきます。情報的に迫ってくるのが大半なのだろうと思います。
 「どうしても言われたくない過去」を持ってしまうと、彼らに一生、飼い殺し状態になってしまいます。だから若い人は、「将来、封印せざるを得なくなるような過去」となるものを今、そして今後、作り出さないでいる事がとても大切です。よくありますよね。例えば、「あの女性アナウンサーが、こんなことを」みたいな記事にしてお金に変換されてしまうのです。だから、若い人は出来るだけ、「いつ、人に何を聞かれても全答できるような事実・実績」を積みながら、おまけに徳も積みながら生きてゆくと良いわけです。
(→阿修羅発言 (200612212334))
(→阿修羅発言 (200612212339))

社会論-2「権力者の裏指令による金銭的不自由」

 これは、主に、言論に関わる人に言えるかも知れない事です。権力者に睨まれると、ピンポイントで裏工作として攻撃して来る場合がありそうだと思います。それは「職を奪う」という場合が多いのかも知れません。組織の中に所属すると、容易くコントロールされます。権力者だから、あなたの会社の社長なり、あるいは株価を操作したり、よく分かりませんが、他にも権力者が使える装置があろうかと思います。その会社が、ほとんど数社の「特定された収入源」としか取り引きが無い立場にある会社だと、権力者は「簡単に」あなたの会社を潰せそうだとは思いませんか?
 対照的に、もしあなたが例えば中華料理屋をやってたとしたら、収入源を断つなどという芸当は出来そうもないという気がしませんか? そういう組織の「外」で独立的に営む職種は影響され「難い」わけです。まあ、地域ごとごっそりと目の敵にされたら、そこまで人を思い通りにしたい欲望の強い権力者だと、どうしようもない場合もあろうかと思いますが…

社会論-3「権力者の計画的な服従計画」

 例えば、あなたが趣味でも実益でも、どこかの小集団に属するようになった時、そこの支配者の人がやたらと「性情報を共有しようとする」ような時、友達だからと思って軽く性を共有していると、「実は」、それはあなたを支配し、逆らい難い状況を把握・維持して、あなたをコントロール・服従さるための計画的な“犯行”だった事が後で発覚する可能性の高さがあります。この事を最初から「知っていると有益」だと思います。性を共有したがる人間は、社会的にあなたを支配したいのです。性と社会はキッパリと分けて扱うべきでしょう。(200612191747)

職業選択論-1「人と関わりたいか/関わりたくないか」

 基本的に、いじめられっ子だったり、長男・長女タイプの人は、あまり人と関係を持ちたくない傾向の性格だと思います。この傾向の人は、「自分の店」の中でジッとしている仕事が合っています。
 一方、人と関わらずにはいられないタイプの人(次男・次女タイプ)は、組織の中で、周囲からの刺激をいつも感じながら仕事をするのが向いているのでしょうね。(200607040208)

職業選択論-2「創造的か/破壊的か」

 世界には銃を持って戦う事が仕事になっている人がいます。download(当動画の1h01m06s〜1h01m16sを見て下さい)誰でも内心、人を殺すような「仕事」をしたくないのです。相手が人の場合だけではありません。相手が動物でも植物でも、物体であっても破壊の為の破壊を続けることはしんどいことですよ(創造目的の為の破壊意図を除く[私は全く同等の復讐=破壊も認められるのですが…])。日本での仕事はほとんど、破壊の為の破壊をするような仕事は無いと思います。それだけどんな仕事も恵まれているという言い方も出来るわけです。強調すれば、人や動植物を助けたり環境を浄化したりする仕事は人に元気を分けてくれる側面があると思います。(200612312033)


職業選択論-3 頭が「固いか/柔らかいか」

 最近、ふと思うようになりました。世の中には、一度言ったら絶対に「意見を(業務内容の事ではありません)」頑として変えない人も沢山います。一方、何でも言うことを聞くような頭の柔らかい人もいます。そのような対比から思ったのですが、「頭が固い人」は、実行部隊、または現場の人として働くのが適職ではないかと思ったのです。頭が固いので、決まったパターンで身体を動かすような職業が適していると思います。

 一方、「頭の柔らかい人」は優柔不断な人ですが、この種の人は多分、生理的にも色々な考え方や捉え方が出来る人だと思います。また、一つのことを断定して思い込んだりする要素が無いとは言えないでしょうが、普通の人よりは思い込みから自由で、どちらにも偏らずに真相に迫ることができる人だと思うのです。多分、この種の人は研究者として真実を追求して行くことに適しているのではないかと思うのです。(201105192159)


人間関係論-1

 人のタイプには色々なものがあると思います。その代表的なものは「義務遂行タイプ」と「権利主張タイプ」があるでしょう。
・「義務遂行タイプ」とは、それをすることが必要だからと、人が嫌がることも遂行するというイメージです(先ずは与える人)。このタイプにも階層があると思います。義務と言っても自分の為だけの義務としての「仕事」をする人、あるいは今の社会全般の為を思って大きな最善を考えている人、あるいは、遠い未来に与える影響まで考えている人などになるかも知れません。こちらのタイプの人ならば、あなたに心の内なる「理由」を話してくれるでしょう【つまり、逆の言い方をすれば“あなたの裏・知らないところで、あなたの悪口・作り話・偏見を吹聴・画策して人間関係を加工・作り変えていない人”という意味です。男性のバンドの歌で“理由なんて知らねーよ。ただ楽しけりゃいい”みたいに歌ってる人がいましたので、ここに内容の補足を入れときます。(200908121459)】。
・「権利主張タイプ」とは、先ずは得ようとするタイプでしょう。上記で述べましたように、先ずは物質的利益を得ようとする人は、人から大切なものを奪ったりするような行為をとにかくしてしまう事で、気づかぬ内に自分の精神的な利益を置き去りにしていると思います。何か議論をしている時でも、こちらのタイプの人は、自分の質問を相手に「答えさせる」ことには乗り気でも、相手が何か質問して来た時に全く答えないでシカトする場合があるかも知れません。が、それは最低の議論、最低の関係と言えるでしょう。つまり、こちらのタイプの人は、あなたに「理由」や「内心の事実」をなかなか話してくれません。

 人間関係で一番大切なのは信頼関係だと思います。「仕事の人間関係」というのは、結果を出したかどうかが問われる側面が中心的な関係ですので、ここでは扱っていません。ここで述べているのは、「個人的な人間関係」の信頼関係について述べています。例えば、恋関係や、友人関係のことです。では、誰が信頼できる人でしょうか?(または、誰が裏切り易いタイプの人でしょうか?)それは「理由について(聞けば)話してくれる人」(または、「理由をいつも隠すタイプの人」)でしょう。つまり、義務遂行タイプ(または、権利氏主張タイプ)寄りの人ですね。逆に、いつも「理由」について話さない人というのは、それだけ自分の側に密かに「非がある」ことを知っているからこそなのか、あるいは人間社会と関わろうとしていないのか、自分の事を話すのが怖いだけなのか色々な場合はあるでしょうが、大抵は「理由を言ったら損をしそうだから」というのがほとんどではないかと思います。
 個人的で親しい人間関係を繋ぐもの=信頼関係は、お互いに「理由」を開示し合える関係ですね。(200701080054)







































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