聖者カレンダー(10/11)(中央出版社、\7,500)より

ケルンのブルーノ司教

ブルーノは聖女マチルダとへンリー皇帝の末子として生まれ、4歳の時ユトレヒトに送ら れてバルデリコ司教のもとで、当時有名であった教区学校こ入学したが、わずか14歳で ヘンリー皇帝の弟のオットー1世皇帝の秘書にえらばれた。
950年に司祭に叙階され、3年後にケルンの大司教に任命された。彼はそこに聖パンタレ オン修道院を創立したが、その美しい聖堂は今日まで残っている。
ブルーノの望みは生まれ故郷の市にベネディクト会の修道院を建設することであった。 大司教としての彼の功蹟は司教の基準を高めたことや、学問の奨励、修道院の刷新など であった。しかし、彼の宗教的義務は政治家としての世俗の義務を妨げることはなかっ た。
オットー皇帝はブルーノをロレイン公爵に任命し、自分が教皇によって戴冠されるため にローマに行った時には、ブルーノとその弟子を神聖ローマ帝国の摂政として選任した。
おそらく、ブルーノの宗教的熱意を表わす最も美しい記念物は、今日まで残っているケ ルンの聖パンタレオン教会であろう。ブルーノは披の故郷にベネディクト会修道院を創 立したいという望みを実現するため、市外の小さな教会を再築してこの修道院の基礎と した。この建物はケルン市に新しい建築様式の時代をもたらしたが、実際には、ブルー ノが亡くなってから10年目の980年まで仕事は始められなかった。この聖パンタレオン 教会は、ロマネスク時代を表現するものとなった。
司教であると共に政治家であったブルーノは、世間において神に仕える召命と、教会の 中で神に仕える召命の間に何の矛盾も見い出さなかった。この2つの召命は、地上にお ける天上のエルサレムを地上に再現する試みを命じたのであった。

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