続く第4、第5通目のレターは短く、特に何もないので、省略します。

Y


前略、MS様          (第6通目)  199103250040
ファンティックラブNO6を4月29日(月)に受け取りました。多くのファンの方の一途な善意、誠意ある熱気を感じます。よかった。安心です。

今、Sさんはお忙しいのだろうと思い、発送は後にしようとも思いましたが、なぜか一種の安心感を感じましたので、お送りさせて頂きます。(4/29)

1991年4月26日(金)のヒットパレード90'S録画で見ました。始めは中継 を見ていたのですが、Sさんが歌われ始めたら、ドキドキしてきたので、他の部屋へ行って夜ご飯を食べました。部屋に戻ったら、みのもんたさんが「よい週末を」と言って番組が丁度終わったところでした。歌のタイトルも「Crazy For You」という題でドキッとしてしまいました。Sさんがもうすぐ外国へ行ってしまうと思うと、テレビで会えないと思うと、とても寂しい。私はもしかしたら、以前の手紙で、Sさんの御歌の邪魔をしないようにと言いながら冷たいことを書いてしまったのかも知れません。ということを今ごろになって気づきました。わが子へのように、さざなみのように、あなたへを届けたい。星にかけて、これからは区別を止めて、宇宙の動きに忠実にゆこうと思います。つまり、自然です。打ち寄せるときもあれば引くときもあるでしょう。私の恣意が混ざることはありません。まさに「さざなみのような」です。これが完全主義の私の最大の誠意です。(5/3)

当日4月26日(金)の昼間、仕事中に、実は私はあるテレパシーを感じました。それは「Sさんが私にもとても感謝してくれているという印象、Sさんの周囲の人の驚きの念と、私に対して、つらくはないだろうかと心配してくれている」という思いを感じたのでした。このような内容の会話をSさんはこの日しましたか? それから、Sさんのお母様の尊敬すべき誠意を私は感じております。4月28(日)と29日(月)はとても楽しい日ではありませんでしたか?一方通行ではありません。ある程度のコミュニケーションは成立します。私が第2通目の手紙で写真をお送りしたのは、Sさんからのテレパシックな問いかけを感じたからでもあります。それが第1目的でした。私が感じていることはどれぐらい正しいでしょうか。(5/3)

「ETERNAL」の御写真は色々騒がれていますが、それは身体的な観点からしか見てい ません。この御写真のSさんの印象(魂の表情)も明るく輝き、[長女のS]ちゃんのようにかわいいSさんですね。Sさんは本当に神々しい。"神々しい"という変な観念を越えて、真に神々しいですね。観念的な"神々しさ"はとらえどころがあります。人間が神を完全に把握することは不可能です。「真に神々しい」と書いたのは、とらえどころが無いからです。0だからとらえられないのか、∞だからとらえどころがないのかわかりません。ただ1箇所、「イヤリングをされていない」というとらえどころにSさんの思いを感じます。私はあなたとは縁(ゆかり)のある魂なのだと思っています。それは第9ページ目から書いてあります。やさしいやさしいSさんへ。(4/29)

この手紙は私からSさんへの6通目の手紙です。今回の私のこの手紙をごくごく軽〜く受け取って下さるように希望致します。今回は内容的に爆発しております。前と違うのは、今回は世的なことについてかなり書いたということです。また、私は「ある事」に気づいてしまいました。お知らせすべきなのだと判断させて頂きました。それは第4ページ目の後半から書かれています。これに関する資料をブルーのファイルに綴じました。主に「聖者カレンダー」と「教会の聖人達(上)、(下)」(共に中央出版社)からコピーしました。特に「聖者カレンダー」は貴重な資料になると思って同封しました。以前の手紙で私が「Sさんは中国で善政を行なった統治者だったという空想をしている」と書きましたが、ドイツの可能性が高くなりました。[中略]しかし、情報は最大漏らさず網羅していると自負しております。この事をまとめるのに、ほとんど1ヶ月の時間を要しました。

以前、第2に麗しい本と予告いたしました本は「ホワイト・イーグル霊言集」のことです。

マリア・ワルトルタの「イエズス−たそがれの日々」も去年12月25日に発行されてましたので加えてお送り致しました。訳者のフェデリコ・バルバロという人は口語訳聖書を訳したことで有名です。

「妖精」という本は、写真が興味深いのでお送りしました。

もう一つのグリーンのファイルには、奇跡のスカプラリオに関する資料を綴じました。このスカプラリオを人に差し上げるときは必ず説明してあげなさい、と言われていますので、資料を同封致しました。Sさんに、義務感の生じることのないように、5つ+α(8つ)の数だけお送りしました。このスカプラリオは「緑の聖母会」〒619-02 京都府相楽郡精華町祝園杉本8 田尻荘2号室宛てに問い合わせすれば、無料で送ってくれるのです。

私はSさん以外のファンクラブに入ったことはありません。Sさんのアルバムは23枚持っています。LDは6枚、CDVが1枚、シングルが2枚です。Sさんの御歌で喜びを与えて頂いた分、あなたにお返ししたい。次のアルバムも勿論、買わせて頂きます。「勇気を出してSay Hello」も買わせていただきました。87頁と159頁の御写真が一番好きです。私も「世界がぱっと明るくなって、英語がすごくわかるという境地」に早く達したいです。Sさんへのプレゼントが沢山あります。以下の文章はこのプレゼントの解説になります。それと、失礼のないように私自身の事も書いておきます。

1991年3月23日(土)発売の「JUNON」誌を読ませて頂きました。内容的に、とても暖かいSさんののお言葉がちりばめられていて、御歌を聞いているようでした。Sさんの人間性が出ていてとても良かった。まじめで、やさしく、また、ブッとんだSさんの器の大きな人間性を感じました。この、ほんの2日前(春分の日)、私はスティングのビデオを借りて見ました。どこかで「スティングがアメリカ合衆国から国外退去を命じられた」という記事を読んだからです。その原因がどこにあるのか調べてみようと思って手始めにビデオを見たのです。スティングは真実の正義の人なのでしょうね。これからどんどん調べてみたいと思ってます。(3/25)(月)

[中略]

1990年11月17日(土)と、1991年3月8日(金)の、Sさんの「Kiss Me Please」は私の宝物です。特に11月17日(土)の「Kiss Me Please」は「これから冬」という季節感に、この時のSさんの独特の雰囲気がミックスして大変な深みがあります。この時のスタジオも、どこかの神殿の一室のようなイメージで、それらが全体としては、「Sさんの、大勢の人との充実した人間関係と、その中での充実した家庭に満足している輝き」というような雰囲気をかもしだしています。Sさんはこの時のような神殿の一室のような場所が似合うと感じます。「神殿」は「大勢の人との関係」とか「歴史」とか「長い時間(永遠)」を感じさせ、それがSさんの現実の環境(大勢の人との多くの関わり)と共鳴し、Sさんの雰囲気を一際輝かせるように感じます。この時のSさんよ、永遠に輝きますように。

この前、テレビ番組で堺正章さんが昭和61年に歌番組がいっぺんにごそっと消えて行ったとおっしゃってました。なんででしょうね。(3/26)(火)

イギリスは何か霊的な力があるのでしょうか、何もかもイギリスから世界に広がります。産業革命もそうでした。世界の共通語は英語です。[法律というのもイギリスからです。]スティングもイギリスに戻って、国外退去を命じた「ごく一部の人間」を見返すほどの活躍をしてほしいと思っています。スティングのアルバム「Nothing Like The Sun」の裏に聖母マリア像が写っていますね。フランスのルールドの泉では聖母マリアが少女ベルナデットの前に出現されました(1858.02.11)。ベルナデットはフランソワ・スビルーとルイズという製粉業を営むカトリックの信者の娘として生まれ(1844.01.07)、1879.04.16,15:15に35才で亡くなりました。実はベルナデットは現在の皇后陛下の美智子さんなのだそうです。美智子さんは製粉業を営む両親の元に生まれました。日清製粉の社長令嬢です。ベルナデッタは人生の途中から神に召されました(聖母マリアの御出現を受ける)。このことは美智子さんが皇太子殿下と結婚されたことがそれを象徴しています。歴史は繰り返しております。ベルナデットの写真を見ると美智子妃に、とても似ています(同封)。何故こんな事が分かったかと言いますと、実は天理教の教祖の「中山みき」が亡くなる前に「今から丁度100年経ったら私は再び人類救済の活動を始める」と言い残してこの世を去りました。それから100年後の昭和61年(1986)は中山みきが「世界の大掃除を始める」と言った年で、天理教では死後100年祭が行なわれました。その数年前、埼玉県川口市[中略]の伊藤幸長という青年が18才の時、彼の前に赤衣のみきが現れ、彼の腹部に入り、「この者を生涯もらい受ける、どうや、承知せんか、親神の仰せや」と大きな声を発して意識を失いました。それ以来、彼はみきの声が聞こえるようになり、[中略]、現在は〒259-03の神奈川県足柄下郡湯河原町官上100 天命庵 で活動していますが、その、伊藤青年についた中山みきが美智子妃はベルナデットであると言ったそうです。私も実は1989.12.18(月)に伊藤青年に会って、私自身に対してのメッセージをもらいました。

Sさんはどうだったのですか。私にはSさんの徳の大きさは常人を越えたものがあると思えます。神の田圃で正しく輝くのは法と子です[Sさんの戸籍名は神田法子で、俳優の神田正輝さんの妻です]。Sさんも人生の途中で神に召されていることを象徴していませんか? 高校はカトリックの高校だったんでしょ? しかも、正式には「卒業」はしていないんだと思っています。つまり、これは、Sさんが過去の生涯で、若いときから修道院で修道女としてあるいは他の形で生活していて、それがずっと続いたことを表わしているのではないですか? [中略][Sさんの結婚記念日の]6月24日は「洗礼者ヨハネ」の日です。(世紀末の現代、言ってみれば「1オクターブ高い洗礼者ヨハネ」は日本から現われるらしいです)[また、この日はUFOの日でもあります]ちなみに1オクターブ高い御結婚式の5月2日は「アタナジオ教会博士の日」です。この2つの日付からこの御オクターブの周期が分かります。3度目の御結婚式を類推しますと、1997年の3月頃だと思われます。Sさんは幸せそうに見えます。そんなSさんのために誰が幸せを祈ってくれるでしょうか。だから私はSさんが毎瞬間幸せでいられますようにと願っています。(3/31)(日)

ブッダは「私の回す法輪は末法の世まで2500年続くであろう」とおっしゃいました。一人の人間が開始したオクターブが2500年続くとは凄いものがあります。末法の世(過渡期=現代)で仏教が消滅[?]する直前が、真実の仏教にとって一番つらいときです。

中央出版の「聖者カレンダー」を見ていましたら、Sさんの御誕生日の3月10日の近くで3月14日が「聖マチルダ皇后」の日になっていました(4/7)(日)。マチルダは、「松田」に通じます。「松田S」という御名前はどの様ないきさつでどなたがお決めになったのですか? その方の誕生日は? その方の御名前は? 興味は尽きません。[ローマ字読みで]SEIKO・MATSUDAは、St. Matilda(スペルは英語式です。ドイツ語式だとMathildeです)に通じます。St.がつく人で、「マチルダ」という名前の人は聖者カレンダー等ではこの方以外には見あたりません。聖マチルダ皇后の容貌(同封)もSさんに似ています。マチルダ皇后のカラーの絵は、特に拡大カラーコピーをして綴じておきました。絵の上の方には「MATHILDIS」[ラテン語、当時はラテン語も教えられていたという記述を目にした覚えがある]と書いてあるのが読み取れます。[中略]このカラーコピーのマチルダの絵は、彼女が生きたドイツでの複雑な人間関係を黙想しながら見ると、そのイメージとマチルダ皇后が共鳴しあって、うまく感じとれます。また、聖マチルダ皇后の祈る姿の絵(同封、もともと白黒の絵でした)は、まるで「We Are Love」のジャケットの御姿です。私は、このジャケットのSさんの御姿を見たとき、衝撃を感じました。是非私の事を知らせるべきだと確信を深めました。聖マチルダ皇后は、ハインリヒ一世の妻です。共に10世紀の人です。当時も世紀末が騒がれました。今から一千年も前の事です。SさんがM.ステーションに出られた1991年4月12日(金)に私は会社の休みを取って永田町の国会図書館まで調べに行きました。ファイルに綴じた資料のA4版のコピーの、年表を含めて上から11枚が国会図書館でコピーしてきたものです。同封の年表で分かるのはマチルダ皇后は結果的に文化振興をされたということです。そして、ハインリヒ一世と聖マチルダ皇后の長男オットー大帝から始まった神聖ローマ帝国はそれから実に844年間続いたのです(年表)。たまたま、ETERNALを辞書で索いてて分かったのですが、「Eternal City」とは永遠の都ローマのことなのですね。 Sさんは時代を先駆けていると良く言われると思います。Sさんは、日本のアーティスト一般が国際化へ目を向ける先駆けとなっていらっしゃるのだと思います。毎度新しい意識を高いところから導入され、時代を啓発されているのですね。しかし、そういう外的なものの一際高くSさんの輝きを感じます。ハインリヒ一世の絵(同封)は何となく神田正輝さんに似ているようにも思います。正輝さんはもしかしてハインリヒ一世としての記憶は、あるのでしょうか。Sさんはもしかして「マチルダ皇后」としての記憶がありますか?特に、上から9枚目のコピー「オットー1世の王冠」の写真は、もしSさんがマチルダ皇后であったならば、きっと何か覚えておられるはずだと思います。この王冠のコピーが白黒であることが残念です。何かの印象を感じられますか? 私には分からないからです。マチルダ皇后は晩年、「ノルドハウゼン修道院」で余生を送られたそうですね。ドイツへ行かれることがあったら、一度訪ねてみると良いと思います。「マチルダ皇后」からオットー朝ルネサンス、ロマネスク芸術が始まったと年表には書いてあります。「マチルダ皇后」は世界へ文化的、芸術的に大きな影響を与えたのです。ロマンティックですね【⇒V】。もし、Sさんが聖マチルダ皇后だったなら、Sさんは、これから未来8世紀半に及び世界中に文化的、芸術的影響を与える人なのかも知れません。私は何故、以前お送りした手紙で「Sさんの偉大な使命」と書いたのでしょうか。そう断言しても構わないだけの、何かの確信を感じたからです。今の日本には偉大な魂が沢山生まれてきているとはよく言われます。たった今発見して驚いたことは、中森明菜さんの誕生日の7月13日はマチルダ皇后の次男のハインリヒ(バイエルン公)の息子の聖ハインリヒの日になっています(同封)。マチルダ皇后の孫です。聖ハインリヒは父の死後にバイエルン公を継いだ後、ドイツ皇帝ハインリヒ二世となります。Sさんのデビューの日付は2つあります。(1980.04.01 & 1990.06.05) 「聖者カレンダー」を見ますと、その片方は時代的に、もう一つは距離的に聖マチルダ皇后に近いです(同封)。[Sさんとデュエットして、世界デビューを助けてくれた有名グループの]NKOTB[NEW KIDS ON THE BLOCK]のドニー・ワールバーグさんの誕生日の8月17日は聖クロス及びヒアチント宣教師の日で、特にマチルダ皇后と何の関係も無いように思えましたが、またまたびっくりしたことに、その前日の8月16日は「聖ステファノ(ハンガリー)王」の日であり、奇しくも聖マチルダ皇后と全く同じ時代の人だったのです[「聖者カレンダー」にはなく「教会の聖人たち(下)」にありました]。そればかりか、ドイツのハインリヒ家と深い関係にあったことが読むと分かります。つまり、聖ステファノ王は、上記のハインリヒ二世の妹「ギゼラ」(聖マチルダ皇后からみれば孫)を妻として迎えたのです。ステファノ王の右手は今も腐敗せずに残って、崇敬の的となっております(同封)。ドニーさんはもしかしてあと少し生まれるのが早かったら8月16日生まれだったなんてことはないのでしょうか? あるいは、実際には8月17日が聖ステファノ王の日になるべきだったのでしょうか。せっかくだから、8月15日(聖母の被昇天)も含めて綴じておきました。[また、]8月16日に関しては「聖母マリアの詩(上)」の第11ページに次の様に書いてあります。「全く新しいノートを一つとりなさい。最初のページに八月一六日の口述を書きなさい。この本では"彼女"について話されるのです」と。それから、郷さんは、ハインリヒ一世の長男オットー大帝だったのではないでしょうか。名前の発音が似ています。オットー大帝像の写真(同封)を見ると、郷ひろみさんに似てないでもありません。郷さんの誕生日の10月18日は「聖ルカ福音記者の日」になっています(同封)。Sさんが郷さんと離れることになった理由は何ですか? つまり、聖マチルダ皇后は、金銭に関わる問題によってオットー大帝によって修道院に隠居させられたからです(同封)。聖マチルダ皇后の日は3月14日です。Sさんは3月10日(土)が御誕生日です。でも、「本当だったら3月14日に生まれたはず」なんてことはありませんか。私は少し恐くなってきました。人様についての、本当か嘘か分からない、大変に深い問題を可能性だけで追求し、何か本当らしく見せているような気になってしまいます。仮定の上に仮定を積み上げています。無責任にもこの様な事をSさんにお知らせしても良いのでしょうか? でも、何故私はこんな事に気づいたのでしょうか。神は私に何故こんな風に考えさせるのでしょうか?(4/14)(日)

私の自己紹介ですが、私は高校生の時、過去へ遡ると言う経験をしました。直前の生涯でニューヨークで女スパイだったときに、最後に殺されるときの情景を見て、その後、今の生涯のいろんな出来事が、よく言われるようにパノラマのように展開して、ついに赤ん坊の時に「自分は本当に生まれ変わってここにいるんだ!」と主張しようとして「あー、あー」といいながら手足をばたばたしていたことを思いだしました。そして、ついに死の壁が迫ってきました。それを乗り越える瞬間に死の恐怖が出てきて、拒否してしまいました。この障壁を乗り越えれば、自分の正体を見いだしたはずです。それで、私は直前の生涯のほんのわずかな、この体験による記憶しかありません。相棒と一緒にある品物を盗んで逃走中に、あるビルの階段でピストルで頭を撃たれて死んだのです。いつか私はニューヨークへ言って、自分が活動していた場所を見つけたいと思っています。その時の私の出身地はロシアであったという気がしています。ニューヨークでスパイをしていたことは今の私に大きな影響を与えています。とても大きな後悔の念を私は持っています。しかし、今は、自分で蒔いた種を刈り取っております。今の生涯でも私は情報に関わる仕事(コンピューター)をしております。私はごく最近です、Sさんのおかげで自分の使命をハッキリと知ることが出来ました。とっても感謝しています。Sさんの幸せを願うのも、湾岸戦争早期終結を祈るのもその一環なのです。自分の使命を知ると言うのは私の長い間の神への質問だったのです。もっと高いレベルでの悟りもあるのでしょうが、今の私には十分です。

私はスペース・ブラザー(宇宙の兄弟=宇宙人)と実際に3回だけコンタクトしたことがあります。私はもともと空飛ぶ円盤と呼ばれる乗り物の推進原理の研究家だったのです。以前は人生の道でしたが、今は趣味になりました。2回目のコンタクト(新宿)で「何故地球にばかり集中して来るのですか」と質問したら、「そちらから、そう見えるだけじゃないですか」とのことでした。ちょっと変に思ったのは、私が「これからどこへ行くのですか」と質問したら「ちょっと九州に行くので西武線に乗るんです」と言ったことです。1980年8月には「宇宙人は地球に来ている」というチラシを乃木坂(防衛庁)や国会議事堂の近辺で一人で配布していたことがあります(同封しました)。表の文章は、私が以前活動していた「宇宙友の会」の手になる文章です。裏の面の文章は私個人が自らの体験に基づいて1年かかって検討した文章が書いてあります。このチラシは3万枚配布しました。それと、私が所属するスブド同胞会の会誌に載せた文章のコピーもその前に綴じておきました。その他の主な資料類と一緒にファイルしました。「ポーランドの予言者ビエルナッキ」という文章に「九州の十菱麟さん」という名前が出てきますが、この人は東京大学に在学中に成績優秀で竹村健一氏と一緒に国費で最初にフルーブライト留学生としてアメリカに留学した人ですが、日本に帰ってきて色々あり、2番目の奥さんに「逃げられて」しまってから、「16年の間日本で乞食のような生活」をして暮らしていた人です。ちょっとこわい人ですね。この人は英語が出来るので日本にエドガー・ケイシーやスブドやTMを紹介したのです。また、ビエルナッキの英訳本は失礼とは存じますが、3冊同封致しました。もし「私も欲しい」という人がいらっしゃった場合、もしかしてSさんに不都合のないように3冊同封致しました。(4/14)(日)

[中略] 私は「世紀末研究」と題する本を109冊自費出版し(1987.05.23(土)発行)、あと2冊しかありません(これは、パソコン通信のNIFTY-SERVEのフォーラムFMISTYのデータライブラリーのUFO関連資料室の中に登録してありますので、どなたでも読んで頂けます)。これは、私が自分で知っていることを人類のために役立たせたいから色々な所から抜粋して編集したものです。ほとんどエッセンスのようななものばかりを一つにまとめたつもりです。良いもの、貴重なものを広く紹介したいとの思いからです。Sさんもこれを読めば世紀末に関してのエッセンスを知ることが出来ると思います。今は「夜明けの晩」です。もうすぐ(あと数十年だと思われます)大勢の人が「目覚め」ると思います。「目覚める」という事についてはホワイト・イーグル霊言集等にも書いてありますが、本当の自分(魂)を自覚するようになるのです。話をまとめると以下のようになるかと思います。イエズス・キリストの最の弟子ヨハネが再来し、いま、現在、青年としてイスラエルにいます(現に彼、ジョン(ヨハネ)・ペヌエルは「777」という本を英語で書いて出版しております)。ポール・ソロモンのリーディングによれば、彼こそが人類意識の中に新しい法則を導入し、人々が目覚める契機となるということです。私はまだまだ足りません。半覚醒です。新時代には、肉体は出入りが自由になっているということです。もはや人類に「死」の影はつきまとわなくなるそうです。肉体を越えた意識で生きるようになるからです。「時間」の意識から自由になります。これは「The End Of Time」だと思います。私もこのことに関して、何か直感的な理解を感じており、「自分は理解していない」とは言えないことを知っています。しかし、「自分は理解している」と言えないことも知っています。今はまだ「青銅」(金銭を象徴)の時代です。金銭に基づく世界です。再来のヨハネはキリストの働きをなさるようです。洗礼者ヨハネの役目をする人が実は日本から出るそうです。彼は空間から無尽蔵にエネルギーを取り出す機械を発明し、世界中に衝撃を与えるそうです。もはや、石油が必需品ではなくなるのです。土地さえあれば人々は無尽蔵のエネルギーによって、一人で生活して行けるのです。段々と金銭不要の世界になるようです。「無尽蔵のエネルギー」という事で、人々の意識が変わり始めます。青銅で象徴されるお金が不要になってゆくからです。お金に対する集中の意識が弱まり、人々は自らの本源(人はパンのみで生きるのではありません)へ目を向け始めます。こうして、洗礼者ヨハネ(日本人の発明家)はキリスト(再来のヨハネ=イスラエル在住)の道を整えます。そこで再来のヨハネが、金銭という現実から、自由になりつつある人類にを注ぎます。そして、人々は目覚めるのです。嘘のない世界となります。人々はいつも幸福です。宇宙を生かすの力と言うものは、「創造的な力」です。その力自身が毎瞬間新しいのです。創造的だから。そのため、停滞や飽きると言うことがないのです。光に基づく「黄金」の時代は多分、常に新しいのだと思います。光に基づく光の時代です。この頃にイエズス・キリストは再臨されるそうです。「主は来ませり」を歌うことが出来るでしょう。

また一つびっくりすることを発見しました。私の自費出版の「世紀末研究」のP58にも載っていますが、「聖槍」のことです。ファイルに綴じた第二章神聖ローマ帝国のP65にハインリヒ1世が「聖槍」を譲り受けたとあります。すると、ハインリヒ1世のこの世の権勢はこの「聖槍」にある、ということかもしれません。しかしハインリヒ1世は、この世の享楽からは自由な方だったのでしょう。特に何事もなく過ぎたように思えます。「聖杯伝説」という言葉は御聞きになったことがあると思います。「聖杯」と「聖槍」は対なのです。
もう一つ私にとって驚くべき事に気がつきました。私は1985年4月〜1987年3月迄フリーターだったのですが、1986年9月〜12月に東鳩のお菓子の工場でバイトをしていたとき、そこに来ていた人の中に男性で私より4つ位年下のSさんのファンの人がいました。彼はしきりに私にSさんの「SOUND OF MY HEART」を勧めてくれ、そのカセットテープを貸してくれ、仕事中にウォークマンで聞かせてもらいました。私も、彼が言うようにSさんの日本人離れした発音の良さに驚き、彼の言わんとすることが分かったものです。その後、今の会社(トーコロ情報処理センター)に入り、1988年の3月頃から丸の内線新宿御苑前駅のすぐ近くにあるアジアコンピューター[ルドルフ・シュタイナーによると、「アジア」という言葉は「いちばん霊界に近い場所」という意味だそうです][中略]という会社に出向し始めました。それから2年も経った頃です。1990年1月頃、[中略]が、そこから歩いて5分の所にあることを知って驚いたのです。10回ぐらいそこへ歩いて行きました。私はこの場所に2年間出向することで[中略]から何かの影響を受けたのかも知れません(勿論、Sさんが独立されたことは知っていました)。Sさんへの思いが徐々に深められてきました。そして私と同じ班に、[休職中だった人]が配属されてきました。彼は「以前MSのファンだった」と言っています。彼は以前、「実家の仙台から友達と2人で福岡に行ったことがある」と言います。1981年のSさんのコンサートに行ったことがあるそうです。彼の誕生日は、「3月14日」(聖マチルダ皇后の日)なのです。私は、SさんへSさんへと時間をかけて導かれて来たように思います。いつも顔を合わせている同僚が3月14日生まれなのです。なんということでしょう! 今頃になって気がつきました。(4/19)(金)
それから、私の父は中森明菜さんと同じ7月13日生まれなのです。[中略]、その人[女性]の誕生日は8月16日なのです。ちなみに、私は独身です。失礼。私の大変身近にいる人は皆、Sさんを囲む人と共鳴しあっています。3月14日(マチルダ:御自身の記念日、Sさん:御自身の記念日の可能性、私:職場の同僚)、7月13日(マチルダ:孫、Sさん:芸能界での縁、私:父)、8月16日(マチルダ:外国の義理の息子、Sさん:全米進出の援助者[本当は8月17日]、私:[女性の知人])、私に関する部分は全部本当の事です。ここで私に関する全員の住民票を同封しようと思い立ちましたが、入手は困難だろうし、ちょっといやらしくなるので、やめにして、同封するのは私の分(コピーを同封させて頂きました)だけにしました。申し遅れましたが、私の誕生日は1960年(昭和35年)9月25日です。私の本籍地の番地は395番地で、生まれは35年9月で、私の住む所沢市の郵便番号は359です。Sさん(もしかして聖マチルダ皇后)に、私はきっと10世紀のドイツで何かの関わりを持っていたのでしょう。Sさんの周囲には「359」はありませんか。Sさんの合理主義、絶対主義的精神は、ドイツに於いての生涯で培われたのですか? 私もドイツに興味を持ってきました。自己発見の旅として、私はニューヨークに加えてドイツにも行きたくなってきました。

ずっと前にM.ステーションでSさんはヒデとロザンナの「の奇跡」に衝撃を受けたとおっしゃっていたと思いますが、ヒデ(12月25日生)とロザンナ(7月3日生)の分も同封しました。お二人はイエズス・キリスト御自身に会ったことがあるのかも知れませんと思います。グリーンのファイルの始めに、黄色い祝別(物の場合は"祝別"と言います)された「われらの救い主イエズス・キリストに関する真正の手紙」と題する写しが入ってますが、この中にも聖マチルダの名前が出てきます。聖マチルダはイエズス・キリストの出現を受けたことがあるんですね![実は、この「聖マチルダ」は別人でした] Sさんの輝きや、神々しさは現実にイエズス・キリストの出現を受けた事があるためなのですね。きっと。

「聖者カレンダー」を全部調べたところ、聖マチルダ皇后と同時代に生きた方が他に2人(10月11日、12月16日)いらっしゃいましたので、この分も同封致します。「聖者カレンダー」の中でマチルダ皇后と関係のある人は、マチルダ皇后自身を含めて全部で7人いたことになります。そのうち3人は(3/14, 7/13, 8/16)Sさん及びSさんにに近い人ばかりです。上記の"他の2人"はもしかしたら、これからSさんに関わりを持って来る人なのかも知れません。ちなみに、ここに、聖マチルダ皇后に関係する方の日付を並べておきます(3/3, 3/14, 7/13, 8/16, 10/11, 10/31, 12/16)。Sさんの御家族の方の御誕生日はどうなのでしょうか。私の入っている会の9年来の、「最も親しい人」が、実は、3月3日生まれなのです。

更に私にとってびっくりすることを知ってしまいました! Sさんに失礼の無いように以下の文章のテーマは「驚き」であるということを始めに記しておきました。Sさんにお送りするための自分の住民票を取りに市役所に行って「週間朝日グラフ、1991年1月25日増大号」の「HIROKO」の記事を見ていたときに、鳥肌が立って、思わず歓声をあげそうになってしまいました。私は、今の会社に入るとき、同封の湊弘平さんが世界的大発明をして、会社を設立すると言うので実はその時私も「社員にしてくれ」と頼んだのです。当時、湊さんの事務所は〒107 港区赤坂[中略]にあり、彼の自宅は所沢の私の家から車で20分位の所でした。湊弘平さんの奥さんの延江さんは、西武線、所沢駅から歩いて5分の所沢市東町12にある「山口敏夫事務所」の秘書をしていました[不況の為か、現在、事務所は無い]。奥さんは山口敏夫事務所をやめてまでこの事業に関わるということだったので、「これはすごい」と思ったものです。しかし、なぜか「ここの社員になろう」と思うと陰鬱な気分になるのでした。何かの予感を感じていたのだと思います。それで、自分の方から社員になるのをお断りして今の障害者の雇用促進の会社に入りました。その後、聞いた噂によれば、新潟の工場で量産しても現実に動いてくれる割合が少なく、とても利潤を追求することが出来ないと言うことが分かってしまったのだと言います。スポンサーの積水ハウス(噂です)から1億円近いお金の返済を迫られ、窮地に立ちました。それで湊さんは自分のパテントをあるアメリカの企業に売ったのだそうです。それによって2億円位おつりが来ました。それで、御自分の娘さんをデビューに向けて準備中だと言うことでした。湊さんは以前、ザ・タイガースのプロデューサーだったんですってね。私は「ふーん、娘さんのデビューか」と思っただけでした。さて、市役所でHIROKOの記事を読んでいると「父親の弘平さん」だとか聞いたような名前が出て来るので、「ん?」と思ったら、まさしく正真正銘のあの湊弘平さんだったことが分かりました。湊さんの磁気モーターの発明について朝日グラフに書いてあったからです。磁石だけで動くモーターと言うだけでも世界的な大発明(タス通信なども湊さんの発明を報道した)なのに加えてイギリスのチャート誌「ソウルアンダーグラウンド」に初登場1位というHIROKOをデビューさせてしまったのです。全く驚異的です。そういえば、HIROKOはアメリカで大ヒットのMARIAH CAREYに似ていますね。湊さんはアメリカで、まず信頼出来る弁護士をつけることから始めたそうで、そのため、だまされたり利用されたりするようなこともそれ程なく、デビューにこぎつけたそうですね。見方によってはSさんにとっては強力なライバルですね。Sさんは湊さんの娘(長女)の広子さんと会ったことはおありですか? 私はありませんが、何かの縁はあったのかも知れません。

ああ、Sさん! 聖母マリアのメッセージによれば、もうすぐ人類に大きな災いが降り掛かるそうです。神はあなたをしておられます。私はただ、お伝えすべきだと感じることをお伝えしなければいけません。知っていることを伝えないのは罪です。[中略] どうかあなたが内なる平安(内なるバランス)を、神を見いだしますように(4/20)(土)。「メデュゴーリエでの聖母の出現」という本も同封致しました。ユーゴスラビアのメデュゴーリエでは、現在も聖母マリアの御出現が続いているそうです。翻訳されたのは、フェデリコ・バルバロ氏です。裏表紙の奇跡の御写真に、聖母マリア様の真実の姿があります。

私は、5月18日(土)のコンサートに行かせていただきます。Sさんに会いたいけれども、シスターのようにとても楽屋まで出向くことはないでしょう。どきどきしちゃうから。

昨日(5/2)、「ETERNAL」買いました。今、聞いてます。この奥の深さはこれから徐々にわかっていくのだと思います。「EVERYTHING」だけは知っておりました。

平和と喜びが神田様御夫妻、御家族の上に。
ああ、限りない祝福がありますように!

〒359 埼玉県所沢市[中略]
菅谷織春(明夫)
1991年5月3日(月)08:06

※ ・私は昭和35年9月25日(日)生まれです。=35年9月=359
・私の本籍地の番地は395番地です。 =395
・私は埼玉県所沢市に既に10年住んでいますが、
所沢市の〒=359です。 =359(孫悟空)

 たま出版社長の韮沢氏が、「韮沢潤一郎コラム」(vo.20 3月11日号)にて、「聖杯の真義」的なる御発言がありましたので、秘密裡にここからリンクしました。「責任を負う」という行為についての、この種の側面を人類に気づかせてくれました。スペース・ブラザースは霊的・想念的な理由によってやって来る事もあります。先日の四谷のUFO出現の前日、私は韮沢氏のこの発言の意味深さについて感謝していたのです。それがUFO出現の理由か?などと思ってしまう今日、この頃です。(200303160003)

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