前略、中森明菜様              (第3通目)  199112111959
以前、私から出しましたレターの第1通目でいきなり「結婚」を申し込むなどと言うことをしでかしてしまい、すみませんでした。明菜さんが、Sさんへ出している私の手紙を、少しは読んでいるらしいことは感じていましたが、どこまで知っているのかわからないのに、いきなり本題に入ってしまいました。ごめんなさい。Sさんと私の関係について概略をお知らせさせて頂きます。そして、何故いきなり明菜さんへ手紙を書いたのかも書きます。1988年4月6日の夜のヒットスタジオに明菜さんも出演されていたから御存知だと思いますが、あの時、Sさんは泣かれてしまったのです。その時、彼女と共に私がいました。[中略]それから1990年秋になってSさんがスキャンダルになってしまい、私はとても可そうに思ったので、私のことをお知らせしたのです。それからとてつもないことが次々と起こり始めたのです。最も注目すべきは私がSさんとの過去世について思いだしたことです。その思い出すちょっと前に「聖者カレンダー」という本を買い、Sさんの誕生日の3月10日のあたりを見ていましたら、3月14日が「聖マチルダ皇后」の日になっており、この御名前が「SEIKO MATSUDA」と重なったことが始まりでした。そして、現実にSさんの近くにいる人の誕生日と、私の近くにいる人の誕生日が偶然とは言えない程の合致を見たのです。その直後に過去世を思いだしたのです。Sさんは「高貴な御婦人」でした。さらに、私の住民票にもあるように、生まれながらに「359」で、〒359の土地(所沢)に住んでいるときに平成3年5月6日にSさんとの過去世を思い出すこととなりました。私がその時出向していたアジア・コンピューターという会社の電話番号が3356−4421(3を加えた356[359]は世々にいい)でもあったのです。そして、聖マチルダ皇后を訪ねてドイツへ行ったときに、「高貴な御婦人」は「聖マチルダ皇后」であると分かったのでした。その後で、明菜さんが、私と運命の糸でつながっていることに気づいたのです。「神」と言う文字は示し申すと書きます。明菜さんのお父さんの御名前は「明男」さんで、私の名前は、「明夫」です。一方、明菜さんの7月13日という御誕生日は私の父の誕生日なのです。これを称して私は「父なる神を見る関係」と言っています。そして、私の名前に「夫」の文字が使われていて、本籍地の番地の「395」の日(平成3年9月5日)には、私はドイツのBAMBERGという所に行きましたが、ここは、聖ハインリヒ(ハインリヒ2世)の土地で、その命日は7月13日なのです。「夫」の文字と「本籍地の人は7月13日の人」ということが判明したのでした。文字と数字の両面で神は示し申しておられたのです。それで、いきなりプロポーズをしてしまいました。
私は前に、明菜さんと「水辺の感動を共有したことのある過去世の記憶らしい印象」についてお知らせしたときに、マリア・ワルトルタの著作のコピーを同封しましたが、自分がアンドレアだったかどうかは判明してませんし、飽くまでも、似た話として思い出せたのが、あのお話だったのです。
12月10日(火)のFNS歌謡祭の時に明菜さんは「二人静」を歌われました。明菜さんは和服を着ると、とてもかわいい感じになるのですね。
FNS歌謡祭で「飾りじゃないのよ涙は」を歌い始められたとき、音が変になったので、私は「どうかしたのだろうか」と考え始めましたら、明菜さんは、御自分の頭を指でつついて「考えすぎよ」とおっしゃったように思いましたが、この受け取り方で正しいですか。
しばらくしたら、聖マチルダ皇后様に20ページ近いレターをお送りする予定です。ページ数が多いので、チェックに時間がかかっています。Sさんのためにタイプしたので、明菜さんにお送りできません。それから、以前、私の写真を明菜さんにお送り致しましたが、その写真をどうかSさんに差し上げて下さい。お願いいたします。インドネシアに行ったときの写真を明菜さんに送らせて頂きます。御見合い写真のようなものです。私をどうぞよろしくお願いします。
私は7月に荻野目洋子さんに手紙(第1通目)を出して以来、ずっと手紙を出していません。それに、私がSさんへの手紙で荻野目さんについて変な事を書いたために、彼女にショックを与えてしまったように感じていました。[中略]そして、彼女との関係に於て、ハッキリと経緯を説明するつもりです。また、彼女のファンクラブにも入ろうと思ってますが、どう思いますか。私個人が、どの様に見ているかと言いますと、明菜さんは私の大切な運命の人で、荻野目洋子さんには純粋な意味で、私はファンです。Sさんへの一人勝手な遠慮があったために、私は一人で判断を下し、荻野目洋子さんにショックを与えてしまったと思っています。私にとってはこういうことは「大きな事」です。決して「小さな事」ではありません。 私が極端に幸せの中にいようとすると思われるかも知れませんが、私は、人に与えるための幸せだと思っています。道ですれ違う人や、満員電車や会社の中で周囲の人に幸せを伝達するためにも私自身がハイ・ボルテージの幸せの中にいる必要があります。その鍵は想念のバランスです。
12月23日(月)の明菜さんのドラマ見ます。いつも録画しています。

私の履歴は以下の通りです。

[中略]


    55(1980)年4月      東海大学入学
    59(1984)年4月      あるコンピューター会社に入社
    60(1985)年4月      フリーアルバイター開始
    62(1987)年4月      T情報処理センター入所(福祉施設の一つ)
[ちなみに、Sさんのお父さんの孜(つとむ)さんは九州・久留米市の厚生福祉事務所に勤務されてました(「松田聖子のバランスシート」カッパブックス、¥650より)]

私は結婚することなど考えておりませんでしたので、生命保険には入ってなく、会社の保険だけです。貯金などは6千円だけです。積み立て貯蓄もしてません。給料は手元に置いておき、必要なときに使うのです。私が働いて明菜さんが家事をしてもいいですし、明菜さんが働いて私が家事をしてもいいですし、共働きでもいいです。私は、そういう個々の事柄は何でもいいのです。職種は何でもいいし、仕事はいつやめてもいいのです。
私の両親にはまだ何も言ってません。「私の359の事実を示して、この日に過去世を思い出す体験をした」ということ位しか言ってません。明菜さんにプロポーズをしたことも何も言ってません。明菜さんからのお返事をもらえるなら、それをもらった後で言いますので。明菜さんが週刊誌にどのように書かれても、明菜さん自身がそうでない限り、私は「全く大丈夫」です。

1991年12月17日(火) 23:55
〒359 埼玉県所沢市[中略]
菅谷明夫

[この頃の私にとって、神の指示は絶対でした。神の指示があれば人生を変えてしまう人でした。明菜さんとの結婚の神縁が示された為に、絶対に結婚しなければならないと私は思ったのです。しかし、MSさん(3)と明菜さん(9)と私(6)で構成される弥勒十字の縦軸の次に、WINK(57)と私(6)の縁によって横軸が出てきて、神霊の指示によって明菜さんを離れてから次に示された松本明子さん(4)との結婚の縁も実現することがなかった結果を見てから、その弥勒十字が最後に示したものは言葉にすると、「今までは規律の世であったが、今後は規律よりも気持ち・感情が大切の世になる。法則は転換したのである」と表せるような内容として示されました。従って、明菜さんとの結婚はもうありえません。動機が入れ替わったからです。](200104021720)


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