明菜さんへの第17通目は抜粋だらけなので省略させていただきました。
次の明菜さんへの手紙で「最の」となってますが、これは、私が個人として最もすべきであると言う意志の表明です。Sさんへは社会的認知の極としてのが向けられます。つまり、お仕えするというです。


前略、わが最の中森明菜様    (第18通目)    199206121320
ちょっと前に明菜さんのラジオ番組がやってることをザ・テレビジョンか何かで知り、探したのですが、見つからなかったので、「FM STATION」誌(関東版、NO.13)で探してみましたら、日曜の午前2:00〜3:00の1時間やってることを知りました。でも、14日(日)の深夜の分を、自動録音(出かけていましたので)にしておいたのですが、他の番組を録音することになってしまいましたので、次回の21日(日)の02:00に始めて聞くことになりました。聞きながら録音してました。オープニングの歌で、「MY LOVE WAS FORBIDDEN」と歌ってましたが、それも大いにあり得ると思います。ずっと前に明菜さんと私はを禁じられたのかも。明菜さんは「日本の良さ」について京都の話をしてました。私も別に、勿論、日本を嫌いではありません。日本の文化は好きです。
6月28日(日)のFM TOKYOの50 OFFの明菜さんのオープニングの言葉と、話の内容を聞いて私は、顔から火が出る思いでした。やはり、いつも同調してるというのも考えものですね。ちなみに、私は性的には正常人間です。もしかしたら、明菜さんが返事をくれないのは私が社会的に認められない危険があるからですか。それだったら早めに本を出版したほうがいいかもね。

[中略]

今日、6月12日(金)明菜さんのファンクラブ「キャトルベーゼ」から会誌が届きました。明菜さんとの出会いに現われた「1/4キッス」の不思議を記念してファンクラブの御名前にしてくれたのですね。「カンナ」という御名前をキーボードで見ますと、ローマ字では丁度、「TYU」に当たっています。「月島カンナ」という御名前は、「月の島でチュッ」ですね。このように受け取ってもいいですか。明菜さんからの反応はなかなか見ることが、聞くことが出来ないので、貴重です。ポスターと写真を注文しました。明菜さんの写真を見て、また何かインスピレーションがあればと思っているのです。

実は、今日は、荻野目さんのファンクラブの会誌も同時に届いていたのです。私が荻野目さんのファンクラブに入会した報告をしていなかったと思います。すみませんでした。

今日、6月9日(火)20:12に、小さいときから感じていた私の父のフィーリングを感じ、そのフィーリングが神聖ローマ帝国の時代のフィーリングであることが分かりました。7月13日生まれの父とも神聖ローマ帝国での縁であったことが感覚によっても「確認」出来ました。これは確かなものでした。今日、6月15日(月)「素顔のままで」を見ていたときに後半のところがかなり良い感じでしたね。何か霊的に充実していたような感じがしました。後半を見ていたときに、7月13日生まれの私の父と明菜さんのフィーリングのつながり、共通項を感覚的に確認できました。人間は、昼間、活動しているときでも、眠っているときのような夢の意識が働いているのです。この、夢の意識の方で感じ、確認できました。ほぼ確かだと言えます。ただ、それは「ある種の感覚」と言えるだけで、まだ具体化出来ていません。しかし、共通項を把握し、感じて、記憶できました。再びいつか同じフィーリングに出会ったときに更に具体化出来るでしょう。明菜さんもこういう風に「人のフィーリングをふわっと感じること」はあるでしょ。ルドルフ・シュタイナーによると、これは霊的な世界でのアルファベットなのだそうです。このように色々な感覚を感じ、記憶して行くことで、霊的な世界への足がかりが出来て行くのだそうです。私はそのように受け取っています。では、「素顔のままで」の後半を見てて感じたことを何故、今、思い起こせないのかと言いますと、私の中の感覚的諸力が、それを感じた時点での同じバランスを再現しないといけないからなのです。大変に微妙なものだからです。夢を思い出そうとするようなものです。
6月16日(火)の22:20頃、FM TOKYOでの明菜さんの特集の曲を聞いていたとき、明菜さんの声質に昔の日本の感じがしました。鎌倉時代というか、まあそんな感じです。「昔の日本」というフィーリングもかなりリアルです。「千の神様、九二の神様」と描写されていると思われる明菜さんとは日本でも縁があったのかな。
6月15日(月)「素顔のままで」の次に「ワンダーランド」(4CH 22:00〜)を見まして(ビデオをお送りします)、とうとう私はぶっとびました。炸裂してしまったのです。SPARKINGです。最近、曙出版の「聖母マリアの大警告」という本で聖母マリア様が、この前お知らせしましたように以下のような事を354の日におっしゃっていたという記事を読み、滅亡の危機に瀕する今の人類への聖母マリア様の汚れ亡き御心を想像し、居ても立ってもいられない気がしてきており、明菜さんには「明菜さんの年(1992年)の、7月13日まで御返事を待っても無かった場合、出版へ向けて行動を開始します」と予告しようとか思っていたのですが、もうにっちもさっちも行きません。聖母マリア様の御言葉を再度抜粋します。

「中略」

『私の子供たちよ。実際には、はるかに短いのです。応えなさい。私の子供たちよ・・』

『応えなさい。私の子供たちよ・・・』

ああ、私は応えたい!! 聖母マリア様!!!

そして、一二三神示では次のようにも言ってます。(「夜明けの巻」第五帖)

『 何もかも神示読めば判る様になってゐる事忘れるでないぞ、此の仕組云ふてならず、云はねば判らんであろうなれど、神示読めば因縁だけに判るのざぞ。石物云ふ時来たぞ。山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、型せよと申してあらうが、いづれも板ざから三千世界の大洗濯ざから、早よ型してくれよ。型結構ぞ。何もかも神人共にするのざぞ。夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、夜明け来たぞ。十理(トリ)立てよ。七月二十八日、あめのひつくのかみ神示書。』

やはり、私達三人は「型」としての役目です。今、Sさんはコンサートで忙しいですから、このことは後でお知らせします。「カゼの巻」第九帖を抜粋します。

『 土地分盗りばかりか、天まで分盗って自分のものと、威張ってゐるが、人民の物一つもないのぢゃ。大引上げにならんうちに捧げた臣民結構ぞ。宮の跡はSとなるぞ。ナルトとなるぞ。天の言答(一八十=イワト)は開いてあるぞ。地の言答、人民開かなならんぞ、人民の心次第で何時でも開けるのざぞ。泥の海になると、人民思ふところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、覚悟はよいか。神国には神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのざ。タマなくなってゐると申してあらうがな。何事も時節到来致してゐるのざぞ、真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐるのぢゃぞ。人民神に仕へて下さらんと神のまことの力出ないぞ、持ちつ持たれつと申してあらうがな、神まつらずに何事も出来んぞ、まつらいでするのが我よしぞ、天狗の鼻ざぞ。まつらいでは真暗ぞ、真暗の道で、道開けんぞ。神は光ぞと申してあらうが、てん詞様よくなれば、皆よくなるのざぞ。てん詞様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ、この位のことなぜにわからんのぢゃ、よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのぢゃ。神がかりよくないぞ、やめて下されよ、迷ふ臣民出来るぞ。程々にせよと申してあらうが。皆々心の鏡掃除すれば、それぞれに神かかるのぢゃ。肉体心で知る事は皆粕ばかり、迷ひの種ばかりぢゃぞ、この道理判りたであらうがな、くどう申さすでないぞ。二月の十六日、ひつ九の。』

一時は泥の海と化すようです。

一時、ナルト(泥の海)になるような大変なことになるようです。

「一八(イハ)の巻」の第二帖では、最近の動きを言ってるかのようです。

『 三千年の昔に返すと申してあらうがな。よい御用いたす身霊ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変わり、死に変わり、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先きのことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様な事では、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ケ敷しいぞ。・・・(後略)』

「一八(イハ)の巻」の第六帖は、

『向ふの云ふこと、まともに聞いてゐたら、尻の毛まで抜かれてしまふのが、神にはよく判りて気つけてゐたのに、今の有様その通りでないか。まだまだ抜かれるものあるぞ。のばせばのばせば、人民まだまだ苦しいことになるぞ。延ばさねば助かる人民ないし、少しは神の心も察して下されよ、云ふ事きいて素直にいたされよ、神たのむぞ。・・・(後略)』

私の最近の心の動きでも「人類のためにしよう」と思わなければただ苦しいだけという心理状況に陥ってしまっており、今が潮時だと思われます。一二三神示に基づき、秘文(一二三)の御用を私達三人が行なってきましたが、次の御世出ず(三四五)の御用としての七人と思われるスブド同胞会の*(月光)委員の七人に知らせます。その後のミロク(五六七)の御用としての手足としての49人とはどういうことか推理出来ません。一二三神示は八通りの読み方が出来るそうですが、その内の一つは「役員(当事者)」からの見方があると思います。これらの御用について一二三神示に見つけた箇所を抜粋します。

[中略]

「地(九二)つ巻」第十九帖より

『世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三、三四五、五六七、弥栄々々ぞ、神、仏、耶ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。九月二十四日、一二ふみ。』

「日月の巻」第四帖より

『戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。人民いよいよ苦しくなるぞ。三四五の仕組出来ないで、一二三の御用はやめられんぞ。此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて上の人に知らしてやりて下されよ。三四五とはてんし様の稜威出づことぞ。十月二十日、ひつ九のか三。』

「ア火ハ(アホバ)の巻」第三帖

『(前略)・・・役員よきにして今の世に、よき様に説いて聞かして、先づ七七、四十九人、三百四十三人、二千四百○一人の信者早うつくれよ、信者は光ぞ、それが出来たら足場出来るのざぞ。産土の神様祀りたら、信者出来たら、国魂の神様祀れよ、次に大国魂の神様祀れよ、世光来るぞ、五月十二日、ひつ九のかミ。』

「ア火ハ(アホバ)の巻」第十三帖

『 同じ名の神二つあると申してあろ、同じ悪にも亦二つあるのぢゃ、この事神界の火水ぞ、この事判ると仕組段々ととけて来るのざぞ、鍵ざぞ。七人に伝へよ、と申してあろ、始めの七人大切ざぞ、今度はしくじられんのざぞ、神の仕組間違ひないなれど、人民しくじると、しくじった人民可哀想なから、くどう申しつけてあるのざぞ、よう分けて聞きとりて折角のエニシと時を外すでないぞ、世界中の事ざから、いくらでも代へ身魂、代りの集団(まどひ)つくりてあるのざぞ。尊い身魂と、尊い血統、忘るでないぞ。型は気の毒ながらこの中から。八月四日、一二。』

「月光の巻」第五十帖

『(前略)・・・新しき世界には新しきてんし(天詞)てんかをこしらえねばならん。このこと間違えるでないぞ。珍しき御型(方)が出て来てびっくりぢゃ。びっくりしなければヒックリとはならんぞ。・・・(後略)』

でも、ついに、誰もただの1通も返事をくれませんでした。[中略] 私はいつでも明菜さんを待っています。でも、明菜さんへの私の第1通目の手紙は本当に変でしたね。あれで返事を出しにくくなっちゃったのかな。私は出版へ向けて行動を開始しますが、明菜さんが何か、どうしても都合が悪いというのなら、早い内に私に御返事を下さい。[中略]上記の、一二三神示の部分はSさんに後でお知らせします。明菜さんへの手紙も大体印刷するつもりです。
6月7日(日)のM.フェアでの米米クラブのカールスモーキー石井さんを見てて、もしかしてライバル? と思いましたが、彼の善意のようなものも感じていました。とにかく自分は出来るだけの事をするだけだと思っていました。そしたら、19日(金)のM.ステーションの録画したのを見てましたら、彼が謝っているようにも見えました。とってもいい人なんですね! でも、明菜ちゃんは僕と結婚するのです! これはとっても大切な事なんですよ。でも、明菜さんは移籍の問題とかで、しばらくは結婚など出来そうにもないですね。しかし、人類の危機は刻一刻と迫っており、人類の意識が次の次元に入れない構造のままだと地球が新次元を迎えたときに、人間達がボロボロと取り残されてしまいます。そんなことになると地球自身も大変な苦しみを体験することになるのです。新次元への移行において、ショックが少なくし、スムーズにし、犠牲を最小限にしなければいけません。聖母マリア様や、一二三神示、等々を読みますと、早くしないといけません。これをどうか否定的に考えないでね。私は明菜さんを信じています。いつかきっと御返事をくれると。そして、出版後の騒動の最中も私に関する作り話を信じないでいてほしい。それらが本当か嘘かは一つ一つ、YES、NOのどちらかで解答します。

6月18日(木)朝のやじうまワイド(6月上旬から、ビッグモーニングと平行して録画し始めました)で言ってましたが、17日(水)に「素顔のままで」の収録が終わったそうですね。安田成美さんと仲良く終われて良かったね。明菜さん、偉いですね。あなたはもともと白い血気(正義の血の)が盛んな人だと思いますから、その高貴な想いを輝かせることが出来ます。その時、赤い血の、パワーとしての激しさや怒りや攻撃性を混ぜないことです。それは本心ではあっても、本心の片面です。白い血の本心もあるのです。正義を守るためにどのようなものも犠牲に出来るという衝動も中心にあるのです。このキリスト衝動に満ちた美しい2000年前の出来事がそのままに書いてある、マリア・ワルトルタの本(数々の事実、検証に耐えてきた)はとても美しいのでお送りします。

私が明菜さんに感じるのは、この、白い血の正義の衝動です。多分、明菜さんの意識は地上性を遠く離れていると感じます。つまり、例えば、御自分のことを「女性」と思ったことはあまりないでしょ。そういう社会的なイメージを越えようとし、それよりも大切な哲理があったように思われます。あなたはご自分の中に感じる正義の血を無視はしなかったのですね。九二(地、国)を背負った明菜さんこそは大和撫子の称号が似合いますね。ここからは推理ですが、こういう性質はイスラム時代のものではないかな。天の摂理を地上で実行するにおいては、如何なる妥協も許さないわけです。しかし、今の時代はもっと優れたものが与えられています。神の力そのものです。そのため、教え、教義は「基準」ではなくなりました。常に新しい神の力が人を導くのです。人間にとってバランスというものは大切です。
最近は、自費出版に向けて各種資料を準備中です。例えば、Sさんへの手紙の第何通目でどんな本を送ったりしたかというリストを入力したり、今までのレターの中の誤謬や誤字、脱字を訂正したり、彼女へお送りしたのと同じ資料を出版用として再度コピーしたりしてました。自費出版して、スブドの*(月光)委員の7人に知らせたらすぐに出版社にその本を見せて「これをそのまま出版したいのですが」と言うつもりです。まず自費出版するのは、出版社の人に話を持って行くときに、話が簡単になるからです。自分で満足できるものを完成させて、間を置かず、すぐにそれを出版社の人にみせて「これをそのまま本にしたいのですが」と、自分で満足しながら見せることが出来るからです。ですので、満足できるような本にするために緻密に手掛けています。今は、Sさんへの第11通目の事を調べています。彼女へお送りしました資料と全く同じ資料が私の手元にあります。記念として全く同じものを作って保存していたのです。ドイツ旅行では、全ての資料、本を2部ずつ買ってきてたのです。かなり重くて、トランクの車輪がとうとうつぶれてしまいましたよ。つぶれたのが帰りの成田空港の駅だったのでよかったです。
また一つ驚くような事を発見しました。「オリコン・ウィークリー」6.29号の15ページの「データ私書箱」の欄で、「同じ得点」(得点とは何の事か私はよく分かりません)になったものを集めています。得点が同じになると言うことは滅多にない訳ですが、明菜さんの「少女A」とSさんの「秘密の花園」が「39・550」で、同じ得点だったのです。ここにも「359」が、すでにずっと前に出ていました。やはり359の縁は、私達3人ですよ。
今日、6月26日(金)、明菜さんの記事が出てるので、「FOCUS」誌7月3日号を買いました。明菜さんの自然な表情の中に明菜さんの素直な天性を感じることが出来て私も嬉しく思いました。またまたびっくりした話題ですが、その26ページにフランス人のキャロル・ロールという歌手・女優の人を、「ファム・ファタール(運命の女)」と書いているので気付いたのですが、これは明菜さんのCDの表題じゃないですか!(Femme Fatale) 遅れましたが私の持っている明菜さんのCDは「D404ME」「CRIMSON」「Cross My Palm」「Femme Fatale」「BESTU」「CRUISE」「水に挿した花(シングル)」「Listen to Me」で、LDは、「NEW AKINAエトランゼ」「ビター&スウィート」「イースト・ライヴ インデックス23」「Cross My Palm」です。
6月30日(火)の第11回メガロポリス歌謡祭には明菜さん出演されますね。この番組は生中継でしょ。この日は荻野目洋子さんも出演します。御二人に触れ合います。決して他意はありません。でも、大切な明菜さんを傷つけているようでしたら、考え直します。最近は、人に関わることのないように生番組を見てないのですが、この日は見ることにします。
以前、初めて明菜さんがベストテン(だったと思います)で「BLONDE」を歌われたとき、私は、明菜さんが天才に見えました。しばらくはこの感動の中にいました。この時、明菜さんは履いていたハイヒールが脱げてしまいましたね。まるでシンデレラのような出来事でしたね。
いま明菜さんの「BESTU」を聞いてますが、やはり、明菜さんのフィーリングは、「大変に大きな落差のある極美の体験」の印象があります。例えば「奇蹟によって救われた」とか、あるいは「絶対的な敗北しかなかったはずのものが奇蹟的な勝利をおさめた」とか言うような印象を感じるのです。明菜さんの音楽は一見、暗っぽいですが、ただ暗いのではなく、その先に奇蹟が起こることを知っている、あるいは、過去世に於て、奇蹟が起きたときの魂の感動が「内部にある」と言う感じがします。その、魂の徹底的な芸術性が明菜さんの随所に感じられます。このような奇蹟の体験の余韻が今の明菜さんを突き動かしているのだと思います。明菜さんが破滅的になって行くのは、その完全主義にもよるのでしょうが、光り輝いた奇蹟を「もう一度」求めているためなのでしょう。苦難の中に光が差し込むことを本能的に知っているからなのでしょう。今の時代は、特に日本は、偉大な魂が沢山生まれてきているそうですから、この様な推理も成立するはずです。
今、「DESIRE」を聞いているとき(199206282017)にインスピレーションがありました。明菜さんの素直さのインスピレーションを感じたのです。私が今まで知らなかった満足を感じました。今まで私が満足としていたものは、197805150030(14日(日)の深夜)にニューヨークでの生涯を思い出した後の改悛によって導かれた、人に奉仕する満足でした。
今日の最終回の「素顔のままで」は凄かったです。これじゃあ誰でも引き込まれてしまいますよ。「素顔のままで」は全部ビデオにとって保存してあります。

今回は、この手紙だけを明菜さんにお送りしています。

1992年6月29日(月)23:43
〒359 埼玉県所沢市[中略]
菅谷明夫

[この頃の私にとって、神の指示は絶対でした。神の指示があれば人生を変えてしまう人でした。明菜さんとの結婚の神縁が示された為に、絶対に結婚しなければならないと私は思ったのです。しかし、MSさん(3)と明菜さん(9)と私(6)で構成される弥勒十字の縦軸の次に、WINK(57)と私(6)の縁によって横軸が出てきて、神霊の指示によって明菜さんを離れてから次に示された松本明子さん(4)との結婚の縁も実現することがなかった結果を見てから、その弥勒十字が最後に示したものは言葉にすると、「今までは規律の世であったが、今後は規律よりも気持ち・感情が大切の世になる。法則は転換したのである」と表せるような内容として示されました。従って、明菜さんとの結婚はもうありえません。動機が入れ替わったからです。](200104021720)


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