前略、中森明菜様          (第6通目)    199202182220
お元気ですか。今回、私の思考がクリアとなり、明確な導きを受けたのです。今回、「忍耐」についてお伝えしたいと思うのです。
さて、「一番大事な事」とは何でしょうか。それは「自分」です。人生が終わりに直面し、「死」に直面した人はこの、「とてつもなく大事なこと」=「自分」に気づきます。語弊のないように申し添えますが、「本当の自分」「神なる自分」の事です。時として、神なる自分の指示により、身を捧げてしまうこともあります。「一番大事なこと」=「自分のこと」です。にもかかわらず、人は、他の人に関心を持ちすぎて、その人を変えようとして怒りまくるのです。勿論、どんどん怒ればいいのです。しかし、そのパターンにも限界が来ます。「自己探求」の途上で、そんなに人の事に関心を持つ無駄さ加減に気づきます。そして、大事なこと=自分のことを追求し始めます。人はもっともっと自分自身に関心を持つようになり、周囲の出来事に引き込まれなくなります。つまり、以前だったら、相手に関心を持ちすぎて、その人に対して怒ったりしていたのに、自分に関心を持つようになってからは、その出来事に直面したときの自分を、苦しいながらも観察し、やがて周囲の出来事に執着していた諸力を悟るようになります。それからは、同じ事に直面しても、そのような出来事からは段々と自由になってきている自分を発見します。このようにして人は、地上的な執着から離れて行くのです。ブッダは、苦しみ=執着であると説きました。[中略] 自分の思うとおりに人を変えることで自分の幸せにするという、外部に依存した精神構造そのものが苦しみのもとです。また、「この世は幻である」とも言います。これは相対的な表現です。本当に大事なこと(自分の事)と比べたら浮世のことなど取るに足りないものとハッキリ感じられると言う事実を言っています。私の思うに、明菜さんは「芸能」の浅はかさをハッキリと感じていると思います。そして、霊としての高貴な明菜さんは目覚めを希求してるように思いま す。本物を求めているのですね。
人間は絶対的な基準「神」によってものを考えるべきだと私は思うのです。というのは、人間は集団になるとおかしくなるからです。その点、明菜さんは強く、真摯な態度を感じます。明菜さんは集団などでおかしくならない人だと感じます。私は、こういう明菜さんの真摯な霊性を大変に尊敬し、しているのです。私は、こういう、本物を求める明菜さんも大好きです。人間は、「社会的な評価」によって左右されたりします。つまり、昨日までの心からの友人と思っていた人が、ある社会的なデマに動かされて翌日から態度が急変したりします。私はこういう出来事が信じられない気がします。彼らは本当に人間なんだろうかと思うくらいです。というのは、「自分」がなく、社会によってあっちこっちと動かされるからです。でも、何故、社会的な評価を事実とすり替えてしまうのでしょうか。絶対的な基準なしでものを考えているからです。「最も大切なこと」とは何でしょうか。それは「自分の事」です。これは利己主義の事ではなく、本当の自分の事です。自分の事とは何でしょうか。それは幸せの事です。絶対的な見方として、例えば「誰もがその人なりの幸せを追求する」という絶対的な見方、基準が全ての人にあれば、話がこんがらがることも少なくなります。これは例えばの話です。言いたかったのは、社会の評価などに動かされる人が多すぎると言うことです。多少は動かされることは仕方がないのだから、間違いに気づいたら方向転換すればいいだけの話です。私は人をイメージや偏見で見ないように努めてきた人です。そういう努力を長年やってきてるので、ほとんど皆が同じに見えます。宇宙人も地球人も同じに見えます。結構、宇宙人あるいは、宇宙の仕事をしている人は(時々電車の中で、私のそばにやってきます)プライドが強いです。
一見、えらそうな人はよく、「もっと現実を見ろ」などと言います。しかし、「現実」とは何でしょうか。それは、「最も大事なこと」「見逃せないこと」です。つまり、「自分の事」なのです。一生涯、人の言う「現実(社会的なもの)」に生きたりすると、自己発見が遅くなるかも知れません。死の瞬間に人生のパノラマを見たとき、「無駄な時間を過ごしてきたものだ」などという感想を持ちたくはありません。こんなにとてつもなく大切なこと(自分、)を見逃さないで! 例えば「社会的な評価、イメージ」というものが大事になるのは(芸能界の方のように、それが仕事として成立している場合を除いて)、そういうイメージに自分自身の幸せが立脚しているからです。外的なものに依存する精神構造だと、自分以外のものに一生懸命になるという事になってしまい、時間の無駄使いです。人から自分自身のイメージを壊されたりしたときを例としますと、実は、その瞬間が「選択の瞬間」なのです。壊した相手に興味を持ち、しすぎた結果、その人を変えようと躍起になる(相手の非を責める)か、あるいは、イメージを壊されると言う事実に直面したときの自分の反応に興味を持ち(地上的な事を離れてもっともっと神をするために)、そういう社会的な評価にくっついて離れない自分を悟り、以後、そんなものに興味を持たないと誓うか、という選択です。後者を選ぶ人はどんどん自由になって行きます。聖母マリア様もマリア・ワルトルタの著作(いつか明菜さんにもお贈りしたいです。お金が次のボーナスで入ったらお送りさせていただくつもりです。私も本は1200冊位持ってますが、その中でもこれは最高の芸術です)の中で言ってます。この世の力はマリア様に触れることはなく、かえって苦難が多ければ多いほど、その心は高みへと登って行ったのであると。「忍耐」とは、こういうことです。嘘の自分(地上的な諸力)を関心(例えば自分のイメージ等)の向くままにさせているのは、人生の無駄と言うものです。それらを「忍耐」によって押さえて「自分」を観察します。以後は影響されることのないようにと。しかし、地上的な諸力は、地上的な自分の事ですから、生きている限りはこれらの力の作用から自由になれません。ただ、その働きを正しく適当な水路に流して、使いこなす道具とする事が出来るのです。もはや、それらは「自分」などではありません。例えば、「自分のイメージ」を以前は、自分光線が当てられて、あたかも自分であるかのように錯覚してましたが、悟ってからはそんなものが自分とは感じなくなります。「忍耐の道」によって常に自分に関心を持ち続けることで「自分自身の発見」という果実がもたらされ、実りある人生となります。こういう風に、いちばん大切なことを追求し続けることが「最も現実的なこと」です。いままで自分だと感じていたものが自分ではないと分かって行くのです。「忍耐の道」はオールラウンドです。今までと全く外形は変わらないのですが、興味の対象が常に自分の反応にあると言う点で全く違います。「実りある人生」とは、繰り返さない人生です。ある事柄に直面できずに逃げて引っ越したりすると、引っ越した先で同じ運命が待ち受けています。そういうことをしないでどんどん自分を理解して、「分かる」ことが実りある人生です。「分かる」というのは、「本当の自分(自分光線の源)」と「(自分光線が当てられた)地上的な諸力」が分離することです。分離した結果、地上的な諸力(例えば、「考える力」)は道具となります。「考える力」が自分だと感じている人は知的なことが自分であるかのように感じています。しかし、「分かった」人にとっては、考える力は「単なる道具」となります。必要に応じて神のためにフル回転するだけの話です。私は思うのですが、芸能の方は目だつのですから、人類のお手本として霊的真実を体得し、機能すべきだと思うのです。
「女性自身」誌の3月3日号の明菜さんの記事を読んで私は戦慄を感じました。「僕のせいで・・・」と感じてしまったのです。私は我に返って深く反省しました。私は人類啓発のために昔から色々なことをしてきましたため、今回の事も、そのためにはSさんの記憶の復活が不可欠との判断で彼女へアクセスしており、自分の事を忘れていました。私はよく、社会的な個人としての自分を忘れる癖があります。会社の作業日報などの名前もよく書き忘れます。自分を神の道具と認識しているためです。そのため明菜さんをもしかしたら、悲しくさせてしまったのかも。ああ、ごめんね。明菜さんがとてもしいです。そして、深く反省しているときにクリアーな思考が私の頭脳に展開し、それ(上記の部分)をタイプしている途中に誰かから電話がありました。もしかしたら明菜さんですか。
明菜さんに2月16日(日)のSさんとの再会を報告します。何もかも報告するのは、私にとっては、善意の表現であることをご理解下さい。Sさんは完全に「MS」として機能しており、私は会うことさえおぼつかない立場なのでそれは諦めました。「自由な丘」で再会すると言う儀式はすませましたので、思い残すことはありません。Sさんはもうすぐ帰るところで、とりあえず残りのファンの人全員と握手だけをし始めました。私は後ろの方におり、Sさんとお話をしようとしたら、係の人が「すみません、時間がないので」と言いますので、私はそのまま帰ることになりました。彼女に会ったとき、「菅谷と申します」といいましたら、ただ挨拶がわりに「あ」と言って、目をつぶりました。目をつぶったのは、私が目をのぞくようにして握手したからだと思われます。でもSさんとお話をしようとして、約束の、「"彼"の手紙の実物を見せる事」も、彼女は私に気づかない風でしたし、時間がないと言いますので、そのまますぐに離れました。結局は、ただ会って、店内で1回握手をしただけです。
今まで私がSさんに送っておりました手紙は既に多くの方が読んでいるようですが、明菜さんはどうなのでしょうか。全部お持ちですか。それとも全然知りませんか。既に流通しているのですから、明菜さんにお送りすることは間違ったことではないと思います。それとも、そんなことをすると明菜さんに失礼になりますか。でも、明菜さんには経緯を知ってほしいので、お送りします。
明菜さんは何故返事をくれないの? 何か私に関して不安要素がありますか。私は彼女はおりません。今までも彼女と呼べる人はいませんでした。単に知人どまりでした。でも、結婚の話をしたことはあります。私は本当に明菜さんと結婚するつもりでいます。その他に、ここに文章にすべきことはありますか。他には何が不安ですか。明菜さんはタバコを吸い、お酒を飲みます。私は両方とも無縁です。私は人をイメージや偏見で見ないようにしようと努めてきた人なので、今では、誰もが生身の人間にしか見えません。しかし、そういう社会的な感覚、イメージ等を仕事としている人には、勿論、イメージを尊重しようと逆に努めます。
明菜さんがタバコやお酒を飲んでも私はイメージ的なことについては全く大丈夫です。普通は、女性がこの様にしてると、男性の目から見て「勝とうとしてる」という印象があり、その動物的な感覚で反感を表わしたりするわけですが、私はそのような無自覚な反応はしませんから大丈夫です。地上的な諸力が感じることを自分の感じることと勘違いしたりしないようにしています。ただ、1つ重要な事があります。「健康のため、吸いすぎ(飲み過ぎ)には注意しましょう」というものです。テレビでの明菜さんの反応を見てて分かったことがあります。明菜さんの経てきた苦しみの体験です。つまり、総合的に言ってしまえば、ポジティブがネガティブになり、ネガティブがポジティブになるというような体験です。そのため、明菜さんの中では、統一的な原則が失われがちとなり、人が、その狭い感覚で、「悪意」と見るような善意で行動したりするため、よく誤解されるのではないでしょうか。そのような複雑な性格となった原因は明菜さんの完全主義ですね。明菜さんの霊的な完全性は明菜さんの肉体を圧迫していますね。明菜さんは2年に1回位、身体が痺れるそうですね。去年のコンサートの時の女性誌の記事の中にありました。私も以前、急いでいたとき、急激に激しい運動をして、そのまま電車に飛び乗って、息苦しくても「修行になる」と思い、平然と電車の中で立っていましたら、段々身体が痺れてきてネコのように丸くなり、手を握りしめ、ついに本当に目の前が暗くなって、意識を失う寸前まで行ったことがあり(1979年夏)、この時以来、急に激しい運動をすると身体が痺れて、ひどくなると意識を失いそうになるようになりました。あなたは友人が少ないそうですが、これはとりもなおさず、あなたがこの世を離れている人だからですね。私も1978年10月に瞑想で失敗してから、完全主義的に自分で自分を規定し、制御していたため、自分自身としての生理的な限界点に達したことがあります。そのままずっとそれを維持せざるを得ないと言う状況が続き、いつも苦しい苦しいという状態でした。そんなときに今の私の入っている「スブド同胞会」で神の力とつながって、後は、完全主義を放棄しました。なぜなら、神以上に完全な事が出来る方はいないからです。神の力に何もかも委ねた後はとても幸せになれました。

感覚が地上的な諸力で満たされると、霊的な事柄がまるで何の意味もないように感じます。でも、本当は、「自分自身のこと」はいちばん大切な事で、生と死の事柄につながって来るのです。一方、感覚が天的な力に目覚めさせられると、全てがいきいきと感じ、霊的な事柄が身近に感じ、無意味だとは感じません。さて、「意味」とは何でしょうか。それは、「自分との距離」です。「意味のあること」とは自分に近いことです。「意味のないこと」とは、自分から遠いことです。最も意義深いこととは、自分自身を知ることです。

誰かがSさんに関わっていたように見えますが、2月14日(金)のM.ステーションを私は見ていませんでした。この時に関わっていたのは、誰か別の人なのです。私がSさんに関わりを持てたのは、平成2年と3年でした。23です。平成4年から明菜さんへ切り替わってきました。「女性自身」誌によると、明菜さんは最近は、飯倉のレストランパブに深夜に見えてるそうですね。でも、それはどこなのでしょう。もっと私との事を現実的に考えてみてはいかがでしょうか。恥ずかしいですが、私は神の御意志によって明菜さんに求婚しております。そうすれば、明菜さんの内面的な困苦は、解決の一途をたどること間違いなしです。私はあなたにもとても興味を持っています。もし、私が宝くじで1億円でも当選したら、あなたへの真意を示すことが出来るのですが。あいにく、私は「自分の」お金をあまり持っていません。でも、私が明菜さんに1億円を差し上げたことで明菜さんがコロッと態度が変わるのもいやですし。いや、でも、私の誠意を認めてくれたのだと解釈しましょう。私の性格としては、人間関係においては動機を大切にし、誠意をもって対応する、というところでしょうか。死んだときに、神様に「私は何一つやましいことはしませんでした」と言えるようになりたいからです。人間関係に何一つ「計画」を持ち込みません。人がどんな計画を持って近寄ってきても、その計画と彼の自由意志を尊重するため、やりたいようにさせていると、不思議です、そんな計画はつぶれることの方が多いのです。そういう利己的な計画が成就するときも ありますが、それは神の御意志と受け入れます。ただ、その悪意が成就する直前には神 様から潜在意識へのささやきとして、虫の知らせとして、どうするべきかと言う指示が下っていて気づかなかったりすることで失敗したりもします。ですので、その計画が成就するのは必ずしも神の御意志ではなかったんだなと思えます。勿論、私も、「計画」することは出来ます。そこに何の利己性も無い場合だけです。必要な計画的行動となると、ニューヨークで女スパイだったときの本能的なものが目覚めます。それは分かります。情報を一つ間違えただけで命取りになると言う警戒心はすごいものがあります。自分の所属する社会は全て敵であると言う意識が目覚めます。心の支えとなるのは、何かを命がけで守るというです。私が明菜さんやSさんとの出会いについてただの一人にも言ってないというのは、スパイ時代の能力を使っているのだと思います。私は普段は、自分の心をそのまま表現する人間でした。何か珍しいことがあるとすぐに、底がつくまで人に話します。そして、何もなくなるのです。私の心には一切「計画」の「け」の字も入れません。ですので、情報を取捨選択することはいけないと思い、損も得もなく、思いついたままを伝えます。でも、人に頼まれていたりとか、あるいは、何か理由がある時はこの限りではありません。今回の事はとてつもないことであり、私は、個体としての生理的な限界を考慮して、一切、人に話さないようにしようと思ったのです。また、この大切な事件の過程に、他の人からの悪想念を介入させたくなかったので、いまだに黙っています。でも、この多方面に渡る、否定しようのない神の仕組みの完全さを黙ったままでいることは出来ません。そんなことをしてはいけないと思いますので、いつか必ず本にします。人類啓発の一助として、ミロクの道を整えるため、月が闇夜を照らすように日本に光を投げかけようと思っています。 ねえ、明菜さんはどんな性格なの? 私は底がつくまで自分自身のデータを伝え続けるでしょう。それだけではつまらないのです。明菜さんの事を教えて。

明菜さん、私はこれからM.ステーションとG−STAGEを見ることにします。しかし、失礼にならないようにやたらに関わらないようにしてゆきます。もうこれ以上は無視し続けることは良くないのではないかと思います。これは普通の事であり、私の職場でも、「熱い」とか「ステキ!」とか言われます。私と特に触れ合いを希望する方には、触れ合って行こうと思います。しかし、こういう事柄を平均的に扱って行くことは出来ません。まず明菜さん、Sさん、荻野目さん、工藤静香さんに礼儀をつくしてから、他の方に関わって行くことになります。しかも、明白な理由が確立してからになります。一つ一つのことに理由付けをしてから関わって行くのです。私の事が知られてしまっているからです。単なる好奇心に応える訳にはいきません。また、私の利己性が混ざってはいけません。

(「時間・空間・忍耐」と題するエドガー・ケイシーのリーディングのコピーを同封しました)

何か失礼があったらお許し下さい。

1992年3月2日(月) 01:51
〒359 埼玉県所沢市[中略]
菅谷明夫

[この頃の私にとって、神の指示は絶対でした。神の指示があれば人生を変えてしまう人でした。明菜さんとの結婚の神縁が示された為に、絶対に結婚しなければならないと私は思ったのです。しかし、MSさん(3)と明菜さん(9)と私(6)で構成される弥勒十字の縦軸の次に、WINK(57)と私(6)の縁によって横軸が出てきて、神霊の指示によって明菜さんを離れてから次に示された松本明子さん(4)との結婚の縁も実現することがなかった結果を見てから、その弥勒十字が最後に示したものは言葉にすると、「今までは規律の世であったが、今後は規律よりも気持ち・感情が大切の世になる。法則は転換したのである」と表せるような内容として示されました。従って、明菜さんとの結婚はもうありえません。動機が入れ替わったからです。](200104021720)


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