さて、ここで、私はSさんへのを抱いたまま、明菜さんと結婚するべきであると知りました。これは、永く私とSさんと明菜さんに心理的な負担をかけ続けることになったのですが、その正体は、実は、Sさんへの第54通目、明菜さんへの第47通目で明らかになった神のの形でした。これも学びであり、驚きでした。この発見の大きさはこの本で始めて知る読者には分らないと思います。神話的でさえあります。その発見をここで最初に抜粋します。読者が混乱しないために。

『人間は社会的な認知を求めます。また、自分の問題としての事柄もあり、自分で納得したがっています。外へと向う欲求と、内へと向かう欲求です。多分、ここが基本ですよ。それで、とても簡単な事に気付いたのです。人は、社会的認知を求めて、それを得たとしても、自分として納得できないままだと満足出来ません。また、逆に、自分として自分に納得できていても、「このまま社会に還元しなくていいのだろうか?」という疑問が出てきます。「このままでは充実した人生は送れない」と思うようになります。そうですね。人間は両面が必要ですね。私に関して言えば、その両面に対応していらっしゃるのが、一二三神示にも示されていた(後述)Sさんと明菜さんなのです。つまり、Sさんは私の社会的認知の極に対応する人だと思いました。そして、私が自分として満足できる相手と言うのが明菜さんなのだと思いました。更に言いますと、私は明菜さんと結婚し、社会的な役目として、Sさんに付き従い、奉仕する者です。』

Sさんと私がこんなにも真剣で深いある関係にいられるのは、やはり、神聖ローマ帝国の時、真剣で深い情で支え合う関係にあったからだと思います。明菜さんとの関係は、きっと、何か1つの国の責任を負った者同志としていわば、人々の為に結婚と言う形をとったという関係の中にあったのではないだろうか、と思う。私からは、お二人の、そういう面が見えています。


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