※神一厘の秘策の根拠

・私は359であり、MSさんは1である。つまり、360度で円が完結すると。これにより、神一厘の秘策の型の少なくとも、その一つであると断じています。

・MSさんは3/10生まれです。聖マチルダ皇后の日は3/14です。なぜ3/14ではなく、3/10に生まれてきたのだろうか。これについては、日本と言う場所に合せた結果だと思われます(3/10は東京大空襲の日でもあります。3/10は、確か1992年から東京の“平和の日”になりました。また、東京都は“23”区です)。これに気がついたのは、1994年3月20日(日)の「知ってるつもり」という番組の「勝海舟」の特集でした。最初、勝海舟のもとに、官軍の江戸城総攻撃は(慶応4年)3/15との知らせが入り、勝海舟は江戸100万人の命を救うために、慶応4年3/13、14の2日間にわたり、官軍の長である西郷隆盛と会談し、無血開城を約束し、実行したのであった(実際に開城したのは4/11)。勝海舟の誕生日が1823(文政6年)年1月30日であるのも面白い。総攻撃の予定5日前の慶応4年3/10の勝海舟の日記には「もし百万の生霊を救うことが出来なければ迷うことなくまず自分の生命を断つと断然決意している」と書かれていたそうである。3/10〜14の開きがある理由はここらへんにあると考えられます。つまり10日〜14日というのは「江戸百万人の命を救うためのぎりぎりの期間」だったのだ! それが世紀末に表れているMSさんの使命をよく表していると思う。この度、全世界を救うためのぎりぎりの使命=神一厘の秘策だと思っています。

・さらにここで述べておこうと思いますのは、私の誕生日の9/25という日付です。社会思想社の「三六五日事典」という本によりますと、前日の9/24(1877年)は、「西郷、城山に自刀」とあります。西郷隆盛の亡くなった日だったのです。

・また、神一厘の秘策とは最後の最後の秘策であり、「末=松=1」である。松の木には「1」が沢山ついている。さらに、MSさん=世紀末だ!さんです。とうとう最後の最後の時代なのだと思われます。

・そして、この本の出版をスブドの*委員に伝えましたが、その中で本を買いました人は3人だけとなりました。最初にこの自費出版本「の奇蹟」をお渡しした人は、一二三神示の記述「始めの7人に知らせてくれよ」に従い、7人だったのです。その相手の中に、すごいシンクロニシティーがありました。そのうちの一人の住所の番地は「3−14」なのです。もう一人は著名な方でした。残る二人はパソコン通信NIFTY-SERVEの人でした。それが1992年11月の事でした。1993年=平成5年であり、359の年となります。

神一厘の仕組は、(私の場合は)「戦争終結への道」に結実したと結論しております。(200001300302)

神一厘の仕組とは、第三次大戦阻止の仕組みでありました。(200604010109)

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