前略、中森明菜様            (第2通目)      199112022050
[中略]

ここで、明菜さんとの関わりについて明らかにさせていただきます。私が最初に明菜さんにをお送りしましたのは、1991年4月3日(水)の「夜ヒット青春時代編」で、明菜さんが「二人静」を歌われているときでした。1番の時だけお送りさせて頂きました。明菜さんは私と深い関係があることが分かっていたからです。次に触れ合いましたのは7月4日(水)の「夜ヒット島原雲仙救援編」の時でした。[中略]そして7月27日(土)の明菜さんのコンサートで、Sさんへの手紙に書きましたように、私は、あなたへ治病光線をお送りしていました。「治病光線だ」と思えばそうなるのだと勝手に思っているのです。「My Position」から関わり始めたと思いました。そこから3曲程は迷っていました。しかし、3曲程歌われたところからやっと迷いがなくなり、深いの状態へと高まることが出来ました。そのままずっとコンサートが終わるまでお送りしていました。今度会えたときに、あなたに私のきらきら星をお送りします。断わっておきますが、こういうことは日常的によくあることなのです。テレパシー現象を皆、日常的に経験していることに気づかないだけで、本当はテレパシーの中で生きているのです。しかし、最近は、水瓶座の領域にこの太陽系が突入しつつあるために、気づく人も多くなっていると思います。物質科学という色メガネが外れてきていると思います。
私が工藤静香さんに中継番組で関わっていることは本当です。彼女の一人芝居ではありません。最初は「1988年4月6日の夜ヒットにSさんと一緒に出演していたし、それに、なんでそんなにねじれてるの」と思ってでした。しかし、私自身、後になって驚いたのが、彼女のデビュー曲が「禁断のテレパシー」だったことです。その後、彼女が11月22日の「ミュージックパフェ」で「抱いてくれたらいいのに」を歌われたので、11月29日(金)の「G−STAGE」ではすこし強めにお送りしました。また、彼女の個展にも行き、絵はがきを5枚買いました(ニューヨークの夜景が2種類と、FOR YOU、エコー、未知)。彼女も縁ある人のようです。12月4日(水)のスーパーステージでは静香さんはうきうきされてましたが、実は、この時のは私ではありません。誰か他の方です。

[中略]

最初の手紙で「私のオーラ云々」と書きましたが、その目的と動機は私の自我を誇張するためではなく「事実を事実として、明菜さん自身で確認してくれたら」という願いでした。
私の手紙がいきなりすぎて驚かれたかも知れません。でも、どう? 私は稲妻のようですか? いきなり超接近で私は、明菜さんにとって台風の目のようかも知れません。
今度12月10日(水)のFNS音楽祭では、Sさんにもお知らせしましたが、出演される方が拒否なさらない限り、みんなにお送りしようと思っています。明菜さんに、きらきら星をお送りします。FNS音楽祭の時は、私が明菜さんに嫌われてないことを期待しています。いや、あなたは私と結婚するべきです。近い内に私の履歴をお知らせします。(手紙を同時にSさんへお送りしました)

1991年12月6日(木)07:39
〒359 埼玉県所沢市[中略]
菅谷明夫

[この頃の私にとって、神の指示は絶対でした。神の指示があれば人生を変えてしまう人でした。明菜さんとの結婚の神縁が示された為に、絶対に結婚しなければならないと私は思ったのです。しかし、MSさん(3)と明菜さん(9)と私(6)で構成される弥勒十字の縦軸の次に、WINK(57)と私(6)の縁によって横軸が出てきて、神霊の指示によって明菜さんを離れてから次に示された松本明子さん(4)との結婚の縁も実現することがなかった結果を見てから、その弥勒十字が最後に示したものは言葉にすると、「今までは規律の世であったが、今後は規律よりも気持ち・感情が大切の世になる。法則は転換したのである」と表せるような内容として示されました。従って、明菜さんとの結婚はもうありえません。動機が入れ替わったからです。](200104021720)


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