2000.04.29(土)に、テレビ朝日で関口宏さんの新番組「ほんパラ!」が始まりましたが、番組の最後に、童話のようなものが朗読され、人が私に関して何を言っているか分かった気がします。個人的に関心がありますので、これについてコメントして行こうと思います。その童話のようなものとは、以下のようなものです。(→動画一覧へ

2000.04.29(土):おばあさんがいました。そのおばあさんは友人からしましまの猫を預かってくれといわれた時に尋ねました。「その猫は何か役に立つのかい?」と。しかし、特にこれといった能力がある訳ではありませんでした。しばらくするとおばあさんは別の猫を預かるように頼まれました。それは黒猫で、色々な能力を持ってて、役に立ち、夜は夜でマジックを見せてくれて、おばあさんは喜びました。しかし、その黒猫は「僕は天才だからこんなところに長くいるつもりは無い」と言って出て行ってしまいました。それでおばあさんは「私は普通に暮らすのが一番だよ」と言ってしましまの猫と散歩に出かけました。

 というものです。いやー、よくぞ裏の話を教えていただけました! これは、もろに彼ら(=自意識過剰の集団)と私の関係表面を模写してます。そのチャネラー=おばあさん、しましまの猫=白黒さん、黒猫=私に対応してます。この話はしましまの猫から見た世界であることが分かります。このお話、真実が曲がってるので、正そうと思います。

・まず、「私に隠れて色々言う」というやり方が間違ってます。
・次に、私は白猫である筈なのですが、黒にされています。
・次に、このお話では黒猫の奢りによって「自分から(勝手に)」出ていったと言ってますが、それは事実ではない。この話の黒猫として描かれた私には高校2年の終わりに患ったPTSD以来、「(社会的に)何かやりたいこと」というものが無くなったからです。私は強制的にフォーラム会員IDを削除「された」のである。自分から何かがやりたくて出たのではない。
 ま、私の動機は神霊からの1992.11の発言の時に「長」と指定され、その依頼を引き受けて彼ら、瞑府の従僕の頭を洗う任に就いたのであって、私のIDが削除された事で、その仕事は一段落したから、その特殊な義務から自由になったとも言える。
 私の基本的な考えは「持てる者は持たない者により多く与えればいい」というものが一つあります。だからそのようにしていました。しかし、彼らは別の見方をしていたことになります。それは私が自己利益第一主義で、奢っている事が理由で去ったと言ってるらしい事が上記のお話で分かりました。
 これは、例え話をすれば、丁度、ユニセフの人(黒猫の真実の姿)に例えられると思います。ユニセフはどこか食料事情がひっ迫している地域へ赴任し、その地域に対する食料の輸送を行い、ちゃんと現地の人に届けられるようにしました。その上で現地で畑などの耕作に協力し、任務が大体終了した頃に、ある事件が起こりました。実は、その村には一人の巫女がおり、ユニセフの人(黒猫の真実の姿)は巫女に関して質問をしたのです。疑問が生じれば質問する、という極めて自然で正当なものです。ところが、それはその村の禁句でした。質問を巫女本人に「ぶつけた」為に、巫女はヒステリーを起こし、それで、その村の片目の女(伝家の宝刀を持っているために、軍隊を所有している)がユニセフの人(黒猫の真実の姿)を強制排除したのです。でも、ユニセフの人(黒猫の真実の姿)の任務は大体終了していました。それで、荷物をまとめて去ろうとしていたら、あろうことか巫女の神託が下り、
・「ユニセフ(6で象徴)が我々8の影響下になければ、全てを無に帰す」と言ってユニセフの人(黒猫の真実の姿)を配下に留めようという自己矛盾を起こしました。(チャネリング・メッセージの「初期の意図」は、このように、チャネラー本人の意図です。メッセージ内容・言葉そのものは神霊ですが、チャネラーが設定した方向でしか話をしていません)
・加えて、そのメッセージは後になって変更され、「神託が変更される事は“絶対に無い”」と常々言っていた威信を自分で破るという自己矛盾も起こしました。
・また、白黒の決着を早める神託効果と言われていたものを、特に巫女本人に関する事柄に関してだけは常に不明確であるという自己矛盾を起こしました。
・また、巫女はそのように希望して生まれてきたにも関わらず、「普通に暮らしたいだけ」と宣伝するという自己矛盾を起こしました。
・また、その巫女は自分が神霊に「いつも質問している」事は棚に上げて、他者が神霊に質問することに関しては「それは甘えだ」とか言いながら、一切、受付けないという自己矛盾がありました(これは嫉妬ではなく、事実描写というものです)。

 このような経緯によって黒猫は恩を仇で返された格好・形になったのである。でも、黒猫はそれを仇とは感じませんでした。なぜなら、利益第一主義ではなかったから。そもそも、食料の調達及び自給率の促進という目的は大体達成されているのだから。「質問をすることは正当である」のだが、巫女はそれを「下品だ」と言う。しかし、巫女はかつて、FMISTYの春さんという人の個人的な心理に、神託によってするどく突っ込み、断言し、名誉などそうとう傷付けたように思われるのですが、そのような下品な神託を行う巫女でもありました。ところがその巫女の口は「それが事実である」と言ってはばかりませんでした。私はその方式で臨んだのである。故に、私を指して「下品」とは言えない筈である。そもそも、ユニセフの人は情動で動いていたのではなくて、「何のために何をしているか」が明確であったのである。

2000.05.06(土):100万回も死んだ猫がいました。けれどもその猫は100万回生き返りました。猫が死ぬと他の猫がその死を悲しんで泣きました。次第にその数が増えて行きました。その不死の猫は言いました。「ふん、また死ぬのか。たいしたこたーないさ」と。ある時、その猫の前に現れた白い猫をその猫は好きになりました。やがて一緒に生活して結婚し、小猫も生まれました。年月が経って行くと、白猫は段々と年を取り、やがて死んでしまいました。それを見てその猫は涙を流して泣きました。それからその猫も死んでしまいましたが、二度と再び生き返りませんでした。
 これもなんか、私を猫に例えている気がします。これも「自己利益」しか見えない視点から語られています。前回もそうでした。前回の黒猫は「自分は能力があるから、いつまでもこんな所にいない」と言って利己的に出て行きましたが、その黒猫の真の任務はユニセフだったのです。与え、奉仕する人だったのです。つまり、自分から出たのではなく、片目の女の伝家の宝刀で出させられたのでした。
 今回の不死の猫もかなり利己的に描かれていますね。つまりその猫は「不死性によって周囲の注目を浴びているのにそれらを大切にしない」という視点です。じゃあ、私は「自分」への注目を大切にして、それらの人々を「取り込んで」一大勢力を作ればいいのですか? それこそ「簡単な事」ですよ。私はそういう(気分的に)簡単な事を「しないでいる」事に気がつかないフリをする意図は何かと思います。その猫は自己への注目という「利己性」が第一でそうしてる訳ではない。その猫の真の姿は、精神世界のユニセフ職員と言えるでしょう。すなわち、神との共同作業です。人々の精神の啓発の為に仕組(運命)を担って来たと言う側面もある事は明らかです。(200005070359)

 そもそも、私を猫に例えているのは誰かという問題もあります。サイバッチのメーリングリストによって今や知れ渡った、先日のバス・ジャック犯人、谷口誠一が「キャットキラー」と名乗り(犯行のちょっと前に「ネオむぎ茶」とハンドル名を変更しました)、猫を殺す妄想を大量に書き込んでいたそうです。なぜ「猫」なのか? 私のフリをして方々に悪事を働いていた一人はこいつか? ネット上での経緯はこちらへ。まあ、最もありそうなのは、彼をいじめていた人間を猫に例えていたのでしょうけど。(200005080326)

 7/1(土)の最後の童話でも、一つ分かったような気がします。童話の内容は、一度、母親によって家を追い出されたやんちゃ兄弟3匹の子豚が、カラスの家やらを転々とするけども、最後には自分の家に帰るというお話です。Kinkiの歌など総合すると、どうやら「勇気、勇気」と言われていたのは、「一度、その集団から離れて、戻りたい気持ちがあるけれども、なかなか素直になれないから、勇気を出して行動しよう」という内容だったらしいと分かった気がします。Hitomi(1[ひ]と3[み])の最近の発するメッセージ(写真)を見ると、彼女自身の左目(向かって右の目)の下に蜂が止まっています。この意味は明らかでしょう。すなわち、向かって左目=1で、向かって右目=3です。1と3です。蜂(8)は、3と対になっています。つまり「闇(83)」です。これは、上記にタイプしました「片目の女」を意味するのだろうと思います。

 私は、今まで宗教的な団体に関わって来ましたが、その会員の中でも、真に真面目な人はほんの数人であり、1%程度に過ぎず、他の全ての会員は「宗教的に適当でいい加減である」という真実を経験しました。つまり、まず他の集団・教団でも間違いないと思われるのは、会員のほぼ全員が「趣味・同好の会に参加してる」程度の認識しかなく、そして、教義を無視し、利己的、勝手に振舞うのだということです。
 このチャネラー集団もそうです。預言が当たった場合も相当あるのは事実ですから、そこには神霊の関与が想定されます。しかし、チャネラー自身も含め、そのメンバーのほぼ全員(個々に確認した訳ではなく、彼らのアウトプットする行動から)が「神霊の言葉の真実(=不利益)とチャネラーの御機嫌(=利益)のどちらを取るか」という選択を突きつけられると、ほぼ全員が、神霊の言葉を見て見ぬフリをし続け、集団内での利益を意図したのです。明確に日付を指定した預言が的中している事実すら、チャネラー本人が「それが本当に日付を表していると言えるのか?」ということを私に聞いたりする始末である。「神霊の言葉よりも、欲望を選択する」のが、ほぼ全員です。これを根拠とし、私は彼らはカルト的であると思います。なぜなら、「崇拝されたくない」と言いながら、その行為(神霊の言葉を無視・忘却・隠蔽すること)を継続しているからです。神霊の言葉の真実は、それが「チャネラーの個人的利益に反する場合」は見て見ぬフリです(まあ、これは神霊の許容範囲でもありますが)。だからカルト的だと思います。もし、真に人類の公の福祉の為に何かを意図する者ならば、個人的利益をそんなに考慮した上で行動しようとはしないのではないかと思うからです。
 例えば、歌手のHitomiは片目の女を代弁して歌っているようですが、「ニセモノなんかに興味はないわ、ホンモノだけ見つめたい」とあります。これは、片目の女から見た歌であるようで、私をニセモノとしているようです。どのような点でニセモノとするのかというと、常々非個人的であろうとして来た私が「個人的な情」を向けないからであると思われます。一方、そのチャネラーは個人的に情を配る。しかし、このようなホンモノ、ニセモノの「見方」というのはいくつもあると思います。
 例えば、私は神霊の預言によって、自分の命の危険を感じ、色々と質問しましたが、完全無視といえる状況が続きました。そして、その集団は私を遠巻きにしていました。もし、立場が逆であれば、私は積極的にそういう深刻な問題を持つ人に関与したと思う。なぜなら、「周囲の目」というのはこの場合、気にならないから。ところが、ほぼ全員の人は、人の訴える命の問題よりも自分の、集団の中での優位性・安全性・結びつきが大事だったのです(オウムでもそうでしたね)。それで、人の命の問題をチャネラーを含めてシカトし続けたのです。つまり、このチャネラーが配る情という物は、その組織・集団の維持の為に腐心する結果であって、真実、情の為の情ではないと分かります。「集団や利益を放っておいて、情を配る」ことをしない人です。すなわち、「その集団・人々に受け入れられるような情表現」という意図・利益計算を加えたものである。「情」は誰でも持っているのであるから、特定の誰か(この場合、私)が情を持たない人だ、などという事はありえない事であり、そのような断定=偏見である。私の場合の情というのは、一般に、「利益・不利益を考慮しない情」です。自分や、対面している相手の個人的利益などを考慮せずに、ただ情が情である為の表現を努めます。例えば、幼児虐待を目撃した時、一緒に車で移動中の同僚をその場に待たせて(なんで一緒に来ないのさ)虐待をしている人に注意しに行くと思います。約束の時間に遅れてもいいじゃないかとは思いませんか? というか、誰であっても、そのような場合は、関わらないでいるなんて事はないのでは? 見方によれば、私の行為は「組織・集団を乖離した行動」という感じが強いかも知れませんが、元々、私は集団に従ってるのではなくて、「真実を反故にしない限り、人とは仲良く」とかいう、一種の法則のようなものに従うので、それが組織の中での適度な行動として見えるだけの話である。故に、そのチャネラーの情は形式的な情であり、決して利益に反することを実際に行ったりはしない。しかし、私の場合は、利益・不利益をあんまり考慮しない。必要に応じて、情が純粋に情である為の表現を努める。従って、この例の場合のニセモノは、利益を意図しながら、そのような意図で情表現をする人であり、ホンモノは、利益を忘れている。ホンモノとニセモノも、このような見方をすれば入れ替わる。要するに、文科系的な主張の片棒をかつぐのはカルト的だと思います。

 以上の分析は私個人の推理ですんで。Hitomiさんに別に悪い感情は持ってませんさ。(200007020601)

 上記で、「命の問題」とか書きましたが、これらは全て解決しております。あるものは私の事ではなく、右翼の大物、野村秋介氏の朝日新聞社本社社長室内でのピストル自殺を丁度1年前に預言したものであったし、あるものは、チャネラーのヒステリーであって、後に変更されたり等、私から見た視点では、全て解決しております。
 また、上記で「勇気」の分析結果を出しましたが、私個人に関して言えば、全くそのような気持ちは持ってませんので。なぜ、芸能界では、わざわざ私をカルト場に戻そうとするのだろうか。あなたがたはカルトが好きだよね。そこでは、私に関して預言されたポジティブな神霊預言発言は、的中したにも関わらずことごとく無視されました。まあ、この傾向はスブドでもそうでした。スブドの創始者が目の前に心霊的に出てくるスクリーンに下りてくるインドネシア語のメッセージをそのまま話すことで、会員に語りかけますが、それは場所を隔てているにも関わらず、いつも私の立場を擁護しているかのようなメッセージを不特定の会員に向けておられましたが、他のスブド会員はその内容を何も聞かなかったフリで、これを話題にすることはタブーみたいな雰囲気がありました。中には「バパのこのトークは菅谷君の事を言ってるんだね」と言ってくれたOさんという方もいましたが、概してタブー化しました。(200007030628)

 上記の続きなので、ここに付け足します。7/5(水)の「歌の大辞テン」にHitomiさんが出演されてましたが、白黒の衣装でした。何か私に反応してるような気がしますが、私は上記で「考察」を行ったのであって、明確な事実をほとんど確認できないままでいるのです。だから私の考察によって何か「決定的な」反応をするというのはおかしな事です。例えば、Hitomiさんが転んで大怪我をしました。近くにいた人が原因を考察して「あの大きな石につまずいて倒れたのではないか」と言ったら、Hitomiさん本人が「そうか、あの石が原因だったか」という反応をするのと同じです。事実はHitomiさん本人がよく知っているのに。だから、上記の私の考察のどの部分が近くてどの部分が遠いのかを私に対して示すべきだと思いますよよよ〜ん。(200007060415)


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