以前述べましたように、私個人の考え方は動機における考え方がメインであり、結果において考えることは、それが仕事や義務でなければ採ることがないというタイプです()。勿論、表面的な綺麗さや、形を整える事には一定の価値があることは分かります。しかし、イエス様は非常に高い真理(愛)を一度に地上に降ろそうとし過ぎたと思うのです。その意味は、「高い真理(愛)と3Dとの調整」が残っていると思うのです。マインドの側面が放置されていると思うのです。

 聖書にも記されている通り、イエス様の周囲にいた人々の言葉「わたしも罪人になれば良かった」があります。3Dにおいてイエス様の方法論は、他の人には「やせ我慢の道」になりがちです。3Dから見ると、「イエス様が自分に鞭打って(?)悪人を許したように、他の人々にもその種の無理強いをしたくてしょうがないのではないか?」と思える瞬間が全く生じないとは言えません。

 私自身は「動機に於いて物事を考える」という性質であり、さらに現代においては、Ronna Herman(感謝しています)経由の大天使ミカエルの言葉があります。「許す/許さない」というのは相対的な世界でのことだったのです。(他者との関係があるであろう死後の世界も相対世界の一部だと思います)

 イエス様のように高次の原理を体現(=3Dの自分に厳しく)すると、必然的に3D社会における善悪を超えるだろうことは多くの人々も同意できる事でしょう。善悪を超えたのに「許す」と言ってしまうのもある意味、変なことです。地上に「突っ伏したまんま」の私はやはり、「何のためにカルマの法則があるのか」と言いたいと思います。確かに、高い周波数の光が流入している地球では多くのチャネリング・メッセージで「あなたはカルマを超えられます」ということが言われています。しかし一方で、肉体を持っている事も事実です。

 だから私は言いたいのです。3Dでは悪や悪人は制限されなければならない。私は動機に於いて考えるので、悪意がないのに、してしまった結果については許されると思います。結果に於いて考える人は、その結果に対して処罰を要求するかも知れません。私は、悪意の動機で行動したことを許容してはいけないと生得的・本能的に思います。イエス様のスタンスが3Dと整合性が弱いと思うのはこの部分なのです。3Dでイエス様の方法論を拡大して行くと「もっと悪人に注目し、その罪を許せ。」ということになってしまうと思います。一般人からは「わたしも罪人になれば良かった」という叫びが出て来ます。そのような「加害者に優しいやり方」がどんどん進んで行くと、悪人達はどんどん元気になって行き、やがては3D地球が生存可能性の限界に立たされると思います。それが今だと思います。

 社会としては、形として罪を償って出所した人は、形として許されたという扱いになります。これは表面的に綺麗にして、形を整えるという意味合いがあると思います。結果として社会の形を保つというのはあり得る判断でしょう。しかし、悪意の動機で行動したことを見過ごされ続けてはいけないと生得的・本能的に思います。

 日本では、人間関係を最優先事項として扱う人々が非常に多く、自分自身に深刻な危害が加えられる訳でもないのに人間関係に引っ張られてしまい、深刻な犯罪をしてしまうというパターンが多いのではないかと危惧します。例えば、それが悪人であっても、声が大きい人の意見が受け入れられるという傾向があり、悪人と仲良くする人が多いのです。いじめが社会的にニュースになると、決まって「いじめられる側に責任がある」ということを声高に主張する人が出て来ます。私は悪意の動機が見過ごされてはいけないと生得的・本能的に思います。

 しかし、大切なのは3Dでは善悪を区別すべきである、という認識です。私は悪意の動機が見過ごされてはいけないと生得的・本能的に思います。この点については、他の大勢の人々も同意できると思います。つまり、そういう集合意識を発達できると思います。そうなれば、最初にハートやマインドの中で悪意を持たない人が増えると思います。今の3D世界では、まだ「反省したフリをして、表面上、善人を装いつつ、裏に回って悪意で行動する」というタイプの人間がまだまだいるように思います。しかし、集合意識が「悪意となる動機を持たない」となってくれば、悪意の人々も「そろそろ詐欺(形だけの善意)は止めよう」と自分から思うようになると思います。そうなれれば次は「裏側で動く事を止めよう」となると思います。

 実際に許すのは最終的には本人だと思います。誰かが誰かを「許した」としても、許された側の人は内心で「動機が悪意で満ちていた事実を自分では知っている。社会関係の中で許された形にはなっていても、実質的に悪意の動機を持たないようにするのは自分しかいない」ということは十分に分かっている事です。それは事実として世界がそういう構造になっているからです。形としての「許す/許さない」は社会の側が行いますが、本質としての「許す/許さない」は自分=神が決める事だと思います。極端な場合を挙げると「自分が自分を許さない場合」を知ることが出来ます。

Archangel Michael Update via Michael Love, March 22, 2017
http://sananda.website/archangel-michael-update-via-michael-love-march-22-2017/
"THE DEEDS THESE BEINGS HAVE PERPETRATED UPON HUMANS IS UNTHINKABLE AND DO YOU REALLY THINK ANYONE CAN GET AWAY WITHOUT REPAYING A THING? THEY CANNOT AND THIS IS THE JUDGEMENT. THEY ARE JUDGED ONLY BY THEMSELVES AND RECEIVE WHAT THEY HAVE GIVEN UNTIL THEY CANNOT BEAR IT ANY LONGER!"
『人類に対してしでかしたこれらの存在達の行為は考えることが出来ないことであり、物事を繰り返すことなく誰かが逃げることが出来ると本当に思いますか?できないでしょう。そして、これが審判です。彼らは彼ら自身だけによって裁かれ、もうそれ以上耐えられないところまで来てから、彼らが与えてきたものを与えられました。』

Brenda’s Blog via Brenda Hoffman, March 23d, 2017
http://sananda.website/brendas-blog-via-brenda-hoffman-march-23d-2017/
"Just as there is no need for you to punish them, for they are going to punish themselves in ways you cannot yet envision."
『あなたが彼らを処罰する必要がないのと同じように、彼らはあなたがまだ想像することのできない方法で自分自身を処罰しようとしているからです。』

 従って、誰かが誰かを裁いたり許したりするところに本質はなく、ただ自分によって審判されるのが本質的な動きだと思います。自分の心の中は自分がよく知っている筈です。その真実・事実だけが人を許したり裁いたりするという基本がずっと残るのではないかと思います。社会の中には被害者もおり、加害者もいます。いじめの被害者に向かって「いじめられる原因は被害者にある」という言葉を、声を大にして発する者はその心の中の悪意に気付いている筈です。「悪意の動機を持ったのかどうかという事実」こそが人を裁き、許すものだという認識が社会一般に広がることで、被害者が責められるようなことは無くなって行くと思います。また、そのような真実は本人にしか分からない事なので、周囲の人々が確定的に扱うことは難しいですね。しかし、周囲の人々は、人類の集合意識「悪意となる動機を持たない」の発達を通して悪人が自発的に悪を止めると思います。つまり従来の「悪意に見えなければ何をやっても良い」という集合意識は消えて行くべきでしょう。

まとめ

・人を許したり裁いたりするところに社会的な意味合いはあっても、絶対的な意味合いは無い。
●悪人を裁きたければ「動機の真実をあなたは知っている筈だ」という想念を持つ。(=集合意識の形成)
●悪人を許そうとするならば「動機の真実をあなたは知っている筈だ」という想念を持つ。(=集合意識の形成)
●善人を裁こうとするならば「動機の真実をあなたは知っている筈だ」という想念を持つ。(=集合意識の形成)
●善人を許したければ「動機の真実をあなたは知っている筈だ」という想念を持つ。(=集合意識の形成)
■真実は自分がよく知っており、必然的な結論を導く。(201905291743)

●以前、人類の集合意識は「テレパシー?そんなこと無い無い」という信念が一般的でした。人々はそのようなことを自分が毎日体験していると「信じる」ことができなかったのです。
 私が1982年にスブドに入会した当時は、私の周囲の人から「テレパシーという能力は悪魔の力だ」という意味のことをある時に言われて気づいたのは、私はちょっとした仕草や言葉で近くの人々の想念に「反応していた」という事実です。1982年当時は、そういった精神世界系の人々でも「テレパシーはヒマヤラの聖者のような人々が使っている能力」みたいな認識が一般的でした。
 でも、私が阿修羅の発言(想念同調の世界)で2003年に説明して以降、人々の集合意識の中に「テレパシーは日常的に生起している」という事実が輝くようになりました。これを説明してからは、昨日もそうでしたよ、あるレストランで食事をしていたら、私と同時に隣の人がコーヒーを手に取り、全く同時に飲みがちでした。私はその種の同調はスペース・ブラザースとコンタクトしてきたので慣れているので、平気で同期したまま行動(飲む)します。しかし、隣の人はその同調行動を外そう外そうと色々と工夫していることがよく分かります。コーヒーを飲もうとした時に私がコーヒーを飲もうとするとパッと飲むのを止めたりタイミングをずらしたり等。そして、その「外そう」という認識=マインドを持っている事実は、「日常的にテレパシーが生起している」という事実を認識しているということです。この知識・認識を持っている人は今や「人類の半分は越えているのではないか?」と思う程、ほとんどの人が認識していますね。それで「集合意識を形成しよう」と述べているのです。(201905301858)

●集合意識を変えるのに大体20年かかるのだとしたら、100年で5箇所の追加・更新・削除ができますね。ということは、1000年の間に50箇所ということになりそうですね。この前、「暗黒の三日間は90%を超える高い確率で2037年に起きるだろう」と知らされましたが、集合意識を変えるのに18年という時間は適切かもしれないですね。(201905311325)



 皆さん、覚えていないでしょうか。ほとんど赤ん坊の時に「自分は愛を(多くの)他の人と共有したい」「愛を広げたい」「自分に好意を向けてくれる人に精いっぱいの愛を返したい」という基本方針でいた事を。

 ところが、他人と関わると訳の分からない事ばかりです。虐められたり、裏切られたり。子供の頃の虐めというのは(もっぱ)らストレスが原因だと思います。私は妹がいるのですが、幼児期からとても可愛がっていたのですが、私が小学校3〜4年の時にいじめっ子がいて私が虐めを受けるようになった頃から、そのストレス故に妹を虐めるようになっていました。ほとんど自動反応でした。ルドルフ・シュタイナーによると0才の時に母親の物質体から自分の物質体が分離=誕生し、7才の歯が生え変わる頃に母親のエーテル体(植物体)から自分のエーテル体が分離し、性の目覚めがある頃に母親のアストラル体(動物体)から自分のアストラル体が分離し、成人とされる頃に自我が目覚めて自覚的になるそうです。自覚的になるとは言っても大人は自覚的に虐めをする人も出て来る始末なので、ストレスについては自覚や認識がないのだろうと思います。そういう意味では、もっと多くの人が「怒りの発生原理・原則」を理解しておくと人生から無駄な怒りを取り除けます。そのようにして大人はストレスにも容易には影響されないでしょう。でも、外界が煩過ぎる場合は、この「魔法の輪」を使って圧力を減少出来ます。

 愛の世界は自分がやって来た世界で、愛は根源的な力です。従って、愛の共通項についてマインドで認識し、理解することは愛から離れない為に有効だと思います。

・愛の原則(1)
 自分のことは自分がよく知っています。「意識がある」という状態は、丁度、スイッチを入れた電球のような状態です。意識とは「見る自分+見られる自分+両方に気付いている自分」が互いに見て自覚している状態です。故に、自分の嫌いな人間に対して攻撃的な感情を向けると、それはマインドによって行われるのですが、そうしているつもりのマインド(の幻想)とは裏腹に、その感情は自分に向けたものとなっているのです。そもそも、その感情を向けた1秒後から自分はその事を知っており、認識しています。相手は勿論、1時間経っても(認識として)気づかないままでしょう。真っ先に自分自身に攻撃力を影響させてしまっているのです。

・愛の原則(2)
 上記(1)の逆の側面です。何か哲学的・宗教的な情報を仕入れて、殊勝(しゅしょう)な気分になり、自分の嫌いな人間に愛を向けようと努力した時、それはそう長くは続きません。嫌いだからです。しかし、(高次元の存在でもない限りは)相手は自分に向けて短時間であっても愛が向けられたという認識は全く生じないでしょう。しかし、低次元の存在であっても愛が向けられた0.1秒後にはその事実に気付いている存在が一人だけいます。それはあなた(自分)です。上記で述べましたような本性を、神の分け御霊であるあなた(自分)は持っています。そのような神(愛)の表現を妨げるものが、「嫌いな人」です。そこにはマインドの幻想があるからです。あなた(のマインド)は嫌いな人間に対して愛を向けているという幻想の中にいるのです。まあ、多少は向けられるかも知れませんが(^^;、ほとんど自分自身に愛は向けられるという真実があるのです。

 色々な世界のチャネリング・メッセージを読んで確認できていますが、人の魂にはそれぞれの形といえるものがあり、それぞれの性格があり、一人一人微妙に違っています。例えば、星形の魂(器)であれば、流れ込んた愛という水は星形の容器の形になって安定します。「愛する」という行為によってあなたは益々、星形になって行きます。自分自身になって行くのです。すると、その瞬間に感じるものは「世界から孤立して行く」という感覚です。ただ、この感覚は3D世界でよく見られるような排除の結果としての孤立というものとは正反対です。バックに愛があり、愛によって起きている「充実した孤立」なのです。それはそうです。自分が益々自分になって行くのですから、それは充実した体験です。あまり社会を意識しない方は、もしかしたら、「孤立」のような側面を感じないかも知れませんね。つまり「充実した孤立」というより「充実だけ」かも知れませんが、でも、ほとんどの人にとっては「充実した孤立」として感じるだろうと思います。

 私が「充実した孤立」を体験した後、メッセージが出されました。
●Mary: A Step Backward
https://eraoflight.com/2019/04/26/mary-a-step-backward/
"I ask you to bring someone to mind at this time in your life,"
『私はあなたの人生のこの時期に誰かに認識させるようにお願いします。』

それでこれをタイプしているのです。このメッセージの中には他にも、上記の性質についても述べられています。

【その後、6月5日に大天使メタトロンからも似た言及のあるメッセージが出されました。
●Archangel Metatron: Stand in Your Light
https://eraoflight.com/2019/06/05/archangel-metatron-stand-in-your-light/
"Stay loving, but detached, Beloved Ones. "
『愛していなさい、しかし触れずにいなさい、愛する者達よ。』(201906051545)】

"Realize that breaking it is an act of love, because all life is intended to radiate from its own center, independent and free - that is love. Only when you are independent and free can you really connect with another person and feel happy and surprised in a relationship."
『それ【社会的な慣習等】を破ることは愛の行為であることを理解しなさい。なぜなら、すべての生命はそれ自身の中心から、独立して自由に放射することを意図されている - それが愛である。あなたが独立して自由であるときにだけ、あなたは本当に他の人とつながり、幸せで、関係に驚いていることができます。』

 嫌いな人間を愛するなんて出来ない!と言う方は、それは当然だと思います。最大の問題なのは「自分に愛を向ける機会」が奪われるという点なのです。それに、大天使ミカエルによれば、絶対的な立場から言えば、許すという行為は必要とはされていないそうですよ。よく高次元の存在が「仲良く」と言うのは、絶対的な意味合いではなくて、単に社会的な動きが良くなれば良いじゃないか的な軽い判断で述べた箇所でしょう。そういう言葉も混ざっているので下級戦士ばかりの地球人は誤認しがちですが、絶対的に要求される事ではないと思います。故に、嫌いな人間は嫌っていればいいのだと考えます。善は善なのだし、悪は悪なのだから。問題なのは、愛から離れてしまう事です。例えば、今まで何時間も嫌いな人間のことを忘れていられたのに、急に思い出してしまった、という時に「Oh shit!」となるからマズイのです。そうではなくて、その瞬間に相手を忘れて「自分に自己愛を集中する」のです。しかし、少し慣れてくればマインドの幻想ではあっても「相手を愛する」ということもできます。というのは、(幻想ではなく)真実においては自分を愛しているから「充実した孤立」に入るからです。つまり、相手から遮断されている=自分になっていることが感じられるからです。(201905160234)

●Sananda via Ann Dahlberg, May 15th, 2019
https://sananda.website/sananda-via-ann-dahlberg-may-15th-2019/
"I am forgiveness and life. This was (is) my mission when I walked on Earth. Through my forgiveness I regained life and the same is true for you, all my brothers and sisters. Through your forgiveness you regain life with its true meaning - the meaning that love encompasses everybody and everything. In the eternal life love resides and nothing else can live by its side. All illusions are then gone like the wind and the eternal life and the eternal truth stand clear to you."
『私は許しと命です。これは私が地球上を歩いたときの私の使命でした。私の許しを通して私は命を取り戻しました、そして、同じことはあなた、すべての私の兄弟姉妹にも当てはまります。あなたの許しを通して、あなたはその本当の意味で命を取り戻します - 愛というのは、すべての人、すべてのものを意味します。永遠の命の中には愛が住み、愛の傍にはそれ以外のものは生きられません。幻想の全ては風のように去って行き、そして永遠の命、そして永遠の真理があなたにはっきりと見えるように、立ち上がります。』(201905240015)

おお、どこかで聞いたようなお言葉です。なんと、御本人ですよ!【⇒参考(「私」という単語を客観的な意味合いで捉える点に注意喚起されました。(201906020245))】 これを読んで私は「負けた」と思いました。いやー、人間として負けた!と言いながら、何故か喜んでいました。すると、直後にアークトゥルスのメッセージが出て来ました。

●The Arcturian Group via Marilyn Raffaele, May 19th, 2019
https://sananda.website/the-arcturian-group-via-marilyn-raffaele-may-19th-2019/
"It must be understood that there are no spiritual rules. Spiritual rules were and still are created from three dimensional consciousness for the purpose of power over, control, and self righteousness. God knows nothing about man’s spiritual rules."
『霊的な規則は無いことを理解しなければなりません。霊的なルールは、権力譲渡、統制、自己正義を目的とした三次元意識から生まれたものであり、今もなお生み出されています。神は人の霊的な規則について何も知りません。』

以前も、2回くらい、この種のことがありました。サナンダが何かを述べて、即座にアークトゥルスがそれを「訂正する」というやり取りです。今回、サナンダ師はいつも通りの愛の表現をなさいました。それを読んだ私が喜びに満ちて敗北していたところ、アークトゥルスが深遠な真実を語って下さる、というパターンです。つまり、サナンダの言葉を読む私が生真面目に受け取るところに誤謬の源があると思われます。それは元々規則ではない、というスタンスで受け取ることですね。。そういえば、以前、OWSがサナンダについて述べていた事がありました。まあ、笑っちゃいますね。

●One Who Serves via James McConnell, May 14th, 2017
http://sananda.website/one-who-serves-via-james-mcconnell-may-14th-2017/
"and yes, yes we do drink wine. Do not think we don’t. If Yeshua can do it we can do it, can’t we? So anyway … as a matter fact He changed water into wine; that’s how much he wanted wine. [Laughter]"
『そして、はい、私たちはワインを飲みますよ。我々が飲まないなどとは思わないで下さい。もしイエスがそれをできるなら、我々もそれができます。我々は出来ないんでしょうか? とにかく…事実として彼は水をワインに変えた;それは如何に彼がワインを欲しがっていたかということです。(笑)』(201905240043)

●The Arcturian Council via Daniel Scranton, May 23d, 2019
https://sananda.website/the-arcturian-council-via-daniel-scranton-may-23d-2019/
"You are bringing the change. You are becoming the version of the collective that you want to experience."
『あなたは変化をもたらしています。あなたはあなたが経験したい集団バージョンになりつつあります。』 (201905242040)

●Archangel Gabriel via Shanta Gabriel, May 24, 2019
https://sananda.website/archangel-gabriel-via-shanta-gabriel-may-24-2019/ (201905262334)

●Judas Iscariot via Ann Dahlberg, May 25th, 2019
https://sananda.website/judas-iscariot-via-ann-dahlberg-may-25th-2019/
"You cannot have two Gods at the same time - one who serves the dark and one who serves the light. There is only one true God and he is only love and light."
『2人の神を同時に持つことはできません。暗闇に仕える者と、光に仕える者。真の神はただ一人であり、彼はただ愛と光です。』
地球人の感想:あらら、One Who Serveさんの名前がユダさんから出てきてしまいました。日本では「まな板の上のコイ」というフレーズがあります。全くSiriusだなぁ。もうこうなったら、One Who Serveさんは次の3つのどれか一つに名前を変えないと。⇒One Who Receive、One Who Toss、One Who Attack。(201905291125)



 大天使ウリエル様が述べましたように、地球では非常に永い間、悪人が淘汰されることなく、しかも、権力を握って社会を牛耳って来ました。この点に関連して、私は善と悪の捉え方を変えたいと願っています。すなわち、悪人の中心にある愛への作用は従来の「女性的、個人的な行動」では立ち行かないので、悪人の中心にある愛への作用として魔法という「男性的、社会的な行動」で立ち行くので、そう考えるようにしよう、という提案です。それで、前から考えていたことについて述べる事になりました。Sanandaが私が聖母マリアさまを「受け入れていない」みたいな空気を作られたような気がしたので、そういうことではなくて、私は「女性的な方法論の限界」について考えていたのです。マリア様に対する不信とか、そういう話ではありません。そのことを以下にお話しします。

 性質の悪い悪人というのは、その周囲の多くの人々の迷惑になります。でも、悪人の真ん中にも宇宙の基本パワー「愛」があることは明らかです。歴史の途中、イエズス・キリストが誕生しその後キリスト教も発生しましたが、その種のアプローチは女性的でした。その意味は、悪人がいた時、周囲の被害者たちへの愛というよりも、悪人に外部からの行動的表現によって愛に立ち返らせようという方法論だったと思います。この方法では、真にその悪人が悔い改める心になれば良いのですが、多分、大部分は悪人が元気になってしまっただろうと思います。だから何千年も続いたのだと思います。悪意や悪人を減らしたり、彼らの活動範囲を狭めたりするという意味では、この種の「女性的で、個人が動く方法」は限界があると断定しても良いだろうと思います。

 では、「男性的で、社会全体が動く方法」はあるのでしょうか。それがあれば、少なくとも片面的ではなくなります。私は、それがARIONの言う魔法としての剣だと思います。悪人の真ん中にも宇宙の基本パワー「愛」があるので、そこから作用を及ぼすわけです。つまり、直接作用です。誰か修道女みたいな人が外的・行動的に悪人を愛する努力をしなくていいわけです。魔法としての剣を使う主体は、悪人からの迷惑を被っている周囲の大勢の人々です。これは社会が動く方法となります。そして、従来とは違って、力を作用させると悪人はその悪意で行動しにくくなります。そのような行動をしなくなって行きます。これは従来のように悪人が元気になってしまうのとは逆の作用です。従来、悪人が匿名で非公開で人に知られずに悪徳行為をしてきたわけですが、魔法としての剣を使う場合、それを誰と誰が使っているのか悪人には分かりません。この点でも従来とは逆です。そして、被害を受けている周囲の人々は、重しが外れて元気になります。

 このようにして以前、述べましたように、悪人の活動範囲を狭める事が出来ます。

 私が聖母マリア様やイエス様に逆らうとか不信とかそういうことではなくて、私の悪人抑制についての考えは「魔法としての剣」を使う事であり、悪人に優しくすることではなく、その周囲の人々に優しくすることだというスタンスを明確にしているだけです。勿論、女性的な力は世界の半分であり、基本的ですよ。しかし、それは「絶対善ではない」とも私は言いたいのです。地球の人々は、ともすれば聖母マリア様が言うのだから、ということで悪人に「善意で女性的に接してしまう(=エラー)」と私には思えるのです。実際的に考えれば、魔法を使って悪人の活動を狭められる=男性的な手段が(今のところ)一番良いと思う訳です。それはマリア様に逆らっているとかそういうことではありません。最近、マリア様は魔術師マーリン(男性)の過去があったという発言が出た事実を皆様には知ってほしいと思います。

 たった今読んだArcturian Councilのメッセージに、
"No matter what it might look like, your enemy is your friend."=『どんな形になっても、あなたの敵はあなたの友です。』
"Remember that the next time someone cuts you off in traffic."=『次に誰かがあなたを通行止めにしてしまうことを忘れないでください。』とありましたが。(^^; (201809251213)

●Ashtar via Beatrice Madsen, September 25th, 2018(EnglishSwedish
"Den inre moralen du har och de tydliga gränser för vad som är naturligt rätt och fel är tillika vägledande för andra."
『あなたが持っている内面の倫理と、自然に正しいことと間違っていることに対する明確な境界線は、他者のための道を示しています。』(201809281041)
The Collective of Guides via Caroline Oceana Ryan, September 28th, 2018
"In addition to supporting young girls in developing a strong sense of self, purpose, self-worth, and perfection, it is also working to assist young boys to grow up respecting, claiming, and honoring their Feminine aspect.
This rebalancing has been one of the greatest missing ingredients in your world."
『若い女の子たちが強い自我の自覚、目的意識、自己価値、完璧な感覚を養うのに加えて、若い男の子たちが自分たちの女性の側面を尊重し、主張し、尊敬して成長するのを助けるためにも働いています。
このリバランスは、あなたの世界で最も欠けている成分の一つです。』(201810011135)
The Arcturian Group via Marilyn Raffaele, October 7th, 2018
・masculine(男性性)=BLUE
・feminine(女性性)=PINK
・BALANCE(バランス)=PURPLE (201810081407)
Divine Mother God via Dancing Dolphin, October 7th, 2018(このメッセージは上記の私の発言の後に出た/This message came after my statement above)
"My children have lived under this enslavement for far too long. Please know (as you have heard) Earth is a “free will” planet. This is why I did not step in and put a halt to this enslavement many, many years ago.
But the time came when I could no longer put up with this situation, so I put a halt to it. My teams of Lightworkers or White Hats which include your own Lightworker family, your Galactic family and many of the Company of Heaven (Ascended Masters, Angels, Guides, etc). Have been working on this plan to return Earth to the Light for many years.
This actionable plan is almost complete."
『私の子供たちはあまりにも長い間、この奴隷化のもとで暮らしてきました。ご存知のように(あなたが聞いたように)地球は「自由意志」の惑星です。これが、随分と、随分以前にこの奴隷化に私が踏み込まなかった理由です。
しかし、私はもはやこの状況に耐えられなくなった時が来たので、私はそれを止めました。ライトワーカーやホワイトハットの私のチームには、自分のライトワーカーの家族、銀河の家族、そして多くの天国の会社(昇進したマスター、天使、ガイドなど)が含まれています。地球を光に戻すこの計画に長年取り組んできました。
この実行可能な計画はほぼ完了しています。』(201810092015)
Archangel Metatron via James Tyberon, December 1st, 2018 (201812030118)



 最近、気づいた事があります。弱い人、弱く見える人、年下の人、安全な人などに悪事を為す人間は、「自分がかつて人から受けたのと同様の被害を(何も知らない相手に)与える事で擬似的な復讐をしている」という場合が、社会の中には結構あるのだということです。「このような場合」の精神的な被害は計り知れないものがあります。なぜなら、「当事者以外への擬似復讐」の場合は、相手はその意味が完全に不明のままだからである。むしろ、「当事者への復讐行為」のほうが、相手は、その意味が分かっているので、心理的な被害は大変に小さい。
 このような擬似復讐行為・発言は、現代日本の社会を混乱させ、憎悪で満たしている「主な理由」の一つに数えることができるはずだと思います。なぜなら、精神的な被害が大きいからです。イミフメに行き着くしかないからです。

 今まで私は、自分が何故、そんなことをされなければならないのか「意味が不明」でした。私は何故、この種の被害ばかりを受けてきたのか、その理由がやっと分かった! それは、「安全な人」に該当するからに他ならないからだった。

 この気づきを、還元しようとすれば、「復讐をしたいなら、当事者本人にせよ」ということになります。逆に言えば、「当事者以外の第三者に復讐する者(自己中)には、神の呪いあれ」と言えます。(200309240141)

 多分、言うまでもないことだと思いますが、「悪を嫌う」側面だけによって祈ることを奨励しているのではありません。怨みが暴走する哀れな人だけのソフトです。人間はバランスの生き物ですから、そのような方も「善を好む」側面による祈りになることもありましょう。どちらにしても正しいのです。やがて健康的なバランスに至ると思います。本当を言えば、本人の健康の為だけを思えば、肯定的な側面が優勢になれれば、それに越した事はありません。その他のほとんどの、当ホームページを読んでいる方は多分、全員関係の無いソフトと思います。(200003100337)

 このソフトは、凶悪な出来事による被害者が心に抱くであろう、暴走する(しかし、正当な)復讐心、暴走する怨み・憎しみをパワーとして活用するものです。彼らこそが「被害者」であり、その暴走こそ哀れです。誰が責められましょうか。なぜなら、彼らは「正しい」のですから。正しい人間をいさめるべからず。社会に合わせるのが正しいのではない。個人の内奥のに立脚した溢れる感情こそが正しいのである。(200003090402)

憎しみ・怨みについて

 怨みの実態についての経験が無い人は、怨んで苦しんでる人に対して簡単に「許しなさい」とか言いますが、これはかなりの飛躍があります。それを言えるのはイエス様のような方だけだと思います。ここで問題にする「怨み」というのは、被害者が心の中に持つ怨みによってその本人自身が自分で自分を傷つけてしまう傾向があり、その点を問題にします。「戦争終結への道」にも書きましたが、ルドルフ・シュタイナーによれば「善を好み、悪を嫌う性質」を醸成する事は人間として大事なことだと言います。「悪を嫌う」のは、人間として正しい態度です。どんなに「嫌う」という感情が高まっても、それが正当なものである時は、良心の呵責というものが「全く無い」事に気付かれると思います。それは、正しい人間性=「悪を嫌う」態度から出たものだからです。しかし、XさんやX教やX国への怨み、すなわち「具体的対象」への怨みを募らせても、自分を傷つけるだけに終わってしまいます。それは方向が逆だからです。抽象的な所(悪への嫌悪)から出発してないから自分を傷つけてしまいます。具体的な所(Xさん)から怨みが出発するから傷ついてしまうのです。

 さて、キリスト教には「主の祈り」というのがあり、その前半部分をタイプしてみます。

天にましますわれらの父よ
願わくは、み名のとうとまれんことを、
み国の来らんことを、
み旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを。

 これは、「善を好む性質」によって書かれた部分です。「どうか正義が地に実現しますように」と言ってます。実はその性質と等しい「悪を嫌う性質」がこの祈りの裏側に必然的にあります。それは「どうか悪を滅ぼして下さい」というものです。これら両面が共に正しいのです。ですから、被害者であるあなたの怨み・憎しみは正しいのです。ただ、その怨みの対象を「真に裁ける」のは神だけです。人が人を裁いたとしても、肉体を殺す事が出来るだけです。ですので、その具体的対象を含めて、同じ程度の悪人達をひっくるめてイメージして、神に祈りましょう。「このような人たちを全員滅ぼして下さい」と。今まで、「怨み・憎しみ」で疲弊していた人の存在そのものが「祈り」と化し、復讐心も怨みも憎しみも全て肯定されるでしょう。なぜなら、あなたのその祈りは世界の進化に適合するからです。あなたの復讐心は、強烈な祈りとなって神に届く事でしょう。加害者と、それと似たような奴らの全ては、「実際に」神の裁量によって、「完全で、過不足の無い正当な」裁きを受けるでありましょう。(200003070523)

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