最近、気づいた事があります。弱い人、弱く見える人、年下の人、安全な人などに悪事を為す人間は、「自分がかつて人から受けたのと同様の被害を(何も知らない相手に)与える事で擬似的な復讐をしている」という場合が、社会の中には結構あるのだということです。「このような場合」の精神的な被害は計り知れないものがあります。なぜなら、「当事者以外への擬似復讐」の場合は、相手はその意味が完全に不明のままだからである。むしろ、「当事者への復讐行為」のほうが、相手は、その意味が分かっているので、心理的な被害は大変に小さい。
 このような擬似復讐行為・発言は、現代日本の社会を混乱させ、憎悪で満たしている「主な理由」の一つに数えることができるはずだと思います。なぜなら、精神的な被害が大きいからです。イミフメに行き着くしかないからです。

 今まで私は、自分が何故、そんなことをされなければならないのか「意味が不明」でした。私は何故、この種の被害ばかりを受けてきたのか、その理由がやっと分かった! それは、「安全な人」に該当するからに他ならないからだった。

 この気づきを、還元しようとすれば、「復讐をしたいなら、当事者本人にせよ」ということになります。逆に言えば、「当事者以外の第三者に復讐する者(自己中)には、神の呪いあれ」と言えます。(200309240141)

 多分、言うまでもないことだと思いますが、「悪を嫌う」側面だけによって祈ることを奨励しているのではありません。怨みが暴走する哀れな人だけのソフトです。人間はバランスの生き物ですから、そのような方も「善を好む」側面による祈りになることもありましょう。どちらにしても正しいのです。やがて健康的なバランスに至ると思います。本当を言えば、本人の健康の為だけを思えば、肯定的な側面が優勢になれれば、それに越した事はありません。その他のほとんどの、当ホームページを読んでいる方は多分、全員関係の無いソフトと思います。(200003100337)

 このソフトは、凶悪な出来事による被害者が心に抱くであろう、暴走する(しかし、正当な)復讐心、暴走する怨み・憎しみをパワーとして活用するものです。彼らこそが「被害者」であり、その暴走こそ哀れです。誰が責められましょうか。なぜなら、彼らは「正しい」のですから。正しい人間をいさめるべからず。社会に合わせるのが正しいのではない。個人の内奥のに立脚した溢れる感情こそが正しいのである。(200003090402)

憎しみ・怨みについて

 怨みの実態についての経験が無い人は、怨んで苦しんでる人に対して簡単に「許しなさい」とか言いますが、これはかなりの飛躍があります。それを言えるのはイエズス様のような方だけだと思います。ここで問題にする「怨み」というのは、被害者が心の中に持つ怨みによってその本人自身が自分で自分を傷つけてしまう傾向があり、その点を問題にします。「戦争終結への道」にも書きましたが、ルドルフ・シュタイナーによれば「善を好み、悪を嫌う性質」を醸成する事は人間として大事なことだと言います。「悪を嫌う」のは、人間として正しい態度です。どんなに「嫌う」という感情が高まっても、それが正当なものである時は、良心の呵責というものが「全く無い」事に気付かれると思います。それは、正しい人間性=「悪を嫌う」態度から出たものだからです。しかし、XさんやX教やX国への怨み、すなわち「具体的対象」への怨みを募らせても、自分を傷つけるだけに終わってしまいます。それは方向が逆だからです。抽象的な所(悪への嫌悪)から出発してないから自分を傷つけてしまいます。具体的な所(Xさん)から怨みが出発するから傷ついてしまうのです。

 さて、キリスト教には「主の祈り」というのがあり、その前半部分をタイプしてみます。

天にましますわれらの父よ
願わくは、み名のとうとまれんことを、
み国の来らんことを、
み旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを。

 これは、「善を好む性質」によって書かれた部分です。「どうか正義が地に実現しますように」と言ってます。実はその性質と等しい「悪を嫌う性質」がこの祈りの裏側に必然的にあります。それは「どうか悪を滅ぼして下さい」というものです。これら両面が共に正しいのです。ですから、被害者であるあなたの怨み・憎しみは正しいのです。ただ、その怨みの対象を「真に裁ける」のは神だけです。人が人を裁いたとしても、肉体を殺す事が出来るだけです。ですので、その具体的対象を含めて、同じ程度の悪人達をひっくるめてイメージして、神に祈りましょう。「このような人たちを全員滅ぼして下さい」と。今まで、「怨み・憎しみ」で疲弊していた人の存在そのものが「祈り」と化し、復讐心も怨みも憎しみも全て肯定されるでしょう。なぜなら、あなたのその祈りは世界の進化に適合するからです。あなたの復讐心は、強烈な祈りとなって神に届く事でしょう。加害者と、それと似たような奴らの全ては、「実際に」神の裁量によって、「完全で、過不足の無い正当な」裁きを受けるでありましょう。(200003070523)

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