今コンビニに売ってる「週刊文春」のP177より「何サマなのかテレビ局」と題した記事がありましたが、テレビ局が高収益体制でいられる理由は、1)免許事業の為、寡占体制が保証されている。2)得た利益は、下請けの「番組制作」会社に回さずに、社員の給料として配分しているのだそうです(だから皆、高給取り)。一方、番組を実際に制作する下請け会社は、つぶれたり、自給\400程度で危険と隣り合わせで頑張っているのだそうです。
 30代の日テレ社員の年収は1500万円。40代のテレ朝プロデューサーは「週休6日」(週1出社)で年収1400万円だそうです。一方、弱小製作会社では年収で180万円(月給15万、ボーナス無し)だそうです。どうりで、番組の質を高められないはずですね。今後も「利益チューチュー機関」であるのならば、報道機関ではない。テレビ局の免許制を解消して、自由競争を促進すべきでは? そうすれば、製作会社は逆に潤うのでは? 報道の精神に立ち戻るのでは? 出社しない社員はそれだけ減給になるのは「当然」では?

・週刊文春では御意見・情報を募集しているそうです:

E-mail:bunshun@ymail.plala.or.jp

 勿論、芸術というのは人の内なる神性を思い起こさせてくれる刺激・チューニングですから、そういう範疇のことまで無意味と言ってるのではありません。(200004060425)

 昨日、3/29(水)に、「テレビで内容のほとんど無い番組ばかりを作るのは何故か」という事に、ふと気付いたのです。人には「義務追及タイプ」と「利益追及タイプ」がいるのですね。義務遂行タイプは、自分がすべきことはどんどん先回りして実績を積み上げ、ついには自分の性格まで「あるべき自分」にしてしまう。このような人に「あなたはあの時〜をちゃんとやったか?」と聞いても、その先まで既にやってしまっていると答えるでしょう。このような質問に対しても、問題などがあった時にも、それに対してちゃんと取り組んで解決しようと努めるでしょう。ところが、「利益追求タイプ」は、自分の利益を得たら、後のことは放って置く傾向があるように思います。人から何か聞かれた時は適当に嘘をつくのだろうと思います。何か問題があると、そこから逃げることを考えるのだと思います。この2つのタイプの人はこのような大きな差が出てくると思います。

 義務追及タイプの人がテレビ番組を作ると報道番組のようになるのだと思います。固有名詞が一つ違ってたら、後でちゃんと訂正する、みたいな「逃げない姿勢」なのです。でも、利益追求タイプの人が作る、その他のほとんどの番組は、「ほとんど意味のない」構成となるのだろうと思います。なぜなら、真っ当な議論などをして「真相が明らかになりそうになる」ことも避けようとして(自分の嘘を隠そうとして)、なるべく、その事に触れるのを避けようとし、できれば、近くを通ることすら、いや、かする事すら避けているというような番組作りが「非常に多い」からではないかと思いました。そのような無意味とも思える程の番組の為に多くの時間と労力がかけられているようにも思います。何らかの意味(過去の嘘)を隠すために、無意味を継続しているのがその本質ではないかと思いました。(200003300346)

テレビCMに関する苦情:JARO:03-3541-2811

テレビの放送による人権侵害等に関する苦情:BRO:03-5212-7333












































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