少し前に「ニュース23」で作家の井上ひさしさんが述べておられましたが、日本の自衛隊を国際救助隊にしてはどうかとのことでした。(200106122210)
1999.10.19(火)のニュース23でやってましたが、自由党の西村真悟・現防衛政務次官(→阿修羅発言 (200511282349))が日本が核を持つべきだという主張をしている事が報道されました。その根拠は日本が強姦されないよう対抗手段を持つべきだとの主張です。「強いOR弱い」とか「つけこむ/つけこまれる」とかの力の発想だと思います。
エネルギーというものは、常に「力」と「智恵」といういわばX軸とY軸で出来ているものです。力(X軸)の0ポイント(力としては最も弱いポイント=愛)に位置し、力の全てをコントロール・制御するのは「智恵(に見える愛)」です。また、逆にも考える事が出来ます。智恵(Y軸)の0ポイント(智恵の無いポイントがあります=愛)に位置し、智恵の全てを支配するのは「力(に見える愛)」です。人間とは常に自己同一化する生き物でもありますが、力と自己同一化すると、その人は力として振る舞います。智恵と自己同一化すると、その人は智恵として振る舞います。この世がエネルギー(=MC2としての質量)で構成された世界だから、この両面が出てくるのは仕方のないことかも知れません。智恵の理想からすれば、戦争のない世界が理想と考えますが、しかし物質世界の現実としては、「力を行使されたら終わり」という側面は原理的に常に残ったままなのですね。
しかし、ルドルフ・シュタイナーによれば、そのようにして人が自己同一化して来た諸力は死後、本人を離れて行くそうです。それらは「自分」ではなかったのです。生前に本人が考えた事などは霊界では周囲世界として本人に知覚されるものになるそうです。生前は自分の「中」にあったものは死後は「外界」になるのですね。
さて、どんなに力と一体化した人間でも、その力全体を支配してしまう智恵深い愛の0ポイントがあります。そのポイントを掌握するのは彼の妻かもしれませんし、人生の美学かも知れませんし、組長の御厚意かも知れません(^_^;)。一方、どんなに智恵ある人でも、その智恵全体を支配してしまう力ある愛の0ポイントがあるでしょう。
日本が核を持ちはじめるのは反対です。核は全てを破壊し得るからです。そのような兵器が出現したのは、まだ人類が「敵」と「味方」という意識を持っていた時代の名残です。しかし、現在では情報がよく知らされ、正確な事実認識を出来るようになり、更にはインターネットの普及も加速しつつある事もあり、情報化の進んだ国々の人々の意識は「地球家族」という意識に近づきつつあります。もはや核を持つような時代ではなくなりつつあります。インドやパキスタンなどにももっともっと一般にインターネットが普及すべきでしょう。そして、敵と大いに激論を戦わせるのがいいと思います。インドとパキスタンのような睨み合う敵国同志は、言論で「戦う」公の場を持つことは多分、極めて大切な事だと思います。そうすれば、どのような意識状態に皆が向うべきなのかが段々と明確になって行くと思います。
日本が強姦されないように核を持つべきだとの主張は、その発想の基礎的感覚の中に「身内と他人の意識」あるいは「敵と味方意識」の強いトーンが波打っている事が推察されます。しかし、これからの世界は「地球家族」の意識へ向うべきであって、「敵味方意識」を強調するかのような「断絶」を促進するのは良くない事だと思います。周辺国との断絶意識を促進するような「核を持とう」発言は、時代の流れに逆行する、古い時代の観念です。これからの世界は、ますます情報が公開され、流通するようになるのです。地球人はそれを望んでいるとも言えるのです。(199910200508)
今日、8/20のテレビのニュース(確か東京12ch)でやってましたが、トルコの地震の瓦礫の下の生存者の探索に「シリウス」というシステムを使っているそうです。生存者がいれば心臓の鼓動による微弱な電磁波によって生存を確認できるのみならず、健康の状態も判断できるそうです。トルコの人には誠に災難だったと思うのですが、今後はこのようなシステムによって、埋まってしまったけれども「まだ生きてる人」を的確に見つけ出すようになって行ってほしいですね。(199908200352)
今日(5/3)のテレビ朝日のニュースステーションでやってましたが、戦争をしない憲法を持っているのは日本と中米コスタリカだそうです。特に、コスタリカのオスカル・アリアス大統領(の時)は、世界中の紛争地帯に調停に出向いてゆき、問題が解決した例もあるらしいですね。そのため、1987年にノーベル平和賞を受賞されてるそうです。コスタリカはアメリカの軍事力の傘に入る事もなく、周辺諸国との政治的信頼関係が保たれているそうです(軍事力を持たない為)。このような平和の言論活動を出来る国はコスタリカと日本だけなのですね。(199905040306)
19990427(火)のニュース23で、沖縄前知事の太田氏が出てて、
・戦争の反省を失ってはならない(「国家主体」で考えるのではなく「国民主体」で国家を動かして行かなければならない)
上記2点を強調してました。(199904290351)
・未来長期に渡る効力がある法律なのだから、本当に未来の人たちの為、今の子供たちの為を考えて法案を作るべきだ
もし、日本が「永久に戦争を放棄」した立場を「確立」した上で何が出来るかを考えると、それは、現在のコソボ問題などのような問題に「積極的」に関わって、お互いに武器を使わないように色々な調停の“智恵”を出すという活動を全世界で展開する必要がありますね。なぜなら、「永久に戦争を放棄する」という国は他に無い(?)からです。だから、この点に関しては「チョー積極的」になるべきなんですね。でも、その立場を採った時には他国間の戦争を止めさせ得るような“智恵”が日本には必要とされます。また、朝鮮半島など近隣(ここでは地理的概念)の有事であったとしても、日本は参戦せずに、言葉(智恵)でなんとかしようと努める事になりそうですね。その時、アメリカは、やはり武力の抑止力で日本を「保護」することになるでしょうが、それが「日本の甘え」と見做されるようなことにならない程の、「戦争を放棄した国」として、むしろ敬意を以って見られるような「智恵」を世界に提示し続けられる日本でなければなりませんね。この「智恵」という条件が整えば、「完全戦争放棄国」として世界にその存在をアピールし、一つのユニークな戦争抑止力として世界へ「力」を発揮して行くのだろうと思います。
つまり、日本がアメリカに「甘えてる」とは限らない場合がある、ということですね。従って、必ずしも、民間の施設等が後方支援に参加しなくても良かったのですが、しかし、“智恵”は整っていません。出る杭は打たれる文化圏ですからね。従って、現状では後方支援する法案が通っても仕方がない?…と思っちゃイカンのでしょうね。上記のような、ちょっと先の未来を射程に入れて法案など物を考えるべきなのではないでしょうか。(199904270408)
ニュースでやってましたが、こういうことは緊急性を要する場合が多く、「事前協議」とはいかないことも多いそうですね。そりゃそうだ。だからアメリカの行動には一理あったのかな。(199904170411)
最近、ガイドライン関連法案についてのニュースがやってます。4/14(水)のニュース23で軍事アナリストの小川和久氏がいいことを言ってましたので、ここにも書いて置こうと思います。そうしないと忘れてしまうし(^_^;)。
小川氏は「事前協議」の大切さを強調していました。既存の法律でも「事前協議」の項があるにも関わらず、アメリカは、いざ事が起こった時に、日本に何も連絡せずに行動を取った=日本を踏みにじった、ということもあったそうです。今後、日本がすべきことは、アメリカが行動を起こす前に「事前協議」をするようにと、日本国家の意思を表明して行く事だそうです。そうすれば、アメリカも(日本から見て)勝手な行動はしないだろうし、協議によっては何もしない場合があるだろうし、そのような協力「関係」を築くことで、周辺国・国際社会からの信頼を得ることに繋がるとおっしゃってました。(199904150411)