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Guten Tag、白雪姫様            (第9通目)  199107302230
Sさん! 荻野目洋子さんに8月13日(火)に手紙を出しました。特に何かがない限りはSさん以外、誰にも出さないつもりです。出すときも必ずSさんに承認を頂いてからにします。私は貴女だけのファンです。私が貴女から離れるなどというような事はありません。私の心の中でSさんは一際輝いています。しかも私は高貴なあなたの本質を感じたことがあります。私はやはり表に出ないほうが良いのかも知れません。ずっと裏のままであなたの神官としても生きて行くのが安心です。他の方の事もSさんへのレターに書きますが、それをお見せになるかどうかは全くのSさんの選択に委ね続けます。

今日、買ってきたリニューアル「女性自身」誌8月13日号に明菜さん(7月13日)のおばあさんが「森法子さん」と紹介されてました。「法子さん」のお孫さんは明菜さんです。聖マチルダ皇后の孫は聖ハインリッヒ(7月13日)です。びっくりしました。それと、8月16日はSさんが注目されているマドンナのお誕生日なのですね。「RIGHT COMBINATION」は、Sさんと私の事のようにも思えます。ドニーさんの8月17日の17から2を引いて、2つの1にして、8月の8と15日の1にそれぞれ加えると9月25日(私の誕生日)となります。ちょっとこじつけっぽいかな。
堺正章さんはスパイダース(スパイ)をなさり、孫悟空(359)をなさいました。何か、堺正章さんと私は共振していますね。

7月31日(火)にLD「SEIKO CLIPS」を買いました。ずっと前、3月頃だったと思いますが、SさんのCDを買ったときに付いてたアンケートの葉書に回答したのですが、その最後に確か「今後希望する企画等がありましたら」という欄があり、私はそこにSさんのビデオ・クリップ「ALL THE WAY TO HEAVEN」を"絶対に"発売してほしい、と書きましたと思いましたが、これをSさんが読まれたと言う印象がしばらくしてからあったのです。いつ私がこのビデオ・クリップの存在を知ったかと言いますと今年1月、確か午後3時からやっている番組で、Sさんの90年末特集をやり、その時に紹介されたときに知りました。このLD中の「HOLD ON」の最後の最後に、青空をバックで歌われるSさんが一番輝いておられます。もう、ここには国籍を越えたハイレベルの地球人「MSさん」がいらっしゃるように思いました。KYLIE MINOGUEの、「KYLIE THE VIDEO 2」の「WOULD'NT CHANGE A THING」と似た感じがします。晴れ渡ったフィーリングです。
それから、このビデオにはモノリスが出てきますね。2001年宇宙の旅とオクターブの法則です。以前、第6通目の手紙と一緒にお送りしました資料の中に、あったことです。そこに、2001年宇宙の旅について「(別掲)」と書いてありますが、そのページはコピーをお送りしていないことに気づきましたのでお送り致します。でも、よく気がつかれましたね。

CRAZY FOR YOUはいい歌ですが、なぜかビデオを見ていると何かの重さを感じました。7月31日(水)にLDを買って、「この重さの原因は何だろう」と追求し始めました。そして、ふと8月7日(水)深夜(8月8日(木)00:15)に、「この重さは、CRAZY FOR YOUに関しての、Sさんの周囲の人との関係に関するものだ」と分かりました。この、Sさんの周囲との軋轢? トラブル? が即刻解消に向かうように祈ります。単純なことは単純なままでありますように。これは約1週間で解消されたように感じました。実は、何を隠そう、こんなことを私が書いてもいいものかどうかと考えましたが、私が今年1月1日に第2通目のお手紙を出しました直後、なんと、Sさんが、「あたし、XX漢XXxXXXXXかな」とおっしゃっていることが私にも届いておりました。
8月17日のドニー・ワールバーグさんの御誕生日に、しかも第800回記念でクイズ・ダービーに出られましたね。800とは八百(やお)ですから、「8月17日」には多くの意味があるということなのでしょうか。Sさんの「字」は私の書く「字」と似ているのではないかと前から思っていました。

私にとってはただ会ってお互いを思いだそうと思ったのですが、Sさんにとってはただ会う訳には行かないのでしょうか。私は、事実問題として、Sさんに会ったとしても、何等危険なことは無いことを断言できます。何かあるとしたら、貴女の普遍的な美、ロマンの平安の光の前であたふたしてしまうこと位ではないでしょうか。Sさんと会って、オーラの交換、微妙なSさんからの情報の洪水を浴びたかったのです。あなたを身近で感じたかったのです。あなたと見つめあいたかったのです。話す内容は何でもいいのです。それによって更に他の事が思い出せるのではと思ったのです。それは多くの人を啓発できると思ったのです。でも、会わないなら会わないでいいです。それを受け入れます。天的な意義においては何の損失もないからです。Sさんや私自身にとってはいかなる損失もありません。「会わない」ことによって失われるのは地上的な意義です。神はこの出会いを地上的な意義として準備されたのではなかったのでしょうか。人間の私には、はっきり分かりません。

さらに数字に関して面白い事に気づきました。私が思い出す日が359から、356に変更された理由です。私の毎日の出向先[中略]であり、[中略]から歩いて5分のアジア・コンピューターの電話番号は、03−3356−4421(3を加えた356は世々にいい)なのです。今年の1月1日午前2時より前は03−356−4421でした。私がここに出向し始めたのは、丁度Sさんが[中略]頃です。神は電話番号によって「356」の示しをしてくださっていました。つまり、神は、もともとは359だったものに変更があったことまで示して下さっていたのです。そして、今年に入って、都内の全ての局番に3が付加されました。わざわざこの356は359の事だぞと3をつけ加えられたのだとも思われます。つまり日付が359から356に変更されたのは、Sさんが[中略]ことと何か関係があるのではないかと思うのですが、Sさんは何か心当りはありませんか。何故「3日」早くなったのですか。[中略]日を3日早めましたか? 35"9"から35"6"に変わったと言うことは、母(昭和9年生まれ)が無効となり、父(昭和6年生まれ)が有効となったのでしょうか。[中略](多分、1オクターブ高いお母様)からの独立が、9を無効にしたのでしょうか。そして、Sさんは第2オクターブに突入し、6が有効になったのでしょうか。何か分かったら、教えて下さい。

369はミロクですが、私は359なので、ミロクではありません。5と6では1つ違います。1つ違うという事は全く違うと言うことです。全く違うのです。しかし、神の計画に於いては369とハーモニックです。協力関係にあるのだと思います。359+10=369ですので、私が出た(1991年)後、10年したら、ミロクが現われるのでしょうか(2001年)。

「神」という字は示し申すと書きます。私からみた場合、父なる神は7月13日で、数字です。中森明菜さんから見た父なる神は、明男さんであり、文字です。神は私のために色々な数字を準備しておいてくれました。明菜さんのためにも神は色々な文字で示し申して下さっていると思います。

次に、私は、色々と「思い出した」と書いてますが、「明らかに思い出した」事と、そうではない事とを区別する必要があります。混乱しないために、段階に分ける必要があります。私には勿論分かっているのですが、読むほうは混乱してしまいますね。私がはっきりと「思い出した」、と言うことの出来る根拠を分かりやすく書きます。「思い出した」時には、私は別の意識の状態にありました。Sさんはデジャヴュを経験されたことはありますか? デジャヴュの時には、例えば、友達と話をしている最中に、「あ、前に夢で見たことがある」と気がつくのです。そして「この次、この人は"パフェが好きだ"と言う。なぜなら、この人には忘れられない昔の彼氏がいて、その人とよくパフェを食べたことを今も思い出しているから」という風に、夢で見たことを思い出すのです。それを口に出さないでいると、その通りの事をその人は言ったりします。口に出すとその通りにならなくなったりします。そして、次に、「もうすぐドアが開いて友達が入って来る」とわかっており、そして、夢で見た通りに友達がドアを開けて入って来る。その時にその友達がこっちを見たとき、その人は心の中で「昼食をどうしようか」と思っている、と言うところまで夢と同じだと気づきます。なぜなら、その友達が昼食の話を始めたから。こういう風なデジャヴュの体験をされたことはあるでしょうか。少しの間こういう状態の中にとどまります。自分の周囲に起こる出来事が前もって分かり、そのバックグラウンドまでがよく分かりながら見ているのです。このような意識の状態がずっと続いたらどうなるでしょうか。これを私は「聖霊に導かれている」と言っていいと思ってます。霊的な自分が地上的な自分にアクセスしているのです。地上的な自分の頭脳を霊的な自分がコントロールするのです。地上的な自分には分からないことを霊的な自分が伝達します。

例えば、霊的な自分が地上的な自分の「手」を使ってものを書かせることを、「自動書記」と言います。手は「動かされている」のです。つまり、「自分で書いてるのではない」と分かっており、頭までは動かされていないので、内容についてまでは分かりません。書かれた結果を目で見て始めて分かります。 霊的な自分が地上的な自分の「口」を動かすときに、キリスト教では「異言が出る」と言います。しかし、同じく、自分の口から出た言葉を自分の耳で聞いて始めて内容を認識します。しかし、頭までは動かされていないので、その内容については常に疑問が残ります。ただ単にしゃべったと言う結果しかなく、その内容が実際に「明らかに分かった」訳ではないからです。霊的な自分が地上的な自分のハートに臨むと、ハートは平安の境地に誘われます。
霊的な自分が地上の自分の頭脳を動かすときにデジャヴュが起こります。その内容が自明の理として「明らかに」分かっています。この段階にある人は、勿論、感情も動作も霊的な自分からの指示に従って動かされるているはずです。つまり、ただ単に「分かる」だけではなく、その情緒的な面も同時に体験するのです。私が356の日に思いだしたことはこういう意識の状態(デジャヴュ)と似た状態で、もっと深い状態でした。自分は、通常とは違う一種独特の、しかし、昔からのなじみのあるフィーリングの中にあり、それはまぎれもなく自分であると分かっています。なぜなら、生まれたときから自分とともにあったからです。毎晩、この自分が活動しています。なじみがあるのです。自分だと分かるのです。

@確実にSさんとの過去生を思い出したと言えるものは、以下の通りです。

・Sさんが山の上に住む私に会いに来て下さったこと。
・Sさんは高貴な御婦人でした。
・私は山の上に住み、清らかな水を飲む神官でした。貴女のための神官でした。
・青い空を見ていたこと(ある独特のフィーリングが伴っています)
・お互いに高貴な人間となったのは、苦難とがあったから。
(Sさんがこの「高貴さ」をどうか感じる(思い出す)ことが出来ますように。ああ、お願いです! この「高貴さ」の中にこそ、全てが凝縮されています)
・アルバム「CITRON」の中の「BLUE」と「四月は風の旅人」がSさんとの過去 生のフィーリングに近いということ。
・王冠に関する考えが思い出すきっかけとなったこと。ただし、王冠そのものについては、すみませんが明確に思い出せていません。

通常とは違う意識の状態が356の日は長時間続いたのです。翌日の朝、自転車に乗って駅に向かっている途中にも生き生きとした自分自身のフィーリングの詳細を理解しました。本人にとってはよく分かるのです。
身体を神に全託し「動かされる」経験を積むことで日常、自分の意志で「動く」こととの感覚的な違いを識別できるようになります。この「動かされる」体験(キリスト教では聖霊体験と言います)は、スブド同胞会の基本です。神に唯全託することで身体が動かされるという経験を週に2回(このぐらいが適度)各々約30分行なうことで、そのうち何年かすると深くなってゆきます。神の力は「身体の動き」という粗雑なレベルから、「ハートの動き」のレベルに入ります。そのうちハートも平定されて、霊との同調を維持します。更に神の力は「思考の動き」という精妙な領域に至ります。思考すらも神の力に動かされます。それがデジャヴュです。私は今、この段階に入ったところです。更に深化すると、「自我」の浄化となります。このような事は自分で経験したから言える事なのです。言い換えれば、神に教わったのです。この会では、教えとか教典などはないのです。神が直に各個人を教え導きます。霊的な自分と地上的な自分の識別の道です。しかし、宣伝してる訳ではありません。自分の背景を述べたのです。

A さて、私が「思いだした」ことで、ほぼ確実と言えることは以下の通りです。
つまり、ある一瞬の深い体験があったもの。以下に並べた順は確実さの順番です。
・あなたが私の妹だったこと(この経験は時間的に短いので少し自信がないといったところです)
・私が人々の幸せを願って中世のような町並みを見ていたこと。この時の影響は、 今の私が「世紀末だ」と言って色々と活動する性格的な原因となっていること
(ちなみに、MSさんの名前を英語読みすると、SEIKO・MATSUDA=世紀末だ!
となるのです)
・お互いに完全に信じ合う関係にあった。
聖杯との関わりがあったこと

B多分そうだろうと思う、と言うものは以下の通りです。
・聖マチルダ皇后は当時、「東の果ての国」への憧れを持っていらしたこと。
・中森明菜さんとは同志だったのか?

次に、私が「貴女を永遠にすることを神に誓った」というのは、特殊な位置にあります。これは思い出す、思い出さないに関わらず、私の中にあったものです。私は「神の御前に真実なのに、社会的に虐げられている」人を見ると放って置けなくなる性質もあるのです。そのため、私は「社会悪」からは「全く」自由に独立して行動するのでけむたがられます。私はGIVE AND TAKEの精神からは自由です。私は探求のためにドイツへ行きますが、このことで、Sさんに御負担をかけませんように。つまり、Sさんにべたべたと甘えるつもりはありません。基本的に、欲しいのではなく、与えたいのです。

おおざっぱかもしれませんが、以上をまとめますと、私が「思いだした」と言っていることには、特別の意識の状態があり、デジャヴュのように分かっており、実はデジャヴュよりも深い状態で、本人としてみれば、実にはっきりと分かるのです。紛れもなく「思い出した」のです。これは思考や論理ではないのです。もし私がこんな嘘をついていたなら、私は神の御前にとてつもない罪を犯すこととなってしまいます。ですので、それが本当かどうかと自問すると言うことは大切なことではあります。しかし、これは「自明の理」であり、考える余地がありません。実にはっきりと分かったのです。今後は、私が「思い出した」と言っている事柄を思考の対象、材料とするときには、上記の「確実に思い出した」分だけにして下さい。(Sさんが私の妹であったということも、含めて構わないと思っています)これは、厳密な批判にも堪え得るはずです。さらに他ならぬ「貴女」が思い出されたらどうなりますか。周囲の人にとっても、ほとんど疑う余地がなくなります。失礼かも知れませんが、強力なRIGHT COMBINATIONとなります。今、私が思い出したと言っていることは多くの人が知ってるようですね。
地上的な自我が、自分の事を天的な自分と勘違い、混同する事でプライドが発生します。天的な自分と地上的な自分をどんどん識別し、区別できるようになればなるほど「プライド」という心理状態は減少して行きます。それは地上的な自分ではなく、天的な自分に所属するものだからです。
今度、聖マチルダ皇后と全く同じ服装、髪型で、「神聖ローマ帝国の歌」を歌って! 茶色の淵取りのブルーのマント(裏は赤)を羽織って皇后の席から立ち上がって!
しかも、中世ドイツ語で歌われれば、電撃を感じる人も出て来るのではないでしょうか。きゃー! もしかしたら、Sさん御自身が「神聖ローマ帝国の歌」を歌われるときに何か思い出されるかも知れません。忘れたりする事のないようにその場でその内容を書き留められるように小さなノートを用意しておくことをお勧めします。というのは、とても微妙な夢の意識のようなデジャヴュと言うのもあるからです。私も小さなノートを持っていて、やって来るテレパシーを書き留めており、後日、本人に確認するときに重宝しています。でも、Sさんから御返事は期待するのは難しいのでしょうから、報告するだけにとどめます。Sさん御自身が、私が感じたことはどのぐらいの正確さかお分かりだと思います。
今日、8月8日(木)8チャンネルで夜8時からタモリさんの「世にも奇妙な物語」を見ました。その最後にタモリさんが「記憶と言うのは主観的なものなので、もう一度振り返ってみてはいかがでしょうか」とおっしゃってくれました。このことに対する回答として、上記の記憶に関するまとめが有効だと思います。私は自分をごまかしたり、人をだまそうとなどしません。誠実にありのままに思い出したことは思い出したとお知らせしております。タモリさんのお言葉に誠意を感じました。こういう客観的な態度は私は好きです。私もその科学者の態度を持ってドイツへ行くのです。事実に直面しに行くのです。思い出したら思い出したと言うし、思い出さなければ思い出さないと言います。

この前、7月27日(土)は中森明菜さんのコンサートへ行きました。観客として行ったのですが、明菜さんが段々と調子悪くなり、声も苦し気で、[中略]階段に寝そべったりするのを見るに及んでは「力を繁用しない」と決めている私も彼女に、目から治病光線をお送りしました。喉が変なら喉へ、胃に手を当てたときは胃にと言う風に送ったのです。「治病光線だ」と思えばそうなるのだと勝手に思っています。しかし、彼女の反応は実に敏感でした。それから彼女は3曲ほど、彼女の曲をSさんそっくりの声(見分けがつかない程でした)で歌われました。元気が出てきたみたいで、段々元気になってきました。彼女が調子悪いのは、肉体的な原因ではなく、メンタルな原因です。最後に、明菜さんが再び出てきたとき、彼女は心に一つの疑問を抱えていました。しかし、私はその疑問を越えてとにかく肯定的に彼女のエネルギーを向けました。その瞬間、明菜さんは、ご自分の頭を手で、「ぽん」とたたいて、笑顔に戻られました。この時、明菜さんの心の中で、何かの契約が交わされたように感じましたが、地上的な私にはハッキリとは分かりませんでした。この瞬間にどの様な約束が交わされたのでしょうか。

8月24日(土)には荻野目洋子さんのコンサートにも観客として行きました。私がコンサートに行くのは伊勢正三さん(1)、Sさん(2,3)(兄さん!)中森明菜さん(4)、荻野目洋子さん(5)の順となりました。「あまり関わらないように」という示しだと思われることがありましたので、荻野目洋子さんに対しては、黙っていました。

日本キリスト教団出版局(〒160 新宿区西早稲田2−3−18)から1986年2月15日刊の「キリスト教 人名辞典」(2000年前までの約16000名の人名を網羅)¥43000(10年をかけ、260名の執筆者が参加)に、聖マチルダ皇后は次のように載ってます。(高価だったので、買わないで、書き写しました)
「マティルデ Mathilde(独・仏)Mathildis(ラ)Matilda (英) 890頃-968.3.14
ドイツ王妃、聖人。ザクセン伯ディートリヒの娘で、ザクセン朝初代のドイツ王ハインリヒ1世*と結婚し(909)、6子をもうけた。すなわち、のちの神聖ローマ帝国の初代皇帝オットー1世*(大帝)、ロートリンゲンのギゼルベルト、フランスのルイ4世と結婚したゲルベルガ、ユーグ・カペーの母ヘドヴィヒ、バイエルンのハインリヒ、ケルンのブルーノ*である。夫の死後は息子たちの争いに苦慮した。彼女はハインリヒに王位を継承させようとしたが、ギゼルベルトが反対し、オットー1世もギゼルベルトを支援して、失敗に終わった。しかし、オットー1世を動かして948年ハインリヒにバイエルンを与えた。クヴェドリンブルク女子修道院、ノルトハウゼン修道院などを建設した。オットーとハインリヒとは、母が貧しい人々と交わり、教会のことに熱心なのを嫌ったが、彼女は人々への援助の手を休めることなく、その善良さによって皆に親しまれた。(OY)」

*のマークは、この人名辞典に別掲で載っていることを示します。MATHILDISというのは、ラテン語でした。当時のドイツでは、学校でラテン語を教えていたという記述をどこかで見た記憶があります。上記6人の御子様の御名前の記憶はございますか。(私が敬語を使うのは1オクターブ高くなり、貴女が当時の高貴なフィーリングを思い出して頂けるようにと願っての事なのです)

6月21日(金)のコンサートで私が「限りなく許す」をお送りしたのは、マスコミに振り回された地上的な私の、マインド・シフト(本当の意味は違うようですが)のためです。ちょっと認識がずれていたと思います。失礼致しました。Sさんに安心して頂きたいと思ったからだったのです。このようなことは言葉に出すと変になりますね。これは私の心の中での勝手な認識なので、どうか許して下さるようお願いいたします。

エドガー・ケイシーやルドルフ・シュタイナーによれば、各文化期(古代インド、古代ペルシャ、古代エジプト、古代ギリシャ、ローマ文化期)に生きた魂は再び集団魂として、地上に降りて来るそうです。

今日(8月14日(水))仕事中に、最近Sさんが過去世のフィーリングらしきものの認識を得たと言う潜在意識のささやき(ここ2〜3日続いてました)を認識するようになりました。それは本当ですか? 多分、それは先駆けです。貴女は「確かに思い出している」と言いたい。その内容については知らないですが。しかし、いずれ貴女は私のように、上記の「明かな」体験をするはずだと思っています。まさにそれが事実であることは「自明の理」として自分にとって明かとなるのです。自分自身である霊が、自分の肉体に自らを開示するのです。肉体は「ああ、自分の事だ」と分かるのです。その感覚は、これまでの人生の中に於いてもしばしば感じていたものであることにすぐ気づきます。例えば、しとしとと雨が降っている時に感じていた情緒、フィーリングの中にその時の生涯でのフィーリングがいつも溶けて混じり込んでいたことをハッキリと理解したりするようになります。もう一つ例を挙げますと(私の感覚に基づいてはいますが、飽くまで例です)、ルネッサンス期のフランスに生きていたときの事を思いだした、としたときに、何故小学生の時の夏休みに、絵日記を書いていることが楽しく感じたのかがはっきり分かったりするのです。夏休みに絵日記を書いているときにルネッサンス期のフランスで1女性として楽しく生きたときの気分がその時に生き生きと輝いていたということを明らかに自明の理としてハッキリと分かったりするのです。次は実例ですが、私が小学生の時に人里離れた山奥に篭って幸せを完成したいと思っていたときの気分、フィーリングは、この、神官だった時の影響がそのまま出ていることをハッキリと知りました。余りにも明確につながりが分かりました。私がそのフィーリングをありありと感じている時に、まさにそのフィーリング自体の中にある情報が次々と私の中で展開したのです。今の人生で感じてきた麗しき情感の数々は、その深さ故、肉体にとっては、何故そんなに深いのか気づきもしません。ただ、ああ! ただ自分自身を、魂を求め続けることになるのです。これら何度も何度も、ああ、何度も何度も感じてきたフィーリングの数々、これらのあまりにも深い、甘くせつなく、高貴な、悲しい情感の、具体的で膨大な情報が一瞬にして頭脳に刻印されるのです。次々と展開します。あまりにも深く、美しいの中で。偉大な霊感の一瞬です。私はあなたのために男性の神官だったのです。あなたは高貴な御婦人でした。あまりにもハッキリしております。

白雪姫の物語を私は次のように解釈しました。ちょっと荒削りかも知れません。この物語の中には「古い美」と「新しい美」の対比があります。「古い美」はなんとかして「新しい美」を倒して「古い美」を守ろうとします。「古い美」はいつも「自分を写す鏡(世論、相場)」に意見を尋ねます。鏡は、"「古い美」はもっともだ。しかし「新しい美」はもっと美しい"と言います。「古い美」は白雪姫を追い出した。しかし、白雪姫は7人の小人とひっそりと暮らしていた。「古い美」は、罠(毒リンゴ)をしかけ、白雪姫はそれを口にして倒れてしまう。毒リンゴの影響下に白雪姫は入った。しかし、まるで生きているようなので、7人の小人は白雪姫をガラスの柩に入れた。それを見た王子様がもらい受けた。王子様が家来に運ばせている途中に毒リンゴ(世論の罠)から自由となった。そして、二人は結婚(霊的な秘儀の完成を象徴)することになり、そこには「古い美」も招かれたが、「古い美」は真っ赤に焼けた靴(赤い基盤=赤字財政)を履いてぴょんぴょん踊り続けなければならず、そしてバタリと床に倒れた。(金銭社会の崩壊と共に古い価値観の消滅がある)

この1週間(8月12日頃〜17日)ばかり、「ファンティックの留守番電話が変わったのよ。聞いてくれるかなあ」というSさんから私の潜在意識へのささやきが続いていたことにやっと気づき、18日(日)AM01:00頃に電話しましたら、Sさんがお話しになっていました。気づくのが遅くなったのは、Sさんも忙しいからでしょう、「ささやき」の頻度が中程度で少なかったためです。ファンティックの留守番電話(ここで、デジャヴュがありました。Sさんの霊に見られているのを感じました。前もって決められていたことです。8月18日、01:23)では「天国のキッス」が流れていました。再び驚いたのは「KISS IN BLUE HEAVEN」とおっしゃっていることです。松本隆さんは預言者ですか。預言者としての生涯を生きたことがおありなのではないでしょうか。彼の誕生日はいつでしょうか。でも、Sさんは、日に日に美しくなって行かれる。あなたの御声のなんて美しいこと!!!!! でも、御安心下さい。私は分別があります。分別があるからこそ貴女には自分の心を隠しません。Sさんは最近はファンティックにいらっしゃるのですか。電話しちゃおうかな。でも、急に電話するのは自分でもドキドキするので、やっぱりやめようかな。Sさんが「これからもよろしくね」とおっしゃって下さったので、自意識過剰の私は安心しました。でも、ファンティックの電話番号は変えた方が良いのではないでしょうか。

7月3日(水)の島原救済特別番組の夜ヒットで中森明菜さんの「そばにいてあげました」と書きましたのは、心で、という意味です。いたずらっぽい書き方は注意しないといけませんね。でも、確かにその時私の心は明菜さんとともにあったのです。それから、「時間空間を越えた、私との出会い」などと書きましたが、この「時間空間を越えた」という文章は「私」に掛かっているのではなく、「出会い」に掛かっているのです。
いつだったか、確か始めてゴルバチョフ大統領がアメリカを訪問したとき、ホワイトハウスの前の芝生の上で歓迎の式典が行なわれたのがテレビ中継されました。中継だったので、私は御二人の間に介入致しました。二人の間に人類の尊厳と自由を共に守って行こうという共通の認識を、をもって強くお送りしたのです。中継を見てて、御二人の間に共通の認識、の認識を私は見ることが出来ました。自意識過剰の私からすれば、このときから御二人は人間として共に深く尊敬できる間柄になったように思われていました。この時の事が今日(8月19日(月))、仕事中に何度も何度も思い出されていました。潜在意識からの強いささやきです。この時の事をこうやってSさんにお知らせしていることを想像していたのです。あるいは、神から、この様にして決まっていた未来を受けていたのかも知れません。まだ私も未熟なので、判別がはっきりとしません。しかし、このように現在、タイプしていることを考えると、神の御意志だったと思います。そして、家に帰って、夜になると、ソ連でクーデターがあったことを放送し始めました。「ああ、このことだったか」と思いました。クーデター政権によれば、ゴルバチョフは「体調を崩した」という事です。ゴルバチョフは毒を盛られたのかもしれません(でも、大丈夫でした)。彼本人の幸せと平和を、今後、彼が安寧でいられますように。虐待を受けませんように。そして、彼の周囲の状況が世界の平和にとって良い方向へと向かいますように。

イエズス・キリスト最の弟子聖ヨハネは現在イスラエルにおりますが(JOHN PENNIEL)、詳細については「国際ニューエイジ協会」〒316 茨城県日立市末広町4−6−10(現在は〒185東京都国分寺市東恋ケ窪3-12-16-101)にお問い合わせ下さい。TEL:0294−35−4441(現在は0423-28-5838)です。

宗教団体で、三五教(あなないきょう)というのがありますが、まさに359です。出口王仁三郎の「霊界物語」によると、3大教と5大教が一つになって三五教になったそうです。現実世界では、三五教は昭和24年(1949年)に、大本教の1信者が創立した教団だと言う事でした。「天文すなわち宗教」という立場で三五教は、専用の天文台を持っているとの事です。スブド同胞会が日本に広まるきっかけとなったのは、この、三五教主催の世界宗教者会議にインドネシアのムハマッド・スブー(ちなみに、インドネシア語で夜明けをスブーと言います)氏が招待されたことでした。この時大勢の人がスブドに入会しました。現在まで残っている人は僅かです。[因みに、出版社の中には“三五館”というのがあります]

発音からの勝手な推理で、久我屋、菅谷、ゴヤです。「TILL I LOVED YOU」を聞いていたときに、Sさんが歌われ始めたとき、Sさんの御歌から流れて来るオーラを感じさせていただけました。それは、とても筆舌に尽くし難い程のやさしいやさしいロマンの光でした【⇒V】。神からの光は常に美しいです。(1991.08.21.(水)03:50) Sさんのファンの人は皆、このロマンの光を感じたことがあるはずです。ゴヤを調べてみましたら、1746.03.30にスペインのフェンデトードスに生まれ、1828.04.16に、フランスのボルドーで亡くなっていました。4月16日(1879)は、ルールドの泉(フランス)のベルナデッタ(美智子妃)の日です。

アルバム「Strawberry Time」も大好きです。特に「裏庭のガレージで抱きしめて」「Kimono Beat」「妖しいニュアンス」「ピンクの豹」が好きです。アルバム「風立ちぬ」の「いちご畑でつかまえて」も好きです。特に「Kimono Beat」が好きです。

[中略]

以前、天理教の中山みきがついた伊藤幸長青年のことを書きましたが、その時に書きました彼の住所を間違えました。正確には〒332 埼玉県川口市[中略]でした。[中略](1989年12月18日現在)

上智大学図書館でコピーしてきました「DEUTSCHE GESCHICHTE(ドイツの歴史)」に、935年に何やらオットー大帝が国王として戴冠したというような記事がありましたので、同封しました[第8通目の添付資料に含めてあります]。ドイツ語なのでよく分からないです。戴冠式を行なったAachenという場所にも行ってきます。

[中略]

神田様の上にいつまでも光輝と平和がありますように。大好き!
(ここでリンゴの香りを感じました)


                                  1991年8月28日(水)21:21
                                            〒359 埼玉県所沢市[中略]
                                                              菅谷織春
                                                              (明夫)


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