以下に自費出版以後の手紙の中から、ちょっと変った箇所を抜粋したいと思います。


前略、工藤静香様            (第2通目)    199209201840
『「女性セブン」誌、11月12日号の最終頁近くにあった「シリーズ 巨匠たちの生涯と作品C」のラファエロ・サンツィオの記事を読んで驚きました。そのコピーを同封します。またまた、自分の事ではないかと思い始めたのです。ラファエロは、1483.04.06に(イタリア・ウルビーノで)生まれ、1520.04.06に(ローマで)亡くなりました。生まれた日と亡くなった日が、共に同じ日であることにも驚きますが、その日がまた、「4月6日」なのです。1988.04.06は、Sさんと私が初めて今生で再開した日です。ラファエロの生まれた日から丁度505年後、そして、亡くなった日から468年後が1988.04.06です。「468」という数字も「505」という数字も何かがありそうですね。
「505」=「悟空悟」かな?
何故こんなに「孫悟空」と縁があるのかな。中国ではどうだったのかな。
エドガー・ケイシーのリーディングで「ライフ・シール」という言葉が出てきます。これは、その人自身を表わすマーク、シンボルの事です。人によって違います。ある人は、ピラミッドと水晶だったり、また、ある人は、薔薇の花だったりします。私は以前、ライフ・シールに興味を持っていたときに、夢でハッキリと、深い感動と満足感と共に自分のライフ・シールを知りました。それは、円形の絵で、「円の中で、聖母マリア様が両手を広げており、その御前に私がいる」というものでした。カラーの夢でした。確か、オレンジ色があった記憶があります。日記を探せば出て来るでしょうけど、まだ分かりません。この夢を見てからと言うもの、私はいつも聖母マリア様の絵を描きたいという気持ちを持ち続けていたのです。ふと気がつくと、聖母マリア様の絵を描きたいなーという感覚を感じていたりもました。
さて、ラファエロですが、彼の場合、「聖母」の絵は他の画家と比べて非常に多いそうです。ラファエロの誕生日=亡くなった日=「4月6日」であるということは、「私=ラファエロ」の仮定の上で行きますと、4月6日は私の「命の日」であるということです。4月6日は、(上記の仮定の上で)私の命に偉大な変化が起こる日なのでしょうか。そして、1988年4月6日の夜ヒットDXには、静香さんも明菜さんもSさんもいました。この日の出演者全員を以下に列挙してみます。
ラファエロの時代は、15〜16世紀です。9世紀の神聖ローマ帝国より後の時代です。私の中には「ただ一人の人に捧げつくす」という衝動がありました。聖マチルダ皇后へのです。さて、ラファエロは生涯独身(歴史は繰り返す)でしたが、「世俗的な最高の栄誉をえ、無数の恋沙汰を噂されたが、終生心を寄せたのは、ラ・フォルナリーナひとりだったといわれている」そうです。もし、私がラファエロだったとしたら、私が終生したラ・フォルナリーナとはどなたでしょうか。私は、工藤静香さんだったのではないかと思っています。ちなみに、この「女性セブン」誌の表紙には工藤静香さんの写真があります。そして、その名前! 「MSさん」=「St. Mathilde」(そのものズバリ!)でしたが、工藤静香さんは、ラ・工藤(フォ)・ルナ・静香(リーナ)です。静香さんが「絵理」の名前にならなかったのは、高い意識の中で、この発音が優先されたからでしょう。面白いことに、余っている「ラ」と「ルナ」は太陽と月ですね。

この推理を以下にまとめてみました。

イタリアの画家の巨匠ラファエロ、ローマで1520年4月6日に死す。イタリアよりロザンナ、の奇跡に導かれ、日本へ。ローマでの縁あるマチルダは、日本の自宅でインスピレーションを受ける。そのインスピレーション通りの出来事があり、ついに1988年4月6日、出逢いは奇跡的に成就した。私は新しく「生まれ出た」のです。その場(夜ヒット)には、アトランティスでの縁(明菜さん)、ローマでの縁(Sさん)、イタリアでの縁(静香さん)ある方々が集まっていた。この他の方については杉山清貴さんが神聖ローマ帝国での縁があるらしいと分かっているだけで、申し訳ありません。ちなみに、4月6日は、3月14日の「23」日後です。』

※ラファエロの家はイタリアのウルビーノに今も残っており、ここではチャールズ皇太子が水彩画の個展も開きました。


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