前略、中森明菜様 (第5通目) 199202020200上記の時刻は本当です。意図してませんでした。あなたへの愛がどんどん深まってきました。明菜さんの大変な状況がうまく解決されて行くようにと祈っています。しかし、祈っていると言っても、この世の事柄をそれに頼らないで下さい。私が祈っただけでは、コップ一つ動かせません。この世では「健全な、当然なる判断」に従って、合理的に行動すべきです。この世をポーカーに例えることも出来ます。神様は「この世」というゲームをしていると考えてみて下さい。「この世」には「この世」の法則があります。ツーペアーよりもフルハウスの方が強いのです。これは神様が決めたルールですが、神様もこれを守らないといけません。でないと、「この世」という(ゲームの)世界全体が崩壊してしまいます。この世ではこの世の法則を使って、行動することです。例えば「物を所有する」ことは霊的には不健全に陥りがちですが、地上的には、「安定した生活」となります。物をいくら所有しても、本人が大丈夫なら良いのです。この世では、物を沢山持てば持つほど良いのです。人により、霊的には危険な状態に近づきます。この世では人間は別々です。意識においては一つです。物質的には別々なのです。従って当然の如く、所有するものも別々なのです。日本には「おごる」という習慣があります。これは、「私は何一つ所有してない」とか「あなたのためにおごってあげたい」という内容の自己表現です。確かに感謝の気持ちで「おごる」ことがありますが、しかし、地上の「別個の法則」に照らしてみれば、金銭においてはすべて「わりかん」にすべきだと思います。なぜなら、お金はその人の地上的な所有物だからです。所有物ではあっても、霊的に健全であれば、金銭的に困っている人を助けたりすることはすぐに出来る事なのです。だから、どんどん「健全に所有」すべきなのです。私も、どんどん所有し「神のため」にお金を使います。本当に感謝の気持ちがない限りは、私が人におごることはめったにありません。そうやって私は「お金の使い方」=「人間性の証明」という公式に挑戦しています。今では、これは実は人間性の弱さを示しているように思います。弱さの公式に従うつもりはないからです。「人におごらざるを得ない」という弱さです。合理的に考えれば、すべてわりかんです。自分の物と人の物を区別するからです。しかし必要ならば全財産を人に差し上げることも出来るのです。私個人は今、以上のような考えです。
明菜さんの準備が出来次第、明菜さんとお逢いしたいと思っております。
1992年2月10日(月) 00:27
〒359 埼玉県所沢市[中略]
菅谷明夫
[この頃の私にとって、神の指示は絶対でした。神の指示があれば人生を変えてしまう人でした。明菜さんとの結婚の神縁が示された為に、絶対に結婚しなければならないと私は思ったのです。しかし、MSさん(3)と明菜さん(9)と私(6)で構成される弥勒十字の縦軸の次に、WINK(57)と私(6)の縁によって横軸が出てきて、神霊の指示によって明菜さんを離れてから次に示された松本明子さん(4)との結婚の縁も実現することがなかった結果を見てから、その弥勒十字が最後に示したものは言葉にすると、「今までは規律の世であったが、今後は規律よりも気持ち・感情が大切の世になる。法則は転換したのである」と表せるような内容として示されました。従って、明菜さんとの結婚はもうありえません。動機が入れ替わったからです。](200104021720)
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