文:唐沢俊一 画:ソルボンヌK子

  <毎週金曜日更新 12/22UP>



第7回 「聖子ちゃんパワー」

 二日酔いの朝などに、なにか酔いが原因ばかりではない、足元の不安定感に襲われることがある。自分の身の回りを包んでいる空気が、いつもと違ってしまったような、なにもかも見慣れたものばかりのこの世界なのに、昨日までとはどこかが違う、異空間に迷いこんでしまったかのような。
 われわれの頭脳は、目新しいものにより強く反応するように出来ている。見慣れているもの、いつも身辺にあるものについては、ことさら強く認識しなくてもいいという風に、頭の中で整理されている。しかし、何かの加減で、これら日常のものに、神経が異常反応を起こすことがあるらしい。そのとき、われわれは、われわれの普段暮らしている日常という世界の、非・普遍性に改めて気がつかされるのだ。
 インターネットでさまざまなサイトを回っているときにも、似たような感覚を味わいがちである。大抵は、己れの信念を熱を込めて、トウトウと語るサイトをつい、その迫力に押されて読み切ってしまったときなどである。その後で日常生活へと頭をスイッチングさせることがなかなか出来ず、自分のこれまで認識していた常識と、そのサイト運営者の常識とが、頭の中で混乱し、外界との対応が少しチグハグになりがちなのである。
 本日は、そういう非日常的サイト運営者の中でも古株の、その分野においては超有名な人を紹介しよう。彼の活躍はインターネット時代よりずっと古く、アットニフティがまだニフティサーブと言った時代の、パソコン通信のフォーラムにまで遡る。私が最初に彼の文章に遭遇したのは1994年頃のことだった。すでに当時から名だたる人だった。
 彼はミスティ・フォーラム、またアリオン・フォーラムなどという、超能力やUFO、 MISTY LAND予言や心霊を扱う場所に在住していた。前にこの欄で紹介したアイリーンさんもまた、 これらのフォーラムの人気者であったが、彼のディープさは、彼女などとは比較にな らぬものであった。その書き込みのスタイルは、「私はUFO研究者からはスペース・ ブラザーと呼ばれる人と3回コンタクトしました。1回目と2回目は新宿。3回目は 登戸でした。これは事実です。では、さいなら〜」
 などというものである。宇宙人と出会った、という凄い内容の書き込みの最後が、 “さいなら〜”というのは、少し調子が軽すぎるのではないかと思われるが、そのコンタクトの経緯というのがまた、凄い。
 彼が小田急線に乗っていると、途中でスペース・ブラザーっぽい人が乗り込んできたのだそうである。テレパシーで声をかけてみると相手がうなずいたので、これは本物だと確信した、という。新宿で降りたとき、彼はその宇宙人の後ろからそっと近付いて“やあ、ブラザー!”と声をかけた。相手は驚いたような顔をしたという。なぜ驚いたかの理由が、彼の解釈とわれわれの解釈でかなり違うが。彼はなおも快活に語りかける。
「僕は以前、『宇宙人は地球に来ている』というビラを配っていたんです。あなた方が来ていることを知らせようと思って」
 だが、これは宇宙の機密に属することであったらしく、そのスペース・ブラザーはそのことに触れられたくないような顔をして、そそくさと立ち去ってしまう。彼はそれについて、
 「彼には私に情報を与えるという任務はなかったので、勝手に行動することを控えていたのだろう」
 と理解し(違うと思うぞ、絶対!)、“これが私の最初のコンタクトであった”と誇らしげに書いていた。 もっとも、最近のホームページでの書き込みによると、最初のコンタクトは1979年の春に住んでいた団地内の郵便局に、 なぜか無性に切手を買いたくなって行ってみると、自分を待っているかのような男性が待機しており、 列のすぐ後ろに並ばれたのが最初だ、と、違ったことを言っているのだが。
 それはともかく、当時のミスティ・フォーラムには、こういう人を迎撃するのが趣味のような、 トンデモハンターさんがまた多数生息していて、彼もまた、そういったハンターたちの格好の攻撃対象となっていた。
 ところが、他の獲物たちの場合と違い、彼の場合に限り、どのハンターさんたちも、みな、途中で腰くだけとなり、「まあ、どのような考えも自由ですから、どうぞご勝手に」
 という感じで引いていく。最初、これが私には不思議でならなかった。やはり、彼は他のインチキコンタクティーなどとは違う、ホンモノなのだろうか?











 やがて、その秘密がわかった。彼の、フォーラムの自己紹介欄に、みんなが目を通して、“これは下手に近付かない方がいい”と、オソレをなしたためであったのだ。彼はまさしく、ホンモノであった。コンタクティーではない方の、であるが。
 最近でも、ミスティ・フォーラムのプロフィール紹介欄にはこの人のプロフィールが残っている(ホームページでは現在、見られないようだ)。ニフのIDを持っていらっしゃる幸運な(?)方は、FMISTYのプロフィール検索で、ID“GDB00064”プロフィール“GDB00064”で照会してみるとよろしかろう。こんなものが読める筈である(記号、半角文字等の表記を読みやすいように一部なおしてある)。
「私はとても不思議なシンクロニシティー(あり得ない偶然の一致)に囲まれています。そして自分の過去世まで思い出してしまいました。それも、女性歌手松田聖子さんとの過去世です。さらに自分には中森明菜さんと結婚すべきであるとシンクロニシティーで示されています。それが実現するものなのかどうか、また、実現させたいのかどうかも未だに分からないのですが、一応、概略を以下に示しておきます。私が聖子さんや明菜さんへ出てきました(原文ママ)ファンレターの上で色々な発見があり、これら一連の事件を起きた順番に本にまとめて『愛の奇蹟』と題して自費出版してます。¥5975です。これを表に出す理由は、一二三神示と言う神示に『早よ型してくれよ』とか『変な人が表に出るぞ』とあるからです。だから、私は表に出るべきなのです」
 ……自分を変な人、と認識しているのはなかなかであるが、その変さがただものではない。
「1988年4月6日(水)『夜のヒットスタジオDX』に生出演中の松田聖子さんと、テレビを見ていた私の魂が一つになり、聖子さんは感激され、泣いてしまいました。当時の女性週刊誌でもこの出来事が報じられています。これが聖子さんと私の今世での初めての出逢いでした。この日は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ、画家のラファエロ・サンツィオの誕生日であり、命日でもあります。1990年12月、不倫報道の集中砲火を浴びていた聖子さんを哀れに思って、彼女へファンレターを出し始めました。奇しくも、天理教の存命の親様である中山みきは、以前から伊藤青年の口を借り、12月30日には、“これから神が世界に掃除を仕掛けてゆく”とおっしゃっていたのです(『人間の生命』新潮社、芹沢光治良・著、1400参照)。★私は、昭和25年9月生です=359。私の本籍地の番地は395番地です=395。私の住む埼玉県所沢市の〒359です=359(孫悟空)。私が聖子さんとの過去世を思いだしたのは平成3年5月6日です=356(この日は決められていた)。では、何故359の日ではなく、356の日だったのか。平成3年1月1日午前2時より、都内の市外局番にすべて『3』が付加されたことが関係します」
MISTY LAND “UFO会議室”  ここまでをお読みになっておわかりの通り、この人の書き込みには、オカルト的用語とならんで、芸能界に関する人名や番組名が非常に頻繁に出てくる。例えば、
「『オリコン・ウィークリー』6.29号の15頁の『データ私書箱』の欄で『同じ得点』になったものを集めています。得点が同じになると言うことは滅多にない訳ですが、明菜さんの『少女A』と聖子さんの『秘密の花園』が『39・550』で同じ得点だったのです。ここにも『359』が、すでにずっと前に出ていました(唐沢注・359じゃなくて395なんだがな)359の縁は私達3人です」
 というような具合だ。これが、彼の書き込みのそのパワーを『聖子ちゃんパワー』とか『日テレパワー』と呼ばせている原因である。彼はその後、パソコン通信からインターネットにその主張の場を移し、今もなお活躍中である。アイリーンさんのサイトが初級編とすれば、この人のところは中級から上級になるだろう。どうか、自分の依って立つ常識の地平を十二分に確認した上でのぞいてみていただきたい。例えアテられて戻れなくなっても、責任は持たない。
 ……で、いつもならここでリンクしたアドレスを示すのだが、この連載ではいつも、そのリンク先サイトの開設者に掲載の確認メールを送ることになっている。それが、この人に対しては出すのがどうもオッカナイ。
 検索エンジン(googleあたりがこのテのサイトに強いようである)で、“オリハル”というキーワードで検索してみてほしい。これがこの人の、パソコン通信時代からのネットネームである。あるいは、精神世界サイトリンク集のようなところを探して、そこから飛ぶのもいいかもしれない。とにかく、行きさえすれば、その圧倒的な書き込みのパワーに、しばらくはネットをのぞかなくても結構、というくらい満腹になることは保証する。









small title
第4回 「歴史はあやまちの記録である」へ行く
第5回 「クズニュースの饗宴」へ行く
第6回 「大きくなあれ」へ行く

唐沢俊一(からさわしゅんいち)
1958年北海道札幌市生まれ。カルト物件評論家。大ベストセラー『トンデモ本』シリーズを生んだ「と学会」の中心メンバー。執筆領域は古書・漫画・薬から落語・映画まで広範囲に及ぶ。どの分野でも「瑣末・無用な」「消費されてしまい残りにくい」知識やモノをあえてクローズアップし、独特の切り口で多くの支持者を持っている。学術誌からあやしげなオカルト本にまで至るその膨大な執筆ペースは独自かつ脳天気な日本文化史観を構成しており、業界人にもファンが多い。パソコン通信の時代から現在にいたるまで、ネットの世界での活躍も知られている。近著『とても変なまんが』(早川書房)、『カラサワ堂変書目録』(学陽書房)、『トンデモ一行知識の逆襲』(大和書房)など。その精力的な活動の詳細は「唐沢俊一『一行知識』ホームページ」へ。
http://homepage3.nifty.com/uramono/

「第8回『トンデモ洋書の世界御案内』12/29UP!」



Copyright(C)2000 KODANSHA CO.,LTD. All rights reserved.

Web現代