前略、中森明菜様                (第48通目)    199312240010
いやー、すごいよ、明菜さん! こりゃあ、聖マチルダ以後の大発見だよ。前回お知らせしましたグラフィック社の「王の城と王妃の宮殿物語」¥2,990がやっと昨日、12/22に届いていた(注文したのは12/9で、12/10=荻野目さんの誕生日で、この日は福祉職員を辞めた日でもあります。後で気づきました)ので読んでいたのです。なんと凄いこと!
この本のイザベラに関する記事のカラーコピーをお送りします。覚えてくれているでしょうか? 私は1992年2月2日の13:00頃、明菜さんのポスターを見てぼーっとしていたら、突然「イザベラ」という声が私の頭の真ん中でステレオ・ヘッドホンで聞くのと全く同じに「実際に聞こえた」という不思議な体験をしたのです。これは明菜さんへの第5通目の手紙にあります。「イザベラ」で、私が知り得た人はテレビ(確か「世界不思議発見!」だった)で紹介していたカスティリア王国の王妃であるイザベラでした。前回の明菜さんへの手紙で「イザベラ・ド・ポルトガル」と書きましたが、あれはイザベラの母でした。イザベラはイザベラ・カトリカと言うそうです(コピー参照)。ついでに、イザベラの第1子(女児)もイザベラといいます(コピー参照)。コピーをじっくりと読めば分かりますが、イザベラの家庭環境は複雑です。前の手紙でポルトガルを示唆(しさ)しましたが、やはり、明菜さんの直感の通りで、スペインです。イザベラはスペインのマドリードの北西88キロにあるセゴビアという町のセゴビア城に住んでいました。子供の頃は、マドリードの北西144キロのところにあるマドリガルという町の城に住んでいました。しかし、父王の死後の問題で、アレバロの城に移され、その後はずっとセゴビアの城にいたようです。マドリガル→アレバロ→セゴビアです。イザベラはカスティリアの第1王位継承権を持った王女でした(その時の王は異母兄のエンリケス四世)。イザベラの結婚問題が起こったのは、このときでした。隣国のアラゴン王からの「息子のフェルナンド(私か?)と結婚してほしい」というメッセージが届いたのです。しかし、策略貴族達の反対にあって、オカーニャの城に軟禁されました。その時のことなのでしょうか、
歴史は繰り返しているのでしょうか。明菜さんの左手に残る傷跡は・・・。

反対派が遠征のため国外に行ってしまった留守にイザベラは軟禁されていたオカーニャを逃れ、故郷のマドリガルに戻りましたが、そこにあったのは母イザベラの精神錯乱でした(明菜さんも気をつけた方がいいかも)。その後イザベラの逃亡を知った反対派はマドリガルへ向かいましたが、そのイザベラの危機を知った求婚者(私か?)のアラゴン国のフェルナンドは難戦中にも関わらず自らマドリガルへ向かいました。そして、どこでどうなったか、出会えたことは奇跡に近かったのではないでしょうか、バリヤドリードの館で劇的な出会いをする、とあります。そして、二人はバリヤドリードの貴族のビベーロ館で内輪の結婚式を挙げました。二人は隣町のドゥエーニャスの城に当分の新居を構えました。その後、夫は戦線に戻り、更にその後セゴビアに戻ったイザベラは異母兄の死後、カスティリア女王として戴冠式を受けました。

さて、もう一つ興味深いのは、イザベラに求婚したのは隣国のアラゴンの王子だったことです。アラゴンといえば、Sさんがプラシド・ドミンゴと歌っている画家のゴヤの生まれた地です。ゴヤのCDの説明によりますと、『サラゴサはかつて、誇り高き独立王国アラゴン首都であった』ということです。ゴヤは1746.03.30にスペインのサラゴサ近郊の寒村フェンデトードスに生まれ、1828.04.16にフランスのボルドーでなくなりました。4/16(1879)はルールドの泉のベルナデッタ(日清製粉社長令嬢、美智子妃)の御誕生日です。ゴヤも日本と縁がありそうですね。私はスガヤで、Sさん関係のスガヤを並べますと、久我屋、菅谷、ゴヤ、スガ美容室、(扇ガ谷=神田正輝さんの幼少の時に住んでいた所)ですから、この「スガヤ」という発音が何かあるのかも知れません。そのゴヤがかつてのアラゴンの首都のサラゴサのすぐ近くで誕生し、美智子妃の誕生日に亡くなったのです。画家のゴヤも私だったのか? 更(さら)に、カラーコピーにもありますように、イザベラの亡くなった日は1504年11月26日でした。JUST! この日は私の妹の誕生日です。以前、明菜さんにも私の家族の住民票をお送りしてますから、確認できます。
固有名詞連発で私も何だかよく分かりませんが、何か複雑なつながりを見つけたような気がします。ここいらをもう一度まとめてみますと。

・イザベラ(明菜さん?)の命日=私の妹の誕生日
・ゴヤ(私?)の命日=美智子妃(聖ベルナデッタ)の誕生日
(聖ベルナデッタの命日でもある)

・「スガヤ」という発音に何か意味がありそう。

というわけです。今まで何の関係もなかった私の妹の数字に神は注目させてくれました。やはり、私の視野には数字が示されました。

[これは、1994年2月22日(!)に知ったのですが、パソ通のメルクさんが文字と数字について考察されてました。ヘブライのカバラ体系が数字で、日本の言霊が文字であるというものです。つまり、文字を見ている明菜さんは大和なでしこ=日本であり、一方、数字を見ている私はヘブライのカバラであり、イスラエルではないかということに私は気付かせてもらいました。メルクさん、ありがとう]

ここでセゴビア城のいきさつをまとめてみます。セゴビアの城は、元々は、セゴビアの先住民の砦(とりで)でした[この城はスペイン1の名城と言われていて、ディズニーアニメの“白雪姫”のお城のモデルになったそうです]。それをローマ人が来て基地とし、その後、西ゴート族が侵入すると彼らの城となり、イスラムのイベリア半島(の中にセゴビアがある)支配で城が増築され、その後、カスティリアがイスラムから奪還(だっかん)しました。そのせいで、城の至るところにイスラム式の文様(もんよう)が見られます。この城の窓のステンドグラスに、イザベラ女王の像もあるそうです。イザベラの時代にキリスト教国最大の願いであったイベリア半島奪還が成りました。イザベラはコロンブスのことも援助しました。そして亡くなったのは53才でした。ちなみに、フランスのルールドの泉の聖ベルナデッタは35才で亡くなりました。さあ、今度はカスティリア王妃イザベラに求婚したアラゴン王子、フェルナンドについて調べよう。さて、何を調べましょうか。
なかなか凄いものがあります。さあ、お金がたまったらスペインのマドリードの北西88キロにあるセゴビアに行ってみよう。もし、明菜さんと結婚式を挙げるときは、イザベラとフェルナンドが結婚反対派の追手の中、劇的な出会いをしたバリヤドリードの貴族のビベーロの館でトレドの大司教に挙げてもらいましょう。まあ、出来ればの話ですが。不思議なことに、ここで結婚のストーリーも繰り返しているようです。395=本籍地の示しといい、395の日=7/13の人、の示しといい「何もかも」ですよ!!多分、何か困難があり、そのせっぱつまった中で明菜さんと私は出会うのかも。

[中略]

イザベラはフェルナンドとの結婚を反対され、監禁され、鎖の跡をつけたのでしょうか。すると、明菜さんはマッチさんとの結婚を反対され、鎖の跡をつけてしまったのでしょうか。いや、どうも失礼。気づいたことをやはり報告しないといけないと思いますんで。

でも、明菜さんとの過去生を思い出せないでいるという事実は残っています。

さあ、「イザベラ」の霊聴は解けて来た気がするぞ。次はSさんへの第14通目の6ページにありますが、1991年6月17日朝の霊聴「オルドリッヒ大王!」ですね。以前、ジャガイモとトマトの出会いの番組をやってまして、そこで似た名前の大王として名前を出してくれてましたが、どうなんだろう。もう今は、勤めてないから時間が取れそう。ちょっとぐらい図書館行ったって、誰も怒りゃしねーんだよ! 生活費を2カ月以内に得られるようになってないとキツイ事になってきますので、それまではちょっと仕事の上で油断できませんがね。私の場合、たまたまお2人共、有名な歴史上の記録が残っている人で、かつ、霊聴の助けもあり、つながりが解けてきましたが、多分、みんな、このような不思議なつながりがちりばめられているのだと思います。それは、どこぞの漁村の何という男性であり、その人の命日だったりするのでしょうが、記録がなかったので、そのつながりが人間に知られることはありませんでした。神はこの宇宙を認識し、探求してくれるように人間を創造されたと考えることは自然な事だと思います。神のこのような計らいを少しでも発見し、認識してもらうために、サンプルとして機能しているのが私たちでもあるのでしょう。

この貴重な本を注文したのは12/9で、私は12/10(金)付で辞めたことから、荻野目さんがこれら一連の発見を霊的に援助してくれているのだという神の示しなのだと思いました。12/10(金)付にしたのは、ボーナスが支払われる条件として、 「12月の第2金曜日に在籍している」という条件があったためでした。12/9が「本の注文=発見の援助」で12/10が「辞める=出版の援助」ではないのでしょうか。また、確か12/11(土)にキチンキトサンについての認識を得ました。[更にこの12/10は、マッチの恋人とされる人が奇しくも会社を辞めた日でもあります]

12/26(日)のヒットスタジオ同窓会では明菜さんは拒否的な反応でした。それにダイヤの指輪をしていました。まあ、誰かからもらったのなら、もうそこまで話が進んでいるのですね。それとも明菜さんが自分で買ったとか。明菜さんは私が迷惑なのかな。よく分かりません。自意識過剰に判断すれば、前回の私の手紙に過剰反応をしていたのだと思いました。

12/25(土)4CHのクリスマス・スペシャル「瞳に星な女たち」を見ました。星な=星菜=明菜かな。原作は中森明夫さんなのですね。確かFLASHに前文をよく載せている人ですね。私は「数字」を見ますので、誕生日とかはこの人はどうなってるのでしょうね。このドラマを見てて気がついたのですが、いや、気づかされたのでしょう。気づかされたのならば、やはり、それなりの意思表示をした方が誠意があると思う。詳しく書くのは変なので、気づいたということを報告します。小泉今日子さんの立場が明菜さんなのですね。きっと。[中略]

でも、ドラマ中に階段を落ちてしまったり、ビルの屋上では、小泉今日子さんの開けたビールがふき出してしまって小泉さんは、ちょっと災難でしたね・・・。

[中略]

今までの私はただひたすら神に従ってきましたが、12/25(土)の今日、車で家に帰るとき、自分の夢が見つかりました。今後、私はこの夢に向かって邁進します。一緒にがんばろうよ。[この日、逸見政孝さんが亡くなりました。御冥福を][この日、確か、テレビ朝日で黒柳徹子さんのアフリカの子供たちと触合う番組をやってました。丁度私もこの日はそういう気持ちになっていました]

[中略]

TOKYO FMに番組をやめないで下さいという手紙書いてみました。
まだSさんにはお知らせしてません。少ししたら、お知らせすると思います。
その時は、この手紙の7ページの17行目までをそのままお知らせすると思います。
よろしくね。

PS.住所が少し変わりました。
今後はこれで行きます。


                                    1993年12月27日(月)  11:59
                                               〒359 埼玉県所沢郵便局留め
                                                                 菅谷明夫

・ちなみに、平成4年12月10日は島根県美保関町に比較的大きな隕石が落下した日であります。

・以前、Sさんとの過去世を思い出した日=356で、その理由は当時出向していたコンピューターの会社が[中略]より徒歩5分の所に在り、その電話番号は03−3356−4421(3を加えた356[=359]は世々にいい)と書きましたが、何故、359がそのように分裂し、ストレートでない表現を取るに至ったかという理由として考えられるのは、明菜さんとの過去世です。つまり、サラゴサという地名に関係してるのではないかと思ったのです。サラゴサ=3653で、3+356という形になった原因ではないでしょうか。

[この頃の私にとって、神の指示は絶対でした。神の指示があれば人生を変えてしまう人でした。明菜さんとの結婚の神縁が示された為に、絶対に結婚しなければならないと私は思ったのです。しかし、MSさん(3)と明菜さん(9)と私(6)で構成される弥勒十字の縦軸の次に、WINK(57)と私(6)の縁によって横軸が出てきて、神霊の指示によって明菜さんを離れてから次に示された松本明子さん(4)との結婚の縁も実現することがなかった結果を見てから、その弥勒十字が最後に示したものは言葉にすると、「今までは規律の世であったが、今後は規律よりも気持ち・感情が大切の世になる。法則は転換したのである」と表せるような内容として示されました。従って、明菜さんとの結婚はもうありえません。動機が入れ替わったからです。](200104021720)


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