拝啓、白雪姫様 (第8通目) 199105190829第1通目の「歌姫様」が1オクターブ高くなり、この第8通目では「白雪姫様」になりました。期間があいたのでページ数が多くなってしまいました。Sさんは「過激路線」を進行中ですね。今まで、まじめすぎたのですね。これはSさんの体内時計なのですね。思う存分私達の目をまんまるにさせて下さい。また、Sさんが、「性エネルギー」に関して今後、危険なことのないように、宗教で「性」を、タブーとしてきた根拠をお伝えいたします。どうか一線を越えることのないように。御自身を大切になさるように。今では性のタブー視というものについての根拠が失われており、人々はそれから遠ざかろうとしています。人類の、性に関する理解も足りないと感じます。
サザン・オールスターズの「マチルダBABY」は、私の音楽テープの中にあったのですが、発見して自分で驚きました。6月中旬でした。これは私の真実の姿だと思います。私の尊敬する「霊的な私」はこういう活動をなさっているのかも。この世の私にはまだ分からせていただけておりませんけど。
私の第3通目の手紙で「私の手紙をどなたに見せても構いません」と書きました理由を書きます。実はM.ステーションの生島ヒロシさん、タモリさんに私の手紙をお見せになっている様子が見られましたので、Sさんが「私の了解なく手紙を見せた」ということにならないように、私の方から第3通目の手紙で「どなたに見せても構いません」と書きました。でも、第1通目の手紙では、「歌番組の司会者の方がSさんの神々しさを"秘かに"感じている様子がハッキリ分かります」などと書いてしまい、生島さんには大変失礼しちゃったと思われます。その時に「歌番組」といえば、M.ステーションだけだったからです。これは私の認識がシフトしていたのだと思います。マインド・シフトです。「私にはそのように見えます」と書けばよかった。
5月3日(金)のM.ステーションでは、私の思いがSさんに通じましたことをここに私が確証致します。Sさんの周囲の方のために確証致します。How Can I Fallの後半で、2回目に、「give me reasons」と歌われた瞬間にです(同封しました)。その時のテレパシーの意味は次の通りです。「コンディションがベストとはいえないけれどもSさんの為にたった今、祈ってるよ」生島ヒロシさんもタモリさんもこれをキャッチなさったようですね。
私の第6通目の手紙で、「Crazy For You」の時の私の事を書きましたが、あのことで谷村有美さんを傷つけてしまったように感じ、5月10日(金)のM.ステーションに彼女が出演されたときに、謝りました。
7月3日(水)の島原救済特別番組の夜のヒットスタジオでは、中森明菜さんの意向を聞いて、その同意の上で、そばにいてあげました。彼女もそれを感じてたようです。Sさんには何でも報告します。
自意識過剰の私は次のように感じます。「Amusement Park」のパンフレットで、「朝が似合うあなた」とおっしゃって下さいましたね。こんなにうまい表現を見つけるとは、さすがですね。Sさん、正解です! 私の純白のオーラを感じて下さったのですね。自分で言うのも何ですが、その清浄なフィーリングは私が山の上で清らかな水を飲み、神官だったときのフィーリングなのです。そして、多分、完璧に信じあっていたあなたと私の間には、この様な、半分悲しみの混ざった清浄な高貴なフィーリングがあったのです。あなたは、まずこれを感じられたのですね。やはりそうです。同じ事を感じていらっしゃるあなた! 今日、1991年6月13日(木)朝6:30に再び、比較的ハッキリと聖杯のフィーリングを感じることが出来ました。この清浄なフィーリングの源は聖杯だったようにも思われます。
5月の最初の3公演が過ぎ、確か20日(月)の夜にSさんがハートブレークになってしまったことを感じました。「もう手紙を出さないで」または「今は手紙を出さないで」という印象を感じました。再び私は考慮不足なことに気づきました。私はあなたの兄としてあなたに近づきます。お二人のハートブレイクを神が癒して下さるように祈ります。
私の7通目の手紙は、コンサートの直前に届いたと思います。失礼しました。Sさんの状況に影響したりするようなつもりは全くありません。私は、Sさんに会いたいという「欲求」があるわけではないのです。自分に関して、Sさんとの関係で、個人的な何かを「要求」しているのではないのです。私が常に希求しているものは、滅亡の危機に瀕している、大艱難を目前にした今の人類に奉仕することです。これは私の空想ですが、あなたと私は慈悲の心で、今後も人類のために働いて行こうと約束したのかも。聖マチルダ皇后も聖堂、修道院、病院が社会のためになると思って建設なさったのですね。今日、7月10日(水)、やはり、会社の帰りに、西武線[中略]駅をおりて、歩いているとき、5月5日の全身で感じたインスピレーションの中に含まれていた別の意味を思い出しました。以下は、具体的なことは、正確さに欠けるかも知れないですが、一応、自然なつながりを信頼して記述しました。現代は情報化社会で、様々な価値観があり、人々は自分の道を容易に選択することが出来るようになっています。しかし「当時」は自分自身の道など許されなかったのです。それこそ血の涙を流すような、あるいは「責任」を果たすために底冷えのするような自己否定を行なわなければならなかったのです。何のためでしょうか? 責任ある立場にある者が、自分の命をかけて社会に手本を示すべきだったのです。わが妹、LITTLE GIRL のあなたがそんな負担を背負うべきではないと私は絶対に判断したはずです。ああ、熾烈な思い、断腸の思い! これらの試練によってお互いに「高貴な人間」になったのです。私自身も、あなた御自身も当時「高貴な人間」となりました。あなたと私は当時「完全に信頼し合う関係」にあったという気がしています。私は今の生涯でも「完全に信じ合う」ために、かなり自分が犠牲になってもそれを守ろうとします。相手に信じてもらいたい。そのために、自分の方では相手の「不完全さ」を許し、いつでも心の底まで誠意を尽くそうとする衝動があります。多分あなたもそういう誠意を今でも大切に守っていらっしゃると思います。私が全身で感じたのはそういう事でした。つまり、寒々しいほど悲しく高貴な人生でした。Sさんとの過去世のフィーリングにかなり近いフィーリングを醸し出すアルバムがあります。Sさんの「Citron」です。特に、「BLUE」と「四月は風の旅人」のメロディーが近いです。言葉に翻訳しますと、「川の流れと山の風景の中で、肌寒く、うら悲しい、そして限界に近い、身も凍るような努力の継続。何のため? 愛のために!!」立場上、人々の為に犠牲になることでお互い高貴な人となったのです。こんなまじめな統治者の時代に生きた人はその他の場合よりは幸せだったに違いありません。これが私の感じる、Sさんとの、過去世でのフィーリングです。それと、飛鳥涼さん作詞、作曲の、荻野目洋子さんの「朝の街」なども近いです。私の今の生涯では、ビートのきいた「WHO'S THAT BOY」や、「KISS ME PLEASE」なども好きです。このような生涯を生きたSさんと私は、「自由」ということを何よりも尊重するはずです。私は小さいときから、自分の「自由」を本能的に何よりも大切にしてきました。ですので、小さいときは人の言うことを決して聞き入れませんでした。Sさんも週刊誌を読んだりしてるとどうもそのようなふしが見られますが、どうなのでしょうか。それにしても「ETERNAL」の歌詞カード表紙の、BLUEの影に包まれたあなたの御写真のなんと美しく、深いこと!
段々と興味深いことが分かってきました。私は前の第7通目のお手紙で過去の生涯で、「清らかな水を飲んでいたことを思いだした」と書きましたが、[中略]なのです。それと、女性セブン7月25日号に、Sさんの着物のデザイナーでアドバイザーの「久我屋」副社長、と書いてありましたが、私の姓が「菅谷」なのも面白いなと思いました。
それと、私は、1987年2月4日(水)の中森明菜さんのマンスリーで歌われた「マリオネット」の回想を夜ヒットでやっていたのを見て、それに感銘を受け、フジテレビまで行きましたが、門番の人に簡単に「だめです」と言われて「マリオネット」を見せてもらえませんでした。この日の帰りの電車の切符の連番が「7777」だったので、今でもとってあります(コピー同封)。この日は1987年10月3日(土)でした。なぜ明菜さんの「マリオネット」に感銘を受けたかと言いますと、そのフィーリングが、今になって分かりましたが、「誰かの命がかかっている一世一代の大事のために、雨が降ろうと嵐になろうとかまわず、同志と共に、魔術を駆使し、あるいは、神に祈り続けたときの(多分)記憶、フィーリング」を感じたからでした。私が感じたそのフィーリングをその時は過去生との関係で認識していなかったのでした。ただ単に感じただけだったのでした。明菜さんとは同志だったのでしょうか。まだ出会いについて思い出せないでいますが、何かがあるのでしょう。これに関して推理してみますと、私の父(霊性を象徴)の誕生日は中森明菜さんの御誕生日です。一方明菜さんのお父さんの御名前は「明男さん」です。私は「明夫」です。お互いに「霊的な関わり、関係」にあったと推理できます。この推理は、私が「マリオネット」で感じたフィーリングと一致します。タロットカードはエジプトに起源があります。タロットは、大アルカナ(絵のカード)と小アルカナ(数字のカード)から出来ていましたが、途中で[数字のカードだけ]分離して、現在のタロットカード(絵と数)とトランプ(数)になりました。また、カバラという古代の知識では、文字と数字を使います。一つ一つの文字は数字に対応します。明菜さんから見た父は「明男」さんであり、文字です。私から見た父は7月13日であり、数字です。現在の明菜さんの御家庭は皆さん、「明」の字を名前につけておられますが、ここに何かのヒントがあるかもしれません。私が自分を知るのに「数字」を使ったように、明菜さんは「文字」を研究することで何かが見えて来るのかも知れません。また、イエズス・キリストの最愛の弟子、聖ヨハネ(JOHN PENIEL)が現在イスラエルにおり、「777」という題名の本を英語で書いて出版しました(コピーを同封しました)が、それとは何か関係があるのでしょうか。
「359」は、私が自らの命を以て運んで来た数です。その他にも沢山359がありましたのでそのコピーを同封致しました。神はこんなところまで至れりつくせりの仕組みをなさっておいでのようですね。359と白雪姫です。これで、「白雪姫」の物語が私達の出会いを預言した物語であると言えると私は思います。本当に「白雪姫」の物語は私達の出会いを預言した物語だと私は信じます。作者はいったい誰なのでしょうか。私だったりして! 私は、過去生を少しだけ、しかし確実に思い出し(356[9])ました。Sさんも、もし思い出そうとなされば思い出せるはずです。そのためには私と何度も会って私のフィーリングを知覚、記憶して頂くことが必要だと思います。そのうちに、あなたの中に蓄積した私のフィーリングがあなたの記憶を開く鍵となるかもしれません。自然な形で、ある日、フィーリングに満ちた思い出が蘇るでしょう。そのときに、私がいつもフィーリング、フィーリングと言ってた意味が分かるでしょう。いや、既にお分かりでしょう。ねえ、「会ってどうするの」なんて言わないで。私はあなたに興味があります。肉体を越えたあなた自身の記憶を発掘してあげると言ってるのですよ! 毎週土日はあなたに会えるようになりたい。あなたと友達になりたい。もう人に会うのは、うんざりかも知れませんが、思いだしてほしい。経験してしまえば、そんなにすごいことではないと分かるでしょう。だって、今までもずっと自分の中にあった感覚(フィーリング)だから。私は神田正輝さんには随分と失礼しておりますね。Sさんが私にわざと目の下の小皺をお見せになったのは、「カリブ・愛のシンフォニー」で、最初に神田正輝さんとSさんが背中合わせで座り、気がつかず、次には同じカフェで御二人で座りましたが、あのカフェに3人で座っていたのです。神田正輝さんは、「困った」という感じで、ただ座っておられました。そして、Sさんが御自分はもう年です(私より若いのに)、という主旨の事をおっしゃったのです。本当は最初にこの事をお知らせしたときに書くべきでしたね。以後は気をつけます。いえ、隠した訳ではないのです。Sさんに夢中になりすぎていたのです。(7/8)(月)
今日、1991年6月12日(水)に、レコード屋に行って荻野目洋子さんの「美女と野獣」というシングルを買いました。「I Know You」という題名に惹かれたせいもありますが、私は、Sさんと荻野目洋子さんと平松愛理さんだとすぐにCDを買うほうなのです。彼女にも、とっても感謝しております。7月3日(水)には荻野目洋子(トトメス4世?・古代エジプト)さんの「TRUST ME」を買いました。また、ハイファイセットの「Hi-Fi SET GET A MOVE ON」も私達の事を歌われているように思います。もう感謝、感謝です。これをSさんに報告致します。もうとっくに御存知のはずですが。私は、特に、確信をもって行動してくれた荻野目洋子さんに、Sさん以外始めてファンレターを書こうと思ってます。2週間以内に御返事がなかったら、彼女へ感謝のファンレターを書きます。
あなたは公人ですから、個人の私にはなかなか返事が書けないのかも知れませんが、でも、紙に字を書いてそれを封筒に入れて、切手を貼ってポストに入れれば良いのです。私は、荻野目洋子さんが私のために色々な情報を準備して下さっていると言う気がしており、始めてSさん以外の方に連絡を取ろうと思っています。かなりダイレクトな形で私の事を歌われています。感謝です。あなたと、あなたの周囲の方々の同意がないと私は行動できません。私は無口で内向的な性格かも知れません。この世では受け身の性格であることは確かです。
上智大学聖三木図書館でコピーしてきました「BUTLER'S LIVES OF THE SAINTS」の聖マチルダ皇后のページはなんと! 593でした。更に、同大学の石神井の神学関係の図書分室でコピーしてきました聖マチルダ皇后のページはなんと! 395でした(両方とも同封)。聖マチルダ皇后=白雪姫(Sさん)です。この2つを結びつけるキーは、359です(私)。更に359については、その発音から孫悟空と三国史が思い当たりました。私がSさんとの過去世を思いだしたのは量的にはわずかですが、質的には確かです。このようなことを断言できるというのは、私にとっても大変な喜びです。なぜなら「断言できる」のですから。
聖マチルダ皇后は晩年ノルドハウゼン(NORDHAUSEN)修道院におりました(聖者カレンダーによる)。その修道院の名前と場所が判明しましたので、コピーをお送り致します(同封)。
白雪姫様と私のこの出会いは、社会現象をも伴っているようです。6月1日(土)ロードショーの「テラコッタ・ウォリア」という映画を見てきました。ラジオの前宣伝で興味を持ったからです(パンフレット同封)。私達の出会いを飾っているかのようです。
また、6月16日(日)日本テレビでの「満ちてくる時のむこうに」というアニメもまた、私達の出会いを祝福しているかのようです。このアニメも輪廻転生を繰り返して再会する男女を描いています。
また、宮沢りえさんが祈る姿で「白雪姫」というシャワーソープのポスターに写っています(写真同封)。宮沢りえさんも知っているのでしょうか。あなたが白雪姫であることを。私達の出会いを神は祝して下さっているようです。これはまた、私が確実に「思い出した」ことをこの世界に宣言しているとも言えます。これほどの出会いには社会現象まで伴うんですね。私は気がつきませんでした。これはルドルフ・シュタイナーの言う、時代霊が動いていることを証しているのだと思います。平成3年5月9日に合わせて色々な社会現象が起こっているようですね。Sさんは白いドレスには何か訳があるそうですが、それは、白雪姫とは何か関係はあるのですか。どうか教えて下さい。
私は、今までで一番惹かれたアニメは「海のトリトン」でした。この不思議なストーリーと「オリハルコン」という短剣の持つ絶対的な力に私は少年ながら、畏怖の念をもって見ていました。私の霊名は「オリハル」と言います。この名前は、私の会の発祥の地の、インドネシアの霊格の高い人が、私の霊名のイニシャルは「O」だと教えてくれて、その後私が自分で考えてつけた5つの名前(「オリハル」という名前は、オリハルコンから取ったのです)の中から、その人に選んでもらった名前がオリハルなのです。私が「聖杯」を所持していたと言うことを指しているのかも知れません。この人はつい先日、日本に見えられ「7月13日(土)」に会合があり、会いました。その方は「日本人の会員で何か霊的な体験をした人がいたら、ぜひその話を聞いてみたい」とおっしゃいました。私も実はその方がインドネシア[かどこか]で私の体験(過去生を思いだしたこと)についてキャッチしていると言う印象を感じており、「さすがだ」と思っていたのですが、私は、その7月13日の集まりで「私のことについては言いたくないのですが(下手に大勢の前で言ったりすると大変ですから)ラハユさん(この人はイブ・ラハユというインドネシアの人です)が何か受けておられたらそれを私に教えてほしい」と言いました。でも、「特別にそういう事はありませんでした」という御返事でした。やはり私が報告を受けていた通りで、この方も、「日本人会員で霊的な経験をした人がいる」という簡単な報告だけをキャッチしていらっしゃっただけのように私には思えました。また、ラハユさんは付け足しました。「それに関して受けていないと言うことは、それが神の御意志です」と。
私は「海のトリトン」が好きです。Sさんは何故ヒデとロザンナの「愛の奇跡」に感銘を受けられたのですか? まるで時間、空間を越えた、私との出会いを予感するかのように。1988年4月6日(水)の時点では、Sさんが「愛の奇跡」がお好きだったと言うことは知りませんでした。私はヒデとロザンナの「愛の奇跡」を知りたくて「ヒデとロザンナ、アンコール・ベスト・シリーズ」というCDを買いました。すると、「ローマの休日」という歌がありました。
さて、私の小さいときは「オリハルコン」という不思議な短剣の持つ、絶対的な力に何かを感じていました。「海のトリトン」の話の起源は歌の奇跡のアーリオン(ギリシャ神話)が基になっています。アーリオンは、紀元前7世紀の頃、エーゲ海のレスボス島に生まれました。彼は数々の優れた歌を世に贈りました。ある時彼は、南イタリーのシシリー島で歌の競演が行なわれたのに招かれました。そこで彼は沢山の賞を得ました。それらの山のような品を船に積み、イオニア海を渡ってペロポネーソス半島の南を通り、コリントスへ戻る途中に船乗りたちが彼を裏切り、彼を海に突き落とそうとしました。アーリオンは命乞いも無駄と知ると、今生の別れに一曲歌わせて欲しいと頼み、歌い終わると自ら大海原へ身を投げました。すると、アーリオンの歌に聞き惚れたイルカがどこからともなく集まり、群れをなして彼を背に乗せ、スパルタの南端タイナロンに送り届けました。彼は、陸路コリントスへ船の到着よりも速く到着すると、僣主ペリアンドロスに事の顛末を告げました。やがて船が港に到着したとき、ペリアンドロスはアーリオンの安否を尋ねました。彼らは揃ってアーリオンがいまだシシリー島に居ると答えましたが、そこにアーリオンが現れ、船乗りたちの仕業が明かされてしまいました。
1991年6月2日(日)のミュージックフェアに堺正章さんと田原俊彦さんが出ていらっしゃいました。この一時は、まさに芸術でした。感謝をもって祈らずにはおれません。神は偉大です。そして、6月6日(木)のNHKの「愉快にオンステージ」では「二十三夜」という奇跡的な歌を堺正章さんは歌って下さいました。こんな預言的な歌があったとは! 数字と、名前と、愛と、夜と、化石。私がここに記す必要はないでしょう。これは、新しい歌ではないですよね?
[中略]
1年は365日です。私の父は昭和6年生まれで、母は9年生まれです。
1年−6日=359日で、1年−9日=356日です。1年=365に6と9を、つまり両親の数を作用させることによって356と359が出来ます。私は何故「1年」などという期間が暗に含められていたのかと考えました。堺正章さんが「二十三夜」を歌って下さったことに刺激されて昔の歌を探してみましたら、「三百六十五夜」という歌(霧島昇、松原操)がありました。「二十三夜」では「二人に朝は来ない」となってますが、「三百六十五夜」では「二人に朝が来る」となってます。
紀ノ国屋新宿本店にある「白雪姫」の本を、高価な2冊を除いてすべて買ってきました(高価な本の内、1冊は福音館書店のグリム童話2、[全部で21ページ→2+1=3、開始ページには10行÷第2話=5、開始ページ18→1+8=9]¥3610と、もう1冊は小学館のグリム童話全集T[第53話、開始ページ420に12行です。4+2+0+1+2=9]¥2000です)。参照した本は、この買わなかった2冊を含めて合計11冊です。このうち、1冊は英語です。こぐま社の「グリムの昔話2」以外は359(孫悟空)や213(兄さん)が明らかだったのです。そのコピーをお送りしました。しかし、白雪姫の「絵本」には359や213を見つけることは出来ませんでした。実はそれを説明している本(しらゆき姫、偕成社)まであったのです。つまり、この本の全ページ数(75)から、「絵の頁」(16)の数だけ差し引くと、59になるのです。また、この本には絵と文章が半々のページがありますが、残りの数「3」は、このページの文章の行数です。従ってこのページは「絵の頁」ではなく、「文章の頁」と見なせるのです。[中略]また、それに、Sさんの御実家の住所は[中略]です。
ヒデとロザンナの「愛の奇跡」と「二十三夜」とサザンの「マチルダBABY」で預言され、今、社会現象が私達の出会いを祝しています。そして、356[9]の日が巡り来たり、30才の私はSさんとの過去生を思い出したのです。30才は、イエズス・キリストが公生活に入られた年齢です。恐れ多いことです。
私は要求したり、求める愛を向けないよう努めます。ただ与える愛と喜びで一杯です。さらに死が目前に迫っている今の人類への[救済の]悲願の心があります。私は、夜明け前の今、この時代が好きで、なつかしい。現代だけどなつかしい。私とあなたの巡り会い。私は確実に思い出しました。これは、多くの客観的、主観的事実に裏付けされております。つまり、神は、この出会いを社会一般に広く知らしめよとおっしゃっているのかも知れません。もし何も客観的な裏付けが取れず、ただ単に本人が過去生を思い出したと言ってる場合は、そのことを神は個人的な体験にとどめるべしと定めているのでしょう。しかし、私達の場合は、歌(ハート)や、本(マインド)が預言しており、社会の動き(映画、ポスター)が私達を祝しているようです。数の奇跡があります。これほどの出会いは人類啓発の一助として公表した方が良いのかもしれませんが、どうなのでしょうか。
ボビー・ブラウンのアルバム「DON'T BE CRUEL」を聞いていますと、ニューヨークでのフィーリングを濃厚に思いだします。情景までが浮かんでくるかのようです。ニューヨークでの生涯のフィーリングを思い出すことは以前からも、比較的容易だったのです。イメージしてみますと、スラム街のような場所。夜の広場。遠くに見える灯。金網と、その向こうにある公園。私はこの生涯で随分と人に、つきまとったようで、今生で私は小さいときから、あまり好きとは言えないような人ばかりにつきまとわれていました。いつも、いつも。また、現在では、宇宙人に監視されているようですし。
では、いつか会える日を待っております。会う必要が、人類のためにあるのだと思っています。当時、あなたと私は、つらく悲しい中、「人々」の為に自己を捧げました。世紀末の現代、今度は明るく「人類」の為に出会うのです。
今後、Sさんが中継番組に出演されるときは私は必ずそれを見ていることをお約束します。
平安あれ!
1991年7月22日(月) 22時07分 〒359 埼玉県所沢市[中略] 菅谷織春※BS11チャンネルで毎週水曜日に「白雪姫の伝説」というアニメ番組がやっており、(1994〜1995、タツノコ・プロ)ストーリー的にも、とても良く出来た番組だと思いました)
目次に戻る