「PRIDE」の仕掛け人・百瀬博教氏が死去
http://www.asyura2.com/08/nihon28/msg/112.html
投稿者 躁鬱暇人 日時 2008 年 1 月 28 日 23:27:26: Tm8/X7PP4gE1k

「PRIDE」の仕掛け人・百瀬博教氏が死去
(出典:iza > http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/118676/ )
 「石原裕次郎の用心棒」で格闘イベント「PRIDE」の仕掛け人として知られる作家の百瀬博教さん(67)が死亡したことが28日、分かった。警視庁赤坂署で死因を調べている。

 調べでは、27日午前2時40分ごろ、東京都港区南青山の百瀬さんの自宅を訪れた知人が、風呂場の湯船の中で意識を失っている百瀬さんを発見。救急搬送されたが、午後3時半ごろ、死亡が確認された。

 百瀬さんのホームページなどによると、百瀬さんは大学在学中に、用心棒をしていた高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、故石原裕次郎氏と知り合い、用心棒を志願し交流を深めた。拳銃(けんじゅう)所持で服役した経験を持ち、作家として「不良ノート」(文芸春秋)などを出版。アントニオ猪木氏と親交があり、格闘プロデューサーとしても活躍した。

【以下私見】
さて、この百瀬氏に関しては、DSE(ドリームステージ・エンターテイメント)の森下元社長が自殺(?)した時にも登場した人物です。
これについては、「少し古い話ですが…」とタイトルでプエルトリコさんがお書きになっています。( >http://www.asyura2.com/0310/nihon8/msg/228.html )
まさか自分も同じような不可解な死を招くとは彼も思ってもいなかったことでしょう。
お決まりの極めて無難な警察発表があるでしょうが、どこまで真実なのかは闇の中に潜ったまま……


内調事務官を懲戒免職 「不適切な金銭収受」(東京新聞)
http://www.asyura2.com/08/nihon28/msg/105.html
投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 1 月 17 日 22:22:24: sypgvaaYz82Hc

内調事務官を懲戒免職 「不適切な金銭収受」(東京新聞)
2008年1月17日 18時50分

 内閣情報調査室の男性事務官(52)が、在日ロシア大使館の2等書記官に機密情報を漏えいしていたとされる問題で、内閣官房は17日、「不適切な金銭の授受があった」などとして国家公務員法に基づき、事務官を懲戒免職処分にした。上司の処分も検討している。

 警視庁公安部は国家公務員法(守秘義務)違反容疑で事務官を来週にも書類送検する方針だが、内閣官房は情報漏えいについて「重要な部分は含まれていない」とし、同法違反には当たらないと主張している。

 内閣情報調査室によると、男性事務官は昨年1月−10月、都内の飲食店などで8回にわたり、2等書記官に海外の新聞の翻訳や、有識者による勉強会の発言をまとめた資料を渡し、現金計82万円を受け取った。

 事務官は「まずいとは思っていた。秘密に当たる部分は渡していない。数年前から資料を渡すようになり、現金は数年間で約400万円もらった」と話し、現金は競馬や飲食費に使ったという。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008011701000491.html


医師に誤診の罪を問うと同じく弁護士にも問う
http://www.asyura2.com/07/nihon27/msg/614.html
投稿者 木村二 日時 2007 年 12 月 25 日 21:23:14: CjMHiEP28ibKM

随時日誌071225

医師に誤診の罪を問うと同じく弁護士にも問う

本年は私にとって70歳の古希の年であった。老い先短いとなれば、遠慮なく言いたいことを、言って置きたい。
私は、日本テレビを相手に、不当解雇撤回・現職復帰を求めた戦いで、35歳からの16年半、人生の大半を費やした。
 その裁判の最終段階で、いわゆる争点に関する法律雑誌の記事を見て、愕然とした。
 私の解雇事件は、「潜脱」という問題点を含んでおり、それを追求することで、類似の事件に見習えば、半年で勝てたのである。
 
 私の解雇は、勤務成績不良を名目とするも「普通解雇」だったが、ほとんど同じ理由で、それ以前に、出勤停止の処分があり、それが、「不当労働行為」として東京都労働委員会で係争中だった。
 しかも同時に、労使協定に基づき、労使間の「懲戒委員会」の議題にもなっていた。「類似の事件」の判断では、この労使間の「懲戒委員会」を避けるために、「普通解雇」にするのは、「潜脱」になり、それだけで違法・無効なのである。
 
次はその法律的な説明である。
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【潜脱】〔専門〕 法 一定の手段とその結果を法が禁止している場合、禁止されている手段以外の手段を用いて結果を得て、法の規制を免れること。
----------------------------------------------------------
私は、「類似の事件」の判決文をコピーし、弁護団に見せて、主張に加えた。しかし、「特異の主張」」と称する裁判官用語で一蹴された。

弁護団の長老は、その後、ある会議で、私が弁護士への感謝の言葉を述べていると、「木村さんの事件では弁護士は間違えていた」という趣旨のことを囁いた。裁判に負けたのだから、どの問題点のことかはきめにくいが、私は、「潜脱」の問題点に気付かなかったことを指していると思う。
 この長老を含めて、弁護団は、私の指摘で「潜脱」の問題点を知っていたのであるから、共同責任がある。
 最大の問題は、その問題を含む訴訟の初期から、事件の診断をした弁護士にある。
 この弁護士が、最近、以下の「由法曹団」の団長になっているので、あえて、事情を明らかにし、「誤診」の責任を追及する。
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由法曹団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

自由法曹団(じゆうほうそうだん)は、1921年に結成された日本の弁護士団体。所属弁護士の人数は約1700人。主張は革新的色合いが強い。基本的人権を守り民主的日本の実現に寄与するとしている。英語名Japan Lawyers Association for Freedom。略称JLAF。

設立目的は「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」とし、刑事弾圧・冤罪事件、労働事件、基地訴訟、環境・公害事件、税金訴訟、消費者事件など様々な裁判に取り組んでいる他、イラク派兵、国旗・国歌の強制、教育基本法「改正」、弁護士費用の敗訴者負担などに反対している。

現在、1,688名(2006年9月現在)が団員弁護士として活動し、全国で38の支部組織を有する。役員は、団長・松井繁明(17期)、幹事長・田中隆(30期)、事務局長・今村幸次郎(50期)が担当(2006年総会にて改選)。

オウム真理教幹部らにより殺害された弁護士坂本堤も所属していた。

国や大企業を敵に回した弁護活動をしていること、個人の思想の自由や男女同権を重視した主張をしていること、社会的弱者を擁護する主張が多いこと、これらの「革新的」色合いの強い主張をもって、渉外弁護士や企業法務を主に取り扱う弁護士からは「左翼系」扱いされることも多い弁護士団体である。

団所属の主な弁護士
布施辰治 団創立メンバーのひとり。
* 松本善明 松川事件弁護団の一員。元日本共産党衆院議員。妻は画家のいわさきちひろ。
* 正森成二 元日本共産党衆院議員。
* 雪田樹理 横山ノックの強制わいせつ事件や島田紳助のマネージャー暴行事件を担当。
* 川人博  過労死弁護団全国連絡会議幹事長、「北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会」幹事、特定失踪者問題調査会非常任役員
* 木村晋介 「北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会」共同代表
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公安調査庁ー満井忠男氏の所在が不明 [ESPIO]
http://www.asyura2.com/07/nihon25/msg/689.html
投稿者 white 日時 2007 年 6 月 20 日 19:28:42: QYBiAyr6jr5Ac

□公安調査庁ー満井忠男氏の所在が不明 [ESPIO]

 http://espio.air-nifty.com/espio/2007/06/post_5f34.html

公安調査庁ー満井忠男氏の所在が不明

 満井氏の所在が分からない。2日ほど前から連絡がつかないのだという。一部には「消された」説まで飛び出している模様(そんなことはないと思うけれども)。


2007.06.20 | Permalink


公安調査庁ー不可解な警視庁公安部の動き [ESPIO]
http://www.asyura2.com/07/nihon25/msg/687.html
投稿者 white 日時 2007 年 6 月 20 日 16:16:24: QYBiAyr6jr5Ac

□公安調査庁ー不可解な警視庁公安部の動き [ESPIO]

 http://espio.air-nifty.com/espio/2007/06/post_475b.html

公安調査庁ー不可解な警視庁公安部の動き

 筆者が一つ疑問に思うのは、公安警察は一連の動き、特に緒方氏の関与をいつ知ったのかということである。
 現職時代に伝え聞いた話では、警視庁公安部などにもなると、本当に必要がある場合には、一人の対象者を行動確認するのに400人の捜査員を動員することもあるのだという。
 それぐらい緻密なのである。
 かたや公安調査庁は全国で1500名程度の組織に過ぎないので、とうていそんな作業の真似はできないのである。
 こと協力者工作の態様・成否については、両者でそれほどの違いがあるとは思わない。しかし、土台となる基礎情報が違うので、特に国内においては圧倒的な情報力の差が生まれるのである。
 そういう次第なので、公安部はたとえば許宗萬がいつどこに立ち寄り誰と会ったかなど、ほぼ完全に把握しているはずなのである。
 もし公安警察と公安調査庁の関係が良好であれば、「お宅の元長官が妙な動きをしているけれども、これは組織的な了解を得ているのか」などと当然一報するだろう。そして、公安調査庁に緒方元長官の活動を制止することを促し、かつ自らもこれに協力することだろう。
 ひょっとすると、公安警察は、緒方元長官の関与を察知しつつ、それが登記という明白な証拠の形に残るまで、事態を静観していたのかもしれない。
 つまり、他機関ですら、「公安調査庁には潰れてもらいたい」「公安調査庁など要らない」と考えているということである。


2007.06.20 | Permalink


近畿財務局調査官が痴漢=電車内で女性の太もも触る−京都府警 [時事通信]
http://www.asyura2.com/07/nihon25/msg/327.html
投稿者 white 日時 2007 年 6 月 12 日 23:03:06: QYBiAyr6jr5Ac

□近畿財務局調査官が痴漢=電車内で女性の太もも触る−京都府警 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070612-00000112-jij-soci

近畿財務局調査官が痴漢=電車内で女性の太もも触る−京都府警
6月12日18時1分配信 時事通信

 電車内で女子大生の太ももを触ったとして、京都府警伏見署は12日、近畿財務局京都財務事務所調査官前川正弘容疑者(39)=京都府京田辺市東鍵田=を府迷惑行為防止条例違反で現行犯逮捕した。容疑を認めているという。 

最終更新:6月12日18時1分


毅然とした態度を警察がとれないことを末端の組員まで知ったわけで、これはますます 組織が銃器頼りになることを意味する
http://www.asyura2.com/07/nihon25/msg/123.html
投稿者 TORA 日時 2007 年 6 月 06 日 06:31:06: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望


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毅然とした態度を警察がとれないことを末端の組員まで知ったわけで、
これはますます 組織が銃器頼りになることを意味する (闇の声)

2007年6月6日 水曜日

◆953 名前: 闇の声2007/05/17(木) 22:26:47 ID:K4r3ujR9  2ちゃんねる
http://makimo.to/2ch/money6_seiji/1163/1163398699.html

痛ましい事件が起きている
警察上層部が見て見ぬフリをしてきた結果命を落とすのは末端の警察官だ

今回も、長崎の件も警察と組織上層部の馴れ合いが招いた結果、資金力のある組織は
どんどん銃器を購入しそれを個人単位で持つに至った
長久手の事件で気が付いたのだが家の側にトラックが止まっている
産廃関係なのだろうか・・・
あるいは、業務用の中古トラックの集積場なのだろうか
どっちも組織の資金源だと言う事だ
警察は日頃から、あそこには組織の人間がいてしかも銃器を持っている事は
知っていたはずだ
なぜ知っているかというと、警察も組織上層部も命が惜しいからだ
危ない人間と銃器の存在は情報交換している
それを警察は一般市民にも末端の署員にも知らせず、お互いの情報や金の貸し借りの中で
処理してきた
そのツケが出てきただけのことで、銃器を放置してきた警察の怠慢・・・いや、馴れ合いの結果だな

今回のこの事件、これは六代目には痛手だ
長久手はトヨタの本拠地に近い
景気の良いトヨタなど中京地区の企業を相手にしてきた六代目にとっては
お膝元での不祥事だ

◆長崎の件も、結果的に闇に葬ることに成功したな
長崎の組織は表向きと違いまるっきり温存されている
新たな利権を用意し、食い扶持は用意した言う事だ
注意してみているが、白いバスは都内を走っていない
と言う事は、充分な金があの地区の組織に撒かれたと言う事であり
その中心にいるのは現役の大臣だ
参院選に出てくれと言ったのは、余りに長く椅子に座っていると色々面倒くさい問題が
出てくるからで、知らなくても良いことまで知ってしまう
所詮市長なんて、国会議員からすれば使いっ走りなのだ
その議員が組織とくっついていればどっちを取るか自ずから判る
臭いモノに蓋する事に成功したのだ・・・

警察はそれでも動けないだろう
組織との癒着が酷いので、組織の持っている銃器の摘発は実際上無理なのだ
今回も頭の狂った元構成員の犯罪で済ますだろう
そうしなければ銃狩りをしなければならないが、それには組織は応じない
毅然とした態度を警察がとれないことを末端の組員まで知ったわけで、これはますます
組織が銃器頼りになることを意味する

◆破門したと言うが、本気で破門にするならタマまで取ってるな
それを取ってないって事は活かしておく理由があったと言う事だ
頭がいかれちまった奴が拳銃持っているなら組の幹部も安閑としちゃいられない
誰が銃を持ってるか、組の幹部も警察幹部も知ってることだ
それを野放しにしてたって事は、組と県警の上層部でお互いの了解があったんだろ
これは推測だが、ヒットマンだったんではないか?
それも、お膝元だからな・・・

十年前に破門になった時期は、若頭暗殺があった時だ
中野会と宅見組との抗争事件だが、何かの時に備えてヒットマンを
用意していた時期と重なる
警察もヒットマンだと言う事は知っていたが、それを放置した
殺さなかったのは、殺してしまえばメディアが勝手放題を書くだろう
そうなれば菱と上層部との馴れ合いを・・・知っていて野放しにしたことを
書かれる危険がある
本人が「俺は関係ねえ・・・」と言えば何よりそれが言質となる
「本人が違うって言ってんだよ!!」とお得意の凄みを利かせられる

ヒットマンは明日のない命であることも覚悟しなければならない
だから、薬漬けだ
殺してしまって、検死報告をしなけれならない・・・それは避けたい
薬漬け、銃の所持を上層部は知っていたはずだからな

資金力が一番有るのが六代目だ
それのおこぼれに県警が預かっていても、不思議ではないな

◆今はそう言う極道も少なくなったが、それでも組の代紋は命に替えて守らなければならない
今回の事件、警察の戦闘能力が全く無いこと、それも銃を扱えないことが
はっきり判ったと言うことだ
直接戦うのもあるが、組織は警察上層部への駆け引きに、銃の差し出しを使うことが出来る
いざ暴れても知りませんぜ・・・
これは大きいな

どこで実射訓練をしたのか・・・恐らくフィリピンかタイの北部だろうが
そう言うのがいたる所にいて、銃を持ちながら普通に暮らしている
しかし何か有れば警察に撃ってくる
これは暗殺部隊には絶好の材料になったな
先手必勝なのだ
撃ってしまえばよい

長崎の事件でもそうだが、本気で警察は動く気はない
口実を付けてでも掃討作戦が出来るはずを動かない
これは今の内閣とその前、その前まで見れば判ることだ
政治組織と闇組織が癒着し、警察もそのおこぼれに預かっている
末端の若い組員や組織に入りたいと言う連中が警察をいよいよ恐れなくなってきている
そうなると組の抗争も飛び道具を使うからますます銃社会になる
怖い時代になったね

◆今回の事件、不思議なことが幾つかあるがその中でも、六代目が収監されている間に
なぜ銃を使った事件を起こして、その収拾が中途半端なのか・・・
「殺意はなかった」とわざわざ偶発的な事件としている事、これは警察の日頃の失態の他に
もう一つの意味があると思う
それは、六代目を収監する変わりに何か密約があった・・・しかし、それを警察は破った
このところの警察を見ていると、菱絡みは全部警察の負けだ
後藤組の組長も、判決はかすり傷程度だろう
そのカエシを恐れて、関係者は金を山と積まなければならない
堀江にしろ、村上にしろ、判決は軽微であり隠した金はそのままだ

菱は本気で怒っているのかも知れないな
警察はホシを殺すわけには行かなかった
それは、ホシが特別な人物だったか・・・警察にとってもな
なぜ、あの乱暴者が捕まらないでのうのうと暮らしているのか・・・
庶民が不思議がっている実例は山ほどある
その全てを警察は知っているのだが、見て見ぬフリをしている
前から書いてきたが、警察幹部のスキャンダルを組織はみんな握っている
それをネタに巧く持ちつ持たれつをやってきたのだが、何かが狂ってバランスが
崩れたのだろう
今の警察相手に銃を使って何かやっても、警察は撃ってこない
撃てない理由があるのだろうな

◆何故ここに再び書いているか、それはこの種の犯罪がこれから多発するし、
尽く庶民側に被害が集中するからだ
国粋会を巡る銃撃事件で、最後には国粋会の総裁が自決して事件を収めた
これは警察が収めたのではなく、自分達で極道としてのけじめを着けたのだ
だから、国粋会は新総裁の就任で各組織の承認を得た
ここに、警察は全く介在できていない・・・つまり、庶民の安全を脅かした事については
警察は関与しない事を明確にしたのだ
もはや抗争事件は警察で収めることは出来ない
無数の銃が日常生活を脅かす事になる

その背景にあるのは、勢力拡大を図るには金が第一なのだが、金がなければ
武闘派として請負で金を作るしかない
その為には武器が必要であり、ヒットマンが必要になる
若い奴をどんどんフィリピンやミャンマーなどに送り込んで、(ベトナムも多いらしいな)
実射訓練をさせる
再び抗争の時代に入ったし、その抗争に警察は無力だ
組織のトップから警察に、お互いの勢力を侵犯しないようにしようじゃないかという
密約でも持ち込まれてるんだろうさ
だから、今回の逮捕劇を見ていても実に紳士的だ


(私のコメント)
新聞テレビは戦時中の検閲体制を残していると書きましたが、マスコミはヤクザ社会の事はあまり報道しません。ヤクザは警察ですら骨抜きにしてしまうくらいあくどいからマスコミを脅すくらい訳はない。記者たちも時々闇社会に深入りしすぎて消される記者もいるようですが、「株式日記」が匿名なのも殺されない為の用心だ。

長崎の事件といい、長久手の事件といい、ヤクザとピストルは切り離せないものですが、警察の捜査が及び腰なのも警察の幹部がヤクザに弱みを握られてしまっているからだろう。警察の幹部など女を抱かせるなり賄賂を贈るなりすれば一発で取り込むことが出来る。だから警察はヤクザに向かって発砲は出来ない取り決めが出来ているようだ。

オウム真理教事件で警察庁長官がピストルで撃たれたくらいだから、警察幹部といえども身の安全は万全ではない。ヤクザのヒットマンは薬で半分くらい気が狂っているから平気で警察官でも発砲して殺す。長久手の事件の犯人も組から破門された事になっていますがヒットマン要員だからだ。

長崎の市長殺しもヒットマンにやられたわけで、地方に行けば警察幹部とヤクザの幹部は馴れ合いで、利権を分け合っている。警察幹部もパチンコ業界に天下りしたりして癒着しない方がおかしい。何も知らないのは現場の警察官ばかりで、たとえヤクザがピストルを発砲しても警官は発砲は出来ない密約があったようだ。きっと警察幹部が天下りが出来なくなるのを恐れての事だろう。

闇の声氏の言う事が憶測で言っているのかもしれませんが、事件に対する警察の対応が及び腰なのは確かだ。長久手の事件も元組員が銃を発砲して警官を負傷させたのだからSATが一発で処理するのが当たり前なのに手を出さない。組と警察との間で密約があると見るべきだろう。


自衛隊員、痴漢で逮捕=電車で女性の体触る−埼玉 [時事通信]
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/866.html
投稿者 white 日時 2007 年 6 月 05 日 09:50:51: QYBiAyr6jr5Ac

□自衛隊員、痴漢で逮捕=電車で女性の体触る−埼玉 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070605-00000000-jij-soci

自衛隊員、痴漢で逮捕=電車で女性の体触る−埼玉
6月5日0時32分配信 時事通信

 電車内で女性の体を触ったとして、埼玉県警東入間署は4日、県迷惑行為防止条例違反の現行犯で、同県川越市霞ケ関東、航空自衛隊員西海義隆容疑者(34)を逮捕した。容疑を否認しているという。
 調べによると、西海容疑者は4日午後7時10分ごろから約5分間、東武東上線下りの電車内で、川越市の無職女性(20)の体を触った疑い。 

最終更新:6月5日0時32分


富山冤罪、県警が現場見取り図など「自白」証拠捏造  【読売新聞】
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/862.html
投稿者 愚民党 日時 2007 年 6 月 05 日 07:03:46: ogcGl0q1DMbpk

富山冤罪、県警が現場見取り図など「自白」証拠捏造
6月5日3時6分配信 読売新聞


 富山県氷見市の男性(39)が2002年、県警に誤認逮捕されて服役した婦女暴行・同未遂冤罪(えんざい)事件の公判で採用された一連の証拠書類が明らかになり、捜査当局による「自白」捏造(ねつぞう)の事実がわかった。

 男性が知らないはずの被害少女宅の克明な見取り図が作製されていたほか、男性宅から押収された凶器のナイフも、被害少女の証言とは異なっていた。男性は6日、日本弁護士連合会が都内で開くシンポジウムに参加、取り調べの実態を証言する。

 公判で証拠採用されたのは、婦女暴行事件(02年1月)の被害少女(当時18歳)の自宅と少女の部屋の見取り図、現場で足跡が採取された靴の絵、男性の供述調書など。

最終更新:6月5日3時6分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070605-00000001-yom-soci


<枚方談合>特捜班のエースがなぜ…逮捕に府警衝撃 【毎日新聞】
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/743.html
投稿者 愚民党 日時 2007 年 5 月 30 日 19:32:28: ogcGl0q1DMbpk

(回答先: 警部補は“ブローカー” 大阪・枚方の清掃工場談合 【東京新聞】 投稿者 愚民党 日時 2007 年 5 月 30 日 19:23:44)

<枚方談合>特捜班のエースがなぜ…逮捕に府警衝撃
5月30日18時2分配信 毎日新聞


 「いったい何をやったのか」。大阪府枚方市発注の清掃工場建設工事を巡る談合事件で、大阪地検特捜部は30日午前、大阪府警本部(大阪市中央区)の家宅捜索に入った。捜査2課の警部補、平原幸史郎容疑者(47)が逮捕されたうえ、極めて異例といえる地検による強制捜査を受けた府警本部。30日朝から幹部らが情報収集に追われたが、地検からは逮捕の一報しか受けておらず、どのように事件に関与していたのかがほとんど分からない。同僚の捜査員らから聴き取りを進めながらも、「新聞やテレビで情報を集めるしかない」と困惑気味。談合事件を摘発する立場の捜査2課刑事が談合容疑で逮捕され、家宅捜索を受けるという最悪の事態に、府警本部に衝撃が走った。

 談合容疑で逮捕された平原容疑者は、捜査2課の中でも汚職事件や談合事件を担当する「特捜班」のメンバーで、「エース級」として一目置かれる存在だった。80年に採用され、平原容疑者は所轄署の刑事課などを経て、96年〜03年まで捜査2課に所属。同府四條畷市長による贈収賄事件などを手掛けた。府内の署などの勤務を経て、昨年4月から再び捜査2課に戻った。「これからは平原が捜査2課の中心になるだろう」と、先輩捜査員は期待を掛けた。

 「わしらはサンズイ=汚職(贈収賄事件)=やってなんぼや」。平原容疑者は日ごろから周囲にこう話していた。知能犯事件の中でも捜査が難しい贈収賄事件の摘発にこだわる、「刑事の意地」の持ち主でもあった。同僚と酒を酌み交わす時も「休みたいやつは休めばいい。でもそれでは事件はできん。特捜刑事は泳ぎ続けないと死ぬマグロみたいなもの。働き続けないと死ぬんや」と熱く語ったという。

 府北部の枚方市や北摂地域の事件を捜査する担当班で、統括係長だった。昨秋の同府豊能町助役らによる官製談合事件などの捜査に従事。汚職事件の端緒を得るには、業者らからの情報収集が不可欠。付き合ううちに深みにはまったのか。

 府警の刑事部や監察室では、平原容疑者の日ごろの行動について、捜査2課員らから聴き取りを始めた。平原容疑者の元上司は「優秀な刑事だった。情報が取れるので、仲間からも重宝がられていた」と話す。刑事部の幹部の1人は「談合事件を捜査する刑事が談合の共犯とは。業者や自治体にも顔が利くのが優秀な知能犯の刑事。そこを利用されたのか……」とショックを隠せない。

 捜査2課では同日午前、山口寛峰課長が捜査員を集め、「動揺することなく、しっかり仕事をしてほしい」と冷静な対応を呼びかけた。記者に対しては「地検特捜部と同種の捜査にあたっている人間。逮捕は深刻に受け止めている」と鎮痛な面持ちだった。午後2時からは府公安委員会が開かれる。府警幹部は「詳しい概要が分からず、委員の方々には『現職警官が逮捕され、申し訳ありません』と説明するくらいしかできない」と頭を抱えた。

 ◇平原容疑者「何のことで疑いをかけられているのか…」

 警部補逮捕の一報を受けた府警監察室は30日未明から緊急の記者会見。府警によると、29日午後5時ごろ、大阪地検から府警に電話で「談合事件で警察官を調べたい」と、平原容疑者について聴取の連絡があった。監察室の担当者が約1時間余り、事情を聴いた際には、平原容疑者は「自分自身、何のことで疑いをかけられているのか良く分からない」と話していたという。その後、午後7時半ごろ、大阪地検から出頭の指示があり、監察室担当者が地検まで同行していた。

 ◇警部補と長年の知り合い 中司市長

 枚方市の中司宏市長(51)は30日、市役所で記者会見し、大阪地検に逮捕された大阪府警警部補の平原幸史郎容疑者(47)と長年の知り合いで、3年ほど前に大林組顧問の森井繁夫容疑者(63)を飲食店で紹介されていたことを明らかにした。中司市長は「相手は(捜査)2課の刑事。まさかこうなるとは夢にも思わなかった」と話した。また、「談合のないシステム作りに取り組んできた。官製談合はないと思っている」と強調した。【中村一成】

最終更新:5月30日18時2分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070530-00000072-mai-soci


電車内で女性の胸さわった容疑、農水省課長補佐を逮捕 [朝日新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/688.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 28 日 16:42:30: QYBiAyr6jr5Ac

□電車内で女性の胸さわった容疑、農水省課長補佐を逮捕 [朝日新聞]

 http://www.asahi.com/national/update/0528/TKY200705280301.html

電車内で女性の胸さわった容疑、農水省課長補佐を逮捕
2007年05月28日16時06分

 電車内で女性の胸を触ったとして、農水省総合食料局食糧貿易課課長補佐の浦川政義容疑者(49)=千葉市美浜区=が強制わいせつ容疑で警視庁に現行犯逮捕されていたことがわかった。「酒に酔っていて、覚えていない」と供述しているという。

 万世橋署の調べでは、浦川容疑者は26日午前0時10分ごろ、JR京浜東北線の東京―神田間を走行中の車内で、会社員の女性(31)の胸を左手でさわった疑い。女性が取り押さえ、神田駅で駅員に引き渡した。


▽関連記事

□農水省課長補佐を逮捕=電車内で女性の胸触る−警視庁 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070528-00000068-jij-soci

農水省課長補佐を逮捕=電車内で女性の胸触る−警視庁
5月28日13時32分配信 時事通信

 電車内で女性の胸を触ったとして、警視庁万世橋署は28日までに、強制わいせつの現行犯で、農林水産省食糧貿易課課長補佐浦川政義容疑者(49)=千葉市=を逮捕した。「酒に酔っていて、覚えてない」と供述しているという。
 調べによると、浦川容疑者は26日午前0時10分ごろ、JR京浜東北線の大宮行き電車が東京―神田間を走行中、目の前で向かい合って立っていた千葉県内の女性会社員(31)の下着の中に手を入れ、1〜2分間にわたり、胸を触った。 

最終更新:5月28日13時32分

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女子高生とのセックス 「」あれば不倫でも「無罪」 [J-CASTニュース]
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/599.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 24 日 20:42:45: QYBiAyr6jr5Ac

□女子高生とのセックス 「」あれば不倫でも「無罪」 [J-CASTニュース]

 http://news.livedoor.com/article/detail/3174582/

女子高生とのセックス 「」あれば不倫でも「無罪」
2007年05月24日20時17分

17歳の女子高生と分かっていながらセックスしたとして、知県青少年保護育成条例(淫行の禁止)違反の罪に問われていた会社員の男性(32)に対し、名古屋簡裁が無罪判決を言い渡した。現在ではほとんどの自治体で導入されている青少年保護育成条例。青少年保護のために18歳未満との「淫行」を禁じるものだが、今回の裁判では「女子高生とのセックス」が「淫行」なのか「純」だったのかが争われた。

2007年5月23日に下された判決によると、男性は副店長を務めていた飲食店で、アルバイトをしていた女子高生(当時17歳)と知り合い、06年4月ごろからデートを重ねるなど交際。同6月以降には、名古屋市内のホテルで計7回にわたり少女とホテルで性的行為をした。男性は当時、妻と子1人と3人で暮らしており、女子高生とは「不倫関係」にあった。女子高校生の母親が、2人の関係を知り、(弁護側によれば「女子高生の意に反して」)女子高生を連れて被害届を出し、男性は逮捕、起訴された。

「淫行」と「純」の微妙な境界

裁判では、こうした事実を踏まえ、被告である男性が「単に自己の性的欲望を満たすだけの目的」で性行為に至ったのかが争われた。

山本正名裁判長は判決文のなかで、「不倫」「結婚を前提にしない」というだけでは刑事罰との対象とはならず、「加害者と青少年との関係性、行為の手段方法、状況等の外形的なものを捉え、青少年の保護育成上危険があるか、加害者に法的秩序からみて実質的に不当性、違法性があるか等、これらを時代に応じて『社会通念』を基準にして判断すべき」と述べた上で、一定期間に映画を見に行くなどのデートを重ねたこと、女子高生も男性に対して好意を抱いており、合意や心的交流があったうえでのセックスだったことなどから、「淫行」に相当するというには相当な疑問が残るとして、男性を無罪にするとしている。

しかし、性行為とは「性的欲望を満たす」という部分が必ずついて回る。「淫行」と「純」の境界は何なのか。実は、判決のなかでもこれについて、言及されているのである。
判決では、以下のような場合は、たとえ合意があっても青少年保護の観点から社会通念上非難に値する行為、つまり「淫行」としている。

(1)職務上支配関係下で行われる性行為、(2)家出中の青少年を誘った性行為、(3)一面識もないのに性交渉だけを目的に短時間のうちに青少年に会って性行為すること、(4)代償として金品などの利益提供やその約束のもとに行われる性行為

「青少年保護育成条例」自体が合憲なのか?

被告弁護人の上山雅也弁護士は、J-CASTニュースの取材に対し、

し合っていることを『淫行』として処罰するのであれば、恋を処罰するに等しい、と主張してきました。通常の恋と同じように、ドライブに行ったり、映画に行ったり、食事をしていたのであり、それが認定された。私としてみれば当然の判決です」
と語る。
「青少年保護育成条例」をめぐっては、そもそも条例自体が合憲なのかが争われた判例もある。1982年の最高裁判決では、「淫行」という抽象的な言葉について、

「青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められないような性交又は性交類似行為」
と規定している。上山弁護士は「最高裁判例を明確化したという点で意義がある」と今回の判決について評価している。そして次のように語る。

「不倫であろうとも、18歳未満でも、恋関係にあれば、『淫行』じゃないとされた新しい判断だと思います」


アフィリエイト目的で書籍の文章を無断掲載、著作権法違反で逮捕(INTERNET Watch)
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/263.html
投稿者 セーラー服ときかんぼう 日時 2007 年 5 月 15 日 23:13:14: q5/COp9BAVzoM

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/05/15/15700.html

 千葉県警生活経済課と柏署は14日、書籍の文章を無許諾でWebサイトに掲載していた大阪府堺市の派遣社員の男性(43歳)を、著作権法違反の疑いで逮捕し、15日に送検した。コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)が15日に発表した。

 ACCSによると、この男性は2006年12月8日、学習研究社が発行する書籍「最新版 香水の教科書」のほぼすべての文章を、自らが運営するサイトに掲載し、同書の作者である榎本雄作氏の著作権(公衆送信権)を侵害していた。学習研究社では2006年9月に2回にわたり削除要請をしたが、男性は掲載を継続。同社がACCSに相談し、ACCSが千葉県警に相談したことが逮捕のきっかけとなった。家宅捜索では、男性宅から同書も押収されているという。

 男性は、アフィリエイト収入を得るために無許諾で書籍の文章を複製・掲載していたこと、アフィリエイト収入を得るために約100件のURLを持ち、毎月約10万円の収入を得ていたことを供述しているという。


<痴漢逮捕>43歳国税職員が地下鉄で…同一女性に繰り返す [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/237.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 15 日 15:54:54: QYBiAyr6jr5Ac

□<痴漢逮捕>43歳国税職員が地下鉄で…同一女性に繰り返す [毎日新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070515-00000060-mai-soci

<痴漢逮捕>43歳国税職員が地下鉄で…同一女性に繰り返す
5月15日14時52分配信 毎日新聞

 地下鉄の電車内で女性(20)に痴漢行為をしたとして、東京国税局資料第1課連絡調整官、安部義和容疑者(43)が、東京都迷惑防止条例違反容疑で逮捕されていたことが分かった。女性は4月から安部容疑者に繰り返し痴漢行為をされていたといい、警戒中の警視庁千住署が逮捕、強制わいせつ容疑に切り替えて送検した。

最終更新:5月15日14時52分


▽関連記事

□東京国税局員を逮捕=地下鉄車内で女性触る−警視庁 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070515-00000097-jij-soci

東京国税局員を逮捕=地下鉄車内で女性触る−警視庁
5月15日14時1分配信 時事通信

 地下鉄電車内で専門学校に通う女性(20)の下半身を触ったとして、警視庁千住署は15日までに、都迷惑防止条例違反の現行犯で、東京国税局課税第2部資料調査第1課連絡調整官安部義和容疑者(43)=千葉県柏市名戸ケ谷=を逮捕した。
 同容疑者は「4月初旬ごろから、この女性を触っても騒がれなかったため、やってもいいのかなと思った」と話している。 

最終更新:5月15日15時31分


□東京国税局職員を強制わいせつで逮捕、地下鉄車内で痴漢 [読売新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070515-00000406-yom-soci

東京国税局職員を強制わいせつで逮捕、地下鉄車内で痴漢
5月15日13時35分配信 読売新聞

 地下鉄の車内で女性の下腹部を触ったとして、警視庁千住署が、東京国税局資料調査1課連絡調整官、安部義和容疑者(43)を都迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕していたことがわかった。

 同署は、容疑を強制わいせつに切り替えて調べている。

 同署によると、安部容疑者は出勤途中の11日午前8時20分ごろ、東京メトロ千代田線湯島―新御茶ノ水駅間の電車内で、埼玉県越谷市内に住む専門学校生の女性(20)のズボンのチャックを下げて下腹部を触ったところを、同署員に取り押さえられた。

 被害者の女性は4月中旬から電車内で痴漢の被害を受けていたため、今月2日、同署に相談し、同署員が一緒に電車に乗り込んで警戒していた。安部容疑者は「度が過ぎたことをしてしまった」と供述しているという。

最終更新:5月15日13時35分


【動画】6年続く干ばつ、温暖化のもたらす深刻な影響 - オーストラリア (AFP BB News)
http://www.asyura2.com/07/nature2/msg/234.html
投稿者 ウソ捏造工場 日時 2007 年 5 月 08 日 19:07:58: OszuLYfIhReeI

2007年 05月 08日 14:09:37

【ゴールバーン/オーストラリア 8日 AFP】国連(UN)の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」作業部会では、世界から集まった専門家が議論を重ね、報告書を採択した。しかしその間にも、日常生活において温暖化の深刻な影響に直面している人々がいる。オーストラリアでは6年間も干ばつが続き、国内で最も緑が多いとされる地域でも水の枯渇に直面している。100年に一度と言われる大干ばつに見舞われているオーストラリアにとって、地球温暖化は最も深刻な問題の一つである。(c)AFP/Jack Barton

○動画はこちらからhttp://www.afpbb.com/article/1576928

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川崎通り魔事件、容疑者黙秘のまま殺人未遂で起訴 [読売新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/131.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 11 日 23:03:11: QYBiAyr6jr5Ac

□川崎通り魔事件、容疑者黙秘のまま殺人未遂で起訴 [読売新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070511-00000312-yom-soci

川崎通り魔事件、容疑者黙秘のまま殺人未遂で起訴
5月11日21時24分配信 読売新聞

 川崎市宮前区の路上で4月、帰宅途中の女性会社員(40)が刺された通り魔事件で、横浜地検川崎支部は11日、同市高津区久末、会社員鈴木洋一容疑者(26)を殺人未遂の罪で横浜地裁川崎支部に起訴した。

 鈴木容疑者は事件当夜、「犯人と格闘して負傷した目撃者」と、神奈川県警宮前署に名乗り出ていた。

 鈴木容疑者は逮捕後、黙秘している。

 起訴状によると、鈴木容疑者は4月5日午後10時25分ごろ、同市宮前区野川の路上で、女性会社員の背中2か所を包丁のような刃物で刺して殺害しようとし、3か月の重傷を負わせた。

 女性会社員が「犯人を追いかけた人はいなかった」と証言。事件直前に現場手前の階段で、女性会社員の後ろを歩く鈴木容疑者とよく似た男が住民に目撃されていた。

最終更新:5月11日21時24分


▽関連記事

<川崎通り魔>目撃者の26歳男を殺人未遂容疑で逮捕 [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/372.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 20 日 09:50:51: QYBiAyr6jr5Ac


通り魔犯?男性宅を家宅捜索 川崎の女性刺傷事件で神奈川県警 [産経新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/993.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 07 日 10:49:01: QYBiAyr6jr5Ac

通り魔か、川崎で帰宅女性刺される [読売新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/961.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 06 日 00:46:31: QYBiAyr6jr5Ac


[殺人事件]帰宅途中の女性、トンネル内で…刺殺か 川崎|毎日新聞
http://www.asyura2.com/0601/nihon20/msg/755.html
投稿者 white 日時 2006 年 9 月 23 日 16:23:57: QYBiAyr6jr5Ac

宮前女性刺殺3カ月 『事件解決へ協力を』 [東京新聞]
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/741.html
投稿者 white 日時 2007 年 1 月 18 日 00:11:59: QYBiAyr6jr5Ac

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青森市で器物損壊相次ぐ [東奥日報]
http://www.asyura2.com/07/nihon24/msg/127.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 11 日 22:58:17: QYBiAyr6jr5Ac

□青森市で器物損壊相次ぐ [東奥日報]

 http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2007/20070511214809.asp

2007年5月11日(金)

青森市で器物損壊相次ぐ

 十一日朝、青森市久須志二丁目と千刈三丁目の半径百メートル以内で、店先ののぼり旗が燃やされ、住宅の窓が割られているのが相次いで見つかった。けが人はなかったが、住民らは「普段は平穏な場所なのに」と不安を隠せずにいる。通報を受けた青森署は器物損壊事件として捜査、周囲のパトロール強化に乗り出した。

 現場は、路地の入り組んだ住宅街。青森署や付近住民によると、十一日午前五時から午前七時にかけて、三件の被害が見つかった。菓子店と酒店の店先にあったのぼり旗が燃やされていたほか、住宅一軒の窓ガラス三枚が、レンガのようなもので壊された。犯行は十日夜から十一日朝の間に行われた。

 住宅には住人の女性(94)がおり、別室で寝ていてけがはなかったが、レンガは普段食事をしている居間に投げ込まれていた。付近住民は十日午後九時半ごろガラスが割れる音を聞いている。

※写真=住宅の壊された窓ガラス(青森市久須志2丁目)


<帰国残留邦人>親族ら12人逮捕 生活保護費不正受給容疑 [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/903.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 10 日 16:37:24: QYBiAyr6jr5Ac

□<帰国残留邦人>親族ら12人逮捕 生活保護費不正受給容疑 [毎日新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070510-00000072-mai-soci

<帰国残留邦人>親族ら12人逮捕 生活保護費不正受給容疑
5月10日15時53分配信 毎日新聞

 中国残留邦人を名乗って帰国した女性の親族が不正に生活保護を受けていたなどとして、警視庁組織犯罪対策1課は10日、女性の親族ら12人を詐欺と出入国管理法違反の疑いで逮捕したと発表した。女性は「水崎秀子=中国名・王玉蘭」を名乗り95年に残留邦人として帰国したが、その後同姓同名の女性が北京の日本大使館に残留邦人として申請。厚生労働省の調査で、後に名乗り出た女性が水崎さん(77)と確認されている。
 逮捕されたのは女性の長男で中国籍の無職、林訓文(59)▽孫で中国籍の飲食店店長、林賢誠(29)両容疑者ら男5人と女7人。
 調べでは、訓文容疑者らは02年2月28日、女性が中国に同年1月に帰国したにもかかわらず、日本で同居しているように東京都世田谷区役所に申請し、女性と訓文容疑者夫婦3人分の生活保護費183万円を詐取した疑い。また、賢誠容疑者らは、在留期限を過ぎたまま日本に滞在していた家族をかくまうなどした疑い。
 水崎さんは昨年4月に64年ぶりに一時帰国が実現している。水崎さんを名乗った女性も、その後の調査で名前は不明だが残留邦人であることが確認されている。【曽田拓】

最終更新:5月10日15時53分


近所の男性に15年間嫌がらせ、名誉棄損で67歳女を逮捕 [読売新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/867.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 08 日 23:20:37: QYBiAyr6jr5Ac

□近所の男性に15年間嫌がらせ、名誉棄損で67歳女を逮捕 [読売新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070508-00000212-yom-soci

近所の男性に15年間嫌がらせ、名誉棄損で67歳女を逮捕
5月8日20時47分配信 読売新聞

 栃木県警栃木署は8日、同県壬生(みぶ)町幸町1、無職今林セツ子容疑者(67)を名誉棄損の疑いで逮捕した。

 調べによると、今林容疑者は3月29日ごろ、公営住宅の同じ階に住む無職男性(65)の実名を挙げて、「逮捕歴がある」などの事実に反した内容や性的な内容が書かれた張り紙を通路の壁に張り、男性の名誉を棄損した疑い。

 男性は4月17日、同容疑で告訴していた。今林容疑者は容疑を認めているという。

 男性によると、今林容疑者の嫌がらせは約15年前から始まり、男性やその家族について、「化粧品メーカーとつるんで毒をまき、私を殺そうとしている」などと書かれた張り紙を張ったり、玄関のすだれの間から男性方をのぞき見たりしていた。

最終更新:5月8日20時47分


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伊豆沼:ブラックバス駆除の仕掛け、人工産卵床50個壊される /宮城 [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/739.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 03 日 15:21:24: QYBiAyr6jr5Ac

□伊豆沼:ブラックバス駆除の仕掛け、人工産卵床50個壊される /宮城 [毎日新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070503-00000037-mailo-l04

伊豆沼:ブラックバス駆除の仕掛け、人工産卵床50個壊される /宮城
5月3日12時0分配信 毎日新聞

 水鳥の聖地としてラムサール条約に登録されている伊豆沼(登米、栗原両市)で、食害魚・ブラックバス駆除のため仕掛けた150個の人工産卵床のうち約50個が壊されているのが見つかった。県伊豆沼・内沼環境保全財団が市民ボランティアのバス・バスターズ(退治人)らと駆除に取り組んで以来4年目で初めてのことで、駆除に反対する人間の悪質な嫌がらせとみられる。
 被害の確認は先月30日で、場所は駆除活動の中心域の伊豆沼南岸。水深1メートル前後の水底に同22日設置した産卵床が、敷き詰めた砂利ごとひっくり返されたり、センサー部のピンポン球がつぶされたりしていた。付近の立ち入り禁止を示すため、数百メートルにわたり張ったロープにもルアーの針が引っ掛けられていた。被害を受けた産卵床は2日までに補修して再設置した。内沼にも100個設置したが、被害は出ていない。
 同財団の嶋田哲郎研究員(38)は「強風による被害ではなく、人為的な力が複数加わっている。目撃情報がないのが残念だが、佐沼署に状況を連絡し、パトロールの強化を図った」と語る。
 両沼は00年、バスの増殖でゼニタナゴなどの在来魚が姿を消す生態系崩壊の危機に直面。水鳥の餌不足につながる懸念もあり、04年から同財団や県内外の市民100人近くが結集して「ゼニタナゴ復元プロジェクト」をスタートさせた。繁殖を防ぐため人工産卵床を使い、センサー付き改良型も開発。「伊豆沼方式」と呼ばれるバス駆除法を編み出した。
 ブラックバスは北米原産。引きが強いためルアー釣りでの人気が高く、好家が独自に放流して生息が広がったとされる。バス駆除の動きに対しては、インターネットの掲示板サイトに「バスを放す」などの書き込みがされたこともあったが、直接的な破壊行為は初めてだ。【小原博人】

5月3日朝刊

最終更新:5月3日12時0分


【和歌山カレー事件】「別の真犯人」に心当たり…夫の健治氏を直撃  [ZAKZAK]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/695.html
投稿者 white 日時 2007 年 5 月 01 日 18:00:18: QYBiAyr6jr5Ac

□【和歌山カレー事件】「別の真犯人」に心当たり…夫の健治氏を直撃  [ZAKZAK]

 http://www.zakzak.co.jp/top/2007_05/t2007050117.html

「別の真犯人」に心当たり…夫の健治氏を直撃
「嫁さんが死刑になったらやりきれない」

 起死回生の一手になるのか。4人が死亡し、63人がヒ素中毒になった1998年の和歌山カレー事件。一、二審で死刑判決を受けた林真須美被告は今も無実を訴え、最高裁に上告中だが、その上告趣意書中に「真犯人の可能性がある人物」への言及があることがこのほどわかった。その信憑(しんぴよう)性は? 妻の無実を訴え、支援団体とともに活動する夫の健治氏を直撃した。

 健治氏は、真須美被告と共謀して3件の保険金詐欺をはたらいた容疑で逮捕され、2000年10月に懲役6年の実刑判決を受けて一昨年6月まで服役。同被告の一審では、自身も妻にヒ素で毒殺されかけた「被害者」と認定されながら、二審では証人として「ヒ素は保険金詐欺のために自分で飲んだ」と、自分を貶めてまで妻の無実を訴えた。

 こうした言動が当時、一部メディアに「妻をかばうための茶番」と報じられた健治氏だが、今も妻の無実を確信しているという。その最大の根拠として挙げるのが、真須美被告の性格だ。

 「検察は動機について、近所の主婦らに悪口を言われ激高したからだと主張している。だが、嫁さんは自宅の窓からゴミを平気で川に放り投げたり、邪魔な車にはクラクションをガンガン鳴らす人間。悪口なんて言われたら、こっそりヒ素なんか入れたりせず、その場でつかみかかっているはずなんです」

 健治氏は、詐取した保険金の総額が「7、8億円だった」と明かした上で、「何事も起きなければ、わが家は一生、何不自由なく暮らせる状況でした。嫁さんが1円の得にもならない上、自分たちが真っ先に疑われるような事件をわざわざ起こすはずがない」とも主張。

 さらに唯一の物的証拠である「自宅の流し台から押収された、ヒ素が付着したプラスチック容器」にも疑問を投げかける。

 「何十人もの捜査員が動員されながら、最初の2日間は何も出てこなかった家宅捜索で3日目に突然発見されたのが、あの容器です。あんな容器は家族の誰も見たことがないし、事実、誰の指紋も出ていない。そもそも、調味料や食器も置かれていた流し台に、猛毒のヒ素を一緒に置いておくわけがない」

 妻の無実を訴える一方で健治氏は「4人もの方が亡くなった事件です。もしも本当に嫁さんが犯人なら、死刑で構わないと私も思う」という。

 「でも、動機も証拠もすべてあいまい。こんな裁判で、嫁さんが死刑になったらやりきれない」と訴え、「別の真犯人」の心当たりにまで言及した。

 「カレー事件のころ、街では飼い犬が毒殺されたり、田んぼに毒液が流される事件もあった。それらの事件の犯人は、今も捕まっていないんです」

 4月中旬に大阪で行われた支援団体の会合で弁護団も「飼い犬が毒殺された事実はあったと聞いている」と述べている。健治氏は明言を避けたが、「真犯人の可能性がある人物」も、その犬殺し事件の調査で浮かび上がった人物ということのようである。

 最高裁では通常、事実審理は行われない。にもかかわらず、事実調査の結果も盛り込まれた上告趣意書を最高裁はどう判断するか。


ZAKZAK 2007/05/01


「地裁所長襲撃で違法捜査」=調べ受けた少年が提訴−大阪地裁 [時事通信]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/566.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 26 日 16:22:09: QYBiAyr6jr5Ac

□「地裁所長襲撃で違法捜査」=調べ受けた少年が提訴−大阪地裁 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000039-jij-soci

「地裁所長襲撃で違法捜査」=調べ受けた少年が提訴−大阪地裁
4月26日10時1分配信 時事通信

 大阪市住吉区の路上で2004年2月、当時大阪地裁所長だった鳥越健治広島高裁長官(64)が襲われて重傷を負った事件で、関与を疑われて違法な取り調べで苦痛を受けたとして、大阪市内の少年(17)が26日、国と大阪府、同市を相手に慰謝料など計550万円を求める訴えを大阪地裁に起こした。
 訴状によると、少年は04年4月、別の恐喝未遂への関与を理由に補導され、児童相談所に収容された。5月から6月にかけ、大阪府警から事実上、地裁所長襲撃の取り調べを受けた。最初は否認したが、怒鳴られたり、頭を殴られたりし、関与を認めるうその供述をしたとしている。
 原告側は「大阪地検が取り調べを指揮し、児童相談所も違法な取り調べを知りつつ、保護する責務を怠った」と主張している。 

最終更新:4月26日12時0分


▽関連記事

□大阪地裁所長襲撃、少年が「自白強要」と国賠提訴 [読売新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000206-yom-soci

大阪地裁所長襲撃、少年が「自白強要」と国賠提訴
4月26日13時52分配信 読売新聞

 大阪市住吉区の路上で2004年2月、当時の大阪地裁所長、鳥越健治さん(64)(現広島高裁長官)が帰宅途中に襲われ、金を奪われた事件で、犯行グループの一人として取り調べを受けた当時13歳の少年(17)が26日、「自白強要などの違法捜査で心身に著しい苦痛を受けた」として、大阪府(府警)や国(大阪地検)、大阪市(市中央児童相談所)を相手取って550万円の国家賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。

 この事件では、鳥越さんに腰の骨を折る重傷を負わせ、約6万3000円を奪ったとして、トラック運転手(32)と建設作業員(29)、当時16歳と14歳の兄弟2人が強盗致傷容疑で逮捕された。

最終更新:4月26日13時52分


罰金は「0円」、温情判決 京都地裁、記憶喪失で万引の男に [京都新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/530.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 25 日 16:27:47: QYBiAyr6jr5Ac

□罰金は「0円」、温情判決 京都地裁、記憶喪失で万引の男に [京都新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070425-00000019-kyt-l26

罰金は「0円」、温情判決 京都地裁、記憶喪失で万引の男に
4月25日15時57分配信 京都新聞

 京都府城陽市のスーパーで万引をしたとして、窃盗罪に問われた記憶喪失の男の判決が25日、京都地裁であった。東尾龍一裁判官は、男が自分の名前や住所すら思い出せないことに触れて「犯行の背景には記憶喪失があり、同情の余地がある」と述べ、罰金15万円(求刑罰金20万円)を言い渡した。未決拘置期間を1日1万円と換算して刑に算入し、罰金を全額払った形にする「温情判決」となった。
 判決によると、男は2月22日にスーパーで弁当や酒(計1723円相当)を盗んだ。その3、4カ月前に山で寒くて目が覚めた時からの記憶がないといい、駐車場や地下街で寝泊まりしながら、ひたすら歩く生活をしていた。男は公判で「昭和26(1951)年か27年の生まれで、広島の方から歩いてきた」と述べたが、弁護人によると、今も記憶ははっきりしていない。
 東尾裁判官は「空腹をしのぐためだが、やったことは悪いこと」と諭した。その上で「弁護士や検察官もあなたがまっとうに生きてほしいと手を尽くした。世の中それほど捨てたものではない。人を信用し、交番に行くとか弁護士に相談するなどして悪いことはしないように。私に会いに来てくれても、できるだけのことはする」と述べた。
 男は判決後釈放され、保護施設に入ることになる。検察側は、罰金の略式命令では「金も身よりもない男が困る」としてあえて公判請求を選び、弁護人とともに男が施設に入れるように関係機関に働きかけていた。

最終更新:4月25日15時57分


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記憶喪失の男 万引で裁判 京都地裁 釈放見通し 保護施設入所へ [京都新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/235.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 14 日 00:06:54: QYBiAyr6jr5Ac


県警にかほ署長が自殺=公舎で首つる、遺書に「疲れた」−秋田 [時事通信]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/522.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 25 日 10:08:23: QYBiAyr6jr5Ac

□県警にかほ署長が自殺=公舎で首つる、遺書に「疲れた」−秋田 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070424-00000133-jij-soci

県警にかほ署長が自殺=公舎で首つる、遺書に「疲れた」−秋田
4月24日18時1分配信 時事通信

 24日午前8時10分ごろ、秋田県にかほ市象潟町入道島の県警にかほ署長公舎で、鈴木保署長(54)=警視=が首をつって死んでいるのを同署員が見つけた。室内に遺書が1通あったことから、同署は自殺とみて調べている。
 調べによると、鈴木署長は単身赴任で、前日は午後6時すぎに帰宅。公舎は同署に隣接した平屋の一軒家で、玄関の鍵は掛かっていなかった。24日朝、出勤しないのを不審に思って迎えに来た署員が、軒下でひもで首をつり死亡している署長を発見。家族あての遺書には、「すべてに疲れた」などと書かれていた。
 遺書には直接自殺と結び付く記述はなく、勤務態度も正常だった。家族や関係者からも話を聞いたが、自殺の原因は分かっていないという。 

最終更新:4月24日21時1分


大型トラックに軽四用ETC=不正通行で鉄筋業者逮捕−奈良県警 [時事通信]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/493.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 24 日 16:42:31: QYBiAyr6jr5Ac

□大型トラックに軽四用ETC=不正通行で鉄筋業者逮捕−奈良県警 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070424-00000101-jij-soci

大型トラックに軽四用ETC=不正通行で鉄筋業者逮捕−奈良県警
4月24日14時30分配信 時事通信

 大型トラック(14トン)に軽四乗用車用のノンストップ料金収受システム(ETC)車載器を取り付け、安い料金で高速道路を不正通行していたとして、奈良県警交通指導課と高速道路交通警察隊などは24日、電子計算機使用詐欺と道路整備特別措置法違反の疑いで、同トラックを所有する大阪市港区夕凪、鉄筋業安次富正容疑者(36)を逮捕した。 

最終更新:4月24日14時30分


少女ヌード、持ってるだけで“違法”のワケは [ZAKZAK]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/365.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 19 日 17:01:57: QYBiAyr6jr5Ac

□少女ヌード、持ってるだけで“違法”のワケは [ZAKZAK]

 http://www.zakzak.co.jp/top/2007_04/t2007041901.html

少女ヌード、持ってるだけで“違法”のワケは

 中学3年の女子生徒(14)のヌード写真を携帯電話に保存していたとして、警視庁少年育成課は児童買春・ポルノ禁止法違反(製造)容疑で、新潟市の塗装工(35)を逮捕した。同法は2004年に改正され、少女のエロ画像を持っているだけで「違法」となっちゃうんだとか…。ちょいロリが“おかず”の諸兄は要注意だ。

 同課によると、塗装工は昨年10月、ケータイサイトの掲示板で都内に住む女子生徒の「1週間2000円でメル友になって」という書き込みに目を付けた。そして「郵便振り込みで送金し、今年1月18日までで、全裸やアソコの写真など27枚を携帯カメラで撮影させてメールで送らせ、自分の携帯に保存していた」(捜査関係者)という。

 当初は、女子生徒も同意の上で写真を送っていたが、「男の要求が次第にエスカレートし、動画を送らないと中学校に裸の写真を送るなどと脅したため、怖くなって通報した」(同)という。

 事件発覚の発端となった脅迫行為は捜査中といい、まずは児ポ法違反で逮捕となった塗装工。少女にカネを払って“おかず”を送らせる行動は論外だが、エロ画像ぐらい、男ならだれだって持っていても不思議ではない。

 法務省刑事局公安課担当者によれば、「04年の法改正で俄然締め付けが厳しくなり、提供や転売、公開が目的でなくても製造(撮影)、所持するだけで違法行為とみなされるようになった」と解説する。今回のケースは、同法の≪衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの≫に抵触するワケだ。

 それにしても、「衣服の一部を着けない」とは落としどころが難しいところ。日大大学院法務研究科(刑法)の板倉宏教授は、「事件概要にもよるが、今回、仮に少女の写真が水着姿だったとしたら、逮捕はなかった可能性はある」と話す。「陰部や乳首などが写っているのといないのとでは大きな差。もっとも水着でも挑発的なポーズだったり、自慰をしていたりしたら、それはまずい」

 ローティーンのチャイドルが、TバックやTフロントで挑んだDVDを乱発する昨今。撮影イベントで挑発ポーズの写真を撮って持ち歩いていたりすれば、それもアウトとなってしまうのか?

 板倉氏は、「さすがにそれはない」とその点は一笑に付すものの、たとえ同意のもとでも、未成年に対するエッチ行為は厳罰に処する−が時代の趨勢。ここは「李下に冠を正さず」を貫くのが無難か。


ZAKZAK 2007/04/19



桜折った調理師を書類送検へ 窃盗容疑で五条署 [京都新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/308.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 17 日 16:25:26: QYBiAyr6jr5Ac

□桜折った調理師を書類送検へ 窃盗容疑で五条署 [京都新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070417-00000028-kyt-l26

桜折った調理師を書類送検へ 窃盗容疑で五条署
4月17日15時49分配信 京都新聞

 京都市東山区の老舗京料理店の調理師2人が、料理の飾り付けに使う目的で鴨川のヤエザクラを折って持ち帰ろうとしていたことが、17日に分かった。五条署は窃盗の疑いで、2人を書類送検する方針。
 五条署によると、2人は東山区の京料理店の調理師の男(39)と女(28)=ともに南区。調べでは、2人は16日夕、東山区川端通五条上ルの鴨川堤防で、京都府が管理する花を付けたヤエザクラの枝5本(2000円相当)を盗んだ疑いが持たれている。調べに対し「今の季節はお造りの添え物に使う花が不足するので、飾りに使うつもりだった」と話しているという。
 現場を通りがかった五条署員がヤエザクラの枝を折っている2人を見つけた。2人は店の屋号が入った割烹着の上に上着を着ていたという。
 五条署は昨年春も、鴨川のソメイヨシノなどの枝を切って持ち帰った中京区と東山区の日本料理店の調理師2人を書類送検している。

最終更新:4月17日15時49分


「追われている」と警視庁に車で突入、60歳男性を保護 [読売新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/266.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 14 日 18:27:09: QYBiAyr6jr5Ac

□「追われている」と警視庁に車で突入、60歳男性を保護 [読売新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070414-00000305-yom-soci

「追われている」と警視庁に車で突入、60歳男性を保護
4月14日14時33分配信 読売新聞

 14日午前11時25分ごろ、東京都千代田区霞が関の警視庁本庁舎北門付近で、内堀通りを走行していたワゴン車が突然、門扉に突っ込んだ。

 運転していた男性が、近くで警戒中の警察官に「追われているので保護してほしい」などと訴えたため、同庁麹町署では、この男性を保護し、詳しい事情を聞いている。

 同署によると、保護されたのは、埼玉県鶴ヶ島市内の男性(60)で、意味不明のことを話しているという。この騒ぎで、北門の門扉の一部がへこんだが、けが人はなかった。

最終更新:4月14日14時33分


▽関連記事

□警視庁門扉に車突っ込む=けが人なし、運転手聴取 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070414-00000056-jij-soci

警視庁門扉に車突っ込む=けが人なし、運転手聴取
4月14日12時31分配信 時事通信

 14日午前11時25分ごろ、東京都千代田区霞が関の警視庁本庁舎の正門門扉にワンボックスカーが突っ込んだ。車は門扉に接触する程度で止まり、けが人はなかった。
 麹町署は運転していた埼玉県の男(60)の身柄を確保し、事情を聴いている。「誰かに追い掛けられている」などと支離滅裂なことを話しているという。 

最終更新:4月14日13時1分


「押しつけられた自白の典型」 元社長に逆転無罪 大阪高裁 [産経新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/238.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 14 日 00:08:28: QYBiAyr6jr5Ac

□「押しつけられた自白の典型」 元社長に逆転無罪 大阪高裁 [産経新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000043-san-soci

「押しつけられた自白の典型」 元社長に逆転無罪 大阪高裁
4月13日16時3分配信 産経新聞

 青果物を預ける際の保証金名目で預け先の会社から3000万円の小切手をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた青果物輸入販売会社の元社長(66)に対する控訴審判決公判が13日、大阪高裁で開かれた。陶山博生裁判長は「押しつけられた自白の典型。だまされたとする被害会社の役員の供述も信用できない」などとして、懲役3年(求刑・懲役3年6月)の実刑とした1審・大阪地裁判決を破棄、無罪を言い渡した。

 判決理由で陶山裁判長は、被害会社の役員の供述について「だまされたと主張しながら自ら契約書を作成しているのは不自然」と指摘。供述の重要部分で矛盾があり、信用性がないと判断した。

 また、元社長の自白調書については「もっとも重要な犯罪状況の供述はほとんどない。自発的なものではなく、押しつけられた信用性に乏しい自白調書の典型」と捜査を批判した。元社長は「無罪は当然。なぜ事件になったのかいまだにわからない」と話している。

 元社長は平成9年9月、大阪市内の倉庫会社から額面3000万円の小切手をだまし取ったとして、大阪地検特捜部に逮捕、起訴されていた。

 三浦正晴・大阪高検次席検事の話 「判決結果は予想外であり、今後内容を精査して対応を決めたい」

最終更新:4月13日16時3分


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□自白調書の信用性否定、1審実刑の元社長無罪に…大阪高裁 [読売新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000314-yom-soci

自白調書の信用性否定、1審実刑の元社長無罪に…大阪高裁
4月13日22時21分配信 読売新聞

 取引先の運送会社から保証金名目で額面3000万円の小切手をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた大阪市鶴見区の輸入販売会社元社長(66)の控訴審判決が13日、大阪高裁であった。

 陶山博生裁判長は、捜査段階の元社長の自白調書について「役員と会った経緯や具体的な会話の内容などの記載がなく、検察官に押しつけられた調書の典型」と信用性を否定し、懲役3年(求刑・懲役3年6月)の実刑とした1審・大阪地裁判決を破棄、無罪を言い渡した。

 元社長は在職中の1997年8月、自社が輸入した青果物の保管・運搬を委託していた大阪市内の運送会社の役員に「大手商社に保証金を払わないといけない」とうそを言って小切手を詐取したとして、2004年7月、大阪地検特捜部に逮捕された。

最終更新:4月13日22時21分


□<詐欺事件>元社長に逆転無罪 「自白、信用性ない」と高裁 [毎日新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000057-mai-soci

<詐欺事件>元社長に逆転無罪 「自白、信用性ない」と高裁
4月13日18時12分配信 毎日新聞

 取引先の運輸会社から3000万円の小切手をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた青果物輸入販売会社元社長の男性(66)=大阪市=の控訴審判決が13日、大阪高裁であった。陶山博生裁判長は「元社長にだまされたという運輸会社役員の供述は信用できない」と述べ、被告の自白調書についても「検察官に押し付けられるなどしたもので、信用性に乏しい典型的な調書だ」と検察側の捜査を厳しく批判。懲役3年(求刑懲役3年6月)とした1審・大阪地裁判決を破棄、逆転無罪を言い渡した。
 元社長は運輸会社役員に「(運輸会社に青果物を預けた)輸入会社に3000万円の損害保証金を積むことになった」などとうそを言い、運輸会社から小切手をだましとったとして、04年に大阪地検特捜部に逮捕、起訴された。元社長側は公判で「個人的な金銭の賃借であることをお互いが認識した上で、運輸会社役員から3000万円を借り入れたもの」などと無罪を主張していた。
 陶山裁判長は運輸会社役員の供述について「損害保証金に関する契約書を自ら作成したとする点と、『だまされた』という点は両立せず、信用できない」と判断した。
 さらに、元社長の捜査段階の自白調書に関して「犯行状況の具体的内容がほとんどなく、単に起訴事実を『間違いありません』と認めたに過ぎない」と指摘。「逮捕・拘置されて肉体的、精神的に追い込まれ、自白調書が作成された」とする元社長側の主張にも「説得力がある」と理解を示した。【前田幹夫】

最終更新:4月13日23時49分


農水省審査官を逮捕=地下鉄車内で痴漢−警視庁 [時事通信]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/228.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 13 日 15:48:17: QYBiAyr6jr5Ac

□農水省審査官を逮捕=地下鉄車内で痴漢−警視庁 [時事通信]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000094-jij-soci

農水省審査官を逮捕=地下鉄車内で痴漢−警視庁
4月13日13時32分配信 時事通信

 地下鉄車内で乗客の女性に痴漢行為をしたとして、警視庁蔵前署は13日までに、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で、農林水産省生産局種苗課の植田徳司審査官(57)=千葉県習志野市=を逮捕した。同審査官は「混雑した電車で手が尻に触れ、むらむらした」と容疑を認めており、送検後、釈放された。 

最終更新:4月13日13時32分


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□<痴漢>57歳農水省職員を逮捕 警視庁 [毎日新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000047-mai-soci

<痴漢>57歳農水省職員を逮捕 警視庁
4月13日12時48分配信 毎日新聞

 電車内で痴漢をしたとして、警視庁蔵前署が農林水産省生産局、植田徳司審査官(57)を東京都迷惑防止条例違反容疑で現行犯逮捕していたことが分かった。容疑を認めており、すでに釈放された。
 調べでは、植田審査官は11日午前8時半ごろ、都営地下鉄浅草線押上―浅草橋駅間で、会社員の女性(27)の尻を左手で触った疑い。女性が植田審査官を取り押さえ、浅草橋駅で駆けつけた署員に引き渡した。
 農水省生産局総務課は「事実関係を確認の上、事実であれば厳正に処分する」と話している。

最終更新:4月13日14時21分


四日市の誤認逮捕:損賠訴訟 県側争う姿勢 「制圧行為に過失ない」 /三重 [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/224.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 13 日 15:46:38: QYBiAyr6jr5Ac

□四日市の誤認逮捕:損賠訴訟 県側争う姿勢 「制圧行為に過失ない」 /三重 [毎日新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000018-mailo-l24

四日市の誤認逮捕:損賠訴訟 県側争う姿勢 「制圧行為に過失ない」 /三重
4月13日11時0分配信 毎日新聞

 四日市市のスーパーで3年前、同市内の男性(当時68歳)が警察官に押さえつけられた後に死亡したのは限度を超える制圧行為などが原因として、男性の妻(66)が県を相手取り約5700万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が12日、津地裁であった。県側は請求の棄却を求め、争う姿勢を示した。
 訴状によると、男性は04年2月17日、ジャスコ四日市尾平店の現金自動受払機(ATM)コーナーで後ろに並んだ女性に泥棒扱いされ、付近の客に取り押さえられた。駆け付けた四日市南署員が窃盗未遂の疑いで現行犯逮捕。男性は約20分間押さえつけられた後、嘔吐(おうと)して意識を失い、翌日に高血圧性心不全と不整脈で死亡した。
 遺族側は「窃盗被害の形跡が何もなく、現行犯逮捕の用件が整わない誤認逮捕で、逮捕後の警察官による制圧行為も限度を超えており、死亡との因果関係は明らか」と指摘している。
 これに対し、県側は答弁書で「逮捕後の制圧行為に過失はなく、死亡との因果関係も不明」として請求を棄却するように主張した。【高木香奈】
〔三重版〕

4月13日朝刊

最終更新:4月13日11時0分


読売記者が変死 [ゲンダイ]
http://www.asyura2.com/07/nihon23/msg/107.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 09 日 10:41:47: QYBiAyr6jr5Ac

□読売記者が変死 [ゲンダイ]

 http://news.livedoor.com/article/detail/3112645/

読売記者が変死
2007年04月09日10時00分

 なんとも奇っ怪な変死事件だ。

 5日午後4時20分ごろ、東京都文京区白山のマンションの一室で、旅行から帰宅したばかりの母親(65)が、玄関付近で息子(36)が不自然な格好で倒れているのを見つけ、慌てて110番通報した。

 警視庁富坂署員が駆けつけると、息子は後ろ手に両手錠をかけられ、口の中に靴下を詰め込まれた状態で死亡していた。

 口には粘着テープが張ってあり、窒息死とみられる。着衣の乱れや外傷などはなく、左手に手錠の鍵を持っていた。また、室内を荒らされた形跡もなく、玄関には鍵がかかっていたという。

 この男性は、読売新聞メディア戦略局管理部社員と判明。本社編集局政治部記者も兼務し総務省を担当していたという。

 マンションには母親と同居。同署は現場の状況から事件性は少なく、何らかの事故の可能性が高いとみている。

【2007年4月6日掲載】


▽関連記事

30代男性が死亡=口に靴下、事故か−東京(時事通信)
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/965.html
投稿者 JAXVN 日時 2007 年 4 月 06 日 08:55:08: fSuEJ1ZfVg3Og

読売新聞・政治部記者、石井誠氏変死事件 [日本アンチキムチ団]
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/1003.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 07 日 23:51:19: QYBiAyr6jr5Ac

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30代男性が死亡=口に靴下、事故か−東京(時事通信)
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/965.html
投稿者 JAXVN 日時 2007 年 4 月 06 日 08:55:08: fSuEJ1ZfVg3Og

「2007/04/05-23:15 30代男性が死亡=口に靴下、事故か−東京
 5日午後4時20分ごろ、東京都文京区のマンション一室で、旅行から帰宅した女性(65)が室内に入ったところ、玄関付近で息子(36)が後ろ手に手錠が掛かった状態で死んでいるのを見つけ、通報した。
 警視庁捜査1課と富坂署は、現場の状況から事故の可能性が高いとみて調べている。
 調べによると、男性の口には靴下が詰まっており、その上から粘着テープが張ってあった。窒息死とみられる。着衣の乱れや外傷はなく、左手に手錠の鍵を持っていた。
 室内に荒らされた形跡がないほか、玄関は施錠されており、女性は鍵を開けて入ったという。 」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007040500721

死亡していたのは読売新聞の記者だったといいます。なにやら、ライブドアファイナンスの野口氏の事件に似ているような気もします。早くも「事故の可能性が高いとみて」なんて書いていますし。

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アキレタ警察官…携帯ショップで怒鳴り居座り恫喝 [ZAKZAK]
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/719.html
投稿者 white 日時 2007 年 3 月 22 日 16:53:12: QYBiAyr6jr5Ac

□アキレタ警察官…携帯ショップで怒鳴り居座り恫喝 [ZAKZAK]

 http://www.zakzak.co.jp/top/2007_03/t2007032203.html

アキレタ警察官…携帯ショップで怒鳴り居座り恫喝

 北海道警釧路署の30代警察官が、釧路市内の携帯電話販売店で店とトラブルになり、半日店内に居座り、店員をどう喝していたことが21日、分かった。

 通報で駆け付けた署員は問題の警察官の身分を隠そうとしたといい、署幹部は身分を隠そうとしたことを店側に謝罪したが、トラブルを起こしたことについては謝罪していない。

 店側は営業を妨害されたとして被害届を出すことを検討している。

 店の説明によると、警察官は非番だった18日、私服で午前11時ごろ来店し携帯電話の交換を要求。店は応じたが一部データを移せなかったため、警察官は「謝るだけで済むと思うな。誠意を見せろ」と怒鳴り「100万円要求したらくれるのか」とどう喝を繰り返した。

 閉店時間の午後7時に店が交番に通報したが、駆けつけた3人の署員は問題の警察官と談笑し、経営者が「警察官同士で知り合いだろう」と聞いても「初めて会った」と隠したという。

 店は午後9時ごろ再度釧路署に通報。別の署員が来て午後11時ごろ、ようやく問題の警察官らを店外に出した。

 経営者は「一番売れる時期なのに営業妨害だ。店員も精神的苦痛を受けており、被害届を出したい」と話している。

 道警本部監察官室は「調査中でコメントできない」としている。


ZAKZAK 2007/03/22


小泉と連動して「繁華街浄化」により山口組の東京利権を潰している石原都知事のバックには、住吉会系日本青年社がいます。
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/280.html
投稿者 TORA 日時 2007 年 2 月 17 日 13:00:46: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu138.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
小泉と連動して「繁華街浄化」により山口組の東京利権を潰して
いる石原都知事のバックには、住吉会系日本青年社がいます。

2007年2月17日 土曜日

◆山口組 vs 住吉会の仁義なき東京抗争か? 2月16日 フジBLOG
http://www.mp3-hollywood.com/showbiz/2007/yakuza.shtml

5日に住吉会系小林会の杉浦良一幹部が西麻布の路上で射殺され、住吉会は山口組系の太田会と国粋会に報復攻撃し、一時は山口組と住吉会の仁義なき東京抗争にも発展すると見られていたが、後に双方の最高幹部が和解。ところが、15日に国粋会の工藤和義会長が自宅で死亡しているのが発見される。
 住吉会が報復した太田会は、東京に堂々と事務所を構え、住吉会の裏カジノを荒らすなど、トラブルが耐えなかったが、杉浦幹部の実行犯は国粋会と見られる。「国粋会は関東の組織だが、近年山口組に降り、小林会とは銀座を巡って縄張り争いをしていた。殺された杉浦は常に現場交渉の矢面に立ち、狙われる理由は十分にあった」(捜査関係者)

 杉浦幹部が乗った高級車のセンチュリーは小林忠紘会長の専用車両と言われ、単なる“手打ち”では済まない事態になると思われたが、なぜあっさりと幕引きしたのか?山口組は和解会談で、2004年に浅草で同組員が住吉会系組員に射殺され、報復することもなく和解に応じた経緯を説き伏せたという。既に“血のバランスシート”はとれているというのか?

 そこに国粋会の工藤会長が亡くなった。警視庁は拳銃で自殺したものとみているが、まさか「殺しだ!」といって抗争を煽るわけにもいかないだろう。使用された拳銃は、1丁40〜50万円が相場と言われるロシア製軍用のマカロフで、住吉会が“戦争準備”で雇ったヒットマンにも用意されていた。むろん、山口組も住吉会の構成員全員に1人頭500万円の賞金を懸ける話まで出ていた。

山口組の東京侵攻前夜

 一昨年9月、国粋会は住吉会や稲川会ら関東暴力団の親睦団体「関東二十日会」を脱会し、六代目山口組に傘下入り。工藤会長は山口組の司忍六代目組長と兄弟盃を交わし、山口組最高顧問に迎えられた。このため、山口組は関東で稲川会を抜いて住吉会と極東会についで3番目の組織となった。もはや、「山口組は多摩川を超えず」という不文律も成り立たなくなっている。

 国粋会は「関東一のシマ持ち」と言われ、東京は六本木や銀座、渋谷、原宿など、およそ半分が縄張りで、住吉会は“地代”を支払って借りていた。が、その構図も過去のものとなりつつあり、既に地代を値上げしたり、場合によっては返還をチラつかせるまでになっていた。歌舞伎町商店街の組合がみかじめ料不払い宣言をしたのも影響してるんじゃないか?

 何せ、都内の非合法所得は2005年で5000億円超にも及び、みかじめ料だけでも100億円はある。山口組に近い事情通もこう語る。「“自分たちの縄張りだ”と堂々と出ていって、港区と中央区の物件を扱ったら2000億円とか3000億円の利権なんですよ。細かいゼニじゃあなく、2000億円の戦いなんだよ」

◆ヤクザと自民党政治の研究part8 2005年08月17日 情報ブローカー日記
http://ameblo.jp/nihonkokunokenkyu/entry-10003564370.html

一方で、「小泉改革の後ろに誰がいるのか」ということも忘れてはなりません。小泉の選挙対策本部長が稲川会関係者だったこと、小泉の父親が神奈川の松葉会と緊密な関係にあったこと、彼が産廃処理を巡って右翼と協議したことなどを総合して考えると、小泉を支える要素として明らかに関東ヤクザの存在が確認できます。

 また、小泉と連動して「繁華街浄化」(※注11)により山口組の東京利権を潰している石原都知事のバックには、住吉会系日本青年社がいます。

 これらを総合して考えるに、金丸-石井ラインが潰れたバブル期以降、山口組に押され気味だった関東系組織は小泉-石原ラインで息を吹き返していると見るべきでしょう。

 実際、東京進出で関東ヤクザを脅かしていた山口組が揺らいでいる兆候がいくつか確認できます。

 例えば、先日山口組系五菱会が闇金融の元締めだったことが報道されました。これらの犯罪は、従来の資金調達が困難になり、山口組が違った犯罪領域に進出していることを表しています。(※注12)

 さらに、渡邉芳則五代目山口組組長は、昨年改正暴対法により使用者責任を問われることになったことを受け、休養を宣言しました。後を引き継いで今年、司忍氏が六代目組長となりましたが、これは山口組内部で権力移動があったことを示唆しています。

 とはいえ、関東ヤクザも弱体化が進んでいます。山口組を追い払ったとしても、近年東京で台頭著しい中国人・黒人らを排除し、かつての勢力を回復できるかは不透明です。

(中略)

 以上、社会の裏面との関係を軸に戦後の自民党政治について考察してきました。これらを通史としてみると、様々なことが分かってきます。

 「この国の戦後はヤクザと自民党とCIAが作った」という格言があります。結局のところ、この言葉が端的に今の『日本の国の形かたち』を表しているのではないでしょうか。

 なにはともあれ、日本では70年代からバブルにかけて、竹下的な政治手法が確立しました。小泉はその政治手法を破壊して、竹下イズムに染まった日本という国の統治構造を変えようとしていることは間違えないようです。その結果がどう出るのかは歴史の判断に任せるほかないでしょう。

注11…繁華街浄化のターゲットが山口組・中国朝鮮人であることは、重点取り締まり地区が歌舞伎町・池袋であることから伺える。これらの町は山口組・中国朝鮮人が多くの利権を有する一方、渋谷や、五反田では利権の殆どは関東系統のヤクザが有しているために厳格な取り締まりは行われていない。なお、渋谷で関東ヤクザが強いのは渋谷開発を巡って東急と西武がヤクザを使って代理戦争をして以来のことである。

注12…現在のシノギの主流は闇金融から振り込め詐欺に移っている。

なお、渡邉組長は山一抗争を通じて稲川会に借りがあったため、稲川会に融和的だったが、世代交代により変化が予想される。今後の山口組-稲川会の関係を注目すべきである。

東京は住吉や稲川の縄張りだが山口の東京進出は近い


(私のコメント)
株式日記ではあまり裏社会のことは書いてきませんでしたが、山口組にとって長年の課題だった東京進出をめぐって、血なまぐさい抗争事件が東京で起きている。まず住吉会の幹部が国粋会のヒットマンに射殺されて抗争が勃発した。国粋会は関東ヤクザだったが山口組の傘下に入って東京進出のきっかけを作っている。

ヤクザの世界では山口組は多摩川を越えないという暗黙の了解があったが、最近の抗争事件を見るとそれがなくなって首都をめぐるヤクザの決戦が行なわれようとしている。表向きは山口組と住吉会の手打ちが行われたという事ですが、国粋会の工藤会長が自殺? したことで山口組が黙っているだろうか?

山口組は日本最大のヤクザ組織ですが関東だけは手が出せないで来た。関東の住吉会や稲川会などは政界との繋がりがあり山口組も東京には手が出せなかった。現在でも小泉前自民党総裁と稲川会や石原東京都知事と住吉会の関係など関東ヤクザは政界との繋がりが深い。

それに対して山口組は日本全国に組織の網を張りヤクザの半数を占めるほどの勢力に拡大している。山口組にとっては東京進出は悲願であり、国粋会を傘下にしたことにより東京進出の足がかりをつかんだ。そして住吉会の幹部がヒットマンに撃ち殺された事は全面抗争のきっかけとなるだろう。

山口組も住吉会も稲川会もヤクザに変わりがなく同じ穴の狢なのですが、関東ヤクザは右翼団体名乗る事が多く政治活動に熱心だ。それに対して山口組は芸能プロダクションなどとの関係が深く吉本の芸人などは個人的にもヤクザと関係がある芸人も多い。

ヤクザの構成員は在日や同和出身者が多いという事ですが、関西系のヤクザの多くがそれらの出身ということになる。同和となると自民党の野中広務元官房長官が有名ですが、彼はヤクザそのものであり森内閣の後を狙っていた。となると小泉純一郎も稲川会系ヤクザだから引っ込んではいられなくなり、アメリカなどの後押しで総裁選挙で勝ことが出来た。

石原都知事も住吉会系のヤクザと関係があるようですが、歌舞伎町や池袋などの中国系マフィアや山口組系のヤクザの縄張りを中心に浄化作戦を行なっている。しかし関東ヤクザも弱体化してそこを山口組が狙っているのですが、警察やCIAを敵に回すわけにも行かず東京決戦は簡単ではない。

山口組も渡邉芳則五代目山口組組長時代は仁義を守って多摩川を越えないようにしていたようですが、司忍氏が六代目組長となって流れが変わってきたようだ。それに対して警察などの行政がどのように出るか注目されますが、石原知事が三選を果たすかにかかっている。

ヤクザの資金源は闇金融などですが、サラ金に対するグレーゾーン金利の廃止はヤクザを締め上げる為のものだろう。だから山口組にとっては東京という金のなる木を欲しがって進出しようというのだろう。東京なら地上げとか不動産売買だけでも利権が千億円単位で利権が転がり込んでくる。となると政治がどうしても絡んでくるから政治に強い関東ヤクザが縄を張る事になる。

国粋会の工藤会長が自殺に追い込まれたのも、山口組と住吉会に挟まれてのものでしょうが、山口組の六代目司組長から住吉の頭を取れと指令があったのだろう。しかしそれに失敗したので責任を取ったのだ。住吉の背後には都知事や前総理などがいるのだから警察が動けば一旦は山口組も手を引かざるを得ない。



<外国人犯罪>地方で増加 中部は15年前の35倍に [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/222.html
投稿者 white 日時 2007 年 2 月 08 日 13:25:08: QYBiAyr6jr5Ac

□<外国人犯罪>地方で増加 中部は15年前の35倍に [毎日新聞]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070208-00000028-mai-soci

<外国人犯罪>地方で増加 中部は15年前の35倍に
2月8日11時3分配信 毎日新聞

 昨年の来日外国人の刑法犯の検挙件数は、15年前の91年に比べ、東京都内では減少する一方で、中部地方では35.4倍、四国では21.5倍に増え、地方に拡散する傾向にあることが8日、警察庁のまとめで分かった。同庁は「東京での取り締まりが強化され、外国人の犯罪集団が地方に活動の場を求めるようになった」と分析している。
 同庁によると、昨年の来日外国人刑法犯の検挙件数は2万7459件で、全体では前年同期に比べ16.9%減少した。都道府県別の検挙件数を91年と比較すると、東京都は3802件で0.9倍と、やや減少。一方、中部地方は7716件で35.4倍に増加。四国も279件で21.5倍に増えた。このほか、北海道9.1倍▽関東地方(東京都除く)7.4倍▽東北地方6.8倍▽中国地方5.0倍▽近畿地方4.1倍▽九州1.6倍で、東京都を除いていずれも増加した。
 検挙された刑法犯のうち67.9%は2人組以上の共犯で、日本人による共犯の比率(17.5%)の約4倍になり、集団での組織的な犯罪が目立っている。また、国内で罪を犯し、昨年国外に逃亡した外国人容疑者は40人で、昨年末までに逃亡している外国人容疑者の総数は656人になった。逃亡中の容疑者の出身国別では中国291人▽ブラジル92人▽韓国、北朝鮮50人▽ペルー19人――などだった。【遠山和彦】

最終更新:2月8日11時3分


聴取予定の男性,ひき逃げで死亡(?) 札幌コンビニ強殺(朝日新聞)
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/780.html
投稿者 戦争とはこういう物 日時 2007 年 1 月 23 日 20:07:20: N0qgFY7SzZrIQ


 監視対象の「容疑者」が、突然ひき逃げされる。
 なにか府に落ちないものがあるのは自分だけか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここから)
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2007012102220.html?C=S

聴取予定の男性、ひき逃げで死亡 札幌コンビニ強殺

2007年1月21日(日)22:25

 札幌市南区のコンビニエンスストア経営、柴原信幸さん(58)が殺害され売上金約40万円が奪われた強盗殺人事件で、北海道警が事件に深いかかわりがあるとみて、近く事情を聴く方針だったスナック経営者の男性(60)が、20日にひき逃げされて死亡していたことが21日、分かった。道警は今後、男性を柴原さんに対する強盗殺人容疑で、被疑者死亡のまま書類送検する方針だ。
 柴原さん殺害事件は昨年12月5日未明に発生。現場のコンビニ駐車場に残されていたたばこの吸い殻から検出された血液やDNAの型が、男性のものと一致するなどしたため、道警は今週にも男性を事情聴取する方針を固め、男性を監視対象にしていた。
 しかし、男性は20日夕、市内の大型量販店で、捜査員が目を離したすきに店舗裏にある商品搬入車や従業員用の駐車場に出て、車にひかれたとみられるという。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここまで)


やがてこの国は、地方という名の「姥捨て山」を各所につくり出すでしょう。そこから出ようにも老人は出ることができません
http://www.asyura2.com/07/social4/msg/175.html
投稿者 TORA 日時 2007 年 1 月 20 日 14:25:07: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu136.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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やがてこの国は、地方という名の「姥捨て山」を各所につくり
出すでしょう。そこから出ようにも老人は出ることができません

2007年1月20日 土曜日

◆姥捨て山政策ー二つの国の存在論2ー  2006年12月8日 建築家の育住日記
http://oneandonly.livedoor.biz/archives/cat_50014921.html

姥捨て山伝説は、この国が貧しい時代に各地にのこされ、伝承されてきました。平成の御代に、口減らし伝説が復活しようとは思いもしませんでした。

“昔々、ある寒村の話です。その村では六十歳になると、里から遠く離れた山奥に捨てられるならわしがありました。年老いて働けなくなるからです。食べるのもやっとの貧しい生活をしていましたから、働かないものを食べさせることはできなかったのです。口べらしのため老人は山に捨てられました。”

公共事業以外にめぼしい産業がない。
若者が流出し、過疎化がすすみ、高齢化が著しい。
老人とともに多くの借金が残された。

こんな町や村は日本全国どこにでもあります。大騒ぎされている夕張メロンの町だけが抱えている問題ではありません。
夕張市の負債を一万倍すると、ほぼ日本国の借金に匹敵するそうです。その人口は日本国人口の約1万分の1ですから、夕張は日本国の縮小版と言うことができます。
つまり、明日は我が身の問題です。

姥捨て山の町村から出て行ける人がいます。若者です。
出て行けない人がいます。老人です。
夕張市民が強いられる負担増、受給切り捨ては現代版姥捨て山政策です。地方といっしょに、老人を遺棄する政策です。
正確に言えば、地方に老人を遺棄しておく政策です。平成の大合併で問題は先送りされたように見えますが、自治体破産はこれからが本番です。

夕張を見捨てます。
すると、第二第三の夕張が切り捨てられていきます。
「仕方ないよね、財政が厳しいのだから。破産なんだから。」
力の弱いところから、姥捨て山に捨てられていきます。
やがてこの国は、地方という名の姥捨て山を各所につくり出すでしょう。有刺鉄線の張られていないラーゲリ(強制収容所)です。そこから出ようにも老人は出ることができません。

公然と棄民政策が始まりました。
戦前は台湾、朝鮮、満州国の植民地に、戦後は移民として南米に棄民政策が実行されています。この国の官僚は、平然と自国民を遺棄します。これは戦前戦後とつづく官僚の「伝統」ですね。
自分たちの失敗を国民に押しつけることに良心の呵責はありません。恐ろしい連中です。

小泉という重しがとれました。族議員がばっこし、政府は政策決定能力を再び失いつつあるようです。
族は彼らに群がる利権を計ることができれば、官僚のつくりあげた棄民政策を無批判に実行に移します。
マスコミも空騒ぎするだけです。一騒ぎすれば、それでお終いです。すぐにメロンのことは忘れてしまうことでしょう。
北朝鮮の政治犯強制収容所を笑うことはできませんね。破産自治体(うばすてやま)という老人棄民国が続々とこの国に生まれようとしているのですから。


◆格差社会のまやかしー二つの国の存在論1ー 2006年11月21日 建築家の育住日記
http://oneandonly.livedoor.biz/archives/cat_50014921.html

御手洗日本経団連会長が法人実効税率を10%引き下げ、30%にするよう主張している。これに呼応するように、本間政府税調会長も欧米並みは妥当と発言している。

国の借金は八百兆とも一千兆ともいわれる。財政再建途上にあって、法人税を引き下げた分をファイナンスするのもまた税である。
どこから財源を持ってくるのか。
いわずと知れた消費税以外にそれを補填する税源はない。
つまりは法人税から消費税へ、企業から消費者へ負担が転嫁されるわけである。

格差社会論はまやかしの論議へとつながりやすい。格差社会というベールの先に、目をこらすと見えてくるものがある。
それをそろそろ語りはじめたいと思う。
日本国には、二つの国が厳然と存在する、という事実である。
いまだ多くの国民が日本国は一つだと思いこんでいる。一つの日本国は不変で、目先の格差を解消さえすれば元通りの日本国がよみがえる。そう信じている。
そうした古い信念にしがみついているかぎり、実像は見えてこないだろう。

法人と一括りにすると、法人実効税率30%はすべての法人に恩恵を与えると錯覚をうむ。
そもそも欠損法人は255万社中68.1%(平成15年)にのぼる。決算が赤で法人税ゼロの企業に、法人実効税率引き下げに何の恩恵も、意義もあるものか。
御手洗キャノンを筆頭にしたグローバル企業が恩恵を受けるだけのことである。

グローバル企業に対して、ドメスティック企業がある。
私の所属する建設・建築業界はその典型である。同様に中小企業や非製造業など日本国内にしか市場を持たないドメスティック企業は長期低迷にあえいでいる。1990年をピークに、16年間マイナス成長下にある。1995年以降で見ても年率0.3%のマイナスがつづく。
これに対し国境を持たない日本国籍のグローバル企業は、1995年以降年率7.8%成長をとげている。これは高度成長期に突入した中国経済の6.8%を上回る水準である。

企業は三つの過剰ー過剰雇用、過剰設備、過剰債務ーを解消し、バブルを脱したという。政府日銀マスコミがこぞって、そう喧伝した。
「バブルは解消された」
そうだろうか。
ドメスティック企業のなかでも、中小企業・非製造業はとりわけ過酷だ。長期借入金をキャッシュフローで割った返済年数は15年と、今日いまも過剰債務の中であえいでいる。過剰債務とともに、過剰雇用、過剰設備にも足を取られている。
バブル処理のまっただ中にいる。

いざなぎ景気超の恩寵のなかにいる法人と、16年を超える不況の中に閉じこめられたままの法人とは、まったく別々の国に暮らす「住人」である。
グローバル企業に対する減税は国際競争力の強化につながる。しかし、そのことと、その他大勢が恩恵にあずかることとはまったく別問題だ。それは別世界で語られるおとぎ話である。
これからもドメスティック企業は停滞し、そこに働く労働者の賃金は低下こそすれ上がる見込みはない。
十年先はさらに悪い。その先はさらにさらに悪化する。それがいま起こっていることの真相である。

なぜならグローバリゼーションは後戻りのない、不可逆的過程だからだ。
そんなことは周知のことである。
口をぬぐっているが、グローバリゼーションの帰趨はアメリカ、イギリスを見れば明白である。
二つの国に横たわる国境をドメスティック企業が超えることはないし、できない。それは、まったく別個の国の法人格である。

国境は早々動くものではない。ほとんど不変と考えて良い。だから国境だ。問題は目に見えない国境の存在である。
二つの国の存在論は法人企業にとどまらない。国民、勤労者、政界、大学、軍隊・・・日本国の中に厳然と出現しつつある「見えない」国境の存在、二つの国の存在に目を向けるべき時がきている。格差社会論はその入り口に過ぎない。


(私のコメント)
最近の円安問題について考えてきたのですが、日本と欧米との景気動向が影響しているようだ。日銀の金利政策も上げるの上げないのと迷いが生じていますが、格差社会の捉え方で見方もずいぶんと違ってくる。いわゆるグローバル企業は業績は絶好調であり円安ユーロ高などで手取りは自然に増えていく。

それに対して消費は相変わらず低迷していますが、賃金の低下が続いているから消費は増えようがない。日銀が金利を上げられないのも賃金が低迷していては上げようがないからだ。だから日銀が金利を上げたければ企業の定期昇給やベースアップを復活させれば出来る。しかしホワイトからエグゼンプション法案を成立させようとしているくらいだから会社員の賃金はますます押さえられる傾向にある。

企業業績が絶好調なのに従業員の賃金は上がらない。企業の利益はどこにいってしまうのかと言うと株主への配当などに行ってしまう。会社は誰のものかと言う命題がありますが、市場原理主義者からいえば会社は株主のものだ。だから利益は労働者には行かず株主に行ってしまう。これは正しい事なのだろうか?

経団連の御手洗会長はさまざまな事を政府に要求していますが、法人税率を大幅に負けろと言ってみたり、残業代カット法案を成立を要求したり、かなり酷い会長だ。前の奥田会長もずいぶん酷い会長でしたが、彼らは自分たちの事しか考えない。

トヨタやキャノンといったグローバル企業はもはや日本の企業とはいえないのですが、日本政府に対する影響力は増す一方だ。キヤノンといった企業は株主構成からも日本企業とはいえず、多くあった工場もたたんで中国などに移転させてしまった。85年のプラザ合意以来の円高によるものですが、最近の円安から見ると過剰反応ではなかったかと思う。

このようなグローバル企業の工場が海外移転して日本の地方経済は破滅的な状況になってしまった。夕張市のみならず、これから破綻する地方自治体は続出するでしょう。工場は海外に移転して唯一ある産業は公共事業しかないのにそれもカットされて地方は火の消えたようになってしまった。

「建築家の育住日記」に書かれたように、働く場の無い地方からは若者は都会に出て行き、残された地方は現代の「姥捨て山」となっていきます。小泉構造改革はさらに追い討ちをかけて地方を追い詰めていく。都会に働きに出た若者には年老いた父や母を養う力はなく、「姥捨て山」に捨てられて放置されている。

現代の「姥捨て山」はきわめて日常的な問題であるのに何の手も打たれていない。老人介護保険もかえって老人の負担を増やしただけだ。日本には国や地方にたくさん政治家がいるのに官僚の政策を追認するのみで、官僚たちは平然と現代版姥捨て山政策を実行していく。

よくテレビなどでは大きな政府がいいか小さな政府がいいか論議されますが、少子高齢化社会では小さな政府の政策はとりようがないが圧倒的に小さな政府支持者が多い。財政再建上小さな政府で税金負担を少なくしようと言うのでしょうが、地方に残された老人達を誰が面倒を見るのか? 

民放877条には扶養の義務が規定されているが、息子や娘達はその自覚はない。国の年金や健康保険制度は破綻寸前であり、息子や娘達は年金も支払わず健康保険すら払わない人が続出している。これでは家族が崩壊して孫達が荒れてくるのは当然なのだろう。老父母をほったらかしにしている両親は子供達を躾ける事ができない。

現代の「姥捨て山」政策こそ社会問題の象徴のようなものですが、今頃になって年金破綻や健康保険が赤字問題で大騒ぎしている。息子や娘達が親の面倒を見ていれば年金や健康保険の問題は起きないはずですが、「姥捨て山」の伝統が現代によみがえってきた。本当に背筋が寒くなる話だ。



警察・検察について/守大助
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/756.html
投稿者 white 日時 2007 年 1 月 20 日 11:22:58: QYBiAyr6jr5Ac

□警察・検察について/守大助

 http://eritokyo.jp/independent/mori-col0005.html

警察・検察について

守 大助

2007年1月20日

 私は警察官という仕事は、父親を見て育ってきましたので、先ずデタラメな仕事はしていないと思っていました。当時の私は、前回の“自白”でも説明しましたが。

 「やってないことを言わされているのですから」警察はそのことについて調べると思ったのです。

 だからそれが“自白”だとも思いも・考えもしませんでした。(“自白”になるとも)現実に私が筋弛緩剤を混入したという事実がない。

 11歳女児が重症になったのは、挿管ミスであるというのを、私は自分の目で見ているんです。いくら説明しようとしても全く聞こうとしなかった。

 これは初めから、警察は調べることなく半田夫妻の“点滴=急変”、“守=犯人”という考えのままです。差別です!身分差別!「東北大医学部Profが言うのだから間違いない」という考えです。

 私の担当したS刑事、A刑事が全く“挿管ミス”について聞こうとしなかったのは、そこに問題があったと思います。(准看護師の話より東北大学Profの方が信用できるとしたこと)

 皆さんは警察が間違うはずないと思いますね。私も当時は“調べてくれる”、“何を言っている”という思いが強かったが、あのように取り調べてそのままにしてしまう。(調べもしないまま)

 私は方法についてだって知りません。やってないのだからこれは当然です!

 S刑事から誘導され方法を教えられたんです。点滴へとですよ。

 私はこの事件とされている「点滴」での使用方法なんて見たことも、聞いたこともなかったです。「注射」でしか分かりませんでした。(これこそ調べれば本当に作用するのか分かると!)

 全くデタラメなのは2名の刑事の法廷証言です!

“点滴へ混入したと言ったのは被告です”“私から誘導もしていません”

と証言しました。

 冗談じゃないです。私は証言を聴いていて頭にきました。

 “お前が私に調べで言っていることと違うじゃないか。誘導したから点滴になって納得したんだろ”と声を出したかったです。

 ましてこの2人は“点滴での方法は事前に知ってない”なんて言うのです。半田夫妻が点滴方法をS刑事にも伝えているんです。

 まして医学・薬品の本にも点滴方法は出ていません。半田が自分で考えたということ明らかになっているんです。S,Aの2名が知らないと言うのは全く嘘。法廷で堂々と証言する。これが本当に警察官なのかと!怒りだらけです。

 点滴の方法では作用しないと捜査側が知ったのは、逮捕した後のことです。都合が悪くなって方法を知らない、被告に騙されたとまで言うのです。ふざけてますよ。なんでもやってきます。

 もっとひどいのは検察官で“ありえない”という東京大学助教授のシュミレーションを高裁まで隠し持っていた。弁護団によってシュミレーションやっていたこと指摘されて、やっと出した。(高裁はこのシュミレーションについて無視です。別テーマで伝えます。)“ありえない”ばかりでなく“鑑定方法もおかしい”と書かれていました。作成日はH13・2月と3月です!逮捕後1ヶ月たってからやってます。(作成日が本当か疑問)

 それでも事件にしなければいけなかったのはなぜか!警・検察は逮捕してしまえばもう戻れないシステムになっているのです。私は否認後の3月・4月には警・検からこう言われました。

 “逮捕したが起訴したのは検事だ、我々は関係ない”(警)

 “裁判で無罪になっても、それは公判の検事であり、私は起訴しただけで関係ない”(検事)

 と責任逃れの発言していました。こういうことが(証拠)山ほどあると思います。

 皆さんは証拠というのが、すべて開示されていると思いますが全くのデタラメです。開示しません。犯行で使用されたという、薬品の空アンプルもあるあるというだけで出してません。

 1つも出してない!

 指紋検出したというが、それが誰のかは不明です。私のでないから明らかにできないのです。警察は“自白”というものだけほしかったのでしょう。

 私がやってないと、頭の中が整理され否認した。そしたら刑事は「点滴」方法は騙されたと言う。

 こんなことが、権力側は知っていてやっている。警察が調べれば分かると思ったことは、今の捜査側にはちっともありません。

 こんなデタラメをしていることを知って下さい。

 今後も警察・検察について書いていきます。

 守 大助。


▽関連記事

「自白」/守大助
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/381.html
投稿者 white 日時 2006 年 11 月 19 日 12:09:45: QYBiAyr6jr5Ac


衝撃的な無罪判決が出た。ずさんな捜査を厳しく指弾! [この際、言いたい放題=別冊版]
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/731.html
投稿者 white 日時 2007 年 1 月 17 日 12:23:13: QYBiAyr6jr5Ac

□衝撃的な無罪判決が出た。ずさんな捜査を厳しく指弾! [この際、言いたい放題=別冊版]

 http://komelong.seesaa.net/article/12217491.html

2006年01月24日

衝撃的な無罪判決が出た。ずさんな捜査を厳しく指弾!
こんな重大事件で「無罪判決」です。殺人事件の実行犯とされた人が一審で無罪となるのは、異例ではないでしょうか。
ずさんな警察、検察の見込み捜査を見事に暴いた「冤罪事件」といえそうです。

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「1歳児殺害」無罪判決 名古屋地裁
乗車痕跡なし 「自白信用性に疑問」
 平成十四年七月、知県豊川市の村瀬翔ちゃん=当時一歳十カ月=が殺害された事件で、未成年者略取と殺人の罪に問われた住所不定、元トラック運転手、河瀬雅樹被告(38)の判決公判が二十四日、名古屋地裁であった。伊藤新一郎裁判長は「自白の信用性に看過しがたい疑念がある。犯人だと直接証明する証拠もなく犯罪の証明がない」とし、無罪(求刑・懲役十八年)を言い渡した。
 被告は、捜査段階でいったん犯行を自白したものの、公判では全面的に否認して無罪を主張していた。判決は、自白を「捜査官の誘導の結果である可能性を排斥できない」としており、捜査のあり方が問われそうだ。
 事件をめぐっては、目撃者や物証がなく、被告が「捜査員から大声で怒鳴られるなどし、恐怖を感じ(犯行を)認めた」とする自白調書の信用性が最大の争点だった。
 判決はこのうち、河瀬被告が自分の乗用車で翔ちゃんを連れ去ったとした供述部分について「被告の車からは翔ちゃんの毛髪や衣服繊維は発見されておらず、車に翔ちゃんは乗っていないと推認される」と判断。
 また、検察側は連れ去りの動機について「被告が、翔ちゃんの泣き声に腹を立てたため」としていたが、判決は「あまりに短絡的で納得し難い。いきなり殺害を決意したという自白にも、不自然さがある」とした。
 その上で、判決は「供述は否認と自白を繰り返し、基本部分で一貫していない。秘密の暴露もなく、自白の信用性を肯定するのは躊躇(ちゅうちょ)される」と結論付けた。
 事件では、翔ちゃんが行方不明となった豊川市の駐車場で寝泊まりしていた河瀬被告を、知県警が約九カ月後に逮捕。名古屋地検は被告が十四年七月二十八日午前一時十分ごろ、翔ちゃんの泣き声に立腹して連れ去り、三十分後に海に投げ落としたとして起訴した。
(産経新聞) - 1月24日15時42分更新
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逮捕当時の報道をほじくってみると、こりゃスゴイですよ。各社の名誉のために、掲載紙の名前は出しませんが

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 河瀬容疑者は殺害前日の27日夜から、翔ちゃんが乗っていた車の近くに自分の車を止めて寝ていた。翔ちゃんの泣き声で起き、車外に出ると、翔ちゃんが開いていた車の窓から手を差し出したため連れ出した。
 殺害から約30分後、河瀬容疑者は同駐車場に戻って再び寝たが、捜査員がその車のナンバーを控えており、その後事情を聴くと、「会社の人間と待ち合わせしていた」と供述。しかし、この会社が存在しなかったため、今月14日、豊川署に任意同行を求めたところ、「(翔ちゃんに)申し訳ないことをした」と殺害を認めたという。
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 知県豊川市で昨年7月、ゲームセンターから連れ去られたとみられる1歳10カ月の男児が、4キロ離れた三河湾で水死体で見つかった事件で、県警が15日未明、殺人と未成年者略取の容疑で逮捕した同県音羽町赤坂、トラック運転手河瀬雅樹容疑者(36)は、「泣き声がうるさくて頭に来た」と供述していることが分かった。河瀬容疑者は、当時、男児が1人で寝かされていたワンボックスカー近くに止めた自分の軽乗用車内で寝ていたとされ、県警は、男児の泣き声で起こされたことに腹を立て、連れ出したとみて調べている。 
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 調べでは、河瀬容疑者は事件当夜、ゲームセンター駐車場で、翔ちゃんが寝ていた車の斜め右前に自分の車を止めて寝ていた。翔ちゃんの泣き声で目を覚まし、頭に来たため、車で連れ出し、御津町の三河湾に行く途中、「また泣き出してうるさかったので海に突き落とした」という。
(中略)
 30代の同僚運転手の男性は「酒もたばこもやらない、おとなしい人間だが、何を考えているのか分からないところがあった」と話した。
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 河瀬容疑者の軽乗用車が同駐車場にしばしば止まっていたとの目撃情報をつかみ、事件直後に河瀬容疑者が駐車場に戻ったことも分かったため、3回にわたって事情聴取。河瀬容疑者が勤務会社名を偽るなどしたことから、今月14日に4回目の事情聴取をしたところ、容疑を認める供述を始めたという
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いやはや、見事な書きっぷり。完全に犯人扱いです。
いずれも、警察のリークに基づく「容疑者」報道です。

一応、犯人とは断定しないまでも、完全に犯人扱いです。
ところで、刑事裁判は「推定無罪」の原則があります。有罪判決が出るまで、容疑者・被告人は「無罪と見なす」という原則です。
しかし、警察から情報をもらう報道機関はそうしたことは考えません。「裁判所が一定の条件に基づき発行した『逮捕状』により身柄を拘束されたのだから、犯人と疑う相当の合理的理由がある」というのが理屈です。
 
逮捕状っていうのは、結構簡単に出ちゃいます。逮捕後、処分保留で釈放されることも珍しくないわけですから。逮捕段階では慎重さを求められるべきなのです。
仮に筆が滑ったとしても、公判での被告の主張は丁寧に追うべきです。果たして、それができていたんでしょうか。
結局、公判で、これまでの報道内容は完璧に覆されてしまいました。
権力側の情報にすべてをゆだねてしまうと、こういう致命的といってもいい間違いを犯す。「発表報道」の弱点です。

おとなしい性格の被告は、圧力的に物を言う警察官の意見に迎合し、やってもいないことを自白し、事件の核心である「子供の殺害」部分について供述がコロコロ変わります。しかも、遺体の状況と供述が一致しない、と指摘された後にです。
しかも、目撃証言無し。被告の車内から髪の毛や衣服の繊維などの遺留品も全くなし。 
で、自白がとってもいい加減だったから、犯罪事実の立証をできたとはとても言えませんでした。


「被告が供述した後に裏付けられた事実は存在せず、いわゆる秘密の暴露が含まれていない。自白の信用性に看過しがたい疑問がある」
「(被害者の毛髪や指紋などの物的証拠が見つかっていない点について)被害者が車に乗っていなかったと推認できる」


判決はいい加減な捜査と、自白偏重の捜査を厳しく非難しました。この日に釈放された被告は、マスコミの記者会見に応じ、
「皆様のおかげで無罪になりました。ありがとうございました。本当にうれしい気分です」
とコメントしました。
本当はもっと、いいたいことがあったでしょうね。


▽関連記事

無罪事件の過去記事を読む [どん底あるいは青い鳥。]
http://www.asyura2.com/0601/hihyo3/msg/519.html
投稿者 white 日時 2006 年 8 月 28 日 22:37:48: QYBiAyr6jr5Ac

翔ちゃん事件 逮捕当時の記事
http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/165.html
投稿者 エンセン 日時 2003 年 7 月 20 日 17:54:32:


お笑い99.9 [どん底あるいは青い鳥。]
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/710.html
投稿者 white 日時 2007 年 1 月 15 日 19:57:07: QYBiAyr6jr5Ac

□お笑い99.9 [どん底あるいは青い鳥。]

 http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-158.html

2007/01/15

お笑い99.9

日本の裁判は、外国人の目にはお笑い種であるらしい。

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周防正行監督が痴漢えん罪事件をテーマに描いた「それでもボクはやってない」のプレミア試写がニューヨークで行われ「日本の裁判」に笑いが巻き起こった。

シリアスなはずのシーンで、笑い声が起こった。痴漢の容疑者とされた加瀬亮が何度「やってない」と主張しても被害者の証言以外は聞く耳を持たない警察官や検事、居眠りをする裁判長、刑事事件の99.9%が有罪になる現状…。(引用元)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070112-00000098-sph-ent
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映画は見ていないが、公式サイトによれば、例の「守谷駅痴漢冤罪事件の記録」と同じような話であるらしい。守谷の件は誤認逮捕で終わったが、それが裁判まで進んでしまったというところか。

守谷の一件にも、笑えるところはなかったと思う。アリバイを揃えて無実を訴えても耳を貸してもらえないのは、むしろ恐怖だ。それがアメリカ人の目には笑える何かと映る。非現実的な、ありえない、ナンセンス…と捉えられるからだろう。

ナンセンスさの源には「はじめに有罪ありき」という日本風の頭がある。「有罪」に合う証拠だけを取り上げ、有罪性を否定する証拠は無視してしまう。無罪の証拠を隠すことも許されているし、たとえそれらが表に出ても、それでも有罪になるよう裁判官がちゃんと曲解してくれる。

日本人が求めるのは事実や真実ではない。ただ「有罪だという空気」が死守されることだけだ。その空気に逆らったが最後、ただならぬ何かが起こる、そんな「非現実的な怖れ」が自己規制と他への制裁という「現実」を招く。99.9%という数字は、他ならぬ「空気の勝利」「理性の敗北」の証である。

裁判官を含めた日本人一般の誤りは、やはり「有罪か無罪かは裁判官が判断すべきだ」という認識にあるのではないだろうか。そもそも裁判官が自由心証なるものによって判断を下すのは、決して「被告が有罪か無罪か」ではない。「それぞれの証拠物が被告の犯行の証左と言えるかどうか」のはずである(参照)。

すべての証拠について「犯行の証拠となるかどうか」の判断が揃えば、あとは自動的に答えの出る計算機的な問題に過ぎない。被告の犯行であることを示す証拠が「あれば、被告は有罪」であり「なければ、被告は無罪」、それだけの話だ。

それを日本の裁判官は、最初から「自由『印象』によって被告は有罪」と決め込んで、その結論に証拠の判断を合わせてしまう。「犯行の証拠はなくても有罪」とする。このナンセンスゆえに冤罪が生じるのだ…というのが、幾つかの冤罪事件を見ていて思うところである。

裁判官の抱く「自由印象」が、たとえば「だって起訴されたんだから」といったところから来るとしたら、やはりそれはお笑い種というよりないだろう(アメリカ人が実際にその点を笑ったかどうかはともかくとしても)。

逮捕されたから、起訴されたから有罪のはずだし、必ず有罪でなくてはならない――その認識がどれほどおかしなことか、気づいている日本人はとても少ない。


▽関連記事

□周防正行監督「笑われて手応え」…痴漢えん罪題材「それでもボクはやってない」米プレミア [スポーツ報知]

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070112-00000098-sph-ent

周防正行監督「笑われて手応え」…痴漢えん罪題材「それでもボクはやってない」米プレミア
1月12日8時2分配信?スポーツ報知

 【ニューヨーク(ニューヨーク州)10日】周防正行監督(50)が痴漢えん罪事件をテーマに描いた「それでもボクはやってない」(20日公開)のプレミア試写が「ジャパンソサエティ・ホール」で行われ、「日本の裁判」に笑いが巻き起こった。周防監督は複雑な表情を浮かべながら、「改めて笑っちゃう現実なんだよなって思いました。やっぱり現実を変えていきたい」と手応えを感じた様子だった。

 シリアスなはずのシーンで、笑い声が起こった。痴漢の容疑者とされた加瀬亮(32)が何度「やってない」と主張しても被害者の証言以外は聞く耳を持たない警察官や検事、居眠りをする裁判長、刑事事件の99・9%が有罪になる現状…。

 「冗談でも何でもなく、これが日本の裁判の現実です。今までの(自身の)コメディーよりも笑いが少ないのは、そのことを知ったボクの怒りがきっかけです」

 上映に先立つ舞台あいさつではユーモアたっぷりに作品を紹介した周防監督だが、終了後は複雑な表情。「日本人にとって笑えない現実を描いたのが笑われたのが恥ずかしい…」

 社交ダンス教室を舞台にしたコメディー「Shall we ダンス?」が全米でも200万人を動員。リチャード・ギア主演のリメーク版(04年)もヒットした。「SUO」の知名度はニューヨークでも高く、11年ぶりの新作には法曹関係者約50人を含め、300人が集まった。

 「満員電車なんてニューヨークとシカゴくらい。カンザスじゃ地下鉄っていう言葉も多分知らないよ(笑い)。だから、ほとんどの人には痴漢が出る状況は分からないと思う」(米映画配給関係者)しかし、作品の根底にあるのは、人が人を裁くということ。日本在住歴もあるジョー・アルバート弁護士は「米国の裁判にも問題はあるけど、99・9%が有罪なんて信じられないよ」と驚いたように話した。

 「極めて日本的な映画だけど、扱ってるテーマは普遍的なもの。だからこの作品は海外に出して、見てもらいたいと思う」予期せぬ笑いは、日本の刑事裁判がいかに問題をはらんでいるかの裏返し。前日はニューヨーク郡裁判所に足を運び、米国の裁判を初傍聴した周防監督。「改めて笑っちゃうような現実なんだよなって思いました。現実を変えたい」“裁判改革”への思いは、さらに強くなったようだ。


http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/693.html
<奥西死刑囚再審取消判決に見る国家犯罪>犯罪国家ニポン(土佐高知の雑記帳)
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/590.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 12 月 30 日 16:43:25: KbIx4LOvH6Ccw

http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-582.html から転載。

犯罪国家ニポン

名古屋高裁の判断が次第にわかってきた。
再審側の根拠は、ブドウ酒に残っていた成分はニッカリンTではない疑いが強いということだった。

前にものべたが、弁護団はもう市販されていない「ニッカリンT」を求めて、インターネットなどをつかって探し当てた。
そして、その成分分析データと、事件当時のブドウ酒に入っていたとされる毒物の成分データとはちがうことを証明した。
それを名古屋高裁刑事一部は認めて、再審に道を開いたのだ。

ほかの住民たちの供述の矛盾点や、フタの王冠問題などはさておく。
ところが、名古屋高裁刑事二部は、「ニッカリンTではない別の農薬を使ったとする決定的な証拠を出せ」というのだ。

……(^^;

あきれた話だ。

平たく言えばこういうことになる。

打撲死体の傷をみて「凶器はバット」として、起訴し死刑判決までもっていった。
それにたいして、その傷は「バットによるものではない」という証拠が出た。
ところが裁判所は「何による打撲か明らかにならないかぎり、バットによるものだ」という。

子どものケンカじゃあるまいし…(^○^)

こんなもので一人の命を国家権力が奪っていいのか?
国家犯罪だ。


【関連投稿】

奥西死刑囚の再審取り消し/名張毒ぶどう酒事件(中日新聞)
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/567.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 12 月 26 日 17:10:07

及び上記投稿に続くツリー。


大阪地検の検事が割腹自殺未遂?修習生の指導担当 [読売新聞]
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/497.html
投稿者 white 日時 2006 年 12 月 11 日 18:20:12: QYBiAyr6jr5Ac

□大阪地検の検事が割腹自殺未遂?修習生の指導担当 [読売新聞]

 http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/attempted_suicide/story/11yomiuri20061211i204/

大阪地検の検事が割腹自殺未遂?修習生の指導担当 (読売新聞)
 11日午前9時55分ごろ、大阪市福島区の大阪地検から、大阪中之島合同庁舎の執務室で同地検検事が急病で倒れたとの119番通報があった。
 救急隊員が駆けつけたところ、総務部指導係の男性検事(44)が腹から血を流して倒れており、近くの病院に搬送した。命に別条はないという。近くに刃物が落ちており、大阪府警福島署は、現場の状況などから検事が自殺を図ったとみて調べている。
 調べによると、検事の執務室は、25階建て庁舎の9階。この検事は、1994年に任官し、東京地検などを経て、2005年には大阪地検特捜部にも在籍した。今春から、同地検総務部で司法修習生の実務研修などを担当していた。


[2006年12月11日14時27分]

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JASRACの横暴 [月あかりの予感]
http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/328.html
投稿者 white 日時 2006 年 11 月 09 日 18:44:31: QYBiAyr6jr5Ac

(回答先: ビートルズ生演奏で著作権法違反、スナック経営者逮捕 [読売新聞] 投稿者 white 日時 2006 年 11 月 09 日 18:03:08)

□JASRACの横暴 [月あかりの予感]

 http://blog.goo.ne.jp/tsuki_chan/e/0444df8367ec5328cbfee442378e1512

JASRACの横暴
2006年11月09日 17時15分53秒

ビートルズ生演奏で著作権法違反、スナック経営者逮捕(読売新聞) - goo ニュース


このニュースを見たとき「ひどいなぁ」という感想をもちました。
逮捕されたスナック経営者が、じゃありません。刑事告訴したJASRACがです。

著作権が大切だというのはよくわかります。アーティストも作家も、自分の作品から発生する収入で暮らしているのですから、他人に権利を侵害されることは、それをあらゆる手段で防止しなければなりません。

でも、もともと著作権というのは「他人の著作物を使って勝手に金儲けすること」を防止するための権利じゃなかったのでしょうか。つまり、CDを複製して売ったり、漫画をコピーして売ったり、入場料を取って行うコンサートで他人の曲を勝手に歌ったり、そういうことを防止するのが第一義だったように思います。複製したものを勝手に安く売られると、オリジナルのCDや本が売れなくなるし、作詞作曲した人から見れば、自分の曲を勝手に金とって歌うなんて、権利の侵害だと考えるのも理解できます。著作権と一口に言っても「複製」だけではなく、様々な権利が付随するのは理解しています。著作者人格権、著作隣接権など、保護すべき権利は多岐にわたります。

しかし、それらのことを考慮しても・・・自分のお店で、他人の曲をハーモニカで吹いたから逮捕って、これは一体どういうことなんでしょうか。あまりにもあからさますぎる「みせしめ」に思えます。

法律的に見れば、確かに問題はあるのです。公の場で演奏したり歌うことは、たとえ料金を取らなくても、上演権の侵害になるからです。さらにこの経営者は、既に上演禁止の仮処分を地裁から受けているにもかかわらず、演奏を続けていたのだそうですから、違法性の認識も持っていたと思われます。

それでも・・・やっぱり釈然としないものが残ります。音楽ってそういうもの?という気持ちになります。これじゃそのうち「公の場で鼻歌を歌って逮捕」なんてバカバカしいことも、今のJASRACなら起こり得るんじゃないでしょうか。

権利を管理する側は、それを守るだけではなく、たとえば音楽という文化を健全に発展させる義務も負うのではないでしょうか。ストリートミュージシャンが自由にカバー曲を歌えないような状況になったとして、音楽文化は発展するのでしょうか。

実はホームページ上における歌詞の引用についても、JASRACはがんじがらめに規制する立場を取っていますが、常々これにも疑問を持っています。歌詞というのは、それが「歌われること」を前提に作られているものです。詩集などに収める「詩」とは性格が異なると思います。

それなのにホームページに歌詞を引用すると「権利侵害」だと噛みついてきます。

「この歌は良い曲ですよ。〜〜〜〜こんな歌詞です。お勧めだから絶対に買ってくださいね♪」

JASRACの解釈では、これで「ハイ、権利侵害」です。

「良い歌だから買ってね」と宣伝までしているのに、権利侵害なんです。

権利者(作詞者)から見たら、CDを買ってくれる方が印税が入るんだから、これを見た人がCDを買ってくれる方が、わずかな権利料が入るよりも望ましい結果になるはずです。これは非常に本末転倒な話です。

せめて「タイトルと作詞者を明示すること」を条件として、ホームページ上での引用くらいは自由化してもらえないものかと思っています。もちろん作詞家の総意が必要だし、決して簡単なことではないでしょうけど、これくらいの自由は認めた方が、音楽文化の発展に有効なのではないでしょうか。私だって、あーやの曲を紹介するとき、歌詞を引用できたらどれだけ紹介しやすいかと、ブログを始めた頃からずっと思っています。

法律というのは、拡大解釈しようと思えば、いっくらでも出来ます。家の中でカラオケを歌った。そしたらその歌声が近所中に漏れ聞こえた。これを「公衆送信」※だと権利をもつ側や管理する側(JASRACなど)が解釈すれば、そして裁判所がそう判断すれば、家の中で他人の曲を歌うことまで「権利侵害」だとされてしまうことも、絶対にあり得ないことではないのです。

※もっとも「公衆送信」は、現行の法律では「放送」やインターネット上での配信などを想定して規定されています。それが仮に「第三者が視聴可能とすること」みたいな規定に変更されたとすれば、「家の中で歌ってそれが近所に聞こえること」まで「公衆送信」というような解釈も成り立つという「極端な例」として書いています。もちろん現実的な話ではありません。

そんなことを、つらつら考えてしまったニュースでした。



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誤報の効能 [どん底あるいは青い鳥。]
http://www.asyura2.com/0601/nihon20/msg/106.html
投稿者 white 日時 2006 年 6 月 19 日 00:35:33: QYBiAyr6jr5Ac

□誤報の効能 [どん底あるいは青い鳥。]

 http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-96.html

2006/06/18 誤報の効能

秋田の醜い報道合戦に松本サリン事件における報道被害を思い出す。当時のマスコミはどうやら「嘘しか」流さなかったらしい。


報道では一斉に私を容疑者扱いした。私が会見で「事件に関与していない」と言っても、マスコミと警察と市民は「おまえがシロというなら、シロの証拠を出せ。出さないなら、おまえはクロだ」という。

長男の手を握って「だめかもしれない。後のことは頼んだぞ」と伝えた。――このときの言葉が、ゆがめられて伝えられることになる。「事件を起こしてしまったから、『俺はもうダメだ』座り込む会社員」という形で。

その後、救急車に乗り「妻を助けて」と言ったのだが、これが「薬品の調合を間違った」という話にすりかわっていた。

「警察が解剖のために犬を渡してといったら渡してくれ。…警察が来ると思うから、家の中は触らないでほしい」と伝えた。しかし、その話を聞いていた警察はマスコミにリークした。その結果の記事が「会社員が関与ほのめかす」という内容。「警察が来るから覚悟して」と言ったことになってしまった。

「調合容器とはかりを押収」と書かれたが、容器は漬物樽と犬の餌茶碗。はかりは持っていかれていない…。地元紙には「使途不明の機械が無造作におかれている」と写真付きで報じられたが、陶芸用のろくろを軒下に置いていただけだ。(引用元)


結局真犯人が判明し、河野さんは真っ白の無実ということになった。ではこれらの「大誤報」はどこに行ってしまったのだろう。

冤罪や誤認逮捕における誤報の意味を、報道関係者はたぶん理解していない。上の引用と同じページで河野さんは「マスコミは大誤報を出した時、なぜすぐに訂正してくれないのだろう」という疑問を掲げて、以下のような答えを出している。


翌29日、NHKは朝のニュースから私を「犯人視報道」した。「会社員が救急隊員に『薬品の調合を間違った』と言った」というものだ。しかしNHKは、その日のうちにこれが完全誤報だということに気付いていたのだ。隊員から私がそんなことを言っていないと確認していたからだ。

これは、私にとっては致命的なニュースだった。NHKはすみやかに訂正しなければならないのに、しなかった。なぜだろう。警察のリーク情報の中には「河野の逮捕は時間の問題」というものがあったのだ。私が逮捕されれば、少々間違った情報を流していても、クレームはこないと考えたのではないだろうか。 (引用元)


どうせ逮捕されるのだから、当該の人物の犯人視に即したことであれば、誤報でも何でもいいというわけである。畠山容疑者に関する報道でも嘘か真かは関係ない、とにかく彼女を凶悪に見せる話ならそれでいいのだ。どのみち彼女は何を言われても仕方のない犯罪者なのだから……。

当局の筋書きに沿う限り、誤報を流してもクレームは来ない。視聴者や読者のほうでも、ニュースや記事が真実かどうかはおそらくどうでもいい。凶悪犯罪が起きる。あの人が犯人ではないかと囁かれる。聞けばかなり「悪い奴」らしい。人々は逮捕を今か今かと待っている。

そこで容疑者が任意で同行される。一般人から見れば逮捕と同じである。毛髪DNAが一致したと報道される。視聴者は「やっぱり!」と叫ぶ。自白した。「やっぱり!」。家宅捜索で車や室内から血痕が出た。「やっぱり!」。人々が心待ちにするのは、この「やっぱり!」感なのである。

証拠に関する報道が偽りであっても、この「やっぱりという印象」だけは据え置かれる。毛髪DNAについては毛の染料の一致がどうこうと言い出した時点で誤報であったことがわかる。しかし「あのニュースは間違いでした」と大々的に訂正されない限り、たとえ薄々誤報と感づいても、最初に耳にしたときに覚えた「やっぱり」感が頭から消えることはない。

家宅捜索直後に報じられた「容疑者宅にあった血痕その他」も、今の感じでは法廷に出ることはないだろう。それでもあのとき日本中を席巻した「やっぱり!」は消滅しない。視聴者・読者はリーク情報と誤報の中で、この偽りの「やっぱり」を次々と心に蓄積させて「鈴香が犯人なんだ」と深く信じ込んでゆく。

それが誤報の効能である。お祭り騒ぎの中で次々と「存在しない証拠に関する誤報」を重ねることにより、結果的には「何の証拠もなしに」容疑者が犯人であると信じ込ませることができるのだ。

のちに「何をもって鈴香が犯人だと判断するのか」と問われても、確たる証拠を言える人はどこにもいない。ただ「あのときのやっぱり感」ゆえに、誰もが「犯人は鈴香に決まっている」と言う。

神戸事件でも同じことで、少年Aがあの凶悪な事件の犯人であるという証拠は実は何一つない。にもかかわらず「犯人はAである」ことに世間は非常な確信を持っている。

誤報によって生じた「やっぱり」は訂正によってその都度消去されるべきである。訂正が重なれば「何かがおかしい」と誰もが気づく。だがマスコミは「クレームがなければ」動かない。結局は視聴者・読者・御茶の間の側から真実を求めるよりない。


捜査幹部は「なぜわざわざ軍手をはめたか分からない。場当たり的な感じもする」と首をかしげる。

「殺害に使ったものを処分せず、なぜ大事に持っていたのか」。捜査幹部は「不可解な行動」の意味をつかみかねている。(引用元)


「軍手」を必要とし「そこにあるものを凶器とした」のは他ならぬ警察なのに、こんな茶番記事を読まされ騙され素直に容疑者を憎む購読者は哀れである。

テレビが「豪憲くんの遺棄現場で午後5時20分ごろに車内にいる畠山容疑者をはっきりと見た。あの女だ!と思った」という衝撃の目撃談を流すとき「その時刻に容疑者はその場にいられたかどうか」を検討するのは、この国ではメディアではなく視聴者の仕事である(実際にはその時刻には彼女は実家にいた)。

「5時20分に現場で見た」と言われて「やっぱり!」と叫ぶのか、それともその真偽をまず詮索するか。刹那の印象だけを蓄積せずに、ある情報が時間的な厚みの中で事実として語られるかどうかに注目したいものである。


▽関連記事

□畠山容疑者、行動に「謎」 秋田小1殺害事件から1カ月 [朝日新聞]

 http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20060617/K2006061703250.html

畠山容疑者、行動に「謎」 秋田小1殺害事件から1カ月

2006年 6月17日 (土) 19:10

 秋田県藤里町の小学1年米山豪憲君(7)が殺害され、17日で1カ月を迎えた。死体遺棄容疑で逮捕された畠山鈴香容疑者(33)は、県警捜査本部の調べに殺害方法など具体的な供述を始めている。接見した弁護士は殺害の動機は「発作的、突発的だった」との見方を示すが、供述は変転し、不明な点も多い。捜査本部は裏付けを慎重に進めている。
 弁護士の説明によると、畠山容疑者は5月17日午後3時半ごろ、水死した長女彩香さん(当時9)の部屋に座っていた。窓の外に下校する豪憲君の姿が見えた。「豪憲君、あのね、彩香の思い出に何かもらってほしいんだけど」。そう言って自宅に招き入れたという。
 その数日前、やはり下校中の小学校女児に「彩香が持っていたピカチュウカードをあげるから家に来て」などと話しかけていた。女児は保護者と一緒にいて、自宅内には入らなかった。この行動が豪憲君殺害に関係するのかどうか、捜査本部も関心を示している。
 畠山容疑者は弁護士に当初、「彩香さんの部屋の入り口」と説明していた殺害現場を玄関に変えた。調べに、豪憲君は靴を脱いでいないという矛盾を突かれたためだ。
 首を絞める際、靴箱にあった軍手をはめたと供述。捜査幹部は「なぜわざわざ軍手をはめたか分からない。場当たり的な感じもする」と首をかしげる。凶器とみられる腰ひも(長さ150センチ前後、幅3センチ、厚さ2〜3ミリ)は「栃木県内のホテルに勤めていたころに購入した」と説明した。
 殺害後、「腰ひもと軍手は袋に入れて自宅の物置にしまった」と供述。帽子とランドセルをはずし、遺体は遠足用のビニールシートでくるんで運んだとも話している。
 「殺害に使ったものを処分せず、なぜ大事に持っていたのか」。捜査幹部は「不可解な行動」の意味をつかみかねている。
 取り調べには、淡々と応じているという。捜査本部は生い立ちや人間関係を中心に捜査を進めているが、「長女の死と関連づけて殺害を自分なりに意義づけようとする供述が多い。が、矛盾点を指摘すると、そのストーリーから外れた説明もする」(捜査幹部)という。


□「事実を伝えよ。誤報は正せ」

 http://www.jcj.gr.jp/~hokkaido/note02/0608kouno.htm

「事実を伝えよ。誤報は正せ」
松本サリンで報道被害、河野義行さんが講演会

1994年6月に長野県松本市で発生した「松本サリン事件」の第一通報者で、容疑者扱いされた会社員、河野義行さんが6月8日、「『疑惑』は晴れようとも〜松本サリン事件と報道被害〜」と題して、札幌市内のSTVホールで講演した。河野さんは,当時のマスコミ報道を「警察のリーク情報に頼って『推定有罪』で動いた意味で同罪だ」と指摘。一方で、公権力の報道介入が指摘されるメディア規制3法案には「何とかして阻止したい」と強く批判した。
在札テレビ・ラジオ報道責任者会「八日会」(7社加盟)の主催。会場には報道関係者をはじめ、市民約350人が参加。メディア規制3法案の審議をきっかけにクローズアップされている報道と人権侵害に対する市民の関心の高さをうかがわせた。

河野さんの講演要旨は次の通り。

■ 「推定無罪」とは正反対に
私は、いろいろなマスコミの人に会うが、共通して聞かれるのは「オウムが憎くありませんか」ということ。マスコミの人は加害者意識が薄いと思う。私の家庭を崩壊に追い込んだという点では、初動捜査をミスした警察と、サリンをまいた人と、マスコミとはみな同罪だと思うからだ。
報道では一斉に私を容疑者扱いした。私が会見で「事件に関与していない」と言っても、マスコミと警察と市民は「おまえがシロというなら、シロの証拠を出せ。出さないなら、おまえはクロだ」という。「推定無罪」という原則とは全く正反対に動く世の中だ。
私は、33日間の入院後、警察から事情聴取を受けて自白を強要され、その後の聴取を拒否した。その後、地元民放から送られてきた質問状には、警察で受けた質問とほとんど変わらない内容が書かれていた。テレビ局は、私の黒い部分を探そうとしていう姿勢だったのだ。ハ
警察は疑いながら真実にたどり着こうとするが、マスコミはそうではないはずだ。なのに、犯人探しばかりしている。朝日新聞のメディア欄で「捜査線上に容疑者が浮かんでも、シロの可能性を探すのがマスコミの仕事ではないか」と書いている記者がいたが、私もそれでいいと思っている。
逮捕、起訴され、裁判で無罪が確定したら、警察は真摯にわびなければならないと思う。しかし、なかなか警察からわびるコメントは出ず、「今でもクロだと信じている」ということが多い。でも、マスコミはそれを批判もせず、そのコメントをそのまま掲載する。そうすると、その人は裁判で無罪になっても、世の中ではなかなか「真っ白」になっていけないのだ。結果的には、疑惑を背負い続けて生きていかなければならない。それはおかしいと思う。

■ 何気ない一言になった「真実」
マスコミは大誤報を出した時、なぜすぐに訂正してくれないのだろう。
6月27日に事件が起き、28日に私の家に強制捜査が入った。翌29日、NHKは朝のニュースから私を「犯人視報道」した。「会社員が救急隊員に『薬品の調合を間違った』と言った」というものだ。しかしNHKは、その日のうちにこれが完全誤報だということに気付いていたのだ。隊員から私がそんなことを言っていないと確認していたからだ。
これは、私にとっては致命的なニュースだった。NHKはすみやかに訂正しなければならないのに、しなかった。なぜだろう。警察のリーク情報の中には「河野の逮捕は時間の問題」というものがあったのだ。私が逮捕されれば、少々間違った情報を流していても、クレームはこないと考えたのではないだろうか。
事実かどうかということと、警察が逮捕するかどうかということは、マスコミにとっては関係ないことだ。間違っていれば直せばいいのに、NHKは1年以上も訂正しなかった。そういう体質がNHKの中にあるのではないだろうか。
マスコミは、大きな流れが生じた時、反対することはなかなか言えないんだなあと感じる。「河野は犯人だ」というのが主流になってくる中で、記者は私の同僚や親戚を取材したが、その中で「犯人じゃない」という話は出たはずだ。しかし、それは黙殺されてしまう。ただ、何でもない一言に中に、真実が含まれているケースはあると思う。
ある記者は、私の長女の同級生宅に取材に来た。この同級生ケンちゃんは「おじさんは絶対に犯人ではない」と言った。記者から理由を聞かれ、ケンちゃんは「だってアゲハが死んじゃうから」と答えたそうだ。ケンちゃんは幼稚園時代から、うちによく遊びに来ていて、からたちの木にアゲハが産んだ卵が青虫にかえったら、私と妻が瓶に入れて飼っていたのを見ていたからだ。そんな家が消毒をするはずがないことを知っていたのだ。その時、記者の感性がよかったら。そこで真実にたどり着いたのではないだろうか。何気ない一言から真実にたどり着くことが必要だと思う。しかし、残念ながら、そういう記者はいなかった。

■ 警察は都合のいいことばかりリーク
事件が発生したのは94年6月27日深夜。11時前、妻が「ちょっと気分が悪い」と言うので、私は風邪かと思い、「横になったら」と言った。すると、外でカタカタという音がする。犬が倒れていたのだ。一匹はピクリとも動かなかった。家の中の妻に声をかけたが、返事がない。部屋では妻も犬と同じように泡を吹き、けいれんを起こしていた。救急に通報し、子供を集めて妻を寝かせると、今度は私に異常が起こった。視野が暗くなり、景色がゆがんできたのだ。激しい吐き気で立っていられなくなり、「死ぬかな」という気持ちになった。長男の手を握って「だめかもしれない。後のことは頼んだぞ」と伝えた。
−−ただ、このときの言葉が、ゆがめられて伝えられることになる。「事件を起こしてしまったから、『俺はもうダメだ』座り込む会社員」という形で。
その後、救急車に乗り、「妻を助けて」と言ったのだが、これが「薬品の調合を間違った」という話にすりかわっていた。その時点で私が全く想像できない言葉だ。−−その時、妻は心臓マッサージを受けていて、「妻も自分もここで死ぬかな」と早々にあきらめていた。
病院で、「おそらく有機リン系の農薬だろう」と点滴してもらった薬がサリンにも効くものだったのだ。28日の3時ごろ、長男に「お父さんは助かったみたいだ」と話し、「これは犬の異常から始まったから、警察が解剖のために犬を渡してといったら渡してくれ。いらないといったら庭に埋めてほしい。警察が来ると思うから、家の中は触らないでほしい」と伝えた。しかし、その話しを聞いていた警察はマスコミにリークした。その結果の記事が「会社員が関与ほのめかす」という内容。「警察が来るから覚悟して」と言ったことになってしまった。
翌日昼、警察が聞き込みに来て、「薬品はないか」と聞かれたので、長男は「昔使った薬品がある」と警察官を部屋に入れた。何ヶ月も入ったことのない部屋で、ほこりだらけになっていた薬品があったのだが、そこには、写真の現像液として使おうと思っていたシアン化化合物があったのだ。そこで警察は、強制捜査の礼状を請求した。その時、裁判所は犬と薬品のみの押収を認めていたのに、警察はビデオや名刺、住所録まで押収していった。「礼状なき押収だ」と抗議したが、心配してきてくれていた80歳の妻の母が任意提出書にサインをさせられていたのだ。
その日の夜、警察の記者会見で強制捜査の罪状が「殺人」と発表されたため、マスコミ報道は一気に過熱した。病院では個室に移され、やってきた松本署長に「何があったのか。本当のことを言ってください」と開口一番言われた。高熱で幻覚まであるのに、「おかげんいかがですか」とも言えないのだ。捜査幹部には「除草剤を使いますか」「殺虫剤は?」と聞かれ、それから病室に刑事が24時間張り付いて「看病」することになった。刑事は目的を「マスコミとの遮断」だと言ったが、もっと早く自分のことをマスコミに伝えられたら、あんな展開にはならなかったのではないかと思う。当時、マスコミは警察に張り付き、警察に都合のいい情報しか出てこなかったからだ。

■ 疑惑補強する記事を書かせた警察
私は、メディア規制3法案に反対している。理由は、警察が被害者を囲い込んだら、自分からの情報を発言できなくなり、冤罪につながる危険性があるからだ。
私はその後、マスコミを使って冤罪を晴らしていった。マスコミには問題もあるが、冤罪を晴らす大きな武器になると思う。
過剰報道、過熱取材かどうかというのは難しいが、法案では、それを公権力が決めることになっている。これでは、公権力の都合のいいようになってしまう。大変怖い法律だと思う。何とか阻止したいと自分でも思っている。
警察の情報操作で、記事は私の言っていないことをかき、疑惑報道につながっていった。「第一通報者方で毒ガスが発生した」というのも、「薬の調合ミス」というのも、全部警察によるリーク。マスコミは私の黒い部分を探そうと、疑惑を補強する記事ばかりを書いていった。
記事には「薬品会社に勤め、薬品のライセンスがあった」と書かれたが、私は20年前に薬品会社で勤めていたのは事実だが、営業の仕事をしていたので薬品に触ることもなく、ライセンスも販売のためのもの。それだけで薬品調合のエキスパートにされてしまった。「調合容器とはかりを押収」と書かれたが、容器は漬物樽と犬の餌茶碗。はかりは持っていかれていないのに、言ったほうがつじつまが合うと考えたのだろう。地元紙には「使途不明の機械が無造作におかれている」と写真付きで報じられたが、陶芸用のろくろを軒下に置いていただけだ。
初期報道は、だれもが何がなんだかわからない状態だから、致し方ないという思いもある。しかし、その後の読売新聞の記事は悪質だと思っている。サリンが見つかったと報じられてから、「会社員にサリンが作れるか」というムードになってきていたのに、退院直前のタイミングを見計らって、「薬品使用ほのめかす」という記事を載せた。「退院しても警察は無茶な取り調べができないだろう」という雰囲気だったのに、「やはり会社員だったのか」と思わせるような世論操作の記事だ。

■ 報道被害でマスコミの罪深さ知る
そんな中で当然、報道被害が生まれてくる。我が家で最初の被害は無言電話だった。6月29日から、一日30本くらいかかってきた。30回の無言電話を受けると、精神状況はおかしくなってくる。木の弱い人なら死にたいと思うだろう。嫌がらせの電話もかかってきた。「人殺し」「税金がもったいないから、早く本当のことを言え」というようなもの。脅迫状や嫌がらせの手紙も二十数通きた。「白状しろ」「死をもってつぐなえ」という内容だ。
取材が集中したのもずいぶんつらかった。マスコミは1ヶ月や3ヶ月、半年という区切りで必ず取材に来る。取材要請だけで1日50本も入り、その対応だけで4時間もかかる。とても、まともな生活はできなくなる。
張り付き取材もあった。入院時は病院で「逮捕時の写真を撮ろう」と張り付いていたし、退院後は家の前で張り付いた。家の中を望遠レンズで撮ろうという人もいたので、暑いのに窓を閉めてカーテンをしていた。やはり、暴力だと思う。
マスコミの怖いところは、私が犯人だということをすぐに何百万人もの人に知られてしまうこと。いったん、そう思い込まれたら、こちらとしてはどうしようもない。一人一人に言っていくことは物理的に不可能だからだ。
報道被害は、もっと広い範囲の人が受けることもわかった。金沢のおばあちゃんは、「テレビを見ておじいさんを誹謗抽象してしまった。この手紙を出さないと死ねない」という内容の手紙をもらった。間違った報道が、こんなおばあさんまで傷つけるという罪深いものだということが分かったのだ。

■ 世論を中立に導いてくれたマスコミ
警察は自分を守ってくれるところだと思っていた。しかし、弁護士は「警察があなたの潔白を証明してくれると思ったら間違いだ。警察は犯人を作るところだ」と言った。
警察に対する信頼は7月30、31日の事情聴取でぶっ飛んだ。「聴取は2時間が限度」と診断書をもらって退院させられ、警察の求めでポリグラフの検査にも応じた。取調室に移ると、刑事はぶっきらぼうに「機械は正直だ」と開口一番言った。「どこで反応が出たのか」と聞くと、刑事は「子供に指示して容器を隠したところだ」という。私がポリグラフの結果を見せてくれと頼んでも、刑事は「できない」と逃げた。その後は、「○○と言っているぞ」という伝聞の事情聴取。当時、高校1年の長男が家で3人の刑事に取り囲まれて「父さんは罪を認めたぞ」と言われても、きっぱり否定してくれたおかげで、その時に逮捕はされないで済んだが、診断書など無視され、聴取は7時間半にも及んだ。
翌日は自白の強要をされた。机にひじを突いていると、怖そうな刑事が「姿勢を正せ」という。自白させる第一歩は自尊心、プライドをはぎとることだという。指差して「おまえが犯人だ・亡くなった人に申し訳ないと思わないのか」と1時間近く強要された。我慢できず「こんな聴取には応じられない」と席を立つと、担当刑事が代わりに来て、「疑惑を晴らすのはあなただ」と言われた。本来、潔白の証明は自分でする必要はないはずだ。警察が証拠で示せばいいのだ。しかし、今の世の中は「推定有罪」で動いている。自分が「真っ白」だいう人が、「真っ白」の証明などできるだろうか。
私は逮捕を覚悟したが、意識のない妻はどうするのか、と考えた。逮捕されたら「7人殺人犯の妻」といわれ、どこも置いてくれないかもしれない。そうはさせたくない、というのが自分が頑張れた原動力だった。妻は意識のない中で私を支えてくれたのだと思う。
逮捕は、世論が「あの会社員をいつまでほうっておくのだ」という声を強めた時にされるのだと思う。世論を中立に持っていくためにマスコミを使うしかない。疑問を持ってくれた2社に、客観的に会社員がサリンを作れるかどうかを検証してもらった。そうして、世論が中立に戻ってきた。その時には、警察は私に手を出せなくなっていた。
マスコミの生命線は、権力の監視と批判の実践だ。メディア規制3法は、その生命線を奪ってしまう法律でもある。だからなんとかして阻止したいと思っている。

【質疑応答】
−−マスコミの中立性について聞きたい。私はマスコミは中立である必要はないと思う。各報道機関が意見を述べた方がいい思うが。
河野さん 私も中立である必要はないと思う。大事なことは事実を伝え、間違っていたら訂正する必要があるということ。しかし、この当たり前のことすらできていない。読者が右を選ぼうが左を選ぼうが、マスコミは自然淘汰されていくと思う。ただ最低限、事実だけは伝えてほしい。誤報なら、素直に訂正すればいい。
−−94年当時、松本に住んでいたが、皆が疑心暗鬼だった。でも、ある時「事件を見ているわけではないでしょう」と言われ、はっとした。新聞による憶測の中で、何を信じたらいいのか分からなくなっていた。
−−松本サリン事件は、その後の事件報道のあり方に生かされているのだろうか。
河野さん 多くの記者と話すると、記者が今の報道体制に危機感を感じていることが分かる。しかし、会社という組織の中で、その危機感が薄められているのだ。だが、今回のメディア規制3法案で、自分の生命線を守るためのシステムを作ろうと本当に気付きはじめた。松本の事件で記者は傷つき、マスコミは反省したが、和歌山の砒素カレー事件でまた元に戻ってきてしまったような気がする。
−−警察に張り付いて情報を流す弊害が指摘されている「記者クラブ」制度をどう考えているか。長野県では田中康夫知事がクラブ制度に反対しているが。
河野さん 記者クラブはマスコミにとっては都合のいい制度だと思う。足で稼がなくても情報が入って記事が書けるからだ。オウム裁判を傍聴して司法記者クラブで会見する時、小さな地元紙を同席させるかどうかでなかなか認めてもらえず、「なんて閉鎖的なところだろう」と思った。長野県は、誰もが情報にアクセスできるものに変えようとしているが、私はその方が健全だと思っている。
−−最近、犯罪被害者の発言の場が増えてきているのはいいことだと思うが、「犯人視」された人側の一方的な発言が流されることもあり、危ないとも感じているが。
河野さん 「犯人視」は印象のみ与えるものだ。新聞は「こいつが犯人」と書いてくれれば楽なのだが、「可能性」「?」と見出しでうたえば、訴訟でも逃げられるのだ。ズルイと思うと同時に、上手だとも思う。日刊ゲンダイだけは「犯人は第一発見者」と断定したが。しかし、本当は断定して書いて、間違っていたら責任を取ればいいと思う。しかし、「らしい」と書いて間違ったら、反省してほしい。

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精神医療の「ノーマリゼイション」と異常な事件の多発は、無関係か?  
http://www.asyura2.com/0601/nihon19/msg/798.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2006 年 6 月 12 日 04:26:10: of0poCGGoydL.

精神医療の「ノーマリゼイション」と異常な事件の多発は、
無関係でしょうか?

今回のこの事件がそうだと言ふ積もりは有りませんが、
余りにも、異常な事件が続くので、私は、この問いを
真剣に考えるべきだと思はずに居られません。

この問いがタブーに成っていないでしょうか?


                     西岡昌紀

   http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokamasanori/

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世田谷一家殺害事件の噂
http://www.asyura2.com/0601/nihon19/msg/657.html
投稿者 へなちょこ 日時 2006 年 5 月 25 日 05:56:22: Ll6.QZOjNOr.w

(回答先: 【NHK】世田谷一家殺害で虚偽報告書――たいせつな初動捜査に虚偽が! 投稿者 どうして? 日時 2006 年 5 月 12 日 18:16:20)

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060517#1147802154
カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記

2006-05-17
■[メモ][警察]世田谷一家殺害事件の噂 02:55
以下、拾った。ここに保存しておく。

453 :朝まで名無しさん :2006/05/02(火) 10:58:35 l
なんだか警察も犯人の目星、ついてるみたいだな。現在でも世田谷に住んでいる20代前半の男。当時は大学生。でも警察は逮捕できない。父親の職業見ればなあ…逮捕できないだろうな、と。地元ではなんか、この話があたり前の事実になっている。そこが怖い。

456 :朝まで名無しさん :2006/05/03(水) 13:59:26 ID:YRbMcZ2G
>453

それは都市伝説みたいになってる。いくら権力者でもそこまで法を逃れることはできない。

459 :453:2006/05/04(木) 16:49:08
>456

いや、正直さ、俺自身も「都市伝説」だと思っていた。他にも韓国人犯人説とか、某宗教団体犯人説とかあるだろう? あれと同じようなもの、と思っていたし、むしろ韓国人犯人説の方がリアルに思っていた。

でも勤務地が世田谷になってそこで働き始めている内にだんだん「世田谷在住20代の男説」がリアルに思えてきた。

460 :453:2006/05/04(木) 17:02:44
事件が凄惨だったことに加えて、警察が徹底して何度もローラー作戦したみたいだから、まず大抵の住民は今でも事件をよく覚えている。

そのうち世田谷のある地区の住人から「あの事件、隣の○○(地区名)のAさんの息子さんが犯人だって。噂なんだけどね。でもまだ捕まらないんでしょ。怖いわ」といった類の話を聞いた。当然、はじめは「都市伝説」だと思った。しかし問題となっている○○地区付近の地区の人たちの間では、かなりまことしやかに語られている。

461 :453:2006/05/04(木) 17:05:06
それで問題の○○地区に住む住人達だが多くの人達が何故か異様にこの話になると口が重い。たしかに話しても嫌な感じになるだけの事件だからな。それにしても他の地区の住民があれだけいろいろ話すのに、圧倒的に口が重い。

そのうち、○○地区在住でかなり顔見知りになった人間から「実は…A氏の息子さんが犯人なんだと思う… 噂なんかじゃないんだ…」といった話を聞くことができた。

462 :453:2006/05/04(木) 17:07:22
話の筋をおおまかにすると、あの事件の前からA氏の息子は、ある種の問題児だった。高校時代からネコや犬などの小動物を惨殺して時には飼いネコや飼い犬を殺して近所では問題になっていたらしい。少なくても「猟奇的」という認識は近所の人間は持っていたらしい。その後、本人は大学に進学。

463 :453:2006/05/04(木) 17:12:15
そしてあの事件のあった日。「彼」を目撃した住人がいた。住人から直接聞いたが、手から大量に出血していて「事故にあったの?」と声をかけたが本人は曖昧に答えて自宅に入った、と。正月になってから、「彼」と会った住人は病院にでも行ったのか「彼」の手が包帯でグルグル巻きになったのを覚えていた。ニュースでもいろいろ情報が出ていたから、まさか、と思いつつも住人は匿名で通報したらしい。

464 :453:2006/05/04(木) 17:16:55
その後、かなり早い段階で捜査にも来たらしいが、「彼」は犯人ではなさそうだ、という感じの説明があったらしく(思えば、いちいち近所に知らせるのも奇妙と言えば奇妙である)とりあえずは、安心した、とその住民は言っていた。しかし…その「彼」と宮澤家を結ぶ接点が出てきてしまった。少しはTVで推測として放送されたが、その後、その線は立ち消え、という感じで報道されている話だ。詳細は書けない(正直、怖い)

またたとえ「彼」が犯人だったとしても、金銭的な理由や怨恨などの理由から犯行に及んだのか、猟奇的趣味から犯行に及んだのかはわからない。

465 :453:2006/05/04(木) 17:22:41
何故、「彼」が調査対象にされないのか。理由はごく簡単。できないのだと思う。A氏の職業を考えると不可能だろう。A氏が政界の黒幕だとか、巨大な企業の社長だとか、そういった理由ではない。暴力団の組長でもない。権力者といえども…といった議論はあるだろうが、そこまでの権力者でなくても、捜査を中止させる(息子を捜査対象から外させる)だけの力を持つ権力者はいる、ということだ。

周囲の住民も薄々「彼」が犯人だと気がついている。そしてA氏の職業も知っている。だからこそ、ますます誰にも言えないのではないだろうか? もし通報して、「彼」が捕まらなかったら、「彼」の刃が向かって来る危険性はたぶんにあるのだから。

466 :453:2006/05/04(木) 17:29:45
正直、「彼」が真犯人なのか、確証はない。これだけの情報だと「お前の夢想だろう?」「やっぱり都市伝説だろう」と言われるのも仕方がない、と思う。しかしかなりの高い確率で「彼」が犯人だと思っている。手に大きな怪我をしている「彼」と会っており、また大学時代の「彼」を良く知っている人間と親しい私には、どうしても「彼」が犯人のように思えてしまう。

468 :朝まで名無しさん :2006/05/04(木)
以下の記事以降、まったく続報がない。なぜなんだろう。

一家4人殺害 手にけがの男聴取 以前出入りの22歳 都内病院で3日に治療 [2001年01月10日 東京夕刊]

 東京都世田谷区の会社員、宮沢みきおさん(四四)一家四人が、殺害され先月三十一日に見つかった事件で、宮沢さん宅に出入りしたことのある二十二歳の男性が手にけがをし、病院で治療を受けていたことが分かり、警視庁成城署捜査本部は十日にも、この男性から事情を聴く。宮沢さんらを惨殺した犯人は手にけがをした可能性が高く、現場に残されていた犯人のものとみられる血液はA型で、この男性の血液型と照合する。

 調べによると、この男性が都内の総合病院を訪れたのは今月三日。右手の親指と人さし指の間を切っていて、医師の治療を受けた。この日、都内の医療機関は正月休みだったが、男性が治療を受けた病院は救急の指定を受け、緊急の患者には対応していた。

 事件現場となった宮沢さん宅は、みきおさんと妻の泰子さん(四一)、長女のにいなちゃん(八つ)が刃物でめった刺しにされ、室内の床は血の海だった。このほか、凶器の包丁二本や壁、家具などにも血液が多数、付着していた。

捜査本部は現場検証を行い、採取した血液を鑑定したところ、宮沢さんら一家四人のものとは異なるA型の血液が含まれていることが判明。さらに、室内からは血染めの指紋も採取されたことなどから、A型の犯人がみきおさんら四人を殺害する際、手のひらにけがを負っていたとみていた。

 犯人のけがは遺留血液の量から重傷とみられたため、捜査本部は都内の医療機関に対し、事件後に手の治療を受けた者がいないか照会したところ、都内に住む二十二歳の男性が浮上した。

 捜査本部はこれまで、現場に残されていたLサイズの男性向けトレーナーの販路を追跡、都内では杉並区内の一店で、昨年八−十二月に数枚しか販売されていなかったことをつかみ、購入者の特定を進めた。また、一階から三階まで部屋中に横じま模様の運動靴の足跡が残されており、靴の種類を数タイプにまで絞り込むなど、遺留品の流通ルートからも犯人の割り出しを急いでいた。

 さらに、一般から寄せられた百件以上の情報の確認に当たるなどして、犯人の行方を追っていた。

 みきおさんは東大農学部を卒業後、アニメ制作などに携わり、平成十年から現在の英国系コンサルティング会社に勤務していた。泰子さんは自宅で「公文式」教室を開設し、小中学生ら四十五人前後に英数国の三教科を教えていた。アシスタントとしてアルバイト講師を数人雇っていた。

475 :453:2006/05/04(木) 21:17:53
私が犯人だと推測している人間は10中8、9あたっていると思う。親の職業がわかった時、多くの人が納得するとも思う。闇の権力とか、そういうバックがなくても一定の権力を持っているだけで十分に犯人を捜査から匿える。

ところが、なかなか逮捕されないが故に「闇の勢力がからんでいる」「政財界の大物の息子だ」「某宗教団体幹部がからんでいる」といった憶測が出てくるし挙句の果てには「犯人は外国人グループだ」「犯人は韓国人だ」といった外国人嫌悪に基づく説が出てくる。(警察もそのように思わせる情報をたびたびリークしているしマスコミもかきたててるし無理からぬことだと思う)

しかし私が犯人だと思っている男が野放しになっているのは危ない。男が猟奇的性癖の持ち主であるが故に、また同様の犯行を繰り返さないことを祈るのみである(個人的には世田谷で起きた通り魔事件もこの男がは犯人だと思っている)

仮にこの「453」氏の言っていることが本当だとしたら、「犯人」は世田谷の警察署長の息子あたりじゃないかな。もっと絞り込むと、事件を担当している成城警察署の。

そうであれば「成城署特捜本部」が「聞き込み捜査で虚偽の報告書を作成」していた理由も、その文書捏造が発覚した警部が「辞職した(ということは退職金を得る、ということである。つまり懲罰ではない。)」理由も合点がいく。

 ■[警察]世田谷一家殺害事件での警察の捏造 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060513#1147483925

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覚醒剤で逮捕の社長が親しくしていた芸能人  『gendai.net』
http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/153.html
投稿者 World Watcher 日時 2005 年 7 月 05 日 00:48:21: DdDUJ9jrxQIPs

上記の写真は覚せい剤所持で逮捕されたダイナシティ前社長の中山諭容疑者
http://www.jmca.biz/tape/zenkoku/wakate.html

▼覚醒剤で逮捕の社長が親しくしていた芸能人

「マンション業界の風雲児」といわれる大物が覚醒剤所持の現行犯で逮捕された事件で芸能界も蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。逮捕されたのは、ジャスダックに上場している不動産販売「ダイナシティ」前社長の中山諭(42)。すでに巨人の清原を筆頭とするスポーツ界の人脈が明らかになっているが、中山の人脈は「むしろ芸能界の方が幅広い」(捜査関係者)というのだ。

 真っ先に名前が挙がったのは「とんねるず」の木梨憲武。中山と懇意にしていて食事をする関係というのだが、木梨の所属事務所はこう言う。

「5年前、千葉でサーフィンをやるのに便利なマンションがないか探していたところ、たまたま見つけたのが『ダイナシティ』の看板で、木梨はその物件を購入しました。木梨との関係は、単に不動産業者と客というだけで、会ったのも1、2回です」

 番組のスポンサーになってもらっているタレントもいる。深夜番組「中山道」(テレビ東京)の司会者の中山秀征で、この番組には中山秀征と親しいタレントが毎回ゲスト出演している。同社のCMソングを歌っているのがEXILEだ。

 テレ東では「(ダイナシティが)7月いっぱいは広告活動を自粛する意向で、スポンサーを降りることになった」(広報部)と語る。

 また、同社のCMに出演しているタレントが中山秀征の友人でもある見栄晴だ。

「中山諭は覚醒剤よりは脱税で当局から目をつけられていて、金は腐るほど持っていた。派手好きで芸能人のタニマチとして知られ、最近、事件を起こしたHや熟女タレントのKとも懇意だったといわれています。20日間の勾留(こうりゅう)期間の間に徹底的に調べられ、中山が面倒を見たタレントの名前がボロボロ出てくる可能性がある」(事情通)

 金満社長の逮捕劇に夜も眠れないタレントがワンサカいるのだ。

【2005年7月1日掲載】

2005年07月04日10時00分
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1259779/detail?rd

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未成年が過度に興奮することを避けるべき理由(これで何十回目の説明になるのだろう)
http://www.asyura2.com/0502/nihon16/msg/946.html
投稿者 オリハル 日時 2005 年 6 月 13 日 01:33:22: 3eVpHzO3Pti46

(回答先: みだら摘発第1号…新条例“のないセツクス”ダメ  【夕刊フジ】 infoseekニュース   投稿者 愚民党 日時 2005 年 6 月 12 日 02:44:58)

 問題の論点は猥褻かどうかとか、があるかどうかではない筈です。未成年の場合は「ホルモン・ショック」という現象が起こって、その後の人生でホルモン・バランスが不安定になりやすくなるので、性格もその分だけは不安定化するので、身体が完成するまではSEXなど、過度な興奮に直面するようなことは避けたほうが良い訳です。
http://oriharu.net/jHormone_shock.htm

 逆に、身体が成人し、ホルモン・バランスを獲得すれば、性格も安定して落ち着くのだし、興奮する事は避けるべき事ではないわけです。

 某フォーラムにいた時から人は私の言葉を何度聞いても聞かなかったフリをしますね(http://oriharu.net/ja19920729.htm#furi)。著作権について私は何度も述べてきたと思いました。つい昨日も説明しました(http://www.asyura2.com/0502/kanri8/msg/580.html)。しかし未だに著作権という権利を神の如くに扱って疑問を持たない風潮に「(知ってて)乗る」様です。先日はBSEの全頭検査が可能かどうかという時に、私は首相官邸にも「BSE検査1秒で可能」の記事(http://oriharu.net/jNK20041008.htm)を知らせても反応が全くなかったし、かといえば、「TV+NET=悪の消滅」記事(http://oriharu.net/jtvnet.htm#first)をUPしたら、フジテレビvsライブドアのニュースが突然テレビから音沙汰が消えてしまったりして、ある意味「凄い反応」だったし。大体、私の事をイスラムの友として、かどうか、信じてくれていた人がイラクに沢山いらっしゃるようだと思っていたら、イスラエル主導で潰されてしまったように思えるし、マイケル・ジャクソンが私の夢に出てきたと発言したら(http://oriharu.net/jshakai.htm#Michael)、急にマイケル・ジャクソンが訴えられて裁判が始まったし、ジャネット・ジャクソンがミル(ロ)ク十字(http://oriharu.net/jakko.htm#Janet_Milk)を宣伝してくれたと思ったら、こんな微々たるディスプレーに対して、すさまじいバッシングが起こってしまったし、誰かが私を引っ張り出そうとすると、アンタッチャブルな暴力勢力が目の色を変えて奇声を発して飛び回るようだと思っています。

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みだら摘発第1号…新条例“のないセツクス”ダメ  【夕刊フジ】 infoseekニュース  
7941.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 6 月 12 日 02:44:58: ogcGl0q1DMbpk

みだら摘発第1号…新条例“のないセツクス”ダメ (夕刊フジ)


 警視庁は11日までに、18歳未満の少女と知りながらわいせつな行為をしたとして、東京都青少年健全育成条例違反の疑いで、会社員(24)を逮捕した。これまで東京都では、未成年への性行為に対する禁止条例がなかったが、新たに6月1日から禁止条項が加わった改正条例が施行されたのだ。合意があってもがないセックスはNG−。そのトホホな摘発第1号になっちゃった。

 「本人は知らなかったようだね。だからといってそういう問題でもないんだけどね」(捜査関係者)。逮捕された会社員は、5月30日にJR北千住駅付近で、家出中だった都内の女子中学生(14)に声をかけ知り合った。今月2日に宿泊させていた自宅で、みだらな行為をしたとして逮捕された。

 これまでの都条例では、少年少女への性行為の禁止は、金銭など対価が生じたり、斡旋(あつせん)した場合のみ。今回のケースのように「合意」のあるセックスに関しては、東京都と長野県だけが禁止する条例がなかった。

 石原慎太郎都知事は「行政として若い人たちが健全に育ってくれるようできる限りのことをする」として、青少年問題に取り組むことを表明。昨秋には「青少年の性行動について考える委員会」(座長・加藤諦三早大教授)も設置し、性行動の低年齢化や援助交際という名で10代の売買春が横行している実態が明らかにされた。

 これを受けて都では、従来の青少年健全育成条例に「何人も青少年とみだらな性交または性交類似行為を行ってはならない」との条文を追加。違反した場合は2年以下の懲役、100万円以下の罰金を科すとした罰則規定も設けたのだ。

 条例化については、石原知事も「プライベートな問題であり条例で禁止することはいかがなものか。中学生のセックスが好ましくないのは分かるけど、条例で禁止すると言うのは…」と、自身の著書『太陽の季節』も引き合いに出し、難色を示したが結局、3月末の都議会で可決制定された。

 都生活文化局青少年対策室の大野若人課長は「子供の弱みにつけこむような大人も責任をとらなければいけない。条例がひとつの歯止めになれば」と、条例施行が未成年の性暴走へ抑止力となることを期待する。

 東京でも未成年との“のないセックス”は、「何人も」許されなくなったわけだが、ちなみに、「真剣に恋しているのにそれもダメ?」というケースについて、条例では「みだらな性交」と規定。「真摯(しんし)な付き合いや婚約などの例については、『みだら』ではないと解釈する」(都関係者)としており、即逮捕とはならないという。

 もっとも「2人の関係をきちんと証明できないとダメだろう」(同)というだけに、未成年とのHはやめるに越したことはなさそうだ。

[ 2005年6月11日13時0分 ]

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/regulations.html?d=11fuji56348&cat=7&typ=t



TOP  infoseekニュース  http://news.www.infoseek.co.jp/

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日本:平和運動家の逮捕拘禁は、表現の自由の侵害 [アムネスティ・インターナショナル]
http://www.asyura2.com/0403/nihon12/msg/378.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 20 日 01:53:01:dfhdU2/i2Qkk2

AI INDEX: ASA 22/001/2004
アムネスティ・インターナショナルは、二週間以上にわたって、平和運動家三人が、自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配布したために警察留置場で勾留されていることにつき、強く抗議する。

男性二人と女性一人のこの運動家たちは、東京西部の立川で2月27日に逮捕された。逮捕の容疑は刑法第130条の住居侵入罪である。

この運動家たちは、自衛隊の派遣について、人びとにもっと慎重に考えてほしいと呼びかけるビラを配布していた。彼らは、このビラを、立川の自衛隊の官舎の郵便受けに配っていた。

アムネスティは、この運動家たちは、表現の自由を侵害されて拘禁された、良心の囚人であると考える。表現の自由は、日本国憲法の21条、そして日本も締約国となっている自由権規約の19条に定められている。この運動家たちは直ちに釈放されなければならない。

アムネスティは、また、この三人の家族に対しても嫌がらせがおこなわれている点を懸念している。たとえば家宅捜索であるとか、ノートやコンピュータ類を押収するなどである。

三人の運動家は立川の警察留置場に勾留されており、逮捕後、毎日ほぼ8時間にも及ぶ取調べを受けている。取り調べの最中には弁護人は立ち会っていない。アムネスティが受け取った情報によれば、彼らの取り調べを担当しているのは警視庁の公安二課であり、この事件が公安事件として取り上げられていることを示唆している。

「アムネスティは、彼ら三人を直ちに釈放するよう要求する。また釈放後、日本は彼らの権利が、日本も締約国となっている国際人権基準に保障されているように、きちんと守られるよう要求する。」アムネスティはそのように語った。

AI Index: ASA 22/001/20044
18 March 2004


Japan: arbitrary arrest and continued detention of peace activists is a violation of their basis rights to freedom of expression
Amnesty International strongly condemns the detention in police custody of three activists for over two weeks for distributing pamphlets opposing the despatch of Japanese Self-Defence Forces (SDF) to Iraq.

The three activists -- two men and a woman -- were arrested in the western Tokyo suburb of Tachikawa on 27 February 2004 under charges of "trespassing " under Article 130 of the Japanese Criminal Code.

The activists were distributing pamphlets which called for people to think more carefully about the deployment of the SDF. They were distributed to mailboxes at the SDF personnel's housing units in the western Tokyo suburb of Tachikawa.

Amnesty International considers these activists to be prisoners of conscience, detained in violation of their right to freedom of expression guaranteed under Article 21 of the Japanese Constitution and Article 19 of the International Covenant on Civil and Political Rights, an international treaty to which Japan is a state party. They should be released immediately.

The organization also notes with concern the harassment meted out to the families of the three activists including searches of their houses and the subsequent impounding of their notes and personal computers.

The three activists have been in police custody in Tachikawa where they have been subjected to nearly eight hours of interrogation every day since their arrest. No lawyer is present during the interrogation. Information received by Amnesty International suggests that they have been interrogated by authorities belonging to the public security unit of the Tokyo Metropolitan Police suggesting that this case has national security implications.

"We call for their immediate release and pending their release, Japan should ensure that their rights - - as guaranteed in international human rights standards to which Japan is a state party -- are protected," Amnesty International said.

ENDS…/

--------------------------------------*
amnesty international Japan

<http://www.amnesty.or.jp/>
--------------------------------------*

http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2004/0403180.htm



★関連

「立川・反戦ビラ弾圧救援会」が結成されました
http://www.asyura2.com/0401/nihon12/msg/107.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 06 日 11:39:43:dfhdU2/i2Qkk2
<外交官殺害>車両を警視庁鑑定へ イラクから到着[毎日新聞3月4日]【立川市の第4機動隊の敷地に移して鑑定】
http://www.asyura2.com/0403/war49/msg/597.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 17 日 03:20:36:dfhdU2/i2Qkk2
【反戦運動弾圧】[ヤフーBB/武富士/警視庁公安部による弾圧]各事件を結ぶ
謀略の連鎖 とこしえさんご投稿
http://www.asyura2.com/0401/war49/msg/109.html
はファイル見つかりませんになってしまいます。
http://bbs12.otd.co.jp/truce_bbs/bbs_plain?base=870&range=1
ですと繋がります。

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反戦チラシ配布弾圧
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/799.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 01 日 02:13:46:dfhdU2/i2Qkk2

【反戦チラシ配布弾圧】緊急賛同要請(3/2まで)

東京・国立市の重松です。クロスポストにて失礼します。

私の親しい友人が、自衛隊の家族によびかけるチラシを
自衛隊官舎にポスティングしたところ、
一ヶ月以上たった昨日の朝、6人の自宅が警察に踏み込まれ、
3人が拉致されていきました。
3人は今、立川の警察署にバラバラにされて監禁された状態にあります。

自衛隊官舎は、立川市と国立市の市境にあり、
一見したところ、普通の団地です。
私も以前、自分の議会報告チラシをポスティングしてしまったことがあります。
チラシポスティングで、
警察監視下での「現行犯」ではなく
かなり経った後での「事後弾圧」というのは、きいたことがありません。

また、一部のマスコミによって、実名を出されたり
連行・拉致される姿をそのまま流されるなどの
報道被害(プライバシーの侵害)を受けています。

来週、緊急の記者会見を行いますので、抗議文に賛同してください。

パソコンが押収されてしまったため、
被弾圧グループのページは更新がストップしています。
立川自衛隊監視テント村
 http://homepage2.nifty.com/osawa-yutaka/
最新の情報については大沢ゆたか市議のページをご覧下さい。
 http://homepage2.nifty.com/osawa-yutaka/

【転送歓迎】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

イラクへの自衛隊派兵反対を闘う全国の皆さんへ

「自衛隊派兵反対への不当弾圧を許さない」共同表明への賛同と記者会見への
参加を!


──────────────(以下、声明文)─────────────

                            2004年3月3日
警視庁総監 奥村 萬壽雄殿
立川警察署長 滝澤 敬治殿

              共同声明

 2004年2月27日早朝、「立川自衛隊監視テント村」が警視庁公安第二課と
立川警察におそわれ、家宅捜索6ヶ所、逮捕者3名を出すという不当な弾圧を受
けました。
 理由はこの1月に、陸上自衛隊東立川駐屯地の東側にある官舎に「自衛官・
ご家族の皆さんへ−−イラク派兵反対!いっしょに考え、反対の声をあげよう!」
とするビラを配ったことが、「住居侵入」ということのようです。あの住宅は
国家公務員の住宅の区画にあり、誰もがチラシなどを入れているのです。ピザ
屋さんも、お寿司屋さんも、住宅メーカーもチラシを入れてます。特定の団体
だけ抜き出して、「住居侵入」とすることは、明らかに政治的な弾圧で、許す
わけには行きません。日本が自衛隊を海外へ派兵して行く、「軍隊」が戦争の
ために海外に出て行くために「これに反対するものは徹底して弾圧する」とい
うその手始めではないでしょうか。

 私たちは、こうした国家、警察権力の動きに危機感と怒りを覚えます。また、
長い間反戦・反自衛隊活動に取り組んできた「テント村」への弾圧は、三多摩
地域で反戦・平和の活動をする全ての市民運動・労働運動へのいやがらせと、
脅迫を企んだものといえるでしょう。

 私たちは次のことを求めます。
○不当に逮捕された3名を即時釈放すること。
○今後、イラク派兵反対などの市民運動・平和運動に根拠のない不当な弾圧を
 しないこと。
○「住居侵入」とは全く関係ないにも拘わらず押収したパソコンや電子手帳を
 即刻返還すること。

 以上、申し入れるとともに、自衛隊のイラク派兵に反対し、自由な市民運動・
労働運動を守るための声明とします。

     「自衛隊派兵反対運動への不当弾圧を許さない」共同声明賛同者
                  呼びかけ人:大沢 豊(立川市議)
                        重松朋宏(国立市議)
                  賛同者:●●、●●、●●、●●、

─────────────(以上、声明文)──────────────

こうした動きにはっきりと反対の意思表示をし、派兵反対への弾圧をはね返す
必要があります。多くの団体・諸個人(肩書き・「○○市民」など)の賛同を
お願いします。

 同時に、3月3日(水)午後1時(予定)に立川市庁舎内の記者クラブで「共
同声明」を発表の予定です。ご都合のつく方のご参加もお願いします。
 (具体的なことは別途連絡を)
 賛同の連絡先は下記に、3月2日(火)午後10時までにお願いします。

       集約先:立川市議会議員 大沢 豊
       TEL 042-525-8637 FAX 042-525-8733
       E-mail:osawa.yutaka@nifty.com 
       http://homepage2.nifty.com/osawa-yutaka/

───────────────────────────────────

「自衛隊派兵反対への不当弾圧を許さない」共同表明に賛同します
●氏名・団体名
●(個人名の場合は)肩書き
●一般公表 ・可 ・不可

………………………………………………………………………………
         重松朋宏(1972年生まれ)
     国立市議会議員/無所属2人会派:新しい風
   〒186東京都国立市東1-17-5一ツ橋マンション205
  tel/fax:042-577-6759 handyphone:090-4937-4596
        mailto: tomotomo@jca.apc.org
      市民自治をめざす三多摩議員ネットワーク
 虹と緑の500人リスト http://www.nijitomidori.org

………………「地域から平和を!」メーリングリスト ………………
 http://www.freeml.com/ml_info.php?ml=local-peace

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃大赤字の国の失政のツケが地方自治体に押しつけられ、今年度┃
┃国立市は障がい者支援費の補助金1億円が足りず、さらに次年┃
┃度は国からの財政補てんのお金がストップされ、当初予想より┃
┃6億円も財政不足に陥ることになりました。国立市は財政緊急┃
┃事態を宣言し、給与カットや施策カットで予算を組むことにな┃
┃りました。福祉や教育など市民生活にしわ寄せがないようにす┃
┃るとの方針ですが、議会に気兼ねして市民に詳細を公表せず、┃
┃削減内容の一部にも問題があります。           ┃
┃財政を市民の手に取り戻さなければなりません。(2/15)┃
┃ ■3月(予算)議会始まりました(傍聴してください)  ┃
┃  3月3日(水)午後、私の一般質問です        ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
http://www1.jca.apc.org/aml/200402/38047.html

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http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/317.html

オレオレ詐欺43億円 昨年、被害4割が70歳代 [産経新聞]
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/241.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 1 月 29 日 18:46:28:Mo7ApAlflbQ6s


 息子や孫を装い高齢者宅に電話をかけ、金をだまし取る「オレオレ詐欺」が昨年1年間に47都道府県のすべてで計約6500件起こり、被害総額が約43億2000万円に上ることが29日、警察庁のまとめで分かった。逮捕者は少年6人を含む58人を数え、事件に利用される恐れがあるとして金融機関に対し、口座凍結を依頼したケースは約3300件に達した。
 オレオレ詐欺の認知件数のピークは過ぎたとはいえ、依然高水準にあることから、全国の警察本部は重点捜査を進めるとともに、高齢者を中心に被害防止の防犯指導を強化している。

 まとめによると、認知件数は昨年7月(475件)から急増、10月に入って、初めて1000件を突破し1320件。11、12月も1000件を超えた。ただ、全国的にその手口が知られるようになったことから、未遂事件の比率が高くなっている。

 話の持ちかけ方は、交通事故の示談金名目が約4000件と最も多く、消費者金融などの借金返済名目が約1300件、妊娠中絶した女性の手術費用名目が約370件など。被害者は4割近くが70代で100歳の高齢者も。女性が多く、被害額は6割以上が100万円以下だが最高は1800万円だった。

 一方、犯人は10代から30代の無職男が多く、銀行口座の準備、電話、見張り、金の引き出しと役割分担したグループが目立つ。「金を振り込まなければ、息子はどうなるか分からない」などと詐欺というよりは恐喝の文言が多くなっているという。

http://www.sankei.co.jp/news/040129/0129sha080.htm

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福岡一家惨殺事件:いまだ解明されない10の謎 − 「犯人は中国人三人だけじゃない」 親族の実名独占告白 [週刊文春2月5日号]
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/233.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 1 月 29 日 16:10:49:Mo7ApAlflbQ6s


今日発売の「週刊文春2月5日号」の特集記事(P.151〜P.153)である。

中国人三人による強盗殺人死体遺棄事件としている福岡県警のおかしさが具体的にまとめられている。
疑問点を明確にするために疑問点を列挙し、記事からの引用は『』で示し、告白者の会話は「」で括られているかたちで転載させていただく。

告白者は、殺害された松本真二郎氏の従兄弟松本幸一氏(38)で、『「真二郎とは年齢も近かったし、幼いころから兄弟のように遊んでいました。真二郎が焼き肉屋で働いていたとき、私も同じ会社で仕事をしていたんです。おそらく一番近い存在だったと思います。もちろん千加ちゃんのことも高校時代から知っていました。あの二人は高校からの付き合いですから、だからこそ、こんな事件に巻き込まれたことが今でも信じられないんです」』と語っている。


1.強盗目的ではなく殺人が目的

『「絶対に強盗目的とは思えません。私は、通夜の夜、真二郎の家に警察官立ち会いのもとで入りました。確かに侵入したとされる玄関左側の和室には土足の足跡がありましたが、室内はどこもほとんど荒らされた形跡はなかったんです。
 それどころか、風呂場と脱衣所を仕切るガラスが割れていたんですが、捜査員によれば、犯人はその破片を丁寧に掃除機で吸い込んで、掃除機ごと持ち去っている。そんなことをわざわざするでしょうか。
 それに中国人がお金に困って強盗したのであれば、カメラとかテレビとか金目のものなら片っ端から持って行くでしょう。それがまったく手付かず。奪ったのは現金四万円と真二郎のブルガリの時計だけなんです。『最初から殺害ありきで強盗に入った』と犯人は供述しているようですが、単に殺すのが目的だったとしか考えられません。中国人三人による犯行というのは到底納得できないんです」』

『今月八日に記者会見した捜査本部の中村俊夫捜査一課長も「犯行に関与した人物は三人以外にいない。金に困り、窃盗や強盗を繰り返すうち犯行がエスカレートしていったと説明した。果たして、本当にそれだけなのだろうか。』


2.強盗目的の犯人がわざわざ犯行現場に戻って遺体を運ぶという危険を冒すのはおかしい

『「中国人三人が最初逮捕されたとき、もっと容疑者が出てくるなと思ったんです。少なくとも三人だけじゃ終わらないと。三人だけの犯行ならあまりに不自然なところが多いですから」幸一さんはそう語ると、いまだに解明されていない不可解な点を次々に挙げていった。
 「まず、現段階の捜査では、四人の遺体は二回に分けて真二郎のベンツで運んだとされるが、それは絶対におかしい。犯人が心情的にもそう簡単に殺害現場に戻れるものでしょうか。
 しかも真二郎の家の駐車スペースはものすごく狭いんです。遺体を積むには、間違いなく車をいったん道路に出さなければならない。いくら人通りが少ない時間帯だといっても、そんな危険を冒すでしょうか。
 当初、報道されたもう一台の車の目撃証言が、どうしても無関係とは思えないんです」』

3.背の高い女とアウディはどこに消えた?

『事件当日の午前4時ごろ、松本さん宅方向から赤信号を無視して行き現場方向に向かった不審な車二台が目撃されている。そのうちの一台は真二郎さんのベンツに極似、もう一台には公開された防犯ビデオの男(王)によく似ている人物が乗っていたというものだった。
 不審車の目撃情報はそれだけではない。犯行当夜、被害者宅前に車が止まり、中から背の高い中年女性が出てきたところも目撃されているのだ。
「車は黒か紺のアウディということみたいですが、背の高い女もアウディもいったいどこに消えてしまったのでしょうか」』


4.松本家は目立つ家でもないし彼らの目に付く場所にもない

『容疑者の供述にも理解に苦しむものが多いという。
 「真二郎の家に狙いをつけた理由ですが、『高級外車のある一軒家を専門学校への通学路で見かけたから』と話しているみたいですが、彼らのアパートからは通常、真二郎の家の前を通らないはずです。地元の人から見ると、極めて不自然な遠回りになる。
 しかもベンツといっても十年落ちくらいのものですし、家だって木造。そもそも真二郎の家の周りにはもっと裕福そうな家なんていくらでもあるんです」』


5.なぜ、真二郎氏が帰って来るのを待ったのか

『幸一さんが続ける。
 「さらに、不可解なのが、なぜわざわざ真二郎が帰ってくるまで待つ必要があったのかという点です。ひなを人質にして真二郎からカードの暗証番号を聞き出したみたいですが、それなら、真二郎ではなく千加ちゃんに聞けばいい。結局、彼らは『通帳を見たら残高がなかったから銀行に行かなかった』と供述している。
 そもそも物取り目的なら、昼間人がいないときに入ればいいじゃないですか。実際、事件の約1年前、真二郎の家は空き巣に入られたんですから」』


6.侵入したとされる和室には鍵がかかっていたはず

『その空き巣事件のせいで、松本さん宅はセキュリティーの面で非常に用心深く注意を払っていたという。
 「昼から夕方にかけて入られたと思うんですが、ちょうどそのとき、真二郎は家で寝ていたんです。それ以降は玄関の鍵を二重にしていました。
 だからこそ、今回侵入したとされる和室の鍵がかかっていなかったというのが信じられないんです。台風の次の日だったので外に洗濯物を干していることもあり得ない。かけ忘れというのは考えにくいのです」』


7.中国人二人の帰国費用はどこから出たのか

『幸一さんは犯行グループの資金にも疑問を抱く。
 「楊と王は事件後すぐに中国に帰国しています。いったいその航空券のお金(二人分役十一万円)はどこから出てきたのでしょうか。
 鉄アレイや手錠の購入資金(約一万円)はどうしたのか。最初から中国に帰るお金があるのなら、『金に困っていた』という供述も納得できませんし、結果的に現金四万円(「魏は報酬一万円」と供述)のために一家四人を皆殺しにするなんて、どう考えてもおかしい」』


8.あてもなく走ったら久留米に着いたので乗り捨てたというのはおかしい

『 不可解な点はまだある。
 「例えば、犯人グループが真二郎の車を久留米市に乗り捨てた点。『3号線をあてもなく走っていたら、久留米に着いた』というような供述をしているようですが、あまりにも不自然。鉄アレイを用意するなど、用意周到に犯行を計画していた犯人が逃走経路を『あてもなく』とは考えられない。車を山の中に捨てて、ナンバープレートを外したほうが、まだわからないと思うんですが。<続く>』


9.松本家の表札が持ち去られていた!

『<前項より>
 それに事件前まであった四人の名前が入った表札がなぜか消えているんです。本人たちが外すわけがない。いったい誰が持ち去ったのか。<続く>』

10.ガラスの破片を吸い取った掃除機も玄関マットも行方不明

『<前項より>
 ガラスの破片を吸い取った掃除機や遺体を隠すために使われたと思われる玄関マットもどこへいったのかわからない」
 確かに犯人グループの供述以外には、犯行を裏付ける物証はほとんど見つかっていない。


11.中国人三人の供述は細部で食い違っている

『幸一さんはこう訴える。
 「遺族としてもそうですが、一般の人たちも納得していないんじゃないでしょうか。犯人三人の供述は、犯行時の細かい部分について、かなり食い違っていると聞きます。国対国の関係から、そう簡単にはいかない面もあるのかもしれませんが、中国側に拘束された二人の身柄引き渡しも含めて、何とか全容解明をしてほしいのです」』

● 事件捜査員の告白

『 事件の最前線で捜査を続けたある捜査員も、こう打ち明ける。
 「捜査線上に浮かんだ多くの人物について、完全にシロクロを付けるまで粘り強く捜査を続けるべきです。これだけ大きな事件が未解決の部分を残して捜査終結することには、ご遺族だけではなく、多くの国民も納得がいかないはずです」』


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<女性殺害>第一発見者のおい逮捕 福島県警(毎日新聞) −この記事には警察が甥を逮捕した根拠が何もかかれていない。
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/231.html
投稿者 シジミ 日時 2004 年 1 月 29 日 08:02:50:eWn45SEFYZ1R.

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040129-00002045-mai-soci

福島県平田村西山の無職、志賀千代子さん(当時71歳)が昨年10月、自宅台所で殺害された事件で、県警石川署捜査本部は28日、同村北方、会社役員、高橋信彦容疑者(42)を殺人容疑で逮捕した。高橋容疑者は志賀さんのおいで、事件の第一発見者として119番通報していた。高橋容疑者は容疑を否認しているという。(毎日新聞)
[1月28日20時7分更新]

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虐待児の“駆け込み寺”、NPOが都内に設置へ(読売新聞)[1月26日14時38分更新]【このような施設が全国各地に出来ますことを!!】
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/200.html
投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 1 月 26 日 17:52:28:Sn9PPGX/.xYlo

(回答先: 鬼畜“両親”の行状…大阪・中3長男虐待 --- 餓死寸前、脳障害、腰の一部壊死(ZAKZAK 2004/01/26) 投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 1 月 26 日 17:49:23)

虐待児の“駆け込み寺”、NPOが都内に設置へ

 さまざまな理由で家庭や施設にいられなくなった子どもたちが、いつでもすぐ逃げ込めるシェルター(一時避難所)が今年6月、東京都内に作られる。子どもの人権を守る活動に携わる弁護士らが近くNPO(非営利組織)を設立する。

 DV(家庭内暴力)被害者の女性のためのシェルターはあるが、子どものためのものは全国初。子どもの虐待をめぐる学校や児童相談所の対応の遅れが指摘されている中、子どもが自分の意思で入ることのできる場所としても注目される。

 シェルターは「カリヨン子どもの家」と名付けられる。一軒家を改装し、最大約10人が利用できる。シェルターの細かな住所などについては、子どもの安全に配慮して公表しない。

 運営するのは、「カリヨン子どもセンター」(代表・坪井節子弁護士)。対象は、〈1〉虐待や体罰から逃れるために、家庭や施設を飛び出した〈2〉児童養護施設を出て自立した後、頼る人がいない〈3〉軽微な非行を犯しただけなのに、引き取り手がいないために少年院に送られてしまう――など、様々な事情で自分の居場所がない子どもたちを想定している。

 シェルターの運営資金は年間約500万円で、センターは資金協力も呼びかけている。問い合わせは、同センター設立準備会((電)03・3818・7400)。

(読売新聞)[1月26日14時38分更新]

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<不審者侵入>小学校で「さすまた」導入 異例の売れ行き(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/188.html
投稿者 シジミ 日時 2004 年 1 月 25 日 08:42:47:eWn45SEFYZ1R.

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040124-00001048-mai-soci

小学校への不審者侵入事件が相次ぐ中、先端がU字型になった長い棒で相手を捕らえる「さすまた」を用意する小学校が増えている。中には、年間の売り上げ本数を1カ月間で販売した防犯グッズ業者もあり、思わぬ売れ行きに当惑している。

 さすまたは、江戸時代から使われる道具で、木製の長柄の先に付いた鋭いU字型の金具で相手の首などを押さえ付けていた。現代のさすまたは大半がアルミ製で、2メートルほどの距離を保って刃物などを持った不審者を取り押さえることができる。従来、購入者は警察関係などに限られていた。

 静岡市の防犯グッズ販売会社「フシミ」は、数年前から主に金融機関向けにさすまたを扱い始めた。京都府や兵庫県で学校侵入事件が起きた昨年末以降、北海道から九州まで各地の教育委員会や小学校から問い合わせが増え、12月中ごろから1カ月間で例年の1年分(40〜50本)を上回る約60本が売れた。同社のさすまたは警察仕様より軽く、値段も平均価格の約半分の1万5000円。「女性教師でも扱える」と評判になっているという。

 また、「ポータ工業」(東京都江東区)は、注文数の増加や教育現場の財政難を配慮して、価格を引き下げた。

 静岡県伊東市の温泉街にある市立西小学校(中田義弘校長、児童449人)は、観光客を含め多くの人が周辺を通るため、さすまたを購入した。教職員の半数が女性であるため、不審者侵入に即座に対応できるよう、廊下に備え付けている。

 「フシミ」の商品では、大きな音が出る防犯ブザーも学校からの注文で品薄状態が続いている。伏見順策社長(55)は「こんなご時世だからの現象だろうが、小学校がお客さんになるなんて……」と複雑な表情だ。【大楽眞衣子】(毎日新聞)
[1月24日16時49分更新]


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電力2社から100億円 [共同通信] 【青森県東通村】
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/129.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 16 日 15:18:58:dfhdU2/i2Qkk2

社会ニュース 更新日時 : 2004年01月16日(金)14:24

 青森県東通村に計4基の原子力発電所建設を計画している東京電力と東北電力が、約20年間にわたり同村に基盤整備の分担金や漁業振興の負担金などの名目で、計約100億円を提供していたことが、16日、分かった。地方自治法は特定の事業で特に利益を受ける者から分担金を徴収する場合は条例が必要だと定めているが、同村は制定していなかった。

http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20040116/20040116ts030.html

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【INTERNET Watch】京都府警がWinnyに叩きつけた挑戦状「われわれはすべてを解き明かした」
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/109.html
投稿者 釜井@オリジナル 日時 2004 年 1 月 08 日 19:45:21:VrLoF9Jzh5YuU

■ INTERNET Watch
http://internet.watch.impress.co.jp/

■インターネット事件簿 第3回
 :京都府警がWinnyに叩きつけた挑戦状
 ―「われわれはすべてを解き明かした」 [2004/1/7]
http://internet.watch.impress.co.jp/static/column/jiken/2004/01/07/index.htm

TEXT:佐々木 俊尚

URLリンク。

Impress INTERNET Watch は過去に掲載された記事の検索も可能。
このライターの他の記事も面白い。
 Impress INTERNET Watch には今後も注目。

重要箇所を一部抜粋。

-----------------------------------------------------------------

■国内トラフィックが2割近く減少するほどの衝撃

 ファイル交換ソフト「Winny」のユーザーが逮捕された事件は、インターネットの世界に激震を与え続けている。
インターネットマルチフィードが提供しているを見ても、Winny逮捕劇があった2003年11月末以降、
国内のトラフィックは落ち込んだままとなっていることがわかる。
年明けに若干増加しているものの、ファイル交換ユーザーが摘発の不安に震え上がっている様子が、
グラフから浮かび上がってくるようだ。

 捜査関係者が、声を潜めて語る。

 「Winnyの作者は、某有名国立大学の助手を務めている人物です。
学内での立場もあり、今回の事件で家宅捜索を受けたことで
開発をこれ以上進めるのは無理なのではないでしょうか」

 また、事件を手がけた京都府警の捜査幹部は、

 「Winnyの匿名性は完全に暴かれたといっていい。
今後、Winnyの仕組みを使ってファイル交換を行なえば、
いつでも警察に摘発される状態になるということだ」

 と誇らしげに胸を張った。果たして、今後“ファイル交換”というアンダーグラウンドな文化はどうなるのだろうか?

〜中略


■これからは、日本中の警察によって摘発が行なわれる可能性がある

 京都府警幹部は、

 「今回の摘発で、全国の都道府県警察から技術的な問い合わせをたくさん受けている。
情報はすべての警察で共有するというのが基本なので、
これからは日本中の警察によって摘発が行なわれる可能性がある」

 と話す。もっとも、今後Winnyユーザーの摘発が各地で進むかどうかは、実は若干疑問符のつくところではある。
WinMXとWinnyの摘発を行なった京都府警のハイテク犯罪対策室は、生活安全部の下にある。
各都道府県警にある生活安全部はコンピュータ犯罪や悪徳商法、麻薬、少年犯罪などを専門にしているが、
特に悪徳商法やコンピュータ犯罪については「初物」を意識する県警が非常に多い。

 「国内で初めて○○商法を摘発」「国内で初の○○犯罪摘発」といった記事が新聞やテレビに出るのを好むのである。
今回、Winnyという超大型の「初物」は京都府警がモノにした。
他の県警にとっては、京都の二番煎じでWinnyを追うよりは、他のコンピュータ犯罪を狙う方が警察内部での評価は高くなる。
実際、2001年にWinMXのユーザー2人が京都府警に摘発された後、他の県警はWinMX摘発を積極的には行なっていない。

以下略

http://internet.watch.impress.co.jp/static/column/jiken/2004/01/07/index.htm

■「INTERNET Watch」サイトの著作権について
http://internet.watch.impress.co.jp/info/cright.htm

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世田谷一家惨殺事件:「年賀状持ち去り」で周辺の人物・団体が浮上 [日刊ゲンダイ12・25]【どうして今まで公表されなかったの?】
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1187.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 25 日 02:52:38:Mo7ApAlflbQ6s


「日刊ゲンダイ12・25」5面より:

見出し:6000万円トラブルが動機

『<前略>

 最近になって明らかになった新情報もある。
「ここに来て、なぜか2000年の年賀状だけ、盗んでいたことが分かったのです。前年までの年賀状はソックリ残されていたのですが...」(捜査関係者)
 年賀状は「個人情報の宝庫」で、犯人が宮沢さんの人間関係を洗っていたのか、自分の出したものを回収した可能性があるのだ。
 この事件の捜査では覚せい剤中毒者や暴走族、自衛隊員などの“犯人像”が浮かんでは消えたが、年賀状を持ち去ったことから、宮沢さんと何らかのつながりがある人物、団体としてカルト教団と暴力団が注目されている。また、不明だった犯行動機として「金銭トラブル」が濃厚になってきたという。
 「宮沢さんは事件前、東京都への自宅の土地、建物の売却か、仕事の関係化不明だが計6000万円の収入を得ていたとされています。一時、泰子さんが、韓国に拠点を置くカルト教団ともめていることが報じられていましたが、『お布施』が原因だったようです。教団側の執拗な献金要求を突っぱねたため、『出さなきゃこうなる』と、ほかの信者への“見せしめ”に殺されたとの見方が強まっているのです」(捜査事情通)
 土地の権利関係をめぐるトラブルから暴力団の関与も取りざたされたが、捜査関係者はいずれも完全否定している。ただ、これまではっきりしなかった動機が浮上してきたことで、事件解決は一歩進むことになりそうだ。

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【おかしい1】:武井会長が辞任したら禁固刑以上の罪が確定しても武富士の貸金業免許は取り消されないという不条理
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1095.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 18 日 23:54:00:Mo7ApAlflbQ6s


 まず、武井会長が有罪と決まったわけではないことをお断りしておく。

『武富士会長、盗聴指示認める…近く辞任の可能性も [読売新聞]』( http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1006.html )のなかに、「金融庁によると、貸金業規制法では、役員などが禁固刑以上の罪を犯し、刑が確定すると、貸金業の許可が取り消される。ただし、確定前に、罪に問われた役員などが交代・辞任すれば、適用されないという」と書かれている。

 貸金業規制法の具体的な内容は知らないが、金融庁の説明が法理論的に正しいとすれば、「役員などが禁固刑以上の罪を犯し、刑が確定すると、貸金業の許可が取り消される」という法規定そのものが有名無実ということになる。

 百歩譲って、貸金業者の役員が貸金業に関わらない犯罪で有罪になったのなら、金融庁の説明はそれなりに理解できる。
 貸金業者の役員が業務とは関係なしで喧嘩して有罪になったからといって法人である貸金業の免許が取り消されるというのは行き過ぎで、そんなことをしでかした人物が貸金業の役員を辞めることで事業の継続は認められるが、その人物が役員として居座っているのなら貸金業免許そのものも取り上げるという考えである。

 しかし、武井会長の嫌疑は、武富士の会長権限として行われ武富士からお金が支出されている犯罪に関するものである。
 まさに、武富士そのものの犯罪行為である。
 このような犯罪で有罪が確定しても、確定以前に役員を辞任していれば、武富士にはお咎めなしという考えはとうてい納得できるものではない。
 法人である企業は判断や行為ができない異様な存在であり、企業そのものを逮捕することもできないものである。

 犯罪を構成する行為をなしてから有罪が確定するまでゆうに年単位の時間が経過する。俗に言う企業ぐるみの犯罪であっても、実行者として特定され有罪が確定すると見込まれる役員が辞任すれば、企業にはお咎めなしということである。

 金融庁の説明が正しいとすれば、貸金業規制法の不備であり、国会や政府は早急に改正をしなければならないはずである。


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原発:福井県美浜町に10億円寄付していた 関電と原電 [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1007.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 08 日 17:52:36:Mo7ApAlflbQ6s


 関西電力と日本原子力発電(原電)が昨年度、関電美浜原発のある福井県美浜町に対し、匿名を条件に計10億2000万円を寄付していたことが8日、関係者の話で分かった。寄付は町側が要請していた。町幹部は「誰から寄付を受けたかは相手との約束もあるので言えないが、寄付は町総合体育館建設に使った」と話している。

 関係者によると寄付は、要請を受けた関電が、同町に原発が立地していない原電にも持ちかけたという。

 同体育館は建設費約21億円で、01年8月着工、今年3月完成。鉄筋3階建て、約1760平方メートルのアリーナやトレーニングルーム、554の観客席などを備えている。維持費には年間約5000万円かかると見込まれている。建設費のうち約14億円は原発立地に伴う電源三法交付金などで賄ったが、残りの財源のねん出が課題となっていた。

 一方、関電若狭支社は「一般論として寄付自体は否定しないが、個別の案件や金額は明らかにできない」。原電敦賀地区本部は「一般論として、地域社会の貢献につながるものは応分の負担をさせてもらっている。個別のことは言えない」としている。

 地元の脱原発グループ「若狭連帯行動ネットワーク」の松下照幸町議は「出所を明らかにできない金で建てた施設は必要なのか。無駄な箱物ばかり作っているうちに人口は減り、地場産業も衰退した」と話している。

 同町に対しては、隣の敦賀市に高速増殖炉「もんじゅ」がある核燃料サイクル開発機構と関電が99年度、ケーブルテレビ局の開設費用などで計約5億円を寄付していたことが分かっていた。

【日野行介】

[毎日新聞12月8日] ( 2003-12-08-16:07 )

http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20031208k0000e040059001c.html

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ヤミ金の梶山被告、スイス口座に51億円(読売新聞)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/997.html
投稿者 エンセン 日時 2003 年 12 月 06 日 05:10:37:ieVyGVASbNhvI

 
ヤミ金の梶山被告、スイス口座に51億円

 【ジュネーブ=長谷川由紀】スイスのチューリヒ州当局は5日、指定暴力団山口組旧五菱会系のヤミ金融グループ最高責任者で「ヤミ金融の帝王」と呼ばれた梶山進被告(54)名義の銀行口座を凍結したことを明らかにした。

 担当予審判事によると、梶山被告名義の口座は1つで、残高は6100万スイス・フラン(約51億円)にのぼる。約3週間前に、市場の資本移動などを監視している警察当局から通報を受け、先月26日に口座を凍結したという。

 判事はマネー・ロンダリング(資金洗浄)捜査の担当で、「(口座の資金に)不審な動きが見られたため」と凍結理由を説明したが、銀行名など詳細は明らかにしていない。これまでのところ、スイス国内で、梶山被告名義の口座はこれ以外に見つかっていないという。

 判事は先週、凍結した口座の内容や捜査の概要を司法省を通じて日本の警察当局に通報したとしている。

          ◇

 旧五菱会系のヤミ金融グループによる出資法違反事件を巡っては、米連邦捜査局(FBI)などの調べで、梶山被告が管理していたとみられる米カリフォルニア州の銀行口座などに計数百万ドルが入金されていたことがわかっている。

 また、警視庁の調べで、米国の高級カジノホテル名義で開設された日本国内の貸金庫3か所に、梶山被告が総額400万ドル(約4億3000万円)の米ドル紙幣を隠していたことも判明。警視庁では、梶山被告が、ヤミ金融で得た不正収益を海外でマネー・ロンダリングしていた疑いがあるとして、海外の捜査当局と情報交換しながら捜査を進めている。

 これとは別に、梶山被告らのヤミ金融グループは国内で、額面総額約26億円の割引金融債を換金したり、偽名を用いて約4億円を米ドルに換金していた。警視庁では、これらの換金行為もマネー・ロンダリングの一環とみている。(読売新聞)
[12月6日3時6分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031206-00000001-yom-soci

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子供の連れ去り、全国で126件発生 77%女児、40件未解決 [産経新聞]
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/982.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 04 日 21:13:14:Mo7ApAlflbQ6s


 15歳以下の子供を狙った連れ去りとみられる事件が頻発、今年1月から10月15日までに全国で計126件発生、被害者は139人に上ったことが4日、警察庁のまとめで分かった。被害者の77%が女児や女子だった。
 このうち警察が事件と断定したのは116件(既遂87件、未遂29件)。40件は犯人が捕まっておらず、検挙率は65・5%。警察庁は「国民の不安が大きい」として被害防止を全国の警察に指示した。

 警察庁によると、126件のうち、被害者が現在も行方不明なのは5月に失跡した大阪府熊取町の小四女児(9つ)のケース。被害者が遺体で見つかったのは長崎市の男児誘拐殺人事件1件。

 都道府県別では大阪20件、埼玉11件、東京9件、神奈川8件、茨城7件、奈良、沖縄各6件の順。

 発生場所は路上が72件、自宅19件、公園10件、駐車場8件など。

 被害者139人のうち、小学生が90人と大半を占め、未就学児が26人、中学生は19人。登下校中の被害が47人、遊戯中は36人だった。

 容疑者69人(うち女が5人)の年齢は20代が27人と最多。次いで30代18人、40代10人、50代7人の順。動機は「わいせつ目的」が41人、「好意」が22人、「営利」が1人など。44人は被害者と面識がなかった。



 ≪今年の主な連れ去り事件≫

 ・2003年5月20日 大阪府熊取町で小4女児が行方不明に

 ・7月1日 長崎市で幼稚園男児が連れ去られ殺害。中1男子を補導

 ・7月17日 東京都内の小6女児4人が13日から行方不明になり、港区のマンションに監禁されていたことが発覚。容疑者の男は自殺

 ・7月21日 静岡県焼津市で小5女児が連れ去られたが逃げ出す。無職男を逮捕

 ・8月5日 群馬県佐波郡東村の小2女児が、自転車に乗せられ連れ去られそうになる。高1男子を逮捕

 ・8月6日 静岡市で小5女児が男に車で連れ去られたが逃げ出す

 ・9月1日 神奈川県茅ケ崎市で小2女児が連れ去られ直後に解放。男を逮捕

 ・9月2日 新潟県村上市で中3女子が連れ去られる。13日に保護。無職男を逮捕

 ・9月11日 福島県須賀川市で小6女児が連れ去られ33時間ぶりに保護。無職男を逮捕

 ・9月18日 大阪市で中1女子が男に車に連れ込まれそうになる

 ・10月7日 三重県桑名市の小3女児が連れ去られ、翌日保護。派遣社員の男を逮捕
http://www.sankei.co.jp/news/031204/1204sha100.htm


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サラ金の追跡ノウハウは?
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/960.html
投稿者 サム 日時 2003 年 12 月 03 日 12:46:22:SRl4Xxg75/OpQ

さて、常識の出番である。臭い、と思われぬであろうか。金というものは、相手と長年付合い、厳格な審査もし、ちゃんとした担保も取り、してすら仲々回収出来るものではないのだ。現に厳格な審査を実施している銀行ですら貸倒れ率は3%もあるし、銀行・信用金庫で倒産したり左前になったりする所もざらにある。なのに、サラ金は担保を取らぬ上、資産状況も勤務先も調べず、相手に会いさえもせず、多重債務で身動きならぬ債務者や、破産宣告を受けた者も紛れ込む「無審査貸付」までもしている。まるで無茶苦茶ではないか。金貸しとしてのあらゆるセオリーと安全策を徹底的に無視している。それでどうしてこんなに高い回収率と営業収益を上げることが出来るのか。
 サラ金の場合、人間を担保に取っているからだ。つまり、借手が担保だというわけである。しかし肝心な点は、借手に逃げられたらどうなるのかということである。「大手サラ金の追跡ノウハウは凄い」と言われる。どこへ逃げても捕まえる。だが、その追跡システムを築き、保持し、運営する経費はどこから出るのだ。これには途方もない巨額の経費が掛かるはずだ。日本全国ー場合によっては外国までも含めーに亙って非常に密度の高い監視情報システムが必要だが、それには人件費だけでも気が遠くなるほどの経費が掛かり、サラ金業界の規模くらいでは、逆立ちしてもそんなシステムは持てぬこと、一考するにも及ばぬことだ。しかも、大手四社の高収益ぶりは、彼等がその方面に殆ど経費を掛けていないことを証明している。経費を費やしてもいないのに、完璧な追跡システムを持つー、この矛盾をどう解決すればよいか。「死にゆく日本 眠ったままの日本人」(武田了円著)より

 どう解決すればよいのでしょうか?誰か教えて下さい。


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警察ほぼ全員が税金ネコババに関与か(TV鳥越吼える)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/957.html
投稿者 朝日昇 日時 2003 年 12 月 03 日 08:55:25:laCv3EEPfsYw.

警察ほぼ全員が税金90億円ネコババに関与か(TV鳥越吼える)

捜査費90億円が、偽領収書を警察官自ら作り
ねこばばし、幹部の飲み食いに使われている
ことが報道されていた
全国の警察では当たり前のようにやっている
そうである
民間なら即首ではないか

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<住宅全焼>「漏電による失火」は放火だった 岡山県警が謝罪(毎日新聞) −”被害者は現場の不審点を警察に話していたが、警察は「漏電」と断定していた。”
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/869.html
投稿者 シジミ 日時 2003 年 11 月 28 日 05:17:01:eWn45SEFYZ1R.

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031128-00002154-mai-soci

岡山市内で昨年8月、青果業の男性(27)宅が全焼した火事の原因を、岡山県警は「漏電による失火」と断定していたが、2カ月後に別の事件で逮捕された高松市の元消防団員の男(42)が放火を自供。男性に謝罪していたことが27日分かった。男性は火事の日に現場の不審点を署側に伝えたが、署員は適切な捜査を怠った。(毎日新聞)
[11月28日3時9分更新]

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おれおれ詐欺進化止まらず 若年層も被害 福島(河北新報)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/755.html
投稿者 シジミ 日時 2003 年 11 月 17 日 12:32:23:eWn45SEFYZ1R.

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031117-00000004-khk-toh

家族を装うなどして、現金振り込みを電話で要求する「おれおれ詐欺」の手口が、“進化”を続けている。警察官をかたったり、誘拐犯と誘拐された娘を男女が演じたりと、犯行形態はより巧妙化し、若い世代が被害に遭うケースも目立ってきた。福島県警は「不審な電話があったら慌てず、相手が誰か、しっかり確認してほしい」と注意を呼び掛けている。

 県内で初めておれおれ詐欺が発生したのは5月16日。会津坂下署管内で、70代の無職女性方に孫と名乗る男から電話があり、交通事故修理代名目で20万円をだまし取った。

 今月15日までの発生件数は、実際に被害があったケースが34件、未遂が10件。被害総額は2870万円に上っている。警察に届けがない未遂事件は、この数倍はあるとみられている。

 当初は孫や息子をかたり、「おれだけど、金を振り込んでほしい」などと高齢者を狙って電話する、単純な手口が主だった。その後、発生件数は一時減少したが、10月下旬になって、新手の犯行が目立ち始めた。

 警察官をかたり交通事故の示談金の支払いを促すものや、娘役の女が泣いて電話し、直後に男が「娘は預かった。金を返さないと働きに出す」などと、コンビでだます「演技派」まで現れた。

 11日には、郡山市で、息子の昇進を願う母親の気持ちを逆なでするような事件が発生した。無職女性(62)方に男が「おれだけど、会社で昇格できそうだ。上司から証券アナリストを紹介されたので、(自社株購入資金として)80万円振り込んでほしい」と電話してきた。女性は、声が長男に似ていたため指定された口座に入金。その後、長男と連絡を取り、詐欺と分かった。

 被害者が若い年代に広がってきたのも特徴。13日には、いわき市の主婦(31)が、夫の起こした交通事故の示談金名目で129万円をだまし取られた。

 おれおれ詐欺が報道され、単純な手口ではだましにくくなったため、次々と新たな手口を考え出しているらしい。今後も、被害者心理を巧みにつく事件の発生が懸念されている。
 県警生活安全企画課は「電話口で『おれだ』と言われたり、泣かれたりした場合は、身内の名前を明かさず、『誰だ』と聞き返すのが有効な対策。警察官をかたる手口も目立つが、警察が交通事故の示談金に関与することはない」と注意を呼び掛けている。
[河北新報 2003年11月17日](河北新報)

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ヤミ金の顧客DB開発 独学のアキバ先生逮捕(共同通信)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/698.html
投稿者 シジミ 日時 2003 年 11 月 11 日 06:06:02:eWn45SEFYZ1R.

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031110-00000165-kyodo-soci

 指定暴力団山口組系組員らのヤミ金融事件で、警視庁生活経済課などの合同捜査本部は10日、高利の貸し付けに利用されると知りながら多重債務者らのデータベース(DB)を開発したとして、出資法違反などの疑いで住所不詳、無職水城憲二容疑者(41)を逮捕した。
 水城容疑者は「ヤミ金の帝王」と呼ばれた梶山進被告(54)=出資法違反罪で起訴=傘下の約20のヤミ金融グループ「センター」が使っていた顧客管理のDBを開発。パソコンの修理なども一手に引き受け、仲間から電気街で有名な秋葉原を意味する「アキバ先生」と呼ばれていたという。
 調べでは、水城容疑者は梶山被告らと共謀、昨年4月から12月にかけ、北海道の主婦(47)ら6人に52万6000円を貸し付け、法定金利(1日当たり0・08%)を大幅に超える125万円の利息を取り立てた疑い。(共同通信)
[11月10日17時44分更新]

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「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」に見る“理念主義者”の末路  − 想像力(思考力)の大いなる欠如 −
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/506.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 11 月 01 日 06:04:40:Mo7ApAlflbQ6s


エンセンさんの『とりあえず読み終えた感想です。』( http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/494.html )へのレスです。
========================================================================================

エンセンさん、こんばんわ。

この“事件”は、『「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」に見る“理念主義者”の末路』というタイトルで大書が出来上がるほどの深いものを示唆しているように思えます。

彼らは、確固たる価値観と冷静な判断力を持っている人たちであるが故に暴走しているように見えます。

これは、ブッシュ政権を動かしている人たち、革命的テロリズムに殉じる人たち、民主主義や自由主義を普遍的真理と考える人たちなど、理念主義に走る人たちに共通する行動形態だと思っています。

ブッシュ政権を動かしている人たちはずっと利口であるだけでなく権力機構を動かさなければならないので、もっともらしい装飾をつけているため暴走には見えにくいのですが、権力に対峙する運動を行っている人たちは、ことが思い通りに進まないなかで暴走しやすい危険性を孕んでいると考えています。


「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の人たちは、被害者の父親を真犯人と名指ししつつも、彼の人権を強く擁護する姿勢を示したり、彼に深い同情を寄せています。
つまり、冤罪で収監されているA君に寄せる思いを支えている“人権尊重意識”や“他者への思いやり”を真犯人と考える被害者の父親にも同じように向けているのです。

(彼らの行動がとち狂いや暴挙だと思っている人には、なに言っているんだ、前提が間違っているんだから、“人権尊重意識”や“他者への思いやり”なんかではないということになりますが、彼らはまじめに心からそう思っているはずです)

彼らは、活動を通じて被害者の父親を真犯人だと思い込んで(信じて)います。
そのような彼らになったつもりか、被害者の父親が本当に真犯人だとして(彼らはそう思っています)、次の文面を読んでみてください。


(以下すべて、「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の活動 3:被害者父親真犯人説への転換( http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/483.html )より引用)


引用:「あなたの家族は、あなたが恐れるような目に遭わないよう、私たちが全力を尽くします。誰も、あなたの家族とあなたを責めたてることなどできはしません。なぜなら、作り上げられた「犯人」「犯行」に何の異議も唱えず疑問も持たず、もし疑問を持っていたとしても提示せず、全体の雰囲気と一緒になって、A君とその家族を犯人扱いした者たちに、その資格はないからです。言えるようになって後から口を開くのは、初めから何もしなかった者以上に“黙っていた”罪は大きいのです。国民のほとんどが、A君に対して、「彼を信じること」ができなかったのです。彼に詫びるべきではあっても、真犯人を前と同じように責めることはできないのです。」


“我が子をあのように無残に殺害した上で遺体の一部を世間に晒した父親”にこれほどの人権的配慮を示しそのための行動を約束しています。(念のため、“”内は彼らの思い込みです)
そして、これは、言葉だけで終わるのではなく、実際にそうしようと活動するはずです。

それと同時に、この文面からも、彼らの想像力の欠如を強く窺い知ることができます。

それは、彼らのA君救出運動が現時点では目的を達成できていないように、被害者の父親が真犯人だということが公に認められたとき、彼らがどうしようと、その事実を知った怒れる人々(国民のある割合)の罵詈雑言を止めることなぞできないという現実さえわかっていません。
彼らは、自分たちの論理で現実が動くかのように錯誤しています。
“であるべき”という理屈と現実の動きは別だというあまりにも当たり前の現実さえ見えていません。


彼らの“優しさ”や“思いやり”は、倒錯の極みであり、噴飯物や怒りの対象ともなるものですが、心のうちから素直に湧き出ているものだと推察します。


引用:「真実を語るだけの勇気があれば、どんなことも乗り越えていけるでしょうし、私たちはその勇気を喜んで迎え入れ、あなたを支えていきます。医師を必要とする貧しい国で、あなたがこの先の人生を捧げ、人の心にもいのちにも優しくできるよう、支援していきます。」

引用:「ここまで何度も待ったのは、「公にすること」への躊躇があるからでも、恐れているからでもありません。
 あまりの事態の深刻さのために、あなたの家族が気の毒でならないからです。何の罪もない奥様とお子さんまで、深く傷つくのを見ていられないからです。守り、助けてあげたいというのは、あなたと同じ気持ちです。このままだと、あなたの家族は、真実を知りながら知らぬふりをしていたかのように扱われ、あるいはかばっていたかのように思われ、同じ非難の標的となってしまいます。それは「家族もA君が無実と知りながら、彼に罪を負わせていた」ということです。」


さらには、生けるキリストとも見まがうほどの語りかけもあります。

引用:「どんなに罪深い者にも許しや救いはもたらされます。償うことはできるのです。たとえ取り返しのつかないことであっても。心からの謝罪から始まるのです。真実に向き合うことから始まるのです。そしてそこに「貢献」によるあがないの道が用意されるのです。きっとあなたは、多くのいのちを救うために、自らの残りの人生全てを「捧げる」ことになるのでしょう。自らの罪を恐れおののき、真実から逃げ回るよりも、はるかに人間らしい人生です。そこに至るまでには、確かに大きな勇気を必要とします。しかしそれなしには人として生き直す機会は与えられません。」

あのような残酷極まりない子殺しをした人間だと信じている相手に、彼らは、素直な心でこのような言葉を投げかけているのです。

(これは、人類みなが原罪を背負っていると信じ込んでいる“正統派”キリスト教指導者にも共通したものです。人類皆に“冤罪”を被せ、その救済方法を信じるよう訴えている“正統派”キリスト教指導者とあまりにも似ています)


彼らは、我が子を殺した父親(彼らの妄想です)に深い同情を寄せています。

引用:「そう考えれば、今までのあなたの全ての不自然さや無反応、わずかにあった対応の説明がつくのです。そしてそれだけではなく、繰り返しお尋ねしてきた質問にも、全部それで辻褄が合うのです。あなたが犯人だとすれば。
 こう書きながら、私たちはあなたの気持ちを考えずにはいられません。
 いかなる理由があるにせよ、子を殺めたことの重さを受けとめないはずはありません。あなたの悲しみや苦しみは本当のものと思います。そこにさらに、自らが手を下してしまった自責の念がないはずがない、と。
 その重さに耐えきれず、真実を口にできればどんなに楽になるか。たとえどう非難されても、真実を明らかにしてしまいたいという葛藤に苛まれていたのではないですか。
 日々、いのちと向き合うなかで、いのちを救い、見守る立場にある者として、そのいのち、しかも最も大切ないのちを奪った罪の重圧からは逃れられなかったはずです。あなたのなかの良心は、それを許しはしなかったでしょう。全てを告白し、大声で泣きながら、自分が悪かったのだと叫び出したい衝動に駆られることはありませんでしたか。」


しかし、ここでも、想像力の欠如を指摘することができます。

我が子を殺しあのように無残な晒し方をした父親(念のため彼らの妄想です)が、多数派に見られる良心や価値観を持っていると考えています。

(父親の心を揺さぶって真実を語らせたいという思いもあるのかも知れませんが、このような内容はいくつも出てきますし、想像する彼らの心性からそのような策略的なものではない可能性が高いと思っています)

神戸事件の犯人(ら)は、悪魔崇拝的な価値観を持っており、あのような殺人を犯すことが善だと考えているか、あのような所業に無上の喜びを感じる価値観(感受性)を持っていると推測しています。

実際はそうではないとしても、そのような価値観を持つ人たちもいるという理解があれば、「今までのあなたの全ての不自然さや無反応、わずかにあった対応の説明がつくのです。そしてそれだけではなく、繰り返しお尋ねしてきた質問にも、全部それで辻褄が合うのです。あなたが犯人だとすれば」という安易な判断には陥らないはずです。

あのようなことをしでかしても、良心の呵責におののくどころか、意義深い善をなしたと考える人は、彼らが想像するような反応を示したりはしません。


そして、彼らは、遺体にあのような所業を行ったわけを次のように推測しています。

引用:「実際に手を下した後、遺体に細工をし、あのように扱ったのも、「両親・肉親なら、とてもそんなことはできない」と人は思うからであり、「あんなことができるのは、両親・肉親以外の者だ」と思わせるための、“仕方のないこと”だったのですね。本当はあのような酷い目に遭わせたくなどなかった。でも、自分がやったと思われないためには、そうするしかなかった。あなたも親である以上、やりたくてそうしたのではない、と私たちは思うのです。」


「「両親・肉親なら、とてもそんなことはできない」と人は思うから」という判断で行うレベルの所業かどうかの判断さえできていません。
(指摘している理由で奇妙な細工することを否定しませんが、レベルが違いすぎます)


さらに進んで、父親が我が子を殺すに至った動機まで解き明かした気になっています。


引用:「淳君はきっと天真爛漫なお子さんだった。自分の思ったこと、したいこと、欲しい物、それを素直に口に出していた。ためらいや遠慮はなしで。その素直さ、真すぐさが、あなたにはまぶしく、そして負担だったのではないですか。同じことを何度も何度も繰り返し言い続ける淳君に、苛立ったり、やめさせようとしたりもしたでしょう。淳君にとって心、気持ちをそのまま言うことは、ごくごく当たり前であっても、あなたには次第に我慢できない部分へと変わっていったのではないでしょうか。そして、自分のことをどんなふうに言うのかがとても気になりだした。それはあなたにとって最も弱いところでしたね。淳君がどう言うかで、まわりの見る目が違ってくるのですから。

何年もの間には、何度もそういうことはあったでしょう。しかしそれが、苦々しく思うだけでは済まなくなっていったのですね。あなたのなかで。あなたにとっては恐ろしくもあったのです。淳君が。敏感に人の心、あなたの気持ちに反応し、それを口に出す。――そしていつしかあなたは思うようになってしまったのです。「このままではどうしようもない」と。「殺すしかない」とも。
あなた以外の者にとっては、それは理由にならないことです。でも、あなたにとっては、日々、ずっと同じ恐れのなかにいなくてはならない、切羽詰まったものだったのでしょう。私たちはあなたと同じ気持ちになることはできません。しかし、少なくとも想像することはできます。よほど追い詰められた気持ち、耐え難い気持ちになってしまったのだろう、と思うことはできます。」


被害者の父親が、報道されているような障害をもっていた我が子にどのような思いを持っていたかはわかりません。

しかし、私自身を振り返れば、若いときは自分の子供があのような子だったら困るなあ(いやだな)という思いを持っていましたが、子供をもたない時点で、あのような子が自分の子供だったらたまらないほどいとおしいだろうなと思うようになりました。

彼らが、父親が抱いていた我が子への思いを探る情報をどれだけ持っているかはわかりませんが、文面からはある種の偏見を感じてしまいます。

よほどの確信がない限り、すなわち、父親と長い付き合いがあり様々な局面での振る舞いや感情の発露に触れる機会を持ってそう確信した場合でなければ、とてもではありませんが、このような動機説明を文章にして当人に読ませるということはできないはずです。


伝聞はいろいろ手にしているでしょうが、直接のつながりは皆無だと思われる相手の心に土足で踏み込んでいく文面は、


引用:「そしてA君の逮捕。あなたは我が耳を疑ったでしょう。まさか顔見知りの少年が犯人にされるとは、あなたの想定外だったはずです。あなたは、誰かを身代わりにしようなどとは思ってもみなかった。解決不可能な迷宮入りの事件として終ることを望んだ。けれども事態は、あなたの予想をはるかに上回る大騒動となった。追い詰められていたのは警察も同じ。その結果がA君のスケープゴートです。あなたはそこでも、どうすることもできなかった。自分にも疑いがかけられていたこともあって、作り上げられた逮捕劇を見ているしかなかったのです。自分への疑いを一掃し、自分ではないことをより確かなものとするために、損害賠償請求までせざるを得なかったのでしょう? あなたはA君に、何の恨みも怒りもない。当然です。むしろ、申し訳なさ、うしろめたさで、彼のことを考えたり思ったりするのが辛いのではありませんか。自分の長男の成長していく姿と、彼の毎日とを比べた時、自分がかぶせてしまった重い罪のことを思うことはありませんか。
昨年秋の、国会でのあなたの主張は「被害者の心情への配慮」に特に力がこめられているようにすら思えます。犯罪を犯した少年に対する扱いに関して、遺族がごく普通に抱くような感情がほとんど感じられなかったのです。それは私たちの偏った見方のためでしょうか。」

と続きます。

ここでも、彼らは、思考力のつまずきを見せています。

遺体の一部をあのように晒した犯人が、「解決不可能な迷宮入りの事件として終ることを望んだ」などとどうして考えられるのか不思議です。

警察は無能だったためにA君をスケープゴートにしたのかもしれませんが、犯人が、「解決不可能な迷宮入りの事件として終ることを望んだ」と考えるのは誤りです。

そのように望んでいる人は、遺体の一部を目撃される可能性もある場所に置きにいったり、ご丁寧に場所を動かしたりはしません。
うやむやになりましたが、時間的に合うかたちで黒いビニール袋を持った中年の男性が目撃されたり、自動車も目撃されています。遺体の一部が最初に置かれた時刻や移動された時刻もおおよそ特定されています。
彼ら自身が、そのような目撃証言を、A君が無実である根拠の一つにもしています。

あの事件の犯人は、警察が有能できちんと捜査していれば、真犯人を見つける手掛かりを与えるような“愚かな”行為をしたと言うことがでできます。


さらには、真犯人と思い込んでいる配偶者の心にまで踏み込むに至ります。


引用:「この数ヶ月の働きかけによって、あなたの奥様は、あなたに対しての不信、疑いを持たれたはずです。事件当時の記憶に照らせば、私たちの伝えることが決していい加減なものでないことは分かるからです。でも彼女はあなたに何も言えず、何も聞けない。口まで出かかっているさまざまな言葉を飲み込むしかない彼女の苦しさを思ってあげてください。
子供を殺された。それだけではなく、その犯人が夫。毎日毎日、この三年半、ずっと一緒にいた人が。
彼女はそれでもお兄ちゃんを、自分を守るために気力を振り絞っているのだと思います。事実を知って愕然とし、絶望し、そして恐怖を感じ…。それでもそこに踏みとどまっているのです。
あなたが毎日暗く重い時間を、追い詰められたような気持ちで過ごすのと同じように、いえ、それ以上に苦しい心で生きているのです。それを分かってあげてください。そういう苦しさから、早く解放してあげてください。」


彼らは、父親真犯人説が自分たちが思い込みではなく“真実”に近いものであることをあまりにも薄弱な根拠で伝えています。


引用:「今まで私どもが土師氏へ届けた手紙類は、何人もの人たちに「資料」として読んでもらいました。そしてそれに対する土師氏の対応は「普通に考えて、やはりおかしい」と誰もが言います。」

何人に示したかわかりませんが、「「普通に考えて、やはりおかしい」と誰もが言います」という表現は、普通に考えるとはどういうことを意味し、おかしいとはどのレベルの疑義かということも不明なまま、「誰もが」と強調だけは忘れていません。

掲示板でも、土師氏もA君のために動いて欲しいという書き込みは見えますが、彼が真犯人だという説には疑義も投げ掛けられています。


引用:「追伸・あなたへの手紙類のほとんどはホームページに掲載してあります。読んだ人たちは、あなたへの疑惑を持ち、あなたが真犯人だとしてもおかしくない、と思っています。けれども、あなたが「真犯人」でないのなら、やはりしっかりとした説明をして頂きたいし、すべきだと思います。私たちは聞く耳を持っています。頭ごなしに否定などしません。その意味でも、ぜひ面会を、と改めて申し入れます。」

この阿修羅サイトでも読んだ人はいますが、「あなたが真犯人だとしてもおかしくない」とまでは思っていない人はいます。(エンセンさん、竹中さん、そして、私など)
ここまで牽強付会になれる思考力には恐れ入ります。


世間の動向についても、

引用:「今の時流が「隠蔽された事実の発覚」「嘘・偽りの崩壊」であることは誰もが実感するところです。あなたも連日「嘘・偽りがばれて痛い目に遭う人たち」を見ながら、自分のことを思わずにはいられないでしょう。」

引用:「今のこの国の時流は、あなたにもお分かりでしょう。「隠していることが明るみに出る」のです。その流れは、今や誰にも押しとどめることができません。たとえあなたであっても。知られたくないものを抱えている人たちは、「次は自分の偽りがあばかれ、本当のことが知られてしまうのでは」と不安になり、怯えているでしょう。あなたもそのひとりです。だからそれを守るため、手記を書いたのでしょう。」

と期待感と現実が交錯したもので、現実認識の甘さを露呈しています。


彼らの推論のあやしさは、A君の謝罪問題でも現われています。


引用:「先頃あなたは「週刊新潮」の手記のなかで、A君からの謝罪がないことを明かし、それは医療少年院に「謝罪の指導がないからだ」と理由づけました。しかしそれは全く違います。医療少年院において、更生が進められていく過程では、謝罪へ向けての指導がある、と院側に確認しました。
 それだけではありません。彼からの謝罪がないのは、彼が犯人ではないからです。そしてあなたはそれを十分御存知です。」

彼らが確認したことを、被害者の父親も確認したかどうかはわからないことでありながら、「しかしそれは全く違います」ときっぱり反論しています。

それが、父親がおかしい(あやしい)と論証するための言いがかりに近いものであることが、次の内容から推測できます。

引用:「なぜなら医療少年院では、「被害者への謝罪をさせるような教育(プログラム)や指導がない」というのは嘘だからです。あなたは医療少年院での指導内容を細かに揚げて解説までしてみせました。内容的には合致するのでしょう。しかし、そこに書かれていないことが「指導しないこと」ではありません。あなたが勝手にそう言っているだけです。
 担当課長(関東医療少年院の、ですよ)は言いました。「それが分かる状態の子には、謝罪への指導をします。反省を促しもします。・・・等々・・・・。」A君が、“それが分からないほどの状態”ならば、さらなる入院・治療が必要なはずです。しかし現実に彼は退院したのです。それが分からない状態にあるなどとは考えられず、むしろ、社会復帰が可能なほど「回復」しています。」


「あなたは医療少年院での指導内容を細かに揚げて解説までしてみせました。内容的には合致するのでしょう」というのであれば、父親が手記で書いていることは間違いとはいえません。
それを、「しかし、そこに書かれていないことが「指導しないこと」ではありません。あなたが勝手にそう言っているだけです」と決め付ける思考力の持ち主に推論の整合性を期待するのは無理なのかもしれません。

父親が担当課長に話を聞いているとは限りません。

より重要な錯誤は、話を聞いた担当課長は具体的にA君に謝罪への指導をしたとは言っていないことです。
彼らは、「A君が、“それが分からないほどの状態”ならば、さらなる入院・治療が必要なはずです。しかし現実に彼は退院したのです。それが分からない状態にあるなどとは考えられず、むしろ、社会復帰が可能なほど「回復」しています」という見方を根拠に、担当課長は、A君に謝罪への指導をしたはずだと勝手に思い込んでいるのです。

引用した内容を根拠に、父親が普通では考えられない異常な対応をしていると考えるとしたら、それは妄想だと言わざるを得ません。


彼らは、父親の対応が気に入らないことから、彼を真犯人とまで言い募っています。

しかし、そう思い込む前に、父親の代理人を務めている弁護士の対応振りを自分たちがどう考えたのかを思い起こす必要があります。


引用:「井関さん、あなたは土師氏の言動について、何ら不審点を見出してはいないのですか? 私たちが働きかけを始めてからの約一年半の経緯の大筋は御存知ですね。ここまできて、未だ土師氏に具体的な反応(対応)がないことの意味をどうお考えなのでしょう。
 それとも、代理人とはあくまでも依頼人の利益のみのために動くものであり、本来人間が、弁護士が従うべき“正義”や“真実”は後回しにしてもよいものなのでしょうか。」
弁護士という職業にある人でさえ、冤罪説の説明を含む彼らの働きかけを受けながら、彼らの願う方向には動いていません。
もちろん、被害者家族の代理人を努めていますから、依頼人の利益に反する動きをすることはできません。

しかし、心ある弁護士であれば、弁護士としての“正義感”や“道義心”から代理人の職を辞して動くことはありえます。

彼らは、そうしなかった弁護士について、

引用:「乗鞍先生は存じ上げませんが(直接、接触したことがありませんので)、井関先生に対しては、人間的な、信頼できる方、と私どもは思っております。」

という評価を表明しています。

そうであるならば、もう少し思考を働かせることで、彼らの働きかけに期待した反応を見せなかった父親も、格別異常なわけではないかもしれないと考えることができるはずです。

彼らに言わせれば、我が子をあんなに無残なかたちで殺された父親が本当の被害者であるなら、弁護士と同じ反応で済ませるはずがないということになるのでしょうが、それが真犯人説にまで膨張し、当人およびその周辺にそのような内容の告発を行うまでになったら、人権主義者が自覚なく犯罪行為に走るという大倒錯状況に陥ったと言わざるを得ません。

大いなる人権主義者である彼らが自分の犯罪性にさえ気づかないという悲喜劇です。
それは、大いなる人権主義者であるが故に起きた悲喜劇かもしれません。


◎ お断り

以上の書き込みは、被害者の父親が真犯人であるという見方に立って書いたものではありません。

「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の父親真犯人説が、公開されている内容からは論証できていないことを主張するだけで、事実の真偽を問うものではありません。

記述上、被害者の父親があたかもそのようなことをしたかのように受け止められかねないものになっていますが、それは私の表現力の問題や内容の性格に由来するものであり、事実とはまったく無関係です。

必要ではない被害者家族の実名をそのまま引用したのは、最初の転載時点で処理をしなかった軽率を引き継いだもので、お詫びします。

※ 参照書き込み

父親が彼らの期待に応えた動きをしないのかということに関する“妄想”は、次の書き込みを参照してください。

『「理念主義者」の危うさが露呈された“事件”かもしれません』( http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/189.html

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オウム・松本被告の接見メモ、署名なく“封印”へ [読売新聞]
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/367.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 26 日 17:34:25:Mo7ApAlflbQ6s


 オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告(48)が一連の事件について口を閉ざしてから6年半。法廷での被告人質問にも答えず、「真実を知りたい」という被害者や遺族の期待は裏切られた。しかし、その松本被告の真意を推し量ることのできる「接見メモ」が、実は存在していた。

 メモは「接見報告」などと題され、国選弁護団が法廷にも持ち込んだパソコンの中に保存されている。12人の弁護人が1995年11月ごろから97年4月ごろにかけて、交代で松本被告と接見し、聞き取った内容を整理したものだ。数百時間にわたった接見のメモは、A4判の用紙に印刷すると、少なく見積もっても数十ページに及んでいた。

 〈私がしっかりと止めておけば、こんな事件(地下鉄サリン)は起きなかったと思う……井上(嘉浩被告)が『徹底的にやるしかない』と言っていた。私の意見は通らなくなっていた〉

 〈(坂本弁護士一家殺害では)弟子たちが『尊師、やらして下さい』と言ったので『やめとけ、やめとけ』と答えた……遺体をどうするかという話があったが、私は(かわいそうだから)『3人一緒に埋めてやってくれ』と言った〉

 〈(松本サリン事件の謀議では)気分が悪かったからイスに座って頭痛に耐えていた。弟子たちの話し合いの結果は、コスモクリーナーの音で聞こえなかった。これは実験して下さい〉

 松本被告は、弟子の暴走を主張する一方、坂本弁護士事件では、自らの死体遺棄への関与も示唆していた。しきりに、教義や世間話もしたがっていた。

 取り調べに対してではなく、自らすすんで事件を語ったこの“生の言葉”は、しかし、永遠に封印されることになった。

         ◇

 弁護団は、目の見えない松本被告に弟子たちの供述調書を読み聞かせながら、本人の言い分に耳を傾けたが、96年4月の初公判までに、それをどう評価すべきかは分からなかった。

 「我々が被告の考えを理解できていない段階で、事件の話をさせるわけにはいかない」。それが、初公判を前にした弁護団の考えだった。弁護団は松本被告に罪状認否さえ留保させた。

 半年後、両者の関係が悪化する。「教祖の指示」を証言していた元教団幹部の井上被告の反対尋問。自分に不利な証言が続くと考えたのか、松本被告は中止を強く訴えたが、弁護団は強行した。

 井上証言の信用性を崩すためにも、「反対尋問権」を守るべきだとの原理原則を、被告の意思より優先させたためだ。松本被告は法廷で「いいかげんにしてくれ」と騒ぎ、以後、弁護団との接見を拒み始めた。

 97年4月、初公判から1年ぶりに意見陳述の機会を与えられた松本被告は、「法廷で罪状認否をするのは時期尚早」との弁護団の意見を無視し、「これは裁判ではなく遊び。(私は既に)保釈されている」などと、意味不明の言葉を述べて無罪を主張した。すでに弁護団を見限っていた。これ以降、両者は完全に絶縁状態になった。

         ◇

 弁護団の手元に残された松本被告の「まともな話」は、接見メモだけだった。「この内容を最終弁論に盛り込めないのがつらい」。今月初め、弁護人の1人はそう漏らした。

 最終弁論で無罪を主張するには、起訴事実に対する被告本人の反論が最も有力な材料になる。松本被告が沈黙を通す中、接見メモは格好の資料だった。証拠として認められれば、使うことができる。

 だが、証拠化の最低限の条件とされる被告本人の署名押印がなかった。別の弁護人は、「接見の際に『聞き取り書』という形でサインさせておけばよかったが、当時は接見できなくなるなどとは、考えてもいなかった」と悔やんだ。

 弁護団は、弟子たちの法廷証言や松本被告の説法集などに頼って最終弁論を作成してきたが、「肝心の松本被告の供述が少な過ぎて、無罪主張を論理的に組み立てるのは至難の業」との声もある。

 最終弁論は700ページを超える見通しだが、そこに「接見メモ」の言葉はない。

         ◇

 7年半に及んだ松本被告の公判は30、31日の最終弁論で結審する。

(2003/10/26/03:06 読売新聞 無断転載禁止)


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20031026i401.htm


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入試
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/260.html
投稿者 タケダノブヒロ 日時 2003 年 10 月 21 日 07:39:47:.rljeFsDo08qY

高校入試で推薦が大幅に増えたり、中学での校外模試がほぼ無くなったり、中学での内申書が絶対評価になったり、中学、高校の成績保存期間がいままでの20年間から5年間になったり。これらの変化には、実を言うと、個々の生徒の実力を見えにくくさせ、入試不正を広範に行わせようという意図があるのです。平成4年ごろに神戸の兵庫農業高校で入試不正が発覚し、ニュースで取り上げられました。その内容は、入試答案の入試担当教員による書き換えでした。しかし、それと同等、いえ、それ以上のことが非常に大きな規模で起きています。事実、自分の前任校(埼玉県立三郷工業技術高校)では、おおぴらに入試不正をやっていました。推薦を落ちた生徒に一般入試の受験を薦め、その代わりに、一般入試での得点に関わりなく、合格確約を与えるという制度です。このやり方の巧妙な点は、入試判定会議では、生徒名が一般の教員にはわからないという点です。つまり、誰が本当に推薦入試を受けたのか分からない。誰が合格確約を得て合格してきた生徒かわからないという状態なのです。つまり、一部の教員、管理職が合格確約の生徒を決め、一般の教員にはどんな基準で、誰が合格確約を与えられたかは分からないようにしてあったのです。しかも、よりひどいことに、学力不足で入学してきた生徒を卒業させるために、定期試験の内容の横流しをやっていたとしか思えないことが数多くおきました。詳細は自分のホームページにありますが、校長や教頭などの管理職は、僕のホームページを見ることを拒否しており、その他の色々な点から見て、僕のホームページは、改ざんされた形一般の人たちが見るようになっているのでしょう。つまり、校長たちが僕のいる前で僕のホームページを見てしまうと、どうしても、本来のホームページを見ざるをえず、そうすると、本当の内容を確認せざるを得ず、「自分はホームページの内容を知らなかった。武田はそんなにひどい記事(または、でたらめな記事)を載せていたのか。」と言えなくなるためではないでしょうか。高校での入試不正は、非常に広範に、日本社会を害するものです。金で学歴を買える階層とそうでない階層を分けることになりますし、また、北朝鮮社会のように、こね・権力へのおもねり、そういったものがものを言い、個人の努力や社会的な公正さなどは無意味だと考える若者を大量生産することだからです。 http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/4361/ または、http://210.153.89.190/WallStreet-Stock/4361/ 多分どちらも、改ざんされていますが、ゲストブックがあるので、そちらに色々書き込んでください。

http://210.153.89.190/WallStreet-Stock/4361/

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<ヤミ金>集中取り締まりで125件検挙 1カ月で昨年の半数分(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/178.html
投稿者 シジミ 日時 2003 年 10 月 16 日 12:31:49:eWn45SEFYZ1R.

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031016-00003028-mai-soci

警察庁は16日、「ヤミ金融対策法」の一部施行にあわせて集中取り締まりを行った9月中のヤミ金事件の摘発状況をまとめた。検挙件数は125件で、1カ月間で過去最悪だった昨年1年間(238件)の半数を超えた。このうち、より悪質なケースに当たる「無登録・高金利」で摘発されたのは約半数の61件だった。(毎日新聞)
[10月16日11時24分更新]

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10/10 12:45 舛添議員に脅迫電話 山口県光市の男を逮捕 共同
http://www.asyura2.us/2us0310/nihon9/msg/340.html
投稿者 倉田佳典 日時 2003 年 10 月 11 日 18:31:27:eahs5MlcSyO0.

10/10 12:45 舛添議員に脅迫電話 山口県光市の男を逮捕  社会58

 警視庁北沢署は十日、自民党の舛添要一参院議員に脅迫電話をか
けたとして、脅迫の疑いで山口県光市牛島七○八、職業不詳岡村勇
児容疑者(29)を逮捕した。                
 調べでは、岡村容疑者は九月十三日未明、自宅近くの公衆電話か
ら東京都世田谷区代田三丁目の舛添議員の事務所に計十三回にわた
り「皇室、皇族を侮辱した野郎は必ず殺される」などと脅迫電話を
かけた疑い。                        
 事務所は当時無人で、留守番電話に録音されていた。     
 今年一月から舛添議員の事務所に脅迫電話があり、事務所側が六
月、北沢署に相談、同署が逆探知で割り出した。        
 岡村容疑者は容疑を否認しているという。          
 岡村容疑者は昨年六月にも、同様に舛添議員の事務所に脅迫電話
をかけたとして脅迫容疑で北沢署が書類送検していた。     
(了)  031010 1245              
[2003-10-10-12:45]
nifty共同通信24時間ニュース

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地獄からの脱出(サラ金・闇金編)
http://www.asyura2.us/2us0310/nihon9/msg/113.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2003 年 10 月 05 日 11:38:18:KqrEdYmDwf7cM

(回答先: ヤミ金ビラ電話番号誤記、無関係女性に「貸して」殺到(読売新聞)【被害者にとっては、笑い話ではすまない。】 投稿者 クエスチョン 日時 2003 年 10 月 05 日 09:41:32)

●地獄にまだ入ってない人
 モビット等銀行系のローンを含め、クレジットカード、ローン等
一切使わないことを強くおすすめします。
 詳細は、阿修羅のいろんなところにも書いてあるので、すでに
ご存じだとはおもいますが。

●地獄の入り口に居る人
多重債務解決への道
http://park14.wakwak.com/~kinyu/
(C) 2001-2003 借金楽々返済運営局
<引用開始>
まずお断りしておきますが、この実践編では、自己破産や任意整理や特定調停
を一切やらずに、借りたお金は全額返済という当たり前の事を書いてます。
真面目に借金を返していこうと考えておられる方に読んで頂きたいと思っています。
</引用終了>
有る程度覚悟と有る程度の余裕と有る程度の心の強さがあるうちはこれが良いかも。


●地獄を歩き始めている人
任意整理。
自己破産で無いので、生活は全く変化なし。
会社や周りの人にばれることも無い。
サラ金1社あたり弁護士費用が1万円かかるだけ。
それなのに、利息は0円になり、サラ金1社あたり返済は毎月1万。
http://www.shakkin-kaiketsu.com/
覚悟を決めればそんなに難しくないとおもわれます。

●地獄を結構進んでしまった人。
自己破産。

●・・・


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日航123便ジャンボジェット墜は自衛隊に撃墜されたのでしょうか?
http://www.asyura.com/0310/nihon8/msg/301.html
投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 9 月 27 日 13:09:15:xnvpUXgHxuDw6

日航123便ジャンボジェット墜は自衛隊に撃墜されたのでしょうか?

阪神タイガースは遠い昔にも優勝したことがあります(笑)。
1985年。 バース、掛布、岡田が打ちまくった年として、永遠に関西人の記憶に残ることでしょう。

この8月12日夜、日航123便は、乗員乗客524人(幼児10人を含む)を載せ、御巣鷹山の緩斜面に衝突しました。
わりと陳腐な話ですが、最近読んだ「日本怪死伝」(安倍 譲二著、産経新聞社)にとり上げられていたので、記憶を新たにしました。
20台くらいの人は知らないと思うので、取り上げたいと思います。

皆様に教えて頂けますと幸いです。

結論は簡単です。 事故当時からささやかれていたものです。
当時の週刊ポストの突っ込みは凄く面白かったです。

「日航123便は、自衛隊の無人標的機に撃墜された」

1985年8月12日、日航123便は羽田空港を離陸しました。
18時24分、機体に衝撃音が響きました(大島西海上)。
近くで自衛隊が無人標的機を使って演習をしていた日時です。

機長は、「緊急事態発生」を直ちに管制塔に連絡しました。
このとき、油圧が効かなくなっていることが判明しました。
油圧は予備を含めて4系統あったが、全滅していたのだそうです(これは凄いですね)。
これではフラップも尾翼も動かすことができません。

そしで4基のエンジンの推進力だけで舵をとろうと超人的努力が続けられました。

東京管制塔は、油圧が効かないことを知りながら、羽田方面に戻るように指示しました。
最初から戻れるワケないことは明らかでした(不思議な指令です)。

羽田管制塔と自衛隊のレーダーは、緊急事態発令時から、時々刻々と機体を追い続けていました。

18時54分、機長は、機体位置が判らなくなり、東京管制塔に位置を問い合わせました。
東京管制塔は機体位置を機長に即答しました。

18時56分、機体が両方のレーダーから消えました。
御巣鷹山斜面に衝突したのです(テレビで見た記憶では、胴体着陸に近いように見えましたね。 機長は最善をお尽くしになったのでしょう)。

御巣鷹山ふもとの多数の住人や、自衛隊のヘリの搭乗員が墜落を目撃し、報告していました。

19時1分: 茨城県航空自衛隊百里基地からファントムジェット二機が事故現場特定のために発進しました。

19時13分: 海上保安庁が、「米軍横田基地の北西61キロの山中に炎上がある」と報告しました。

19時19分: 横田基地から航空自衛隊に、秩父市西北30キロの山中で航空機らしい炎上があると連絡が入りました。

19時21分: 自衛隊のファントムジェットから、炎上確認の報告が入りました。

19時25分: NHKが、「123便が、長野県北相木村の御座山に墜落した」というテロップを流しました。

19時54分: 航空自衛隊百里救難隊の林樟三佐のヘリが救難および位置特定目的で離陸しました。

20時頃: NHKが、「123便が、長野県北相木村の御座山に墜落した」というテロップを流しました。

時刻不明: この頃、長野県は、目撃者(村民)の報告から、長野県には墜落していないと公表していました。

20時42分: 林樟三佐のヘリが、現場位置の測定結果を無線報告しました。

21時50分: NHKが、「123便が、長野県北相木村の御座山に墜落したとニュース報道しました。

事故を知った遺族とマスコミが羽田空港に詰めかけました。
御座山に向かうために。


私はこの夜、NHKで、「123便が、長野県北相木村の御座山に墜落したというニュース報道を見ました。

自衛隊は、墜落現場の位置確認まで10時間かかったそうです。

在日米軍の所沢レーダーサイトは、123便がダーッロール状態で飛行するのを逐一追尾していました。
これを横田基地に通報し、厚木基地から対潜哨戒機P3Cが離陸し、現場を確認しています。
横田基地が防衛庁に救援を打診すると、防衛庁はシカトしました。


さて、次の日(13日)の昼のニュースで、123便が群馬県御巣鷹山に墜落したという報道を見ました。
愕然としました。

後で知ったことですが、昼すぎまで「御座山」で押し通していたのです。

乗客の家族親族を現場から遠ざけるために、誤った情報を流し、見当外れの場所へと誘導したのです。

万一にも家族を生存者と接触させないために。

事故状況を証言可能な乗客が全員死亡するまでの時間を稼ぐために。

NHKの嘘つきめ。
私がここに呪ってさしあげましょう。

さて、詳しいことは本を買ってほしいのですが、8月14日の午前9時、写真家がヘリで現場を撮影しています。
すると、日航の職員が尾翼(破壊した尾翼です)の上にとりついて調査らしきことをやっていました。
尾翼に遺体は存在しませんから、救助とは無関係です。

吉原公一郎(作家)が入手したビデオテープには、オレンジ色の不審な金属片が撮影されていました(機体にはこのような色の物体はないそうです)。
この物体についての報告書は存在しないとのことです。

事故の技術的な話は煩雑なので、本を見て下さい。

ここでは一つだけ。

事故調査委員会の結論では、圧力国内出願癖に金属疲労があり、そこが破壊して、客室内部の加圧空気が噴出し、垂直尾翼、尾部が破壊されたそうです。

このような事故は史上類例がないそうです。
これが本当なら、客室内は急速減圧したはずです。
しかし、酸素マスク装着の指令は出されていません。
だいたい客室内で、サラリーマンが、一生懸命、遺書を書いているんですからね(この「美談」は臭い消しに違いありません)。

遺族は、調査再開要求を出しました(1999年)。

この要求を受けて、事故調査委員会は,1999年11月6日〜19日に、情報公開法施行を前にして、事故調査関係の資料を廃棄しました。

その重量は1160キログラムでした。

なお、最近新潮社から新刊が出ているみたいですが、読んでおりません。

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犠牲者の
http://www.asyura.com/0310/nihon8/msg/129.html
投稿者 サム 日時 2003 年 9 月 21 日 12:40:48:SRl4Xxg75/OpQ

(回答先: Re: 江東区 投稿者 エンセン 日時 2003 年 9 月 20 日 23:21:15)

一人、綾子ちゃんは、東雲で行方不明になりました。
江東区若洲の埋立地では、女子高生コンクリ詰めのドラム缶が見つかっています。
キーワードは、江東区ですね。私は以前から都内では江東区、神奈川では鶴見や川崎で事件が多いことを不思議に思ってました。
最初は、軍関係かな、と思ってましたが、江東区や鶴見川崎は工場はあっても、自衛隊関連の施設はありません。
長いこと考えていたのですが、ある時、知人の話を聞いていて、やっとわかりました。
在日朝鮮人部落ですね。江東区では枝川にあります。


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田中長野県知事 やみ金口座の閉鎖を銀行へ要請
http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/939.html
投稿者 武田信弘 日時 2003 年 8 月 08 日 19:27:46:Gg2Nt935plL5Y

(回答先: ヤミ金撃退の基金=業者口座の仮差し押さえ成功−大阪(時事通信) 投稿者 シジミ 日時 2003 年 8 月 07 日 21:54:03)


投稿者: taked4700 (47歳/男性/千葉県野田市)
やみ金融業者が開設している銀行口座を閉鎖するように、田中県長野知事が銀行へ要請しているという。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-08-08/15_01.html

銀行には“公序良俗に反する口座を解約できる”普通預金規定があり、
さらに本人確認法に基づけばヤミ金の架空口座は判別できるとのこと。
「内部規定や法律に沿った措置をとることは、銀行の社会的な責務ではないか」と
長野県担当者は言っていると言う。

この動きが全国に広がるかどうかで、その知事が実際には、どんなことをやっているかがわかるよね。

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じゃー、この記事は何だろう!?
http://www.asyura.com/0306/nihon7/msg/572.html
投稿者 オリハル 日時 2003 年 9 月 05 日 18:40:55:3eVpHzO3Pti46

(回答先: 国会議事堂に落雷、外壁の御影石はがれる(読売新聞) 投稿者 エリヤ 日時 2003 年 9 月 03 日 22:27:24)

>落石を回収した職員は「長年国会に勤めているが、国会に雷が落ちたのも、外壁がはがれ落ちたのも初めての経験だ」と驚いていた。(読売新聞)

 昨日の「ニュース23」では、「落雷で“破損したのは”初めて」みたいに述べていました。しかし、落雷そのものは「初めてではない」筈です。この記事(jRakurai.htm)が存在するからです(丁度、ページをまたがっての記述があります)。

 「ニュース・キャスター個人」や「読売新聞の記者個人」が、国会議事堂の落雷履歴を知らない可能性はあり得る事だと思う。しかし、代議士の皆さんが「故・小渕元総理を霊柩車で国会議事堂前を搬送中に落雷した」事実(多分)を「知らない・忘れている」事はほとんど可能性として「あり得ない」と思います。ということは、内閣府とか政治の(権)力が、何らかの理由によって、「故・小渕元総理=国会議事堂=落雷=田中角栄」の連関に「触れないように」と、マスコミ上層部へ通達(あるいは、個人的に指示)を出しているのではないでしょうか?

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悪魔組織の犯罪08
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/562.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 12 日 00:05:35:

終わりに

 筆者は多年に渡って陰謀を研究しているうちに、一つの奇妙な事実に気がついた。それ
は、重大な事件が起きるのが一年の中でも特定の日に集中しているということである。そ
してその日付が何を意味しているのか調べてみたところ、それが宗教の祝日に関係してい
ることが分かったのである。宗教の中でも特にカトリックの祝日に関係があるのだ。そこ
で『20世紀全記録』(講談社)から重要な事件が起こった日付を抜き出して、統計を取
ってみることにした。するとやはり、特定の日に事件が集中している。そしてその日付の
意味を探っているうちに、フリーメーソンが何を考えているのか、漠然とながら分かって
きたのである。では以下に、事件が特に集中している日を厳選して、その意味を明らかに
しよう。フリーメーソン・カレンダ−の初公開である。

 1月 1日
 新年である。そんなことは分かりきっているが、キリスト教ではこの日は、キリストが
割礼を受けた日として祝われている。キリストがユダヤの法に従ったことを記念する日な
のである。

 2月 1日
 聖ブリジドの祝日。大女子修道院長。450年頃フォ−ハ−ト(?)で生まれ、523
年頃キルデアで死去。アイルランドでは、「ゲ−ル人のマリア」聖ブリジドは、聖パトリ
ックに次いで崇敬されている。
 この祝日から推測できることは、フリーメーソンのマリア崇拝とケルト(昔のアイルラ
ンドで信仰されていた宗教)信仰である。

 2月 2日
 聖マリア御潔めの祝日、聖燭節。蝋燭行列を行って1年間に使う蝋燭を祓い清めること
からこの名がある。スコットランドでは四季支払い日の一つ。
 フリーメーソンの中でスコットランド人脈が占めている役割は極めて重要なのである。
フリーメーソンの中でも最も高位階な儀礼であるスコテッシュ・ライトは古式公認スコッ
トランド儀礼という意味である。

 2月 8日
 この日付の意味合いは、今のところまだはっきりと分かっていない。仮説であるが、孤
児院を経営したソマスキ会の創設者、聖ヒエロニムス・エミリア−ニの祝日を記念してい
るのではないかと考えている。ご存じの通りフリーメーソンは孤児と未亡人の保護者とし
て知られているからである。もちろんこれはあくまで、大衆の目を誤魔化す建前に過ぎな
いことは言うまでもない。

 2月11日
 日本では建国記念日だが、カトリックではアニアンのベネディクトウ スの祝日である。
ベネディクトウ スは大修道院長。750年頃生まれ、821年に死去。ラングドックのア
ニアン(コルビエル)川のそばで、聖ベネディクトウ スの会則に基づく、大規模な修道院
を設立した。西方の修道院運動に永続的な影響を及ぼした。
 このことから、フリーメーソンが修道院運動と何らかの関係があることが分かる。

 3月 1日
 聖ダヴィドまたはデヴィの祝日。修道院長・司教。6世紀。ウェ−ルズの守護聖人。
 これもやはりケルト(ウェ−ルズ)が関係している。ダヴィドという名はダヴィデを連
想させる。そういえば、デヴィ夫人という芸能人もいたなあと思い出した。

 3月 3日
 日本では雛祭りだが、カトリックでは聖エルレッドの祝日である。大修道院長。110
9年にヘクサムで生まれ、1167年1月12日にリヴァウルクスで死去。若い頃、スコ
ットランドのデヴィッド王に使えた。24歳の時、イングランドにおける最初のシト−会
修道院の修道院として前年に創設された、ヨ−クシャ−のリヴァウルクスの修道院に入っ
た。
 このシト−会がかのテンプル騎士団の創設にかかわっているのである。

 3月 4日
 これも仮説である。この日は聖カジミエシュの祝日である。王子。1458年にクラク
フで生まれ、1484年にグロドノで死去。1521年に列聖。ポ−ランドとリトアニア
の守護聖人。
 この日はまた、英国王チャ−ルズ2世がウィリアム・ペン(ペンシルベニア州の創設者
、クエ−カ−教徒)に、1681年3月4日に勅許状を与えた日である。ここでは詳しい
話は割させて頂くが、このウィリアム・ペンとクエ−カ−教徒が陰謀に深く関係してい
るのである。

 4月 1日
 言うまでもなく、エイプリ−ル・フ−ルである。フリーメーソンは陰謀に気づかない愚
かな大衆をあざ笑っているのだ。

 5月 1日
 メ−デ−(五月祭)。「スコットランドの中部ハイランドでは、『ベルテ−ン祭の祝火
』として知られている火が、そのむかし5月1日に盛大な儀式を伴って焚かれるのであっ
たが、その時に人間供犠の行なわれた形跡が極めて明白で一点の疑いもない」(金枝篇)
という。ドルイド僧団は人間を生きたまま焼き殺したのである。

 5月15日
 ウィットサンデ−。スコットランドでは四季支払い日の一つ。

 6月 1日
 聖ユスティノスの祝日。哲学者また殉教者。100年頃ナルブスで生まれ、165年頃
ロ−マで死去。ユスティノスは、古代ではシケムと呼ばれていたパレスチナの地で生まれ
たが、異教徒のギリシア人の家族に属していた。数々の哲学体系を学んだ後、彼は33歳
の頃についに、プラトン主義を経てキリスト教に到達した。
 ユスティノスは二度ロ−マに滞在したが、二回目の滞在の時にキリスト教徒として告発
され、五人の他の男女と一緒に、斬首によって死刑に処せられた。
 これはフリーメーソンの異教趣味と首切り好きを表している。

 6月 3日
 保留させて頂く。

 6月 5日
 聖ボニファティウスの祝日。イギリス人。宣教師また殉教者。675年頃、おそらくク
レディトンあるいはその近くで生まれ、754年か755年にフリ−スラントで死去。ド
イツの守護聖人。
 732年に、教皇グレゴリウス三世は彼を大司教としたが、彼の晩年は、小ピピン王と
協力して西方ドイツの教会を改革することに忙しかった。ドックムと呼ばれた場所で、彼
とその同志たちは、フリ−スラント人の異教徒たちに襲撃され、剣にかけられてしまった

 7月 1日
 この日が非常に重要であることは分かっていたが、なかなか何の日か分からなかった。
まず間違いないだろうと判断したので、ここに紹介することにしよう。
 シメオン・サルスの祝日。奇人。590年頃ホムズで死去。売春婦たちの世話をするこ
とに一身を捧げた。「狂人」(ギリシア語ではサロス)というあだ名を付けられるほど奇
妙な仕方で振る舞った。
 これはフリーメーソン自身が自分たちは狂人であると認めていることを示していて、非
常に興味深い。

 7月 3日
 使徒トマスの祝日。キリストの復活をなかなか信じなかった。

 7月17日
 アレクシウスの祝日。「神の人」と呼ばれる。5世紀。カタリ派と並ぶフランスの異端
宗派ヴァルド派はアレクシウスを崇拝した。

 8月 1日
 ラマス、収穫(感謝)祭。スコットランドで四季支払い日の一つ。

 8月 8日
 聖ドミニクスの祝日。ドミニコ修道会の創設者。1170年にカラルエガで生まれ、1
221年のボロ−ニャで死去。1234年に列聖。
 フランシスコ会と同様、ドミニコ会も陰謀の一端を担っているのだ。

 8月15日
 聖マリアの被昇天の祝日。

 8月22日
 天の元后聖マリアの祝日。

 9月 1日
 ビザンティン教会暦の初日。

 9月 2日
 1666年9月2日に起きたロンドン大火の記念日。するとこれはフリーメーソンによ
る放火であったことになる。

 10月 1日
 ユダヤ教新年祭。あるいはイスラム教の断食明けの祭り。
 フリーメーソンはユダヤ教と密接な関係があるのは良いとして、イスラム教ともまた関
連があるのだ。これは暗殺教団・アサシンとの繋がりから来るのであろう。

 10月12日
 聖ウィルフリドの祝日。司教。634年にノ−サンブリアで生まれ、709年もしくは
710年4月24日にオンドルで死去。
 聖ウィルフリドは、リンディスファ−ンの修道院で教育され、その後数年間リヨンとロ
−マで過ごした。彼は、北イングランドのケルト的な慣習に反するロ−マ教会の慣例の断
固とした支持者として戻って来て、664年のホイットビ−の会議では、主にロ−マ派の
成功をもたらした人物であった。彼はすでに、リポンの修道院を与えられていたが、まも
なくヨ−クの司教に任命された。
 繰り返しになるが、フリーメーソンを理解するキ−・ワ−ドは「ケルト」である。

 10月14日
 ヘ−スティングズの戦いの記念日。1066年10月14日、ノルマンディ−公ウィリ
アム配下のノルマン人が、ハロルド2世配下のサクソン人を破った。ユダヤとフリーメー
ソンはアングロサクソンが大嫌いなのである。むしろ黒人の方が好きなのである。

 10月21日
 聖ウルスラの祝日。処女殉教者。300年頃ケルンでフン族のため11000人の処女
と共に殉教したというイギリスの伝説的王女。

 11月 2日
 万霊節。万聖節(11月1日)の翌日で、すべての逝去信徒を記念する日。

 11月15日
 聖アルベルトウ ス・マグヌスの祝日。神学者。1206年にシュヴァ−ベンで生まれ、
1280年にケルンで死去。1931年に列聖。ドミニコ会のアルベルトウ ス・マグヌス
はその博識の故をもって普遍博士と呼ばれていたが、また魔術の達人とも見られていた。


 11月20日
 聖エドマンドの祝日。王また殉教者。841年に生まれ、869年に死去。東アングル
族の王。869年に、デ−ン人の大軍がノ−フォ−クのセトフォ−ドの地域を占領したの
で、エドマンドは彼らに対抗するために自分の軍隊を率いていった。ところがイングラン
ド人は敗北し、エドマンドはおそらく捕虜とされた後に殺されたのである。
 フリーメーソンはアングロサクソン人がデンマ−クのデ−ン人に殺されたことを喜んで
いるのである。

 12月 1日
 聖エドムンド・キャンピオンの祝日。イギリス国教会の司教。後にカトリックに改宗。
当時、イギリスの女王エリザベス1世は、教会の頭は女王であるという法律を定め、イギ
リスの教会をカトリックから分離させていた。逮捕されたエドムンドは、「女王を国の頭
として認めるが、教会の頭は女王ではなく、ロ−マの教皇である」と答弁した。
 結局、死刑の判決が言いわたされ、彼は、街の中を引きずられながら刑場に行き、絞首
刑となったが、まだ息のあるうちに内蔵を取り出すという、残酷な殺され方で殉教した。

 実にイギリス国教会こそ、フリーメーソンの牙城の一つなのである。

 12月 2日
 保留させて頂く。

 12月10日
 イスラム教の犠牲祭。羊が生贄として殺される。
 これはフリーメーソンのスケ−プ・ゴ−ト儀式を象徴している。

 12月12日
 聖フィニアンの祝日。修道院長・司教。549年頃死去。フィニアンは、聖パトリック
以後の時代におけるアイルランドの聖人たちの中で傑出した存在であり、その国でのより
厳格な意味における修道院運動の伝承上の創始者である。高名な聖コルンバも彼の弟子で
あった。
 また、ケルト(アイルランド)である。

 12月14日
 十字架の聖ヨハネ司祭・教会博士(1542〜1591)。跣足カルメル会の創設者。
「神秘理論博士」と呼ばれる。

 さて以上の他にも、出現頻度は少ないが筆者が特に重要であると判断した祝日を選んで
ご紹介しよう。

 1月17日 大修道院長アントニウスの祝日
 1月26日 聖テモテと聖テトス司教の祝日
 2月20日 ハセルベリ−の聖ウルリクの祝日
 2月21日 聖ペトルス・ダミアヌスの祝日
 2月22日 聖ペトロ使徒座
 2月28日 ウ−スタ−の聖オズワルドの祝日
 3月15日 ジュリアス・シ−ザ−暗殺の日
 3月18日 殉教者聖エドワ−ドの祝日
 3月30日 保留
 3月31日 保留
 4月 8日 釈迦の誕生日
 4月20日 保留
 4月24日 聖エグバ−トの祝日
 4月25日 福音記者聖マルコの祝日
 4月28日 保留
 5月 5日 ナポレオンの死んだ日
 5月10日 保留
 5月25日 聖ベダの祝日
 6月10日 保留
 6月14日 エリシャの祝日
 6月21日 夏至
 6月24日 洗礼者ヨハネの祝日
 6月28日 保留
 6月29日 使徒聖ペテロと使徒聖パウロの祝日
 7月20日 エリヤの祝日
 7月25日 大ヤコブの祝日
 7月27日 リンカ−ンの聖ヒュ−の祝日
 8月12日 栄光の12日、雷鳥猟の解禁の日
 8月17日 ママスの祝日
 9月 8日 聖マリアの誕生
 9月 9日 聖ペトロ・クラベ−ルの祝日
 9月26日 聖コスマスと聖ダミアノスの祝日
10月10日 ヨム・キプ−ル(ユダヤ教の祭日)
10月11日 ゾロアスタ−の命日
10月17日 保留
10月31日 ハロウィ−ン
11月 1日 万聖節
11月 3日 聖マラキの祝日
11月 9日 ラテラン教会の献堂
11月10日 大レオの祝日
11月11日 聖マルタン祭、スコットランドでは四季支払い日の一つ。
11月22日 聖セシリアの祝日
11月30日 聖アンデレの祝日
12月 8日 無原罪の聖マリア

 ではこのフリーメーソン・カレンダ−から類推できることを、以下に列挙してみよう。
まず、彼らはカトリックをあざ笑っているということが挙げられる。カトリックの祝日を
その反対の意味に解しているのである。例えば、聖人が殉教した日を喜ぶとかである。ま
あ、カトリック側にとっても聖人の殉教はカトリック普及のために利用できるので、喜ば
しいことなのかも知れないが。
 次に、彼らはケルトの宗教・ドルイド教を信仰しているということがある。アングロサ
クソンよりはケルトなのである。
 そして最後にフリーメーソンの祝日に、スコットランド、ユダヤ、イスラムが関係して
くるということ。
 以上少々長くなった。しかし陰謀を探るにはこんな迂遠な方法しかないのである。何故
なら、世間に氾濫している情報は信用できないからである。読者の皆さんもこのカレンダ
−を活用して陰謀研究に役立たせて欲しい。

 さて、本文中における謎々にまだお答えしていなかったので、最後にその回答を提示し
て終わりとしたい。その謎とは坂本弁護士一家殺害事件に関するものである。何故、ドア
の鍵か開いていたか、開いていなかったかが、捜査の焦点とされマスコミが騒々しくこの
問題を取り上げるようになったのだろうか。それは実に「鍵」という「キ−」・ワ−ドに
答えが潜んでいたのである。
 「ミトラ(キリスト教以前の異教の神)にしろ、ギリシアおよび小アジアのデュオニュ
−ソス(バッカス)にしろ、『神の子』の誕生日は12月25日である。
 十字架に掛けられたミトラは、3月25日に復活した。イ−スタ−の日だ。ミトラ教の
儀式は、山羊や蟹の装飾を施された洞窟の中で行われていた。山羊は冬至、蟹は夏至を象
徴する。
 ライオンはフリーメーソンのシンボルとして多用されているが、その立て髪は太陽を象
徴している。
 自由の女神の冠も太陽の象徴である。
 ミトラは天国への鍵を持っていたという。
 バビロニア神秘主義の高位階者の名がペテロだった。
 使徒ペテロが天国への鍵を持っているというのは、これらに由来するものである。
 ミトラ教の儀式に参加する者は、パンをミトラ神の肉として食べ、ワインをミトラ神の
血として飲んだという。
 キリスト教は、それ自体、自らが禁じた異教的太陽崇拝そのものなのだ。
 教皇を中心とするキリスト教会上層部は、この事実を意図的に隠し続けてきた。
 現在のヴァチカンは、ペルシアからロ−マ帝国内に広がったミトラ教の聖地だった。
 ロ−マ教会を中心とするキリスト教は、ペルシア−ロ−マ帝国の太陽神ミトラ(ニムロ
デ)をその基礎としているのだ」(デ−ヴィッド・イク著『大いなる秘密』より)

 坂本弁護士一家殺害の秘密を暴くドアの「鍵」は、太陽崇拝の秘密結社フリーメーソン
が持っているのであろう。彼らが何故蟹を食べながら坂本弁護士を埋める穴を掘って、食
べ終えた蟹の殻を一緒に埋めたのか、これで分かるというものだ。蟹は夏至(太陽)を象
徴しているからである。占星術で太陽が蟹座に入るのは、夏至(6月21日)からである

 「イエスがイ−スタ−の頃に十字架に掛けられ3日後に復活したというのは、春分を示
している。
 この頃に太陽は白羊宮に入る事になるが、黙示録の子羊は、これを象徴している。
 紀元前2千2百年、メルキゼデクの神官団は羊の毛(皮)のエプロンを使い始めた。
 これは現代のフリーメーソンにまで続いている。
 これらはすべて、光が闇に打ち勝つ春分の日(太陽は牡羊座に入っている)を象徴する
ものである」(前著)
 しかしながら一言いわせてもらえば、光が漆黒の闇に打ち負かされてしまったのが、現
代のフリーメーソンなのである。

                       2000年9月8日 著者記す


参・考・文・献・

『King Kill 33』 JAMES SHELBY DOWNARD著
Independent History and Research
『世界秘密結社』 ネスタ・H・ウェブスタ−著 東興書院
『魔術的ルネサンス』 フランセス・イエイツ著 晶文社
『占星術の世界』 山内雅夫著 中公文庫
『Revisionist History No.4』
Independent History and Research
『自白の研究』 浜田寿美男著 三一書房
『冤罪はこうして作られる』 小田中とし樹著 講談社現代新書
『明治・大正・昭和 事件・犯罪大事典』 東京法経学院出版
『現代殺人事件史』 福田洋著 河出書房新社
『聖人事典』 三公社
『悪魔が日本を嘲笑っている』 有賀裕二著 第一企画出版

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悪魔組織の犯罪07
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/561.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 12 日 00:04:45:

殉教者を作り上げるパタ−ン

 終戦直後に立て続けに発生した鉄道関係事件がある。下山事件、三鷹事件、松川事件で
ある。
 下山事件は、1949年7月6日、国鉄常磐線北千住・綾瀬間の線路上で、初代国鉄総
裁・下山貞則(49)が轢死体で発見された事件。死体発見直後、吉田内閣の官房長官・
増田甲子七は、「下山は他殺と推定される」旨、さっそく政府見解を発表した。下山の死
体は東京大学法医学教室へ運ばれ、同教授・古畑種基立ち合いのもと、解剖に付された。
死因不明、死後経過時間不明、死後轢断という鑑定結果が出た。死後轢断となれば、自殺
ではなく他殺である。当時の状況を見ると、国鉄は、1949年6月1日、公共企業体と
して新発足、初代総裁となった下山は、GHQの指示で約9万5000人の国鉄労働者の
首切りをしなければならなかった。国鉄労組は大反対、各地でストが相次いだ。6月末、
労働者が警察署を占拠した福島・平事件が起こった。7月1日、2日の両日、労使は会合
を開く。両者の意見は対立、国鉄当局は話し合い打ち切りを通告。7月5日、第1次人員
整理案を出すことにした。こうした最中の下山の死だった。
 首切りの元凶である下山殺しの疑いは共産党側にかかった。しかし松本清張は『日本の
黒い霧』の中で、犯人は米軍の謀略機関であると推理している。米国は、来るべき朝鮮戦
争に備え、国鉄改革を急いだ。戦時、鉄道輸送は軍事作戦であるのに、国鉄では共産党な
どの先鋭分子の勢力が強い。彼らを一掃するには衝撃的事件を起こし、彼らの犯行である
ように見せアカへの恐怖を煽るのが効果的だ。現に下山の死で、大量整理は成功した。
 革新陣営の中には、この説を歓迎する向きが多かった。マスコミ関係では、朝日新聞は
他殺説、毎日新聞は自殺説で、論争を繰り返した。自殺説を取る者は、下山はGHQと労
組の板挟みになり自ら命を絶ったものと見た。自殺説を取っていた警視庁は早期に捜査を
打ち切った。

 三鷹事件とは、1949年7月15日午後9時23分ごろ、国鉄三鷹電車区車庫に停車
中の7両連結六三型電車が突然動き出し、三鷹駅1番ホ−ムの車止めを突破して脱線転覆
、付近に居合わせた市民6人が轢死または圧死した事件。
 同夜、駅から約50m南の小間物店2階では、三鷹電車区共産党細胞と同党三鷹町委員
会の会合が開かれていた。起訴された者のうち竹内景助を除く9名がこの日の会議の出席
者だった。判決は1・2審とも9人は無罪。竹内は1955年12月24日、死刑が確定
。以後も無実を主張して再審を求めたが1967年1月18日、獄死した。

 松川事件は、1949年8月17日午前2時9分、東北本線松川駅北約1.8┥の場所
で旅客列車が脱線転覆し機関士ら3名が死亡、乗客ら約30名が負傷した事件。線路破壊
工作による計画的な犯行の結果だった。下山事件、三鷹事件の衝撃と相乗して、国民は日
本共産党に対し恐怖心を抱き、当時最大の実力を持っていた国鉄労働組合の首切り反対闘
争は完全に腰が砕けた。この一連の事件により、吉田内閣は数十万に及ぶ人員整理を難な
く実行しえた。
 この事件で国鉄労働者10名、東芝松川工場労働者10名が逮捕され、列車転覆致死罪
の共謀共同正犯で起訴された。1963年9月12日、最高裁は上告を棄却、被告全員に
無罪を言い渡した。

 松本清張によると、三鷹事件も松川事件ももちろん米軍の謀略である。アメリカの占領
政策が「民主化から反共の砦へ」転換したちょうどその時に発生しているからである。ア
カ狩り、労働組合運動つぶしが一連の謀略事件の目的であった。逮捕された被告はスケ−
プ・ゴ−ト、後に無罪判決が言い渡されている。国家権力に対する人民の闘争の輝かしい
勝利だ。今から考えて見ると、これ程分かり易い事件はない。分かり易いから曲者である
のだ。悪者は米軍であり善玉は共産党であった。共産党は犯罪の濡れ衣を着せられること
で、言われなき迫害を受けることで、自らの正義を国民にアピ−ルできたのである。これ
ら鉄道関係3事件は、長い目で見れば共産党にとって有利に作用したのである。松本清張
が『日本の黒い霧』で占領軍の謀略を暴露した時期も興味深い。『日本の黒い霧』が文藝
春秋に連載されたのは、1960年であった。筆者が改めて指摘するまでもなく、この年
は60年安保闘争が荒れ狂った年であった。6月15日には安保反対闘争の可憐な殉教者
も出ている。東大生・樺美智子さんが警官に虐殺されたのだ。10月12日にはもう一人
の殉教者が出た。浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年・山口二矢に公衆の面前で刺殺され
たのだ。
 自らを犠牲にして利益を得る、この戦略は一般の人にはなかなか理解しづらいかもしれ
ない。一時的にもせよ彼らが自分の不利になることを行うなど想像もつかないだろう。彼
らと大衆の相違は、その視野の長さにある。大衆は目先の利益しか追い求めない。しかし
秘密結社は、10年20年50年100年200年500年1000年先のことを考えて
行動しているのだ。彼らの陰謀が大衆に気付かれないのも、このためである。100年2
00年先のことを考えた陰謀が存在するなど思いもつかない。仕掛けとしてはわりと単純
な陰謀が易々とまかり通ってしまうのも、大衆の想像力の貧困さにその原因があると言え
る。
 ところでこの「自己犠牲戦略」はアメリカ本国でも使われた。アカ狩り、マッカ−シ−
旋風が吹き荒れたことで、「共産主義者の陰謀」という主張が単なる妄想だと思われるよ
うになってしまった。中世ヨ−ロッパの異端審問、魔女狩りについてもこれと同じことが
言える。20世紀になってカトリック信仰が廃れ、魔術が復権したのも、すべてこの愚か
しい行為のおかげであった。迫害は殉教者を作り、殉教をバネにして教えは広まる、この
ことを何よりも良く心得ていたのが秘密結社であった。異端審問官には秘密結社のエ−ジ
ェントも含まれていたのだ。
 少し説明不足だったので付け加えるが、秘密結社は基本的に共産主義が大好きなのであ
る。何故なら共産主義はユダヤの発明物だからだ。だから彼らは世界中に共産主義を布教
しようとした。その一方で彼らは資本主義政府を裏から操っている。そして共産主義と資
本主義をうまく使い分けながら、一国の政府、ひいては世界中をコントロ−ルしてきたの
だ。日本の場合、彼らは共産主義革命を起こすつもりはなかった。西側自由主義陣営の一
員として、日本をコントロ−ルすることを選択したのだ。しかし国内では安保闘争、学生
運動などの反体制運動を扇動し、日本社会を混乱させ分断して自らの支配力を強化する戦
略を用いた。旧世代とヤング・ジェネレ−ションの対立を煽り、古い価値観を葬り去った
。ビ−トルズの歌が世界中を席巻し、マリファナをふかしたヒッピ−がベトナム反戦の曲
をギタ−で奏でる。ケネディは暗殺され、マリリン・モンロ−は謎の自殺を遂げた。人類
は月にその一歩をしるし、世界は確実に狭くなった。よりも憎しみが強くなり、予言者
は不機嫌になった。人類は変わった。J・G・バラ−ドはこう述べている。「眩しいまで
に光輝く王国を支配するのは、宇宙開発競争、ベトナム戦争、ケネディの暗殺、マリリン
・モンロ−の自殺といったイメ−ジだ・・ほかに類を見ない錬金術が使われ、われわれの
想像力が変質させられた。感覚と感情が消滅し、情は死滅した。変質した想像力は、太
陽のように君臨した。ただしそれは、あの忌まわしい十年間の地上にふさわしい、不気味
で病的な太陽だった」
 東欧民主化、ソ連邦消滅と共産主義が崩壊したのは、これも秘密結社のシナリオ通りで
あった。世界支配の道具としての共産主義を、もはや必要としなくなったのだ。それだけ
彼らの世界支配が完成に近づいたと言える。共産主義の脅威を言い立てることで、軍事力
経済力を己に集中させてきた。何時の時代も理想追及の先頭に立って活躍してきた若者は
、すっかり腑抜けとなってしまった。現代の若者には学生運動という偽反体制運動を与え
る必要もない。理想を失い、金とセックスにしか興味のないミニオヤジのようになってし
まったからだ。かくして人類の錬金術的精神改造は成功裏に達成された。これが秘密結社
の究極的な目標であり、その目標達成ために共産主義という似非ユ−トピア理論が発明利
用されたのである。

 燃え上がった理想主義を打ち砕くパタ−ン

 これについては多言を要しない。連合赤軍のリンチ殺人事件、東アジア反日武装戦線の
連続企業爆破事件、中核派と革マル派の血で血を洗う内ゲバ殺人。学生運動の理想は費え
た。残されたものは、青少年の心の中で深く深く潜行するニヒリズム的感情であった。

 現代の教育制度ではもう駄目だのパタ−ン

 いじめ、自殺、登校拒否、教師の生徒に対する暴力、生徒の教師に対する暴力、校内暴
力、偏差値教育の落とし子である家庭内暴力、家庭内暴力に耐えきれず親が子供を殺して
しまう反家庭内暴力、非行、少年犯罪、数え上げればきりがない。現代教育が行き詰まっ
ているのは目に見えている。いくつか具体例をあげる。

 1977年10月30日の未明、東京の名門高校・開成高校2年生の一人息子(16)
が父親(47)に絞殺された。凄まじい家庭内暴力に耐えかねての犯行であった。学校で
はおとなしい息子が、帰宅すると大暴れ。「人を殺したい気持ちを我慢してきた」と泣き
叫んでは、手当たり次第に物を投げ、部屋中に水を撒き、布団を池に投げ込み、69歳に
なる祖母や母(44)を殴る、蹴る。
 息子は殺された夜、「青春を返せ!人生を返せ!メチャメチャにしたのはお前らだ」と
叫んで母親を追い回した。思い余った父が寝入っている息子の首を絞めて殺害。優秀な成
績を取ることだけに、青春のすべてを費やした青年の哀れな末路であった。

 1979年1月14日、東京・世田谷の自宅で、高校生が祖母を惨殺。自分も3┥ほど
離れたビルの14階から飛び降りて自殺するという事件が起きた。この高校生は早稲田高
等学院の1年生で、父は大学教授、母は脚本家。両親は事件の1年前に性格の不一致で離
婚しており、少年は母方の家族と暮らしていた。祖父は父の師で、元東大教授、高名なフ
ランス文学者。祖母は孫をわが子のように溺。少年の自室には、遺書として3冊の大学
ノ−トが残されていた。
 犯行動機として「・エリ−トをねたむ貧相で無教育で下品で無神経で低能な大衆・劣等
生どもが憎いから。そしてこういう馬鹿を一人でも減らすため・(・)の動機を大衆・劣
等生に知らせて、少しでも不愉快にさせるため・父親に殺されたあの開成高校生に対して
、低能大衆がエリ−ト憎さのあまり行なったエリ−ト批判に対するエリ−トからの報復攻
撃」と記している。

 「青春を返せ!」でもいい、「エリ−ト批判に対するエリ−トからの報復攻撃」でも構
わない。殺されたり、自殺してしまっては何にもならない。頭がいいなら、もう少し別の
活路を見出せなかったのかと悔やまれる。もっとも事件の背後に謀略が存在していたなら
ば、彼らとて如何ともしがたかったに違いない。1980年11月29日に川崎市で起き
た予備校生金属バット殺人事件とあわせて、秘密結社がこれらの事件を引き起こした目的
は、偏差値偏重の現代教育ではもうだめだ、ということを示すことにあったのだ。これは
、現在さかんに取り沙汰されている教育改革の必要性を先取りしたような事件であった。


 学校教育ではもはや手に負えない子供たちが激増していることはよく分かった。しかし
だからと言って、学校教育以外の私人による特殊教育も我々には許されていないのである

 1983年6月13日、知県知多郡美浜町、戸塚ヨットスク−ル校長・戸塚宏(42
)が訓練生(13)を暴行し死亡させた傷害致死容疑で逮捕された。戸塚ヨットスク−ル
では、この訓練生を含め死者3人、行方不明2人を出した。戸塚校長は太平洋横断単独ヨ
ットレ−スの優勝者。同校は、1976年、家庭内暴力や登校拒否などの、情緒障害児を
集団生活とヨット訓練によって矯正、治療する目的で開校した。当時、登校拒否、校内、
家庭内暴力、非行などが急速に増加、これらの子供の親たちはわが子に手を焼き、学校、
各種相談所、警察、病院などを訪ね歩いた末、万策つきて、戸塚ヨットスク−ルに辿り着
いたのである。
 戸塚ヨットスク−ルの常識を超えたスパルタ訓練、厳しい体罰としごきは世間の指弾を
浴びたが、心身ともに健康になった子供も少なくなかった。ヨットスク−ル摘発後も入校
希望者は減らず、退寮者も少なかった。

 戸塚は誰もが見放した問題児を預かり、ヨットの訓練を通じて彼らを矯正しようとした
のである。『私が直す!』と豪語する戸塚に、行き場を失った親たちは最後の望みを託し
た。そして戸塚が言うように、実際によくなった子供たちも多かったのである。しかし戸
塚ヨットスク−ルは潰された。秘密結社にとっては、子供の精神障害が直ろうが直るまい
がどうでもいいのである。かえって危ない子供たちが増えてくれた方が有難いのだ。教育
制度改革の口実になるからである。戸塚のように、あっさりと問題児を直してしまう救済
者が現れては困る。教育制度の改革は、あくまで秘密結社の敷いた公的レ−ルの上で行わ
れなければならないのだ。
 戸塚はひとかどの人物であった。戸塚に感謝している訓練生の親も多い。子供たちの心
がすさんで教育が荒廃すると、戸塚のような変わり種の教育者が出現するから人生は面白
い。しかし秘密結社にとっては、戸塚は単に排除すべき異物の一つ、時期を見てスキャン
ダルを起こして葬り去ってしまうべき存在に過ぎなかった。
 戸塚ヨットスク−ルで死亡した訓練生3人は、おそらく医者によって殺されたのだろう
。貨客船から行方不明になった訓練生2人は、秘密結社のエ−ジェントによって船から突
き落とされたに違いない。これもすべて戸塚ヨットスク−ルの評判を落として解体に持っ
ていくためであった。

 最後に子供の自殺についてざっと触れておく。1979年9月9日、埼玉県上福岡市で
「壁」と呼ばれていた中1生・林賢一君(12)が、飛び降り自殺した。「いじめ」の背
景に陰湿な民族差別と偏見があった。林君の父親は朝鮮人で、母親は日本人。
 1986年2月1日、国鉄盛岡駅ビル地下1階男子トイレで、東京・中野富士見中2年
生、鹿川裕史君(13)が首吊り自殺した。遺書には、「このままじゃ『生き地獄』にな
っちゃうよ」と書かれていた。
 1994年11月27日、知県西尾市の中2生・大河内清輝君(13)が、自宅裏庭
の柿の木で首をつって自殺した。
 少年たちの死は本当に自殺だったのだろうか?はなはだ疑問である。

 児童ポルノを規制しようのパタ−ン

 アダルト・ビデオやポルノ漫画、ロリコン雑誌やアニメ、ホラ−映画に影響されて凶悪
な性犯罪を犯してしまったのが、女子高生コンクリ−ト詰め殺人事件の少年たちや、幼女
連続誘拐殺人事件の宮崎勤君であった。
 1989年3月30日、別件の婦女暴行容疑で逮捕されていた足立区の少年2人(17
と18)が女子高生を拉致、40日間にわたって監禁・暴行したうえ、1989年1月、
リンチを加え殺害、死体をドラム缶に入れ、コンクリ−ト詰めにして江東区内の埋め立て
地に捨てたことを自供。同日、女子高生の死体を発見、少年たち(主犯格Aが18、B・
D17、C16でいずれも高校中退)を再逮捕した。
 少年たちの女子高生に対する暴行が凄まじい。ホテルに連れ込み輪姦、その後Cの家に
連れ込み監禁。殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライタ−の火を押しつけたりした。女子
高生はろくに食事も与えられず、風呂にも入れず、傷ついた体は悪臭を放ち、自力では立
てなくなっていたという。
 まさに常軌を逸した犯罪だが、こんな少女に対する凌辱シ−ンはコミック雑誌ではお馴
染みの世界だ。毎度毎度同じパタ−ンで凌辱場面が続くので、当たり前過ぎて飽きられて
いるくらいだ。それでもこの手のポルノ雑誌がコンビニに行くと何冊も並んでいるので、
それなりに需要はあるのだろう。コミック雑誌に影響された少年たちの病んだ頭の中で、
空想と現実の区別がつかなくなった。凶暴な性欲を持て余した少年たちは、コミックの凌
辱シ−ンを実行に移したのだ、というのがマスコミの解釈である。
 筆者の解釈は違う。彼らは殺人犯ではない。事件はでっち上げ、少年たちはスケ−プ・
ゴ−トである。暴行監禁凌辱殺人事件でっち上げの目的に関しては、筆者も首をひねった
ものだ。この事件の場合、悪者にされているのはもちろん少年たちだが、犯行の動機にポ
ルノの影響が指摘されてもいる。目的達成のために事件を起こす、というのが謀略のパタ
−ンであるので、この場合秘密結社の狙いはポルノ規制にあったと考えなければならない
。これが論理的思考方法というものだ。だが現実を見てみるとどうだろうか。規制どころ
か、ヘア解禁等、ポルノはますます野放し状態になっているではないか。どうもおかしい
ぞとずっと考え続けてきたのだが、最近になって得心するものがあった。それは、児童買
春・児童ポルノ規制の動きである。児童買春・児童ポルノ処罰法違反で実際に逮捕者も出
ている。そうか、分かった、ポルノは結構だが、児童ポルノに関してはご法度なのだな、
と納得した。常識的に考えたら、児童ポルノだろうが成人ポルノだろうが悪いものは悪い
。ポルノはポルノ、精神に悪影響を与えるのは変わらない。これが児童ポルノに関してだ
け取締りが厳しくなってきたのは、日本も欧米並の基準に近づいたということだ。アメリ
カでもヨ−ロッパでも、チャイルド・アビュ−ズ(児童虐待)に対する世間の目は厳しい
。だがその反面、ポルノは大手を振って歩いている。何しろ表現の自由が保証された先進
国なのだ。イスラム世界とはわけが違う。
 いずれにしろ児童買春・児童ポルノ規制、大いに結構ではないか、とのご意見もあろう
。ごもっともである。しかし世界のエリ−ト階級が本気で倫理道徳を追求しようとしてい
ると考えてはならない。元合衆国大統領ジョ−ジ・ブッシュなど、筋金入りのペドフィリ
ア(幼児性者)である。つまりこういうことだ。これからの世の中は、金と権力さえあ
れば特権的快楽はいくらでも手に入る。日の当たる表の世界では、犯罪に対する法の目が
光っている。しかし裏世界ではドラッグ、セックス、ポルノ、スナッフなどが闇で高額で
取り引きされているのだ。エリ−トはこの裏世界にこっそりとアクセスできる。ただし庶
民はこれらの特権から締め出されている。貧乏人は年増の中年女で満足しろ、ということ
なのかもしれない。
 ここで頭のいい人なら、一つの疑問を提起するだろう。児童買春・児童ポルノを規制し
ようとするなら、何故初めから厳しく取り締まろうとしないのかと。何故、有害情報を野
放しにして置いたのかと。実はそれでいいのだ。問題が発生するまで放置する、これが正
しい戦略なのである。青少年の心が有害ポルノに汚染されているからこそ、女子高生コン
クリ−ト詰め殺人事件のような事件が起こっても説得力を持つのだ。これがもし健全な青
少年の中で突発的に発生した突然変異的な事件であったなら、単なる狂人の犯罪で終わっ
てしまうだろうし、これでは社会に対するインパクトも皆無だろう。誰でもこういう凶悪
な犯罪を犯してしまうかも知れない時代であるからこそ、事件が世間の人に与える影響は
大きいのである。ひょっとしたら家の息子も?あるいは近所のA君も?家の娘が犠牲にな
ったかも知れない、うかうか一人で夜道も歩けない。こんなシュ−ルな恐怖感が大衆の心
を覆う。そしてこの恐怖感を利用して、国家は大衆に対する管理を強化していく。つまり
この殺人事件は現代という時代が生んだ犯罪、すなわち象徴殺人であらねばならなかった
のだ。事件が起きた段階で誰もが、ああやっぱりそうだったのか、こんな時代だからな、
と思ってしまう雰囲気が存在していることが重要だったのである。
 もう少し分かりやすい例をあげると、援助交際がある。援助交際も様々な問題を引き起
こしたということで、法的に規制されるようになった。しかしもし女子高生の間で援助交
際がポピュラ−にならなかったならば、当然援助交際に対する規制の動きなど生じなかっ
たであろう。単なる非行少女、不良少女の売春で話は終わってしまうからだ。そうならな
いためには、規制の動きが生じる前に、いったんは援助交際がブ−ムになることが必要で
あったのだ。そのために権力者は援助交際を野放しにした、いやむしろ影でブ−ムを作っ
て援助交際を煽ったのである。自分の体を売って金を儲けて何が悪い、大人だって汚いこ
とやって金儲けしてるじゃない、という考えをマスコミを使って女子高生に吹き込んだ。
親父は親父でくたびれ果てた古女房よりも、若く新鮮な肉体の方が魅力的なのは当然だ。
それが2万や3万円で手に入るのだから堪らない。週刊誌を読むと結構援交にはまってい
る人も多いみたいだ。これはやらねば損だ、と思ってしまった。
 もう一つ別の例をあげよう。宗教である。大金を騙し取られた、無茶な修行で死亡した
、自殺者が出た。問題のある宗教は数知れない。権力者は何故こんな危険な宗教を野放し
にして置くのであろうか。問題が生じる前に規制は出来なかったのか。疑問に思う人は多
いだろう。中にはテレビ番組で好意的に取り上げられた宗教団体もあった。それが後にな
ってトンでもないインチキ宗教であったことが暴露される。政府はいったい何をやってい
るのか、無為無策ではなかったのかと批判が噴出する。国家権力とはこんなに無能な存在
なのだろうか。実はそうではないのである。彼らはわざと問題のある宗教を放置している
のである。何故か。
 それは問題が生じる前にあらかじめ危険な芽を摘み取ってしまえば、宗教に対する規制
ができないからである。宗教団体によるトラブルが発生してこそ、宗教団体規制に対する
口実ができるのだ。世間を説得する材料としても使える。これがもし宗教団体側に何も問
題がなければ、無謀な規制は出来ない。やれ宗教弾圧だ、やれ信教の自由の侵害だ、やれ
憲法違反だ、と国民が騒ぐのが目に見えている。こうなっては困る。だから政府はわざと
問題を放置する、あるいは問題がなければでっち上げてしまう。最初に宗教団体を自由放
任にしておいて、後で問題が発生した時にここぞとばかりに攻撃する、これが真実有効な
支配の手段なのである。例えばオウム真理教の場合、国家権力に追い込まれて毒ガスを製
造しようとしていたことは確かであろう。米軍か自衛隊か知らないが、実際に毒ガス攻撃
を受けていたことも間違いないだろう。そして国家権力は追い詰められた彼らが自衛のた
め毒ガスを製造しようとするまで、わざと彼らを放置して置いたのである。公安警察はオ
ウム真理教が毒ガスを製造しようとしていることなど事前に察知していた。当たり前のこ
とだ。それぐらいの働きをしていなければ、税金泥棒と言われてもしかたがない。しかし
国家権力はこの段階でオウム真理教を摘発するつもりはなかった。オウム真理教を追い詰
めて彼らが法に触れる行動に出るのをじっと待ったのだ。だからと言って地下鉄サリン事
件はオウム真理教が引き起こしたものであると言っているわけではない。彼らにあれだけ
完璧な軍事行動を取れる能力などなかったことは明白である。地下鉄サリン事件は秘密結
社が演出したものである。だがもしオウム真理教が毒ガスを製造しようとしていなかった
ならば、オウム真理教が地下鉄にサリンを撒いたというシナリオに説得力は生じなかった
であろう。火のない所に煙は立たない、誰でもそう考えるからだ。オウム真理教事件の場
合、少なくとも煙はあったのである。しかし彼らが大火事を起こしたというわけではない
のだ。

 これまでの説明で、秘密結社の心理戦争の戦術というものが分かって頂けたと思う。彼
らは自分たちの欲する方向に大衆を誘導するために、一度はそれとは正反対の方向に大衆
を誘導する。そしてそこで大失敗をさせて、二度と同じ道を歩むことは避けようという雰
囲気を作りあげるのだ。希望が大きければ大きい程、失敗した後で落ち込む絶望も深い。
光が強ければ強い程、闇もまた濃くなるのだ。オカルト秘密結社はこの人間心理を熟知し
ている。一見回りくどいようだが、この逆転の発想は大衆支配に極めて有効なのだ。大失
敗がなければ、懲りずに同じ道を歩こうとする者が必ず出て来るからだ。ところが失敗し
て懲りた後では、余程の愚か者以外は以前と同じ道を歩もうとする者はいなくなるだろう
。逆に言えば、それでも以前と同じ轍を踏もうとする者がいたなら、そいつは余程の愚か
者であると見なされてしまう。ナチスの登場により西欧におけるユダヤ人迫害は死滅した
し、大東亜戦争のおかげで神州日本・「神の国」は時代錯誤となった。オウム真理教のせ
いで新新宗教ブ−ムに楔が打たれたし、バブル崩壊のせいで日本の大企業は多国籍企業に
乗っ取られてしまった。そして性道徳の乱れは男女関係の国家管理への道を開いてしまっ
た。国家によるセックスの管理、これは究極的には自然な男女関係の破壊にまで突き進む
恐れがある。男と女の区別は薄れ、人類は限りなく中性化する。自然の生態系は破壊され
、後には無機的な死の街だけが残される。街を行き交うのはロボットかサイボ−グ、ある
いはクロ−ン人間だけである。超高層ビルのオフィスに陣取る特権階級と、スラムで残飯
を漁る浮浪者の群れ、これが秘密結社の描く未来の見取り図なのである。

 宮崎勤君事件については皆さんよくご存じだと思うので、ここで詳しく述べない。幼女
を自己の欲望充足の対象として誘拐して殺害したロリコン青年、現実の社会や人間との接
触を恐れ、ビデオの映像世界に閉じ籠もったおたく族、これが宮崎君に与えられた世間の
評価であった。

 昔の街並みを破壊して、新しい都市計画を敷くパタ−ン

 考えてもみて欲しい。古い木造家屋を取り壊して新しいビルを建てるのがどれほど大変
な作業であるかを。まず大家の猛反対が予想される。地域住民も昔の住環境を残そうとし
て、都市開発に反対するかもしれない。他の大家が全員立ち退きに同意しても、開発地区
の中に一件だけぽつんと頑固者の大家が居残っていたならビルは建てられない。説得する
のに時間もかかるし、ごねられて立ち退き料もかさむかも知れない。正規の手続きを取っ
ていたら、それこそ時間と金がいくらあっても足りないのだ。だがこの難問を一挙に解決
する良策がある。火事である。火事が出て木造家屋が丸焼けになってしまえば、取り壊し
の手間が省ける。大家も自分で火を出した手前、諦めざるを得ない。万事解決である。こ
れが最近木造家屋の焼失が多い本当の理由なのである。つまり火事の原因は失火ではなく
、放火であるということだ。
 古い都市を一挙に破壊して復興計画を施行することができる、もっと効果的な方策もあ
る。地震である。つまり人工地震を起こして都市を破壊し、建築の不備を指摘して新たな
建築基準で都市を復興させようとするのだ。新しくビルが建つことで、ゼネコン各社も儲
かる。これぞ正に悪魔的な発想である。1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災
でも、地震による高速道路の倒壊、中高層ビルの崩壊、火災による被害は甚大であり、耐
震構造基準、公園などの都市施設の在り方が問われた。その反省の上に、神戸市復興計画
が策定されたのである。
 ここで大切なことは、自然に地震が起きて都市計画の不備が明らかにされたのではなく
、新都市計画を施行するために人工的に地震が引き起こされたという点である。すると阪
神・淡路大震災だけではなく、過去の大地震も人工地震であった可能性が俄に浮上してく
る。何故ならこれらの地震が起こった後も、神戸市復興計画と同じパタ−ンを辿っている
からである。
 まず関東大震災について。1923年9月1日の関東大震災の翌月10月6日に、アメ
リカの都市計画専門家ビア−ドが、内相・後藤新平の招きで来日している。ビア−ドは後
藤の「帝都復興案」を具体的な復興計画書の形にするが、政府内ではこの大構想をまとも
に取り上げず、予算も減額される。しかし12月の臨時議会では後藤の「帝都復興計画法
案」は「特別都市計画法」と修正され、3億4200万円があてられることになる。
 阪神・淡路大震災が起きた時、大阪ではちょうど「日米都市防災会議」が開かれていた
。彼らは震災後すぐに神戸入りし、その被害状況を詳しく調べている。そして救援活動に
はいっさい関わることなく、神戸を離れ、日本の建築の不備だけを指摘しているのである

 またあのFEMA(連邦緊急事態管理庁)のウィット長官を代表とする調査団一行9人
も1月31日に来日し、被災現地の視察を行って2月4日に帰国している。これは関東大
震災後の状況にそっくりだ。すると我々は関東大震災も人工地震であったと結論せねばな
らなくなる。これが論理的思考方法というものだ。関東大震災だけではない。明治維新後
の日本の地震はすべて、人工地震である可能性が高いのである。

 例えば、1891年10月28日午前6時半、美濃・尾張を中心に発生した、濃尾地震
。明治以後最大の内陸地震である。マグニチュ−ド8.4で、福井県から岐阜県まで実に
100┥もの長い断層ができ、上下に6m、水平に4mもずれた根尾谷断層は天然記念物
として保存されている。地震の被害は死者7273人で倒壊家屋14万2177件、岐阜
市街が南の一部を除き全焼している。
 しかし火災よりショッキングだったのは、洋式建築物、とくに煉瓦造りの建物の多くが
もろくも崩壊したことだ。この被災の規模に驚いた政府は、地震現象をよく調査研究し地
震に強い建築法を開発する必要性を痛感し、翌年6月に「震災予防調査会」を発足させた
。関東大震災の翌々年に設立された地震研究所の前身として、震災予防調査会は、日本の
地震研究の中心となった。
 地震発生後に「震災予防調査会」が発足している所が、この濃尾地震が人工地震であっ
た疑いを濃くしているのである。

 1948年6月28日午後5時14分、福井平野に大地震が発生した。福井地震である
。死者3895人、福井市・丸岡町・春江などでは木造家屋の倒壊率が実に80〜100
%にもなった。このため、それまで最高6までであった震度階が7に改められた。その惨
状を視察したアメリカ軍が「ペ−パ−・ハウスはだめだ」と叫んだという有名な話がきっ
かけで、1950年に建築基準法が設定された。
 「ペ−パ−・ハウス」だろうが何だろうが大きなお世話だ。木造家屋も日本の伝統文化
の一つなのである。それはともかく、地震発生後に建築基準法が設定されたということが
、福井地震が人工地震であったことを暗示している。

 ところで人工的に地震を起こすなど本当に可能なのか、疑問を持たれた読者も多いに違
いない。そのメカニズムが解明されてない以上、筆者も敢えて人工地震説をごり押しする
つもりはない。しかし筆者自身は人工地震は確実に存在していると思っている。しかもそ
の起源は明治時代まで逆上ると考えている。筆者は少なくとも1880年までには人工地
震は起こされていたと考えている。1880年2月22日(明治13)には、横浜で地震
が起きている。これを機に日本地震学会(世界最初の地震学会)が設立された。もう説明
する必要はないだろう。この横浜地震も人工地震であった可能性が高いのだ。

 危機管理が必要であるというパタ−ン

 1999年5月24日、新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法が成
立した。ガイドライン法の「周辺事態法」の第1条にはこうある。

 この法律は、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事
態等我が国周辺の地域における我が国の平和および安全に重要な影響を与える事態(以下
「周辺事態」という)に対応して我が国が実施する措置、その実施の手続きその他の必要
な事項を定め、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下「日米
安保条約」という)の効果的な運用に寄与し、我が国の平和及び安全の確保に資すること
を目的とする。

 ここで「周辺事態」ということで、北朝鮮を念頭に置いていることは間違いない。こん
な法律が出来たのも、北朝鮮が日本にミサイルを打ち込んだせいである。前年の1998
年8月に北朝鮮が「テポドン」を発射し、日本列島を飛び越え三陸沖の太平洋に着弾して
いる。北朝鮮は「人工衛星の打ち上げ」と主張し、米国も「人工衛星の打ち上げの失敗」
との見解を発表したが、日本は「弾道ミサイル発射の可能性が高い」と結論づけた。
 「テポドン」発射後、日本は北朝鮮との国交正常化交渉や食料などの人道支援の凍結を
表明、情報収集衛星の導入を決めた。さらに99年度から戦域ミサイル防衛(TMD)の
日米共同技術研究を始めるために約10億円の予算を計上した。
 日米の防衛当局にとっては、正に北朝鮮さまさまである。北朝鮮がなかったらガイドラ
イン法が成立することは難しかっただろう。野党の反対もあるし、国民の警戒心も強い。
北朝鮮危機がガイドライン法やむなしの世論を形成したのである。う−ん、ちょっとここ
で立ち止まって考えてみよう。日本に飛んできたのは本当に「弾道ミサイル」だったのだ
ろうか。北朝鮮もアメリカも「人工衛星」だと言っている。日本だけ「弾道ミサイル」で
はないかと主張しているが、ミサイルが落ちたのが日本海か太平洋か分かりもしない自衛
隊に何も言う資格はないだろう。「テポドン」発射はガイドライン法成立にうまく利用さ
れた、これが筆者の結論である。

 「テポドン」発射以上にガイドライン法成立に寄与した事件は、ガイドライン法の審議
中に起きた北朝鮮の不審船による領海侵犯であった。不審船事件で政府は1999年3月
24日午前1時前、自衛隊史上初めての自衛隊法に基づく海上警備行動を発令し、自衛艦
が警告射撃や爆弾投下をした。23日の深夜、防衛庁のある幹部は言った。「テポドンの
発射や相次ぐ日本人の拉致事件、最近の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による半潜水
艇の行動など、これまでの経過から、現政権としてはもはや看過しがたいという判断だ」

 北朝鮮の不審船による領海侵犯は、ガイドライン法の審議中という正に絶妙のタイミン
グで起きた。それ故、筆者はこれは北朝鮮の工作船ではなかったと結論するのである。タ
イミングが良過ぎるからである。繰り返し述べるように、陰謀学では「原因ありて結果あ
り」ではなくて、「欲する結果を得るために、原因を作る」と考えるのである。この事件
の場合は北朝鮮の工作船による領海侵犯が起きたからガイドライン法が成立したのではな
くて、ガイドライン法を成立させるために北朝鮮の工作船を偽装した不審船による領海侵
犯事件が演出されたと考えるのである。いや、そもそもの初めから領海侵犯など存在して
いなかったのである。不審船は日本から出航した、というのが筆者の考えである。政府が
日本国内の秘密工作員を使って事件を起こしたのだ。
 1999年はガイドライン法成立だけではなく、8月に入って国旗・国歌法、通信傍受
法、改正住民台帳法が次々に成立している。国家による大衆への締めつけが強化された1
年間であった。

近年続発している怪事件もすべて謀略だった

 さてここまでは基礎固めである。これからは例題を解いていくことになる。読者はもう
陰謀学の理論をよくご存じだろうから、事件についてくどくどと述べることはしない。最
近起こった怪事件をざっと振り返ってみて、事件の真の動機に軽く触れていきたい。

 まず、茨城県東海村のウラン加工施設「ジェ−・シ−・オ−(JCO)」東海事業所で
1999年9月30日に起こった臨海事故について。この事故は日本の原子力計画の分岐
点になった。死者を出し、住民も被爆したことで、多くの人は初めて原子力に対する現実
的な不安を感じた。日本の原子力開発はこれから衰退の一途を辿るだろう。国内のこの動
きは、1979年の米スリ−マイル島原発事故、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発
事故で欧米の原発離れが決定的になった潮流と合致する。
 核エネルギ−の平和利用は何故歓迎されないのだろうか。これはやはりジョン・コ−ル
マン博士が正しかったと言わざるを得ない。すなわち「300人委員会」は脱工業化ゼロ
成長政策に基づき、すべての工業化と核エネルギ−による電力供給を廃止しようとしてい
るのだ。コンピュ−タ−とサ−ビス産業は免除される。では原子力に変わる電力供給はど
のように行われることになるのか。この問題を考えている時に、ふとある新聞記事に目が
止まった。「宇宙太陽光発電」である。これは宇宙空間に長さ数キロの巨大な太陽電池を
備えた衛星を浮かべ、電気エネルギ−を電磁波に変換して地球に送電するシステムである
。宇宙太陽光発電は、悪天候でも発電が可能で、環境保護や発電所の立地問題も解決でき
るため、「究極のクリ−ンエネルギ−」と期待されている。原子力とは違い環境破壊の恐
れがないというわけだ。
 これからの時代は脱工業化ゼロ成長政策により、少ないパイを大勢の人間が奪い合う弱
肉強食の社会が出現するだろう。工業化によりパイ自体を大きくして分け前を増やそうと
いう時代は終焉したのだ。能力のない者、力の弱い者にとっては辛い時代になりそうな予
感がする。サラリ−マン諸君、頑張ろうではないか。

 1999年10月26日、埼玉県のJR桶川駅西口前で、跡見学園女子大2年、猪野詩
織さん(21)が小太りの男に刺された。猪野さんは搬送先の病院で、間もなく死亡した
。猪野さん殺害の実行犯として逮捕された久保田祥史(34)に殺害を依頼したとして、
12月20日、風俗店の実質的経営者の小松武史(33)が殺人容疑で逮捕された。小松
武史は猪野さんをつけ回すスト−カ−行為を続けていた元交際相手・小松和人(27)の
兄で、久保田ら店の従業員に猪野さん殺害を依頼したという。殺害報酬は1000万円と
も2000万円とも言われている。
 翌2000年の1月27日、全国に指名手配されていた小松和人の遺体が、北海道の屈
斜路湖で発見された。死因は水死。北海道警と埼玉県警は「自殺の可能性が高い」と見て
いる。事件の「最重要人物」である小松和人の死により、警察は「事件の真相解明は厳し
くなった」と事件に幕を引いた。

 しかし小松和人自殺説には疑問が投げかけられている。「実は、小松は北海道で滞在し
ていたホテルから、知人や自宅に電話を掛け、近況を語っているんです。が、それは決し
て逃亡生活に疲れたという内容ではない。『どうして自分がこんな目に遭わなくてはなら
ないんだ』というような、身勝手な嘆き節が中心だったようです」(『週刊文春』200
0.2.17)
 小松和人は周囲に対して一貫して無罪を主張していた。陰謀学に通じた読者はもうお分
かりだろう。小松和人は猪野さん殺害の犯人ではない。小松武史も久保田も同様である。
小松和人は自殺に見せかけられて殺された。事件の動機についてはもうお分かりだろう。
猪野さん殺害に続く何件かのスト−カ−殺人のおかげで、スト−カ−規制法が無事に成立
した(2000年5月18日)。猪野詩織さんと小松和人は、スト−カ−規制法成立の生
贄に供されたのである。

 1999年11月12日未明、千葉県警の捜索により、成田市内のホテルの一室からミ
イラ化した死体が発見された。兵庫県川西市在住の元会社員、小林晨一さん(66)のも
のだった。司法解剖の結果、死因は脳内出血と判明したが、同宿していた家族らは「死ん
でいない」と訴えている。小林さんと家族は、自己啓発セミナ−「ライフスペ−ス」のメ
ンバ−で、800万円を払い、団体の主宰者である高橋弘二(62)の独自の治療を受け
ていた。
 筆者は高橋弘二を一目見て似ているな、と思った。その風貌が某新興宗教団体の教祖に
そっくりなのだ。言わずと知れた麻原彰晃である。まず長く伸ばした髪と顎ひげ、それに
片目が失明していること。高橋弘二は明らかに麻原彰晃の物真似だなと思った。そして高
橋が行っていた治療の名前が、シャクティパットである。麻原彰晃も宗教儀式として、シ
ャクティ−パットを行っていた。
 11月15日の警察の司法解剖の直前、小林さんの家族や「ライフスペ−ス」のメンバ
−が数人で成田署に押しかけ、「小林さんを返せ。解剖したら本当に死んでしまう」と強
く訴えた。「ライフスペ−ス」はミイラ化した死体を「まだ生きている」と言い張る、狂
気のカルト集団と揶揄された。しかし小林さんは本当に死んでいたのだろうか。「ライフ
スペ−ス」側は、「小林さんの脈が取れる」「回復傾向のピ−クで警察が連れ出した。小
林さんは衰弱体だった」と主張している。筆者は、小林さんが警察病院で殺された可能性
は否定できないと考えている。
 ではこの事件の真の動機は何だったのだろうか。事件と平行して、医療ミスによる患者
の死亡事件がマスコミを賑わせていた。現在、医療制度改革の必要性が声高に叫ばれてい
る。しかしいくら医療制度改革が必要であると言っても、「ライフスペ−ス」のような現
代医療を否定するシャクティ治療では困るのである。医療制度改革は現代医療の枠組みの
中で行われなければならない、これがこの事件で世間に発せられたメッセ−ジだったので
ある。

 1999年12月1日、横浜市都筑区の北川直貴ちゃん(1)が市内の病院で死亡した
。直貴ちゃんは父親の北川和徳(28)に階段下の廊下に数回、叩きつけられるように投
げ出され、死亡した。和徳は当初、階段から突き落としたのは妻の方だと主張していたが
、やがて自分の犯行だと供述した。
 この事件だけではない。最近、幼児虐待が急増している。男友達と外泊して次男を置き
去りにして窒息死させた24歳の母親。泣き止まない次男を殴りつけ重傷を負わせた22
歳の父親。要するに、子供を生んで育てる資格のない親が増えているということだ。この
幼児虐待については陰謀の影は薄いと考える人がいるかもしれない。しかし筆者は幼児の
死因には疑わしい点があると考えている。子供たちは本当に親に殺されたのか。あるいは
家庭内に侵入した秘密結社のエ−ジェントによって殺されたのか。それとも病院で殺され
たのか。疑問は尽きない。ところで児童虐待の先進国アメリカでは、虐待防止の取り組み
がなされているという。

 アメリカの取り組みは第1に、児童虐待の早期発見である。教師も医師も看護婦も、虐
待を見つけたら報告する義務があり、報告を怠れば罰せられる。その代わり、虐待でない
ケ−スを勘違いして報告した場合には免責される。
 一般の人々も虐待に関しては非常に関心が高い。他人の生活に干渉しないと思われてい
るアメリカ社会だが、児童虐待をはじめとする社会的不正義には敏感だ。ス−パ−マ−ケ
ットの駐車場の車中に子供を置いて買い物をしていた日本人女性が、通報され拘束された
ケ−スもある。(『週刊新潮』1999.12.16)

 「日本でも児童福祉法の整備を急げ!」と訴えるこんな記事が登場したかと思うと、2
000年5月17日には児童虐待防止法が成立してしまった。児童虐待防止法の何がいけ
ない、とお叱りを受けそうなので、ここで筆者の未来ビジョンをお話してその答えに代え
たいと思う。児童虐待防止法では、「児童相談所長は、親の意に反し、施設に入所させた
子どもへの親の面会や通信を制限できる」とある。問題のある親から子どもを取り上げる
ことができるのだ。この延長線上に、国家が子どもの養育を行う社会をかいま見ることが
できる。子どもは生まれるとすぐ、親の手を離れて国家の教育機関で育てられる。最終的
には、女性が子どもを生まない社会が出現するだろう。小子化などその前兆である。おい
おいそれじゃ人類は死滅するじゃないか、と反論なさるかも知れない。心配御無用、その
頃にはクロ−ン技術が完成していて、人間コピ−の大量生産が可能になっているからだ。
馬鹿やブスは未来社会から一掃される。秘密結社にとって理想的な社会が出現するのだ。


 1999年12月21日、京都市伏見区の日野小学校校庭で遊んでいた小2生・中村俊
希君(7)が、フ−ド付き青ジャンパ−に柄物ズボンを穿いた男に惨殺された。犯人は、
いきなり背後から包丁で俊希君の首に切りつけ、防ごうとした俊希君の手や腕も構わず、
十数回にわたって執拗に切り続けた。
 「それは酷い殺し方でした。首は左右両側から深く切り込まれ、ほとんど骨だけでつな
がっている状態でした。赤い血潮が飛び散りましたが、犯人はひるむことなく、犯行を継
続している。おそらく首を切断するつもりだったのではないか」(『週刊新潮』2000
.1.20)。事件現場には、「私は日野小学校を攻げきします。理由はうらみがあるか
らです。今はにげますがあとで名前を言うつもりでいます。後で手紙をかきます。だから
今は追わないでください。私を見つけないでください。私を識別する記号→てるくはのる
」という犯行声明文が残されていた。
 現場に多くの遺留品が残されていたことや、犯行声明文の筆跡などから、事件は早期解
決が予想された。しかし意外にも捜査は壁に突き当たってしまう。ところが翌2000年
2月5日になって、京都府警に任意同行を求められた俊希君殺害の容疑者・岡村浩昌(2
1)がリュックを投げつけ説得先の公園から逃走、団地から飛び降りて自殺してしまった
のだ。
 「投げ捨てられたリュックの中から、十通ほどの文書が見つかりました。『日野の事件
は自分がやった』とか、『自殺』をほのめかす内容でした」(『週刊文春』2000.2
.17)。しかし岡村と日野小学校との直接の繋がりはない。小学校2年まで、日野小の
すぐ近くの小学校に通っていたというだけである。さらに不思議なのは、事件当初、犯人
の身長は160・前後、犯人は小学校高学年から中学生ぐらいとされていたことである。
岡村は立派な成人男子である。事件の動機についてもさっぱり分からない。岡村は教育制
度への恨みがあったというが、それが小学生殺害と一体どう繋がると言うのか。矛盾だら
けである。

 岡村と同じような母子家庭の引きこもり青年が犯した超弩級の犯罪が、新潟の少女監禁
事件である。2000年1月28日に新潟県柏崎市で保護された女性(19)は9年前に
新潟県三条市内で行方不明になった下谷貞子さん(=仮名、当時小学校4年生)と判明し
たのだ。貞子さんは佐藤宣行(37)に下校途中に誘拐され、柏崎市内の佐藤の自宅2階
の部屋に監禁されていた。同居している佐藤の母親(73)は、息子の暴力を恐れて2階
に上がったことはなく、少女の存在を知らなかったという。

 だがちょっと待って欲しい。こんな馬鹿なことが現実的に起こるはずがない。常識で考
えても分かる。住宅街の民家の2階に少女を9年間も監禁しておいて、近所の住民にも同
居の母親にも気づかれなかった、などということは小説や映画の中だけに起こる話である
。SF作家・星新一氏の小説に『月の光』という作品がある。15歳の混血少女を赤ん坊
の頃からペットとして飼育するという話だ。佐藤もこの小説に影響されて、貞子さんをペ
ットとして自分の物にしていこうという異常な欲望があったのではないか、と指摘されて
いる。
 ペットとその飼い主という主題は、竹中直人主演の映画『完全なる飼育』でも描かれて
いる。中年男に誘拐され、男の自宅アパ−トに監禁された女子高生がやがて男に着を覚
えるようになり、最後には恋人関係になるという話だ。主題はおもしろいが、これもやは
り映画の中でしか起こりえない話だろう。ボロアパ−トに少女を監禁するという設定自体
に無理がある。アパ−トには他の住民もいるし管理人もいる。部屋の壁は薄いし、窓もあ
る。中年男は日中は仕事で部屋を開ける。少女は逃げようと思えばいくらでも逃げられる
のだ。これと同じことが現実に起きた新潟事件についても言える。貞子さんが佐藤の自宅
に監禁されていた、というシナリオ自体に無理があるのだ。筆者は貞子さんは絶対に脱出
不可能かつ外部の人間にその存在を知られることのない場所に監禁されていたと考えてい
る。

 さて事件の動機について。佐藤はわいせつ未遂の前科があるし、精神異常だったと言わ
れている。新潟県警の失態の一つとして、佐藤の前科のデ−タベ−ス入力漏れが指摘され
ている。この事件のせいで精神病者に対する管理は強化されていくであろう。
 彼らの目的は刑法に保安処分を導入することにあると考えられる。昭和49年に公表さ
れた改正刑法草案(97〜111条)に盛り込まれた保安処分には「禁絶処分」(アルコ
−ルおよび薬物使用対象)と、「治療処分」とがあり、後者については前期98条で以下
のように定めている。「精神の障害により、16条2項(責任能力)に規定する能力のな
い者(現刑法にいう心神喪失者)又はその能力の著しく低い者(現刑法の心神耗弱者)が
、禁錮以上の刑にあたる行為をした場合において、治療及び看護を加えなければ将来再び
禁錮以上の刑にあたる行為をするおそれがあり、保安上必要があると認められるときは、
治療処分に付する」とある。しかし流石にこのナチスばりの予防拘禁政策は、未だに実現
の目処が立っていない。だが、油断は禁物である。 
 以上が事件の動機の一つである。しかし筆者は京都の事件にしろ新潟の事件にしろ、も
っと視野を広げて考えてみた方が良いと思っている。前にも述べたように、両事件のキ−
・ワ−ドは「引きこもり」である。1999年の末頃から「引きこもり」というマスコミ
用語が頻繁に登場するようになった。自室に引きこもり、社会との接触を絶ってしまう男
性女性が急増しているというのだ。彼らは世間からダメ人間の烙印を押されているが、筆
者は彼らの気持ちも分からないではないと考えている。最近街を歩くと不快な現象に遭遇
することが多いからだ。
 臭いとほざく糞ばばあ、大股開きの雌犬姐ちゃん、鼻つまみのしょんべん小娘、小生意
気な洟垂れ小僧、にやけ笑いの腑抜け野郎、空威張りのノ−タリン親爺など、引きこもり
青年でなくともうんざりしてしまうような汚物が街中に沢山転がっているからだ。無神経
な馬鹿者は自分を誤魔化しながらこの怪現象と折り合いをつけている。だが、元来神経き
め細やかで繊細な感受性を持つ引きこもり青年は、こんな醜悪な現実に耐えられないので
ある。要するに根が真面目なのだ。人は傷つけたくないし自分が傷つくのも嫌だ。だから
彼らは他人との接触を避けて「引きこもる」のである。
 そんな彼らと外界との唯一の接点は、インタ−ネットである。人と顔を合わせずに会話
ができる。同じ悩みを持った人と相談できる。引きこもり青年もインタ−ネットでは心を
開いて他人とコミュニケ−ションができるのだ。だから何なんだ、と読者は問うかも知れ
ない。筆者が言いたいのは、引きこもり現象の増加とコンピュ−タ−、インタ−ネットの
普及は無関係ではないということだ。引きこもり青年の社会復帰も重要な課題ではあるが
、彼らがインタ−ネットを通して人との繋がりを持ち、それを仕事に役立てることも大い
に期待されているのだ。引きこもり青年タイプの方がえてして、コンピュ−タ−等の技術
的知識に明るく、特殊技能や才能を有しているものである。これからの時代は、自宅にい
ながらにして仕事ができるSOHO〔small office home offic
e〕のような職業形態がポピュラ−になるだろう。ソ−ホ−(SOHO)とは、パソコン
を活用し、自宅などで新ビジネスを行う職業形態である。自宅と会社がコンピュ−タ−で
直結されるという、SF小説に描かれた世界が現実となる日も近いのだ。

 1999年3月24日、埼玉県警は本庄市の金融業者・八木茂(50)ら4人を公正証
書原本不実記載・同行使容疑で逮捕した。もちろん本命の保険金殺人容疑を追及するため
である。八木は知人の男性に多額の生命保険に加入させ、風邪薬を飲ませて殺害して保険
金を騙し取ろうとした。
 正直に言ってまたか、という感じだ。保険金殺人事件には、古くは1974年11月に
大分県で起きた「荒木虎美3億円保険金殺人事件」、1977年から79年にかけて起き
た「知連続保険金殺人事件」、1981年に起きた「ロス疑惑」事件、最近の事例では
1991年に起きた「トリカブト保険金殺人事件」、1998年に起きた「和歌山毒カレ
−殺人事件」がある。
 八木が風邪薬の「アセトアミノフェン」で人を殺そうとしたというのは嘘であろう。事
件の真の動機は、保険制度改革にあると思われる。奥さんや旦那、子供や従業員に保険金
を掛けて殺す。こんな極悪非道の仕打ちが許されて良いはずはない、誰でもそう考える。
「和歌山毒カレ−殺人事件」以来、保険金受取の審査の基準が厳しくなったと聞く。保険
制度の面でも日本はようやく、外資や欧米の基準に近づきつつあるのだ。勿論それによっ
て得をするのは掛金を支払う庶民ではなく、生命保険各社ということになろう。

 いよいよ最後になった。最後に来るのはやはり少年犯罪でなければならない。1983
年2月12日、神奈川県警は横浜市中区の横浜スタジアム、山下公園などで無抵抗の浮浪
者を襲っていた少年10人を、傷害致死の疑いで逮捕した。彼らは、横浜市と川崎市の市
立中学の2、3年生が5人、横浜市立定時制高校生1名、無職少年4名のグル−プだった
。逮捕された少年たちは、こう供述した。
 「浮浪者は抵抗しないし、追いかけるのはスリルがあって面白かった。喧嘩の練習にも
なったし、汚いやつらがいなくなれば、街がきれいになっていいと思った」

 なんという悪ガキだと世間は非難するだろう。しかし少年を非難する当の本人も、道端
で浮浪者がダンボ−ルにくるまって寝ころがっているのに遭遇しても、侮蔑の視線を投げ
かけて通り過ぎるだけで何もしようとはしない。こういう人を偽善者と言うのである。政
府もマスコミも一般大衆も皆、偽善者なのだ。しかし政府にとっては、この「風太郎狩り
」事件は有難かったに違いない。
 当時政府は少年法の改正?に着手していた。この事件は「少年犯罪を何とかしろ」とい
う世論作りにもってこいだった。政府はさっそく、「非行防止対策推進連絡会」を開催。
「非行防止」を名目に、学校の管理強化に乗り出す。「風太郎狩り」はこのために起こさ
れた事件だったのだ。

 1999年4月14日、山口県光市で、会社員木村洋さん(23)の妻と長女の2人が
殺された。犯人は事件当時18歳の少年。水質検査を装い、新日鉄の社宅に侵入、部屋に
いた主婦、弥生さん(23)を絞殺し、遺体を凌辱。さらに、生後11ヵ月の娘、夕夏ち
ゃんが泣き叫んだため、床に叩きつけた末に、絞め殺した。木村さんは少年の実名報道と
少年に対する死刑判決を強く望んでいる。

 1997年に起きた「酒鬼薔薇聖斗事件」、2000年5月に入って立て続けに起きた
17歳の少年による殺人事件。5月1日に知県豊川市で17歳の少年が主婦を刺殺。5
月3日、佐賀市内の17歳の少年による高速バス乗っ取り事件発生。いま現在、政府によ
る少年法改悪は正念場を迎えつつある。

 最後に秘密結社の構成員が犯罪に果たしている役割を整理して、終わりとしたい。まず
在日X人が犯行を実行する。警察は真犯人を見逃してスケ−プ・ゴ−トを逮捕する。犠牲
者が運ばれた病院では、医者が生贄にとどめを刺す。犠牲者が万一生き返っては困る。殺
人事件にならなければ、大衆に対するインパクトが少ないからだ。マスコミはセンセ−シ
ョナルに事件を報道し、世論を一定の方向にうまく誘導する。裁判官は無実の被告に有罪
を宣告する。ごくたまに再審無罪で冤罪が晴らされるのは、刑事裁判が正常に機能してい
るという幻想を大衆に与えるためである。そして疑うことを知らない大衆は正義が行われ
たと錯覚する。この陰謀の輪には僧侶も一枚噛んでいる。風邪が吹けば桶屋が儲かるかど
うか知らないが、人が死ねば坊主は確実に儲かるからである。こんな誰もが夢想だにしな
い陰謀が現に秘かに進行中なのである。

 古代ケルト社会の祭司「ドルイド」は、小枝で編んだ人形の巨像に詰められた人間と動
物を焼き殺したという。生贄である。これを見た農民たちは恐怖を感じて、支配者の持つ
権力の絶対性を再認識させられた。人身供犠は支配者の政治的コントロ−ルに使われたの
である。古代の農民たちは自分らが恐怖することを支配者は望んでいるのだ、ということ
を知っていた。一方、現代人はオカルト的な恐怖のテクノロジ−など存在するわけがない
と信じ込んでいる。その実、あっさりと受け入れているのだ。凶悪な殺人事件に恐怖を感
じた大衆は、マスコミの煽動に簡単に乗せられてしまう。それが残酷な宗教儀式であるこ
とも知らずにだ。そう、この世には魔女も存在しているし魔術も存在している。そして悪
魔的な陰謀のネットワ−クが世界を覆っている。この現実を大衆が受け入れない限り、邪
教徒による不滅の心理劇が繰り返されることになるのだ。



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悪魔組織の犯罪06
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/560.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 12 日 00:03:47:

強制連行など存在しなかった

 強制連行、強制連行と書き立てて少し気分が重くなった。だが一口に強制連行と言って
も、必ずしも統一された定義が存在するわけではない。一般的に強制連行は以下の3段階
に分けることができる。
1.「募集」方式(1939年9月〜1942年1月)=「X人労働者募集要綱」によっ
  て行われた方式で、X総督府の指定した地域で労務動員計画の割り当てを受けた会社
  が「募集」という名目でX人を集めたもの。
2.「官斡旋」方式(1942年2月〜1944年8月)=「X人内地移住斡旋要綱」に
  よって行われた方式で、X人労働者の奪い合いを調整するため、X総督府内のX労務
  協会が一元的にX人労働者の徴発業務を行ったもの。
3.「徴用」方式(1944年9月〜1945年8月)=1944年8月の閣議決定「半
   島人労務者の移入に関する件」により、国民徴用令をXにも適用して行ったもの。

 方式の名前が示している通り、ナチスのユダヤ人狩りとは大分ニュアンスが違う。ここ
に一X人青年の手記を記す。

 昭和9年私は9歳の時Z村の公立普通学校(昭和13年から尋常小学校となる)に入学
した。校長は日本人で真面目な人でその人格には感化をうけた部分がある。12歳の時に
は「皇国臣民の誓詞」を暗記させられて苦悩し、14歳の暮には創氏改名を強制された。
15歳の3月に卒業、日本語がある程度出来るというので・・の時計店に奉公したが、技
術を習得どころか掃除、フロ炊きの雑役ばかりですぐいやになってやめた。・・
 昭和17年夏、友人から伝聞したところだと、「日本の鉄工所が社員を募集に来た」と
のこと。東京シャ−リング会社から幹部2、3人が募集に来ていた。応募も志願の形で口
頭試験に身体検査くらいで、手続きは極めて簡単で“千載一遇”というのはまさに、これ
だと思った。これまでにもう、長兄、次兄、姉は日本へ渡って工場で働いていた。・・
 私の日本生活は、東京の江東区南砂町3丁目?所在の「東京シャ−リング株式会社」か
らはじまった。・・
 私の仕事は、真っ赤な(高温に熱した)鋼塊が高炉から出て幾度も繰り返し圧延工程に
送られ、だんだん長い棒状に引き延ばされて出て来る、それを隙間を与えずに長バサミで
つかんで連続式圧延機(ロ−ル)にかける、つまり二重式逆転(?)をするわけだ。
 夏の工場内は煙と高熱でみなぎり呼吸すら困難な状態。そんなのはまだましだ。ロ−ル
から煙を吹きながら出る真っ赤な長い鉄筋などが、予想外にも高く宙返りしながら飛んで
来る、それを素早く長い鉄鉤でひっかけ、全力を注いで引っ張って来て最終ロ−ルに突っ
込んでやる仕事−それはたとえるに、飛んでくる砲弾や矢を食い止めようと必死になって
いる怪物を実感させた。この時少しでも油断すれば火玉の鉄棒に、人間もろ共にロ−ルの
中へ巻き込まれてしまうだろう。私は歯を食いしばって辛抱し続けたものの三ヵ月持ちこ
たえることは無理だった。
 私はとうとう三ヵ月で、会社に背信し、技術を習おうとしてかけていた希望も捨て、当
初の決心を変えてしまった。私は土曜日の夜眠らずして、明朝の逃亡についてしんみりと
熟考した。私は幼いころ、父から「平生一欺其罪如山」と漢文の句節を習って以来、父母
にはもちろんのこと、人との約束を破ったことはほとんどないといえる。罪を犯す人の気
持ちはその時の私のそれと変わらないだろう。
 翌朝、外出が許された友人と一緒に外出した。人混みの中へ一行が入った時、隙を見て
そっと身を隠して逃出に成功、省線電車(国電)から汽車に乗り換え一路北上した。会社
側と同僚の産業戦士の皆さんに対し、義務と義理に背いた行為を私は今なお詫び続けてい
る。同僚たちに加えられるはずの迫害を思うと身を削る思いがする。
 三時間以上はしって降りた駅は、はっきり記憶にないが、埼玉県のある田舎だったよう
だが看板を見て、ある工事場の飯場を尋ねて行った。そこの同胞たちはその間の私の事情
や苦労を聞いて、温かく迎えてくれたし、数日間の寝食をただですませてくれた。やはり
そこの紹介で今度は、山梨県身延で工事をしていた飛鳥組に雇われた。17歳の秋だった
。・・
 私は結局ここでも辛抱は出来なかった。人夫たちと相談したすえ、山梨県の身延近くの
山を越えて、下部川というところの工事場へ引越した。大きなバラック建てがあり、そこ
には数人の日本人を混じえて二十人近く人夫がいた。この時が私の17歳の冬であった。
一番うれしく思ったのは、食べなれたキムチと・・味噌汁に唐がらし味噌の発見だった。
久振りに故郷へ帰ったような味だ。この時私は鮭の焼き魚も初めて食べてみた。ご飯も「
シャ−リング会社」の食堂とは違って、真っ白の白米飯が何杯でも、おかわりがとれた。
それに懐かしい・・語をいくらでも自由にしゃべれたし、危険な仕事もない。ここは外部
人の出入りもなく、私のような逃亡者には最適の場だと思った。日本一の無風地帯か死角
の地である。ここの仕事は川から掘り出した砂利や石ころを、二人か四人モッコで運ぶも
の。ここでも私の相手になりそうな友達、若者はいない。ここでこんな仕事をしている私
自身は、大分県に住む長兄を捜して行くための、臨時停留所としか思わなかった。こん苦
手な仕事も間もなく手放すだろうと独りで思った。私はここで18歳のお正月を迎えた。
春、大分県の長兄から手紙が届いた。これで兄に会えるだろうし、会えたら・・と明るい
私の前途を思った。(古野直也著『・・軍司令部』国書刊行会より)

 少しも暗くない内容である。この青年は1942年夏に来日しているので、2.「官斡
旋」方式であるはずだが、この手記を読む限りでは何故か「募集」方式になっている。や
がてこの青年は、長兄と次兄の送金を毎月五十円(下宿賄付三十五円)貰って東京官立無
線電信講習所に入った。
 一口に強制連行と言っても人様々であることがこれで分かろう。もちろん炭鉱等で苦労
された方が存在したことは否定しない。ここで筆者が言いたいのは、言葉面で、イメ−ジ
で安易に物事を判断してはならぬということなのだ。


 悪魔の世論操作

 いよいよ最後の謎解きに入る。これまでは無実の人が犯人にされてしまう過程と、真犯
人の正体について述べてきた。これから事件の動機の分析にかからねばならない。そうは
言っても、これは読者が想像する程難しい作業ではない。単純な話なのだ。指摘されれば
誰でもなるほど!と思うたぐいの話だ。ところがこれまでこの動機について正しく指摘し
た研究家は存在しなかった。誰も思いつかなかった、想像も及ばなかった、言われてみて
初めて何だそうだったのかと納得する。例えて言えば、手品みたいなものである。種を明
かされれば、な−んだ、ということになるが、種を知らなければその奇跡に幻惑されてし
まう。だからこれはやはり最初に謎を解いた人間に軍配はあがるのである。そういうもの
であると受け取って欲しい。
 前口上はこのぐらいにして、さっそく本論に入ろう。単刀直入に言って、秘密結社マジ
シャンの狙いは、犯罪を通じた大衆コントロ−ル、世論誘導、心理操作にあるのである。
犯罪ほど大衆にインパクトを与えるものはない。これは時代が変わろうと、国が変わろう
と、常に変わらない普遍的真理である。政治、経済、文化、世の中にはもっと重要なもの
が存在してるじゃないか、と仰られるかも知れない。軍事もそうであろう。戦いの帰趨は
戦時下には一国の関心事であろう。
 それでも犯罪ほど人々の精神に深く刻印される出来事はなく、後々まで人々の話の種と
なるものは少ないと筆者は言いたい。その犯罪が凶悪な殺人事件だったら尚更である。犯
罪が単に一過性の局所的な出来事に留まらず、社会全体にとって重大な関心事であると見
なされるのは理由がある。それは各々の犯罪に対して、我々の魂が共鳴したり反発したり
しているからなのだ。共鳴にしろ、反発にしろ、いずれにしろ我々は犯罪に無関心でいら
れない。何故なら犯罪とは時代を映す鏡であり、我々自身の姿がその鏡に投影されている
からなのだ。犯罪とはその時代の精神を凝縮したエッセンスみたいなものだ。だから犯罪
を分析することでその時代の人々が何を考えていたか分かる、というのがまあ一般的な犯
罪論であろう。
 ところが筆者の犯罪論はもっと奥が深い。筆者は、時代精神の反映が犯罪となって現れ
るとは考えていない。そうではなくて、時代精神を操るために犯罪が使われているのだと
考えている。世論を誘導するために、世論操作のために、大衆の心理操作のために、政治
的なコントロ−ルのために、犯罪が用いられるのである。
 つまりこういうことだ。秘密結社が達成したいと思っている目的がここにあるとする。
その目的は政治的なものでも、経済的なものでも、文化的なものでも、何でも構わない。
民主主義社会のシステムでは、国民の多数の合意に基づいて政策は決定される。法案が作
られそれが国会で可決なり否決なりされるのだ。もちろんその前にその法案に対する国民
の理解が得られていなければならない。公の場で、あるいは私的な場で、その法案に対す
る議論がなされてしかるべきである。その議論を土台にして国民は私情を交えず、冷静に
公正にその法案の善し悪しを判断し、それを支持するかあるいは廃案にするかを決定しな
ければならない。
 これが表世界のシステムである。もちろん大衆が知らないだけで、この世界には恐ろし
い裏世界も存在している。その裏世界では、政府はマスコミを使って大衆をコントロ−ル
することで所期の目的を達成しようとする。表の世界とどう違うのかと言うと、ここでは
目的達成のためには手段は選ばないのである。殺人等を含めた凶悪犯罪も、その目的達成
の手段として使われるのだ。
 分かりやすい例をあげよう。例えば政府が少年法を改正したいと思ったとする。表の世
界ではできることは限られている。いくら少年法改正に向けて論議を尽くしたとしても、
その効果はたかが知れている。国民に対するインパクトも実質的にはゼロである。しかし
これが裏の世界の話となると状況は一変する。突然、少年による凶悪犯罪が増える。マス
コミが騒ぎ、識者と言われる人たちの意見が紙面を賑わす。巷の話題もそのことばかり。
必然的に少年法改正論議にも花が咲く、ということになる。
 おいおい、これではまるで最近の少年犯罪激増は政府による陰謀であると主張している
ようなものではないか、と仰るかもしれない。実はその通りなのである。そんな馬鹿な、
いくらなんでもそこまではやらないだろう、と言うのが一般大衆の反応である。自分の貧
困な想像力が及ばない問題については、たちまち心を閉ざしてしまう。それが陰謀家ども
の狙い目であることも知らずにだ。存在しないものについては攻撃される恐れはない。大
衆の理解が及ばない陰謀については、暴露される危険はない。政府の影で暗躍する秘密結
社のネットワ−クはその秘密性の故に無敵なのである。
 秘密結社は警察組織を完璧にコントロ−ルしているから、犯人がうっかり現場に残して
しまった証拠も握り潰すことができる。スケ−プ・ゴ−トの逮捕で事件に幕を引き、激昂
した世論を宥めることもできる。そこで何も知らない大衆は一安心して、事件はすっかり
片づいたと思い込む。だが実はそこから本当の事件は始まっているのだ。
 少年犯罪が繰り返されることにより、今まで否定的だった人も少年法改正やむなしの意
見に傾く。世論の動向を見極めてタイミングよく少年法改正法案が国会に提出される。少
年犯罪は少年法改正に利用されたのではなくて、少年法を改正するために少年犯罪が引き
起こされたのである。これが筆者が言うところの世論誘導、世論操作、心理操作なのであ
る。民主主義社会とはあくまで合意を前提とした社会である。全体主義国家のように上か
ら一方的に法律を押しつけるわけにはいかない。だから大衆が自発的にその法律を必要と
しているという雰囲気を作り上げることが重要になる。新法制定は政府によって無理やり
押しつけられたものではなく、我々が自らが欲した結果なのだ。民主主義社会の世論操作
は全体主義社会のそれよりもはるかに巧妙である。民主主義社会が全体主義社会より危険
だという理由がこれで分かってもらえただろう。筆者は民主主義社会を「笑顔のファシズ
ム」と呼んでいる。
 そしてこの世論操作の技術は日本でも明治維新以来、あるいはひょっとしたらそれ以前
から行使されてきた。世論操作のために秘密結社によって遂行された犯罪例を、これから
いくつかのパタ−ンに分類して、その動機を解明して行きたい。

 宗教を馬鹿にするパタ−ン

 このパタ−ンにはタヌキ憑きキツネ憑き事件が含まれる。ここに2つだけその実例をあ
げる。
 1927年11月17日午前4時ごろ、東京府下小松川下平井に住む小泉曾蔵(47)
から内縁の妻・鈴木きつ(40)が変死したとの届け出があったので、小松川署では警視
庁鑑識課員の出張を要請し、遺体の検視にあたった。頸部と両手首に緊縛したと思われる
傷痕があり、他殺の疑いが濃厚であった。そこで、曾蔵ら家人を厳しく取調べたところ、
驚くべき事実が判明した。変死したきつは、最近精神に異常をきたしていた。曾蔵ときつ
の姉・鈴木みよは、きつが気がふれたのはキツネが憑いたのだと信じ、本所中ノ郷の生玉
稲荷の巫女・水花こと鈴木よし(46)に、キツネ落としの祈祷を頼んだ。
 16日の夜、女行者・よしは信者の笠井笹真と内田克作を連れて曾蔵宅を訪れ、さっそ
くキツネ落としの秘宝にとりかかった。ところが、キツネの憑いたきつが逃げ出そうとす
るので、首と両手を縄で縛り上げ、キツネを追い出すのだと称して、きつの全身を激しく
もみつづけた。体の衰弱していたきつはこの荒行に耐えられず、心臓麻痺をおこして死亡
したのである。曾蔵ら家人はきつが静かになったので、これはキツネが落ちたせいだと喜
んでいたが、やがてきつの体がすっかり冷たくなっているのに気付き、驚いて届け出たと
いうのが事の顛末だった。次の日、女行者・鈴木よしら3名、曾蔵と鈴木みよの5人が、
傷害致死罪の容疑で検挙された。

 1979年5月7日未明、熊本県芦北郡芦北署は、「死因が変だ」と前夜医師から届け
出のあった芦北町内の無職・山崎直美(26)の死体を調べた結果、直美は撲殺されたも
のとして、父親(63)と弟(24)、それに嫁いでいる34歳と30歳の直美の姉ら4
人を傷害致死の疑いで緊急逮捕した。
 調べによると直美は、この年の3月半ばごろから高熱を出し、わけのわからないことを
口走るようになった。母親・ツギヲ(54)が祈祷師にみてもらうと「直美にはタヌキが
憑いている」とのこと。同地区ではタヌキのほかに、キツネやイヌ、ヤマワロ(カッパ)
などが時折り人に憑いては大騒動となる。
 成程そうか、やっぱりタヌキか。寝込んだ母のかわりに嫁ぎ先から看病にきている2人
の姉にも、直美は身をすり寄せたり変な悪さをする。結局親族4人は、「この際直美を救
うためにはタヌキをたたき出すしかない」との結論に達した。それが6日の午後4時すぎ
のことである。
 まず打ち合わせどおり弟が直美を縁側に押さえつけた。すかさず父がゲンコツで直美の
項や肩を殴りつける。握らせた両コブシが開けばタヌキが逃げおちたときだという謂れが
ある。だが、コブシの片方がどうしても開かない。そのうち姉2人も加わって、凶器もマ
キやビニ−ルパイプにエスカレ−ト、みんなして“タヌキ”を殴りつけた。その“タヌキ
”が静かになったのは3時間後の午後7時ごろである。しかし、直美の具合がどうも変だ
。あわてて人工呼吸をほどこしたが、もう息はなかった。「兄弟のひとりが発狂して死ん
だ」と町内の医師に届けられたのはそのあとのことであった。

 タヌキが憑いたキツネが憑いた、とくればこれは単なる迷信であり、それで人を殺して
しまったとなれば、迷信を通り越して狂信となる。気狂いは何をするか分からない、とい
うのがこの手の話を聞いた人の正直な感想なのではなかろうか。逆に考えれば、タヌキ憑
きキツネ憑きといった民間信仰を卑しめ祈祷師という職業を根絶するために、この種の事
件がでっち上げられたと言える。一体何故?それは祈祷師や霊媒、巫女といった人たちは
霊界に自由に出入りすることができるからである。また彼らは、霊界に出入りしたり霊性
を向上させたりすることのできる技法を持っている。それは神道的な技法であったり、仏
教的な技法であったり、あるいはアニミズム的な技法であったりする。そういうものが存
在していては、秘密結社は困るのである。何故なら、霊性が高く知恵のある人は陰謀の存
在に気付いてしまう恐れがあるからだ。秘密結社にとって、宗教ほど(自分たちの息のか
かっている宗教以外)危険な存在はないのである。だから秘密結社は宗教を馬鹿にするよ
うな世論を時間をかけて作りあげてきたのである。
 明治維新以後、日本人は宗教というと無知蒙昧の象徴のように考えてきた。その原因を
作ったのは、1万円札でおなじみの明治の思想家・慶応大学の福沢諭吉である。福沢諭吉
の自伝『福翁自伝』に次のような一節がある。

 福沢は少年時代に、自分の藩の殿様の名前を書いてある紙を足で踏んづけてしまい、兄
にこっぴどく叱られたことがあった。そこで反骨精神旺盛な福沢少年は、「神様の名のあ
る御札を踏んだらどうだろうと思って」「踏んでみた」。
 ところが「何ともない」。そして、今度は叔父の家の稲荷の社の中の、御神体の石を引
っ張り出し、代りの石を入れておくというイタズラをする。
 「馬鹿め、おれの入れておいた石に御神酒を上げて拝んでいるとは面白い」「幼少の時
から神様が怖いだの仏様が難有いだのいうことは一寸ともない」「うらないまじない一切
不信仰で、狐狸が付くというようなことは初めから馬鹿にして信じない」
 そして福沢は最後にこう自慢する。
 「子供ながらも精神は誠にカラリとしたものでした」。(『福翁自伝』岩波書店)

 何とも罰当たりな男だ。福沢以後、宗教を馬鹿にして信じないことが知識人の条件のよ
うになってしまった。オウム真理教事件であれだけ世間が騒いだのも、オウム真理教のメ
ンバ−の中に医者や弁護士、一流大学の学生といった所謂エリ−ト階級が多数、含まれて
いたからである。彼らは福沢諭吉の呪縛にかかっていなかったのだ。

 古き良き村落共同体破壊のパタ−ン

 秘密結社による旧体制の破壊は、宗教破壊に留まらない。村落共同体を破壊して、都市
型個人主義社会に日本人を飲み込んでしまうことも、彼らの重要な目標である。そのため
に起こされた事件を3つあげる。

 有名な津山30人殺し事件。わが国では最大の大量殺人事件。世界の犯罪史上でも短時
間に30人も殺害した例は数少ない。1938年5月21日、岡山県苫田郡西加茂村で農
業・都井睦雄(21)が黒詰えりの服にゲ−トルを巻き、地下足袋、頭に懐中電灯2本を
つけ、胸に自転車用ランプを下げ、日本刀1本匕首2本を左腰に差し、手に猛獣狩り用口
径12番9連発の猟銃を持って、まず地区全体の電線を切断、暗黒にした上でつぎつぎに
村の家々をしらみつぶしに襲い、猟銃を発砲、日本刀で刺殺し、約1時間半の凶行後、都
井は付近の山のなかに逃げ込み、遺書を書いたあと猟銃で自殺した。全戸数23戸、人口
わずか111人しかいない地区で、即死28人・重傷後死亡2人・重軽傷3人と計33人
が殺傷された。

 問題は事件の動機である。都井は16歳のとき軽度の肋膜炎を患い、自宅でブラブラし
て療養していた。19歳の時、右肺尖カタルと診断されたが、都井は重度の肺結核と思い
込んでいた。
 20歳の春ごろから、それまで村人とほとんどつきあわなかった都井が急に村の女性や
人妻に対して性的関係を迫るようになった。この山地は冬の間、雪に閉ざされる。男は長
期の出稼ぎや山に入って炭焼きをする者が多い。村には老人と婦女子だけが残る。「夜這
い」など性的に放縦な旧習が色濃く残る地域でもあった。
 21歳の徴兵検査で都井は結核で不合格となる。都井は失意の底に落ち、徴兵検査後は
「色情狂」といわれるほど、手当たり次第に村の女に手を出し、銃器を集める異常行動が
目立った。22歳の5月、「結核と知って手のひらを返したように嫌悪、白眼視し、村人
に自分の悪口を言いふらした」女たちや村人を大虐殺して、都井は自殺して果てた。

 仲間外れにした村人への復讐というものが、事件の表向きの動機である。しかし筆者は
この事件の犯人は都井ではなかったと考えている。都井に扮した者が村人を虐殺、都井に
遺書を書かせて自殺に見せかけて殺害したのであろう。あるいは遺書は別の何者かが書い
たのかも知れない。件の村の近くには軍の基地があったので、軍人の事件への関与が疑わ
れる。都井睦雄は哀れなスケ−プ・ゴ−トであったのだ。
 それでは事件の本当の動機は何処にあるのか。事件の舞台は、戦前のがんじがらめの人
間関係で窒息しそうな村落共同体である。ここには因習として色濃く残る「夜這い」など
の性的に放縦な男女関係があった。そんな中で、今のエイズ以上に恐れられ嫌われた不治
の病である結核に冒され、村八分にされた青年の積もり積もった怨念が爆発したのだ。結
核のために青年の憧れの的である軍人にもなれず、村の女との性的関係も絶たれてしまっ
た。睦雄に残された唯一の道は、村人を道連れに自殺することだけであった。
 誰でもこんな話を聞くと、閉鎖的な村社会に嫌悪を感じるだろう。都会では決して起き
なかっただろう類の事件である。現代人は、特に大都会に住む人は田舎での生活を嫌う。
曰く、不便である、曰く、娯楽がない、それに人間関係が緊密すぎて息が詰まる、つまり
自由がない。都会人に許された特権は、匿名の自由性といったものだ。田舎では、ちょっ
と人と違ったことを言ったりやったりすると、とても目立ってしまう。髪の毛が金色だっ
たり、服装が派手だったり、不倫していたり、変な趣味を持っていたりしたら、たちどこ
ろに隣近所の噂話の種にされてしまう。そんな束縛を嫌って、都会に働きに出る若者が増
えている。彼らは多少の犠牲を払っても田舎から脱出したいのだ。音楽をやりたい、タレ
ントになりたい、そんな野望などなくてもいい、東京の街を流行の服に身を包んで歩ける
だけで幸せなのだ。開放された気分を味わえる。都会では自由の空気が吸えるのだ。
 田舎ではできなかったことが都会ではできる。ブランド物の服やバックも買えるし、自
分の娘くらいの年齢の女と遊んでいても後ろ指さされることはない。朝何時に起きようが
昼夜逆転した生活を送ろうが、自由だし不便はない。風俗で働こうが定職に就かずフリ−
タ−でぶらぶらしていようが、家賃さえきちんと払っているなら誰にも文句を言われる筋
合いはない。まるで天国だ。田舎だとこうはいかない。日が落ちれば村は死んだように眠
りについてしまう。ネオンの明かりもないし聞こえてくるのはイヌの遠吠えくらい。家庭
内にも厳としたル−ルがある。田舎のような大家族が同居している家では、嫁と姑・舅問
題も発生する。家族の目を気にして隣近所の目を気にして、好きなことも自由にできない
。田舎ではまだ女性に対する目は厳しい。女性に求められる役割は良き妻であり良き母で
あることである。都会のように男女同権、女性の解放・社会進出などもってのほかなのだ

 とまあ田舎のマイナス面だけ述べてしまったが、田舎にももちろん良い面は存在してい
る。何と言っても一つの村が一つの家族のようなものだ。村ではみんな顔見知りだし、相
互扶助が当たり前である。困っている人は手助けし、お年寄りには親切にし、年頃の娘さ
んがいれば縁談を持ちかける。村八分、村の厄介者でもないかぎり、お節介なくらいに世
話を焼いてくれる人が何処かにいるのが、田舎というものである。都会みたいに、このく
そじじい、くそばばあ、あっちへ行け!と蹴飛ばされることはないのだ。都会の片隅で誰
にも気付かれずにこっそりと死んでいた、ということもない。田舎を捨てて都会に出た若
者たちも、生き馬の目を抜くような都会での生活に疲れ果てて田舎に戻って来ることもあ
る。ドライな人間関係に金だけがすべての生活。ふと気付けば消費者金融から多額の借金
をしていて鬼のような督促を受ける。あげくの果てには風俗に売り飛ばされたり、マグロ
漁船に乗せられたりする。自殺の一歩手前まで行き、自己破産して危うく命拾い。そこま
でいかなくても、他人の視線の冷淡さに触れたり、その瞳の中に自分の利益のためには人
を犠牲にして恥じない醜いエゴイズムの光が宿っているのを目にした時、ふと自分が捨て
てきた田舎での生活が懐かしくなる。結局あいつが欲しかったのは金だけだった、あの人
があたしに求めたのは体だけ、都会には真の友情も情も存在していなかった。そして、
ああ、カントリ−・ロ−ド、テイク・ミ−・ホ−ム、ツ−・ザ・プレイス〜となるのだ。

 しかし秘密結社にとっては、大家族のような田舎の緊密な人間関係は自らの世界支配に
とって邪魔者である。何故なら村落共同体は一つの強固な集団であり、集団はコントロ−
ルしづらいからである。しかもその集団は秘密結社が破壊しようとしている旧体制の価値
観を共有している。大家族制度、宗教的文化的な風習、男女の放縦な性関係を許容する「
夜這い」、地主制度、長子相続制等である。そんな田舎の村落共同体を破壊するために、
村落共同体に対する嫌悪感を大衆の心に植え付けるために、秘密結社は津山30人殺し事
件を演出したのである。

 次に紹介するのは、名張毒ぶどう酒殺人事件である。1961年3月28日夜、三重県
名張市で大量殺人事件が発生した。場所は、奈良との県境に近い葛尾という山間の集落で
あった。当夜、同地の公民館では「三奈の会」という生活改善クラブの会合が開かれてい
た。その席で、ぶどう酒で乾杯した17人の女性のうち、5人がその場で血反吐を吐いて
死亡、12人が重体となった。ぶどう酒には農薬のニッカリンTが入っていた。関係者の
犯行と見た警察は、葛尾の全住民から事情聴取を行った。
 当初、死亡した5人のうちの1人、奥西勝の妻・千恵子が疑われた。千恵子は勝の
・ヤス子に嫉妬、無理心中を企てた、と勝が証言し新聞もそう報道した。これで事件は解
決したかに見えた矢先、千恵子がぶどう酒を飲む前、「今夜、あまり酒を飲んだらあかん
と父ちゃんが言うの」と言ったという噂を、捜査官は聞き込んできた。勝は連日のように
厳しい追及を受けた。家族のためを思い、彼は犯行を認めた。事件の6日後、4月3日午
前3時40分だった。警察はこんな夜中まで、参考人に過ぎない者を取り調べていたので
ある。
 1964年12月23日、1審・津地裁は証拠不十分で無罪。しかし検察側控訴を受け
て2審・名古屋高裁は1969年9月10日、逆転有罪(死刑)の判決。そして1972
年6月15日、最高裁で死刑確定。死刑が確定してから提出された5回の再審請求は、す
べて却下された。奥西勝元被告は、いまも、名古屋拘置所から無実を訴え続け、第6次再
審請求中である。

 さて問題の事件動機は何なのか。葛尾は行政区分のうえでは名張市とはいえ、当時市に
編入されたばかりで戸数わずか17、深い谷あいに小さな集落を形成していた。余所者は
少なく閉鎖的な半面、既婚者の男女それぞれが他の男女と自由な性的関係を持つという、
おおらかさがあった。勝の自白によると、犯行動機は三角関係の清算だった。しかし、開
放的なこの地では三角関係、四角関係はめずらしくなかった。関係を急いで清算する理由
は何もなかったのだ。
 名張毒ぶどう酒殺人事件でも、のどかな村落共同体と、そこでの男女の放縦な性的関係
がタ−ゲットにされた。警察に犯人と疑われた村人は、互いに疑心暗鬼に陥った。そして
村に平和を取り戻すためにスケ−プ・ゴ−トとして警察に差し出されたのが奥西勝であっ
た、というのが事件の真相であろう。筆者は問題のぶどう酒には流通段階で毒物が混入さ
れたのではないか、との感触を得ている。つまり犯人は奥西ではないということだ。この
事件が世間に与えた印象は、閉鎖的な村落の乱れた男女の性的関係が事件の引き金になっ
た、というものだった。一見平和的に見える農村にも、世間の目から隠された暗部が存在
するのだ。この事件が葛尾の村民に残した傷痕は大きい。だが名張毒ぶどう酒殺人事件は
日本の一地方集落の人間関係を破壊しただけに留まらず、平和でのどかで村人全員が仲む
つまじく暮らす村落共同体といったイメ−ジをも粉砕したのであった。

 この手の事件は拾い上げようと思えばきりがない。そこで次の毒殺事件を最後の例とし
たい。1961年1月8日、瀬戸内海の静穏な島、広島県因島市の農業M男(32)方で
、農薬の入っていた饅頭を食べたY子(4)が急死した。同家では1957年から59年
にかけ、いっしょに生活していた兄夫婦とM男の次女と三女の4人が「不審死」していた
。そこへ「おかしいと評判だ、調べてくれ」と因島区検察庁へ密告電話が掛かったことか
ら「毒殺事件」へと発展、M男は同年2月2日に逮捕された。
 しかし、逮捕直後に連続5人毒殺を自供したはずだったが、結局、捜査本部が起訴した
のはY子殺しと、他3人の女性の殺人未遂のみ。1968年7月末、広島地裁尾道支部は
懲役15年の判決をM男に下した。しかし、饅頭の入手経路、農薬の仕掛け方、指紋など
、直接的な物証は皆無。膨大な自白はすべての事柄にわたって二転三転してきた。そして
1審から6年後の1974年12月10日、広島高裁は自白の信用性を否定、M男に対し
「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用して無罪を言い渡した。

 まだ封建制の残滓が残っていた昭和30年代、昔の農村社会ではよくあったことだが、
この島でも近親者同士の内婚が多く、道路に沿って長々と続く何の変哲もない家並みの中
に、濃密な血を分けた複雑な家族関係が営まれていた。M男が親族を次々に殺害した動機
は、財産の保全にあったと言われた。
 1947年に大改正が行われるまで、相続法は家督相続だった。いわゆる「長子相続制
」で、財産の継承権の第一優先は子であるが、男子優先・嫡出子優先・年長優先の三原則
によって選択された。つまり、長男がすべてを相続するきまりになっていたのである。
 法律が変わり、新法になった後も農家などは田畑が分散するのをおそれ、事実上の家督
相続を行っていた。狭い田畑を子供たちに細分することは、財産を減らすことであり、ま
かり間違えば共倒れになりかねないからだった。次男としての地位を呪ったM男は兄を亡
き者にして財産を独占し、口減らしのために娘たちを毒殺したのだとされた。一見もっと
もらしい話である。しかしM男が無罪とされたからには、事件の真犯人と真の動機を別の
所に捜し求めねばなるまい。
 この事件でタ−ゲットにされたのは、「長子相続制」であった。法律が改正されたとは
いえ、地方の農村では財産保全のためにまだ長子相続が行われていた。秘密結社はこれが
気に食わなかったのである。これでは国民の財産をかっぱらうことができないではないか
。財産が細分化されてこそ、税金等の名目で国民の財産を奪うことができるのである。「
長子相続制」を破壊するためには法律改正だけでなく、「長子相続制」に対するマイナス
・イメ−ジを国民の心に植え付けねばならない。そのためにこの毒殺事件が企画実行され
たのである。

 日本社会を分断させるパタ−ン

 秘密結社はらい病患者、在日朝鮮人、被差別部落民問題を掘り起こして日本社会に紛糾
の火種を持ち込み、日本を分断支配しようとする。眠った子をわざわざたたき起こすこと
をするのだ。以下は、このために引き起こされた犯罪例である。

 少年臀肉切り取り事件
 1902年3月27日、東京・麹町区下二番町で、同町に住む小学生・河井惣助(11
)が圧殺され、臀部左右の肉を削ぎ取られる事件がおこった。麹町署では、臀部・踵の肉
は興奮剤や薬用として効果があるという迷信から削ぎ取ったのではないかとみて、直ちに
非常線を張って犯人の逮捕にあたったが、捕まえることができなかった。
 約3年後の1905年5月25日、薬店店主殺し容疑で逮捕された野口男三郎(36)
が、臀肉事件の犯人として浮上。野口は大阪生まれ、東京外国語学校へ通っているうち、
麹町区下六番町に住む漢詩人・野口寧斎の家に出入りするようになり、寧斎の妹の婿養子
となった。寧斎はレプラ(らい病)患者だった。
 警察の取り調べに対して男三郎は、レプラには人肉を食べさせるとなおるという迷信を
信じて、惣助を殺し、人肉ス−プにして寧斎と妻に飲ませたと自供した。ところがその後
、その寧斎も不審な死に方をしたので警察は、男三郎が外国語学校を落第して退学させら
れていたことを知った寧斎が男三郎と妹を離縁させようとしたため、それを恨んで5月1
2日、病弱だった寧斎を病気で死亡したように装い毒殺したものとみて厳しく追及、男三
郎も犯行を認めた。
 1906年3月19日、東京地裁で行われた公判で男三郎は、無実を主張、臀肉事件と
寧斎殺しについては犯行を否認。5月16日、臀肉事件と寧斎殺しは証拠不十分、薬店店
主殺しで死刑判決。1908年7月2日、死刑執行。

 これはかなり有名な猟奇殺人事件である。らい病の薬には人肉、特に生肝が良い、とい
う迷信が存在していたことを、この事件で筆者は初めて知った。実にショッキングな事件
である。らい病患者に対する偏見を煽りそうな事件だ。
 1907年の「癩予防に関する件」制定以来、基本的には患者の隔離政策がとられ、強
制入所や外出制限、断種・中絶手術の強制などによりらい病患者の人権は全く無視されて
きた。患者、家族、親族などへの結婚や就職の差別、偏見をもたらし自殺や一家心中に至
った例もあった。
 少年臀肉切り取り事件がらい病患者に対する偏見を煽り、患者の隔離政策を援護する役
割を果たしたことは否めない。らい病患者がらみの事件を後2つ取り上げる。

 長野県上伊那軍朝日村で1905年7月3日、女性1人と子供2人が絞殺され、生肝を
取られるという事件が起こった。犯人は同村の水車および穀類販売業・馬場勝太郎。勝太
郎は氏名不詳の大阪生まれの男に、らい病の薬にするので女の生肝を手に入れれば150
円の報酬を払うともちかけられ、同日の夜、2人して犯行に及んだ。
 1906年8月20日、勝太郎は再び大阪の男と2人して女性を絞殺、山中に死体を運
んで首を切断して生肝を取り出し、死体は埋めた。同年9月2日には、勝太郎は一人で道
で会った女性を絞殺しようとしたが、未遂、逮捕される。1907年6月4日、死刑確定

 1938年5月5日午後、知県知郡天白村の農業・牧近松の次男・延一(9)が、
自転車に乗った若い男に誘拐された。4日目の5月8日早朝、名古屋市昭和区萩山公園の
山林内で、遊びにきた2人の小学生が、延一少年の死体を発見して警察へ通報。ズボン吊
りで絞殺された延一少年は、みぞおちの部分にえぐられた傷があり、すでにウジがわいて
いた。遺体は名古屋大学医学部で解剖に付され、殺害は誘拐当日と推定された。またみぞ
おちの傷は、犯人が生肝(胆嚢)を入手せんとしたため生じたことが判明。
 延一少年と一緒だった少年の証言から、犯人の顔には目立つ腫物があったこと、人間の
生肝を秘薬とみなす迷信とによって、殺害者はハンセン氏病(らい病)患者であることが
想定された。5月24日、犯人は名古屋市東区山田西町の朝鮮出身の木村金太郎こと雀東
雲(24)であることが突き止められた。5月27日、警察が逮捕のため雀の下宿先へ向
かうと、雀はすでに逃走していた。6月1日早朝、岐阜県羽島郡内の東海道線の線路上で
、轢死体となった雀が発見された。飛び込み自殺であった。

 インドあたりを旅行すると、らい病患者が道路で物乞いしている姿によく出くわす。に
ゅっと差し出された手を見ると、指が全部抜け落ちていて手の先が丸くなっている。まる
で木の切り株のようである。神経質な人は伝染するのではないか、と恐れおののくかも知
れない。しかしらい病の伝染力は強くはないし、現代では治療薬も開発されている。らい
病はもはや不治の病ではなくなったのである。
 日本の街中でらい病患者を見かけないのは、日本ではらい病に限らず病人は病院へ隔離
されてしまうからだ。病人や老人や死人などを人の目に触れない所に押しやるのが、日本
人の体質なのだろう。まるで臭いものに蓋をするかのように。インドでは全てがあからさ
まである。死者と生者が路上で共存し、健常者と障害者、病人が渾然一体となって町を行
き交う。だからインドは素晴らしい、とは筆者は言わない。誰でも死にたくはないし、病
気であるよりも健康でいたいからだ。だがインドの偉大な聖者が洞察したように、病も死
も老いも、我々の現実なのである。目をそらすことは許されない。醜い現実に覆いを被せ
て、うわべだけ綺麗に塗りたくったのが日本の社会なのだ。しかし殺菌消毒されたような
東京の街も、雨が降れば下水から汚物が溢れだす。異物や汚物を排除して清潔幻想の上に
成り立っている日本社会は、それ自体病的な存在なのである。

 次に在日朝鮮人関係事件について述べる。戦後起こった在日朝鮮人関係事件で筆者が思
いつくのは2つである。小松川高校女生徒殺人事件と金嬉老事件である。

 小松川高校女生徒殺人事件は、1958年8月21日朝、東京・江戸川区平井の都立小
松川高校屋上で、17日から行方不明だった同校定時制2年の女生徒(16)の死体が発
見された事件。遺体はスチ−ム管の覆いの中に隠されていた。被害者宅や捜査一課長あて
に遺品の櫛や手鏡が郵送されてきたり、捜査本部や新聞社に、反響を楽しむような電話が
かかったりと、犯人の異常性を感じさせた事件であった。
 9月1日、小松川高校定時制に通う在日朝鮮人工員の李珍宇(18)が逮捕された。李
珍宇は8月17日に顔見知りの被害者を校舎屋上に呼び出し、ナイフで脅迫、暴行の上、
扼殺し、死体を隠したことを認めた。

 李珍宇は秀才であった。IQ135、学業成績トップ、読書家でドストエフスキ−など
を耽読。しかし彼は極貧の家庭に育った。図書館から本を盗んで保護観察の処分を受けた
。中学を卒業しても進学できず、日立製作所などの入社試験を受けたが不合格、やむなく
零細な町工場を転々としながら、向学意欲を満たすため、定時制に通っていた。
 こんな前途有望な青年が、強姦殺人のようなくだらない犯罪を犯して死刑にされてしま
った。実に残念である。彼は何故強姦殺人を犯すに至ったのか。それは彼が在日朝鮮人と
して生まれたことと無関係ではありえない。差別と貧困、この2つが彼の心の中にやり場
のない憤りを生んだ。それが凶悪な犯罪となって現れたのが、小松川高校女生徒殺人事件
であったのだ。
 これが世間の見方である。獄中の李珍宇はカトリックに帰依し、聖書、宗教書を熟読し
た。『李珍宇全書簡集』には「彼女達は私に殺されたのだ、という思いが、どうしてこの
ようにヴェ−ルを通してしか感じられないのだろうか」という一節がある。体験が「夢」
のように感じられて、現実的な感情を持てない、というのだ。それもそのはずである。李
珍宇は犯人ではなかったのだ。小松川高校女生徒殺人事件は日本社会に根強く存在してい
る在日朝鮮人差別問題を浮き彫りにした。そしてその在日朝鮮人差別の実態を声高に叫ん
だのが、金嬉老であった。

 金嬉老は、1928年に静岡市で生まれている。本名は権嬉老で、近藤安宏、金岡、清
水などの日本名を使っていた。父親は丹那トンネル工事などでも働いた建設労働者だった
が、作業中に事故死した。そのため一家の生活は苦しく、金は小学5年で丁稚奉公に出た
。1943年、窃盗で朝鮮人だけが収容される少年院に入れられていたが、敗戦で出所し
た。その後の約20年間も、詐欺、窃盗、強盗などの犯罪を繰り返し、刑務所暮らしが長
く、娑婆にいたのは数年だった。獄中では努力して自動車整備士の免許を取ったが、出所
しても、国籍、前科などが災いして、まともな勤めにはありつけず、ブロ−カ−仕事など
で暮らしていた。
 1968年2月20日、金は、清水市内のキャバレ−・みんすくで、暴力団稲川一家幹
部とその部下の2人を、自分のライフル銃で撃った。手形のトラブルが原因の争いだった
が、金を逆上させたのは、「アサコウがちょうたれたことをこくな」という罵声だった。
金は、その場を脱出すると、実弾1200発、ダイナマイト13本を用意し、車で大井川
上流の渓谷にある寸又峡温泉に向かった。金は、ふじみや旅館に乗り込むと、経営者の家
族と宿泊者16人を人質にして、籠城を開始した。
 報道陣は何度も共同記者会見を行い、テレビ局は現場中継を続け、ワイドショ−は電話
のやりとりを生放送して視聴率を稼いだ。金の弁舌は自他ともに認めるほど流暢だった。
金は日本民族の戦前からの朝鮮人差別、その先兵としての警察のやりかたを滔々と非難し
た。
 結局、籠城5日目で金嬉老は逮捕された。無期懲役が確定したが、先頃恩赦で韓国に帰
ったことは記憶に新しい。

 金嬉老はマスコミを通じて朝鮮人差別の実態を直接日本人に訴えかけた。金は時のヒ−
ロ−だった。金を支持する文化人グル−プも結成された。小松川高校女生徒殺人事件も金
嬉老事件も、在日朝鮮人の置かれた苦しい立場を同胞に強くアピ−ルする役割を果たした
。この2つの事件が在日朝鮮人社会に与えた影響は、もっと視野を広げて当時の世相を振
り返って見なければ分からない。事件当時、在日朝鮮人社会には一体何が起きていたのだ
ろうか。実は、在日朝鮮人社会を揺るがす大激動が発生していたのである。
 1959年12月14日、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還が始まった。日・朝両国の赤十
字社の協定(1959年8月13日調印)によるものだった。一般に「帰国事業」と呼ば
れるものである。以来、3年間の中断期(1968〜70年)をはさんで、1984年ま
でに累計で約9万3000人余りが北朝鮮に永住帰国した。その中には、日本人配偶者と
その子供も含まれる。
 この「帰国事業」は、今から考えてみると、奇妙なものだった。在日朝鮮人は、その9
8%が「南半部」、つまり今の韓国出身である。だから北朝鮮は故郷ではないのだ。守る
べき祖先の墓もなければ、親戚縁者もほとんどいない。そのせいか韓国政府は「帰国事業
」と言わず、「北送事業」と呼んでいる。いずれにしろ、歴史上稀に見る「大量移住」で
あった。
 帰国の動機は単純、貧困と差別だった。なかでも、在日朝鮮人をひどく苦しめたのが雇
用差別だった。そんな日本社会への反発は、在日朝鮮人の関心を祖国に向けさせた。そし
て彼らが帰還先として選んだのは、独裁政権の「南」ではなく、「地上の楽園」の「北」
であったのだ。

 1959年12月14日、新潟港に接岸した帰国船から、音楽が流れていた。こんな歌
詞の「帰国同胞歓迎曲」だった。

 早く来なさい同胞たち 兄弟姉妹よ
 虐待と飢えも過ぎたことだ
 海の上の太陽の光も われらの心のように
 帰国船の航路に 花をふりまく
 社会主義の楽園は ひろい懐で
 あなたたちを 温かく迎える(李英和『朝鮮総連と収容所共和国』小学館より)

 しかし彼らが辿り着いたのは「地上の楽園」ならぬ「生き地獄」だった。帰国事業は北
朝鮮政府が立案し、朝鮮総連が音頭を取った。日本側も1958年11月、超党派で「在
日朝鮮人帰国協力会」を結成して側面支援した。役員は、自民党元首相・鳩山一郎(フリ
ーメーソン)、社会党書記長・浅沼稲次郎、共産党書記長・宮本顕治である。時の総理大
臣・岸信介も「日韓会談」を中断しながら主要な役割を果たした。何故日本政府は帰国事
業を歓迎したのか。政府は在日朝鮮人を「厄介者払い」したかったのだろうか。それだけ
ではあるまい。帰国事業を支援することで、日本政府は秘密結社の政策に奉仕したのであ
る。何故なら、北朝鮮こそイルミナティが作り上げた国だからだ。北朝鮮の政権党である
朝鮮労働党の前身である、朝鮮共産党北部朝鮮分局は1945年10月10日に結成され
た。10月10日は秘密結社の大祝日なのである。
 小松川高校女生徒殺人事件も金嬉老事件も共に、在日朝鮮人差別の実態をいやと言うほ
ど在日同胞に見せつけた。そうすることで、同胞の帰国事業の後押しをする役割を果たし
たと考えられるのである。日本国内で差別と貧困に同胞が呻吟している時、帰国船から見
送りの人に向かって手を打ち振る帰国者たちの瞳は希望に輝いていた。差別のない地上天
国で自分の能力と才能を祖国建設に役立てたい。帰国者は国心に燃えた。しかし帰国後
、彼らの希望が無残にも費え去るのにそう時間はかからなかったのである。

 最後に、被差別部落問題について簡単に触れておきたい。部落出身だということで強姦
殺人犯の汚名を着せられてしまったのが、狭山事件の石川一雄元被告である。1977年
8月、最高裁で上告を棄却され無期懲役が確定している。部落解放同盟は、現在も判決の
取消と再審の開始を求めて闘争を続けている。作家や文化人も、多数の著書やコメントで
冤罪の可能性を指摘している。
 被差別部落問題は奥が深い。グリコ・森永事件でも同和関係説が取り沙汰された。部落
差別こそ日本社会が抱える暗部である。その暗闇の中で何事が行われているのか、部外者
には知りえない。時代は変われどタブ−はやっぱりタブ−なのである。

 日本軍を悪者に仕立て上げるパタ−ン

 ここでは全くタイプの違う2つの事件を取り上げる。強姦殺人の小平義雄事件と、大量
毒殺の帝銀事件である。共に終戦直後に起きた事件である。

 「強姦魔」小平義雄は、1年余の間に、判明しているだけでも10人の若い女性を強姦
、殺害していた。その手口は、食料探しに血眼の女たちに、駅や路上で、いい買い出し先
がある、案内してやる、と声をかけ、出身地で、土地勘のある栃木県や埼玉県の山林に誘
い込むというものだった。希代の淫魔と呼ばれた小平は、1905年、栃木県日光市で生
まれた。小学校を出て店員や工員などをしたあと、19歳の時、海軍に志願し、横須賀海
兵団に入った。初体験は横須賀の売春婦が相手だった。以後、寄港地の街々で娼婦を買い
続けた。1929年の山東出兵、済南事件に海軍陸戦隊員として参加した小平は、戦地で
日常的に強盗、強姦を繰り返した。勲章を貰って除隊後も、精力を持て余した小平は、終
戦直前から終戦後にかけて強姦殺人を繰り返していたのだ。

 強盗に強姦は日常茶飯事、天皇の軍隊がそんなに風紀が乱れていたのか、戦後生まれの
筆者には知る由もない。しかし一般的に言っても、兵隊はどこの国でも野獣であることに
変わりはない。「強盗、強姦は日本軍の十八番、女たちは、安い米があると言えばすぐに
ついてきた」「首を絞めて失神させ、陰部を見ながら、まさに関係しようとする瞬間がな
んとも言えない」(小平)。小平が世間に与えた印象は、戦地で強姦の味を覚えた日本軍
人の亡霊が、戦後も獲物を求めて国内を徘徊していた、といったものだろう。小平義雄の
せいで、皇軍のイメ−ジも地に落ちたのだ。

 帝銀事件とは、1948年1月26日に東京都豊島区の帝銀椎名町支店で起きた、大量
毒殺事件である。男に騙されて毒薬(青酸化合物)を飲んだ16人の行員や家族のうち、
12人が死亡した。男は混乱に乗じて、現金16万4000円と額面1万7000円の小
切手を奪って逃走した。8月21日、スケ−プ・ゴ−ト、平沢貞通(56)が逮捕される

 松本清張は『日本の黒い霧』(1960年、文芸春秋新社)の中で、帝銀事件の犯人は
旧軍関係者ではなかったかと推理している。例えばかつての第731部隊(関東軍防疫給
水部、石井部隊)か、第100部隊(関東軍軍馬防疫厰)の中堅メンバ−のなかに犯人が
いるのではないかと言う。ところが軍関係者に向けられていた捜査は、GHQの壁にぶつ
かって頓挫してしまったのだ。アメリカが旧日本軍人を留用して細菌研究をしているとい
うことがばれたら大問題になるからだ。
 以上が大推理作家の松本清張氏の事件推理だが、筆者の推理はこれとは全く異なる。読
者の皆さんにはもうお分かりだろう。帝銀事件の果たした役割は、旧日本軍のイメ−ジを
汚すことにあったのである。中国人捕虜を使った人体実験、闇に葬り去られた毒物研究細
菌研究、こういった旧日本軍に対するマイナス・イメ−ジを大衆の心に焼き付けるのが、
帝銀事件の役割であった。「南京大虐殺」のでっち上げが果たした役割と同一の種類のも
のである。第731部隊による人体実験も、本当にあった出来事なのかどうか疑わしい。
だが秘密結社にとって重要なのは、大衆の頭の中に「南京大虐殺」や「人体実験」が記憶
として存在することなのである。現実にあったかなかったか、事実関係などどうでもよい
。そして松本清張の『日本の黒い霧』は旧日本軍の犯罪をでっち上げることで、秘密結社
の世論誘導、心理操作に一役買ったのである。


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悪魔組織の犯罪05
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/559.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 12 日 00:02:49:

 今まで見てきたのは警察による、「秘密の暴露」の偽装であった。今度は「秘密の暴露
」の偽装よりもっと悪質な、証拠の捏造・隠滅について述べねばならない。

 松山事件を例に取ろう。1955年10月18日午前3時半頃、宮城県志田郡松山町で
貧しい日雇い農家が1件全焼。焼跡からいずれも頭部に傷を負った夫婦・子供4人の遺体
が発見され、片田舎の住民たちを驚かせた。
 宮城県警と古川警察署の捜査本部は怨恨・痴情・無理心中・強盗の線から捜査を進める
が難航、11月には捜査本部を解散する。ところが同年12月2日、斉藤幸夫さん(24
)を別件逮捕。県警捜査1課の警部・佐藤好一の「ごりおし捜査」だった。
 12月6日から自白調書を取られるが、斉藤さんは同20日以降は一貫して否認。しか
し同30日、強盗殺人・放火で起訴。1960年11月1日、最高裁上告棄却・死刑確定

 1983年1月21日、再審開始確定。翌1984年7月11日、無罪判決確定。獄窓
29年間、死刑確定囚として24年間、即時釈放された斉藤さんは母と雨に濡れながら抱
き合った。わずか1年の間に免田栄、谷口繁義に次いで3人目が絞首台から解放されるこ
とにより、我が国の司法の低劣さがあらわにされた。

 さて問題となるのは、唯一の物証とされた掛布団の襟当に付着した血痕である。自白に
よると、犯行後帰宅した斉藤さんは、布団に入って寝た。検察側は、その時に斉藤さんの
頭髪に付いていた被害者の返り血が掛布団の襟当に付着したと主張し、三木東北大学医学
部助教授の鑑定書を提出した。「自白を決定的に裏付けた」(控訴審判決)はずの三木と
その恩師・古畑種基(血液型研究の最高権威、当時東京大学を定年退官し東京医科歯科大
学に移る)の各鑑定に対し、長崎大教授・須山弘文と木村康は1978年8月、9月と、
学問的に「妥当でない」と再鑑定している。
 疑問なのは鑑定結果だけではない。血痕が付着していた掛布団は斉藤さんのものではな
かったかも知れないのだ。斉藤さんの弟・彰さんは、差押さえられた掛布団は自分のもの
で、兄の布団は別にあった、と証言している。
 さらに驚くべきことに、掛布団襟当に本当に多数の血痕が付着していたのかについても
疑わしいのだ。差押えの際に捜査当局が撮影した掛布団襟当の写真には、わずか一か所し
か血痕のようなものが写っていなかったからである。これは襟当の多数の血痕群は警察に
よって捏造されたことを示している。このことは、1975年秋に仙台地検が開示した公
判不提出捜査記録のなかから「襟当てには人血付着せず」の県警鑑識課の鑑定書を発見し
て動かぬものとなった。こういうのを証拠の捏造と呼ぶのである。

 物証捏造の疑惑は他の事件にもある。弘前事件がその一例である。
 1949年8月6日夜、弘前大学医学部教授夫人が就寝中にのどを刺され殺害された。
同年8月22日、弘前市警察署は近隣の那須隆さん(25)を殺人容疑で逮捕。新刑事訴
訟法を悪用し、勾留延長・鑑定留置・別件逮捕・本件再逮捕を繰り返した。
 同年10月24日、否認のまま起訴。1951年1月12日、青森地裁弘前支部の豊川
博雅は「証拠不十分」をもって無罪判決。1952年5月31日、仙台高裁は那須さんが
着ていたとされる白シャツの血痕は「98.5%の確率で被害者のもの」という古畑種基
の鑑定を全面的に採用、逆転懲役15年の判決を下した。

 問題となるシャツの血痕は、押収直後の検査や鑑定の際には「帯灰暗色」であったのに
、三木・古畑両鑑定の際には「赤褐色」に変わっていた。これが同一の血痕ならば、時間
の経過とともに赤褐色→褐色→灰色と変化していくはずで、その逆ということはあり得な
い。
 だとすれば、三木・古畑両鑑定のときに付着していた「赤褐色」の血痕は、押収時に付
着していた「帯灰暗色」のそれと同一のものではないことになり、押収後に捜査当局によ
って捏造された疑いが生ずる。第1審で弁護人はこの点を指摘し、那須さんは無罪となっ
た。しかし第2審は、古畑鑑定を採用して有罪とした。

 弘前事件からも分かるように、警察は犯人をでっち上げるためには証拠の捏造など平気
で行うのだ。逆に言えば、犯人の有罪立証に不利だと思えば証拠の抹殺も平然と行うとい
うことになる。免田事件のアリバイつぶしはその好例である。証言つぶしは他の事件でも
行われている。そんな例を、オウム真理教関連事件と幼女連続誘拐殺人事件から拾いあげ
てみよう。

 まずは地下鉄日比谷線で不審物を目撃したY・Mさんの証言つぶし。

 私はその水たまりをじっと見ていました。「これはなんなんだろうな」と思いながら。
水たまりの上に、ペットボトルの頭のようなものが見えました。あとで刑事さんにそう言
うと、そんなものはなかったはずだと言われました。でも筒状のものがちゃんと見えたん
です。あるいはサリンを密閉していたビニ−ルがあとに残っていたのかもしれないですが
。とにかくそれが、液体の上にこういう風に盛り上がっていました。ガラス瓶が割れたの
かなとも思いました。(村上春樹『アンダ−グラウンド』講談社)

 警察は存在していた不審物はなかったと言い張る。次ぎに「宮沢湖霊園」で幼女の変死
体を発見した墓参客の証言つぶしについて見てみよう。

 発見時の遺体の様子には、さらに付け加えておくことがある。発見者の墓参客は、「そ
の時は警察から止められてたんで、どなたにもお話ししなかったけど」と前置きした上で
、こう語ってくれた。
 「死体にセロテ−プを巻いたような、きれいな膜をはっているんです・・死体自体に膜
をはっているような状態で、マネキン人形、ああいう形に見えた・・警察も、珍しい現象
だなあ と言っていました」(『M君裁判を考える会』会報・第2号)

 死体に膜、実に不気味である。これが何かの魔術の儀式と関係があると直観した人は、
実に鋭い。

 さて次ぎは、物証の隠滅について触れよう。まずは、サリンを製造したとされるオウム
真理教の施設について。

 和多田 もうひとつ疑問を言えば、上九一色村にあったオウムの施設ですが、あんなに
早々とぜんぶなくしてしまっていいんだろうかということです。あれはできるだ
け長く保存しておかないと、いろいろ不都合があるんじゃないだろうかと思うん
です。裁判をやっていくなかで重要な証拠、重要な現場があの上九一色村の施設
じゃないかと思うんですが・・。弁護団に不都合はないですか。

 渡辺 まったくその通りでして、支障は当然ありますよ。謀議の現場という点では、あ
そこは犯行現場になるわけですからね。証拠物として考えていけば、あれは残って
いないとまずいんです。できるだけ早く換金処分をして被害を受けた人たちに戻す
とか、上九一色村の人たちの住民感情から言えば、見たくもないものは一刻も早く
つぶせというような気持ちもあったとは思うけれども、刑事裁判の立場から言えば
、証拠物として現場が保存される必要があったということは痛切に感じますよ。だ
から、あれがつぶされる前に裁判所も現場を見ておくべきだったと思いますけどね
。第6サティアンとか、いろいろ言葉に出てきたり、図面を書かせたりなどしてい
るけれども、いまの裁判所は現場を見ていないんです。その重要な証拠が永久に失
われちゃったという アとですよ。

 和多田 こんなに早く処理していいのかな−と素人考えでも思いましたからね。言い方
は悪いかもしれませんが、何か早々と証拠隠滅にかかったようにさえ思いました
よ。こんなに早くこういうものがなくなって本当に裁判が維持できるものなのか
な−ということも思いました。(『麻原裁判の法廷から』晩聲社より)

 最後に、究極の物証隠滅である鑑定人殺害について触れたい。
 「宮沢湖霊園」で発見された綾子ちゃんの遺体は、発見日の翌日の6月12日、防衛医
科大学校教授・井出十三氏の執刀により司法解剖に付された。しかし、この井出氏が急死
してしまったのだ。したがって遺体の正式な鑑定書も法廷に提出されていない。死亡当時
、井出氏は学生を札幌駐屯地へ引率するため出張中であった。7月16日朝、朝食の時間
になっても出てこない井出氏を、学生が迎えに行くと苦しそうにしている。そのまま近く
の病院に運ばれたが、一向に快方に向かわない。そのため今度は、自衛隊札幌病院に運ば
れた。しかしそこでの処置も空しく、同日午後10時43分、息を引き取った。自衛隊札
幌病院の診断は「心筋梗塞」であった。
 井出氏は、1988年12月15日に名栗少年自然の家で発見された絵里香ちゃんの遺
体の鑑定書も作成しないまま死亡してしまった。

 鑑定人の急死、これまた実に不気味である。名前が悪かったのか(十三=13)、ある
いはこれも黒ミサの儀式の一環なのか。この一件は警察による証拠隠滅ではないが、ここ
にあえて取り上げたのは謀略のネットワ−クがいかに広大であるかを示したかったからで
ある。

 さて、終わりに当たって少し整理しておきたい。本論の主題は、何故無実の人間が罪を
認めてしまうのか、であった。それを演繹すれば、何故全く身に覚えのない罪を自白し、
理不尽な判決を受け入れて刑に服するのか、ということになる。
 その答えは、被疑者たちは自分の無実を証明できなかったからである、というものであ
った。つまり我々誰もが殺人犯にされてしまう可能性があるということだ。まさに不条理
な結論である。そして筆者と同じく、この不条理な結論を導き出した作家がいる。彼の作
品からその一部を引用しよう。

 なぜかれは(李珍宇−小松川高校女生徒殺しの犯人−筆者注)無実を証明しなかったの
か。これは何回問うてみても愚問だと想える。自明の理が、その答えである。証明できな
かったからしなかったのだ。この答えを笑う者は、権力犯罪の怖ろしさを知らぬ者だ。怖
ろしい闇を想像しえない者はこの自明の理を鼻で笑うに違いない。視点を変えて、形式論
理の命題をもてあそんでみてもよい。ある無実の人間にとってある事件について無実であ
ることを証明する方法はあるか?大方の人間にとってこんな命題はばからしいものだろう
。だれもが、自分がその事件と無関係でありさえすれば、無実は証明されるも同然、と想
うに違いない。しかし「無関係」は主観的な事実としてではなく、客観的に証明されねば
ならないとしたら、事柄は俄然として奇妙な具合になってくる。果して、アリバイがない
としたら、どんな詭弁によってでも、無関係な人間は事件の当事者に加えられてしまうの
だ。その段階になると、無実の証明は、迷路の様相を呈してくるし、すでに手遅れになっ
ているのかもしれない。そうした回路の怖ろしさを知らない者が、李珍宇の謎をいいたて
てみても、それは全く空論にしかならないのだ。(野崎六助『李珍宇ノオト』三一書房)


 これ以上付け加えることは、全くない。我々が現在直面しているのは、不条理な精神に
よる不条理な犯罪ではなく、不条理なシステムによる不条理な裁きであったのだ。こんな
不条理な時代の到来を予告した文学作品がある。カフカの『審判』である。
 平凡な銀行員ヨ−ゼフ・Kは何も悪いことをしないのに、ある朝突然逮捕される。その
理由をつきとめようと懸命に努力するが、不明のまま犬のように殺されてしまう。この作
品はナチス登場に象徴される時代の精神状況を予見したといわれるが、現代日本にもそっ
くりそのまま当てはまることは、もはや説明する必要はないだろう。
 古都プラハに少数民族のドイツ語系ユダヤ人として生まれたカフカは、孤立した環境の
中で、不安につきまとわれながら成長する。生前、彼は「私の境遇は、私にとって耐えが
たいものです」と書いている。
 1924年6月3日、不条理の作家・カフカはオ−ストリアのウィ−ン郊外にある結核
療養所で、40歳の短い生涯を閉じた。カフカの没した1924年にはベルリンにライン
ダンス旋風が吹きまくり、その年の12月20日には「ミュンヘン一揆」の首謀者として
入獄していたヒトラ−がランツベルク刑務所から釈放されている。世界は不条理な戦争へ
と着実にその一歩を踏み出して行くことになるのだ。

真犯人について

 無実の人たちが自白に至る過程と、そのことを可能にしている「システム」(警察での
取り調べ)について見てきた。筆者の直観によると殺人事件の98%は冤罪である。とい
うことは、現在刑務所に収監されている殺人犯の98%は無実ということになる。逆に言
えば、殺人事件の真犯人の98%以上は捕まっていない、野放しである、大手を振って世
間を歩いている、ということだ。ではお前は真犯人は一体誰だと言うのか、とお尋ねにな
るに違いない。
 これは筆者にとっても非常に答えにくい質問である。下手なことを言うと濡れ衣である
と逆襲される恐れがあるし、新たな冤罪を生み出してしまう危険性もある。例え真犯人を
突き止めてみても、人の恨みこそ買えまず感謝されることはないだろう。いいことなんか
一つもない。しかし誰かが言わねばならぬ以上、また他人に期待できないからには、筆者
が憎まれ役を買うしかないだろう。

 今筆者の手元に、一冊の奇書と一つの怪文書がある。有賀裕二著『悪魔が日本を嘲笑っ
ている』(第一企画出版)と岩永天佑著「告発の書」である。この二つを頼りに、オウム
真理教関連事件、幼女連続誘拐殺人事件等を含めた日本の凶悪事件の犯人像に迫りたいと
思う。
 有賀氏は地下鉄サリン事件と松本サリン事件と坂本弁護士一家殺害事件の実行犯は、自
衛隊最深部に潜む謀略機関である、と前述の著書に書いている。その根拠として有賀氏は
、松本サリン事件が起きた長野県松本市に自衛隊の駐屯地があることをあげている。同氏
の著書から少し詳しく引用してみよう。

 化学兵器の専門家集団の化学科部隊は群馬県榛東村にあり、陸上自衛隊第12師団に属
している。その第12師団は長野県松本市に駐屯地を持ち、その松本市で松本サリン事件
が発生し、その近くの大町市に龍彦ちゃんの遺体が埋められていた。

 その後、陸上自衛隊の詳細な組織図が手に入ったので、ここに掲載する。注目して欲し
いのは長野県松本市にある第12師団第13普通科連隊と、新潟県上越市にある第12師
団第2普通科連隊である。松本市の近郊、大町市に坂本龍彦ちゃんの遺体が埋められ、上
越市の目と鼻の先、名立町に坂本弁護士の遺体が埋められていた。はたして偶然だろうか
。(『悪魔が日本を嘲笑っている』より)

 こうして有賀氏は前著に陸上自衛隊の組織図を掲げている(図3)。さらに同氏による
と、假谷清志さんは拉致されてから八王子の創価学会へ、坂本弁護士一家は「キャンプ座
間」(在日米陸軍基地)へと連れ込まれたそうだ。「キャンプ座間」で処理された坂本弁
護士一家の遺体は陸上自衛隊東部方面隊第12師団第2普通科連隊がある新潟県上越市や
、第13普通科連隊がある長野県松本市に運ばれ、そこからさらに近郊の山中に運ばれて
埋められたのであろうというのだ。
 また同氏によると、新宿駅青酸ガス事件の犯人は陸上自衛隊古河駐屯地に潜んでいて、
オウム真理教が使ったVXガスの残りは陸上自衛隊小平駐屯地の近くに隠されていたとい
う。
 有賀氏によると、幼女連続誘拐殺人事件の犯人ももちろん自衛隊である。再び前著から
引用する。

 ここで真犯人捜しのヒントになるのは、事件の起こった場所である。今野真理ちゃんは
入間市で、吉沢正美ちゃんは飯能市で、難波絵里香ちゃんは川越市で、それぞれ誘拐され
ている。飯能市、入間市、川越市は国道299号、国道16号で結ばれているが、その中
間に当たる狭山市には、航空自衛隊入間基地が存在している。そして「今田勇子」名の「
犯行声明」は東京都青梅市内で投函され、「告白文」は東京都武蔵村山市、西多摩郡瑞穂
町の多摩地区で投函された。青梅市の南東、東京都福生市から西多摩郡瑞穂町にかけて、
700ヘクタ−ル(東京ド−ムの約150倍)もの敷地を占めて、米軍のアジア太平洋戦
略を支える中枢基地である米空軍「横田基地」が存在している。だが、東京都江東区で起
きた野本綾子ちゃん誘拐の件はどうなのか。この一件だけ埼玉県ではなく、東京都で起き
ている。

 有賀氏によると、江東区越中島には昔、防衛庁の庁舎が置かれていたという。そして、
綾子ちゃんが行方不明になった江東区東雲からは高速湾岸線が千葉県船橋市へと伸びてい
て、船橋市には陸上自衛隊習志野駐屯地が存在しているという。
 こうして有賀氏の頭の中で、オウム真理教関連事件と幼女連続誘拐殺人事件と自衛隊が
結びつくのである。その推論過程は、事件の起こった場所の近くに自衛隊の基地がある、
だから両者の間に因果関係があるに違いない、だとすると自衛隊内部に新犯人がいると思
われるというものであった。
 さて読者の皆さんはこの推論をどう思うだろうか。飛躍しすぎだと思うか、一理あると
思うか、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うか。筆者の考えは、一部は正しくて一部は誤っていると
いうものである。では何処が正しくて何処が誤っていると言うのだろうか。
 正しい部分、それは事件と自衛隊の間に何らかの因果関係がある、という点である。間
違っている部分、それは自衛隊内部に犯人がいるという点だ。まず最初の正しい部分の説
明から入ろう。事件現場の近くに自衛隊の駐屯地がある、だから事件と自衛隊は何か関係
があるに違いない、というのは単なるこじつけではないかという反論もあろう。だが筆者
の研究からも、様々な殺人現場の近くに自衛隊の駐屯地が存在している場合が多いという
ことが分かっている。これを単なる偶然だろうと言って見過ごす人は、よい科学者にはな
れない。偶然ではないから偏ったデ−タ−の分布が存在するのだ。偏ったデ−タ−の分布
が存在するということは何らかの因果関係があるということだ。その因果関係を突き止め
るのが、科学者の仕事なのである。
 では間違っている部分、自衛隊内部に犯人がいるという点についてはどうか。これは少
し勇み足ではなかったかと筆者は思っている。有賀氏はもう少し深く自衛隊と犯人の因果
関係を調べてみるべきであった。つまり犯人は自衛官ならずとも、何らかの理由で自衛隊
の駐屯地の近くに住むようになった人たちではないか、ということだ。ここまで書けばも
う筆者がどのような方法で真犯人を割り出そうとしているか、お分かりになった方もいる
に違いない。
 実際に犯罪の歴史を研究してみると、繰り返し同じ地点で犯罪が多発していることが分
かる。そしてそれは自衛隊駐屯地周辺だけに限られない。そしてそれらの犯罪多発地点に
共通しているもの、それは在日X人の存在である。こんなことを書くと、お前も有賀氏も
同じ過ちを犯している、ただそこに多く住んでいるからといって彼らの中に犯人がいると
は限らないじゃないか、直接的な証拠を見せろ!とお叱りを受けそうである。ごもっとも
である。だから筆者の意見もあくまで仮説として聞いてもらえればよい。有賀氏の意見が
正しく、筆者の意見が間違っている場合もあろう。しかし筆者の意見は有賀氏の意見を包
摂する概念なのである。勿体ぶらず話を先に進めよう。
 まず、手掛かりとしてオウム真理教関連事件について見てみよう。有賀氏によると松本
サリン事件の起こった長野県松本市には陸上自衛隊の駐屯地があった。だから松本サリン
事件の犯人は自衛官だ、ということになる。筆者の考えは、長野県松本市には陸上自衛隊
の駐屯地があった。だから松本サリン事件の犯人は陸上自衛隊の駐屯地の近くに住んでい
る人たちである、というものである。
 陸上自衛隊の駐屯地は戦争中は旧軍隊の基地として使われていたケ−スが多い。そして
その基地の建設等に在日X人が従事していたのである。では松本市には他に何か在日X人
と関連するものがあるのか。それが大いにあるのだ。以下は戦前・戦中の、松本市におけ
る在日X人関連企業である。ここで関連企業というのは、必ずしも強制連行の事実を示し
ているわけではない。就労の事実が確認されたということだ。

 日本ステンレス松本工場
 南松本駅
 野口組・松本
 島藤組・松本
 大林組松本出張所
 松本笹部飛行場
 三菱重工名古屋航空機里山辺地下工場(熊谷組)
 日通松本支店

 何かぞろぞろ出てきたなという感じだ。これだけではあまりピンとこないかも知れない
ので、先に進もう。次に掲げるのは、龍彦ちゃんの遺体が埋められていた長野県大町市に
おける在日X人関連企業である。

 昭和電工大町工場
 昭和電工大町工場(相模組)
 島崎組・大町
 坂井興業大町

 これで少しはピンときただろうか。自分で調べてもらえば分かると思うが、在日X人関
連企業というのはどこにもあるというわけではない。では坂本弁護士の遺体が埋められて
いた新潟県上越市についてはどうか。

 桑沢組飯場
 信越化学工業(株)直江津工場
 直江津港湾運送(株)
 上越通運(株)
 帝国特殊製鋼(株)直江津工場

 直江津は上越に隣接している。これらの関連企業以外にも軍関係の連行が考えられる。
上越の自衛隊駐屯地の前身は軍の基地であったと思われるからだ。では都子さんの遺体の
埋められていた富山県魚津市には何があったのか。

 日本カ−バイト魚津工場

 があったのである。ほらほら、そろそろ何か見えてきたに違いない。ではオウム真理教
の使った青酸ソ−ダ−(シアン化ナトリウム)が発見された栃木県栗山村には何があった

 大倉土木黒部出張所(黒部ダム)

 があった。VXの見つかった小平市にはオウム真理教の林泰男被告の実家があった。だ
から林泰男が犯人であると言うのではない。林も在日X人であった。ちなみに林姓には在
日X人が多いと聞く。林の実家が小平市にあることが示しているように、この近辺には在
日X人が多いのである。その証拠に大学校まである。

 さてオウム真理教関連事件についてはこれぐらいにして、幼女連続誘拐殺人事件へと話
を移そう。まず有賀氏の指摘する埼玉県の入間市、飯能市、川越市といった隣接した地域
について調べてみよう。この地域の在日X人関連事業は狭山陸軍飛行場建設である。では
綾子ちゃんが行方不明になった東京都江東区には何があるのか。ここには枝川のX人タウ
ンがある。枝川には東京の数少ない在日X人集住地があることで知られている。この江東
区を舞台に、確かに奇妙な犯罪が頻発している。

 ここまで一気に書いてきて、やはり自分なりに困惑を感じる。それは在日X人の殆どの
方は犯罪などとは無縁であるからだ。在日X人が悪いのではなくて、在日X人の中に悪人
が潜んでいるのである。これは有賀氏が自衛隊の内部に謀略機関が存在していると言って
いるのと同じことである。一般の自衛隊員に非があるのではない。自衛隊の内部に裏切り
者がいるということだ。
 そもそも在日X人の方だって、何も好きこのんで日本にやって来たわけではない。長く
続いた中国式封建体制が崩壊したかと思うと日本の植民地にされ、やむなく仕事を求めて
日本にやって来たのだ。日米戦争が差し迫って来るとこれに強制連行が加わる。力ずくで
、あるいは騙されて日本に連れて来られたX人は、日本国内で少数民族コミュニティ−を
作るようになる。差別と偏見は甚だしく、搾取は過酷だった。戦後も根強く残る差別感情
の中で日本社会に同化して生きねばならず、教育、就職、結婚等において様々な不利益を
被ってきた。
 これまでも十分に酷い仕打ちを受けてきた上に、おまけに猟奇犯罪の犯人にされてしま
っては大迷惑である。在日X人批判はタブ−なのである。そんなことは筆者も重々承知し
ている。だから常識(良識ではない)ある人はこんなことは決して書かない。例えうすう
す感付いていてもである。筆者は常識は少ないが良識はふんだんに持ち合わせがあるので
、こうして真実をどうどうと書けるのである。
 ある意味で、犯人は日本人のこのタブ−感情につけ込んで暗躍していると言える。その
意味で、日本社会の側にも落ち度があったと言わざるを得ない。日本社会が偏見を捨てて
在日X人を受け入れ、地域社会に取り込むならば特殊な在日X人コミュニティ−が形成さ
れることもなかっただろうし、そうなったら犯人も自由自在に在日X人社会を渡り歩くと
いうわけにもいかなくなる。
 ただここで勘違いしてはならないのは、在日X人の側に犯罪の全ての責任があるという
わけではないということだ。そもそも日本の警察が犯人をちゃんと捕まえておけば、殺人
犯が野放しになるというようなこんな不条理なことにはならなかった。マスコミが嘘ばか
り報道せず真実を追求していれば、無実の人間が罪を被ることにもならずに済んだ。責任
の大半は、一部外国勢力に国を売り渡した日本人側にあるのだ。
 そもそも日本が半島からX人を連れてきたのも、日米戦争遂行のための労働力確保のた
めなどではなかった。日本は開戦当初から、いや戦争を始める前から戦争に勝つつもりな
どなかったのだ。あの戦争は最初から日本が負けるように筋書きができていたのである。
誰と誰の間に筋書きができていたのかって?アメリカを実質的に動かしている秘密結社の
マスタ−(親方)たちと、その手下となって日本をコントロ−ルしている秘密結社のクラ
フト(職人)たちとの間で予めシナリオが組まれていたのだ。
 やらせは太平洋戦争だけではない。第2次世界大戦全体がそうだったのだ。ヒトラ−も
秘密結社の指令通りに動いて、見事にドイツを崩壊へと導いた。日本では真珠湾攻撃を提
唱した山本五十六が高位のフリーメーソンであったと言われている。ちょっと話はずれる
が、旧日本海軍が秘密結社の巣窟だった動かぬ証拠がここにある。図4を見て頂きたい。
これは昭和16年の東京・芝の地図である。現在東京タワ−が建っている地区に隣接して
、紅葉館、水交社とあるのが分かるだろう。
 紅葉館とは明治の代表的社交場としての料亭であり、ここの客は、諸外国の貴顕紳士淑
女、我が国においても上流階級に属することが必要な条件という、特殊人士の出入に限ら
れていた。一般的には、明治時代の社交場としては、明治16年に創立された西洋風の鹿
鳴館が有名だ。毎夜紳士淑女西洋人の舞踏が行われ、所謂、鹿鳴館時代と言われたが、こ
の館は僅か7年にして消滅してしまったのだ。
 ところがこれより先、明治14年に設立された純日本風の料亭芝・紅葉館の重要性が、
次第に高くなっていく。政財界人の集まり、また条約改正問題等にての外国人の接待、後
には文壇、軍人の利用されるところとなった。ここの接待がまたすごい。

 美姫 酌人 給士、舞妓として50余人の美姫を抱置き、客来とあらば花の如く衣飾ら
せて坐敷に列べ、其服装もわざと御守殿粧にして、縮緬の小袖に紅葉の裾模様、帯の織出
しは白茶地に色紙短冊を乱して、紅葉の秀歌名句を書きたり、絹足袋の摺足、目八分の通
い、給仕は三指にて厳かなるこというべからす。

 う−ん、現在で言うと赤坂の料亭、あるいは銀座の高級クラブといったところか。とに
かくこの紅葉館が明治、大正、昭和の3代にわたり政界、財界、文壇、軍部等の裏舞台と
して活用されてきたことは間違いがない。次に水交社について見てみる。
 水交社は旧日本海軍の士官クラブである。明治9年創設、当初築地に置かれていたが、
関東大震災後の昭和3年、久松伯爵家の用地だった、東京タワ−真下の現在の土地に移っ
た。そして、ライトによる帝国ホテルを頭に浮かべて設計した、といわれる現在の本館が
建設されたのが昭和9年。戦後は米軍に接収されている。昭和24年暮れ、接収が解除さ
れると、今度は「財団法人東京メソニック協会」に、国から土地、建物とも八千万円で払
い下げられた。この接収をめぐって、10年越しの民事裁判が続けられ、結局「水交社」
側の実質敗訴の形で和解となった。
 でました、「財団法人東京メソニック協会」すなわち「フリーメーソン日本支部」とい
ったところか。そこで今度は図5を見て欲しい。図4とじっくり見比べてみよう。紅葉館
と水交社のあったあたりに、現在「メソニック38森ビル」が建っているのが分かるだろ
う。これが動かぬ証拠というものである。紅葉館と水交社は隠れフリーメーソンの基地だ
ったのである。旧日本海軍や紅葉館という日本の権力中枢の象徴的存在を、戦後になって
秘密結社フリーメーソンが乗っ取ったのではないか、という人もいよう。だがそうではな
いのだ。戦前戦中フリーメーソンは紅葉館や水交社の名に隠れて活動し、戦後堂々と自前
の看板を同じ場所に掲げたのである。何故なら芝のこの地点こそ、自分たちの日本侵略の
原点であったからである。記念碑的な意味合いがあったのだ。

フリーメーソン・山本五十六の目的は何か?

 話を元に戻す。フリーメーソン・山本五十六元帥は秘密結社の手先となって日本滅亡戦
争へと軍部を誘導して行った。山本五十六の偽国葬の列も、水交社から出発している。山
本は本当は生きている、死んだのは替え玉、という説は繰り返し耳にする。だが一体秘密
結社は何のために日本を敗戦へと誘導して行ったというのか、聡明な人はここで疑問を感
じるかも知れない。秘密結社は既に日本を実質的に支配しているのだから、今更日本を敗
戦で打ちのめす必要はない。日清戦争でも、日露戦争でも、第1次世界大戦でも、日本は
秘密結社に忠実に尽くしてきたではないか。確かにその通りである。だがさらなる日本支
配のためには、日米戦争緒戦での日本軍の大勝利、その後の苦戦、そして惨めな敗北とい
う過程はどうしても必要だったのだ。
 戦争に向かって日本は西洋的価値観を否定し、国粋主義に突っ走った。良くも悪しくも
日本人全体が勝利の希望に燃えた。日の丸の旗に目を輝かせ、君が代の響きに体を震わせ
、教育勅語に心奪われていた。それが全てあの愚かしい敗戦でパアになってしまったのだ
。戦後占領軍の進駐とともに、悪い部分も良い部分もひっくるめて国粋主義的価値観は全
て否定されていく。理想を失い、希望を打ち砕かれた日本人はもはや二度と同じ道を辿ろ
うとはしなくなった。大家族制は崩壊し、大地主は解体され、宗教は何かいかがわしいも
のと見なされるようになった。核家族化が進行し、農業は見放され、宗教はビジネスとな
った。
 性道徳は崩壊し、肉体は商品化され、自由恋=フリ−セックスが流行し、女性は男性
のしっこくから解放されて大胆になり、いつしか服を来た単なる雌犬と化してしまった。
兄弟姉妹の数が減り生活が豊かになると、子供たちは大事に育てられあまやかされるよう
になった。親の言うことを聞かなくなり大人の言うことを聞かなくなり先生の言うことを
聞かなくなった。礼儀作法を忘れ言葉づかいは乱暴になり態度がでかくなった。授業中、
口を閉じておくことができず、じっとしていることができず、遂にハムスタ−のように教
室を駆け回る始末。子供らしさがなくなった、つまり可くなくなったのだ。
 学生も元気がない。学生運動の敗北以来、その怒りのやり場がないのだ。サラリ−マン
も悲惨だ。バブルはじけて財布は空っぽ、溜まるのはストレスばかり。そして街を行く人
々の顔から笑顔が消えた。時々見かけるのは不気味な薄ら笑いだけ。街には希望の灯火が
絶え、オフィスビルに灯された無機的な蛍光色がガラスに反映している・・
 これが我々の暮らす時代である。虚無的な時代、希望のない時代、欲望だけが肥大化し
た時代・・。悪しき時代を変えよう、新しい社会を作ろう、という気力も我々にはもう残
されていない。こんな私に誰がした、秘密結社がしたのである。こうなるように戦争まで
起こして日本社会を誘導したのだ。日本人の精神的大改造が日米決戦の真の理由だったの
である。

 日本が負けるための戦争を始めたとなると、秘密結社は何故半島からX人を日本に連れ
てきたのであろうか。その答えは日本を分断支配するためである。日本は単一民族国家(
アイヌ、琉球民族という少数民族はいるが)であり、単一民族は団結しやすく外部支配が
難しい。そのために秘密結社はX人を日本に移植して日本に民族問題の火種を持ち込んだ
のだ。両民族の対立を上手く煽り、両民族を上手くコントロ−ルして漁夫の利を得る、そ
んな悪いことを考えているのが秘密結社なのだ。
 筆者が何故こんな秘密に気づいたかというと、アメリカの黒人差別の問題について勉強
したことがあるからである。公民権運動の際にユダヤが黒人側のスポンサ−になっていた
という事実があるのだ。ユダヤの狙いは単純、白人社会と黒人社会の対立を煽り漁夫の利
を得ることにあった。この戦いが黒人側に有利なのは明らかである。白人による黒人に対
する理不尽な暴力行為が過去に存在していたことは事実であるからだ。白人による黒人の
奴隷貿易、奴隷労働である。したがって、ここが重要な点なのだが、勝利を得るためには
犠牲が必要なのである。勝利を得るためには迫害がなければならないのである。そしてこ
のことを黒人側のエリ−ト階級も良く知っている。だから黒人エリ−トは、黒人側の犠牲
を大歓迎するのである。残酷なようだが、これがリアル・ポリティックスなのである。
 ここまで書けば、ナチスが何故ユダヤ人を迫害したか良く分かるだろう。ユダヤのエリ
−ト階級にとっては、ユダヤ人大衆が何百万人とガス室の灰と煙と化そうが(もちろんこ
れは歴史の捏造だが)おかまいなしなのだ。ホロコ−ストのお蔭で国際社会におけるユダ
ヤ人の地位も向上したし、ユダヤ人国家イスラエルも建国できた。ドイツからはたっぷり
と賠償金をせしめることもできた。万々歳である。ちなみにナチスもシオニストも影で秘
密結社にコントロ−ルされていたことは言うまでもない。
 これはそっくりそのまま今の日本に当てはまる。在日X人の地位向上要求は、一重に日
本人のX人に対する過去の誤った行為に依存している。植民地支配、関東大震災での虐殺
等。そのことを在日X人エリ−トも熟知している。在日X人エリ−トが日本社会で重要な
ポストを占めることができたのも、過去の同胞の犠牲のお蔭なのだ。そしてこの目に見え
ない在日X人のネットワ−クが日本社会に張りめぐらされている。件の在日X人犯罪組織
もこのネットワ−クの中で機能している。その目的は旧来の日本的秩序の破壊、その再編
成にある。

 この犯罪組織の活動を暴露した怪文書がある。岩永天佑著「告発の書」である。「告発
の書」は、オウム真理教が起こしたとされる一連の事件はフリーメーソンの謀略であった
ことを論証した文書である。この中に、1992年に大阪府泉南郡熊取町で起きた「若者
7人連続怪死事件」が取り上げられている。

 5月までの少年2人の変死(いずれも当時17才、警察発表はシンナ−吸引を伴う事故
死)の後、6月の1カ月だけで何と4人が熊取町内で連続首つり自殺(バイク仲間の少年
3人と22歳の地方公務員、特にバイク仲間の少年3人に関しては6月4日、6月10日
、6月17=7・7・7と妙に7を意識した奇妙な死に方をしている。公務員は6月25
日)、最後が7月2日、女子体育大学の魔に果物ナイフが刺さって路上で失血死した(警
察発表はまたもや「自殺」である)というものである(バイク仲間の3人と合わせれば、
ほぼ1週間おきの5週連続自殺となる)。6月10日、17日の2人の少年と体育大生に
関しては、かねてから「不審な車に跡をつけられている」と身内や友人に打ち明けている
にもかかわらずにである。(「告発の書」より)

 「告発の書」には、熊取町の事件とともに、仙台の中学同窓の「3高校生連続自殺事件
」と和歌山の貴志川で起きた「園児4人変死事件」が取り上げられている。仙台の高校生
3人はすべて仙台市立“7郷”中学の同窓生であった。
 7郷・7郷・7郷=7・7・7
 貴志川の園児は7里保育園児であった。
 7里・7里・7里・7里
 熊取町には7山が存在していた。
 7山・7山・7山・7山・7山・7山・7山
 一体この宗教殺人者は7山に何を象徴させているのだろうか。

 『ヨハネの黙示録』に次の一節がある。
 ここに知恵の心があります。7つの頭とは、この女がすわっている“7つの山”で、7
人の王たちのことです。(17章9節)
 ここでいう7つの頭、7つの山、7人の王とは、終わりの日、神の裁きにあって滅ぼさ
れる大バビロンの象徴である。この滅びの象徴である“7山=大バビロン”を“熊取”や
“海南(貴志川−筆者注)”に象徴させつつ関連する路線バス等で日本全土に連鎖させる
。しかも“日本人の死”の鎖によって。果してこのような悪魔的な発想が、地球食物連鎖
体系の一種族である人間に思い浮かぶものであろうか。これは悪魔的発想ではなく、まさ
しく悪魔そのものに由来するものであると断言できるのではないか。サタンは間違いなく
実在するのだ。(「告発の書」)

 一見突飛なようだが、筆者はこのサタンと在日X人が関連していると考えている。大阪
府泉南郡熊取町の目と鼻の先、大阪府泉佐野市には戦争中に佐野飛行場が作られた。その
労働力として多数の在日X人が動員されていた。和歌山県の海南市にも在日X人コミュニ
ティ−がある。これは紡績関係である。「告発の書」は続ける。

 昭和63年12月4日、福岡県飯塚市明星団地に住んでいたひとりの少女が行方不明に
なった。潤野小学校1年、松野子である。日曜の午前7時半頃、町内の廃品回収を手伝
った後、団地内の公園で友達と遊び、さらに同10時頃、一人の男の自宅で弟と遊んでい
るのを近所の人に目撃されるが、これを最後にこの女児は失踪した。この男こそ、久間三
千年であった。・・
 平成4年2月21日夕、福岡県甘木市野島の国道322号道路わきの林で、20日朝か
ら行方不明になっていた潤野小学校1年、中川藍と同、梅野裕莉の二人の女児が死体とな
って発見された。二人の顔には殴打の跡があり血が流れていたという。二人は20日朝、
別の友人と三人で登校したが、登校途中、この友人と別れ、飯塚市内の繁華街で目撃され
たとの情報を最後に消息を断っていた。(「告発の書」)

 この殺人事件のオカルト的意味合いは、殺害された中川藍の父親、中川雅彦氏の発案、
いやほとんど霊感と言える「7年7月7日しか生きれなかった我が娘」と呼ばれる名文句
にある。7年7月7日=7・7・7。
 事件の舞台となった飯塚市は有名な炭鉱町である。炭鉱と言えば、在日X人労働と来よ
う。どうやら、宗教殺人、在日X人、警察組織、この3つは密接に関連しているようだ。
警察が関係していると言うのは、久間三千年逮捕に象徴されるように警察は真犯人は決し
て捕まえないからである。逮捕されるのは常に人間生贄(ヒュ−マン・スケ−プ・ゴ−ト
)である。

 お前の言うことは全て間接的な証拠、事件の起きた町には在日X人が多いというだけじ
ゃないか、とお叱りを受けそうなので、この辺で直接的証拠もあげておきたい。まずオウ
ム真理教事件に関して。オウム真理教の科学者・村井秀夫を刺殺した徐裕行は在日X人で
あった。グリコ・森永事件でも背後にX国・コネクションが指摘されている。グリコ・森
永事件の犯人、怪人21面相が脅迫状や挑戦状を打ったタイプライタ−は日本タイプライ
タ−社のパンライタ−だが、このパンライタ−は昭和49年に、「東アジア反日武装戦線
“狼”」の名でアングラ出版された爆弾製造法解説書「腹腹時計」でも使われている。
 また朝日新聞阪神支局襲撃事件の犯人グル−プ「赤報隊」の前身組織と見られている「
日本民族独立義勇軍司令部」が、昭和58年8月の朝日新聞東京・名古屋本社放火未遂事
件直後に出した犯行声明文も、同じ型のパンライタ−が使われていた。東アジア反日武装
戦線で思い出すのは彼らがX国産業経済研究所を爆破していることである。X国産業経済
研究所の郵便受けに投げ込まれていた脅迫状の封書の宛て名は、X文字のタイプ活字が使
われていた。赤報隊は知X人会館玄関で、灯油入りのプラスチック容器と発炎筒を燃や
し、窓ガラスを割っている。
 筆者は永い間、どうして秘密結社はX国をタ−ゲットにしているのか理解できなかった
。しかし良く考えてみると、X国産業経済研究所にしろ知X人会館にしろ実質的な被害
はゼロである。つまり犯人は自作自演の付け足しの意味で両者を攻撃したという風に考え
られるのだ。極左過激派集団である「東アジア反日武装戦線」にしろ、ウルトラ右翼であ
る「赤報隊」にしろ、背後に在日X人の影がちらついているのである。

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悪魔組織の犯罪04
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/558.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 12 日 00:01:46:

 次ぎに免田事件について見てみる。
 1948年12月30日午前3時すぎ、熊本県人吉市で祈祷師・白福角蔵夫婦が就寝中
に、何者かに鉈のようなもので頭をメッタ打ちにされ、刺身包丁で喉を突かれ、12歳と
14歳の娘たちも重軽傷を負っているのが発見された。
 翌1949年1月13日、人吉市警は免田栄さん(23)をピストルを突きつけて連行
、同月16日、強盗殺人容疑で逮捕した(逮捕状なし)。絶食2日間、不眠3日間の拷問
下に自白を取り起訴。刑事・検事に「地獄へ落とす」と脅迫されていた免田さんは、熊本
地裁八代支部で罪状を認めるが、1949年4月、第3回公判で全面否認、事件当夜のア
リバイを改めて主張した。しかし裁判官は自白調書を全幅に信用するだけで1950年3
月23日死刑判決。1951年12月25日、死刑確定。
 1979年9月27日、福岡高裁は「最高裁白鳥決定」を援用して再審開始決定。19
80年12月11日、最高裁で再審開始確定。1983年7月15日、無罪判決。死刑囚
として日本の行政史上初めての再審無罪。獄中34年6ヵ月、死刑確定囚として過ごした
歳月29年間。

 「最高裁白鳥決定」とは、1975年5月20日に出された白鳥事件(1952年)の
再審請求に対する決定である。この中で、最高裁判所は、再審請求を認めるか否かの判断
の際に、「疑わしいときは被告人の利益に」の原則が適用されるべきである、という画期
的な判断を示した。以後、弘前事件、米谷事件、免田事件、財田川事件、松山事件、徳島
ラジオ商殺し事件などの再審へ道を切り開くことになった。

 免田さんは取り調べの様子について、次のように述べている。

 やがて夜になりました。否認し続ける私は、いつの間にか、冷える床板の上に正座させ
られていました。夜が更けるにつれて寒さは厳しさを加え、シャツ一枚の私の肉を突き破
って骨までしみ通るばかりでした。おまけに、不眠四日目の夜です。体の硬直が、頭のて
っぺんと足の両方から体中に広がって、声もでない状態になりました。
 意識が次第にもうろうとなって、倒れそうになったりすると、刑事たちは、いきなり私
の耳を引っ張ったり、頭を殴ったり、膝に両足をかけてゴリゴリとゆすったりしました。

 「こんなにして取り調べられるのは、おまえも苦しいだろう。早く白福殺しを自白して
、悪かったとあやまれ」「馬鹿な奴だ。さっさと白状すれば、楽になるんだ」
 次第に遠くなるような意識の中で、私は刑事達が口汚くまくし立てるのを、いく度か聞
きました。そのへんが、私の耐えられる精神的、肉体的限界だったようです。

 いやはや、凄まじい拷問である。ところで筆者は冤罪の研究をするうちに、二人の大極
悪人とも言える存在に気づいた。国警静岡県本部刑事課の警部補・紅林麻雄(1908〜
63年)と「法医学界の天皇」古畑種基である。この両名こそ正に死刑判決に相応しい。

 「拷問王」紅林警部補は、幸浦事件(1948年)、二俣事件(1950年)、小島事
件(1950年)で被疑者を拷問で責め落として、自白をとっている。この3事件、1審
2審はいずれも有罪であったが(幸浦事件、二俣事件は死刑、小島事件は無期)、最高裁
で差し戻しとなって、後に無罪が確定した。
 幸浦事件では、被疑者は焼け火鉢を手や耳に押しつけられたと訴え、その火傷の跡が医
師の鑑定によっても裏付けられている。二俣事件では、二俣町署の刑事・山崎兵八が、捜
査主任の紅林麻雄らが少年に対し過酷な拷問をした事実を新聞談話と法廷で内部告発して
いる。その代償は高いものについた。山崎刑事は偽証罪で逮捕され、精神病のレッテルを
貼られて免職、自宅も不審火で焼失したのだ。
 古畑種基は弘前事件(1949年)、財田川事件(1950年)、島田事件(1954
年)、松山事件(1955年)で依頼された鑑定を誤って、被告に有罪判決をもたらした
。このうち、財田川事件、島田事件、松山事件は死刑判決である。ごめんなさいで済む問
題ではない。もっともその謝罪もしていないが。

 以上、列挙した事件は、1940年代、1950年代の過去の事例であるが、現在に至
るまで暴力的取り調べが後を絶っていないことは、先に述べた宮崎事件を見ても分かるだ
ろう。
 このことを例証するものとして、佐藤友之編著『代用監獄33人の証言』から、その手
口を拾いあげてみよう。

 大声で罵倒する。足を蹴る。机をぶつけるように押しつける。椅子ごと蹴り倒す。壁に
向かって長時間座らせる。顔を机に打ちつける。手足をネジりあげる。壁に押しつける。
ボロ椅子に同一姿勢で座らせる。物差しで手の甲や腕を叩く。髪をむしる。両膝を打ちつ
ける。煙草の火を押しつける。目に物を入れる。首を絞める。拳で殴る。線香でいぶす。
膝蹴りで腹を蹴る。パイプ椅子で頭を殴る。

 また、東京三弁護士会合同代用監獄調査委員会が30人の冤罪者を対象に行った調査に
、取調べ時に味わった生理的苦痛に関するものがある。

 手錠のままの取調べを受けた                     7
   うち片手錠での取調べ                      4
   同、両手錠での取調べ                      3
 腰縄つき取調べを受けた                      11
 縄で机などにつながれた                      10
 取調室のイスのため苦痛だった                   23
 机で壁に身体をおしつけられるようにされながら取調べられた     10
 取調べ中まっすぐに坐っているように言われ、疲れて背をまるめたり
  下を向いたりするとどなられた                  22
 大勢の取調官に囲まれて取調べられた                24
 耳もとで大声でどなられた                     25
 わざと顔を近づけてきた                      17
 体にふれないが手をふり回すなどしてビクッとさせた         12
 机をたたくなど体以外の物に暴力をふるっておどした         25
 体にふれる暴力行為があった                    20
 取調べ中トイレになかなか行かせてくれなかった           12
 取調べ中入浴時間なのに入浴させなかった              11
 取調べ中運動時間なのに運動させなかった              16
 取調べ中食事時間に食事させなかった                16
 取調べ中食事を取調べ室でとらされた                21
 取調べ中水が飲みたくても飲めなかった               15
 長時間の取調べで疲れて眠りこみそうだったが、休ませてくれなかった 23
 病気中も取調べられ苦しかった                   14
 その他の生理的苦痛をこうむった                  15

 そしてこの暴力的取り調べを可能にしているのが、悪名高き「代用監獄制度」である。
代用監獄制度とは、被疑者取り調べ権をはじめとする捜査権限をもつ警察が、本来は泥酔
者の保護など行政的措置のための施設としてもつ留置場を、逮捕・勾留された被疑者を収
容し拘禁する施設として代用することを許す制度である。
 代用監獄制度と呼ばれるのは、逮捕・勾留した被疑者を拘禁する本来の場所として刑事
訴訟法が定めているのは「拘置所」であり、留置場を用いるのは例外的な代用的措置に過
ぎないからである。
 拘置所は、逮捕・勾留された者(未決拘禁者)と死刑言い渡しを受けた者とを拘禁する
場所であり、法務省が管理している。留置場は、警察署の建物の一劃にあり警察庁が管理
している。言うまでもないが、拘置所の方が留置場よりもはるかに処遇がよく自由がきく

 被疑者が逮捕されると、検察は23日以内に起訴するか釈放するかしなければならない
。多くの被勾留者は、起訴前は代用監獄に収容されて同一建物の警察取調室で取り調べを
受け、起訴された後に拘置所に移監されるのが実情である。そうすると、勾留下の被疑者
は一つの事件につき最大23日間警察・検察の取り調べにさらされることになる。だが現
実には起訴後勾留の下でも代用監獄で取り調べがなされることがあり、別件逮捕の反復に
よって23日を越える期間の取り調べがなされた事件も少なくない。
 土田・日石事件(1971年)で被疑者となったEは、最初の別件逮捕から総計で11
1日間を警察署の留置場に留置・勾留された。その間ほとんど毎日、警察・検察の取り調
べを受けている。
 拘置所の勾留は、取り調べから解放される時間がある。代用監獄での取り調べにはそれ
が実質上ない。この違いが、虚偽自白をするかしないかの違いになっているのだ。警視総
監公舎爆破未遂事件(1971年)に連座したIは、代用監獄での取り調べについてこう
述べている。

 警察の捕虜というのが正しい。食べ物を与えること(官弁、自弁とも)、運動、入浴な
ど留置場生活の衣・食・住のすべてが、取調警察官の意思で決定される。彼らの機嫌を損
ねる(屈服しないこと)と、最低の生活が続く。長期、長時間の取調べによる睡眠不足(
朝6時起床、取調べ終了夜10時〜11時)。休けいもなく、食事は取調室でとる。屈服
(自白)すると、ガラリと待遇が変わる。代用監獄とは、拷問の延長である。不自由な生
活による精神への圧迫、肉体の磨耗を狙ったものでしかない。

 土田・日石事件や警視総監公舎爆破未遂事件の被疑者は過激派だから、こんな取り調べ
を受けても仕方ないんだ。いくら警察とはいえ、一般市民に対してこんな酷い仕打ちはし
ないだろう。私には関係のないことだ、と思わないで頂きたい。彼らは特殊な例外ではな
い。明日は我が身かも知れないのである。
 犯人を特定できないと、捜査当局はあやしいと思う人を逮捕し(その際、別件逮捕する
ことが多い)、先に述べたやり方で拷問的に被疑者を問い詰める。あやしいとされる根拠
は、アリバイがはっきりしないとか、日頃の素行が悪いとか、無職であるとか、村のはず
れ者であるとか、ゴミをきちんと出さないとか、前科者であるとか、精神病であるとか、
精神薄弱であるとかいったものである。
 取り調べは頭から犯人視するやり方で、アリバイ等確実な無罪証拠を出さないかぎり、
犯人だという前提で自白を迫る。厳しい取り調べに被疑者が耐えられず、その場しのぎの
虚偽の自白をすると、それにあわせて証拠固めがおこなわれ、起訴される。公判で自白は
嘘だったと主張しても、裁判所は耳を傾けず、自白をもとに有罪を言い渡す。
 ある者はそれでも無実を主張して上告するだろう。だが被疑者の中には裁判に疲れ果て
て無実を叫ぶ気力もなく、あきらめて有罪判決を受け入れてしまう者がいるだろうことは
想像に難くない。
 一般の人は例え逮捕されても、警察で無実をどうどうと主張すればよい、話せばきっと
自分の正しさが分かってもらえる、と勘違いしている。それは大間違い、警察は逮捕した
被疑者を犯人であるという前提で取り調べる。「有罪判決までは無罪の推定を受ける」と
いう「無罪推定」の法理念はあくまで建前に過ぎない。

 ここで誤認逮捕された被疑者の心境を推察してみて欲しい。ある日突然逮捕され日常生
活から切り離されて留置場という非日常的空間に閉じ込められ、そこでいつ終わるともし
れぬ過酷な取り調べを受ける。頭ごなしに犯人と決めつけられ、いくら無実を主張しても
警察はまるで取り合ってくれない。正に悪夢である。こんな悪夢が何時間も続くうちに、
被疑者はこの苦しみから逃れるためには「自白」する以外にないと思い込まされてしまう

 「3日」で自白した、「4日」で自白したと聞けば、ああ、あっさり犯行を告白したな
、と我々は思う。しかし被疑者にとってのこの「3日」「4日」というのは、我々の日常
生活における「3日」「4日」と同じではないことはお分かり頂けるだろう。我々も苦痛
を味わっている時には、1時間が何日間にも感じられるものだ。警察の取り調べで被疑者
が感じている苦痛も、ちょうどこのようなものなのだろう。しかも彼らは、いつ取り調べ
が終わるのかという時間的見通しも持てず、この苦しみが永遠に続くのではないかと思っ
てしまう。そしてこの苦しみから逃れる唯一の方法として被疑者に提示されるのが、自白
なのである。彼らが虚偽自白に陥ってしまうのも無理はない。
 また、取り調べる側も被疑者のこのような人間的弱さを熟知しているのだ。あるベテラ
ン刑事は言う。

 人間はな、そんなに強いもんではないよ。細かな所はどうでもいい、キメ手などは出さ
んでもいい、ただ殺しを自供させてくれ、と被疑者をあてがわれれば、3人でも4人でも
同じように自白させてみせるよ。今どきそんなことが、という顔をしているナ。何ならや
ってみるか。お前さんでもいいよ。お前んとこは刑事の手の内を多少聞きかじっているか
ら、少しゆとりを見て、そう3日でいい。3日あったら、お前に殺人を自白させてやるよ
。3日目の夜、お前は、やってもいない殺人を、泣きながらオレに自白するよ。右のとお
り相違ありません、といって指印も押すよ(『自白−冤罪はこうして作られる』風煤社)


 優秀な刑事ならば被疑者を落とすのに3日あれば十分、というわけだ。一度落ちてしま
えば、後は被疑者を誘導して取調官の思い通りの自白を引き出すことは容易だ。この場合
に絶対に間違ってはならない点は、取調官が自白内容を一方的に被疑者に押しつけるとい
うわけではない、ということだ。自白内容とはあくまでも取調官と被疑者の協同の産物な
のである。
 つまり取調官は自白内容そのものを被疑者に明示するのではなく、自分の欲する答えに
向けて被疑者を心理的に誘導し操作していくのである。被疑者は圧力に屈して「私がやり
ました」と言ってしまったあと、さらに犯行筋書にまで想像を及ぼして自白を展開させる
のだ。単に「私がやりました」と言うだけでなく、そう言うことで「犯人になる」ことを
選択するのである。犯人を演じるのだ。虚偽自白の形成過程には、被疑者自身の主体的な
かかわりが欠かせない。

被疑者はどうして犯人を演じるようになるのか?

 では犯人を演じるとは具体的にはどういうことなのだろうか。ここに分かりやすい説明
がある。

 「私がやりました」と言った以上、被疑者は犯行の具体的中身を言葉にしていく以外に
ない。幸か不幸か、被疑者は、自白に追い込まれるまでに、自分がやったのではないその
事件について、かなりの情報を得ている。それは一部にはラジオ、テレビ、新聞などのマ
スコミ情報であろうし、また一部には隣人、知人からの噂であろう。さらに逮捕され取調
べの場におかれてから取調官の口を通して知らされた事実もあろうし、突きつけられた証
拠から類推できることもある。さらには取調官の尋問、詰問の背後に、取調官たちの描い
た事件筋書を透し見ることもできる。否認段階では、これらの事件情報が、自分には無関
係なものとして、ただモザイク的に散在しているだけかもしれない。しかし、ひとたび「
私がやりました」といい、取調官から「どうやったのだ」と問いつめられて、逃れようが
なくなったとき、被疑者はこのモザイクをひとつにまとめて、自分がやった犯行として筋
書を構成せねばならなくなる。誰も教えてくれないとすれば、自分からそうせざるをえな
い。とはいっても、自分がやった行為でない以上、それまでに与えられていたモザイク状
の情報を過不足無く、ひとつのスト−リ−にまとめあげるなどということは、卓抜な推理
小説家でも容易ではあるまい。おまけに、身に覚えのない犯罪を不本意にも自分がやった
と言うところまで追い込まれているのだから、心理的にも穏やかでいられるはずはない。
はなはだしく動揺したなかでモザイク情報をつなぎ合わせる作業は、そうそううまくいか
ない。矛盾につきあたるたびに、取調官の追及をうけ、追及の結果、矛盾を訂正して、あ
らたな供述を行う。そうして、やがて他の客観的証拠と大枠において一致する供述にまと
められていくことになる。(浜田寿美男『自白の研究』三一書房)

 さてここまで読み進められた読者は、一つの疑問を抱いていることだろう。いったい警
察は被疑者を無実と知っていて、意図的に犯人に仕立て上げているのだろうかと。ごもっ
ともな疑問である。もしそうなら、これはフレ−ム・アップ事件(でっち上げ事件)であ
る。もちろん、冤罪がフレ−ム・アップ事件である場合もあろう。だが犯人をでっち上げ
ようとする捜査官の中には、確実にオカルト秘密結社の回し者も含まれている。この場合
は犯罪は黒魔術の儀式として行われ、警察は真犯人を逃がしスケ−プ・ゴ−トを逮捕・勾
留する役割を担わされている。検察はスケ−プ・ゴ−トを起訴して、裁判官は無実のスケ
−プ・ゴ−トに有罪判決を下す。マスコミはその成果を宣伝し、世論操作に役立てるとい
うわけだ。こんな恐ろしい超国家的な陰謀も現実に存在しているのである。マスコミが書
き立てない犯罪の真の動機については、最後に分析することにする。
 もちろん筆者は、警察官のすべてがオカルト組織の回し者だと言うつもりはない。だが
一般の人が想像しているよりも、警察組織における秘密結社員の数は多いだろうと考えて
いる。スコットランド・ヤ−ド(ロンドン警視庁)におけるフリーメーソンの影響力には
計り知れないものがある。一般の目に触れないところで、日本の警察組織(だけではない
が)もオカルト秘密結社に浸食されているのだ。
 そうは言っても、ほとんどの警察官がそんな悪魔的な陰謀とは無縁であることも確かだ
ろう。それでは警察が被疑者を「有罪推定」のもとに厳しく追及するのは何故なのか。答
えは簡単、そうでなければ被疑者の取り調べなどできないからである。取調官の側に、相
手は罪を犯した者であり、あやまるべき時にあやまるのが本当に犯罪者のためになること
だいう信念がないと、相手を懺悔させることができないからである。ひょっとしたら相手
は無実かも知れないなどという弱気は、取り調べにおいては絶対に禁物なのだ。

 この道徳的正義感にもとづいて被疑者から謝罪を求めるという自白追及のパタ−ンは、
極めて日本的である。もし被疑者が自白し謝罪して更生を誓えば、取調官は温情を示す。
そして「面倒見」が行われる。面倒見とは、取調官が被疑者の面倒をみるという意味であ
るが、具体的には、取調官の見込み通りの自白をする協力的な被疑者に対し、取調室で特
別待遇を施すことである。
 好きなものを飲んだり食ったりさせるとか、家族や友人に電話をかけることを許したり
、配偶者と二人きりにして会わせたり、外出させたりするなど、面倒見の内容は様々であ
る。煙草も吸えるし酒も飲める。署長が一緒に風呂に入って背中を流してくれたりもする
。否認していた時の畜生扱いとは大きな違いだ。
 ところが否認を続け謝罪しようとしない被疑者に対しては、取調官は容赦しない。この
野郎、極悪非道な罪を犯しておいて、この後に及んでまだのうのうと言い逃れしようとし
やがる。ふてえ野郎だ、その腐った性根を叩き直してやる。かくして取調官は被疑者に「
真人間」になるように説教することになる。ではこの「真人間」の説教とは一体どんなも
のなのか。

 仁保事件から例を引く。
 仁保事件とは、1954年10月26日朝、山口県吉敷郡大内村仁保の農業・山根保一
家6人が惨殺死体で発見された事件である。6人とも布団の中で、鈍器様の物で頭部を殴
られ、鋭利な刃物で頸部などを何カ所も刺されていた。

 仁保事件の元被告、岡部保さんの取り調べの録音テ−プから引用する。

 刑事 僕もよう話して聞かしてあげようか、よし、そういうことじゃいけないよ。そう
いうふうじゃ世の中というものは、特に人間の社会というものは、人間というものは、そ
れじゃ通らない。本当の、まっしんの、真人間はそれじゃ通らないんだから、こないだも
言うたでしょう。真人間になろう、真心のある人間になるということをこないだも再三私
が、説いたつもりだ。またほかの刑事さん達からも聞いたじゃろう。ね、真の人間になる
人間性のある人間になるということについては、これはまあ、簡単にはなれないかもわか
らん。精神の修養もせにゃいけんかもわからん。これは、まあいよいよ、簡単に誰しも、
そういう状態にはなれないもんだけど、それをどうしても、気を落着けて、ようく考えて
、また考えに考えて、自分が言うことが間違っておるかどうか、自分が言うことが正しい
かどうかということをよ−く考えて、本当の人間にならなくちゃいけないよ。ええか、今
すぐという。
 岡部 ほいじゃ係長、係長さん、係長さんもほいから主任さんも、部長さんも、あの今
、まあ自分が話したことが間違うちょると、ま、こういうふうに言われるわけです?
 刑事 思うね。

 結局、岡部さんは取り調べに屈して虚偽自白を行うことになるのだが、彼が犯人を演じ
ることを決意した瞬間のテ−プ録音は圧巻である。

 よし、おりゃ犯人になったろ、犯人になったろ、犯人だ、犯人になったんや、おれがや
ったんや思うて、ものすごい自分で犯人になりすましてこう、とってみたんですけど・・


 この岡部さんの発言からは、犯人を演じることを決意した被疑者の心理的葛藤が窺える
。我々は虚偽自白を行った被疑者を、意思が弱かったとして責めることは決してできない
。むしろ、そうせざるを得ない状況に追い込まれた被疑者の心境に思いを致すべきなので
ある。「権力にとって1人や2人の人間を葬るのは、虫をぷしゅっとつぶすようなもん」
と、岡部さんは「無実の死刑囚」の体験を述懐している。

 ところで筆者は様々な殺人事件を調べている時に、この「真人間」という奇妙な単語に
よくぶつかった。多くの凶悪犯たちは、罪を悔い自白したきっかけとして取調官に真人間
になるよう説教されたことを挙げている。吉展ちゃん誘拐事件の小原保しかり、連続婦女
誘拐殺人事件の大久保清しかり、である。小原は、取り調べ担当刑事の平塚八兵衛に「真
人間になって生まれ変わります」という書き置きを残して処刑された。「真人間」になる
よう説教された被疑者は取調官の真情にほだされて、「犯人になる」ことを引き受けるの
だ。自白の瞬間に取調官と被疑者とが手を取り合って泣いたりする場面は、そこにある種
の真情の交換があることを示している。
 再び仁保事件の岡部さんの録音テ−プから例を取ってみよう。ここにA、Bと記したの
は取調官である。

B 邪念を捨てようで、邪念をの。素直に真実を話さにゃいけんで。(30秒位沈黙、鼻
 すすり)どうか。
岡部 やっぱり子供の顔と親父の顔が一番さきに浮かぶなあ(−自分の子供と父の)。
B うん、浮かぶけど話をしてしまわにゃ、の、そりゃ人間じゃからの、君の気持ちはよ
 うわかる、ね。
A 今迄犯した不考というものの償いはじゃね、君がしなくちゃいけないで、君が話すこ
 とによってだね、いいか、君が話すことによってだ、今迄の不孝の万分の一でも、ええ
 かね、事実を話すことによってだ、今迄君が不孝の数々をやったことそのものがで、の
 、万分の一でもそれが報いることができる。うん?そうだろう?それじゃったら君がせ
 んないけれど自分の心のうちをさらけ出して話さなくちゃいけない。ね、赤裸々な気持
 ちにならなくちゃいけない、な。
岡部 話します。主任さんと部長さんがおられるから、手間はとらせません。(20秒位
 沈黙、鼻すすり)
B うん、つらいつらいつらいけど話さにゃあで、のう、の、力や元気を出して、の、す
 がれ、こっちへのう、うん、うん、話をせにゃあねえ、あんた一時も早う楽になるんじ
 ゃからのう(鼻すすり)どうか?
A 僕の手でもね、すがりついて話しなさい。話しなさい。そうしたら力が入るだろう。
 うん、さっき言った、いよいよ純真無垢な精神にならなくちゃいけない。(30秒位沈
 黙、鼻すすり、ため息)

AB 思い切って話しなさい。
A 思い切って話しなさい。
B うん?ね、手間かけたら、またあの感慨がそれるからの、今の気持ちの上で話してし
 まえ、うん?の。
岡部 意気地がないのう、おれは。
B 意気地がないから、こういうことになるのう。意気地を出して話をせにゃあ、のう。
 うん?のう、わしの手の温もりがわかろうが、のう、のうや、血が通うとるんじゃ。せ
 いやから君が言うこともようわかる。

A 心の動揺を静めにゃいけんで。
B 静めにゃいけんのう。
A 静めて話をせんにゃあのう。
 (22秒間、沈黙、水を飲む)
岡部 寒うなった。
B 寒うなったや、ちょっと待て。
 (20秒間、毛布を出すような音)
B 下、敷いちゃろうか、うう、ええよ。うう、ええよ。抱いとっちゃろう、のう、のう
 。わしが抱いとっちゃろう。のうや、こうやってきょうは抱いて寝ちゃるで、わしがの
 う。よし、のう、話してしまおうで。わしがこうやって抱いとっちゃるからのう。どう
 や、安心して話をせいのう、心を落着けてのう、ずっと。
 (40秒間、沈黙)
B うう、何が。
岡部 ようなったのう。
 (5秒間沈黙)
A だんだん神の心になって来るわい、のう、だんだんと、のう。
B 落着いて来るのう、気が。気は落着けんにゃあ、のう。
 (23秒間、沈黙)

 何といういやらしさだろう。取調官は虚偽自白を促すために、被疑者に抱いて寝てあげ
ると言うのだ。そこまでして自白を取りたいのだ。これは善意から出た行為だろうか。犯
人と思い込んだ被疑者を落とすための、策略の一種というのか。あるいは自白を得て犯人
をでっち上げることができれば、例え被疑者が無実であろうと構わないというのか。筆者
は後者であると思っている。読者の皆さんはどうお考えだろうか。
 なだめすかしと脅迫、飴と笞は尋問の普遍的スタイルである。良くも悪しくも取調官は
被疑者にある種の人間関係を押しつけ、同じ土俵に乗せることで、自白を引き出していく

 そしてこの取調官と被疑者の奇妙な人間関係は、拘留中、裁判中、服役中、さらには処
刑の時まで続くことがあるのだ。処刑の時まで犯人を演じる元被告の心理は、通常の感覚
では理解しづらい。今までの過ち多き人生を反省した。取調官の人間性に感銘を受けた。
死刑判決を受けてもいい、生まれ変わって人生をやり直そう。例え私が無実であったとし
ても、運命を素直に受け入れて犠牲となることで人生の花を最後に咲かせよう。それによ
って社会に一石を投じることができるかもしれない。
 また、キリスト教牧師などの教誨師が果たしている悪魔的役割も見逃せない。彼らは被
告に殉教の美徳を説き、素直に罪を認めて処刑されることは崇高な自己犠牲的行為である
と言いくるめてしまう。牧師よ、だったらお前らこそ死刑台の階段を登ってみろ、と筆者
は言いたい。
 正直に言って筆者も、犯人を演じる被告の心のうちを推し量ることは難しい。だが現実
にこういう被告が多数、存在しているのだ。もちろん単に無実を主張するのを諦めてしま
った被告も大勢いるに違いない。ここにもう一歩の所で、取調官に屈しそうになった被疑
者の例がある。

 土田・日石事件から例を引く。
 日石事件は、1971年10月18日、東京・西新橋の日本石油本館内の地下郵便局で
2個の小包郵便物が爆発した事件。宛名は、当時警察庁長官であった後藤田正晴、今井栄
文新東京国際空港公団総裁あてとなっていた。この爆発で局員1人が重傷を負った。
 土田事件は、1971年12月18日、東京・雑司ケ谷の当時の警視庁警務部長・土田
国保宅で小包郵便物が爆発し、民子夫人が死亡、家人1人が負傷した事件である。
 捜査当局は1973年3月12日、赤軍派系の活動家であった増淵利行(27)をはじ
め、4人を殺人・殺人未遂容疑で逮捕し、のちその交友関係などから10数人を逮捕した
。しかし、捜査の過程での捜査当局のでっち上げが、公判中に明らかとなり、1985年
、相次いで全被告に無罪が確定、戦後最大のフレ−ム・アップ事件となった。

 土田・日石事件の元被告Eは、諦めの心境を手記にこう書きつけている。

 ほとんどの者(共犯とされた被疑者たち−筆者注)が認めている以上は事実を言った所
で裁判には勝てる訳がない。だいいち今までの例のように何十年もの裁判にはとても耐え
る自信はなかった。まして何十年も裁判をしてそれで有罪になったらそれでもう人生はお
しまいだ。争うにはあまりに相手が強すぎる。それにあまりに世間の風当たりが強すぎる
。警察のPRは強力だ。今さら無実を叫んだところで誰も信じないだろうし、過激派の連
中はとんでもない事を言い出すと思われるのが精々だと思った。

 「今さら無実を叫んだところで誰も信じない」と被告が諦めてしまうのはマスコミにも
責任がある。センセ−ショナルに事件を報道していたずらに世間を騒がし、被告(まだ有
罪と決まったわけではない)やその家族に対する集団リンチを煽る。人権も何もあったも
のではない。裁判で有罪が確定するまでは被告を犯人と見なしてはならない。こんな当た
り前のことを、世間の人は分かっていない。

 土田・日石事件の元被告Rは言う。

 事の重大さに気付いた時には、もうどうにも身動きできない状況になっていた。あまり
に多くの自白調書が積み重なると、よほどのキッカケがない限り否認することはかなりの
勇気が必要になってくる。

 被告が無実主張を諦めてしまう背景には、自白してしまったという事実の重みが存在し
ていた。一度自白してしまったら、公判でいくら無実を主張しても単なる言い逃れだと思
われるのではないか。自白は本意ではなかったと証明することもできない。今さら無実を
叫んでも誰も信じてくれないだろう・・。自白は警察や検察、裁判官だけでなく、自白し
た本人をも縛りつけて身動きできなくしてしまう。
 そしてこの自白を短期間に引き出す取調官の高等技術に、アリバイの追及というものが
ある。取調官は被疑者にアリバイを執拗に要求し、その証明ができないことは自分が犯人
であることを認めていることと同じだという絶望的心境に陥れる。
 本来、被疑者が無実を証明する必要などはさらさらない。取調官の側が被疑者の有罪を
立証しなければならないのだ。だから被疑者が黙秘を貫き取調官の土俵に乗らなければ、
自白に陥ってしまうことはない。しかし現実的には、被疑者が最後まで黙秘を貫くことは
大変難しいと言える。
 そもそも被疑者は警察という組織をまるで理解していない。警察を単なる法の執行者、
市民の下僕であるとは見ず、ある種の道徳的権威を有するものだと思っているのだ。ここ
に被疑者の落とし穴がある。アメリカ人の対応はこれとはまったく異なる。アメリカ人が
捕まった時は現行犯でも時に否認し、悔恨の情を見せず、ただちに法的防御体制を取りは
じめる。戦争で独立を勝ち取ったアメリカ人には、権力に対する反骨精神があるのだ。
 アメリカ人と比べると、日本人のお上に対する態度は江戸時代の百姓のようなものであ
る。強い者には逆らわず弱い者には大きな顔をする、それが日本人的気質なのであろう。
西洋白人には媚へつらい同じアジア人には威張り散らす。日本人が世界中の嫌われ者であ
るのも頷ける。
 左近の警察不祥事で、日本人の警察に対する見方も厳しくなってきたではないか、とい
う意見もあろう。だがこれはあくまでマスコミが主導しているものであって、市民の側か
ら自発的に生じた現象ではない。読者はマスコミに騙されてはいけない。警察の体質は何
ら変わってはいないというのが、筆者の感想である。本当に警察機構を改革したいと思う
なら、代用監獄を廃止せよ!別件逮捕を止めろ!そうすれば市民に対する警官の態度も自
ずから変わってくるだろう。暴力的取り調べができなくなるからである。

 アリバイの追及に話を戻す。逮捕された当初、被疑者は警察の正義を信じている。警察
の正義を信じている被疑者は、容疑を否認し無実を主張する。話せばきっと自分の無実が
分かってもらえると思っている。それに対して取調官は被疑者のアリバイを要求する。ア
リバイが証明できれば、嫌疑は晴れるよと言う。そこで被疑者は身の証を立てるために、
必死になって事件当時の行動を思い出そうとする。アリバイさえ証明できれば、無実が分
かってもらえ、釈放されると思い込む。

 甲山事件を例にとろう。
 甲山事件とは、1974年、兵庫県西宮市甲山町の精神薄弱児収容施設「甲山学園」で
起こった2園児溺死事件である。3月17日、12歳の女児が行方不明になる。その女児
の捜索の最中、今度は19日夜8時過ぎ、12歳の男児が行方不明になった。二人は園内
の浄化槽から水死体で発見された。兵庫県警は内部の者による殺人と見て捜査、保母の山
田悦子(23)さんを逮捕した。

 元被告、山田悦子さんはアリバイに関して取調官にこう言われたという。

 人間が三歩、歩く間に、地上の石がころび、それから空には鳥が飛び交い、そういう状
況すらも説明せなあかん・・わからないことをわからないと言ったらだめだ・・ちゃんと
一分一秒刻みに証明していくのがアリバイの証明だ。

 常識的に考えても、特定の日の特定の時間帯の行動や出来事を分刻みで思い出すことな
どできるわけがない。仮にその日その時何をやっていたか漠然と思い出すことができたと
する。だが自分のやったことを細かく思い出して、一つ一つにかかった時間をどれほど正
確に計算したとしても、それらを積算した後に確実に何分か、あるいは何十分かの空白の
時間が残る。山田さんが攻められたのはその空白の時間だった。
 山田さんにとって問題となったのは、彼女が夜7時半に園に戻って、男児行方不明の報
せを聞いた8時過ぎまでの間のアリバイであった。その4、50分間のうち、どうしても
埋められない時間帯が残った。山田さんはそれを「空白の15分」として追及されること
になる。男児を殺害するのに、理論的には5〜10分あれば足りる。もちろんこれはあく
まで理屈の上の話であって、現実的には不可能なのであるが。山田さんはこの「空白の1
5分」をびっちり埋めることができなければ、アリバイは完成しないと取調官から思い込
まされたのである。そこで山田さんはアリバイを完成しようと必死になった。

 山田さんの供述調書から、その時期の彼女の心境を窺い知ることができる。

 私の19日の行動について、どうしても思い出さない15分ぐらいがあり、気持ちが動
揺しておりました・・19日の行動について、どうしても思い出さないあの15分ぐらい
の時間について、疑われるのも無理ありません。・・私も一生懸命思い出すように努力し
ておりますので、よろしくお願いします。

 これでは本末転倒である。山田さんがアリバイを証明する必要などさらさらない。彼女
が無実を証明しなければならないのではなく、取調官が彼女の有罪を立証しなければなら
ないのだ。だが精神的に追い込まれた山田さんには、そんなことに考えを巡らす余裕もな
かった。強迫観念に駆られた山田さんは、やがてどうしても埋めきれない「空白の15分
」のあいだに、ひょっとして無意識のうちに自分がやってしまったのではないか、と自白
するに至るのだ。
 無意識のうちに自分がやってしまった、とは言っても、彼女は実際にやってもいない殺
人行為をやったかのように思い込まされたのではない。問題の空白の時間に、自分が知ら
ないところでやってしまったのかもしれない、という取調官の論理に抵抗できなかったの
である。アリバイが証明できなければ疑われてもしかたがない、という取調官の視点から
事件を判断してしまったのである。
 こういう例があるから、被疑者は決して取調官と同じ土俵に乗ってはいけないのだ。警
察の取り調べにおいては、相手が何を言おうがどこ吹く風、まともに相手にしてはならな
い。そうすれば虚偽自白などするはめに陥らずに済む。しかしまあ、言うは易し行うは難
し、かもしれないが。
 かくして山田さんはアリバイの証明ができず、どうしようもなくなって自白してしまう
。彼女がもう誰も自分のことを信じてくれないと思って泣き崩れて自白した時、逮捕後や
さしく接し、親身に感じていた補佐役の刑事も涙を落としていたという。うう、いやらし
い。

 ここに孤立無援の状況下に置かれた被疑者の不可思議な心理がある。相手は無実の自分
を捕らえて自白を強要する、憎んであまりある敵なのである。しかしまた取り調べの場で
すがる相手も、当の取調官しか存在しないのだ。被告は取調官に嫌悪と依存のアンビバレ
ントな感情を抱いている。否、そうなるように追い込まれたのだ。
 アンビバレントな感情と言えば、ナチスの強制収容所に捕らわれていた囚人の中には解
放後、またその収容所に戻ろうとした者がいるという話を何かで読んだことがある。常識
的に考えれば、嫌な思い出、苦しい思い出、悲しい思い出しかない強制収容所に戻ろうと
する囚人などいるはずがない。しかしこの世には、常識で割り切れない出来事も存在する
のだ。この点を理解するのに参考となるような心理学の専門用語がある。ストックホルム
・シンドロ−ムである。『イミダス』にはこう書いてある。

 1973年8月23日から28日まで131時間にわたって、スウェ−デンのストック
ホルムにある銀行で、男性の犯人たちが女性職員を人質に立てこもった。この事件の間お
よび終結後、人質が銀行を包囲する警察に対して、恐怖と敵意を抱く半面、犯人に対して
同情、情等の親和性を生じさせたことから、同様の現象がストックホルム症候群とよば
れるようになった。
 この現象が起きるのは、・犯人と人質が閉鎖された空間で非日常的体験を共有する、・
両者にとって軍隊、警察の攻撃は死の恐怖をもたらす、・人質の側の無力感が犯人への服
従をもたらすという仕組みによるものであろう。

 以上の3点は、被疑者の代用監獄での取り調べ状況とよく似ている。・の非日常的体験
の共有(被疑者にとっての非日常的体験。取調官は夜になって仕事が終われば家族の待つ
マイホ−ムに帰れる。被疑者は臭い代用監獄でいつ果てるともない夜を過ごす)。・の無
力感というのも分かるだろう。問題は・である。被疑者の取り調べでは、本来は自分の身
の潔白を守るべき警察が、罪を認めなければ死刑になると脅すのである。被疑者の味方は
弁護士(オカルト組織の回し者でない限り)や友人、家族であるはずだが、警察は欺瞞を
用いて被疑者と弁護士の信頼関係を裂き、家族はもうお前のことは犯人だと思って諦めて
いる、と嘘をつく。共犯関係で逮捕された友人はすっかり白状して、お前が主犯であると
言っているぞと友人間の敵意を煽る。こうして被疑者に残された唯一の相談相手は、取調
官しかいないという状況を作るのである。

警察によるアリバイつぶし

 ところで警察は被疑者にアリバイ証明を求めると同時に、アリバイをつぶすという卑劣
な手段も行使する。免田事件ではこのアリバイつぶしが行われた。

 免田さんは事件当夜の12月29日の行動について、「同夜は特殊飲食店Mに泊りIと
一夜をすごした」とアリバイを申し立てた。それに対して取調官は嘘だと言って暴力を加
え、本当のことを言えと追及した。
 それだけでなく取調官は、免田さんが当夜一緒に寝ていたと主張するIを誘導して、免
田さんが店に来て泊ったのは12月29日夜ではなく翌30日夜であったと言わせた疑い
がある。Iはその時の事情について、次のように証言している。

 私は警察で栄が来たのは30日であると述べたことがある。私は最初29日といったら
刑事さんが本人は30日といっているといわれたので、それではそうかもわからないと思
い、その頃は年も若いし「ハイ」といいました。

 アリバイが証明できなければ有罪、アリバイがあったらそれをつぶす。これでは被疑者
が取調官の追及から逃れる術はない。こうして被疑者は、取調官の追及から逃れる唯一の
道は犯人であることを認める以外にはないという絶望的心理にまで追い込まれるのである
。そして遂に被疑者は虚偽自白するに至る。

 一度自白してしまった被疑者が犯人を演じることを引き受けて、犯行スト−リ−を構成
していく過程は先に述べた。しかしどれほど苦労して考えても、所詮犯人ならぬ人間が事
件を最構成しようというのであるから無理がある。あらゆる証拠を矛盾なく織り込んだ筋
書がすっきりスマ−トに出来上がるわけはない。そこで取調官は、なんとか自白が真犯人
の自白らしくなるように配慮し、工夫することになる。被疑者もまたそれに同調する。こ
うして、大枠において客観的証拠と一致する自白にまとめられていくのである。

 自白がより真犯人の自白らしくなるためには、いくつかの条件がある。
1.自白の犯行筋書が客観的事実と合致しなければならない。
2.犯行筋書に真犯人しか知りえないものが含まれている。いわゆる「秘密の暴露」があ
 る。
3.犯行筋書に不自然な変転がない。
4.共犯者がいる場合、各共犯者の自白が相互に矛盾せず、互いに支え合う関係にある。


 逆に言えば、虚偽自白には信憑性を疑わせる次のような特徴が見られるということにな
る。
1.客観的事実と矛盾する点がかなりある。
2.「秘密の暴露」がない。
3.合理的説明の困難な変転が随所にみられる。
4.自白相互間の食い違いがある。
 さらにあと二つ付け加えるとすると、
5.実際に体験したことの供述としては、異様なほど詳しすぎる部分と簡単すぎる部分と
 があり、また当然言及されるべき点が欠落している。
6.不自然、不合理なつじつま合わせがある。

 前記のオウム真理教事件を例にとると、井上証言の変転と、井上被告と飯田被告の証言
の食い違いは、虚偽自白の特徴の3と4に当たる。さてここでは、1の客観的事実との矛
盾について、オウム真理教事件と幼女連続誘拐殺人事件とを取り上げて検証してみたい。


 まずは坂本弁護士一家殺害事件に関して、実行犯の一人である岡崎一明被告の証言の矛
盾点について、再び「麻原裁判 これだけの問題点」から引用してみる。

    坂本事件の三ヵ月後、岡崎被告は金を持ち逃げして教団を脱走した。ところが金
を取り返されたので、龍彦ちゃんを埋めた長野県大町に行って現場写真を撮り、警察など
に投書して、麻原被告を脅した。警察は投書をもとに捜索したが、龍彦ちゃんは見つから
なかった。岡崎被告は更に坂本さんや都子さんを埋めた場所についても投書を投函したが
、麻原被告が退職金として金を払うことに同意したので、二つ目の投書は郵便局で回収し
た、ということになっていますね。
 渡辺 この尋問の狙いは「平成二年二月二十日午後に岡崎証人が坂本夫妻の遺体に関す
る投書を東京駅で投函した」という証言を十九日以前の投函という話にならないように押
さえたかったということです。二十日夜、その投書を脅しに使って麻原被告と交渉し、八
百三十万円の“退職金”を受け取ることが決まり、翌二十一日朝に投書を回収した、とい
う。なぜこの流れが重要であるかというと、岡崎証人は自分の法廷での被告人質問で、「
回収した翌日に、龍彦ちゃんの遺体捜索のニュ−スを聞いた」と述べているわけですが、
実際に捜索が行われニュ−スが流れたのは二十一日なんです。二十日午後の投函では回収
の時間的余裕がない。他の理由もあり「坂本夫妻の遺体に関する投書を投函した」のが事
実であるか、大変に疑わしいと言わざるを得ないことになる。
    なるほど。・・

 お分かりになっただろうか。岡崎被告は「21日に投書を回収し、翌22日に龍彦ちゃ
んの遺体捜索のニュ−スを聞いた」と述べているのだが、実際に捜索のニュ−スが流れた
のは21日だったのだ。岡崎証言は客観的事実と矛盾しているのである。

 客観的事実と被告証言の矛盾点は、幼女連続誘拐殺人事件にも見られる。宮崎勤は切断
した幼女(綾子ちゃん)の遺体の胴体部分を埼玉県飯能市の宮沢湖霊園へ捨てた。問題な
のは、その胴体の発見時刻である。

  それでは胴体部分はどうだろうか。
  埼玉県飯能市にある「宮沢湖霊園」は宗教法人光西寺(浄土真宗本願寺派)の経営す
る墓地で、1980年に完成している。ここで、89年6月11日、胴体が見付かった。

 発見者は、この日、光西寺へ法要に向かう途中、墓参りのため宮沢湖霊園に立ち寄った
。墓参りの後、用をたそうとして、簡易トイレの横で、ぬいぐるみのような物体を見付け
た。最初は人形かとも思ったが、人形にしては首も手足もなかったので不審に思い、管理
人に連絡した。軍隊経験から死体を見たことがある管理人は、検視のことを考え死体を動
かさずに、警察に通報した。このときちょうど午前12時ころだったという。
 管理人によれば、死体には、死臭は全くなく、きれいな肌で生ゴムの人形のようだった
。また前日雨が降ったにもかかわらず、泥なども跳ね上がっていなかった。10日午前5
時ころ帰る際に確認したが、遺体には気付かなかったともいう。「現場の駐車場付近は霊
園の管理人が10日午前9時ごろ、掃除したが遺体には気付いておらず、犯人は10日以
降遺棄したとみられている」(共同通信89年6月12日配信)などの報道もあることか
ら、死体が遺棄されたのは11日未明ころだと考えるのが妥当であろう。
 ところが、検察側冒頭陳述には、被告人が胴体を遺棄した時刻は「〔6月〕10日午前
零時ころ」とある。これでは死体の状態が不自然である。
  「ちょうど前の晩に雨が降ったのだから〔それ以前に死体が捨てられたとすれば〕、
うんと体が汚れていてもいいような気がしましたね」
と管理人も言う。
 さらに冒陳では、死体を遺棄した理由として次のようにある。
 「〔被告人は89年6月6日に綾子ちゃんの遺体を自室に運び込んだ後〕死体を電気こ
たつ台上に放置していたが、同月8日に、死体からの臭気が強くなり始めたため、死体を
遺棄しようと考えた。」
 確かに3日も放置しておけば、臭気も強くなろう。同居していた家族(とくに、同じ棟
に居室のあった二人の妹)が気付かなかったのは不思議である。そしてこれも、管理人の
見た遺体の様子(死臭は全くなかった)と矛盾する。(「M君裁判を考える会」会報・第
2号より)

 10日の晩に雨が降ったが遺体は汚れていなかった、しかし検察によると遺体の遺棄時
刻はそれ以前(10日午前零時ころ)というのである。確かに証言と客観的事実が矛盾し
ている。

 次ぎに、2の「秘密の暴露」について検討してみたい。虚偽自白の特徴として、この秘
密の暴露が見られない点があげられることは先に述べた。逆に言えば、自白供述を本物ら
しく見せるには「秘密の暴露」を偽装すれば良いということになる。
 「秘密の暴露」は次の二つの要件を満たさねばならない。
1.供述内容があらかじめ捜査官の知りえなかった事項であること(供述内容の秘密性)

2.その供述内容が、当の供述後捜査官によって客観的な事実と合致すると確認されてい
 ること(供述内容の確認)
 では、前述の二俣事件において行われた「秘密の暴露」について見ていこう。

 二俣事件とは、1950年1月6日夜、静岡県磐田郡二俣町で一家4人が殺された事件
である。両親は頸部を匕首で刺殺、2歳の女児は絞殺、嬰児は母の下で圧死。川の字に寝
ていた他3人の男児は無事だった。
 現場の6畳間の柱時計は11時2分で止まっていた。雪に27┰の足跡が残っており、
手製の匕首と手袋も血染めのまま発見された。
 警察は2月23日、奇術師一家の18歳の少年を別件逮捕、3月17日には殺人で起訴
した。しかし犯行時刻の11時前後には、少年には明白なアリバイがあった。それで警察
は、「実際の犯行は8時半〜9時であり、推理小説をまねて現場の時計の針を指で回し、
アリバイ工作した」という自白をでっち上げた。
 1950年12月静岡地裁浜松支部、1951年9月東京高裁とも死刑。しかし195
3年11月、最高裁は自白の真実性に疑問を呈し(少年の足は24┰、返り血が着衣から
検出されない不自然さ、匕首入手の架空性、柱時計の蓋にガラスがなかった事実、秘密の
暴露はでっち上げなど)、原審破棄、裁判のやりなおしを命じた。
 1957年10月26日、東京高裁で無罪確定。この事件で少年に対して過酷な拷問が
行われたことは前に述べた。

 誤認逮捕された少年は柱時計の針を指で回して犯行時間をごまかした、と自白した。そ
の時少年は、柱時計の文字盤の蓋のガラスが割れていてなかったと述べている。
 この点について取り調べにあたった紅林警部補は第1審法廷で「被告人は現場の時計の
針をアリバイ偽装の為廻した際、蓋をあけた覚えがないからガラスははまっていなかった
と思うと自供したので、その自供に基いて捜査した結果、右時計のガラスは去年8月頃か
ら割れてなくなっていた事実が判った」と証言した。
 この裏付けとして検察は、自供から11日後の3月16日付で「被害者方現場の柱時計
の蓋にはガラスがない」との実況見分調書を作成し、法廷に提出していた。時計の文字盤
の蓋がなかったという、捜査官が知りえなかった事実が自白により明らかにされ(第1の
要件)、その自白に基づいてその事実が客観的に確認された(第2の要件)ことになる。
すなわち、この自白は「秘密の暴露」の要件を満たしていることになる。
 だがちょっと待って欲しい。問題の自白が行われたのが3月5日、事件が起きたのが1
月6日夜である。その間約2ヵ月、警察が時計の文字盤を調べなかったなどということは
あり得ない。最高裁はこの秘密の暴露の要件を否定して、少年の自白の真実性に疑問を投
げかけて、事件を第1審に差し戻したのである。当然の事と言えよう。

 「秘密の暴露」の事例として、今度はこれまたやはり紅林警部補の関与した幸浦事件を
取り上げてみる。幸浦事件とは、1948年11月29日、静岡県磐田郡幸浦村で一家4
人が失踪した事件である。2ヵ月半後、「犯人の自供」に基づき絞殺され埋められていた
死体が松林の砂地から発掘された。
 1949年3月、別件逮捕中の同村の4人は幸浦事件の強盗殺人・死体遺棄等で起訴さ
れた。静岡地裁浜松支部は1950年4月、3人に死刑、1人に懲役1年。1951年5
月、東京高裁は控訴棄却、同死刑。しかし最高裁は1957年2月、重大な事実誤認を指
摘して原審を破棄、差し戻した。1963年7月、無罪確定。

 この事件では、主犯にでっち上げられた近藤勝太郎さんの自白により4人の死体が発見
された。しかし警察は、被害者の一人であった赤ちゃんのおむつが砂地に落ちていたこと
から、死体埋没箇所の捜索を既に行っていたのである。死体は砂の下1メ−トルほどのと
ころに埋められていたが、砂地は柔らかく、鉄棒を差し込むだけで突き当てることも可能
であった。警察はあらかじめ死体埋没現場を察知していたのだ。
 近藤さんは、1949年の2月13日に本件を自白し、死体を埋めた場所を供述して、
地図も描いた。ところが実際に現場に行ってそこを掘ったところ、とても死体を埋められ
るような場所ではなかった。場所が違うと再度の追及を受け、その夜、本当に埋めた場所
を自白した。翌朝現場へ行ったところ近藤さんは正しい場所を指示して、そこから死体が
出てきたのだと、捜査官は主張した。ところが、その夜の供述調書は作成していないし、
またその時作成したという地図は、捜査官たちが紛失してしまったという。何か怪しいと
思うのは、筆者だけではあるまい。
 この事件でも、取り調べで拷問が行われた。軽度の精神薄弱者だった近藤さんの場合、
焼け火箸を手や耳に押しつけられている。捜査主任は、前出の紅林麻雄。紅林が携わった
事件は、他にも二俣事件、小島事件とも最高裁差し戻しとなった。紅林はでっち上げられ
た被告たちが死刑、無期から無罪となることによって、逆に「拷問王」と呼ばれることと
なった。

 最後にもう一つ、「秘密の暴露」の偽装の例をあげておく。
 1974年夏、首都圏の周辺地域で女性への強姦殺人事件が多発した。その年の9月、
前科者のOが別件で逮捕される。別件逮捕の2ヵ月後の11月下旬、Oは千葉県松戸市の
OL殺しを自白する。
 松戸のOL殺し事件とは、1974年7月3日松戸市で行方不明になったOLが8月8
日、自宅近くの宅地造成地に埋められたのが発見されたという事件である。強姦・絞殺さ
れて全裸であった。
 Oの供述によって、OLの衣類や所持品が次々に発見された。まず最初がカサ(11月
30日)、次いで定期入れとサイフ(12月4日)、そして絞殺に用いたと目される被害
者自身のサロペットスカ−トの吊り紐(翌年1月21日)、最後にそのサロペットスカ−
トの本体とパンティストッキングや靴など(2月10日)。しかし、被害者の衣類・所持
品は、警察が既に大々的に捜索を繰り返していた場所から発見されたのである。何故か?

 第1審は「秘密の暴露」を認定していたが、第2審判決(確定判決)は、この点に正面
から疑義を提している。その判決要旨には「被害者の所持品や着衣が被告の指示により発
見されたというにしては、いずれもその指示状況が確たる供述調書などで裏づけられてい
ないのみならず、4回も機会があったいずれの場合も、発見されたときには、被告が立ち
会い、目撃していないという事実は、単に偶然の一致だとして看過できないと思われる」
と、偽装の可能性が示唆されている。
 では警察は何処から被害者の衣類や所持品を持ってきたのであろうか。何処かで新品を
買ってきて被害者の物らしく現場に放置しておいた、と考えてもよい。あるいは被害者が
本当に身に着けていた物を真犯人から預かってきた、とも考えられる。殺人事件で、被疑
者の供述した場所から被害者の死体が発見された、というニュ−スをよく耳にする。最初
は被疑者が犯人であることに疑いを抱いていた人も、ああ、やっぱりそうだったのか、と
納得してしまう。この場合もやはり要注意である。警察と犯人がぐるなら、警察が遺体の
埋めてある場所を知っていても不思議はないからだ。被疑者は誘導されて自白した場所か
ら被害者の遺体が出てきたので、初めはびっくり仰天、最後には諦めの心境になってしま
うだろう。こうなっては、もはや誰が何と言おうと無駄だ。自分の無実を信じてくれる人
はいないだろう、と絶望するに至る。だが一体全体、何故警察は真犯人とぐるになって無
実の被疑者を罪に陥れるようなことをするのか、その答えは最後のお楽しみに取っておこ
う。


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悪魔組織の犯罪03
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/557.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 12 日 00:00:52:

 以上のように、容器の形状に関する証言は様々である。さらに不思議なのは、犯人が毒
ガスを撒いたとされる5本の電車以外にも、不審物が目撃されていることである。

 霞ケ関駅など駅構内や電車内など複数の場所で、新聞紙にくるまれた液体が入ったビニ
−ル袋や弁当箱のようなものが発見されており、いずれも同様の刺激臭が出ていた。京王
井の頭線駒場東大前駅でも薬物とみられる液体の入った不審な箱が発見されており、不審
物が発見されたのは合わせて十数カ所に上っている。(『東京新聞』95年3月20夕刊

 このほか京王井の頭線駒場東大前駅ホ−ム上でも不審な箱のようなものが置かれていた
との情報もあり、警視庁では、犯行グル−プが複数の電車や駅の構内に不審物を置いた可
能性もあるとみてさらに詳しく調べている(『日本経済新聞』95年3月20日夕刊)

 これは一筋縄では行きそうもない。事件現場が極度の混乱状態にあったことは推察でき
る。だがそれにしても検察が言うように、地下鉄サリン事件の凶器はサリン入りのナイロ
ン袋11袋であった、とするのは無理がある。
 筆者は、地下鉄サリン事件では「バイナリ−方式」の凶器が少なくとも5つ、使用され
たのではないかと見ている。また、地下鉄サリン事件で使われた毒ガスは「サリン」では
なかった可能性が高いのである。

 毒ガスの種類について

 地下鉄サリン事件では、マスタ−ドガスも使われた可能性がある。

 地下鉄サリン殺傷事件で二十日、陸上自衛隊が除染のため出動、地下鉄小伝馬町駅でマ
スタ−ド系とみられる有毒ガスを検知した。
 マスタ−ドは皮膚に付着してただれさせる「びらん剤」だが、気化した場合、サリン同
様の呼吸困難を引き起こすとされる。
 同駅に派遣された第十二師団(群馬・榛東村)化学防護小隊が検知器で検出したが、さ
らに分析中。マスタ−ドは揮発性が低く、構内に残留している可能性があるため、慎重に
除染作業を行った。(『東京新聞』95年3月21日朝刊)

 防衛庁によると、霞ケ関駅と築地駅で検知した物質はサリンとみられるが、小伝馬町駅
の残留物質については、呼吸器などがただれるマスタ−ド系のびらん剤の疑いもあるとい
う。(『読売新聞』95年3月21日朝刊)

 捜査本部は営団地下鉄日比谷線、千代田線、丸ノ内線の三路線五車両で有毒ガスの発生
源とみられる容器計六個を発見。複数の残留物の分析から、主成分を猛毒の神経ガス「サ
リン」と断定。また、現場の一カ所からはマスタ−ドガスとみられる「びらん性ガス」を
検出した。
 日比谷線小伝馬町駅に出動した自衛隊が現場の毒物を中和させる作業中、付近の有毒ガ
ス検知で、マスタ−ドガスとみられる「びらん性ガス」を検出した。警視庁科学捜査研究
所で鑑定を急いでいる。
 小伝馬町駅などから病院に運ばれた三人の患者は、サリンによる症状のほか、発疹(ほ
っしん)や気管支炎などびらん性ガスの症状が出ているという。(『共同通信』95年3
月20日)

 日比谷線の一両目に乗っていた。広尾駅を過ぎたあたりで、「マスタ−ドのような刺激
臭がして、居眠りから目が覚めた」。(『毎日新聞』95年3月22日朝刊)

 誰もが見過ごしていた記事が、ここに次々と発掘されていく・・。サリンは神経ガスで
あり、マスタ−ドはびらん性ガスである。当然、その中毒症状も異なる。マスタ−ドだけ
ではない。地下鉄毒ガス事件では、シアン化合物(青酸ガス)も使われた可能性が高いの
だ。青酸ガス使用を指摘する記事を次に掲げる。
                                      
 「有毒ガスというからには、これはサリンかシアンかどっちかだな」ということです・
・すると九時半になって、東京消防庁がアセトニトリルを現場で検知したというテレビ報
道がありました。東京消防庁化学機動中隊特別化学車というガスを検知したりする特別な
車両があるんです。それで調べてみたら、アセトニトリルが出てきた。となると、これは
青酸ガスです」(村上春樹『アンダ−グラウンド』講談社より)

 中野坂上駅の残留物からは「アセトニトリル」と呼ばれる劇物のシアン化合物を検出、
捜査本部はサリンとシアン化合物の混合物の可能性があるとみている。(『共同通信』9
5年3月20日)

 地下鉄サリン殺傷事件で二十日、東京都墨田区の白鬚橋病院で被害者の手当てをした医
師によると、被害者の血液と尿を調べたところ、シアン化合物が検出された。毒物はサリ
ンとシアン化合物の二つの毒が合わさった猛毒であった可能性が高いという・・
 このほか、シアン系の薬物が検出され、有機リン系のサリンとシアン化合物の両方によ
る被害を想定して手当てをしているという。(『共同通信』95年3月20日)

 そうか、分かったぞ。地下鉄毒ガス事件ではサリンと青酸ガスの両方が使われたのか、
と早合点しないで頂きたい。サリンと同様の中毒症状をもたらし、かつ青酸ガスを発生さ
せる神経ガスが存在するのである。それは「タブン」である。ここに地下鉄毒ガス事件の
謎を解明する最後の鍵がある。
 もう一度、繰り返す。「サリン」と「タブン」は両方とも神経ガスであり、その中毒症
状は酷似している。例えば、コリンエステラ−ゼの低下など。しかしサリンはシアン化合
物を放出しないが、タブンはシアン化合物を放出するのである。事件現場でシアン化合物
(アセトニトリル)が検出されたということは、地下鉄毒ガス事件で使用された毒ガスが
サリンではなくタブンであったことを示している。
 そんな話は寝耳に水だ、お前の妄想ではないか、と仰るかもしれない。しかし毒ガス=
タブン説を裏付ける記事が現に存在しているのだ。

 「あの事件は、ほんとうにサリンだけの殺人だったのか」
 医療関係者の間で最近、こんな疑問がささやかれている。「あの事件」とは、もちろん
地下鉄サリン事件である。
 実はここに、一枚の資料がある。
 ひとことでいえば、地下鉄サリン事件の被害者から採取した尿の分析デ−タである。ま
とめたのは、被害者の治療にあたった都内の病院や医科系大学の関係者。被害者のプライ
バシ−の問題もあって公表されてはいないが、本誌が入手したのはその一部、十数人分で
ある。
 この中にこそ、医療関係者に「毒ガス=サリン」説への疑問を抱かせることになった、
衝撃の事実が隠されているのである。
 その患者を、仮にA子さんとしよう。若いOLである。採尿の日時、回数は患者ごとに
異なっているが、A子さんの場合、事件の二日後、三月二十二日から四月四日にかけて行
われた計十回分のデ−タが掲載されている。
 測定項目は「イソプロピルアルコ−ル」「エタノ−ル」「アセトン」など六項目。なか
でも問題となったのはエタノ−ルの数値である。

 3月25日=129.3050
   26日= 50.1580
   27日= 61.7780
   28日=125.5550

 これがいかにケタはずれの数値であるか。検査にあたった医師の一人が説明する。
「エタノ−ルは酒の主成分となるアルコ−ルで、健康な人であれば、尿からは百分の一ミ
リグラム単位でしか検出されないのが普通なんです。当然、酒を飲めば上昇しますが、こ
の患者にはあてはまらない。なぜなら、この人はずっと昏睡状態だったからです」
 しかも、A子さんと同様の異常数値を示した入院患者はほかにもいるというのだ。

 これはいったい、どういうことなのか。さらに、そもそもエタノ−ルが大量に検出され
たことが、なぜ「サリン疑問説」につながるのか。
「サリンが体内で分解されてもエタノ−ルが検出されることはない。また、エタノ−ルは
サリンに反応するので溶剤としても使えない。サリン中毒だとすれば、エタノ−ルが出て
くる要素はまったくといっていいほどないんです」
 つまり、もともと体内にあるはずがなく、サリンだけではとうてい説明のつかない物質
が、重症患者の体内から大量に出てきたということなのである。ここで、前出の医師が恐
るべき推論を提出する。
「神経ガスの被害に遭い、体内で分解するとエタノ−ルが出てくる物質といえば、まず考
えられるのがタブンです。・・」(『サンデ−毎日』95年6月4日)

 オウム真理教バッシングの口火を切った『サンデ−毎日』が、オウム真理教=地下鉄サ
リン事件犯人説に疑問を投げかける情報を提供することになるとは、皮肉なものである。
地下鉄毒ガス事件の実行犯はオウム真理教ではないというのが、筆者の確信するところで
ある。
 こんなことを書くと、お前はオウム真理教の回し者か、と言われそうだが、筆者が欲す
るのはあくまで真実の追求である。この点、勘違いされないように。

 「タブン」に関する最後の情報提供者は日本人ではなく、外国人である。毛唐に国内の
ことをあれこれ言われたくないが、地下鉄毒ガス事件は国際的大事件であり、日本のジャ
−ナリズムや警察にも海外から大きな圧力が加わっていることが良く分かる。

 The Japan Times Weekly April 1.1995

 たぶん、タブン
 神経ガスと公式隠蔽についての難問
                              ジョン・パ−カ−

 東京地下鉄事件に関して海外の専門家の意見が全くと言っていい程、欠如しているのは
何故なのか?アメリカや他国の報道機関のビデオテ−プは、いわゆる「サリン攻撃」に関
するカギとなる場面を映しているのに、何故日本で放映されないのか。
 日本の警察は日本のメディアと一緒になって、3月20日の東京地下鉄の攻撃に使われ
た毒ガスはサリンであると、頑固に言い張っている。化学戦争に関する第一流の権威の中
には、この主張に疑問を呈する者も存在している。シカゴに本拠を置く非常時対応及び調
査学会(ERRI)は、東京での犠牲者の症状はサリンに対する生体反応と合致していな
いと述べている。むしろ、観察された症状−目の霞み、瞳孔狭窄、筋肉のひきつりなど−
は、タブン(エ−ジェント GA)と呼ばれる別の種類の神経ガスの特徴に一致するので
ある。他の海外の専門家も、症状に関して同様の疑問を表明している。
 ERRI速報のような報告が日本のメディアに無視されるのは何故なのか。海外の専門
家が当局の所見に異議を唱えるような報道番組に登場するようなことがあれば、宗教カル
ト・オウム真理教に対する政府の立場を損なうとでも言うのだろうか?
 オウム・カルトに対する警察の言い分はすべて、製造されたのはサリンで、それが攻撃
に使われたということを根拠にしているので、他の毒ガスが使われたと証明されたら、捜
査は失敗に終わるだろう。山梨の教団施設で発見された化学物質がサリン製造に使われた
ことを「証明」しようと日本の警察やメディアが躍起になっているのは、このためなのだ
ろうか?
 半官半民のテレビ局NHKがこの件に関する海外制作のビデオの独占放映権を獲得して
いながら、それが日本で放映されないのも、このためなのだろうか?NHKのスポ−クス
マンは、東京毒ガス攻撃についての海外ニュ−スを隠していることを否定している。

 「(海外の情報源)から購入した素材を全て放映するわけではない。後日の報道のため
に置いておくこともある」とスポ−クスマンは述べた。

 あらゆる疑問を払拭する一つの方法は、例えば、地下鉄で発見された物質のサンプルを
FBIに送ることだ。だが日本の警察は、このような方法で海外の捜査機関と協力するこ
とを拒んでいると報告されている。警察はこの事件に関するあらゆる証拠を公表しようと
しているのだろうか、それともその正反対なのか?
 日本の大衆は、事実に直面するだけの勇気がある。論議の的になっているニュ−スフィ
ルムを放送し、新たな見解のための資料を提供してはどうか。

 ジョン・パ−カ−は東京在住のフリ−ランス・ジャ−ナリスト


 これは、NHKが独占権を買った後に、NHKによって書かれたメモの中の一つである
。スト−リ−の要約は以下の通り。
 日本における使用制限:日付/場所−日本。3/25/Re:地下鉄サリン攻撃/事件
直後の犠牲者/アメリカの教授のコメント/担架で運ばれる犠牲者/病院での犠牲者/専
門家のコメント/地下鉄車両を清掃する(防護服を着た)人たち

 「東京地下鉄攻撃で使われたガスがサリンかどうか、疑っている科学者もいる。伝えら
れているところによると、サリンは猛毒なので、もしそれに曝されたなら、死者は10人
どころでは済まなかっただろう。犠牲者の中には鼻や口から血を流している者もいる−こ
れはサリンの症状ではない。ソビエト化学兵器プログラムの前代表は、サリンは無煙・無
臭であると述べている。しかし、今回の攻撃では煙も臭いもあった。ちょっと曝されただ
けでも、鳥目になるが、鳥目は一例も報告されていない。」

 画面:有毒化学物質に曝されて、地下鉄から逃げる人々の列。
ジョ−ジ・ワシントン医科センタ−のクレイグ・ディ−トリ−教授
「被害者たちは果物のような臭いがしたと言っていた。原則として、サリンは無臭だ。」


 画面:担架に乗せられた人々と、息をつこうとしている人々
化学兵器専門家アナトリ−・クンツェヴィッチ
「我々は煙があったと聞いているが、サリンは無煙だ。臭いはなく、使用時、目に見える
徴候は全くない。このためサリンの疑いは除外される。」

 画面:東京病院でガスの治療を受ける人々
前米陸軍軍事ガス開発局長ソウル・ホ−ンマッツ
「日本人に、患者の症状のリストとサリンの症候例を出させ、これらの症状が発生しなか
ったのは何故か、と誰かが尋ねるべきだ。これらの症状が発生しなかったのを、あなたは
どのように説明するのか、と。」

 地下鉄サリン事件後に来日した、米化学生物兵器管理研究所のカイル・オルソン副所長
は、オウム真理教のサリン・プラントでタブンも作れると繰り返し発言していた。英字新
聞『ジャパンタイムズ・ウィ−クリ−』も地下鉄毒ガス事件で使用されたガスはタブンで
はないかと憶測しているし、『週刊現代』もタブンの可能性を仄めかしている。
 しかし捜査当局は毒ガス=サリン説に固執した。ではマスコミは何故、毒ガス=タブン
説をリ−クしたのであろう。まさかオウム真理教の味方をしたのではあるまい。マスコミ
にとっては地下鉄で撒かれた毒ガスがサリンであっても、タブンであってもどうでもいい
ことだ。オウム真理教がタブンも製造していたことにしてしまえばいいからである。
 だがこの毒ガス=タブン説は、日本の警察に対する心理的圧力になったことは疑いえな
い。警察は毒ガス=サリン説を貫くことで、組織全体がある種の共犯関係に陥ってしまっ
た。真実を隠蔽し犯人をでっち上げることで、警察組織全体が結束しなければならなくな
ってしまったのである。
 これがマスコミが捜査当局の見解に異議を唱えた本当の理由なのである。マスコミは警
察より怖い。いずれにしろ、地下鉄毒ガス事件で撒かれた毒ガスがタブンであったことは
間違いないであろう。

 証拠捏造と隠蔽工作

 しかしそれにしても地下鉄サリン事件の実行犯とされたオウム真理教の被告たちが地下
鉄にサリンを撒いたことを認めているのだから、オウム真理教が事件を起こしたことに間
違いはないだろう、という反論が返ってきそうである。
 しかし筆者は、被告たちの自白はでっち上げられたものであると思っている。後程詳し
く分析するが、彼らの自白内容が虚偽である根拠として、ここでは二点だけ指摘しておき
たい。
1.自白の変転
2.複数の被疑者間の自白のくい違い
 まずは「自白の変転」に関して見ていこう。

 以下は、『文藝春秋』98年2月号に掲載された、麻原弁護団長・渡辺修氏に対する、
ジャ−ナリスト・和多田進氏によるインタビュ−記事である。

  お話に出た地下鉄サリン事件ですが、現時点で弁護団としてはどこまで明らかになっ
たとお考えですか。
 渡辺 そうですね。現在での到達点というと、検察側は三月十八日のリムジン車内での
謀議のみを挙げて、麻原被告の共謀責任を主張しているわけです。そしてそれに関する証
拠は、井上嘉浩証人の証言しかない。村井氏は殺されてしまったし、石川氏、青山被告は
起訴されず、事件に関係ないことになっている。遠藤被告はまだ証言するに至っていませ
ん。
  検察側の主張する地下鉄サリン事件への麻原被告の関与は、現段階では井上被告の証
言によってのみ裏打ちされているということですね。
 渡辺 ええ。ただし、井上証言は検察での供述調書、法廷での証言と、内容がどんどん
変わって詳しくなっていて、信用性に疑問が大きいのです。それはともかくとしても、井
上証言で終始一貫して変わっていないのは、「車中で地下鉄にサリンを撒くという方針が
決まった」とは言っていないことなんです。
 検察側の証人尋問でも、「上九一色村に着いて車から降りるときに、教祖は『これから
瞑想して考える』と言って瞑想室へ入っていった」と証言して、「だから事件を起こすと
決意したとすればその後だ」というのが井上証言の主旨です。ところが検察側の主張では
麻原被告が「車内でサリンを撒くことを決意し、村井に総指揮を取れと指示した」となっ
ている。つまり、教祖の決意−方針の決定−主命服従で一気に走る、というのが検察側の
筋書きですが、「車中の決意」については唯一の証言者である井上被告の証言で既に崩れ
ているんです。その程度の相談でも「謀議」となるんじゃないか、という人もいますが、
少なくとも検察側の主張している「謀議」ではない。・・

 渡辺 他のオウム関連事件の冒陳もそうなんですが、肝心なところでディテ−ルが全部
欠けている。そして訳の分からない冒頭陳述の筋書きも、裏付けと見なしていた井上証言
自体によって否定されてしまった。ですから弁護側としては、三月十八日の車中謀議とい
うのが崩れた以上、いったい検察側はどの謀議を主張するのか、もう一度整理し直せと要
求しているんです。(「麻原裁判 これだけの問題点」より)

 次に「自白のくい違い」について見てみる。以下は、目黒公証役場事務長・假谷清志さ
ん拉致事件に関しての、飯田エリ子被告と井上嘉浩被告の法廷対決の場面である。

 麻原に拉致を手伝うよう命じられた井上は、二十八日早朝、飯田が寝泊まりしていた東
京都世田谷区内のマンションを訪れている。そこで飯田から假谷さんの自宅の地図を受け
取り、假谷さんを運ぶためのワゴン車の手配を頼んだ、という。
 飯田側は、・二月二十七日目黒駅近くの話し合いで、「拉致」を提案していない、・幹
部の話し合いの席で、飯田は「拉致」という言葉を使っていない、・ワゴン車の手配を頼
まれていない−と主張。五月十日の第六回公判では、中村(中村昇−筆者注)が、飯田の
主張に沿う証言を行うとともに、麻原彰晃(本名・松本智津夫)の関与も否定した。しか
し、井上は「他の人がどう言っていようが、私の記憶ははっきりしています」と、証言を
変えなかった。

 弁護人、裁判官の尋問の後、飯田本人が立ち上がり、井上の証言に反論を始めた。
 飯田「平成六年秋頃、Bさんという信徒が、一回帰宅を許したために帰ってこなくなっ
た時、私は井上さんに依頼をしました。この時、井上さんは、家の周辺の張り込みとか、
ゴミ箱を漁って手がかりを探すとか、盗聴器をつけて電話の発信先を調べたりしていまし
た。この前例があったので、私は同じような方法で行方を探して欲しいと考えました。い
きなり拉致という発想は私にはありません」
 井上「飯田さんの話は条件が違います。Bさんの場合は単なる学生信徒でしたし、本人
には出家する気はなかった。だから盗聴器を仕掛けるなど、通常の形でやりました。しか
し、A子さん(假谷さんの妹−筆者注)の場合、何億という単位の財産が絡み、出家しよ
うとしていたのに突然いなくなった。だから、早く探さなきゃいけないと、主に中村さん
が拉致を提案し、飯田さんが賛同したという記憶が私にはあります」
 飯田「第二サティアンでのやりとりの中で、私が假谷さんを拉致するという趣旨のこと
を言った記憶はありません」
 井上「飯田さんの口から聞いた覚えがあります」
 飯田「だとしたら、麻原教祖が私を外すはずがありません」
 井上「それは違うと思います。・・」

 こんな細かいこと、どうでもいいだろう、地下鉄サリン事件で麻原の命令があろうがな
かろうが、假谷清志さん拉致事件で飯田被告の関与があろうがなかろうが、とにかくオウ
ム真理教が事件を起こしたことは間違いないだろう、と仰るかもしれない。本当にそうな
のだろうか。細かい嘘が重なって、地下鉄サリン事件という大事件の構図が捏造されたの
ではなかろうか。

 「被告の自白」という第一級の証拠が捏造された可能性に加えて、地下鉄サリン事件の
「遺留物」という物証が隠蔽された可能性も存在している。

  地下鉄サリン事件で言うと、遺留品の鑑定にも問題があると聞きます。正直に言えば
、三月二十日のあの混乱した事態のなかで正確に証拠を残しながら捜査を進めるというの
は確かに大変なことで、捜査側にも同情する点もなくはないんです。しかし、冒頭陳述を
読んでも、撒かれたものがサリンであると鑑定していく捜査過程がさっぱり分からないの
も事実ですね。
 渡辺 おっしゃるとおりですね。例えば現場の遺留物としては、千代田線霞ケ関駅で、
二袋のうち一袋がまるまる残されていて、非常に重要な証拠物となっています。地下鉄の
駅の人から任意提出を受けて警察は、その領置調書をつくった。それが、その証拠物を警
察が手にしたという公の書類です。しかしその調書を見ると、領置した物件は「濡れた新
聞紙様のもの」としか書いていない。実際には、新聞紙に包まれた「袋」があったはずな
んですが、それが書いていないんです。それで領置調書は不同意(証拠として認めない)
として、警察官の証人尋問を行った。その結果、「袋はあった」という証言を得て、調書
の記載の誤りが明らかになったということがありました。
 確かに、現場では混乱した状況があったかもしれません。しかし仮にその時点で食い違
いがあっても、法律の手続きとしては後からでもきちんと補正すべきなんです。一般には
なかなか理解されないかもしれませんが、きちんとしたドキュメントが提出されず、現場
から何が採取されたのかハッキリしないということは、その証拠物は存在していないこと
と同義なんです。
 警察官の証人尋問の後、弁護団はその領置調書に対する不同意を撤回して、証拠として
法廷に出せ、と言いました。ところが今度は検察側が、その領置調書を法廷に出さないこ
とにしたんです。だから結局、「千代田線霞ケ関駅で領置された袋」に関する領置調書は
、現在のところ証拠として法廷に存在していない。これは非常に特異なケ−スですね。

 この問題の関連で言うと、この「袋」は事件当日、埼玉県大宮の自衛隊の化学学校に運
ばれて、仕分けされました。
  そこはハッキリしているわけですね。
 渡辺 ええ。証言も仕分け作業の写真もあります。しかし僕らが問題にしているのは、
この経過を記録したドキュメントがほとんどない、ということなんです。誰が、どういう
方法で運んで、化学学校のどの部屋で、何時何分から、誰が、どのように仕分け作業を始
めたのか、分からないんです。「袋」の外側の一枚を剥いだら何が出てきたか、いちいち
記録する必要があると思いますが、その種の資料がないんです。マスクを被った二人が仕
分け作業をしている写真は残っていますが、これが誰なのか分からない。
  ほう、そうですか。
 渡辺 立ち会ったという鑑定人に証人尋問しても、「誰なのか分からない」と言うんで
す。警視庁の科学捜査研究所が自衛隊化学学校に助けてもらって作業をしたということに
なっていますが、科捜研が自分で仕分け作業をしていたのかという疑問も出てくるわけで
す。仕分け作業の後で遺留物は警視庁に戻り、サリンと鑑定されたことになっているわけ
ですが、その最終の鑑定書があるだけでそれを裏付ける途中が抜けているわけですね。
  すると現場に遺留されていた物と最終的に鑑定の対象とされたものが完全に一致せず
、他のものが混じり込んだりスリ替えられたと言いうる余地が残されてしまっている、と
いうことですか。
 渡辺 そうなんです。最終的な鑑定がいつから始まり、どこでやったのかも分からない
んです。・・(「麻原裁判 これだけの問題点」より)

 遺留物の鑑定の経緯の不自然さは、オウム・ハンタ−である江川紹子さんも指摘してい
る。

 (3月20日−筆者注)午後になって、安藤科長ら数人の技官が埼玉県大宮市の陸上自
衛隊化学学校に赴いた。日比谷線の二カ所で領置された新聞紙に包まれた不審物を、仕分
けするため、強制排気装置を備えた自衛隊の施設を借りることになったのだ。
 この事件の場合、通常の事件では裁判に提出されるような遺留品の扱いに関する書類が
揃っていない。そのことを弁護側から追求されると、安藤科長は穏やかな口調で反論した

「通常は、鑑定嘱託書とともに試料がまいりまして、確認した上で試料に番号をつけてい
くわけですけれども、この事件ではそういうことをする時間的な余裕もありませんでした
。後からですとどうでも言えることですが、その時はもう混乱している状態でした」
 丸ノ内線、千代田線の車両にあった不審物も、領置されて事件当日に科捜研に運び込ま
れている。しかし、正式な鑑定嘱託の日付は三月二十四日。それまでの間、サリンはどこ
に保管されていたのかを示す証拠が出されていない。安藤科長も、「(庁舎の)屋上にあ
る科捜研の施設に置いたんだと思います」と言うだけで、はっきりした記憶がないようだ
。・・(江川紹子「オウム真理教」裁判傍聴記・ 文藝春秋)

 地下鉄サリン事件が起きたのは、95年の3月20日である。不審物が領置されたが、
3月20日から3月24日までの間、それがどこに置かれていたのか記憶がないという。
おいおい、こんないい加減なことでいいのか。事件現場は混乱していた、これは捜査側の
言い分である。あいまいな証拠で有罪を宣告される被告はたまったものではない。
 これは例えて言えば、痴漢に間違われて逮捕されてしまった、証人がいた、しかしその
証人の氏名も身分も分からない、というようなものだ。では彼らが犯人であるという証拠
は何があるのかと言うと、結局のところ警察署で捜査官に脅しすかされて取られた「自白
供述」だけということになる。
 もし潔白ならあくまで無実を主張すればいいじゃないか、過去に犯行を自白してしまっ
たとしても公判で供述を覆せばいいことだ、と逮捕された経験のない者は言うだろう。筆
者も逮捕された経験は持ち合わせがないが、豊かな想像力で被疑者の心境を推し量ること
はできる。
 「自白」というものは、第一級の証拠である。取り調べ官に自白を強制されたと後から
主張しても、実際に法廷で自白の証拠能力(任意性)が否定されて被告が無罪になる可能
性は極めて少ない。あくまで無実を主張すれば、裁判の長期化も予測されるし費用もかか
る。それに無罪判決を勝ち取る保証もないのである。
 被疑者は頼りとする家族にまで疑いの目で見られることもあるだろうし、職も失ってし
まうかも知れない。とてもじゃないが、長期裁判を闘う気力など残されていない。こうし
て涙を飲んで理不尽な有罪判決を受け入れてしまった被告がどれ程いたことか、数えきれ
ないだろう。冤罪が表面化することなど、氷山の一角に過ぎない。今この時点でも、有罪
判決を受けて服役している者の中には無実の者が大勢含まれていることだろう。
 それではお前はこの世に正義はないというのか、と仰るかもしれない。ある意味ではそ
うとも言える。騙されて友人の借金の連帯保証人になったがその友人にとんずらされてし
まい、莫大な負債を抱え込んでしまった。こんなつもりではなかったと言って、借金を免
除してもらうことができるだろうか。借用書に自分の印鑑を押してしまっていたら、まず
難しいと言わざるを得ない。これが法律というものである。融通は効かない、正義は通ら
ないのである。
 大方の者は、そんなことはよく分かっている、騙された方が馬鹿なのだ、と言うだろう
。他人の保証人になって泣きを見た、という話はよく耳にする。だから我々はそうならな
いように気をつけることができる。だが我々は無実の罪で逮捕された時に、自白の持つ重
大性というものに気づいていない。取り調べの苦しさから逃れようと一時的に偽りの自白
をしても、後で簡単に取り消せるものと考えている。ところがどっこい借用書の捺印と一
緒で、一度行った自白というものはそう簡単には取り消しが効かないのである。
 もし自分が無実の罪で逮捕されたら、どんなことがあっても無実を主張する、嘘の自白
なんてしない、だから大丈夫と言う人もいるかもしれない。筆者に言わせると、これはや
はり逮捕された経験のない人の発言である。警察の取り調べというものは、そんなに甘く
はない。話せば分かると思っていくら無実を主張しても、警察はそんな話は聞いてくれな
い。犯人の言い逃れだと考えるからだ。そうして何時間も何日間も厳しい取り調べを受け
るうちに、どんなに身体頑健、意志強固の者でもこの苦しみから逃れるためには、一時的
に警察の言うなりになって嘘の自白をした方が良い、と考えるようになる。
 これが、被疑者が「落ちる」瞬間である。一度「落ちて」しまえば後は簡単、被疑者の
口から自白を引き出して、偽の犯行スト−リ−を構成していく。これは捜査官が被疑者に
一方的に押しつけるものではなく、捜査官、被疑者双方の協同の産物である。被疑者は苦
しみから逃れんがために、自分の口から犯行内容を告白するのである。事実と合わない部
分は、捜査官が誘導して修正していく。かくして、偽りの供述調書の一丁上がりである。
一度自白に陥ってしまった被告が公判で供述を撤回することの難しさは、すでに述べた通
りである。
 それでは捜査官は被疑者が無実であると知っていて、犯人に仕立て上げようとしている
のであろうか。そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。凶悪事件の場合、警察
はメンツにかけて一刻も早く犯人を検挙しなければならない。世間は騒ぐし、マスコミは
ヒステリックに事件を書き立てている。上層部からの圧力も加わる。こんな状況の中では
、焦燥に駆られた現場の捜査官が誤って無実の被疑者を犯人に仕立て上げてしまっても、
不思議はないだろう。
 だが筆者はここでもう一つ別の可能性を指摘しておく。彼らは無実の被疑者をそれと知
って犯人に仕立て上げてしまうことがあるのだ。真犯人を野放しにして事件の真相を隠蔽
してしまう。それは彼らが事件の本当の動機を知っているためであり、一般大衆の目から
その動機を隠しておかなければならない必要性を感じているためである。つまり陰謀が存
在しているということだ。事件の本当の動機というものについては本書の最後で検討した
い。
 それにしても軽微な罪ならともかく、殺人などの重罪に問われている場合、公判で無実
を主張しないことは考えられない。何故なら、このままでは無期懲役か死刑になってしま
う可能性が大きいからだ、という意見もあろう。
 至極ごもっともな意見である。殺人の罪で逮捕されて留置場で一度犯行を自白したが後
に撤回し、法廷で無実を主張して何十年か後に冤罪が晴れて見事無罪判決を勝ち取った被
告も確かに存在している。だがこれはやはり稀なケ−スなのである。被告の大部分は罪を
認めて懲役に服することを選択する。被告の中には從ようとして死刑台の階段を登ってい
った者も大勢いたに違いない。
 そんな馬鹿なことは常識的に考えられない。そういう意見が大勢を占めることは、筆者
も重々承知している。しかしこの世には、常識で割り切れないことがまま存在するものな
のである。死刑囚のこの不条理な心理を解明することが筆者に課せられた課題であると思
うので、この異常心理を跡付ける努力をできるだけ行ってみたい。


 自白の研究

 まずは表1をご覧頂きたい。これは1970年代以降に再審開始・再審無罪となった、
主な事件の一覧表である。この表から分かることは、冤罪であることが裁判所によって認
められ、再審無罪の判決が下されるまでに、ほぼ30年の長い歳月を要していることであ
る。
 免田事件は逮捕の約34年6ヵ月後、誤判(第一審)言い渡しの約33年4ヵ月後、
 財田川事件は逮捕の約33年11ヵ月後、誤判(第一審)言い渡しの約32年後、
 松山事件は逮捕の約28年7ヵ月後、誤判(第一審)言い渡しの約26年8ヵ月後、
 島田事件は逮捕の約34年8ヵ月後、誤判(第一審)言い渡しの約30年8ヵ月後、
に、ようやく再審無罪の判決が下されている。
 再審無罪を勝ち取るには、かくも長い裁判を闘い抜かねばならないのである。その間の
被告本人や家族の苦労は計り知れないものがある。金もかかるし時間も取られる。何より
もそれだけ長期間、気力を保ち続けることが大変だ。再審で無罪判決を勝ち取り冤罪を晴
らしたとたんに、安心したかのように永眠してしまった元被告がいたのも頷ける。
 しかし本人が生きているうちに冤罪を晴らすことができるのは、まだ幸運な事例なので
ある。本人死して後、遺族の手で冤罪が晴らされた事例もあるし、冤罪を叫びつつもいま
だに再審が開かれない事件もいっぱいある。表2は再審請求中および再審請求棄却等に終
わった主な事件の一覧表である。
 確かに冤罪は許しがたいことであり、誤判は決してあってはならない。しかしあくまで
も冤罪は例外的現象であり、刑事裁判の全体から見れば微々たる病理的現象であって、幸
いにしてその誤りは再審で是正され解決済みである。刑事裁判は正常に機能している。そ
う思っている人が大部分かも知れない。
 ところが実際には、再審のル−トにのるのはほんの一部なのである。なぜ再審のル−ト
にのらない暗数が多いのかといえば、誤判を主張して再審を請求して争っても裁判所がな
かなかその主張を認めないこと(再審の門の狭さ)、もし再審に失敗すると再度有罪判決
を受けたのに等しい社会的汚名をかぶる危険があること、再審を請求して争おうとしても
厖大な労力や時間や弁護費用がかかることなどのため、誤判を受けた元被告があきらめて
、泣き寝入りをしてしまうことが多いためである。
 あるアンケ−ト調査によると、再審無罪事件7に対して、冤罪=誤判の暗数が435も
あるという。1対62である。もちろんこれはあくまで推計であり実態は闇の中である。
だが潜在的な冤罪の件数を探る手掛かりにはなるだろう。理不尽な有罪判決を受け入れて
泣き寝入りしてしまう被告のどれ程多いことか、計り知れない。
 だが無実の被告があきらめて有罪判決を受け入れてしまうのは、あくまで軽微な事件で
あって、殺人等の重罪事件では無実を主張して公判で争うに違いない、という反論もある
だろう。極刑(死刑)が宣告される可能性が大きいからである。
 しかし殺人等の重罪事件であっても反省の度合いによっては罪一等を減じられて、無期
懲役の判決で済む場合もある。金と時間と労力を賭けてあくまで闘うか、それとも罪を認
めて服役して恩赦で出所するか、被告は究極の選択を迫られる。最高裁まで争っても死刑
判決を受けるかもしれない、ここは反省している演技をして無期懲役の判決を受けた方が
利口だ、そうあきらめてしまう被告も大勢いると筆者は推測する。
 いったい彼らは何故そう簡単にあきらめてしまうのか、この世に正義はないのか。真実
はいつか明らかになるものだ、世間の人もきっと分かってくれる。こう思って長期裁判を
闘い抜く意志強固な人も稀には存在する。先程述べた再審無罪を勝ち取った人たちである
。だがこういう人はあくまで少数派である。大方の者は闘争を放棄して罪を認めて懺悔す
る見返りに、温情のある判決を期待するようになる。そして彼らが闘争をあっさりあきら
めてしまう背景には、「自白」の存在があるのである。
 繰り返しになるが、「自白は証拠の王」である。だが自白を証拠として用いることがで
きるのは、それが強制、拷問、脅迫、約束、利益誘導、偽計などによってなされたもので
ないことが必要であるとされている。

 強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意に
されたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。(憲法第38条第
2項、刑事訴訟法第319条第1項)

 この証拠法則は、通常「任意性なき自白は証拠能力がない」という形で表現される。違
法な手続でとられた自白は証拠としてはならない、のである。しかしこの原則がきちんと
適用されていたら冤罪事件など発生しないことは言うまでもない。

 それにしても人は何故、自分を罪に陥れる自白をしてしまうのだろうか。逮捕拘留の経
験のない者は、人は一般に自分に有利な嘘はついても不利な嘘はつくものではない、した
がってあえて自分に不利な事実を自白したとすれば、それはなにより信用に値する、と考
えるだろう。ことにこれが殺人等の重罪事件であればなおさらである。犯行を認めてしま
えば、死刑になりかねないからである。
 ところが死刑を宣告されたような重大冤罪事件のほとんどに自白がある、という現実が
あるのだ。重罪事件ほど虚偽自白の発生率は高い。それだけ捜査官の取り調べも厳しくな
るということだ。
 ではこれから、人が虚偽自白に至るプロセスを分析していこう。


 戦前戦中においては、日本でも自白を引き出す手段として拷問が公然と行われていた。
苛酷な拷問に屈して虚偽の自白をしてしまう、というのは読者にも分かりやすいだろう。
だがどんな拷問にも屈せず、否認を貫徹した人たちがいる。日本の岩窟王と呼ばれた吉田
石松老や、加藤新一老の話は有名である。この二つの事例を簡単に紹介しておこう。

 吉田石松老事件−1913年8月、名古屋市郊外で繭小売商が後頭部を殴られて即死、
1円20銭が奪われた。犯人のガラス工・海田庄太郎(22)と北河芳平(26)は自分
たちの罪を軽くするため、吉田石松(34・福井県生まれ)を主犯に仕立てた。どんな拷
問にも吉田は屈せず否認のまま起訴。1914年11月、無期が確定する。
 服役すること20年余、獄中2度の再審請求、大臣請願5回。1935年3月、仮出所
。海田と北河の所在を突き止め、罪をなすりつけた詫び状を取って3回目の再審を請求す
るが棄却。戦後になっても吉田は無実の訴えを止めず、あるときは天皇直訴を企てる。
 1962年10月、再審開始。1963年2月28日、名古屋高裁は「先輩の誤判を詫
びる。翁の余生に幸多からんことを祈る」と、天皇の名による判決を取り消した。ときに
吉田老は84歳、実に50年ぶりで再審史上初の雪冤がなった。それから9ヵ月後の12
月1日、永眠。「人権の神ここに眠る」と墓に刻まれた。

 加藤老事件−1915年7月11日朝、山口県豊浦郡殿居村で炭焼人夫が惨殺されてい
るのが発見された。同月22日に馬車曳き・岡崎太四郎(34)が、また彼の自白により
25日に共犯として農業・加藤新一(24)が、強盗殺人で逮捕された。1916年11
月、無期確定。
 終始一貫して無実を訴える加藤だったが、15年間模範囚として服役し、1930年1
2月に仮出所。1963年2月に「吉田岩窟王」が50年ぶりに雪冤したニュ−スに接し
、第1次の再審請求に踏み切る。1976年9月、再審開始。1977年7月7日、無罪
判決。ときに加藤老は86歳。雪冤闘争最長記録、事件から62年の歳月がたっていた。


 凄まじい執念である。これだけの執念がなければ、再審無罪など勝ち取れなかったので
ある。逆に言えば、それだけ冤罪に泣いたケ−スが多かったということだ。
 しかしこれは終戦前の野蛮な時代が生んだ産物であり、戦後は拷問等、暴力的な取り調
べは廃止されたはず、と仰るかも知れない。確かに、戦後4年目にして成立した新刑事訴
訟法においては、拷問はもとより脅迫や強制などもまた禁止され、そうした不法な手段に
よる自白は証拠とできないむね明記されている。だが刑事取り調べの現場では、今に至る
も拷問は根絶されていないのである。

 取り調べ過程で拷問が行われた戦後の冤罪事件として有名なものに、八海事件がある。

 1951年1月25日朝、山口県熊毛郡麻郷村字八海で、64歳の同い年のAさん夫婦
の死体が、隣人によって発見された。通報で警察が駆けつけた。夫は寝室の布団のなかで
、顔、頭、全身をめった斬りにされていた。妻は首を絞められたうえ、自殺を偽装するた
めに隣室との間の鴨居に吊り下げられていた。
 現場検証が行われ、物色の痕跡も見つかり、台所では焼酎の瓶が見つかった。瓶から近
くに住む経木製造業、吉岡晃元被告(22)の指紋が検出された。吉岡は逮捕され、最初
は否認していたが、その日のうちに事件のあらましを自白、自分一人で強盗殺人をやった
と供述した。
 ところが犯人は複数だと見た警察は、単独犯行の自白を認めず、共犯者がいたはずだと
追求。そこで吉岡は、遊び仲間の阿藤周平さんほか3人の名前を言った。4人は逮捕され
、密室で手荒い拷問を受け、吉岡の供述に合うような自供をさせられた。捜査陣は阿藤さ
んが主犯で5人の共同犯行であるとマスコミに発表した。
 1・2審で阿藤さん死刑、吉岡無期、他は懲役12〜15年の刑を受けた。吉岡は服役
したが、阿藤さんら4人は上告。冤罪事件で有名な弁護士、正木ひろしが阿藤さんらの無
実を『裁判官』『検察官』という本で訴え、ベストセラ−になった。これを映画化した今
井正監督の『真昼の暗黒』も空前のヒットとなり、裁判批判が噴き出した。
 検察、弁護の間で、単独犯か複数犯かの論争が繰り返された。最高裁へ3回上告された
結果、68年10月25日、阿藤さんら4人に無罪判決が出た。
 つまるところこの事件、吉岡の単独犯行だったわけだが、筆者は実は吉岡も無実だった
のではないかと疑っている。

 共犯として起訴された4人はいずれも拷問によって自白した。主犯と見なされた阿藤さ
んは、正木ひろし弁護士への手紙の中で、次のように拷問の様子を訴えている。

 調べ室に入れられると「前手錠」したのを取ってくれましたので、ほっとして四方を見
わたしていると、警察官が六、七名何事かささやいていましたが、いきなり私の両手を後
方にまわし、あっと言うまに、うしろ手錠をかけられたのです。・・
 何も言わずに四方より六、七名の警察官に蹴るなぐるの暴行を加えられたのです。私は
「何をくそ」とじっと耐えていましたが、身体の自由はまったくきかず、あまりの暴行に
叫び声を発し、「私は何も悪いことはしていない、人殺しなど夢にでもしたことはない。
このようなひどい目には何の恨みがあってするのか、理由はない。」と、大きな声で言っ
てやりますと、「何を言うか、前科者のお前が親玉ではないか。」と、ますます暴力の手
はひどくなっていくばかりです。鼻血は再度出ました。すると「鼻血ぐらい何だ。死には
せん。お前が自白するまではやる。」といって、こんどは線香の火を鼻の中、耳、首すじ
にやられるのには、私はまいってしまいました。夜じゅうぶっ通しで、まったく半殺しで
す。・・
 夜のあけるころには、身も意志もくずれ、口をかえす元気などは全然なく、ただ「ハイ
、やりました。」との一言、死よりもつらい言葉でした。

 逮捕の翌朝にはもう自白してしまった阿藤さんは、そののち検事と判事に腫れ上がった
手足を見せ、手錠の傷痕を見せて拷問を訴えたが、とりあってもらえなかった。あげくに
刑事たちには「検事、判事の前でよくも嘘をついたものだ」といって殴られたという。正
に踏んだり蹴ったりである。
 この事件を、1949年に施行された新刑事訴訟法が定着する以前の、捜査活動がまだ
戦前の旧体制の名残を残していた時期の例外的事件であると考えてはならない。1988
年から89年にかけて起きた幼女連続誘拐殺人事件の犯人、そうあの宮崎勤被告も拷問的
取り調べを受けているのである。

  89年7月にあなたは逮捕され、強引な取り調べが行われたと裁判で主張しているわ
けですが、具体的にどんなふうだったのでしょうか。
宮崎−私は警視庁の刑事が、任意の事情聴取あるいは取り調べの初日(89年8月8日か
9日)に、八王子署の取調室で、机を、イスに座っている私に押っぺしてきて私の腹をそ
れで押し続け、私はあと少しで窒息死させられたり、刑事に、こぶしで頭と腹をなぐられ
たり、背中と足に蹴りを入れられたりしてひどい目にあい、おっかなくてどうしようもな
かった。恐怖のため警察に合わせるように話さざるを得ませんでした。もう、初日から取
調べの最終日まで、ほとんど警察に合わせるような内容を話すしかなかったです。反抗し
たり、否定したりすると、またひどい目にあうから、ほとんど警察の言うことに合わせて
話しました。もちろん違うところは「違う」と言ったのですが、言うと物凄いけんまくで
怒って私をおどします。だから、私は「これ以上、違うと言うとまたひどい目に合わされ
る」と思って、それ以上言えなくなりました。ひどい目にあわされ、毎日毎日取調べが恐
かったです。(宮崎勤『夢のなか』創出版)

 あわれ宮崎、筆者は君が無実であると確信している。この宮崎の証言を見ても、警察の
体質というものが何十年経っても何も変わっていないことが良く分かる。拷問は旧体制の
名残なのではない。日本の刑事手続きの構造的欠陥にその原因があるのである。

 次に梅田事件の例をあげておく。
 1950年10月10日、北海道北見営林署員・大山正雄(20)が公金19万円を持
って失踪、その8ヵ月後、今度は留辺蘂署員・小林三郎(28)が480万円を持って失
踪した。巧妙な偽装工作があったため、横領逃亡として処理されるところだったが、19
52年9月、野犬が射殺体の小林を掘り出して犯罪が発覚。
 逮捕された清水はすぐ犯行を認め、羽賀竹男が首謀者であることが判明。同年9月17
日に逮捕された羽賀はポロッと大山殺害も漏らしてしまう。羽賀は、大山殺害の実行者は
梅田義光だと主張。罪をなすりつけた。激しい拷問に肝を抜かれた梅田は翌日自白。19
57年11月、無期懲役確定。1971年5月、網走刑務所から仮出獄。1985年2月
4日、再審開始決定。1986年8月27日、無罪判決。

 さて、梅田さんに対する拷問はどのようなものだったのか。

 梅田さんは北見市警察署の畳敷の部屋に正座させられ、十数人の警察官に取り囲まれ、
顔を殴る、頭髪や耳を引っ張る、警棒のひもを馬のくつわのように背後から口にかけて後
ろに引っ張る、両手を後に回させ、警棒のひもを手首にまきつけて後に引っ張る、正座し
ている両足のふくらはぎの上に警棒を橋渡しに乗せて踏みつける、体を逆さにして尻を警
棒で殴りつける、腹や腰を足蹴にする、頭や首をつかみ畳にこすりつける、指の間に鉛筆
をはさんで締めつけるなど、すさまじい暴行を受けた。また「死刑にしてやる」と脅迫さ
れたりもした。(小田中とし樹『冤罪はこうして作られる』講談社現代新書)

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悪魔組織の犯罪02
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/556.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 11 日 23:59:51:

坂本弁護士事件の怪

 坂本弁護士一家殺害事件の実行犯の供述によると、犯行状況は凄惨なものだった。
 実行犯はオウム真理教の中川智正、岡崎一明、村井秀夫、新實智光、早川紀代秀、端本
悟の6人である。1989年11月4日午前3時頃、横浜市磯子区にあるアパ−ト2階の
自宅で就寝中の坂本弁護士一家3人を実行犯が襲撃した。

 まず、端本が、いきなり眠っている坂本弁護士(当時33)の身体の上に馬乗りとなり
、同弁護士が目をさますや、声を上げさせないようにするため同弁護士の顎を手拳で数回
殴打し、次いで、岡崎が、上半身を起こそうとした坂本弁護士の背後に回り込み、右手を
同弁護士の首に回して同弁護士の着衣であるパジャマの左奥襟辺りをつかんだ上、それを
右方向に引っ張り、パジャマの布地を使って同弁護士の首を絞めた。
 坂本弁護士は、背後から首を絞め付けている岡崎を振り払おうとして必死に抵抗したが
、岡崎を振り払うことができないまま、間もなく、その場で窒息死した。
 一方、新實は、寝室に入ると、すぐに、同室で寝ていた都子の身体の上に馬乗りとなり
、騒がれないように同女の口を両手で塞ぐなどして同女の身体を押さえつけた。都子は、
苦痛を押して「子供だけはお願い」などと龍彦の助命を哀願した。
 この間、傍らで寝ていた龍彦が、目を覚まして泣き声を上げたことから、同児の側にい
た被告人(中川)は、龍彦に声を上げさせないようにするとともに、同児を窒息死させる
ため、その場にあったタオルケット様のもので同児の鼻口を押さえ、それを数分間続けた
ところ同児がぐったりした。
 被告人(中川)は、都子の背後から、右手を同女の首に回した上、同女の首を絞め続け
、間もなく、その場で同女を窒息死させた。
 また、都子から離れた新實は、被告人(中川)の前記暴行によってぐったりし、けいれ
ん状態を引き起こしている龍彦を殺害するため、同児の鼻口を手で押さえ続け、間もなく
、その場で同児を窒息死させた。(『読売新聞』1996年3月12日夕刊)

 これが本当だったら余りにもむごい。裁判抜きで実行犯をリンチにして殺してしまえ、
というマスコミの論調にも頷けるものがある。しかしその前にちょっと冷静になって良く
考えてみて欲しい。人を3人も殺すことは大変な作業である。しかも犠牲者はおとなしく
殺される訳ではない。自分の身を守ろうと、する家族の命を助けようと、必死の抵抗を
したはずである。
 検察の冒頭陳述からも、その様子を伺い知ることができる。しかも事件の起きたのは、
夜中の午前3時である。閑静な住宅街はひっそりと静まり返り、坂本弁護士一家が暮らし
ていたアパ−トでも住民は眠り込み、しんとして物音一つしなかったに違いない。そこに
突然、こんなどたばた騒ぎである。事件に気づいた人がいないという方がおかしい。
 ところが、である。アパ−ト2階にある坂本弁護士の自宅の階下に住んでいた家族は、
4日の午前3時頃には坂本弁護士の部屋からは物音ひとつしなかったと証言しているので
ある。物音ひとつしなかった、これはすなわち事件が起きたのは、11月4日の午前3時
ではなかった、ということを示しているのではないだろうか。
 事件が起きたのが、『11月4日午前3時』ではなかったことを補強する材料として、
事件現場の流しには、夕食に使ったと思われる食器が洗われずに置いてあった、という事
実が挙げられる。
 清潔好きで几帳面だった都子さんは夕食後すぐに食器を洗う習慣があった。つまり、夕
食に使った食器を洗わずに寝てしまうということはないということだ。それが洗われずに
残されていたということはすなわち、犯行が行われたのは一家が寝る前、つまり4日未明
ではなく、3日夜だったということを示している。
 また、事件当日には坂本弁護士夫妻が着ていた服もなくなっている。ところが、2人が
使っていた寝巻は部屋にあった。つまり失踪時、坂本弁護士夫妻は普段着だったというこ
とだ。これまた、『4日午前3時』説が間違っていることの傍証となる。
 次に家計簿について。都子さんは毎日、家計簿をつけていた。結婚して以来、書いてな
い日はなかったという。その家計簿をつけるのは、旅行でもしない限り必ずその当日のう
ちである。それが11月3日から書いていない。もし犯行が『4日午前3時』に行われて
いたなら、3日の家計簿はつけてあったはずである。

 洗われずに置いてあった食器、部屋に残された寝巻、つけられずに残されていた家計簿
、以上の点からも、『4日午前3時』犯行説は明らかに誤りであることが分かる。実は犯
行時間についてだけではなく、坂本弁護士一家殺害事件にはまだまだ多くの謎が残されて
いるのである。

 その1。実行犯はどうやって坂本弁護士宅のドアの鍵を開けたのか。「鍵はすでに開い
ていた」「都子さんが鍵をかけ忘れた」と言われているが、本当なのか。
 坂本弁護士は、青山被告や上祐氏が事務所に訪ねてくるようになって以来、自宅の鍵だ
はかけ忘れのないよう都子さんに念押ししていたとされている。事件当日だけ都合よく鍵
をかけ忘れたというのは、出来すぎた話ではないのか。

 その2。事件現場に、実行犯が落としていった「プルシャ」と呼ばれるオウム真理教の
バッジがあった。犯行現場に自分たちの身元が分かるような証拠を残していく犯人がいる
とすれば、大馬鹿者である。オウム真理教の実行犯がそうだったのかも知れないが、それ
にしては、真夜中、誰にも気付かれずに坂本弁護士一家を殺害して、その遺体を運び出す
というマジシャンまがいの行為をやってのけた見事なお手並みは、どう説明したらいいの
だろうか。
 さらに不思議なのは、「プルシャ」が発見されたのが、鑑識の調査が済んだ11月8日
の午前中だということである。鑑識課員が見逃したのを坂本弁護士の母親が発見したのだ
。これまた、まずあり得ない話である。警察の捜査というものは、そんなにいい加減なも
のなのか。本当はオウム真理教の犯行に見せかけるために、後から誰かがこっそりと「プ
ルシャ」を部屋に落としてきたのではないのか。犯人は警察内部に潜入している秘密結社
のエ−ジェントかもしれない。

 ところで『11月3日犯行説』を裏付けるものとして、坂本弁護士宅の階下の部屋に住
んでいた家族が3日の午後8時過ぎ、坂本弁護士と、坂本弁護士を訪問したらしき人物と
が会話している声を聞いたと証言していることがあげられる。

   前回のインタビュ−の時、「坂本さんの自宅を訪れたのは、坂本さんに信用させ、
ドアを開けさせることができた女性の疑いがある」とおっしゃっていました。その女性が
、11月3日午後8時過ぎ、坂本さんにドアを開けさせ部屋に入った。だから、4日午前
3時頃に岡崎容疑者や早川被告が行った時はドアは開いていた、ということですか?
「そう考えるほうが、『都子さんがドアの鍵をかけ忘れた』と考えるよりは、はるかに自
然でしょうね」
   「3日午後8時過ぎ」の訪問者を「坂本さんを信用させた相手」と考える、その根
拠はありますか?
「湯呑み茶碗です。坂本さんは、ある人から贈られた来客用の湯飲みセットを使っていま
した。鑑識が調べた結果、全部で5つあるはずのその湯呑み茶碗セットのうち3つがなく
なっています」
   ということは、3日の夜に3人の来客があり、坂本家では彼らにその湯飲みでお茶
を出し、それがなくなっているということですか?
「そういう推察も成り立ち得るということです」(「週刊プレイボ−イ」95年10月3
日号の「現役・公安幹部の告白<第2弾>」から引用)

 それでは坂本弁護士一家は、どのようにして殺害されたのであろうか。一つの仮説とし
ては、11月3日の夜に自宅アパ−トで近所の住人に気付かれないように密かに殺害され
て、4日の深夜にこっそりと遺体が運び出された、というものがある。
 もう一つの仮説は、11月3日夜、坂本弁護士一家は自宅から外におびき出されて拉致
された、というものである。それを裏付けるような情報がある。「坂本弁護士一家救出の
ための懸賞金広告実行委員会」の木村晋介委員長(弁護士)が、「タクシ−運転手から寄
せられた情報」として公表した情報だ。
 それによると、坂本弁護士が姿を消した当夜、坂本弁護士一家に似た客3人がタクシ−
に乗車し、横浜市瀬谷区三ツ境付近で降り、そこに待っていた二人の男と共にライトバン
に乗り継いで行ったという。この情報は「注意を要する情報」として、わざわざ記者会見
を開いて公表されたものなので、信憑性は極めて高い。
 今となっては真実は闇の中である。だがどう考えてもオウム真理教=犯人説には無理が
あるように思える。それでは真犯人はいったい誰だったのであろうか。

 真夜中に何故か都合よく開いていたドアの鍵、そして3人の来客の謎。オカルトに精通
している者にはすぐ分かる。フリーメーソン神話において、ソロモンの神殿の建築者であ
る親方メ−ソンのヒラム・アビフを殺害した、3人の卑しむべき職人メ−ソン、ユベラ・
ユベロ・ユベラムが登場したのだ。

フリーメーソンとは何か?

 フリーメーソンとは自由(フリ−)な石工(メ−ソン)という意味である。フリーメー
ソン側がいくら否定しようと、フリーメーソンはれっきとした秘密結社である。秘密の儀
式を有している、秘密の教えを有しているから秘密結社であるというのではない。仏教の
教義の中にも、ステ−ジの高い修行者にしか明かされないタントラ・ヴァジラヤ−ナとい
う秘密の教えが存在している。何故秘密にされているのかというと、精神性の低い修行者
にとっては危険な教えであるし、世間にその秘密が漏れると誤解を招く恐れがあるからで
ある。
 だからといって、我々は仏教教団を秘密結社であるとは言わないだろう。仏教修行の目
的は、解脱や悟りにあることは自明のことだからだ。筆者がここで秘密結社というのは、
その達成されるべき目標およびそのための手段方法を部外者に知らせない組織のことであ
る。すなわち陰謀を働く結社であるということだ。
 従って共産党のような革命組織は例えそれが地下組織であったとしても、秘密結社とは
呼ばない。何故ならマルクスも言うように、「共産主義者は、自分の見解や意図を秘密に
することを軽蔑する」(共産党宣言)からである。しかしもし革命の本当の目的が共産主
義社会の建設ではなくユダヤのキリスト教破壊と国家経済の独占にあるとしたら、もし共
産党を背後から操る陰謀組織が存在しているとするなら、その組織は秘密結社であると言
っていい。それでは、秘密結社フリーメーソンの真の目標とは何なのだろうか。
 フリーメーソンの目標は世界支配、そのための手段はオカルトである。このオカルトに
は儀式殺人も含まれている。しかしフリーメーソン結社員は、フリーメーソンはロ−タリ
−クラブのような単なる社交団体であるとぬけぬけと言う。結社の目的は外部の人間には
秘密にされている。だからフリーメーソンは秘密結社であると言えるのである。

 フリーメーソンの起源に関しては様々な説がある。しかしここでは、アメリカのオカル
ト研究家、ジェイムズ・シェルビ−・ダウナ−ドの説を御紹介しよう。ダウナ−ドによる
と、中世の石工組合(スト−ン・メ−ソン)はその起源をロ−マ人設立の大学(ロ−マ・
カレッジ)に辿ることができるという。
 フリーメーソンの起源は高位神官と同じように神秘に満ちている。彼らは神聖な秩序の
もとに神聖な建物をつくっていたので、物理空間における測量、数、面積を特別に重要視
した。それはロ−マ神話の農耕の神、クロノス−サタンがこの建築の世界を支配している
とされたからだ。フリーメーソンは神を「宇宙の偉大な建築者」と呼んでいる。
 ゴシック大聖堂の発展の歴史を考察すれば、フリーメーソンが堕落して行った過程を伺
い知ることができる。もちろん当初は、メ−ソンも信心深く宗教的な男の集団であった。
その仕事は、真実と美の調和を石工において実現することにあった。しかしこれは長続き
せず、腐敗はたちどころに始まったのだ。
 大聖堂の聖母マリアの彫像を調べてみれば、このことがよく分かる。最初は聖母マリア
は、全ての女性にとっての理想像である清純な処女として描かれていた。しかしその後す
ぐに彼女の姿は、偉大だが自然な美を持つ、実在の母親の肖像へと変化して行った。信心
深い者は新しく出現した彼女の人間性の面を賛美するかも知れないが、そうすることで同
時に彼らは、別世界に存在するような彼女の神聖さというものを犠牲にしてしまったので
ある。
 次ぎなる段階は、彼女が「大地母神」へと変えられた時に起こった。メ−ソン好みの豊
穣の女神へと変化したのだ。最後の段階は13世紀と14世紀に、彼女の姿が余りにも人
間臭く成り過ぎた時に起きた。アミアン大聖堂の南入口のマリアの姿は、実際のところ浮
気女や今にも浮気をしそうな女へと堕落してしまっている。これは正にゴシック建築にお
けるメ−ソンの影響力を表しているのである。
 石工組合はこれらの秘密の唯一の保持者なのだ。この聖母マリアの変身の過程は、いつ
の日か現実の女性へと適用されるだろう。いやもう現実にそうなっている。馬鹿な浮気女
の大量発生、筆者が改めて指摘するまでもない。
 スト−ン・メ−ソンは神秘的な労働組合として、当時の労働者に対してある種の支配権
を持っていた。そしてフリーメーソン友組合と親密な関係を築いていた。余りにも親密
であったので両者を区別することは事実上難しく、また両者は一体となって発展した。両
者の結合は、ヨ−ロッパにおいて騎士道が廃れた時に起きた。現代のメ−ソンは、彼らの
祖先は騎士道精神を体現していたと言うが、これは嘘である。スト−ン・メ−ソンのまっ
たき崩壊は14世紀に始まっている。

 「騎士道の衰退は14世紀になって起こった。都市のマネ−・パワ−が古き農耕社会の
秩序と宮廷の伝統を破壊し、ドンキホ−テ(滑稽なもの−筆者注)へと堕落させてしまっ
たのだ」(−ゴシック彫刻)

 ドイツの友組合のメンバ−は、「シュタインメッツェン」と名乗った。グランド・ロ
ッジはシュトラスブルク、ウィ−ン、ケルン、チュ−リッヒに設立された。1459年に
グランド・ロッジが設立されると同時に、シュトラスブルクの大聖堂の親方がドイツのメ
−ソンのグランド・マスタ−になることが決められた。
 シュタインメッツェン(スト−ン・メ−ソン)とフリーメーソンの一般的な違いは、少
なくとも18世紀の初めまではシュタインメッツェンは「実践的」メ−ソンと考えられて
いたのに対し、フリーメーソンは「思弁的」と考えられた点にある。「実践的」メ−ソン
は実際に実在の石を扱うのに対し、「思弁的」メ−ソンは組織的な目的のために象徴的儀
式的な対象として石を用いるのである。最終的には、シュタインメッツェンは完全にフリ
ー(思弁的)メ−ソンへと溶け込んでしまった。
 石垣が単なる象徴に過ぎなくなった時、それは秘密と沈黙を表すものへと変化したので
ある。

 ダウナ−ドが明察したように、フリーメーソンの世界支配の陰謀は14世紀に始まる。
この時キリスト教精神が破壊されて、マネ−・パワ−がそれに取って代わるのだ。
 この14世紀の初めには、世界史的に重要な事件が起こっている。テンプル騎士団の大
弾圧である。1314年3月18日夜、テンプル騎士団の最後の総長であったジャック・
ド・モレ−は火あぶりにされて処刑された。筆者はテンプル騎士団が世界的陰謀の総元締
めであったと考えている。ではテンプル騎士団とはいったい何者なのであろうか。
 1118年−第1次十字軍がイスラムを破り、アンチオキアとエルサレムを占領して、
ゴドフロア・ド・ブイヨンをエルサレムの王に据えてから19年後−、ユグ・ド・パヤン
とゴドフロア・ド・サントメが率いる9人のフランス人騎士の一隊が、聖墓への巡礼者を
守るため修道会を結成した。
 時のエルサレム国王は、この修道会に対しソロモン神殿の広場に面した用地を与えたの
で、以来テンプル騎士団の名で呼ばれる。
 清貧を旨としたテンプル騎士団も莫大な寄付を集めた結果、12世紀末には裕福で強力
な団体になっていた。時のフランス国王、フィリップ端麗王はテンプル騎士団の財産に目
が眩み、それを横取りしようと陰謀を企んだ。
 1307年10月13日、フィリップ端麗王は異端の罪でフランス国内のテンプル騎士
団全員を逮捕させた。ジャック・ド・モレ−をはじめとする多数の騎士は、キリストの否
定や十字架に唾を吐きかけたこと、偶像つまり髭の生えた頭を見せられこれを拝むように
命じられたことを告白した。
 しかしこれらの告白は拷問により強要されたものだった。フランスでは告白を撤回した
54人の騎士が1310年5月12日、異教徒に戻ったとして火あぶりにされた。4年後
の1314年3月18日、ジャック・ド・モレ−も同じ運命を迎えた。
 テンプル騎士団はイスラムの暗殺教団「アサシン」と同盟を結んでいたと言われている
。アサシン(暗殺)という言葉は、この教団に由来する。組織の上級者は若者をハシシで
酔わせて様々な快楽を味わせる。自分は天国にいたと錯覚した新団員は、組織の命令を実
行すれば、永遠の喜びで報いられると信じ込む。こうして彼は殺人に命をかけるようにな
るのだ。アサシンは基本教義としてはイスラムへの忠節を公言していたが、少数の者にし
か明かされない秘密の教義を持っていた。その究極の目的は宗教の外套をまとった少数者
による支配であり、その手段は反対する者の皆殺しであった。アサシンの狂信を通じて機
能する組織的殺人システムが西洋に輸入されて、ヨ−ロッパの秘密結社のモデルとなった
のだ。アサシンは「東方のフリーメーソン」とも呼ばれている。

 以上はテンプル騎士団弾圧に関する「通説」である。だが、陰謀家どもの主張するテン
プル騎士団無罪説、フィリップ悪玉論は真実ではない。彼らは、騎士たちの告白は拷問の
結果なされたものだから真実とは異なる、という。しかし全ての告白が拷問の結果なされ
たわけではない。パリの教皇会議の審問では、多数の騎士が教皇を前にその陳述を確認し
たのだが、ここではいかなる拷問も行われなかった。
 また、テンプル騎士団の財産はフィリップ端麗王に接収されたわけではなく、王自らの
手でエルサレムの聖ヨハネ騎士団に与えられているという事実がある。
 テンプル騎士団異端説にはやはり根拠があったのである。彼らはバフォメと呼ばれる髭
面の両性具有の悪魔を崇拝し、セックス・マジックや首切り儀式に熱中していた。胴体か
ら切り話された喋る生首、これが彼らの本来の崇拝の対象である。おとぎ話ではない。猿
の首のすげ替え実験はすでに成功しているのだ。そのうち人間の首のすげ替えも行われる
ようになるだろう。テンプル騎士団とその後継者が目指している伝説的な目標は、髭面の
男の頭を肉感的な女性の胴体に移植することである。その時こそ、テンプル騎士団が崇拝
した両性具有の悪魔・バフォメが地上を徘徊することになるのだ。
 バフォメは単なる空想の産物などではない。この世に現実に存在している。加え煙草で
下品な言葉を吐き、男のような恰好で街中を闊歩している、それでいて胸とけつだけは張
り出している。こんな生き物を昔はおとこ女と呼んだものだ。筆者はバフォメと呼んでい
る。近年、男と女の性差がなくなりつつある。人類が中性化しつつあるのだ。男と女は対
照的であるからこそ互いに引き合うのである。男女の対照性が消滅してしまえば、陽と陰
の両極性が生み出すダイナミズム、生命力といったものも自然に消滅してしまう。自然の
生命システムが破壊され、残されるものはクロ−ン人間のようなロボット人間だけになっ
てしまう。昔ながらの豊かな自然風景は消滅し、無機的な死の街だけが後に残される。そ
の死の街を徘徊するロボット人間の群れ、これが陰謀家どもの究極の目標なのだ。

 我々の生命力を破壊するエイリアン集団、テンプル騎士団こそ、西欧キリスト教文明に
とっての疫病神であったのだ。彼らは最初に登場した国際銀行家のひな型であり、教会が
高利貸しに対する態度を転換させるのに大いに貢献した。どのような中世の組織も、テン
プル騎士団ほどに資本主義の台頭に力を貸したことはなかった。
 彼らは金融業務に関して優れた手腕を発揮した。これは中東のアレキサンドリアのユダ
ヤ人から学んだ可能性が高い。かくしてテンプル騎士団はユダヤ人を除いては唯一の資本
家集団となったのだ。
 筆者は、テンプル騎士団は魔術結社と同様に二重の組織だったのではないかと思ってい
る。つまり、一部の者は騎士団の秘密の教義を授けられたが、大多数は始めから終わりま
で何も知らされなかった。裏切る恐れがないと高位者が判断した者にだけ、口づてで秘密
が明かされたのだ。テンプル騎士団には顕教と密教があり、表と裏の両面を持っていたの
だ。テンプル騎士団の総長は表の長であり、その代理セネシャルは裏の長ではないかとい
われている。テンプル騎士団の印璽も一匹の馬に二名の騎士が乗るという奇妙な図案であ
る。これはテンプル騎士団が二重の組織であることを象徴していると考えられる。騎士団
は東方正教の信仰を持つと外部には完璧に見せかけた。分団長だけが行き先を知っており
、残りの団員は疑問も持たずついていくだけだった。テンプル騎士団はれっきとした秘密
結社であったのだ。

 そしてこのテンプル騎士団とフリーメーソンが合体しているのだ。フリーメーソンの「
親方」の参入儀礼がテンプル騎士団システムへと変えられた時、ジャック・ド・モレ−は
ヒラム・アビフに取って代わり、3人の暗殺者はテンプル騎士団の内部告発者、フランス
のベジエのスキャン・ド・フレキシアン、フィレンツェのノッフォディそして正体不明の
第3者に置き換えられた。しかしこの第3の男に関しては記録が残っていないので、でっ
ち上げの可能性が高い。フリーメーソン伝説の3人の暗殺者と整合性を持たせるためであ
る。3人の暗殺者とは、フリーメーソン伝説においてソロモンの神殿の建築者ヒラム・ア
ビフを殺害した3人の卑しむべき職人、ユベラ・ユベロ・ユベラムのことである。

 テンプル騎士団とフリーメーソンの繋がりは、フリーメーソン側も公認の事実である。
フランスでのテンプル騎士団裁判中、ピエ−ル・ドモンと7人の騎士はメ−ソン職人の手
引きでスコットランドに逃亡し、マル島に上陸したといわれる。1307年の聖ヨハネの
日(6月24日)に、彼らは最初の憲章を発表した。その後、スコットランド王ロバ−ト
・ブル−スに保護された彼らは、7年後の1314年(ジャック・ド・モレ−が火あぶり
にされた年−筆者注)の夏至・聖ヨハネの日(6月24日)に、スコットランド軍に加わ
って、騎士団を弾圧したイングランド王エドワ−ド2世とバノックバ−ンで戦った。

 エドワ−ドは強力な騎兵をふくむ、2万にのぼる大軍をみずからひきいてスコットラン
ドに侵入した。あと一日でスタ−リング城(イングランドの保持するスコットランド内の
最後の重要な砦−筆者注)に達するという6月24日早朝、スタ−リング南部のバノック
バ−ン(フォ−ス川の支流)に駒をとめていたイングランド軍は、兵力が3分の1に満た
ないロバ−ト軍に急襲された。沼地にはばまれたイングランド軍は戦闘がままならず、フ
ォ−ス川で溺死した者は数知れなかった。捕虜になったイングランド貴族の数も多く、そ
の身代金支払いのせいで「スコットランドは一日にして裕福となった」と、巷間うわささ
れたのである(『イギリス史1』山川出版)

 バノックバ−ンでの決定的な勝利の後、1314年6月24日に、ロバ−ト1世(ロバ
−ト・ブル−ス)は聖アンデレ・あざみ勲位を制定した。この聖アンデレ・あざみ勲位の
象徴は、ヘレダム(ヒアダム)儀式とテンプル騎士団に関係している。
 聖アンデレの祝日の11月30日は、スコットランドのグランド・ロッジの聖餐式の日
であり、聖アンデレ・あざみ騎士は、フランスのメトロポリタン・チャ−タ−(スコテッ
シュ・ライト・メ−ソン)の位階である。また、グランド・スコテッシュ・聖アンデレ騎
士はテンプル位階である。テンプル騎士団とフリーメーソンの密接な繋がりが御理解頂け
たと思う。

 ところで、オカルトの歴史にとって何より重要な世界史的転回点はルネサンスであると
言われている。そのルネサンスと十字軍とは密接な関係がある。
 十字軍の結果、北イタリアの諸都市は東方貿易で栄えた。東方貿易によって、ギリシア
・ロ−マの古典文化を保持していたイスラムとビザンチンから、古典古代の学問が流入し
た。1453年にビザンチン帝国がオスマン=トルコに攻撃されて滅亡すると、ビザンチ
ンの学者がイタリアに亡命してきたので、古典研究が盛んになった。この古典の文献研究
がルネサンスの口火を切ったのだ。
 ルネサンスはフィレンツェで最も早くしかもはなやかに展開した。ルネサンスの巨人で
『神曲』の作者、ダンテはオカルトの秘密結社員で錬金術や占星術に長ずるカバラ主義者
であったことがよく知られている。彼が入団していたのは、テンプル騎士団系のフエデ・
サンタである。イタリア・ルネサンスのオカルト哲学者、マルシリオ・フィチ−ノ(14
33−99)はフィレンツェのコジモ・デ・メディチ一族の中で育った。フィチ−ノはヘ
ルメス文書のギリシア語写本をラテン語に翻訳した。
 ヘルメス文書の著者とされるヘルメス・トリスメギストスは、エジプトの神トトとギリ
シアの神ヘルメスを融合した神話的人物で、その名は「3重に偉大なるヘルメス」を意味
する。紀元前3世紀から後1世紀頃に書かれた同文書は、西洋の神秘思想と魔術の発展に
大きな影響を与えた。
 ヘルメス文書の中で特に重要視されるのは「エメラルド碑板」である。これはフェニキ
ア文字の刻み込まれたエメラルド製の碑板で、アブラハム(あるいはアレクサンダ−大王
)の妻サラによって洞窟の墓場の中から発見された。エメラルド碑板はヘルメス・トリス
メギストスの死体の指でしっかりと握られていたという。
 魔術上の目的で特に重要な箇所は、エメラルド碑板のラテン語版の冒頭の一文である。
「上におけるごとく、下もしかり、下のごとく上もしかり、唯一なるもの驚異を達せんが
ため」これは占星術と錬金術の基礎となる原理で、人類と地上の小宇宙(ミクロコスモス
)と、神と天上の大宇宙(マクロコスモス)が照応関係にあることを示している。
 フィチ−ノの極めて優秀な弟子、ジョバンニ・ピコ・デラ・ミランドラ(1463−9
4)はカバラをグノ−シス主義、ヘルメス主義、新プラトン主義と同化させた。ピコは、
カバラはキリスト教の真理を確定することができる、と信じたのだ。このカバラとはユダ
ヤ神秘主義のことである。
 1492年にスペインからユダヤ教徒が追放されると、彼らの多くはイタリアに行き、
そこでヘブライ語に対する新しい関心と、ユダヤ教の神秘主義的伝統すなわちカバラに対
する熱意とを広めた。ピコの教師がスペインのユダヤ教徒であったことは疑いない。その
中で主だったのは、ピコにカバラ的な写本を提供したフラヴィウス・ミトリダ−テスとい
う謎の人物だった。

 さて、ルネサンスとカバラ魔術の関係が分かると、ルネサンスに対する我々の評価も自
ずから変わって来ざるを得ない。
 古典文化の復興、人文主義(ヒュ−マニズム)、美術の開花、真理や美の追求、キリス
ト教と封建制度にしばられた中世世界からの脱却。一般的には、ルネサンスは無条件で称
賛されている。ルネサンスを批判すると、野蛮人のように思われてしまうのが落ちだ。し
かし筆者に言わせると、ルネサンスの本質、それはずばり「魔術の復活」なのである。魔
術結社はルネサンスを隠れ蓑にして、悪魔的陰謀を企んだのだ。
 ルネサンスの表看板は自由の賛美である。自由の何処が悪い、人はこう反論するに違い
ない。言論の自由、表現の自由、報道の自由、好きなことを空想する自由、好きなことを
する自由(法律に触れない限り、あるいは法律に違反しても捕まらない限りにおいて)、
自由はすばらしい。それはその通りだ。権力者に個人の自由を縛られるのは、誰でも御免
被りたいはずだ。ヒトラ−、ムッソリ−ニ、スタ−リン。ロ−マ教皇、ラスト・エンペラ
−、天皇ヒロヒト。専制主義の悪玉には事欠かない。しかし本質的には彼らの存在は危険
な物ではないのだ。その暴力性があまりにもあからさまで、我々はそれに対して身構える
ことができるからだ。
 しかし、自由、平等、友を隠れ蓑にしたファシスト的な階級組織であるフリーメーソ
ンに対しては、我々は完全に無防備だ。自由幻想に酔い、影で邪悪な陰謀が進行している
ことに気付かない。一例をあげると、選挙がある。ファシズム体制下では自由な投票はあ
りえない。デモクラシ−社会では自由で公正な選挙が保証されている。すばらしい。だが
実は、大衆は選挙が公正に行われていると錯覚しているに過ぎないのだ。得票数などは、
裏で完璧に操作されていることに気付かない。一抹の疑いを抱くことすらしないのだ。
 疑いを知らぬ大衆の心理操作、これこそリアル・ポリティックス、真実の政治力学なの
である。その手段は物理的暴力ではなく、詐欺やペテンである。腕力ではなく頭の勝負な
のだ。この時代の悪魔との決戦場は物理的次元にはなく、霊的・精神的な次元にあるのだ
。目に見える暴力と目に見えない暴力、どちらがより危険かお分かり頂けたと思う。

 ルネサンスの魔術師の話を続けよう。黒魔術師の評判の高い、ハインリクス・コルネリ
ウス・アグリッパ(1486−1535)は『オカルト哲学について』の著者である。『
オカルト哲学について』はフィチ−ノのヘルメス主義的魔術とピコのカバラ主義的魔術を
結びつけた集大成である。アグリッパはまたヨハネス・ロイヒリン(1455−1522
)のキリスト教カバラにも影響されている。
 アグリッパは宇宙を3つの世界、つまり元素世界、天空世界、叡智世界に分けている。
彼は「魂の戦車(乗り物)」として、ランタンから漏れる光のように肉体を離れ、あらゆ
る時空を理解し、不思議な領域を探索し、天球層と精神的階梯を通って原型あるいは神へ
とのぼりつめるための、星気体の能力についても言及している。アグリッパは、肉体から
の星気体(アストラル体)の分離、すなわちアストラル・トリップについて述べているの
である。
 このアグリッパに影響されたのが、エリザベス朝イングランドの高名な哲学者、数学者
、占星術師、魔術師、スパイであったジョン・ディ−(1527−1608)である。ア
グリッパのように、ディ−は宇宙は自然界、天空界、超天空界に分かれていると考える。

 アメリカの歴史修正論者であるマイケル・A・ホフマン二世によると、ジョン・ディ−
は近代フリーメーソンの初代グランド・マスタ−であったという。公の歴史では、近代フ
リーメーソンは1717年6月24日、聖ヨハネの祝日に、ロンドンにある4つのロッジ
が合同して創立されたことになっている。しかしこれはフリーメーソンが歴史の暗闇の中
から彷彿とその姿を現し、公然とエリ−ト階級をリクル−トし始めた時期であって、その
ずっと以前からフリーメーソンが存在していたことはすでに述べた。
 筆者はホフマンの「ジョン・ディ−=近代フリーメーソンの初代グランド・マスタ−説
」を採らない。しかし、ディ−がイギリス史に果たした役割は非常に大きいと考えている
。そこでジョン・ディ−について簡単に触れておきたい。

 ディ−は1527年にロンドンの近くに生まれた。「妖術師」の悪名の高かったディ−
は、1553年、カトリック女王メアリのホロスコ−プを作成して、女王の薄命を予言し
た。この予言が当局の忌憚に触れて叛逆罪に問われ、ディ−はハンプトン・コ−トに投獄
されてしまった。ディ−の予言どおり、メアリ女王は短命だった。
 1555年、メアリ女王の跡を継いだエリザベス女王は、早くから、ディ−の占ったホ
ロスコ−プで王位につくべき運勢を保証されていた。女王になったエリザベスはただちに
ディ−を牢獄から釈放して、王室数学官に任命し、彼女の載冠式の日取りを占わせた。載
冠式はディ−の指定する1559年1月14日めでたく行われた。
 ディ−は協力者のエドワ−ド・ケリ−と共に、降霊術で天使を呼び出したと噂されてい
る。魔術師であり優れた数学者でもあったディ−は、『ユ−クリッド』のヘンリ−・ビリ
ングズリ−の英訳に寄せた序文にこう書いている。「数により、知られうるものすべての
探究と理解への道が得られる」
 ここには科学と官僚性の基礎となる概念が表明されている。これは西洋哲学における重
大なパラダイム・シフトであった。
 1583年にジョン・ディ−とエドワ−ド・ケリ−はイギリスを後にして、大陸旅行に
出発した。大陸で過ごした歳月の間、ディ−はある種の伝道活動をし、そのことでポ−ラ
ンドのクラコウそしてプラハへ行った。プラハにいた時にディ−はラビ・レ−ヴと接触し
た。
 ボヘミアのプラハはカバラの一大中心地であり、一人の極めて注目すべき魔術師、ラビ
・レ−ヴが16世紀後半のプラハで有名であった。彼はオカルト主義者の皇帝ルドルフ2
世と記念すべき会見を行ない、その際皇帝は実際にこのユダヤ人に精神的助言を求めてい
る。ユダヤの伝説では、レ−ヴは異教徒抹殺の人造人間「ゴ−レム」の創造者であるとさ
れている。
 エリザベス女王の密命を帯びたディ−はこのプラハで、ラビ・レ−ヴと重大な契約を結
んだのだ。その契約とは、イギリスの発展のために国際ユダヤの隠れた支援を取り付ける
ことであった。そのお蔭で、これまではちっぽけな島国に過ぎなかったイギリスが文字通
りの大帝国にのし上ることができたのだ。
 契約の見返りは、ユダヤ人のイギリスへの再入国であった。1290年にエドワ−ド1
世(バノックバ−ンでスコットランド軍と戦ったエドワ−ド2世の父王)はイギリスから
ユダヤ人をすべて追放していた。ただし隠れユダヤ(キリスト教への改宗者)は別である
。その後ユダヤは、エリザベス1世の治世にこっそりとイギリスに再入国することができ
た。ユダヤ人が公然とイギリスに帰還したのは、クロムウェルの時代になってからであっ
た。
 イギリスへの再入国という見返りを約束されて、ユダヤはディ−に協力して大英帝国の
基礎を築いた。そして西洋を支配することになるイギリスの秘密結社の育成をはかったの
である。
 密命を無事に終えた後、ディ−は女王の腹心サ−・フランシス・ウオルシンガムに宛て
て秘密報告を出している。彼は数学者らしく、名前の代わりに数字でサインをした。「0
07」と。オカルトによる世界の宗教改革、それがディ−の目指したものであった。魔術
師ジョン・ディ−こそ、世界史に大きな影響を与えた大英帝国の企画者、女王陛下の秘密
エ−ジェント、「007」であったのだ。

 大英帝国がオカルト秘密結社の前進基地であったことが分かった。そこで今度は、過去
から未来に目を転じてみよう。オカルト秘密結社の創始者、ジョン・ディ−はイギリスで
生まれた。そして新約聖書のヨハネの黙示録に描かれた獣、聖書に予言された反キリスト
もイギリスに生まれているのである。
 これはあくまで筆者の仮説であるとして聞いて欲しい。その反キリストは「ウィリアム
」という名前を持っているはずである。ヨハネの黙示録の獣の数字「666」はいくつか
の写本には「616」とある。ウィリアム「William」のWを二つのVに分解し、
二つのLをIと読む。これを並べ替えると,「I Am VI I VI」となる。ロ−
マ数字「VI I VI」はアラビア数字で「616」のことである。
 この「ウィリアム」という名前を持つ超有名人がイギリスにいる。チャ−ルズ皇太子と
故ダイアナ妃の長男、未来の英国王ウィリアム王子である。ウィリアム王子が即位すると
、彼はウィリアム5世となる。「William V」を並べ替えると、「I Am
VI VI VI」となり、ここに獣の数字「666」が出現するのである。
 チャ−ルズ皇太子とダイアナ妃の変態セックス(セックス・マジック)の賜物、ウィリ
アム王子は1982年の夏至の日、6月21日に誕生している。夏至とは、一年で一番日
が長くなる日である(北半球では)。古代密議宗教では太陽は神として崇拝されていた。
フリーメーソンのシンボルは左目と太陽である。黒魔術師アレイスタ−・クロウリ−が夢
見た「ム−ン・チャイルド(月の子供すなわちダイアナの子供)」であるウィリアム王子
は、未来のイギリスに太陽王として君臨することになるのだ。反キリストとしては申し分
のない血統であろう。
 余談になるが、この太陽王ウィリアムの子分とでも言うべき二人の有名人がいる。ウィ
リアムの称はビル(Bill)である。二人の高名なビル、誰あろう、ビル・クリント
ン合衆国大統領とビル・ゲイツマイクロソフト社会長のことである。

 オカルト秘密結社の歴史をおさらいした所で、話をオウム真理教事件に戻す。坂本弁護
士一家殺害事件で登場した3人の暗殺者は、フリーメーソン神話の3人の卑しむべき職人
、ユベラ・ユベロ・ユベラムであることが分かった。
 坂本弁護士一家殺害の目的はもちろん、オウム真理教に殺人者の汚名を着せることにあ
る。フリーメーソンはオウム真理教を潰してしまいたい、しかしそれにはそれなりの口実
がいる。現代日本は民主主義社会である。思想、信仰、結社の自由は保証されている。オ
ウム真理教を武力でもって無理やり解体することはできない。戦前、戦中の治安維持法み
たいなものは適用できないのだ。そんなことをすれば、宗教弾圧であると反撃される。殉
教者を作りあげること程、恐ろしいものはない。宗教とは、迫害をばねにして教勢を拡大
するものだからだ。
 しかし宗教団体が卑劣な殺人を犯した、となると話は別だ。殺人カルトなど、弾圧され
ようが解体されようが誰も文句は言わない。アメリカや日本で、宗教団体による殺人、詐
欺、児童虐待などの犯罪行為や、集団自殺行為が多発するのもそのためである。つまりこ
れは、でっち上げられた犯罪であり集団自殺なのだ。国家権力とは恐ろしいものであり、
その支配の手段が国民に隠蔽される時、とてつもなく危険なものとなる。そしてこの支配
の手段こそ、フリーメーソン秘密結社が部外者から隠してきた「王の技法(ロイヤル・ア
−ト)」であり、リアル・ポリティックス(真実の政治力学)なのである。

松本サリン事件の謎

 まず、図1をご覧頂きたい。これは、松本市地域包括医療協議会が行ったアンケ−ト調
査の結果である。調査対象は、有毒ガス中毒者がでた町内会すべての住民およびその他の
計2052名であった。アンケ−トは中毒事故発生から約3週間後の1994年7月14
日から18日の間に行なわれた。

 最初に自覚症状を感じた時刻
 自覚症状を6月27日の20時から21時の間に感じていた者が5名、21時から22
時の間に感じていた者が8名いた(図1)。自覚症状を感じた時間のピ−クは23時から
24時にかけてであり、全体の30.6%を占めていた。しかし6月28日の朝(6−8
時)にも小さなピ−クがあった。すなわち、自覚症状を感じた時刻は2峰性という疫学現
象を示した。(『松本市有毒ガス中毒調査報告書』より抜粋)

 ところがこの調査結果は、松本サリン事件の検察冒頭陳述と矛盾しているのである。冒
頭陳述にはこうある。

 村井らの乗車する噴霧車等は、平成6年6月27日午後10時30分ころ、前記鶴見方
駐車場に到着し、噴霧車は、同駐車場の東側のフェンスの側に前部を南側に向けて駐車し
、ワゴン車は、同駐車場の西側寄りに前部を同じく南側に向けて駐車した。・・
 そして、村井は、噴霧車の助手席で遠隔操作でサリン貯留タンクの下についているエア
バブルを開けるとともに、銅製容器の加熱及び有圧換気扇の作動をそれぞれ開始するため
、そのスイッチを入れ、噴霧装置を始動させた。
 すると、同午後10時40分ころから噴霧車の噴霧口から気化したサリンが白煙状にな
って噴出し、噴霧車の周りに立ち込め、同駐車場の東側にある池の畔に生えている木立の
上などを通って周囲に拡散された。・・
 村井は、同所で約10分間サリンの噴霧を続けた後、サリンの残量がなくなったと判断
し、端本に対し、噴霧車を移動するよう指示し、端本が噴霧車を発進させ、同駐車場の西
側道路を北方に向け逃走を始め、これを見た富田もワゴン車を発進させ、噴霧車に追従し
て同駐車場から逃走した。

 ここで、検察冒頭陳述の矛盾点を二つ指摘しておく。
1.6月27日の20時から22時の間に自覚症状を感じた人が存在するのに、検察冒
  頭陳述ではサリン噴霧は22時40分から行われたとされている。
2.6月28日の朝6時から8時にも、自覚症状の小さなピ−クがある。言わずもがな、
  6月28日の朝には実行犯はすでに逃走済みである。

 いったい何故、こんな矛盾が生じたのであろうか。これは警察が無理やり、嘘の供述を
松本サリン事件の被告から引き出したからであろう。つまり、オウム真理教=犯人説には
疑問があるということだ。では事件の真実とはどのようなものであったのだろうか。これ
を推測させる記事が存在する。

 なぜ、供述と時刻のズレがあるのか。国際基督教大学の田坂興亜準教授(分析化学)が
、こういう。
 「これは、8時台に少量のサリンを噴霧車を使わず、別の方法で発生させ、10時半過
ぎに大量のサリンを噴霧した。つまり、2段階行った。同じ日に、別の者が実行するのは
考えられず、同一実行犯が2回実行した可能性がある」
 しかし、別の見方もある。「考えられるのは、攻撃グル−プが2班いたのではないかと
いうこと。最初のグル−プが、午後8時台にサリン以外の、例えばホスゲンなどを撒いた
のではないか。その後、第2段階で噴霧車からサリンによる本攻撃を行った可能性がある
」(捜査関係者)(『週刊現代』1996年5月4日号より)

 この記事には、オウム真理教以外の別の真犯人の存在が暗示されている。閑静な住宅街
に毒ガスをばら撒き、罪のない住民を殺害するような凶悪犯が野放しになっているとする
なら、それは恐ろしいことである。こんな記事を書き恐怖のオ−ラを振りまくことが、秘
密結社の支配する日本のジャ−ナリズムの役割の一つなのである。

 地下鉄サリン事件の変

 不審物について

 まずは図2を御覧頂きたい。これは地下鉄サリン事件で、地下鉄日比谷線霞ケ関駅で目
撃された毒ガス発生装置である(『東京新聞』95年3月21日朝刊)。本文記事にはこ
うある。

 営団地下鉄日比谷線霞ケ関駅ホ−ムで至近距離から不審物を目撃した複数の乗客による
と、その“兵器”は透明ビニ−ル袋の中に茶色の箱の形をした紙袋があり、ガラスかプラ
スチック製の瓶の口のようなものが二つあった。この口から透明の液体が流れ出し、包ん
でいる袋に染み、列車の床に液体が広がっていたという

 あれれ、おかしいぞ。オウム真理教の実行犯が傘で突き刺したというサリン入りのナイ
ロン袋とは違うではないか。こう思った人は、催眠術から目を覚ます希望が残されている
。これはどう見ても、ナイロン袋と呼べる代物ではない。四角い箱の中に二つの瓶があっ
て、そこから液体が流れ出している。
 不審物の目撃例はこの他にもまだ沢山ある。

 東京・営団地下鉄の車内で有毒ガスが流出した地下鉄サリン事件で、車内に残されてい
た不審物は、複数の薬品をそれぞれ溶剤に溶かして試験管のようなガラス製容器に詰め、
容器を割って混合させるとサリンが発生する構造だったことが二十二日までの警視庁捜査
本部の調べで分かった。犯行後逃走する時間を稼ぐため、溶剤でサリンが揮発する時間を
調整しようとしたものとみている。
 調べでは、不審物のいくつかは平べったい弁当箱大の包みにおおわれ、内部から割れた
ガラス片が多数見つかった。形状から試験管大のガラス容器とみられる。また日比谷線霞
ケ関駅の電車からはガラス瓶を押収した。一方、別の日比谷線の電車では、異臭がする直
前に、乗客がガラスの割れる音を聞いていた。
 現場の残留物からサリン製造の際に出来るメチルホスホン酸ジイソプロピルエステルが
検出されており、捜査本部は、複数のガラス容器にサリン合成の最終段階の液体二種類を
溶剤に溶かして別々に入れ、倒すなどして容器を割って混ぜ合わせ、サリンを発生させた
と見ている。(『毎日新聞』95年3月23日朝刊)

 ガラス瓶が押収されたと聞いて驚かれた人も多いと思う。しかし警察は口が裂けてもそ
んなことは公言しない。真実が明らかになっては困るからだ。我々一般庶民には、本当に
大切なことは何もあかされないのである。
 このガラス容器が割れる音については、別の証言もある。

 北千住駅から日比谷線に乗り、前から三両目にいた。秋葉原駅で自分の後ろの方でパリ
ンという音がして、シンナ−のようなにおいがした。(『毎日新聞』95年3月21日朝
刊)

 八丁堀−築地駅間では、網棚におかれていたビンが落ちて割れ、その瞬間に一人が倒れ
たという。(『産経新聞』95年3月20日夕刊)

 病院で治療を受けた足立区に住む会社員(32)は、「日比谷線の人形町の手前でびん
の割れる音がした。床が液体でぬれていてシンナ−臭かった。みんなせき込んでおり、け
いれんをおこした人もいた。目の前が真っ暗になった」と話した。(『産経新聞』95年
3月20日夕刊)

 不審物にはガラス容器が含まれていたことは間違いないようだ。犯人がガラス容器を使
ったのは、複数のガラス容器を割ることで中の液体を混合させ、現場で毒ガスを発生させ
るためである。これを専門用語で「バイナリ−方式」と呼ぶ。

 東京の地下鉄サリン事件で、犯行に使われたサリン発生源は、踏みつけるなど衝撃を与
えると容器が割れ、数分後にサリンガスが発生する仕組みになっていたことが二十四日、
警視庁特捜本部の調べでわかった。
 これまでの調べでは、包みの中には二つの密閉された容器が入っており、容器を踏むな
ど衝撃を与えるとそれぞれの密閉パックに入った液体の化学物質が混ざって反応し、サリ
ンが発生する仕組みだった。
 専門家によると、化学防護服などを着けない限り、猛毒のサリンをそのままで持ち歩く
ことはできない。このため、犯人グル−プは、サリン生成の最終工程に使われる毒性の低
い化学物質を別々に溶剤に溶かして、二つの容器に分け、毒ガステロの目的地で混合させ
、サリンガスを発生させる方法を使ったとみられる。
 二種類の化学物質を使用する場所で混合するやり方は「バイナリ−方式」と言われるが
、これだと、サリンガスの発生までしばらく時間がかかり、犯人が電車から降りる直前に
容器を割れば、自分がサリンの被害を受ける危険性は少ない。(『読売新聞』95年3月
24日夕刊)

 一方、佐藤重仁・筑波大臨床医学系助教授(麻酔学)は「自分で容器を開けることは、
自身にも危険だ。サリンの前段階の二種類の液体を別の容器に入れてロケットで打ち上げ
、振動で混じり合わせるという兵器のアイデアを米国が持っていたと聞く。今回も、電車
の振動で液体が混じり合うようにしたこともあり得る」と話している。(『毎日新聞』9
5年3月21日朝刊)

 これまでの調べで、一部の電車内にあったサリンの発生源の容器は中が二つに分かれて
いたことが分かり、警視庁築地署特捜本部は犯人が現場で化学物質を反応させてサリンを
生成したとの疑いを強めている。目撃証言などによると、発生源となった容器は、中が二
つに分かれていたとみられる。(『日本経済新聞』95年3月27日夕刊)

 地下鉄サリン殺傷事件で犯行に使われた不審物は、別々の袋に詰めたサリン一歩手前の
物質とアルコ−ルの一種を車内で反応させてサリンを作る“二液混合方式”だった可能性
の強いことが、二十七日までの警視庁築地署捜査本部の調べで分かった。
 捜査本部は、犯人が新聞紙に包んだ袋に何らかの方法で穴を開け、二種類の薬物を流出
させて混合、サリン発生前に逃走した疑いがあるとみて目撃情報などから容疑者の割り出
しを急いでいる。
 長野県松本市のサリン事件では、容器は見つかっていないが、白煙が上がるなど、現場
でサリンが発生した形跡があり、捜査当局は同じ方式だった可能性が強いと見ている。
 調べによると、地下鉄事件でサリンが発生した五車両のうち、少なくとも二車両の不審
物は、複数のビニ−ル袋を新聞紙で包んであり、袋から液が漏れ出しているのを乗客が目
撃している。

 さらに(1)サリンと一緒に、サリン合成時に副生成物として生じる「メチルホスホン
酸ジイソプロピル」が検出された(2)二車両で不審物から白煙が出ている(3)被害が
出るまでの時間やサリン発生の規模が各現場で異なっている−などの状況が、二つの液体
を混ぜてサリンを発生させた際の特徴と一致しているとみている。

 専門家によると、サリンの生成方法は何通りかあるが、この方式は、生成の最終段階で
、三塩化リンから作る「メチルホスホン酸系化合物」と「イソプロピルアルコ−ル」を混
ぜ合わせ急激な化学反応を起こす。この際「メチルホスホン酸ジイソプロピル」が発生し
、白煙が上がるという。
 被害が出た五本の電車のうち、北千住発の日比谷線では急激にサリンが発生したことを
示す白煙が車内に充満、五本の中で最も被害が大きかった。
 中目黒発日比谷線では、男が不審物を置き去ってから約五分後に異常が起きた。これに
対し、丸ノ内線の一車両では不審物が見つかってから四十分以上経過してから被害が出て
おり、捜査本部は混合スピ−ドの差で被害に違いが出たとみている。(『共同通信』95
年3月27日)

 白煙が出たこと、被害発生までの時間や被害の規模が各車両で異なっていることなどが
、「バイナリ−方式」の特徴と合致しているのだ。隠蔽されたのはガラス容器だけではな
い。事件直後の乗客の目撃証言はさらなる多様性を示している。

 乗客の話では、列車の座席の下に新聞紙に包まれた箱が置いてあったり、ガソリン容器
のようなものが倒れたりしていた。また車内に透明の液体がまかれたという証言もある。
(『朝日新聞』95年3月20日夕刊)

 調べでは、不審物は五本の電車に、それぞれ一つずつ置かれていた。捜査本部が密閉し
て保管しているが、二十五日までに中身を確認したところ、三つは弁当箱くらいの大きさ
の容器が、二つはビニ−ル袋がそれぞれ新聞紙に包まれていたという。(『朝日新聞』9
5年3月26日朝刊)

 日比谷線小伝馬町駅−電車が駅に着いた時、車内に直径、高さとも35センチ位の筒状
の物が二重のビニ−ルに包まれて置いてあった。乗客が「これは危ない」とホ−ムにけ飛
ばした。(『読売新聞』95年3月20日夕刊)

 丸ノ内線池袋駅−午前8時30分ごろ、2両目に乗ったところ、ドア付近に新聞紙に包
まれたものがあった。円柱状で人の頭大だった。(『読売新聞』95年3月20日夕刊)


 不審物の多くは、二十−四十センチ四方の弁当箱状のもので、中には直径約三十五セン
チの筒状のものもあったという。(『読売新聞』95年3月20日夕刊)

 日比谷線−新聞紙かチラシのようなものでくるまれ、ビニ−ルのひもで十文字に結わえ
られた縦、横二十センチぐらいの紙袋が床に落ちているのに気付いていた。(『読売新聞
』95年3月21日朝刊)

 これまでのところ車内にあった新聞にくるんだ不審物から液が漏れ出しガスが発生した
という。不審物は二十センチほどの大きさの弁当箱のような金属製の物体。(『毎日新聞
』95年3月20日夕刊)

 日比谷線−男が車内に置いたとみられる不審物は、直径・高さとも三十五センチ程度の
円筒形で、新聞紙やビニ−ルで包まれており、液体はサリンとみられている。(『東京新
聞』95年3月21日朝刊)

 千代田線国会議事堂前駅では、ホ−ムに居合わせた清掃作業員(65)が午前八時十三
分着の代々木上原行き電車の先頭の床に強烈な異臭を放つ、高さ約三十センチ、幅約十五
センチの白いプラスチック製の水筒のようなものを見つけた。布切れの上に置かれていた
ので、ホ−ムに持ち出し、警察が押収したという。(『東京新聞』95年3月20日夕刊

 車内にはシンナ−のような強い異臭が立ちこめていた。車内を探したところ、床に落ち
ていたビンのような容器に入った白いポリ袋からにおいが出ているのを発見。駅構内の管
理室内に運んだ。(『日本経済新聞』95年3月20日夕刊)


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悪魔組織の犯罪01
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/555.html
投稿者 サム 日時 2003 年 7 月 11 日 23:58:36:

初めに

 やらせにもいろいろある。例えば国会討論がその一つである。野党議員が与党議員の不
正を鋭く追及する。あるいは与党の政策の失敗を糾弾する。それに対する与党の議員はの
らりくらりと身をかわす。一見したところでは、議会制民主主義が正常に機能しているよ
うに見える。しかし良く考えて欲しい。野党議員の質問の内容はあらかじめ用意されたも
のである。その証拠に紙を見ながら質問している。そしてそれに対する与党議員の答えも
また同様である。野党議員が質問し、それに対して与党議員が答弁する。その答弁に対し
てまた野党議員が反論する。その反論にまた与党議員が応じる。これはすべて予め決めら
れたシナリオに沿って行われているのである。舞台裏で野党の質問内容と与党の答弁内容
は予め調整済なのである。
 こう質問しますからこう答えて下さい、それに対してこう攻めます。そうしたらこちら
はこう答えましょう。このようなやり取りが予め行われているのである。つまりやらせで
ある。しかも野党議員の質問の内容も、与党議員の答弁の内容も、共に議員先生が考えた
ものではないことは言うまでもない。先生方の背後には、優秀な官僚諸君が控えているの
である。あるいは、質問も答えもすべて一人の演出家が考えたものかも知れない。ではこ
のやらせの目的は何なのだろうか。それは簡単なことだ。テレビを見ている視聴者に、民
主主義が正常に機能しているという幻想を与えるためである。本当に重大な問題は、国会
で討論されるようなことは決してないのである。
 別のやらせを考えてみよう。テレビのクイズ番組はどうであろうか。黒柳徹子などが出
演している番組である。視聴者はクイズの答えは出演者が自分で考えて答えているとお思
いであろうか。実はそうではないのである。その証拠に、出演者が司会者に答えのヒント
を求めることがある。それに対して司会者はすらすらと答えている。こんな事は予め準備
がなければ出来ないことなのである。すると、どんなヒントを求めてそれに対してどう答
えるかということも、予め決められたシナリオの内であるということになる。ということ
は、肝心の質問の答えも出演者が自分で考えているとは思えない。出演者は予め自分に与
えられている答えを紙に書いて見せるだけなのである。後は迫真の演技で視聴者の目を誤
魔化す。すなわち、やらせである。番組をスム−スに進行させるためには、あらゆる細部
まで予め決定しておかねばならない。そうしてこそ、一定の思考様式に視聴者を誘導する
ことが可能となるのである。
 最後にワイドショ−の芸能人のゴシップネタを取り上げてみよう。誰それちゃんと誰そ
れ君が恋関係にあるとか、別れたとか、浮気しているとか、離婚しそうだとか、そうい
った類の情報である。まあこんなこと、本気で信じている人も少ないかも知れないが、こ
れまたでっち上げであることは明らかであろう。芸能人は夢を売るのが商売である。勿論
、彼らにも私生活があっても良いはずである。しかしその私生活まで含めて、派手なショ
−を演出しなければならないのである。何故であろうか。芸能人とは大衆の憧れの的であ
る。人間は憧れの対象と自分を同一化するように行動するものである。こんなことは心理
学を持ち出すまでもないだろう。その憧れの的である芸能人は色恋沙汰に浮かれている。
すると大衆にとっても、それが理想の生活様式になるのである。こうして不倫や離婚で家
庭は破壊され、男女関係はセックスだけの結びつきになり、女性の男性化、男性の女性化
が進行して自然の生態系は破壊されてしまうのである。

 さて、本書で筆者が取り上げるのは、もっと重大なやらせである。それは、殺人事件で
ある。筆者がここで殺人事件がやらせであると言う意味は、殺人の真犯人は決して捕まら
ないということなのである。すると逮捕されて自白して有罪を宣告された人達は、殺人事
件の犯人ではなかったことになる。彼らは虚偽の自白を行ったのだ。すなわちこれ、やら
せである。しかしこのやらせが前述のものと異なる点は、彼らが決してやらせの積極的な
加担者ではなかったということにある。彼らはいやいやながらこのやらせの共犯者になら
ざるを得なかったのである。何故か。それは本書をじっくりと読み進めればお分かりにな
るだろう。
 ところでこの国会答弁のやらせや、クイズ番組のやらせや、芸能人ゴッシプネタのやら
せや、殺人事件のやらせにしろ、すべてフリーメーソンが大衆に仕掛けた心理戦争なので
ある。ここに心理戦争のテクニックの一つをご紹介しよう。

 南北戦争中にハワ−ドと、マリソンという二人の新聞記者がAPの特電を捏造したこと
がある。リンカ−ン大統領が40万人の徴兵を命じるというのだ。
 陰謀者たちは、そのような徴兵が発表されれば、金融界や株式市場を揺さぶり、金の価
格を高騰させるだろうと承知していた。そのため、二人がデマを流す数日前に、ハワ−ド
は大量の金をいろいろな名前を使って思惑買いした。彼がこの計略の成功で何千ドル儲け
たのかは、推測するしかない。
 二人は逮捕されたが、減刑の嘆願を受け入れたリンカ−ンは二人を釈放した。実は、リ
ンカ−ンは彼らに感謝の念を抱く特別な理由があったのだ。ハワ−ドは詐欺師であるだけ
でなく、政治的軍事的状況を見る目があった。新規の徴兵の必要性は非常に大きかった。
事実、偽の声明が発表されたときに、リンカ−ンの机の上には30万人の徴兵を命ずる本
物の声明が置かれていた。リンカ−ンは、偽の声明が大衆や金融市場に与えた影響を見て
、実際の召集令を事態が落ち着くまで60日間遅らせたのだ。

 以上のエピソ−ドを聞いて思うのは、実はリンカ−ンもこの記事のでっち上げに関与し
ていたのではないのか、ということだ。徴兵の声明を発表すれば、大騒動が持ち上がるこ
とは目に見えている。そこで偽の声明を流して事態が沈静化するまで待ち、新たに本物の
声明を発表するという訳だ。2度目の方が当然、大衆に与える衝撃は少ないだろう。さら
に、徴兵数が40万から30万に減っているのもみそである。何か得をした気分になるか
らだ。
 この心理戦争のテクニックは何も奇抜なものではない。商品広告のチラシの値段のとこ
ろに線が引かれて、その横に新たに値引きされた値段が書かれているのを見たことがない
人はいないだろう。うぶな人は本当に値引いて商品を売っていると錯覚するかもしれない
が、これが販売戦略の一つであることは良く知られている事実である。最初から値引き価
格で商品を売るために、わざと高い値段を商品に付けて置くのである。消費者は何か得を
した気分になるからである。
 このテクニックは日本政治の誘導にも使われた。関東大震災後の「帝都復興案」は、当
初40億円にものぼる大計画だった。これが最終的には、「特別都市計画法」と修正され
、3億4200万円があてられることになったのだ。
 時代が下って、つい先頃世間を賑わしたものに、オウム真理教に対する破壊活動防止法
の適用問題があった。結局破防法は適用されなかったが、1999年の暮れに破防法をマ
イルドにした内容のオウム新法が成立した。
 恐らく少年法改悪も、これと同じ手順を踏んで行われるだろう。最初に過激な改悪内容
が発表されて、その後その内容を和らげたものが施行されるという具合に。あるいは政府
は、もうこんな手順を踏む必要も感じていないかも知れない。政治的なアパシ−(無関心
)が大衆に蔓延してしまっているからだ。

 それにしてもつくづくと感じるのは、大衆は何と騙され易い人種なのかということであ
る。しかし振り返って我が身を考えると、つい先頃まで筆者もその騙され易い大衆の一人
だったのである。では筆者が何故このペテンに気づき、催眠術から目を覚ますことが出来
たかと言うと、それはマスコミ報道に疑いを持ち始めたからである。一度疑ってかかれば
、マスコミが垂れ流す情報の齟齬は簡単に見つけることができる。後は、マスコミが大衆
を欺くその理由を突き止めれば良い。これは確かに大変な作業ではあった。不断の学習と
鋭い知性が要求される作業である。しかしその果実(楽しみ)もまた大きいのである。本
書が多くの読者の陰謀研究の一助となることを願って止まない。そして世の中の矛盾に気
づき陰謀の存在を疑い始めた人には、筆者から最上の格言をお贈りしたい。

 すべてを疑え!

 陰謀研究はこの一言に尽きるのである。

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●メディアが報じない「えひめ丸」事故にも匹敵の大事故
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/469.html
投稿者 フラッシュがわかりやすくてよいです 日時 2003 年 7 月 11 日 01:39:14:

7月2日、巻き網漁で停泊中の日本漁船にパナマ船籍の韓国貨物船が衝突。
貨物船の見張りは「認知はしていたが、よけてくれると思った。」と証言。
全く減速もせずに激突し、そのまま漁船は沈没しました。
被害は死亡1名、行方不明6名。重軽傷者8名。
見張りの航海士1名は逮捕されましたが、行方不明者は見つかっていません。

その4日後、行方不明者を捜索中の水産庁取締船「からしま」が
別の韓国貨物船に衝突され沈没。重軽傷者数名を出しました。
しかも、その場からは2隻の不審船が立ち去るのが確認されています。

これ程の連続した大事故であるにも関わらず、
不思議なことに、TVや全国紙ではほとんど報道されません。

ネットでしか語られない真実が下記サイトにあります。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/1917/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1983/

flash http://www.kokueki.com/swf/genkai.htm

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日本人の半分以上は殺人者なのか? 投稿者 オリハル 日時 2002 年 10 月 21 日 21:05:52:

 積極的な殺人者/消極的な殺人者

 例えば、池田小学校に刃物男(しかし、ただ一人)が乱入した場合を想定し、現場にいた大人を、全国民(の大人の男女)と(次々)取り替えてみて、事件を最初からTEST RUNさせた場合に、国民の半分以上の人は、「事件に触れない・触らない」結果に終るのではないか? もし、そうだとしたら、

積極的な意味合いでは、国民のほぼ99.99%は殺人者ではないが、
消極的な意味合いでは、国民の50%以上は、「殺人者である」

という事になりはしないか?








































































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