02830/02848 MHD02502  ARION       RE:ARIONへ、情と性のことで
( 7)   94/07/27 16:30  02766へのコメント

SUB ARIONより、めのうへ
 #02766 めのう

 はじめまして、めのう。
 
 自分を相手に委ねてしまうことが出来なければ、
 性交は、ただ欲望を満たすためだけの交わりに見えてしまうね。
 
 太古の昔からつい近代まで、女性が自分自身を安心して委ねることの出来る相手は、
 「頼れる相手」「力強く自分を守る相手」という傾向があった。
 
 反対側の男性は「暖かく優しく自分を受け入れる相手」「自分が守る相手」という
 傾向を持っていた。
 
 これは社会がどうの、教育がどうのという問題では無く、それが生み育てる性と
 生ませ、守る性の違いから来るもので、
 それ自体の良否が問われるべきでは無いものだったのだよ。
 
 近ごろは社会体制も変化し、男女の相手に求める意識は変化したようだが。
 また、男女同権という奇妙な考えが全てに行き渡り、男女の特質故の傾向までも
 変化せざるを得ない様だ。
 
 めのう、あなたはあなたの伴侶を頼れる相手だと感じているだろうか?
 また、性交や抱擁を喜べない自分に罪悪感を持っていないか?
 夫婦が互いの接触を喜べなくなるのは、片方だけの問題では無い。
 
 めのうの伴侶に提案してみると良いことがある。
 
 めのうと彼の立場を逆転させたゲームをしてみなさい。
 つまり、めのうが接触したがり、伴侶がそれを拒絶するということだ。
 伴侶はめのうになりきり、めのうの言動を模倣する。
 めのうは、伴侶になりきり伴侶の言動を模倣する。
 
 お互いにシッカリ真剣に、これをやってみなさい。
 馬鹿馬鹿しいと思わないで、やってみてごらん。
 
 そして、拒絶する側と拒絶される側が反転したままで、
 お互いに、「この場合、こう言ってもらいたかった」ということを、
 正直に伝えてみてごらん。
 
 頭で考えていても何も始まらない。
 行動しなさい。
 
 男性の性は女性の性とは異なる。
 女性の性は、単体で創造と破壊のエネルギーを合わせ持つが、
 男性の性は、創造のエネルギーしか無い。
 男性の創造のエネルギーは女性のそれより大きい。
 女性だけでは、創造し得ないものも、
 男性のエネルギーを受け取ることに依り、可能になる。
 
 男性は創造のエネルギーしか持たない為に、
 ある程度のエネルギーのピークを迎えると、
 男性は女性に近づき、
 自らの創造のピークに破壊の力を加えて、
 一つの完成させたエネルギーにしたい気持ちになるが、
 これは自然なことなのだ。
 
 こうして形成された創造のエネルギーを女性は受け取り、
 代わりに破壊のエネルギーを男性に渡す。
 
 これが生命エネルギーの循環であり、
 こうした男女の特性に依るエネルギー分担が、
 宇宙生命潮流の流れに合一する、生かし生かされる力=を支えている。
 
 こうした自然の流れにお互いに罪悪感を持ってしまうと、それが抑圧になり、
 色々な歪んだ形を顕す。
 
 こういう形で説明してしまうと、ロマンの香が感じられなくなるが、
 これが私達神霊族から見た、エネルギーの流れなんだよ。
 
 そこに「感情」という色を添えて、美しく人間的なドラマに仕立てるのが、
 恋というものだろう。
 
 めのう、あなたの伴侶と立場を入れ替えるゲーム、照れないでやってごらん。
 
 あなたの場合、伴侶との本当の意味での融合の為の離反である。
 
 離反することが先に見えるのに、仮の融合を果たしたことの結果であること、
 つまり、小さな拘りをお互いに解消しないままの融合は離反を孕むことであると、
 理解するためのステップとしての離反であることが、遅かれ早かれ分かるだろう。
 
 
 
                     −−−ARION,O∴O−−−


02831/02848 MHD02502  ARION       RE:ARIONより全ての者へ
( 7)   94/07/27 16:31  02774へのコメント

SUB ARIONより、まるにちょんへ
 #02774 まるにちょん

 ありがとう。
 
 全ての事々、無事に終了する事を祈っている。
 これからの為に、下記に記すことは、あなただけに話すことでは無いが、
 この場を借りて記しておく。
 
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 風に吹かれて、靡く松は。
 なに色の風を伝えるか。
 
 陽光に輝く、水しぶきは何処に弾けるか。

【オリハル註:
陽光というと、一般啓蒙向け冊子「陽光ライフ」を発光している崇教真光か?
水とは経済の循環によく例えられます。だとすると、崇教真光がMSさんのスポンサーになる可能性?
「何処に弾けるか」と問うているのは、崇教真光は誰に出資しようか決めていない時期だったのか?】
 
 この世とあの世と、狭間の世。
 脆き絆は、絹の赤。
 
 封じられ卑しめられた過去への思いより、
 封じられつつある、卑しめられつつある未来への怖れを。
 
 あなたがたの見えない所で、
 あなたがたに気付かれないように、
 あなたがたの屋形骨が腐りつつある。
 腐らせようという目論見が、成功しつつある。

【オリハル註:崇教真光の幹部の誰かが統一教会から脅されて計画に加担した?】
 
 霊主体従の徳を失った者は、
 魂の欠けたる者。
 
 欠けたる者は、満ちたる者の足を引っ張り、
 満ちたる者は前へ進めない。
 こんなことで良いのだろうか?
 
 欠けたる者は、満ちたる者から分けて貰うことを考えるな。
 満ちたる者は、持てる悲しみに負けるな。
 己が、己のみが欠損を修復出来るのだ。
 
 魂の欠けたるは、己の生き方の結果。
 押し並べて平均化する事が正しいと誰が教えたのか。
 満ちたる者は欠けたる者に分けることが正しいと、誰が教えたのか。
 生き方を押し並べることは不可能なのだ。
 悪しき平等主義を、魂の世界にまで持ち込むな。
 
 欠けたる者への憐れみは、奢り。
 満ちたることへの無感謝も奢り。
 
 欠けたる者は、欠損を補う努力を。
 満ちたる者は、前へ進む努力を。
 
 
                   −−−ARION,O∴O−−−


当日の書き込みの中に興味深いメッセージもありましたので、載せておきます。(200410291752)

02233/02233 GFB00026 一輝 『光の黙示録』詩的メッセージP.191-192 (14) 94/07/28 00:21 02230へのコメント 以下、『光の黙示録』詩的メッセージP.191-192より。   「7.………こと これに覚えしサキツチのシズカネいわく   日の本の島々 これ総ての流砂の磐に留まるが如し    この磐 揺るがせば形変へるべし    かの人々来たる日には この島大いに繁栄すべし    西の雲 茜に染まり日の暮れるを忘れる日に    かの人々 この島に来たりて杖を振るい いにしえの力を隅々に行き渡らせり    山々の裾野の集えり人々は ただ ただ 空を仰ぎ    声なき声持て 叫ぶであろう    こは如何にして この災いを避けるべきかは不二の高嶺を奉る    亀石の翁のみ知る事ぞ    しかして この災いを転じて福と為すは そちらの志ひとつぞ    闇から闇へと葬るも良し 闇からサキツチの世に出すも良し    滴岩 勝ち得て喜ぶ者よ    そなた達の玉緒に残れり その土をば    不二に帰す事ぞ 世の東西を結ぶ磐 二にして一なり    多くを持つ事は 必要無し    真珠の光 浮かぶ日こそ世に茜さす日ぞ」 以上です。

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