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霊界物語

出口王仁三郎の予言には「型」の思想がある。これは、神界に起きたことが「型」となって現象界に起こり、大本教に起きたことが「型」となって日本に起こり、日本に起きたことが「型」となって世界に起きるというものである。
まえの天照皇大神官どののおり、岩戸へおはいりになりたのを、だまして岩戸を開いたのでありたが、岩戸を開くのがうそを申して、だまして無理に引っ張り出して、この世は勇みたらよいものと、天の宇受売命どののうそが手柄となりて、この世がうでつくねた世であるから、神にまことがないゆえに、人民が悪くなるばかり。

龍宮館には変性男子の神系と変性女子の神系との二大系統が、歴然として区別されている。変性男子は神政出現の予言、警告を発し、千辛万苦、神示を伝達し、水をもって身魂の洗礼を施し、救世主の再生、再臨を待つてをられた。ヨハネの初めてキリストに対面するまでに、ほとんど七年の間、野に叫びつつあつたのである。

天災がないというてのうらいご不足、天災が早うありたらどうするつもりざ。世界はつぶれても、世界の人民がみななくなりても、我さえよけられよという精神。改心いたすがおそくなりて、数あるものも総ぞこないになることになるぞよと申してあるが、いろいろと焦げるよりも、松心でおりてこの方の申すようにしておりて、仕組みどおりの御用いたせば、世界へ早うわかりて、ひのなかもこれだけ苦しみいたさずに、ものごとが勇みてでけるぞよ。

天災地変を指折り数へ松虫の、冬の霜さき憐れなるかも

預言のみ好きな信者はともすれば、妖言過言に脱線するなり

預言とは神の予定の示顕なり、預言と確示はやくさとらへ

立替を世人のことと思ひそ、立替えするは己が身魂ぞ

手も足も動かさずしてみろくの世、早や来れかしと祈る曲神

大三災小三災の頻発も、人のこころの反映なりけり


数運は天運と相合す。尋仁は化世の大責を負う者、必ず数運と天運の輪転に循い、以て世間諸劫の障を受く也。
(昭和13年2月18日)

千二百六十日の間月汚す六百六十六匹のけもの
(第36巻第14章の余白歌)

・・・厳の御霊は奥都城に隠れ給ひ、稚姫君の御霊と共に天津国に上りまし、地の上の総てを憐れみ恵ませ給ひ、又端の大神は千座の置戸を負ひて黄泉に下り、百二十日あまり六日の間、虐げられ、再び蘇りて綾の高天原に上り・・・
(『讃美歌』祝詞第477)

東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する心算なり。事の成否は天の時なり、煩慮を要せず。
(王仁三郎の遺言「錦の土産」)

1.船の今神港波止場を出でむとし、惜しみ見送る八人乙女等

2.紫の波の中より抜き出でて、永久に静けき淡路島山

3.東路の地のさわぎを余所にして、静かに浮ぶ淡路島山

4.淡路島呼べば答ふるばかりなる、磯辺をかすりて船の行くなり

5.牛嶋の影目に入りて吾が胸は、いとどかなしく成りまさり行く

6.九年前に開きし神島は、昔ながらに吾が身老いぬる

7.七人の男子女子の一行が、倶にのり行く神の方舟

8.十二夜の月の光を浴びながら、浮き世の瀬戸の海渡るかな

9.十二夜の月は波間に砕けつつ、火竜となりて海原に躍る

10.十二月十二の月影浴びながら、水の御霊ぞ初渡航する

11.十二月十二の空に瀬戸の海、乗り行く火伏せ水の大神

12.年十二月また十二日も十二、合わせて三六の今日の船出

(大正12年旧暦12月13日)

智者とは日を知る者の意である。日は熱と光の源泉であり、万有の生命の原動力である。はたして今日の科学者に生命の根本をあきらかにせるものが一人でもあるか、すなわち日を知れる智者なるものがいくばくかあるか。
(人類愛善新聞昭和10年8月「専ら天を恐れ其の啓示に心せよ」)

愈々今年(大正7年)は五六七の神政の初まりとなりたぞよ。大正七年旧十月三日は、五六七の神政の守護の初りであるから、神界にては大正七年十月から神聖二年となるのであるから・・・
(大正8年1月19日)

常闇の夜の帳は降ろされて、初めて慕ふ月の影かな
足引の五十路の山を二つ越えて、三つの神ます花園に進む
一人行くも惜しくぞ思ふ花の山、ふりかへりつつ招く友垣
暁を告ぐる御殿の太古の音に、長き眠りをさましつつゆく
人は皆深き暗路を渡り川、清き流れに更正主一人立つ
(大正12年5月16日)


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