前略、荻野目洋子様 (第2通目) 199112151228私は以前、以下のような手紙を書いて、出しませんでした。私は他の事に夢中になってしまっており、また、忙しくもあり、Sさんへの遠慮もあったので、荻野目洋子さんにお手紙を出そう出そうと思っててなかなか実現しませんでした。すみませんでした。
前略、荻野目洋子様 199109010141お元気ですか。さて、この手紙をお送りしましたのは、8月31日(土)に多分、荻野目洋子さんが悲しんでいることを感じていたことにやっと気づいたためです。というのは、最近、意味不明に悲しいからです。やっと8月31日に気づいた私が鈍かったので、この日の夜はなるべくあなたに安心をお送りしていました。私は感じたことを確認することが出来ません。なので、感じたままに荻野目さんに手紙を出しました。荻野目さんからのテレパシーは特に強力だったことに気づきました。そして、未確認ではありますが、気づいたからには裏切ることはしたくありません。あなたの悲しい心を残したままでドイツへ行くことは困難です。「悲しみ」と「涙」を切り離して理解して下さい。喜びのあまり涙が出るときもあります。「涙」は「絶対的な力に直面したとき」に流れます。たとえば、暴力的な力(絶対的だと感じてしまいます)、あるいは、深い愛の力の絶対性を感じたときなどです。次に、悲しみは感情の一つです。「絶対的な」悲しみに直面しても、涙は出るのです。次に、笑いについてです。「笑い」は、相反する二つの概念が結びつくことが出来ずにエネルギーがそのまま表に出る現象です。これは「かゆみ」と似ているようです。以前どこかで読んだと思いましたが、かゆみとは皮膚の上にある「温点」と「痛点」の両方からの信号が来ている状態で、それをどちらかに安定化させようとして、自分の手で痛みを加えることで痛点からの信号を優先させ、安定化させようとするようです。笑いも「二つの相反する概念」を同時に引き起こすことで、安定化出来ずにそのエネルギーが表に出てきます。その結果、陽気となります。出て来るからです。例えば、「前川清さん=まじめ」という固定観念がある時に、前川清さんが「急に」考えられないようなギャグを飛ばしますと、今までの固定観念と、現在の「事実」が融合することが出来ずに、笑いとしてエネルギーが噴出して来ます。人の中に眠っているエネルギーを引き出してあげるためには、人の中にある「固定観念」をよく知っている必要があります。
1991年9月1日(日)02:09 〒359 埼玉県所沢市[中略] 菅谷織春(明夫)以上の様な文章をタイプしていたのですが、「充分に練られていない」ことが理由で荻野目洋子さんにお手紙を出しませんでした。以前、10月6日(日)の「夜も一生けんめいスペシャル」で荻野目洋子さんは悲しかったと言うことを告白されましたが、私も、ちゃんとそれを感じていたのですよ。8月下旬でした。決してあなたを軽くあしらったりとかそのような態度は、心の中においてでも、また、誰に対してでも、常に私は自分の想念のメンテナンス(バランスの道)をしながら生きていますので、荻野目洋子さんにそんな変な事を思ったりしていませんし、思ったこともありませんから御安心下さい。大丈夫です。荻野目さんも、「決して裏切らない方(神)」への思いを大切にしてくれればと思っています。常に綱渡りのようです。宇宙人もジョージ・アダムスキーというコンタクティーを通じて言ってますが、彼らも常に自分の想念に気をつけ、バランスに注意しながら生きているそうです。想念のメンテナンスは常に怠らないそうです。私も以前、5年ほど、ノイローゼ状態でしたが(瞑想で死にそうになってから)スブドのラティハンに出会ってから私は自分で自分の「思うこと」をある程度管理できるようになりまして、一瞬、一瞬の自分の思うことをかなりの程度制御しながら生きています。
[中略]
「切ない気持ち」は届いていたかも知れませんが、どれが誰からきたものか判別が難しいです。でも、届いていたと思います。今度、荻野目洋子さんが中継番組に出演されるときに、きらきら星をお送りします。
荻野目洋子さんに私が与えてしまったショックが癒されますように。
1991年12月18日(水)00:42 〒359 埼玉県所沢市[中略] 菅谷織春 ※ちなみに、スブドについては本が出てます。 めるくまーる出版から「スブド」と題して¥1300で出てます。 目次に戻る.pl?joy02