私はスブドで神の力と繋がってスブド会員となってからは、ハートとマインド機能で「扱う対象」はこの世の物理的な、あるいはこの世の出来事的な事柄だけを扱って来ました。精神的な事柄については当ホームページ上に載せてから後は考えることはしません。つまり、基本的に、私は物質世界の事について扱いながら生きています。自分の霊的な側面は神に全託するだけです。

 時々、についての変な言説が一人歩きしている気が最近します。よく「単に注意・関心が向いているだけ」のことを指して「を持っている」と言ったりする人々がいます。確かに宇宙はプラスとマイナスの相互作用で動いているという点から、が宇宙の基本的な力であると捉えられます。しかし、それでは「基本的過ぎる」のです。人間には人間レベル・領域でのがあるのであって、そういう人間領域でを捉えるべきだと思います。単に関心が向いているだけのことをとは言い難いと思います。
 つまり、人が異性関係で捉えるべきはそういうところにあるのであって、余りに基本的過ぎる捉え方をするのはどうかと思うわけです。例えば、「彼は私が他の男と仲良くしててもちっとも嫉妬もしてくれない。きっとがないのね」とか思ったりします。しかし、その男性は「嫉妬の行動を生涯で一度もしたことがない人」なのかも知れません。だとしたら、(嫉妬行動は勿論)嫉妬の感情が湧き上がる瞬間すらずっと自分に禁じている立派な人なのかも知れません。そういう人にがない筈がありません。何故なら、は宇宙の基本だからですね。

 他に少し言及してみたいのは、よく、芸能人は「FUTURE>PAST」という選択をするのだろうと思います。多分、そのような捉え方をするように誘導されて…。でも、はどうでしょうか? そう言う人に限って、については今まで出会った人(々)とのだけを大事にするだけで、未来に訪れるかも知れない(現状)未知のについて「無視している=大切にしていない」のではないかと思います。について「FUTURE>PAST」を行動できている人は果たしているのでしょうか? まずいないだろうと思います。何故なら、人は「過去の記憶データ=既知」に基づいて判断しているからです。だから過去のに立脚して生きているのです。故に、過去の事実関係を知りたいと(裁判などで)訴えている人間も同じだと分かる筈です。つまり、悪いのは、情報を隠して優位に立っている側になります(公開すると負けるからですね)。人間は既知に基づいて考えるしかありません。これは人間のさがです。「善人の相手に何も知らせない」という判断・実行をする側が人間性に背いているのです。(201104172247)





 2008年の1月頃に新聞屋さんの仕事をしてて、その時にメガネのレンズの「左側」が取れてしまい、「右側のレンズだけ」でそのまま仕事をしていた時に、妙なことに気が付きました。いつもの意識よりも言葉数が増えて物の見方に拘りが消えて意識に自由さが生まれたのです。それで、自分の右半身を意識するようにしたら、やはり、同等の効果が生まれる事に気付きました。そのように意識していると、ある時は、感覚「巨大で重たい左半身」を感じる時もあります。

 これで気付いたのは、例えば、ドラマなどを見てて「クサイ」と感じるような感覚が消えることです。それは何故かと考えた時に、左半身=右脳=感覚(主観)は物事をイメージで捉えており、クサイと感じるイメージは自分の中で使い古したイメージAやイメージBやイメージCだった訳です。分ってきたのは、右半身=左脳=言語(客観)を意識していると、個々のイメージから意識が脱却しているのですね。そして、クサイと感じるその感覚は「特定の感覚に縛られている」という制限の感覚が動機となって、「自由になりたい」と潜在意識が衝動を持ち、それで、その個別イメージから逃れようとするようです。
 これを例えてみると、右脳(left半身)は個々のソフトウエア(アプリケーション・ソフト)で、左脳(right半身)はOSのように捉えられるように思います。あるいは、右脳は体内のエネルギーを感じており、左脳は外界に対応しているのでしょう。“right”半身を意識の中心に据えると“正しい”物の見方(特定イメージに捕らわれない)に近づくのかも知れません。よく「車に乗ると人格が変わる」という人がいますが、あれも、個々の外的現象を個人的なイメージとして受け取ることで、主観的な意識に入り込む・取り込まれるために生じることが分ります。“right”半身を意識することによって、主観的なイメージに取り込まれずに外から眺めるような意識になれるのだと思います。

 人類の意識から、この種の「外的現象を一つの主観的イメージで解釈=断定する」傾向性から離れて「特定イメージに捕らわれず全体的に俯瞰している」ような自由度のある意識を持つ道筋があると思うので、公開することにしました。(201008242041)



 男性社会というのは女性にとって「生き難い」側面がありますね。それは、男性が力で押してくることに対抗し難いからでしょうね。ハートとマインドの運用方法を見ると、人よって微妙に違っているのは当たり前ですが、共通して言えることもあります。私たちの情報社会の中で「人でなし」に該当する(ハートとマインドの)運用方法だけは採らない忍耐力をなるべく多くの人が「当たり前」のものにしてほしいものですね。これは、[社会と個人]の中で分類する「人でなし」に追加できる項目だと思います。

・特に男性の場合には、人のハートの基本(、善意)を「(言葉や意図で)レイプしないでいる忍耐力」は「当たり前のもの」にすべきだと思います。

・特に女性の場合には、人のマインドの基本(信頼、真実)を「裏切らないでいる忍耐力」は「当たり前のもの」にすべきだと思います。(200910091603)

 上記のように述べたのは、最近、「知識は要らない」とか、その種の言説がメディアの中で目立ってきているからです。誰かスブド会員が何かを言っているのだろうと思います。確かに、究極的には人に必要なのは真我覚醒であります。しかし、誰もがそこにたどり着く訳ではありません。マインド(の作用)不要・知識不要を唱える人(々)は中間段階の人々を考慮していないのです。今まで首輪を着けられたことのない犬に初めて首輪を着けると、鎖を引きちぎろうとして暴れ続けます。自分の首から血が流れてもそれを続けます。意味が不明だからですね。マインドというのはそういうものです。意味(知識)が分ると安定します。マインドを車のエンジンに例えると、意味不明マインドはガタピシ音を立てて(人生を)走行しています。中には疲れてエンストしてしまう人もいます。でも、知識を持って意味が分っているマインドはスムーズに走行しています。時間やエネルギーの無駄は極力なくしたほうが良いと思います。
 人間の場合に「意味不明」の一例として挙げられることがあります。私はお陰さまで、炎のオーラを持っているので、(色々な意味で)周囲にいる人に力が伝わります。でも、人は(たとえ子供であっても)それが何なのか最初は意味不明です。ここで、マインド優先性格タイプの人は、それに対して「殊更に攻撃的・拒絶的な反応」を示そうとする傾向があります。ハート優先性格タイプの人は、それに対して「好意的な認識」を持つようで、基本的に無反応に落ち着いて行きます。マインドの性質によって反応が180度正反対になって来るのです。
 もう少し分り易くタイプすれば、例えば、私が何かの宗教の教祖という社会的な立場にいるものとします。すると、人はそのような認識・知識・マインドの上で、行動するので、泣き崩れたり、色々な行動で示そうとするのだろうと思います。それとは反対の行動を示そうとするマインド優先タイプの人々もいます。つまり、人の行動は、そのマインドの認識・知識によって180度正反対にもなって来るのです。マインド不要論を唱える人(々)は、人々がガタピシ音(葛藤の音)を立てながら走行するような世界に向かわせようという社会的ベクトルを潜在的に発揮している事にもなるわけです。知識不要論で「意図しているもの」は何であり、そのような主張を始める「動機」は何だと思いますか? マインドが不要(というより平静になる事)となるのは瞑想の時や、スブドのラティハンの時のような限られた時だけです。マクモニーグルのような人にとっては透視する時に必要な態度ですよね。(200910091706) マインドは物質世界(この世)で必要な能力ですね。(200910091855)



 ハートとマインドについて基本的な側面に気付いた時に述べて行こうと思います。

 ハート(感性)はまさに人間のハート(英語で“中心、本質”という意味があります)であり、神()との繋がりであり真実の源です。一方、マインド(論理性)については、基本的に自分で体験した情報以外は伝聞情報に過ぎず、真偽を断定する事に苦労します(時間がかかる)。そうやって断定した事にも結構な間違いがあり得ます。マインドはそれだけ真実から遠い位置にあります。

 マインドには3段階あると思われます。

1.一方向へ振れるマインド(小)
 例えば、「芸能人のAさんは親切な人だよ」と言われているので、その「イメージだけ」で記憶の塊が一つできる(このアンバランス認識(良性の偏見)自体が最初から問題。この認識能力の怠惰の中に罪が潜在しているとも言えます)。
 マインドの使い方がこのタイプの人は、潜在的に色々な問題を抱えていることになり、将来、何度も問題が発生すると思われます。例えば「騙された」と言うだろう回数も多くなると思われます。

2.逆方向へ振れるマインド(中)
 ある時、テレビでAさんが親切ではなかったので、しかも悪い事にそれが原因で問題を起こしてしまったために、「親切でもなく、また、視聴者を騙していた悪いAさん」という、これまたアンバランスな認識(悪性の偏見)に極端に振れて行きます。実は、このようなマインドの性質は知られていて、メディアによって「利用されている」と考えられます。例えば、「イメージを悪くさせたい有名人Aさん」がいたとします。ある権力者(政治家、プロデューサー等々)によって広告宣伝が打たれます。「Aさんはなんて親切なんだろう」と。勿論、言葉にせずにAさんを意味するシンボルを様々に組み合わせ、多用してAさんを意味させます。すると、どうなるでしょうか。特に関心を持つ視聴者はAさん=親切というイメージだけを持つのに疲れてきます。そこへ、実はメディアによって舞台裏で用意されたハプニングを引き起こす事で、Aさんが(例えば)感情的になって親切でなくなります。これを見た視聴者は今までの疲れから、Aさんのこのイメージの快感に飛びついて離れなくなります(^^;。こうしてAさんのイメージはメディア権力者の想定通り、悪いイメージにされて多人数の中に固定化されます。反対から言えば、大衆は認識が怠惰だから簡単にイメージが固定化され易い。
 マインドがこの段階の人は、上記の小マインドの人の認識に対して「反対の認識を補おう」という傾向が見られます。意外性や斬新性を特に取り上げて大切にします。日本のように、全国民的に教育を受けている国では、もしかしたら、この中マインドのような「補おうとするマインド」を持つ人が一番多いのかも知れません。例えば、この位置で述べると良いと思うのですが、小マインドタイプの人ばかりだと、「へぇー、政治家の先生は偉い方ばかりで、どエライことばかり考えなさっておいでです」という偏りがあります。中マインドタイプの人は、その認識の正反対の認識を付け加えて把握します。「政治家というのは、金儲けばかりやってる」とか、あるいは「政治家って普段から周囲におべっか使われて、それが普通になってるし」とか、とかく見下せる側面ばかりを「見つけて」認識の中心に置こうとする傾向です。(但し、権力を持った人々が、いかに傲慢不遜に老人や障害者の生活を困窮化させているかという実態事実があるわけですが⇒【→阿修羅発言阿修羅発言(200907131652)】)

3.正中を行くマインド(高)
 この高マインドタイプの人は人数的には、大変に少数ではないかと思います。上記の例示を引き継げば、政治家を見上げるわけでも見下すわけでもなく、例えば友人として、あるいは同じ人間として、小中マインドの両極端だけではなく、これらの正中をぬって、本当に真実を認識しよう迫ろうとする高活性タイプのマインドを持つ人です。ただ、マインドだけで迫ろうとすれば、色々な情報に触れなければなりませんし、大量の情報に触れても、「確からしさ」は高まっても、断定までは出来ません。このような「断定せずに留保したままでいられる忍耐力」という基礎がなければ、この高マインドの活性を維持できません。

 ここからは「人間」を分けてみましょう。

・先ず、動物は、認識能力はあっても、それは目の前の事や、自身に関わる個的な体験の範囲に限定されます。「世界には貧困で苦しむ人々がいるからそれを問題の中心として考えなければならない」という抽象的なことを考える事は苦痛どころか出来ませんでしょ。

・人間には一応、そのように抽象的な事柄を「考える・思う事(ある程度行動する事)」は出来るのです。そういう能力はあるわけです。そのような領域で頑張る人・活性を高めてきた人は人間的な人と言えるでしょうね。そのような人のマインドも小⇒中⇒高と活性化して行きます。高に至っても、人間である限りは「断定が出来ない」という問題が残ります。しかし、高マインドを持つだけでも相当のものだと言えます。人間としては超人と言えるかも知れません。

 ここで当ファイルの最初に述べた「ハート(感性)」に到達します。

 人間には感覚器官による「外的感性」と、直感や第六感とも言われるような「内的感性」がありますね。マインドが物事について内的感性に照らし合わせて「これは真実だ」と真に直感を知覚したり、それほどハッキリ具体的に体験せずとも、「いつもこちらのほうに真実性を感じる」というふうにして真実に迫る事ができる可能性が残っています。但し、マインドが器(受動)であるという基本形・法則を外れては何も“受け取る”事は出来ない模様です。ルドルフ・シュタイナーはそのような認識拡大の道を人類に残しておいてくれました(イザラ書房「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」)。人としての基本形を守る事で開花するものがあります。このような認識力があれば色々な情報を集めなくても真実に迫れるものかも知れません。こういう風に真実に迫る事ができるような人は神人と言えるのではないかと思います。(200907101335)















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