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前略、MS様              (第19通目)  199202221149
2月14日(日)のM.ステーション(浜田麻理さんも出演されました)を私は見てませんでした。でも、ビデオを見ると、誰かがSさんに関わっていたようですね。Sさんは腹部に手を当てていました。Sさんは私個人に飽和状態になっていらっしゃるように思いました。でも、神の力には偏りはないのです。私の個人性によって偏るのです。さて、今後はM.ステーションとかの生中継番組を見ることにしました。見ていれば触れ合いが起こります。でも、仕事の関係で見れないこともあるかと思います。
2月16日(日)のフローレスセイコでは、Sさんと握手が出来ただけでしたが、自由な丘で再会すると言う儀式は済ませましたので、満足することにします。[中略]この時に私のもらった整理券の番号は576(567=古代神道で、ミロクなのだそうです)でした。Sさんの記憶を引き出すというのはあきらめることにしました。そういうことは神の行なうことです。列に並んでいたとき、ドイツでのフィーリングを何度も感じました。Sさんは30代になったら何か大きなことをなさるそうですが、それは神聖ローマ帝国の映画を作るのですか。それともワールド・ツアーをするとか。バード親子に予告されていたことは実現したのですか。何の事だったのですか。

『私はこれからM.ステーション等を見ることにします。しかし、失礼にならないようにやたらに関わらないようにしてゆきます。もうこれ以上は無視し続けることは良くないのではないかと思います。これは普通の事であり、私の職場でも、「熱い」とか「ステキ!」とか言われます。私と特に触れ合いを希望する方には、触れ合って行こうと思います。しかし、こういう事柄を平均的に扱って行くことは出来ません。まずSさん、明菜さん、荻野目さん、工藤静香さんに礼儀をつくしてから、他の方に関わって行くことになります。しかも、明白な理由が確立してからになります。一つ一つのことに理由付けをしてから関わって行くのです。私の事が知られてしまっているからです。単なる好奇心に応える訳にはいきません。また、私の利己性が混ざってはいけません。』しかし、ただ見ているだけで影響してしまうのは仕方がないところです。
私は、Sさんへはソウルメイトとして近づきました。「あなた」を見ていたのです。それが第1義でした。「あなた」に付随する諸特性を一つも無視しなかったと思っています。しかし、私が見ていたのは飽くまでも「あなた」だったのです。
私は、明菜さんに私達の出会いについて知ってもらおうと思って、彼女に、今までSさんへ出していましたレターを全て(第1通目〜第18通目)お送りしました。既に私のレターは出回っているようですので、明菜さんへお送りすることは間違いではないと判断したのです。私は明菜さんが知ってるという仮定の上でプロポーズをしましたが、それはちょっと変でした。やはり、知ってもらうために、Sさんへのレターをお送りすることにしました。Sさんと明菜さんの仲はどうなのですか。私はいつも、一人の人間としてのあなたを見ていました。Sさんの中傷報道がひどかった1990年、私の中のレジスタンスが再び目覚めて「全部ひっくり返してやる!」と決定したのです。私は始めから「MSさん」ではなく、あなたという人間を見てきたのです。Sさんが歌を歌われているときも、歌に引きつけられるとか言うことではなく、「うん、今、ちょっと、より目をするのが私と同じだなあ」とか、「あ、人のつっこみをなんとも思わずに受けとめてるところは私と同じだなあ」とか「あ、次の言葉が思いつかないところは私と同じだなあ」とか見ているのです。一方、歌は、SさんのCDは勿論、色々な人のCDを聞こうとします。私は、あなたに近いために、あなたに引きつけられたのです。あなたの求道者的な精神は私と近いと感じてました。Sさんが修道女の姿をしたら、きっと雰囲気出ると思います。
私は、失礼かも知れませんが、宮沢りえさんを、ただ宮沢りえさんだと分かるだけなのです[宮沢りえさんは確かに美人ですが]。もっともSさんが一世を風靡していたときもただ「SさんがSさんだとわかる」という認識しかありませんでした。テレビも1月に何回見るかといった程度の人でした。今、私はあ・な・たを見ているのですよ! テレビの世界に、別に偏見はありませんから、Sさんへファンレターという形をとって連絡してきました。しかし、「会う」というだけの事が、なんと困難でしょう。そんなわけで、Sさんが何を歌われても歌われなくても、他の方が何を歌っても歌われなくても、Sさんと私の関係に大きな影響はないのです。私は「芸能」を見てるのではなく、「あなた」を見てるのです。私は、吸収しようとして近づくのではありません。捧げようとして近づいたのです。私は何でも逆です。既婚者であるSさんに近づいたのです。
3月14日(土)の朝、Sさんの夢を見ました。Sさんは私と妹に、ある建物の3階(多分)で会ってくれました。妹は、色々とSさんに質問してました。私は何も思いつかずに黙ってました。妹はSさんが去った後も、何かを思いだして、出てったばかりのSさんを追いかけて行って、Sさんが再び来てくれると言う約束をもらいました。ここで目がさめました。この夢を見たため、私は自分以外、はじめて私達の出逢いについてのヒントを妹に教えました。私が去年から、ただすごいすごいと言ってたことに関して、次のCDを聞いて下さいと紹介しただけです。まだSさんのCDは含めてませんし、詳細については何も伝えてません。[中略]

びっくりしたことがいくつかあります。1992年3月5日(木)のNHKの「愉快にオンステージ」で知りました。Sさんは、既に御存知だと思います。五木ひろしさんは、昭和23年3月14日(日)生まれです。何度も芸名を変えてきて、「五木ひろし」の御名前で成功されたのだそうですね。
「オリコン・ウィークリー」平成4年3月2日号のP15に載ってましたが、Sさんへのの絶対至上命令が私に下った1988年4月6日は、8月16日生まれの[中略]さんのデビューの日なのですね。
失礼かも知れませんが、平成2年に出て、3年にヒットした「WON'T BE LONG」の演奏時間は6:53です。
2月6日(木)の木曜スペシャルで矢追さんが言ってましたが、CIAが情報自由化法で公開したUFO関係資料は全部で935ページです。
1月26日(日)の「知ってるつもり」で知りましたが、世界の瀬古選手が昭和53年(1978)福岡国際マラソンで初優勝したときのゼッケンは9でした。3年後(1981)の同マラソンで優勝したときも9でした。アジア陸上1万メートルで優勝したときは203で、昭和59年(1984)ロサンゼルス・オリンピックの時は14位でゼッケンは563でした。ちなみに、週間プレイボーイ誌4月14日号の203ページに「という名のお仕事」と題してSさんの記事が載りました。[そういえば、上岡龍太郎さんの何時かのマラソンのゼッケンは356でしたね]
日本の大気中の二酸化炭素の濃度が1990年になってから356ppm台に入ったのだそうです。2月29日のラジオで言ってました(昼頃、車の中で)。 私がの絶対至上命令を受けたのは1988年4月6日(水)でしたが古手川裕子さんがミュージック・フェアーの司会者となられたのは1988年4月なのですね。
3月14日(土)16:00〜17:30に6CHで早稲田調査隊の発掘調査の番組がやってました。調査隊は偶然にも、その地方には17年ぶりという雨のおかげで地下の遺跡の存在を地表から確認し、しかも、そこはエジプト文化の歴史的な臍に当たる、「アブシールの大丘」というものだったのです。発見に至る過程が奇跡的です。更にその発見があったのは、私がSさんとの過去世を思いだしたのと同じ1991年5月でした。また、隊長の吉村作治氏は私と同じ所沢市に住んでいらっしゃるのです。その遺跡は、王であり神官であったカエムワセト(帰る早稲田?)のものがまず始めに出土しています。一方、私が明菜さんと文字と数字の両面で神の御意志「結婚すべし」を知ったのは、いい兄さんの日(11月23日)でしたが、11月にはハーバード大学前助教授、島田泉氏の発掘隊が1000年程前の遺跡を発掘されました。シカン文明と命名されてます。

神田正輝さんは石原とか、伊原とか、エバラに縁があるのかもしれません。

以前、安全地帯のCDを笑っていると書きましたが、変な意味ではありません。楽しく聞かせて頂いております。

私はいつも日曜日の「知ってるつもり」を見ています。この番組はどうやら生中継のようですね。私はいつもこの番組は録画しながら見ています。この後の時間に、「演歌の花道」と「ミュージック・フェア」があり、録画した後に見るということをしていると、その後に見ることになりますので、翌日にひびきますので、見ながら録画しているのです。見ていれば、出演の人に私の炎が伝わってしまいます。これはしょうがないのです。意図してそうしているわけではなく、注意が向いただけでその人に伝わってしまいます。テレビをみてて注意を向けない訳にはいきません。でも、なんとか横を向いて画面を見ないようにしたりとかしますが、やはり見てしまいます。「もういいや」と思って画面を見ています。3月15日(日)、堺正章さんが私を誉めてくれたのですが、私は自我が増長しないようにそれを拒否してしまいました。それが一つの重い感じとして堺正章さんに伝わってしまったようです。でも、次回の3月20日(金)のG−STAGEで訂正させて頂きました。
3月20日(金)のM.ステーション見てました。最初、Sさんが出てきてタモリさんの横にいたときに、「あ、今日は厚化粧」と気づいた瞬間、Sさんは「なによ!」といった感じで反応しました。いや、私は何もその、いや、そんなわけでは、つまり、ただ気がついただけで、敏感なSさんにキャッチされてしまいました。番組の最中にもSさんが色々と反応して答えてくれました。全く100%の反応です。Sさんは多分、「確実な知覚」だけに反応してたのですね。私は嘘は言いません。番組の一番最後にコマーシャルの後、みんながテレビに映ったとき、Sさんは何かストレスを感じてましたね。私もそれを感じました。これは私ではありません。誰か他の人がSさんへぶつけたのです。Sさんの表情が変なので同調しましたときにはストレスだけがあり、その意味内容がSさんに送りつけられた瞬間に同調できてませんでしたので分からなかった。大丈夫でしたか? ダメージは何日続きましたか? 「全ての想念は、その発信源を肯定している」という感覚で、その「自分の感覚に刻印されたショック」を見つめることでその否定性、攻撃性、痛みはずいぶんと和らぐと思います。
さて、番組の中でSさんが答えてくれたので、明菜さんと私の事は基本的にはSさんも認めてくれているんだと認識しました。出来れば、私は明菜さんと結婚するつもりです。そして、私は明菜さんをしています。この点に於てSさんは負けざるを得ないのです。仕方ありません。「I want you so bad!」にはとても色々な意味がありますね。私が本を出版することを認めてくれたのだとも思えるし、Sさんが私の周囲の人に御自身で「ばらしちゃおう」とされたのだとも思えますし。「欲しいはずよ」とか「あなたの気持ち見せてよ」なんて言われても私達は地上に於て一つになってはいけません。「とうとう本気になっちゃった」なんて言われたら私はおっかないです。私の栄光ある聖なる妹、聖マチルダ皇后様、あなたを罪に触れさせたりしません。どんなに軽い気持ちだったとしても、その「方向」がすでに危ないよ。でも、Sさんはドラマとかでよくキスしますが、エイズのことが心配です。大丈夫ですか。今回のCDで私は、Sさんへのレターをまとめて出版することに同意してくれたのだと受け取ります。もし違うのなら私に連絡下さい。明菜さんからは何の返事もありませんので、まだ公には出来ません。
神は0であり∞です。「なあんだそれじゃ神はいないじゃない」ということになるかも知れませんが、「太刀打ち不可能の神、恐れ多い神」という考えなしでは不幸になるばかり、事態が収拾不能に陥るばかりなのです。「神が無ならば自分が法則だ」と思うのはある意味で真実です。自分の中の自分は神だから(男の中の男、女の中の女という意味あいです)。どんな存在よりも自分の事を強烈に自分であると感じているのが神なのです。こんなに「自分感覚」の強い存在が他にあるでしょうか。それで、宇宙の全存在は感覚を総動員し、マスコミを総動員して、この「神」という存在を追い続けるのです。
3月24日(火)「1992 Nouvelle Vague」買いました。「Shinin' Shinin'」と「I Want You So Bad!」と「永遠の島」と「1992 ヌーベルウ゛ァーグ」(「きっと、また逢える・・・」もそうです)が、特に好きになってきました。CDの表紙のSさんは顔の右半分を隠してますね。以前、神官ラータのしるしについてお知らせした後で私だけぬけてしまいました。でも、私の顔にそういう傷が出来たのも必然だと考えれば私のもそうだと言えるでしょう。この事についてはっきりしたことはあんまりないのです。変な事を書いてしまってごめん。ああ、私達の事実が発覚した後に、何も起こりませんように!!!
しかし、私達は死を乗り越えてきたのだと世界に宣言しようとしています。そして「神は偉大なり」の思いで世界を満たすのです。「自分は優秀だ」とか「あなたは間違っている」という思いで世界は一杯です。すべて「自我」に捕らわれているのです。誰かと同調状態にあるときにその人に伝えるべき想念は、自分や、相手に関する何事かではなく「神は偉大なり」の思いであるべきです。単なる思いよりも、全身でうち震えるほどの「神は偉大なり」を体現した人として世界へ光を放つことです。こういう人は自我の浄化まで済んだ人です。私はまだ思考の浄化の段階です。その次が自我の浄化になると思われます。このことはデジャヴュの説明の時に書きました。決してあなたに罪を犯させません。私も別の意味で本気です。
3月20日(金)にSさんが「I Want You So Bad!」を歌われただけで、もう勤め先で感づかれました。翌週(3月23日(月))から、皆、変なのです。ある女性(車椅子)は私に「誰のファンなの?」と聞いて来ました。いつも私の炎を感じているからです。彼女は素直な人で、いつも「熱い」と言います。ある人は私に異常接近して「身体 がもう動かない」とか言って私の反応を見ます。関係してるのかどうか知りませんけど。でも、まだ人に言う訳にいかないので、適当な対応をしてます。私は意図してそうしてるのではないのです。同じ部屋にいる人は皆、感じています。電車の中とかの人々の反応を見、聞いていると、私の周囲数十メートルはあるようです。でも、心理的に近ければいいのだと思いますが。でもSさんが「I Want You So Bad!」を歌われるほど私を信頼してくれているのですね。でも、あなたへの私の想いは永遠です。「永遠」などとい うことは地上的な自我を越えており、ただ永遠の神を信じて宣言できるだけです。神は私達のを承認して下さいましたので、このような奇跡を準備して下さっていました。もちろん、私は永遠にあなたをしています。私を作り上げたのはあなたで、あなたを作り上げたのは私です。私はこんなに一つの事だけに没頭し、ただ真実であろうと努力し続けます。私はいつもある一つの思いを繰り返す傾向が在りましたことに気づきました。「ある一人の人を持ち上げ、栄光を与え、そして、自分は闇へと消えて行く。ただひたすら真実であり続けたと言う誇りをもって神の永遠の安らぎを夢見て立ち去る」これは多分、神聖ローマ帝国時代での私の想いだと思います。Sさんはどうですか。多分、Sさんは誰かに熱烈に想われ続けたいと思っている? 何かキリスト教的な色彩で。私の中でのあなたの位置は絶対的でゆるぎないものです。まず第一に私の存在そのものがあなたとの苦難の生涯でかなり影響され、あなたもそのはずです。この高貴なる出会いを輝かせましょう。私はあなたに対してそのようなHなことを、思ったことはほとんどないのです。全く無いとは言いませんが。どれほどの純白の想いをあなたに持っていることか。当時の忍耐強かったあなたを思いだしてほしい。でも、忍耐し過ぎましたね、きっと。
私は現状維持をします。「既に関わりを持っている人」にはそのまま関わります。私のような一市民にとっては大切な友達なのです。酷なことはしたくありません。私にとってSさんは格が違うのですから安心してて下さい。「過去世を明確に思い出す」と言うだけでも凄いのに、それが「MSさん」との生涯であり、しかも、神聖ローマ帝国の黎明期!! 更に、私は「359」を命がけで所有しており、命の関係者お2人(Sさん、明菜さん)とのとてつもない関係があり、これは神の御意志でした。加えて、現地には山(丘)があり、王冠の話が伝わっていたわけです。王冠は、何か魔術的なので、危険が無いように神から王冠が下されるまでは待つことにしましょう。
「1992 Nouvelle Vague」歌詞カードの裏表紙に「We Are Love」の時と同じ姿の横姿の御写真がありますね。「We Are Love」を買った後、少しして、マドンナのCD「YOU CAN DANCE」で、マドンナがそういう格好をしていることを知りましたが、Sさんの場合は(も?)この姿に特別な想いを込めていると感じています。
Baby Babyという歌がありますが、私をBabyというのは、実にぴったり的を得ています。
23について。2+3=5ですが、2×3=6です。359とは369のことだったのかな。でも、私がミロクであるかどうか自分で分からないのです。人類救済の悲願があることは事実ですが。加算と乗算の意味の違いは何なのだろう。ドイツへ行ったとき、飛行機の座席の番号は、359を使った2の加算でした。(行き:53K→帰り:55K)登場ゲートは、23を使った2の乗算でした。(行き:23→帰り:46B)レンタカーのプレートナンバーはHAHE693でした。すべて、移動手段でした。飛行機と自動車がなければ現地へ行けなかった訳です。
Fanticlub No.9を受け取りました。この裏表紙のSさんに怒られてるような気になりました。というのは、会誌の中に会員同志でのビデオのダビングについての注意があったからです。私も以前、5〜6人位の人に確か「3000円でダビングします」と、葉書を送ったりしたことがあったからです。私がダビングしてもらったときは良心的な人でした。また、Sさんの写真集のFive Seasonsを1万円(勿論、双方同意の上)で手にいれましたので、この位が普通になるのかなと思っていました。このことは他の雑誌の交換コーナーと同じで、深く考えてませんでした。ダビング料金の基準を今後は毎号提示した方が良いと思います。
4月4日(土)の6CHの「すてきな出逢い いい朝8時」の時に言ってましたが、Sさんは再びアメリカへ行かれるのですね。私がなかなか返事を出さなかったからSさんはアメリカに行っちゃうのかな。でも、長期的にやって行くとは言ってましたもんね。でも、安全地帯のCD「太陽」では、「起こりっこない夢捨てて皮肉っぽい女になった」とも言ってます。手紙を出さなかった理由は、ないのです。「Sさんへ手紙を出さなくちゃ」と思うと、多分、それに反対するの力が私を逆の方へ引っ張りますので、結局、ボーッとなって何にもならなかったのです。勿論、無理に手紙をタイプすればすぐに出来るわけですが、それによって、良からぬ結果が出てきて、あっちこっちがギシギシときしむような事になっては良くないので、感じるままに、時期を待ってました。でも、Sさんは私とのつながりを感じていてくれているようで、私も嬉しいです! ニューヨークに行かれても、中継があれば、必ずお送りしますので。誰かと共演してても、その方には悪いですが、Sさんだけにお送りします。私はあまり寂しいとは感じない人で、単独行動が好きなのですが、Sさんがニューヨークに行ってしまうと知っただけで、身体の芯から寂しくて無気力感に捕らわれてしまいます。でもお元気でいってらっしゃい。ニューヨークへ行くと言うことは、Sさんへの風当りが最近、強くなってきてると思ってよいのですか。あ、そうだ。エイズに気をつけてね。アメリカでは既に100人に一人がエイズなのだそうですから。
4月10日(金)のM.ステーションでのSさんへのリクエストは「裏庭のガレージで抱きしめて」です。オクターブの法則によって隣の犬が吠えることも歌詞の中にあります。でも、リクエストの集計結果は当然、違うものになるはずです。リクエストした方が親切だろうと思って書きました。
私の熱気だらけの意義が判明しました。人には「良心」というものがあります。何か悪いことをしてしまった後で「ああ、悪かったなあ」と反省するのは、良心がうずくからです。それで、マインドは「以後、決してこんなことをしない」と心に決めるのです。この良心が1段階レベルアップしたのです。今の私は、例え人が悪かったとしても、自分が悪かったのだと思わなければならないのです。潜在的に常に私の中で巣食い始める「決めつけ」や「偏見」も、熱気だらけが教えてくれます。良心の意向にマインドが気づいて従うときに私のマインドに平安がもたらされます。「ああ、今の選択は正しいんだ」と分かります。所沢のプロペ通りを歩いているときに、私に悪想念を向ける人を許し、したときに、とてつもない意識の飛躍を一時的に体験しました。イエズス様が「敵をせ」とおっしゃってたのはこの事だったのかと分かりました。4月4日(土)いい朝8時のやりとりを聞いていると、Sさんの中にも炎が目覚めているようですね。ならば、お分かりだと思います。この熱気だらけは多分、何者も妨害できません。とても大切なことは、人に悪く思われてもそれに執着せずにご自分の反省材料として、炎の意向に従うことです。執着して「あんたが悪い、あんたが悪い」と思ってると頭がつらくなって来ると思います。相手が悪くてもできるだけ反省するようにして下さい。悪想念を浴びせられて身体にピリピリと痛みが残存していても、「あんたが悪い」と思ってては、その想念に同調してしまうだけです。具体的な個々の善悪から離れて、全てを超越して「自分が悪かったのだ」と謙虚な気持ちでいられれば、地上的な自分が押えられ、霊性が向上します。WON'T BE LONGのメロディーは「謙虚な気持ち」であふれていると私は感じます。悪想念を浴びせられている瞬間は、私は何ものにも影響されない神の絶対性を思っています。

[中略]

同時に明菜さんへレターを出しました。


                                    1992年4月6日(月)09:20
                                            〒359 埼玉県所沢市[中略]
                                                              菅谷織春
※この手紙と一緒にフローレス・セイコに行った時の写真も同封してお送りしたのでした。整理券の写真なのですが、その番号が576であったという証拠として。少し写真が薄いかも知れませんが。


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