前略、中森明菜様 (第4通目) 199201092145お元気ですか。私は、7日(火)にSさんへ10月から準備していた文章をお送りしました。全部で15ページとなりました。しかし、多分それが原因でしょう、1月12日(日)の「テレビ探偵団」でSさんに「さよなら」を言われてしまいました。私の文章が過激だったのかも知れません。それで、14日にはお別れの手紙を出しました。明菜さんは既に読んだかも知れませんが、卍に関してはUFOの基本原理の研究の観点から書いたもので、この点に気をつけて読んでほしい。つまり、単なる理論の一つなのです。Sさんには悪いことをしました。私は、Sさんに大変なことをしてしまったと感じていました。そのため、危険を避けるために、私は一切関わりを持たないようにすべきだとためらわずに判断したのです。この時以来、この、とてつもなく危険な出来事を神の御手に委ねています。こういうことがどれほど深刻な事態であるかは、私自身、高校3年の時に瞑想で失敗して死にそうになってから4年間苦しんだのでよく分かります。現代の貧弱な精神医学は使いものになりません。こういった逃れようのない深刻な事態を癒せたのは、スブドで「神の光の体験」という事実に出会ったからです。光と言っても、見えるわけではありませんが、ハッキリと感じられる事実です。崇教眞光の手かざしも有効でしたが、苦しいときの神頼みとなり、楽になると、教団という形式自体の矛盾が見えてきて、私は去りました。1978年10月に瞑想で失敗してからの4年間は筆舌につくせぬ神経症の日々が続きました。しかし、この苦しみの4年間の初期、1979年1月1日と2日の朝、順番は忘れましたが、イエズス様と御釈迦様が夢に現われて私を祝福して下さったのです。今考えるに、あの試練は意味があったんだなと思えます。ちなみに、去年の12月25日の朝には、子供の絵本の文字を目で追いながらその歌詞を歌う歌を聞いていると言う夢を見ました。神様のプレゼントだったのだと思っています[この日、出口日出麿先生が他界されました]。
1992年1月27日(月) 01:18
〒359 埼玉県所沢市[中略]
菅谷明夫
[この頃の私にとって、神の指示は絶対でした。神の指示があれば人生を変えてしまう人でした。明菜さんとの結婚の神縁が示された為に、絶対に結婚しなければならないと私は思ったのです。しかし、MSさん(3)と明菜さん(9)と私(6)で構成される弥勒十字の縦軸の次に、WINK(57)と私(6)の縁によって横軸が出てきて、神霊の指示によって明菜さんを離れてから次に示された松本明子さん(4)との結婚の縁も実現することがなかった結果を見てから、その弥勒十字が最後に示したものは言葉にすると、「今までは規律の世であったが、今後は規律よりも気持ち・感情が大切の世になる。法則は転換したのである」と表せるような内容として示されました。従って、明菜さんとの結婚はもうありえません。動機が入れ替わったからです。](200104021720)
目次に戻る.pl?jna04