第10通目は特にないので、割し、第11通目を載せます。

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Guten Tag!  MS様      (11通目)    199109010042
I SWEAR IN THE NAME OF LOVE!! I WILL NEVER BREAK YOUR HEART!! 神に誓って、私はSさんを傷つけたりしません。どうか私からのプレゼントを受け取って下さい。今、この時期に、品物をお送りする失礼をお許し下さい。私は何という文章を書いてしまったのでしょうか。私は決して無理などしてません。私は自分が幸せに感じることをしているのです。私に幸せを与えてくれたのは、Sさんです。GIVE AND TAKE の精神で、ファンレターをお送りしないではいられませんでした。そして、Sさんに認めてもらうことでSさんに甘えたかったのです。私の手紙は全体として、Sさんに甘えている手紙です。Sさんの出る番組は一つ残らず録画しています。ファンティックラブからSさんの最新情報の葉書を頂いて良かったです。毎日Sさんの番組を楽しみにして待っています。しかし、私はSさんにショックを与えてしまいました。

ホワイト・イーグル霊言集によれば、古代人達は夜明けに天使達の姿を見ることが出来たそうです。毎朝、夜明けの光に向かって礼拝していたそうです(器としてその光を受け取っていた)。早朝の平安のフィーリングはまた、イエズス・キリストのフィーリングに近いと私は感じます。

[中略]

さて、ドイツ旅行ですが、「ETERNAL」で私が感じていたフィーリングはドイツのフィーリングだったことが確認できました。分かってはおりましたが、現地のフィーリングを感じることで地上的な自我は、納得することが出来ました。なぜなら、地上的な自我は後で人に説明するときの事を考えるからです。日本時間で9月7日(土)12:30頃(ドイツ時間05:30頃)、私の名前の「明夫」=「AQA」ではないかと気づきました。ドイツの缶入り炭酸水「BONAQA」を見てて気づきました。「AQUARIUS時代の先駆けとして清らかな水を飲んでいた私はドンピシャだ」などと思っていました。さて、ドイツのフィーリングですが、これは、「聖人達の息吹」という感覚でした。地上的には悲痛だけれども、天的には喜び、希望に溢れているという印象です。この印象は、私が小さいときに見ていた「名犬ロンドン」のフィーリングだと感じました。このフィーリングはニューヨークの時のフィーリングだと思っていましたが、実は、純粋にニューヨークだったのではなく、そのニューヨークのフィーリングの奥にはドイツのフィーリングがあったのでした。
それから、日本時間15:20(ドイツ時間08:20)に、「HERE WE ARE」を聞きながら、赤い色を見ていたときにインスピレーションがあり、ドイツのフィーリングと「赤」が大変に調和的であることを感じました。

聖マチルダ皇后は968年に亡くなりましたが、それから1023年後の1991年に1000年を越えた兄さん(23)はドイツへ戻りました。このドイツ旅行では、数字の奇跡がありました。これはビデオにも収録し、搭乗券のコピーも同封しました。

・1番目に、行きの飛行機の搭乗券のシートナンバーが53Kだったのです(禁煙席と指定しました)。359です。しかも、登場ゲートは23でした。
・2番目に、NORDHAUSENに泊まっているときにレンタカーを借りてQUEDLINBURGへ3日間通いました。その車のプレートナンバーがHAHE693だったのです。369(ミロク)です。
・3番目に、帰りの飛行機のシートナンバーが55Kで(窓側で禁煙席と指定したら、すでに一杯だと言うので、窓側を希望しました)、「あーあ、359じゃなかったか」と思っていたら、搭乗券発行の時点でPENDINGだった登場ゲートが、B46と決って驚きました。つまりB46÷2=B23(BROTHER 23)で、55K−2=53Kだからです。「2」を作用させるのは、帰りであり、2回目の搭乗だからだと思われます。35教も、53Kも、「9」が他の文字に入れ替わっております。以前、「白雪姫」の調査結果もお送りしましたが、35ページに「9行」という隠れた数がありましたし、第53話で、そのページ144を加算すると、1+4+4=9になりました。また、私は昭和35年9月生まれです。そして、実際に思いだしたのは、356で、私の職場[出向先]の電話は3356−4421です。356+3です。

飛行機がなければ私はドイツへ行って帰ることは出来ませんでした。そして、(ミロクの御加護によって)レンタカーがなければQUEDLINBURGへ行くことはできませんでした。NORDHAUSENの駅で何度聞いても、路線図もないようでしたし、私が「QUEDLINBURG」と言っても、まるで分かってくれませんでした。日本で買った時刻表等にもQUEDLINBURGの駅はなかったのです(実際にはあるのですが)。あ、そうだ、帰りの飛行機には小柳るみ子さんも乗ってました。ドイツのフランクフルト空港で見かけました。他の日本人客が噂してたので分かりました。

9月13日(金)、日本時間05:00頃(ドイツ時間22:00頃)だったと思いますが、NORDHAUSENのホテルでアルバム「STRAWBERRY TIME」の中の「STRAWBERRY TIME」を聞いていたとき、半分眠りかけていました。その時に、356の日に思いだした、出会ったときのフィーリングとともにSTRAWBERRY TIMEのSさんの声の中にある霊的な印象が高貴な聖マチルダ皇后としてQUEDLINBURGの城山(SCHLOß=シュロース)上の風景に於て一つになりました。高貴な御婦人は聖マチルダ皇后であり、あなたの兄はあなたの山の上にいたのです。このSCHLOßというのは、現地の人の話だと(その人は簡単な英語で話してくれました)、ハインリヒ1世が、するマチルダ皇后にプレゼントした、お城(聖堂)つきのお山なのだそうです。なんとされていたことでしょう。そして、この、QUEDLINBURGのSCHLOßの上で兄で神官だった私に、あなたは会いに来てくれました。お互いどんなにか喜んだ事でしょう。356の日の体験の中の印象の一部として、山の上は花が沢山咲いていたと記憶しています。自然と一体で、素朴だったと言う印象(フィーリング)を今、タイプしながら、感じて(思いだして)おります。話が何もかも一つにつながります。何故、山の上で独特の衣装を着ていられたのかも、(論理的に)分かりました。論理的に分かると言っても、「当時」のフィーリングの中に独特の衣装の印象もあります。つまり、私が、自分が高貴な男性の神官であったことをありありと体験しているときに、その高貴さの印象の一部は、「衣装」にも関係していたと感じた、と言うことが出来ます。その「衣装」の存在自体は確かなはずです。また、「私に会いに」来てくれたと感じるほどに、多分私は、SCHLOßの上で重要な立場にあったのだと思います。私は勿論、QUEDLINBURGに山があることなど知りませんでした。そして、上記の、「記憶の結合」において、その材料となるものはすべて私が「確実に思いだした」と分類しているものの中にあるものばかりです。356の日に思い出したものばかりです。この、NORDHAUSEN駅前の「HOTEL HANDELSHOF」の313号室での、STRAWBERRY TIMEの体験の時の意識状態を明記しますと、これは、霊的な自分が下って来ると言うよりは、地上的な自分が登って行くことで、霊的な夢の意識とコンタクトをしているという意識であることを明記しておきます。その、「記憶の結合」というときの、「記憶」とは、ありありと思いだしている実際の記憶と言うよりは、356の日に思いだしたときに、脳に記録された印象が更に具体化したと言う感じです。この、何もかも一つにつながる霊的な印象をもたらした「STRAWBERRY TIME」のSさんの声は不思議です。「STRAWBERRY TIME」はどの様な動機、発想で生まれた曲なのですか。Sさん!多分、あなたは上記の文章を読んで、ドイツでのフィーリングなり、インスピレーションを感じることができるでしょう。きっとそうなるでしょう。あなたと私は、別々の人間です。しかし、あなたの御本尊と、私の御本尊は、特別な関係です。私は、「生涯結婚しない」という決心をしますと、過去世のフィーリングのインスピレーションが走ります。いつも私は、重要な使命のために生涯独身を通していたようです。ドイツの時も、ニューヨークの女スパイの時も(この時は比較的若くして死んだと思われます。ピストルで打たれたとき、「まだやることが沢山あるのに」と残念がったからです)。
これは12月16日のアデライデ未亡人の話からの連想で、当時、人夫などは決して非道な仕打ちを受ける事なく、人権が守られていたと思ったりしていました。そのように思うようになった部分を「聖者カレンダー」から抜粋しますと、「10世紀の始めに、フランスのブルゴーニュの王女であったアデライデは、一生涯種々の苦しみを忍んだ・・・最初に結婚した夫は毒殺され、その上毒殺者の息子と結婚を強いられて、それを拒絶したとき、彼女は城の中に閉じこめられた。しかし、後にドイツのオットー大帝が彼女を解放して自分の王妃とした。・・・」

「ファンティックラブNO7」を受け取りました。「多田夫妻の聖子コンサートウォッチング」に、ファン層の移り変わりに関する分析があり、面白く読みました。次なるファンは、「国民各層」であるというのは、やはり、皆にされた聖マチルダ皇后の再来を思わせるようでした。多田さんもきっと神聖ローマ帝国の縁があるのかもしれません。

「SEIKO CLIPS」でモノリスが登場したことでその関係の人は必ず気がつくはずです。オクターブの法則は、私の会(スブド)が源ではないのです。スブドには教えや決まったことがありません。これはグルジェフという神秘思想家、実践家が、運命の糸で、古代の知恵に接触したときに伝達されたもので、彼の弟子でロシア人のウスペンスキーという人が本にして、知られるようになったのです。日本では、平河出版より、「奇蹟を求めて」という題名で翻訳されたものが出版されています。

QUEDLINBURGで集めた資料が一番多くなりました。これだけで一つのファイルになりました。その他のBAMBERGとAACHENとNORDHAUSENとKASSELの4箇所の資料で一まとまりのファイルです。

BAMBERGは、聖ハインリヒ(ハインリヒ2世)御夫妻が永眠されています。
AACHENはオットー大帝が戴冠式を行なった場所です。観光案内では、ここにオットー大帝の王冠が展示してあると言うことでしたが、実際にはオットー大帝の王冠の複製が市庁舎(RATHAUS=現地の人はラトハウスと言ってました)に展示してあるはずだったのですが、私がそこに行った9月7日(土)は閉鎖期間の中にあり、中に入れず、オットー大帝の王冠の複製品を見ることは出来ませんでした。

現地で質問したいことを箇条書きにしてそれを[翻訳してもらいました]文章のコピーもお送りします(「聖マチルダ皇后の資料」の[その他の資料]の中に入っています)。これは、以前、お送りしましたNordhausenとQuedlinburgの観光案内の概訳です。[中略]更に、「聖マチルダ皇后の資料」の中のNORDHAUSENでコピーしてきたNO.1の資料はラテン語です。この資料は第3ページから始まっているように見えますが、表紙、表紙の裏で1,2となりますので、3からで良いのです。QUEDLINBURGでは古い資料が沢山あるらしく、NORDHAUSENでコピーしましたNO.3のぶ厚い資料と同じコピーももらいました(買いました)が、全39ページでした。一方、NO.3の資料は全44ページです。それで、NORDHAUSENのSTADTARCHIV(シュタットアーチヴと言ってました)での資料(44ページのほう)を優先し、こちらをお送りしました。というのは、QUEDLINBURGでの資料はページの谷にある文字が判然としないからでもあります。NORDHAUSENでは私がコピーに立ち会って、注文をつけていたのできれいにとれましたが、QUEDLINBURGでは資料は他の場所にあり「明日の15:00」と指定されて翌日行ったときにもらっただけですので、少しコピーがずれたり欠けたりしています。

ビデオのドイツ語は私がどこかで翻訳してもらってSさんにお送りした方が良いのですが、そうしていると、お送りするのがかなり遅れます。Sさんの方がそこらへんは、はるかに自由でしょうから、Sさんを信頼してこのままお送りします。それと、場面場面に於て、必要な情報をアフレコ録音してあります。ビデオのHI-FI音声とノーマル音声を、ミックス状態にして見て下さい。テープはS−VHSです。

資料的にNORDHAUSENとQUEDLINBURGで文字情報として写真を撮ってきましたので、お送り致します。それと、ビデオでは文字の類が読みにくいだろうと思い、看板の類も写真を撮ってきました。NORDHAUSEN修道院は現在、子供が住んでおり、そのための掲示板だと思われたものも、一応すべて写真に納めてきました。QUEDLINBURGの博物館では、特別の許可をもらって聖マチルダ皇后に関する資料を写真に納めてきました。それと、QUEDLINBURGの聖堂(STIFTSKIRCHE)の案内の人の説明は、すべてビデオに納めることが出来ました。絵はがきはAACHENで買って来たものが一番多くなりました。聖マチルダ皇后に直接関係しないものも沢山ありますが、一応全部お送りします。

一つ残念な事をお知らせしなければなりません。以前「我らの救い主イエズス・キリストに関する真正の手紙」という祝別された黄色い写しをお送りしましたが、そこにある3人の聖人(ハンガリーの女王聖エリザベート、聖マチルダ、聖ビルジタ)についても現地調査しようと思い、観光案内を調べましたら、聖エリザベートの遺跡がFRANKFURTとKASSELの間にあるMARBURGにありましたが、年代の記述が聖マチルダ皇后の時代とずれていたのです。それで上智大学の聖三木図書館で「BUTLER'S LIVES OF THE SAINTS」をよく調べてみましたら、全4巻の百科辞典のような本の内、最後の第4冊目の巻末に、全聖人のアルファベット順の名前の索引が付いていたことを発見し、それを見ましたら、聖ビルジタの名前もありました。ハンガリーの人でエリザベートという名前の方は一人だけでした。そして、聖マチルダという人は、他に二人おりました。日付を記してみますと、聖エリザベート=1231.11.19、聖ビルジタ=1373.10.08、聖マチルダ(OF EDELSTETTEN)=1160.05.31、聖マチルダ(OF HELFTA)=1298.11.16でした。そして、調べてみましたら、聖ビルジタだけ時代が少しずれていますが、どうやら「我らの救い主イエズス・キリストに関する真正の手紙」に記述してある「聖マチルダ」とは、マチルダ皇后ではないようです。一応、この資料も「聖マチルダ皇后の資料」の中に同封しました。間違えてしまって本当にごめんなさい。これらは、とても重要な問題ですのに、間違いがあってはいけないような範疇の事ですのに。今後も、私が間違いを犯す可能性を常に考慮しておいて下さるとありがたいです。でも、そうしようとしてそうした訳ではありません。その点に於て、神もお許し下さると思っております。この出会いについても、スケールが大きいだけに、丁度、大電流のようなもので、ちょっと間違えただけで、大きな結果が返ってきてしまいます。慎重には慎重を重ねようと思いました。

9月22日(日)に映画「MR.MOONLIGHT」を見ました。何か私の事のような気がして。というのは、原田知世さんもそうですが、時任三郎さんが主演だったからです。そこで、私の入っているスブド同胞会を再び持ち出さなければなりません。スブド(SUBUD)は実践とか、体験とか、真理を大切にします。会員はエンタープライズを勧められ、各国(イギリスとインドネシアの会員数が多い)で色々なプロジェクトが実行に移されています。[中略]スブドの創始者(インドネシア人)の人は、日本人会員の求めによって日本のプロジェクト(何のプロジェクトかはっきりしてません)に名前をくれました。1982年でした。この人は覚者で、何を聞いても何でも答えてくれます(現在は他界して、もうおりません)。その名前は「*(伏せ字)」と言います。インドネシア語で「月光」という意味だそうです。日本を、月が闇夜を照らすように光を投げると言う意味だそうです。この*のプロジェクトのために7人のメンバーが選ばれ、一人やめて現在6人だと思います。しかし、名前だけがあり、メンバーの一人は貿易会社を始めましたが、すぐやめて、一人は*の名で塾を開いています。[*としてのヴィジョンはあるのですが、まだ話し合いをしている段階です]

もし私がMR.MOONLIGHTならば、私がスブドの*計画に「意義」を与える事が出来るのではないかと思います。しかし正直言って、私がスブドの中で「良かれ」と思って行なったことはこの9年間、嫌がられ、隠ぺいされてきました。「私がいつそんなに嫌がられることをしたのか」と聞きたいくらいです。例えば120万円でパソコンを私費でスブドに導入し(確か1984年)、私がデータ入力をし、私が一人で、本当にたった一人で会員管理のシステムを作りましたが、会員の人がそういう私をパソコンと切り離して見れるようになるまで苦労しました。毎週日曜日はパソコンでワープロ文書の作成のために私がたった一人で入力すると言う状態が5年ほど続きました。ひどいときは毎日曜に10:00から20:00までぶっとおしなんてことも最初はよくありました。しかし、このようにする事で彼らの不満をかわすことが出来ました。[中略]意味を込めた発言を繰り返すので、私はマイクロカセットレコーダーを買って常に持ち歩くようにしましたら、今度は言葉ではなく、行動でいやみなことをし始めるようになったので、私は8ミリビデオカメラを買って会に持って行き、彼らの全てを記録し始めたら、[カメラの前では]何もしなくなりました。[中略]本当に真面目な求道者はやはり少ないです。ほとんど数人です。2001年宇宙の旅に関してヴァリンドラ・ヴィタッチ氏(以前、国連のユニセフ事務局次長だったので、黒柳徹子さんとも面識があるようです)に質問した飯田泰也(ひろや)さん【右から二人目の、こちらを振り向いている男性】は真面目な人です。もし私がMR.MOONLIGHTであっても、知られるとまた嫌がられるので、スブドの人には知らせないようにしたいと思っています。でも今年7月13日の集まりで、創始者の娘の人(イブ・ラハユさん)は「日本人男性会員で誰か霊的な体験をした人がいるはずですが、是非その話を聞いてみたい」とか「他の会員のためにもそれを分かち合うべきです」とかメッセージを残して戻りました[この時のビデオテープ現存][窓と窓の間の上のほうに掛かっている青い旗はスブドのシンボルマークです。その旗の下に少し首を傾げて座っているのがラハユさん。彼女の隣に、頭だけ見えてますが、女性がいて、彼女はインドネシア語から英語に翻訳する人で、ラハユさんと一緒に来日。更にその右隣の女性は英語から日本語へ翻訳する日本人]。この7月13日の時の記事も私が見た限りにおいてどこにも載っておりません。これより後の集まりの記事は沢山ありますが、いつのまにか隠蔽されました。でも、一つ分かりました。私が入会(1982年)後、たまたま来日した創始者のムハマッド・スブー氏の前で、ある霊的な恩寵によって泣いてしまったのです[中略]。今回の7月13日の集まり[中略]と状況が似ているために、1オクターブが完了したと分かりました。別に載らなくてもいいのですが、いつのまにか裏で事が進んでいたりするのです。あらかじめ、「この時の記事は、私の支配欲と名声欲で、どうしても出したくないのですが」という相談をしてくれれば、私だって「じゃー、そのようにして下さい」と言うのに。しかし、「いつのまにか」そのように隠ぺいされたりしたら、私もそれを暴露する楽しみが増えます。私は色々な本を読んで来たのでオクターブの法則とかを知ってますが、普通のスブド会員は普通のおじさんとおばさんで、そのような事は知りません。記事を書いたりしましたが、反応があったのは、身近な数人の人でした。

スブドは、霊的なものは確実に世界最高のものですが、地上的な組織(地上に於て、神の光を広めるためにどうしても組織にならざるを得ません)の面は、だめだと私には思えます。組織としての強制力のようなものが全くないために、各自の自由意志が守られていると言う点ではいいのですが。数々の宗教に関わりを持ってきた人の言だと「スブドはそれでも良い方だよ」と言うことですが。人間は組織になるとおかしくなるようですね。組織になっても求道者の観点から考え、行動する人はほとんど皆無です。彼らは私を、縄張りを侵すものとしか考えていないようです。もう私は、この組織との関わりを絶とうと思っています。今まで、この会のために何かをしたことはありませんでした。私は常に人類のために働いていたのです。[なぜなら、この会が存在するのは人類のため、また、神のためだからです]また、私の入ってる会にSさんを「入会させよう」などと考えておりません。その証拠に上記にありますような事が色々とあります事をお知らせしました。また、私も偽善者にならないように、地上的な本心、性質を色々と書いたつもりです。もしかしたら失礼に当たるかも知れませんので、今後はこの様なことはなるべく書かないようにしてゆこうと思っています。

ムハマッド・スブー氏は言ってますが、感情や頭脳は、この世での生活を満たすためのもので、あの世の事を考えたりするのには、機能的な限界があるんだと言っています。霊的な事は頭で考えたり追求しても、無駄ですし、危険性もあります。やはり、自然が一番ですね。私は無理やりSさんに会おうとしていたかもしれません。やはり、自然が一番ですね。神の御意志ならば、神に全てを委ねようと思います。会わないなら会わないし、会うなら会うのでしょう。どちらにしても神の御意志から逃れようがありませんから。言い換えれば、なるようにしかなりませんね。

私は、実は、Sさん以外(この、「以外」というところを強調しないで読んで下さいね)にも、この会との関係で数字の奇跡があるのです。さらに、私が以前書きました、[この会の]8月16日(聖ステファノ・ハンガリー王)生まれの女性の知人[中略]との間に、数字の奇跡があります。[中略]

私の初めての免許証(原付)の発行年月日が1981年[6月22日ですが、スブドの創始者の誕生日も6/22です(5/5と勘違いをしてました)。まるで、私が取得する初めての公的許可証の保護者・保証人として6/22生まれのバパがなって下さっているかのように思いました]スブドでオープン(開魂)を受けたのが、1982年5月5日です。そして、今、現在使っている自宅のパソコンのキーボードの裏に貼ってあるシールの(多分)製造通し番号が82000055Eなのです。[8月16日生まれの女性の知人]は私より5年早くこの世に生まれました(1955.08.16)。そして、私より5年遅くスブドでオープンを受けました。私のオープン日が1982年5月5日なら、彼女のオープン日は、私のオープンした年+5、月+5、日+5の日である1987年10月10日なのです。彼女は今、結婚して、[中略]という姓になりました。[中略]ちなみに、私[は]血液型はO型です。私は、1960.09.25の22:12に、新宿の病院で生まれました。ホロスコープを作ってみると、全10個の星の内、9個までが地平線下にあるという星の下に生まれています。残りの1個(土星)も、地上わずか数度の位置に浮かんでいるだけです。全ての星が「裏」に位置しています。そこが私の活躍する場所なのでしょう。そして、表に現われているのは、試練の星である土星です[中略]。

9月22日(日)のTBSの「思い出のベストテン」を見ようとしていましたが、野球で延長になり、他の番組でテレビ朝日の日独合作ドキュメント「ブルーベリーの森」というのを見ていましたら、何と、1961.08.17(聖ステファノ・ハンガリー王の日の翌日=ドニーさんの誕生日)にベルリンの壁が築かれ始めたのだそうです。

着物の「いちこし」とは「第1オクターブを越した」という意味ではないでしょうか。
今日、9月26日(木)仕事中に、何か重要な位置にある人(または、かなり大勢の人)がSさんのことを知り、大変に驚いていると言う潜在意識からのささやきを感じました。これは、早く気づくことが出来ました。今日から始まったものです。正輝さんの関係の人でしょうか。

「2001年宇宙の旅」に関しても何か、かなり驚いている印象を感じました。いったい誰が何を驚いているのですか。

地上的な観点から以下の事を書きました。全宇宙を満たすの力と言うのは、私が空飛ぶ円盤の推進原理を研究している過程で、自分の経験にも基づき、段々と分かって来たものです。そこに「常に新しい創造的な力」という観点が加わったのは、サイエントロジーのロン・ハバードという人の「思考の原理」を読んでからです。人間の本来の姿が天地のバランスであることは全くの私自身の理解で、多分、どこの本にも書いてないのではないかと思ったりしています(でも、きっとどこかには書いてあると思いますが)。ホルモン・ショックの話は、山梨の山本佳人[中略]氏という宇宙哲学実践家の個人誌「COSMIC INFORMATION」に基づきます。この中にはオクターブの法則を世界にもたらしたグルジェフ氏の話もあります。お酒の発酵に例えたのは、グルジェフ氏です。山本佳人氏はご自分の体験を本にして出版したりしている方です(「体験・超心理学」、大陸書房)。そして、人体の7つの腺が7つの霊中枢であると言うことはエドガー・ケイシーによって何度も詳細な指摘がされています。性欲とは、肉体が魂(真我)を求める姿であることは私自身の発見です。覚醒意識も私自身の体験です。これらを簡単にまとめてお知らせしたのです。遅ればせながら、私がSさんにお伝えします理解はどんどん御使用になって下さってかまいません。失礼ですが、無償です。ということをここに明記しておきますので。第2通目の手紙で、オクターブの法則をお伝えするときに、いきなり「グルジェフ」とか名前を出すのは変に感じたので、いずれお伝えしようと、先送りしました。今後は、何か新しいことを書くときは、必ず出典を明記しようと思います。「歌」が天地の間に生じるものであることは、タイプしてて、自分でもびっくりしました。特に、「歌」に関して考えたことがなかったからです。神の導きがあったのだと思います。デジャヴュが霊によって動かされた頭脳の動きであることは、イブ・ラハユさんと目が合ったとき(確か7月21日(日))にその理解を得ました。Sさんに、食事で「火」を取り入れたら如何ですか、と提言しましたもう一つの根拠は、エドガー・ケイシーのリーディングで、「電球として使った竹のフィラメントの燃えカスには、エネルギーが閉じこめられているので、それを服用すると身体にエネルギーを与えることになる」という内容のものがあったからです(コピーを同封)。また、ケイシーは多量の肉食からもガンが生じるとも言っています(コピーを同封)。また、健康のために毎日、多量の水(1リットル以上)を飲むのが良いとも言ってます。それで、私は毎日、会社で、1リットルのウーロン茶を飲んでます。もう、3年飲んでます。

でも、何故Sさんは10月2日(水)のザ・ベストテンスペシャルで変だったのでしょうか。それとも、もしかしたら、最近、幸福の科学がSさんの所へ色々と送って来ることと関係があるのですか。色々と考えてしまいます。でも、Sさんが変だったことに関して私は何も感じてません。この事を考えてみると、これは神試しなのでしょう。ならば、Sさんが変でも、私の方は、変わりがないという状況を維持すべきだと判断しました。あるいは、私の、第2オクターブの話が負担になっていたのでしょうか。それならば、どうぞ無関係に行動して下さい。私の事など気になさらずにいて下さい。私は単なる1ファンですね。立場的に、傷つくのはSさんにならざるを得ません。ならば、私はSさんの会社に入るという可能性を考えています。Sさんの会社に入れば、Sさんに会う機会も増えるのでしょうね。このことはMOREのインタビューを読んでて気づきました。でも、やはり、自然にしてるのが一番ですね。

私の場合、何もかも通常と逆になると言うパターンばかり出てきます。たとえば、普通、視聴者は受け身の立場ですが、私の場合、能動的な立場です。

今日、10月10日(木)にカレンダー受け取りました。ありがとう。御写真を一目見て分かりました。テーマがはっきりしていることが。思わず、ページをめくるときに指がふるえてしまいました。

10月11日(金)のM.ステーション見ました。皆皆様お元気で何よりです。

それでは、お元気でお過ごし下さい。失礼な点があったら、お許し下さるようお願い 致します。


                                      1991年10月12日10:43
                                            〒359 埼玉県所沢市[中略]
                                                      菅谷織春(明夫)



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