阿修羅発言で分るように、植草氏が「天に誓って」という言葉遣いをしていない筈なのに、2006.12.10(日)TBSの「サンデージャポン」では、まるでそのように述べたかのような「やらせ」がありました。downloadこれは、[マスコミ報道について]に述べましたように、TBS=筑紫哲也氏が国家から圧力を受けていると思われる状況証拠から、同類のものだと想像できます。でも、第二ボタンの近くに出ていたという糸が一本なんてよく見えたもんですね。(200612110122)
(→阿修羅発言 (200612112236))
(→阿修羅発言 (200612202044))
(→阿修羅発言 (200612212131))
(→阿修羅発言 (200612220055))
(→阿修羅発言 (200701241213))
(→阿修羅発言 (200703272122))
(→阿修羅発言 (200704110501))
【→阿修羅発言 (200707050326)】
【→オルタナティブ通信 ←電車内でのチカン容疑等でマスコミに徹底的に叩かれる理由がこれで明確になる(200707142050)】
【→阿修羅発言 ←「前衆議院議員鈴木淑夫氏が、植草氏の国策捜査疑惑に自らのHPで言及していた!(神州の泉Blog)」(200709291953)】
【→阿修羅発言 ←『植草事件はでっち上げだ(神州の泉から)』(200710142217)】
【→阿修羅発言 ←『植草氏には、頑張ってもらいたい(副島隆彦の学問道場:第2ぼやき 59)』(200710200053)】
【→阿修羅発言 ←『選挙妨害に見える国策捜査は世論操作に逆効果 (植草一秀の『知られざる真実』) 』(200903051821)】


 気づくのが遅れました。植草氏が1ヶ月ほど前に、再び電車内で女子高生の痴漢の疑いで逮捕されました。今度はマークされていたのではなく、女子高生や周囲の現場の人が駅員を呼んだ?か何かして発覚したものでした。そうか、そうだったのかぁ(^^;。事実関係は私の信じていた点が間違っていたようです。でも、経済については抜群にキレのある人だったんだけどな。やはり、再チャレンジしかない?(^^; まあ、他の気になる点については、強調することになってしまうので、あえて書きませんが。(200610200058)
 本日は、日本の法律に対する疑問点もタイプしました。(200610200015)
亡国のイイジ○にはめられた植草一秀を救え 国際評論家小野寺光一の政治経済の真実 (200611061527)
(→阿修羅発言 (200612070155))


 ついに、キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!! コンビニ雑誌の「BUBKA2005年03月号のP61」に植草氏に対する謀略懸念情報が出てきました! 植草氏が謀略に掛けられたのは、CIA−小泉−竹中ラインに対抗する勢力として、亀井−植草ラインがあった時に、竹中氏が参院選への出馬準備を始めた頃に、このような微罪で植草氏が逮捕されたという経緯だそうです。
 下記亀井静香氏に嫌疑を掛けてしまいました事をお詫び申し上げます。今回、このようにして悪の主体(小泉総理−CIA−竹中83大臣だった!?)を悪として切り離す英断をされたと私には思われました。悪は悪だと看做されました。つまり植草氏の罪は微罪の中の微罪であり(女子高生本人の声・意見・主張が何も聞こえて来ない故)、7分間(14分間かも知れませんが)の路上駐車を行ったのと同程度だと、法律などというものを超えて正確に看做されたが為に、私も人の微罪を微罪であると看做す気持ちになりました。問題は何もないに越した事はないですし。

 小渕総理が私のホームページのある箇所を読んでくれたらしく、銀河意識テオドールの言葉を真剣に受け取って下さったらしきことがありました。日本の舵取りを「アメリカから離れて」テオドールに従って変えようかどうしよっか(?)と悩んでいたと私には思えた小渕総理に対して竹中氏が当時「総理、総理」と、ある番組で総理の自覚を促すように呼びかけをしていた光景が思い出されます。竹中氏は「アメリカに従って保守的に進もうよ」と主張していたのであろうと予想します。サンプロだったかな? 何故、小渕総理は死んでしまったのだろう。なぜ、一切の情報制限がされていたのに、ベッドに横たわる病室の小渕氏の写真を創価学会の看護婦が密かに撮って、確か「FRIDAY」誌で公開されたりした・できたのだろう?(200501312346)
(→阿修羅発言

 この考察は、[国家のあるべき姿だと思います]と同日に考察したものです。

 これは阿修羅発言でも述べたのですが、ある経済学者の方が「女子高生のスカートを手鏡で覗いた」として逮捕され、本人は飽くまでデッチ挙げであると主張して法廷で争っている件があります。でも、検察の方はよく考えてもみて下さい。もし、仮に手鏡で覗いたと仮定した上ででも、女子高生が「いいわよ。あたし、かえって嬉しいわ」と言ったのならば、罪は薄まるわけですよ(罪が消えずに薄まるのは、この場合既婚者だから)。亀井静香氏を始め、警察のトップの皆さんは性=悪という図式で頭が凝り固まっているようですが、性そのものが悪い訳がない。この場合に罪に問われるのは、「女子高生の同意無しに覗いたかも知れない」点である。同意が[有るか/無いか]でこの場合、善悪が決まるのである。

 [国家のあるべき姿だと思います]にもタイプしましたが、国家は「国民主権」を忘れてはならない。個人の性的な側面は、国民個々人の主権の最たるものです。つまり、現在、日本という国の経済は「権力者個々人」が「支配」しており、その経済的側面を牛耳っている権力者達は、そのリアルな真実を植草氏のような経済学者に指摘=暴露されたくないのであろうと思う。このように断言してもいいのではないか? 皆さんが私の結婚について「私の同意無しに」裏で色々な工作をしたり、ラブレターを「私の同意無しに」回覧していたりするのは同罪だと思う。植草氏は個人の主権を犯されている(女子高生の同意無しに覗いてなどいなかったならば)と同時に、国民主権の理念も侵されている。警察は権力者に従うよりももっと、こういう性犯罪を取り締まってほしい。
 ただ、それが個人の主権であっても、ローマ帝国の例もあることから分かるように、必要な時には必要な役目・行動ができるように自己を律するという霊性・統合性が、主権を持つ個々人に「原理的に求められている」と言えます。霊主体従がなければ、国・社会が分裂して凶暴化・動物化するので、危険性が増えてしまうからですね。(200501250017)
(→阿修羅発言
(→阿修羅発言 (200603091735))

 性は個人の主権の最たるものの一つですが、身体が成長し、変化している間は、ホルモン・ショックを経験することの無いように、身体が完成するまでの間にSEXを経験しないほうが良いというのも事実なので、成人までの間のSEXを禁止する自治体の「保護の意図」を正しく知る・理解する=誤解しない点も大切な認識でしょう。(200501252255)

 私は、人に対して自分の弱点も「比較的隠そうとはしない」性格です。そのため、後になって、「誰がその“弱点に見えること”を利用するか」を知ることが出来ます。つまり、私の“弱点”を私に対して振りかざしたくて、ウズウズする人種がいるのですね。

 一般的に、「性=(社会的)弱点」とされています。「性=(社会的に)恥ずかしい」からなのですが、ここがトリックなのです。大多数の人が「性=(社会的に)恥ずかしい=恥(社会的な悪)」と短絡してしまっているのです。最後の「=」の部分が短絡的なのです。実際には=で結べません。なぜ「隠す」ものなのでしょうか? それは、「悪だから」ではないのです。「性=聖なる側面」だからこそ、大切にするからこそ、それを隠す訳です。全然悪くない訳です。ちなみに、「悪だ」と短絡して、その見方からしか見れない視野から性を見たとき、それを「猥褻わいせつ」と言うのでしょうね。「猥褻」という言葉の中には、「社会=善=聖」=「間違った善」を守ろうとする余り、「人間の性」は(社会的に)おとしめられ、評価され、扱われていると思います。何でもそうですが、パワーに例えれば、パワーそのものは善でも悪でもない。パワーを本人がどのように歪めたり、不適応(アンマッチ)を強行したり等々誤用するかどうか、に掛かって来る訳です。

 最近、ミスチルが「掌/くるみ」というシングルを発売して、そのタイトルのみを使って男性器に迫る勢いですが(^^;、なぜ彼らは(作詞は誰?)そんなに「攻撃」するんですかね?(まあ、初めから「真の理由」は違うのでしょうが、わざと誤解を誘うような題名にしていた処があると予想します。最初からそのようなダブルスタンダード[裏表]だったと思う(200312061802)) 最近は「UFO・精神世界を語る掲示板」のほうでも、(前から)ウズウズしているアクティブな人がいるので、その種の人口も結構いると思い、応えてみました【どうせなら、渡哲也さんのように簡単に「松竹梅(男性器の象徴)」とか言うだけなら分かるのですが】。こと、性に関する反応というのは、まさにその人自身の“性の「格」”という社会性を如実に表していますね。攻撃対象の人ではなく、本人の(あえて言えば)社会的な高さや低さを表しています。そのような「攻撃」を行う動機としては、彼の視野[から見える性/からしか見えない性]が万人に該当すると「信じて・確信している」事が理由だと思われます。その確信が事実と反する場合がある訳ですね。

 「聖なるもの」とは何でしょうか? よく色々な職場の上司・まとめ役は言います。「職場は聖なる場所だ」と。なるほど、統制を取るためにはそのような「洗脳」も「必要」ではあるでしょうね。しかし、そういう恐怖政治の発想自体が間違っている。本来ならば、全員と「皆で統制を取って各々の役割を果たそう」と、情報を「共有しよう」とするのが筋ではないかと思う。情報を隠して脅すのではなく、情報公開して皆と同意の上で業務をするのが本来だと思います。そうすると、「聖なる概念」は必要がなくなり、小さな権力社会は終焉します。

 人が「聖なるものを守ろう」とするその“性”質を「利用」するとは、酷い上司が沢山いるもんだ。まあ、上司も人間だから、「わがままにいちいち付き合えない」から統制を取りたいのも真実ですが。(200312040122)
(→阿修羅発言

猥褻とは http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/178.html 投稿者 オリハル 日時 2004 年 1 月 08 日 00:18:51:3eVpHzO3Pti46  人体の「顔」は社会性に対応し、「性」は個人性・プライバシーに対応します。  一方、人には「善」「悪」観念があります。  人がその心の中で「社会性(顔)=善・聖」と決定したときに、自動的に「性」=「悪」という対応が生じてしまいます。
善悪観念が自動的にオーバーラップします。このような精神状態下において、「聖なる社会性を守る為に」性の露出を悪として扱う事になってしまいます。 参考:http://www.bekkoame.ne.jp/~oriharu/jwaisetu.htm http://oriharu.net/jwaisetu.htm
(200401100149)

 猥褻物陳列法と言うんでしたっけ? 公衆の面前で全裸になったり、あるいは裏ビデオが摘発されたりしますけど、確かに、公衆の面前で全裸というのは、社会の平安さを乱すという点があるのはいなめませんが、しかし、言いたいのは、その場合だって、「逆ギレ(自分自身に理由・根拠が存在するのに、人のせいにしてキレて「見せる」こと)」の要素がある点も見逃せないと思います。まあ、「一応、そのようなルールを決めてある」というシートベルトと同じ程度であるか、せいぜい駐車禁止と同程度であったなら理解できます。ありのままの姿を見せた事で逮捕というのは、一種、タリバンの宗教警察(女性が一人で外出すると逮捕だし、男性が髭を伸ばさないと逮捕される)にも似たものを感じます。これは警察が「猥褻」の本質を理解してない点もあるかも知れません。

 性・SEX・結婚]のほうでも今までもさんざん主張して来ましたが、身体が成人し、ホルモン・バランスの基礎(内分泌系の成人・成熟)が完成するまでの子供には性情報に触れさせない事は大切な事です。しかし、大人にとっては、その必要がありません。大人にも同様の情報制限が必要となるのは、「社会性(秩序の)維持」という観点からだと思います。確かに、個人性と社会性はエネルギーの方向が逆であり、衝突しますから。だから逆に、SEXの最中に会社から電話がかかってきたら、その「会社からの電話」は、かなり(個人に対する社会からの)重罪だと思います(^^;。そのような犯罪(^^;を無罪のままにしておいて社会性だけを守るのもどうかなぁ。やっぱり日本は企業寄り社会だなぁ。

 裏ビデオというものについては、さらに根拠が希薄だと思います。それは個人が非社会的な場所で見る場合がほとんどだと思います。でも、別側面として、「食産業」「性産業」「服飾・宝飾産業」の3つでしたっけ?以前「ユダヤ商法」というような題名の本を読みましたが、これらの職業はすたれる事はないそうですね。だから「儲けるな」といって、性(裏ビデオ)だけを特別視しているという事があるのかな? でも、なんか、警察のこじつけの側面が大きい気がする。私が言いたい論点は、「警察(というか、司法?)は良い事を悪いことにしている」という点だけです。社会的観点「だけ」しかない「偏った」認識を基準にして「逮捕」しても「良い」のだろうか? 「人には社会性と個人性という正反対の“正しい両面”がある」のです。社会的観点だけでなく、個人にとって「良いこと/悪いこと」とは何かを考慮すべきだと思います。私としては、ストリーキングや裏ビデオなんかよりも、人の恋や結婚を裏で妨害するという行為のほうが57倍位罪が重いと感じますけどね。あるいは、人に対して「洗脳しよう」との意図を密かに実行し続けるような人もかなり重罪だと思う。あるいは、該当する相手の同意を得ないで勝手に物事を動かしたり、あるいは、本人(善人)に気づかれないように裏側で言論・主張を行うというのもかなり重い罪の部類に入ると私には思えます。まあ、当事者・責任者不在の概念ではあっても、「国民的同意」としての納税義務を「同意」と捉えるならば、脱税は「国民的同意を無視して勝手に成した事」にはなると思います。税金の無駄使いもそうではある。でも、このような場合よりも、もっと個人対個人の関係の中での「同意無視」のほうが罪が重いと思います。量的には小さいが、質的には濃密だから。社会性だけでなく、このような個人性の観点からの犯罪(裏切り、裏かき等々)というのを加味した時に、法律も質的変化をして行くと思います。その時、今まで犯罪であったもの(ストリーキング、裏ビデオ等々)が犯罪で無くなり、犯罪ではなかったものが個人的観点から罪とされて行くと思います(まあ、別に法律に詳しい訳でも何でもありませんが)。まあ、政治家対政治家の場合は一見、個人対個人ではありますが、それが仕事という側面が大きいのでしょうから、必ずしも信義とか裏切りという側面だけではないのだろうという予測もできるような気はします。丁度、社会性と個人性の中間的役割を担っている方々なのではないかとも思います。(200112060036)

 MSさんへの第8通目にも書きましたが、「顔」と「性器」は、人が最も「自分」を感じる箇所(極)です。男性は性器が陽性、顔が陰性であり、女性は性器が陰性、顔が陽性です。顔と顔の関係は社会的なものですね。性的な関係は個人的なものですね。

 「猥褻」が罪に問われるような「場合」というのは、ひとえに、「性の露出による、社会性の破壊」という臨界が起こりそうになった場合だと思います。例えば、アダルトビデオが駅構内の全てのモニターに放映されてしまった等、公共の場所やメディア上で、性の露出があったような時(ストリーキング、放送禁止用語の使用等)でした。

 であるならば、「社会性の露出による性の破壊」も罪に問えるかも知れません。例えば、SEXの最中にかかって来た会社からの電話に、SEXを中断して出てしまう、みたいな事は、かなり「悪いこと」かも知れません。脱税や接待よりは悪い事ではないでしょうか。

 従って、このように考えると、社会的な場を離れて個人としてアダルトビデオを見たり、全裸になったり(ストリーキング)、放送禁止用語を連発しても、問題ありません。が、しかし、性を使って社会的に優位に立ったり、逆に、社会的な立場を使って性的な関係を迫ったりするのはいかんでしょうね。(199910070215)


























































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