私はこう思う
http://www.asyura2.com/07/qa2/msg/282.html
投稿者 オリハル 日時 2008 年 10 月 31 日 19:17:18: 3eVpHzO3Pti46

(回答先: 世界恐慌の中で、日本がどんな国家をめざすべきか 投稿者 なぞの精神科医 日時 2008 年 10 月 31 日 01:35:36)

1) 先ず、お金は生存権本位制に移行して、子供(国民)が一人生まれたらそれだけ紙(紙幣)を印刷すればいいのでは?

新たな裏付けとしての生存権本位制
http://www.asyura2.com/08/senkyo54/msg/758.html
投稿者 オリハル 日時 2008 年 10 月 18 日 02:28:56: 3eVpHzO3Pti46


2) 現在のような「思考停止方向へ向かう姿の法治国家」=「ルール国家」「教条主義国家」は人間の自然性から乖離しているので、下の記事のような「ふつうは意識しないでも社会はうまくゆく」方式の国家が理想的と思います。
 それから以前、テレビで放送してましたが、古代のマヤだったかどこかの社会のルールは「相互扶助」というただ一つの法律しかなかったそうで、人間、普通に相互扶助精神は発揮する、という以前に「持っている」ものでしょう。

「皆さん、こんなの許せますか!?」 〜裁判が「バラエティ番組」になっていく (1) (NBonline)
http://www.asyura2.com/08/senkyo55/msg/446.html
投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 10 月 29 日 22:52:16: mY9T/8MdR98ug


3) 政治家や国会とかで政治を行うよりも上位に位置づけるのがネット上の専門の掲示板だと思います。民意が直接反映され、正確なデータを持ち寄り、正しい議論が出来ると思います。そのようにして決められた決定事項は政治を司るコンピューターのプログラムの分岐条件として入力され、実行される。従って現在の気分で動かざるを得ない官僚たちは正確なプログラムの実行を待つだけとなる。例えば、「公務員の毎月の給料は民間の給料の平均値の80%とする」というBBS上での決定事項は直ちに元官僚だったプログラマーがプログラムを入力し、次の月からは、毎月の民間の所得平均を計算して0.8を掛けて公務員の給料が出てくる。
http://oriharu.net/jcountry.htm#seiji_IT


4) 上記3)のようにすれば、国会という建物は不要化して行くでしょう。インターネットを使えば、現在のような「金持ちしか政治家になれない選挙」は根本から変わるでしょう。むしろ、ネットしか使えない「静かで環境に優しい選挙」しかできないようにしたら? エストニアは政治も全部IT化されたIT先進国です。
http://oriharu.net/jvideo.htm#Estonia


5) 上記3)のようにすれば、「予算」という「自分達が来年度に使える金額を“最初に決めてしまう”という傲慢不遜な発想」は完全に止めにして、「節約に節約を重ねて年度末になってやっと全体の金額が見えてくる“過算”“既算”」にすればいい。“過算”or“既算”は、「余らせたら誉められる」のである。


6) 言語が違うのは仕方が無いにしても、国家と言うものの基本は孤立主義なので、国家概念を意識の中で強めてしまうと他国との衝突と分裂が起きやすいので、靖国問題にしても、「地球人という意識」でいられればいいのに、と思います。
http://oriharu.net/jcountry.htm#true_world
http://oriharu.net/jyasukuni.htm


7) 警察官が立場があるというだけ(?)で横暴な逮捕と思われる行為が近頃多い感がありますが、主権在民ならば、例えば、一定数の国民の記名などで職を解く事ができるような仕組みが、対警察に関しては「必要」だと思います。もうその職権は二度と使えなくなる。もし、こういう仕組みが存在しないとしたら、国民はただの奴隷という側面を一部で持ってしまう事になるからです。このような側面にもっと自覚的になり、ただ知っている・気付いているだけでも大きな変化になると思います。

警察の実態を映し出す証拠映像(植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/08/senkyo55/msg/434.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 10 月 29 日 17:27:11: twUjz/PjYItws


8) より長期的な視野に立てば、憲法九条を掲げる日本なので、世界全体に向かって武器の不要性を訴えて行く。軍事力のために必要なお金よりも遥かに小額で世界から貧困をなくせるのです(動画:http://oriharu.net/V/20061231_SundayMorning_StopWar.rm)。また、人間の精神が弱肉強食の動物の力の意識から人間の意識になれば、世界から戦争が消えるだろうと思います。
http://oriharu.net/jstopwar.htm


 

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樽を知る?  ディオゲネス
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/489.html
投稿者 きすぐれ真一 日時 2008 年 1 月 12 日 01:28:57: HyQF24IvCTDS6


・・・
あゝ、誰か来て僕を助けて呉れ
ヂオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
けふびは雀も啼いてはをらぬ

         中原中也(「秋日狂乱」)

とはいえ、先日、ウグイスとメジロとシジュウカラがあいついで庭に来た。仲良きことはうつくしき哉


愉快痛快さん、ちょっと失礼しますよ。


http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/diogenesu.htm

1.樽の聖者
 高校時代に英語の教科書で「ディオゲネス」というギリシャの哲人のことを知った。以来、この風変わりなギリシャの哲人は私の心の中に住み続けている。これまでもディオゲネスについては何度も書いているのだが、すぐにまた書いてみたくなる。それだけ好きだと言うことだろう。

 ディオゲネス(BC410〜BC323))はアテネ郊外に住んでいた。樽の中に住んでいて、その樽を転がして好きな場所に移動した。樽の他に彼はこれという持ち物は何もなかった。いわばシンプルライフ、スローライフの先駆者のような存在である。

 彼は「美しい人」と呼ばれた。外貌ではなく「魂において美しい人」という意味である。彼はただ樽の中に住んでいただけで、何事かを為したわけではない。天気のよい日は樽から抜け出して、河原でひなたぼっこをしていたという。

 まったくの無為徒食である。説教をするでもない。著作をするでもない。書物はひとつも残さなかったが、しかし彼ほど多くの逸話を後世に残したの人はいない。それだけ彼は当時の人々からも一目置かれ、尊敬されていたということだろう。

 説教はしなかったが、彼は自分の生き方を通して、人々に大きな感化を与えた。そして二千数百年を経た現在でも、彼の名前はその数々の逸話とともに伝えられ、デオゲネスは「哲学者」の代名詞のようにさえなっている。それでは彼の逸話をいくつか紹介しよう。

 ある晴れた気持のよい日に、彼が貧しい農夫からもらったキャベツをいとおしむように河原で洗っていると、アテネに住む友人の哲学者が近くを通りかかって、「君も私のように金持ちの友人とつきあいたまえ。そうすればもっとすばらしい邸宅に招待され、もっとおいしいご馳走がもらえるよ」と忠告をした。その友人に対して、ディオゲネスはこう答えたという。

「私にはこのキャベツが最高のごちそうなのさ。なぜなら、このキャベツは私にこれをくれた人の善意で味付けされているからね。君の金持ちの友人の食卓のどんな調味料よりもこれがおいしいんだよ。君もここへきてキャベツを洗ってごらん。川でひなたぼっこをしながらキャベツを食べるのが、どんなに楽しいことかわかれば、金持ちの友人なんか必要でなくなるだろうよ。そしてご機嫌取りの退屈な会話からも解放されるわけだ」

 いくらシンプルライフだとはいえ、「食べる」ことはしなければならない。良寛に「焚くほどは風が持てくる落ち葉かな」という句があるが、おそらく彼もそのように人の善意にすがって、最低限の食料を得ていたのだろう。そして、彼にとってはそうして得た野菜の切れ端こそが、どんな贅沢な食事にも勝る最高のごちそうだったわけだ。

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2.天下の住人
 ディオゲネスが住んでいた樽は、半分壊れてもうだれも使わなくなったような代物だった。そこに彼は野良犬のように棲みついていたので、彼は「犬の哲学者」と呼ばれ、彼の一派は「犬儒派」と呼ばれた。

 彼と同時代の哲学者にはプラトンやアリストテレスがいる。すこし時代が下がればストア派のゼノンや快楽主義のエピキュロスがいる。いずれも大勢の門人をかかえていた。おなじ禁欲主義のゼノンでさえ、それなりの家に暮らして、世の尊敬を受けていた。

 そうした権勢のある哲学者とその門人から見れば、ディオゲネスは「犬の哲学者」と呼ぶに相応しかったのだろう。彼は自分がそう呼ばれるのをいやがらず、すすんで自分を「野良犬」と自称さえしていた。

 彼は樽の中にランプと水を入れる革袋を持っていた。彼は真昼からランプに灯をともして、アテネの町を歩いたことがある。アテネの人々がいぶかしがって声をかけると、「私はイヌと呼ばれている。そうかもしれない。それでは人間はどこにいるのか。私は人間をさがしているのだよ」と答え、相手の方にランプをかざし、じっと見つめるので、相手はうろたえて逃げ出した。

 デオゲネスは「アテネに人がいなくなった」と言っていた。ディオゲネスにすればプラトンでさえ「人間」ではなかった。ましてや「哲学者」ではなかった。彼はソクラテスを尊敬していたが、プラトンの小説の中に出てくるソクラテスは嫌いだった。

 ディオゲネスが尊敬するソクラテスは貧しい家に住み、誰彼となく議論を吹っかけて人々から嫌われていたソクラテスだった。ソクラテスはその辛辣な皮肉で人を刺した。そして名声を求めず、独り毅然として生きていた。ディオゲネスはそんなソクラテスが好きだった。しかし、アテネにはもはやソクラテスのような人間はいなかった。

 ディオゲネスのランプは現在では「賢者の象徴」とされ、アテネ大学の徽章にもなっているという。しかし、当時のアテネのお上品な人々には、ディオゲネスが理解できなかった。犬儒派のことをシニシズムというが、辛辣なという意味のシニカルという言葉はここから来ている。ディオゲネスに弟子や門人はいなかったが、彼の辛辣な皮肉は、人を遠ざけるためにかなり有効だったようだ。

 彼はランプの他に持っていたものといえば水を入れる革袋だが、彼は後にこれを捨てた。ディオゲネスはある日、子供が素手で水を掬っているのを見て、「おれは何という馬鹿者だったことか。おれは子供に大切なことを教えられた」と天を仰いだ。そして水袋をその場で捨てたのだという。

 ディオゲネスはアテネの近郊に住んでいたが、アテネの住民という訳ではなかった。彼は「あなたはどこの国の人ですか」と人に訊かれるたびに、「太陽はいくつありますか」と逆に聞き返した。相手が「一つです」と答えると、ディオゲネスは嬉しそうに破顔一笑して、いつもこう答えていた。

「そうです。太陽は一つしかありません。そして私たちはだれもこの一つの太陽をいただいて暮らしているのです。私に祖国などありません。私はただ、この天の下で暮らしているのです。私は天下の住人です」

 当時ギリシャは争乱の時代だった。アテネやスパルタがギリシャ半島の覇権を競って争っていた。ディオゲネスはそうした争乱を冷ややかな目で見ていた。ディオゲネスはどうして戦争が起こるのか知っていた。

 地上に災いをもたらすものは、人間のあくなき所有欲である。国心の正体も、彼の目にはこの所有欲のお化けでしかなかった。それはいずれ国を滅ぼすだろう。そのことをディオゲネスは知っていた。

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3.光をわけて下さい
 BC338年にギリシャ連合軍はマケドニアに負けている。その後も反乱を起こしたが、結局はアレキサンダー大王に力でねじ伏せられてしまった。このときディオゲネスは70歳を過ぎた老人だった。

 アレキサンダー大王(BC356〜BC323)はアテネを征服したが、これを焼き滅ぼそうとはしなかった。いつの場合でも、恭順の意を示した人々には彼は寛容だった。ギリシャ人はたちまちアレキサンダーを自分たちの偉大な王として迎え入れた。これまでさんざん悪口を言って敵対していた政治家や哲学者も、こぞって彼を賛美しはじめた。

 そうした中で、ディオゲネスはあいかわらず樽の中で我関せずの気儘な生活を楽しんでいた。アレキサンダーはこの風変わりで高名な哲学者が自分に会いに来るのを楽しみにしていたが、部下を何度さしむけても「わしは昼寝で忙しい」と言って動こうとしない。仕方がないので、自分から会いに行くことにした。

 ディオゲネスは樽の近くでひなたぼっこをしていた。軍勢を引き連れてやってきたアレキサンダーを見ても、寝そべったまま居ずまいをただそうともしない。以下、二人の会話を再現してみよう。

「私はアレキサンダーです。ギリシャはいま完全に私の手の中にあります。アテネの人々は私の姿を見ただけで震え上がります。あなたは私が怖くはないのですか」

「君は善い人かね。それとも悪人かね」

「私は善人です。私は父からたくましく生きることを学びました。そして師アリストテレスから、善く生きることをを学んだのです」

「私は善人を恐れない。君が善人だとしたら、君を恐れる理由はないだろう」

 アレキサンダーは老哲学者の言葉に感心した。ディオゲネスは相変わらず寝そべったままだったが、それをもはや無礼とも感じなかった。

「あなたのような智者に会えたことを嬉しく思います。つきましてはお礼をさせてください。何をお望みでしょうか。私に出来ることなら、何でもさせていただきましょう」

「それではひとつ頼み事をしよう。わしの前に立たないでほしい。君はわしから大きな楽しみを奪っている。わしの望みは日差しと昼寝だ。日の光を私に分けてくれないかね」

「これは失礼をしました。それにしても、無欲な方ですね。あなたは私がアテネで出会った尊敬できるただ一人の人です。それでは昼寝の前に、ひとつだけ質問させて下さい。あなたは私のことをどう見ていますか。本当に私は善人なのでしょうか」

「わしは人物をいつも行動で評価している。君は多くの人を殺して、そのあげくギリシャを征服した。このあと、何をするつもりだね。まだ人を殺し続けるつもりかね。君は人殺しをつぐなう以上の善行がこの世にあると考えているのかね」

「私がギリシャを征服したのは、ギリシャに平和をもたらすためです。さらに私は世界を征服するでしょう。地の果てまでも軍隊を進め、世界に平和をもたらします。それが私に与えられた使命だと思っています」

「君は平和のために戦うという。しかし、戦いは戦いを生むだけだ。アテネはそうして滅びた。このままでは、君もいずれ滅びるだろう。平和ならここにあるよ。何もしないこと、それが平和だ。どうだい、君もその鎧を脱いで、私と一緒にひなたぼっこをしてみないかね。一緒にキャベツを川で洗って食べてみないかね」

 アレキサンダーはディオゲネスの言葉をしばらく考えた。ディオゲネスとならんで毎日はだかでひなたぼっこをするのも悪くはないなと思った。平和は心の中に実現するものであって、戦争によってはもたらされないという思想は、師アリストテレスからも聞いていた。

「私は王としてこの世に生まれました。これが神々が私に与えた私の運命なのです。しかし、生まれ変われるものなら、私は哲学者に生まれ変わりたいものです。そうすれば、ディオゲネスよ、私もきっとあなたのように長寿を全うし、平和でやすらかな生き方ができるでしょう」

 アレキサンダーは淋しく笑ってディオゲネスを見つめた。ディオゲネスはもうなにも言わず、だまって目を閉じた。そうすると急に眠くなった。ディオゲネスが目を覚ましたとき、もうアレキサンダーの姿はなかった。

 言い伝えでは、ディオゲネスはアレキサンダーと同じ日に死んだという。そのときディオゲネスは90歳を超えた老人だったが、アレキサンダーはまだ32歳の青年だった。冥界でなかよく並んでひなたぼっこをしている老人と青年をみかけたら、この二人かも知れない。

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4.贋金作り
 ディオゲネスはBC410年頃に、黒海沿岸のシノペという町(現在はトルコ領)に、裕福な両替商の息子として生まれている。彼はあるとき、「国に広く流通しているものを変えるのがおまえの使命である」という神託を受けた。

 「国に広く流通しているもの(ポリティコン・ノミスマ)」とは何か。彼はそれを「貨幣」だと考えた。宗教・思想や習慣など、いろいろ考えられるが、彼があえて「貨幣」に着目したのは、それなりに理由があってのことだった。

 それは「貨幣」は人間が作りだしたものでありながら、実は人間を支配している元凶だと考えたからだ。デイオゲネスの時代は、すでに宗教は力を失っていた。プロタゴラスは「万物の尺度は人間である」と宣言していた。神ではなく、人間が主役である時代が到来していた。

 しかし、その主役の筈の人間もじつは貨幣に支配されていた。自由人を自称するポリスの市民も例外ではなかった。両替商の息子として生まれたディオゲネスは「貨幣の魔力」についてよく知っていた。彼の目には貨幣こそ現代の悪しき神のように見えた。

 しかし、この現代の神である「貨幣」の正体は何だろう。金持ちはいかにして金持ちになるか。それは奴隷をしぼりあげることによってだった。貨幣とは何か。それは搾取された労働ではないのか。

 マルクスはのちに「労働の疎外」という言葉を使ったが、こうした世のなかの仕組みを古代の奴隷制社会に生きていたデイオゲネスはよく理解していたようだ。たとえば、彼は金持ちの家に招待されて、「盗人、この門を入るべからず」という看板を見て、「それではこの家の者はどこから中にはいったらよいのか」と辛辣な言葉を吐いている。

 さらに、「家の中では痰を吐かないで下さい」と言われて、彼はその金持ちの主人の顔に痰を吐き付けた。「痰を吐いてよさそうないちばん汚いところを探したところ、君の顔がそこにあったものでね」というのがディオゲネスの言いぐさだった。

 神殿を管理する役人が、あるとき賽銭を盗もうとした男を捕まえて連行しようとしたところ、ディオゲネスは「大泥棒がこそ泥を捕まえたぞ」とはやしたてた。こうした逸話からもわかるように、ディオゲネスの社会を見る目はとても深かったことがわかる。彼は単なる悟り澄ました乞食の哲学者ではなかった。この時代には珍しい冷徹な経済学者でもあったわけだ。

 ディオゲネスは贋金を作ることで、「貨幣」というものの信用をなくし、その人間に対する支配力をそぎ落とそうとした。しかし、そんな大それた社会革命がディオゲネス一人の手でできるわけはない。彼は捕らえられ、財産を没収された上で、ふるさとのシノペから追放されることになった。

 彼はこうしてシノベをあとにし、異国に渡る船上の人になったわけだが、今度は思わぬ運命が彼をさらなる窮地に陥れた。彼を乗せた船が海賊に襲われたのだ。デイオゲネスは海賊に捉えられ、奴隷商人の手に委ねられた。彼はこうして自由の身分を剥奪され、奴隷の身分にたたき落されてしまった。

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5.奴隷から自由人へ
 海賊に襲われ、クレタ島に連れていかれたディオゲネスはそこで奴隷として売り出された。そのとき、奴隷商人が、「おまえは何ができるか」と質問すると、彼は胸を張って、「私は神々のように人を支配することができる」と答えた。

 奴隷商人は驚いて、その真意を問いただした。ディオゲネスがいうには、人間はだれも何者かの奴隷になっている。とくに自分の欲望の奴隷になっている。欲望こそが人間の主人なのだ。欲望にあやつられて動く人間は、みんな奴隷である。

 私もまた欲望を持っているが、欲望に支配されることはない。どうしてかといえば、私は欲望よりももっとすばらしいもの、もっと強力でよろこばしいもの、すなわち真理に従って生きる道を知っているからである。真理に従っているかぎり、私は私の主人である。そして私は神々のように幸福である。

 真理こそはすべての支配者である。しかし、人々はその存在すら知ろうとしない。したがって、真理の存在を知っている私は自分自身の主人である。そして真理を知っていることで、他人をも支配することができる。なぜなら、自分を支配することができる人間だけが、他人から自由であり、他人をも自由にできるからである。

 こんな生意気な奴隷を誰も買うはずはないと思われたが、デイオゲネスの演説にじっと耳を傾けていた男がいた。クセニアデスという富豪である。クセニアデスは「私にはあなたのような主人が必要だ」と冗談をいい、彼を買ってくれた。

 ディオゲネスもクセニアデスが好きになった。そこでディオゲネスは、家庭教師として彼の息子を立派な男に鍛え上げた。そればかりか、経理の才を生かして、クセニアデスの商売を助けてやった。クセニアデスは大いに喜んで、ディオゲネスを奴隷の身分から解放してくれた。

 こうしてディオゲネスは自由の身になってアテネにやってきた。そしてそこで、ソクラテスの弟子のアンティステネスという哲学者に出会った。この出会いがデイオゲネスの人生を変えることになった。

 アンティステネスがソクラテスから学んだことは、「物欲にふりまわされていけない。そうしたものを捨て去り、精神を鍛えて、魂のためにだけ生きなければいけない」ということだった。アンティステネスはこのソクラテスの教えを実践することこそが哲学者の正しいあり方だと考えた。

 アンティステネスの偉いところは、ただそう考えただけではなく、そうした生活を自ら実践してみせたことである。彼は財産を捨て、粗末な身なりをして街に現れ、人々にそうした簡素な生き方のすばらしさを説いた。ディオゲネスはアンティステネスのなかに真の哲学者のあるべき姿を見た。そして彼も又アンティステネスのような生活をはじめたわけだ。

 ディオゲネスはこうして野良犬のような生活をしながら、アテネの市民たちが所有する奴隷の数で他人を評価し、お互いの富を競い合うのを皮肉な目で見ていた。祭壇に生け贄を捧げ、その後に御馳走をたらふく食べて健康を害しているのを愚かなことだと思った。

 「健康を祈って生け贄をささげておきながら、健康を害するほどの御馳走を食べている。人間が生きていくための糧は神々から容易に授けられているのに、そのことが見えなくなってしまったのは、人々が蜂蜜入りの菓子だとか、香油だとか、その他そういった類のものをほしがるからだ」

「競争の際には、隣の人を肘で突いたりして互いに競い合うのに、立派な善い人間になることについては、誰ひとり競い合おうとする者はいない」

 デイオゲネスはこのように、堕落したアテネの市民を批判し、自らを「天下の住人」と称していたが、そのころアテネで人気のあったプラトンもまた別の視点からアテネ市民を批判していた。彼はソクラテスを抹殺したアテネの民主政治を嫌っていた。彼はその著「法律」のなかで、ソクラテスの口を借りて、為政者や議員、陪審員を「くじ」で選ぶことの愚かさを痛烈に批判している。

<あなたが家を建てるときどんな大工に仕事を頼むか? 大工を集めてくじを引かせて当たった大工に頼むか、それとも最も腕の良い大工に頼むか? 腕の良い大工に頼むであろう。ならばなぜ、われわれアテネ人は政治を行う者をクジで選ぶのか>

 プラトンは国民を哲人王が支配すれば、国民は王の言うことをよくきいて素晴らしい国になると考えた。アテネのように何でも議論をしていてははじまらない。エジプト人のように、王、ファラオを神の化身としてあがめていたほうがましだとさえ考えていた。

 デイオゲネスはこうしたプラトンの国家主義や貴族主義を嫌っていた。プラトンの家にいったとき、そこに敷いてあった絨毯を踏みつけて、 「俺はプラトンの虚飾を踏み付けているのだ」といった。プラトンもデイオゲネスを嫌っていた。そして彼を「狂ったソクラテス」と呼んだ。

 プラトンは目の前に見えているこの世界を真実と考えなかった。現実を超えた別の世界に理念的な存在の実在を考え、これを「イデア」と呼んだ。デイオゲネスはプラトンの「イデア」も認めていなかった。

 デイオゲネスにとって、目の前にある世界がすべてであり、この世界をいかに善く生きるかが問題だった。のちにアリストテレスがこの点で師プラトンを痛烈に批判している。アリストテレスはさらにプラトンの説く哲人王を批判し、民主主義こそ大切な政治形態だと考えた。この点で、アリストテレスはディオゲネスに親近感をもっていたのではないだろうか。

 ディオゲネスはそのシニカルで辛辣な傍若無人ぶりにもかかわらず、多くの人にされたようだ。晩年には彼の名声はギリシャ中に鳴り響いていたが、彼はその名声をなんとも思っていなかった。自分の墓を作ることを許さず、「どんな野獣の餌食にしてもいいし、そのへんに投げ捨てておいてもいい、杭の中に押し込んでわずかの土をその上に盛っておけばそれでいい」と語って死んだという。

 ディオゲネスについて、他に多くの逸話が「ギリシャ哲学者列伝」(ディオゲネス・ラエルティオス著、岩波文庫)に書かれている。その中から、彼の言葉をいくつか引用しておこう。

<われわれ乞食にも、あなたのお腹のものを少し分けていただけませんか。そうすれば、あなた自身は身体が軽くなるだろうし、我々に恩恵を与えることになりましょうから>

<哲学から何が得られたかって。それはたとえどんな運命に対しても心構えができているということだろうね>

<汚らしいところに足を踏み入れても平気だよ。太陽だって便所の中に入り込むが、汚されはしないからね。>

<哲学に向いていないだと。立派に生きるつもりがないのなら、なぜ君は生きているのだね。君は理性をそなえるか、それとも首をくくるための縄を用意しておくしかないのだよ>

<世の中で最もすばらしいものは、何でも言えること(言論の自由、パールレーシア)だね>

<高貴な生まれとか、名声とか、すべてそのようなものは、悪徳を目立たせる飾りだよ>

<人生においては何事も、鍛錬なしにはうまく行かないものだ。人は無用な労苦ではなしに、自然に適った労苦を選んで、幸福に生きるようにすべきだね>

 小石に躓いて倒れたディオゲネスは死期を悟って、その場で息をつめて窒息死したらしい。いかにもこの人らしい最期である。彼を追放した故国の人々も、彼を称えて青銅の像をつくり、そこに次のような詩句を刻んだという。

<青銅も年月経てば老いるもの。
 されど、汝が誉れは、
 永久に朽ちることなからん・・・>

 ラファエロの筆になる有名な大作「アテネの学堂」には、数十人の、古代ギリシアの哲学者や数学者などが一堂に会するさまが描かれている。中央の2人は左がプラトン、右がアリストテレス。プラトンが天上を指差し、アリストテレスは手のひらを地上に向けている。

 ソクラテスは黄褐色の衣を着てプラトンの左にいる。そして、画面中央の石段に座り込んでいるのが我らのディオゲネスである。彼の右側でコンパスを持っているのが数学者・ユークリッド。そのほか、ヘラクレトス、アルキメデスやターレスなど、今さらながら、ギリシャ哲学の豪華絢爛ぶりがしのばれる。


Re:
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/449.html
投稿者 日 日時 2007 年 12 月 14 日 02:04:20: IR1H95zbmUf8k

(回答先: ↑上記本文中の脱字の訂正:[誤]考察者kの異論⇒[正]考察者k氏の異論 <本文なし> 投稿者 如往 日時 2007 年 12 月 12 日 00:38:15)

思えば3年前のやり取りでも如往さんはやはりそのことを求めておられましたね。その時の日の返信投稿を憶えておられますか?

Re: 組織にとっての「俗」と「聖」 [日さんへ]
http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/1190.html
投稿者 日 日時 2005 年 7 月 19 日 03:07:06: IR1H95zbmUf8k です。

どこかに書かれた如往さんの原体験と似た原体験を綴った物でしたが、あらためて見ると、不思議な事に投稿内容が半分以上消失された形で出て来ます。日がミス投稿したのでしょうか?
もう一度、記し直します。

それは三歳頃に頻繁に見た二つの夢の一つ。自分ぴったりの鋳型にハマッテ、五体感覚はあるのに動かせず、視力はあると思うのに視界には何も無い。
多分光はあるのでしょう。しかし映し出す物体が無いから闇も無い乳白色の世界でした。
移動感はありながら、時速1ミリなのか光速なのか、はたまた落下なのか上昇なのか、前進なのか後退なのか見当もつかず、何時終わるとも知れぬ孤独な永遠の一人旅です。
寂しくて苦しくて発狂しかかりながら、何時しか絶望し、やがて疲れ果て、自我を保有し続けられなくなり無に溶け込もうとする時に、ある種安らぎすら感じつつリラックスし始めました。
するとその時遥か彼方に微かな点が視界に現れるのでした。まだ物体は点でしか無いというのにそれが何かはすぐに悟りました。
それは寸分違わぬもう一人の自分だと。
同じように孤独な飛行をして来て同時に互いの存在に気づいたことすらも理解し合っている。
両者はやがて接近し目を見交わすと、「やあ、ようやく遭えたね。でもこれが永遠のさよならだね」と心で挨拶すると、再び点となって行きました。
涙が溢れてしようが無かったけれど、この旅の終わりを感じるものでした。
やがて何かを語りかけるような見知らぬ顔と親しい顔とがパッパとフラッシュバックで浮かび出し、交差する映像の中で目が覚めました。
傍らには両親がいて泣き叫ぶ私をあやします。
「よっぽど怖い夢を見たんだね。でもほらお父さんもお母さんもここにいるよ。一人じゃないよ」
しかし私は泣き止まなかった。
(それが何だ。父母が何だ。そんなもので癒されはしない。)と思えてしまう程に強烈な、それが三歳にして感じる孤独と絶望でした。そこがスタートです。

次に白昼夢の原体験も書き添えねば繋がりません。

確か中学又は小学か、ともかく晴れた日の校庭の自由時間だったと思います。不意にある感覚に襲われました。
それは周りを取り巻く草木や風や太陽までもが擬人化し、それぞれにまるで顔があるかの如くに笑っているように思えるものでした。その時全てを受け入れられて、包まれていると感じました。
しかしそれは一秒にも満たない一瞬だったのです。
それがあっという間に過ぎ去って、同時にその感覚も消えた時は、何にも代え難い宝物を失ってしまったように残念で、必死にその感覚を呼び戻そうとしたのですが、二度目がやって来たのはそれから十年以上も経ってからの事です。
その時も今度こそは失うまいとしたのですが、去ってゆく力の前にはあまりにも無力でした。

そして高校生にもなった頃、幼い日に繰り返し見た夢の正体が、母親の胎内から出産した時の記憶であることを理解しました。フラッシュバックで現れた映像は、肉親やその交友関係者の笑顔だったのです。
それを理解した時、輪廻転生などを疑う大人たちの主流である社会常識というものを、全く信用出来なくなりました。

そして白昼夢...あれは何だったのだろうか?と。

決して不快な現象では無かった。と言うよりも、出来る事ならずっと感じていたい至福であったのに、それがわずか一秒足らずで消え去ってしまった事が許せなかった。
そう、その原因は自己にあると、うっすらと気付いていたからかも知れません。

救い難い孤独と絶望の記憶の夢。そして至福極まる得難い宝物を、二度までも失った白昼夢。

その時々に受けた衝撃がその後の現実を測る価値観になって行きました。
全てを疑いざるを得ない。何事もまやかしで、永遠足りえない。と自由も100年と持たない幻だと。

何かが違う。何かが間違っている。それを求めなければならない。
ならば帰着すべき場所に妥協は無い。あの苦しみは二度とごめんだからだ。

そこを目指して見れば、この世の生活などはひと時の瞬く間の遊びに過ぎない。この一生などは何ほどのことも無い。
この世の栄華盛衰も来世の途上の通過点に過ぎない。

白昼夢。あれは全てを許していた世界だった。その世界が、今ここには無いということだけがはっきりと分る。
全てが疑わしい。全てが腹立たしい。

それはたとえるとカラマーゾフの兄弟の冷血な次男イワンが作る事件スクラップ(悲惨な子供達の報道記事)と似ていました。
神が居るならば、何故この世の悲惨はあるのか。
この世への怒りは、神の造りたもうこの身を滅ぼす事によって安寧を得る。そんな即身仏を目差し、段階的に食を断っている最中でした。
福岡正信の「藁一本の革命」と出会います。しかし、それを更に超える二転があり、その実践は七年続きました(これこそは溶鉱炉の情報ですので、公開では無理です)。

そんな時、ある友人の奥さんの徹夜での説諭により、明くる朝の感覚に三度目のそれが訪れました。
以来、その素晴らしい感覚は自由に呼び込むことが可能になったのです。
日が神を受け入れた途端、神と言う示し申しの世界からのトレースがこのシステムの由縁です。


幻想テロリズム
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/252.html
投稿者 金十字架 日時 2007 年 6 月 12 日 20:32:29: mfAWtS4GF8MpY

(回答先: 投稿数が神 投稿者 kaname 日時 2007 年 6 月 07 日 19:20:00)

金運漏れなくついてくる
燕の『巣』は既に地におちている

口開けてただ呑むだけの夢を止め
風に羽ばたく夢を観よ
巣ごと車に轢かれるぞ
さあ
干渉したくも
されたくもない者が
ここに何故顔を出すのか!?

人の根本はやはりなのか!?

悪意ある『テロリズム』は非難されて当然だが
その真逆は一体何か
さぁどう対処する!?

その類い稀なる頭脳で是非!!


【最低】 変態ナチCIAなどによって続けられる究極のエイリアン虐待の衝撃 【さよなら中央情報局】
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/177.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 10 月 29 日 18:53:36:jhWUNKjaVDgh6

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/lu-yun/luyun61.html
http://www02.so-net.ne.jp/~tadehara/gomi/kidan/uturo.html


 HAARPさんの紹介した「洗脳されていた抜け忍」のエイリアンに関する証言は、表現に微妙
なところがあります。世間一般では「異星人」と「エイリアン」の区別をしないでそれらの言
葉を用いるので、そのためにサリバン嬢かテープおこしの人が混乱した表現を作ってしまった
のかもしれません。

 あのインタビューでは、私が今まで推測してきたとおりのことが話されていて興味深いので
すが、色々な工作の内情が具体的に述べられている点でとても参考になります。正直言って、
さすがに私もショックを受けて暗い気持ちになってしまいました。

 CIAの科学者などには、自分の娘をレイプしたりして精神が分裂しやすい状態を引き起こ
して、薬物などの色々な手段によるマインドコントロールを行って、命令の与え方によっては
何でも言いなりになるような人間にしたてあげる者などがいるようです。また、アメリカの支
配層には、そうした奴隷人間を暗殺などの道具にしたりレイプしたりして楽しむ人間が多いと
いうことも告白されています。

【MIND CONTROL INTERVIEW---BUCKLE UP】
http://www.nomorefakenews.com/archives/archiveview.php?key=1620

 問題のエイリアンについての発言ですが、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 One thing the Nazis were working on very hard was genetic
experimentation on some of their prisoners in the concentration camps,
although our government has tried to suppress the documentation. And they
were into breeding their own. My dad used to brag about how they were doing
genetic experiments on embryos that were creating what they called
"children". These children are, I personally believe, aliens ... little ones
that people have seen. I met several at a NASA facility.

(中略)

if that information is ever made available to take it seriously, they will be
killed and their remains put away where no one will ever find it. Because if
it's true, it is one of the biggest crimes that an agency of our country has
ever perpetrated against another human.

 What I understand is that with all the UFO movies lately,
and so many TV shows about it in the last few years ... it is preparing
people's minds to believe that aliens are real, that they really do exist,
that they really are trying to contact us. I can't help but wonder if some
of these human "aliens" will be used down the road as some kind of proof to
people.

私の訳

 ナチスが熱心に行ってきたことの一つに、収容所の囚人を使った遺伝子実験があります。ア
メリカ政府はそれに関する文書類を隠蔽しようとし続けています。彼ら(米当局の科学者)は
、独自の人間を生み出しました。私の父はいかにして彼らの言うところの「チルドレン」を作
る胎児に対して遺伝子実験を行っているかを自慢したものでした。これらの「チルドレン」は
、私が個人的に信じるところではエイリアンです・・・人々が目撃してきた小さいエイリアン
です。私はNASAの施設でその数人と会いました。

(中略)

 もし真剣にとりあげられるほどにその情報が利用可能になされたら、彼らは殺されその死体
は誰も発見できないところへ片付けられてしまうでしょう。なぜなら、もしそれが本当ならそ
れは私たちの国の当局がかつてもう一つ別の人類に対して犯した最大の犯罪の一つだからです

 私が理解しているのは、ここ数年のUFOに関するテレビ番組やSF映画は、エイリアンが
本当で、確かに実在し、実際に私たちとコンタクトをとろうとしていると信じるように人々の
精神を準備しているということです。これらの人間の「エイリアン」が、世間の人々に対する
ある種の証拠として路上で使用されるのではないかと疑わざるをえません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 やはり素直に読めば、ここでいう「エイリアン」とは私が紹介してきた東洋人風の小さい人
間エイリアンのことだと思われます。

 彼らはおそらくUFO墜落・不時着現場で回収されたエイリアンの遺体からとった細胞によ
って作られているのでしょう。

 ちゃんとした知性も感情もある人間であるエイリアンに対して、遺伝子操作やマインドコン
トロールの人体実験を繰り返し続けているのです。

 皇室などに代表される「大和民族」(百済・夫余系日本人)と同種と思われるエイリアンに
、このような人権無視などという程度ではない、存在そのものを実験台や道具に貶めた扱いを
しているのです。

 アメリカ当局やCIAの科学者たちは何というひどい人たちなのでしょう。


『エイリアンとは何か』
http://www.asyura.com/0304/tyu1/msg/1404.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 5 月 27 日

『白人至上主義と宇宙人』
http://www.asyura.com/0304/tyu1/msg/1279.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 5 月 06 日

『エイリアンと地底人』
http://www.asyura.com/2003/bd22/msg/114.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2002 年 12 月 16 日

『アメリカ人はエイリアンが人間であることを知り、いきなり銃の引き金を引いた。』
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/105.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 10 月 12 日


ハトホルからのメッセージ 2007年4月15日 (hulu of words)
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/225.html
投稿者 らくだ 日時 2007 年 5 月 15 日 17:50:40: bZcL6nRNDZWPQ

http://satomis.exblog.jp/5355948/


ハトホルからのメッセージ 2007年4月15日 (前半)

トム・ケニオンより

以下のメッセージは、ハトホルたちから2007年4月15日に受け取りました。

彼らが言う「極端な波の活動」は2007年4月12日から始まりました。

私たちは彼らの指示のもと、このメッセージを世界中にできるだけ早く広めようとしています。

そしてそのためには、あなたの助けが必要です。

もしあなたがこのメッセージの重要性を感じたら、できるだけたくさんの友人たちに伝えてください。

あなたがコピーしてメールを送りやすいように、私たちはすべての情報をここに集めました。

最近のメッセージと、バランスのホロンに関するメッセージと、エクスタシーとハートに関する過去のメッセージがすべて、この記事に含まれています。

この情報をオンラインで読むこともできます:

http://tomkenyon.com/hathors.php

皆様に幸福をお祈りします。

トム・ケニオン&ジュディ・シオン

すべての存在が幸福でありますように。すべての存在が自由でありますように。

惑星の創造者

2007年4月15日、トム・ケニオンをとおして伝えられたハトホルからのメッセージ

あなたがたは今、深遠な宇宙から生じる銀河間エネルギーの増大の瀬戸際に立たされています。以前のメッセージでも指摘したとおり、意識の拡大に関連しているこの振動の活動は高まりつつあります。特に意識の拡大は、地球上の存在としてのあなたの生命の精妙さと複雑さをより自覚することに関係していますが、銀河間、次元間の存在としての意識にも作用します。

この深遠な宇宙からのエネルギーの波形が及ぼす影響のひとつは、感情的に激高しやすくなることです。これらの波形が数と強度を増すにしたがって、怒りっぽさ、睡眠障害、理性を失った思考や行動が増加します。このようなことはたいていの場合、個人間で起こりますが、集合的にも起こります。

この深遠な宇宙からのエネルギーの波形はネガティブであり、ポジティブでもあります。これらの波形はあなたの現状の視点、あなたの習慣的な存在の仕方、機能の仕方からみるとネガティブになります。なぜならこれらの波形は、あなたのそのような構造を最も微細な原子未満の量子レベルで崩壊させるからです。そしてあなたの肉体的な性質、精神的な性質を変えてしまいます。精神性に対するこのような挑戦は、あなたが知覚や存在の古いやり方にしがみついていることの結果として起こります。このような集合的影響は、この世界の古い生き方にとって破壊的でもあります。

この深遠な宇宙からのエネルギーの波形のポジティブな面は、あなたがたの太陽系を通過しながら毎瞬、好機と選択点をつくりだすということです。選択点はこの波形があなたの肉体、マインド、そしてあなたの対人関係のエネルギー構造に触れたときに発生します。選択点とはあなたの古い習慣的パターンの崩壊であり、新しい方向へと急速に、徹底的に移行するための好機でもあります。

この深遠な宇宙からのエネルギーの波形は本当の意味で、あなたの個人的な監獄の扉の鍵を開けてくれる使者のようなものです。一瞬の間、あなたは自分自身がつくり出した監獄から脱出する機会を与えられます。それは個人的な監獄や対人関係の監獄、集合的あるいは世界的な監獄かもしれません。監獄の扉が開かれたときの挑戦とは、自由への機会に気づくことです。みせかけの人生が明らかになってあなたの古い存在の仕方が崩壊するとき、その体験からしりごみしないでください。隠れるという古いやり方は通用しません。新しいエネルギーが宇宙に放出されているからです。

あなたの自由は、あなたにとって必要のなくなった古いやり方を放棄することにかかっています。繰り返しますが、これはあなたの「心理状態」、そして人間関係をとおして、あなたの存在の原子未満の構造に本当に影響します。波の間隔が短くなるにつれ、波形がより強力になると、それはまるで意識のプレッシャーの波が容赦なく押し寄せてくるように感じられ、ひどい打撃に直面することで狂気や精神錯乱状態のように感じます。絶望の感覚も増大します。

しかし私たちはあなたがたの絶望が、あなた自身がつくり出し、発生させているものであることを明確に理解して欲しいと思います。それは進化の圧力の波に対する抵抗、特に霊的進化への抵抗なのです。もしあなたの監獄の扉がパッと開いたときに、あなたがその好機、選択点をとらえるならば、あなたは新しい自由を見出し、あなた自身と世界との新しい生き方を発見するでしょう。

エネルギーに最も敏感な人たちがこれを最初に感じます。物質的な体験にはまり、動物的な本能で生きている人々は、はじめのうちはあまり影響をうけないように見えます。しかし圧力の波が増大するにしたがって、彼らの絶望感も増大していきます。そして生存を脅かされる感覚ほど、明らかに絶望感を増大させるものは他にありません。

以前のメッセージで私たちは『バランスのホロン』の使い方をお伝えしました。これをあなたが自身の意志でつくり出す能力を身につけることを、私たちは強くおすすめします。あなたの人生経験は、あらゆる意味において、空前のペースで変化しています。混沌の狭い門をあなたがどのようにしてくぐり抜けるかは、あなたの人生の外側の出来事によって決まるのではなく、あなたの内なるコンパスがいかによく機能し、あなたの内面の直観的な方向感覚がいかによく働くかによって決まります。

*ホロンholon : 生物における個体・器官・組織・細胞のように階層構造の中間段階にあって、一つ下段には全体として、逆に一つ上には個として働く実体に対して与えた名称。全体を見失う危険への警告の意味で提唱された。(広辞苑より)

以前のメッセージで私たちはエクスタシー、あるいは至福をつくり出す方法を提案しました。私たちがこの情報を伝えた理由は、エクスタシーと至福の振動場が、地球に永続している低い振動場からあなたがたが逃れることを可能にするからです。外的要因に影響されずに、エクスタシーと至福、あるいは少なくとも喜びや幸福のうちに生きることは、あなたがあなた自身の監獄から抜け出すことを可能にします。

あなたがたが存在している3次元とは異なる次元に存在する私たちの視点から見ると、あなたがたの地球は、あなたがたを拘束する力と解放する力との間の激しい苦闘に巻き込まれています。

あなたがたはいま、あなたがた自身の魂、霊的本質のための戦いの真っ只中にあるということを、私たちははっきりとお伝えします。なぜなら金でも銀でもダイアモンドでもなく、あなたがた一人ひとりが持っているはかない霊的な輝きこそが、地球上に存在する最大の宝ものだからです。あなたが自分自身の霊的な輝きに気づいているかいないかは、重要ではありません(計り知れないほどの価値はありますが)。この惑星を何千年もの間拘束してきた力が、この深遠な宇宙からのエネルギーの波によって脅かされています。人間のスピリットを支配し続けるために、このような力はどんなことでもするでしょう。しかし宇宙の偉大なるダンスにおいては、あなたがたを自由にしたいと願っている存在もいます。あなたがたが自由になることで、意識の大いなるルネサンスが起こり、そのことが宇宙全体に大いなる利益をもたらすからです。ですから人間の生命を神聖なものとしてとらえているさまざまな領域の数多くの存在たちが、あなたがたを助けるためにここに来ています。私たちはその中の少数に過ぎません。

あなたがたがこの進化の圧力の大規模な増加の瀬戸際にあるため、いまこの瞬間こそが地球上の光の強度、霊的光の強度を増大させるための非常に重要な機会なのです。そのために私たちは近い将来のための私たちの計画をあなたがたに紹介します。私たちのビジョンに惹かれ、共感するという人たちは、ぜひこの計画に参加してください。

私たちはこれを「惑星の創造者」と呼びます。これは次元間の物理学に基づいており、私たちはあなたがたの助けによって、あなたがたの地球のエネルギー・マトリックスに、高度に凝集した好意的な形態のエネルギーを送ることができます。このワークは、復活祭の日に、マグダラのマリアが7人の偉大なる大天使に呼びかけたときに起こったことによって、実現が可能になりました。彼らはこの招待状と地球上の多くの人々の共同創造をとおして、光の領域を物質界へと降ろし、彼らの非常に高いエネルギーの振動場を、この瞑想に参加した人々、そして地球自身に分け与えました。地球の中に、彼らは数え切れないほどの光の種を植えました。それらの種は世界中にばらまかれました。それらの種の中には時間を設定されているものもあり、時間をかけてスピリチュアルな光が増幅します。深遠な宇宙からのエネルギーの特定の波形が世界を通過するときに、活性化される種もあります。それらは選択点をつくり出すため、悟りや霊的覚醒が増加するための機会をつくり出すために意図され、デザインされました。それらはすべての生命を支配し、あやつり、拘束する力とは全く対照的です。

2007年7月6日から7月8日の3日間、私たちは「創造者」と呼ばれるワークショップをワシントン州シアトルで開催します。このイベントで私たちは次元間物理学に関する基礎的な理解とテクニックと、これを3次元世界で明らかにする能力を伝えます。7月8日日曜日の午後2時から4時(太平洋標準時 日本時間は7月9日月曜日の朝6時から8時)の間、私たちが伝えるこれらのテクニックを使って、その場に集まった人たち全員で「惑星の創造者」を活性化させます。私たちはこれを、私たちが設置した2箇所の地球を癒す場所と、私たちのビジョンに共感した世界中の人々の助けによって行います。7月9日月曜日の朝6時から8時(日本時間)の間、私たちは今年4月の復活祭のときに大天使たちによって植えつけられた光の種の多くを活性化します。

準備

私たちと共に「惑星の創造者」のイベントに参加したくても、肉体で参加することができない人たちには、ある程度の準備が必要です。本質的に、7月9日月曜日の朝6時から8時(日本時間)の間に起こることは、あなたの精妙なエネルギー体の中央支柱をつかって、あなた自身と地球上であなたが位置しているエリアに高次元の光とエネルギーを通すための導管になるということです。これによって惑星のマトリックスへの入口が準備されます。なぜならあなたには地球のエネルギーの波形が継続しているからです。そしてあなたの肉体が地球の元素でできているため、あなたは本質的に、地球にエネルギーを伝える生来の能力と権利を持っているのです。

より多くの人たちがこれに参加すればするほど、この非常に有益なエネルギーの伝達がより強力になります。この間あなたがたには他のすべての活動を脇において、2時間のあいだあなたの精妙な体の中央軸、中央支柱に集中し、高次元のエネルギーをあなたのクラウン・チャクラからあなたの体をとおって地球に流れ込ませるようにしてください。この2時間のあいだ、あなたがあなた自身のエネルギーと高次元のエネルギーとを同調させることが重要です。これを最も効果的に行うためには、あなた自身をバランスのホロンの中に置き、私たちが以前に紹介した方法を使って至福やエクスタシーの感覚をつくりだすのが良いでしょう。あなたがたのために、このメッセージの最後にバランスのホロンの作り方と、ハートをとおしてエクスタシーをつくり出す方法を付け加えておきます。

あなたがこの地球上のどこに住んでいても、私たちとともに参加したいと感じるならば、ぜひバランスのホロンとエクスタシーの状態をマスターする訓練を始めてください。そうすることであなたはこの7月の2時間、あなたの現在の進化の状態が許す限りのバランスと喜び、あるいは至福の状態のうちに存在することができます。私たちとともに「惑星の創造者」のワークに参加しようと感じる人たちに、私たちは頭を下げて感謝を表します。私たちはあなたが代表する数多くの霊的系統や、数多くの銀河間の存在であるあなたに敬意を表し、このワークに必要な惑星の奉仕のより高いビジョンへとあなたが踏み出すことを求めます。

バランスのホロンを練習し、マスターしてください。外的条件なしに感謝、喜び、至福を即座につくり出す能力を習得してください。ホロンと、感謝の道をとおしたエクスタシーの2つの力強いエネルギー場のバランスによって、あなたは高次元のエネルギーを人類の利益のために、あなたの地球へと伝える手助けをすることができます。そしてあなたはこの2時間、最も興味深く魅力的な経験をするでしょう。

これは大いなる試みであり、数多くの領域の存在の協調を必要とする大胆な行動です。「創造者」の9日前にあたる2007年6月29日に、私たちは実際の「惑星の創造者」の2時間のあいだの機能の仕方について、さらに詳しい指示をお伝えします。


2007年4月15日 ハトホル


この地球に関するメッセージについてのトムの考え

このハトホルからのメッセージには含まれていませんが、ジュディと私の質問に答えて彼ら(私のハトホル・ガイドのグループ)が与えてくれた情報をここで紹介したいと思います。

ひとつは彼らがメッセージの中で言っているとおり、遠い宇宙から私たちのもとへとやって来る意識を導く波が、現在その周波数と強さ(振幅)を増大させています。彼らにこのメッセージを与えさせた現在の波は、4月12日の夜遅く(日本時間はプラス17時間なので13日)に私たちの太陽系に到着しました。この波はおおよそ7日間続きます(4月21日まで)。ハトホルたちはこの期間、理性を失った行動、破壊的行為、異常気象などが増えるのでニュースに注意するようにと言いました。そして実際にそのようなことが起こりました。このすぐ後には、新しい一連の波が私たちの太陽系と地球を通過します。ハトホルたちによれば、連続するひとつひとつの波は(少しの例外はあるものの)、そのひとつ前の波よりも強くなります。すなわち4月21日で難局を脱するわけではないのです。意識を導く波は次から次へと押し寄せ、私たちの世界を通過し、これは今後何年か続きます。そうです、何ヶ月ではなく、何年です。

このような遠い宇宙からのメッセンジャーたちの影響を見つめるにはさまざまな方法があります。一方で彼らは莫大な個人的、集合的エネルギーを解放することができる進化した触媒です。ハトホルたちは私たちの個人的監獄の扉を開くという比喩を使いました。監獄とは自分自身、他の人々、そして地球との関係の中での私たちの生き方のことを意味しています。もし私たちがひとつの種として生き残るつもりならば、私たちは生き方を変えなければなりません。以上。

これは大いなる可能性の解放ですが、非常に混乱することでもあります。おそらくあなたはすでにその副作用のいくつかを経験しているでしょう。睡眠障害、理性のない思考の増大、絶望と自暴自棄の異常な感覚、突然で説明のつかない極度の疲労、感情の激しさなどです。重要な補足:これらの症状のいくつかは、専門的な治療を必要とする臨床的なうつ病の徴候である場合もあります。このようなマインドと身体の状態が絶えず続くのではなく、一時的なものであれば、それはおそらくうつ病とは関係なく、ハトホルたちが話しているエネルギー的影響によるものだと思われます。しかしながら、もしこのような症状がとどまり、一時的なものではないように思える場合は、臨床的なうつ病であることがありますので、精神科の医師に相談したほうがいいでしょう。

ハトホルたちはこのメッセージの中で特に触れませんでしたが、身体的な方向感覚の喪失も起こっているようです。これには世界が回転しているような感覚が含まれます(もちろん地球は回転していますが、この場合は地球が異常な角度で回転し、傾きます)。これに加えて通常の次元の感覚(私たちの物理的な空間と次元間の空間の知覚)が、どういうわけか変わったり、変形したりしているようです。もしあなたに私が言っていることの意味がわからなければ、このことは気にしないでください。

遠い宇宙から来るこれらの波と、その興味深い影響について知ることはおそらくいいことではありますが、それがこのハトホルたちからのメッセージの主要な意味ではありません。

ハトホルたちは世界中の霊的なコミュニティーにクラリオン・コール(行動を呼びかける言葉)を発しています。彼らは世界中の数千、あるいは数万のスピリットに、彼ら(ハトホルたち)が「惑星の創造者」とよんでいるイベントに一緒に参加するよう呼びかけています。

ワシントン州シアトルでの実際の集まりに参加する人たちのために(2007年7月6日から7月8日)、2日と半日の間、ハトホルたちは特別なサウンド・メディテーションと、顕現への鍵としての多次元的意識の利用法の指導をとおして、私たちの準備をします。この意志を顕現する方法を知ることは、私たちすべてにとって計り知れないほど価値のあることだと私は思いますが、日曜日には、実際の「惑星の創造者」の時間中(太平洋標準時で7月8日日曜日の14時から16時の間)、焦点は個人から惑星の奉仕へと移ります。

準備に関する私の考え

シアトルでのイベントに参加できない人々には、ハトホルたちはバランスのホロンを自らの意志でつくり出すことができるように訓練して欲しいと言っています(下のインストラクション参照)。また彼らは至福あるいはエクスタシーの状態を自分自身でつくり出せるよう訓練を始めるようにとも言っています。もしあなたが至福やエクスタシーを自分の意志で生じさせることができない場合には、ハトホルたちは感謝と心臓に集中することをとおしてエクスタシーをつくり出す方法を教えています(下のインストラクション参照)。この感謝と肉体的な心臓に集中させた意識を組み合わせることで、意識に変化が生じ、やがてエクスタシーへとたどり着きます(これを十分に長い時間行った場合)。

さてここで問題があります。ある人々にとって、ハートに未解決な感情的葛藤を保持しているために、感謝して心臓に集中することではじめのうち、悲しみや怒りの感情などが意識の表面に浮かび上がってくる場合がしばしばあります。もしこのようなことが起きた場合、その感情が解決するか変容するまで、この方法でワークを続けることをおすすめします。繰り返しは習得への鍵です。やがてこの方法があなたにエクスタシーをもたらしますが、まずは不快な個人的問題に取り組まなければならないかもしれません。

このような情況は、クリスマスにロバをもらったある少年の話を私に思い出させます。彼がロバの小屋に入ると、そこには山のような糞しか見えませんでした。彼は「僕には見えないけど、この中のどこかにロバはいるはずだ。」と言いました。つまり、もしあなたがハートに集中したときにクソの山ばかり現れるとしたら、それはその中のどこかにエクスタシーや至福が隠れているのだということを知ってください。

実際の「惑星の創造者」が到着するときにどこまで訓練が進んでいるかによって、あなたには2つの選択肢があります。もしあなたが至福やエクスタシーへの道をすでに発見しているならば、あなたはこの肉体とマインドの非常に気持ちのよい状態でこの2時間を過ごすことになります。おそらく、もしあなたが私のようであるとしたら、このエクスタシーの状態をつくり出して数分もすると、マインドがさまよい、この状態から離れてしまうと思います。その場合はエクスタシーを再びつくり出し、この2時間で必要なだけ繰り返しつくりなおしてください。

もしあなたが自らの意志でエクスタシーや至福をつくり出す方法を発見していないとしても、少なくとも感謝をつくり出す方法さえ学んでいれば、何の問題もありません。この感謝や理解の感覚を、2時間のあいだ可能な限り保持してください。

本質的にあなたが「惑星の創造者」のワークの間に行うことは、あたまのてっぺんのクラウン・チャクラから地球の中へとあなたの身体の中を通るエネルギーの中心経路をとおして、高次の霊的エネルギーを地球へと降ろすことです。すなわちあなたは音叉のような役割をして、これらの非常に有益なエネルギーを地球上のあなたが住む地域に降ろします。

(ハトホルたちが述べたように、私たちはこのプロセスをとおして、2ヶ所のハトホルの音の神殿から援助を受けます。1ヶ所はニューメキシコ、もう一ヶ所はコスタリカにあります。)これがうまくいくためには、あなたのエネルギーがバランスのとれた一貫した状態にある必要があります。バランスのホロンがバランス感覚を与え、一貫性は感謝をとおしてつくり出されたエクスタシーの感覚によってうまれます。もしその時が来てもあなたが感謝をとおしてエクスタシーをつくり出せない場合は、感謝を感じてください。もしあなたが自らの意志で感謝や理解の感覚を発生させることができない場合には(インストラクション参照)、あなたをとおして霊的エネルギーを地球に降ろし、定着させることはできません。善良な意図は、ここでは十分ではないのです。スピリットで私たちとともに参加したいと願う人々にとって、基礎的レベルのマスターが必要です。ですから…もしあなたが参加したいと感じるならば、以下の手順の練習を開始してください。もちろん私も始めています。

この招待状はハトホルたちによって、個人的信念、宗教、哲学またはライフスタイルに関係なく、生命の神聖さへの共通のビジョンを分かち合うすべての人へと広められています。もしあなたがこの計画に真実を感じ、これに参加したいと感じるならば、どうぞ私たちと一緒に参加してください。ハトホルたちがメッセージの中で言っているように、「惑星の創造者」のイベントに参加するための最終的な指示は、6月29日にこの(トム・ケニオンの)ホームページで公開されます。

http://satomis.exblog.jp/5355959/

ハトホルからのメッセージ 2007年4月15日 (後半)

バランスのホロン

2007年2月3日のハトホル・メッセージより

「私たちはあなたにこれを実験することをおすすめします。この非常にシンプルな幾何学で遊び、習得してください。これをあなたの意識の中に常に持ち歩き、必要なときにいつでも、あなた自身やあなたとつながる人々のために、つくり出すことができるようにしてください。

これはホロンとよばれ、私たちが言及している特別なものはオクタヒドロン(正八面体)、あるいはバランスのホロンです。上に伸びる光のピラミッドと、下向きの同じサイズのピラミッドに、あなた自身が包まれているのをイメージしてください。これらは底が正方形のピラミッドでひとつは頂点が上向き、もうひとつは下向きです。あなたはこの中心にいます。もしあなたが横になっているならば、あなたは2つのピラミッドの底が触れ合う正方形の上にいます。そしてあなたの上にあるピラミッドは、あなたの下にあるピラミッドと同じ大きさです。あなた自身がこの中に完全に収まっている限り、あなたはこの正八面体を好きなだけ大きくすることも小さくすることもできます。

あなたが立っていても座っていても、この正八面体の軸があなたの身体の中心を通ります。ですからもしあなたがピラミッドの頂点から中心を通って反対側のピラミッドの頂点まで線を引くとしたら、この線はあなたの身体の中心を通ります。この正八面体はエネルギーのバランスをとります。これは意識の男性と女性の側面のバランスです。このシンプルさを侮らないでください。これは精妙なエネルギーのバランスをとるための強力なツールです。」

ハトホル


トムの見解

正八面体はプラトン立体として共通して知られる5つの立体的な幾何学形のうちのひとつです。正八面体は全部で8つの面を持っていますが、オクタヒドロン(正八面体)のオクタとは8を意味します。上のピラミッドには4つの面があり、下のピラミッドにも4つの面があり、両方のピラミッドの底が出会う部分が正方形をつくります。プラトン立体は自然界で、特に結晶構造や、原子や分子の配置などに自然に発生しています。秘教的に言うと、ひとつひとつのプラトン立体は特定のエネルギー的効果を持っています。何人かの人たちから私たちにメールで、正八面体(オクタヒドロン)と星型二重正四面体(スターテトラヒドロン)は同じものかという質問がありましたが、違います、これらは別のものです。星型二重正四面体は底が三角形の2つのピラミッドでできており、底で合わさってはいません。これらの2つのピラミッドは互いに重なりあっています。また星型二重正四面体は、正八面体とは異なるエネルギー的効果を持っています。

私が最初にハトホルたちからバランスのホロンに関する情報を受け取ったとき、私はこれがかなり単純に思えました。しかし単純なものが時には最高であることがあります。このホロンが活動しているときに、バランスと保護の感覚を与えてくれることは間違いありません。

バランスのホロンのさらなる解説

私たちはバランスのホロンをより詳しく解説してほしいというメールを何通か受け取りました。はじめに言っておきますが、この情報はこの特定のホロン(オクタヒドロン)の基本的な知識がもっと必要だと言う人々のためのものです。これは神聖幾何学の上級の学習者向けではありません。私はあえてこの解説をシンプルにしました。その理由は2つあります。ひとつはあなたがバランスのホロンを利用するために、複雑なことを理解する必要がないからです。もうひとつは多くの人々が複雑な幾何学にうんざりさせられているからです。このホロンは非常に効果的で簡単に使えるため、私はあえて複雑な問題にはしないことを選択しました。すなわち、私はさまざまなプラトン立体のあいだの精妙さについて、あるいは秘儀的にそれらを作用させる難解な詳細についてまでは、入り込まないことにしました。

正八面体(オクタヒドロン)は基本的に底が正方形の2つのピラミッドが、底を合わせてひとつになったものです。バランスのホロンはあなたの想像力を使って、光の正八面体をあなたのまわりに形成することによってつくられます。

それをあなたが何色にするかは問題ではありません。あなたのマインドの状態によって、その色は自発的に変わるかもしれません。個人的に私は白い光でつくりますが、これは個人的な好みであって、定則ではありません。事実そこには定則などほとんどありません。神様、女神様、ありがとう。

重要なことはあなたが完全に正八面体(オクタヒドロン)の空間内に収まるようにすることです。たとえば、もしあなたが横になっているとしたら、両方のピラミッドの底(正八面体の中央で2つの底が出会う場所)があなたの真下にくることが多いようです。しかしあなたはこの幾何学の中のどこにでもあなた自身を置くことができます。あなたは頂点に浮かび上がることもできれば、下に沈むことも、角の方にすべって行くこともできます。どこでもいいのです。東西南北などのような方角も気にする必要はありません。祈りも、まじないも、特別な呼吸法も必要ありません。このこと全体が非常にシンプルです。そしてそれが効果的であるという事実の他に、このバランスのホロンのひとつのとりえだとも言えます。

あなたが立っていても座っていても、正八面体(オクタヒドロン)の軸(両方のピラミッドの頂点から引かれ、中心で出会う想像上の線)は多くの場合、あなたの身体の中心軸(頭のてっぺんのクラウンから会陰を通る軸)を通ります。しかしあなたは上のピラミッドの頂点近くにいることも、下のピラミッドの頂点近くにいることもできます。言い換えると、2つのピラミッドの底が出会って正方形を形作る正八面体の中央の面は、あなたの身体のどこに位置してもいいのです。それはあなたのハートに位置しているかもしれませんし、あなたの頭かもしれませんし、足のところかもしれません。少なくともそのバランスの効果を考える限り、問題はありません。実際には、中央の正方形があなたの身体に位置している場所(正方形があなたの身体を通過する場所)によって、あなたが受ける影響の大きさが変わる場合があります。ですからぜひ実験してみてください!なにがあなたにとって一番良いのかを見つけてください。しつこいようですが、ここでもう一度言っておきます。あなたが正八面体(オクタヒドロン)の中でどこに位置しているか、どの方角を向いているか、何色にするかは問題ありません。重要なことは、あなたが完全にその中に入っているということです。

「正八面体(オクタヒドロン)は星型二重正四面体(スターテトラヒドロン)と同じですか?」という質問をしてきた何人かの人たちのために、幾何学に関して最後にひとつだけお話しておこうと思います。いいえ、同じではありません。この2つは明確に異なる幾何学です。私はこれらの違いの詳細についてあえて説明しないことにしますので、あなたがもしより詳しい情報に興味があるのならば、インターネットの検索エンジンを使って、この魅力的な幾何学の世界と、その補足である神聖幾何学を探求することをおすすめします。これに関するたくさんの情報があなたに発見されるのをただ待ち望んでいます。あなたはただ、指先でマウスをクリックすればいいだけのことです。

2007年1月18日のメッセージの中で、ハトホルたちは苦痛を感じている場所や人にバランスのとれたエネルギーを伝えるために、バランスのホロンを送ることに関する情報を与えてくれました。この場合、バランスのホロン(正八面体)をつくること方法は非常によく似ていますが、あなたがホロンの中にいるのではなく、その人、人々、あるいはあなたがホロンを送りたい世界の地域などが、ホロンの中に入ります。すなわち、もし私が地球上のある地域にバランスのホロンを送るとしたら、私はこの地域をホロンの内部にイメージします。

あなたはこのようなバランスのホロンを地球上のどこにでも送ることができますし、そういう意味では宇宙のどこにでも送ることができます(もしあなたの信念体系がそこにたどり着けるとしたら)。バランスのホロンを送ることは善行ではありますが、他人の現実にちょっかいを出すなという警告があります。すなわち、すべての人は苦しむ権利を持っているということです。たとえあなたや私が誰かにもっと機知に富んだ状態になって欲しいと思ったとしても、その人はそうなりたいとは思っていないかもしれません。私たちは誰もが好きなだけ長く悲しみ、怒り、混乱し、どんな状態にあることもできる権利をもっています。それが時々不明瞭になることがあります。たぶん私たちは友人や家族の中に苦痛を感じている人がいるとき、よりよくしたいと願うでしょう。しかしその人が求めていないのに、私たち自身の意図を他人に投影することは、精妙なエネルギーの間違った使い方だと私は思います。ですから私はバランスのホロンを強制的に送ったり、無理強いしたりするのではなく、ひとつの招待として送ることをおすすめします。いわば新鮮な空気の一呼吸のようなものです。もし私たちが受け入れることを選択した人々に、彼らが何かをするという押し付けなしに、ホロンをエネルギーのバランスをとるための贈り物として送るならば、私たちは正しい方法で世界にホロンを送り出していることになると思います。

私はバランスのホロンをつくり出す方法をゲームとしてとらえることをおすすめします。ホロンで遊んでください。回転させてもいいかもしれません。色を変えてもいいでしょう。この幾何学の中に入ってあなたにとって一番良いと感じる場所を見つけてください。1日のうちのいろんな時間に練習してください。あらゆる場所でバランスのホロンをつくってみてください。あなたがやっていることに気づく人は誰もいません。買い物の途中、ゴミ出しの途中、ペットに餌を与えながら、散歩をしながら、あるいはテレビを見ているときにくだらないCMの間にもやってみてください。あなたがホロン休憩をとるための場所と時間のリストは事実上無限です。大切なのはこれを十分練習して、あなたが感情的に中心からずれたように感じるときや、エネルギー的に不安定なときに、バランスのホロンを自動的につくり出すことができるようになることです。そうすることでホロンはすばらしい協力者になります。それはあなたの親友のような存在になります。ホロンはペットの犬とは違って餌をやる必要も、散歩に連れて行く必要もありませんし、新聞をかじられることもありません。

エクスタシーとハート

ハトホル・チャネリング 2005年4月18日

私たちはここで、ハートに集中することでエクスタシーを生じさせることに関してお話したいと思います。この場合のハートとはハート・チャクラのことではなく、肉体的な心臓、心筋を意味します。

このテクニックには感謝あるいは理解(承認)の感情(どちらでもあなたが好きなほうを使ってください)とともに、あなたの集中または注意が必要です。

あなたが注意を心臓に向けるとすぐに、精妙なエネルギーの流れを感じるかもしれません。

私たちの視点からすると、あなたの意識の焦点はまるでエネルギーの渦の中心点のように機能します。これは特にあなたの肉体と、あなたの肉体を取り囲むエネルギー場、古代の人々がオーラと呼んだエネルギー場内において真実です。

意識の焦点をつくり出すあなたの能力は、知性や脳だけの活動ではありません。それは意識のさまざまなレベルにおける活動です。あなたが意識をあなたの身体の中、あるいは身体のまわりのエネルギー場の中のどこにおこうとも、そのポイントまたはエリアに即座に精妙なエネルギーの流れが起こり、あなたの身体の細胞、そして/またはあなたのエネルギー体を構成する輝く光の繊維を活性化します。

実際にあなたの集中は原子未満のレベルでゆがみ効果をつくり出します。あなたはこれを量子場の影響と呼ぶかもしれません。このような場の影響は、あなたの中のエネルギー、幾何学、倍音の明確な流れをつくり出します。

集中力を通して量子場を変えることは、私たちがあなたに習得することを強くおすすめする重要な能力のひとつです。その応用法は無数にあり、エクスタシーの生成はそのうちのひとつです。

このテクニックであなたはこの能力を、感謝あるいは理解の感情とともに、意識の集中を維持するために使います。これら2つの感情は、あなたのエネルギー場と、あなたの肉体的な心臓の律動的な磁気の放射に、明瞭な効果をもたらします。この集中と明瞭な感情との組み合わせを、エクスタシーの高い状態を生じさせるために使います。

以前にも述べたとおり、意識のエクスタシー状態をつくり出すことは、重要な進化の触媒です。あなたが一日中エクスタシーの状態をつくり出す方法を学ぶことを、私たちは強くおすすめします。

あなたがたの多くにとって、日常生活がこのような状態をつくり出すのにはあまり適していないということを私たちは理解していますが、1日の中で1回に数分間だけでも、あなたがこのようなエクスタシーの状態に達する練習ができる時間を見つけることを、私たちは強く求めます。たとえ少しの時間であっても、全くエクスタシー状態に達しないよりはずっといいのです。

この練習は、意識をもって生きている存在としての地球や、あなたの銀河系をとおして流れている進化を引き起こす調和的な波との関係や調和を生み出します。

このテクニックの中であなたは肉体的な心臓に意識を集中させます。この部分に集中しながら、あなたは感謝や理解の感覚をつくり出します。それは感謝や理解の思考ではなく、感情です。この手順の中で、思考はエクスタシーを生じさせるために必要な精妙なエネルギーを活性させることはできません。感情だけがあなたの中のエネルギーの渦を活性させることができます。

あなたが肉体的な心臓に集中し、感謝または理解の感覚を生じさせると、エネルギーの波形があなたの心臓の磁場によって運ばれて、あなたの身体中を流れます。それはあなたの肉体的な心臓から外側に向けて放射し、あなたの身体全体を取り囲みます。エネルギーの流れが体中に広がると、細胞レベルで自然にエクスタシーが発生します。

このテクニックで実験をしてみてください。あなたが心臓に集中し、感謝または理解の感覚を生じさせるときに、あなたの身体に何が起こるかを感じてください。あなたの身体の無数の細胞がこの感謝または理解の明瞭なエネルギーを受け取るとき、細胞レベルで何が起きているかを、肉体的に感じてください。

あなたがいったんここまで説明したようにエクスタシーをつくる能力を確立し、自分の意志で好きなときにエクスタシーを生じさせることができるようになったら、精妙なエネルギー体とも呼ばれるあなたのエネルギー場で実験を始めてください。

この方法に取り組むうえで、あなたの意識は再び心臓に向け、感謝と理解の感覚を生じさせます。そして身体の中にエクスタシーが発生するのを感じたら、あなたの意識を身体のまわりのエネルギー場に移してください。このエネルギー場は透視してみると、光り輝く卵のように見えます。この光輝く卵型の幅の広い部分があなたの片のまわりにあり、より細い部分があなたの足のまわりにあります。このエネルギー場の中心を通る中心線または中央軸があり、これもまた頭のてっぺんから会陰を通り、あなたの肉体の中心を通っています。この線は精妙なエネルギー体を構成する磁場の中央軸です。この体または場は、頭の上と足の下に数センチ、数十センチ、あるいは数メートル伸びています。高度にエネルギーが満たされた状態では、この中央軸と精妙なエネルギー体がこれよりもはるかに大きく広がることもあります。

このテクニックの力を侮らないでください。これは非常にシンプルですが、深みのある効果的なテクニックです。そしてこれは、私たちの視点から見ると、あなたの地球が現在経験していて、これからも経験し続けるエネルギーのポータルと変容のエネルギーを通過するために非常に重要なテクニックです。

あなたの本質や運命について、私たちはあなたにお話したいことがありますが、あなたが少なくてもエクスタシーの状態になければ、私たちの言うことをあなたが理解することはほとんどできないでしょう。

これは意識の照合点は信念だけでなく、その人の感情的調和によっても確定されるからです。そしてあなたがエクスタシー状態にないということは、直接知覚する能力を持っていない盲目の人に、日の出について説明しようとしているようなものです。そのような人にとって、それはあなたが説明している世界を信じさせるということになります。しかしもしもこの人の目が突然見えるようになったとしたら、彼または彼女は直接太陽を感じ、あなたの説明が正しかったということを確かめることができるでしょう。そしてかつて神話の世界の話だと考えられていたことが、いま現実として理解されるようになるのです。

ですからいまこの瞬間に私たちは、あなたにとって神話のように思えることを伝えますが、これは私たちにとってはわかりきった事実です。あなたは、あなたの未来とこの先何世代もの未来の創造の最中にある、創造者です。あなたはハートの中に、神秘中の神秘への鍵を持っています。そしてこの神秘の入り口へは、エクスタシー状態へと入るあなたの能力をとおしてたどり着くことができます。大胆にあなたの道を見つけてください。存在の高尚な状態へ向けて上昇していく生き方を見つけてください。しかし、エクスタシーがこの道の終わりではないことを知ってください。エクスタシーは単なる始まりにすぎません。

ここで私たちが紹介した方法を実践してみてください。私たちが以前に伝えた方法と、近い将来伝える方法を試してください。できるときにいつでもエクスタシー状態に入ってください。エクスタシー状態に入るとき、あなたはこれまで人類に貢献し、現在も奉仕している、あらゆる高尚な存在たちやマスターたちとひとつになるということを知ってください。そうするとき、あなたはあなた自身(セルフ)とひとつになることを知ってください。

喜びと笑いとともに、

ハトホル


感謝をつくり出す方法を学ぶことに関するトムの考え

ある人は感謝や理解の感覚を思い起こすだけで、即座にそれらを感じることができます。しかしながら、外的な「理由」なしにはこれらの感覚を経験できないという人たちもいます。それでもほとんどの人が少しの訓練で、これらの感覚を自分の意志で発生させることができます。もしあなたが感謝や理解の感覚を再びつくり出す方法を知っているならば、1日のうちでさまざまな時間にこれらの感覚をつくり出すことを試して、エクスタシーをつくり出すためにハトホルたちが与えてくれた方法を利用できるようにしてください。

もしあなたが自分の意志で感謝や理解の感覚をつくり出すことができないならば、ここにいくつかのヒントがあります。まず、感謝とはただ、理解よりも少し強い感覚です。ここで私たちは感謝や理解の思考ではなく、感情を求めています。これらの感覚について考えても、必要なエネルギーは発生しません。感情だけがこれをつくり出すことができます。個人的な経歴によって、ことばの好みが人によって異なります。あなたにとってより心地よく感じるほうのことば(感謝/理解)を使ってみてください。

感謝/理解をつくり出す最初の手順はあなたの記憶を必要とします。あなたが過去に感謝を感じたもの、人、あるいは状況を思い出してください。大きなことである必要はありません。あなたが感謝を感じたことならなんでもいいのです。その記憶を詳しく思い出すにしたがって、感謝や理解の感覚が発生します。次にその記憶を手放して感覚だけを残します。その感情に集中し、それがあなたにとってどのように感じられるかを意識してください。このプロセスを何度も繰り返し行って、コツをつかんでください。やがてあなたは記憶に頼ることなく、感謝/理解の感覚を呼び起こすことができるようになります。

なかには過去に感謝や理解を感じる記憶がなにもないという人もいます。信じるも信じないも、これは問題ではありません。単にあなたが感謝を感じる何かを空想でつくり出してください。おもしろいことに、あなたの神経系は想像上の出来事と現実の出来事との両方に、似たような反応を示します。そしてここでのゴールはあなたの人生で感謝を感じられる体験をすることではなく、ただその感覚をつくり出すことができるようになることだけです(理由を必要とせずに)。もしあなたが正しい空想を選択したならば、感謝/理解の感覚が自然に発生するのを感じるでしょう。そして、記憶の方法と同じようにあなたはその空想を手放し、感情に集中します。これを1日中何度でも繰り返し練習してください。やがてあなたは空想を必要とせずに、その感覚を呼び起こすことができるようになります。

空想の方法に関してもうひとつヒントがあります。感謝を感じるために何かを獲得することを空想するとき、それは感謝だけでなく、あなたが幸せを感じる何かを実際の人生ではもっていないということに対する悲しみや怒りの感覚をも発生させることがあります。もしこれが起きたら、あなたはマスターのレベルに従事し、感謝の感覚が発生する間、それらの「ネガティブ」な感覚をただそこに存在させておかなければなりません。すなわち、あなたの意識を感謝の感覚に集中させている間に浮かび上がってくるものは何でも、そこに存在させておいてください。

ほとんどの人がこれらの方法のうちのひとつを使って、やがて感謝/理解の感覚を自分の意志でつくり出すことができるようになります。あなたにとって効果的な方法を、できるだけ何回も練習してください。マインドとハートの感謝や理解に満ちた状態への到達は、私たちと一緒に「惑星の創造者」に参加するために最低限必要なことです。


著作権:トム・ケニオン
この記事は著作権所持者トム・ケニオンの名前とホームページアドレスwww.tomkenyon.com を明記し、内容を一切変更しない限り、コピーしてシェアすることができます。


ワークショップに関する注意

7月6日から8日の「ハトホル創造者(The Hathor Creatrix)」と、8月30日から9月3日の「サウンド・ヒーリング・トレーニング」の2つだけが、2007年に開催される大きなワークショップです。「サウンド・ヒーリング・トレーニング」の直後に私たちはヨーロッパで教えるために旅立ち、来年までアメリカには戻らない予定です。トムは2008年には「サウンド・ヒーリング・トレーニング」のワークショップを開きません。

さらに私たちはマグダラのマリアからの強い要望を受けて、アメリカを出発する前に東海岸へ行くことに同意しました。私たちは7月27日から29日にコネティカット州ノーウォークで開催されるマグダラのイベントに、他の数名のプレゼンターとともに参加します。私たちはこのイベントの主催者ではないということを注意してください。このイベントに関するすべての問い合わせは、私たちのホームページのカレンダーの欄の連絡先に連絡してください。


翻訳:鈴木里美


【予言】2007年5月13日、F1スペインGPで悲惨な死亡事故が発生する。
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/195.html
投稿者 上浦 日時 2007 年 4 月 28 日 21:05:07: sWIwBAVNwuMS2


1994年5月1日 F1グランプリ第3戦サンマリノGPは呪われたレースだった。予選で、ローランド・ラッツェンバーガーのシムテックがコーナーを曲がりきれず直進しクラッシュ、死亡した。さらに・・・
決勝では、スタート直後に接触事故があり、飛び散ったタイヤやパーツで観客が負傷。レースは一度中断されたが、すぐ再開された。セナのウィリアムズがトップを走り、それにミハイル.シューマッハのベネトンが続いた。

その状態が何周か続いた後、突如セナのウィリアムズはタンブレロの左カーブを直進し、コンクリート壁に激突。車体右側を激しくたたきつけた。セナは、ヘリで病院に搬送されたが、ほぼ即死だった。

このセナの悪夢が、いま再び起きようとしている。
2007年5月13日に開催されるF1グランプリ第四戦スペインGPである。公式予選は5/12(土)20:50〜22:30頃 決勝は5/13(日)20:50〜23:20頃の予定となっている。
このレースにおいて、再び悲劇が起きるかもしれない。セナの事故のような悲惨な死亡事故が発生するだろう。

※発生確率90% 事故が起きないことを祈るしかない。


大天使たちとの繋がり(シリウス文明がやって来る)
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/191.html
投稿者 らくだ 日時 2007 年 4 月 17 日 19:12:46: bZcL6nRNDZWPQ

http://mihoh.seesaa.net/article/35030644.html

大天使たちとの繋がりについて、
大天使たちが、どうしても伝えてほしいという
メッセージが何度も来ていますので、
お伝えしたいと想います。

以前にある方の意見として、
大天使ミカエルさんなどの7大天使は
アセンションを果たしてしまったため、
もう地球には関わっていない、
つまり、彼らからメッセージを得ることはありえない、
ただ大天使ガブリエルさんだけは、
地球のことが気がかりで居残っている、
というような意見をお聞きしました。

これをお聞きしまして、
私が知っている事実とは違うと想い、
非常なほどの違和感を抱きました。

ただ、早急な判断をせず、
その事実関係を確認するべく、
幾つか検証を行なう必要があると感じました。

私は、チャネリングのようなメッセージについて、
そのメッセージの信憑性、信頼性に問題がないかどうか、
何度も検証を行なっております。

その結果、先月のバレンタイン・デーの早朝にですが、
夢の中で、大天使たちからメッセージを頂いていました。

とてもハッキリとした現実感のある夢でしたし、
とても背の高い大天使たちに囲まれ、
彼らは満面の笑みを浮かべながら接して来ました。
私は目が覚めてからも、何ともいえない安堵感、安心感に包まれ、
心が晴れやかになるのを感じました。

その方からは、そのつもりはなかったのかもしれませんが、
幾つか侮辱的な言葉を受け取ったと感じ、
精神的に辛い思いをしてしまいました。
侮辱的に感じたので、怒りも湧いてきました。
私自身がというよりも、高次元存在である
スピリチュアル・ガイドたちに対して、
極めて失礼であると感じられたからです。

ただ、その方に対する当て付けに書くのも大人げのないことですし、
大天使たちからメッセージも頂けたということで、
この問題は、私の心の内に仕舞っておこうと想っていました。

ところが、その後も、何度も伝えてほしいというメッセージが来まして、
その方にといいますか、その方と同じように感じられていて
寂しい想いをしている方々が他にもいらっしゃるということですので、
特に、その方々に宛てて、お伝えさせて頂きたいと想います。


わたしたち大天使は、
あなたたち地球人のことを
見捨ててしまったなどということはありません。
わたしたちとコンタクトを取ることはいつでも可能です。

ただ、あなたたちの助けや要請がなければ、
わたしたちは何もすることが出来ません。
あなたたちに、救いの手を差し伸べることが出来ないのです。
これは、極めてシンプルな宇宙の法則です。

ですから、わたしたちの助けを必要だと感じるのならば、
わたしたちの名前を呼んでください。
ただそれだけのことです。

ですが、その助けがどのようにして行なわれるのか、
どのようにして助けてほしい、という要望はしないでください。
あなたたちの助けが、どのようにして実行され、
成就するのかは、わたしたちに全部任せてください。
それは、あなたたちの思いもよらない、
意外な方法でもたらされるかもしれません。

この時期、わたしたちの仕事量は
これまでの時代にも増して膨大であるため、
そのために、大天使の役職ではない、
天使たちの応援が大規模で必要であり、
大勢の天使たちが地球に降りて来ていて、
あなたたちを助けようとしているのです。

あなたたち物質界の生命体である物の考え方、
知識や概念などに囚われて、
わたしたちを判断する必要はありません。

わたしたちは、あなたたち地球人類を、
地球のアセンションと共に、導くために、
助けようとして、創造主から遣わされているだけなのですから。

大天使一同 より

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遺訓
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/174.html
投稿者 金十字架 日時 2007 年 3 月 27 日 20:57:51: mfAWtS4GF8MpY

(回答先: Re: lim-Notes 投稿者 金十字架 日時 2007 年 3 月 04 日 06:40:38)

一つの宗教は一つの方便に過ぎぬ
解なき問をいつ迄も後生大事に抱えて居るようなものは他力本願
もっと悪く言えば死んで居る
解なき問いを解くには単にそこから離れればよい
そも立たねば何立場も無いのだから愚痴にもならぬ

諦めとはいわば放置することと覚す
時に放置とは選択すべき時期をただ遅らせるだけに過ぎぬ
故に諦めとは何為に説かれるのかをよく考えよ

有神論者も無神論者も
常時人だのみ神だのみの他力本願であれば
どっちだろうが同じ事

他人に文句も言わず
神に牙剥くこともなく
己を顧み真っ向から対峙し前を向き
目に光を灯し続ければ
信念とはそれにあり
道とはそこになり
不変なる原点そのものとしての己がある
前を向き続けるものにやがて風は衣となり
信ずるも疑念もなき中に真の智慧は生かされ
光と喜びは常にそこに付き添う


ご免なさい(…大訂正)
In hoc signo † vinces
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/151.html
投稿者 金十字架 日時 2007 年 3 月 15 日 11:00:13: mfAWtS4GF8MpY

(回答先: Re: lim-Notes 投稿者 金十字架 日時 2007 年 3 月 04 日 06:40:38)

『今日この日、今日、今日こそは、王の御結婚のためきたりませし善き日、汝は悦ばしくも神に選ばれてこの善き日に連なる運命なり
いざ三つ神殿建ちませるかの山に登り、かしこにて起こる出来事を観よ
ゆめ油断すな
己自身をとくながめ見よ
純潔に浴みすることなかりせば
必ずや結婚式は汝にわざわいなそう
とく出立たねば禍あり
軽きに過ぎぬよう心せよ』


http://www.asyura2.com/0610/lunchbreak8/msg/349.html
投稿者 創価学会 日時 2006 年 12 月 11 日 22:06:15: adeCMDNco5dS.

‥‥

文章に“誤り”がありました…。

というよりも、なんかもう酷い文章だったのですが、そんな原稿を粗いままの状態で投稿したお蔭で、
延長料金は払わなくて済んだし、電車に飛び乗れたし、待ち合わせ時間には間に合いました…シャワーも浴びて。

「この界隈の中級はどこまで掴んでいるのだろう」…というのは正しくは
「中級M」はどこまで(上級が別個にやらせている地域の作業の実態を)
掴んでいるのだろう‥‥ですね。ちょっと「M」という主語の
一部が抜けたというか、全然説明が足りない感じでした(ごめんなさい)。

もう1つ・・・、とんでもない「一文」が、しかも最後に出てくるのですが、
正しくは、「(あの人はMの浸透とサインの蔓延について)僕と同じ観方をしている」‥‥ぐらいがいいかな。

それと、学会前M公園に“警備を立てて、樹木に何人もが何かしていた”というのは神戸東遊園地の話ですね・・・。
まあ地名は、ぼかすことが多いと思ってください(笑)、分かる人には分かるし(笑)、でもバレてしまうという意味でなら、
そういう(土地勘による)分かりかたも困るかな(?)。

文章がこなれていない箇所は、まだまだあるようですが、旬のものは鮮度が肝心(?)、そんなに修正しなくてもいいでしょう
‥‥とはいえ、寝ぼけていないときの文章としては、もう最下級Mですね←ここには「M」は要らない(笑)

‥‥
それにしても、あんな酷い文章を‥‥すでに自滅してるのに“隠そう
としたり、下のほうでも“似たタイトル”の投稿をして薄めてみたり”?

そんなことをすればますます的を射ていると“思っちゃうじゃない”。それに、
荒れてしまった板はしばらく放置してもいいはずなのに、いまさら個個に、
危ない投稿を隠そうとしているのだとすると‥‥未だ投稿者本人を闇から
闇には殺す気が無いんだとホッとしますしね(笑) もし匿名のまま殺すなら、
少々の投稿は消さなくてもいい‥‥どうせ投稿できなくなれば、単発的な一
時期の投稿は流され、わすれ去られるはずだし、逆に削除しない限りは、どのみち検索には
かかるのだろうから‥‥あっ、もう昼板記事の検索ヒットは、大幅ブロックしてたかな(笑)

‥‥
それと、そんな僕がいうのも何だけど‥‥オリはる氏が“たとえ主張が若干の間違いを含んでいても、
つまり少なくとも努力をして何%か嘘が含まれたとしても、其れは当人にとっては嘘ではない”というような
「開き直り」発言をされていたことがわかった件について「ひとこと」いっておきたい‥‥。

(この世は、少しの判断ミスが大きな誤りを作り出した‥‥というよりも、微妙に不正確なことを何者かが言って、
人間理性の調子を狂わせてきたというのが真実というか、“文明という誤った体系”なのだと思います)

    論理においては、少しの間違いを付け加えてやれば、反対の結論を導くことも簡単だろうし、
    世俗という意識体系には論理が多く組み込まれていて、微妙に間違えた論理と摩り替えて病因を潜伏させているのですね・・・。
    ・・・そして何か悪魔イベントをするときには、あらかじめ刷り込んである判断マニュアルを刺激すれば(起動させれば)、
    必ず衆生は微妙に間違えて、反対方向に猛然と走り始めるという寸法でしょう。

或いは…間違いなど誰にでもあると開き直る場合“必ず間違いは何処かに含まれる”というわけでしょうから、
敷衍すれば間違えることが自覚的に予想できているのだろうし、他の人が間違わない才能や
努力で正確に書いているのならば、それが出来ないようなら、あとはせめて
沈黙するか…でしょうね。誰かのように、たくさんデマを投稿するために、ひとつひとつの原稿について推敲の
手を抜くとか…まして故意に違うことを書くとかいうのはもってのほかでしょうしね。「間違えたことを
指摘されると今後は推敲に時間を要し、投稿スピードが落ちるからか、言われて激怒する」とかいうのは駄目でしょう。
‥‥過去にそういうキャラがいましたね。(KKKの3分の1を占める人???)

ミスについて、(別に、オリはるさんや同じ作風を辺境の板で用いるような人をも名指しすることなく、)
誰か或る人自身の「意識の問題」をいうなら、少なくとも間違いを完全に消せると自分で思えるだけの
努力をしなければいけないだろうし、文法はともかくとしても論旨において何%か間違いを含むなんて、
やはり、その確信は嘘に相当するというか、駄目なのだと思いますよ・・・。(…まあ、結果に依るのでしょうが、結果こそ嘘に相当するはずで)

そもそも、たくさん書けばたくさん間違えるものなのなら、
その人は間違いを減らすために書かないほうがいいとさえ思えるでしょう。・・・・つまり「この世に」
間違いが増えていく投稿をするなら、たくさん投稿する権利は無いのですね。人が毎年一万人ほども
死ぬ…とわかっていて「交通社会」を止められない(止めない)のも文明病の「大間違い」
(…担当各部署における犯罪的不作為)だと思いますしね。…ちなみに
開発路線の「イケイケゴーゴー」というのも「進研ゼミチャチャチャ」ぐらいに
Mっぽい決まり文句でしょうが…(尤も進研は石と鳥居を含むのでしょうが…)。

勿論そういった大勢が車に跳ねられたり、運転席で頭をぶつけたりというのを、
「社会知」として既成事実にしてしまうような、白書ん大魔王的な「統計」といったものも、
実は交通施策そのものとしてわざと犠牲者を出したりしているだとか、
署の玄関脇の数字を操作して大量死を啓蒙しているのかもしれないわけでしょう・・・。
…何千件の事故を全て「視野に入れて」確認した人はいないはずで。(こういう極論を排し、
大人的に現状維持で突破していく「常識観」も、むろん総体制の意向だろうし…)

例えば駅に・・・“危ないので、この付近に集まらないでください”との貼り紙があるということは、
もし、その警告を大勢が無視して、集まったらやはり危険なはずなのです。
むろん、そこまでは電鉄会社としては責任を取れない‥‥取らなくていいという「権利義務関係」状況はあるでしょう。

しかし、尊厳や「感情」は無視しても「勘定」として運行には差し障るだろうし、内規の改善ぐらいならいいとしても補償や
設備投資やイメージの修復を要するなどすることから、自社にも損害が戻るように降りかかることになるでしょうから、
結局その貼り紙で、何%混雑が解消され、それによって確率的に限りなく危険が
ゼロになるはずだという数字の裏づけでも無いことには、充分に危険回避をまっとう
したことにはならず、電鉄会社の自己満足に過ぎない…ということなのかもしれないのですね。

つまり、いろいろ言って嘘を免罪しようとしたり、糊塗したり、本音は「嘘も方便」だったりするのは
はっきり言って「見苦しい」というか…認識が「おかしい」気がするのですが如何でしょうか…自分の胸に
手を当てるなり、手に胸を当てるなりして聞いてみてください(…これについては、これを読んで
いたとしてもレス不要です)。そんなふうに嘘の境界線を暈したり、自他の区別を暈したり、自らも
自制心をなし崩し的に突き崩したり、最小限の「倫理観」を侵食したりするのが、まさに「悪魔の誘惑」の効力なのでしょう。

本当の悪魔は「誘惑しかしない」らしいですが、誘惑だけで堕落も破滅も、災禍も虐殺も御手のものなのでしょうね・・・。

‥‥
それにしてもカフェコナンの支給パンは、豪華さがエスカレートしているね、何の善意だろう・・・貧乏な
僕が必ず(毎回)手をつけると、モニターで見て知っているからでしょうか(笑) 体内に多く蓄積した人のみが・・・。

‥‥

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電磁中心
http://www.asyura2.com/0610/lunchbreak8/msg/346.html
投稿者 創価学会 日時 2006 年 12 月 11 日 11:13:18: adeCMDNco5dS.

‥‥

新文書入手…

  イリュミナティ研究1
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/5109/1165780990/1

ついにイル(…だから、かの国も乗っ取られていて?)と、神戸電磁兵器のつながる記事が出てきた・・・そして「竜」関係というか
裏情報も、そのうち表に掲載されるでしょう。今年の神戸イルミナ祭は、気合も入り(笑)出足好調‥‥
警備を立てて、樹木に何人もが何かしていたので、冬支度の剪定というより、
ベストアングルにナチュラルアイが入るように細工していたのかもしれません…。

というのは丸機とか何台もが停車していた裏でね…しかもあそこは神戸の学会総本部でピラも立っている、道路標識も特注(笑)

  「神戸の学会ピラ」‥‥タモキュウより
  http://0bbs.jp/kyuuri/img340_5

したがって先だっての右翼の街宣は、ものものしい丸機の警備の口実かもしれないわけですね・・・。
右翼というのはたいていそういう使われ方されるんじゃないかな、
尤も普段は、末端構成員向けの民族っぽいイベントで、茶(…Mが好むね、チャチャとか、
イチとか、“駅前から「一番」近いカフェです!!!”とか、或いはニチャンとかいう音節…?)を濁してイルと思うのですが。

さて‥‥ですよ。
板が増え、荒らしが撤退し、代わりに…ただの主宰者に過ぎない僕が狙われた?

オールさんは死んでいなかった‥‥? “オリはる”さん御指摘の“問題アリ”?
(…その頃に)神戸の繁華街でオール・インができた(?)

地上支配が済めば、空よりも地下、僕は電磁兵器のっとりを想います‥‥。
地下の場所としては「右翼」が150台分借りたらしい駐車場、
およびエイリアン型の機械が、延々と掘りつづけているような
“ハリ信金”予定地および、トア北“ノアのNHK”近辺を想うわけです。
・・・・僕は平素「神戸商圏の中心地」を歩き回っているのでね。

  「朝から装甲車が数台と機動隊が集結」…タモキュウより
  http://0bbs.jp/kyuuri/415/w?

あのヤラセ朝鮮人抗議事件(?)というのは、神仙閣での地下施設で進水式のように、
落成(仮の設置完了)を知らしる意味か…何か搬入や要人の視察に対するカモフラージュで
耳目を引き付けたか陽動はわかりません(…手品の原理ですね)。

しかし、僕もバイキングは食べたことがあるが(笑)、たかだか高級中華の地上改築を
執り行うのに、わざわざ夜にだよ(…表の国際会議の来客に合わせるにしても変だろうし)、
あの異様な「突貫工事」をして…。その晩だけどサンクスには「夜トラ」がきていたこと‥‥
あの一件の翌日だったと思うが、朝日の大型(…むろんナンバーも
それなりに凄い)も停車していた・・・ことなどが頭をよぎるのですね。

ただ本命が、東門であるなら、施設は生田神社、居住地は生田川という線が自然と思う・・・。
この界隈の中級はどこまで掴んでいるのだろう。

ところで、このひとまで、僕と観方をしている‥‥Q2既出ですが。

浸透
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/30799/1164863609/6

地目
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/30799/1164780445/9

‥‥

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[pfijapan] Fw: 共謀罪通信061124 (やはり気になる共謀罪)
http://www.asyura2.com/0610/lunchbreak8/msg/267.html
投稿者 吉見侑子 日時 2006 年 11 月 24 日 10:12:17: afKCtKEyD7HMA

Sent: Friday, November 24, 2006 7:46 AM


 高木です。関西救援連絡センターからの情報転送です。

> 明日の法務委員会は一般質疑を午後に1時間行い、その後、理事会という日程が昨
> 日決まりました。
> 重要法案が残っているにもかかわらず、通例の法案審議日に一般質疑をやるのは異例
> です。
> その後のスケジュールを決めないのも又極めて異例です。
>
>
> 追伸:昨日の通信の内容が報道されています。国対ではなく法務委員会の理事会だっ
> たようです。
> --------------------------------
> 共謀罪:審議入り巡り、与野党協議が紛糾 衆院法務委
> http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061123k0000m010075000c.html
>
>  犯罪の合意をしただけで罪に問える共謀罪を創設する組織犯罪処罰法改正案の扱い
> を巡り、22日の衆院法務委員会理事会が一時紛糾した。与党理事の1人が「共謀罪
> 法案の審議に速やかに入りたい」と主張したためで、野党側は強く反発。結局、審議
> 入りは決まらなかったが、危機感を強めた市民団体は同日、国会内で集会を開き、共
> 謀罪への反対を訴えた。
>
>  理事会の出席者によると、早川忠孝議員(自民)が「個人的な思い」とした上で、
> 共謀罪法案の早期審議入りを求めた。これに対し、平岡秀夫議員(民主)らは、米国
> が国際組織犯罪防止条約を批准した際に共謀罪に関する規定を留保したことを政府が
> 隠していたとして、「審議の条件が整っていない」と反発。激しい議論になったが、
> 与党側が「正式な提案ではない」としたため、結論は先送りされた。【森本英彦】
>
> 毎日新聞 2006年11月22日 19時57分
>
>
>
> ●司法改革大阪各界懇談会のメーリングリスト宛てのメールは、 kakukai@yahoogroups.jp 迄● 

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クリスタル・スカル(転載)
http://www.asyura2.com/05ban/ban5/msg/268.html
投稿者 遠山納のりこ 日時 2006 年 2 月 10 日 14:06:42: clnpEGauHTMUI

 
 
1972年、アメリカの
ニュ−メキシコ州の峡谷で
ハイカ−が絵文字と不可解な
人工物を発見しました。
(驚くべき水晶の工芸品)
1994年の落盤で、23の洞窟と
そこに描かれた壁画が見つかりました。

そして、23番目の洞窟から
光ディスクが発見され、
そこから音楽、詩、科学と哲学
の文献などが解読されました。

壁画と音楽だけでも、
十分楽しめます。
サイトは下記のURLです。

WingMakers
WingMakers Research And Information
NEXUS Magazine

なんとそれは、
28世紀の地球からやって来た
Wingmakers達が、
20世紀末に発見されるように、
8世紀の地球に残した
タイム・カプセルだそうです。


壁画や光ディスクも興味深いが、
私が一番驚かされたのはクリスタルの発見です。

ケイシ−が言及してきた、アトランティスのクリスタルに酷似していると思われます。

フランク・アルパ−はその著書「アトランティス」
(コスモ・テン刊)の中で次のように述べています。
アトランティスの動力源は、クリスタルであった。
現在のような天然のものではなく、
人造のクリスタルである。
人工的に成長させた結晶でありながら、天然のものと同程度の純度をもつクリスタルであった。
中には、高さ7メ−トル、直径3メ−トルにおよぶものもあった。
クリスタルは完全な対称形になるようにカット、
研磨されていた。万一欠陥があると、一種のショ−ト状態になり大爆発を起こすのである。
透明で、純粋なクリスタルは、本質的には
エネルギ−を蓄積してパワ−源として役立てる目的で使われる。
このクリスタルには、エネルギ−を蓄積して必要なときに引き出すことができるという性質がある。
そのためアトランティスでは電力源、あるいは発電機として使われていた。
さらに「神の光」を発生したり、もっとも高いレベルのヒ−リングにも使われていた。


興味深いのは
「クリスタル・コンピュ−タ−」についての記述です。

天然のクリスタルは、その分子構造のために宇宙の磁気的波
動の受信機、または送信機として機能する。

また、波動を蓄積することが出来る。将来、クリスタルは波動を変化させるための援助手段
として、教育や霊的成長の道具に用いられるようになるだろう。
人間が成長する上で、長い忍耐を強いられることもなくなるだろう。
現在は何年もかかっていることを、一瞬にして学びとることができるようになるのだ。

このクリスタルをコンピュ−タ−と呼んでもかまわないが、現在、あなた方の用いている
コンピュ−タ−よりも洗練されたものである。
ヒュ−ズが飛んだり、回路の故障で記憶が失われることはない。つねに完璧な状態である。
クリスタルは、人類に関するすべての情報を調整する
ダイオ−ド(半導体で作製した2極素子)のような
作用をするらしいです。

もし図書館に行って、書庫の中から勉強したい
分野のクリスタルをとり出して、手に握るだけで、
必要な知識を習得することができたならば、
なんと素晴らしいことではないか。
現在では夢のような話だが、
将来は、こうしたことも実現するだろう。

写真のクリスタルこそ、ここで述べられた
クリスタル・コンピュ−タ−の情報クリスタルか
教育クリスタルであると推察されます。

現在、世界中で、
量子コンピュ−タ−について研究が行われています。

実は、このクリスタルこそ、
その量子コンピュ−タ−の
究極の姿であり、
アカシックレコ−ドが
受信できる機械的方法として
ケイシ−が言及していたものが
このクリスタル・スカルであると
思われます。

マヤでは叡智を保持するために、
このクリスタル・スカルの中に
図書館のように情報を組み込んだそうです。
それは、アカシックネットワ−クのなかで、
現在のノ−トパソコンや携帯電話のような、
手のひらサイズのモバイル機器に
相当したでしょう。

その機能として考えられるのは、
我々の意識の進化や、
宇宙の真理の探求のための、
あらゆるアカシック情報のアクセスに
用いられたと思います。

マヤの伝統的なシャ−マンは、
これから情報を引き出す方法を伝承してきました。
占いで使用される、
水晶玉はそのなごりかもしれません。

ここで、
シェルドン・ナイドルの情報も紹介しておきます。

惑星というものは中が空洞になっているのが
普通で、地球の中心部には、
水晶の核があるそうです。
この水晶の核を中心にして、
地球の回転運動が生じています。

その外側には流動状態の溶けた岩である、
マグマで形成されたマントル層があり、
そのまわりに地殻があり、そして、そのまわりを
大気層が覆っているらしいです。

この全体の運動によって、地磁気的な場というか
電気的な磁場が形成されているそうです。

あのニュ−トンを悩ませて、
どうしても解明できなかった、万有引力の源が、
クリスタル・コアにあったなんて面白いですね。
ニュ−トンもリンゴの芯が、
クリスタルで出来ているとは、
夢にも思わなかったでしょう。

★Crystalinks >>


この巨大な磁石である地球の磁場に、
現在、興味深い異変が起きています。

グレッグ・ブレイドンは次のように述べています。
磁場は2000年前にその密度が頂点に達し、
それ以来、地球の自転が遅くなるにつれ
どんどん弱くなっている。
1500年前に比べ50%の強さしかなく、
弱体化の速度はさらに速まっている。

これに連動して、地球の共振する振動数が、
急速に増加してきている。
地球の共振する鼓動とも言ってもいい、
このシュ−マン共振(振動数)は、1899年に
存在が確認された当時から、1980年半ばまで、
およそ7.8ヘルツ(毎秒7サイクル)で、
一定であった。

ところが1986年から87年にかけて速くなり始め、
1995年の終わりには、8.6ヘルツに達し、
最近は、10ヘルツ以上に達し、
上昇を続けている。

グレッグ・ブレイドンは、マヤが変化の年とした
2012年には、地球の共振は
毎秒13サイクルとなり、
地球の磁場はほとんどゼロになると考え
これを「ゼロポイント」と呼んでいます。

その時は、地球の磁場はほとんど消滅し、
地球の自転が止まるといっています。
そうして、地球の自転が数日間止まり、
それから逆方向に回転を始めると
推定しています。

足立氏は「波動の法則」で
次のように述べています。

今、地球が大きく変化していますが、
現実に周波数を情報で得ていきますと、
地球の原子核の集合体(EXA PIECO)も
毎月周波数が変化しています。

もっと細かく変化していることがとらえられると
思いますが、大変な周波数の上がり方で、
地球が予定通りの周波数に変換する時期が
迫ってきています。
今回地球が時空間移動する時の周波数は
だいたい10の780兆乗Hzです。
・・・・・
今の地球レベルの文化ですと、
テレポ−テ-ションの本質が
全然わかっていませんので、
突然地球が消滅して3万3千光年時空間移動し
銀河の重心近いところに現われるという、
そういう結果が生まれてしまうわけです。
その時期が迫っているわけです。
 
 

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 フツーの人が書いた黙示録 〈 預言編 〉 終末に関する預言(予言)を審神(さにわ)してみました。 「転載」
http://www.asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/436.html
投稿者 SV問題 日時 2006 年 3 月 17 日 17:33:25: cY3WTwUQzcbhA

↓そのまま転載…

 
 

フツーの人が書いた黙示録 〈 預言編 〉
終末に関する預言(予言)を審神(さにわ)してみました。

縄 文人 (なわ・ふみひと)



★ 青い見出しをクリックすると本文に飛びます ★

☆ 預言(予言)に見る終末についての記述
☆ 神の国の到来を予言する言葉
☆ 終末には光の尾を引いた星が現れる
☆ 大患難のフィナーレは「暗黒の3日間」
☆ 世の終わりにはどんな前兆があるのか
☆ イエスは新しい時代が始まるまで登場しない
☆ 日月神示が教える終末の生き方
☆ 味方同士が殺し合うこともある
☆ 肉体があるうちに改心しておくことが大切
☆ 善いと感じたことをすぐ行なうのがミタマ磨き
☆ 神示を読めば心のホコリがとれる
☆ 「金で世を潰してミロクの世と致す」
☆ 獣となる人は同胞を食べることもある
☆ 人に知られぬように善いことを積め
☆ 人は死ぬときの想念のままの世界に住む
☆ 一度死ななければ生き返れない
☆ 幽界に行く人は二度と帰ってこれない
☆ 住む家も、着るものも、食べる物もなくなる
☆ 子が天国で親が地獄ということもある?
☆ 改心しない人には地獄への道が明るく見える
☆ 人間は何を食べるべきか
☆ 神と人間が一体になって次元アップする
☆ 1日に10万人が死ぬようになる
☆ 東京はどうしても火の海になる?
☆ 人は四つん這いになって這い回る
☆ 終末における日本の国の役割
☆ 2012年からミロクの世がスタートする
☆ 終末現象の中で必ず起こる2つのシナリオ
☆ 救世主が雲の上に引き上げて助けてくれる?
☆ 肉体のまま霊界に行くことができる
☆ 国民が背番号で管理されるようになる
☆ 世界の警察アメリカが、まず管理国家となる
☆ 「神の国」とはどういう世界なのか
☆ 2003年からがいよいよ正念場
★ なわ・ふみひとからのお知らせ


預言(予言)にみる終末
 預言(予言)にみる終末についての記述  [TOP]

 神次元の存在によって世に降ろされた預言を、フツーの人間が審神(さにわ)するのは恐れ多いことではありますが、大胆に挑戦してみました。いろいろな預言(予言)に目を通してみて、預言(予言)として信頼できると思われるのは、まず第一が「日月神示(ひふみ神示)」、そして「大本神諭」および出口王仁三郎によるその他の予言書、新約聖書の3つではないかと思っています。
 これ以外にも、部分的には旧約聖書、エドガー・ケーシー、ポール・ソロモン、ノストラダムスなどの預言(予言)も参考にすべき点はたくさんありますが、それぞれ一長一短があって全面的には信頼できないような気がしています。ファティマの予言をはじめとする聖母予言については、低級霊または邪悪な宇宙存在からのメッセージが多いということで、終末予言としては採用しないことにいたしました。
 ここでは主として冒頭の3つの預言(予言)を中心に紹介していきます。
神の国の到来
 神の国の到来を預言する言葉  [TOP]

 時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。(マルコによる福音書)

 「神の国」とは次元アップした地球ということを意味しています。クリスチャンの間では、「天国(あの世)」のことだと思われているようですが、「あの世が近づく」というのはどう考えてもおかしいのです。

 御国が来ますように。みこころが天に行なわれる通り、地にも行なわれますように。(マタイによる福音書)

 この「御国」も次元アップした新しい地球を意味する言葉と思ってよいでしょう。「天」は神次元の存在が住んでいる世界のことで、霊界など四次元以上の世界ということになります。「地」はこの三次元の物質地球ということです。この宇宙では、まず高次元の世界で起こったことが徐々に移写されてきて、物質次元に現れてくると言われています。ですから、この祈りの言葉は、まず天で行なわれた神の計らいが、地にもその通りに行なわれることを願う言葉なのです。

 三千世界、一度に開く梅の花。艮の金神(うしとらのこんじん)の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりておるぞよ。これでは国は立ちてはいかんから、神が表に現れて、三千世界の立て替え立て直しを致すぞよ。用意をなされよ。この世はさっぱり新つ世(さらつよ)に替えてしまうぞよ。(大本神諭)

 「三千世界」はすべての次元ということで、霊界や幽界も含まれます。今回の立て直しはこの三次元の物質地球だけのことではないということです。「新つ世に替える」というのは、まさに物質次元の地球ではなくなることを意味しています。
 その理由として、私たちがあこがれ、採り入れてきた西洋文明に問題があったことをハッキリ述べています。「強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国」と、陰の世界政府が動かしている資本主義社会(お金で治める社会)の問題を指摘しているのです。私たちは、これからそのような生き方の反省を迫られるということになります。
終末には光の尾
 終末には光の尾を引いた星が現れる  [TOP]

 新約聖書のヨハネの黙示録には、神の国の到来までの7年間が患難の時代として詳しく預言されています。天変地異や戦争、飢饉、疫病など、考えられる様々な出来事が述べられていますが、それとは別に、ノストラダムスの予言に少し気になる記述があるので拾ってみました。

 光の尾を引いた星が現れるとき
 三人の巨大な王子達が敵対するであろう
 大地は揺れ動き、平和は空から打ち砕かれ
 ポー川とティブル川は氾濫し、蛇どもは岸でとぐろを巻く
                         (ノストラダムス)

 「光の尾をひいた星が現れる」ということは、彗星のことを意味していると思われます。この彗星のことはノストラダムスの予言のなかにはたびたび出てくるのです。「蛇」はサタンの化身で、世界を陰から操る邪悪な勢力のことを指していると思われます。「とぐろを巻く」は、「集まって善くない相談をする状態」ということです。獲物(人類)をどう料理するかを検討しているのかも知れません。

 それは北から現れるだろう
 蟹座からほど遠からぬ所
 髪をなびかせた明星が近づいてくる
 スース・シェーナ・ボエチア・エリトリア
 明け方、偉大なローマ人が死ぬであろう
                         (ノストラダムス)

 彗星は髪をなびかせて「北から現れる」と言っています。「偉大なローマ人」はローマ法王のことでしょう。

 夜明けとともに巨大な炎が見られる
 轟音と閃光が北の空に伸び
 球型の中で死の叫び声が聞こえる
 武器、炎、飢餓による死が人々を待ち受ける
                         (ノストラダムス)

 ここでも「北の空」と言っています。死の原因が「武器、炎、飢餓」であるということは、「戦争、火災、飢饉」が発生することを表しています。

 金色の炎が空から降ってくるのが見える
 高い所からの衝撃で、驚異の突発事が起こる
 人類最大の殺戮
 子らは強引に奪いさられ、観客たちは死に、
 誇り高い者どもも逃げ去るだろう
                         (ノストラダムス)

 空から降ってくる「金色の炎」が何であるかは理解できませんが、多分彗星に関係があると思われます。「高い所からの衝撃」も、彗星によるものでしょう。「子」は「光の子」のことです。つまり選ばれた光の子だけが、神の力によって別次元に上げられ、「観客」すなわち普通の人たちは死ぬということです。 「誇り高い者ども」は、この地球を陰から支配している層のことでしょう。終末のカタストロフィーのときには地球の地下深くにつくられている基地か、場合によっては宇宙ステーションなどに逃げていくということです。

 大きな星が七日の間燃え続け
 雲が二つの太陽を現すだろう
 獰猛な巨犬は夜通し吠え続ける
 偉大な法王が在所を替えるときに
                         (ノストラダムス)

 燃える彗星はついに二つ目の太陽のようになってしまうのです。ローマ法王も在所を替えると言っていますから、バチカンの宮殿が何らかの危機にさらされるのかもしれません。
大患難のフィナーレ
 大患難のフィナーレは「暗黒の3日間」  [TOP]

 暗黒の3日間については、旧約聖書、聖母預言、ポール・ソロモンもその様子を伝えています。また、日月神示や新約聖書にも同じような記述がありますので、これはかなり信頼性が高いことだと思っています。
 しかも、最近では地球がフォトン・ベルトのヌルゾーンというところに突入すると、太陽の光が全く届かなくなり、暗黒の状態が続くと言われています。しかも、そのヌルゾーンを抜けるまでにちょうど3日かかるというのです。このフォトン・ベルトの存在はアメリカの当局も公式に認めたということですが、その影響についてはもちろん発表されてはいません。はっきりわかっているのは、地球がフォトン・ベルトのヌルゾーンに突入する日は2012年12月22日だということです。
 この日は、マヤの暦が終わっている日だとも言われ、また、アメリカのテレス・マッケンナという科学者が独自の計算をした結果、いまスピードアップしつつあると見られる時間がゼロ・ポイントを迎える日だとも言うのです。この日が、いわゆる地球の次元アップスタートの日となるのでしょうか。その時、この三次元地球は海と陸が逆になるほどの大天変地異に見舞われるという予測もあるのです。
 まずはその「暗黒の3日間」を予言する言葉に目を通してみましょう。

 世界の大晦日ぞ。みそかは闇と決まっているであろうが。(日月神示)

 さすがは人の心を暗くしないことに気を配った我が国最高の預言です。みそかの次には、心改まる新年がやってくることを暗示してくれています。

 主の大いなる輝かしい日が来る前に、
 日はやみに
 月は血に変わるであろう       (使徒行伝)

 たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるだろう。(マタイによる福音書)

 星が空から落ちてくるというのですが、その結果、地球が振動して、天体が揺り動かされたように見えるということでしょうか。

 月は赤くなるぞ。日は黒くなるぞ。空は血の色となるぞ。流れも血じゃ。人民四つん這いやら逆立ちやら、ノタウチに一時はなるのであるぞ。(日月神示)

 やはり、地球は大揺れとなるようで、人は四つん這いやら逆立ちやらということですから、立ってもいられないほどの激しい揺れに見舞われるということです。なんともリアルです。

 地(くに)つちの軸、動くぞ。フニャフニャ腰がコンニャク腰となりて、どうにもこうにもならんことになるぞ。(日月神示)

 地軸がぐらつくということですから、地球はよたよたした状態になるのでしょう。人が四つん這いになるのもわかります。
世の終わりには
 世の終わりには、どんな前兆があるのか  [TOP]

 以下に、マタイによる福音書(新約聖書)のなかの終末の様相に関する部分を拾ってみます。

 そこでイエスは答えて言われた。
 人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者が私の名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい。あわててはいけない。それは起こらねばならないが、まだ終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちにききんが起こり、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、また互いに裏切り、憎み合うであろう。
 また多くのにせ預言者が起こって、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人のが冷えるであろう。
 しかし、最後まで堪え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

 そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起こって、大いなる印と奇跡を行ない、できれば選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。だから、人々が「見よ、彼は荒れ野にいる」と言っても、出ていくな。また「見よ、部屋の中にいる」と言っても信じるな。ちょうど、いなずまが東からひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。死体のあるところには、はげたかが集まるものである。

 しかし、その時に起こる患難の後、たちまち日は暗くなり、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗ってくるのを、人々は見るであろう。
 また、彼は大いなるラッパの音とともに御使いたちをつかわして、天のはてから地のはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。

 いちじくの木からこの譬えを学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
イエスは新しい時代
 イエスは新しい時代が始まるまで登場しない  [TOP]

 このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。(使徒行伝)

 終末の救世主として期待されているイエス・キリストですが、少なくとも新約聖書の主役であるイエスについては、万物更新(次元アップ)の時までは登場しないということです。キリスト教を信仰している人たちの間には「終末には救世主が現れて選ばれた人たちを救ってくれる」という、メシア待望論が根強くあると思われますが、その救世主とはいったいどういう存在なのでしょうか。場合によってはキリストを標榜する偽キリストかも‥‥。
 やはり日本の預言が教えるとおり、終末は救世主を待望する前に、まず一人一人が自分の心の立て直しをすることが大切であるように思います。
日月神示が教える
 日月神示が教える終末の生き方  [TOP]

 何もかも三分の一じゃ。大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組みぢゃ。三分難しいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも助けたさの日夜の苦労であるぞ。

 終末のカタストロフィーを経て、新しい地球とともに次元アップできるのは三分の一だということです。ただし、これはいま肉体を持って生きている人以外に、死んで霊界にいる魂も含めてのことになります。私たちのご先祖様も(その後、生まれ変わっていなければ)対象となっているのです。

 太陽は十の星を従えるぞ。原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ。人民の学問や智では判らんことであるから、早う改心第一ぞ。

 現在は太陽系には9個の惑星がありますから、1個増えることになります。これがノストラダムスの預言に出てくる星のことかもしれません。最近地球に接近していると噂されている「ニビル」という星も有力な候補でしょう。

 神にささげずにむさぶるからメグリつむのじゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくには食物つつしめばよい、言葉つつしめばよい。

 メグリはカルマのことです。自分の言葉や食べ物、想念などの波動によって、その波動が作り出す世界を体験することになります。つまり、病気などの不運となって巡ってくるというわけです。

 その人間にメグリなくてもメグリ負うことあるぞ。人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん。一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。果たさねばならん。

 人類や民族、国家、先祖などのカルマも背負う必要があるということは、前章で述べてきた通りです。仏教にも同じような教えがあります。

 メグリというのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。メグリは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。
祓(はら)いせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとはメグリなくすことぞ。昔からの借銭は誰にもあるのざぞ。それ払ってしまうまでは、誰によらず苦しむのぞ。人ばかりでないぞ。

 潜在意識の中にため込まれた私たちのカルマは、終末までにすべて発散(昇華)させなくてはならないのです。発散する過程で病気になったり、事故などの災難に遭ったり、人間関係で苦労したりするわけですが、残っているカルマが大きい場合は、天変地異に巻き込まれるという最大の恐怖を味わうことも避けられないかもしれません。私の表現で言えば「人一倍大きい予防注射を打たれる」ということです。それを恐れると、また新たなカルマを創造しますので、そのような事態に遭遇しても、けっして恐れないことが大切なのですが‥‥。

 人間をほめることはよいことじゃ。ほめて、その非をさとらせよ。罪ゆるすことぢゃ。もの生かすことじゃ。生かして使うことじゃ。神示(ふで)ひろめることぢゃ。やってみなされ。必ずうれしうれしとなるぞ。栄えるぞ。

 仏教の法華経のなかに「常不軽(じょうふきょう)菩薩」という話が載っています。どんなに自分のことを悪く言ったり、いじめたりする人に対しても、常に両手を合わせて拝む習慣のある人の話ですが、これがカルマをつくらない生き方ということです。新約聖書にも全く同じことが述べられています。
味方同士が
 味方同士が殺し合うこともある  [TOP]

 味方同士が殺し合う時、一度はあるのざぞ。大き声で物言えん時くると申してあろがな。これからがいよいよざから、その覚悟していてくだされよ。(中略)
ちりぢりばらばらになるのざぞ。一人ひとりで何でも出来るようにしておけよ。

 家族がバラバラになる場面もあるということです。一人で終末の苦難に直面する事態になっても、自暴自棄になったり、恐怖で動けなくなったりしないように、普段から心の鍛錬をしておく必要がありそうです。もちろん、人は助け合うことが大切なのは言うまでもありませんが、助けてほしいという依存心よりも、人の力になろうという気持ちの方が神の心にかなっているのです。

 どこにどんな事していても、助ける人は助けるのざぞ。神の御用ある臣民安心しておりてくだされよ。火降りても槍降りてもびくともせんぞ。

 一番大切なことは、全能の神を信じること。最終的には助かるのだという安心感をもてなくてはいけません。目の前の出来事に一喜一憂することなく、落ち着いて行動することが大切だということです。

 覚った方神示説けよ。説いて聞かせよ。信ずる者皆人に知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあろうが。

 「気づきを広げること」――仏教で言うと「法施」です。これが最も大切なのです。気づきを得てレベルアップした波長の人たちの念が一つになって集合的無意識を形成し、この世を浄化していくのです。
肉体があるうちに
 肉体があるうちに改心しておくことが大切  [TOP]

 生命あるうちに神の国のこと知らずに、死んでから神の国に行くことは出来んぞ。(中略)肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ。

 これは、これまでさまざまな霊界通信によって、死後の世界の話としてもっとも強調されてきたことです。肉体がある時に覚らないと、霊体になったら波長が定まってしまいますから、それから周波数を高めることは難しいということを言っています。
善いと思うことを
 善いと思うことをすぐ行なうのがミタマ磨き  [TOP]

 人間それぞれのミタマによって役目違うのであるぞ。手は手、足は足と申してあろう。何もかもマゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ。
 ミタマ磨けてさえおれば、心配なくなるぞ。心配は、磨けておらぬ証拠ぞ。ミタマ磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ。

 「善いと感じたこと直ちに行なうこと」が大切だということです。前に、タバコをやめる場合の「1本の誘惑」という話をいたしましたが、私たちの心の調律で一番難しいのがこの誘惑を振り払うということです。
 誘惑には2種類あって、「〜をしたい」というものと、「〜をしたくない(怠けたい)」というものがあります。しかしながら、一人ひとりの心にささやきかけてくる誘惑の声は、波動がよく似ているのです。

 @ 誰でもやっていることだから、やってもかまわないだろう。(と自分を許して、やっ
   てはいけないことをする)
   誰もやっていないことだから、やらなくてもいいだろう。(と自分を許して、やるべき
   ことをしない)
 A 今回だけだから、やってもかまわないだろう。(と自分を許して、やってはいけない
   ことをする)
   今回はパスして、次からやろう。(と自分を許して、やるべきことをしない)

 タバコやお酒をやめようとか、日記をつけようとか、間食を減らそうとか、自分の成長・進化にとって良いことをしようと思うと、人の心に必ず「1本の誘惑」がやってくるのです。この誘惑に勝てない人は、ミタマ磨きができないことになります。
 政治家で贈収賄の罪に問われる人も、最初は「誰でもやっていることだから」という気持ちで自分を許していくのです。あるいは「この程度の(小さな)金額だから」という許し方もあるでしょう。それがホコリとなって潜在意識に蓄積されて行き、やがてメグリとして運命に影響を与えていくことになってしまいます。新しい時代、次元アップした地球では、そのようなメグリがあると生きていけないということです。今から、新しいメグリをつくらず、過去のメグリを解消していくために、「善いと思ったことはすぐに行なう」ことを心がけたいものです。(これは私自身に言っていることでもあります)
神示を読めば
 神示を読めば心のホコリがとれる  [TOP]

 毎日、一生懸命に掃除していても、何処かにホコリ残るもんぢゃ。まして掃除せん心にホコリつもっていることくらい、誰にでも判っているのであろうが。神示で掃除せよ。

 心のホコリをとるために掃除をすることを、「砂に書いた文字」という表現で述べてきました。1日が終わり、眠りにつく時までに、心のホコリをとり、それが潜在意識の中にため込まれないようにすることが大切だということでした。ここでは、「神示(ふで)で掃除せよ」とヒントが書かれています。日月神示という素晴らしい波長の書物を声に出して読んでいると、共鳴の法則によって私たちの波長が高められるということです。「読書百遍意自ずから通ず」という言葉もありますが、理解できないと思う本でも、それを何回となく、できれば音読をしていると、いつしか本の波動が伝わってきて、内容まで理解できるようになると言うことです。これも共鳴の法則で説明できます。
 私は過去20年ほど、毎朝般若心経を唱えることを日課にしてきましたが、仏教の解説書を読んでも理解できなかった「空」の意味が、最近突然に理解できるようになりました。それというのも、毎日般若心経の波動に親しんできたため、共鳴の法則によってその影響を受けたのだと思っています。
 音楽や絵画も一流の作品に触れていると、その影響で波動が高められ、ますます耳や目が肥えてきて、作品の本当の素晴らしさが理解できるようになりますが、これも同じことを表しています。そういう意味では、友達を選ぶのと同じように、読む本も波長の高いものを選ぶようにしたいものです。そして、夜寝る前に、そのような本を音読してから寝る習慣を、すぐにでも実行していただくならば、潜在意識に悪いカルマをためることはないと思います。逆に素晴らしい波動を送りながら眠りにつけますので、ますます波長を高めることができるでしょう。
「金で世を潰して
 「金で世を潰して、ミロクの世と致す」  [TOP]

 金で世を治めて、金で潰して、地固めしてミロクの世と致すのぢゃ。

 この「金で潰して」というところに注目してください。金すなわち「経済至上主義」が地球を壊してしまったのです。しかし、それも必要なことだったのです。その反省の中から、心の地固めをして、いよいよミロクの世を迎えることになるのですから。

 他のために行ぜよ。神は無理申さん。初めは子のためでもよい。親のためでもよい。自分以外の者のために、まず行ぜよ。奉仕せよ。嬉し嬉しの光さしそめるぞ。はじめの世界ひらけるぞ。

 これもすでに述べてきたことですが、「個は全体のために。全体は個のために」と同じことを意味しているのだと思います。まず自分以外の身近な人に与えることから始めるのです。「行」すなわち「他に与える」ものは「物」とは限りません。いたわりの言葉であったり、肩をもんでやることであったり、情を込めて料理をつくることだったり、いろいろあります。しかし、子や親は自分の分身のような存在ですから、「万人のために」行ずるようになるための、ほんの入口だということです。それでも、「自分だけが大切」と思っている人よりは一歩を踏み出したことにはなるでしょう。
獣となる人は
 獣となる人は同胞を食べることもある  [TOP]

 今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、二股膏薬ではキリキリ舞いするぞ。キリキリ二股多いぞ。獣となれば、はらから食うこともあるぞ。

 「二股膏薬」とは、自分にハッキリした考えがなく、あっちについたりこっちについたりすることをいう、と辞書に書いてあります。二股の一つは「ミロクの世で生きるために魂を磨いていく」ことを言います。もう一つは「現世利益」でしょう。この世の価値観で、お金や名誉、地位など、物質的な繁栄を求めることです。霊的側面よりも物質的側面に重点を置いた生活ということで、これを「体主霊従」と呼びます。逆に、心の問題を重視して生きることを「霊主体従」と言って、ミロクの世の生き方とされているのです。
 これまでのような体主霊従の生き方をしていると、「光の子」でなく「獣」となってしまうというわけです。そして、獣は食料が不足すると「はらから(同胞)」つまり同じ人間を食べることになるぞと警告しています。太平洋戦争で生還した人の中に、死亡した仲間の肉を食べたことを告白している人がいました。また、外国のことで大分古い話ですが、雪の積もった山中に不時着した飛行機の乗客が、救助されるまでの間、死亡した人の肉を食べて生き延びていたという話もありました。極限的状況になると人は獣の相を顕してしまうおそれがあるのです。そのような獣的側面を顕すことのないように、神示は「神徳を積め」と警告しているのです。

 大峠の最中になったらキリキリ舞いして、助けてくれと押し寄せるなれど、その時では間に合わん。逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。皆己の心であるからぞ。

 気づきの遅い人は、結局最後の土壇場で大慌てということになるでしょう。でも、その時ではもう手遅れだということです。神さまでもどうにもできないのです。なぜなら、自分の心(潜在意識にため込んだ波動)が変わっていないから、どうにもできないということです。人には自由意志が与えられていて、その心の調律は、自分でしなくてはいけないルールなのです。
人に知られぬように
 人に知られぬように善いことを積め  [TOP]

 人に知れんように善いことつめと申してあろうが。人に知れんようにする善いこと神心ぞ。神のしたことになるのざぞ。

 「陰徳」ということで述べてきました。聖書にも同じような記述があります。イエスが「右手で人に施しをした場合、そのことを左手にも知らせてはいけない」と教えているのです。せっかくいいことをしても、「私がしてやった」と思う気持ちを持つと、逆にマイナスのおつりがついてくるかもしれません。

 大掃除はげしくなると、世界の人民皆、仮死の状態となるのぢゃ。掃除終わってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて、息吹き返してミロクの世の人民と致すのぢゃ。

 大掃除というのは、終末の大天変地異によって人類の集合的無意識の乱れを浄化していくことを言うのでしょう。地球の大掃除ということでもあります。その段階で世界の人民は皆、仮死の状態になるということです。つまり、私たちは全員、肉体の死は避けられないことになります。その後で、因縁のミタマ、つまり「光の子」だけが息を吹き返して、次元アップした地球の人民となるのです。

 自分に降りかかって来る一切のものは最善のものと思え。如何なる悪いこともそれは最善のものであるぞ。(中略)
 世を呪うことは自分を呪うこと。世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと覚れば一切はそこからひらけくるぞ。

 自分の回りに起こることは、それは過去に潜在意識の中にため込んだカルマが形をとる姿です。だから、心を動揺させることなく「あ!これでカルマが一つ消えていく」と、逆に感謝の気持ちで受けとめることが大切であるということです。それは体の病気という形を取ったり、他人から裏切られるという形をとったり、いろいろあるでしょう。その時でも、世の中や他人を恨まない方がいいと教えているのです。世の中の総ての存在は一つにつながっていて、それは自分自身でもあるわけですから、世の中を恨むことは自分を恨むこと、というわけです。私が波動の法則として説明してきたことと同じ内容が述べられています。
人は死ぬ時の
 人は死ぬ時の想念のままの世界に住む  [TOP]

 死ぬ時の想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮らす人、天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ。

 これも波動の法則で説明するとわかりやすいと思います。人が死ぬと、肉体を持っている時に作り出した波動の世界に引き寄せられていくということです。天国的波長の人は天国的な世界へ、地獄的波長の人は地獄的世界へ引き寄せられることになります。

 死とは住む段階の違う場合に起こる現象ぞ。死とは生きることぞ。変わることぞ。霊人も幽人も衣類を着て、食べ物食べて、家に住んで、庭もあれば道もあり、町もあれば村もあり、山も川もあり、全てが地の上と同じぞ。天国がうつって地ができているのぢゃ。霊の国は更に立派、微妙ぞ。天界のもの光輝き、幽界のもの暗くなる違いあるだけぢゃ。その時の状態によって変化するが、すべては神が与えたのぢゃ。現界同様、与えられているのぢゃ、と知らしてあろうがな。時間、空間もあるのであるが、ないのであるぞ。同じ状態にあれば同じ所に住み、変化すれば別の所に住むのであるぞ。
 見ようと思えば、念の中に出てきて、見ること、語ること出来るのぢゃ。見まいとすれば見えんのぢゃ。自分で見、自分で語るのぢゃぞ。時、所、位、総てが想念の中、想念のままに現れてくるのであるぞ。幾重にも重なってあるのであるが、各々別にあるのであるぞ。

 私たちは肉体の死によって無の世界に行くわけではありません。魂は生き通しですから、肉体をもっていたときと同じ意識をもって、物質のない波動の世界にいくわけです。というより、本来の自分の波動と同じ世界に行くことになります。肉体という物質の波動で制約されなくなりますから、自分の波動そのものの世界に行けるのです。
 末尾の部分に「幾重にも重なっている」とあるのは、波動の周波数の違いで何重にも並行して存在していることを言っています。私たち人間は、肉体という最も粗い波動の体以外にも、エーテル体(幽体)、アストラル体(霊体)など、重なり合った複数の体をもって、いくつかの世界に同時に存在しているのです。ただ、物質としての肉体を持っている時はこの物質世界の波動しか認識できないだけのことです。
 死んでその肉体の制約がなくなると、幽界または霊界という精妙な波動の世界に入りますから、肉体を持って生きている時の波動の傾向が強調されることになります。地獄的波長の人は全くの地獄絵図を見ることになり、天国的波長の人はいつも嬉し嬉しの世界となるのです。ここでも、これまで数多く出されてきた霊界通信とまったく同じ内容が述べられています。
一度死ななければ
 一度死ななければ生き返れない  [TOP]

 人民一度死んでくだされよ。死なねば甦られん時となったのぞ。今までの衣を脱いでくだされと申してあろう。世が変わると申してあろう。地上界の総てが変わるのぞ。人民のみこのままというわけには参らぬ。死んで生きてくだされよ。立て替え、立て直し、過去と未来と同時に来て、同じところでひとまず交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終わりのギリギリの仕上げの様相であるぞ。

 「今までの衣を脱いでくれ」と言われています。「物質としての肉体に対する執着をなくせ」ということでしょう。「死んで生きる」ということは、肉体を失って、霊体で生きるということです。地上界の総ての存在の波長が高くなるわけですから、人間だけがそのままということにはならないのです。
 「過去と未来と同時に来て」という意味は、説明が難しいのですが、要するに別世界には、すでにこの物質世界にはいなくなった人や生き物なども存在しているわけですから、それらがすべて一緒になってふるいにかけられるということです。その中から、新しい地球すなわちミロクの世に必要な人や生き物だけが残されるということです。亡くなった人が生き返り、絶滅したと思われる動物なども再度デビューすることになるでしょう。
 さらには、すでに人類の想念が作り上げつつある未来の社会も、新しい地球に必要と判断されるものは実現した姿で現れるということです。さまざまな発明なども、コンセプトとして生まれたものは、霊界では一足先に完成しているからです。この説明を聞いても、やはりガテンがいきませんか?

 最も苦しいのは1年と半年、半年と1年であるぞ。死んでからまた甦られるように死んでくだされよ。マコトを心に刻みつけておりてくだされよ。

 2012年が終末のギリギリであるとすれば、その3年(1年半+1年半)前の2010年あたりからが最も苦しい時代になりそうです。「死んでも(ミロクの世の住民として)甦られるように」死んでくれと言われています。「心の調律をして波動を高めておけ」というふうに受けとめたいと思います。
幽界に行く人
 幽界に行く人は二度と帰ってこれない  [TOP]

 この世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役には立たんのざぞ。この世去って役に立つのは身魂の徳だけぞ。身に付いた芸はそのまま役立つぞ。人に知れぬように徳つめと申してあろうがな。神の国に積む徳のみ光なのざぞ。今までは闇の世であったから、どんな悪い事しても逃れることできたが、闇の世はもうすみだぞ。思い違う臣民沢山あるぞ。どんな集いでも、大将は皆思い違うぞ。早うさっぱり心入れ換えてくだされよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界行きとならぬよう、根本から心入れ換えてくれよ。一度にどっと大変が起こるぞ。

  この世界で身につけた財産や地位、名誉などがあの世に持っていけないことは理解できると思います。役に立つのは「身魂の徳だけ」とのことです。つまり、自分が高めた波動だけだということです。「身に付いた芸」はそのまま役立つということですから、仕事や芸術の分野などで磨いた技術は新しい世界でも使えるということですね。このことは、他のさまざまな霊界通信でも言われていることです。
 「徳」の場合はやはり陰徳でないといけないようです。新約聖書でもイエスが「天の蔵に積まれる」のは隠れてなされた善行だけだと教えています。他者からの感謝の言葉や周りの賞賛を期待しての善行は、動機が不純ということです。それは本当に相手(対象)のことを思っての善行ではなく、自分のこと、つまり自分が何らかの評価を受けることを第一に考えての行為だからです。
 聖書もそうですが、日月神示には「人に知られぬように徳積め」とくどいほど述べられています。それは道徳的視点からではなく、霊的視点からの忠告なのです。つまり、人の波動を高めるために、あえて人に知られないところで善行を行なう必要があるということなのです。
 前に「情けは人のためならず」にも落とし穴があると申しましたが、どこからか見返りがくることを打算しての善き行為は、価値が小さいということです。潜在意識はその微妙な心の動きをきっちり把握してしまうからです。
 また、陰で隠れて悪い行ないをすると、それもきっちり把握されます。この物質の世界では、潜在意識の中身が表面化するまでに時間がかかりますが、いずれ明らかになって行きます。場合によっては生まれ変わった次の人生に、カルマとして顕れてくることもあるのです。あるいは、生まれ変わりのチャンスがない魂は、自分は幽界で苦しみ、その子孫が人生の不幸や不運という形で、先祖の代わりにカルマの清算をさせられることになります。
 最近は時間の流れが加速されつつある関係で、隠れたところでなされている悪行がすぐに露見するようになっています。政治家の不正や、一流と言われてきた企業の不始末が、次々とマスコミをにぎわすようになっているのはそのためです。老子に「天網恢々疎にして漏らさず」という教えがありますが、まさに天は一つも見逃すことなく、人の行為を把握しているということです。
 往々にして、大きな組織や団体のトップ(大将)ほど思い違いをして、自分や自分の組織のために悪事を働くということが指摘されています。そういう人たちは神の国には住めませんから、「幽界(がいこく)」つまり波動の粗い地獄的世界に行くことになる、という警告だと受け止めなくてはいけません。しかも、これまでは幽界でも、気づきを得れば少し高い霊界にまで上がることができ、場合によっては再び人間に生まれ変わって修行をし直すことも可能でしたが、今度は「二度と帰れん」ようになるのです。
 私たちの心の動きはすべて神様に把握されていますので、善いと思うことも悪いと思うことも、それを覚悟の上で行なうことが大切だということです。善いことをしても他者にそのことをわからせようとする必要はありませんし、悪いことしても決して隠すことはできないということです。新しい地球、新しい世界では、心の中のものがすぐに相手や回りに伝わってしまうと言われますから、それが普通の生き方になるのでしょう。
住む家も
 住む家も、着るものも、食べる物もなくなる  [TOP]

 日に日に厳しくなりて来ると申してありた事始まっているのであるぞ。まだまだ激しくなって、どうしたらよいか判らなくなり、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食う物もなくなる世が迫って来るのだぞ。それぞれにメグリだけの事はせなならんのであるぞ。早い改心はその日から持ちきれないほどの神徳与えて、嬉し嬉しにしてやるぞ。寂しくなりたら訪ねてござれと申してあろがな。洗濯次第でどんな神徳でもやるぞ。神はお陰やりたくてうずうずしているのざぞ。今の世見ても、まだわからんか。神と獣とに分けると申してあろが。早うこの神示読み聞かせて、一人でも多く助けてくれよ。

  着るものも、住む家も、食べるものもなくなる世が迫っているということです。終末現象の中で、私たち一人ひとりが、それぞれのメグリ(カルマ)の清算をさせられるということです。しかしながら、早い改心をすれば嬉し嬉しにしてもらえるのです。
 表面に現れてきたカルマを目の前にして、悲観したり、恐怖したり、呪ったりする気持ちになるのは獣の波動です。そのときにまた新しいカルマをつくってしまうことになります。
 カルマは病気の症状のようなもので、潜在意識の中に蓄積された過去の善くない心の傾向が形をとっているのです。形をとればそのカルマは消えていきます。病気も熱や咳、体の痛みなどの症状として現れますが、薬を使ってその症状を和らげたり、なくしたりせずに、カルマが消えていくのを心静かに待つべきなのです。
 ところが、最近の人は症状を病気そのものと勘違いしていますから、心を動揺させ、不安な気持ちになって、薬の力で症状を抑えてしまいます。そのため、病気の根はそのまま残り、また何かをきっかけに次の芽(症状)を出してくるのです。
 終末における私たちの心の持ち方もまったく同じです。過去につくったカルマを清算してしまうわけですから、いろんなことが次々に出てくるわけです。食べるもの、着るもの、住む家などに不自由するのもそのカルマが発散(昇華)していく姿なのです。恐れるのでなく、むしろ感謝しなくてはいけないのです。それが「改心」すなわち「心を改めること」の意味なのです。
子が天国で
 子が天国で親が地獄ということもある?  [TOP]

 今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけにはいかんのざ。子が天国で親が地獄というようにならんようにしてくれよ。一家揃うて天国身魂となってくれよ。国皆揃うて神国となるようつとめてくれよ。

  この終末の時代に、縁あって同じ家族として生まれた以上、次の新しい地球でも一緒に生活したいと思うのが人情でしょう。それに執着しすぎると煩悩が生まれ、新しいカルマをつくってしまいますが、それを願ってともに努力をすることは価値のあることです。自分だけ助かろうとする気持ちでなく、せめて家族揃って、そしてできればこの人生でご縁のあった人たち全員が、あるいはすべての日本国民が、‥‥という考えになれることが大切だと教えているのです。

 何事に向かってもまず感謝せよ。ありがたいと思え。初めはまねごとでもよいぞ。結構と思え。幸いと思え。そこに神の力加わるぞ。道は感謝からぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどう申してあろうが。病気でないと思え。弥栄と思え。病治るモト生まれるぞ。キがもとぞ。何事くるともなにくそと思え。神の力加わるぞ。おそれはおそれ生むぞと申してあろうが。
 もの与えることなかなかぢゃ。心してよきに与えねばならんぞ。与えることは頂くことと知らしてあろうが。与えさせて頂く感謝の心がなくてはならん。強く押すと強く、弱く押すと弱くはね返ってくるぞ。自分のものというもの何一つないぞ。この事わかれば新しき一つの道がわかるぞ。

 最近では、感謝することの大切さについて書かれた本もたくさん出されていますので、ほとんどの人が知識としては理解していると思います。しかし、多くの場合、現世利益の観点から述べられていたり、「自分の持っている幸せ探しをして、その一つひとつに感謝しよう」というふうに、感謝の対象が限定的なものになっています。
 ここでは、「何事にも感謝せよ」と教えています。人に物を与えても、与えさせていただくという感謝の心がなくてはいけないとも。これは、やはり波動の法則を述べているのでしょう。「強く押すと強く、弱く押すと弱く」というのはそういう意味です。強い感謝の波動には強い感謝の波動が返ってくるということを言っています。

 先祖は肉体人を土台として修行するぞ。メグリだけの業をせねばならん。

 肉体を失って霊界にいるご先祖様は、子孫である私たちに頼って波動の修正をはかっているのです。地球の次元アップまであとわずかとなりましたので、もう生まれ変わって修行をし直すチャンスはありません。そこで、自分が蒔いた種を、子孫を使って刈り取ることになります。私たちがちゃんとした気づきを得て、波動を高めてくれることを、霊界から固唾をのんで見守っているのです。そういう意味では、肉体を持って終末を迎える私たちは、その霊系統の代表選手というわけですから、大変責任が重たいということになります。
改心しない人には
 改心しない人には地獄への道が明るく見える  [TOP]

 人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ。神が沈めるのではない。人民が自分で沈むのであるぞ。人民の心によって明るい天国の道が暗く見え、暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ。

 「地の下に沈む」というのは波動の粗い「幽界(がいこく)」に閉じこめられるということでしょう。それは、死後の世界と同じで、自分の波動が同調するから引き寄せられるということです。心の波長のレベルが低いと、地の中への道が明るく見えるので、そちらに行ってしまうということです。

 人ほめるものと思え。言霊幸はふぞ。それが人の言葉ぞ。わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与えているのだから忘れんようにな。(中略)
 言葉で天地にごるぞ。言波で天地澄むぞ。戦なくなるぞ。神の国になるぞ。言波ほど結構な恐いものはないぞ。
 ささげるもの、与えるものは、いくらでも無限にあるではないか。ささげよささげよ。与えよ与えよ。言(ことば)こそは誰もがもてるそのささげものであるぞ。与えても与えても無くならんマコトの宝であるぞ。

 言葉の大切さについては「X」のところで「波動の法則」として説明しました。言葉は私たちが発信すると同時に受信することにもなる強力な波動です。陰で他人の悪口を言っても、自分が聞いているわけですから、自分に対して悪い作用をしますし、また天の蔵にも悪い波動をため込んでいくことになります。ですから、言葉で天地がにごると述べられているのです。それは発信者のカルマとなって、その人の運命に影響を与えていきます。
 逆に、感謝や励ましやいたわりなどの善い言葉は、対象となる人だけでなく、宇宙全体に善い波動を広げていくのです。世の中をよくするためには、常に善い言葉をつかうこと、少なくとも悪い言葉を使わないことが大事だということです。新約聖書にも仏教の経典にも全く同じことが書かれています。
人間は何を食べる
 人間は何を食べるべきか  [TOP]

 一升マスには一升入れるこぼれるのであるぞ。腹一杯食べてはならん。死に行く道ぞ。二分をまず神にささげよ。

 食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。
 腹十分食べてはこぼれる、運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。食べ物節すればツキモノ改心するぞ。

 私たちは食べ物から波動をとり入れることになりますので、農薬や添加物などで汚された今日の食べ物はとりすぎないほうがよいのです。また、健康上の問題とは別に、小食は運命をよくするという考え方もあります。しかしながら、美食と飽食に慣らされた現代人にはちょっと難しい注文かも知れません。ですから、「獣側に行ってもいいから、今の食生活はやめたくない」という方は、今の食生活をお続けになったらいいと思います。ただし、近い将来に食糧危機が来て、空腹の苦しさという形でカルマの清算をさせられる可能性は高いと思います。
 そのとき、満腹に慣れた胃袋は、なかなか辛抱してくれないのではないでしょうか。
 ツキモノというのは、別次元(幽界)の低級霊という意味です。肉体を失ったあともこの世の食べ物に未練のある未成仏霊が、自分と同じような食欲旺盛な人間に憑依(ひょうい)して、その人間を通じて食べ物(の波動)を口にするのです。本人が食べているようにみえますが、実は低級霊の口に入っている場合が多いということです。ですから、大食漢と言われる人、どうしても間食癖が抜けない人、甘い物に眼がない人、アルコール依存度の高い人などは注意が必要だということです。
 食べる量をコントロールすることによって、人間に懸かっている霊を改心させることができると述べられています。これも終末の時代には大変重要なことでしょう。

 牛の食べ物食べると牛のようになるぞ。人間の食べ物は定まっているのだぞ。獣と神が分かれると申してあろうがな。縁ある人々に知らせておけよ。日本中に知らしておけよ。世界の人々に知らせてやれよ。

 牛の食べ物とは何を指しているのでしょうか。牛は本来は草を食べています。しかしながら、ここでは「草を食べると牛のようになるぞ」と述べているのではないと思います。
 牛の食べ物で人間が口にしているのは牛乳です。子牛は母親の乳すなわち牛乳を飲んで急成長しますが、その寿命は20年そこそこで、人間の約4分の1しかありません。 ですから、牛乳は「早熟早衰」の波動をもっているということができます。牛の骨に含まれるカルシウムは、人間の骨のカルシウムとは組成が違っているのです。人間の赤ちゃんでも、ミルクで育てると体の成長は早いのですが、骨の組成が粗いため、すぐ骨折するようになり、また内臓などの老化も早いのです。ブロイラーや養殖の魚を見てもわかりますが、人工的に早く育てられた生き物は、自然に育ったものに比べて肉に締まりがありません。また、病気などに対する抵抗力も弱いのです。
 ただ、ここで述べられているのは健康上の問題ではなく、霊的視点つまり波動の問題です。牛の食べ物を食べていると牛のような波動になるので、獣の側に引き寄せられることになるぞと警告しているのです。しかも、このことは「世界中に知らせてやれよ」というほど重要な問題だということです。

 四つ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。神民の食物は五穀野菜の類であるぞ。
 食物は科学的栄養のみにとらわれてはならん。霊の栄養大切。

 「四つ足を食ってはならん」と、肉食を厳しく戒めています。神民、すなわちこれから「光の子」として選ばれる人たちの食べ物は五穀野菜の類だと言っています。それも科学的な栄養の観点にとらわれるのでなく、霊の栄養、すなわち「食べ物の波動」が大切だということです。農薬などを使わず、人が情を持って育てた作物は、最高の波動をしているはずです。波動を汚さないためには、できるだけそういうものを手に入れて食べるように心がけたいものです。
 牛や豚などの肉の場合は、育てられる環境の劣悪さと、殺される時の残酷さが肉の波動にイライラや恐怖の念として蓄積されていますので、それを食べることによってイライラや恐怖の波動をとり入れることになり、波動を粗くしてしまう恐れがあります。最近では、肉体の健康にとってもよくないことがわかっていますが、何よりも霊的に見て問題が大きいということなのです。
神と人間が一体
 神と人間が一体となって次元アップする  [TOP]

 今度の御用に使う臣民、はげしき行さして神うつるのぞ。今では神の力は何も出ては居らぬのぞ。この世のことは神と臣民と一つになりてできると申してあろがな。早う身魂みがいて下されよ。神かかれる肉体沢山要るのぞ。今度の行は心を綺麗にする行ぞ。掃除できた臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民洗濯できたらこの戦は勝つのぞ。灰になる身魂は灰ぞ。どこにいても助かる臣民、行って助けるぞ。神が助けるのでないぞ。神助かるのぞ。臣民も神も一緒に助かるのぞ。この道理よく腹に入れてくれよ。この道理わかりたら、神の仕組みはだんだんわかりて来て、何という有り難い事かと心がいつも春になるぞ。

 「この世のことは神と臣民と一つになりてできる」と言うことです。これからの次元アップは人間だけではできないし、人間界のことなので神さまだけでもやれないということです。そこで、「神うつる」という手段にでるわけです。
 「神懸かり」という言葉があります。現に霊媒やチャネラーには高位次元の存在が懸かってきて、人間の肉体を借りて霊界通信を書かせたりしています。いわゆる自動書記現象です。昭和19年6月10日、岡本天明という人物に神が懸かって、漢数字を中心とした文字を強制的に書かせるようになりました。その現象が16年間も続いて生まれたのが日月神示なのです。当初は、岡本天明本人が読んでも、何が書かれているか全くわからなかったそうです。後になって、数霊学を研究していた武智時三郎という人物を中心とした関係者が解読に成功し、日の目を見ることになったと言われています。
 終末には、魂の磨けた人に様々な神さまが懸かってきて、人間の肉体を使って次元アップのための働きをされるようです。ですから、「神かかれる肉体にしておけ」と言われているのです。波動の粗い肉体には神さまは懸かることができないからです。人間が心の調律をして魂を磨き、波動を高めておれば、終末の大患難のときには神さまがそれぞれの肉体に懸かり、一緒になって助かるということが述べられています。この道理、ご理解いただけますか?
1日に10万人
 1日に10万人が死ぬようになる  [TOP]

 一日十万、人死にだしたら、いよいよ神の世が近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ。

 一日に十万人の人が死ぬという事態は、大天変地異としか考えられません。神の世すなわち新しい地球が誕生するまでには、人が一日に十万人も死ぬ事態が訪れるということです。

 今に大きい息も出来んことになると知らせてあろうが。その時来たぞ。岩戸がひらけると言うことは半分のところは天界となることぢゃ。天界の半分は地となることぢゃ。今の肉、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ。今の肉体のままでは人間は生きては行けんぞ。一度は仮死の状態にして、魂も肉体も半分のところは入れ換えて、ミロクの世の人民としてよみがえらす仕組み心得なされよ。(中略)
 マコトでもって洗濯すれば霊化される。半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。今のやり方ではどうにもならなくなるぞ。今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ。灰になる肉体であってはならん。原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ。今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ。少しくらいは人民つらいであろうなれど、勇んでやりてくだされよ。大弥栄の仕組み。

 仏教で「即身成仏」という言葉があります。本来の意味は「肉体を持ったまま仏になる」つまり肉体のまま霊界に行ったり来たりできる状態になることです。インドやチベットには、修行によってそのような能力を備えた人がいると言われています。(『ヒマラヤ聖者の生活探求』第一巻/霞ヶ関書房)
 理論的には、肉体の波動を精妙にしていけば可能になることです。そのためには、食べるものや呼吸などをコントロールし、マントラ(お経、呪文)を唱えたり、瞑想したりして、心の調律をしなくてはいけません。常人にはできないことです。
 しかし、これから終末にかけては、それが普通の人にでもできるようになるということでしょう。もちろん、波動の粗い人は、サタンが喜ぶ粗い波動の世界に引き寄せられ、「灰になる人」となってしまいます。私たちの心の調律がどこまでできているかが分かれ目になるということです。
 この世と次元の異なる世界が存在することを全く理解できない人は、心の調律の必要性を感じることがありませんので、半霊半物質の世界に行くことは難しいと思われます。そういう人をなくすためにも、この気づきを広げていくことがとても大切になっています。

 寒いところ温かく、暑いところ涼しくなるぞ。
 心せよ。雨、風、岩、いよいよ荒れの時節ぢゃ。世界に何ともいわれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。

 いま世界中が異常気象に悩まされています。一般に報告されているようにフロンガスや二酸化炭素の排出による温暖化現象なのでしょうか。それともフォトン・ベルトの影響? SARSなどのおかしな病気も現れるようになりました。まさに預言された通りのことが起こり始めているような気がします。
東京はどうしても
 東京はどうしても火の海になる?  [TOP]

 エドはどうしても火の海ぞ。それより外やり方ないと神々様申して居られるぞ。
 神は気もない時から知らしておくから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろうがな。米ばかりでないぞ。何もかも、人間もなくなるところまで行かねばならんのぞ。人間ばかりでないぞ、神々様さえ今度は無くなる方あるぞ。人間というものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ。
 日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな。(中略)
 世界中一度に唸る時が近づいて来たぞよ。

 「エド」は「江戸(東京)」の事でしょうか。「火の海」というと関東大震災が頭に浮かびます。最近、首都圏での地震の発生が噂に上るようになっていますので、なおさら不気味です。英国では10年ほど前に『東京大地震』という本が出されています(日本でも翻訳され出版されました)。東京は日本の政治・経済の中枢ですから、ここが地震に直撃されると世界経済にも大きな影響が及びます。そのため、世界の証券や金融の関係者の関心が集まっているのです。一説では、世界一の債権国家・日本の国債がボツワナ共和国並みの低い格付けになっているのは、日本が間もなく首都圏を中心とした地震によって壊滅的な被害を受けることが予測されているためであるとも言われています。
 首都圏の崩壊は、日本の経済のみならず国家機能の崩壊にもつながりかねず、治安の乱れ、テロによる混乱などが連鎖的に起こる可能性を秘めています。
 「一握りの米に泣くことある」という言葉が妙にひっかかるのですが‥‥。

 空に変わりたこと現れたなれば、地に変わりたことあると心得よ。いよいよとなりて来ているのざぞ。天の異変気つけてくれよ。神くどう気つけておくぞ。神世近づいたぞ。

 空に変わったことが現れると言っています。それは太陽系十番目の星のことかもしれません。ノストラダムスの予言と合わせると、終末には空に光の尾を引く彗星が現れるということでしょう。それが「天の異変」なのです。
 そして、天に異変が現れると、「神世」すなわちミロクの世が近づいたということなのです。いよいよ「暗黒の3日間」のスタートです。
人は四つん這いに
 人は四つん這いになって這い回る  [TOP]

 四つん這いになりて這い回らなならんことになるのざぞ。のたうち回らなならんのざぞ。土にもぐらなならんのざぞ。水くぐらなならんのざぞ。人間可哀想なれど、こうせねば鍛えられんのざぞ。この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通してくれよ。
 おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。人間は近欲で疑い深いから、何も分からんから疑う者もあるなれど、この神示一分一厘違わんのざぞ。世界均(なら)すのざぞ。神の世にするのざぞ。善一筋にするのざぞ。誰彼の分け隔てないのざぞ。
 海のつなみ気をつけてくれ。前に知らしてやるぞ。

 月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ。空は血の色となるぞ。流れも血ぢゃ。人民四つん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ。天地まぜまぜとなるのぞ。ひっくり返るのぞ。
 神世の秘密と知らしてあるが、いよいよとなりたら地震雷ばかりではないぞ。人間アフンとして、これは何としたことぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ。四つん這いになりて着るものもなく、獣となりて這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かれて来るぞ。獣は獣の性来いよいよ出すのぞ。(中略)
 いざというときには神が知らして、一時は天界に釣り上げる人間もあるのぞ。人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来んぞ。くどう気つけておくぞ。何よりも改心が第一ぞ。

 「暗黒の3日間」の様相が詳しく述べられています。「天地まぜまぜになる」というのは、この三次元世界(地)と四次元以上の世界(天)が合わさって一つになるということです。「半霊半物質」の世界ができることを言っています。
 人類もハッキリ二種類に分けられるようです。獣はより獣らしく、ますます粗い波長になるのでしょう。獣の性来とは、獲物を襲う時の肉食獣を想像してください。牙をむき、よだれを流す姿です。人がそういう一面をむき出しにするということです。これこそ地獄でしょう。「何よりも改心が第一ぞ」とくどいほど述べられているのは神の優しさです。私たちも「自分には関係ないこと」と高をくくったりせずに、「改心」すなわち「心の調律」「波動の修正」にぜひとも真剣に取り組まなければいけないと思います。
終末における日本
 終末における日本の国の役割  [TOP]

 日本の国は一度つぶれたようになるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお陰を落とさぬよう、シッカリと神の申すこと腹に入れておいてくれよ。日本の国は世界の雛型であるぞ。(中略)
 日本は真ん中の国であるぞ。日本精神は真ん中精神、末代動かぬ精神であるぞ。三千世界の大掃除であるから、掃除するには掃除する道具もいるぞ。人間もいるぞ。今の有様では、いつまでたっても掃除は出来ん。ますます汚れるばかりぢゃ。一刻も早く日本を足場として最後の大掃除を始めてくだされよ。神が致すのでは人間が可哀想なから、くどう申しているのぞ。

 日本は終末の時代に、世界の中でも大変重要な意味と役割をもっているということです。このことはインディアンのホピ族の預言にも述べられています。日本は世界の雛型なのです。地形もそうですし、そこで起こる出来事もそうなのです。いわば霊界地球と物質地球をつなぐパイプであると言えます。霊界で起こったことはまず日本に移写され、それが世界に起こっていくのです。逆に日本がしっかりすれば世界もしっかりしてくるということです。
 そのことを知り尽くしているサタンが、日本という国を破壊することによってミロクの世の実現を阻止するために、今もあの手この手を使って攻撃を仕掛けているということです。もちろん、そのことに対しては「神一厘のシナリオ」が準備されているということですが、大事なのは今の日本に生まれてきた私たち一人ひとりの心の持ち方なのです。
 日本人一人ひとりがまず自分自身の心の大掃除を始めることによって、地球の次元アップとミロクの世の出現がスムーズに行なわれるということです。もちろん、それが不十分であれば、神の力で強制的に大掃除がなされるわけですが、そうなると多くの魂が救われない側に行ってしまいますので、それでは「人間が可哀想」とおっしゃってるわけです。
2012年から
 2012年からミロクの世がスタートする  [TOP]

 新しき御代のはじめの たつの年 あれ出でましぬ かくれいし神

 2012年は日本の暦では辰年となっています。「新しき御代」すなわちミロクの世のスタートは辰年ということです。やはり2012年という年が立て替え・立て直しの年ということになりそうです。
終末現象の中で
 終末現象の中で必ず起こる2つのシナリオ  [TOP]

 終末には人類も二極分化をしていくことになっていますが、その人類を待ちかまえるシナリオも「神のシナリオ」と「サタンのシナリオ」の2つが準備されています。さて、私たちはそのどちらを経験することになるのでしょうか。まずは、神の視点から見た終末の姿について述べられている、次の新約聖書の一文にお目通しください。

 すると弟子たちは、みもとにきて言った。「畑の毒麦の譬えを説明してください」。イエスは答えて言われた。
「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。良い種というのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終わりのことで、刈る者は御使いたちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのとおりになるであろう。人の子はその使いたちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行なう者とを、ことごとく御国からとり集めて、炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」。(マタイによる福音書)
救世主が雲の上
 救世主が雲の上に引き上げて助けてくれる?  [TOP]

 聖書の中には、「終末には人の子(救世主)が雲に乗ってやってきて、選ばれた人たちを救済する」というニュアンスのことが書かれています。この「救済」のことを英語ではRapture と書き、「空中携挙」と訳されています。動詞の「rapt」には「運び去られる」「奪い去られる」という意味がありますから、「神によって運び去られる」という意味でしょう。ただし、「空中」という意味は含まれていません。
 ヨハネの黙示録では、救世主が雲の上から「ここに上がってきなさい」といってますので、「空に引き上げてくれる」というふうに解釈されたのだと思います。しかしながら、これは霊能者であるヨハネが霊視した霊界次元での話であって、この物質世界で雲の上に引き上げることを意味しているのではないと思います。
 ただ、宇宙人と名乗る存在からの通信を受けて、「終末には宇宙人がUFOでやってきて、人を空中に引き上げて助けてくれる」という解釈をしている人は結構多いようです。
 私はこの説には少し疑問を持っています。もしそのような親切な宇宙人がいるのであれば、何も終末のどさくさまで待たずに、早めに来て救済してくれればすむ話だと思うのです。どうも現人類と同レベルの発想しかできない宇宙存在のような感じです。聖母預言同様、あまりにも人間くさいこのたぐいの話は信じない方がいいと思っています。
 私は、ラプチャーに関しては全く独自に別の見解を持っています。次の聖書の一文を読んでみてください。

 その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱船に入る日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
 そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。だから眼をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 (マタイによる福音書)

 どこにも雲に乗ったキリストやUFOは出てきませんし、空に引き上げられるという表現はないのです。素直に読むと、突然消えてしまうという感じです。確かに、日月神示には「一時は天に引き上げる」という表現があります。しかし、「天」というのは「空の上」ということでなく、「霊界(神界)」のことを言うのです。つまり、これは神次元からの表現であって、人間側には「引き上げる手」は見えないのです。
 私はこれは俗に言う「神隠し」現象だと考えています。つまり、波動を高めた人に神が懸かって、肉体のまま天すなわち神次元の世界へ連れて行かれるということです。チベットやネパールの聖者が、修行によって自由に霊界とこの物質世界を行き来できるようになる話をいたしましたが、それが普通の人にもなされるということです。
肉体のまま
 肉体のまま霊界に行くことができる  [TOP]

 仏教にも「即身成仏」という言葉があります。我が国の仏教に関係する人たちは「生きたまま悟りを開いて仏になる」という訳のわからない解釈をしていますが、本来の意味は「波動を高めて、肉体を持ったまま霊界に行き来するようになる」ことを言っていると思います。悟りを開くという、心に関係するテーマなのに、なぜ食べる物までコントロールする必要があるのでしょうか。波動の粗い肉や魚を避けた精進料理をとり、マントラ(お経)を唱え、瞑想などを行なうのは、肉体の波動を精妙にして、肉体のまま(即身)神霊界に行く(成仏する)ための修行としか考えられません。
 我が国でも、役行者(えんのぎょうじゃ)が厳しい修行の末にそれを成し遂げたと言われています。
 
 本来ならそのような厳しい修行が必要なのですが、終末には神の特別措置によって、普通の人でも神の手助けを受けて神霊界に引き上げてもらえるということです。もちろん、その時点で神が懸かれるほどに、一定のレベルまで波動を高めておくことが条件になります。つまり、「光の子」になっておくことが必要なのです。
 イエスが「眼をさましていなさい」というのはそのことを言っています。警告とでもいうべきこの言葉は、聖書の中にたびたび出てきます。波動を高めておくことが、それだけ重要なことなのです。
 また、日月神示に、「どこにいても助ける臣民は助ける」「原爆でもびくともしない体になっておけ」といった表現があるのは、光の子は終末の大天変地異や核戦争の中でも、波動の高い別次元に移動させてもらえるからなのです。
 いずれにしても、聖書と日月神示に全く同じ内容が述べられていることに注目しておきたいと思います。地球が暗黒の3日間を迎える前に、波動を高めた人は既に別次元に移されていますので、カタストロフィーを経験することはないということでしょう。日月神示の神様が「身魂を磨け」としつこく言われるのは、そのためなのです。
 人によっては、大天変地異を経験することによってカルマの清算を終了する人もいるでしょう。そういう人は、一度死んだ後で、神様がつまみ上げてくださるというわけです。 このように、残っているカルマの程度によって、「携挙」の方法も時期も異なってくるのだと思います。
 そういう意味でも、今のうちに本当に真剣になって「身魂磨き(カルマの清算=波動の修正)」をしないと、土壇場になって後悔しても遅いということになりそうです。
国民が背番号で
 国民が背番号で管理されるようになる?  [TOP]

 もう一つは、背筋も凍る恐怖のシナリオです。
 今後、地球の異常気象は年々深刻化する一方だと思われますので、干ばつなどによってアメリカやヨーロッパの穀倉地帯が大きな被害を受ける事態も十分予想されます。その結果、世界的に深刻な食糧危機が発生し、食糧をめぐっての国と国との争いも起こることでしょう。
 現在世界の穀物はほぼ独占的に穀物メジャーと呼ばれる巨大アグリビジネスが支配しています。アメリカに本拠地を置く10社程度の多国籍食糧商社で、カーギル、コンチネンタルなどが知られています。大豆、小麦、トウモロコシなど世界の農作物の70パーセントは、この一握りの企業に牛耳られているのです。その支配力は一国の食糧政策をも左右するほどです。この穀物メジャーを支配しているのが陰の世界政府と呼ばれる組織なのです。意図すれば、世界の食糧危機などいとも簡単に演出できる力を持っています。
 もし、世界的な食糧危機になれば、国の内部においては、国民の間で食料を奪い合う事態が発生することも予測されます。そういう事態を迎えたとき、各国の政府はどのような手段をとるでしょうか。間違いなく実施されるのは配給制度の導入ということです。すべての国民に食料を行き渡らせるためには、特定の人や企業が権力や財力によって食料を買い占めたり、売り惜しみをしたりすることを避けるために、必ず配給制が実施されるはずです。
 そのときに必要となるのは国民一人ひとりをコンピューターでしっかり把握し、管理することです。どの人、どの家庭にどれだけの食料が配給されたかがつかめないと、ある人には重複して支給され、ある人には全く支給されないという事態が起こるからです。
 この間、導入された住民基本台帳ネットワークが、そのとき大きな効果を発揮することでしょう。ひょっとしたら、将来起こる事態を想定して、この制度の導入が急がれたのかもしれません。こうなるとジョージ・オーウェルの小説『1984年』の内容が現実化することになります。恐ろしい管理社会が実現することでしょう。
 実は新約聖書のヨハネの黙示録には、そのことを予言するような内容がきっちり書かれているのです。しかも、世界中のすべての商品に着けられているバーコードに隠された「666」という数字までも登場して、なんとなく不気味さを漂わせています。

 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。
 この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
 ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。
 (ヨハネの黙示録・第13章)

 この預言の意味するところは未だにわかりません。いろいろな解釈がありますが、鍵を握っているのは「666」という数字の解釈です。これをある危険人物の誕生日に関係する数字だと見る人もいますが、その説明を読んでも「?」と思わざるを得ません。
 それ以外でもっともらしいのが「バーコードに隠された数字だ」という説です。世界中のすべての商品にはバーコードがつけられています。その中に数字としては表記されていませんが、先頭と中央、末尾に少し長い二本線が引かれています。この二本線が「6」なのです。バーコードにはなぜか「6」の数字が3つ隠されているのです。その理由はわかっていません。わかっていることは、世界を陰から支配している勢力が、この「666」という数字を好んでいるということです。陰の世界政府を構成していると思われるロスチャイルドやロックフェラーのビルの入口にも、この数字が掲げられていると言われています。ちょっと気味の悪い話ですね。
世界の警察
 世界の警察アメリカが、まず管理国家となる  [TOP]

 2001年9月11日のニューヨークのテロ事件以降、アメリカ社会では個人を監視するシステムが一段と強化されたといわれています。あの事件以来、アメリカ国内に1300万件もの防犯カメラが設置されたというのです。しかも、アメリカだけでなく、イギリスをはじめヨーロッパ各国においても、同じような精巧な防犯カメラが設置されるようになっているそうです。あの事件のために、もはやプライバシーの侵害などと言って反対することはできなくなっているのです。(『エノク』2003年9月号/宇野正美・著)
 飛行機が高いビルの上層階に衝突したのに、下層部分までが熱によって溶けることはありませんので、あの事件は不思議なことばかりなのです。端的に言えば、アメリカを操る陰の組織が、ある目的のために仕組んだ事件だと言われているのです。ペンタゴンに突っ込んだといわれる飛行機の残骸は全く発見されておらず、また飛行機を目撃した人もいないと言われています。報道された写真にも、飛行機の残骸は全く写っていないのです。しかし、そのことをアメリカで指摘することはタブーなのです。(『9.11陰謀は魔法のように世界を変えた』ジョン・コールマン博士・著/戌甲書房)
 もともと、アメリカの街角や主だった公共施設には、犯罪を予防するという理由で以前から監視カメラが至るところに設置されていたのです。最近はデジタル映像技術が進んだことによって、かなり精密な写真を大量に記憶することができるようになっていますので、カメラに写った人は顔や名札に至るまではっきりと確認できるそうです。
 ところが最近では、わが国でも監視カメラの設置が急ピッチで進められているのです。長崎の幼児殺害事件の犯人が、その監視カメラによって割り出されたのは記憶に新しいところです。まさに、わが国でも国民を監視するシステムが着々と整備されているということです。ここまできてしまっては、私たちはこのシステムが悪用されないことを祈るしかありません。
 インディアンに伝わる「ホピの予言」に、つぎのように予言が述べられています。

 白人は、世界中の先住民や、先住民にかぎらず、すべての人々の生活や精神を破壊しようという悪しき企みのもとに、この文明を創りました。そして、その文明が崩壊していくのは直前に迫りました。私たちのいのち、未来が危険にさらされています。
 ですから、今、ひとりひとりが何ができるのか、何をしたらよいのかを考え、行動していくことを迫られています。こんにちは、まだ大丈夫といえるかもしれません。しかし、近い将来にやってく変化は、想像を越えるほど困難なものとなるでしょう。
 例えば、戒厳令のようなものが世界中のいたるところで敷かれ、外から押しつけられる法律などに従わなければ殺されたり、追放される時代がやってくると、預言には伝えられています。カリフォルニア地震のような多くの天変地異が起こり、世界の仕組みが急速に変わり、多くの人命が失われていくでしょう。
(『ホピ的感覚』小原田泰久・著/KKベストセラーズ)

 「戒厳令のようなものが、世界中で敷かれる」と予言されています。そして、「法律に従わなければ殺されたり、追放される時代がやってくる」というのです。大終末までに多くの人が体験する恐ろしい近未来の姿だということができます。平和ボケしたと揶揄される多くの日本人には、よその国の話としか思えないでしょうが、これは予言と言うより、確実性の高い予測と言ってもいいでしょう。今日の地球環境の状態や、各国の政治体制の混迷ぶり、人口爆発などを冷静に眺めれば、既にカウントダウンが始まっていると言っても過言ではありません。
 いま、世界最強の国家と言われるアメリカでは、大統領の非常事態宣言によって、すべての法律を度外視して国民を統制下におく法律が施行されています。また、アメリカの各州では、なぜか急ピッチで刑務所の建設がなされているようです。犯罪が多発しているから、というのがその理由でしょうが、それにしても異常な数だと言われています。
 アメリカのアシュクロフト司法長官は、今年の6月5日、米下院司法委員会において、「もし議会が第二国者法を通過させるならば、2千万人以上の非国的アメリカ人が投獄されることになるだろう」と語ったそうです。この第二国者法がどういうものかについても、出版物から情報を得てはいますが、紹介するのは控えておきます。
 要するに、アメリカを支配する勢力は、迫り来る「何か」に備えての準備を整えつつあるということです。
 それと同じようなことが、わが国でも「国民を守るため」という名目で準備されることのないことを願いたいものですが‥‥。日月神示に、これに関係ありそうな予言がありますのでご紹介しておきます。

 人の上の人、みな臭い飯食うこと出来るから、今から知らして置くから気をつけてくれよ。(日月神示)
「神の国」とはどういう世界
 「神の国」とはどういう世界なのか  [TOP]

 ちょっと薄気味悪い話題になりましたので、ここで夢のある話に切り替えたいと思います。終末の後に現れる新しい地球はどういう姿になるのかということについて――。

 新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所。(日月神示)

 地上界に山や川があるから霊界に山や川があるのでない。霊界の山川がマコトぞ。地上はそのマコトの写しであり、コトであるぞ。マが霊界じゃ。地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としている。互いに入りかわって交わっているのぞ。このこと判れば、来るべき世界が、半霊半物質、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん。大元の道にかえり、歩まねばならん。今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。(日月神示)

 三次元の物質波動の世界から、四次元以上の霊的波動の世界になるということです。そこには物質界の元となっている本当の山や川もあるのです。私たちの魂はもともとその世界にも行き来している(眠ったとき)のですが、新しい時代になると、そちらの世界に移っていくということです。ただ、この半霊半物質の世界にいるのは千年の間だけということで、その後はいよいよ本格的な神の国に移るようです。
 聖書にも日月神示にもそのことが述べられていますが、千年後のことですし、私たちが半霊半物質のミロクの世にいけるという保証もまだありませんので、これ以上のことは触れずにおきます。

 新しき世は神なき世なりけり。人神となる世にてありけり。(日月神示)

 今度世変わりたら、臣民この世の神となるのざぞ。(日月神示)

 私もまだ神になった経験がありませんので、この神示の解説はできません。なんとなく雰囲気でご理解ください。

 神の国と申すものは光の国、喜びの世であるぞ。(日月神示)

 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。
 (マタイによる福音書)

 ミロクの世は、何もかもが透き通って、ピカピカ光って見えると言います。影のない国、喜びあふれる国になるようです。そういう国で、私たちは与え合い、学び合い、楽しみながら、新しい進化のスタイルを身につけていくのだと思います。

 文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ。
 (日月神示)

 金のいらぬ楽の世になるぞ。(日月神示)

 現文明はなくなってしまうのではないということです。「カス」がどの部分なのかは判りませんが、お金が要らないということですから、銀行や証券会社、消費者金融などはなくなってしまうのかも知れませんね。

 最後に、これから2012年までの患難の時代を意味する神示をご紹介して、「預言編」を閉じたいと思います。
2003年から
 2003年からがいよいよ正念場  [TOP]

 子(ね)の歳真ん中にして前後十年が正念場。世の立替は水と火とざぞ。
 (日月神示)

 これからやってくる最初の子の歳は2008年です。その年を真ん中にして前後10年。つまり、前に5年、後に5年ということです。2003年から2012年ということになります。
 「世の立て替えは水と火」となっています。台風や大洪水、そして地震や自然発火などによる火災、あるいは人工的な施設の爆発による火災など、水と火による洗礼を受けるということです。すでにその通りのことが世界各地で起こりつつあります。地球の次元アップに向けて、いよいよ正念場です。
お知らせ

★ なわ・ふみひとからのお知らせ ★2003年9月7日

  「預言編」はこれで完成ということにいたします。次の「奥義編」にも必要な預言(予言)は少し引用することになると思います。この間の執筆中に、私自身が終末に備えるための心構えについていろいろと気づきを受信いたしました。従いまして、「預言編」「奥義編」の内容につきましては、かなり自信がもてています。どうぞじっくりお目通しください。ちなみにこの「預言編」の入力中は、スーパーマンの飲み物も一切口にせず、ひたすら集中して書き上げたことを、ご報告しておきます。(*^o^*)

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「日月神示」子年の大峠は2020年?どうなるフォトン、中矢、なわ説
http://www.asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/431.html
投稿者 ポーラースター 日時 2006 年 3 月 16 日 14:48:04: soB0urzU/M6hg

2012年ミロク世説
1999年ノストラダムスの大予言が外れてから、様々な予言が飛び交う昨今だが、近年
のトレンドは2012年ミロク世説だ。渡邊延郎などのフォトンベルト説によると、マヤ
暦が終わる2012年12月22日までに大峠が来る。全人類の9割が死滅し、時間のない全く
新しい世が到来するという。
宇宙の法則研究会
http://net-g.com/photon/reset11.html

一方、フォトンベルトの存在そのものを疑う、ニセ科学と見る意見も少なくない。
ある技術士のブログ
http://blog.livedoor.jp/chemconsulting/archives/27973565.html

「日月神示」に「子の歳真中にして前後十年が正念場」(磐戸の巻第十六帖)という
記述がある。中矢伸一の今出ている単行本によれば、予言の子年は2008年、その前5年
後5年の計10年という解釈だ。同神示に基き2012年の辰年にスメ大神が現れるのでは、
という予想もしている。
1,2年前、たま出版から出てきた研究家なわふみひとは、2008年が大峠、2012年から
ミロクの世が始まると予想している。ただし、中矢の方がもっと前から2008年と主張
している。
2012年の黙示録預言編
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/apocalypse6.html#2012年から

同HPつぶや記では、たま出版の専務が「2012年までは売れる」と言うのをなわが聞き、
本の内容を信じてもらえないと落胆している。販売側は当たらないと思いながら売っ
ているわけだ。
つぶや記
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki09.html#2012年まで売れ続ける本


2026年ミロク世説
大峠の後、2012年頃からミロクの世が始まるというのが、最近の予言、予想の傾向だ。
ところが、ミロクだという生崎晶子によると、大峠の子年は2008年ではなく次の2020
年、ミロクの世は2026年だという。HPのQ12で2012年ミロク世説を否定している。
(岡山で2012年頃ミロク世と予言の霊能者は、有名な三穂先生だろうか)
生崎晶子の原光の森Q&A
http://www.k4.dion.ne.jp/~itsuki/qah.html

2012年と2026年では14年も開きがある。2008年は2年後、2012年は6年後だ。それらが
当たるか否か、あまり時を待つ必要はない。


「日月神示」は世に出ている人では解けない
渡邊、中矢、なわは日月神示系の世界では、知名度は高い方だ。なわは世に出て日は
浅いが、「2012年の黙示録」は5刷に届く好調ぶりだという。
ところで、「日月神示」には、

「此の神示は世に出ている人では解けん」(日月の巻第三十六帖)

とある。そのままの意味にとれば、世に広く知られた研究家や宗教家などに「日月神
示」の解読はできない、的を射ないということだ。では、どんな人なら解けるのか。
裏を返せば、世に出ていない人の中に解ける人が埋もれていることになる。
また、「日月神示」には一厘がわからないと神示の本当の解読はできないという内容
がある。「一厘の仕組み」がわかるという生崎は「日月神示」の意味不明部分が解け
ると主張している。
ミロクの世になると宗教がなくなると神示にあるが、生崎が「一厘の仕組み」とする
カバラ「生命の木」に基いた原光理論は宗教を亡ぼすという。人間が原光表象によっ
て神を創り出したという理論だ。
原光の森
http://www.k4.dion.ne.jp/~itsuki/genmori.html

人間が神を創ったのなら、進化論や地動説と矛盾はしない。ダーウィン、コペルニク
ス、フロイトは、世界から(キリスト教における)神を追放した3人と言われている
が、ひょっとすると4人目・・・・・。


参考文献「ひふみ神示」岡本天明著;太陽出版

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日本社会の安寧を破壊し、強権願望へと誘うのは誰か?
http://www.asyura2.com/05ban/ban4/msg/833.html
投稿者 下山事件 日時 2005 年 11 月 24 日 17:56:10: XlGOPZqQMF/ZQ

確かに、何かある。実行するに容易く、効果は絶大。児童殺害によって、日本社会を言い知れぬ不安に陥れる。隣人への疑惑を煽り、社会への信頼を破壊し、強い力に縋ろうとする風潮を蔓延させる。強権政治への誘惑。

恐怖を望む者は誰か?日本社会の崩壊で得をするのは誰か?

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獣医と暴力団 (ペットショップ 血統書) “畸形食用犬あがり”出荷…
http://www.asyura2.com/05ban/ban4/msg/825.html
投稿者 横路美菜 日時 2005 年 11 月 22 日 20:58:01: GeJ704FOp/.lE

 ↓ ↓

ペットと暴力団、横流し、獣医のモラル

 何年か前のことだったか、札幌の獣医師が暴力団関係者にディスポーザー(使い捨ての注射器)と、輸液セットの横流しをやって警察に逮捕された事件がある。ペットと暴力団、あまり結びつかないような話だが。

 暴力団関係者は、闘犬をやる。試合に出てケガをすると、必ず医者にかかる。闘犬はすごく金になるので大事にされている。何かといえば、すぐに病院に来るのだ。暴力団関係者の人は金払いはいいので、付き合うと損はない。負けた犬を「もう処分してくれ」と言って、殺処分代に30万も出したりする。付き合いが深くなると、入れ墨をいれたり、杯を下ろしてもらうとかモラルの低い獣医もなかにはいるという。

 薬の横流しは獣医のいい小遣い稼ぎになる。犬のワクチン接種など、便検査から検診までやると、高いところで2万円くらいは取る。ブリーダーや、ペット業者など100頭単位で飼っているところでは、そんな金は払えない。どうするかというと獣医に原価プラスアルファーで売ってもらう。そうすれば、1本あたり2000〜3000円くらいで済むのだ。同時に注射器も売られる。
この横流しは当然のように行われていて、暴力団関係者とまでいかなくとも、ペットショップなどとの繋がりは、どんな獣医でもないほうがおかしいという。

 ペットショップも良い犬だけを売っている訳ではない。遺伝的に間接がおかしい犬や、病気を持っている犬など売っている訳だ。そんな犬を売っておきながら、お客には犬に何かあったら、○○犬猫病院に診てもらうように勧める。そうすると、犬に対する異常を訴えても、「○○ペットショップで買いました。」と言っただけで、「問題ないです。」「飼っている時に、こうしたでしょ?それがいけなかった」とか、飼主のせいにされる。例えば、素人には、ジステンパーは見分けられない。いつ感染したのか、獣医なら、潜伏期間からみて、店にいる時に感染しているのはすぐに分かる。でも、そういう関係なので、客のせいにしてしまう。
ペットショップと獣医が結託したら、飼主だけが損をするのだ。

いい加減な血統書

 血統書とは、犬の戸籍みたいなもの。飼主にとっては、親や祖父がチャンピオン犬であったり、純血種であったりという、その血統書を自慢に持ちたがる。
だがそれもペットショップの人間ににとっては、領収書みたいなもの。持っていても意味がない。そんなありがたいものではないのだ。
血統書なんていくらでも作れるのだ。飼っている人間が、自分の都合で申請するのだから、ただ単に犬に付加価値をつけているだけなのだ。申請は、本当に書類上のことだけなので、人間の戸籍みたいに医師の出生証明書や死亡診断書など必要はない。血統書がついている犬同士から、オスが何匹、メスが何匹生まれたという報告を、血統書の番号と一緒に、JKC(注・ジャパンケンネルクラブ。日本最大の血統書認定団体)に請求する。ただそれだけのやり取りなのだ。 いわゆる「血統書」という響きは、ある種の格式をもって受け取られるが、現実はこんなもの。

 付加価値が一番高い血統書というのは、チャンピオン犬だ。有名コンテストのチャンピオン犬の小犬というのは、ブリーダー相手にしても、一般の飼い主相手にしても、高く売れるのだ。しかしそれも大量生産が出来るのだ。
例えば、あるコンテストで優勝したことのあるチャンピオン犬の小犬が、5匹生まれるとする。それを8匹くらいにして申請する。それでも血統書は下りる。そうやって手に入れた、あとの3匹分は同じくらいに生まれた同じ犬種の小犬につけて売るのだ。一般の人相手だと、一ヶ月くらいなら犬の成長なんて分からない。これで、ただの純血種がチャンピオン犬の子になる訳なのだ。信じられない話しだが、これも平然と行われている。

 また、小犬は死にやすい。5匹生まれて、死んでしまった小犬の分もそうやって、別の小犬で補充するのだ。
こうなると、犬を売っているのか、血統書を売っているのか、どっちなのか、分からなくなってくる・・・。
実際に血統書の売買さえも、一部のペットショップ同士で行われているという。
チャンピオン犬は、子供が多い。それになかなか死なない。実際は、死んでしまっても、血統書上では、1年か2年くらいは生きつづけさせ、そのチャンピオン犬の子供を作りつづけることになる。そうやって血統書さえあれば、純血種じゃない犬を純血種にもできるのだ。つまり、雑種とか、血統がはっきりしない犬に、この要領で、純血種の血統書を手に入れて、純血種の小犬として売るのだ。

 例を上げると、これは、パピヨンという小型犬の話し。
同じ親から生まれた兄弟として買った犬で、育って成犬になるにしたがって、一方の犬はパピヨンの標準的な大きさなのに、一方の犬のほうは、その3倍くらいの大きさに育っていってしまった。・・・一体、どんな血が入った小犬だったのだろうか。
それでも、バレるのは非常に稀なケースなのだ。ほとんどの人は気づかずにいる。気づいても、その犬が気に入れば、もう血統書などは必要がないのだ。
実際に売り場では、同じ小犬でも、嬌があってお客の目をひく犬にいい血統書をつけて売っている。
大きなショッピングセンターに併設されている大型のペットショップは、もともと、犬に関しては素人の客しか買わない。・・・商売相手としては、これ以上いい相手はいない。

食用犬の輸入

 儲けを考えるならば、もっとコストを下げないといけない。日本や欧米の犬というのは、高くつく。
そこでどうやってコストを下げるか、それは台湾などのブリーダーに犬を繁殖させるのだ。台湾には、技術もあって、いいブリーダーもいる。血統書さえ揃っていれば、日本の犬同士なので、台湾生まれというのも関係がない。
また、手っ取り早く儲けようとする業者は、食用犬を輸入する。
 食用犬・・・、この聞き慣れない言葉は、欧米人が嫌うアジア文化のディープな部分だ。

 韓国では今でも盛んに犬鍋を食べるし、日本でも、韓国系の店では食べることができる。東南アジアなどでは、中華料理のスープとして、主に小型犬が使われるという。そういう食肉関係と同じ犬専門のブリーダーが東南アジアのある国にはいる。
ペット用の犬を育てる環境ではなく、豚とか鶏を育てるような環境で犬を育てる訳だ。どんな犬でも食用だから、近親相姦も、血統も関係ない世界なのだ。股関節がおかしかったり、ちょっとした奇形だとか、素人にはよく見ないと分からない、ペット用の犬としては絶対に出荷できない犬がいる。それでも食用になればまったく関係ないのだ。
 
 そんな犬たちを輸入している日本のペットショップもある。ダンボール一箱いくらで日本に輸出されてくるのだ。もちろん日本上陸時の検疫で、狂犬病などの検査もある。それでも、日本で同じ犬種の1匹よりも安いのだ。これらの犬たちには、もちろん血統書はない。血統書がない犬を大量に仕入れた大手のショップだと、JKCの血統書ではなく、自社オリジナルの血統書を付けて売るのだ。これが、街のペットショップよりも、安く犬を売ることが出来るカラクリなのだ。実際に、名古屋税関などでは、台湾からの犬の輸入が近年激増している。それら輸入された犬たちが、日本のペットショップで、売られているのは確実なのに、『東南アジア生まれ』と、書かれた犬を見ることは、まったくない。

大型ペットショップの実態

 商売の方法がデタラメな大型ペットショップは、表こそきれいにして、犬も清潔にしているが、裏に入ればひどいもの。
「在庫」の犬はダンボールの中に無造作に入れられて、ほうっておかれる状態だ。
 台湾から輸入される食用犬は、船で運ばれてくる時の環境が悪く、ダンボール一箱の中にたくさん入れられてくるので、店についてからその犬たちが死ぬことは珍しくない。週に一度くらい、店の裏から犬や猫の死体が大量に運び出され処分される。死ぬのが珍しくないのは、売ってからも同じだ。大型ペットショップだと売ってから3ヶ月以内に死んでしまった場合、他の犬と交換してくれる。電気製品と同じように商品交換という発想だ。見る人が見ればわかるというが、大型ペットショップの犬たちというのは、目がトロンとしている。店で犬たちが飲む水には、ちょっと青味がかった色がついている。その青は、抗生物質が入っているためである。環境の悪さから病気が出ることも当たり前のため、とにかく薬漬けにしておくのだ。
ひどいのは、店員たちまで注射を打っていることだ。そうすれば、店員でも薬の名前や、簡単な病気の症状なども分かるようになるのだ。

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投稿者 ポーラースター 日時 2005 年 11 月 13 日 16:39:01: soB0urzU/M6hg

 「一厘の仕組み」とは、世界中を仰天させ、世界が平らになるという大本預言の究極
の秘儀だ。「一厘の仕組み」は「富士と鳴門の仕組み」で、富士山や鳴門で何らかの
神業を行うという説などある。しかし、「一厘の仕組み」が何なのか未だ謎に包まれ
ている。諸説飛び交っているので、現在活動中の人の説をまとめてみた。

アイウエオ順


A アンリU世
経歴:不明
系統:宇宙人系?
活動形態;HP インターネットの掲示板
一厘の仕組み:富士と鳴門の仕組みは、不死と成る答の仕組みのことである。
(04/04/01)
基本思想:良い宇宙人と悪い宇宙人によって地球の歴史が作られた。
詳しくは以下へ
http://myth.log.thebbs.jp/1079490591.html/


B 宇宙の法則研究会 代表・渡邊延郎
経歴:1948年生れ。宇宙の法則研究会主宰。20代の頃より、フリーランスのTVディ
レクターとして活動。ニュースステーション、ブロードキャスターなどの演出を手が
けた。
系統:ニューエイジ系
活動形態:著作「フォトン・ベルトの謎」(三五館)、「リセット」(ガイア出版)他。
講演、研究会、HP
一厘の仕組み:堕天使ルシファーが日本で光の天使ルシエルとして復活している。堕
天使ルシファー=サナートクラマ=国常立大神であり、このことが「一厘の仕組み」
である。
基本思想:太陽系全体がフォトン・ベルトに急接近し、2012年に地球に大変革が起こ
る。
詳しくは以下へ
宇宙の法則研究会 http://www.net-g.com/photon/katudou.html


C 生崎晶子
経歴:1970年名古屋市出身。96年より原光論を執筆。同年神産巣日神、翌年ユダヤの
神ヤハウェから啓示を受ける。その数年前、天河神社宮司に霊能者より格が高いとサ
ニワ、何段階もの覚醒があると預言された。岐阜県美濃地方在住。
系統:魔術系カバラ、大石凝流天津金木
活動形態:著書の執筆。「原光論1〜3」(斎会)他。
一厘の仕組み:富士(22)と鳴門(10)の仕組みは、10と22の要素から成るユダヤ密教カ
バラ「生命の木」の構造(=仕組み)に関わる知識である。
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/1074.html

これら32の要素は、1加えた33種の原光という普遍的で形而上的な根本要素に還元され
る。それらの原光の表象によって、人間が神や神話を創り出している。(所謂人格を
持った神は、人類より後に生れ、神の創造者は人間ということになる理論だ)
 「日月神示」は生崎氏のために神産巣日神が日月神を遣わせて書かれた神示で、こ
れも一厘を含む。「日月神示」は変性男子の日之出神、「龍宮神示」は変性女子の龍
宮乙姫のために予め準備された聖典。大本裏神業は両神のための準備である。
大本預言に関した主張(役割):日之出神、まことの女子、てんしさま、正神、「日月
神示」の完成者。
基本思想:モーセ、キリストに次ぐ神の3番目の契約と祝福がエリアによってもたら
される。  http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/485.html

詳しくは著作等を参照されたいが、入手は困難と思われる。
 大本教は「日月神示」を偽物と判断しているので、ニセモノを奉じる人はニセモノ
ということになる。例えば、故出口和明氏は生前「日月神示」は邪霊の仕業と公言し
ていたと言われる。古神道専門の八幡書店も日月系の本は一冊も出していない。とこ
ろが、生崎氏は王仁三郎氏が預言したまことの女子の出身地だけでなく、「本物は気
の毒なほど理解されない」という内容の預言にも合っている。96年起稿の原光論、原
光説はずっと世に受け入れられていない。
 昨年、生崎氏に関した書き込みがあった二つの個人運営掲示板がその直後に閉鎖し
ている。偶然かどうかは不明だ。
 「日月神示」には、てんしさまは3000年生き通しで、身体のまま神界に入り、また
この世に出てくるという内容がある。ところが、預言者エリアは前9世紀頃の人物で、
「旧約」には生きながらに昇天したとある。そのため、人間でなくサンダルフォンと
いう天使だと言われている。永い間、ユダヤ人はエリアは死んでいないと信じていた。


D ソラからの伝言 白木妙子(旧名シロキカヨコ)
経歴:京都府綾部市出身。主婦。元看護婦。北海道在住。60才代?
1998年6月、知県豊田市にて突然チャネリングが始まる。2001年12月にHPを立ち
上げ、チャネリングによるお知らせを中心に活動。
系統:ニューエイジ系チャネリング
活動形態:HP、掲示板への書き込み
一厘の仕組み:「紙一厘とは、(ネットのやり取りで)紙はほんの少しあれば用事
(チャネリングのお知らせ)が済むことをあらわしているのです。」(2004年7月7日
のお知らせより)
基本思想:イシカミが宇宙の創造者で、他の宗教は間違っている。
大本預言に関した主張(役割):まことの女子
詳しくは以下へ
ソラからの伝言HPより
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20040707194943


E 南風会
経緯:平成11年結成?石田勝三氏を含む10名。
系統:大本系
活動形態:著書の販売、HP
一厘の仕組み:三雲龍三神示(竜宮神示)に神一厘の仕組みが秘められていると考え
ているようだ。
詳しくは以下へ
三雲龍三神示と神一厘の仕組みHPより
http://www.tokyobbs.or.jp/mikumo/naiyou.htm


F 錦之宮 代表・辻恵子
経歴:1962年奈良県出身。5才の頃、臨死体験をし、剣山の五十連命に連れられ特異
な教育を受ける。95年大本裏神業の拠点錦之宮の辻家に来訪、辻天水氏の息子公仁氏
と結婚(*)。2001年?頃より錦之宮HPを立ち上げ、独自の活動を行う。出口王仁三
郎から霊言を受けていると主張。三重県菰野在住。
*後に離縁したと言われている
系統:大本系
活動形態:現在宗教的な団体を形成しているが、法人化の予定。HP,学研「ムー」
一厘の仕組み:富士と鳴門の仕組みは神業で、既に完了している。
「・富士と鳴門の御神業は完了しておるのに神開きと言って金集めしている阿呆がお
るでな、皆、気つけろよ
 ・此処(錦之宮)へ来て見て触れて参加せねば判らぬ仕組みじゃ。来てもいないの
に・・・」平成14年10月6日 辻恵子拝受(九十明け神示5より)

 神の顕は富士の仕組みで王仁三郎氏、幽の顕は鳴門の仕組みで辻正道氏、最終の顕
の顕は富士と鳴門の仕組みで、辻恵子氏が担っている。
 一厘の仕組みは日之出神と竜宮乙姫の二人で行う。同じ一厘の鍵を握る救世主の日
之出神は菰野富士から出現する。
「・・現れるで有ろう救世主、美濃尾張国中の菰野富士(*)、御在所仰ぎ神に誓う」
平成15年7月2日 辻恵子拝受(九十明け神示9より)
*山域は三重県鈴鹿。
基本思想:出口王仁三郎が救世主で最高者。恵子氏が最終の日の出神業の実行者。
大本預言に関した主張(役割):まことの女子、竜宮乙姫、王仁三郎氏と辻天水氏
の後継者。
詳しくは以下へ
錦之宮HP http://koko1.no-ip.com/nishikinomiya/


G ワールドメイト 代表・深見東州(旧名深見青山)
経歴:1951年兵庫県出身。同志社大学経済学部卒。武蔵野音楽大学特修科声楽専攻卒。
西オーストラリア州立エディス・コーエン大学芸術学部大学院卒、創造芸術学修士(M
A)。英国国立ウルバーハンプトン大学経営学部客員教授など。1984年に植松子女史
とともに神道団体ワールドメイトを発足。大本教、世界救世教、道院・紅卍字会(大本
教と提携していた中国発祥の新宗教)で修行を積んだと言われている。
(後半は光珠の宗教リンク集より  http://koushu.tripod.com/RL_Fset.htm
系統:大本系
活動形態:宗教法人ワールドメイト。本部は静岡町伊豆の国市、活動拠点は東京都西
荻窪の東京事務所他。HP、学研「ムー」(広告)
一厘の仕組み:一厘の仕組みは神業で、甲山、剣山、淡路、金華山、鳴門神業を行っ
たことで「鳴門の仕組み」は成就した。鳴門神業の一厘は、大祓祝詞の秘儀のことで
ある。秘め事を解き明かし、理解した上で大祓祝詞を奏上すると真の霊力が顕れる。
鳴門秘鍵は膨大な内容があり、例えば、祓戸四柱の神と天体との関係などは神霊会の
機密なので、ワールドメイトの正式資料に書かれている。
基本思想:大本3000年の神仕組みはダビデ王(前10世紀頃)を起点としている。深見
氏はダビデ王の末裔でその生まれ変わり。
大本預言に関した主張(役割):日之出神、まことの女子、出口王仁三郎の後継者(
神仕組みの最終ランナー)
詳しくは以下へ
http://www2.csc.ne.jp/~fujitonaruto/

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私が世を疑ったわけはいろいろある。さて古来より伝わる数字を公表しよう。
三菱の暴力団 あからさまな使い方。 (デリカ、ランサー、ミラージュ、パジェロ、シグマ、ギャラン)
http://www.asyura2.com/05ban/ban4/msg/728.html
投稿者 横路美菜 日時 2005 年 11 月 09 日 22:10:30: GeJ704FOp/.lE

…以下某所抄出…

 わたしはビールが好きでよく飲む。ただキリンビールだけは飲まない。キリンがいちばんうまいという人が多くいるし、また料理屋などでもキリンを置くのが店の格の高さを表すのだという説もある。だがわたしは飲まない。
 ある夏、新幹線のビュフェでビールを注文した。キリンとサントリーがあるというのでサントリーをと頼んだところ、ウエイターは 「あいすいません、冷えてるのほキリンだけで……」 という。
「冷えてなくてもサントリー」わたしがそう言うと、ウエイターばかりでなく、周りの客がみんなあきれ顔でこっちを見た。サントリーの社員とでも思ったのかも知れない。でもわたしはやたらとアワばかり出ていっこうにうまくない生暖かいビールを飲み続けた。
 なぜこんな阿呆なことをするようになったのか。話は十年前〔34年前〕にさかのぼる。一九七〇年の九月十八日、十五年戦争の火ぶたが切られた柳条溝〔湖〕事件の記念日に、東京の豊島公会堂で「満州事変からインドシナ戦争へ」と題する集会があり、その席上、三菱重工業の一株運動が提唱された。この年、すでに水俣病を告発する会が中心となり、チッソの一株運動が開始されており、十一月二十八日には大阪で開かれたチッソの株主総会には「怨」の旗がひらめいて、患者や支援グループのチッソ糾弾行動が行なわれた。
 べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)のグループも、三菱重工業を相手にこの方法を取り上げ、軍需生産反対の行動を起こそうとしたのである。
 翌七一年三月には、それまでに集まった一〇三一名の反戦株主の株券名義書換が行なわれ、五月と十一月の二回、わたしたちは三菱重工の株主総会に出席した。そして二度とも、右翼・暴力団・総会屋などから暴行を受け、総会場からたたき出された。
 三菱側は、はじめ「受けて立つ、堂々とティーチインをやろう」とか「対話総会にしたい」などと言っていたのだが、それどころの話ではなかった。
 一回目の五月三〇日、会場の日比谷公会堂に入ったあと、わたしは仲間と離れて一人だけ、どうにか一階中央のマイクのそばまで行き、発言票を差し上げて「議長」と叫んだが、たちまち一〇人ほどの暴力団に取り囲まれ、引き倒され、殴られ、発言どころではなかった。
 二度目の一一月三〇日、共立講堂での総会はもっとひどいものだった。総会屋だか暴力団だかがパイプ椅子を振り上げて投げつける、飛び蹴りをするで、わたしたち一株主側には、頭を割られて病院に運ばれた人をはじめ、四十数人の負傷者が出た。
 わたしがショックを受けたのはこの暴行だけではなかった。それは二度目の総会出席のとき、わたしたちに投げかけられたののしりのことばである。「べ平連のチョーセン野郎!」「黙れ、チョーセン!」 耳を疑るというより、むしろ、言われたわたしのほうが一瞬うろたえる感じさえしたのだった。と
 べ平連の運動が発足したのは、米軍による大規模な北ベトナム爆撃が開始された一九六五年の四月だが、六七年の佐藤首相の南ベトナム訪問と羽田デモでの山崎博昭の死、そしてエスベランチスト由比忠之進の抗議焼身自殺、米反戦脱走兵の支援、そして翌六八年一月の「エンタープライズ」入港阻止の佐世保闘争などを経る中で、運動の方向も、わたしたちの考え方も徐々に変わっていった。自分たちの生活そのものがベトナム戦争を支えている仕組に組み込まれているという認識が強まり、自分たちの生活も変えながらこの仕組みをどう変えていくかを考えなければならないというふうになってきた。
 それまでに、ベトナムに衣料品を送る募金運動などもやったが、それよりも日本から基地をなくし、日本の軍需生産をなくす運動のほうが、また、米脱走兵を国外に脱出させるよりも、米軍基地の内部に反戦の抵抗グループをつくるほうが重要だと考えるようにもなったし、さらに、国内にある被差別部落や在日朝鮮人などへの差別構造、第三世界の人民の解放闘争との連帯というような問題にも目が向いていった。三菱重工業への一株運動も、そうした背景の中で出てきた戦術であった。
 それだけに、アジア人民の血の上に育ってきた三菱が、総会を乗り切るのに雇い入れた暴力団が、そのアジア人民、しかも、日本の中でなお差別・抑圧を受けている朝鮮人民の名を、悪罵のために使うということは、ショックであったし、許せないと思った。わたしは、三菱がこのことばを使ったということを忘れまいと決めた。そして三菱製品をいっさい使わぬことにし、三菱資本のもとにあるキリンビールをその中にふくめたのである。…

…私は、このとき以来、三菱資本系列の生産したものを、私の生活の中から一掃し、以後、一切、買いもしなければ、持ってもいない。三菱電機の換気扇、クーラー、写真機のニコン、キリンビール、そして伊藤園のお茶……。もちろん、三菱の自動車など。それがなぜなのかも、以下の文にある。
 そこにもあるように、これまで、この決まりは、自分自身だけのものであって、他人には勧めなかった。だが、もう、他の人びとも、それを考えて下さったらどうだろうか。三菱が軍事生産をやめないかぎり、このようなことは、今後も必ず起こるだろうからである。

 三菱自動車の欠陥隠しが、トラックなどだけでなく、デリカ、ランサー、ミラージュ、パジェロ、シグマ、ギャランといった、コマーシャルで嫌でも耳に覚えさせられた三菱の代表的主力乗用車の各機種でも行なわれていたという報道があった。…

…ほんとうは、「戦車もつくっているような大グループ」だから、危ないのだ、ということだ。
 日本帝国主義国家の歴史にぴったりと寄り添って、ひたすら人を殺すための道具をつくり続け、発展してきた大独占企業が、国家ではない、一般民衆の生命を尊重し、人権を重視する上で、責任をとるはずはないではないか。

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http://www.asyura2.com/05ban/ban4/msg/761.html
投稿者 月の輪 日時 2005 年 11 月 14 日 12:15:32: vcsN/jwwh/f1c

友人と縁を切った0−157。
これは1996年5月26日患者発生に続き堺で大ブレイクしたもpのだ。
まず、前年に用意されたとして、1995年になるが、古来からの計算法になると、
1996÷19=105,05263 ここから、105、052で0−157
の決定打となる。
ここで、初めの105は、ノストラダムスが言う大いなる6はこの事を指す。
0−157が大発生した、1996年については、
1997÷19=105,10526と、105が2回繰り返され、52から7を連想する。
さて、阪神大震災は1995年1月17日発生。
1996÷19×1,0006127=105,117
と、1月17日を指す。
三宅島噴火(宮家だわな)2000年6月26日発生。
これは、1、0006127の6127から由来する。
ちなみに避難先は青梅=オーメンである。
インドネシア、大津波は2004年12月26日。
これは、2005÷19=105,52631
105,52631と12月26日を連想できる。
と妄想でしょうか?
でもこれは、堂々と救世主到来を予知する数字の出し方なのです。
救世主が出てきちゃ困るので、サタニスト達は、わざわざこの日を
選んで悪さするのである。
レイラインがあれば、救世主を予知する数字もあるのである。
この数式の正式名は遠慮させてくれ。
ただでさえ、ひき逃げに遭ったばかりだし、
いろいろサタニズムの資料盗まれたのでな。
ノストラダムスはこの数式を発見したんだよ。
いちゃもんつけたいだろうが、勘弁してくれ。
公表しただけでも胃が痛い。
サラさんへの贈り物です。

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「ディナール」金貨って面白いかも ・・・もう一つの(オルタナティブな)「新世界秩序」メモ
http://www.asyura2.com/05ban/ban4/msg/295.html
投稿者 宵村和臣 日時 2005 年 9 月 09 日 19:21:46: 1cqv3312Zu5sk

「マネー、マネー、お金が世界を回している」と歌ったのは映画「キャバレー」(1972)のライザ・ミネリ。まだ尻の青いガキだったがその色っぽい姐さんに惚れ込んで何度も映画館へ通ったものだ。

さて今、世界を回しているお金といえば米ドルだが、これは何の兌換価値もない紙っ切れ。ただ「信用」だけで基準通貨として流通している。だからその「信用」がぐらつけば価値が下がるのは当然だね。アフガニスタン、イラクで人殺しを続けるアメリカ合衆国への国際的な信用は低下する一方だ。これから米ドルが暴落する予感がする。


数日前の「田中宇の国際ニュース解説」の記事も「ドルの自滅」だった。それを読むといよいよ雲行きが怪しいようだ。財政赤字と経常赤字という「双子の赤字」が膨らむ一方で、戦費支出が重くのしかかる。おまけにアメリカ的ライフスタイルには自制心というのがないから、個人まで貯蓄を取り崩し、ローンで消費に走っている。年金会計も赤字でこのままでは三つ子の赤字でアメリカ発の「経済ハルマゲドン」が始まることも心配されている。

というのが世界の客観状況なんだが、小泉ポチ首相率いるこの日本は「アナタとならばどこまでも」と尻尾を振って追従していて、本当に大丈夫なのか???

アメリカさんはもう開き直っている。

■世界がドル安を必要とする理由(モルガン・スタンレー・ジャパン)

>否定的な姿勢を貫いてドル急落の不意打ちを受けるか、
>市場に先行してダウンサイドを管理するかである。
>ドルに再び注目が集まり緩やかなドル安が進むなか、
>絶望よりも希望をもつ理由は大いにあると言えるだろう。
>不安定な世界経済はこれまで以上にドル安を必要としている。

盗人猛々しいとはこのことだ。
開き直って、恐喝しているんだ。

強いドルと虚勢を張ってドル高に誘導し、日本へ米国債を売りつけて金を吸い上げたその累積額は40兆円!
これが10〜20%ドル安に振れるだけで、日本の富が4〜8兆円消えてしまう。
アメリカの金融資本はこの数年のドル高を利用して、すでに日本の株、土地、企業を十分に手に入れているからこのドル安を利用して換金すれば、濡れ手に粟の大儲け。
こりゃ合法的な詐欺だよな。
非合法とは言えない犯罪行為といった方が正しいか……。

これが基準通貨を持っている強みって言うことだろう。
賭場の胴元は、けっして損をしないようにできている。
いざとなれば「戦争」をおっぱじめて、相場を操作する権利は彼らだけが持っているのだからこれは著しく公正さを欠いている。

「力」で対抗できないアメリカ以外の世界はそれを追認するしかないのか……。
そもそも通貨というのが「怪しい」と最近感じている。

本来は通貨は交易という「目的」をスムーズに行なうための「手段」であったはずなのだが、現代の経済では通貨は「手段」ではなく「目的」になってしまい、通貨こそが経済の主役になっているのだがこれは本末転倒じゃないのだろうか?

■イラク情勢について(4)……共産主義者同盟(火花)

>マホメット(ムハンマド)が構想したのは、不労所得を出来る限り排除することによる現実の経済的不平等の現実における人間の平等化である。
>その発展として必然的に自然発生していた利子を禁止する。これは人為的社会変革であり、困難な(非自然な)社会変革である以上政治・軍事権力による独裁だけでは不十分であり、宗教形態をも必要とした。

>利潤を目的とすれば、コスト+利潤=交換価値(商品の価値)という資本主義の技法が成立する。
>ところが利子・不労所得とみなされる利潤を否定したイスラム社会においては物品の交換はその必要性に基づいて決定される。
>必要性の度合いを一律に決めるなどということは出来ないので、売り手と買い手との間にその都度交渉が行われる。同じ物品が異なる値段で売買されるのである。


このサイトは「共産主義者同盟(火花)」というバリバリの新左翼運動家のサイトなんだが、新左翼は昔からパレスティナとの連帯を主張していたから、アラブやイスラムに関しての理解については、テレビに登場するタレント評論家よりもはるかにましだ。

この「利子の禁止」と「利子の禁止による商習慣の相違」の部分はとても新鮮で、なにか可能性を感じさせるのだ。これは現在世界経済を支配している西欧のロジックと真っ向から対立するのだが、有限の系のの中での自律的、持続的な経済システムということを考える時に大きなヒントを秘めていると思う。

イスラム世界ではこのシステムが有効に機能して、大きな共同体を形成していたいう歴史的な実績もあるのだから、これは空理空論ではない。オルタナティブな「新世界秩序」を考えるための一つの選択肢ではないだろうか。

これを考えた国家元首がいる。
マレーシアのマハティール首相だ。

■イスラーム金貨「ディナール」

国際経済システム改革の挑戦

アメリカ主導の国際秩序に対する、もう一つのイスラームの挑戦が静かに進行している。それは決してテロといった暴力的な手段ではなく、イスラームの普遍的な理念と構想力によって国際経済システムを変革していこうという平和的な試みである。その第一弾が、貿易取引において金貨を使用しようという構想である。金貨の名称は「ディナール」。すでに、イランがマレーシアとの貿易決済でディナールを使用することを提案したとも報じられている。ディナール普及のための事務局をマレーシアに設置する準備も進行している。

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やっぱり信頼できる大手サイトのほうが安心ですよね
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/592.html
投稿者 宮本浩樹 ・・・ 日時 2004 年 12 月 27 日 21:59:44:mp8nmZ1mhSipA

貼ります

書評、やるよ
01?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:2004/11/09(Tue) 21:57 No.3382?

「真理とディスクール ― パレーシア講義」M・フーコー著 を読む

“制限の無い権力とは、そのまま狂気に結びついているのです。権力を行使する人間が賢い人間であるためには、だれかがパレーシアを行使して、支配者を批判し、支配者の権力と命令に制限を加える事が必要なのです。”

パレーシア:己が真実と信じる事を、恐れないで率直に述べる事。(ギリシャ語)
この概念自体が考察の対象だから、ここで定義付けすることは不適切。
便宜上、自分に不利益がある可能性があってもあえて自己の信ずるところを公に発言すること。と考えていてもいい。

制限の無い権力:現在、世界はこれによって支配されている。
人間の行動をドライブする最大の要因が欲望と恐怖であり、それが情報によってもたらされるとすれば、
欲望をマネージメントする最高のシステムである資本主義。
恐怖をマネージメントする最高のシステムであるテロリズム。
情報をマネージメントする最高のシステムであるマスメディア。
この三つのシステムが一体化した巨大で、なにものにも制限されない権力機構。
アントニオ・ネグリの言う〈帝国〉の中枢はこの権力機構であろう。
この「狂気」の権力がもたらす今日の「地獄」のような世界を「正常化」するためには「誰かが・・・支配者の権力と命令に制限を加える」必要がある事に間違いあるまい。

“お前が真実を語るなら、それがどのような結末をもたらそうと、罰せられる事は無い。罰せられるのは、不正をもたらした者であり、不正について真実を語るものではない。― パレーシア契約。”

これが本当ならいいんだが。
みんな、恐れないで、本当の事、言おうぜ!

02?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/10-15:49 No.3384

「真理とディスクール」を読む2

以下 ディオゲネス「第四講話」より

“勇敢な者が、他の勇敢な者をするのは、ごく当然の事だからである。臆病な者は勇敢な者を信頼せず、敵として憎みながら、自分のように卑しい人間は歓迎するのである。勇敢な者にとっては、真理と率直さ(パレーシア)が世界で最も心に快いものであり、臆病な者にとっては、へつらいと欺きこそがもっとも快いものなのである。臆病な者は、出会いにおいて自分を喜ばせてくれる人間の言葉に耳を傾ける。勇敢な者は、真理を大切にする人間の言葉に耳を傾けるのである。”

“人が武装しているということは、恐れているというしるしである。・・・奴隷が王になれないように、恐れている人が王になる可能性はない・・。”

“悪い王というものはありません。悪い善人がいないのと同じです。王はもっとも勇敢で、もっとも正義を尊び、もっとも人間的で、いかなる欲望にも動かされない最高の人間のことですから。”

ディオゲネスは、命がけで、王に諌言したキュニコス派の哲学者
「パレーシア契約」の限界を試し、それに挑戦するかのようなアレクサンドロスとの対話はスリル満点。

“私を殺せば良いのです、しかし私を殺すなら他には誰も、あなたに真理を語る者はいないでしょう。”

以下「法律」プラトン著より
“それはまさに神様のお仕事なのです。・・・しかし現状では、おそらく誰か大胆な人間が必要でしょう。率直に語ること(パレーシア)を何より重視し、国家と国民にとって最善と信ずるところを述べ、堕落した人々の中にあって、国制全体にかなったふさわしい事を定め、人間の最大の欲望に反対し、誰ひとり助けてくれる人がいなくても、ただひとり理性の導きのみに従うような人間がね。”

「人間の最大の欲望に反対し、・・・」
これは、生き延びたいという欲望を指して言っているのでしょう。

“自分の心をしっかりと神に結びつけておく事、それはなによりも自己を放棄して、すべての種類の自己欺瞞をなくす方法でした。これは倫理的な安定性と存在論的な安定性を確保するための方法だった。― 魂の堅固さ。”

やっぱり神様の出番なんでしょうか?
んなわけないよな。

03?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/11-14:09 No.3393

「真理とディスクール」を読む3

“わたしの〈思考の歴史〉の方法では、それまで疑問も無く受け入れられていて、「問題」とは考えられていなかった特定の経験や実践、それまではなじみのものとして「沈黙」していた経験や実践が、どのようにして急に「問題」として感じられるようになり、議論や討論を生み出し、新たな反応を引き出すかを分析します。”

“それは狂気について、犯罪について、セックスについて、自分自身について、真理について、人々がどのように不安を抱き始め、気遣いはじめるのかを。歴史的に分析する・・・”

フーコーの言う「系譜学」ですね。

〈問題構成〉について
“ある特定の時点において社会が規制しようとするのは、まさしく現実に存在するものである。”

“問題が構成されたというのは、現実の具体的な状況にたいして、一つの回答が示されたという事です。”

“特定の問題構成は、歴史的な文脈や状況の効果や帰結などではなく、特定の個人達が示した回答だということです。”

“それは一種の創造です。しかしこれが創造であるのは、特定の構造において、この種の問題構成が行われるだろうと推測することはできないという意味においてです。”

神様じゃなく、人間がやろうとすると、こんな風になります。
「正しく問われた問いは、回答そのものである。」
じゃあ、問いの正しさはなにによって保証されるのでしょうか?

「正しい」というより、適切で有効な、射程の長い〈問題構成〉
やりたいと思っています。


04?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/12-16:19 No.3416

「真理とディスクール」を読む4

”自分が語る事のできる理性的な物語(ロゴス)と、自分の生き方の間に、ある種の関係が構築されている事を示せるかどうかが重要なのです。”

“その人間の言葉(ロゴス)と生(ビオス)が調和し、ハーモニーを奏でているかどうか。”

“この新しいパレーシアの目標は・・・ある人物に、自己と他者について配慮する必要があると納得させること・・目覚めるように、これまで受け入れていたものを拒み、これまで拒んでいたものを受け入れるように求め・・・自分の生き方そのものを変えること、他者との関係を変えること、自己との関係を変えること”

「自己への配慮」
「汝、自身を知れ。」よりも「汝、自身に気を配れ。」ですね。

“ロゴスとビオスの調和” は、「言行一致」とはまるで違う意味・・・の筈です。

05?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/13-10:04 No.3445

「自己のテクノロジー」M・フーコー他

「自己のテクノロジー」フーコー
“1)生産のテクノロジーがあって、そのおかげでわれわれは物を生産したり、変形したり、あるいは取り扱ったりすることができる。

2)記号体系のテクノロジーがあって、そのおかげでわれわれは記号や意味や象徴や意味作用を使う事ができる。

3)権力のテクノロジーがあって、それは個々の人間の行為を規定して、彼らをある目的もしくは支配に、つまり主体の客体化に従わせる。

4)自己のテクノロジーがあって、そのおかげで個々の人間は自分自身の手段を用いたり他人の助けを借りたりする事によって、自分自身の身体および魂、思考、行為、存在方法に働きかける事ができるのであり、そのねらいは、幸福とか純潔とか知恵とか完全無欠とか不死とかのなんらかの状態に達するために自分自身を変える事である。

これら四つの型のテクノロジーはそれぞれがある種の型の支配に結びつくけれども、個別に機能する事はめったにない。・・・それぞれの型は・・ある様式に置ける個人の訓練並びに変容を含んでいる。”

5)革命のテクノロジーがあって、それは・・・・そのおかげでわれわれは、今あるこの社会を変える事ができる。 (宮本浩樹)

・・・できる。はずです。
やるんです!

06?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/13-17:01 No.3452

>革命のテクノロジー
に無理矢理つなげたところで、今回はとりあえず一区切り。
ご意見の有る方はレスしてくださって結構です。

07?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/17-11:18 No.3482

>>「軍事装置を動かしまた供給する人々のみが、反人間的な企てに関わっている唯一の人々なのではない。数百万の労働者が無用の財貨や仕事を(あるいは、こうしたものに対する需要を創りだすものを)生産して、度合いは種々に異なってはいるが同じく反人間的な企てに関わっている・・・」 <<

我々のこの日常の経済活動が、今ファルージャに展開している海兵隊を後方支援
してるんじゃないのか?

http://humphrey.blogtribe.org/entry-8152236a098058a0ef754ca22bf4b435.html

08?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/17-12:14 No.3483

http://humphrey.blogtribe.org/entry-c8168223808c768090657224e8c9ecae.html

益岡さん、おっしゃる通り、一言半句も違わずに同意します。
ただ、益岡さんが二人いても意味が無いと思うので、「別の視点」を探してみたいと思います。
今、この世界を別様に思い描くのです。
国民国家が国際法にのっとって、国連その他国際機関を通し、または二国間での交渉により、その利害を調整する。という近代的な世界の姿、建前は既に終っており、現在の世界は「帝国」に覆われており、国民国家は主要なプレーヤーではない。という視点です。
アントニオ・ネグリの「帝国」に多くを依存した見方なのですが。
この視点に立てば、アメリカによるイラク侵攻は「帝国」の行政権、警察権の行使であると認められます。
「帝国」の富を外部に流出させようとするフセインのような「属州総督」は反逆者として処罰されねばなりません。「属州民」どもも同罪です。

「小泉総督」が賢明なおかげで日本は平和に、「帝国」に与えられた秩序の枠組みのなかで繁栄を謳歌していられるのです。

我々は「帝国」の居留民であり、我々が対峙しているのは「帝国」そのものの力の行使なのです。

09?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/20-22:49 No.3513

>>国際赤十字、イラクでの侵害を批判
モスク襲撃に対するラフール・マハジャンのコメントで、赤十字がイラクでの侵害を批判したことが言及されていました。それについて、BBCの記事から、主要部を抜粋。

赤十字、イラクでの侵害を批判
2004年11月19日

国際赤十字委員会(ICRC)は、イラクで戦闘を行なっているすべての側について、「人間性に対する全面的軽蔑」を非難した。

イラクの本部が発表した常ならぬ批判的な声明の中で、ICRCは、紛争がイラクの人々に壊滅的な影響を与えていると述べている。

ICRCはまた、戦闘の全参加者に対し、国際人道法を遵守し、援助活動家に活動を行わせるよう求めた。

〔・・・・・・〕

ICRCは、この声明は、人道活動家マーガレット・ハッサンを捕虜にした者たちが彼女を殺したことが伝えられ、米軍が負傷した戦士を射殺した中で出されたと指摘した。

「ファルージャをはじめとする各地で戦闘が続く中、毎日、人間性の最も基本的な信条に対する全面的軽蔑のさらなる行為がニュースとして伝えられるようだ」とICRCの活動担当代表ピエール・クラエヘンブールは言う。

「他のあらゆる武力紛争と同様、この紛争も制限に従わなくてはならない。そして、それは常に尊重されなくてはならない」と彼は付け加えた。

赤十字は、発表した声明の中で怒りをほとんど隠していないと、ジュネーブのBBC特派員イモーゲン・フールクスは言う。

責任の追及

クラエヘンブールは、国際人道法の順守は、紛争のあらゆる参加者にとっての「義務であって選択的に採用したりしなかったりするものではない」と指摘している。

彼は、紛争参加者のすべての側に、紛争に積極的に参加していない者を殺すこと、拷問すること、非人間的、侮辱的、品位を傷つける扱いをすること、捕虜を取ることは、絶対的に禁止されていると語る。

関係者はどの側も、敵味方にかかわらず怪我人に十分な治療を提供しなくてはならず、民間人に食料と水、医療を提供するためにあらゆることをしなくてはならないと彼は指摘している。

「これらの規則そして国際人道法の規則のどれであれ侵害されるならば、責任者はその行為について責任を追及されなくてはならない」と彼は言う。

ICRCは、苦しんでいる何千人ものイラク人を助ける活動を援助組織が行うために、「可能なあらゆることをしなくてはならない」と呼びかけている。

「残念ながら、最近の出来事は、再び、中立・独立・公平な人道組織がイラク紛争の犠牲者を支援し守ることがいかに困難になったかを示している」。彼はこう述べる。

新たな危険の様相

ICRCは、昨年バグダード事務所が爆破されてから、イラクから国際スタッフを撤退させた。

イラク赤新月社はファルージャに援助を持ち込もうとしたが、ファルージャ入りする前に反乱勢力の攻撃から安全を確保する確認を求めた[注:これについては不明。米軍がファルージャ入りを阻止したことはこれまでニュースでも流れ現地からも情報が入っていますが]。

〔・・・・・・〕

ファルージャでは米軍は電力供給を止め、援助車列のファルージャ入りを妨害しました。民間人の無差別殺害や無抵抗の人々の射殺は言うまでもなく、これらも、国際人道法に違反する行為です。一方、マーガレット・ハッサン殺害も。

強大な軍事力を擁する米軍の無差別暴力と、それに対応して増加してきた「反米」勢力側のなりふりかまわない暴力。自国の兵士が死ぬのは国内の政治基盤を揺るがさない限りは全くOKという米国にとっては、事態がこの二項対立として描かれ出されることは、不都合ではないのでしょう。

それを考えると、国際人道法に依拠して事態を見ることは、十分ではないとはいえ、武力紛争を米国の視点から伝えがちな大手メディアの情報に対して一つの視点を提供するものです。

投稿者:益岡<<

ええ、もちろんそうです。
私も完全に同意し、益岡さんの活動に常々敬意を払っています。
私のできる事は、残り僅かな可能性、強大な敵に対抗し得るかもしれないその可能性を思いめぐらし、それを提示する事。それだけです。

10?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/20-23:59 No.3515

僕がいつも思ってるのは、
僕は、間違った時に、間違った場所で産まれた。基本的に場違いで頓珍漢な人間なんじゃないか?って事です。
それをなんとか、まっとうな方向に戻すために、この自分から見れば奇妙極まりない世界に、なんとか適応して生きるために、多大な努力を払ってきました。

狂わないで、まっとうな人間として認められ、生きる、ために。


しかし、もうやめました。

世界が狂っている時、
世界が狂った人達に支配されている時、
狂わないでいられるのは「狂人」です。

ザルカウィが居るからって、もし僕の住む街が爆撃され、僕の子供が死んだら、僕も彼の遺体を抱えて叫ぶでしょう。
「こいつがザルカウィだ! じゃなきゃなんで殺すんだ!そうだろっ!これがザルカウィだ、そうだろ、ちがうか!」

狂ってて悪いか?
狂ってないお前の方が、悪いんじゃないのか?

11?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:11/29-22:28 No.3562

「欲望の再開発」について

>>ひとつは、「財貨」の社会的生産がその規則を〈私〉を通じて欲望に押しつける道であり、いまひとつは、諸々の情動の欲望する生産がその規則を機構に押しつける道である。
P. クロソウスキー <<

前者は、資本主義的生産の現在の形態を指しています。
ニーチェの、「種々の記号を身体にじかに刻んで組織化する。」欲望を鋳型にはめて定形化する、「残酷の体系」とも通じています。

我々が自分の欲望だと思っているものも、よく考えてみれば社会的生産体制、現行の資本主義社会に無意識段階で適応させられているのではないでしょうか。
それは、実は他人の欲望なんじゃないでしょうか。

後者の「諸々の情動の欲望する生産がその規則を機構に押しつける道」
というのは、我々自身が、違った欲望を欲望する(「欲望の再開発」と私は呼んでいます。)可能性について言っているのだと思います。
自分自身の欲望を、取り戻すのです。

12?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:12/9-22:42 No.3656

「あきらめない根拠。」

“人間は絶対にあきらめてしまってはならない、なぜなら、人間は己の目的を知らないからであり、運ははっきりしない曖昧な回り道を通って働きかけるものであるのだから、人間はいかなる苦境にあっても、希望を持ち続ける理由、従ってあきらめない理由を常に持っているからである。” マキアヴェリ「政略論」

“君たちは、良きにせよ悪しきにせよ、自分に何ができるか知ってはいない。君たちは一つの身体、また一つの心が、ある出会いにおいて、ある結びつき合いにおいて、何をなし得るかをあらかじめ知りはしない。 ”
G.ドゥルーズ「スピノザ」

あきらめない根拠は、これくらいでいいでしょう。
まだ足りないって言われるかもしれませんが・・・。

13?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:12/11-00:01 No.3675

これは私の望みでもあります

>>暴力は存在の剥奪であり、絶対的にネガティブな権力の形態である。逆に、何ものかを形成する過程は存在の増大を決定付ける。<<

>>革命闘争の組織は単に利害得失に根ざすものではない。 − それは人間の変化に道を開くのだ。人間の内面世界、創造する能力、力の意志を変化させるものなのだ。<<

ニーチェの「力への意志」〜 フーコーの「バイオポリティクス」〜 ネグリの「構成的権力」という太いラインが見てとれます。

「暴力」が何ものも産み出さないのは自明の事でしょう。
「何ものかを形成」し、「存在の増大」を図る事。「人間の変化に道を開く」事。
これは私の望みでもあります。

14?名前:宮本浩樹(消滅後の残留思念)さん 投稿日:12/26-23:56 No.3786

〈帝国〉アントニオ・ネグリ著を次回から

やろうと思うのですが、資料ファイルが大きすぎるので下記を参照して下さい。

http://jp.y42.briefcase.yahoo.co.jp/bc/hfycp934/lst?.dir=/&.view=

「構成的権力」ノートも文字化けが多かったので、原本を置いておきます。

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今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/339.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12:Bat5keDwZxjsQ

こんばんは。

2004 年 11 月 12 日に
「『尿療法バイブル』 マーサ・クリスティ著 佐藤雅彦訳 論創社 ・・・は素晴らしい!」
を投稿し、このスレッドに「肉食について」とそれに関わるレスポンスを主に今は無き
『日之本研究ホームページ』から「第五章 霊主体従 1 正食 その1〜その6(除く、
その2・その3)」をグーグルのキャッシュから投稿しました。またグーグルのキャッシュ
には他のページで残っているのもありましたので、ここに勉強させてもらった感謝の
気持ちと共に記録させてもらいたいと思います。

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『日之本研究ホームページ』のリンク情報
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/401.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:30:35:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)

こんにちは。

消滅ページを探すには、WEBアーカイブってのも便利です。謝寅さんへ
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/391.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2004 年 12 月 18 日 12:18:59:KqrEdYmDwf7cM

↑からの情報で

archive.org
http://www.archive.org/

ここから

http://web.archive.org/web/20031127083021/www4.justnet.ne.jp/~hinomoto/

↑「日 之 本 研 究 ホ ー ム ペ ー ジ 」のTOPへいけます。
「▲五章〜終章へ」のリンクは切れているので

上記サイト「archive.org」に下記サイトからのリンクを使用してください。

閼伽出甕【第8版】 民間信仰
http://members.at.infoseek.co.jp/Accord/VOL8/minkan.htm

↑ここの下の方にリンクがありますのでそれを使ってください。

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「霊界雑感」と「第五章 霊主体従 1 正食 霊主体従について」へのリンク
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/393.html
投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 12:52:43:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)

「第五章 霊主体従 1 正食 霊主体従について」へのリンク

http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/306.html

あと私の未熟さで貼り付けられなかった「正食2〜3」もここに
レスしますので興味のある方はご覧になって下さい。

正食 -その2
http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/498.html

正食 -その3
http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/499.html


*霊界雑感*
 
 
 
 ここれは、全くの個人的な考えを述べるところです。今までに紹介してきた書籍の情報から、それらを総合して霊界とはこういう「感じ」であるらしい、といった極めて主観的なまとめになっています。
 
 
 
- 霊界について個人的なまとめ -
 
 
 
1各人の発達段階に応じた境域。同じ空間にありながら、或る程度の段階の境域が存在している。

 丁度TV放送の電波のように、本質的には同じものでありながら、鈍重か精妙かといった、バイブレーションの違いによって区画された境域が無数にあるらしく、丁度地上の人間が霊界の事など認識できない様に、境域が違ってくると違う界の存在は認識できないらしい。

※バイブレーションとはあいまいな表現ですが、うまく地上の言語ではなかなか説明できないらしい。
  
  
  
2死後意識されるのは、その人の発達段階に相応しいか境域になる。

 その人物の世界観というか、世の中はこうだという世界観に従った(つまり内面に抱いているものに相応しい)ものであるらしいです。従って、退廃的な世界観の人はその境域に、静寂な人はその境域に(自分に相応しい)自然と住むようになる様です。

 よく、内在の天国を建設せよとか、地上時代に内面に天国に住めないものは、死後天国に赴く道理が無い、等と書かれているのはこの為だと思われます。
 
 


 
3従って、同じ境域に存在する人は何かしら共通点や親和力がある。

 この親和力は地上時代においても同様に働くもので、霊界においても同じ境域には、同じレベルの人が住むようになり、その中でも又それぞれに内分の近い者同士が集落を作って、各自その団体の中で生活をする様です。

 つまり利己主義者の周りには、同程度の利己主義者が集まり、他的な人には同じ様に他的な人が集まって生活するようになる様です。 また地上との関係でいうと、やはり利己主義者の場合には、同じ利己的な霊が惹かれ、他的な人には同じく他的な霊が引き寄せられるという事です。
 
 
 
4恐怖心、心配や不安、焦りや取り越し苦労といった平静さを失わせる状態は、地上の人物と霊との交通を著しく困難にする

 こういった念では、守護霊と呼ばれる霊や高級霊の場合、同じ様に奉仕の思いを抱いた地上の人物に惹かれ、援護したり導いたりしたいと思っても、お互いの交通が遮断されてしまうようで、逆に信念というか、確信に満ちた時に起きる状態(静かな自信とか、落ち着きといったもの)が交通する上では非常にありがたい様です。

 また同じ様に、怒りや憤り、嫉妬、憤怒といった感情も、同じ念を抱いている霊が引き寄せされてしまうもの
である様です。
 
 
 
5総ての世界には、ある共通した要素が法則として適用されている

 例えば、潮の満ち引きとか四季の繰り返しに見られるように、物事には総て両端から両端へと、相対的なものが含まれていて、人間の成長もその通りに、順風満帆の時には物的なものに心を奪われ、困難の最中には霊的な真理を渇望し、といった循環によって次第に成長するものの様で、またこういった科学万能主義や唯物主義、霊的な啓蒙のブームや衰退といった社会現象なども、潮の満ち引きにも似た”時期”というものが存在するようです。

 また、色の要素を無限に加えていくと、究極的には白と成るように、或いは光線の要素などが無色となるように、様々な要素を満遍なく発達させた霊(高級霊)の場合、白色の光輝を備えていくものの様です。
  
 
 
6地上に誕生する人には、何かしらの足らざる要素があり、その修復の為に誕生する

 地上に人間が誕生するのには、それなりの理由があり、その人の何かしら足らざる要素を克服するために、敢えて誕生するものの様で、いわば精神的な発達状態で言うと、地上はまだまだ幼稚な段階である様です。

 つまり霊界を社会とすると地上は学校のようなもので、それなりの勉強の為に生まれてくるものである様です。従ってある段階まで成長した霊の場合だと、もはや地上に誕生することも無いのですが、地上に生まれたからには、それなりの体験を通して成長する様になっているものであるそうです。
 
 
 
7霊界の世界が実相で地上はその影に過ぎない

 実は霊によって物質が与えられているので(海外の交霊界などで、たまに霊素というか、何かの要素を使って物質化する現象が起きたりする)物質の世界というのは、単なる霊界の影に過ぎない。という事のようです。

 ちなみに、物質世界に存在しているものは、既に霊界に存在しているものであって、何かを発明する人などはそのインスピレーションの源は霊界に端を発しているようです。

 更に、古代に現代と見紛うほどの高度な発明をしたもの(古代の電池など)も、5に見られるように総て相対的、或いはらせん状に進歩・発達する法則の中で、古代にインスピレーションによって発明されたものが、再び地上で発明される時期に到達した。という事のようです。
 
 
 
8確信・信念、静かな自信、楽天主義、安心立命といったものが高級霊と交通し易い

 4と関連してくる事ですが、地上で起きる様々な困難、悩み、悲哀といったもの総てが、挑戦として受け止め、それらに対して思い煩いとか、心配を脱し守護している霊に全幅の信頼を置いて事に望んで欲しい、という事のようです。

 という事は、現代の経済社会などは、自然と心配や不安の念を常に何所かに抱いて、かつ競争を煽る傾向になり、ある意味矛盾した事になっていますが、6の地上は体験を通じて学ぶための学校である、という点を考慮すると、ある種の試金石という事になります。(安泰な世界で安心を得るのは簡単なため)

 人間は、少し自信はあるけど、少しだけ不安もある。こういった場合には空威張りをしたりします。自分を鼓舞するためか、或いは必要以上に自分の力を誇示する為かも判りません。

 しかし、自信にみなぎっているか、絶対的な確信とかある場合には、静かな自信を秘めています。例えば余りにも出来て当たり前のような些細な事は、平穏に事を処理します。

 ただし、ここまで確信・信念とか、自信に裏打ちされた安心立命を抱くほど、達観するのは容易ではありません。出口王仁三郎氏やシルバーバーチといった霊などが、幾ら語ろうとも判らないものは、判らないし、半信半疑のものは半信半疑のままです。人に言われても、自分で体感する以外には方法は無いことになります。したがって、非常に困難で時間もかかるものです。
 
 
 
9人間の生命は永遠である

 地上の人間の殆どは、短期的なものの見方しかできなく、霊界の霊は永遠という立場でものを見るという事が、大きな違いの一つであるようです。

 例えば、因果律の問題についても、必ずしも地上の生活の枠内で達成されるものでは無く、霊界に赴いてから埋め合わせがされるという事も起きるようで、どれほど奉仕の生活を続けている人でも、何の見返りも無い人も居れば、利己主義の生活を続けても、何の心配も無いような悠悠自適の生活を続ける人も居ると思われ勝ちだからです。

 人生80年という短期的な見方では、確かに不正とか不公平感はあると見えますが、喩え悲運の一生を送った人でも、それは永遠の生命という枠で考えると、瞬きの如き一瞬の出来事でもある訳です。

 逆に自分のしたいように行い、利己主義の限りを尽くして一時得をしたように見えても、それもまた一瞬の出来事でもある訳です。長く苦しい時期に差し掛かると、その時はこの状態が何時まで続くのかと、非常に長く感じても、それが過ぎ去ってしまい、後から振り返ると「あっという間の出来事だった」と感じる事が起こります。

 因果律はしかし、地上時代にすぐに適用される場合もあります。コヴィ博士の手がけたコンサルタントでも、一時的な表面でのテクニックや、その場限りの誤魔化しでは、一時的によくなっても必ず崩壊に至る、という例を数え切れないほど見てきたそうです。

 こういった哲学に関するものでも、霊的な真理と言われるものでも、生活の中に活かそうとする人は、既にものの見方が多少は長期的になっていると思います。

 これは一見すると非常に当たり前の事に終始してしまうのですが、総ての人に親切に正直に、誠意を持って当たる人と、短期的に”損得”或いは”勝ち負け”にこだわって利己主義を働く人とでは、(こだわるという事はそれだけ、感情的になったり短気を起こしたりします)短期的に見ると、前者は負けの連続、後者は勝ちの連続に見えるかも知れませんが、長期的に言ってどうなるでしょう?

 何か困った事があっても周囲の人が援助してくれる事もあり、信頼を受けるという事は、計り知れない財産を積む事に成ると思います。

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霊界雑感  -霊主体従について
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投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 12:57:18:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: 「霊界雑感」と「第五章 霊主体従 1 正食 霊主体従について」へのリンク 投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 12:52:43)

*霊主体従について*
 
 
 
 多くの霊界通信と言われるものの中には、霊界の様相について「地上をより完全にしたような世界」という表現が見受けられます。大よそどういったものなのか?という事に関しては、「霊主体従」の項が、実は概ね霊界の法則というか、生活ぶりというものを地上に当てはめてみたものなのです。

 そしてまた、霊主体従の項を見れば判るように、大抵が常識と言われている事柄と、正反対である事が多いのです。少なくとも現代の法律や仕組みといったものが、完全無欠であると思っている人はそう多くは無く、何かしらの改善の必要性を感じている人の方が多いだろうと思います。

 これはしかし、社会全体で行う以前に、個々人で行える事柄も存在します。それを「霊主体従」といった視点で見てみたいと思います。
 
 
 
*正食について*
 
 
 
 霊界では多くの場合、食事というのは採らないようで、他界してまもない霊が習慣から「食べる」という事を行っている様です。しかしこれは地上に適用する訳にはいかないので、各種の通信からの意見を纏めたいと思います。

 最初にバイブレーションという事柄になるのですが、人間にもやはり霊体というのがあって、それらが幾つかの層を成し、各人それぞれに「高位の霊体」と「低位の霊体」というのを携えているようです。

 このバイブレーションというのは、判り難いですが、現代物理学でも「物質とは何か?」という事に関しては、究極の事はよく判っていなくて、少なくとも「物質は堅いものではない」という事と「ある種の波動を持ったもの」という事が判っている程度です。

 素粒子の事は余り判りませんが、物質というのは肉体にせよ岩石にせよ、ある種の要素が集合して、それぞれ固有の波動を有する存在であるという事が、おぼろげながら判ってきたのです。

 これは非常に面白い事で、インド辺りの思想では、やはり物にはそれぞれ固有の波動があり、人間が病気になった時などは、その病気の種類によって、乱れた波動と近い波動を持つ食物を摂取することによって、病気を治すという思想があります。

 時折こうした現代物理学や科学で解明された事柄に合致したものが、古くからの言い伝えや思想に見られる事がありますが、上記もその一つと言えるかも知れません。
 
 
 
 人間には肉体の他に、精妙な媒体が具わっている。人の食べるものは、肉体とエーテル体の原子に栄養を供給する。粗雑な食物を採れば、粗雑な原子に活力を与える事になる。逆に、太陽で熟した食物、例えばフルーツ・穀物・木の実・野菜等を日常採るようにすれば、媒体の高位の原子を養うことになり、霊性進化に役立つ。粗雑な食事は、その進歩を遅らせ困難なものにする。

「ホワイトイーグルの霊訓」
 
 
 
 上記の例では、果物や穀物、野菜、木の実といったものを日常摂取する事によって、精妙なバイブレーションの霊体に栄養を与え、肉などの粗雑な波動を持つものを与えると、粗雑な霊体に栄養素を与えるという事が書かれています。

 粗雑な波動というのは、精神的に冷徹になったり、情欲が増すという事が王仁三郎氏も唱えており、丁度少し前にも(果たして本当の事か分かりませんが)某アイドルが牛肉を食べると情欲が増すという事から、肉禁止令が出されたとか何とか、という事が雑誌等に掲載された様です。

 またマクガバーン報告書にもある様に、実生活上の中でもそれを裏付けそうな事柄は、案外氾濫しています。
 
 
 
*親和力について*
 
 
 
 これは、中々目に見えない事であるので、中々難しいものですが、人間も肉体を携えた霊である以上は、自然にその思う事や言う事、行動などに則した階層の住人と、親和力で結ばれてしまうという事です。

 つまり、高尚な望みを常に抱いている人には、その思想と同じく高尚な望みを抱く霊との交通が出来て、又低俗な思想を常に抱き続ける人間は、それと同じく低俗な望みを抱く霊との交通が出来る。という事なのですが、上記の様に人の高位の霊を養う食物を日常摂取するなどのケアと、コヴィ博士の言葉を借りると、「豪華な家に住んで高級車を乗り回してセックスをしていれば幸せ」と思わせるような映画や、「は感情によってのみ突き動かされる」と思い込ませるようなドラマ、或いは「余りに勝敗に拘ったスポーツ観戦」など、日常の様々な刺激から一歩身を引いた見方をしないとならないだのと、中々難しいものの様です。
 
 
 
*霊的満足*
 
 
 
 以下、「7つの習慣」に挙げられていた悩みを一部抜粋したものです。
 
 
 
1 会社での目標をすべて達成し、企業人としては非常に成功している。しかし、私生活と家族を犠牲にしてしまった。妻や子供は他人同然だ。自分にとって何が本当に大切なのか、もう判らなくなってしまった。今までやってきた事は本当にそれだけの価値があったのだろうか、と自問している所だ。

2 私は実に忙しい。しかし最近は、自分のやっている事が長期的に見て本当に意味があるのだろうかと、疑問に思う事が多い。自分の人生を意味あるものにしたい。自分が何かの役に立っていると思えるようになりたい。

3 私の性格はかなり強引で、大抵の場合は自分の意見を押し通すことが出来る。私の案は皆にとってベストだと信じているが、本当のところ周りの人たちは同思っているのか不安になることがある。
 
 
 
 上記に共通するもの、また恐らくは日本の社会でも共通すると思えるとして、愁傷感、空しさ、或いは空虚感、何かが足りない、と言った思いがあると思います。簡単に言えば、自分の社会に対しての存在意義、価値観は何だろうか?という、漠然とした疑問や不安です。

 近年、こういった空しさを感じる、という発言が見受けられるようになりました。また何かに疲れてしまったという事で、現代は癒しというのが、一種のブームであるようです。

 自分にも同じ気持ちを抱いた事があります。一体何かは判らないけど、何がしたいのか判らないがとに角、何か漠然とした疑問を抱いていた時期があります。これは、同じ事を指しているのかは判りませんが、神諭等には「寂しくなりたら尋ねてござれ」という事が書かれてあり、また王仁三郎氏の裏の神諭にも、ある守銭奴の夫婦が、懸命に財をかき集め、晩年に至って何とも言えないもの寂しさに襲われる物語が書いてあります。

 またシルバーバーチの霊訓などにも、人間が利己主義に走ると、そこに空虚感が生まれるという意味の事柄が書いてあります。これを回避する方法というのは、奉仕であるという事です。
 簡単に言うと、誰か他人の役に立つという事です。この時に初めて内在の神性を発揮している状態にあるという事で、誰もが落とし物を拾って届けたとか、何かしらの事で人の役に立ち、感謝された時に嬉しい、小さな幸福感を味わった経験があると思います。

 物質の世界に居てさえ、この様な精神的、心理的な側面が以外にも、人の満足感・幸福感に影響を与えているのであり、霊界の住人ともなると物体が無い分、心理的・霊的満足感が、何倍もの強烈さで感じられる様です。

 つまり、いわゆる高級霊界(天国)の幸福感と、低級霊界(幽界)の苦しさ、というのはこういった事柄を指していると思われます。それが物質を視点に置いて見ると、つい物質に恵まれた豊かさを第一と考えて、今まで紹介して来たような通信にあるような、敢えて苦労して他人に奉仕するのだとか、高尚な喜びなどは到底、嬉しくも無いし詰まらない。という様に思えますが、こう考えてみると何となく、判るような気がします。

 例えば他人の役に立つという行為でも、自分がより苦心して役に立った時のほうが、それなりに満足感も高いものに成る為です。恐らくフリーソフトの作者の様に、何の実益にもならない(敢えて言えば、ソフトを開発するというスキルがアップする程度)ものを、利用者の要望に答えながら、苦心して改良を加えつづけるというような事も、皆に喜んで使ってもらえるという、内的満足度があるからこそ、行っているのだと思えます。
 
 
 
 霊は全生命の創造力であるからこそ、じっとしていることが出来ず、何所かに新しいはけ口を求め、従って満足することが無いのです。何も霊媒現象を通じて働くばかりが霊力では有りません。芸術家を通して、哲学者を通して、あるいは科学者を通しても発現することが出来ます。

 要するに貴方方自身の霊的自覚を深める行為、あなた方より恵まれない人々に何か役に立つ仕事に携わることです。看板は何であっても構いません。

「シルバーバーチの霊訓」

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日本の古代史 -その1 アマテラスとスサノオ
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投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 13:00:51:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: 霊界雑感  -霊主体従について 投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 12:57:18)

*日本の古代史 -その1*

*アマテラスとスサノオ*

 日本の正史と言われる、古事記と日本書紀(いわゆる記紀)には、姉神の天照大神は皇祖であり、また弟神の素盞嗚尊は乱暴な神として、伝えられています。神話の「天の岩戸隠れ」も、素盞嗚尊が暴れまわった為に、天照大神が岩戸にお隠れになった、という事になっています。

 しかし、日本全国には天皇の皇祖である天照大神ではなく、むしろスサノオノミコトを奉る神社がおびただしい数になっています。また岐阜県七宗町「神淵(かんぶち)神社]には別称「弥栄(やえ)天王山」と言い、須佐之男命と、十拳剣神霊が祀られていますが、この神社は天武天皇が、壬申の乱の時に祀られたと記録されています。

 また、一条天皇が天王社(牛頭天王発祥のと言われる神社)の号を贈られる200年も前に、津島神社は弘仁元年(810)正月に、嵯峨天皇が「素尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり、故に日本の総社と崇め給いしなり」と称され「日本総社」の号を奉られました。

 この号を贈られた時期は、記紀はとっくに完成し、暴虐な神スサノオの事と、皇祖である天照大神の事も、天皇であれば当然知っていたはずだと思うのですが、このように何かが不自然なのです。

 また、天照大神の別称は、「大日靈貴(おおひるめむち)尊」(注:実際は靈の字の下は女という字)とも呼ばれていて、東北地方に圧倒的に多いようです(秋田・宮城の大日靈神社等)

 しかし大日靈という字は、霊女(巫女)の意味で用いられた様で、宮崎県高千穂市の祖母嶽神社は「大日霊女貴命」、島根県の志々乃神社は「大日霊女命」と記されているそうです。

 また正式な名は「撞賢木厳御魂天疎向津比売(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)命」と呼ぶそうです。(鹿児島県財部町の日光神社、福島県保原町の神宮宮他、多数)

 これは一見して、出口直女史の系統、「厳霊」を彷彿とさせます。また、王仁三郎氏の神示の中にも、同じような名の神霊が出てきます。
 
 
 
●天之御中主(あめのみなかぬし)大神の御精霊体の完備せるを、天照皇大神、または撞賢木厳御魂天疎向津媛之神言と称し奉る。これ撞(つき)の大神なり。ツキとは無限絶対、無始無終、過去、現在、未来一貫、至大無外、至小無内の意なり。

-『神霊界』大正7年2月号(太古の神の因縁)より-
 
 
 
 なお、撞(つき)とは、月界守護の月の大神様の言ではない、という事です。
 
 
 
*ニギハヤヒ命の不思議*
 
 
 
 一方、ニギハヤヒ(饒速日)命の場合、「天照国照彦火明命」「天照国照彦天火櫛玉饒速日命」という尾張氏の祖神という伝承が残っています。(知県一宮市:真清田神社、同北条市国津比古命神社、福岡県鞍手群宮田町:天照[てんしょう]神社など)むしろ、アマテラス大神よりも、ニギハヤヒ命の方に、「天照」が冠されているのです。

 記紀の方では、天火明命(ニギハヤヒ命の簡略)は、天照大神の長男(天忍穂耳[あめのしほみみ]尊)の子供、という事になっています。ところが、通常では親子、主従、夫婦など、共に祀ってある場合が殆どですが、天忍穂耳と天火明命親子の祀ってある神社は殆ど存在しません。天忍穂耳の本宮といえる、福岡県英彦山神宮にすら、祀られていないのです。

 これまでの伝承では、アマテラス大神(スサノオの姉神)よりも、むしろニギハヤヒ命の方が、アマテラスの様な感じを受けます。更に、久留米市大石町の伊勢天照御祖(いせあまてらすすみおや)神社の祭神は「天火明命」であり、京都府宮津市の籠(この)神社の主祭神は、彦火明命で、相殿が天照大神・豊受大神です。

 天火明命とは、天照国照彦天火櫛玉饒速日(あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひ)命の、短縮したものと目されていますから、伊勢の天照皇大神の祖先の祭神は実はニギハヤヒ命だったということになります。

 こうしてみると、自分は大本の罪状がどうも引っかかるのです。もちろん、警察報道のプロパガンダの可能性も十分あります。しかし、何故現在の皇族の祖先が、ユダヤから来たのが判るのか、知りませんが、もしも、大本の罪状が本当の事であれば、紛れも無く不敬罪に当たります。

 ただ、日月神示にも、天の岩戸隠れ神話に触れている部分があります。
 
 
 
●(前略)次の岩戸閉めは天照大神のときぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ。ダマシタ岩戸からはダマシタ神がおでましぞと知らしてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近こうなって来たぞ。

-『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
 上記のなかでは、記紀神話にある天照大神の岩戸開きの神話は、実は偽の神が出現したので、本当の天照大神、天照皇大神、日の大神が、これから出現して来る、と取れます。 もしかすれば、伊都能売神諭に出て来る、王仁三郎氏に懸かっていた神「天照日子命」は、天照国照彦火明命あるいは、日の出の神ではないかという気がします。

 それというのも、神諭中には「日之出の神は変性女史に引き添ふて」という個所も有り、また「竜宮の乙姫と引き添って」という表現も幾つか見受けられます。
 
竜宮の乙姫、とは王仁三郎氏の奥さんの澄(大本二代教祖、直子氏の末っ子)氏の事だと言われていますから、王仁三郎氏と夫婦で活動するという意味とも考えられます。

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Re: 日本の古代史 -その2 オオトシとイカズチとワケイカズチ神 日之出の神の謎
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/396.html
投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 13:04:29:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: 日本の古代史 -その1 アマテラスとスサノオ 投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 13:00:51)

*日本の古代史 -その2*

*オオトシとイカズチとワケイカズチ神*
 
 
 
 京都の大原野灰方町にある大歳神社の記録では、当然祭神は大歳神ですが、その由来記には「代々石棺や石才を造っていた古代豪族の石作連(やざこむらじ)が祖神を祀った」とされ、「石作連は火明命の子孫で、火明命は石作連の祖神という」と書かれてある様です。

 ちなみに、石作連については、岐阜県岐南町の石作神社に「石作連は尾張氏と同祖で、天火明命の末裔である」と書かれてある様です。

 前述した、京都の大歳神社で、火明命の伝承が伝わっているわけですが、神社の名前の通りに、大歳神を祀る社です。大歳神の由来に関しては、同じく京都の八坂神社に祀られている、八人の子供の内の一人に、大年神が存在します。

 また、島根県には、大歳を祀る神社が多数存在しますが、そのなかの飯石群三刀屋町にも、大歳神社が存在し、『神国島根/島根神社庁』に「須佐之男の命出雲に於いて大歳を産み給い・・・」という記述がある事からも、大歳神=スサノオノミコトの子供だと、考えられます。

 一方、イカズチ神は福岡県那珂町の高電(注:実際には下の竜の字は龍)神を祀る八龍神社が別名「八雷神社」とも呼ばれ、名古屋市緑区鳴海町の雷神社が別名「須佐之男社」或いは「天王社」とも言われている事からも、イカズチ神=スサノオ命とも考えられます。

 通常、頭に別けが付けば、分霊、或いは分身、という意味で、子供と言う意味で付けられる事があるようですが、別雷(ワケイカズチ)神は、イカズチ神の分身、或いは子供とも考えられます。

 確かに、イカズチ神の本社は、京都の賀茂別雷神社である様です。

 このワケイカズチ神は、兵庫県の御津町の加茂神社では、主祭神は京都の賀茂別雷神社と同じく賀茂別雷神で、共に祀られているのが「建速須佐之男命」です。

 更に、静岡県七間町の別雷神社の記録では、「応神天皇四年の創建。古くは大歳御祖皇大神を祀り、その後大宝三年、この地に発祥した安部の市の守護神となった。明治一七年郷社に列し、同三九年別雷神社と改称」と書かれてある様です。

 これらの伝承からみると、スサノオ命の子供=ニギハヤヒ=オオトシ神という事になるのですが、更に静岡県七間町の別雷神社の伝承では、オオトシ神=大歳御祖皇大神(おおとしみおやすめおおかみ)という事になり、皇大神の名を冠されているのです。ここでもニギハヤヒ=皇祖、つまり記紀でいう天皇の皇祖、天照大神という事になってしまうのです。
 
 
 
*日之出の神の謎*
 
 
 
 日之出の神とは、前述したように、出口清吉氏の生まれ変わり、出口日出麻呂氏ではないのか?という疑問も湧いて来るのですが、義理天上日之出神の神業を受け継いだ、矢野祐太郎氏の研究では、幾つかの段
階でそれぞれ違う働きをもつ様です。以下はそれ等をまとめた物です。
 
 
 
1段階目

 国祖・国常立尊の第三番目の、子供とされて、大龍体を持ち、同じく龍体の龍宮の乙姫を馬にして、諸外国に赴く。龍宮の乙姫は欲深い神であったが、経済組織を作り出した神、月晴別命(高津玉大神)の思念(金銀の概念、運用法)を受け継ぎ、金銀財宝を支配する神と言われていた。

 所が、この龍宮の乙姫もついに改心し、国祖の立て替え・立て直しの神業に参加する事となった。龍宮の乙姫は物資的金銀の守護、そして日之出大神は、ユダヤ民族を霊的に操縦した神で、金融を守護、他に国際連盟等をユダヤを使って作らせた。

 この様な経緯で、外国の立て替え・立て直しの準備をしていたが、月晴別命(高津玉大神)が今度日本にやってきて、日本の経済の立て替え・立て直しを実行し、その後に世界の経済の立て替え・立て直しが始まる。
 
 
 
2段階目

 国祖自身として顕現し、天理・黒住・金光教などの教祖に神懸かりし、最後大本に懸かったとされた。こうして、立て替え・立て直しの準備を進めていった。
 
 
 
3段階目

 『義理天上日之出神』として、直子氏の三女久に懸かった。(この時点で王仁三郎氏の言う所の、日之出の神は、出口清吉氏の生まれ変わり、日出麻呂氏という説と食い違いが起きている訳です。ただ、本当に食い違いが起きているのか、時・所の働きの違いで、大局的には同一の物であるのか、判りません)
  
  
  
4段階目
 
●龍宮乙姫、日之出の神と引き添うてと前々から言われている日之出神は、汝の前に現れた日之出神ではなく、像頭山金毘羅大権現に居られる『日之出生魂大神』である。

 という神示を、祐太郎氏が受け(昭和5年)、昭和8年3月23日、この神霊を迎える為、同氏が金毘羅宮奥宮に参じ鎮奉した所

●いよいよこの度時節参り、待ちに待ちし世が参りました。いよいよ龍宮の乙姫と引き添ふて御神業に参加いたしましてございます。

という神示を受けた。この第四番目の日之出神が、世界の転換期の立て替え・立て直しの総司令官的な役割を担っているという。
 
 
 
大体、上記の様な内容です。

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Re: 日本の古代史 -その3 ニギハヤヒ神=日之出の神か?金毘羅宮の意外な系脈
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/397.html
投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 13:08:20:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: Re: 日本の古代史 -その2 オオトシとイカズチとワケイカズチ神 日之出の神の謎 投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 13:04:29)

*日本の古代史 -その3*

*ニギハヤヒ神=日之出の神か?*
 
 
 
 大本神諭・日月神示などで「イシヤの仕組み」と言われていますが、石屋は神社の石灯篭を建てる職人なども、「石屋」と呼ぶようです。そして、いわゆるフリーメーソン(自由の石工)の工作を指して「イシヤの仕組み」と表現しています。

 これは前述したように、仮にもしも、火明命(ニギハヤヒ)が日之出の神としての一面を持っているのだとしたら「火明命は石作連の祖神」という伝承も、何か象徴的な気がします。

更に、祐太郎氏の言う、世界の大転換機における、総指揮官としての日之出の神観と、伊都能売神諭の以下の一節です。
 
 
 
●世の元の大御宝を占め固める折りに、差添(さしそえ)に成って活動なされた神は、真道知彦命、青森知木彦命、天地要彦命の三男神と、常世姫之命、黄金龍姫之命、合蛇琉姫之命、要耶麻姫之命、言解姫之命の五女神、合わして三男五女八柱の神を育て上げて、差添の御用を命せなさったのが若日女岐美(わかひめぎみ)尊であるから、是が九重(ここのえ)の花と申すのであるぞよ。

 若日女岐美尊の後見を為された至善の神様が天照日子(あまてるひこ)尊であるぞよ。天照彦命は海潮(注:王仁三郎氏の事)の肉体に宿りて、五六七(ミロク)の御用を致して居るなれど、誰も未だ分かりては居らぬぞよ。この神が表われたら、二度目の世の立て直し、九重の花が十陽に咲くので、三千世界の統一が成就するのであるぞよ。

-『伊都能売神諭』/王仁三郎伝達より-
 
 
 
 上記の様に、十番目の神・天照日子尊が現れると、二度目の世の立て直し、九重の花が十陽に咲くので、三千世界の統一が成就する。という事ですが、立て替え・立て直しの総指揮官、日之出の神と共通する感があります。
 
 
 
*金毘羅宮の意外な系脈*
 
 
 
 矢野祐太郎氏の研究では、四弾目の日之出の神は、像頭山金毘羅大権現に居られる『日之出生魂大神』であるとしています。金毘羅宮に日之出神の神霊を祀ってあるとは、自分は聞いた事が無いのですが、全国の『金刀比羅神社』では、殆どが金山彦という神霊を祀っています。(主祭神十九社、配祀二九社、境内神四百十九社)

 最も有名な金毘羅神社の総本山といえば、四国のそれですが、この神社の祭神は『大物主』です。大物主といえば、前述したように『鬼の王権・聖徳太子の謎』/関祐二著:日本文芸社)で推察されるように、裏の祭祀神です。
また、
 
 
 
能義群広瀬町の大歳神社・境内社の金刀比羅神社の祭神は、 大物主神/金山彦尊

邑智群大和村小尾山の八幡宮・境内社の祭神は、         大物主神/大年神

邑智群川本町の金刀比羅神社の祭神は、              大歳神・金山彦神

香川県琴平町の金刀比羅宮の祭神は、                大物主神
 
 
 
という様に、大物主・大歳神・金山彦神の三神の何れかが、共に祀られています。以前検証したように、大歳神=ニギハヤヒの可能性が強いのですが、金山彦神という、余り聞きなれない名前の神名とは、どういう関係になっているのでしょうか?

 金山彦神とは、鉄の神様として、知られているようですが、岐阜県各務原市にある、村国真墨田神社(南宮様と呼ばれている)の祭神は、天火明命/金山彦命/村国男依命/石凝度売命、となっていますので、金山彦神とニギハヤヒ神は、非常に近い関係にある事が判ります。

 ちなみに、石凝度売命(石凝姥[いしこりどめ])は、奈良県田原町の鏡作坐天照御魂神社の、天照国照火明命(ニギハヤヒ命)と共に祀られています。

 岐阜県武儀町の南宮神社の祭神は、金山彦・天火明命となっています。更に岡山県津山市の中山神社には、主祭神が鏡作神、相殿が石凝姥命で、社伝には
 
 
 
「一に中山大明神または南宮と称せられる・・・金山彦命を祀る」
 
 
 
 となっています。主祭神の鏡作神は金山彦命だったという事になるのですが、鏡作神は鏡作坐天照御魂神社の主祭神、天火明命(ニギハヤヒ命)であり、ニギハヤヒ命=金山彦という事に成ってしまいます。

 という事は、全国の金刀比羅神社に祀られる神は、ニギハヤヒ(金山彦命)命という事になります。自分としては、出雲神でもあり、金刀比羅神社にも見受けられる、大物主神も、ニギハヤヒの別称ではないかと考えています。

 矢野祐太郎氏が神示を受けて鎮奉した、像頭山金毘羅大権現に居られる『日之出生魂大神』は、奇しくも何かしら真実味がある事が判って来ました。

 また一方で、王仁三郎氏が、辻天水氏に書いて渡したと言う短冊にある名も、金山彦神であります。一方の金山姫とは、もしかすれば妻神、或いは龍宮乙姫の別称かも知れません。

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初めにお読み下さい
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/376.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:49:30:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)

*初めにお読み下さい*
 
 
 
△かつて、世界最古の文明を築いたシュメール人には、「遥か東方の国」に存在するという理想郷の伝説を信じ、旧約聖書の予言者ダニエルは「東方の麗しい国」へ自分も向かう事を希望し、またアインシュタイン博士は、世界の文化はアジアに始まり、アジアに終わると喝破した。

△これらは総て、日本を表現しているのであろうか?それとも、全く別の何かを象徴しているのか?それは未だ、判りません。しかし、世界各地に残るギリシャ神話、シュメール神話、マヤ神話等の太陽信仰は、人間が天地を眺める時に、最も目に付き、かつその恩恵も理解し易い太陽を崇拝するのは、至極自然の成り行きだとしても、大概の国が星、或いはその地の名産等をエンブレムにするのに対し、太陽をその象徴とする国は日本程度なのは何故なのか?

△かつて、大法螺吹きと言われた「鬼さぶろう」は、諸教同根を唱え、キリストと言うも釈迦というも、その究極にあるのは、大和魂・霊主体従(ひのもと)であると喝破した。

この大法螺吹きは、本物の大法螺吹きなのか?それとも、大化け物なのか?彼を信じた人達の一部は、国粋主義・他国蔑視に傾き、或る種の選民思想に向かってしまった。

△果たして彼は何者か?日本の国には、余程の何かがあるのだろうか?それ等の謎を、少しづつ検証して行きたいと思います。

また、彼の口述した霊界物語には「善とも悪とも、正とも邪とも、とんと検討の取れぬ仕組み」という部分があります。これと同じものは、変性男子の筆先にも出てくるもので、最初はこの意味は、余り良くは判らなかったものの、どうも調べれば調べるほど、何なのか判らなくなり、本当に正しく、とんと検討が取れなくなる、と実感する事が多々あります。

△身魂相応に、「悪い精神で読めば、幾らでも悪く採れる」という筆先も、確かにそうなのですが、言い換えればおとぎ話の「裸の王様」と同じもの、つまり自分の精神を悪いと認めたくないので、「これはトンでもない代物だ」と、言えなくなる、ハッタリではないかと、うがった見方も出来ます。

ここまでくれば、相当捻じ曲がっているかも知れませんが、それでも可能な限り、中立的な見地で見て行こうと思います。
 
 
 
●変性女子(王仁三郎氏の事)は人民からは赤ン坊なれど、神が憑つりたら誰の手にも合はん身魂であるぞよ。

-『大本神諭』/出口直伝達より-
 
 
 
上記の様に、引用個所或いは人物のエピソードを表す台詞の部分などは、青字で現わし、重要個所などは赤字で現わしています。また神諭類に関しては、先頭に●印を入れて有ります。

△本来は、直子氏の神諭は「お筆先」と称するべきですが、混乱を避ける為、王仁三郎氏の漢字を充て、句読点を付けるなどで読みやすくした「大本神諭」という表記にしています。

また日月神示も、現代語の文は『ひふみ神示』と称するべきですが、混乱を避ける為、日月神示に統一しています。

(詳しくは、それぞれの項をご覧ください。本文を現在完全にこれらのルールになっていない部分もありますが、随時修正していきます)

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第一章 一連の物語 1 近年における啓示の歴史 江戸期より始まった啓示(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/377.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:52:05:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 初めにお読み下さい 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:49:30)

*近年における啓示の歴史*

*江戸期より始まった啓示*
 
 
 
純日本産のスピリチュアリズムの歴史(及び伝達者)の紹介を、簡単にご紹介します。
 
 
 
黒住宗忠 1780〜1850
 
 
 
 岡山の今村宮の司官宗忠氏は、両親の突然の死により、自らも大病を患う様になった。しかし心を陽気に向ければ治ると考え、陽気になるように心がけ、次第に病気も回復に向かっていった、そして文化 11年(1814年、当時 35歳)の時「天命直受」という啓示を受けるようになる。

 その時より病気治し等が出来るようになった宗忠は、黒住教を起こし、概要として天照大神を万物創造の神とし、人間は総て天照大神の「分霊」を頂いていると説いた。
  
 
  
中山みき 1798〜1887
 
 
 
 大和国山辺群屋敷村(現奈良県天理市三島町)の比較的裕福な農家だった、中山善兵衛の妻、みき氏が天保 9年(1838)10月 26日、突如神懸かり状態となる。これがキッカケとなり、天理教を開教する。その後には、財産を貧しい人々に分け与えてしまい、極貧の生活となっていく。

- 天啓を受けた、教典として以下のものが存在する -

◆「みかぐらうた」慶応2年〜明治8年にかけて受けた、数え歌。

◆「おふでさき」明治2年〜15年にかけて受けた、1711首の和歌(この和歌は後の大本の「お筆先」と相通 じる内容となっている。

◆「おさしず」明治20年旧1月4日〜26日のみき氏昇天の日まで、受けた天啓。昇天後も信者の飯降伊蔵氏が受け継ぎ、氏の亡くなる約20年間、口述という形で残されている。
 
 
 
川手文次郎 1814〜1883
 
 
 
 安政6年(1859)備中国(現岡山県)浅口群占見村の農民、文次郎氏は42歳の時に、扁桃腺炎にかかり一時医者もも見離す重体となった。その為親類一同が集まり、平癒祈願を行った際、四国石槌(いしづち)山修験から来た親類に石槌神が懸かり、文次郎が先年自宅の移転をしたさい、金神に対して無礼を働いた為と説明。

 恐れた文次郎氏は、病床から無礼を詫びた。そして病気は徐々に快方に向かっていった。2年後に、実弟の香取繁右衛門(かんどりしげえもん)氏が、嫁の実家(亀山村)で突然神懸かり状態になり、文次郎氏がかけつけると「金神様御乗移り」と口走り、文次郎氏に金神を奉る宮の寄付を求めた、更に2年後(安政6年10月21日)「世間になんぼも難儀な氏子あり、取り次ぎ助けてやってくれ、神も助かり氏子も立ち行く」と言われ、この時を堺に(文次郎氏46歳)金神教の開教に至る。
  
  
  
 金神教は、祟り神と一般に恐れられている陰陽道の歴神(金神)を、「天地金の神」という新しい神名に変え、民衆を救う実は慈悲深い神様と説いた。因みに、後の大本を開教する「出口直子」氏も、この金神教の信者であった。

 これら既成宗教は、総て天啓教(何かしらの天啓によって誕生した宗教)であり、また天理・金教などは、地域の名前になるほど、その勢力も並々ならぬものが在ったのではないかと思われます。

 そうして、「天理、金教、黒住、妙霊先走り、艮の金神の世になりたぞよ」つまり、それまでの天理、金教、黒住等の教会は、先駆的なもので、本格的な活動を成すという、艮の金神と名乗るものが、綾部の片田舎に住む、老婆に突然に神懸かりをするようになった。

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第一章 一連の物語 2 出口直(1836〜1918)-その1 九死に一生を得て生誕
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/399.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:04:07:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 1 近年における啓示の歴史 江戸期より始まった啓示(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:52:05)

*出口直(1836〜1918)-その1*

*九死に一生を得て生誕*
 
 
 
 「お筆先」と称される神示(後に王仁三郎氏の手により、漢字交じりに編纂されて、大本神諭が発行された)を現わした出口直氏は、天保 7年(1836)12月16日、丹波国福知山紺屋町(現京都府福知山)に誕生した。おりしも天保の大飢饉のさなかであり、「大塩平八郎の乱」が在ったのも、この年の事。

 出口家では、祖父・曾祖父共に、腕の立つ大工であったらしく、藩の御上大工として、名字帯刀まで許される程であった。しかし父の五郎三郎は道楽者で、相当数の散財をしてしまい。直子氏の産まれる頃には、かなりの貧困生活を余儀なくされていた。更には史上でも稀な大飢饉のため、生活の困窮から直氏は本来、間曳きされる予定であったらしく、危うくに産まれる事が出来た。

 長ずるに従い、直氏は働き者で、謹厳実直な性格を現わしはじめて、十歳で住み込み奉公を始めた。酒乱の五郎三郎からは、余り良い扱いは受けてなかった様であるが、直氏自身は、親孝行であったらしく少女の頃に、その親孝行ぶりを認められて、藩から表彰された事もあったそうである。
 
 
 
*結婚後も続く悲惨な境遇*
 
 
 
 結婚して、同じく大工の政五郎を夫に持つようになったものの、この夫も又酒乱で、次々に田畑を売り払い、とうとう屋敷も総て売り払うという、文字通りの一文無しに迄、出口家は没落してしまった。
 それでも、夫に対しては、愚痴を言わずに、常に一歩下がって仕えていたという事から、当時は一般的に男尊女卑の傾向があったのを考慮しても、恐ろしい程の忍耐強さと、控えめな性格であったと思われる。

 その後の、直氏は、どうなっているのかと思う程、不幸が続いている。現代人であれば耐え兼ねてとっくに自殺を図っても、おかしくは無いほどだ。夫はアル中が祟って、働く事が出来なくなり、大工見習いの長男(武蔵)は、仕事の辛さに耐え兼ね、発作的にノミで自分の喉を突いてしまい自殺を図ったものの、一命を取り留め、その後逃走して行方をくらませてしまった。

 三女の久(後に王仁三郎氏と出会い、大本との仲介役、更には逆に、王仁三郎氏の妨害に至る様になる)は産後の肥立ちが悪く、逆上して座敷牢に入れられ、そこで神の幻影を見た。その後長女のヨネは発狂してしまう。そして、明治25年(1892)正月元旦に、直氏が初めて神懸かり状態となる。この時に直氏に懸かった神は、

「三千世界一度にひらく梅の花、艮(ウシトラ)の金神の世になりたぞよ。この神でなければ、世の立て替えはでけぬ。三千世界の大掃除大洗濯をいたすのじゃ。三千世界ひとつに丸めて万劫末代つづく神国の世にいたすぞよ」

と語った。直氏は驚き

「止めてくだされ、私などにそんな尊い神様が懸かられては勿体無い」

と懇願したところ、その神は

「わざと根底に落としてあろうがな」

と語った。
 
 
 
*三千世界の大気違い*
 
 
 
 長女・三女などが発狂した事も有り、当時の周囲は、直までが発狂したものと考えていたらしい。直氏は大声で、色々な事を叫びながら村を走り回り、その叫び声の一部に『・・・今のうちに改心致さねば、どこに飛び火がいたそうも知れんぞよ』という一節を聞き逃さなかった村人が、当時起きていた放火の犯人ではないかと、警察に通報が入り、直氏は投獄されてしまう事になる。
 幸い、真犯人が見つかった為、釈放される事になるが、警察には「三千世界の大峠」ならぬ「三千世界の大気違い」であると、相変わらず発狂者とみなされている。

 所で、この事件で懲りた直氏は、牢獄中自分に懸かった、自称艮(ウシトラ)の金神に、大声で叫ばないようにと懇願する。すると牢に落ちている釘を持てと、その金神は直氏に言う。釘を持ってみると、光の筋が見え、その光に沿って、釘で文字を書くようになった。これが通称「お筆先」の始まりである。直氏の自動書記した「おふでさき」は、最終的には半紙一万巻にも及んだという。

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第一章 一連の物語 2 出口直(1836〜1918)- その2 この神をさばける御方/艮の金神から知らされた弥勒大神(大
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/378.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:55:16:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 1 近年における啓示の歴史 江戸期より始まった啓示(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:52:05)

*出口直(1836〜1918)- その2*

*この神をさばける御方*
 
 
 
 出所後も、直氏のお筆先は続いたものの、7月頃に再び、直氏の口を使って預言めいた事を叫ぶようになる。その内容は日清・日露戦争などで、最初の頃は周囲の人間も、相手にはしていなかったものの、この預言は的中する事となり、その頃になって注目されるようになってくる。

 このような形で、様々な預言が的中して来ると、周囲の人間も、お筆先や艮金神の事も、徐々に信頼され信者の様な人達が出来はじめた。そのお筆先の、ごく初期の中に、後に「大化け物」という異名をとる、出口王仁三郎氏が現れて来る、と受け取れるものが、出て来るようになった。
 
 
 
●おナオのそばへは、正真(しょうまつ)のお方がおいで遊ばすから、来た人を粗末なあしらい致すでは無いぞよ。(中略)不思議な人がみえたならば、我をださずとひっそりとお話を聞くが良いぞよ。

●この神をさばけるお方は東から来るぞよ。その者が来れば、ウシトラの金神の道はひらけるぞよ

●出口直に明治二五年に申してある事、この大望な仕組みのいたしてあることを、世界に一人知りておると、言い聞かしてあろうがな。この事が分かりてくるぞよ。

-いづれも『大本神諭』/出口直伝達より-
 
 
 
 こうして後に出口直氏と王仁三郎氏(王仁三郎氏は確かに、穴太という東からやってきた)が運命的な出会いをする事になる。「東から」という言葉も、何か少し象徴的な感じもあって、興味深い出来事であったものの、意外に最初のこの二人の出会いは、淡白なものであったらしい。

 一旦別れてしまった直氏と王仁三郎氏は、それから約一年後に再会する事となった。しかし、王仁三郎氏が大本に腰を据えてからも、暫くの間、この二名には理解不足から、互いに反目していたらしい。大本神諭を読んでいる限りでも、審神で身を立てた王仁三郎氏も、まだ艮の金神を見分けられず、互いに和して神業を追行するという処までは、至らなかった様に受け取れるものの、果たして王仁三郎氏の認識がまだ甘い(要するに審神に失敗した)ものなのか、それとも何かしらの経綸上、二人の仲違いが必要なものであったのか、それは解らない。
 
 
 
艮の金神から知らされた弥勒大神
 
 
 
 大正5年に「神島開き」という神業が執り行なわれ、その際に直氏自らが艮の金神に、直の待ち焦がれる本当の弥勒大神は、王仁三郎の事であると知らされるという、ちょっとした事件が起きた。直氏は

「何度伺っても、王仁三郎が弥勒の大神様だとおっしゃるのじゃ」

と大変な驚き様であったらしい。後に直氏自らは

「今迄王仁三郎氏の事を誤解をしていた」

と認める事となった。
 
 
 
- 大本発祥の経緯とその是非 -
 
 
 
 大本の発祥という経緯というのは、大体以上の様なものと言われているものの、自分は実は、その余りの壮絶さに、違和感を持っていました。お筆先の中には、非常に恐ろしい天変地異なのか、戦争なのか、大変な事が起こって来るぞ、と非常な勢いで警告を発しています。

 それを見れば、中にはこれは大変だという事で、その予言を信じた人達で結成された、信仰団体に王仁三郎氏がやって来て、脅迫的、脅しなどによって人に改心をせまる遣り方は、悪神の遣り方だとして、反発をしていた訳です。

 そう聴けば、成る程現在の多くの既成宗教は、多かれ少なかれ、この様な傾向が見られるのではないかと思います。この様な終末思想的な物が無い教団は、殆ど皆無と言っても良いと思いますが、何れも大した成果も無く、単に信者を増やす手段に成り下がった感があります。その最たるものは、オウム真理教と言えるでしょう。

 所が、お筆先に現れた国常立命、自称艮の金神とは、元来陰陽道でいえば恐ろしい祟り神であって、現在でも家の建築、改築の際に丑寅の方角にトイレ等の水周りを配置するのは、家相が悪いという事で、敬遠する人が多く居ます。キリスト教的に言えば、さしずめ悪魔が改心を促すような、或る意味非常に希有な神示であると言えます。

 更には又、「出口家には代々、悪神の懸かる系統であるぞよ」という、自ら(艮の金神)の足元をすくう様な内容も書かれてあります。これで見る限りにおいて、既に迷宮に入ったかのような、昏迷状態になる訳です。確かに、お筆先の中に書かれた文章は、「確かにそうだ」と思える事が多くある反面、王仁三郎氏が言うような事も、分かるような気がします。
 
 
 
●大本は善悪二つの世界の型を出すところ、他人には傷はつけられぬから、ナヲの血筋に悪の御役をさせるぞよ

-『大本神諭』/出口直伝達より-
 
 
  
 この筆先の後に、三女久に神懸かり現象が有り、王仁三郎氏排除の運動をはじめるのですが、元々三女の久は、王仁三郎氏と直氏の取り次ぎをするなど、普段は正常な状態で、時折発狂現象が起きて居た事をうかがわせます。艮の金神とは悪の仮面を被った、つまり敢えて悪役をしている神ではないかという気が致します。

 それに元々直氏が産まれた綾部という所は、豊受大神を奉る、比沼麻奈為神社が元々在ったといわれる所であり、又出口家は代々大工を生業としていたから、藩主の九鬼家(九鬼文書を伝承する家柄)とも交流があり、出口家に何かの厄災があると、九鬼家の本興稲荷に参拝する事があったといいます。

 九鬼文書に記された鬼門祝詞には、『宇志採羅根真(ウシトラコンシン)大神』という名前が出て来るのであり、又直氏自身が、熱心な金神教(大本と同じく金神を奉る)の信者であったという事実から考えてみれば、何かしら直氏の潜在意識の中に、一つの金神というイメージが出来上がり、それが知らぬ間に表面に出てきて、艮の金神の筆先を書くように成ったのではないかとも、考えられます。
 
 
 
 
謹啓

御懇篤なる尊書を賜わり有り難く御礼申し上げ奉り候。

大本教の神示については貴家と最も深き因縁これある様、故教祖(注:直氏)より毎日聞き及び居り候得者、何れ、機熟する時は、閣下の御世話様に頼らねば成らぬ事之有り候に付き、向後宜敷く御願い申し上げ奉り候。

申し上げたき事之山々有り候得共、赴神(注:神戸行き)の時に譲り申し候。早々
不備

九月十七日
子爵、九鬼隆治様

-『謎の九鬼文書』/佐治芳彦著:徳間書店より-
 
 
 
 
 上記は、王仁三郎氏が、九鬼家21代隆治(子爵)宛てに出した手紙であります。つまり、九鬼家に出入りした直氏は、その潜在意識下にて、艮の金神を創造した物では無く、むしろ九神家との因縁が深いと、自ら認めていた訳ですが、確かに初期の大本の神旗は、『九陽紋』と言われる、九鬼家の家紋と同一のものです(後に大本は十陽紋になった)

 更に、九鬼神学秘法『鎮魂帰神法』が、大本で継承された点、王仁三郎氏が旧九鬼家邸跡地の綾部市上野小学校構内に、九鬼水軍の総師「九鬼嘉隆」氏の記念碑を立てようとした点、後の『九鬼文書の研究』を顕した三浦一郎氏を大本の最高顧問に招請する点、合気道の創始者で大本信徒であった植芝盛平氏の「私の武道は九鬼家神伝の武道である」という発言等、大本と九鬼家の関係は、案外深かった様です。

 また直氏は元来は文字の読み書きが出来なかったのは、恐らく本当の事であって、当時の状況を考慮すると、学校等で読み書きの勉強をする事などは、到底かなわない事であります。また大人でさえも、無学文盲なのは珍しい事ではなったのですから、逆に少女時代から住み込み奉公で、働く一方の直氏が、自我で神示を書いたというのは、少々無理があろうかと思われます。

 それでも神示の内容的に言えば、どちらかというと、確かに思い付きで書いたような出放題、何も考えずにドンドンと話す人のように、唐突に話しの筋道が変ったり、今迄と違う事を書いてみたりと、非常に人間臭いといえば、人間臭いのです。

 しかし、余りにもそれが反って怪しいのであり、又筆先に書かれた事が、実際に現在の日本や世界に大きく反映している事実を見る限り、およそ人智を越えた、想像以上の影響力を持つ神であり、それが又こんな穴だらけの神示を、単に書くのは妙であり、むしろ何かしらの秘密が内包されていると、見た方が良さそうです。

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第一章 一連の物語 3 出口王仁三郎(1871〜1948)- その1 悪戯と女が好きな男
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/400.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:10:01:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 2 出口直(1836〜1918)- その2 この神をさばける御方/艮の金神から知らされた弥勒大神(大 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:55:16)

*出口王仁三郎(1871〜1948)- その1*

*悪戯と女が好きな男*

 王仁三郎氏は豪放らい楽、又女が好きで、悪戯好き、弁論好きな青年であったらしい。今で言うと、女好きのにーちゃんという所。「村中の女とねんごろになってやる」と豪語したという話しや、女性問題のこじれで、地元のヤクザと諍いがあった、というエピソードからも伺える。

 およそ宗教家とか、倫理家とは程遠い所があるし、後の王仁三郎氏を調べても、どうも捕らえ所の無い所が多い。果たして王仁三郎氏とは、どの様な人物であったのだろうか。

 出口王仁三郎氏は、その本名を上田喜三郎という。その上田家には「七代目毎に、歴史に名を残す人物が産まれる」という言い伝えがあり。例えば円山応挙(おうきょ)(上田主水/日本画家)氏などが上田家の出身で、「御苗」と呼ばれる資産もかなりある、裕福な農家であったらしい。

 しかし直子氏と同じように、祖父のバクチによって、飛ぶように散財したらしく、祖父(上田吉松)の言い分では

「上田家は業が深い、その罪障を取るため、一旦家も屋敷も無くなってしまわねば、良い芽は吹かぬぞよ。と産土の神が枕元に立って仰せられるのじゃ」

と言い、毎日財産を放逐し、ついに破産という所で、他界した。

 そうして、全くの貧乏農家と、落ちる所まで落ちた後の明治4年(1871)丹波の穴太の村で、上田主水から数え、丁度七代目に当たる、上田喜三郎(王仁三郎氏)は産声を上げた。
 
 
 
*幼少より基礎は出来あがった!?*
 
 
 
 祖母のウノは、旧姓を「中村ウノ」といい、江戸時代の言霊学者、中村孝道の妹であった。その為、喜三郎少年は子供の頃から言霊学を、他の子供の「あいうえお」の勉強の代わりに、教わっていたらしい。病気の為に、進学が三年遅れたため、この教育は比較的徹底していたと思う。

 又どうも産まれた時から、もはや将来の事が運命付けられて居たような節もあり、幼少の頃から不思議な老人(喜三郎しか見えなかった)が、始終見張っている様な気配があり、病気の際に近隣の人から教えられて、親がカエルの肉を食わせて、元気付けようとした所、その老人が睨み付けるので、恐ろしいからと喜三郎少年は、食べるフリだけして、全部カエルの肉を捨ててしまっていた。

 通常神主や坊主といった人達は、四つ足の肉を食らうのは御法度であるけれども、喜三郎氏はこの時から、既に体が汚れないようにと監視されていたらしい。
 
 
 
*不思議な子*
 
 
 
 そして不思議なのは彼は元々、ずば抜けて頭が良く、少年頃から新聞が読めて、村の役人や巡査に新聞を読んで聞かせて居たらしい。もっともこれは、彼の頭脳云々ではなく、何故か読めたと言う事で、晩年になり自ら曰く

「自分でも不思議だが、とに角文面に向かえばズンズン読めた」
と語っている。

 小学生の頃には、授業中に先生の間違いを指摘して、反感を買ってしまう事もあった。又才能を買われて13歳にして、小学校の代用教員になるなど、神童ぶりを発揮していた。ただ、そのために、反感を持った前述の先生から苛められる事があったらしい。それ以外にも、水脈を言い当てるなど、周囲の村人には「不思議な子ぢゃ」と言われていたという。

 しかし、この頃の経験は、人間の嫉妬や妬みといった感情の動きや、強いもの勝ちの畜生の世の中であるとする、大本神諭の内容に理解を示す為に、必要な事であったのかも知れない。

 村全体としては、非常に仏教が普及していて、その中で何故か喜三郎少年だけは、何処と無く神道的な信仰心を持っていたらしく、その為に親や村人達に、非難される事もあったらしい。

 わざわざ、逆境的且つ下地を積むに十分な、家柄で産まれてきた所がある。逆に言うとこれら複雑な要素がトラウマとなって、将来に渡って影響があったとも、考えられる。
 
 
 
*深山での修行*
 
 
 
 時は流れ、明治31年(1898)一つのターニング・ポイントとなる事件が起こる。喜三郎氏は、多田亀という侠客の娘と、仲が良くなる。しかし、多田亀は河内一家と対立していた。その為に、河内一家は喜三郎を多田亀の「跡目」と勘違いしてしまい、喜三郎氏が村の浄瑠璃の会に出席していた時に、数人で殴り込みをかけてきた。

 多勢に無勢で、喜三郎氏は忽ち袋叩きにあってしまい、半死半生の目にあってしまう。この時、村人達は、近くの小屋に運び入れ、応急手当をしたものの、動く事もままならずに、そのまま小屋の中で朝を迎えた。

 その朝もやの中で、喜三郎氏は神秘的な体験をする。無意識に机に向かい「天地大本大御神」と書き、その時に目前に一人の男が立っているのを認めた。その男が

「上田喜三郎だな」

と問いかけ

「そうですが」

と答えると、男は

「これからお前を富士山に連れていってやる」

と言い、風呂敷きのようなものを喜三郎氏に被せ、気が付くと高熊山の岩窟の中に、襦袢姿で喜三郎氏は座っていた。ここで喜三郎氏は都合一週間の修行を行う事になる。この期間、村では喜三郎が居なくなった。という事で、神隠し騒ぎが起こっていた。

 修行というのは、現実界での座禅と霊界の探訪を交互に行うという形で、この内容に関しては「霊界物語第一巻」に詳しく述べられている。とに角、この時を堺に、不可思議な能力が飛躍的に伸びたらしい。それ以前にも、紛失物を言い当てたり、水脈の在処を言い当てたりと「不思議な子供だ」と噂に上る事も少なくなかった程であるが、近年日本最大の霊能者と呼ばれる、その能力は、この頃に一気に開花したと言っても良いと思う。

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第一章 一連の物語 3 出口王仁三郎(1871〜1948)- その2 
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投稿者 謝寅- 日時 2004 年 12 月 18 日 10:47:25:uaE4PE7T5jpaU

(回答先: 第一章 一連の物語 2 出口直(1836〜1918)- その2 この神をさばける御方/艮の金神から知らされた弥勒大神(大 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:55:16)

*出口王仁三郎(1871〜1948)- その2*

*穴太の喜楽天狗さん、審神(さにわ)の修行*

 この高熊山での修行の後に、友人の家で教会を開き、病人等を次々と治していき、次第に彼は「穴太の喜楽天狗さん」と呼ばれるようになる。そして噂を聞きつけた三矢喜右衛門という人物が、喜三郎氏のもとを訪れ、稲荷講社の長沢雄楯(かつたて)という人物に面会するように、と強く勧められ、喜三郎氏も静岡に住む、その長沢氏に会う事を、決めた。

 長沢氏主宰の稲荷講社というのは、文政5(1823)年、薩摩国加世田に、本田親徳(ちかあつ)という人物の手によって誕生している。彼は、古事記に散見される「鎮魂帰神法」の復興を目指し、神懸かり現象には三六通りある事を悟り、鎮魂帰神法と審神(さにわ)学の体系を確立した。
 
 また彼は「稲荷神とは、飯成の神であり、衣食住を司る神様であり、お稲荷さんとか、狐付き等と、馬鹿にするのは甚だしい誤解である」と語っており、二代目に当たる、長沢雄楯氏も、本田の没後にその意志を継ぎ、静岡清水の月見里(やまなし)神社を拠点として、稲荷講社を組織していた。
 
 
 
*十年後、丹波から一人の青年がやって来る*
 
 
 
 所で、先代の本田親徳氏は、自らの死に際して、長沢氏に「十年後、丹波から一人の青年が尋ねて来る、その者が来ると道が開ける」と預言めいた事を言い、その青年が現れたら渡すようにと、奥義書を残していた。

 そして十年後に、正に丹波から喜三郎氏が、長沢氏を尋ねてやってきたのである。その為長沢氏は、大切に保管していた奥義書を、喜三郎氏に渡し、又鎮魂帰神法と審神学を、伝授した。暫く後に王仁三郎氏は「鎮魂帰神二科高等得業証」を授かるに至った。

 稲荷講社で学んでいた時に、長沢氏の審神によって、喜三郎氏に懸かっている神はスサノオノ命の眷族
「小松林命」であると判明する。こうして、静岡での修行後程なく(明治31年7月)彼に懸かっていた神「小松林命」が

「一日も早く西北の方を指していけ、神界の仕組みがしてある。お前の来るのを待っている人がいる。仕事にも頓着する事無く、速やかにここを発て」

と言いう。喜三郎氏は、言われるがままに、西北の方面を目当てに、旅に出かけた。
 
 
 
大本と上田喜三郎の出会い
 
 
 
 一方、出口直子の三女の久は、京都の内国勧業博覧会の見物客をあてこんで、小さな茶店を出していた。そこへ、とに角「西北」に向かうべく旅をしていた、喜三郎氏がひょっこり現れる。ちなみに、この時の喜三郎氏の服装は、お歯黒にコウモリ傘にバスケットという、異様な風体だった。

「お前さんは、狸でも見る人かね」

「わしは審神というて、神さんを見分ける者じゃ。まぁ尤もあちこちで調べさせてもろうたが、どいつも狸や狐ばっかりなんは確かや」

「そうどすか、どこから来はりましたん?」

「東、穴太じゃ」

という会話が、喜三郎氏と久女史の会話が取り交わされた。

 この時、久は直子氏のお筆先に「この神をさばけるお方は東から来るぞよ。その者が来れば、艮金神の道は開ける」という一節を思い出していた。

 そして、喜三郎氏に、直子のお筆先の一部を、見せた。この時、喜三郎氏は直子氏に会う事を約束して、一旦別れた。ちなみに、この出会いの後、直ぐに久の茶店は、山陰線敷設工事の為に立ち退きを命じられた。

 こうして、初めて出口直子氏と王仁三郎氏は出会う事になるものの、最初の出会いは非常に淡白であり、又双方ともに、お互いがあまり信用できない様にも見受けられ、又実際にそういった記録が残されている

 お筆先には、最初から西洋かぶれの幻影に浸っている日本人に警笛を鳴らしていたし、抽象的な意味でと思うが「洋服では収まらん」等という表現も見られた。
 
そこにコウモリ傘にバスケットという、現代で比せば、金髪に染めて海外ブランドで固めた様な、見た目軽い人種に、大本の人達には写った事だろうと思う。王仁三郎氏は、結局最初の出会いでは、二日程滞在して、直ぐに別れてしまう。
 
 
 
*艮の金神は王仁三郎氏でも、見分けられなかった?*
 
 
 
 果たして、審神学を取得した王仁三郎氏は、この時に、お筆先を出した神を、何神と見分けたのだろう?それとも見誤っていたのだろうか?大本神諭を見る限りでは

「こんな田舎の婆さんを便りにせずとも、もっと偉い人に懸かったら良さそうな物だ」

「8月9月に盛り上がるとは、明治何年の8月9月じゃ。そんな事なら誰でも言える」

 など、結構辛辣に批判していた節がある。つまりは王仁三郎氏も、勘違いか見誤りをしていた、という可能性が高いものの、果たしてこれは、本当に単なる勘違いであったのか、それとも何かしらの『型』として、必要な出来事であったのかは分からない。
 
 
 
すでに悪魔に取りひしがれて、危うい所を差し添の、誠こころに染められて、捨てた思案の後戻り、洋服脱いで靴捨てて、皮の鞄も投げ捨てて、昔の神世の人となり、熟々(つらつら)思いめぐらせば、出口の守(かみ)のお知らせの、通りに汚れた世界じゃと、固く心を取り直し、ただ一筋の神の道、心も勇み気も開き、花咲く春に遭う思ひ、こんな結構が又と世に、三千世界にあろうかと、初めて悟り大本に、大きな尻を末永く、綾の高天で猫となる。オットどっこい神様の、激しき威徳に照らされて、心の底の塵芥(ごもくた)を、白状したが情けない、これが出口の王仁三郎

-王仁文庫(いろは歌『その二』)/王仁三郎著(明治36年9月10日の作品)より-
 
 
 
 この歌を読んでも、どうも王仁三郎氏の間違いであったという可能性もあるものの、東に行けと神命が下ったのは、王仁三郎氏の守護神「小松林命」であり、又それとは別に、艮の金神のお筆先にも、東からこの神を捌くお方云々という神示が下ったのを見ても、この二名の出会いは、やはり経綸上必要な事であった事だけは、間違いないと思われる。
 
 
 
*神の仕組みで出会った??*
 
 
 
 出口直子氏と別れた喜三郎氏は、一年後に、再び会いたいと手紙をしたためる。一方直子氏の「お筆先」には以下のような一節が現れていた。
 
 
 
●あのおん方は、このほうから引きよしたのだぞよ。神が守護のしてあること。

●神の仕組みがしてあるから、上田と申す者が出てきたならば、そこをあんばいよう取り持ちて、腹を合わしていたしてくれよ。
 
 
 
-いづれも『大本神諭』/出口直子伝達より-
 
 
 
 喜三郎氏からの手紙を受けた直子氏は、使いとして、四方平蔵氏を差し向けた。四方氏が喜三郎氏のもとを訪れた時、喜三郎氏は四方氏の実家の様子をつぶさに語り聞かせ、また四方氏に鎮魂を施して、一時的に四方氏に「天眼通」を開花させ、今度は逆に王仁三郎氏の実家の様子を、四方氏の脳裏に浮かばせた。

 この出来事に驚嘆した四方氏は「この者なら、間違い無い」と確信して、綾部に連れて帰る事となった。

 こうして、喜三郎氏は、大本に腰を据えて、会長になった。名前もお筆先に「おにさぶろう」と出た事から、鬼三郎と改名するところさすがに鬼は嫌だと、千字文の「王仁博士」から貰って、以後「王仁三郎」と名乗る事になった。ちなみに、王仁三郎氏の出身地穴太は、鬼退治伝説の発祥の地であるという事で、何かしら因縁めいた物を感じる。

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第一章 一連の物語 3 出口王仁三郎(1871〜1948)- その3 
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/386.html
投稿者 謝寅- 日時 2004 年 12 月 18 日 10:53:54:uaE4PE7T5jpaU

(回答先: 第一章 一連の物語 3 出口王仁三郎(1871〜1948)- その2  投稿者 謝寅- 日時 2004 年 12 月 18 日 10:47:25)

*出口王仁三郎(1871〜1948)- その3*

*受け入れられなかった王仁三郎*
 
 
 
 王仁三郎氏が大本に来た最初の頃というのは、余り安楽な生活ではなかった様で、27〜8歳程度の若造が、いきなり会長職に納まってしまったのだから、それまでの大本の幹部連は、面白からぬ思いをしただろう事は、容易に想像が付く。

 まして、出口直子開祖は、出口直子氏についてで書いたように、謹厳実直な性格で、生活は質素そのもので、どれほど寒い日でも、火鉢一つ使わずに毎日数回水業をしていた、というのだから、幹部といわずとも、一般信者の信頼度は相当なものであったと思う。

 所が、王仁三郎氏は「わしは蛙やないんやから」と、ただの一度も水業に参加する事無く、親が病気だというので、神業を放って簡単に帰郷してしまったり、又寒い日には、火鉢の前から離れようとしなかったというのだから、神第一の大本の内部から、完全に浮いていたのは間違いない。

 所が、後に「神の国」や「王仁文庫」などに記された事の中には、王仁三郎氏の精神が伺われる部分が、幾つか見うけられ、断食をしたり、滝に打たれたりといった苦行的な業で、天国近しとするのは間違っていて、そうした業には一種の悲哀が必ず含まれるし、高天原(神界)は歓喜に溢れた所であれば、到底死後天界に赴く事は適わない、という主旨の事を述べています。

 王仁三郎氏は、人の精神状態というのを、重要視していた様で、何かの祭事の際に、連名で各自一円づつ串玉として供える等は、諌めていた。それは連名にすれば、「嫌でもおうでも、一円を差し出さなければならない」という雰囲気が産まれるため、その様な精神のままで供えても、何の効能も無いのだと言う。
 
 
 
●女子(王仁三郎氏の事)の霊魂(みたま)は何時も申す通り、世界一切の事が写るのであるから、この大本へ立ち寄る人民は女子のやり方を見て、世界はこんな事に成りているのかと改心をするやうに、神から女子の身霊(みたま)が拵へて在るのであるから・・・ 

-大本神諭/出口直子伝達より-
 
 
 
 また神示には王仁三郎氏は、世界の事一切が写ると、以前からお筆先に現れて、更に王仁三郎氏の行動は、傍目からは真摯に御神業に参加しない、いい加減な人間と写ったであろうし、又名前も「鬼さぶろう」などと付けられては、彼を改心させる事が、即ち世界を改心させる事と大本の多くの人が勘違いするのも、致し方なかったろうと思う。

 また開祖の筆先は、基本的に「平仮名」で書かれてあり、王仁三郎氏の場合は、漢字の読み書きなども出来たため、漢字=中国から渡った文字、というイメージからか、国粋主義者でかなり偏狭な人達からは、悪魔呼ばわりされていたらしい。

 中には「我らは外国の悪魔を平らげるのが第一じゃ」と王仁三郎氏を懲らしめるのが、良いことだと勘違いした人も居たようで、酷いものになると、王仁三郎氏を殺そうとする者まで現れたらしい。

 直子氏昇天の後は、『伊都能売神諭』の伝達や『霊界物語』の口述、更に蒙古へ入蒙するなど、多忙な日々を暮らしている。しかし、王仁三郎氏は本当につかみ所の無い人物で、またどうしても当時としては、大法螺吹きと写ったであろうと思う。しかし、後から見れば、とてつもない能力を秘めていたとしか、思えないような事も多い。例えば昭和10年の第二次大本事件での公判中には以下のような答弁があった。
  
 
    
裁判官   「東京はススキ野になるぞよ。永久には続かぬぞよ。と言っておるが・・・」
 
王仁三郎   「空襲なんかで、昭和20年になったらば東京はすすき野になりますが、
         先へ行けば地下に町ができます。科学が進んで海の中まで電信局ができます。」

-昭和13年8月10日の裁判記録より-
 
  
  
  
霊界物語に描かれた不思議
 
 
 
 霊界物語は、文体を見ても(書記の巻と中期、後期で又違ってくる)砕けた感じで「恋心」等を「ス井ートハート」と表現されてあったり、「〜様に恋をする」という所を「〜様にラブする」と表現されてあったり、大正時代の作とは思えないような、又何かしらの神典類の持つ、固いイメージとは、かけ離れたもので、又登場人物も、必ず冗談や駄洒落を言うといった、砕けた内容になっている。

 又地域や時代を突然超越してみたり、世界中が舞台となっている割には、外国人名が少なく、大部分が「○○別(わけ)」「○○命(みこと)」「○○姫」といった日本名の人物ばかりであり、奇異な印章を受ける。依って容易には信じ難い内容(霊界物語は人の知らない太古の昔から、未来まであらゆる事が描かれていると言う)である。所が、その信じ難い霊界物語の内容を見ると、時折驚くべき事が書いてあったりする。例えば
  
 
 
東路の、地の騒ぎを余所にして、静かに浮かぶ、淡路島山

  年十二月、また十二日も十二、合わせて三六(みろく)の、今日の船出

-『霊界物語』第69巻/王仁三郎口述より-
 
 
 
 
 以上の歌の地の騒ぎをよそにして、というのは当時起きた関東大震災の事であり、又この歌が詠まれたのは旧暦で言えば、大正12年の12月12日、新暦にして大正13の1月17日で、この日から十二支を6回(ミロク)越えた、平成7年の1月17日に、この日淡路島を震源地とした、阪神大震災が起きた。
 
 
 
 
(前略)松彦「昔のように今日の時代は、毛筆や万年筆などの必要はありませぬ。唯指先を以って空中に七十五声の文字を記せば、配達夫は直ちに配達してくれますよ。私が一つ手本を見せませう。この交通機関は二一世紀の初期から開始されたのですよ。」

・・・(中略)・・・

「さぁ、これで手紙が書けました。文字が言語を発する時代となってきました」
と言って笑っている。四人は耳を傾けて珍しき文字の声を聞かむと努めける。

-『霊界物語』第15巻/王仁三郎口述より-
 
 
 
 これは最近(平成10年7〜8月頃)盛んにSMAPの香取真吾君が、某社のパソコンの宣伝で、音声によって電子メールを送る姿を彷彿とさせる。しかも、21世紀の情報産業の予測として、コンピューターはより高機能化され、マルチメディアが当たり前のように稼動し、各家庭により普及するだろう、更にe-mailも音声通信が当たり前になってくるだろう、と予測されているらしい。

 また、昭和6年の大阪毎日新聞に掲載された「チャーチワードという人物が、ムー大陸という島が太平洋にあったことを発見した」という記事を王仁三郎氏が見て、ム大陸とは、霊界物語中にでてくる、黄泉島(よもつじま)であるとしてる。
 
 
 
ムー大陸 黄泉島
 
 
 
東西5千マイル、南北3千マイル、ハワイ=北方、タヒチ、マインガイア島=南方、イースター島=南方、ラドロン島=西方のムー大陸の残骸であると発表 太平洋の真ん中に、縦が二千と七百里、横が三千一百里、黄泉の島や竜宮城

 しかも、この黄泉島は霊界物語第12巻で、沈んでいく様子が描かれており、又他の巻にも、歌の一節に『黄泉ムの島沈むとも・・・』というものがある。上記の霊界物語は総て大正時代の産物なのを考慮しても、事前に王仁三郎氏がムー大陸の噂を知っていた筈はなく、偶然で済ませるには、少々出来すぎの感がある。
 
 
 
- 大本発祥の経緯とその是非2 -
 
 
 
 
 取りあえず、王仁三郎氏が大本の出口直子氏と出会い、大本の基礎が出来上がるキッカケまでを、簡単に書きましたが、確かに大本神諭等を見た限りで、そこに書かれてある事は、正しいと感じながらも、やはり未だスッキリしない部分も又あったことも事実です。
これから、大本の研究をしようとする人は、恐らく自分と同じように、疑問点にぶつかる事だろうと思います。

 それは、普段は直子氏も王仁三郎氏も、親子の様に仲が良かったようで、又霊的には夫婦であった様です。上記にあるとおり、変性女子は王仁三郎氏の事で、肉体は男子で、魂が女。一方の直子氏は肉体が女で、魂が男の変性男子と、現されています。しかし、この二人が一旦神懸かりになると、お互い激しくやりあったという事です。

 この大本に降りた神が、正神だとしたら、何故お互いに喧嘩するのだろう?というのが、率直な疑問でした。また、大本神諭自体にも、直の家系は悪神の懸かる因縁であるという意味の事が、書かれてあり、益々訳が分からないのです。結局の所
 
 
 
1単純に 出口直子氏の派閥と王仁三郎氏の派閥に、潜在意識的に嫉視反目や誤解があった。

2 善と悪の戦い、或いは何かしらの象徴として、そうする必要があった。(天照大神と素盞嗚大神との葛藤など)
  
 
 
 以上の事が考えられますが、実際のところ、人間が必死に神界の仕組みを探ろうとしても、人間には溶解できない世界である、と大本系の多くの神典類、著作物に散見できるように、確かに、人間があれこれ詮索しても、どうにもならない事だという気がします。
 
 
 
 
王仁三郎氏の不思議な数運
 
 
 
 
 これは、王仁三郎氏自体が、不思議な数運に生きた人物であった、という事柄を紹介致します。また予め知識として、以下の事柄を先に知っておくと、様々な事柄を知るについて、より理解の助けになると思います。
 
 
 
 
1.ミロクの吉数
 
 
 
大本では当時から、何れ大峠が人類に来たり、それを乗り越えた後に、ミロクの世が来ると、唱えていました。ミロクの世或いはミロクとして象徴的に「五六七」という数を使って居ました。
 
 
 
2.王仁三郎氏は変性女子
 
 
 
大本の「お筆先」には、しばしば王仁三郎氏を指して「変性女子」と現わす事があります。これは肉体は男子にして、霊は女子であるという事で、直子氏は逆に「変性男子」と現わされ、肉体が女で霊が男だと、言われています。又男子の節句、女子の節句として、5月5日と3月3日は、よき日であるぞよ。等と、この日(必ずしも実数として、この日が関係するとは限らない)が因縁深い日であると、大本神諭(お筆先)の中で大変よく散見されます。

昭和3年3月3日の女子の節句のこの日は、王仁三郎氏が産まれてより、満56歳7ヶ月になるという日で、この日に執り行なわれた「弥勒大祭」では、大祥殿に供えられた串玉は、567円であり、高熊山の登山に参加した人数が567人であった。という事が、当時の参加名簿で判明。この様に、王仁三郎氏の周囲では、色々な数に関する因縁が、多数ある様です。

また旧約聖書中に現れる二人の予言者の様子が、以下のように載っています
 
 
 
 
 聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから、彼らは42ヶ月の間聖なる都を踏みにじるであろう。そしてわたしは、自分の2人の証人に粗布を着させ、1260日の間、預言することを許そう。

・・・(中略)・・・

 預言をしている期間、彼らは天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままにあらゆる災害で地を打つ力を持っている。そして彼らがその証を終えると、底知れぬ所から昇って来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。

-『旧約聖書』/ヨハネの黙示録より-
 
 
 
 王仁三郎氏も直子氏も、共に裕福な名家の出身でありながら、生誕する頃に没落し、貧困の中での生活を余儀なくされていました。正に粗布をまとった状態で、あった訳ですが、第一回の入獄(大正10年2月12日)から、再度入獄される前日(大正13年7月26日)迄は、1260日でユダヤ暦でいうと42ヶ月間です。全くヨハネの黙示録を彷彿とさせますが、以下に王仁三郎氏自身の作による、歌が有ります。
 
 
 
千二百、六十日(むそか)の間、月汚す、六百六十六匹のけもの

-『霊界物語』第36巻/王仁三郎口述より-

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第一章 一連の物語 4 日月神示/岡本天明氏 日月神示の発祥/数字で書かれた神示/始めは画家を夢見ていた天明氏/一生面倒
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:57:55:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 2 出口直(1836〜1918)- その2 この神をさばける御方/艮の金神から知らされた弥勒大神(大 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:55:16)

*日月神示/岡本天明氏*

*日月神示の発祥*
 
 
 
 日月神示(ひふみ神示、ひつく神示とも呼ばれる)とは元々、大本に入信していた、画家の岡本天明氏が自動書記によって、書き記した神示で、元々の発祥は昭和19年4月18日に、岡本氏が審神を勤めた、フーチ(中国に伝わるT字型の機具を、二人で持ち、降霊後にそのT字の棒を使って下の砂に、文字を書き表すもの)を使う、実験会まで溯る。この実験会では、下に敷いた砂に「ひつく」或いは「天之日月神」といった神名がでるのみで、その他の成果は見られなかった。

 しかしこの実験会の後に、参加者の人が千葉県印旛群公津村台方の麻賀多神社の末社に「天之日津久神社」というのがあるのを発見し、岡本天明氏に連絡してきた。一方の岡本氏は、酒を飲ましてやる、という友人との約束があったため、千葉方面への乗車切符を購入していた(この当時は切符一つ買うのに、2日もかかったらしい)ものの、急に先方が都合が悪い、という事でキャンセルされてしまったが、丁度その行き先の近所に、天之日津久神社があるのが判り、とにかく降霊会での御礼がてら、その神社まで詣でてみる事にしたところ、急にそこで神懸かり状態となり、生業が画家のため持参していた紙に、意味の解らないものを書き殴ったのが、最初といわれている。
 
 
 
 
*数字で書かれた神示*
 
 
 
 この神示自体は、殆どが、漢数字と残り神代文字と言われる、文字群、記号等で、通常のかな文字は、少数に(後半になるほど、この傾向が顕著になっていく)という、特殊なもので、現代でも尚一般に市販されるものは、第一仮約と成っている程、解読が難しい。因みにこの原文を「日月神示」と呼び、人間の判る言葉に訳したものが「ひふみ神示」と呼ぶ。

 実はスエーデン・ボルグという人物が霊界を見分した手記「霊界からの手記」によれば、天界のより上層からなる天人・天使達の使う文字には、数字が多かったと、記録されている
 
 
 
*始めは画家を夢見ていた天明氏*
 
 
 
 話しは変って、岡本天明(本名信之)氏は、明治30年(1897)12月4日岡山県倉敷市玉島に産まれた。生まれつき霊感が強い方だった様で、少年の頃から、祖父(儀藤太)とは違う、もう一人の髭の長い老人が見えていたようだ。ここら辺りのエピソードは、何やら王仁三郎氏を彷彿とさせる。

 金光中学を中退した頃には、個展を開くほど、絵の才能が開花し、天才少年と騒がれた事もあったという。しかし信之氏が17歳の頃には、韓国で商売をしていた父親の事業が失敗し、家屋敷、田畑も総て人手に渡る事となった。まもなく明治大学に入った信之氏は、金策に困り、北海道の炭坑、いわゆるタコ部屋に入った事もあったらしい(自分で怪我をして、脱出した)大正9年の頃には、母親の実家の在る、神戸へ戻る事となり、この頃から「玉島の夜明けの人たらん」として天明を名乗るように成った。

 ちょうどその頃、近所に大本信者の一家がおり、その家の少年に誘われて、大本の公演に連れて行かれたらしい。

 そこでの内容は、色彩に関するものであったらしく、それが非常に天明氏の興味を引き立てたようだ。この事がキッカケになり、大本に入信する事となった。この大本での活動の初期から、高見元男氏(後の出口日出麻呂氏)とは同郷で同年同月産まれという事で、高見氏が京大生の頃から仲が良かったらしい。

 元々、天明氏は大本が買収した大正日々新聞社で働いていて、この頃に当時社長の浅野和三郎氏の号令で、鎮魂帰神法などを習得したり雨を降らせたり、紛失物を探査したりと、していたらしく、最初は天明氏も、面白くて止められなかったものの、徐々にはそういった事に嫌気が差してきた様だ。翌年には大本の第一次弾圧事件が有り、事件後には名古屋第一新聞社の社会部長、金沢の北国夕刊新聞の編集顧問を勤めるなどをしていたらしい。
 
 
 
一生面倒を見る
 
 
 
 大本も東京へ侵出という事になった頃には、人類善新聞を発行する事になり、日出麻呂氏は部下に

「社長には機密費があるんだろ、その中から岡本君が言うだけ給料を出せ、わしは岡本君の面倒を一生見るんだから」

と命じ、天明氏に特別に給料をだして、編集担当になって貰う事になった。

 ここでの編集作業は、王仁三郎氏が話しの骨子だけを天明氏に語り、後の文章は天明氏に任されていたらしい。そうして人類染新聞の編集をする仕事を続けていたところ、用があって、警察に行く事があった。するとそこの顔見知りの人物が

「岡本君ちょっと2〜3日東京を離れていてくれ」

というので、偶々地方へ行く出張の用事もあったため、出張に行ってから帰って来ると、大本の第2次弾圧が有り主要人物は皆、投獄されていた所であった。

 しかし、天明氏は唯一給料を貰っていたため、信者と見なされず、逮捕を免れた。そのために大本内部からはスパイの容疑も掛けられた事もあったらしい。このため、天明氏は比較的自由な身の上にあったと思う。

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第一章 一連の物語 4 日月神示/岡本天明氏-その2 徐々に出来上がりつつある組織
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/402.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:38:04:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 4 日月神示/岡本天明氏 日月神示の発祥/数字で書かれた神示/始めは画家を夢見ていた天明氏/一生面倒 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:57:55)

*日月神示/岡本天明氏-その2*

*徐々に出来上がりつつある組織*
 
 
 
 大本を離れる事になった天明氏は、一時東京の代々木八幡神社の神主、平岩氏(ドラマ作家として有名な平岩弓枝女史の父親であるらしい)と共に言霊を学んだりしていたらしく、平岩氏の紹介で千駄ヶ谷の鳩の森八幡の神主が出征したため、代わりをしないかと、持ち掛けられて氏子総代の高井是空氏が、給料の足らない分を補足するという事で、天明氏は神主を引き受けるようになった。

 昭和19年4月8日、この高井是空氏が、押し入れから「国宝みろく菩薩半迦像」を持ち出して来て、二階に奉る事となり、この座敷で「修史協翼会」が開催される事となり、前述のフーチの実演会を開き「ひつき神」という件の神名がでるキッカケとなった。こういった経緯で天明氏が、日月神示の自動書記を行っていくようになる。

 しかし、当の天明氏は始は、この神は神格の低いものであろう、という認識しかなかった様で、何が書かれてあるのか判断が付かなかった事もあり、殆ど出るに任せて、本人は放っておいたらしい。矢野祐太郎氏の奥さん(シン女史)が、ある日千駄ヶ谷の友人の会合に出席した時の事、突然床の間に進み出て

「八大竜王、しばしこの場に鎮まりまします」

と叫んでしまい、吾に返った時に、自分の発した言葉に驚き、会合が終わってから、暫く辺りを散策する事にした。

シン女史が

「森はこの辺りにあるだろうか?」

と探してみた所、「鳩の森八幡」を探し当て

「ああ、ここか」

と中に入っていくと、社務所の中に、顔見知りの天明氏が、神主姿で居るので驚き

「天明さん、どうして此処にいなさるの?」

と尋ねてみた。すると天明氏は

「いやぁ最近ふでが出てね」

と神示を見せると、シン女史は顔色を変え

「これは太神様の御真筆ですよ」

と答えた。

 この矢野シン女史の説得で、「一二神奉賛会」「一二神示拝読会」が誕生する事となった。又解読も合わせて、行われていた。この様な経緯で、日月神示を信望する人達の間から、当然の事ながら教会組織が欲しいという、希望も出て来るように成り、取り合えず「ひかり教会」というものが、形なりに出来上がるようになってきた。
 
 
 
*数霊学者の権威との出会い*
 
 
 
 昭和25年9月になると、岐阜の熱心な人が節分毎に、天明氏を訪れ「穢土(エド)の仕組みは美濃尾張」とありますから、是非来てください」という説得で、ついに昭和28年3月28日に、岐阜の遠山幸一郎氏の自宅に移転する事となった。その後、知り合いになった、武智時三郎氏の招きにより、北伊勢に昭和30年に移転する事となった。

 武智氏は数霊学を研究している人物であり、岡本天明氏の殆ど数字で書かれた日月神示を、解釈する上で、大変有益な人物ではなかったかと思われます。又武智氏自体が、大本裏神業を受け継ぐと言われている、辻正道氏と親密な関係にあったという事ですから、当然の事ながら、辻氏と天明氏も接近する事になる。
 これらは、良く言われるような惟神(かんながら)的な、接近であり、無理な感じも受けない事から、やはり何かしらの意味があった出会い、という感じがする。
 
 
 
- 日月神示の正統性 -
 
 
 
 何に関わらず、こういった物事に対して、さしたる審神法を学んだ事も無い自分が、どうこう言えた義理ではないものの、日月神示には幾つかの疑問点もあります。しかし、上巻に当たる神示(現在出版されている『ひふみ神示(上巻)』)部分は、自分が読んだ限りにおいて、王仁三郎氏の「霊界物語」や直子氏の「大本神諭」等と、違いは見つけ難く、又王仁三郎氏の著作の多くに、同じような内容の記述が多く見受けられます。

 はっきりいって、日月神示を読んでいて、余り意味が分からない部分の多くが、霊界物語を読んでみて「ああ、こういう事なのか」という風に、気が付く事も多く、その意味での関連性はあると思います。ただ、天明氏が慎重に総てを綿密に調べて、つまり大本の著作を調べて、全くの自分の意志で書いておきながら、神示が出たと主張する、こういう事は、不可能でもないと思います。

 実は、王仁三郎氏は、神示に書かれた内容を、平易に分かり易く、人民に説くという役目を担っていたという事で、実際には大本神諭や伊豆能売神諭等の解釈であろうとは思うものの、日月神示を解釈する上でも、大変に参考とする事が出来ます。実際に自分も王仁三郎氏の著述で、色々な勘違いや思い違いといった事が、多々あった事に気がついたくちです。

 実際のところ、何やら出所の不明な胡散臭い、神示も世の中に多くあるようです。又そうした類いの預言が沢山に出て来るから、気を付けよ、という事が、伊都能売神諭等にも、でてきます。

 自我ではなくても、その当人の守護神などが、大本の筆先を調べて、似たような筆先を書くという事が、実際に大本に起こっていた様でもあり、この場合、実際に筆を書かされた当人が、本物の神が懸かって神示を伝達した、と信じ込む訳ですから、中々一筋縄では行かないでしょう。ただ、日月神示に関しては、大本の筆先の出方と比較しても、結構な説得力を持っていると、感じます。
 
 
 
*日月神示は本物or偽物!?*
 
 
 
1筆先が、普通には書けない

 直子氏も無学文盲であるに関わらず、筆を書いた(直子氏の産まれた年は、天保の大飢饉の年でもあり、少女の頃に住み込みで奉公していたのであって、文字の読み書きが出来なかったのは、本当だと思います。
 天明氏の日月神示も、数字が多く出現するので、中々解読が出来ない一種の暗号的な所が有り、わざわざ難しい事をしてまで、この様な事をするとは思い難く、むしろ王仁三郎氏の方が、文字も読めるし、学識もあり、自我で書く事が一番容易な人物であったと思います。

 何より、現在出版されているものには『仮訳』と記されていて、今現在でも解読できない神示が或る事を思えば、演技としたら大層なものです。また大本神諭にも、王仁三郎氏自体の著作からも、数字を使った文字は、多少使われていました。

【を九にとこたちのみこと→大国常立命】

【をで九”ちなお→大出口直】

【筆のしず九→筆のしずく】

上記の様に、判別はしやすいものの、どういう意味が在るのか、当て字的にしか思えないような数字の使われ方をしています。日月神示原文は、更に殆どが漢数字であるため、何が何やら、判別は相当に難しくなります

●九二九二@十九@二三十十七@三八日八九三二五六一ゝ○・・・・・・(以下略)
-『日月神示/松の巻第二三帖の一部』より-

 上記の様に、殆ど人間には読めないために、この様な筆を出すというのは、人間の我では中々出来ないとも感じますが、逆に言えばこれら神示の解読には、矢野シン女史を始め天明氏等の数人で行われたもので、適当に大本の筆先の内容に似せる事も、出来なくも無いですが、一応これらの数字の読みには、法則性を持っているため、適当な解読結果では、やはり後で調べれば、ボロも出て来るだろうと思います。
 
 
 
2芸術に秀でている
 
 王仁三郎氏も、焼き物や歌が得意で、芸術に関しては芸術は宗教の母であるとして、重要視していました。天明氏も、歌を読むし、元来が絵描きなので、当然の事ながら絵画が得意であったし、その評価が「純朴である」という事で、王仁三郎氏の一種子供のような、純朴さと、似た所を感じます。
 
 
 
3大本以外で出ても不思議ではない 
 
 今迄の連続する経緯(天理・金教・黒住等といったものから数えて)を見ても、或る特定の団体に於いてのみ、専属神的な立場で、現れている訳ではないと、思えますので、この点に関しては、自分としては、かなりアバウトです。実際の所を言えば、日本の『大本』という所では、艮の金神という神名で出てはいるものの、世界各地の至る所で、世の大峠を知らす神柱が現れるぞ、という大本神諭の内容から見ても、もっとグローバルな展開であるはずであるので、余り固有の団体に固執してしまうと、またもや、各宗派や教義的に囚われた宗教戦の如くなってしまうので、気を付けるべき(勿論、盲信も危険)ではと、思います。

4しかし、否定的な逸話もある

 しかし、徳間書店から出版されている「竜宮神示」という本の中には、辻正道氏が日月神示をじっと眺め

「ちょっとおかしいな、神様がこんなことを書くはずが無い」

と言い、前述の武智時三郎氏が天明氏に

「お前、これ本当に神様が書いたのか?」

と問い詰めたところ

「すいません、自分で書いたように思います」

と平謝りであったという。

 この事が本当であるなら、正に日月神示は天明氏が、自我で書いた偽者という事になります。しかし、今でも綾之宮と天明氏の至恩郷が、ずっと続いているというのは奇異な感じを受けます。又綾之宮の小笠原登美子女史は、その様なエピソードがあったという記憶は無いそうです。

 とすると、現存する関係者で、最も近い存在の登美子女史が、否定するというのは、以上のエピソードは果たして何処が出所なのか不明なのですが、ただ、日月神示は確かに、上巻と下巻では異質の感じを受けます。

 それは、上巻では総て数字を中心に書かれている神示が、下巻はそうでも無いようだからです。それと上巻のものは必ず神示の最後には「あめのひつく神しるす」などのサイン(?)が有りますが、下巻には何も無いものも存在するのも、違う点です。

因みに、自分としても、不思議であったのが、日月神示上巻の最後のこの一節です
 
 
 
●二三巻でこの方の神示の終わり、終わりの終わりぞ、後の七巻は他から出してあるのざぞ、いづれ判りてくるぞ

-『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
 つまり、上巻の一番最後に、日月神示はこれで終わりだぞ、と明示的に書かれてあるもので、何故に下巻が存在しているのか、そこが謎であったのです。

 これらの事を踏まえると、一応日月神示は上巻は信用に値するものの、下巻はまだまだ予断の許さない部分が多いと、認識しておいた方が、良いと思われます。

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第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その1 始めは頑固な人物であった!?/辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!?
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/380.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 10:02:28:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 4 日月神示/岡本天明氏 日月神示の発祥/数字で書かれた神示/始めは画家を夢見ていた天明氏/一生面倒 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:57:55)

*天言鏡/辻天水氏 - その1*

*始めは頑固な人物であった!?*
 
 
 
 辻天水(本名正道)氏は明治24年(1891)6月21日、三重県の菰野の町に産まれた。辻家は第59代・宇多天皇の近江源氏の佐々木源盛綱を祖とする家系で、盛綱より7代目にあたる真野行定の孫、間宮定利が近江国高嶋群の澤ノ庄辻村に移り住んだ際に、辻姓を名乗るようになったという、由緒在る家系であった。

 大正8年の頃に、小高という大本の宣伝使が菰野を訪れ、盛んに布教活動を開始した。結果、多くの入信者が現れ、この地に大本支部が出来る事となった。この際に支部設立を世話したのが、辻氏であったという。しかし、その割には辻氏は、入信したという訳でもなく、隣村の石垣という宣伝使が「辻さんに入信していただくのに、10年かかった」という述懐をしているそうで、相当時間が掛かったようである。

 結局昭和5年に、ようやく辻氏は、妻のゆき女史と共に、研修会に参加する事となった。この研修会には、他にも参加者が居たようであるが、王仁三郎氏は辻氏を見るなり

「あんたは伊勢のカンノシ(神主)か?」

と、いきなり聞いてきたという。辻氏は

「いいえ」

と否定したものの、王仁三郎氏は納得せずに

「いや、お前は伊勢のカンノシじゃ、カンノシになれ」

と言っていたという。
 
 
 
この日の研修会を契機に、辻氏は大本に入信するようになった。その後、辻氏は亀岡の本部で「大本皇大神」の揮毫(きごう)と宣伝使の階位の辞令書きという、事務職を続ける事となった。
そんなある日、王仁三郎氏がひょっこり、辻氏の仕事部屋にやって来た。

「おう、感心に真面目にやっておるのう」

と辻氏の揮毫した「大本皇大神」の神号を見ると

「後で、ここに日が入らねばならぬがなぁ」

と呟いたという。
 
 
 
 昭和10年、大本の第二次弾圧のあった年、王仁三郎氏が、また辻氏の仕事場に顔を出した。辻氏の入信は昭和5年とされているので、つごう5年ほど、事務職に専念していた事になる。辻氏は思い切って

 「聖師さま、私は何時までこの仕事をすれ宜しいのでしょう。来る日も来る日も、こうして辞令書きばかり、どうか私を宣伝使にして頂けませんでしょうか」と頼んだ。

すると王仁三郎氏は

「あんな玄関先で喋っているのの何がええのか」

と、この願いは受け入れなかった。こうして、再び辞令書きを続ける事となったが、数日後に再び王仁三郎氏が、辻氏の仕事場に現れた。

「今日は精がでるの」

「左様ですか、有り難うございます」

という少々のやり取りの後、辻氏は思わず「アッ」と叫んでしまったという。それは「大本皇大神」と揮毫する所を「大△本皇大神」と大と本の間が開いてしまったからだ。

辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!?

「申し訳有りません、書き直しましょうか」

と辻氏が謝ると

「それでええんや、ちょい貸してみぃ」

と王仁三郎氏が自ら筆を取ると、大と本の間に「日」を書き入れて「大日本皇大神」という神号を書いた。
そして

「これでええやろう、これをお前にやる、いずれ大事な時に使う事になるからな」

「どんな時でしょうか?」

「一厘の仕組みや、あんたの本当の仕事はそれや」

と王仁三郎氏は語った。
 
 
 
 「一厘の仕組み」とは、出口直子氏の「大本神諭」の時から、出ている謎の仕組みで、大体の概要としては、悪神/体主霊従(物質・肉体を主体として、精神・霊を従とする現代人や風潮)によって九分九厘まで汚された世界を、残り一厘の仕組みで、ひっくり返す。つまり、一厘の仕組み=世界救世の大神業と、同一視されるほど、大本では重要な秘策であるとされていた。   
 
「私にそんな大層な事ができますでしょうか」

「ええか、よく聞けよ、この大本は宗教やないで、神業団体や、この意味判るか」

「わしは先ず仏教を滅ぼす型をやるのや、それが色々な宗教を滅ぼす型になるのや」

と王仁三郎氏は答えた。
辻氏は不思議に思い

「どうして宗教を滅ぼすのですか?」

と聞いた。すると王仁三郎氏は

「ミロクの世に宗教があってどないする、宗教というものが無いのがほんま、素晴らしい世の中なるんや」
と答えたという。
 
 
 
 確かに、誰もが倫理的・道徳的な人達ばかりで、お互いが助け合うような世の中であったとすれば、警察も宗教も要らなくなる事になる。例えば数年前なら、辺境の田舎に行けば、泥棒も存在せず、誰もが玄関は開けっぱなし、窓も開けたまま昼寝する事も珍しい事ではなかった。王仁三郎氏は、世界中がこの様な世の中に成る事を目指していたのかも知れない。

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第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その2 王仁三郎氏の検挙後、神業を継いだ天水氏/辻氏にも接近していた日出麻
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投稿者 謝寅+ 日時 2004 年 12 月 18 日 10:09:27:sapq.QgrwQDSI

(回答先: 第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その1 始めは頑固な人物であった!?/辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!? 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 10:02:28)

*天言鏡/辻天水氏 - その2*

*王仁三郎氏の検挙後、神業を継いだ天水氏*
 
 
 
 この様なやり取りのあった年の、12月8日未明、大本の第二次弾圧が起こった。王仁三郎氏は警察に連行され、大津駅から京都駅へと移送される所だった。この話しを聞きつけた辻氏は、一目でも王仁三郎聖師に会おうと、大津駅に向かった。大津駅では、警護の官憲たちに周囲を囲まれていた。

 辻氏が官憲に金を握らせて、一時的に面会を許された。その間、辻氏と王仁三郎氏は、二人だけで面会する事ができた。「辻、お前、後頼んだで、後の仕組みは48人の大本の人間に残しておるから、続きは頼むで」と、大本で残された残りの神業を辻氏に託したのだという。

 ちなみに、辻氏は出口日出麿氏とも、親密な間であったらしい。(日出麿氏は先に書いた、天明氏とも懇意で「天明君の面倒は一生見るつもりだから」と発言したりと、興味深い人物だと思う)辻氏は、土地や財産を総て、大本に献上してしまっていた。そうして辻氏は日出麿氏の自宅に呼ばれる事があった。
 
 
 
*辻氏にも接近していた日出麻呂氏*
 
 
 
「あんたですか、伊勢の土地一切を献納されたんは」

「左様でございます」

「伊勢というと、あんたの所に山から伊勢の海、四日市は見えますか?」
「はい、頂上に登れば見えます」

といったやり取りの後、日出麿氏は

「そこじゃ、そこに違いない、わしお前様の家に行きたい」

と語ったという。

 日出麿氏はこうして、初めて辻氏の家を訪れる事になったが、辻氏の家の家紋を見て驚いた(日と月と剣をあしらった、珍しいものであった。)大本の裏家紋と、そっくりであったからだ。

 「やっぱりあんさんの家は大した家じゃ」

と呟いたという。数日後、日出麿氏は辻氏に、「天水」と名乗るように告げた。これより以降、辻正道氏は、辻天水と名乗るようになる。
 
 
 
 話しは前後するものの、昭和9年には、三雲家の自宅の神前に天水氏の持参した、刀を用いて、剣の祭が行われた。その後、この刀は天水氏から、王仁三郎氏に献上されたが、この辻家伝来の刀の家紋を見て王仁三郎氏も驚き、この刀に「神聖丸」と命名、同年7月22日に発足した、昭和神聖会の守り刀とした。

 またこの年には、日出麿氏が再び、辻家を訪れ、御在所岳の麓にある、湯之山温泉に三日滞在していた、帰路の車中にて、日出麿氏は「神明」の幻影を見て「ここはほんま、大事な所や」と呟いたという。また、自分の履き物と、天水氏の履き物を取り替えるように命じ、しばし履き物を交換していたものの、再び元に戻したという、奇妙な行動もとっていた。

 再び、大本弾圧後の辻氏の行動に戻ると、辻氏は王仁三郎氏に委託されたとおり、大きな世界地図の或る地点に立って、祝詞を上げたり、また神劇として、芝居を行うといった、一見無駄な事を繰り返していたという。

 何か不明な点がある場合、大阪府刑務所を訪れ、王仁三郎氏と面会をする様になった。昭和17年になって、ようやく王仁三郎氏は仮釈放となった。辻氏は王仁三郎氏と会うと

「よう今迄やってくれた、それで、頼みがあるんや」

というと、一枚の短冊を出した(開祖の時代の短冊で、一体を揮毫して奉斎し、もう一方は無地のまま、必要な時の為に取っておいたものだという)その短冊に、以下のような揮毫を行った。

   大
   国
   常
   立
   大
   神

 金   金 
 山   山 
 姫   彦 
 神   神 

この短冊の裏側には「これのある処、常に神業の中心地」という筆を加えて、これを辻氏に下賜した。

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第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その3 天言鏡を受け取る/日月神示の天明氏と接近(大本教・民間信仰・民俗)
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/381.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 10:05:55:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その1 始めは頑固な人物であった!?/辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!? 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 10:02:28)

*天言鏡/辻天水氏 - その3*

*天言鏡を受け取る*
 
 
 
 その後、辻氏は三雲龍三氏らと、茜大神を奉った錦之宮を建設し、裏神業と言われる、神業を続けていった。昭和22年5月13日には、大本信徒であった、生源寺勇琴氏が辻氏の家を訪問した。
生源寺氏は、八雲琴の創始者として名高い、中山弾正琴主の最後の直弟子といわれた人物であった。

 辻氏宅の神前で、参拝を行った後、生源寺氏は、琴を弾こうとした時、神前に供えた八雲琴が、独りでに「トウテンツチン、トウテンツチン」と鳴り出し、この琴の音が鳴り止んだ時、王仁三郎氏の霊姿が突然と現れた。

 やがてその霊姿は消え、代わりに文字が現れた。これは辻氏には見る事が出来ず、生源寺勇琴氏だけが、見る事が出来たらしく、この文字を生源寺氏が読み、それを辻氏が記録する、という方法を用いた記録作業が半年ほど、続いたらしい。

この様な経緯でできあがったのが、「天言鏡」とされている。

 ちなみに、この王仁三郎氏の霊姿が現れた時には、当の王仁三郎氏は、亀岡の天恩郷で、病のために静養中であった。昭和23年になると岐阜に住んでいた、数霊、神道学者の武智時三郎氏が、辻氏のもとを訪れた。

△ 二人は意気投合し、武智氏も菰野の地に移り住む事となった。この年の1月19日には、王仁三郎氏がその生涯を終え、昇天している。
 
 
 
日月神示の天明氏と接近
 
 
 
 昭和30年頃に、武智氏は脳溢血で倒れ、山から菰野の町へ下りて養生していた。この時、日月神示という神示を伝達した、岡本天明氏が岐阜に居る事を知った。武智氏は、天明氏に菰野の地に来るようにと薦め、天明氏も承諾、3人で神業を継続していく事となった。和31年の6月 10日には、辻氏が以前に王仁三郎氏から下賜された、短冊を天明氏武智氏両居のある土地に(現在の、至恩郷)奉斎し、3名の縁者訳60名が参加した。

 その中には四国から参加した、小笠原登美子という人物が居たが、この登美子氏が鎮座祭に参加した夜、王仁三郎氏の霊姿が現れ「錦之宮の祭典に参加してはどうか」と促した。そして登美子氏が、錦之宮を訪れると、茜大神を祭っている神殿に、国常立大神が降り立ち、三宝の上に、実物の顕玉が出現したという。

 その後は、登美子氏に様々な霊現象や霊示が起きるように成り、辻氏と二人三脚で、神業を行った。この二名は神命によって、結婚する事となった。この時には辻氏は67歳で、医学的にも子供の授からない体と言われていたが、王仁三郎氏の導きで、男子を一人授かった。この男の子には、王仁三郎氏の指示によって、公仁(きみひと)と名づけられた。
 
 
 
- 綾之宮神示群の正統性 -
 
 
 
 実を言えば、自分はこの錦之宮、及び天言鏡を始とする、膨大な神示類に関して、さしたる知識も無いですし、また先に書いた、辻氏や裏神業といわれる内容に関して、殆ど秘密裏であって、関係者の証言に頼っている部分が、大多数を占めているのです。

つまり、殆ど状況証拠的なものしか無く、それも極少数で、殆どが証言に依っているという点に於いて、現時点で真偽を云々するのは止めようと思います。

 ただ、科学的なメスが入れられるのであれば、明治時代の大本開祖の時代であったという短冊の、インクの材質等から、時代も特定出来るであろうし、王仁三郎氏が大阪の刑務所に居た時期の、訪問者の記録が残っているのならそれを調べるだけで、大分信憑性が高まると思います。

 これらの直接の取材を行った、神典アナリストの中矢伸一氏は、その著書「出口王仁三郎、大本裏神業の謎/KKベストセラーズ」(当ページの参考文献の一部でもあります)の中でも、この様な経緯があったのは、ほぼ間違い無いと思う、と書いてあり、何もしていない自分が、この件に関してどうのこうの言うのは、僭越であると思いますので、素直にこういう事があったと、信じたいと思います。
 
 
 
●世の立て替えの真っ最中になりたら、瑞の御魂は四十八の生霊を以って、言霊神軍を組織し、之を引率して驚天動地の大活動を致さね ばならぬぞよ。それに就いては神界より秘策を授けて置かねばならぬことが、まだまだ沢山あるから、何時神が何処へ連れ参るやら知 れんぞよ。一人でも、神界の大秘事、神政成就までは知らされんことがあるから、肝心の生神の居る場所へは、御伴は一人も許すこと は出来ぬから、何時王仁の姿が見えぬようになりても、心配は致して下さるなよ。

・・・(中略)・・・

今のうちに瑞の身霊が心を配りて、因縁の深い身霊に内々申し付けて、御用させておいて下され。

-『伊都能売神諭』/出口王仁三郎伝達より-
 
 
 
 という一節が、伊都能売神諭(王仁三郎氏伝達)に示されていますが、瑞の御霊とは王仁三郎氏の事です。そして、因縁の深い人間に、内々に申し付けておいてくれ、という事が書かれてあり、又裏の神業に携わった人達が、48人であったというのも、何かこれ自体が一種の雛形(雛形については後述)であったという気もします。

 勿論、これの書かれた事が、そのまま裏神業と言われる事柄と、直接関係があるとは、分かりません。しかし、ひょっとすると、大本裏神業というのは、本当の事かも知れないとも、思うのです。

 裏神業に関わる人達は、途中において、神の仕組みが変ったと主張します。これは単なる主張ですが、しかし当の王仁三郎氏が、大本の今後として、「三代教祖の時に仕組みが変る」と預言している事から考えてみても、何かしらの変更が行われた、という事は有り得ると思います。

 もっとも、これを持ってして、辻氏を始とする、裏神業の真偽を計る事は出来ませんし、逆に言えば、大本信徒であった辻氏が、この一節等を読んだり聴いたりして、この様な幻想を持つに至った、という事も考えられますが、そこまで暇な人はいるだろうかとも、思うのです。結局のところ、これを読む人は、それぞれの基準で、判断してもらうしかないのが、実状です。

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第一章 一連の物語 6 その他 竜宮神示/日之出神諭、神霊密書(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/383.html
投稿者 謝寅+ 日時 2004 年 12 月 18 日 10:11:45:sapq.QgrwQDSI

(回答先: 第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その3 天言鏡を受け取る/日月神示の天明氏と接近(大本教・民間信仰・民俗) 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 10:05:55)

*その他*

*龍宮神示*
 
 
 
 竜宮神示とは、辻天水氏と三雲竜三氏が、昭和13年に丹後元伊勢、龍神社の奥宮の真名井神社に参拝した時に、三雲氏が突然神懸かり状態となり、その際に天水氏が審神を行った処、「真名井龍神」という神霊と判明し、それ以降昭和18年に至るまで、様々な神示が伝達されたもの。その内訳は「たま問答」「貴の神火山」「天の巻」「美火木物語」「三界物語」「三元の理」「雑」「二名稿」の全8巻からなるとされている。
 
 
 
*日之出神諭/神霊密書*
 
 
 
 出口直子氏が伝達したお筆先上に、清吉(直子氏の息子)が「日之出の神」の身魂であるとしていた。しかしその清吉自身は、明治28年に台湾に出征し、戦死した事になっていたものの、お筆先には、清吉氏の死は否定されていた。

 所が大正6年12月15日、に出口直子氏の三女、福島久に「義理天上日之出神」が懸かり、清吉の肉体は死んだが、魂は永遠不滅で、その霊魂が本国に帰国して「義理天上日之出神」として、自分に懸かったのだ、と説明した。

 これ以降、久氏の筆先は「日之出神諭」と呼ばれるようになった。また、日之出神諭及び義理天上日之出神を信じる人達で「世界大門」という組織が作られた。

 また、王仁三郎氏の正体を、開祖の神業を妨害する、天照彦の身魂であると主張した。元々王仁三郎氏自体が、水業に参加しないとか、母親の病気で、直ぐに大本を飛び出し、帰省してしまうなど、神信仰の熱心な大本の人達には、不信感が強かったようで、この事件によって益々王仁三郎氏の立場は、悪くなってしまったのではないかと思う。

 一方、矢野祐太郎氏は、明治14年(1881)3月15日、東京の築地に産まれた。中学を卒業後には、海軍兵学校へ進学、そのまま軍人となっていった。大正8年には大佐に昇進、大正11年には少佐に昇進するという所で、海軍を辞めてしまい、大本に入り神霊研究に傾倒していく。
 大本内部でも、王仁三郎氏の入蒙の歳に、色々と手配するなどの活躍をしていた。

 しかし、入蒙の後に、矢野祐太郎氏は王仁三郎氏と袂を分かった。その原因はハッキリ分からないものの、矢野氏は大本を離れ、前述した福島久一派の「世界大門」に入り「日之出神諭」の研究に入った。昭和4年10月2日には、矢野氏の奥さんである矢野シン女史に、肝川八大龍神が懸かり「正道会(大門)には一人として、神の御心を理解しうる者が無い」
 と伝え、これ以降矢野氏は、大門とも袂を分かって独自に日之出の神の神業を行うようになっていく。

 昭和5年11月6日に「大出口直霊大神」という、昇天後の直子開祖の神名を名乗る神から「棟梁皇祖太神宮(おむやこうそだいじんぐう)へ行け」との神勅が下り、その場所を調べた結果、北荻城の磯原にお宮がある事が判明、同年11月14日に、矢野氏は棟梁皇祖太神宮に参拝に赴いた。そこの館長が竹内巨麿で、偽書としても名高い「竹内文書」の研究者であった。

 こうして、矢野祐太郎氏は、竹内文書や奥さんのシン女史の霊媒能力を使った実験などを纏めた「神霊密書」を完成させた。この密書を100部刷り、各宮家や有志に配った。
 すると竹田大妃宮から「天皇様に差し上げたい」旨依頼があった。折り良く北白川宮若姫の婚礼の儀で、宮中から使いの女官が往復しはじめたので、この機会に、女官を使って内密に天皇へ御嘉納する事に成功した。

 しかし、この頃(昭和7年)既に、矢野氏は特高から目を付けられていた。その為ついに、昭和11年当局に連行されてしまった。しかしその内容に、不信な点が無く、正当な理由無しに有罪を立証する事が難しくなり、検察側としては精神病という事で解決をしようと試みたらしい。が、それも無駄に終わり、とうとう監獄の中で、矢野氏は毒殺されてしまった。

 昭和13年8月22日夜、悲報を聞いた長男と、中里弁護士は、遺体を引き取りに向かった処、遺体の引き渡しを拒まれた。それでもと、強引に引き渡しを翌日の午後まで、抗議し続けたところ、死因について詮索しない事を条件に、ようやく遺体が引き渡される事となった。矢野氏の遺体は、明らかに毒物によるもので、体のあちこちに、斑点が浮き出ていた。

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第一章 一連の物語 番外編:道院・紅卍字会の神示 紅卍字会の誕生/五教同根/同神異名(大本教・民間信仰・民俗) [99-
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/384.html
投稿者 謝寅+ 日時 2004 年 12 月 18 日 10:14:20:sapq.QgrwQDSI

(回答先: 第一章 一連の物語 6 その他 竜宮神示/日之出神諭、神霊密書(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅+ 日時 2004 年 12 月 18 日 10:11:45)

*番外編:道院・紅卍字会の神示*

*紅卍字会の誕生*
 
 
 
 中国、山東省北部・浜県に住む県知事の呉福林(じょふくりん)という人物が、同志達と共に、県署(役所)に神壇を設け、中国民間で行われていたフーチと呼ばれる自動書記法を用いて、1916年から17年にかけて、様々な事柄をフーチに現れた『尚真人』と名乗る神仙から受けていた。

 そんな中である時、福林氏は道教でいう最高神「老祖」の降臨を願い出た。しかし、その神格に著しい隔たりがある為に、尚真人は南極老人を取り次ぎとして、南極老人を仲介役に、ついに「老祖」の出現を見る事となった。

ちなみに、この経緯は「大本神諭」等のそれとよく似ている。(国祖「国常立命」の神示であるとしながら、その仲介役として「若姫君命」が取り次いだとされる)

 ここで降臨した「老祖」は、破滅に瀕した宇宙・世界を救済すべしという壇訓を下し、「太乙北極真経」(たいいつほっきょくしんぎょう)を授けた。

 これは中国・紅卍字会に降ろされた、一種の神示と言えるもので、こうして1922年、地上の霊的拠点として道院が設立される運びとなった。そして1925年には、救済の実行部隊としての性格を持つ「世界紅卍字会」が創設される事となる。
 
 
 
*五教同根*
 
 
 
 この紅卍字会に降りた神壇には、中国の神仙・仏教・キリスト・マホメット・孔子は、総て根を同じくする、五教同根を唱えていた。また1920年に「老祖」が降臨した際に、その場に居合わせた三六名の中には、儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教の信者が各一名づつ参列していた。そしてその後、神壇には道院の神示というイメージとはかけ離れた、キリストや釈迦などが相次いで神壇を伝えた。例えばそこに降ろされた中に、以下のものが存在する。
 
 
 
「この世に満ちる悪濁に淘汰を加えない限り、世界は元の清明さと平安さを回復出来ない。あなたがたは努めて努力し、怠けてはならない。自分を救い、人を救いなさい。災劫がこれほど広がり、はびこっている以上、例え救っても救い切れるものではない等と考え、成り行き任せにする様な心を生じてはならない」

-イエス・キリスト-
 
 
 
「災劫が解消されるか否かは、ひとえに人の心にかかっている。人の心の向かう所に照応して、災劫は、或いは現れ、あるいは消えるのである。

人の心が不善であれば、邪気は多大となって災劫がはなはだしくなる。人心が善であれば、善の気が凝って災劫が解消される。」 ^

-済仏-
 
 
 
 おおよそ、上記の様な壇訓が、次々と伝えられていく様になった。ちなみに、ある調査では中国の1000人住むと言う村で、誰もがプラス思考、マイナス面を考えないようにするという実験がなされ、その結果その村に、犯罪が減るなどは考え得る事だとしても、風雨地震などの災害が減り、また収入も増えるという、好結果を得るといった事もあった。
 
 
 
*同神異名*
 
 
 
 こうしてみると、何か大本と似た経緯と思想を持つ事が、比較的容易に見て取れる。事実、これ等壇訓の中に「日本に行けば道院と合同すべき教団がある」と示された。そして日本に関する壇訓の中には、「日本の首都に大地震が起こる」という事も伝えられ、直ちに救援物資等を送るなどの措置を採る事になった。一方、南京在住の日本領事・林出賢二郎氏は、道院から、近く日本に大地震が来るとの事で、突然白米二千石と銀二万元を託され、その時は奇妙に思ったと言う。

 この事に驚嘆した林出氏は、大本の隠れ信者であった事もあり、日本に震災慰問に出発する、道院の候延爽(こうえんそう)氏他に、日本の出口王仁三郎氏と会見する事を進言した。この事を承諾した候氏等は、綾部の王仁三郎氏を尋ね、会見する運びとなった。そしてこれを契機に、両団体は親密な提携を結ぶようになった。いっぽう、道院の壇訓に「中国の道院は日本の大本、日本の大本は中国の道院なり」と示され、また王仁三郎氏の神審(さにわ)で、道院の最高神、「老祖」は、国常立命の別称であり、同神異名である事が判明した。

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第一章 一連の物語 7 全体の流れ-その1 各種神示の解釈は幾通りもある
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/403.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:51:05:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 番外編:道院・紅卍字会の神示 紅卍字会の誕生/五教同根/同神異名(大本教・民間信仰・民俗) [99- 投稿者 謝寅+ 日時 2004 年 12 月 18 日 10:14:20)

*全体の流れ-その1*

*各種神示の解釈は幾通りもある*
 
 
 
 霊界物語を初めとして、大本の多くの神典類や、日月神示等も、その解釈は幾通り存在し「身魂相応に解ける」と、どれも説明されています。 これら神典類を、ある人は預言書として読んだり、又ある人は身霊の修養書として読んだり、又一方では取るに足らない、偽書的に扱う人も居り、接する時点で既に人それぞれ違っているものです。

 自分としては、幾通りにも読める解釈というのは、平面的に幾通りか読めるという訳ではなくて、その人の身霊の高低によって、段階的(つまり上下方向に)数段階の解釈ができるのだと思います。それは「悪い精神で読めば、幾らでも悪く見える」という内容からも、そうであると思います。

 これはしかし、実際の処、非常に奇異な印章を与えます。一般的なイメージとして、神典とか託宣というものならば、人智の及ばない程完全無欠、且つ誰もが素晴らしいと感じるような、穴の無い内容であるべき、と思われるので、一見矛盾や穴の多い、又人によって幾つにも読める等というあやふやなモノは、中々すんなり受け入れられるものではありません。ここでは、日月神示を元にした、矛盾点を挙げてみようと思います。
 
 
 
我があってはならない

●我を張っていると、いつまでも判らずに苦しむばかりぞ

-『日月神示』上つ巻二七帖-

●我がこの道の大き邪魔となるぞ、くどいようなれど繰り返し気付けおくぞ

-『日月神示』梅の巻十帖-
 
 
 
我がなくてはならない

●我がなくてはならん、我があってはならず、よくこの神示読めと申すのぞ

-『日月神示』二三帖-

●我がなくてはならんぞ、我があってはならんぞ、我が無くてはならず、あってならん道理わかりたか。神に融けいれよ。てんし様に融けいれよ。我なくせ、我だせよ

-『日月神示』水の巻一二帖-
 
 
 
欲を張ってはならない

●金もうけさせんぞ。欲捨てて下されよ

-『日月神示』下つ巻一帖-

●欲だすから、心曇るから、我よしになるから中々に改心できんなり、難しいぞよ。欲さっぱりと捨てて下されよ。欲でると判らなくなるぞ

-『日月神示』青葉の巻十四帖-
 
 
 
欲深くなければならない

●欲捨てると判って来るぞ、誠の欲深になれよ

-『日月神示』黄金の巻十六帖-

●臣民近欲なから判らんのぞ、欲も無くてはならんのざぞ。

-『日月神示』天つ巻二四帖-
 
 
 
 個々の一節をこうして抜き出すと、訳が分からないので、意地悪になってしまいますが、万事このように問答のような、謎のような事ばかりではなく、分かりやすい部分も沢山有ります。
 また「この世一切の物は、神のものぞ、人民のものは一つも無いぞ」と言ってみたり「この世一切のものは、自分(読み手)のものぞ、だといって、鼻高になればポキン折れるぞ」という様な、全く矛盾したような個所も存在します。これなどは、一見明らかに矛盾しているのですが、王仁三郎氏の霊界物語などで、案外この謎を解く鍵が存在したりします。

 しかし、どちらか一方を選択したり、歪曲した解釈をする人も、中にはあるだろうと思います。ただ、それはそれで、その人個人の精神状態によって、そう解釈するのも又仕方がない、という所だと思います。一体何がどうなっているのか?もう少し分かり易く、丁寧に細かく教えてくれても良さそうなものだ、と思いますが、之にはやはり色々と訳があろうかと思います。
 
 
 
*霊界物語は最後の審判書!?*
 
 
 
王仁三郎氏は、その著書『水鏡の中』で、霊界物語を指して「最後の審判書」と定義しています。
 
 
 
 最後の審判は、閻魔大王が罪人を裁くと同様なる形式に於いて行はるると、考えて居る人が多いやうだが、それは違ふ。天国に入り得るものと、地獄に陥落するものの標準を、示される事である。この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、或いは自ら進んで地獄に落つる。それは各自の意志想念の如何によるのである。

-『水鏡』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 上記の一文はスエーデンボルグ氏の「霊界からの手記」に現された内容(霊自らの意志によって、幽界に向かったり、天国に赴いたりするという)と、相通ずるものがあります。つまり、人それぞれに解釈し、理解するもので、これを自己解釈を施して他人に勝手に強要する、という様な、現今の宗教の様な事をするべきではない、と思うのです。

 従って、ここでは、総て単に内容の提示に止めたいと思います。勿論、全く謎のままではなくて、霊界物語とか、王仁三郎氏の著作物等に、案外解く鍵が書いてあったりするものです。その意味に於いて、全く完全な存在である、或いは解釈に一点の間違いも無い、というのであれば、幾らでもそれを説いて、構わないだろうと思いますが、まずそういう人物は、滅多にあるものではないと思いますので、数多の解説書等も、参考程度にとどめておくのが、良いだろうと思います。

 霊界物語自体は、各種の書物を読めば判るように、非常に正確な預言を含んでいたり、様々な奇談・不思議なエピソードも有り、大変な書物であると、思われるかも知れません。 実際には、全般的に通してオヤジギャグのオンパレードで、用語等でも砕けた内容です。当時も、こんな脱線だらけの書物は、読むに値しない、と思う人が多数居たようで、そう受け取るのは、それはそれで、致し方なかろうと、そう思うのです。

 しかし、霊界物語は、文字どおり子供に与える絵本の様な存在で、子供はその絵本を通して、色々な事を学んでいく訳ですが、霊界物語も全く、そんな感じの存在であると思えます。小説の形式をとって、面白おかしく、物語を読んでいるうちに、こういう時には、そうするのが良いのだな、というのが自然に判って来る訳です。
 つまり如何にも上の立場で、相手に教え諭すという事ではなくて、なるたけ平易に、且つ面白おかしく、真理を伝えていくという王仁三郎氏の精神が、そこにあるように思います。

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第一章 一連の物語 7 全体の流れ−その2 大本裏神業の神示群は本物か!?
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/404.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:55:12:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第一章 一連の物語 7 全体の流れ-その1 各種神示の解釈は幾通りもある 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:51:05)

*全体の流れ−その2*

*大本裏神業の神示群は本物か!?*
 
 
 
 それ以前に、大本の、大本神諭、霊界物語などは、本物の正神の神示なのか?と問われればそれまでですが、前に書いたように、その問題も、人それぞれの、考え方に寄らざるを得ないだろうと、思います
 そして、天言鏡、日月神示等の、大本以外に出された神示は本物か?つまり大本の神示の続きであるのか?という点ですが、王仁三郎氏は床次竹次郎氏(政治家)の弟である真広氏に宛てた遺書があります。
 
 
 
 いま、大本にあらはれし変性女子(注:王仁三郎氏の事)はニセモノじゃ。誠の女子があらはれて、やがて尻尾が見えるだろ。女子の身魂を立て直し、根本改造しなくては、誠の道は何時までも開くによしなし。さればとて、此れにまさりし候補者を、物色しても見当たらぬ。

 時節を待ちていたならば、何れあらはれ来るだろう。美濃か尾張の国の中、まことの女子が知れたなら、もう大本も駄目だろう。前途を見越して尻からげ、一足お先に参りましょ。皆さん後からゆっくりと、目がさめたなら出てきなよ。盲千人のその中の、一人の目明きが気を付ける。ああかむながら、かむながら、かなはんからたまらない、一人お先へ左様なら。
 
 
 
 これによれば、王仁三郎氏は「自分は偽者である」と定義し、何時の日にか本物の救世主が現れる、と採れる内容ですが、岡本天明氏は東京から美濃・尾張を経て、中央の三重県に最終的に居を構えた訳ですから、一応の型としての役目を担っていた可能性もあります。

 ただ、霊界物語中にも、上記遺書と似たような内容の一節があり、これを見て様々な人達(自称救世主)が、我こそは本物の変性女子であるとして、大分騒ぎになった事が有ります。そのため、後に王仁三郎氏が、内容を訂正し「(前略)一人の目明きが気を付ける、などと慢心して御座る。」という文にしたという経緯があります。

 その為、王仁三郎氏の本心はどうなのか?単に周りが騒ぎ出したので、訂正してみた迄なのか?それとも他に密意があったのか?その辺りが定かにならなければ、判断も仕様が無い所です。
 
 
 
*出口日出麻呂氏は日之出の神の生まれ変わりか!?*
 
 
 
 所で、出口直子氏の三女、久氏に懸かったとされる、悪神「義理天上日之出神」が説明するところに寄ると、直子氏の息子「清吉」氏が、日之出の神の身魂である、と説いている訳ですが、それが又、王仁三郎氏の説明では、以下のような事だそうです。
 
 
 
日出麻呂は日出の神、出口清吉さんの生まれ変わりだから、さう名づけたのである。

-『月鏡』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 月鏡を読む限りに於いては、比較的、王仁三郎氏は、義理天上日之出神を初めとした、悪神の仕組みと思われている部分に、それ程批判的で無いのですが、実際には案外深い経綸がありそうです。その清吉氏の生まれ変わりとする、日出麻呂氏が、岡本天明氏や辻正道(天水)氏と、非常に多く接近しているという所が、気になるのです。其処にはやはり、天言鏡や神言書、日月神示などが、何かしら経綸上、必要であったのではなかろうか?と感じます。

 ただ、王仁三郎氏が、それ程批判的でない、という点が逆の意味でも、気になる所です。これは何かしらの雛形、つまり義理天上日之出神の『日之出』神諭、或いは日出麻呂氏を信じる人々が、何かやり出す事が型になり、将来に芽吹いて来る、という事かも知れないのです。ここで、ONIKEN情報センター(http://www2.gol.com/users/orion369/ONIKEN/)さんの情報で、以下の事情を教えていただきました。
 内容的に判りづらいので、初めからの事を書きますと、三代出口直日教主と大二(ひろつぐ)氏が結婚され、日之出神の神業を取り次ぐという形になっていた様です。ところが、諸事情によりこの神業は召し上げられてしまったそうです。

 結局その間は、出口王仁三郎聖師が代役を務められ、昭和三年二月に直日教主と、出口日出麻呂氏と再婚をされたのを期に、ニセの変性女子・日之出神として、出口日出麻呂氏がその使命を全うされた。との事です。その時の仕上の実行部隊に居たのが、岡本天明氏や辻天水氏であった様です。

 この話しは、一つの謎を解く可能性もあります。それは大本神諭などでも「日之出神」と「龍宮の乙姫」とは、夫婦神であり、外国でお働きになる。という事が言われていた為で、その龍宮の乙姫とは、二代出口澄教主であると、言われていたのです。単純に、澄教主が龍宮の乙姫であるなら、夫である王仁三郎聖師は、日之出神という事になるかなぁ、と考えていたのですが・・・

 一方ではまた、澄教主は「金勝要神」であると言われ、また日之出神は「出口日出麻呂」氏であると言われ、意味が分からない状態でしたが、日之出神自体が、最初は出口清吉氏、そして大二氏が行うはずであった役柄を、王仁三郎聖師が代役し、更に日出麻呂氏がニセ役の日之出神を行うなど、幾通りかの肉体を通して活動していた。という様に考えますと、澄女史も幾つかの役柄があったとしても、不思議ではないのです。
 また、日月神示の媒介を手伝ったとされる月日明神こそ、大本創成時代に日之出神と現れた出口清吉氏の本霊であったとの事です。
 
 
 
*偽救世主、偽予言者の台頭*
 
 
 
 大本の真似をした、神ではなく、その人の守護神が懸かって書いた神示が、多数出て来て、偽救世主や偽予言者がまだまだ多く現れて来る、と神示上からも、王仁三郎氏の著作上からも、警告が為されていますが、その意味において、総て慎重に対処する必要は在ると思います。

 現在多くの続編と称する神示や、神の託宣の様なモノが案外知らない所で乱立しているようです。大本の筆先等も、むしろ近年入手が比較的容易であるため、それ等を読んだ守護神(或いは潜在意識下で)が書いたとすれば、それを受けた人物は、自我でない、啓示が出たとすれば、偉い神が懸かったのだと過信していしまうだろうし、敢えて人為的に書く人も、中には居るだろうと思います。

 先に紹介した大本の外部で出された神示類は、全体の経緯として、大本で続きの筆先を出すのが困難であり、更に王仁三郎氏も「三代教祖の時に、仕組みが変る」という預言をしていて、何かの折りには、正に臨機応変、仕組みが変る可能性も、否定できない、という訳です。その意味では、現在裏神業や大本の続きの神業を行うという、各種の団体も、何かしら有れば仕組みが変る可能性があります。

 ただ、ここで紹介している神示は、人為的な操作が非常に困難である面で、恐らくは自我で神示を書いたと判断するには少々無理があり、真に大本の続編であったか、各人の守護神、或いは悪神が書いたか、のどちらかであろうと思います。何故、悪神が書いたというのは、悪魔というのは、如何にも熱心な人物、信用されている人物を狙うのだそうで、その意味でも、前評判等は当てにならない可能性も有り、結局この判断基準というものは、在って無い様なもの、としか現在言い様がありません。

 所が、前述の王仁三郎氏の遺書が、本心であったと仮定するなら、雑多な中に本物が混じっている訳ですから、その取捨選択はやはり人それぞれでしょうから、自分の意見に囚われずに、直接原典に触れてみるべきであろうと思います。

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第二章 雛形経綸 2 大本と日本の対比 大本=世界の雛形!?/善と悪、両方の鏡(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/370.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:26:53:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)

*大本と日本の対比*

*大本=世界の雛形!?*
 
 
 
●世界にある事変は、皆明治三十二年から大本の内部に模写(かた)がしてみせてあるぞよ

●この内部のごたごたが世界に出来るぞよ。いつ大本にこういう事がありたという事を、つけとめておいて下されよ、世界の鏡になる大本であるから、世界にあること、雛型(かた)をして見せるぞよ

●大本にあった事は必ず日本と世界に実現する、大本は世界の模型であるから、箸の転んだ事までつけとめておいて下されよ

-いずれも『大本神諭』/出口直伝達より-
 
 
 
 上記引用は、大本で起きた事件や出来事などが、日本と世界に起こって来るという一節ですが、これらはかなり大本神諭等に散見されるものですが、実際にどのような事が起きたのであるか、大本と日本の歴史を、抜き出してみたいと思います。
ちなみに、この事は比較的に有名なことであるので、既にご存知の方も多いと思いますが、一応参考がてら、ご覧ください。

 ただ、残念ながら弾圧によって、大部分の資料は焼かれてしまった為、判断できませんが、恐らく上記の神諭の様に、大本内部の出来事を細部まで記録していた資料が、もし在ったのならば、更に色々な事が分かったのではないかと思います。
 
 
 
年月日      大本に起きた事件       年月日      6年後の同じ日

S.9年7月7日   東京九段の軍人会館で   S.15年7月7日 東京九段の軍人会館で
           昭和神聖会を発足。               近衛内閣と陸相の東条
          この時の副総裁は日本              秀樹が大政翼賛会を発足。
          右翼運動の創始者、               以後、日本は急速に右翼化
          内田良平。以後大本は
          急速に右翼化
 
S.10年12月8日 憲兵特攻が、松江の    S.16年12月8日 海軍の特攻隊がハワイの
          宍道湖(しんじこ)近くに              真珠湾に停泊中の、アメリカ
          滞在していた王仁三郎              太平洋艦隊に奇襲攻撃をする。
          を奇襲、検挙する。

S.11年4月18日 綾部・亀岡の聖地所有権 S.17年4月18日 米軍機が東京・名古屋・
          が町に移され、ダイナマイト           神戸等の本土上空を空襲、
          1500発にて全国の大本関連          爆撃によって日本の各所
         施設が破壊され、瓦礫と化した          が廃虚と化した。

S.20年9月8日 大審院にて大本は無罪   S.26年9月8日 サンフランシスコ講和条約が
          となる。王仁三郎は国に            結ばれ、太平洋戦争が終結。
          対する賠償請求を放棄。            戦後連合国は日本に対し
                                     賠償を一切放棄した。
 
 
  
 これを見る限りにおいて、大本で起こった事件は、6年後の全く同じ日に、日本に似たような出来事が起きている事が分かります。又6年後という事で、4年に一度ある閏年まで一致しています。大本弾圧事件発生〜最終解決までの期間は9年9ヶ月で、太平洋戦争〜サンフランシスコ講和条約が結ばれる迄の期間も9年9ヶ月でした。
 
 
 
年月日

昭和10年12月8日〜昭和17年8月7日、  大本、王仁三郎が投獄されていた期間  
6年8ヶ月(2435日閏年2回はさむ)       

昭和20年8月27日〜昭和27年4月27日、 日本が連合国の占領下にあった期間
6年8ヶ月(2435日閏年2回はさむ)      
 
 
 
 しかし、実際にはこれだけではなく、王仁三郎氏曰く、当時大本に対して盛んに「邪教集団」「危険思想集団」と罵詈雑言を浴びせられた事は、そのまま日本へと移り、世界から「日本は信用置けない」「侵略主義である」といった盛んな排日運動に至ったのだと、説明しています。又大本の役員の中にも、私利私欲によった、権力闘争などが、少なからずあった様ですが、これらも、突き詰めれば、日本の政府の内情が大本に写り、又大本の内情が、政府に写っている、との事です。
 
 
 
*善と悪、両方の鏡*
 
 
 
 一般に大本とは宗教団体であると、認識されていますが、それにしては大本内部には、素晴らしい善の部分と、悪の部分が内包されています。要するに、良い人も居れば悪い人も居る訳ですが、そこが又俗な集団とも、下衆な集団とも採れる所であり、そこが又大本という所を、わかり難くさせている部分でもあります。
 
 
 
●この大本は万古末代、善と悪との鏡を出して善悪の見せしめを致す、世界の大本となる尊い所であるぞよ
●何時になりても善い鏡と悪い鏡とができる、大望な所であるぞよ

●大本は善悪二つの世界の型を出すところ

-いずれも『大本神諭』/出口直伝達より-
 
 
 
 人々の鏡として、大本には身霊相応に、『善の鏡』もあれば『悪の鏡』も出現する所で在るようです。

 一般的には、「あの人は主婦の鏡だ」などと、模範的な人物を指して、つまり誉め言葉で使うのですが、大本では善と悪の、両方の模範を出すところの様です。

 そして、その行動を見て「ああ、こういう事はいけない事だな」と改心する、という事であるのかも知れません、実際の所「悪い事は出来ない物だ」と反面教師的な人も、沢山居るのではないかと思います。

 またそれが世界に移る事によって、世界の人間も、改心するようになってくるのではと思います。

 以上の出来事は、そのまま神諭系の簡素な、少し分かり難い内容と、王仁三郎氏の、お筆先の内容を、事分けて教えると言う役目と、みごとな対応になっています。
 
大本神諭の、世界の型がどうのという内容を、王仁三郎氏が具体的に、分かり易く実行している訳です。これは恐らく、王仁三郎氏の論語以外に、行動も含めて、注目する必要があるのではと思います。

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第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その1 縦三段と緯三段の仕組み/宇宙万有に雛形が見られる(大本教・民間信仰・民俗
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/371.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:29:48:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第二章 雛形経綸 2 大本と日本の対比 大本=世界の雛形!?/善と悪、両方の鏡(大本教・民間信仰・民俗) [99-03- 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:26:53)

*雛形経綸の理論 -その1*

*縦三段と緯三段の仕組み*
 
 
 
 理論と言っても、特別難し訳では無いですが(しかし目に見えない世界の事であるので、立証も難しい為、逆に言えば難しいかも知れませんが)簡単に言いますと、文字どおり、何かしらの雛形として行動をすると、それが転写広大して、全体に及ぶという事です。大本に起こる事は、日本に、そして日本に起こる事は世界に起こるという事が、神諭などで散見されます。これは一体どういう事であるのか、と言いますと実際の事件は、後に書きますが、それと思しき内容(或いは、参考になりそうなもの)を、王仁三郎氏が「神の国」誌上で発表した事等から、考えてみたいと思います。

 王仁三郎氏は、霊界とは想念の世界であるから、例えば神前に松の枝を供えたとしても、小さな枝が神界では、想念の延長で幾らでも大きな大木となり、それを使って家を建てるなど出来るのである、と顕しています。これは、恐らく雛形経綸を考える上でも、参考になる事と思います。つまり、地上でどれほど些細な事でも、その行為は神界へと反映して、幾らでも大きなものへと、広大出来るのではないかと、考えています。

 また後に書く、大本で起きた雛形の転写状況ですが、大本に起きる事は日本に起こる云々、とは大本でも言われていますが、それがどういう仕組みで起こるのか、という説明は、自分の記憶する範囲では、為されていないと思います。所が、「日月神示」や王仁三郎氏の著作等では、それと思しき事が、幾つか見受けられます。
 
 
 
神の天

神の地

幽の天

幽の地

顕の天

顕の地
 
 
 
 ※神・幽・顕と霊界の縦三段に、立て替え・立て直しのエネルギーが転写し、それぞれの段階で「合わせ鏡、写し世」と言われる現実世界に転写し、大本→日本→世界へと横三段に転写していくという、法則な様です。日月神示には「生きるか死ぬかは人間ばかりでないぞ」「神様も無くなる御方あるぞ」「上の上の上の神界では戦は済みたぞ」という意味の事が書かれてあり、神界からの立て替えの様相が、順次写って来ると受け取れる個所が見受けられます。

 大本神諭、日月神示等を考え合わせますと、雛形として地上界への転写が、二度起こる事になりますが、実際大本神諭や日月神示には、同じ事二度ある仕組みと、書かれてあります。また、王仁三郎氏によれば、霊界にて起きた事は、やがては物質界に転写するものの、明日にもそれが起こるかも解らないし、100年後に起こるかもわからず、またその内容も、ソックリに起きたり、違った形で起こってきたりと、様々な様です。

*宇宙万有に雛形が見られる*

五大州
相似系イメージ
素粒子から銀河系迄の対数座標軸(イメージ図)

 この雛形という現象としては、地球上の地理にも当てはまるとされています。それは、日本の地形そのものが、世界五大州の雛形であると言う説です。これは偽書と言われる『竹内文書』にも書かれている事ですが、王仁三郎氏の歌に、以下のものがあります。
 
 
 
 
 日出る国の日の本は、全く世界の雛形ぞ、わが九州はアフリカに、北海道は北米に、四国の島は豪州に、わが本州は広くして、欧亜大陸そのままの、地形をとどむる千早ぶる、神世の古き昔より、深き神誓の存ますなり

-『大本神歌』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 この歌から推察したとおり、それぞれの地形が、世界五大州の雛形として、日本が存在するという説は、王仁三郎氏も唱えていたという事になりますが、実際の所この具体的検証を行う事は不可能です。しかし、日本一大きな琵琶湖の地点には、世界一大きなカスピ海、日本の富士川はガンジス河に似ていて、更にそれぞれの川の北方には富士山と、エベレストが存在するという、この様な相似系がまだまだ存在するのです。

 ただ、この世界の物質は、案外相似系を成している物で、例えば物質の最小単位である、原子の場合を見ますと、原子核の周囲を廻る電子の振る舞いは、太陽を中心に公転する惑星の様子に似ています。またその太陽系も、それぞれが公転し銀河を作り出しています。

日本サイ科学会の大橋正雄氏は、素粒子・原子・太陽系・銀河系」の半径と周期(秒)を対数座標軸に記すと、それ等は直線上に並ぶ事を示しています。

 これらは偶然と言ってしまえばそれまでですが、この世界には鉱物や植物、人間を含めた動物、人工的に作られたプラスチック等、豊富で様々な素材が満ちていますが、見た目や性質が違っていても、結局の所総てのモノは、原子からなっている事を思うと、何か不思議な感じを受けます。更に、銀河星運まで範疇に入れると、半径で約10の6乗になり、一周に掛かる秒数は約10の5乗になり、その相対として考えれば、原子・素粒子よりも更に小さい、全く目にみえない粒子がある可能性もあります。

 つまり、10のマイナス6乗程の無論、目にも見えない、電子顕微鏡でも見る事の出来ないものが、あるかも知れません。

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第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その2 不思議の国、霊之本津国・日本/近代哲学者の発見/霊界で起きた事は、必ず実
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/372.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:35:03:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その1 縦三段と緯三段の仕組み/宇宙万有に雛形が見られる(大本教・民間信仰・民俗 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:29:48)

*雛形経綸の理論 -その2*

*不思議の国/霊之本津国・日本*
 
 
 
 話しを日本に戻しますと、ブルガリア政府公認で、現在世界一の超能力者と言われるベラ・コチェフスカ女史が来日し、文芸春秋誌のインタビューに答え「日本は地球のヘソの様なものであり、宇宙からのエネルギーを一番ストレートに受ける聖地」であると発言したそうです。ちなみに、伊勢の聖地は世界中の人が参拝するべき所であるとして、古代にもキリスト・モーゼ・マホメット等が、日本に訪れた事があるのだそうです。

 またベラ女史が伊勢神宮の外宮に参拝した折、外宮正殿の後方の多賀宮の神前まで引かれるように進み、額づいて祈り「こんな聖地は無い。ここに世界中の人が祈りに来なければならない」と語ったそうです。(文芸春秋平成五年三月号)

 これは、かつて王仁三郎氏が、「日本は世界の胎胞である」として、日本の地形と世界の地形の相似系を説明する事がありましたが、余程日本と言う国家は、何かしらの秘密が在るような気がします。

 又、エネルギー云々とか、そういった理屈は分かりませんが、大本で起きた事が、日本→世界へと相似系を以って波及した事(詳しくは後程)を考え合わせると、又不思議な気がしますが、更に日本で見た場合は、大本乃至皇道大本の在った「綾部」という聖地も、又不思議な場所であったようです。

 それは、綾部町の存在する京都府何鹿郡は、戸数、面積、歳出、歳入が、日本全体の千分の一に相当していて、国の歳入が増すと、千分の一の割合で、何鹿郡の歳入も増し、綾部町はまた、日本の万分の一に相当していて、何時でもそれが同じ比率を持っていたそうです。全く偶然と言うには、少し出来すぎの感があります。
 
 
 
*スパイラル状の進化*
 
 
 
 よく人類の進化を指して、スパイラル状の進化と言われています。それはあたかもDNAの螺旋の様に、渦状に少しずつ進化していくというものです。それは幾つかの栄枯盛衰を極めた古代王権など、時代と国を超えて、よく似たような経緯を辿ると言うものです。それと思われる点で、王仁三郎氏は古事記の解釈について、以下の様な解説をしていました。
 
 
 
何時も申す通り、この古事記は古今を通じて誤らず、これを中外に施してもとらないと云ふのでありまして、神代の昔も、今日も、また行く先の世の総ての事も、測地することが出来る様に書かれてあるので、これが天下の名文である所以であります。

-『王仁文庫』第二輯/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 また日月神示上にも、これを差しているものなのか?以下の様な個所が見うけられます。
 
 
 
●この神は現在も尚、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理判りて下されよ。世界は進歩し、文明するのでないぞ、呼吸するのみぞ、脈拍するのみぞ、変化するのみぞ、くるくる廻るのみぞ、歓喜弥栄とはこのことぞ。

-『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
 果たして何を意味するのでしょうか?人体は小宇宙などど言われますが、確かに万物は何によらず、原子から成り立ち、そして渦の様なDNAを遺伝子情報として持っています。宇宙にもやはり、万物の元となる何かと、渦の様な進化経路を経るとでも言うのでしょうか?日本においても、考古学上の多くの発見が、三世紀後半頃、九州地区から畿内に向けて、強烈な分化の伝承があった事を実証している様です。

 明治維新もまた、西側諸国の連合(薩長連合)し天皇を錦の御旗に立てて、強大な政権(徳川幕府)を倒しました。いづれも又、天皇(大王)が西から東に移動した際の、それに匹敵する列強が倒れる。という点で共通しています。しかも、大和朝廷建国の際にはニギハヤヒ尊が帰依し、明治維新の際には徳川幕府の大政奉還、という様に不思議と闘う事無く譲歩している点が同じです。(抹殺された古代王権の秘密/関裕二著:日本文芸社)

 そして又王仁三郎氏は三鏡の中で戦国時代の事に触れ「戦国時代の型を写していかならけばならいのに」と語っています。またこれに付随するものなのか、お筆先にも「ナの御魂とノの御魂の和合一致し、最後はスの御魂が統一する」と在ります。

 この点については、一つの仮説が存在します(王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける/須藤アキオ著:徳間書店)それを纏めると、以下の様な感じになります。
 
 
 
小田信長  大自在天神       自らを「第六天魔王」と称し、叡山の僧三千人を焼くなどの
                     攻撃的、且つ強力な勢力で、一時代の覇者となる。

豊臣秀吉  ナの御霊(ユダヤ)   武力絶倫の小田信長(大自在天)に仕え、一旦統一の
                     座を手にした。海外貿易や商業都市、鉱山を押さえるなど
                     金銭を重要視し又その才にも長けていた。

明智光秀  ノの御霊(日本)    信長(大自在天)を暗殺し、逆賊と言われた。しかし、
                     天王山の闘いの際に秀吉(ユダヤ)に敗れる。

徳川家康  スの御霊(ミロク)    秀吉の残党との間に関ヶ原の天下分け目の大決戦が
                     行われる。最終的には幕府体制が敷かれ、統一される。
 
 
 
 王仁三郎氏はよほど汚名が好きなのか、亀岡の聖地は明智光秀の城跡に築かれ、また「水鏡」には以下の記述も見受けられます。
 
 
 
 千の利休といふ人は、明智光秀のなれの果てである。明智光秀は山崎の一戦にもろくも敗れて、遂に名も無き一土兵の為に竹槍でつき殺されたと、歴史に伝えられているがあれは嘘である。

 天王山の一戦で勝敗の決する事は、初めからよく承知してをったが光秀は将士の度々の迎へを受けながら、わざとグズグズしていて、遂に勝ちを秀吉に譲ったのである。

 実にとくに光秀と秀吉の間には妥協が成立して居たのである。聡明なる光秀は、たとへ如何なる事情があったにせよ、一旦主殺しの汚名を着たものが、天下の将軍となっても長続きせぬと云ふ事をよく承知して居て秀吉に勝ちを譲ったのである。

-『水鏡』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 簡単には、小田信長(大自在天)という強力なバックを元に、金銭重視の秀吉(ユダヤ)が天下を治め、その背後に控えた力小田信長を、明智光秀が倒し、逆に秀吉に滅ぼされようとするが、秀吉と明智の間にはある提携があり、実際には参謀として働き、また最後に徳川幕府によって制定され、明治維新に至る(明治維新後、美濃や尾張といった個別の国という観点から、日本国という一つの国家形態に変わった)…というものです。

 これには後日談があって、大正9年頃に千利休=明智光秀論を聞かされた、太田栄子夫人が、お茶の先生の名倉氏に話し、名倉氏はそれを又家元(第13代園能斎氏)に話した所、園能斎氏はサッと顔色が青ざめ、暫くはものも言わなかった様で、ようやく「どうしてそれが判ったのですか?」と聞いたそうです。この事は千家に伝わる一子相伝の大秘密で、後を継ぐ長男のみが、それを聞き伝える様です。

 話しを戻しますと、大和朝廷や明治維新と共に、秀吉と明智の間にも譲歩が成立していた可能性があるのです。これは後述する様に、ユダヤ(秀吉)と日本(明智)の提携の型にも受け取れます。
 
ましてや、ユダヤ人と日本人とは、フランスで行われた遺伝子調査で、親戚関係にある事が判ったと言われています。ユダヤ人といっても、アジア系も存在するのです。

 また数年前に、自分は偶然、有名人の子孫を探すという企画のTV番組を見ていたのですが、その際に「秀吉」の子孫の方と「光秀」の子孫の方が対面した所を見ました。その際に秀吉の子孫の方が家系図を持ち出して「先祖は敵同士でしたが、我が家の家系図によると、うちと明智家とは遠い親戚筋にあたる様です。だからこれからは親戚として、仲良くやって行きましょう」と話されたのを確かに覚えています。

 ともかく、実際に似た様な事は、スパイラル上に起きている感じです。正しくDNAの遺伝子情報の様に、それこそ人類が知らぬ間に、一つの遺伝子を持って、同じ様な道を歩んでいるという感がありますが、諺にも歴史は繰り返すと言いますから、これ等と似た様な事が、今後起こり得るかも知れません。

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第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その3
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/373.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:38:26:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その2 不思議の国、霊之本津国・日本/近代哲学者の発見/霊界で起きた事は、必ず実 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:35:03)

*雛形経綸の理論 -その3*

*造化の原理*
 
 
 
 先日興味深い本を発見しました。その本の著者である牧師(G.W.OWEN)が自動書紀によって書いたものである、という事です。(ちなみに小説家のコナン・ドイル氏もこの著書を絶賛していたという事です)そしてその著書の中には以下の様な事が書いてあります。
 
 
 
 …先ずスパイラルですが、これはそれ自体まさしく霊的世界に見られる原理の物的類似物と言えます。それは当然の事で、物的原子の総てが意念の操作による産物だからです。その意念の大根源が神です。その神から涌き出た動的意念が中間の界層を整然たる順序を経て下降し、物質の中に究極の表現を見出しているのです。したがって物的世界に見られるものは、そうした中間層を通過してきたエネルギーの産物なのです。前の例ではそのエネルギーがスパイラル運動によって発せられているのが判ります。

-『ベールの彼方の生活4/G.V.OWEN近藤千雄訳:潮文社』より-
 
 
 
 上記の内容は、縦三段・横三段という立て替えの放射と良く似ている表現です。もちろん実際同じ事を語っているのかは判りませんが、少なくとも、霊界に起きた出来事(意念)が現実の世界に転写してくる、という点では王仁三郎氏や他の霊訓などに共通して見られる描写です。 そしてスパイラルという表現が見られますが、これについても以下の様な記述が見られます。
 
 
 
 …天体がいかにして誕生したかが判るようになっていました。左側は神の思念が外部へ向けて振動し鼓動しつつ徐々に密度を増し、貴殿らの言うエーテルそのものとなっていく様子が判るようになっていました。それを見ると゛動き゛の本質が判ります。本質的には螺旋状(スパイラル)です。

 それが原子の外側を上昇して先端までくると、今度は同じくスパイラル状に、しかし今度は原子の内部を下降し始めます。(これが象徴的表現に過ぎないことを後で述べている)空間が狭いために小さなスパイラルでも上昇時よりもスピードを増します。そして猛烈なスピードで原子の底部から出ると再び上昇スパイラルとなりますが、スピードは少し緩やかになり、上昇しきると再びスピードを増しながら内部を下降していきます。

…(中略)…

 鉱物の原子を見てもやはり同じ原理になっている事が判ります。また一つの原子について言えることは、原子の集合体についても言えます。例えば太陽系の惑星の動きもスパイラルです。但し、惑星を構成する物質の鈍重さのせいで動きはずっとゆっくりしています。同じ事が衛星の運動にも言えます。さらに銀河系の恒星をめぐる惑星集団、さらに銀河の中心をめぐる恒星集団についても言えます。

…(中略)…

 こうした状況を我々はその幅広い通りの左側に見たのです。がその反対側には物的想像物の霊的側面を見ました。つまり両者は表裏一体の関係となっているのです。 

-『ベールの彼方の生活4/G.V.OWEN近藤千雄訳:潮文社』より-
 
 
 
 ここで通信者は、゛先端゛とか゛底部゛とか゛上昇゛とか゛下降゛という言い方は便宜上そう表現したまでのことです。エーテルの原子に上も下もありませんと答えています。判りやすいように、色々と象徴的に表現しているのだと思いますが、ここで言われている左側とか右側という表現も、方位とか方角ではなく何かの象徴とは思いますが、面白いものです。

 言霊的な表現では、左(ひだり)とは霊(ひ)を現して、また右(みぎ)とは身(み)という面を表しているのです。神話に見られるイザナ(ギ・気)、イザナ(ミ・身)の神産み等の様に、霊肉表裏一体で表現されている事が多いのです。そしてまた、その側面の一つであるエーテルの世界の進化について以下の記述があります。
 
 
 
 吾々が知ったことは造化の神々はさきに述べたエーテル原子よりさらに遡った全存在の始源近くにおいて造化に着手されているという事です。またエーテルの進化を担当するのも太古より存在する偉大なる神々であるという事です。そこで吾々はずっと下がって材質の密度が運動を鈍らせるにいたる段階における思念のバイブレーションを学習する事になりました。そしてまず知ったのは、吾々学徒にとって最も困難なことの一つは正しく思惟し正しく意思を働かせることだという事です。物質を想像していく上で先ず第一にマスターしなければならないことはスパイラル状に思惟するという事です。これ以上の説明は私には出来ません。

-『ベールの彼方の生活4/G.V.OWEN近藤千雄訳:潮文社』より-
 
 
 
 また一方で以下の様な興味深い事柄も見られました。
 
 
 
 …さてこれを動物界に見てみると、やはり同じ原理が働いているのが判ります。例えば小鳥は空中を飛ぶのにも滑空するのにも決して一直線は描かずに曲線を描く傾向があり、長い距離を行くとやはりスパイラル運動をしている事が明らかになります。同じ事が海中の動物にも陸上の動物にも言えます。ただ、進化すると、高等なものほどそれが明確に認められなくなります。自由意思が行使されるようになるからで、それが中心的原則から外れた行動を生むようになります。逆に自由意思が少なくなるほどその原則が明確に見られます。例えばカタツムリの殻を御覧になればよくわかります。海の動物の殻にも同じものが数多く見られます。自由意思に替わって本能が作用しているからです。

-『ベールの彼方の生活4/G.V.OWEN近藤千雄訳:潮文社』より-
  
 
 
 
 神示と霊訓の所で述べているのですが、人間というのも進化・進歩するほどより多くの自由意思が行使できるようになると、シルバーバーチ等が語っているのですが、これは未だに判然とは判っていないのですが、ここでも同じような事柄が述べられています。

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第二章 雛形経綸 3 現在の日本について -その1 霊界で起きた事は、必ず現界に転写する!?
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/406.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 16:16:16:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その3 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:38:26)

*現在の日本について -その1*

*霊界で起きた事は、必ず現界に転写する!?*
 
 
 
 先ずは、雛形経綸の冒頭に述べた、縦三段、横三段の立て替えの仕組みを、もう一度思い起こして欲しいのですが、この図から考えると、神界の立て替えが起こってから、それが大本から日本を経て世界へと現れて、また幽界に転写し、そして幽界からまた大本から日本、世界へと転写してくる、という事になっています。
 すると、一度目の立て替えという段階に於いて(雛形)は、第二次世界大戦であったという事になります。という事は、それを一つの区切りとして、戦前と戦後は似たような経緯を辿って(つまり神界からの余波、幽界からの余波という違いだけで)いく事になります。もう一度分かり易く書けば、以下のようになります。


神の天
/|
世界 ← 日本 ← 大本 |(神界からの余波の時代?/戦前)
\|

幽の天
/|
世界 ← 日本 ← 大本 |(幽界からの余波の時代?/戦後)
\|

顕の天


 そこで、戦前には、どのような事があったのか、そして、現代と比較してみて、どうであるのかを検討してみたいと思います。因みにこの現象に、恐らく最初に取り組んだのが、月海黄樹氏だと思います。このページも「竜宮神示/月海黄樹著(徳間書店)」から、参考にさせて頂いています。
 
 
 
*同じ事二度ある仕組み*
 
 
 
大本神諭や日月神示には、同じ事が二度ある仕組みという一節があります。
 
 
  
●同じ事二度くり返す仕組みざぞ、この事よく腹に入れておいて下されよ。同じ事二度。

●出てきてからまた同じような事繰り返すぞ、今度は魂抜けているからグニャグニャぞ

-『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
また、以下のような一説も、日月神示に見うけられます。
  
  
  
●天界での出来事は必ず地上に移りて来るのであるが、それを受け入れる、その時の地上の状態によって早くもなればおそくもなり、時によっては順序も違ふのであるぞ、人民は近目であるから色々と申すなれど、広い高い立場で永遠の目でよく見極めて下されよ。寸分の間違いもないのであるぞ。

-『日月神示』/岡本天明伝達より-

それでは、戦前の主な出来事には、どのような事があったでしょうか?以下にそれを纏めてみました。
 
 
 
* 1918〜1919年春にかけて、停滞していた日本経済は、春から世界貿易の活性化するという見通しから、好景気となり、株価も上昇する。

* 1920年3月15日、株式市場が突然暴落、その関連銀行74行が破綻、21の銀行が休業に追い込まれる。

* 円高となり、益々日本経済が圧迫を強いられる。最終的に赤字国債の発行となる。

* 関東大震災発生

* 1924年、政府の分裂から、議会は解散、8年ぶりに2大政党の交代劇がある。政友会と革命新倶楽部との「連立政権」が誕生した。

* 新聞、雑誌、評論家などの、大本に対する、非難が集中する。最終的に、大本は不敬罪として、弾圧を受ける。

* 「侵略主義」として、世界から排日運動、排斥運動が起きる。

* 男性は気骨が薄れ、軟弱化傾向を見せる女性化傾向が見られた。逆に女性の参政権や、男女平等論が活発となり、女性の力が強くなる傾向があった。
 
 
 
 といった所が主な点です。銀行の倒産などは、80歳になる自分の祖母に聞いたところ、「子供の頃に、そんな事があったと、聞いた覚えがある」という事でした。又当時の風俗等は、大本の当時の著作物等から、当時の社会情勢等を抜き出してみました。これを見る限りにおいて、一見すると現代と見紛う様な気も致します。

 更に極最近、元総理の宮沢喜一大蔵大臣の就任を、平成のこれきよと、大正時代に総理経験者の大蔵大臣就任という出来事を、重ねてマスコミでも、盛んに報道しています。

 また、西ドイツの経済悪化によって、外国人排斥運動が起きて、国粋主義・極右思想が起こりはじめています。西ドイツはナチスの事を恥じ、この事が常に頭の片隅には、あると思いますが、ネオ・ナチ団体が誕生するなど、やはり困窮というのは、抗し難いものの様で、人の精神状態も切迫してきている様です。
 
 
 
戦前の日本                 戦後の日本

株価暴騰による好景気          バブルの発生

株の暴落による、経済の崩壊、    バブルの崩壊による銀行の破綻
銀行の破綻                        

世界的な不況                世界な不況

円高による、日本経済の圧迫、     円安による日本経済の圧迫、
赤字国債の発行               赤字国債の発行

関東大震災の発生             阪神大震災の発生

8年ぶりの与野党逆転、連立政権へ  社会党勝利から9年ぶりの自民党惨敗、
                        連立政権化か?

マスコミによる、大本批判、弾圧     マスコミによる、オウム真理教批判、検挙

侵略主義との排日運動          貿易摩擦等による、日本バッシング

男性の女性化、女性の台頭       男性の女性化、女性の台頭

総理経験者の大蔵大臣就任      総理経験者の大蔵大臣就任

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第二章 雛形経綸 3 現在の日本について -その2 オウム事件の真相!?
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/407.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 16:36:24:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第二章 雛形経綸 3 現在の日本について -その1 霊界で起きた事は、必ず現界に転写する!? 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 16:16:16)

*現在の日本について -その2*

*オウム事件の真相!?* 
 

 
 
 前述の月海黄樹氏の取材によると、平成2年頃オウムの研修に参加したという、某大学の助教授のリークによるば、当時オウムの幹部候補として盛んに勧誘を受けていた様です。いずれ日本に強大な勢力を誇る教団になるとして、かなり強固な自信を持っていた麻原教祖は、その某助教授に以下の事柄を教えたそうです。
 
 
 
* オウムに対して、陰で支援しているのは、巨大宗教団体(仏教系)と、韓国の宗教団体(キリスト教系)が麻原の顧問役である。

* オウムのバックにある両者とも、同じ銀主がいて、政治的な工作や、ロシアへの政治工作も、同教団が取り次いだ。

* これら教団の背後に、韓国の財団が存在し、その背後には更に、アメリカの巨大資本があるらしく、CIAにも圧力が掛けられるほど、その影響は強大であるらしい。
 
 
 
 だいたいが、以上の様なものです。この某助教授のリークとは全く別の、関係の無い取材者によるオウムと統一教会の関係が伝えられており、又政治的な工作に関しても、政界を引退したハマコーこと、浜田幸一氏によると、某議員と某議員が、オウムに対して膨大な資金援助獲を行ったとの暴露本を出しています。(オウム事件の発生後、この議員の内の一人は引退をしました)

 少々ショッキングな事では在りますが、全く関連の無いそれぞれの取材結果から、同じ結論が出ているという事は(何故かテレビ等では、殆ど報告されていませんが)恐らく、これらの事柄は、事実か又は非常に事実に近いと見て、良いのではないかと思います。

 全然、大本等と飛んでしまったと思われるでしょうが、戦前の大本と、戦後のオウム-統一教会等は、大変に似ているのです。それは一般的に誰もが、連想する様で、オウムの破防法の適用云々に関して、戦前の大本との対比を行うテレビや対談なども、多少あった様です。それでは、オウム-統一教会と、大本の主な点を表に纏めてみました。
 
 
 
*戦前の大本と、戦後のオウム真理教・統一教会の類似 *

大本(戦前)         オウム真理教(戦後)        統一教会(戦後)

出口直子、王仁三郎の                      文鮮明教祖と夫人の二人の
二人の代表という稀な                       代表として、布教活動を行っ
団体であった(又大本で                      ている
は、霊的に二人は夫婦
である、と説いていた)

王仁三郎氏は、淫行の  麻原教祖は、女性信者と姦   文鮮明教祖は、淫行の教祖
教祖として、非難を     淫を行うなど、淫行の教祖と   として、非難を浴びていた。
浴びていた。         しても、非難された
 
大本は、新聞・雑誌・    オウム真理教は、テレビ、雑  統一教会は、テレビ、雑誌、
評論家等から、非難を   誌、評論家等から、非難を浴  評論家等から、非難を浴びて
浴びていて、投獄され   びている。教祖は現在投獄さ  いる。教祖は投獄された経験
た経験があった。      れている。              がある。

大本は信者と称する    オウム真理教は、信者と称す
武装部隊が竹槍10万   る武装部隊を組織し、サリ
本、手瑠弾を保有して   ン、マシンガン等を保有す
いると、特攻に噂され   る、武装集団であった。
ていた。

王仁三郎氏は、       麻原教祖は、体型が王仁三  文鮮明教祖は、風貌が王仁
ヌーボーとした風貌で、   郎氏と良く似ており、長髪で、 三郎氏と、良く似ている
長髪であった。霊界物語  視力も極端に悪い
口述の前年辺りから、
視力が悪くなっていた

千字文の「王仁博士」から、                   文鮮明教祖の先祖は、王仁
改名し「王仁三郎」と名乗っ                   博士と同じ、全羅南道の出
た。モンゴル遠征の時に                     身、改名する前は「文龍明」と
「王文泰 天龍」と名乗った                    名乗っていた

当時、随一の新聞社「大正                   ワシントン・タイムズを発行した
日々新聞」を買収、その他
「人類善新聞」等、新聞に
よる活動を盛んに行った
 
 
 
*大本とオウム真理教の罪状 *

  第二次大本弾圧時の罪状             オウム真理教の目標

・・・我国体ノ変革ヲ目的トスル結社       日本国そのものに対して、転覆を
ヲ組織シテ、該目的達成ノ為本格的      図る目的で、信者を率いて最終的に
活動ヲ決意シ・・・万世一系ノ天皇ヲ       国家解体、天皇家を滅ぼし、自らが
奉載スル大日本帝国ノ立憲君主制ヲ      新しい国家としての主催者と
廃止シテ、日本ニ出口王仁三郎ヲ独裁     すり替わろうとしていた。
君主トスル至仁至ノ国家ヲ建設スル
コトヲ目的トスル大本トイウ結社ヲ組織シ・・・
 
 
 
 上の表は、オウム真理教が、最終目標とした内容(無論、実現には至りませんでしたが)と、戦前の大本の罪状として、上げられていた内容を抜粋したものですが、異常な程良く似ている気がします
 実際には、大本での武器を保有していた、とか天皇に不敬を働いたとする話しは、警察報道によるプロパガンダで、逮捕するための大義名分を欲した結果で、竹槍や爆弾等の武器などは、全く発見されなかった様です。

 しかし、現代のオウム等では、実際に武器を所有し、更にテロ行為に及び、また国家や天皇家の転覆まで、視野に入れていた、という点ではでは不敬罪にあたります。
大本の善と悪の鏡を写すという神示も、又王仁三郎氏の「大本は宗教ではない、大本は型をするところや」という発言も、よもや宗教などという限られた世界ではなくて、日本の政治や風俗まで含めた、かなり壮大な結果が、現代に反映しているような気がします。

 これは私見なのですが、神界からの立て替えのエネルギーが、余波として、戦前に転写してきた。という事は、戦後のこれらの似たような事件は、総て幽界からの立て替えのエネルギーと、言えると思います。神界の立て替えの意志が、幽界を通過する事で産まれた、オウム事件その他ではなかったのだろうか?と思います。
 
 
 
神の天 神界から、立て替えが発動
/|
大本 | 神の地の大本で立て替えが起こる(雛形)
\↓
幽の天 神の地から、幽界へと立て替えの発動が転写
/|
大本 | 幽界からの立て替えが、再び地上の大本に転写。(雛形)
\↓
顕の天 大本の雛形が、地上に転写(?)
 
 
 
 つまり、現代は幽界からの転写であると、そう考えれば、虚実であった事柄も、実態となって、オウムや統一教会といった教団へと、転写されてきたのではないかと、そう思えるのです。

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第二章 雛形経綸 3 現在の日本について -その3 神業団体、大本は現代でも作用しているだろうか?/霊界物語に描かれた、
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/374.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:41:43:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その3 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:38:26)

*現在の日本について -その3*

*神業団体、大本は現代でも作用しているだろうか?*
 
 
 
 では、現代の大本はどうであろうか?戦前の大本が、雛形経綸として作用していたのであれば、戦後の大本は用済みなのでしょうか?確かに、戦後大本は急速に、勢力も衰え、衰退化していきました。しかるに、王仁三郎氏は以下のような発言をしていました。
 
 
 
『三代教祖の時に仕組みが変る』

『大本事件は松竹梅事件だ、第三次は竹だ、竹は中が空である。教団の内容が空になり内部分裂する仕組みである』
 
 
 
 つまり、大本の第三次事件とは、外部からの圧政によるものではなく、内部分列だと言う訳です。王仁三郎氏の預言の的中率は100%であったと言われます。であれば、この事に該当するのは、何時頃のことであったでしょうか。

 昭和55年、三代教祖(直日教祖)の時に、「竹田」に出口京太郎氏を代表とする別会(宮垣会)が誕生した。これが引き金と成り、大本教は宮垣会、いずとみず、と分裂を起こしてしまう。大本教幹部は、「いずとみずの会」会員に徹底的な差別を行い、ついに追放されてしまった。現在でも、染苑(旧いづとみずの会)と大本教は、裁判で公判中である。

 というのが、そうである(第三次大本事件)と、言われています。しかし、戦前、大本に起きた事が6年という歳月を経て、日本へと転写したという出来事が、現在も起きているという説があります

 大本内部分裂事件(昭和55年)から6年後、昭和61年、中曽根元総理によるリクルート事件発生。これが表面に出てきて、政界分裂へと至り、同63年に再編成された。時の総理は竹下登総理でありました。天言鏡には、以下の様な一節があります。
 
 
 
●竹の下の道、行き悩むが始しといふ、長者振り返って急ぎ、改め行ふべし

-昭和22年16日『天言鏡』/辻天水書記より-
 
 
 
 また、以前に述べたように、大本事件発生〜最終解決と、太平洋戦争〜サンフランシスコ条約迄が、同じ9年9ヶ月であった。つまり、事件発生から解決までに、9年9ヶ月かかるという、図式が有りましたが、大本内部分裂事件〜「いずとみずの会」の宣教の場の設立までもまた、9年 9ヶ月であった様です。

 これらの事柄は、確かに事実でありますが、果たして雛形として、日本の政界に影響があったのか否かは、
正直のところ、判りません。しかし、もし本当であるならば、自分等も、もっと深くこの問題に対して、考えなければならないと思います。
 
 
 
*霊界物語に描かれた、宗教のおほもと*
 
 
 
 王仁三郎氏の口述した「霊界物語」には、神世に正神の起こした「三五(あなない)教」と、邪神の起こした様々な教団が出てきますが、その一つに、体主霊従の教えを説く、ウラル教が登場してきます。そして、高姫という変性男子(出口直子氏の縦の系統)の系統を偽称する、人物が現れます。

 この高姫は他人を責めるに急にして、自己を改める、反省するという事がまるで無いという、大変傲慢かつ慢心の強い人物であります。この高姫が、三五(あなない)教の教え半分と、ウラル教の教え半分と内包した、ウラナイ教を設立します。

 このウラナイ教の本部には「おほもと」というルビが振ってあるのですが、大本教にも高姫ソックリの政治を敷く教祖(何事も見ざる・聴かざる・話さざる、という三猿主義)が誕生したと言う事です。これらは、全く大本と関係の無い自分等には、非常に不思議な感じを起こさせます。

 霊界物語に描かれたウラル教は、真正の三五教を、時には潰そうとしたり、邪魔をしたりという、神業の妨害をする団体であるのです。時々は、高姫も改心する時があり、また三五教に入信するという事もあるのですが、最終的にはやはり、妨害者的な存在であるようです。

 高姫は変性男子(つまり出口直子氏)の系統で、「日之出の神様」の生き宮だといっても、それは偽称なのですが、もしかしたら、出口直子氏の系統を語る、日之出の神が誕生する、という意味が在るのかも知れません。

 ここで一つ、疑問が起こるのですが、大本は「皇道大本」で、途中「大本」と改名する事がありましたが、「大本教」という「教」はついていないのです。

 それが何時頃に、宗教法人「大本教」になってしまったのか、判りませんが、確かに王仁三郎氏が現存して いた時代とは、一言に言って大本は形骸化してしまったのではなかろうか?と、感じます。
 
 
 
*大本と大本教*
 
 
 
(前略)・・・最近の反宗教運動に関する意見を叩く機会をとらえることができた。

「反宗教?わしの方は大賛成じゃ。もともとわしの方は昔から反宗教で押し通して来たんじゃからな」

「でも、大本教だって宗教の一種である以上は、反宗教運動の対象になるんじゃないですか?」

「いや、大本は決して『宗教』じゃない。『大本教』というのは、いはば新聞辞令で、わしの方は『大本』といってるだけじゃ。

『大本』は政治も経済も芸術もみんな引っくるめた宇宙の大本を説いているのであって、現在ある『宗教』のようなけちなもんとわけが違う」

-昭和6年10月号『文芸時代』「出口王仁三郎訪問記」より-
 
 
 
(前略)総て何事でも政治、教育、実業、医学、暦法、天地文学、科学、宗教、哲学、その他一切のものは皇祖皇宗の御遺訓なる皇典古事記に包含されて居る。しかして皇道は政治の大道が主眼になって居ります。

それであるから皇道を説くには、政治から説いて行かねばならぬ。宗教家となれば政治を論議する事が出来ない。さうして古事記を説くにはどうしても政治に論及せずに居れない。

それであるから我が大本は公認教となって、制縛を受ける事を欲せないのであります。

-『王仁文庫』公認教と非公認教より-
 
 
 
 上記引用部分や、又「三鏡」に書かれている内容を見ている限りでも、大本を単なる宗教団体としている訳ではなさそうです。実際のところ、対外的に「大本教」と表現していますが、王仁三郎氏の著述でも、又「大本神諭」「伊都能売神諭」といった、神示類にも確かに「大本」と現されています。

 この点から見ても、現在の大本教は、語弊があるやも知れませんが、どうも最初の頃の大本から、逸脱しているのではないか?と考えられます。自分としても、大本及び、王仁三郎氏の思想体系を、何か勘違いしている可能性もあり、また著作物その他で推察する程度ですから、絶対に自分が正しいと、断言する事は出来ないものの、どうしても上記の理由から、現代大本教に違和感を感じて仕方が無いのです。

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第二章 雛形経綸 3 現在の日本について -その4 大本教は現代宗教界の写し鏡なのだろうか?/ナチス・ドイツは大本の悪の
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/375.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:45:50:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第二章 雛形経綸 3 現在の日本について -その3 神業団体、大本は現代でも作用しているだろうか?/霊界物語に描かれた、 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:41:43)

*現在の日本について -その4*

*大本教は現代宗教界の写し鏡なのだろうか?*
 
 
 
 世界一切の事が、良い事も悪い事も皆大本に写って来る。という点から考えてみると、世界中に敷延された宗教が、写っているとも考えられるのです。

 大本で起きた事が世界に起きる、という預言的な要素を持つ以外にも、太古の因縁の型として(直子氏と王仁三郎氏の神懸かり時の葛藤等)太古から未来まで、時間・空間の関係無しに、色々な要素があるのではなかろうかと、考えています。

 その意味では、最初の「皇道大本」が、真の「惟神の大道」であるとすれば、途中からの大本教や、枝葉的に出てきた既成宗教も、又腐敗化した、世界のキリスト教・仏教・神道を顕しているのではないか?とも、思えるのです

 それは、王仁三郎氏の歌や『霊界物語』に、時折パリサイ人という名が登場しますが、パリサイ人とは、旧約聖書にでてくる、ユダヤ教の一派で、形式的・独善的・排他的な宗派で、キリストはパリサイ人を「偽善者」と呼んで、厳しく批判していたといものです。何かウラナイ教の高姫や、現代大本教などは、独善的・排他的・形式的という点で、このパリサイ人に良く似ています。

 世界的に見ても、プロテスタントとカトリックの宗派の争い等も、テロ事件に発展したり、エルサレムを取り合うイスラエルとエジプトやイスラム各派の中東戦争の危機なども、総て派閥や宗派の争いという点では、似たような物です。更に政治に関しても、また同じ事が言えます。

 大本も、ろくでも無い感じがしますが、大本は世の中の『鏡』だという点で、よくよく冷静に見ると、大本=鏡であれば、乱れた世の中で、先駆的に大本が乱れるのは、或る意味において正しいのです。逆に「大本=インチキ教団」であれば、凡俗な教祖や信者達が、やりたい放題であっても、何ら不思議では有りませんから、判断というのは中々難しい物です。
 
 
 
*ナチス・ドイツは大本の悪の写し鏡か?*
  
  
  
 又、実は菜食主義を主張し、血液が穢れると言って酒も飲まなかったヒトラー(及びファシズム)は、もしかすれば大本の悪の写し鏡ではないかと、そう思います。

 あくまで想像ですが、当時の大本ではむしろ、国粋主義的な面が有り、日本至上主義・血液の交わり(つまり混血)を嫌い、又血液が濁るという事で、菜食をしていました。

 これは神示中にも、日本は尊い国で、神国であり外国の体主霊従の、物質文明至上主義を非難し、更に皇国主義的でしたから、自然に国粋主義者、右翼系の人間が出て来るというのも、致し方ないかも知れません。

 ヒトラーも又、アーリア人種至上主義、国粋主義者であり、人種の配合による混血を忌み嫌っていました。そしてそれが他国排斥の思想となり、ドイツ国家の領土広大の為に、戦争を繰り返していったのです。

 もっともヒトラーの場合、菜食とはプロパガンダであり、隠れて肉食をしていたという説がありますが、ともかく霊主体従(物質・体よりも精神・霊を重んじる)を指して、日本魂と王仁三郎氏は定義していましたが、日本の国旗では、白地に赤の日の丸ですが、ナチスの党旗は赤字に白の丸。

 更に日月神示上に「十(かみ)が動いた姿が卍ぞ」という意の一節がありますが、それと反対の鈎十字ですから、何か日本魂と反するもの、つまりは体主霊従の象徴ではないかとさえ、思えます。
 
 
 
*フリーメーソン世界支配説*
 
 
 
●日本の人民が皆邪神界の政治のやり方で、末代世が続くやうに惚れ込みてしもうて居るなれど、十年先を見てござれよ、邪神界の悪のやり方は化けの皮をはいで見せてやるぞよ

-『大本神諭』/出口直子伝達より-
 
 
 
 大本神諭等に、盛んにイシヤの仕組みや、外国の政治の批判などが散見されますが、この筆先がでて9年後に世界中を震撼させた『シオンの議定書』(或いはユダヤ・プロトコル)が発見され、それが周りまわって日本の当局にも、やって来る事となりました。大本でもこの議定書を指して『マッソンの仕組み』等と呼ぶようになったのです。

 恐らくは、マッソンの仕組み、或いはユダヤ人を根絶やしにする。等という危険思想を持った人物が、大本内部に居たかも知れません。その様な記録は見た事がありませんが、悪に対し殺戮を持って成敗する、という体主霊従的、短絡的思想が、大本内部にあった可能性は強いと思われます。

 それは、オウム真理教も「麻原教祖が毒ガスに狙われている」と幹部連が言っていたのも、フリーメーソンが仮想の敵であったからです。

 同じくヒトラーも「シオンの議定書を読んで、確信(ユダヤの政界支配)するに至った」というのが、ユダヤ虐待に向かわせた大原因であったのを思えば、何か一連の繋がりを感じさせるものがあります。

 又オウムの麻原教祖も、ヒトラーに憧れていたというエピソードも何か、不思議な因縁を感じさせますが、善くも悪くも全く大本は、世界の写し鏡であったという気も致します。
 
 
 
*我を折って集まる仕組みとは?*
 
 
 
 しかし、もし仮に現代の日本の状況が、昏迷を期しているのも、大本が分裂して現在も裁判で公判中というのが、政界に写っているのであるとするのならば、これを平和的に解決すれば、良いであろうという事になります。
 
 
 
△ 大本神諭や日月神示に「何れも我を折って、集まる仕組み」という一節があります。
 
 
 
 これはひょっとすると、大本が分裂して「大本教」「善苑」や、又大本裏神業と称する「錦之宮」や、日月神示の「至恩郷」等、各派が、精神的に「立て替え」「立て直し」を行って、先ずは組織的、形態的な統一ではなく、精神的・道義的「統一」を行えれば、いずれか、日本の政治機構も建て代わり、世界中の精神的「統一」が果たせるのではないかと、思います。

 自分は、大本教や善苑とかと、何の関係も無いですが、一応足の引っ張り合い風な発言は、政治の与野党各派のそれを感じるので、精神衛生上痛烈な批判は控えます。

 霊界物語では、三五教の宣伝使達は、大変辛抱強く、ウラル教やウラナイ教等の妨害に耐えながら、無抵抗主義を貫き、改心を促していきます。そのスタンスとして「いずれも国常立大神様を奉祭する事に変りはないのだから、互いに協力しながら、神業に励んで行きましょう」という物です。

 また、イシヤの仕組みと呼ばれている、ユダヤとも、日本は提携しなければならない様ですが、大本関係が立て直る事で、世界的には、その様な事が起きて来るのかも知れません。
 
 
 
『型』の大本は世界を救う鍵?
 
 
 
 大本の型の思想を考えていると、人間とは自我で、自意識で行動しているようで、知らない間に一つの枠の中で活動してしまうのだろうか?知らない間に、何かの影響を受けているのだろうか?というそんな感じを受けます。

 無論、人生上に何らかの影響を受けた人物とか、TV・新聞の報道で、社会風紀的に影響を受けたとか、色々あると思いますが、それとは関係の無い所で、何かの影響があるのかも知れないと感じます。

 王仁三郎氏は、変性女子で、瑞月という名を持ちますが、あたかも女性の月経が月に、出産が潮の満ち引きという、目にみえない力に感応する様な、何らかの影響があるのかも知れないと言う、そんな気を起こさせます。

 その意味で、現代の政治家、大本教、宗教戦なども、本人は自我のつもりでも、知らない間にこうなってしまった、いわゆる「魔が差した」という事かも知れないので、そう非難も出来ないかも知れないと感じます。

 人は大抵、個人の問題・男女間・家族や地域・所属する会社や学校・国の違い等、自分に属する部分に優位になるように、立ち振る舞ったり、弁護するものです。

 その事を、世界中の人に言って歩いているのでは、とても限りが無く、むしろここで、世界の型として、大本やその周辺の団体が、変る事が『鍵』を握って居るのだとしたら、少しばかりは人類にも、光明があると言えるでしょう。

 勿論、日本という国自体が、世界の雛形国だという観点からすれば、全く大本教がどうのこうの、と他人任せではなく、我々日本人全体の意識として、関わって来る問題であろうと思います。
 
 
 
 やがて新しい民族が台頭する。その民族は一切の政治も宗教も科学も、ただ一なるものの各部分である事を認める。その日には、苦しみも涙も嘆きも災いも消え失せ、地上は唯、微笑みと幸福の国と変るだろう。

-『シルバー・バーチの霊訓/第二章、明日の世界』より-
 
 
 
 (前略)またあらゆる宗教や宗派の差別は消えていく、各宗教はやがて悟だろう、各宗教は神の真理の一部ずつを持っていて、他の宗教の核心は、また自宗の貴重な本旨と矛盾するものではないということを。

-『シルバー・バーチの霊訓/第一章 神の計画』より-
 
 
 
 上記は、シルバー・バーチという古代インディアンの伝えた啓示ですが、王仁三郎氏の思想などと考え合わせてみると、非常に興味深いものがある為、引用致しました。

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第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その1 
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/366.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:21:10:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)

*シュメール=スメラ民族*

*大本とシュメールの関係*
 
 
 
 人類史上最も古い文明は、メソポタミヤ文明と言われていますが、その文明を築いた民族シュメール人は(シュメール[Sumer]とは英語読みの発音で、ラテン語では「スメル」と発音するようです)原住民の骨格とは異なっており、民族不祥とされていますが、忽然と現れて、学校・建築・農業・工業・法律など、様々な文明を築いた後に、また突如と消えてしまったのは、なぜなのでしょうか?

 また、記録ではシュメール人が、自らを表現するのに、「キ・エン・ギ」という呼び名を使っていた様です。このキ・エン・ギとは「葦(あし)の主の地」という意味があるそうです。イラクのチバイッシュという所などに、葦の茂った区域がある事等から、こう呼ばれていたのではないかと思われます。

 という事は、霊界物語中の「メソポタミヤの顕恩郷、豊葦原の水穂国・・・」という表現も、判らなくも無い、という感じです。普通「豊葦原の水穂国」というのは、神話に描かれた日本の呼称なので、メソポタミヤが豊葦原の水穂国というのは、無茶苦茶なのですが、かつてその様に呼ばれていたのかも知れないとも、感じます。もっとも、その表現はメソポタミヤだけではなく、世界中を指して呼んでいた様です。

 また王仁三郎氏の『霊界物語』では太古の歴史において「国常立之大神の神政は最初トルコのエルズレムであったものの、ヤマタオロチ、金毛九尾の狐が神人に憑依し、次第に神政も乱れて、遂には地球の東北にあたる日本に押し込められてしまった」という事が描かれています。
 
 
 
*古代シュメールの音楽と雅楽は同じものだった*
 
 
 
 九鬼家は大本と因縁が深いと、直子氏は王仁三郎氏に毎日言っていたという逸話からも伺えるように、大本と九鬼家とは、深い因縁があるようです。その九鬼家の家紋である『九陽紋』は、古代シュメールで神を現わす文字「ディンギル」がルーツではないかと、言われています。その九鬼家にまつわる、興味深い話しを発見しました。

 1960年にメソポタミヤの、シュメール文明の首都ウルの遺跡から発見された粘土版の中から、古代の楽譜が発見されましたが、カルフォルニア大学のアンネ・D・キルマー女史は、それを現代の五線譜に再現する事に成功し、その再現された音楽を、評論家の岩田明氏がテープにダビングする機会がありました。
 
 
 
私はこの古代のメロディを聴いた時に、初めて聴くにしては妙に懐かしいものを感じた。

・・・(中略)・・・

 もしかしたら日本の古い音楽と関係があるのかもしれない。そう思った私は、このテープを持って紀伊半島の熊野本宮神社の九鬼宗隆宮司を尋ねた。快く迎えてくれた九鬼宮司は、テープを聴きはじめたかと思うとすぐに中断し、「禰宜(神官)どもにも聴かせてやってほしい」と禰宜の方を集められた。

 5分程そのテープの旋律を聴くと、九鬼宮司と禰宜の方達は異口同音に「当社で行う伝承雅楽と実によく似ている」と感嘆の声を漏らされた。

-『日本超古代王朝とシュメールの謎』/岩田明著:日本文芸社刊より-
 
 
 
 以上の様な経緯で、九鬼家と出口家、或いはシュメール民族との関連について、もう少し突っ込んだ研究が待たれます。というのも、九鬼家は、水軍の出身で海人族(あまぞく)と推察され、渡来系ではないかと考えられます。又更に、大本の発祥の地である丹波や丹後辺りも、渡来系民族が住みついたと思われる、遺跡などが沢山に見付かっているとの事です。

 また『富士文献』では、国常立尊は高天ノ原から日本にやってきたという事ですが、太古の高天原は現代のイランとイラクの付近であったという事ですから、仮に「シュメール人が日本に渡来してきた」という事が本当であるなら、いかに王仁三郎氏が大化け物といえども、この符合は驚かざるを得ないと思います。
 
 
 
*古代シュメールに見られる十六菊花紋*
 
 
 
 又よく『日ユ同祖論』というのが言われますが、天皇の象徴である『十六菊花紋』が、ユダヤの紋章として多く使用されている訳ですが、実はユダヤに関連する以外にも、古代シュメール文明の跡地の、至る所に見受けられるのです。つまり、十六菊花紋自体に関しては、ユダヤ=日本という図式は、少々短絡的であるのです。

 上記日本超古代王朝とシュメールの謎』によりますと、例のイラ・イラ戦争の折り、サダム・フセイン大統領が、バグダッドの官邸で戦闘情勢に対しての記者会見を行った際に、以下のようなエピソードがあったそうです。

ヨーロッパの或る記者が、大統領の腕輪のデザインが十六菊花紋であるのを見て

「大統領閣下、閣下が身につけておられる腕輪の紋章は、日本の皇室の物とよく似ておりますが、何か日本と関係があるのですか?」

すると、サダム・フセイン大統領は、こう答えた様です。

「あなたがたは古代メソポタミヤの歴史について、もっと勉強をしてほしい。この紋章は我が国の祖先が、世界最古の文明を築いたシュメール王朝時代に用いていた、王家の紋章です」
 
 
 
*古代シュメールと日本の風俗に、関連性は見られるか?*
 
 
 
 仮に、シュメール民族が後のユダヤの民、日本へと分化して渡ったのだとしたら、何かしらの共通項が残っているはずです。
 
 
 
* 1漁法

古代ペルシャ湾ににて行われた漁法には、鉢巻きやヘラにセーマン(五芒星マーク:護身の意)とドーマン(縦4本横3本の格子マーク:海の女神の意)という文様を付ける習慣があり、ペルシャ湾と日本にのみ見られる習慣。

* 2石像

初期シュメール王朝の、遺跡に王の左手が王妃の右手を握り、王の右手が王妃の右肩にのせている石像があり、これと全く同じモチーフの石像(道祖神)が、日本に見られる。

* 3家紋

日本に使われている家紋の多くは、シュメールの遺跡から見付かった模様と同一の物が殆どである。

* 4十六菊花紋

日本では、天皇家の象徴として使われている、一六菊花紋がシュメールの遺跡(ペルセポリスの牡牛像など)からも、多数見られる。
 
 
 
 上記のように、様々な所から、古代シュメールと日本の類似点を挙げる事ができます。これらの、デザインなどでは、偶然の産物という事も可能だと思います。「菊花、或いは太陽をモチーフにデザインをしろ」と言われれば、現在でも似たようなデザインを、偶然複数の人間が創り出す事は、別段不思議でもないように思います。

 ただ、神話に関する部類では、余りにも類似性があり、少々偶然というだけでは、こじつけに近いと思います。古代において、その様な出来事があったかどうかは別としても、シュメール人の部族の幾つかが、日本に渡ってきた渡来系であると、見た方が自然であると思います。

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第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その2 古代ユダヤ教と、イスラム教(大本教・民間信仰・民俗) [99-
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/367.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:50:52:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その1  投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:21:10)

*シュメール=スメラ民族 -その2*

*古代ユダヤ教と、イスラム教*
 
 
 
 王仁三郎氏は、各宗教・宗派は、根が同じ物であるとして「諸教同根」というのを唱えていました。又神示類にも、それ等と思しきものが幾つか見受けられます。それでは、古代シュメールにまつわる伝承などから見ると、どうであるのでしょうか。


アブラハム ─┬─妻サライ
│ | ソロモン
│ イサク=ユダヤ人の長・・・ユダヤ12支族─ダビデ
│ キリスト
└――┬── ハガル

イスマエル・・・アラブ12支族─マホメット

 旧約聖書では、アブラハムはカルディアのウルという地で産まれたとなっています。カルディアはシュメールと同じ意味であり、又その首都「ウル」で誕生したという訳です。
 アブラハムが、シュメール人妻サライとの間に子供が出来ずに、悩んだサライがエジプト人の召し使い、ハガルを差し出す。そうして産まれた長男がイスマエル。やがてイスマエルの末裔がアラブ12支族を産み、イスラム教の開祖マホメットが誕生する。

一方、ようやくアブラハムと正妻サライの間に、イサクという次男が誕生する事になり、そのイサクの末裔がユダヤ12支族を産み、ダビデ、ソロモンなどの王を産み、キリストが誕生するに至った。という事の様です。
又シュメールには、月神・水の信仰というのが有ったようです。これは丁度、瑞月という雅号を持つ、王仁三郎氏を連想させるもの(大本で王仁三郎氏は、月と水を象徴とする、瑞の御霊と言われていた)ですが、イスラム教の旗は、古代では月をモチーフにしていた様です。


パキスタン(イスラム共和国)のタッタ遺跡の十六菊花紋
「岡山市在住の長谷川氏撮影と提供」

 更に前述の十六菊花紋が、イスラム教の一派である、バハイ教の本部にも、紋章として使われている点も、興味深い(しかも王仁三郎氏は、このバハイ教と提携を行っていた)点であります。ユダヤの紋章としては、さほど珍しくないものですが、イスラムとも仮に根は同じであるとするならば、(或いはそうであるからこそ)互いに『聖地』として、エルサレムを奪い合うという結果に繋がっているのかも知れません。

本来のユダヤ教には、シュメールの神を信仰する多神教であり、ヤハウェ1神教となるのは、旧約聖書の編纂された時期辺りからだと、推測されています。信仰に関しては、シュメール教=ユダヤ教であったという訳です。このオリエント信仰には、古事記に出てくる神話と非常に良く似た話し(日本神話の天の岩戸開き)が残っています。
 
 
 
大陽神バールは、冬至の日には力を弱めて死んでしまう。すると世界は暗黒に覆われて農作物も採れなくなってしまう。雌牛も子供を産まず、乳も出ない。そこで永遠の力を持つ、バールの妻神アシュトラは、黄泉の国へとバールを迎えに行って、バールをこの世に連れ戻しに来る。この際にバールとアシュトラが出現するのは、水辺にある岩からである。
 
 
 
 またエジプト神話のイシスはアシュトラ神であり、オシリスはバール神の別称です。オシリス(つまりバール神)はその象徴として、オリオンの三つ星、オリオン座の神であり、オリオン座の三つ星の位地と、三大ピラミットの位置関係が同じである、というのは『神々の指紋』の作者、グラハム・ハンコック氏の調査にあるという事です。

 古代ユダヤ教では、バール神を明けの明星という別称で象徴しています。ところが、驚いた事に王仁三郎氏の『霊界物語』や和歌などには、オリオンの三つ星や、明けの明星といった、そのものズバリの言葉が出てきます。

 ところが、キリスト教では『明けの明星』の象徴の、天界一の天使が傲慢の罪で地獄に落とされた、サタンとしています。シュメールの神から、一神教のヤハウェ信仰に代わってしまった訳ですが、国常立大神も退隠を余儀なくされ、常世彦に神政を交代せられた、という話しと似ています。

 旧約聖書のモーセは、シナイ山(火山)でヤハウェと出会った後、牛の角が生えた(現代の聖書では光と変えられた)としていて、中世の聖画に描かれたモーセには角のような二本の光を放っていたり、ミケランジェロ・サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂のモーセ像には、角が生えています。これらは牛角の生えたバール神を彷彿とさせるものです。
 
  
  
 *霊界物語とシュメール神話と旧約聖書*
 
 
 
霊界物語                シュメール神話             旧約聖書

救世主の霊性(瑞の身魂)を   バール神を象徴的に『明けの明星』 天界一の天使を『明けの明星』とし
象徴的に『明けの明星』      と表現していた。又エジプトでは   ていた
『オリオンの三つ星』と表現した  『オリオンの三つ星』と表現した。

神素盞尊は別名牛頭天王    バール神は牛のような角が     モーセがヤハウェと出会って
であるとしていた。         生えていた              山を降りた時に、二本の角が生えた

国常立大神と妻神の       バール神は、地に降臨する時   モーセがヤハウェと出会った
豊雲大神は、神政から      には火山に宿ると言われた     シナイ山は火山であった。
退去せられ、天教山の
噴火口に身を投じた。

国常立尊は退去せられた後、                       ヤハウェ一神教となった後
鬼神、祟り神と罵られた                           『明けの明星』であった大天使は
                                          傲慢の罪によって地獄に落と
                                          されたサタンとなった
                       
  
  
  
 バール神の妻神であるアシュトラ神は、角を生やした蛇体の姿として描かれています。余りにも現代の神のイメージとはかけ離れています。この角を三日月に喩えて、月信仰というのが古代シュメールにあった様ですが、王仁三郎氏伝達の伊都能売(いずのめ)神諭には、以下の一節がありますが、この類似性は、一体何を意味するのでしょうか。
 
 
 
●(前略)丁度喩えていえば朧月夜の二三相倍も暗い冷たい世界で、山も河も草木も何一種なかったのであるぞよ、その泥の世界に身の丈は五百丈ばかり、身の太さは三百丈程もある蛇体の荒神が住居して居られたのが、御精神の良い大神様の前身で、これが五六七(みろく)の大神様と御成り遊ばしたのであるぞよ。

 誠に長閑やかなお姿で、鱗は一枚も無し、角も一本もなし、体の色は青水晶のやうな立派な神様で、天地の元の親神と成られたのであるぞよ。この世を創造して、天地を開く事に非常に苦心遊ばしましたのが、この大神様が第一番で、ミロクの大神ともツキの大神とも申し上げる御神様であるぞよ。

・・・(中略)・・・

同じく似たやうな御姿の大蛇神が現はれたが、この神には一六本の頭に角が生えて、その角の先から大変な光が現れて居る神様に、五六七の大神様が世界創造の御相談をおかけになったのであるぞよ。

・・・(中略)・・・

 畏れ多きミロクの大神様、日の大神様の御姿まで筆先に出して知らしたから、何時までも発表を見合はす事は出来ぬから、実地の姿を書き記すぞよ

大国常立之尊の元の誠の姿は頭に八本角の生えた鬼神の姿で、皆の神々が余り恐ろしいと申して寄り付かぬやうに致した位の姿であるから、今の人民に元の真の姿を見せたら、奮いあがりて眼を廻すぞよ。

-『伊都能売神諭』/王仁三郎伝達より-

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第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その2 仏教/釈迦の予言した弥勒(ミロク)の世/カバラのヌメロジー盤に
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:55:26:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その2 古代ユダヤ教と、イスラム教(大本教・民間信仰・民俗) [99- 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:50:52)

*シュメール=スメラ民族 -その2*

*仏教*
 
 
 
 大本神諭には、以下の一節が見受けられます。又キリスト教でいう所の、千年王国を称して、弥勒(ミロク)世と表現していたり、かなり仏教的な要素が含まれています。

●三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ、須弥仙山に腰を掛け、鬼門の金神守るぞよ。

-『大本神諭』/出口直伝達より-
 
 
 
 上記に出て来る「須彌仙山」(しゅみせんざん)とは、仏教で説かれる宇宙観で、限りない大地の中央に「スメ」と呼ばれる崇高な100万キロ以上の巨山が聳え立つ、というもので、このスメ山を、漢字に充てたのが、須彌仙山という訳です。ちなみに『スメール山』とも呼ぶようです。

 この須彌仙山のルーツも、実はメソポタミヤのバビロンにあった、ホロスコープ占星術(天宮図)であった様です。又仏教の開祖、釈迦の弟子500人が、釈迦の生前の教えをまとめた『一切教』には、以下の記述があるのだそうです。

 釈迦の自らの祖先は、須彌仙山=スメの地にゆかりのスメル族で、自分はスメル族の末裔である、と『仏本行集経』に書かれてあるというのです。ちなみに日本のスメラミコト(天皇)も、ひょっとするとスメル族を現わしているのでは無いかと、憶測されています。

 釈迦という文字は元来『サカ族(Sakya-muni:釈迦牟尼)の聖者』という意味のようです。中央アジアの西方、カスピ海沿岸地方に住居していた遊牧民の事で、それがバクトリア滅亡の際に、アフガニスタン→ガンダーラ→インドへと移住していった様です。サカ族とは、サカ族=スメル族ではなく、スメル族を祖とする支族の一部ではないかと思います。

 そのサカ族がインドに入った時には、アーリア人種の支配下にあり、カースト制度といわれる階級制度が敷かれ、厳しい統制下にありました。カーストの頂点がバラモン(祭司階級)で、アーリア人の階級です。この身分制度に挑んだのが、サカ族の皇太子シッタルタ(釈迦)であったという事の様です。
アーリア人達は、先住民で圧倒的多数であった黒人或いは黄色人との混血を恐れ、2000階級にも及ぶカースト制度を敷いたと言われています。
 
 
 
*釈迦の予言した弥勒(ミロク)の世*
 
 
 
 仏教には、「釈迦が昇天した後に、五六億七千万年後に弥勒が誕生し、弥勒の世がやってくる」という話しがあります。これは大本の弥勒の世と同じ考えであり、仏教の普及した日本で勢力を広大するための、王仁三郎氏の盗作という事も考えられます。しかし、弥勒大神の弥勒とは、インドのマートレイヤー(梵語)の事で、イランを起源とする古代密儀の神ミトラ(慈しみから産まれたの意)に由来し、シュメールのミトラ神話から出たものであろうと思います。

 王仁三郎氏の師匠でもある、神道学者の大石凝真素美(おおいしごりますみ)氏は、年は念であるとして、大人の一分間の平均的呼吸数を 36息とし、更に秘儀的な解釈を合わせて「五六億七千万年は、三千年に相当しそれは日本の明治の聖代に当たる」として明治時代にミロクとなる人物が居ると判断するという経緯があります。結局ミロク真人は、大石凝氏本人という事になりましたが・・・仮に王仁三郎=弥勒であったとすれば、中々興味深い説です。
 
 
 
*カバラのヌメロジー盤にみる五六七*
 
 
 
カバラのヌメロジー盤

5 1 3
4 6 8
9 2 7

 大本では、独特に「五六億七千万年後に云々」にちなんで弥勒(ミロク)=五六七という数字をそれの象徴としてきましたが、ユダヤのカバラに使われている、ヌメロジー盤に、同じような数字が現れてきます。
 左図ヌメロジー盤の赤字の部分が、5・6・7と繋がり、カバラでは7は完成数(神)で、6は完成一歩手前の人の精神、5は更に一つ前の人の肉体を現わします。

 ひょっとすると、大本でいう所の「霊力体」の全たき働きと、同じ意味に繋がるかも知れませんが、考えすぎかも知れません。ちなみに、対角線の青字は、3・6・9でこれも大本では、当て字的にミロクを表現する事がありました。
 
 
 
*金刀比羅宮とインドの鬼神*
 
 
 
 金刀比羅(ことひら)宮は、一般に「こんぴらさん」と呼ばれて親しまれていますが、この四国の香川県にある金刀比羅宮は、インドの「クンビーラ」の訛化といわれています。インドの神だから、仏教に関連すると思いますが、実際に「金毘羅大権現」という名前でも、知られています。

 何故か、仏閣ではなくて金刀比羅宮という社に奉られていますが、インドのクンビーラという神は、元々が鰐(わに)が転化したもので、天竺(てんじく)の霊鷲山(りょうじゅせん)に住む鬼神で、魚の鱗(うろこ)を持つ、蛇型の尾に宝玉を持つと言われている神様です。

 薬師十二神将の一神つとして、宮毘羅(くびら)大将(金毘羅童子)に当たり、航海の安全を守る神として船人が最も尊敬する神であると言う事です。

 この鱗を持つ蛇型の鬼神、或いは航海の安全を守る神という伝承は、国常立命や、海洋神とも言われた素盞嗚尊を彷彿とさせます。これだけでは何とも言えませんが、どうもシュメールの神やインドの神等は、仮に日本の神道とその根を同じくするという言うのなら、その伝承からして、神道でいう国常立命と素盞嗚尊を内包した感じを受けますが、霊界物語には以下の記述があります。
 
 
 
大地の霊界は前述の如く大国常立命これを司り給ひ、その大海原は日之大神の命によりて須佐之男命これを主宰し給ふ神定めとなった

-『霊界物語』第一巻/王仁三郎口述より-
 
 
 
 これによれば、大地の霊界=国常立命、大海原(現界)=須佐之男命という事の様で、霊現と世界は違っていて、それぞれの主宰神も両神がそれぞれに主宰する、という事ですが、本質的には霊体不二という事で、不即不離の関係にあるという事かも知れません。

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第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その3 神道/シュメールの羊と秀真伝の『女』/牛頭天王とバール神/鬼と
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/369.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:05:19:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その2 仏教/釈迦の予言した弥勒(ミロク)の世/カバラのヌメロジー盤に 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:55:26)

*シュメール=スメラ民族 -その3*

*神道*
 
 
 
 厳密には、神道とは宗教というカテゴリには入らないようですが、古事記の素盞嗚尊の物語と、良く似た物語がシュメールの物語に出てきます。
 
 
 
日本の神話                  シュメール神話

素盞嗚尊の別名は、牛頭天王と     古代シュメールの伝える神の一つ、
呼ばれ、同じように牛の角を       バール神は牛の角を生やしており、
生やしている。                天候(暴風雨)の神といわれていた。

素盞嗚尊が人身御供で人間を食らう、 太古シュメールの神話には、ヒッタイト
頭が八つもあるヤマタオロチに、酒を  の守護神である、7つの頭を持つ龍が
飲ませて酔わせてから退治する。    人間を生け贄としていた。そこでバール
その時にオロチの尻尾から、鉄の剣  神が、龍を酒に酔わせて退治する。
(草薙の剣)を手に入れる。        すると龍の中から、ヒッタイトの鉄を
                         手に入れる。
 
 
 
 先のシュメール神話もそうですが、日本ではイザナギ・イザナミ神話や素盞嗚尊の八股大蛇の退治神話など、別個の神の話しとして残っていても、シュメールではごくシンプルに、同一の神名(バール、アシュトラ神など)の物語が殆どという点が、相違しています。

 ちなみに、イザナギ・イザナミ神話とよく似たモチーフが、ギリシャ神話にも見られるという事ですが、アテネはペルシャ湾が近い事から、恐らくシュメール神話が、ギリシャにも伝達したのではないかと思われます。
 
 
 
*シュメールの羊と秀真伝の『女』*
 
 
 
 秀真伝(ほつまつたえ)では、ヲシデと呼ばれる神代文字を使われて居ますが、この文字では現代かなの「ナ」に当たる部分が、「女性」を現わす様です。そしてその文字は、原典では○に十を重ねた○に十という様に現されていますが、この文字は、シュメールで「羊」を意味するものと同じです。

 羊と女では、一見するとバラバラでもあり、又単純な図形的な文字であるので、偶然の一致とも考えられます。ただ、大本の裏神旗と酷似している点と、辻家の家紋とも似ている点です。日本の家紋の大部分は、シュメールの文様と共通点があると考えれば、辻家の先祖も又渡来系民族であったとも考えられます。

 王仁三郎氏は「変性女子」という別称があり、霊魂は女性であるという事で、○に十(ナ)が女性を現わすという点を想起させます。同氏は晩年、茶器作りに没頭し、三千個の茶器を焼きましたが、現在はこの三千個の茶器も「型」であると考えられています。

 更に『伊豆能売神諭』中に、瑞の御魂は四八種の生霊を引率して云々・・・という個所の四八と、三千個という茶器の数を掛けると「48x3000=14万4000」という数になり、旧約聖書「ヨハネの黙示録」中にある、「羊に引率され、地から贖われて新しい歌を歌う事の許された者の数」14万4000人と同数になります。
 
 
 
*牛頭天王とバール神*
 
 
 
 伊勢神宮にある外宮は豊受大神を奉る宮ですが、王仁三郎氏によれば豊受大神は国祖、国常立大神の別名であるという事ですが、丹後王朝と言われる、丹波・丹後周辺の神社には、この豊受大神を奉る所が非常に多いのです。

 伊勢神宮の神官、渡会(わたらい)氏の祖先は乙乃古(うるのふる)命だそうです。シュメールの言葉でウルのフルとは、「ウル(牛)のフル(都)」という意味になります。

 この乙乃古命は、但馬から伊勢に移り、素盞嗚命に従って熊野の到着、志摩半島を周って伊勢湾沿岸に分布した人々の族長であったという事ですが、太古の歴史の事であるのに、現代日本での当地の名産、松坂牛はその流れを溯れば、但馬牛→神戸牛→松坂牛という経緯であるのは、知らず知らずに、つまり惟神(かんながら)にそうなっているのでしょうか?

 日本の土着民は、恐らくは農耕民族であり五穀豊穣を願うのは判りますし、エルサレム辺りから流れた民族は遊牧民族で、牛の信仰があったのか知れませんが、王仁三郎氏の言や、各神示類に牛の肉を食うのは「共食い」として、諌めています。良く考えてみれば、ヒンズー教では確か牛の肉は食さなかったと記憶しています。

 またユダヤ教徒も、肉屋にユダヤ人専門のコーナーが在るくらい、血抜きを完全にした牛でなければ、絶対に食さないようです。

つまりは、元々シュメール文明の一つには農法も或る訳ですから、牛は食べ物としての命の糧としての神聖視ではなく、何かもっと他の意味があるようです。もっとも、バール神と同じ角があるから、という唯それだけかもしれませんが。
 
 
 
*鬼と鬼伝承*
 
 
 
 王仁三郎氏の出生地穴太は、鬼退治伝承の発祥地として知られていますが、その鬼退治は、大和朝廷に対抗して敗れ去った人々の話しが鬼に転化したもの、という説があります。

 自分も最初はそうだろうと思っていましたが、牛の角を持つ神、という姿は一見すると鬼によく似ており、何かしらの関連があるのかも知れないとも思います。

 中世以前のモーセの聖画なども、姿こそ人でも角が生えたモーセは、角=鬼のイメージの強い日本人には異様な感じを受けます。

 ところが、『鬼の王権・聖徳太子の謎』(関祐二著:日本文芸社)によれば、法隆寺金堂、釈迦三尊像の光背銘の中の一文として、以下の物が存在するようです。
 
 
 
「法興元三一年、歳次辛巳ノ卜しノ十二月に、鬼前大后、崩しぬ」
 
 
 
 聖徳太子の母親は、「鬼前大后」と呼ばれていたようです。太子一族は鬼としての崇拝があったのかも知れません。また太古では「鬼と神」は殆ど同義語であった様です。

 また、他にも空海、役の行者、ヤマトタケル等にも同様の鬼としてのモチーフが見られる点では、異能の人物などは、鬼として扱われたという事かも知れません。

 又、聖徳太子や日本武(ヤマトタケル)命や王仁三郎氏は、皇族の落胤ではないかと言われていますが、何かしら鬼とまつわる因縁がある様な感じです。

 昭和10年の大本の弾圧の罪状の中には、同年12月の「特高資料」の中に以下の文面があるようです。
 
 
 
(前略)畏くも神武天皇はユダヤより渡来せられ、真の天照大神の御系統たるニギハヤヒ尊を征服せられたるものにして皇室は決して正統たる統治者にあられず等と称し(後略)

-昭和10年12月「特高資料」より-
 
 
 
 王仁三郎氏の対外的でない、当時信者に向けた著作物にしても、特に不敬と思われるものは見当たりません。精々大本神諭などの幾つかに、それと思しき伏せ字がある程度です。むしろ、明治天皇の教育勅語や、古事記、日本書紀といった書物を重要視する、天皇崇拝的な面が、表面的には伺えます。

 日月神示上にも、今迄5回あった岩戸絞めの一つに、神武天皇が人皇を名乗られた事を挙げています。国家権力から言わせれば、大本は表向き、天皇崇拝でありながら、裏では国家転覆を企むという訳です。

 一方で皇祖天照大神の系統たる、皇室に於いての祭事には、近代に至るまで鬼である筈の出雲神を表に出ない形で祭祀し、大嘗祭や伊勢神宮でも、秘中の秘とされる、裏の祭祀としての奉神は、出雲神「大物主神」であったようです。

天皇家は逆に、朝敵出雲の神を裏で奉るという事が、行われていたという事です。

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第四章 神道 1 言霊とフトマニ 言霊 -その1 神=ことば/スエーデン・ボルグ氏の伝える霊界の言語/秀真伝の言霊考/フ
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/364.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:07:26:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)

*言霊 -その1*

*神=ことば*



 聖書に曰く「初めに言葉あり、言は神と共にあり、言は神なりき」この冒頭の文は興味深く、太古の人々が異口同音に「言葉=神」と考え、仮名の一音一音にそれぞれの神が宿ると考えていた思想と、近い物があると思えます。

しかし、普通我々が『言霊』に関しての一般的な概念として、「悪い言を言えば悪くなって行き、良い事を言えば良くなって行く」と、大よそこの程度の認識しか無いのが現状です。




*スエーデンボルグ氏の伝える霊界の言語*




 スエーデンボルグ氏が霊界探訪の際に得た事の一つに、霊人の使う言語というのがありますが、その内容は「天人の言葉は子音と子音の間に必ず母音が入る」と語っており、更に「古代ヘブル語に近い」と指摘していました。

 日本語も又子音と子音の間に、必ず母音が入ります。ヘルブ語と日本語との関係は、幾つか指摘されていますが、もしかすれば天人の言葉は、日本語とも近いのかもしれません。

 更に、スエーデンボルグ氏は、天人の使う言葉には、一つの言葉で幾通りもの、密意が内包されている、という意味の事を述べているのですが、日本語も「チ」という音には「霊」「乳」「血」等の幾通りかの意味があります。

 実際に、母親の母乳というのは、血液が転化したものだそうで、結局赤ん坊は、母親の血を飲んでいる様なものです。




*秀真伝の言霊考*


クリックで詳細図右図は、秀真伝に描かれたフトマニの図です。もちろん、元は神代文字にて記されているのですが、分かりやすく平仮名で書いてあります。

 このフトマニの図では、中央に『あうわ』があり、その周囲に八神名『とほかみえひため』が周囲を巻いています。実はこのフトマニ図の図象は原子の特徴を現わしていると言う説があります。

先ず、フトマニ図中央の『あうわ』ですが、原典ではオシデと呼ばれる神代文字で記されていますが、それぞれ「あ=」「う=」「わ=」となっています。

 原子は中央に原子核(陽子と中性子からなる)があり、その周囲に電子が取り囲むという三つの要素から成り立ち、陽子は+の電荷を持ち、電子は−の電荷を持ちながら、自転をしつつ原子核を周っていますが、原子が安定するには、その回転方向と逆の回転をする電子とが、ペアになり軌道に乗る事が必要となります。

 つまり、原子の世界でも、陰陽のペアがあって安定するのであり、その陰陽の電子の状態(右回転と左回転)をとで表現しているのではないかという訳です。

 これは平仮名で言えば「あ」と「わ」になりますが、秀真伝では「あ=天」「わ=地」としていて、やはり陰陽の考えがあったとも、受け取れます。

 また電子が最高で8つ迄入る事が出来、その状態が最も原子の安定した状態です。フトマニ図でも、中央の円の周囲に『とほかえみひため』八神が並ぶというのも、それを現わしていると考えられています。



*フトマニと原子の周期率*


フトマニ図(円の一端を切り話して長方形に延ばしたもの)

1 2 3 4 5 6 7 △ △ 8 △ △ (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
あ <---------------------う -------------------------------->わ
と み<-------------- △ ------------------>た ほ ゑ め か ひ
す へ<-------------- △------------------> あ を ふ し も い
つ ゆ ね え は や そ よ む ぬ な ゐ お こ ち き
る ん せ て ら ま の ろ く う わ さ れ け り に

原子の周期率

1 2 3 4 5 6 7 8 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
H<------------------------ n ------------------------------>He
Li Be<---------------- △--------------- >B C N O F Ne
Na Mg<---------------- △ --------------->AI Si P S CI Ar
K Ca Se Ti V Cr Mn Fe Co Ni Cu Zn Ga Ge As Se Br Kr
Rb Sr Y Zr Nb Mo Te Ru Rh Pd Ag Cd In Sn Sb Te I Xe

 上記表は、円形のフトマニ図の一端を切り、長方形に延ばしたもので、この状態で原子の周期率表とぴったりと納まる事が分かります。しかも、原子の周期率を現わす場合は、むしろ円形フトマニ図の方が理想的で有るようです。

 しかし、本当にフトマニ図が原子の様子を表現しているのか、単なる偶然か?という点に於いては、総てのものは相似系を成しているという点で極限られた原子を現わしているだけでは無いという事も考えられます。

 つまり、原子の周期と太陽系の公転速度と距離との相似系を成している、という点で宇宙全般に対する、何かの秘密を現わしているとも考えられます。

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第四章 神道 3 秀真伝にみる皇道大本 秀真伝にみる男子の節句/秀真伝にみる女子の節句/秀真伝にみる琴(大本教・民間信仰
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/365.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:15:24:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第四章 神道 1 言霊とフトマニ 言霊 -その1 神=ことば/スエーデン・ボルグ氏の伝える霊界の言語/秀真伝の言霊考/フ 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:07:26)

*秀真伝にみる皇道大本*

*秀真伝にみる男子の節句*
 
 
 
 秀真伝には、五月五日に対応する祭りとして、以下の歌が残っています(原文は無論神代文字にて記されています)
 
 
 
五月五日の頃 受精して、       五ヶ月と五日経った頃

一巡り、サツサ腹帯           一巡りの節目となって、サッサ腹帯の

岩田なす、中管通る           岩田をなして、中管を通って

天の火(ほ)と、両親(たらちね)の  火と 天の火と、両親のの火と

陰を招き、睦の因みの          陰を招いて、睦び因みの

露溢れ                   露が溢れるのです

-『秀真伝』十四紋「世継ぎ法る祝詞の紋」十二項より-
 
 
 
 胎児は受精してから、五ヶ月五日目に節目となり、八股大蛇やハタレと呼ばれる汚穢に狙われやすい、その為にサッサ腹帯で、大蛇から防御するという風習が上古時代にはあったようです。

 秀真伝で描かれる、大蛇からの防御法として、鈴明(すずあか)之道を守る、夫婦和合をする等がありますが、その一つにサッサ腹帯を巻いて、大蛇から胎児を守るという風習があったようで、実際に胎児の受精の時期がまちまちなのですが、季節として五月五日には、菖蒲と粽の祭りというのを執り行なって居たようです。

 ちなみに「天の火と、両親の火云と陰を招き、睦の因み」という個所は、カタカムナでの生命の誕生条件である、陰陽の配偶と僭称界と現象界の正反の融合とする思想と比べると、「陰陽を母父」「僭称界と現象界の正反の融合を天の火」と替えてみた場合に、極近いものがあるのではと思います。

 秀真伝の別の個所(八綾四鈴)に「ハタレの者の、うぐめきて、五月蝿(さばえ)の声の、恐ろしく」という歌がありますが、大蛇やハタレとは「人の妬み煩う胸の火ぞ、大蛇となりて、子種噛む」と人の妬み煩いが、大蛇を生み出すのであるとしています。

 因みに、変性男子、出口直子氏の筆先には「大蛇が何時も付け狙っているから、腹帯しっかり締めて云々」と、幾つか「腹帯」という文が有り、又「五月蝿(さばえ)なす云々」も、他の神典著書等に見られる事から、何か関係があるのかも知れません。
 
 
 
*秀真伝にみる女子の節句*
 
 
   
 古事記、日本書紀のプロトタイプと言われている秀真伝では、御世継ぎの男神ウヒジニノ尊と、女神スヒジニノ尊の間に産まれた皇子が、手に木の実を持って産まれてきて、その実を植えたところ、丁度三年目の三月三日に、花も実も百個に成るまで成長したので、その実を百(桃)の木と名付け、二伸も桃雛木尊、桃雛実尊と名前を変えられた。

 二伸はやがて雛から成人され、或る年の三月三日に神酒(みき)を献上する者が居り、桃の花のもとで「みき」の何にちなんで、女神が先ず飲まれ、次に男神が飲まれました。桃の花が開いたのが、三年目の三月三日だったので、三三九度に飲み交わしました。

 という話しが残っています。上古の頃から桃の節句の原形があった事を忍ばせる話しですが、二伸の名前が桃雛木尊、桃雛実尊という事からも、雛祭りの原形があったと思われます。昔の雛祭りなどでは、祓いに使用する型代(かたしろ)と呼ばれる人間の形をした紙を使っていたようです。

 変性女子、王仁三郎氏の行動は、雛形或いは型を行ったという点で、何かしら共通点が在るのかもしれません。大勢の人を巻き込んでの行動が、実際には、その後に起きる出来事の雛形であったとすれば、雛人形ではなく人を使った神芝居というのも、肯けます。
 
 
 
*秀真伝にみる琴*
 
 
 
 元来琴とは、祭事の際に奏でられる、雅楽として使用される楽器で有ったようで、その琴の音自体が、言霊と成り身体・精神の強壮と、大蛇を和(やわ)す効果があるとしています。
 
 

アワの歌、葛垣琴(かだがき)打ちて    アワの歌を、三弦琴に合わせて

弾き歌ふ、自ずと声も             弾き歌えば、自ずと声も

明かに、五臓六腑緒(ゐくらむわたを)    明らかになって、五臓六腑も

音声わけ                      整って来るのです

-『秀真伝』一紋三項より-

 上記の歌で思い出されるのが、王仁三郎氏の『霊界物語』にも、身魂の磨かれていない人物の描写に「言霊に濁りが在る」という表現を取ったりする所や、琴=言の葉という概念がある事です。

 ちなみに八雲琴の創始者「中山弾正琴主」という人物の著書『出雲琴考』には、以下の様な逸話が載せられていて、素盞嗚尊との関係など興味深い点があります。

 私が文政年間に、大己貴命を拝もうと、出雲大社へ参拝にでむいた所、国造佐草美清なる御方が話されるには

「大己貴命のものされた天の沼琴がこの国の琴引山に伝わっていて、この国が琴曲のもととなる国である」

と話された。この時は神有月(十月)の望の頃で、毎年海神の使いとして、龍蛇が陸へ上がって来る。その夜、八雲が立って神風が轟き、夜もすがら柴の庵の竹を荒く編んだマガキにその音が触れ、草ぐさの音色を聴いた。

 これはきっと、大己貴命の大神が、自然の風をして私に琴の音をお告げになられたのであると思い立って、風が竹垣に触れた事から、八雲山の竹を切り、龍蛇に象って、甲乙の風の音を二筋の糸に写して、素盞嗚尊の八雲の御製をそれに合わせて歌ったり等して、この「八雲琴」は産まれた。

 こうして見ると、上古時代の思想体系である、秀真伝と大本系の思想は似ている事が伺え、又何かしら糸が絡むような因縁めいた繋がりも感じます。天明氏の『日月神示』に書かれた神代文字も、秀真伝と同一の物があります。秀真伝に限らず、他の古代文献の研究も行ってみると、案外色々な事が発見されるのかも知れません。

 また王仁三郎氏は、中村孝道氏、大石凝真澄美氏、本田親徳氏等の先駆的な神道学者に教わる機会(中村孝道氏の場合、妹のウノ氏に継がれた訳ですが)があった為、古神道の知識も多かったと思われますが、出口直子氏の場合、先ずこの様な書物の存在自体、知らなかった可能性が強いと思われます。

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第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 背反する動き/同じ名の神/何故背反する力が働くのか?(大本教・民間信仰・
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:11:12:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)

*民主主義 -その1*

*民主主義について*

 通常、我々は民主主義を素晴らしい、文字どおりの民主主体の社会システムだと、そう考えています。いわば、民主政従というか、民が政治家を選び、政治家は議題を多数決で決める。常により多くの人の意志が通る様に成っています。

 今は、「民主主義を履き違えている」「日本は本当の民主主義国家に成り得ていない」など、色々な事が言われていますが、ともかく民主主義が第一番であるという事には、変りません。

 日本の政治機構は、徳川幕府の3百年に及ぶ歴史に見られるように、永らく統治者の末裔が引き継ぐという形式を採ってきました。どれほど愚鈍な人物であっても、また前任者が早死にしてしまい、跡継ぎが幼児しか居ない場合でも、同様です。

 国交が開かれた時、日本には外国の『大統領』を表現する言葉がなく、散々考えた結果、最も近い存在として、大工でも一等の働き頭、「棟梁」制から、国を治める意味で「大」を付け加え「大統領」になったのだと言います。

これを見れば、優れた者であれば、例え一般庶民といえども「大統領」足り得る制度に、誰もが賛美したことだろうと思います。

 前述した様に、統治者の跡継ぎが、愚鈍で在る為に、或いは冷淡な人物であったが為に、民衆が苦しむ事が幾度と無く有った訳ですから、身分の貴賎・高低に関わらず、相応しい人物を民衆が自ら選び出す。此れほど素晴らしい制度が、今迄は無かった訳ですから、これは無理も有りません。

 ところが、大本の神諭でも、日月神示などでも、人間の作り出した『民主主義』も『社会主義』も、批判的です。簡単に言えば、徳主制従を旨としているのですが、この点ばかりは、中々理解し難い面です。
現代的に分かり易く言えば、今の人間は九分九厘までは、盲(めくら)同様の者ばかりだから、その盲同士が集まって幾ら選挙をしても、選び出されるのは、より一層輪をかけたような盲である。というものです。

自分は、よくよく冷静になって、出来うる限り固定概念に囚われず(これが最も重要です)、出来る限り客観的に考えてみました。

1. 徳川幕府の様な、統治者の一族が、代々政治を司るのは、やはりロシア革命・フランス革命などを見ても明らかな通り、必ず良い人物が就任するとは限らず、また一族は安泰に過ぎる為、就任者の慢心を招いて、大変危険な事だと思う。

2. 現代は先ず、票を集めなければ、何事も達成する事は出来ない。だから、国民の喜ぶ『税制改革法案』『消費税廃止』等という、すぐさま出来そうに無い事でも、政策として挙げてしまう。

3. 国民の多くは、やはり『減税』という言葉に弱い。誰がなっても同じとは思いながらも一票を投じる。結果何事も起こらなければ、『公約違反』と、避難する。

4. 前述の様に、今は多数決で決める世の中だから、何より議席数を確保し、また各党・各派閥共に、自分の所属する党や派の広大を、ついつい先に考えがちになってしまう。結果的には、野党は与党の政府案を常に批判し、与党は各派閥毎に、足の引っ張り合いに、知らず知らずに成ってしまう。

5. 結果的に、溜まった政策は、中々議決されずに、ずるずると長引いてしまう。また、どれほど優れた案でも、それを掲げたのが『少数派』であれば、案が通る事は不可能。どれほど愚案(当面誰の目にも良いと思われても、結果的に愚案となる場合も多い)でも、多数の賛成者が居れば、決まってしまう。

以上の様な事です。また、シオンの議定書(或いはユダヤ・プロトコール)という怪文書にも、興味深い事柄が載っています。

************

 「善良な性質の人間よりは、先天的不良性の人間の方が、数において勝っているので、学理上の議論によるよりは、強制的威嚇を用いた方が、はるかに政治上の好結果を挙げるものである。」

 「尚我々は、大衆の力は盲目で、非理知的で、判断力が無く、従って左にも右にも耳を傾けるものである事に注目しなくてはならない。盲人が盲人達の案内役を勤める時、必ずや共に滅亡の淵に陥ってしまう。

従って大衆の中の者ども、または人民の中からの成り上がり者は、如何に多才の者であろうとも、政治上の知識を持たぬ故に、ひとたび指導者として登場する時には、必ずや全国民を滅亡の淵に陥れないではおかぬのである。」

 「我々が自由・平等・四海同胞なる語を民間に放ったのは既に古代の事である。それ以来、これらの標語は、無意識のオウム返しによって何度と無く復習され、世界の幸福と、個人の真の自由を破壊した。

いわゆる賢明なる非ユダヤ人の識者と言われる人々でさえも、難解な謎の如きこの言葉の抽象なる意味を正しく理解し得る事が出来なかったし、またその内部に含まれている矛盾を勿論看破する事が出来なかった。  自由がもし、敬神を根拠とし、天地の法則に背反した平等の観念を去った同胞主義に立脚する時は、国民の幸福を阻害する事なく、国家組織の中に無害なるものとして存在する事ができる。

 かくの如き宗教と信仰を持っている時は、国民が地上における神の摂理に従い、教会に統御せられ、謙遜、従順に、精神的慈父たる牧師の指導に従うものである。それであるから我々は、宗教の根底を覆し、非ユダヤ人の脳裏から神霊の観念を奪い取り、その代わりに個人主義的打算的利欲と、肉体的享楽主義的要求とを植え付けねばならぬ。  彼らは悲しい事に、自然なるものが平等を知らず、またその中に自由が有り得ないものであり、自然そのものが、理性と性格と、才能と不平等を、その自然の法則として造ったものである事に気付かなかった」

-いずれも『シオンの議定書』より-

***************


 シオンの議定書とは、この手の怪文書に良くあるように、誰の手に依るものか、諸説入り乱れているのですが、一般には、フリーメーソン(或いはユダヤ財閥)という、世界統一の動きを影でしている、秘密結社のものだとか、言われています。

事の真偽はともかく、確かに我々が素晴らしいと感じている、『自由・平等・民主主義』とは、よく考えてみると、皆を平等にしてしまえば、社会主義的になるし、自由が無くなってしまう。皆に自由を尊重させれば、各人の平等は成り立たない。確かに矛盾しているのです。


シオンの議定書は、誰が造ったのか判りませんが、ユダヤ組織であるとかの真偽・善悪は別として、まさしく天才的人物(組織)としか、言い様がありません。もしも、本当に誰もが素晴らしいと感じる、これら制度が、何者かの手による工作であるとすれば、正しく世界的に騙されている訳です。一方で、大本神諭・伊都能売神諭・日月神示には、以下のような一節が見られます。

***********


●平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ。天地をよくみよ。人民の申す如き平等も公平も無いであろうがな。一寸伸びる草もあれば一尺伸びる草もあるぞ。一寸には一寸が、一尺の草は一尺が頂点であるぞ。これが公平であり平等と申すもの

-『日月神示』/岡本天明伝達より-

●自由とか平等とか申す事は、一寸聞けば誠に結構なやり方の様であるが、日本のご先祖の道を外れてほかに自由も平和もくるものでないぞよ。

-『伊都能売神諭』/出口王仁三郎伝達より-

●艮の金神大国常立尊が、明治二五年から変性男子の御魂の宿りておる出口直の手と口とで、永らく知らした事の実地が現はれて来たぞよ。今になりてからは何程日本の守護神が焦りたとて、もう上げも下ろしもならんところまで世が迫まりて来たから、何程守護神人民が地団太踏みたとて、到底人民の力ではニジリとも出来ぬから、この上は神力に頼るより外に道はないから、世に出て居れる方の日本の守護神早く御魂を磨いて、この結構な先祖から続いた国を守護致さぬと、今度やり損うたら、万劫末代取り返しのならん事になりて、世界は石屋(いしや:フリーメーソン)の自由にしてしまわれるぞよ

-『伊都能売神諭』/出口王仁三郎伝達より-

************ 

上記を見ても、どうやら西洋の思想とは、正反対である事が分かります。

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第五章 霊主体従 2 民主主義 ではどうするのか?(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:17:02:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 背反する動き/同じ名の神/何故背反する力が働くのか?(大本教・民間信仰・ 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:11:12)

*民主主義1 -その2*

*ではどうするのか?*

 どうも、皆が議員を選んだり、問題を多数決で決めてみたり、という事は、人それぞれの考え方が違う以上、賛成票の増減で、脇道へ外れたり、或いは時間が掛かったりと、色々な問題を含んでいるようです。
しかし、これに変る新しい政治機構は、どうすれば良いのだろうか?という問題は、やはりこれも議論したところで、中々決着は付かないだろうと思います。

 ここで、中々興味深い事を語る人物を紹介します。

**********

 世界の歴史は、進歩するだけ進歩し、その間に、幾度か戦争が繰り返されますが、最後に戦いに疲れる時が来ます。その時人類は世界を、真の平和へと導いてくれる者を、探し出さなければなりません。

その世界を導く者は、武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古く、また尊い家柄の者でなくてはなりません

 世界の文化は、アジアに始まって、アジアに帰ります。それはアジアの高峰、日本に戻らなければなりません。私たちは、神に感謝します。私たちに、日本と言う尊い国を作っておいてくれた事を。

アルバート・アインシュタイン

**********

 上記は、アインシュタイン博士が、日本を訪問した時に、海江田子爵との会談の後に、残したメッセージです。全く不思議なのは、実は大本系神書の、底辺にあるものと、ソックリな事です。

 最も古い、最も尊い家柄の者でなくてはならない。というのは、天皇陛下を指すものであるというのは、先ず異論の無いところだと思います。もっとも、前述の様に、初代天皇の天照大神は、ニギハヤヒであったという事になると、また複雑な事になってきてしまいますが・・・。

ところで、ここは「霊主体従」の章ですから、一応ここで相応しい内容を引用します。

***********

●各々の団体の中には、また特に相似た情動の霊人の数人によって、一つの家族的小集団が自らにして出来上がっている。そしてまた、各々の集団の中心には、その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占め、その周囲に幾重にも、内分の神に近い霊人の順に座を取り囲み運営されている。

 もしそこに、一人の場所、位置、順序の間違いがあっても、その集団は呼吸しない。そして、それは一定の戒律によって定められたものではなく、惟神(かんながら)の流れ、即ち歓喜によって自ら定まるのである。

●天国の政治は、の政治である。政治する政治ではない。より内奥の、より浄化されたるそのものからなされる。故に与える政治として現れる。天国は限りなき団体によって形成されている。そして、その政治は、各々の団体における最中心、最内奥の歓喜によりなされるのである。

・・・(中略)・・・

 また統治者自身は、自分達を他の者より大とはせず、他の善と真とを先とし、その歓喜を先ず喜び、己はその中にとけ入る。故にこそ、統治者は常にその団体の中心となり、団体の歓喜となるのである。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より -

*********

 霊界の姿はその影に従うように、地上に写されて来る、故に地上界を指して『写し世』と呼ぶと、言われています。この天国の統治者というのは、明らかに自ら名乗り出る、その時代時代の覇者とは違い、神に近いが故に、自然とそこに存在しているのだそうです。

これは、日本で言う天皇と良く似た姿ではないかと思います。天皇は何かを国民に強いる訳でもなく、常に慈を込めて人々に接します。また昔から存亡の危うき時代を繰り返しつつ、何故か必ず存在し続けているのです。

これは、諸外国の王制度とは違い、歴代天皇が国民に圧政を強いたという事も、何かの反乱が起きたと言う事も無いのです。

アインシュタイン博士の言うように、また「霊主体従」で考えても、最も尊い家柄の人物が、世界を平らけく、安らけく、治めてくれれば、一番良いという事になります。

ただ現在の天皇は、政治に関与している訳ではないので、まだまだ問題は沢山に残っています。更に現在は色々な問題が山積されている為、それ等が解決が着かない内から、この問題を考える処ではないでしょう。

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第五章 霊主体従 3 金銀爲本制 現代は金銀爲本制の世の中/世界恐慌はマッソンの仕業?(大本教・民間信仰・民俗) [99
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/351.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:19:28:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 2 民主主義 ではどうするのか?(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:17:02)

*金銀爲本制 -その1*

*現代は金銀爲本制の世の中*

 現代はとにかく、金が無ければ何もする事が出来ません。特に都会に行くほど何も出来ず、人間が生きるのに必要な衣食住まで、金が無いと何も満足させる事が出来ないようになっています。

 昨今でも、東京で餓死者がでた、というニュースが流れた事がありましたが、何も不自由の無い、何でも揃っている東京で、餓死者がでてしまうのです。

 この、皮肉な出来事が、現代の世相を反映していると言えます。しかし、よくよく冷静に考えてみると、未開の地に住む原住民などは、自給自足の生活をしていて、金というモノを使った事無しに、生きています。

 これは極端な例かも知れませんが、とにかく人が生きる為に、金は無くても実は生きて行けるのです。所がしっかりと金銀爲本制となった現代社会は、何処の国に限らず、金が無いと何も出来ません。

 ところで、この金の流れを考えてみると、自分としては、少し不思議な感じがするのです。それはバブルがはじけた時、「バブル崩壊とはなんぞや?」という程、なんだかよく判らなかったのです。それで、大体の事が分かって来ると、今度は「今迄は景気が良かったのか!」という程世の中の事情を殆ど気にしていなかったので、何処と無く周りが騒いでいるな、という程度の認識しかなかったのです。

 その後も、およそ財テクとは縁の無かった自分は、「円が数円上がった下がった」とか「株価が下がった」「土地が下がった」とかで、右往左往して、顔色まで青くなったり赤くなったりする人を見る度に、「何をそんなに騒いでいるのか?」と、ちょっと不思議な感じを覚えた事が有ります。これはキット、同様に感じていた人も多いと思います。

 大量の物資を扱う企業なら、少々値が上がっただけでも、相当の金の動きがあるのは分かりますが、それは相手も同じ事で、一方が良ければもう一方は都合悪い事になるし、輸入業者が良ければ輸出業が苦しむ訳ですから、レートがいつも統一されていれば、こんな事にはならなかったと思います。

 もちろん、経済の動きは複雑だと思うので、もっと色々な要素があるのだと思いますが、それにしても、前述の原住民の様に、単純明快でシンプルな生活をしている人達が、地震などの災害対策も含め、大した気苦労も無く生きているのに比べたら、文明人の気苦労は大変なものだと思います。


*世界恐慌はマッソンの仕業?*

 非ユダヤ人に害を与える為に我々は、経済恐慌を引き起こした。それがためには、ただ手の届く限りの、金の全部を金融界から引込めるだけで十分であった。

 かくて巨額の金額が我々の手中に貯蔵されたが、一方では非ユダヤ人国家は資金が全く枯渇したので、結局やむを得ず我々に国債の引き受けを請わざるを得ない様になり、これがため非ユダヤ人国家はこの国債で多額の利子支払いの義務を背負い込むに至った。

これは彼らの国家経済のかなりの重荷となって、遂には国家そのものまでが大資本家に全く依存する事になってしまった。  金本位制は、これを採用した国家にとって破滅の根源であった。我々が金貨を出来るだけ金融界から引き上げてしまったので、金本位制は、ますます諸国民の大きな貨幣制度を満足させる事が出来なくなったからである。  優越を得んが為の極度に緊張した闘争と、経済生活に対する衝動とは、絶望的な、しかも悲惨極まる冷酷な社会を実現するであろう。

否、既に実現していたのである。斯くの如き社会は高等政策と宗教とを全然忌み嫌うようになり、これを指導する者は、ただ利得打算、すなわち金力のみとなり、金力によって享受出来る物質的快楽の為に、黄金を完全に崇拝するであろう。

-いずれも『シオンの議定書』より-

***********

 上記シオンの議定書は、前述したように、誰の作かも定かではない怪文書ですが、ずっと昔に暴露されたものにしては、現代世相を明らかに映しているような、そんな感じを起こさせます。

 現代社会は確かに、虚栄の為に、必要以上の金銀を求め、誰もが金欲しさ(物質欲しさ)に、ピリピリとした緊張感があります。現代人として生き抜くとは、ある意味では闘争する事と、置き換えられます。
 更に、現代の政治家や宗教家の様に、金の為のみという様な、まさしくそのものズバリという人が沢山居ます。

 また、同文書には「非ユダヤ人にこれに気づかぬ様にするには、彼らの心を商業と工業方面に向けねばならぬ。かくすれば各国の非ユダヤ人等は、国家社会など眼中に無く、唯我々の利益のみを追い、利害戦に夢中になって、自己の共同の敵に気付かなくなるだろう」という個所もあります。

 果たして、マッソン(イシヤ)が実在するのか、各国は本当に誰かのコントロールを、陰で受けているのか分かりませんが、もし本当だとすれば、日本に関する限り、殆ど思うように操られているという感さえあります。

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第五章 霊主体従 3 金銀爲本制 外国でお働きの日之出神/王仁三郎氏の説く皇道経済(大本教・民間信仰・民俗) [99-0
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:23:25:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 3 金銀爲本制 現代は金銀爲本制の世の中/世界恐慌はマッソンの仕業?(大本教・民間信仰・民俗) [99 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:19:28)

*金銀爲本制*

*外国でお働きの日之出神*

 大本神書の多くは、金本位制に関しては、批判的です。要するに、乱暴な言い方ですが、シオンの議定書と正反対と思っていただければ、良いのではと思います。

ところで、古代史の所で述べたように、矢野祐太郎氏の研究では「日之出神」の働きの一つには、ユダヤ民族を霊的に支配していた、というのが有ります。

 つまり大本に現れた様に、一方では霊主体従を基本理念に置く、神示が出現したかと思えば、また一方では体主霊従的な支配を、行っているという事になります。

矢野氏は、果たしてトンチンカンな事を言っていたのか、それとも真実の事であるのか、それは解らないのですが、日月神示には、それと採れる部分も、存在します。

***********

●金では治まらん。悪神の悪では治まらん。ここまで申してもまだ判らんか。金では治まらん。悪の総大将もそのことを知っていて、金で世を潰す計画ざぞ、判っている守護神殿早よう改心結構ぞ

●金で世を治めて、金で潰して、地固めしてミロクの世と致すのぢゃ。三千世界の事であるから、ちと早し遅しはあるぞ。少し遅れると人間は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年も続けて嘘は伝えんぞ、申さんぞ。

-いずれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

************

 上記の日月神示にあるように、やはり矛盾した部分を内包しています。もっとも、日月神示には「悪も御用の悪」として、悪の存在を許していて、元々大神の腹の中に、善も悪もひっくるめて、存在しているという事です。

 確かに大本に限らずとも、仮にこの天地を自由にする様な神が、実在するのなら、何でこういう世の中になのか、マッソンという影の組織があるのなら、何故そのまま放任しているのか、この世に神も仏も無い物か、という様な状況になっています。

*王仁三郎氏の説く皇道経済*

 王仁三郎氏は、金銀本位制については「国家の競争・興亡、戦争の動機、産業の競争、人心の腐敗、諸他の罪悪は黄金の獲得欲望が原因であり、限りある財貨で、限りない欲望を満足させようとするが故に、無限の罪を醸成する様になる」という意の事を述べています。

 なるほどと思います。財貨はやはり限られています。限られなければ、その価値も失してしまうからです。そして人間には無限の欲望が有ります。その欲望も、違う方面に向ければ良いものの、ひとたび金貨獲得に向いたなら、これでもう良いという限度が無い程、欲しがるようになります。

 しかも、現代では金が無ければ何事も出来ないと言う、そんな世界であるから余計に大勢の人の目が、金貨に向かう事になってしまうのです。そこで、「皇道経済」という当時流行語になった、高度経済成長をもじったシステムを述べていました。

***************

 今日の経済学者、爲政者は、総て外国の精神で頭が一杯になってゐるから、今の金銀爲本のやりかたより他に方法が無いと思ってゐるが、西洋も、その経済方法を試みて行き詰まった。

 その行き詰まったやつを又日本がやってゐる。これではどうしても行き詰まるに決まってゐる。然らば、何がこの金銀爲本の政策に代わるべきか、即ち皇道爲本、御稜威(みいず)爲本の政策である。

-『惟神の道』/出口王仁三郎著より-

*****************

 皇道経済というのは、大よそ以下の様な感じの政策です。

*自給自足の経済ブロックの創立

自給自足の経済ブロックによって、その国々で自給による生活の糧の確保が出来るようになる。それぞれの自治体によって運営され、相互に有無相通じる。

*税金の廃止

  税制は無くなっていく。交通機関、情報量なども無料になる。

*土地の所有権の返還

土地の所有権は、各個人が保有する事無く、各自治体に返還され、各家庭の家族構成によって、平等に分配される。

 といった所なのですが、詳しい事は王仁三郎氏自身も、今言っても本気にはされない、として具体的な事はあまり書かれては無く、あったとしても、その解釈に難しい面もあります。

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第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 背反する動き/同じ名の神/何故背反する力が働くのか?(大本教・民間信仰・
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/353.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:26:51:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 3 金銀爲本制 外国でお働きの日之出神/王仁三郎氏の説く皇道経済(大本教・民間信仰・民俗) [99-0 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:23:25)

*霊主体従 vs 体主霊従 -その1*

*背反する動き*

 これまで、様々に疑問点が現れてきました。一方では体主霊従のイシヤ(フリーメーソン)と、それと正反対の霊主体従の神示群。

これら背反する勢力の働きかけとなる力は、同一のものから出ていると、受け取れる点です。 それは、日之出神の働きにも現れていて、矢野祐太郎氏の研究で、外国でユダヤ人を霊的に操作し、また大本では救世主的な役割があると、考えられていました。

 一般に大本では、「大門」の経綸は悪神の経綸と考えられていて、その為大門出身の祐太郎氏の研究は大本では恐らく、まともに取り合わなかったであろうと思われます。

 王仁三郎氏の行った型も、イシヤのそれと思しき事柄があります。それは、王仁三郎氏はその活動の一環として、「映画」・「音楽」・「新聞」などの活動を盛んに行っていたというものです。

 新聞活動などは、前述の通りで、更には青年部の中に音楽部を設立、SP盤の吹き込みや音楽活動、果ては亀岡の旧城跡にて、当時の人気スターを遊ばせてみたり、青年会に映画班を三十六班、地方組織にも二十班を設置するなど、その宣伝活動は多岐に渡っています。

 これは一方では、ヒトラー率いるナチスのプロパガンダ作戦を彷彿とさせますが、また一方でシオンの議定書に描かれた3S(スポーツ・スクリーン・セックス)という、非ユダヤ人を軟弱化する為の作戦というのがあります。

 ちなみに、現在でも八幡書店から、「昭和の七福神」という映画がビデオ化され、販売されています。また「霊界物語」の「天祥地瑞」を脚色した神聖神劇は、アンナ・パブロア(ロシアのバレリーナ)に大きな影響を与えるなど、その方面での王仁三郎氏の才能は、なかなかのものであった様です。

 こうしてみると、大本及び王仁三郎氏は、世界に起こる事を写す『鏡』としての性格を持っていたと考えれば、一応の説明はできますが、一体何故、この様な背反する動きを、同じ所からの働きかけが起きているのか、それが今一つ謎である所です。

*同じ名の神*

 日月神示には、この矛盾性についての言及であるのか、他に意味があるのか以下のような一節があります。

**************

●同じ名の神二つあると申してあろ、同じ悪にもまた二つあるのぢゃ。このこと神界の火水(ひみつ)ぞ。この事判ると仕組み段々と解けてくるのざぞ。鍵ざぞ。

●同じ名の神二柱あるのざぞ。善と悪ざぞ。この見分けなかなかざぞ。神示読めば見分けられる様に、よく細かに解いてあるのざぞ、善と悪と間違ひ申していると、くどう気付けてあろうがな、岩戸開く一つの鍵ざぞ。名同じでも裏表ざぞ、裏、表と思うなよ。頭と尻違ふのざぞ。

-いずれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

***************

 これと同じ意味であるのかどうか、解らないのですが、全く個人的には「霊界物語」を読んだ折に、「八頭八王」(やつがしらやつおう)の神将と、「八頭八尾」(やつがしらやつを)の悪神が出て来る部分で、なんだか名前が似ているなぁ、と感じた事があります。

また日月神示に「この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪も無いのざぞ、審判(さばき)の時来ているにキづかぬか、その日その時さばかれているのざぞ」という個所もあります。

*何故背反する力が働くのか?*

 大本神諭、伊都神諭などに、幽界と書いて「がいこく」というルビが振ってある個所が散見されます。日月神示にも出てきます。これを指して「日本は尊い神国だ、外国は幽界の国だ」という考えを持った人物も沢山居ただろうと思います。

 また「悪の教え」「悪のやり方」という部分には、「体主霊従金銀爲本制之政策」という漢字が充てられています。要するに、外国は悪のやり方で、日本は尊いやり方だ、という事になるのですが、日月神示には「日本も外国も無い、外国にも日本の臣民があるし、日本にも外国人が沢山居る」(意訳)という事が書かれています。

 実際、ついつい大本の神示であるから、大本の専属的な神であるという考えが間違っていて、例えば中国では道院・紅卍字会に「至聖先天老祖」という神名で出現しており、世界国々所々で、様々な神名を名乗って現れている様です。

それは、実際には神道でいう「国常立尊」という神名でありながら、大本で「艮の金神」という名で出現した事からも伺えます。

 イシヤの仕組みという点から見れば、悪(体主霊従)を広めて、人類を愚鈍化させようとしているのに対して、各国所々に現れた神示は、善(霊主体従)を説いているのです。

 一方で世界的にある働きをする力が働いたと思えば、もう一方では全く反対の人間を育て様とするのだから、矛盾撞着もはなはだしく、ユダヤ教的に言うと、ハルマゲドン=善と悪の最終決戦も何も無いものだと思います。

 同じ雇い主が、傭兵を雇って、お互いに戦わせようとする様なものだからです。自分もしかし、これまで何度も、疑わしい思いをして来たので、よくも捨てずに居たもんだと思います。実際には一旦捨ててしまった方が、体験的に納得できて、良いみたいです。

 ちなみに、新人の社会人がやって来ると、研修で習った事が最善であると考え、現場に居る自分等がより確実な方法を教えても、何が良くて何が悪いか、それ自体解らない新人は、どうしてもマニュアル通りのやり方で、あらぬ失敗をする事がありますが、一度間違うとそれ以降はよく理解して、同じ事は繰り返さなくなります。

 本題に戻ると、これと同じような事は、ヨハネの黙示録にも書いてあります。それは大略、サタンの活動がある一定までは、力を与えられ猛威を振るう事が、許されている点です。

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第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 ヨハネの黙示録に登場する獣/神と獣に別れる(大本教・民間信仰・民俗) [
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:31:53:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 背反する動き/同じ名の神/何故背反する力が働くのか?(大本教・民間信仰・ 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:26:51)

*霊主体従 vs 体主霊従 -その2*

*ヨハネの黙示録に登場する獣*

 

 ヨハネの黙示録には、サタンである龍と、豹に似た獣、子羊の様な角の生えた獣が出てきます。これは一見すると、大本系神書の、八頭八尾大蛇(ヤマタオロチ)、金毛九尾の悪狐、邪鬼と似ています。
そしてまた、龍体の神アシュトラ神、或いは日の大神、牛の様な角のバール神、或いは牛頭天王(素盞嗚尊)とも似ています。また、ヨハネの黙示録には、キリストを指して「子羊」という表現を採っています。どちらも似たような言葉や姿形で、訳が分かりません。

そして、ヨハネの黙示録にも、それ等獣達は

**********

 そして彼は、聖徒に戦いを挑んでこれに勝つ事が許され、さらに、総ての部族・民族・国語・国民を支配する権威を与えられた。地に住む者で、ほふられた子羊の命の書に、その名を記されていない者は皆、この獣を拝むであろう。耳のある者は、聞くがよい。虜(とりこ)になるべき者は、虜になっていく。剣で殺す者は、自らも剣で殺されねばならない。ここに、聖徒達の忍耐と信仰がある。

・・・(中略)・・・

 また小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、総ての人々に、その右手或いは額に刻印を押させ、この刻印の無い者は皆、物を買う事も売る事も出来ないようにした。

***********

 という個所が有ります。大本系の神書では、ユダヤに降臨したのが邪鬼であったとしていますが、仮に邪鬼=羊の様な角の生えた獣であったとすれば、内容的にユダヤの金融支配を彷彿とさせるものが有ります。

 もっとも、矢野氏の研究では、ユダヤの霊的な支配が「日之出神」の或る働きの一面である、とした訳です。確かに、何故かは判りませんが、或る一定までは、獣にも敢えて、活動が許されている (?) 様な感じです。しかも興味深いのは、これら黙示をヨハネに与えた存在というのが、「口から鋭いもろ刃の剣が突き出ている」存在であるという事です。我々の観念では「もろ刃」とは、広辞苑によると「一方で大層役に立つが、他方では大害を与える危険を伴うものの喩え」となっています。これは言ってみれば、大本系神書の持つ、善とも悪とも解らない、矛盾した世界観に似ています。もっとも、当時の聖書を編纂した人物に、今の日本人と同じような観念があるという可能性は、これだけでは強引ですが、以下の奇妙な記述が存在します。

***********

 「勝利を得る者、わたしの技を最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。彼は鉄の杖を持って、丁度土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。

 それは私自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。私はまた、彼に「明けの明星」を与える。耳のある者は、御魂が諸教会に言う事を聞くがよい」

***********

上記は、サタンの妨害に負けずに、最後までキリストの技を見失わなかった者に、諸国民を治める権威と、明けの明星を与える。というものです。以前に書いたように、明けの明星は、天界一の天使「ルシファー」、つまりサタンを意味するのですが、ここは不思議な部分です。

 
 

*神と獣に別れる*

日月神示には、以下の一節があります。

*************

●今度の戦(太平洋戦争の事)で何もかも埒(らち)ついてしまふ様に思うているが、それが大きな取り違いぞ。なかなかそんなチョロッコイことではないぞ。今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動く事も引く事も、進む事もどうする事も出来ん事になりて、臣民は神がこの世に無いものと言ふ様になるぞ。

 それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申す事聞かんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ。

●獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性だすのぞ。今度は万号末代の事ぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。今度御役決まりたら、そのまま何時までも続くのざから、臣民良くこの神示(ふで)読みておいてくれよ。

●この世は人にまかしているのざから、人間の心次第ぞ。しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神懸かりている臣民ぞ。神懸かりと直ぐ分かる神懸かりではなく、腹の底にシックリと神鎮まっている臣民ぞ、それが人間の真の姿ぞ。

いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟していてくれよ。地獄の三段目に入る事の表は、一番の天国に通ずる事ぞ。神のマコトの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこの事ぞ。何事も洗濯第一。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

***********

 上記の様に、一旦は世界は乱れに乱れ、体主霊従、つまり物質的優越を得んと、強いもの勝ち、弱肉強食的な、冷淡な世の中に進んでいくようです。

 その中で、霊主体従的なやり方を行う人達にとっては、或る意味では辛い世の中ですが、神の臣民と獣の様な人と、別れて来る様です。これは既に現在でも、そういう人は存在します。

 ただどうしても、どうにもならないくらいに行き詰まらないと、言う事を聞かない人も居るようです。 ちなみに、悪の面を持つ日之出神は、黙示録中では、その虜になった人達に刻印を押すとされますが、また善の面を持つ日之出神(日之出の天使?)は、逆に神の選民の額に、「神の印」を押すとしています。

 ここでも、似たような事で両極端な事が起こるようです。もっともこれは物質的に、何かのイレズミが行われると言うのではなく、精神的なものだという感じがします。またモーゼスの霊訓にも、黄金崇拝に関して以下の記述があります。

*************

 騒々しい世間はとかく霊的なものを拒絶するものです。人間は物的なもの、すなわち目に見え、手に触れ、貯えることのできるものに心を奪われ、死後に霊的生活が待ちうけていることを知りません。あまりに地上的になりすぎ、われわれの働きかけに無感覚になっています。あまりに地上的打算に満ちているために、死後にも価値の残るものに心を配る余裕が持てなくなっています。

 それだけではありません。心がいつもそうしたものに囚われ、心静かに瞑想する余裕を持たぬために霊的栄養が不足し、魂が衰弱しています。霊的雰囲気に力が見られません。おまけに身体も仕事の重圧と気苦労のために衰弱気味です。これでは、われわれもほとんど近づくことすらできません。

 さらに、いがみ合いの情念と不平不満、ねたみ合いと口論のために、その場が不快な重苦しい雰囲気に包まれています。ことごとくわれわれにとって障害となるものばかりです。無数の悪徳の巣、忌まわしい誘惑、そしてその不徳と罪悪に魂を奪われた人間であふれる大都会には邪霊の群れがうろつきまわり、破滅の道へ引きずり込まんとして、虎視眈々、その気を窺っております。多くの者がその餌食となって悲劇への道をたどり、それだけわれわれの悲しみを増し、手を煩わせることにもなっております。

-『モーゼスの霊訓』より-

 

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第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 雛形経綸からみたハルマゲドン/何故背反するのか2(大本教・民間信仰・民俗
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:36:09:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 ヨハネの黙示録に登場する獣/神と獣に別れる(大本教・民間信仰・民俗) [ 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:31:53)

*霊主体従 vs 体主霊従 -その3*

*雛形経綸からみたハルマゲドン*

 

 以前に書きましたように、大本の雛形経綸を考えてみると、一つの流れがあるように感じます。それは、体主霊従と、霊主体従との戦いであったと言う事です。

 というのも、1889年02月11日(明治22年)大日本帝国憲法が発行され、大本の開教は明治25年からとされていますから、何かの象徴ではないかとも考えられるのです。それまでの天皇の姿と違った、大英帝国の王制度をモチーフにした天皇制を開始し、一気にイシヤの仕組み的な、体主霊従の世界に入っていったのです。

 王仁三郎氏の紹介で少しだけ触れたように、大本及び王仁三郎氏に対して、日本中から非難をされていた訳ですが、第一回の入獄(大正10 年2月12日)から、再度入獄される前日(大正13年7月26日)迄は、1260日でユダヤ暦でいうと42ヶ月間に渡って、苦しめられた訳です。

 一方で獣の方もまた、「口を開いて神を汚し、神の御名とその幕屋、すなわち天に住む者達とを汚した」活動をする権威を与えられた期間もまた1260日であったのです。

 つまり、善と悪の最終決戦=ハルマゲドンは、或る意味その雛形を既に、かつての大本 vs 大日本帝国の戦いで、演じられたという考え方も出来るのです。

これをふまえて、大本神書にある「一厘の秘密」これもまた、多くの謎をはらんでいるのですが、大よそ次の様な事が書かれています。

 

●日本の国には九分九厘行ったところで、一厘の秘密がある。手のひらを返すという事が書いてあろうがな。邪神界(がいこく)の悪神を帰順させてしまふぞよ。
-『大本神諭』/出口直伝達より-

●九分九厘までは日本も心配致す事がまだまだ湧いて来るなれど、人民の改心さへ出来たなれば、昔の神世の経綸通りに致すから、一厘の仕組みで艮(とどめ)を刺して、三千世界を泰平に治めて・・・・
-『伊都能売神諭』/出口王仁三郎伝達より-

●今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になった時に、マコトの神力だして、グレンとひっくり返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様に御目にかけるぞ。

-『日月神示』/岡本天明伝達より-

 

 これによれば、九分九厘まで、悪神の仕組みで、世界は乱されながらも、最後の一厘の仕組みで、手のひらを返すような、大ドンデン返しがある。という事です。

 そしてこれは、大本 vs 大日本帝国で見た場合。大本がもう誰の目にも、解体され最早二度と立ち上がらないだろうと、そう思われた矢先に、太平洋戦争で解体されたのは、大日本帝国だった。という図式に似ています。
あるいは、太平洋戦争で最早二度と立ち上がれない、と見られた日本が戦後急速に復興した姿にも似ています。

 もっとも、それは雛形の事なので、現代でもやはり、体主霊従の勢力が強く、霊主体従の勢力は弱いと言う現状に、変りはありません。直接イシヤの仕組みと関連があるかは分からないですが、戦後ずっと発禁になっていた「アメリカの鏡・日本」という非常に意味深なタイトルの本には、教育制度の作り替え、恒久的に強硬な対日貿易を行う事、財閥の解体など、戦後日本に課した作戦が、赤裸々に綴られた書籍が有ります。

********* 

 今まさに、新しい真理の普及のための特別の努力が払われつつある所です。神の使徒による働きかけです。それが敵対者の大群によるかつて無い抵抗に遭遇しております。世界の歴史は常に善と悪との闘争の物語りでした。一方に神と善、もう一方に無知と悪徳と邪悪−霊的邪悪、精神的邪悪、そして物的邪悪です。  そなたが耳にした事は、これより後も続く、永くかつ厳しい戦いのささやき程度に過ぎません。善と悪との闘いは、時を隔てて繰り返し起きるものです。霊眼をもって世界の歴史を読めば、善と悪、正と邪の闘いが常に繰り返されてきたことが判ります。

-いずれも『モーゼス』の霊訓より-

 

 上記引用は、1873年にインベレーターと称する古代の霊が、その後数十年に渡り、牧師モーゼスに降臨して語ったものと、言われています。

 

*何故背反するのか2*

 それにしても、大部分の人には、こんなこと言われても信じられないとか、馬鹿らしいと思う人も多いだろうし、全く何も知る余地の無いまま、過ごしている人が大勢います。
 まして、前述の様にシオンの議定書には、「神霊の観念を極力排除させる」方針を採っており、むしろそういう人が居ても不思議では無いのです。

 その人達は、全く知らないままで居れば、もはや体主霊従的に生きていくであろう事は、想像に難しくありません。どうして背反的な力が働くのか、一方で廃れさせようとして、一方で救おうとするのだから、謎なのです。そして、その勢力は圧倒的に、体主霊従が勝っているのですから、また不思議です。ただ、上記の事を考えるに、以下の興味深い文章があるので引用致します。

 

 今地上のあらゆる所に、不満の雲がただよっている。しかし夢あふれる春と成就の夏が近づいて来る。
その到来は、神の子等がその自由意志を鍛える歩調に応じ、早くもなり遅くも成る。

-『シルバーバーチの霊訓』より-

 

 あやうく、霊主体従であった事を忘れる所でした。そして霊の世界とは、人それぞれの自由意志で動いている事を忘れました。

 もしかしたら、背反する働きとは言うものの、その力の原動力となっているのは、やはり人間の心かも知れないとも思います。また自由意志尊重の原則に乗っ取り、本来この様な所では、クドクド書くべきで無いかも知れません。これはあくまで自分の考えであると言う事です。

 最後に再び、日月神示を引用いたします。

 

●五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気ぢゃ・・・

-『日月神示』/岡本天明伝達より-

 

*アダムとイヴ*

 旧約聖書では、創世神話として人類の祖、アダムとイヴに神が知恵の実のなる樹を指し「汝この実を食べるべからず」として姿を隠してしまった。そこへまた狡猾なヘビが現れて、イヴをあの手この手で誘惑し、遂にその誘惑に負けて智恵の実を食べてしまう。という物語りが描かれています。これと同種の話しが霊界物語に描かれているのですが、これは現代にも当てはまるという気がします。

 それは王仁三郎氏は、その知恵の実を指して「体主霊従(ちえ)の実」という漢字を充てていたのです。フリーメーソンも象徴的に、ヘビを使う事があるらしく(後述の画像参照)なにやら、体主霊従に誘惑するフリーメーソン(ヘビ)と人間の自由意思に任せる神という感じが、何処と無く似ているのではないかという気がします。

 そして、神学者の言うような全知全能の神というのであれば、先ずイヴが誘惑に負けて、遂に木の実を食べてしまうのも予知するでしょう。しかし何故にこのような事をしたのか?これには計り知れない神策がある、と王仁三郎氏は説明しています。

 ここの様な人間的な推論では、訳の判らなくなる所がまた、この世を四角にしようと三角にしようと思いのままという艮の金神が、直女史の娘に懸かった悪神、偽日の出神の神示を出させるままに、ただ悪神の経綸だと批判するだけという矛盾にも似ている処です。

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第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 ジャーナリストの発見した陰謀機関/イシヤ=フリーメーソンのルーツは?(大
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/356.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:40:10:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 雛形経綸からみたハルマゲドン/何故背反するのか2(大本教・民間信仰・民俗 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:36:09)

*霊主体従 vs 体主霊従-その4*

*ジャーナリストの発見した陰謀機関*

  

 こうなってくるとイシヤ(フリーメーソン)とは実在するのだろうか?という疑問も沸いてきますが、イシヤかどうか判りませんが、秘密結社的な存在は、存在する可能性も有ります。それは偶然、国際ジャーナリストの落合伸彦氏が、元ナチスの高官を、ナチス・ハンター達から逃がす、小説の「オデッサ・ファイル」の様な組織の噂の真偽を確かめる為の、取材中に起こった出来事です。
 大略を述べれば、先ず社会全体的に、ユダヤ人に対する非難を言い難くする、そういった風潮を付ける為、ユダヤ人は被害者であるという点を、強調する部分があるというものです。落合氏が或る元SSの高官に対して行ったインタビューは、以下の様なものです。

 それは、ナチスが行ったとされる、大量のユダヤ人殺害600万人の行方についてです。1938年のユダヤ人人口は、ユダヤ人協会発表では1568万1259人としている。
また、1948年のニューヨーク・タイムズ紙上では、世界のユダヤ人口は1870万人と発表しています。そしてこの間600万のユダヤ人が死んでいるとしているのです。

 三年前の終戦直後、ユダヤ人口は960万人であり、それが三年後の1948年に突如、1870万人に増えてしまった。そして、この問題に対しては、ユダヤ人であるジョセフ・バーグという国際調査団のメンバーが、ヨーロッパ中の収容所を視察し、アウシュビッツにも居た、彼は伝えられているような拷問や残虐行為は無かったと言って、本に纏めている、しかしユダヤ協会の圧力を恐れた西ドイツ当局は、世界世論に恐々として、バーグ氏の本を発禁とし、彼を逮捕しようとしている、と答えたのです。

 

 確かにバーグは現在西ドイツ当局に追われている。我々は彼に会って話しを聞くため、ミュンヘンへ行ったが、指名手配されているため結局会えなかった。彼のガールフレンドに話しを聞いたが、フェニックス(注:元SS高官の仮名)の話しと一致した。

 バーグは何度も暗殺されかけた。ユダヤにとって彼が生き続けて話し続けるのは非常に危険なのだと彼のガールフレンドは語った。

 指名手配される寸前、彼は国際ユダヤ協会のトップ連中の陰謀を暴く、超極秘資料をスイスの銀行にあづけてあり、もし彼が殺されたら自動的に公表される事になっていると発表した。

 そのためユダヤ側は彼の暗殺をあきらめ、西ドイツ政府に圧力をかけ、彼を捕まえて精神病院へぶち込んで永久に彼の口を塞ごうと考えているらしい。

-『20世紀最後の真実』/落合伸彦著:集英社刊より-

  

 そう言われれば、アウシュビッツの焼却炉に使われたと言うエントツの写真は、昔には無くて戦後に建てられた物で、従来言われていた拷問なども存在しなかった。とか何とかいう事を書いた、日本の何処かの雑誌が非難を受けて、廃刊になってしまいました。が、上記の本にもそれはインタビューの中で、既に語られていた事です。

 インタビュー中には曰く、ユダヤ人が一人も死ななかったとは言わないし、死体は腐って病原菌を撒くので、処分した事は認めるが、戦時中の忙しい中で、人間を焼ける程強力な焼却炉を、フル回転している余裕は無かった。と語っています。

これは本当の事を語っているのかどうかは、判りません。多くの記録フィルムも在るし、写真も在るし、生き残ったユダヤ人証言者も沢山に居ます。落合氏は、イスラエルの取材もしているのですが、どう判断した良いか、全く判らなくなります。

   

*イシヤ=フリーメーソンのルーツは?*

1ドル紙幣(ピラミッドと光る目がデザインされている)

もうひとつのシンボル(蛇が日本に向かっている様に見える)

 以前、三章の「日本の古代史」の部分で「火明命(ニギハヤヒ)は石作連の祖神」というエピソードを述べましたが、フリーメーソン自体のシンボルマークの一つは(もうひとつは、コンパスに定規で三角形をデザインしたもの)エジプトのピラミッドの中に、光る目がデザインされたものです。

 これはアメリカの一ドル紙幣にも刷られていますが、自分がジャマイカのお土産に貰ったTシャツ(アメリカ産と判明)にも、何故かソックリなデザインの会社がある様です。正面には道教風の対極マークが縫い付けられています。
 大体、何故アメリカのドル紙幣に、エジプトのピラミッドと、光る目が描かれているのか、それ自体が妙です。

 しかも、十三段ピラミッドの下部に「MDCCLXXVI」と書かれ、1776年5月を示します。これはアメリカの独立記念日とも関係が無く、イルミナティ(メーソン同様の秘密結社とされる)の創設記念日(1776年5月1日)を示すと言われています。

 さらに、ピラミッド上部の「Annuit Coeptis」(我々の企ては神に恵まれる)、ピラミッド下部に「Novus Ordo Seclorum」(新世界秩序)という文字(何故かラテン語)が描かれています。

 それはさておき、フリーメーソンの本来の由来は、石工の大工の組合だったとされています。それで「自由の石工」というらしいのですが、エジプトのイシス神が、彼らの崇拝する神である様です。
 というのも、イシス神はオシリス密議やソロモン神殿を建てた、石工頭ヒラムの再生と言われているからです。何処と無く、石作連の祖神という日本の火明命の伝承を、彷彿とさせるものです。

 しかも、大本神諭系で書かれている『イシヤ』という名称も、石灯籠を建てる大工などもそう呼ぶのであると、前述しました。中々に興味深い事です。それに、今迄シュメール神話、エジプト神話、日本神話などの類似性を見てきただけに、ちょっと有り得るかも知れないような・・・という処です。仮に、火明命=日之出神ですと、矢野氏の研究も、それぞれの繋がりもでて、つじつまも合って来るのですが。

今の所、まだ何とも言えませんので、保留にしておきたいと思います。

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第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 フリーメーソンは実在するのか?/他の面に向けてみると…(大本教・民間信仰
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/357.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:43:28:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 ジャーナリストの発見した陰謀機関/イシヤ=フリーメーソンのルーツは?(大 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:40:10)

*霊主体従 vs 体主霊従-その5*

*フリーメーソンは実在するのか?*

  

 フリーメーソンとか、或いはユダヤ財閥の秘密結社とか、そういう存在は在るのだろうか?と言われれば、それは何とも言えません。正直のところ、実在派の人達の考え方は、何処か被害妄想的に感じられる事も、個人的には有ります。それは曰く、テレビ放送には毎日、我々が気が付かない内に、視聴者を洗脳する為のサブリミナル・テクニックを使っているとか、或いはアニメやマンガ、ゲームにまで性的描写や血の出る暴力シーン等で、子供たちを狂暴にさせたのは、フリーメーソンの工作であり、各マス・メディアの大多数は、フリーメーソンの飼い犬となっているetc.です。これらの根拠となっているのは、恐らくシオンの議定書の、以下の部分等であろうと思います。
 
 
 
 
 思想を愚鈍化させる事は、既に「視覚教育」と称する方法で実行に移されているが、視覚教育の主たる使命は「非ユダヤ人」を思考力の無い従順な獣と化し、絵に描いて見せなくては物を理解する事の出来ない様な、愚鈍な動物にする事である。  彼らが自分で何かを考案せぬように、我々は享楽や、遊戯や、音楽や、性欲や、民衆倶楽部等の方面をあおって誘導しなければならない。これによって、大衆の頭をその方へ外れさせねばならぬ。

 尚、やがて新聞の力により、芸術や各種のスポーツによる競争を提議するつもりである。これらの興味は、我々が非ユダヤ人と戦わねばならぬ諸問題から、彼らを牽制(けんせい)する。かくて段々独創的思索の習慣を離れた世人は、我々に共鳴する事になる。如何ともなれば、我々のみ新思潮の扇動者(せんどうしゃ)となるからである。

 現代の各国家の手中には、民間思想の動向を創造する一大勢力がある。これは即ち、新聞雑誌である。新聞雑誌の役割は、国民の要求を指示し、世論の声を伝え、不平不満を発表し、且つこれを創造するにある。言論の自由の勝利は、新聞雑誌に胚胎(はいたい)する。

 新聞を我々は、次の如く取り扱う。目下新聞は如何なる役目をしているかと言うに、我々の目的に必要な様に「世人の欲望を興奮させる」か、または「我利的党派心」を助長せしめているだけで、新聞は「空漠・虚偽・不公平」なものである。

 言論機関における如何なる報道も、書籍の内容も、我々の検問を経ないでは絶対公表を許さない。この事はある程度まで現在においても実行されてはいるが、その方法として、全世界の各地からのニュースを、少数の通信社に集め、そこで手を加え、それから諸方面に配布しているので、この通信社もやがて我々の掌中に収められるようになるであろう。
 
 
 
 
 
 自分は、シオンの議定書を読むと、時折日本を指しているかの様に思う事があります。それは最近テレビ番組では、出演者の発言にはスーパーが入るように成り、マンガの吹き出しみたいになっていたり、又報道番組でも、第二の野党と言えるほど、政府のやり方には年中反対や愚痴、不平不満を募らせています。 つまり世の中の潮流は、政治扇動ではなくて、すっかりマスコミ扇動型になっている為です。仮にマスコミが、不況・不況と叫ばなければ、果たして今はどうなって居ただろうか?マイナスの経済効果は、結構在ると思います。時折は諸外国の報道番組など、放送される事があるのですが、本当にキャスターは原稿を伝えるという仕事に徹しているという感じがします。

 字幕スーパー等も、難聴者には有り難いですが、大概が苛めと大差無い様な、バラエティで使われています。確かにメーソン実在派の言うように、世の中のあらゆる面に、魔の手が忍び寄っているかの様な、印象も有ります。 確かに、世界の金融界はユダヤ財閥の掌中にある事は確かです。音楽や映画会社など、AP通信やロイター通信等の、重要なポストにあるのは、殆どがユダヤ人で占められている事もまた、事実です。
しかし、実際問題として、例えばマスコミ各社がメーソンの手先だとは、ちょっと飛躍しすぎている感があります。

  

*他の面に向けてみると・・・*

 今迄ある様な、体主霊従的な潮流とは、何もマスコミや各種報道関係だけでは無いと思われます。それ等を挙げれば際限が無く、至る所にその弊害が顕れていると言えます。
例えば、界面活性剤の入った洗剤。これは殆ど総てと言って良い程、含まれています。実はこの界面活性剤というのが曲者で、シャンプーやリンス等の保湿成分になっていたり、洗濯用洗剤に使われていたりしますが、体に対しても皮膚炎などの原因として考えられています。
もとよりこれらは、環境ホルモンの一種の様です。

 そのために石鹸を使うように推奨する本が有ったり、石鹸で作られたシャンプー等も、少数ながら存在します。また、歯磨きに使われていて、名前も比較的知られているものに、「フッ素」があります。

 フッ素自体は、どのような種類が存在するのか、人体に影響はないのか知りませんが、この成分は太平洋戦争中に、自白剤として利用されてきたものです。

 極少量を使うぶんには、それ程大した影響は無いのかも知れないですが、やはり余り気分の良い物ではありません。ましてこうなって来ると、フッ素が入ってないから安心と言う訳にもいかず、何か訳の分からない「何とか化合物」とか、見知らぬ科学成分が入っていると、全部やばそうな、そんな疑心暗鬼になってしまいます。

 花粉症も又一種の現代病と言えるもので、アスファルトで固めた地面の為に、土が杉の花粉を吸収する事が出来ず、再び上空に舞いあがってしまう事と、更に最近流行の「除菌グッズ」の為、余り細菌と付き合わなくなった現代人が、その体内に存在する、ばい菌除去の機能が何にでも反応する様になり、花粉が進入しても、それを退治しようと働くのが、鼻や涙の止まらない花粉症になる様です。 また特筆すべきが、遺伝子組み替え食品で、厳重な検査を繰り返しているとは言うものの、最近の実験では「生体に対して抵抗力が無くなって来る」という点が明らかになっています。

 しかし素人考えからか、「遺伝子組み替え食品」と聴けば、ちょっと拒否反応があるのではないかと思いますが、殆ど見切り発車的に、誰も知らない内に、何時の間にか数多の食品や原料に含まれるようになってきました。

 確かに、人間の理解の範疇を越えて、予想外な結果をみる事は、今までにも何度かあった訳ですから、危険極まりないのですが・・・どうも、中々この流れは止まりそうに有りません。

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第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 再び金銀爲本制/二律背反する、その境目とは?(大本教・民間信仰・民俗)
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 07:50:47:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 フリーメーソンは実在するのか?/他の面に向けてみると…(大本教・民間信仰 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:43:28)

*霊主体従 vs 体主霊従-その6*

*再び金銀爲本制*
 
 
 
 一体何が原因になっているのか、その根源的な部分は何なのだろう?と思えば、よ
くよく考えてみると、やはり金銀爲本制という部分が、それではないかと思えます。
 シルバーバーチやモーゼス等も霊的な意味で、大事業を覆い隠そうとする勢力が存
在すると語っているのですが、そういった抽象的な事柄を抜きにしても、或る一つの
面が多いに足かせになっています。

 一例を挙げれば、ダイオキシン対策の問題もその一つで、企業にとって大きな負担
増となるから、遅々として中々進まないのです。またアメリカでは農務省が PCRM
(責任ある医学の為の医師会)の提言に基づき、新しい食事指針のポスター(完全穀
物、豆類、野菜をマンガにしたもの)100万枚を各学校に配布する予定で居たのです
が、食費業界からの圧力で急遽中止になってしまったのです。(日月神示/中矢伸一
著)

 またフリーエネルギーの関係では、ライヒ氏の投獄や、バシル・バンバーグという
人物の行方不明、エドウィン・グレイ氏本人と、彼のの発明した無尽蔵のモーターと
設計図もろとも行方不明。また彼のモーターを日本に輸入しようとしていた秋山義隆
氏に掛かった無言電話や後を付けられる等の嫌がらせで、ハワイに移転したものの、
移転さきでいきなり背広一着以外総て盗まれるという事件等、フリーエネルギー関係
で完成の域に達した場合の殆ど総てが、何らかの形で失踪しているのです。

 これなどはエネルギー産業界犯人説など有りますが、要するに大抵の場合は経済的
な危機感がそうさせている場合が殆どであろうと思います。こうした経済的な動き
が、直接的に日々の生活に関わってくる為、これがシオンの議定書でいう所の見えざ
る敵という感じです。腐敗政治も金拝宗教も結局にはこうした一面が、表面に出てき
た様なものなので、幾ら逮捕しようと臭いものに蓋をするという様なもので埒があか
ないと思います。
 
 
 
 
*二律背反する、その境目とは?*

 しかし、それにしては「シオンの議定書」は、ある意味予言書とも言える様に、現
代の状況に的確過ぎるのです。「ああ、こいつは良い様に操られている、皆騙されて
いる」と思う人が出て来るのも肯けます。

 ところで、日之出神の悪の面では、ユダヤを霊的に操作していた、と前述しました
が、例えば雛形経綸の章で見られるような、当人達が知らず知らずに、我で行ってい
る様で、何時の間にか戦前と同じ様な事を繰り返している。という事と近いかも知れ
ないと考えられなくも無いです。
 
 
 
 

 天下公共の仕事に於いて全部の人間は自分以外の或る力−先天的に人類へ備え
つけられている或る力と考えによって、こき使われる操り人形に過ぎない。

 ひとたびこの真理が判ってみると、一個人を非難する事は到底できなくなる。
同様に我々は一つの政府をも批判する事は出来ない。何となれば、それはただ働きつ
つある、大潮流の上に置かれたる一の浮標に過ぎないから・・・

-『霊訓』(ステッドの通信)/浅野和三郎訳より-
 
 
 
 
 ちなみに、大潮流というと、大本神書に見られる「富士と鳴門(なると)の仕組
み」にある、渦海の事を想起されます。これは単に単語が似ているだけで、何の根拠
も無いのですが、王仁三郎氏は自身の歌の中でも、富士が動くと言えば、富士の山が
噴火すると早とちりする、哀れな事だ、という意のものがあります。
つまり、社会全体の潮流と、鳴門の渦海の仕組みは、関係があるとは全く根拠は無い
ものの、少なくとも渦海が荒れて、大洪水になるとか、そういう実質的な厄災を意味
する事で無い事は、確かだろうと思います。

 つまり、ユダヤ人がコントロールしている。というよりも、体主霊従の虜(とり
こ)と成っている人には、知らない間にそういった勢力に、巻き込まれている、とい
う事も考えられます。

 つまり、「善と悪」の決戦だとか言うと、往々にして自分を「善」として捉え、他
を「悪」として捉え勝ちになってしまう。という事が、一番杞憂する点です。

 簡単に言えば、霊的に操作されているのは、何もユダヤ人とは限らなく、体主霊従
・金銀本位制に囚われ、物質的な像や黄金の像を拝む人には、操作され易い、という
事ではないかと思います。つまり、敵は自分の中に存在しているのです。

 もちろん、自分自身も未だに発展途上である事に、変りはありません。それゆえ、
余り自分を良い人だと買い被り過ぎるもの、また迷惑な話しです。
 
 
 

 
●善言美辞を用ふて、天地の神様と人民の心を和らげん事には、何時までも天災
地変が納まるという事はないぞよ。今の人民は一人も善言美辞を使ふ者が無いばかり
か、日夜に人の悪口ばかり申して喜び勇み、何ぞ悪事醜行が新聞にでも出てはいんか
と、そればかり待ちている曇りた人民ばかりで、外国人よりも精神が悪く汚れている
から・・・

-『伊都神諭』/出口王仁三郎伝達より-
 
 
 
 
 例えば、今まで色々とゴウタクを述べて来た様に、いち視聴者は色々とマスコミに
文句を言ったり、行政やら悪徳企業やらに文句を言います。しかし、需要が在るから
供給もある訳で、要するに社会全体的に、この様な番組が一番「受ける」からだと思
います。
 テレビで言えば、視聴率が稼げるからだし、雑誌で言えば部数が稼げるからです。
何処かで自分の中に住める「悪」を摩り替えてしまい、或いは全く気が付かずに、他
へと転化させてしまうのだと思います。
 
 
 
 
 
●「他人(ひと)が悪い、悪い」と思うて居ると、全部自己(われ)の事が鏡に
写りているのであるから、他人が悪く見えるのは、自己に悪い処や霊魂(みたま)に
雲が掛かりて居るからであるから、鏡を見て自己の身魂から改心致さすやうに、此世
の本から変性女子の霊魂が拵へてありての、今度の二度目の天の岩戸開きであるか
ら、一寸(ちょっと)やソットには解る様な浅い経綸(しぐみ)でないから、改心致
して身魂を研くが一等であるぞよ。

-『大本神諭』/出口直伝達より-

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 霊訓について/意外な共通点(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:19:50:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)

神示と霊訓

表示メニュー一覧

* 諸教同根

迷信の破壊・立壊し

* 神の計画

錦の機の仕組み/世の大峠/政治・経済/春の到来/神の奇跡

* 人間1

試練の苦労/法則の苦労/苦と楽/救済と自己努力/善と悪/小我と大我/自由意思
/珠の宝と物質の宝/霊と体/安心立命/内在の天国/赤心と利害欲/人間の裁き

* 人間2

地震と天変地異/自己責任/選択・判断/人間の動機new/正食new/内から/
人間は霊の触媒/日常の生活/人間の祈り/心配と取り越し苦労/楽天主義/
引き取る身魂/摂理/啓示の解釈/信じるnew

* 神の事

人=神の分霊/独一神new/汎神

* 真理の普及

一宗一派/神商売/みたまの因縁/真理の普及/心・言・行/時節/宣伝の標準

 上記メニューから、参照したい文章に飛ぶ事が出来ます。またここのメニューに戻る際には、上面フレームの『メニュー』をクリックしてください。メニュー〜項目間を行き来できます。「その他」はその性質上、メニューには入れていません。
(※原因は判りませんが、どうもネットスケープでは上手く機能しないようです。その場合は通常に項目を辿って見る事が出来ます)

霊訓について

 今迄も時折引用した様に、霊訓と呼ばれているもののうち、幾つかは大本系神書と非常に共通点がある事があります。(注:英語圏のものは、それぞれに翻訳家が異なるため、同じメッセンジャーでも異なる印象の場合がありますが、言葉の端はしに囚われず、全体的な内容で見て下さい)自分も実は、それほど詳しくはないのですが、ちょっとした事でこれらの霊訓を読む機会があり、その内容に驚きを禁じ得ない事がしばしばあったのです。
そしてその時、大本神諭の比較的初期の一節を、思い出さずには居られなかったのです。

●世界国々所々に、世の立て替へを知らす神柱は、沢山あらはれるぞよ。皆艮の金神、国常立尊の仕組みで、世界へ知らして在るぞよ。
-『大本神諭』/出口直伝達より-

●日本とにほんと取り違いすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと伝ふことスコタンばかりぢゃ。分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ。世界中のそれぞれの国皆氏神様、産土様いよいよ天の命令通りにかかり下されよ。

 もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民皆泥海の中に住んでいるのぢゃぞ。元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水にすめん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。
-『日月神示』/岡本天明伝達より-

 日月神示にも、あちこちに肉体を借りて世の大峠を知らす者が出て来ると、書かれてあります。これをもって、他の色々な神示の類いが総てそうだと言う訳では有りません。
しかし、冷静に考えてみて、少なくとも世界の各地に、同類のものが無ければ、これ又おかしいのです。これでは日本人に贔屓(ひいき)の引き倒しに成ってしまいます。

意外な共通点

 今迄時折引用してきた「シルバーバーチ」という古代インディアン霊の霊訓は、今迄は本当にインディアンである、と思っていたのですが、実はそうではない、単に卑しい(人間側から見て)インディアンの姿をとって、大神の意志を伝える為の、単なる伝達者でしか無い、という事の様です。
 そして、インディアンを自称するシルバーバーチが、人間に伝えた彼の部族の規律の中には

1. 夫婦和合をして、互いにむつまじく、暮らす事。
2. 家を清潔に、整理整頓する事。
3. 互いに妬み、そしり等を行わない事。
4. 嘘を言わない事。

 等など、幾つかの項目が紹介されていました。これらは何れ紹介していきますが、誰でも言いそうな、極当たり前とも言える内容でもあり、又いわゆる国祖・国常立尊が太古に立てた神政、或いは惟神の大道と、殆ど同一のものでもあります。 共通点はこれに限らず、様々にあるのです。また、これら霊訓というものの研究では、日本での草分け的な存在といえるのが、浅野和三郎氏であるのも、興味深い部分です。

 浅野氏は、かつては大本で、筆先の研究をしていた人物で、彼は大本の弾圧とともに、独立していったのですが、その後に何をしたのかというと、これら霊訓(モーゼスの霊訓/シルバーバーチの霊訓などと呼ばれる)の研究・和訳という作業をしていたのです。
 その為、単に離脱したから、離れてしまったから、彼は関係の無い人物だと、そう考える向きもあるとも思うのですが、もしかすれば、意味があっての事かも知れないと、そういう感じもあります。

 もちろん、違っている面も有りますし、また神示にのみあるもの、霊訓にのみ書かれたものなど、全く同一という訳ではありません。それだけに慎重に対処していく必要があります。
 しかし、その説く所と言うと、それは大本の言葉を借りれば、霊主体従(ひのもと)というものが、その底辺にある事をどうも感じてしまいます。

 更に、シルバーバーチの霊訓の中には、かつては古代文明が存在していたこと、そして人々が神法を尊守していた事などが、おぼろげながら浮かんできます。
その失われた神法を取り戻すために、シルバーバーチは人間の中にメッセージを送っているのだそうです。これは、太古の昔に、国常立尊の神政によって、平和に統治されていた地上世界が、次第に乱れ、ついには国常立尊は遠い東北の日本に押し込められてしまった。という話しと、似た部分があります。
 結局のところ、王仁三郎氏はその神政を復活させようとしていたのですから、名称として霊主体従でも、神法でも、いずれにしろ同じ事を言っている可能性も在るわけです。

1. 恐怖をあおる、警告のみに終始していない。

2. 期日を限定した(例えば、○月○日に、何処そこで何がある等)予言を含まない。

3. 大雑把な、グローバルな意味での警告でなく、ローカルな
   (例えば、何処の山が噴火する、何処の地域で地震がある)小さい事は言わない。

4. 排他的になっていない。(例えば、疑念を抱く人や反対者には、判るまで待つ。
直ぐに除外したり排斥しない)器の大きさを感じる。

5. 細かい部分を除いて、その言う所が共通している。

6. やはり、予言的・警告的内容に終始せず、根本的には生活の為の指針となる内容が多い。

 自分は大よそ、以上の様な点を中心に、判断しています。次回以降ではいよいよ、それら霊訓を(今迄のと重複するものもありますが)紹介していきます。

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 救済と自己努力/善と悪/小我と大我
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/389.html
投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 12:08:58:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 霊訓について/意外な共通点(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:19:50)

*諸教同根/迷信の破壊・立て壊し*
 
 
 
…吾人の観る所を以ってすれば、元来宗教なるものは、其の教祖が其の国土に応じ、其の時代に適する教義を立てたるものなり、されば甲国に適する宗教必ずしも乙国に適するにあらず。又上古の人心を救ひたる宗教必ずしも、現代を済ふとは言ふべからず。事物は皆国によって相違し、時によりて変遷す。

…(中略)…

 一国に最も適する宗教はその国の宗教なり。宗教は何れもその国その時代の思想上の産物なり、されば最適なる宗教は発生時代におけるその国の宗教なり、故に如何なる宗教にでも、他国に入るに及びては、必ず意義又は形式において、少なからず変遷する事を常とす。

-『宗教の害毒』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 火をもって、パブテスマ(洗礼)を行ふと云ふ事は、人間を霊的に救済すると云ふ事である。これ大乗の教であって、今までの誤れる総てのものを焼き尽くし、真の教を布かれる事である。

 水をもってパブテスマを行ふという事は、人間を体的に救済する事である。  キリストの本当の教が伝わらぬやうになった時。仏法に於いては釈迦の本当の教が伝はらないやうになった時、それが世の終わりである。即ちキリスト精神の滅亡、仏法精神の滅亡を意味する。

この時にあたって、本当の耶蘇(やそ※キリスト教の事)教、誠の仏法を起すのが世の立替である。

-いづれも『水鏡』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 文化の進んだ二十世紀の現代には、既にすでに大部分の人民より捨てられて居るのは当然である。既成仏教もまた、キリスト的の脅嚇や誤魔化しがあって、これとても既にすでに宗教としての価値は認められない。

 仏教の大乗部は別として、小乗部の教理なぞは婆、嫁だましの世迷い言である。数千年以前の人知未開の世に適した宗教の教理を、今日に施行せんとするのは、三冬厳寒の頃に用いた綿入着物を土用三伏の酷暑の時代に着用せよと教ゆると同様にして、愚の骨頂である。

 かかる教理を、臆面もなくまことしやかに説いて居るその野呂さ、迂愚さと言ったら、到底論ずるの価値さへなきものである。  自分の言ふキリストとはそんなつまらぬ貧弱なものではない。霊肉共に安心立命させ、人類の生活に向かって、も少し活動力のあるものである。大本人の中には自分をナザレのイエス・キリストに擬するものがまゝある様だが、実に迷惑千万である。

 自分がかつて霊界物語に説いたキリストとナザレのイエスとは全然別人である事をここに言明しておく。  然るにこの大神示を説く人々が、ともすれば既成宗教を例証に引くことの多きに過ぐるは無用の事である。今までのものは真理ではない、説くに及ばぬ。我々は神示されたる、最後の真理を力説したらよいのである。

-いづれも『月鏡』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
「もうこれからは宗教のない世になるんや。しやから神殿なんて必要ない。石でも積んで拝んどいたらええ」(王仁三郎氏が、蒙古遠征から帰国後、亀岡天恩郷にてのセリフとされる)

 私は元来宗教は嫌いだ。宗教家あつかいされると私は癪にさわる。世の中に宗教家ほど憐れむべきものはない。時代錯誤の教典にしがみついて、やたらに戒律を強いる。人間には天賦的に、省みる、恥じる、悔いる、畏る、覚る、の霊能があるのに、その上何を必要とするのか。まるで人間を獣あつかいにするのが既成宗教である。

 この人生を殊更に苦の世界と呼んでみたり、美しい地上を厭離穢土などと言って人心を混惑させている。実に言語道断である。宗教は阿片なりという言葉があるが、既成宗教ことごとくが実にその通りである。神仏の慈を説き人の践むべき道を明かす宗教家が、これに抗弁するだけの信念がないとは何という情けないことだ。

現代は――今後も既成宗教の力によっては何事も成し得られない。天地を和め人心を安らかにすることの出来ない既成宗教は、時代とともに自然消滅してゆくだろうが、一刻も速やかに、霊的にも体的にも力のある権威のある、人間に真生命を与うる宗教が生まれなければいかぬ。

 物質的方面にのみ解決をあせり、霊魂の実在を無視するマルキシズムも困るが、下手な倫理に神仏を調合して世人を迷わす、既成宗教家の真理に対する無智と時代の進歩を理解できぬ迷盲は一そう困る。

-『瑞祥新聞』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
●神も佛事も人民も勇んで暮らす世になるぞよと明治二十五年から知らしてあるぞよ。それでこの大本は、外国の神の教や、佛(ほとけ)の教を悪く申されんぞよ。ヤソも佛も儒も其の国々の国魂相応の教がさして在るので在るから、この大本は大本の教さえ致して居りたら外の宗教を毀(う)つと云ふ事は致されんぞよ。こう申すと又鼻高が、艮の金神でさえも外国の教や、佛を悪く申すでないかと、理屈を申すで在ろうが、外国の教と神が申すのは、宗教やヤソ教の事では無い、物質至上主義金銀爲本の政治の事を申すのであるぞよ。誠の純粋(きっすい)の日本魂の人民には、外国の宗教は要らぬなれど、未だ其処まで身魂の研けて居らぬ、中と下との身魂の済度には、無ければならぬ道具であるぞよ。外国の宗教と申しても元は天地の先祖の教であるから、日本の教の枝葉であるから、余り悪く申して枝葉を切ると、幹が却って教育(そだた)ぬから、神は元は一株であるから、それで是までの筆先に、谷々にの小川の水も大河へ、末で一つの海に入る仕組みであると申してあろうがな。

-『伊能売神諭』/出口王仁三郎伝達より-
 
 
 
●何処の教会も元はよいのであるが、取り次ぎ役員がワヤにしてゐるのぞ、今の姿は何事ぞ。

●スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。間違の神々様、この世の罪穢れを、この神様にきせて、無理矢理に北に押し込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪神がわれの好き候に持ちあらしたのざ。

 それで人皇の世と曇り汚して、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世に致して、さらにさらにわからぬ事にいたしてしもふて、悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃ。わかりたか。

 釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ。同じ神二つあると申してあらうがな。

●どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民沢山できるぞ。ミタマの神がいくら頑張っても、人民に移っても、今度は何も出来はせんぞ。

 世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。それで素直に伝ふ事聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱりとつくりかえるのざぞ。臣民の道はもとより、獣の道もつくりかへぞ。

 戦の手伝い位誰でも出来るが、今度の御用はなかなかに難しいぞ。赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、気付けてくれよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、悪となるのざぞ。

●神の国には神の国のやりかたあるぞ。支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ、教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、元は一つであるなれど、神の教が一等良いと申しても、そのままでは外国には通らんぞ。

●国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
モーゼスの霊訓

 天啓は皆神から出る。或る時代に顕れた啓示と、他の時代に顕れた啓示との間に、矛盾撞着のある筈はない。(中略)神の言葉は常に単純である。

 人間はこれに満足する事が出来ず。或いは注釈をもってこれに混ぜ、或いは推理推論をもってこれを包んだ。かくて歳月の経過とともに、神よりいでしものが、何時しかその本来の面目を失い、矛盾、撞着、虚妄、愚劣の不純分子をもって充たされるに至った。

 かかるがゆえに、新たなる啓示が出現した時は、まずもって、古い啓示の上に築き上げられた迷信の大部分を掃蕩するの必要に迫られる。まずもって破壊した後でなければ、新しい真理の建設が不可能と言う事になる。  

 霊的啓示はすべて神から届けられます。がしかし、それまで人間が信じ希望を託してきたものの多くを除去しなければならないために、必然的にそれは人間が”信仰”と呼んでいるものをくつがえす事になります。神は人間の理解力に応じたものを啓示されます。ゆえに、神の啓示は段階的進歩を辿ることになります。  またキリスト教のみが神の唯一の受託者ではなく、他にも別の真理の受託者がいて諸国へ伝導していることも皆さんはご存知でしょう。いずれの宗教にも神の全真理のほんのひとかけらのみが授けられたのです。

 現代の学識ある者の中には、あたかもサドカイ派(ユダヤ教の一派で霊魂の存在を信じず律法を字句どおりに解釈した者達)とよく似た者、キリスト教徒の中にもあたかもパリサイ派(サドカイ派と対立し儀式を重んじた者達)とよく似た者が見受けられます。

 一方神学者の中には、結局は何の価値もない文献を仰々しくいじくり回している者が大勢いるようです。今日のキリスト教の聖職者の宗教概念は、規範と教義によって産め尽されて、その底流にある霊的概念をなおざりにしています。

 信仰心が薄れていく第一の徴候はその霊的概念が忘れられることで、それが霊界などは存在しないと思わせ、全く無意味な形式ばかりをいじくり回す様になります。かくして人間的発明品であるドグマや教説によって四方を囲まれ、肝心な霊的真理を度外視するようになり始めたら最後、信仰は衰徴し始めることは確実です。
 
 
 
シルバーバーチの霊訓
  
 多数の教会は暗黒時代の遺物である。神はどんな建物にも閉じ込められるものではない。神はいづこにも在りたまう。彼らは考える。石を築き大きな尖塔を造り、窓に色ガラスをはめるが故に、神を喜ばせているのであると。

 神は何を喜び給うか、太陽が人々の心を明るくし、雨が穀物の実りをもたらす時、神は喜び給うのである。しかしながら神の賜物と神の子等との間には、教会がある。政治家がある、財務官がある。総てこれらは掃討されねばならぬもの。今やその掃討が始まっている。  私たちは色々な気質・多様な生活慣習・思想・流行に直面せねばならなくなっている。私達は通信を、国民性や環境、民族的慣習とに応じて適合させねばならない。

 各国民それぞれの言語とその制約の中で、通信を行わねばならない。だが、こういう力の背後には、常に同一の推進力が働いているのである。  天地開闢のはじめより、霊師達は人類に、神についての啓示を与える為に、地上へやって来ていた。彼らはその時代の言葉で語りかけた。啓示はその時代の要求に合致したものであり、またその国情、その民族の進歩の度合いに相応したものであった。
つまり啓示は、人々の理解を超えるほど高すぎてはいけないのであって、理解して貰えるような方法で啓示されねばならなかったのだ。
 
 
 
ベールの彼方の生活 
  
 これでお分かりでしょう。人間が犯した過ちは生活を精神的に束縛したことです。生ける生命を一冊の書物によってがんじがらめにしたことです。バイブルの由来と中身をあるがままに見つめずに・・・それはそれなりに素晴らしいものであり、大体において間違っては居ないのですが・・・それが真理の総てであり、その中には何一つ間違いがないと思い込んだのです。しかしキリストの生命はその後も地上に存続し、今日なお続いています。  

 吾々に明かされた矯正法は他でもない、”地上的キリストの取り壊し”でした。まさにその通りなのですが、何とも恐ろしい響きがあります。しかしそれは同時に、恐ろしい現実を示唆している事でもあります。説明しましょう

 建物を例にしてお話しすれば、腕の良くない建築業者によって建てられた粗末なものでも建直しのきく場合があります。全部取り壊さずに建ったまま修復できます。が一方、全部そっくり解体し、基礎だけを残して全く新しい材料で立て直さなければならないものもあります。

 地上のキリスト観は後者に相当します。本来のキリストのことではありません。神学的教義・キリスト教的ドグマによってでっちあげられたキリストの事です。
 
 
 
 考えてみれば、王仁三郎氏は常から、「諸教同根」説を唱えていました。しかし、その言動には「反宗教」或いは宗教を破壊する観念が、見え隠れしていました。

 思えばトンチンカンな事だったのですが、上記霊訓等と合わせて考えると、成る程とうなずける気が致します。それにしても、神示に更に推理推論で混ぜ捏ね返す、そんな傾向が自分にもあるので、気を付けないと・・・と思います。

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 神の計画 錦の機(はた)の仕組/世の大峠(立替と立て直し)/政治・経済/春の到来/神の奇
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:23:52:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 霊訓について/意外な共通点(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:19:50)

錦の機(はた)の仕組

●この大本は地からは変性男子と変性女子との二つの身霊を現はして、男子には経(たて)糸、女子には緯(よこ)糸の意匠(しぐみ)をさして、錦の機を織らしてあるから、織りあがりたら立派な文様が出来ているぞよ。

神界の意匠を知らぬ世界の人民は、色々と申して疑がへども、今度の大事業(たいもう)は人民の知りた事ではないぞよ。

●変性女子は、こうして反対致しもって、錦の機を織るのであるから、神は何事も承知は致しておれども、余り永らく反対いたして改心が出来ぬと、世界中の苦しみが永いから、もう時節であるから、早く改心為して下さらんと困るから、神がくどう出口直が嫌がりても気を注けさすぞよ。

海潮(※王仁三郎氏の一名)が善くなれば、半年遅れて澄子(※直女史の末娘・王仁三郎氏の妻)が善くなるぞよ。澄子が善くなれば、次に役員が善くなる。役員が善くなれば氏子が善くなるぞよ。

●大本の仕組は、錦の機(はた)の仕組を世の元の神が致して、変性男子、変性女子の経と緯との二つの霊魂(みたま)を現はして、三千世界の御用が為してあるぞよ。

経の役は、口で言はせる事も手で書かせる事も、毛筋ほども違はせられん辛い御役であるなり。緯の御用は、サトク(※織物の機台に使われる用具)が落ちたり、糸が切れたり、口が歪みたり、初発には言ふた事も違ふたりするという云ふ事が、今の世の乱れた世の経綸が為してあるといふ事は、アレ程出して知らしてあるのに、未だ取り違いを致して、色々と申している人民があるが、「細工は隆々、仕上げを見て下されよ」と申してあるぞよ。

●身魂を磨いておらんと、結構な事がでてきても、錦の旗の模様が判らんやうな事ではならんぞよ。今まで苦労いたした事が、水の泡になりてはつまらんから、大本の辛い行を勇んで致す人民でありたら、神が何ほどでも神力を授けるから、ドウゾ取違ひをせぬよう、慢心の出ぬ様に、心得ておりて下されよ。世界の神、仏事、人民の為に、神が永らく苦労を致して居るぞよ。

●谷々の小川の水も、大川へ末で一つに成る仕組み。
-いづれも『大本神諭』/出口直伝達より-

●…それで今度は天と地とを拵へた元の生神が、綾部本宮の世の本の地場に現はれて、今度の世界を構ふて遣らねば、何時までも天下泰平には成らんから、経(たて)と緯(よこ)との機織の仕組みが世の元から致してありたのじゃぞよ。機の初り丹波の綾部、あやの神戸(かんべ)にあるわいなと、昔から歌が遺してありたのは今度の世界の立替立直しに就いての譬えであるぞよ。縦糸はモウ出来上がりて天へ上がりたから、是から先は変性女子が御苦労なれど、縦糸をかけて棚機姫(たなばたひめ)殿の御用を致すのであるぞよ。珍しき機の仕組みであるぞよ。
-『伊都能売神諭』/出口直伝達より-

モーゼスの霊訓

 かくて真理は甲から乙へ、乙から丙へと、次第次第に四方に伝播し、やがて高山の頂峰から、世界に向かって呼びかけねばならぬ時代も到着する。

 見よ、その時、この隠れたる神の子達が、大地の下層より隆起して、自己の体得し、また体験する所を、堂々と証言するであろう。最初は細き谷川の水も、やがて相合して、ついに神の真理の大河となり、洋々として大地を洗い、その不可抗の力の前には、現在汝等を悩ます愚痴も、不信も、罪悪も、虚偽も皆、跡形もなく一掃されるであろう。

シルバーバーチの霊訓

 即ちかの偉大にして素晴らしい計画、その中に皆さんの一人ひとりは、自らの小さな絵模様を織りこみつつある。やがてこの織物は完成するだろう。その暁には、各民族各人種はその所を得て、ここに完全な世界が現出することになる。

 静寂の中に産まれつつあるもの、何物も動いているとは見えない時に、それこそ織られつつある刺繍(ししゅう)の一部。

日に夜をついでこの作業は進む、他日地上の子等すべてを多い尽くす。大いなる織物を織り上げる作業が。  あなたの使命はまだ終わっておりません。まだまだこれから織っていかねばならない糸が残っております。この世に残すべき足跡、あなたのこの地上生活に計り知れない意義をもたらした霊的真理を何らかの形で残していく仕事が、まだ残っています。

世の大峠(立替と立て直し)

●世界にある事変は、皆明治三十二年から大本の内部に模写(かた)がしてみせてあるぞよ

●この内部のごたごたが世界に出来るぞよ。いつ大本にこういう事がありたという事を、つけとめておいて下されよ、世界の鏡になる大本であるから、世界にあること、雛型(かた)をして見せるぞよ

●大本にあった事は必ず日本と世界に実現する、大本は世界の模型であるから、箸の転んだ事までつけとめておいて下されよ

●大本の雛型(こと)は神界の仕組であるから世界中へ映るぞよ。

●日本の国は世界の中心(まんなか)、世界の土台であるから、この土台の上に水も漏らさん仕組がしてあるから、途中に変わるやうなものではないぞよ。
-いづれも『大本神諭』/出口直伝達より-

●ニ二(ふじ)は晴れたり日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす世となれる、仏もキリストも何もかもはっきり助けて七六(しちむ)かしい御苦労のない世が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。今一苦労あるが、この苦労は身霊をみがいておらぬと越せぬ、この世はじまって二度とない苦労である。
-『日月神示』/岡本天明伝達より-

シルバーバーチの霊訓

 今日いま一度、地上には霊的な力が投入されている。地上の者は誰一人として、この大きな潮の流れを、阻止する事はできないであろう。  霊的な大きな力が、いま地上世界に向かって降りていく。地上のあらゆる国々で、次第にこの力が感得されていく。いま地上では大事業が進展している。それは地上の利己と無知を打破しようとする運動である、やがて時来れば、この事業は必ず達成される。だが、その前に必ず大きな産みの苦しみがある。

政治・経済

(前略)・・・最近の反宗教運動に関する意見を叩く機会をとらえることができた。
「反宗教?わしの方は大賛成じゃ。もともとわしの方は昔から反宗教で押し通して来たんじゃからな」
「でも、大本教だって宗教の一種である以上は、反宗教運動の対象になるんじゃないですか?」
「いや、大本は決して『宗教』じゃない。『大本教』というのは、いはば新聞辞令で、わしの方は『大本』といってるだけじゃ。

『大本』は政治も経済も芸術もみんな引っくるめた宇宙の大本を説いているのであって、現在ある『宗教』のようなけちなもんとわけが違う」
-昭和6年10月号『文芸時代』「出口王仁三郎訪問記」より-

(前略)総て何事でも政治、教育、実業、医学、暦法、天地文学、科学、宗教、哲学、その他一切のものは皇祖皇宗の御遺訓なる皇典古事記に包含されて居る。しかして皇道は政治の大道が主眼になって居ります。
-『王仁文庫』公認教と非公認教より-

●神のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな。政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分からぬか

●神は臣民から何求めてゐるか。何時も与へるばかりでないか。神の政治、神国の政治は与へる政治とくどう申してあろがな。今のやり方では愈々(いよいよ)苦しくなるばかりぞ。

●神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけざぞ。まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。
-『日月神示』/岡本天明伝達より-
 

シルバーバーチの霊訓

 やがて新しい民族が台頭する。その民族は一切の政治も宗教も科学も、ただ一なるものの各部分である事を認める。その日には、苦しみも涙も嘆きも災いも消え失せ、地上は唯、微笑みと幸福の国と変るだろう。  地上には三つの課題がある。第一は無知、第二は悲しみ、第三が飢え、この三つはいつまでも消えないだろう。

心霊知識が政治と結びつき、人々が心霊知識を身につけて、それに従って生きるようになるまでは。  人に奉仕することをしないで、どうやって神に仕えることができようか。地上世界は用語とか名前とかレッテルとかを気にする。私は一言で、これを奉仕という。皆さんはこれを、政治学とか経済学とか社会学とかいう。だが、これは単に表現の相違に過ぎない。

春の到来

伸び縮み、心の船のままぞかし、神の経綸(しぐみ)は人にありせば
-『霊界物語』/出口王仁三郎口述より-

●大本には、世界の事が映るから、大本の中の様子を見て居りたら、世界の事の見当が、明白に判りて来るぞよ。筆先に一度出した事は、チト速し遅しはあるなれど、毛筋も違はん事ばかりであるから、皆でてくるぞよ。

●世界の人民の改心が出来たなれば、早く良くなるし、改心出来ずば永く苦しむだけじゃぞよ。
-『大本神諭』/出口直伝達より-

●おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。人間は近欲で疑い深いから、何も分からんから疑ふ者もあるなれど、この神示一分一厘違がはんのざぞ。

●人民と申すものは生命が短いから、気が短いから、仕組少しでも遅れると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立替えであるから少し位の遅し早しはあるぞ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からぢゃ、遅れても文句申すが早くなっても又文句を申すぞ、判らんと申すものは恐ろしいものであるぞ。
-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

シルバーバーチの霊訓

 今地上のあらゆる所に、不満の雲がただよっている。しかし夢あふれる春と成就の夏が近づいて来る。その到来は、神の子等がその自由意志を鍛える歩調に応じ、早くもなり遅くも成る  

神の奇跡

信仰の浅きもの、近欲なるものは、神の奇しき働きを求むるものなり。
-『裏の神諭』/出口王仁三郎著より-

●いつも筆先で気を付けてあるが、この大本は艮の金神の筆先で世を開く所であるから、余り霊学ばかりに凝ると、筆先がおよそになりて、誠が却って解らんやうに成りて、神の神慮にかなはんから、筆先を七部にして、霊学を三分で開いて下されよ。帰神ばかりに凝ると、最初は人が珍しがりて集りて来るなれど、余り碌な神は出て来んから、終ひには山子師、飯綱使、悪魔使いと言はれて、一代思はくは立たんぞよ。
-『大本神諭』/出口直伝達より-

●奇跡を見せ、病気を治してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなこと位でマコトのホッコン改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。
-『日月神示』/岡本天明伝達より-

モーゼスの霊訓

 つまり人間は、奇跡を演じてみせようとすると感心する。そして自分の個人的興味がそそられ好奇心が満たされる限りは、ついてくる。が、その段階から引き上げ、自己中心的要素から脱して、永遠の価値を有する本格的真理へ近づけんとすると、背を向けます。

 高すぎるものは受け入れられないのです。そこで神の計画が挫かれ、神より託された人間への恩恵が、にべもなく打ち捨てられます。  心霊現象は、あくまでも霊の実在を確信させるための手段にすぎないことを心得られたい。その一つ一つが霊の世界から物質の世界への働きかけの証なのです。それだけのものと理解し、それを霊的神殿を建立するための基礎として活用してほしい。

 現象はどういじくってみたところで、それ以上の価値は出てきません。それに、霊側がこれ以上やっても無駄とみた時は、そうした現象を得意とする低級霊に譲って引き上げてしまうものです。かくして折角の奥深い啓示の機会が逃げ去ることにもなります。   

シルバーバーチの霊訓

 人間には、ただ単に病気を治すだけでなく魂の琴線に触れて霊的真理に目覚めさせる偉大な霊力が宿されております。私はこれからこの霊力について語り、あなたがたにぜひ理解していただきたいと思います。というのは、心霊治療もそこに本来の存在理由があるからです。 心霊治療によって奇跡的に病気が治る―それはそれなりにすばらしいことですが、その体験によってその人が霊的真理に目覚めるところまで行かなかったら、その心霊治療は失敗に終ったことになります。魂の琴線に触れた時こそ本当に成功したといえます。なぜなら、その体験によって魂の奥にある神の火花が鼓舞され、輝きと威力を増すことになるからです。

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 人間の事 試練の苦労/法則の苦労/苦と楽
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/390.html
投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 12:15:07:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 神の計画 錦の機(はた)の仕組/世の大峠(立替と立て直し)/政治・経済/春の到来/神の奇 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:23:52)

*試練の苦労*
 
 
 
 神は人を試みた給うに、いろいろの手立てをもってせらる。苦しみを与へ、災いを下して、人々の身魂を練り鍛へ給ふ事あり、喜び与へ、富を与へて試み給ふことあり、大方の人達はこの試みにあひて、腰を抜かし、根の国に至るもの多し。

 色々の苦しき試しに遭うものは、喜びと思わねばならぬ。その苦しき試しに打ち勝つ度に、神より大なる稜威(みいず)を授け給ひて、その身にその心に、光と力を与へ給ふからである。

 誠の神徳を与えられたる者は、一方において最も強大なる敵現はれ来るものなり。
苦労せし事なき者及び富める者は誠の神の霊徳を知らず、根の国底の国に陥りつつあるをも自省せず。

-『裏の神諭』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
●親と子であるから、臣民は可いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまで落ちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分からぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物が無くなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ、木の根でも食うておれ。

●いやな事は我が血統にいたさすなり。他人傷つけてはならんなり。

●日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人ばかりでないぞ大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取り違ひせんように気付けおくぞ。

●ひつくの民草は神がとことん試しに試すのざから、可哀想なれど我慢してくれよ、その代わり御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ。

●誰でも重荷負はせてあるのぢゃ。重荷あるからこそ、風にも倒れんのだ。この道理、涙で笑って汗で喜べよ。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
シルバーバーチの霊訓

 産みの苦しみが無ければ、悲しみの涙が無ければ、価値あるものは何一つ実現できない。地上世界はこのことを、苦しみと悲しみの涙をもって、学び取ることになろう。

 人は人格を形成するために、地上に生を受けた。そして人格の形成とは、自分が直面する苦難に立ち向かっていく事である。しかし地上には人に内在する力をもってして克服できない苦難というものはない。何となれば苦難は地のもつ物的なもの、しかし人は聖なる神の分身であるから。

 人が受ける経験で、これを正しく真直ぐに理解すれば、どれ一つといえども、魂の役に立たないものはないのである。貴方は、苦しみも試練もなく、障害や痛みや災難も無い物質世界を、考えてみることが出きるか。

 それでは、何の進歩も無く、また克服努力すべき何物も無い。従ってこれでは衰退があるだけだ。  霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それは一たん身についたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学びとるように努めることです。

 耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは決してありません。解決できないほどの難問に直面させられることは絶対にありません。何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが、旅する魂の当然の姿なのです。
 
 
 
*法則の苦労*
 
 
 
 
家に災い来るとき、その身の罪あるを忘れて、直ちに神に不足を申す。自業自得と知らずして。

-『裏の神諭』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
●神の心に叶ふた人民は、モハヤ身霊が立直りて居るので在るから、世界に何事が出来いたしても、我
が身は塵ほども苦しいとは思はぬやうの神徳を戴きて、高見から見物するやうな心になりて、天地が振動いたしてもどんな大変突発いたしても驚かぬ神徳が備はるので在るから今の世界の人民が苦しみて居るのは、我と我が手に苦しみの種を蒔いて、又自身が苦しみの実りを刈り取りて居るので在るぞよ。

-『伊都能売神諭』/出口王仁三郎伝達より-
 
 
 
●この神の許へ来て信心さへして居たらよい事ある様に思ふてゐるが、大間違いざぞ。この方の許へ参りて先ず借銭なしに借銭払ひして下されよ。苦しいこと出てくるのが御神徳ぞ。この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民遠慮いらん、帰りて呉れよ。そんな軽い信心は信心ではなぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。しかと褌締めてついて御座れよ。この方悪神とも見えると申してあらうがな。

●仕合せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれのミタマの曇りとりてゐるのざから、勇んで苦しい事もして下されよ。

●人の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理判りたか、この方人民の中に居るのざぞ、こと分けて申してゐるのざぞ。

●神が人間の心の中に宝をいけておいたのに、悪に負けて仕まうて、それで不足申していることに気づかんか、一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申しているでないか。

●右の頬を打たれたら左の頬を出せよ。それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、その心根よく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中に持っているから打たれるのぞ。

 マコトに居れば相手が手を振り上げても打つことは出来ん、よく聞き分けて下されよ。笑ってくる赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ、世界一家天下泰平ぢゃ。左の頬を出すおろかさを止めて下されよ。

●神の規則は怖いぞ、隠しだては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済ましが始まっているのぞ。済ましたら気楽な世となるのぞ。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
 
シルバーバーチの霊訓

 神はなぜ戦争を止めないのか、神はなぜ戦争を未然に防がないのか、多くの人はそう言う。だが神法を曲げてもそうせよと言うのなら、それは言う人が悪い。 地上世界は、自分でやった事の結果を免れることは出来ない。私どもにもその法を曲げる事は出来ない。一度蒔いたものを必ず刈り取る、利己主義の種を蒔けば、いつかは必ず、その報いを受ける。高慢、嫉妬、妬み、貪欲、悪意、不信、疑い、これらはどれをとっても、それが実を結ぶとき、戦争となり困窮となり不和となる。  地上ではかならずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律はかならずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが、地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤はかならずその平衡を取りもどします。
 霊的に観て、あなたにとって何が一ばん望ましいかは、あなた自身にはわかりません。もしかしたら、あなたにとって一ばんイヤなことが実は、あなたの祈りに対する最高の回答であることも有りうるのです。
 
 
 
*苦と楽*
 
 
 
 「モシモシちょっと一服させて下さいな。汗は滝の如く、着物も何も夕立に遭うたやうにびしょ濡れになって了った。何処かに水でもあれば一杯飲みたいものですワ」

『確かりせぬか蚊々虎、何だ、海の底に我々は長らくの苦労艱難を嘗めて金門(かなど)の番をして来たことを思へば、熱いの苦しいのと云っておれるか、空気は十分に無し彼方此方を見ても水ばっかりで、碌に息も出来はしない。何ほど険しい坂だって、汗が出ると云っても、涼しい風がちょいちょい来るじゃないか。十分に汗を絞り足を疲らして、もう一歩も前進することが出来ないやうになった所で、一服をするのだ。その時の楽しさと云うものは、本当に楽の味が分かるよ。竜宮の苦しい、息も碌に出来ない所から、陸へ揚げて貰った嬉しさと云うものは、たとへ足が棒になっても万分の一の苦労でも無いワ。』

-『霊界物語』/出口王仁三郎口述より-
 
 
 
 苦労するは幸福の種を蒔くものである。されども無益の苦労は神の御心に背き、終にその身を滅ぼし家を破るものぞ。

如何ほど耐え偲ぶとも、活ける働きの無き耐へ偲びは、その心を殺しその身を殺すものぞ。

 吾が数年の歴史は失敗の歴史なり、時代精神の権化とも言ふべき行動をとれり。失敗はかえって功績(いさおし)となり代わりたりき。いささか心安らかなり。

吾はもと志を世を救ふにあり、乱れたる世を正すにあり。

故にいつも心は哲学的の退隠者にあらず、又安静なる生涯を楽しむにあらざるなりき。

故に心はいつも東奔西走せり。

されど天は吾に一度も得意の時を与へざりき。

あゝされど、天をも地をも恨みざるべし。現世に縮みて、後の世に伸びん。 

-『裏の神諭』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 苦は苦しみである。人生に苦といふものがあればこそ楽の味はひが判るのである。人間が飢えんとする時、凍えんとする時、或は重き病にかゝる時、可い妻子に別るゝ時、汗を絞って働く時、峻坂を登る時なぞは、必ずこの苦といふものを味はうものである。この苦があってこそ、楽しいとか、嬉しいとか、面白いとか云ふ結果を生み出して来るのである。

 人生に苦といふものが無いとすれば、無生機物も同様で、天地経綸の神業に奉仕する事は不可能である。人生は苦しい中に楽しみがあり、楽しい中に苦しみがあって永遠に進歩発達するもので、寒厚と戦ひ、困難と戦ひ、悪と戦ひ、さうしてこれらの苦しみに打ち勝った時の愉快は、実に人生の花となり、実となるものである。

-『水鏡』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
●苦しむと曲がるぞ、楽しむと伸びるぞ、この方苦しむ事嫌いぢゃ、苦を楽しみて下されよ。

●苦労、苦労と申しても、悪い苦労気の毒ざぞ、よき苦労花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違いざぞ。神の道無理無いと、くどう申してあらうがな。

●苦しいという声この方嫌いざ。苦と楽共にみてよ、苦の動くのが楽ざぞ。産まれ赤児みよ。子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦楽しめよ、楽しいものざぞ。

●借銭返す時つらいなれど、返した後の晴れた気持ち良いであろうが。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
モーゼスの霊訓

 休息の喜びは働かずしては味わえないように、食事の美味しさは空腹の者にしか味わえないように、一杯の水の有り難さは渇いた者にしか味わえないように、そして、我が家を目の前にした時の胸の高まりは、久しく家を離れていた者にして初めて味わえるように、善の報酬は、生活に刻苦し、人生の埃りにまみれ、真理に飢え、に渇いた者にして初めて、その真の味が賞味できるのです。
 怠惰な感覚的満足は、われわれの望むところではありません。あくまでも全身全霊を込めて努力したのちにようやく得られる心の充足であり、しかもそれは、すぐまた始まる次の向上進化へ向けての刺激剤でしかないのです。
 
 
 
シルバーバーチの霊訓

 困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂の肥やしなのです。むろん困難のさ中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。つらいのですから。しかしあとでその時を振り返ってみたとき、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥やしであったことを知って、神に感謝するに相違ありません。
 この世に生まれくる霊魂がみなラクな暮らしを送っていては、そこに進歩も開発も個性も成就もありません。これはきびしい辛い教訓には違いありませんが、何事も、価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞は、そう易々と手に入るものではありません。  光を有難いと思うのは陰と暗闇を体験すればこそです。晴天を有難いと思うのは嵐を体験すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和が有難く思えるのは闘争があればこそです。このように人生は対照の中において悟っていくものです。もしも辿る道が単調であれば開発はないでしょう。

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 自由意志/たまの宝と物質の宝/霊と体(火と水)(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/342.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:29:18:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 神の計画 錦の機(はた)の仕組/世の大峠(立替と立て直し)/政治・経済/春の到来/神の奇 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:23:52)

自由意志

 信仰は全く自由なものだ。神の道では取り違ひと慢心とが一番恐ろしい。取り違ひしてゐると神の目からは間違いきったことでも、自分は正しい信仰だと思って進んで行き、他からの忠言も戒めも聞かない。

 そして行く所まで行って遂に突き当たって鼻を打ってヤット気が付く。そして後を振り返って初めて背後の光明を見て驚き正道に立ち帰るのである。

 ともかく間違ってゐても神から離れぬことが大切である。やがては必ず自分から気が付くことが有る。間違ってゐるからといって矢鱈に攻撃しても詰まらない。実は皆誰でも取り違ひのないものはない。今日の所、まだ本当に分かったものは一人もないのだ。

-『玉鏡』/出口王仁三郎著より-

 最後の審判は、閻魔大王が罪人を裁くと同様なる形式に於いて行はるると、考えて居る人が多いやうだが、それは違ふ。天国に入り得るものと、地獄に陥落するものの標準を、示される事である。この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、或いは自ら進んで地獄に落つる。それは各自の意志想念の如何によるのである。

-『水鏡』/出口王仁三郎著より-

●この方の元へ引き寄せて目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのぢゃ。気付けてゐて下されよ、どちら行くつもりしゃ。

●ミタマ相当にとりて思ふ様やりてみよ、行できればその通り行くのぢゃ。神に気に入らんことスコタンばかりぢゃから、引っ込み思案せずに堂々とやりて下されよ。こんな楽な世になってゐるのぢゃ。屁も放れよ、沈香もたけよ、ふらふらして思案投げ首この方嫌ひぢゃ。

●人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んからやりたい者はやってみるのも良いぞ、やってみて得心改心致されよ

●これまで申しきかせても言ふこときかぬ人民多いぞ、きく耳ないならば思ふようにやって見なされ、グルグル廻って又はじめからぞ、人民は神の中にいるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん、死んでも神の中にいるのぞ、思ふさまやりて得心改心、われがわれがで苦しむのも薬と申すもの。

●この方の道、悪きと思ふなら、出て御座れ、よきかわるきか、はっきりと得心ゆくまで見せてやるぞ。何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ。

●これほどことわけて申しても得心出来ないのならば、得心の行くまで思ふままにやりて見なされよ。そなたは神の中にいるのであるから、いくら暴れ回っても神の外には出られん。死んでも神の中にいるのであるぞ。思ふさまやりて見て、早よう得心改心いたされよ。

●人間と云ふものは奇跡見ても、病気になっても、中々改心できんものぢゃ。死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。それは外からのものであるからぢゃ。マコトの改心は、中の中のキいただいて、ほっこん改心出来ねばならん。

●人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ、今あるもの、今生きている者は、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ。他を排するでないぞ。

●邪魔せん様に、分からん臣民見物して御座れ。ここまで知らして目覚ん臣民なら手引いて見てゐて御座れ。見事仕上げて見せるぞ。スズメちうちうカラスかうかう。

●神示はその時の心にとりて違はん。磨けただけにとれて違はんのであるから我の心通りにとれるのであるから、同じ神示が同じ神示でないのざぞ。

●人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて誠知らした事毒とならん様気を付けておくぞ。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-


モーゼスの霊訓

 その摂理は、もし犯せば不幸と損失をもたらし、もし遵守すれば進歩と充足感を与えてくれます。同時に人間は、かつて地上生活を送った霊の指導を受けます。その霊たちは人間を指導・監督すべき任務を帯びているのです。ただし、その指導に従うか否かは、当人の自由意志に任せられています。

 人間には善悪の判断を下す準備が先天的にそなわっており、その判断に忠実に従い、そして迷うことさえなければ、かならずや真理の道へと導いてくれるはずのものなのです。善悪の判断を誤り、背後霊の指導を拒絶した時、そこには退歩と堕落があるのみです。進歩が阻止され、喜びの代わりに惨めさを味わいます。罪悪そのものが罰するのです。


シルバーバーチの霊訓

 運命の十字路にさしかかる度毎に、右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然として立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られますが、その判断はあなたの自由意志にまかされています。もっとも、自由といっても完全なる自由ではありません。その時点において取りまかれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。

 地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されているのです。そのチャンスを前にして、積極姿勢をとるか消極姿勢をとるか、滅私の態度にでるか利己主義に走るかは、あなた自身の判断によってきまります。  霊的進化の階段を一段上がるごトに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。あなたは所詮、現在のあなたを超えることは出来ません。そこがあなたの限界といえます。

 が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。いかなる困難、いかなる障害も、かならず克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質にまさります。霊は何ものにもまさります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。  では一体どうあって欲しいとおっしゃるのですか。絶対に過ちを犯すことのないように拵えられたロボットの方がいいとおっしゃるのですか。それとも、罪も犯せば聖人君子にもなれる可能性をもった生身の人間の方がいいと思われますか。ロボットは罪を犯さないかも知れませんが、自由意志も、従って進歩もありません。

 それでもいいのですか。進歩するためには成功と失敗の両方が必要なのです。失敗がなければ成功もないからです。人生は常に相対的です。困難と矛盾対立の中にこそ進歩が得られるのです。ラクだから進歩するのではありません。難しいからこそ進歩するのです。その苦しい過程が魂を鍛え、清め、そして成長させるのです。
 
光のないのが闇であり、善でないのが悪であり、知識の無いのが無知であるわけです。宇宙全体が光になってしまえば、それはもはや光ではなくなります。相対的体験の中にこそ人間は進歩が味わえるのです。ドン底を体験しなければ頂上の味はわかりません。苦労して得たものこそ価値があるのです。ラクに手に入れたものはそれなりの価値しかありません。  神は人の内部に種子を置き給うた。人は園丁である。その種子が花を開くことができるか、またその時期は何時か、これはひとえに本人の努力いかんにかかっている。種子を闇の中に置き、光を与えず、魂の光であると奉仕を注がなければ、内在の神性は少しも大きくならないのである。

 私たちはどうあがいたところで、その神の懐の外に出る事はできないのです。私たちもその一部を構成しているからです。どこに居ようと私たちは神の無限のに包まれ、神の御手に抱かれ、常に神の力の中に置かれている事を忘れぬようにしましょう。

自由意志。この章はそれほどでも無いですが、このサイトに書かれている内容は総て個人的な意見であり、うのみにされないようにと、断りを入れてあるのもこの為です。無論、わざわざ間違いと判ることを載せるつもりは無いですが、何処かに間違いの混入している可能性は、100%あると思われます。 


たまの宝と物質の宝


形の上の宝に富むよりも、真誠の道の智慧に富むものとなるべし、真誠の道に富む者は、亡ぶことなく衰ろふることなし。

-『裏の神諭』/出口王仁三郎著より-

 『是ほど事を分けて俺が従順(おとな)しく出ればのしあがり、何と云う事を致すか。最早きさまは改心の望みがない。サァこの拳骨が一つ触るや否や、きさまの命はそれきりだ。俺の女房のお伴をさしてやらう』

と今や打たむとする時、六つになった娘のお初はその場に駆け出で、

 『お父様、まぁ待っておやりなさい。さうしてこのお金はこの人に遣って下さい』

 『お前が成人してから、好い婿を貰ひ、楽に暮らせるやうにと思って、夜昼働いて貯めておいたお金だ。この金は詰まり俺のものぢゃない、心の中で既にお前にやってあるのだ』

 『お父様、そんなら今私に下さいな』

 『オオ何時でもやる。今か、今やって置こう』

 『そんなら貰ひました。これこれ三人のお方、私がこの金を皆にあげるから持って帰りなさい。その代わりにこれで何なりと商売をして、もうこの先はこんな恐い商売を廃めなさい。お父様、どうそこの三人を助けてやって下さい』

と手を合はす。

 『よしよし、ヤァ命冥加な三人の奴、娘の云ふ事をよく聞いて、この金をもって何とか商売をして、今後は悪い事をすな。サァ早く持って帰れ』

三人一度に頭を下げ、

 『誠に済まぬ事で御座いました。そんなら暫く拝借して帰ります。きっと是はお返し致します』

 『貸したのでは無い、進上(あげ)たのだから返しては要りませぬ。こんな恐いものがあると、私の将来のためになりませぬ。アゝお父様、これで気楽になりました。よう私を助けて下さいました。このお金があるばっかりで、毎日ひにち恐くって寝るのも寝られませなんだ。お母様もこのお金のために心配して、あんな病気になったのです』

三人はお初の渡す金包を取るより早く、雲を霞とこの場を逃げ去る。杢助はお初を抱き、涙に暮れながら

 『アゝお初、有り難い。金銀よりも何よりも貴い宝が手に入った。あゝ惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはへませ)』

と合掌し、嬉し涙に暮れている。

-『霊界物語』/出口王仁三郎口述より-


●今蒔いた種、今日や明日には実らんぞ。早く花が見たく、実が欲しいからあせるのぢゃ。人間の近欲と申すもの。神の大道に生きて実りの秋まてよ。まいた種ぢゃ。必ず実る。誰も横取りはせんぞ。万倍になってそなたにかへると申してあろう。未来に燃えつつ現在にもえよ。神相手に悠々と天地に歩め。

●金は使ふもの。使われるものでないことよく判って居ろうが。御苦労のことやめなされよ。

●神が人間の心の中に宝をいけておいたのに、悪に負けて仕まうて、それで不足申していることに気づかんか、一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申しているでないか。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-


モーゼスの霊訓

 真の博主義者とは、時々刻々、神へ近づきつつある者のことです。絶え間ない努力によって永遠・不滅の同情心を広げつつ、その不断の同情心の行使の中に、汲めども尽きぬ幸福感を味わいます。博主義者と求道者、すなわち人類に燃える人間、偏見のない真理探究者こそ神の宝、比類ない価値と将来性に満ちた珠玉です。

 前者は民族の違い、土地の違い、教義の違い、名称の違い等の制約に捉われることなく、一視同仁、全人類を同胞として、その温かい心の中に抱き込みます。すべての人間を友として、また兄弟としてするのです。思想のいかんを問わず、ひたすらその者の必要とするものを洞察し、それに相応しい進歩的知識を授けることに無上の喜びを覚える―こういう人こそ真の博主義者です。

 もっとも、しばしば似て非なる博主義者がいます。自分の名声を広めんがために、自分に同調する者、媚びへつらい施しをする者のみをします。このような似非博主義者は、その真実の印である”博”の名を傷つける者というべきです。


シルバーバーチの霊訓

 霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それは一たん身についたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学びとるように努めることです。耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは決してありません。解決できないほどの難問に直面させられることは絶対にありません。

 何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが、旅する魂の当然の姿なのです。  物質にばかり目を向けている人は、大きな誤りを犯している。その人は幻影を追い、永遠を忘れているのだから。これは単純な真理なのに、地上はまだこのことを知らない。  地上には、私達霊魂の力で動かせない障害は無い。ただしそうすることが法に叶っているならば。時には、人の背負う十字架があまりに重く、私は自分の進歩を諦めても、その重荷を取り除いてあげたいと思う。だが、よく覚えて貰いたいことは、人がその十字架を背負い、その重荷から教訓を学び取ることは、もっと大切なことだ。人は現世だけでなく、もっと永遠の目をもって、物事を考えてみねばならない。  人はその内部に至高の富を所有している。地上には、これと比べられる富は一つもない。皆さんはこの富を探しなさい。貴方の胸の奥深く、土にまみれて潜んでいる宝石を、霊魂を発掘しなさい。

霊と体(火と水)

●金好きなら金を拝んでもよいのぢゃ、区別と順序さへ心得て居れば何様を拝んでもよいのぞ。金を拝めば金が流れてくるぞ。金を拝み得ぬイコヂさがそなたを貧しくしたのぢゃ。赤貧は自慢にならん。無神論も自慢にならん。清貧は負け惜しみ、清富になれよと申してあろうが。清富こそ弥栄の道、神の道、大日月地大神のマコトの大道ぞ。

●金がよければ金拝め、人がよければ人拝めよ。神がよければ神拝め。

●人間のみならず、総て偏してならん。霊に偏してもならん。霊も五体も五と申してあろう。ぢゃが主は霊であり体は従ぞ。神は主であり人間は従であるぞ。五と五と同じであると申してあろう。差別即平等と申してあろう。取り違ひ禁物。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-


シルバーバーチの霊訓

 神法に逆らって生きようとする者は、自ら辛い収穫を刈り取る者。神法に従って生きる者は、物質的にも霊的にも豊穣と幸福の収穫を、その手で刈り取る者である。  神は物質的なものと、霊的なものと、ともに支配し給う。神の王国には、両者の差別は無い。物的生命と霊的生命を差別してはいけない。両者は別個の分離したものではない。物は霊に作用し、霊はまた物に作用する。両者はともに、一なる不可分の生命の両面である。

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 安心立命/内在の天国(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/343.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:34:29:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 自由意志/たまの宝と物質の宝/霊と体(火と水)(大本教・民間信仰・民俗) [99-03- 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:29:18)

- 安心立命 -


 人間にとって、心配ほど毒なものは無い。心配は寿命を縮める。心配事が出てきても総てを神様に奉納して心配せぬやうにする、これが長寿の秘訣だ。

-『月鏡』/出口王仁三郎著より-

 安心立命とは、心を安め、命をたつるという事である。心配すると脳が痛む、脳を痛め使いては安心が出来ぬ。心が休まらぬので命を削る。心配くらい人間にとって毒になるものはないのである。

 かの相場師などは、実に安心の時を一日だも持たぬのであるから、ああした仕事をしている人は短命である。

-『玉鏡』/出口王仁三郎著より-

●まかせ切らねばマコトの安心立命は無いぞ。

●総てが神ぢゃ。喜びぢゃ。始めから全体を掴もうとしても、それは無理と申すもの。手でも足でもよい、何処でもよいから掴める処からつかんで御座れよ。だんだん判ってくるぞ。全体掴むには全体と同じにならねばならん。その人間のつかめるところから掴んで参れよ。このほう抱き参らせてやるぞ。

●神にまかせきると申しても、それは最善をつくして後のことぢゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ。悪おまかせ多いのう。魂の財産は金を得るより数倍難しいぞ。濡れ手で泡のやり方、カス掴むぞ。

●神にとけ入れと申してあろう。智で神を見るから、次元が違うから、戒律できるから、判らんのぢゃ。解け入れよ。何につけても多いくさ。人の殺し合いばかりでないと知らしてあろう。ビックリぢゃ。

●文字や理屈は判らんでも信仰は掴めるぞ。信念と信仰は違ふぞ。信念は自分のもの。信念超えて信仰ざぞ。任せきったのが信仰ぞ。

●真の信仰に入って居れば心配いらん。失敗も財産ぞ。

●あなたまかせ。よい妻と申してあろうが。神まかせがよい人間であるぞ。この神とみとめたらマカセ切れよ。神さまにホレ参らせよ。信仰の第一歩ぞ。

●上の高いところから来るから奇跡と見へ、偶然と見へるのぢゃ。神からの現はれであるから、その手順が判らんから偶然と見へるのぢゃぞ。偶然の真理さとれと申してあろう。これが判れば大安心。立命。

●どこからともなく感じてくるもの尊べよ。

●そなたの苦労は取越苦労。心配りは忘れてはならんなれど、取越苦労、過ぎ越し苦労はいらん。そうした苦労は、そうした霊界をつくりだして、自分自身がいらぬ苦労をするぞ。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

モーゼスの霊訓

 旧神学に従へば、そこに一人の神があって、絶えず人間の堕落を監視し、又そこに一人の悪魔が在って、絶え間無く人間誘惑の罠を張っているというのである。この考えが頭脳に染み込んでいる人達は、ややもすれば我等の教訓を不思議がり、容易にこれに従おうとはしないが、これはまことに困った事である。

 宗教から一切の恐怖、一切の不安が引き離された時にこそ、地上の人類は、初めて安心立命の境地に立ち得るものと言える。 (モーゼス等が必要としている人物像について)

 向上心に富めるもの、自由な、吸収力に富めるもの、純潔にして善良なるものである。人間としてあせる心が何よりも悪い。静かに忍耐の心の緒を引き締める事が肝要である。

 取り越し苦労と、心配とは絶対に禁物である。出来ないことは到底できない。思案にあまる事柄は、すべて私達にまかせ、思いを鎮めて、よく我々の述べる所を味わってもらいたい。  なおここで、一言付け加えて置きたいのは、我等の教えは徹底的に一切の恐怖を、人の心から削除する事である。要するに我等の使命は、神と神の使徒に対して、全幅の信頼を置くべく、魂達を指導する事である。

※最悪の祟神、鬼神であるウシトラ金神の筆先に対し、王仁三郎氏が戦ったのは、少し述べているのですが、実に恐ろしげな筆先やら、人が感銘を打たれる様な内容やら、まったく出放題の感じの直女史の筆先に、王仁三郎氏が審神後に、随意削除・添削を行った事も述べました。そしてまた、王仁三郎氏の思想、つまり『霊界物語』は、面白おかしく楽しみながら真理を学べる内容となっている事も、述べました。

 これは今後の『型』つまり、今までの迷信・ドグマを消し去り、残るべき部分は残し、新たな真理を加えて、人類の安心立命を達成するために行われた事ではないかと、そういう予感が致します。

シルバーバーチの霊訓

 はがねは火によってこそ鍛えられるのです。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそなのです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証しです。夜明けの前に暗黒があるように、魂が輝くには暗黒の体験がなくてはなりません。

 そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善をつくし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです。  暗い影、いわゆる悪が、いやしくも自分を犯すという恐れを、人は誰でも心から消し去ることが出来る。人は誰でも、神と神法の籠の下に生きるもの、また現に生きているものであるから。だから心に悪意が無ければ、よいことだけがある。善は善意のある処にだけ住み、霊界の何者も、神の使徒の他は、その人の傍に行かない。

 恐れることは何も無い。貴方を包み、支え、導き、気を奮い立たせる力こそ、実に神から発する力である。その力はどんな試練や困苦にあっても、貴方を支える。その力は嵐を陽光に変え、絶望に希望の灯を点じる。足はしっかりと進歩の道程に立ち、貴方は何も恐れる事は無くなってしまう。  神に対する完全な真とがあれば、恐怖は無い。また知識があれば恐怖は起こらない、恐怖は無知から生まれるものだから。かくて、信とがある限り、恐怖のさし入る隙は無い。進歩した霊魂は、どんな場合にも恐れを知らない。

 彼は知っている、自分の人生に、自分で克服できない環境や経験はあるはずがないと。何となれば、彼は神性であるから。


ホワイトイーグルの霊訓

 人の内面の奥底には、信じ難いほどの完全な世界があります。人が恐怖・感情・心痛などに対し、自己統制が出来る様になれば、即ち平和の聖所に踏み入る様になれば、その世界の栄光を目にする事が出来ます。 ヨハネ黙示禄には、金色の往還と宝石をちりばめた門をもつ黄金の都市―新エルサレムのことが書いてあります。この都市は内的自我の記述以外の何物でもありません。

 ちなみに、ホワイトイーグルが黙示碌の新エルサレムとは、内的自我であると明言している様に、様々な啓示は全て霊的な解釈を施さないとならない様です。


- 内在の天国 -

何分にも、量が多いため、引用する個所が中々見つかりません。そこで記憶を頼りに、おおよその事柄を書きます。

 いかにも今の世が、悪のはびこる末の世だとしても、電信電話は発達して、汽車も出来、交通の便も昔には比べ物にならないくらい、楽になった。一夜の宿を請えば、暖かい食事と布団でもてなしてくれる。もし汝が死後に天国に復活したいと欲せば、まずその心内に天国を建設せよ。

-『霊界物語』/出口王仁三郎口述より-

●心くらくては何も判らん。世の中は暗う見えるであろう。真暗に見えたら自分の心に光ないのぢゃ。心せよ。自分光れば世の中明るいぞ。

● そなたは自分は悪くないが周囲がよくないのだ。自分は正しい信仰をしているのだから、家族も知友も反対する理由は無い。自分は正しいが他が正しくないのだから、正しくないほうが正しい方へ従って来るべきだと申しているが、それは一方的な考へ方ぞ、外が善くて内のみ悪いと云うことないと申してあろう。内に有るから外から近寄るのだと申してあろうが。

●今の自分の環境がどんなであろうと、それは事実であるぞ。境遇に不足申すなよ。現在を足場として境遇を美化し、善化して進め。そこにこそ神の光、よろこび現はれるのぢゃ。逃げ道つくれば迷ひの道に入るぞ。楽に得たもの、楽に失う。

●自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の道にあり、真実であるならば世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分に降りかかって来る一切のものは最善と思へ。如何なる悪いこともそれは最善のものであるぞ。この道理よくわきまえて下されよ。神にとけ入れば一切の幸福得られるのぢゃ。

●世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと、このこと悟れば一切はそこから開けくるぞ。十のもの受けるには十の努力。

●この世で天国に住めんもの、天国に行ける道理ないのぢゃと申してあろう。

●何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ、内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼び寄せているのぢゃ。苦しみの神、因果の神呼んでおいて、不足申している者多いのう。自分で呼び寄せながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。

●悪くなると云う事ないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。

●内の自分を洗濯せずにいて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ。自分の中にあるから外から近寄って来るのぞ。嫌なことが起こってくるのは、嫌なことが自分の中にあるのぞ。

●無くて七癖、七七四十九癖、悪い癖直して下されよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ外へひびくものがかわって来るぞ。かわって来れば、外から来るもの、自分に来るもの、かわってくるぞ、よくなって来るぞ。幸となるぞ。よろこび満ち満つぞ。神みちみちて天国ぢゃ。一歩づつ進め。一歩づつ絶へず進めよ。それより他に道ないのぢゃ。

●キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生まれるのざぞ、心配れと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キはよろこびざぞ、人間みなそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれきキはうれしキことうむぞ、かなしキはかなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、人間の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理判るであろがな。

 爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしいことになるのざぞ、ものはキから生まれるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。

●何事が起こってもそなたは先づよろこべよ。それが苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎へよ喜ぶ心は喜び生むぞ。

●今は今の姿が真実ぞ。そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ。あるものそのものが真実であるぞ。そのあるものを拝み、祝福してそこから出発せよ。現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ。たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。喜びせねばならん。喜びもとと申してあろうがな。

●何事に向かっても先づ感謝せよ。ありがたいと思へ。始めはマネ事でもよいぞ。結構と思へ。幸と思へ。そこに神の力加はるぞ。道は感謝からぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどう申してあろうが、病気で無いと思へ、弥栄と思へ。病治るモト生まれるぞ。キがもとぞ。何事来るとも何クソと思へ。神の力加はるぞ。恐れは恐れ生むぞと申してあろうが。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

シルバーバーチの霊訓

 どんな暗闇の中にあっても、決して希望を捨ててはいけない。そして次のことをしっかり心に銘記して頂きたい。地上を住みよい世界に変えようとする人達は、最後には必ず勝つ。何となれば、彼等と共に在る力は、宇宙の至高の力であるから。  皆さんの魂に喜びが満ちていれば、それだけ皆さんは神に近づいている事になる。人は神。地上で、この貴方を犯すものは何も無い。このことを思い出しなさい。私が長年かかって、皆さんに教えたいと思ったのはこのことである。もし皆さんが物質に心を煩わしているなら、皆さんは、この教えを学ばなかった事になる。

 とは言っても、私は決して物質を無視せよと言っているのではない。人は物質の世界にあって自己を発揮し、またしかるが故に、人はこの物質世界に責任を負う者であるから。しかし、決して、人が神であり、神が人であることを忘れてはいけない。神のものである力、即ち貴方の中に在る力、この力あればこそ、貴方は如何なる物質にも勝って、それらに犯されるものではない。

 これがまさしく、一切の悪を退け、病気を克服して、あらゆる障害と闘うことの出来る力である。しかしこの力を用いる者の数は極めて少ない。昔イエスもこう教えている「天国は汝の内にあり」と。  人間は本来その内部に、病気を治し悩みを克服する力を持っている。つまり天国は内部にある。しかるに、人はこのことをほとんど知っていない。この大我に接する道は、神法に従って生きるより外に無い。しかるに、幾人がそれに従って生きているか。

余談ですが、王仁三郎氏は大本で活動をしている最中に、ウーピー神という得体の知れない神霊を崇拝し、楽天主義を標榜する「ウーピー教」という、怪しげな匂いの隠し切れない宗教を、開いた事があります。ウーピーとは、英語の隠語の様で、破天荒とかとてもハッピーとかいう意味を持つようです。

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 神の事 人=神の分霊/独一神/氾神(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:39:50:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 安心立命/内在の天国(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:34:29)

- 人=神の分霊 -

世の中の総ての人を敬すべし。人は皆神の分身分霊にして、即ち神の珍の御子なれば、人を敬するは神を敬し奉るに等し。

-『裏の神諭』/出口王仁三郎著より-

活物(いきもの)の、心の性をきわむれば、神の千別(ちわ)きし霊(たま)の御光り

-『霊界物語』/出口王仁三郎口述より-

●神の子は神として自分養ふ事も、つとめの一つであるぞ。取り違ひすると大層な事になるから、気つけておくぞ。

●神は人間、人間は神であると申してあろう。人間の極まるところが神であるぞ。人間は神の土台ぞ。この道理判るであろうが。

●神は人となりたいのぢゃ。人は神となりたいのぢゃ。人は神の入れ物、神は人のいのち。

●地(くに)の日月の民とは臣民の事であるぞ、臣民と申しても今の様な臣民ではないぞ、神人共に弥栄の臣民の事ぞ、今の臣民も掃除すれば九二(くに)の一二(ひつぎ)の神様となるのざぞ、自分卑しめるでないぞ、皆々神様ざぞ。

●肉体は親から産まれたのざから、親に似ているぞ、霊は神から産まれたのざから、神に似ているぞ。

●神から出たものは神に決まっているぞ。

●尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ、神ばかり尊んでも何もならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵とうとべば敵が敵でなくなるのぞ、この道理判りたか。臣民には神と同じ分霊(わけみたま)授けてあるのざから、磨けば神になるのぞ。

●どこに居ても助ける臣民行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、この道理よく腹に入れてくれよ。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

シルバーバーチの霊訓

 皆さんは、すべて神の分身である。神は次のように言い給う。「ここに私のすべての法がある。そこに、汝のうちに私の分身がある。汝の傍らには、この世を完全にできる一切のものが備えられている。私は汝にすべてのものを与えたのだから。

汝は善でも悪でも、好きなものを選ぶことができる。汝は私の法に従うもよし、また従わぬのも思いのまま」  あなた方の内部には、偉大な霊性が宿っている。また、人は幾多の進化過程を経て、今日に至ったのだから、誰でもその内部には、動物性の痕跡が残っている。しかしながら人間内在の霊性こそは、どんな遺伝や痕跡にもまして偉大なものであり、もし貴方が、それをちょっと働かせ発揮しさえすれば、貴方はまるで、地上を神の様に歩くことも可能なのである。

 人は全て、一人一人が神の分身であり、一人一人が神の御技と力とと知とを、担うことのできるものである。仮に貴方が弱い人に手を差し伸べれば、神の力はたちまち貴方を通じて、働くようになるのである。

 決して、人が神であり、神が人である事を忘れてはいけない。神のものである力、すなわち貴方の中に在る力、この力あればこそ、貴方はいかなる物質にも勝って、それらに犯されるものではない。

これがまさしく、一切の悪をしりぞけ、病気を克服して、あらゆる障害と戦うことのできる力である。しかしこの力を用いる者の数は極めて少ない。昔イエスもそのことをこう教えている。「天国は汝らの内にあり」と。

-独一神-

 祈りは天帝にのみすべきものである。他の神様には礼拝するのである。私はそのつもりで沢山の神様に礼拝する。そは恰(あたか)も人々に挨拶するのと同様の意味においてである。真の神様はただ一柱しかおはしまさぬ。他は皆エンゼルである。

-『水鏡』/出口王仁三郎著より-

 耶蘇にしても釈迦にしても、人類が生んだ最も偉大なる聖者であることに何ら疑ひの余地は無い。しかし斯かる偉人の優劣を比較論争して居る暇があったら、どちらでも良い、その百分の一の人格にでも自己を磨き上げることがより尊い事である。

 ニ千年も三千年も前に世を去った人々の思想を色々と詮索する事が無用とは言わないが、それよりも目の前にある少しでも立派な人の美点を学んで自分自身の魂を向上させる事が、より一層大切な事である。

 自分の魂を磨く事を忘れて大聖人の教えを彼これ論ずるのは天を恐れざる不虔の行為である。信仰なるものを偉人崇拝と同一に考へてはならない。

-『惟神の大道』/出口王仁三郎著より-

まめ人の、神を忘れて只(ただ)我を、あがむる事の如何に苦しき
求むべき、ものを求めず只我に、権威を強ゆる、人恐ろしも

-『霊界物語』(余白歌)/出口王仁三郎口述より-

シルバーバーチの霊訓

イエスを礼拝するのは誤りである。礼拝は神に対してのみなされるべきもので、その使者に対してなすべきものではない。 …そのお言葉はあり難く頂戴いたしますが、いつも申し上げておりますように、私はいかなる礼も頂きません。指導霊や支配霊を崇拝の対象とする傾向に対して、私は断固として異議を唱えます。


-氾神-

 ここに火打ち石と鐘とあって、これを打ったならば火花が出ます。即ちこの中には火になるといふ素質を持っておる、これが天之御中主神の霊(※天帝・ゴッド・根源神)である。神は万物普遍の霊でありまして、人は天地経綸の主催者である。火打ち石と鐘とをカチンと打ち合わせると火が出る。それを火口につけると、それから世界中を焼くだけの仕事が出来るのでありますこの火の出た輝きといふのが神であります。

-『王仁文庫』第二輯/出口王仁三郎著より-

 霊と精霊とを混同して考へて居る人があるが、それは大変な間違ひである。霊は万物に普遍して居るので、この火鉢にでも鉄瓶にでも乃至は草花にでもある。もし霊が脱けてしまへば物はその形を保つ事が出来ないで崩壊してしまふ。

 非常に長い年数を経た土器なぞが、どうもしないのにくぢゃくぢゃに崩れて仕舞ふのは霊がぬけて仕舞ったからである。鉱物、植物皆霊のある間は、用をなすものである。精霊と云ふのは動物の霊を指すのであって、即ち生魂である。

-『水鏡』/出口王仁三郎著より-

●山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらうことと申してあろが

●神の国には神も人も無いのざぞ。忠も考もないのざぞ。神は人であるぞ。山であるぞ、川であるぞ。めである。野である。草である。木である。動物であるぞ。為すこと皆忠となり考とながれるのぞ。

●そなたは、食物は自分でないと思うているが、食べるとすぐ自分となるではないか。空気も同様、水も同様ぞ、火も同様、大空もそなたぞ。山も川も野も、植物も動物も同様ぞ。

 人間は横の自分ぞ。神はタテの自分ぞ、自分を見極めねばならん。自分をおろそかにしてはならん。一切を受け入れねばならんぞ。一切に向かって感謝しなければならんとも申してあろうが。

-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

モーゼスの霊訓

 霊界は全体にくまなく広がっており、全存在に生命を吹き込み、動物・植物・野菜に至るまで存在を与えている。人間が実体があるかに思っているものも、その霊という実在の影に過ぎない。霊とは生命であり、実在であり、永遠不滅の根源的要素なのである。

 この霊が人間に宿っている様に、すべての物質に宿って生命を賦与している。天体をそれぞれの位置を保たせ起動上を回転させるエネルギーもすべて霊的なものである。

 光といい、熱といい、磁気といい、電気というも、たった一つの霊的エネルギーの外皮に過ぎない。そのすべてに霊が内在しているのである。  ここで、神についての真実の概念を申し述べたいと思います。人間的属性を具えた人格神としてではありません。神々しい人間神としてでもありません。全宇宙に瀰漫し、普及する普遍的大霊としてです。今や人類は神についてより大きな概念を受け入れる用意が出来ました。

 われわれは””として顕現している神を説きます。―いかなる限界内にも閉じ込められないとしてです。人間神の概念はかつての人類全体に行き渡っていた偶像崇拝の産物です。

 これを改めることもわれわれの使命の一つです。神は一個の人格を具えた存在などではありません。どこかの一地点に鎮座ましますのではありません。総てに浸透し、無始無終に存在し、総べてを導き、総べてをされるのです。

 肉体に宿る人間はどうしても限りある形態を具えた神を想像します。われわれが知り得た限りでは、神は限りある人格者ではなく、ましてや一個の人間となって誕生したこともなく、人間的影響力によって動かされることなど断じてありません。神は普遍的法則として働いています。  自然とは霊であり、自然法則も霊的である。あらゆる物的形態は―植物も動物も鉱物も―霊を宿す仮面である。人間も本来が霊であり、霊的なものが肉体を支えているのである。激しい新陳代謝を繰り返す細胞の固まりも、霊によって組織を保ち活力を与えられている。

 霊が引っ込めば腐敗の一途を辿り、他の組織へと変わっていく。霊こそ人間であり、逆の言い方をすれば、人間は霊であるからこそ自然界の全創造物に君臨できるのである。

 人間は他の創造物が所有していない霊的資質を賦与されているが故に、最も進化しているのである。


シルバーバーチの霊訓

 神とは宇宙の法である。神はあらゆるものの内部に在り、万物はまた神である。魂は自らを知るが故に、神は魂を知り給う。雀は神であるが故に、神は雀を知り給う。神は震える葉の内部に在り給うから、震える葉は神である。 神とは宇宙のありとあらゆる内部に在り給う。神は大いなる霊であり、生命であり、であり、またありとあらゆる存在するものの総てである。

 火打ち石を打って火花が出る。というのは当たり前の様に思いますが、王仁三郎氏の「火の出た輝きが神である」という様な発言は、一見して子供の妄想の様で、最初は何を意味するのか判りませんでした。
 むやみに深読みしたりなどで、却って訳が判らなくもなるのですが、一応の現時点での意味として、モーゼス(インペレーター)の霊訓にそれらしき事が書かれてあります。

 日月神示上には、人民産まれたら直ぐ、火と水の産湯にいれてもらうだろう、この火と水の御恩という事をいえば誰でもそんな事知っていると申すだろうが、その一厘の所はわかるまいがな、という意味の所もあります。

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 厳(いづ)と瑞(みづ)/惟神の大道
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投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 12:23:12:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 神の事 人=神の分霊/独一神/氾神(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:39:50)

*厳(いづ)と瑞(みづ)*
 
 
 
 直女史と王仁三郎氏の関係は、緯(タテ)と経(ヨコ)であると言われていますが、王仁三郎氏は、四魂の働き(※古神道自体に、人は神の分霊にして四魂(しこん)の魂があるという考えがある)として荒魂、奇魂、和魂、幸魂という四つの魂の解説をしていた事があります。要約すると以下のようになります。
 
 
 
 我々の霊魂は天帝の分霊であります。この天帝には四魂がある。又四魂の中に各自直霊があります。この天帝といふものはいわゆる元であって、何処でもかしこでも在らざる所なきが如きもので、何処にでも充満普遍して居る所のものであります。

 即ち天之御中主神様の事であると言えば、何処にでもある。小さい小石の中にも含まれて居ます。

…(中略)…

 いわゆる天照大神となって、始めて全知全能の素質を発揮したまふのであります。ここになって来ると、荒魂、和魂、奇魂、幸魂、これらの直霊を超越してしまふ。さうして伊都能売(いづのめ)の魂となる。我々の霊魂もその通りであって、矢張り主たる天帝があるので、即ち一霊四魂があるのであります。

-『王仁文庫』第二輯/出口王仁三郎著より-
 
 
 
各魂  解説  働き、    個性            注意点

荒魂  「勇」  進展力、 進・果・奮・勉・克     恥づること、知らずば人は争ひて、
                               獣に近き挙動なすなり

奇魂  「智」  観察力、 巧・感・察・覚・悟     もの学び、智慧を研くはよけれども、
                               覚りなくば、狂ひこそすれ

和魂  「親」  親和力、 平・修・済・治・公     よし人に、親しむとても悔いること、
                               知らずばつひに、人に憎まる

幸魂  「」 生成化育、益・造・生・化・育      人をで、いつくしむとも天地に、
                               畏るるなくば、道にさからふ
 
 
 
 そして、それら四魂を統べるのが「直日」の御魂といわれているものです。そして直女史の厳霊の働き、王仁三郎氏は瑞霊の働きと言われましたが、直女史の昇天後、独りとなった王仁三郎氏は、伊都能売(いづのめ)の働きを開始したと言われています。そして、人は皆この厳・瑞併せ持った、伊都売の身魂となるべく、努力しないといけないと述べていました

 伊都能売の身魂とは、厳と瑞を併せた完全形で、そうなる以前に人はそれぞれ個性があり、例えば自分で言うと荒魂と和魂が足りないように思います。

 いわば、これは個性ですが、霊訓的な言い方をすれば、曇った鏡を磨いて不完全から脱却し、神の働きを完全に反射できる様になる。という事かも知れません。

 日月神示にもまた、同じような事が書かれています。
 
 
 
の人間は深く、智の人間は広く進むぞ。経と緯であるぞ。二つが織り成されて、結んで栄える仕組。経のみでならん。緯のみでならん。

-『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
 実際の所、直女史は一見して厳しそうで恐い感じに見えるけれども、人にはとても情深く接していたそうで、又王仁三郎氏も、普段は阿呆の修練に余念が無かったらしく(?)実に薄ぼんやりとした人物ですが、実際には非常に学問があり、世界共通語のエスペラント語も、講習1ヶ月で既にそれの入門書を書いていた等、非常に知的な人物であると思えます。そして、モーゼスの霊訓にも、以下の記録がありました。
  
  
  
モーゼスの霊訓

 真の仁者、真の哲人―真の仁者とは、いつもその同胞の幸福と進歩とに、貢献するべく心がけている、まことの人物。まことの神の子である。又真の哲人とは、知識の為に知識をする、これも又まことの人物、まことの神の子である。

 前者は人種、土地、教理、名称等の相違に留意する事なく、その博大なる胸裡に、地上一切の人類を抱擁せずんば止まぬ。彼は対者の意見などには頓着せぬ。彼はただ対者の欠陥を察し、これに智慧の光を注ぐことを以って、畢生の念願とする。それが真の仁者である。

 が、世には往々仁者の偽者がある。これらは自己に迎合阿附する者のみをし、これに金品を与えて虚名を博すべく努力する。

 それから真の哲人―彼は決して如何なる学説にも捕らわれない。またいかなる宗教宗派のドグマにも拘泥しない。そしていやしくもそれが真理であり、科学的の事実でさえあれば、一切の先入的偏見を排除して、千万人といえども吾行かんの概をもって、宇宙間の隠微を探るべく勇往邁進する。無常の幸福、無常の満足がその間に涌き出る。

 大地間の実蔵は無限であるから、彼は豪も材料の枯渇を患うには及ばない。とめども尽きぬ智慧の泉。採れども尽きぬ思想の宝、世にも幸福なるは、まことの哲人の生涯である。

以上二つの結合―仁者と哲人の結合こそは、正に完全人の典型である。両者を兼ねる者は、その一方で進む者より、遥かに進歩が迅速である。
 
 
 
 霊界物語上に描かれた三五教の教主(王仁三郎氏と同じ瑞身魂)に対する、高姫一派の悪口「優柔不断の学のドハイカラ教主」という一面と、国粋主義排他的思想と異なる、世界同胞主義的世界観が、このモーゼスの霊訓の言う所の、仁者と哲人の融合と思えます。
 
 
 
*惟神の大道(かんながらのたいどう)*
 
 
 
 さて、ここで一転して、相矛盾する所の個所を述べたいと思いますが、世界同胞主義とは言っても、世界国々の国魂という点では、それなりの相違がある様です。それは日月神示にも「外国人には細かく説かねば判らんなれど、日本人には直ぐ判る身魂を授けているぞ」という個所があります。一見してまた国粋主義的面があるのですが、シルバーバーチ自身の霊訓上にもインド人はインドに、英国人は英国という様に同じ国に生まれ変わるのか?という問いに対し
 
 
 
必ずしもそうではない。新しい進歩に適した国や民族を選ぶ事になる。
 
 
 
 と述べているのです。という事は、これらの事が正しいのなら、何らかの意味を持って、日本に産まれたという事に成ります。また今までの引用でも、大よそ判るのではないかと思いますが、全般的な傾向として、神示は大変判りにくい謎めいた部分もあり、王仁三郎氏の解説はそれよりかは大分判りやすく、更に霊訓は一番伝わりやすく、判り易いのです。

 確かに、王仁三郎氏は「自分はキリスト、仏教、神道の総てを信じる者である」と言ったかと思えば各宗教、教義に対して散々批判したりと、本当に訳の判らない所があるのですが、霊訓の言う所によって、自分はようやく糸口が見えてきたという気がします。

 果たして神示と霊訓と同列視して良いのか、それ自体に真偽は別としても、確かに何かしら解決の糸口が見える気がしたのです。それは同時に言うと、外国人並みの身魂という事にもなってしまうのですが…
 
 
 
●…仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やりたい放題の世となったのであるぞ…

-『日月神示』/岡本天明著-
 
 
 
 上記にある様に、外来の宗教を批判する個所が、幾つか見受けられるのですが、これは良く見ると「マコトの神道の光」とあるように、神道自体も、メチャクチャになったので、別段他の宗教宗派から、神道に改宗せよという意味ではなくて、あえて言えば太古の神道がマコトの神道という事で、この点古神道=シルバーバーチの神法と、比べて見れば要するに、真理の大道(惟神の大道)に向かえという意味になるのではないかと思います。

 つまり、ここで再び国粋排他的な解釈は、してはならないだろうと思うのです。そして王仁三郎氏もお筆先の「かいしん(改心)」を「改神」という漢字にしているのですが、これは自身の解説として「神の道に改めるという事である」(三鏡)としているのです。ちなみに、惟神(かんながら)とは
 
 
 
惟神と云ふ事は、天地の真象に倣うといふ事である。又、大自然、或いは真理のままと云ふ事である。

-『水鏡』/出口王仁三郎著-
 
 
 
という事です、これはシルバーバーチの言う「霊界の法」を「霊主体従」、またそれを指した名称の「神の法」を「惟神の大道」と置き換えて見ると判ると思います。もはや名称の違いに捕らわれる必要も無いと思います。 

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 霊主体従と神法(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:51:40:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 神の事 人=神の分霊/独一神/氾神(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:39:50)

*自由意志と魑魅魍魎と矛盾*

 神諭はそのどれもが、幾通りもの解釈が可能であると、書かれています。それは一体どうしてなのか?もうちょっと判り易くても良いではないかと思うのですが、ここの解釈部分にも、人間の自由意志に委ねられている気がします。

 大本神諭には、「善と悪の鏡を出すところ」と書かれてありますが、よくよく考えて見ると、本当に大本内部でも、外部でもその神諭の解釈によって、トンでもない方向に行ってしまった人達が、結構居る様ですから、実に言い得て妙なのです。

 日月神示上にも「たとへ神の言葉ざとしても、心して怪しと思ふものは、一応は考へよ。」という個所がありますが、これは魑魅魍魎な、色々雑多な情報に惑わされるな、という意味かも知れませんが、日月神示自体の事も指している気がします。余り熱を上げると確かに妙な事になって仕舞い勝ちの文面が、多々ある様です。

 もっとも、それも矢張り鏡としての意味もありますし、明治維新の後の「日本の夜明け」として誰もが喜んだ時代で、尚且つ現代ならば長い歴史の中で冷静に見ることが出来ますから、高見から「ああ、こんな事やってる」と批評も出来ますが、もし仮に自分がその時代に生きていたら、これら神諭類を今と同じように感じるのか、自信の無いところです。

 自分は、電車の吊り革広告にあった、某学習塾のキャッチコピーを発見したのですが、そのコピーには記憶によれば大よそ次の様な意味です「何もかも教えてしまうのではなく、問題解決のヒントを与え、子供達が自らの力で問題を解く様にする、これが本当の教育ではないでしょうか?」
 
という文面を見たときは、ああ神示の解釈もこういった面があるかも知れないとも思いました。が、霊訓などには、以下の記述がある様です。


モーゼスの霊訓

 めいめい最初から自分自身の理想が出来ており、経典の中から選り出した啓示を以って、これを裏書きしたまでである。ただの一つとして、啓示の全部を承認するものはない。何となれば、啓示全部が首尾一貫したものでないからである。

 かるが故に、啓示の他の章節を選び出した人達と、鼻を突き合わせた時には、文字の意義を歪曲して、勝手次第な解釈(?)を加えるから、すべてがサッパリ訳の判らぬものとなり、折角その啓示を送った霊達、又その啓示を取り次いだ預言者達の真意は、全然損なわれてしまうのである

 かくの如くして啓示なるものは、徒らに宗派的論争の用具と化し、古経典は、虚しく各自の気に入った武器を引っ張り出す為の、兵器庫の観を呈してしまった。

…(中略)…

 神に就いての観念が、何故にかくも誤っているかに関しては、そこに別な理由がないでもない。それは地上の人類が、もともと霊的、象徴的であるべき事物をば、余りにも文字通りに解釈した事である。地上の人達の、想像だに為し得ざる事柄を通信するにあたり、我々はやむを得ず、人間界の措辭用語を借り、時とすればうっかりして、真意とは大分遠い言葉を使ったりする。如何なる霊界通信にも、そういった短所がある。霊界通信が、文字通りに解釈されてはたまらぬ所以である。一切の啓示は、皆象徴的であると言っても決して過言ではない。

シルバーバーチの霊訓

 そもそも霊的なものは霊的に理解するのが鉄則です。象徴的に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけません。すべての生命は進化の途上にあります。
 物質界に終末はありません。これ以降もずっと改善と成長と進化を続けます。

*********

 実は、自分は常々疑問があった事があったのですが、世の中を余計に撹乱するだけの偽の神示、それはもとより自分の様な解釈をする人間にも、また同様に当てはまる事であって、色々な解釈本が出回る時勢に、大本各派の人が霊界物語や神諭の解釈をしないのは、決して怠慢ではないのです。
 理由は上記の様なもので、実は王仁三郎氏によって、既に警告されているだけの事です。自分はそれを知っているからこそ、くどい様に自己解釈に過ぎないと連呼している訳です。

 話しは変わりまして、王仁三郎氏も全く同様「黙示禄の解釈など、総べて霊的に解釈すべきものである」という発言をしているのです。つまり、余りにも人間の無作為な解釈が、これまでの誤謬の元となっている訳ですから、重々これには慎重を記すると同時に、自分の解釈をうのみにしないように、再度注意しておこうと思います。

*霊主体従と神法*

 大本系の神書で霊主体従(ひのもと)の考え方というのは、要するに霊訓で言われる神法と、根本的には同じような事を述べていると、思われるのですが、歴史的な面から見ても、興味深い所があります。
 それは前述した様に、シルバーバーチの言うところによれば、太古の昔には文明があり、又人々も神法に従って生きていたというものです。以下に述べてあるものは、シルバーバーチ自身が時折祈る時の台詞だそうです。

シルバーバーチの霊訓

 …神よ、どうぞ私共が、霊界の法を人々に示す事が出来ますように。どうか、神の正しい理解、神と万物、ならびに人類とのつながりについて人々に正しい理解を与えることが出来ますように。

 永い時代にわたり神は誤解されてきました。非常に狭く偏って人々に解釈されてきました。従って私共は、神を完璧な法として、これを人々に示したいと思います。
…(中略)…

 私共は、人間一人一人の内部に隠されている偉大なものを、人々に示したいと思います。誤解されたままで閉じ込められていたのですが、今や陽の目を見ようと待ち望んでいる大きな力、肉体を通じて波打ち、日常生活の中で、高い霊性を発揮しようと待ち受けている、かの大きな力、それを明らかにしたいと思います。

**********

 上記では、神は今までの長い間誤解されてきていた事、また神に対する人々の誤解を解きたい事、そうして人間一人一人の内部には、偉大な力が秘められている事などが伺えます。
 そして、霊界物語に描かれた国常立尊の神政は、霊主体従の方針で、体主霊従的な神々から除け者にされ、丑寅の方角である日本に閉じ込められた、という事が描かれています。

 そしてお筆先の内容も、はじめはトルコのエルサレムにて国常立尊の神政が布かれていたのが、ついに丑寅の隅(日本)に閉じ込められてしまい、永らくじっとしていたが、いよいよ艮の金神の世が廻ってきたという事で、「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ、須弥仙山に腰を掛け、鬼門の金神守るぞよ。」という筆が出てきたと思えるのです。

 これはもしや、シルバーバーチの言う失われた神法(霊主体従)を、復活させるという意味と同一とも考えられるのです。ちなみに出口直女史が出口家の養子となったのも、全く意味が無いわけではなく、出口家とは遠い昔神官をする家系だった様で、シャレではないですが「神の出口」(出現口)としての意味があるみたいです。

 そしてまた、東北の日本に閉じ込められたという表現も、判る気がするのです。前にも書いたように神道等の古来の日本人の考え方と、シルバーバーチのいう神法とは、非常に似通っているのです。つまり、体主霊従的な行いが流行る世界で、エルサレムから日本に流れた民族には、唯一霊主体従的な生活習慣を保持していたという意味とも受け取れます。

 神話にいう『天の岩戸開き』の事ですが、霊界物語にも日月神示にも、人それぞれの腹の底の、岩戸開きが述べられていていますが、バーチの言う人間内部の偉大な力と、人の腹底の「岩戸開き」は同一の意味とも考えられます。

 また、霊界物語には、国常立尊の神政は、霊主体従でかつ、謹厳実直であり悪い事に対しては寸毫も許さないといった、厳しい神様として描かれて(直女史の性質を彷彿とさせます)いますが、これに付いて行けなかった体主霊従的神々が不足を言い、天の大神様が「いまはやむなし」として、国祖隠退を迫られたという物語が描かれています。

 霊主体従だと、何故厳しいのだろう?とも思ったのですが、よく霊訓や神示を読むと、霊界では利己的な考えや、悪事を思い立つと即座にそれが他人に判ってしまう(※下記参照)と書かれているのです。嘘や誤魔化しが一切利かないのです。

 霊人は皆霊視力を持っているという感じでしょうか、それが地上に適用されると、体主霊従的な人々には、たまらない世の中となってしまいます。まだ動物的な残骸を残した人類の進歩の段階で、これでは少し無理がある。と思えるのですが、それゆえの国訴隠退という事かも知れないと思います。

*********

 善い事をすればよくなり、悪い事をすれば悪くなる世を称して、ミロクの世と云ふのである。今までの世は悪い事をしても旨く世間を誤魔化す事が出来れば立身出世も出来るし、善いことばかりして居ても、虐げられ苦しめられ悲惨な境遇に泣かなければならぬ者も数多くあった。これは悪魔の守護する世であったからである。

 ミロクの世になってからは最早かかる不合理は許されない。善い事をすればどんどん善くなり、悪い事を企てれば片っ端から打ち砕かれ、悪の思惑は一つも立たぬ正しい世の中になるのである。

-『水鏡』/出口王仁三郎著-

シルバーバーチの霊訓

 霊界では何人も、事実と常に直面せねばならぬ。そこでは原因と結果が一本の線となって見え、奉仕する者は奉仕しない者より常に偉大であるとみなされる。地上での仮面と虚偽は剥ぎ取られ、魂は赤裸となって、そのありのままの姿が、誰の目にも映る。  私は霊の世界から来た者である。そこでは真実のみが露呈しており、誤魔化しは通用せず、人の価値は何時も他の人の前に明らかである。霊の貧しさと豊かさのほか、地上の様な貧富の差は無く、魂の強さと弱さのほか、強者と弱者の別はない。

************

シルバーバーチ

1.永い間失われ、誤解されて来た神法を取り戻したい

2.間一人一人の内部に隠されている偉大なものを、人々に示したい

3.霊界では、利己的考えや虚栄、嘘といった考えを起こすと、忽ち霊性は下がり、他人に露見してしまう。

霊界物語及び神書

1.誤解され、長い間東北の日本に閉じ込められた

2.身魂を磨き、ある段階で神徳により腹底の岩戸が開かれる

3.国常立尊の神政は、謹厳実直で体主霊従的な行動をとる事が出来ない。


*************


*闇の世界*

 また、霊界物語中にも、王仁三郎氏の著作物にも、太古(或いはその当時)余りの悪神の跋扈跳梁(ばっこちょうりょう)の為に、諸善神が隠れたという事が記されています。また「飲めよ騒げよ、一寸先は闇よ」とやたらに酒を飲むのを信条とする奇怪な宗派の事などが、描かれています。そしてモーゼスの霊訓中にも似た様な事が書かれています。

 現今の地上は、悪魔の集会所である。故に諸善神は天にのぼり、地に潜んで、その跋扈跳梁に任してあるが如き状態である。で有るから善い事は容易に出来ない世の中である。

-『水鏡』/出口王仁三郎著より-

モーゼスの霊訓

 我等が過去において舐めたところに比べれば、現代の苦難の如きは抑々物の数ではない。我等の生活せるローマ帝政時代の末期―精神的、霊的のものは悉く影を潜めて、所得顔に跋扈するは、ただ酒色と、荒淫と、悪徳と、劣情…もし汝にしてその実情に接触せんか、初めて闇の魔軍の、いかに戦慄すべき害毒を人間界に流し得るかを会得したであろう。

 身を切る如き絶望の冷たさ、咫尺を辧ぜぬ心の闇、総てはただ人肉のうめきと、争いとであった。さすがに霊界の天使達も、一時手を下すの術なく、覚えず目を被いて、この醜怪なる鬼畜の舞踏から遠ざかった。

  それは実に無信仰以上の堕落であった。すべてが道徳を笑い、天帝を嘲り、永生を罵り、ひたすら汚泥の中に食い、飲み、また溺れる事を以って人生の快事とした。その形態は正に人間であるが、その心情は、遥かに動物以下であった。

*********

 現代はいかにも人心が腐敗したとは言っても、それでも尚少しずつ進歩しているのではなかろうか?という気もします。確かに今は悪くなったとは言うものの、マシになった部分も多数ある様な気がしますが、ともかくも、霊の世界において、真実は常に露呈している。という点は伺える所です。

 自ら進んで天国に昇るも、また自ら進んで地獄に落ちるも、またその人物の真実の姿に他ならないからで、神経質なくらい綺麗好きの人の所に、無神経な散らかし放題の人が居れば、双方苦痛な様に、地獄的想念の人は自ずから落ちるという訳で、別段罰とかそういう事では無いようです。

 ここに来て、霊主体従章の「心・言・行」の部分など、人間の心の状態とか、内面の重要さも、また自ずから再認識した今日この頃です。

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第六章 共通点 1 神示と霊訓 半霊半物の世/恐怖の大王論/画家の感性(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:56:22:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 霊主体従と神法(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:51:40)

*半霊半物の世*

 日月神示には半霊半物の世となると書かれてあります。この世の半分が霊界となり、半分が物質となるという意味の事も書いてあるのですが、これは人々が今までは唯物主義であったのが、霊5体5という思想を持っていくという意味かも知れません。

 ただ、浅野和三郎氏の和訳したものの中には、以下の事例が存在する様です。

モリス夫人入神公演

 …然らば現時の人類の最大目標は何か?―他でもない、それは顕幽両界の大連結であります。過去数世紀に渡って、人類の前面には、精神的大障壁が横たわり、殆ど全く霊界の展望を妨げて居ましたが、今や再び昔のイスラエルの時代のように、それが撤廃されるべき機運に達しました。

…(中略)…

 今や顕幽両界の障壁が、ようやく撤廃に近づくと同時に、太陽神主宰下の大天使長は、そろそろ地上の経綸を、直接の指揮下に置かんとしつつあります。

 その大人格は外でもない、イスラエル神話のいわゆるミカエルであります。霊界の居住者の一人として、私はこの大人格が、今まさに地上人類の霊的覚醒を促すべく、活動を起こしつつあることを、諸君に警告するものであります。

 世界同胞精神の普及―これ以外に、人類平和の鍵はどこにもない。が、無論ただ口に世界同胞を呼號するだけでは、何の役にも立ちません。それで人間をゴマかすことは出来ても、神をゴマかし、宇宙の法則をゴマかすことはできません。口に唱えた事は、これを行為の上に生かされねば成りません。ところが、現時の人類は、口で説明することはお上手になったが、まだ十分同胞の真義に徹してはおらぬらしい。その証拠は、移民の制限に現はれ、土地の争奪に現はれ、償金の強要に現はれ、その他多くの事物に現はれている。

…(中略)…

 近来顕幽の連絡がつけられた結果、死後個性の存続が証明されたといふ事は、人類にとりて、大切な事柄ではあるが、しかしそれは、進むべき段階の第一歩に過ぎない。諸君百尺竿頭一歩をすすめ、他界の偉大なる指導者達との、共同運動を開始するまでにならねば本当ではない。宇宙内部の各段階の連動装置―これを円滑に進行させる事が、神の摂理の眼目であらねばなりません。

 これを要するに、現下の最大事業は、今後人類の據りて立つべき、天衣無縫の指導原理の確立であると信じます。それは一宗一波、又は一地方民族の占有物でなく、普遍的共通指針であり、同時に現在の活問題の解決に対して、実行的威力を有するものでなければならぬ。これを宗教と称するなら称してよいが、それは既成宗教のすべてと異なり、太陽神から直接司配さるる、大自然教であらねばなりませぬ。

 既成宗教は、決してその敵ではなく、むしろその下にありて、特殊の方面、特殊の民族を分担すべき性質のものでしょう。

…(中略)…

 私はなるべく預言じみたことは言いたくないが、ただこれだけの事は諸君に告げたいと思う。他無し、従来よりも広く、より深く、又より自由なる真信仰が、世界の人類を司配すべき時代が、久しからずして到来するという事であります。

 地上人類の進化のテンポは、近年非常に速まり、従来とはすっかり異なった、精神の糧を必要とする魂の所有者が、どしどし出現しつつあります。

 この要求を遺憾なく充たすのが、ただ最も正しき意味の神霊主義…科学と、宗教と、哲学とを打って一丸となし、理論実行二つながら兼ね備えたる。活きたまことの道であらねばならぬことは、申すまでもないと信じます。

 いやしくも、籍を神霊主義の籬(まがき)のうちに置かれる方々は、よく自己の重き責任を自覚し、いつまでも霊界の入り口に足踏みして満足することなく、本源の世界に向かって、できるだけ奥深く潮航するようにして頂きたい。

-『霊訓』1931年7月28日フォルチュン劇場におけるモリス夫人入神公演/浅野和三郎訳より-

*********

 これは浅野氏の訳なので、これに限らずちょっと言い回しが、大本風の感じもありますが、もとより彼は英文学者なので、原文がある以上は文意を故意に曲げたりはしていないだろうと思います。
 ましてや他の訳者(桑原啓善氏など)も、これらの経綸を指して『大事業』という訳を充てていますが、お筆先の「たいもう(大望)」を王仁三郎氏はいつも『大事業』という同じ語句を充てていた所など、少し興味深いところです。

アゝ…それにしても、王仁三郎氏の行った活動、新真理の唱導、世界同胞主義、及び同種の各宗教宗派との提携と共同運動、etcという一見矛盾した行動は、判る人には何も霊訓を必要とするものではなかったと思いますが、しかしそれにしても、ようやく自分も兜をぬぎはじめました。

*恐怖の大王論*

 ようするにほぼ一様に、今までの事は用いられない、全く新しい真理が台頭してくるぞ、という警告なのですが、お筆先にも「艮の金神と現はれて国常立尊と開く仕組み」という表現が見受けられます。
 恐ろしい祟り神、鬼神がやって来たが、本当は人類に真理を伝えにやって来た、という事かも知れません。確かに体主霊従=ウシトラに閉じ込めた神々にすれば、恐ろしくもあり、霊主体従の神々にすれば、嬉しくもあるのです。

 自分はノストラダムスの事はよく知りませんが、有名な詩の「1999年7の月に空から恐怖の大王がやって来る、その前後にアンゴルモアの大王がどうかした」というのは、これを意味するのかも知れません、彼はユダヤ人ですから、ましてアンゴルモア(だったかな?)のアナグラム(スペルの並べ替え)で、古語で「鉄の杖」という意味になるそうです。「鉄の杖」といえな、イエスが「彼は鉄の杖を持って云々と預言したものがあります。

 またそれを思わせるかの様な事を王仁三郎氏も「天に王星の顕れ、地上の学者智者の驚愕する時こそ、天国の政治の地上に移され、仁神政(みろく)の世に近づいた時なので、これがいわゆる三千世界の立替え立直しの開始である」という様に語っているのです。

 しかし、ノストラダムスの詩にはおかしな点があります。それは神諭や霊訓とともに、人間の心如何によっ
て、その時は早くなったり遅くなったりするのだ。という事で、旧約聖書にさえ「その時は」何時来るのか、天の父より他は誰も知らないと書かれてあります。

 従って1999年7月云々という様な記述は、ちょっと考えにくいのですが、異様な輝きをする星を頼りに、学者がキリストを見出した様に、天津日嗣の本来の実子が誕生する、という事かも知れません。

 もしもそうならば、その実子が成人し何時に何を成すかによって、また時期もブレが生じるため、つじつまも合ってきますが、その為には丁度我々とは、神世開基(ヨハネ)として、その地盤固めをしておく程度はして置かないと成らないという事になります。

 また「金星の法と太陽の法が戦って、もし太陽の法が勝てば、地上は救われる」といった意味の詩も、同様の事を述べている気がします。いずれにしろ、むしろ喜ぶべき事(神法を理解するなら)で、別段世界が滅亡するとかいう事ではないのです。もちろん、彼はキリスト教徒だったので、単に自分の詩の中にそれらを織り込んだだけかも知れません。

*画家の感性*

 これは岡本天明氏に関わる問題なのですが、彼は元来が画家であったというのは紹介してありますが、シルバーバーチの霊訓の中に、画家の感性について、以下の様な記述があります。

モリス夫人入神公演

 …しかし高級な教訓を取り次ぐ時は、波長が違う。それは別の意識が使用されるからだ。この場合、私は絵や幻や符号や直感で印象を受信せねばならない。それは丁度、霊媒が私達からの通信を印象させられる方法と同じだ。この時は、私は皆さんがシルバーバーチとして知っている波長より、更に高級な波長を発揮せねばならない。


***********

 画家が霊感を受けると、平常とは違った波長と感応している。この状態の時、彼は一つの力の虜となっており、これあればこそ画布に映像を写し取る事が出来るのである。

 日月神示は、元来が記号やら数字が使われていて、それを読める普通の文章にしたのが「ひふみ神示」であると前述しましたが、中には絵の場合もあるのです。今までの引用した中でも霊訓風の、言い回しが現代口調のものなどが、それにあたります。

 果たして、彼が受信した波長とは、上記シルバーバーチが受けたのと同様の、高級な波長であったのでしょうか。

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第六章 共通点 4 預言-その2 八方世界から十方世界へ(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:02:51:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 半霊半物の世/恐怖の大王論/画家の感性(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:56:22)

*預言-その2*


*八方世界から十方世界へ*

九陽紋右図は、秀真伝に描かれている『ふとまにの図』の『とほかみえひため』を抜いた略図、それに九陽紋(及び大本の極初期の神旗)を現わしたものです。

 この図でも明らかなように、中央に○、更にその周囲にも○が八つ並び、全部で九陽の紋という訳ですが、八という数字は他にも『八坂瓊曲玉(やさかにのまかりたま)』『八咫鏡(やたのかがみ)』という神宝の伝承等、幾つか見受けられます。

 また素盞嗚尊を奉る神社等でも、八という数の付いたものが、幾つか有ります。つまり上古代の人々は、何かしらの意味を付けて、八という数を大事にしていた様ですが、秀真伝の『ミカサフミ』の「高天成綾(たかまなるあや)」中には、以下のような一節があります。


元元明けの 元明けの神(天地開闢以来の神々)から

天恵み、届く柱は となってこの地に天の恵みが届きます。

透き通る、中の管より の柱は透き通っていて、中の管を通る

運ぶ息、車の軸(うでな 運ぶ息吹は、車軸のように

九の輪の、響きて巡る つの輪となり、天地に響き巡るのです。

************

 太古の人々は、神々の恵み・息吹が九つの輪となると、考えていたようですが、九鬼家の家紋とシュメールの神を現わす文字「ディンギル」とも合わせて考えても、良いのではないかと思います。

 大本では、極初期の段階では九陽紋を神紋としていた様です。これは九鬼家との関係から、単に模倣しただけとも考えられますが、大本神諭中に以下の一節が見られます。

************

●上田喜三郎殿、大望な御世話がよう出来たぞよ。御礼には御都合の事じゃぞよ。九陽の紋を一つ増やしたのは、神界に都合のある事じゃぞよ。今は言はれぬ。・・・

-『大本神諭』/出口直子伝達(明治三二年旧六月三日)より-

***********

 大本は、旧綾部藩主九鬼家の家紋と同様の、九陽紋を神紋にしていましたが、王仁三郎氏が来てからほどなく、1899年(明治三二年七月)に十陽の紋に変更された様です。

 また、八以前の数と、九〜十に至る数の関係では、神紋の変更と同様の意味が在るのか定かではありませんが、伊都能売神諭に以下の一節が存在します。

************


●世の元の大御宝を占め固める折りに、差添(さしそえ)に成って活動なされた神は、真道知彦命、青森知木彦命、天地要彦命の三男神と、常世姫之命、黄金龍姫之命、合蛇琉姫之命、要耶麻姫之命、言解姫之命の五女神、合わして三男五女八柱の神を育て上げて、差添の御用を命せなさったのが若日女岐美(わかひめぎみ)尊であるから、是が九重(ここのえ)の花と申すのであるぞよ。

若日女岐美尊の後見を為された至善の神様が天照日子(あまてるひこ)尊であるぞよ。天照彦命は海潮(注:王仁三郎氏の事)の肉体に宿りて、五六七(ミロク)の御用を致して居るなれど、誰も未だ分かりては居らぬぞよ。この神が表われたら、二度目の世の立て直し、九重の花が十陽に咲くので、三千世界の統一が成就するのであるぞよ。

-『伊都能売神諭』/王仁三郎伝達より-


**********

 九重の花とは、既に大本神諭でも幾度か見受けられるので、意味は不明なものの、九重から十重に至るのであろうと言う事は、判ります。真道知彦命から言解姫之命までの三男五女神と、若日女岐美尊の合わせて九柱の神から、更に天照日子尊を合わせて十柱という事になります。王仁三郎氏が大本に入道して程なくという点が、象徴的な気がします。

*日月神示の0九十(マコト)*

 日月神示にも、今迄の世が一二三四五六七八の世であって、〇一二三四五六七八九十の世に成るのであると、書かれています。これは大本の九重→十重の内容と、同じ事を意味しているのではないかという気がします。

●七重の花が八重に、八重が九重、十重にひらくのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今迄の教えはつぶれると申してあろうがな。

●何も判らん枝葉の神に使はれていると気の毒出来るぞ、早ようその神と共に此処へ参りて、マコトの言を聞いてマコトに早よう立ち返りて下されよ。〇九十とは、〇一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。

●フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では〇一二三四五六七八九十と示し、その裏に十九八七六五四三二一〇があるぞ、〇九十のマコトであるぞ、合わせて二十二(二ふ、十と、0ま、二に?)、富士であるぞ。神示の始めに示してあろう、二二(富士)は晴れたり日本晴れだぞ。

-いずれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

************

 又一方では、八方世界から十方の世界へと移るという事が幾つか描かれています。これらは大本時代に、王仁三郎氏が入道してから九重→十重に至った(十陽紋)神紋とも、関係があると個人的には思います。

************

●四と八によってなされたのであるから、森羅万象の悉くがその気を受けてゐるのであるぞ。原子の世界もそう(注:参照)であろうが、これが今の行き詰まりの原因であるぞ。八では足らん、十でなくてはならん、○でなくてはならんぞ。岩戸開きの原因はこれで判ったであろうがな。

●太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ、物質が変るのであるぞ、人民の智や学では判らん事であるから早よう改心第一ぞ。

-いずれも『日月神示』/岡本天明伝達より-

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第六章 共通点 4 預言-その3 日月神示の0九十(マコト)
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/387.html
投稿者 謝寅- 日時 2004 年 12 月 18 日 11:31:49:uaE4PE7T5jpaU

(回答先: 第六章 共通点 4 預言-その2 八方世界から十方世界へ(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:02:51)

*預言-その2* *八方世界から十方世界へ*での下記の秀真伝の一節の貼り付け
失敗を修正しておきます。間違えて申し訳ありません。
 
 
 
元元明けの            元元明けの神(天地開闢以来の神々)から

天恵み、届く柱は        柱となってこの地に天の恵みが届きます。

透き通る、中の管より      その柱は透き通っていて、中の管を通る

運ぶ息、車の軸(うでな)   運ぶ息吹は、車軸のように

九の輪の、響きて巡る     九つの輪となり、天地に響き巡るのです。
 
 
 
  
 
*預言-その3*

*綾之宮神示と日月神示の預言するポールシフト?*
 
 
 
 錦之宮神示群は、実際には自分は殆どは知らないので、何とも言えませんが、少々知っている部分を引用致します。
 
 
 
●本日正午ヲ世ノ終リトス、大地ハ仮死ノ状態ニナル、午后五時ヲ期シテ霊返シノ数歌言霊殿閣ニ昇殿、奏上ヲ命ゼラル、地方万物息吹シテ蘇ル・・・

●神ガ戦法開始、宇宙線ヲ切断、混乱状態、自然ニ神ノニヨリ救ハレ蘇生スル、分化ノ伏矢ニヨリ宇宙線切断、X神、言霊ニヨリ救ハレル、即チ宇宙線ヲツナギ蘇生スル、科学ガ破壊シタモノヲ言霊の神力ニヨリテ立直スノデアル

●宇宙線切断ニヨリ天体ノ均衡ヲ失シ、地軸真直グニ立直ル、之ト同時ニXニヨリ、太陽軌道面湾曲シ地球ノ公転ノ公道∞ノ道ヲ通ルコトトナリ春夏秋冬ノ別画然ト定マリテ五風十雨トナリテ大自然界モ立直リ永遠無窮ノ皇道ニ則スルコトニナル

-錦ノ宮神示『神言書』/小沢泰子伝達より-
 
 
 
どうも、地球の地軸がブレて、その際に地上生物は、一握りの者を除いて仮死状態となり(その際に縁のある人達の魂返しの言霊奏上によって、仮死状態の人々が蘇生するという)日本国は北極星の真下にくるそうです。これらは日月神示上の
 
 
 
●国地の軸動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰となりて、どうにもこうにもならんことになるぞ。その時この神示、心棒に入れてくれよ。百人に一人くらいは役に立つぞ、後はコンニャクのお化けざぞ

●人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂磨けた人間ばかり、神が拾い上げてミロクの世の人間とするのぞ

●人民一度死んで下されよ。死なねば蘇えられん時となったのぞ、今迄の衣を脱いで下されと申してあろう。地上界の総てが変るのぞ、人民のみこのままというには参らぬ、死んで生きて下されよ。

-いずれも『日月神示』/岡本天明伝達より-
  
 
 
 などど、同じ意味であると感じます。これはポールシフトによって、現在23.5度程度傾いている地球の地軸が傾き、その際に宇宙線の切断、又宇宙線が繋がれる、という経緯を経て地軸が真っ直ぐに立ち直る、という事のようです。ただ、これが本当に起きるのかどうかは分かりませんが、地球というのは以前から幾度か地軸が傾くという事があった様です。

 神言書には更に地球の自転速度も変り、一日が20時間になると書いてありますが、今現在の人間の体内時計は24.7〜8という、ほぼ25時間周期になっている点が、未だに謎とされてきました。もしかすれば、最初の岩戸開きの際に、自転速度が現在の24時間に変化したものかも知れません。一方、以下の様な事柄を述べたものが在りました。
 
 
 
…人間に関して言えば、個々の人間の個性よりも各民族全体を指導する大精神(※地球の魂であるらしい)に関わる事象においてそれが顕著に見られます。たとえば文明は東から西へと進行し、幾度か地球を巡回しています。その地球は太陽を中心として動いている。しかし太陽の子午線は赤道に沿って直線状に走っている訳ではなく、地球がどちらかに傾く度に北に振れたり南に振れたりしている。こうした地球の動きは太古における地球の動きの名残であり、同じスパイラル運動が支配している星雲から誕生したことを示しております。

 こうして現在は顕著なスパイラル運動はしていないとはいえ、地球上の文明の進路が続けて二度同じコースをたどることは決してありません。文明の波が前と同じ経線のところまで戻ってきた時には、地球自身の両極が何度か―北極が南へ、南極が北へ―傾いています。かくして太陽からの地球へのエネルギーの放射の角度が変わると、文明の進路も変化します。こうしてその文明はいうなれば地球にとっての”新たな発見”という形をとっていくわけです。

-『ベールの彼方の生活』/G.W.OWEN著・近藤千雄訳:潮文社刊より-
 
 
 
 これに又付随して、一部意味不明であった王仁三郎氏の言も少し判ったような気がしました。
 
 
 
 現代日本人ことに知識階級として自他共に認められてゐる人間は、十中の八九までも西洋心酔者で、日本は未開国だ、西洋には真の文明がある、ゆえに日本の教はすべて駄目だ、日本人は低脳だと考へてゐる。これに反して吾々大本人は、日本は真の文明国であり世界の宗主国である。世界を教導し、世界人類に真の文明を教ふべき神国だと確信している。  大地は日々に傾斜運動をすると共に、又一年に四度の中傾斜運動をなし、一年に一度大傾斜運動をなし、六十年目に大々傾斜運動をなし、三百六十年目に大々々傾斜運動をなし、三千六百年目に大々々々傾斜運動をするのである。ゆえに桑田変じて海となる位の事ではなく、海が山になったり、山が海になったりする。高山の頂きから貝の化石が出たりするのも、これらの傾斜運動によって大地は常に変動しつつあるのを示すものである。

…(中略)…

 地文学も天文学も、否それのみならず、政治学も、経済学も、教育学も等々、諸種の学説が皆ひっくりかへる時が来るのである。神諭に「何もかも新(さら)つにして仕舞うぞよ」とあるのがそれである。

-いづれも『三鏡』/出口王仁三郎著より-
 
 
 
 世界の文化は、アジアに始まって、アジアに帰ります。それはアジアの高峰、日本に戻らなければなりません。私たちは、神に感謝します。私たちに、日本と言う尊い国を作っておいてくれた事を。

-アルバート・アインシュタイン博士の来日時のメッセージより-
 
 
 
 王仁三郎氏の言う所の「日本は真の文明国」という意味が、今一つ判らなかったのですが、今年放送されたNHKスペシャルで、ミコンドリアDNAの調査では、どうも一つの民族の流れが、マヤ・アステカ等の高度の文明国を築きつつ、日本に流れているらしいというのが最近確認されて来ているとしていました。

 また言われてみるとホピの予言とか、或いはその他世界各地の伝説では、何度か地球上では破壊と再生を繰り返しているというものがあります。その破壊・再生の数は4回であったり5回であったりと様々ですが、日月神示上にも「世は六度の大変わり」といった表現が見られます。

 シュメール民族のギルガメッシュ叙事詩の洪水伝説(ノアの洪水伝説の元になったもの)等の様な、洪水伝説というのは、世界各地に残存している様です。

 共通点と言えば、中国でも同種の伝説が見られ、漢字の「船」とは「舟と八つの口」と書きますが、大抵その際に家の様な船に乗って生き延びた人数は、8人というのがあります。大本の神諭などでも、「ノアとナオの火水霊云々」という様に、大本でいう所の真理を「救いの舟(箱舟)」に模しているのですが、ナオ(直)女史自体が、五男三女の子供をもうけたというのは、前述の九曜紋との関係の線が濃いですが、何か意味があるのかも知れません。

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第六章 共通点 4 預言-その4 綾之宮神示と日月神示の預言するポールシフト?
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投稿者 謝寅. 日時 2004 年 12 月 18 日 11:38:27:vaLSO7uEJsNvE

(回答先: 第六章 共通点 4 預言-その3 日月神示の0九十(マコト) 投稿者 謝寅- 日時 2004 年 12 月 18 日 11:31:49)

*預言-その4*

*ポールシフトの可能性(古地磁気学による極移動説)*
  
 
   
 先ずは神示と霊訓に前述してある事なのですが、総べて啓示というものは「霊的に解釈しなければならない」と王仁三郎氏もシルバーバーチもインペレーターも述べているのです。そこで、出来る限り霊的な方面で考えたいとは思いますが、どうもうまい具合な説明が思いつきません。逆に、物的な証拠物の様なものの方が、多いようです。

 その一つ、磁気の消える温度(キュリー温度)以上の高温の溶岩には、磁気が無いそうです。それが冷えると磁気が発生し、溶岩の中に閉じ込められてしまい、その後に仮に地球の地磁気が変っても、溶岩中の磁気は反応せずに、何時までも当時の痕跡を残しているのだそうです。

 それで分かった事は、今迄に幾度か地磁気の変化が有り、幾度か北(S)極と南(N)極が入れ替わっているそうです。

 ところが、この地磁気の移動(ポールシフト)の時期に、オーロラピテクス、ホモ・エレクトス、ホモ・サピエンス等の発生の時期が重なっている様です。つまり、地軸のブレの衝撃で、幾度か人類は突然変異を来している
のかも知れません。

 というのは、宇宙には沢山の宇宙線によって大気から弾かれた電子等が、地球の磁場によって捕らえられ、その帯がバン・アレンタイ帯となって宇宙線の地球への進入を守っている訳です。

 極が変るという事は、つまり地磁気が一瞬消えるという事なので、その際にバン・アレン帯も消滅し、何かしらの宇宙線が降り注ぐという事は考えられます。

 現在でも、NASAは宇宙飛行士の着る宇宙服の殺菌には、特に注意していて、宇宙から帰還した際に完全殺菌を施すそうです。それはつまり、地球から持っていった細菌が、宇宙空間で突然変異を起こし、又持ち帰ってしまう等の危惧がある為です。

 こうしてみると、SFスペクタル風で、信じ難い事ですが、ダーウィンの進化論では、人類の進化は早すぎて説明できないのであり、何かしらの突然変異があったという様な事でもなければ、少しつじつまが合わない様です。
 
 
 
*ポールシフトの可能性(地質の観察結果と彗星説)*
 
 
  
 北シベリアのツンドラの下(3〜4メートル程)には、およそ15頭ほどのマンモスの死体が発見されたのですが、その内の数頭の胃袋からは、まだ消化しきれない青草が沢山見付かったのです。

 これはこの発見されたマンモスが生きていた時代(約100万年前)、この付近一帯は青草が多く茂っていた事になります。それが現在の北シベリアの様な気候になるのは、地球の起動がズレたか、回転する軸が変わったと考えられる訳です。それも、青草が消化しきれないという程、かなり瞬時の出来事だったという事になります。

 イラクのユーフラテス川の付近に、英国の考古学者ウーリー卿一行が調査を行った所、6〜7000年前辺りの古代都市の跡が出土したという事があります。ところが、元来その一帯には文明の跡らしきものは、全く見受けられなかった処であり、何らかの高い文明が何らかの事情で居なくなり、再び長期間不毛の地の中から、少し筒現代に繋がる新しい文明が築かれてきたという事になります。

 これはもちろん、単なる民族の移動とも考えられまが、少なくとも何かしらの自体が起こったのだろうと考えられます。

 電子工学者、高橋実氏の説(灼熱の氷惑星)では、コンピューターによる軌道計算と、古代文献などの伝説から、通常の彗星よりも大きな惑星「惑星Mという仮称」が、約3000年ごとに地球に近づき、すれすれに通過していく為、その度ごとに大異変が起こっている。(ノアの洪水伝説なども、これに基づく)というものがあります。

 また、フランスのモーリス・シャトランという人物は「惑星マルデュック(むろん仮称)」という惑星が、3600年ごとに近づくというほぼ、上記の高橋氏と同じ考えに基づく説があります。奇しくも王仁三郎氏の「三千六百年目に大々々々傾斜運動」と同じ数値です。
 
 
 
*聖書の言葉*
 
 
 
 いきなり一転して、聖書にみられる記述ですが、もちろん長い年月を経て内容的にも余り根拠が無いものかも知れませんが、ルカ伝マタイ伝ヨハネの黙示録などに、以下の事柄が載っています。
 
 
 
 その前には地震が増える。あちこちで飢饉も増える。戦争と戦争の情報を人々は聞く。不法がはびこって人々のは冷える。荒らす者が憎むべき者の翼に乗ってくる。ほか色々恐ろしい前兆が天に現れる。

 そしてその後最後が来る。その時太陽と月は光を失い、天体は揺り動かされ、星は天から落ちる。海と大波はとどろき狂う。人々はこれから起こる事を思って気絶する。もしその期間がちぢめられなければ生き残る者は一人も居ない。それほどの、世の初めからかつてなかった程の苦難が、その時世界を襲うことになる。  子羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起こって、太陽は毛織りのように黒くなり、月は全面、血のようになり、天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落とされる様に、地に落ちた。天には巻き物が巻かれるように消えていき、総べての山と島とはその場所から移されてしまった。
 
 
 
 これらの事柄は、一見して瞬時に大地全体が非常な速度で移動した様にも受け取れます。もちろん霊的に解釈すべきと思いますが、どういう様に解釈すべきかは判りません。が、次に述べる様にこれはある意味で一貫された計画的ものである事が、大よそ伺えてきます。

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第六章 共通点 4 預言-その5 雛形経綸からみた今後の動き(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18]
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/348.html
投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:06:31:Bat5keDwZxjsQ

(回答先: 第六章 共通点 4 預言-その2 八方世界から十方世界へ(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:02:51)

*預言-その5*


*一貫性を持った流れ*

 これまで何度も、大本の神諭などの中に不可解な部分が見られましたが、そうしたものの一つに「今まではわざとに闇雲の世にしていたのであるぞよ」という点と「こうなることは世の元からわかっていての今度の立替え立直しである」等の内容です。

 これはかなり矛盾に満ちていて、例えばもしもこうなる事が見え透いて居たなら、何でどうもしないでいるのか?という点と、それにもましてワザとこうしておいた、という所などが理解不能だからです。

 ただし、全体を通して霊肉一致、苦と楽、善と悪、総べて不即不離の関係にあるという点などから見て、或いは以下の霊訓に見られる事柄などから推察して、こうではなかろうか?という予想的なことはできました。

************

 下降につぐ下降、魂は次第に鈍重な衣を身に纏いつつ、とうとう最後に見たことも聞いたことも無いような重い衣を身に付けてしまいました―それは肉体、そして彼を取り巻く物的環境、こうして彼は地面に頭を低く垂れてしまったのです。地球の実質そのものも、波長を下げながら凝固し続け、今や人間の魂や霊と共に、地球そのものも下降の輪の底に到達してしまったのです。

…(中略)…

 しかし、現在の人間は、自己の弱さを克服し、物質を克服し、最後に総べてのものを克服する事を運命として担っています。これが地上に生を受けたことの意味です。

…(中略)…

 世界の現状は、再び人間の内にひそむ内的善に向かい、挑戦する状況に入っています。この内的善の刺激で、人間は顔を天の方へ向けるのです。宇宙の一切の秘密はなお人間の内部に隠されたまま、彼がその扉を開く日を待っています。  当然の事ながら、人間の魂が神の息吹から生まれ、しかも暗黒の地上へ下降していくには、そこに神の大きな目的があったのです。神の子、人間、その霊性進化の為にしつらえた神の計画、ついにそれを垣間見る日も来よう。

…(中略)…

 人間の魂に向けられる神の深さは、地上の想像を超えていて、とてもここで述べられるものではありません。逆説的に申せば、神はその故に、小さな一片の火花である人間を長い旅に出された、と申すべきか。もし魂が鈍重な物質の中に下降しないとしたらどうでしょう。魂は自己を知ることも無く、内在の力に気づくこともなく、ついには自己神性を悟る時もないでしょう。ここに地上出生の意味を汲み取って頂きたい。

 ちょうど一粒の種子が地中に撒かれ、雨と熱で発芽するように、魂も暗い土の中で目を開くのです。その受ける苦しみ、圧迫と悪、これらに攻しながら、魂は無自覚から自覚へと進んでいきます。こうして幾多の辛酸を経て、人は物質の主となり、自己の主となり、ついには神を知るものとなるのです。

-いずれも『ホワイト・イーグルの霊訓』グレース・クック伝達/桑原啓善訳:潮文社刊より-

 右を得んとすれば左を失うというが如き、幼稚な対立関係を捨てねばならぬ。徹底せる右は左に通じ、左は右に通ず、真理には右も左も無い。左右全(まつ)たき一つの働きである。

 戦争か、平和かではなく、一つの真実の動きを発見しなければならぬ。真実の文化、地上大平和の磐石は、大調和の上に建つ。大きな生命世界は、たえず進展し、生命し、循環してやまぬ。より高度な、より中心から外部に向かい、底部に向かって進む動きも真実であるが、逆に、外部から中心に、底部から高度に向かっての動きも、また真実である。

 この動きは、二つにして一つである。霊界と現実界との問題に触れるとき、一方の動きを忘れ勝ちである。殊に多くの信仰人(宗教家)の致命的欠陥がここにある。人間はたえず霊界から動かされているが、それと同時に、人間の動きが、霊界に大きな反影をなげかけている事を忘れてはならぬ。吾々自身が、自覚するとせざるとに拘わらず、吾々が霊界に大きな動きを為しつつある事は事実である。

-(天明氏公演)『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』/岡本三典著:徳間書店刊より-

※シルバーバーチの霊訓等に、一人一人の小さな行為が、大きな働きとなっているという個所が幾つか見うけられます。

**********

 雛型経綸の理論にあるように、どうも人類というのは、外周・内周と上昇・下降とを繰り返しながら、丁度DNAの螺旋構造の様に、スパイラルな進化をしているそうです。

 また、今まで述べたように、人間の健康にストレスは大敵です。リラックスを「善」とするならストレスは「悪」です。しかし、強制収容所に入れられたユダヤ人の中で、最後まで希望を捨てずに耐えた人達と、途中で自暴自棄になり自殺を選んだ人達との比較を行った所、要するにストレスに強いか弱いかの差があった様です。

 ストレスは確かに悪ですが、全く無いとむしろ未知のストレスには耐えきる事が出来無いようです。また抗菌グッズ流行りの世の中で、こうした抗菌に慣れた体よりも、むしろある程度ばい菌と付き合いのある方が、体の抗力は高いようです。そうした面から見ても、やはり悪といっても御用の悪、無くてはならないという事だと思います。

 そうしてみると、物質化に向けて物的面の開かれた世界に入ったというのは、ある意味でやはり必要上の事だった気がします。そうすると今度は上昇する番、精神的・霊的な面に向けて開かれていく自体が起きてくる、という事が考えられます。例えばこれは大本の雛型を見れば、おのずと大よその予想が出来そうです。

1戦後日本は思想的に一大転換し、侵略主義から平和主義へと変わっていった。又政治的・教育的に多いに西洋の模倣を開始した。

2戦後急速に西側の文明が伝わり、すっかりと伝播した。

3戦後天皇陛下が人間宣言をした。

 こういった事柄からみて、180%大きな思想転換、東側の文明と政治・教育といったものが、再度西側に伝播する時と言うのが来るのかも知れません。また太平洋戦争の際に拘束された王仁三郎氏の言葉として「東条初め、村長に至るまで戦争の協力者である。ルーズベルトもスターリンも・・・全然関係ないのは大本だけ」「これでわしらは、戦争に協力しようにも出来ん所に入れられた、これは後で重要な意味を持つんや」 というものがあります。

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大本の謎「一厘の秘密」ユダヤ密教カバラ解/キリストは大本の建て直しを預言していた
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/485.html
投稿者 ポーラースター 日時 2004 年 12 月 23 日 20:53:37:soB0urzU/M6hg

概要;大本教によると「一厘の仕組み」「一厘の秘密」という2種類の奥儀が預言さ
れているが、それらの発動により世界に大変化が生じるといわれる。
 大本預言の日之出神でユダヤ契約の預言者エリアを主張する生崎晶子によると、
「富士と鳴門の仕組み」=「一厘の仕組み」はユダヤ密教カバラ「生命の木」に基づ
く知識である。(これは以前触れた。)では、「一厘の秘密」は何なのか、というと、「天津金木占法の初歩」(生崎晶子著、斎会)によれば、「生命の木」の「3本の柱」
を指すということだ。
「生命の木」基礎知識ページ
http://www.d3.dion.ne.jp/~fujimido/qabalah


1「一厘の秘密」は「生命の木」の「3本の柱」
 「霊界物語」(出口王仁三郎著、八幡書店)のなかの「一厘の秘密」の記述。
「三個の神宝(真澄の珠、潮満の珠、潮干の珠)はいづれも世界の終末に際し、世界
改造のため、大神のご使用になる珍の御宝である。しかしこれを使用さるる御神業が、
すなわち一厘の秘密である。」

 「生命の木」の3本の柱について「中央の柱」は中性・均衡、「積極の柱」は男性
原理・慈悲・創造、「消極の柱」は女性原理・峻厳・破壊などを意味するという。
「積極の柱」と「消極の柱」は対極要素である。
 生崎によると、「中央の柱」、「積極の柱」、「消極の柱」の順に深層の無意識的
な潮流が交代する。その巨大な潮流は深層部から浅い個人的無意識にも影響を与え、
結果として社会にも具体的な変化が生じるということだ。
 さらに、「中央の柱」=真澄の珠、「積極の柱」=潮満の珠、「消極の柱」=潮干
珠とし、それぞれ順に天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の造化三神が対応す
ると説明し、既に高御産巣日神が支配する男性原理的な「積極の柱」の時代は終り、
神産巣日神が支配する女性原理的な「消極の柱」の時代が到来すると主張する。

 大本教によると、世界のお建て直しをして「みろくの世」を出現させるためには、
四魂の神がすべて揃わなければならない。日之出神は四魂のうち、最後に出現し救世
主神的な働きをすると一般に信じられている。

四魂の神とは、
1国常立尊(出口ナオにかかる)
2豊雲野尊(出口王仁三郎にかかる)
3金勝要神(出口澄にかかる)
4日之出神(?)

である。日之出神という名称は役職名らしく、具体的にどの神なのかは明らかにされ
ていない。謎の神だ。生崎によると、日之出神はヤハウェと神産巣日神である。
 ヤハウェはよく知られているが、神産巣日神とはどのような神か?

「天地初めて発けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、
次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神と成りまして身を隠したまひき。」

「古事記」の冒頭部分であるが、神産巣日神は出雲系の生成を司る神である。(出雲
系は高天原系に対する)さらに先を読むと、

「次に国稚く浮ける脂の如くして、海月なす漂へる時、葦牙の如く萌え騰る物により
て成りし神の名は、ウマシアシカビヒコヂノ神、次に天之常立神。この二柱もみな独
神と成りまして、身を隠したまひき。上の件の五柱の神は別天つ神。次に成りし神の
名は国之常立神、次に豊雲野神。・・」

と、四魂の神の国之常立神と豊雲野神の神名も見られる。


2「一厘の秘密」とユダヤ・キリスト教の関わり
 造化三神を「3本の柱」に対応させたことは、古神道的な要素を踏まえた新解釈と
言える。また、生崎はユダヤ・キリスト教の視点からも「3本の柱」に関する独自の
解釈を行っている。
 モーセ、キリスト、エリアのユダヤ系の3預言者は特殊な使命を帯びており、地上
に3本の柱を打ち建てるのだそうだ。

「中央の柱」の主・・・モーセ
「慈悲の柱」の主・・・イエス・キリスト
「峻厳の柱」の主・・・エリア(生崎晶子=エリア)
 
 イエス・キリストがユダヤ教から逸脱して独自に隣人の教えを説いたのは、キリ
ストが「積極の柱」=「慈悲の柱」の主だからである。ところが、いまキリストの柱
である「積極の柱」の時代は終わりに差し掛かっている。新しい「消極の柱」の時代
は地母的・女性原理的な性質が反映されるが、それは男性原理の天父的な「積極の柱」
とは対照的なものとなる。・・というのが、生崎の主張であり、彼女のいう「一厘の
秘密」のひとつの側面だ。
 キリスト教が神と悪魔を二分して考えるのに対し、生崎は人間ひとりひとりの内に
光と闇が両方存在し、善人は闇がないのではなく自己の闇を統御・統制している、と
いう性善説プラス性悪説?のような哲学を展開する。

 モーセとエリアは「新約聖書」「イエズスの変容」でともに出現する。


「六日目に、イエズスはペトロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山にお
登りになった。そのとき、彼らの見ている前で、イエズスの姿が変わった。顔は太陽
のように輝き、衣は光のように白く光った。すると、モーセとエリヤが現われて、イ
エズスと語り合っていた。」(マタイ17)

 キリスト教の通常の解釈では、モーセとエリアはそれぞれ「旧約」の律法と預言を
代表し、キリストがメシアであることを証明するために現れたとする。ところが、生
崎は上述のような、3預言者は3本の柱の主とするカバラ的な、違った考えを打ち出
している。
 キリストは2人の預言者に出会って山を下るとき、

「エリヤが来て、すべてを立て直す」(マタイ17−11)

と言っている。(他の弟子は少し違うことを言っているが)
 生崎によると、これは大本教のお建て直しのことらしい。確かに、生崎が大本預言
の日之出神でエリアならば、「日之出神が来て、すべてを立て直す」と言っているの
と同じだ。(これがキリストの預言だとすれば、生崎に関する預言は「旧約」「日月」
「霊界物語」に次いで4つ目。)

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桃の節句と婚礼のはなし:平明で緻密でロマンティックな秘教の公開
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/295.html
投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 4 月 24 日 22:24:47:xnvpUXgHxuDw6

桃の節句と婚礼のはなし:平明で深遠な秘教の公開


万葉集はご存じの方が多いと思うので、
しばらくは「ホツマツタヱ」をご一緒に読んでみましょう。

私が読んだのが昭和63年。
怪しい本をたくさん出している八幡書店から初版を買いました。

もちろん際物だと思っていたのですが、
読み進むうちに引き込まれてしまいました。

今読むとますます引き込まれます。

それでははじまり。
今回は桃の節句と婚礼の話だよ。


(天七代(アメナナヨ)、床御酒(トコミキ)の紋(アヤ))

婚礼の起源を語る場面です。


(かな)               (当て字)
マサカキノ ウヱツギヰモニ    真榊の   植ゑ継ぎ五百に

ミツルコロ ヨツギノヲカミ    満つる頃  世継ぎの男神

ウビチニノ スビチオイルル    ウビチニの  スビチお納るる

サイアイノ ソノモトヲリハ    幸(サイアイ)の   そのモトヲリは

コシクニノ ヒナルノタケノ    コシ国の  日成るの岳の

カンミヤニ キノミオモチテ    神宮に   木の実お持ちて

アレマセバ ニワニウヱオク    生れませば 庭に植ゑおく

ミトセノチ ヤヨヰノミカニ    三年のち  弥生の三日に

ハナモミモ モモナルユエニ    花も実も  百なる故に

モモノハナ フタカミノナモ    桃の花 両神の名も

モモヒナギ モモヒナミナリ    桃雛木    桃雛実なり

ヒナハマダ ヒトナルマエヨ    雛はまだ  人なる前よ

キミハソノ キノミニヨリテ    君はその      木の実によりて

ヲカミハキ メカミハミトゾ    男神はキ      女神はミとぞ

ナツキマス ヒトナルノチニ    名つきます     成人なる後に

ヤヨイミカ ミキツクリソメ    弥生三日      御酒造り初め

タテマツル モモトニクメル    奉る        桃下に酌める

ミキニツキ ウツリススムル    御酒に月 映り勧むる

メカミマズ ノミテススムル    女神まず      飲みて勧むる

ノチヲカミ ノミテマチワル    後男神       飲みて交わる

トコミキノ ミアツケレバヤ    床御酒の      身暑ければや

アスミアサ サムカワアビル    翌三朝       寒河浴びる

ソデヒチテ ウスノニココロ    袖濡ちて     多小の和心

マタキトテ ナモウビチニト    マタキとて     名もウビチニと

スビチカミ コレモウビニル    スビチ神      これも初生似る

フルコトヤ オオキスクナキ    故事や   多き少なき

ウスノナモ コノヒナガタノ    ウスの名も     この雛形の

ヲハカムリ ウホソデハカマ    男は冠  大袖・袴

メハコソテ ウハカツキナリ    女は小袖      上被衣なり

コノトキニ ミナツマイレテ    この時に      皆妻入れて

ヤソツツキ モロタミモミナ    八十続き   諸民も皆

ツマサタム アマナリミチノ    妻定む)


(丁度、天の真榊木(まさかき)を植え継いで、五百本目になる頃のことです。
四代目を嗣いだ男神の名前をウビチニと言い、
この神はスビチニと言う女神と初めてご夫婦になられて最の妻としました。

この両神(ふたかみ)の美しい物語が雛祭の由来となり、
男女の結婚制度の始まりともなりました。」

君はここまで一気にお話になると、一息つかれて、
間もなく迎えるタクハタチチ姫との生活(くらし)に思いをいたし、大層和まれたご様子でした。

「むかし昔、コシの国(越前)のヒナルノ岳(現・日野山、越前富士)の神の宮(日野神社、福井県武生市)で、
木の実をお持ちになってお生まれになった男女の御子がありました。

その種を庭に植えておいたところ、
三年目の三月(やよい)の三日
に、百(たくさん)の美しい花が咲いて
初夏になると香りの良い実が百(たくさん)なりました。

花も果も百(モモ)に付いたので、
この花をモモの花と名付け、実をモモの果と呼び、モモの木といいました。

この若い両神(ふたかみ)の名前もモモの木と実にたとえて、
男神の名をモモヒナギと名付け、女神の名はモモヒナミと名付けました。

因にヒナ祭のヒナの意味は一(ヒ)から七(ナ)までで、
まだ人(成人、一から十、ヒからト)になる前の若者のことです。

君と呼ぶのは、桃の木(キ)と実(ミ)のことで、
この時から男神の名前には木(キ)、女神には実(ミ)と付けるのが習わしになりました。(例:イサナギ、イサナミ)

モモヒナギとモモヒナミが人(ヒト)として立派に成人されたある年の弥生三日のことでした。

この時初めて御神酒(おみき)を造り両神に奉りました。

このお酒を造った神はイノクチという所のスクナミ神で、
庭の竹株に雀がたくさん集まって籾(もみ)を入れるのを見ているうちに、
ふと閃いて、籾を醸してにごり酒を造り、
桃雛木(モモヒナギ)と桃雛果(モモヒナミ)神に、竹筒に入れて献上したところ、
モモヒナギの神は大層このお酒をお誉めになり、
スクナミ神にササナミという神名を新たにくだされました。

このササナミ神は後にササケ山に祭られて、サケの語源となりました。

この両神に捧げたお酒を、桃の木(キ)と実(ミ)にちなんでお神酒(ミキ)と名付けました。

時は春、満開の桃の花の下で盃に酒を酌み、先ず男神が女神にすすめて女神が先に、
逆さに写った月影をそおっと飲み、後に男神が飲んで
お二人は床に入られ交わりました。

これを、トコミキ(床神酒)と言います。

お二人のの交わりは大層熱く、
室に閉じ籠ったまま三日目の朝ようやく姿を現わしました。

たぎりつきせぬ情熱を冷まそうと清流で寒川(さむかわ・氷川)を浴びた時、
二人の情熱は完全に燃えて昇華していきました。

その折に、袖を大(ウ)そう濡らしてしまわれたのが男神、少(ス)々濡らされたのが女神。
それ以来、男神の名をウビチニ(大きくちびる)、女神をスビチニ(少しちびる)と名付けました。

(ちびるは濡れるということ)

このウビチニとスビチニ神のの炎は高く天に昇って、
これも古い伝えにある天地創造の頃のウビが煮えたぎる様を彷彿させるものでした。

この様に多い(ウ)少ない(ス)を表わすウ・スのお名前の両神の美しいお姿は、
男神は冠(かむり)をかぶり大袖を召し、袴をはいていました。

女神は小袖に上被衣(うわかつぎ)を召して、
二人立ち並ぶお姿(立ち雛)は雛形(ひながた)として、永く今日まで伝えられています。

この時、両神にならって八十人の有力な神様達も皆妻を娶り、結婚式を祝うようになりました。

この後、諸民も皆妻を定めて夫婦となり、この時結婚の風習が天下の法(のり)と定まりました。

三年後の弥生の三日を記念して、ここに三三九度のしきたりがうまれました。

この日の宵に花の下でお神酒を酌み交わした盃に、月が逆さに写り映えるのを楽しんで飲みほしたところから
盃(さかずき・逆月)の言葉もうまれました。

人々はこのサカズキを生んだ両神をヒナガ岳の神として末永く称えました。」


お読みの通り、婚礼、雛祭りの起源を述べています。

とても分かりやすく、現実的ですね。
しかも、おそろしく深い意味を述べているような気がしてなりません。

ロマンティックで、情に溢れている。
こういう結婚をしたいものですね。
(アルファンドさん。 読んでる? 結婚しましたか?)

しかし、それと同時に、まるで半導体部品のような精密さを感じませんか?

形式が厳密であることが大きい。
それと共に、内容もきわめて厳密です。

このごくごく短い文章に、

桃、雛(ひな)、君(きみ)、神酒(みき)、3月3日の節句
雛祭り、甘酒、笹、床神酒、さかづき、酒といった言葉と、
それに関連する習俗がすべて書き込まれています。

この厳密な記述は只事ではありません。
しかも、主要な言葉が互いに密接に関連していま様子がよく分かるでしょう。

この短い文章に、
「やまとことば」
の神髄があるような気がしてならない。

そして、これらの習俗は、すべて非常にありふれたものです。

このようなごくありふれた庶民的な習俗に、
このような深遠ないわれがあり、
しかも神話的ではなく、ただの普通の人間の話,
ただし霊性きヒトの話として読める。

ことばと習俗と昔の出来事とが、
これほど不可分に絡み合っている。
このような文章を他の聖典や古典で見たことがありません。

これは何なのでしょう?

(来週後半までレスできないかもしれませんが悪しからず)


次は、イザナギとイザナミの婚礼の様子です。
これは訳文がいま見つかりませんが、だいたい分かると思います。

ケタツボノ ツサノツクバノ    ケタツボの  西南のツクバの

イサミヤニ ウナヅキアミテ    イサ宮に      頷き相見て

イサナキト イサナミトナル    イサナキと  イサナミと成る

フタカミノ マヂワルトキニ    二神の       交わる時に

トコミキヤ トコハトホコニ    床御酒や      トコはトホコに

コオモトム ササケハトヨケ    子お求む 笹気はトコヨ

イノクチノ スクナミカミノ    イノクチの     スクナ御神の

タケカフニ ススメガモミオ    竹株に       雀が籾お

イルオミテ ミキツクリソメ    入るお見て     御酒造りそめ

ススメケリ モモヒナキヨリ    勧めけり      モモヒナキより

ササナミト ナオタマフヨリ    ササナミと     名お賜ふより

ナモササケ ソノカミイマス    名もササケ     その神います

ササケヤマ ココノクミトハ    ササケ山      九の酌人とは

ヤヨイミカ サカツキウメル    三月三日      サカツキ生める

カミノナモ ヒナガタケトゾ    神の名も      ヒナガタケとぞ

タタユナリケリ          讃ゆなりけり


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悲運の天才科学者は究極兵器も考察していた!ニコラ・テスラの世界システム
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/960.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 13 日 05:52:55:YTmYN2QYOSlOI

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7073/tesura1.htm

悲運の天才科学者は究極兵器も考察していた!
ニコラ・テスラの世界システム

 ニコラ・テスラは真に天才科学者だった。だが、天才はその時代には中々
 受入れられないのが常である。彼の才能は狂気と混同される事さえ少なく
 なかったのだ。

●エジソン等と比較にならない尺度の大きさ

 1943年1月7日の夜、86歳になる一人の老人が、マンハッタンのニューヨーカー・ホテルの一室でその長く波瀾にとんだ生涯を終えた。最後を看取った者は誰もいない、孤独な死であった。
 翌朝、老人の死がメイドによって発見されると、生前の知人達の手によって直ちに葬儀の準備がなされた。 葬列は寒風の吹すさぶ冬のマジソン街を葬儀場に向って黙々と進んでいった。ところがその頃、老人が息をひきとった部屋では、その静かな死とは対照的に慌ただしい事態が起っていた。葬列がホテルを出て間もなく、突如FBIの捜査官達がこの部屋に乱入したのである。彼等は部屋を厳重に捜査し、老人が保管していたと思われる1個の小さな金庫を見つけると。無理矢理こじ開けて、複雑な数式や図面が描かれた書類の一切を抜取った。そして再び影も残さずに立去ったのである。
 一方、葬儀がとり行われた教会堂でも奇妙な事が起っていた。しめやかな弔辞を述べられている最中に、突如まばゆいばかりの太陽光線が天窓を貫き、棺を光の衣で包んだのである。会葬者達は思わず息をのんだ。棺は神の祝福を受けたかの様に清らかな光を発し、教会堂は荘厳な光で満たされた。そして後日、葬儀中の教会堂内を写した写真が仕上ると、そこには信じ難い映像が移っていた。それらは何れも教会堂内部を隅々まではっきり映し出しているにも関わらず、会葬者達の姿は全て輪郭が呆けていたのである。

 この不思議な老人の名はニコラ・テスラという。
 とはいうものの、今日彼の名を知る者は少ない。電気工学の知識を持つ者であれば、交流の実用化に貢献した「テスラ・コイル」の発明者として、テスラの名に触れた事があるかもしれない。確かに手元の百科事典を引いてみると、ユーゴスラビア生れの電気技師、発明家としてのテスラについて何がしかの知識を得ることは出来る。火花放電を利用して数百kvの高電圧を発生させ、自由に送電する事を可能にしたテスラの業績は、今日の電気事業の発展の上で計り知れない貢献をなした。しかし、ニコラ・テスラという人物の全体像を知った者には、それが、彼の業績の極一部分でしかない事が分るだろう。
 テスラについての記述の中には、彼が1912年にエジソンと共にノーベル賞候補とされた事から、彼は「エジソンと肩を並べる発明家」とみなす者もあるが、とんでも無い事である。あえて彼を「発明家」とみなすとしても、エジソン等とは比較にならない桁外れの尺度を持った発明家であったのだ。
 と云うのも、彼の見果てぬ夢であった「世界システム」という構想は、地球そのものの電気振動と共振(共鳴)して、莫大なエネルギーを殆どタダで、しかも無限に得る事の出来るものであったのである。
 これは革命的な構想であった。しかし余りにも革命的であり過ぎた。高エネルギーが地球上のどこからでも無限に得られるとなれば、当然、それまでエネルギー供給を独占した企業(メジャー又はロックフェラー系列(スタンダード石油))や国家の利益と真正面から対立する事になる。これが現在、テスラの名が殆ど抹殺同然にされるに至った大きな事情である。

●”自分は自動人間(オートマン)なのだ”

 にも関わらず、テスラの「世界システム」は今日再び熱い視線を集めている。だがその視線の奥には、何やら暗い云い回しげな炎が燃えているようである。即ち兵器としての、それもレーザー光線や素粒子ビームの威力を遥かに越えた究極兵器としての「世界システム」の利用である。
 実はテスラの死後、彼の部屋からFBIが持ち去った書類は、この究極兵器(スカラー兵器、又は重力波兵器、昔の名では超能力兵器、「気」を利用した兵器)に関する物であったと云われている。彼等は、究極兵器の秘密が外部に漏れるの恐れて、テスラの死後、いち早く彼の論文類を差し押えたのである。
 勿論テスラ本人も、「世界システム」が人類にとって両刃の剣になる事を承知していた。それでも彼は「世界システム」が人類を必ず幸福にするであろう事を深く信じていたのである。では、一体それはどの様に構想されたのか。テスラの生涯を追いながら見て行く事にしよう。
 ニコラ・テスラは1856年7月9日の深夜に生れた。場所はユーゴスラビアのクロアチア共和国スミリアン村であった。父はギリシア正教の牧師で、母も代々牧師という家の出であった。
 ニコラには姉が二人、妹が一人、そして兄が一人いた。兄はデンという名で、7歳の時既に天才と呼ばれる程秀でた能力の持主であった。ニコラ自身、この兄「生物学的に説明する事が出来ない程稀にみる天才的知性」を持っていたと述べている。
 ところが、あらゆる点でニコラより抜きん出ていた兄デンは、12歳という若さで不慮の死を遂げてしまう。デンの死は幼かったニコラに強い衝撃を与え、後々までも彼の潜在意識に深い影響を及した(これで、分るように千乃先生も優しい親に育てられているのを忘れた恩なし人間になりそうである。千乃先生が何を云うとも、親を大切にする方向にスカラー波を考えなければならない!忍)。
 物心ついた時には既に彼は技師になりたいと思うようになり、身の回りに有る物で様々なユニークな発明をしていた。
 だがニコラが後年、稀有の天才発明家と呼ばれるまでに至るには、別の重大な要因があった。それは、彼を少年時代から悩ませ続けていた幻視癖(透視。霊体によって見せられている。)であった。彼は述べている。
 「少年時代、私は幻影に悩まされた。それはしばしば強烈な閃光と共に
 現れた。それが現れると、視野の中に現実の物体は失せ、思考や行動も
 妨げられるのだった。それらの幻影は、かって私が実際に見た事のある
 物や景色であり、決して私が想像したものではなかった。ある言葉が私
 に発せられると、その言葉が喚起するイメージがいきいきと私の脳裏に
 映り、時として、そのイメージが現実のものかそうでないのか、私自身
 見分ける事が出来なくなる事があった」

 だが、17歳になって、彼が発明家の道に進む事を決心すると、この幻視癖が非常に役に立つ事になった。というのも、彼は何かアイディアが閃いた時、それを具体化するのに図面もモデルも実験も無しに、目の前にありありと思い描く事が出来たからである。
 やがて彼は、自分のあらゆる思考、行動が外的な刺戟(霊体による刺戟、今現在は、機械(スカラー波)によって刺戟を与える事が出来る!忍)によって自動的に形成されている事に気付いた。自分は感覚器官の刺戟によって反応する「自動人間(オートマン)」なのだと痛感した。この自覚が後に「テロートマティックス」という自律的な運動刺戟制御技術の構想へと発展するのである。
●地震発生装置、地球二分割法・・・

 オーストリア、グラーツのポリテクニック・スクールを中退したニコラ・テスラは、1881年、ハンガリーのブタベストの国営電信局に務めるようになる。しかしここは2年足らずで止め、彼はパリのコンチネンタル・エジソン社に職を変えた。この時既に彼の脳裏には交流モーターの原理のアイデアがあった。程なくしてテスラの才能を見抜いた社長は、テスラにぜひ渡米してエジソンに会うようにと勧めた。
 エジソンとの出会いはテスラの人生における最大の事件だった。だがエジソンは、テスラの途方もない才能に気付きながらも交流の使用を認めようとはせず、ことある毎に交流の危険性を世界に呼びかけた。一方、テスラも、露骨なまでのエジソンの批判を撤回させる為に、交流の優位性、安全性を広く知らせる為のショーを催したりした。
 彼は、肉体にショックを与えるのは高電圧ではなく高電流である事を、自らの体を貫流させた電流で針金を溶かしたりランプを点灯したりして証明した。この驚くべきショーは大好評を博し(これは異常である。こういう異常な現象は、今の日本にも起りそうである。テスラーが大丈夫だったのは、霊体による守護のお陰である有る事を忘れてはならない。!)、結局、エジソン対テスラの威信をかけた対立はテスラに軍配が上がった。以後、ナイアガラ瀑布電力会社は交流の採用を決定し、交流は世界に普及していったのである。
 エジソンのもとを去ったテスラは、1887年にニューヨークに自分の研究所を設立し、心おきなく自らの研究に集中するようになった。ここで彼は後年”マッド・サイエンティスト(狂気の科学者)”と呼称されるようになる数々の発明や研究に打込んだ。
「地震発生装置」「地球2分割破壊法」の考案、「無線操縦装置」「地球全体の照明装置」等がその成果である。
 これらの研究は一見荒唐無稽のものに思われるが、テスラの知的関心は極めて一貫したものだったのである。つまり、彼の興味は常に自然界のエネルギーを最大限に引出す事にあったのである。これは、彼の少年時代の次の様な体験がきっかけとなっている。

 ある冬の日、テスラは仲間の少年達と雪に覆われた山に登った。雪は大変深く積っていた。少年達は雪玉を斜面に投げつけ、それが転げ落ちながら雪を集めて大きくなるのを見て遊んでいた。ところが突如一個の雪玉が、斜面を転がる内に見るくる大きくなり、ついには一軒の家程の大きさになってしまった。テスラを始め少年達は、信じ難い光景に茫然と立竦んでいた。テスラは考えた。

 「どうしてあんな小さな雪玉があっと云う間にこれ程巨大な雪玉に成長
 してしまうのか。自然界には何ととてつもないエネルギーがあるのだろ
 う」

 この経験はテスラに強い印象を残した。そして数十年の後に自分の研究所を持ったテスラは、漸くこの少年の日の疑問にじっくり取組み始めたのである。
 彼は、この自然界に潜む巨大なエネルギーをどうしたらそのまま取出す事が出来るだろうかと真剣に考えていた。
 そんなある日、テスラは一人山の中を宛もなく歩き回っていた。すると空が厚い雲で覆われだし、吹雪になりそうな気配が漂ってきた。彼は雨の当らない所に避難し、怪しげな空を見上げてた。しかし、空は殆ど真っ暗にも関わらず、雨は中々降出さなかった。その時突然、空に一閃の稲妻が走った。途端、堰を切ったように豪雨が降出した
●地球の引金を引く「世界システム」
 この観察から彼は重大な直観(インスピレーション)を得た。稲妻の電気的なエネルギーが豪雨を引き起す引金になったのを見た彼は、若し自然界のエネルギーの引金となる電気的効果を見出す事が出来れば、地球全体の環境を変える事さえ出来るだろうと考えたのである。そうすれば、砂漠を水で潤す事も、湖や川の造成も、驚く程簡単になる筈である。

 こうして彼が取組み始めたのが、「拡大送信機」と呼ばれる高エネルギー発生・送信装置の開発であった。拡大送信機は高周波振動の電気的共鳴を利用して、巨大な電圧を発生させる装置であり、ニューヨークの彼の研究所では400万Vの高電圧の発生に成功した。後にニューヨークの研究所が焼け、コロラドに新たな研究所を設けたテスラは、そこで更に大がかりな拡大送信機の実験に取組んだ。
 ここで彼は1200万Vに達する電圧を発生させる事に成功した。この拡大送信機が凄まじい放電の火花を飛ばす傍らで平然と読書するテスラの写真は、マッド・サイエンティスト・ファンなら一度は目にした事があるだろう。
 拡大送信機は、高周波振動の共鳴にする増幅作用を用いたものであり、それは丁度、小さな雪玉が斜面を転がる内に巨大に成長するプロセスを電気的に行ったものであった。だが、テスラの真の狙いはもっと遥かに壮大な事だった。
 彼はこう考えた。若し地球自体の定常波を見出す事が出来れば、拡大送信機の高周波と地球との間に共鳴を起す事が出来る筈だ、と。つまり彼は、地球全体を導体としてエネルギーの発生、送信を行おうとしたのである。もしそれが出来れば、莫大なエネルギーを低コストで発生させる事が出来、又自由に世界中に送る事が出来る筈である。そうなれば電信電話は勿論、あらゆる情報やエネルギーが世界中に伝達される巨大な情報ネットワークが形成されるのである。

 しかしそれは、現在実現されつつあるような光通信、付加価値通信網(VAN)といった情報ネットワークとは質的に異なる。テスラの発想はあくまで自然界(地球)自体が潜在的に以ているエネルギーを抽出しようとするものであった。それは丁度稲妻が豪雨の引金となったように、地球の引金を電気的に引こうとするものなのである。この様にして作られる地球規模の情報通信網システムを、テスラは「世界システム」と名付けた。
 テスラによれば、「世界システム」を構成する要素は、テスラの次の様な5つの発明と技術である。
@テスラ変圧器(テスラ・コイル)
A拡大送信機
Bテスラ無線システム
C個別化の技術
D地球定常波


 Cの「個性化の技術」とは、どれ程多重の複雑な信号であろうと、それぞれの信号が独立して混信する事なく送信出来る技術を意味する。
 この世界システムが具体的に実現されるとどんな事が可能になるのか。テスラは、特に生産的と思われる利用法を幾つか纏めている。それは主に現在、世界中に散らばる電信、電話局を全て相互連絡し、ニュース、文書、音楽の通信を可能にすると云う事である。だが、とりわけ注目すべきは、船が羅針盤(コンパス)無しで正確な位置と方向を知る事が出来る事や、世界中の時計が同期して動くような機械化(メカニズム)の設定等である。こうした事が可能のは、テスラの電気理論が高速の限界と無関係だからである。地球の定常波から生じるエネルギーは、距離の2乗に比例して減る事も、無くなる事もない(ここの部分は、全ておかしい。宇宙の物理の法則は、ミクロとマクロは統一的に成立っている。ミクロに成立っている法則は、マクロにも通じるのです。だから、地球の定常波だけ、物理の法則に逃れる事という事はない!忍)。
 1901年、テスラは具体的な世界システムの構想の為に、ロングアイランドのショアハムに巨大な無線送信塔の建設を始めた。これは実際に地球を導体としてエネルギーを発生させる本格的なものになる筈だった。しかし、建設資金が底をついて工事は中断され、アメリカが第一次大戦に参戦した1917年には、危険と云う事で取壊されてしまう憂き目を見た。壮大な夢の計画は一方的に潰されたのであった。
●「世界は未だ準備が整っていない」

 テスラの旺盛な探求心はこの出来事の後も全く衰える事はなかった。だが、彼の世界システムへの関心は次第にその破局的側面、つまり兵器としての利用に向けられるようになっていた。
 1934年にテスラは、何万馬力にも相当するエネルギーを髪の毛よりも細い光線として放射する事が可能な装置について述べている。その発想は、今日のレーザー光線に極めて似ている。
 実際、世界システムを用いれば、如何なる巨大なエネルギーであろうと遠隔誘導によって瞬時にして目的地に送る事が出来るのである。又彼は世界システムを利用して、遠隔制御型の兵器も構想していた。しかし、テスラは決して世界システムが軍事的に利用される事を望んでいたわけではない。彼は平和主義者だったのである。だが、平和が何もせずに得られるとは考えていなかった。彼は述べている。

 「戦争は法的に禁じたとしても、決して無くならない。強い国の警戒心
 がなくなったとしても、戦争は終らない。戦争を停止させるには、強い
 国も弱い国も自己防衛力を持たねばならない。幸い、私は防衛の為の完
 璧な手段を構想した。若しこれが採用されれば、国際関係に革命が持た
 されるだろう。それは、国が大きかろうが小さかろうが、あらゆる攻撃
 に対して難攻不落に変える事が出来る。私の発明は大がかりな装置を必
 要とするが、一度装置が出来れば、人であれ機械であれ、半径300k
 m以内に近づいたものは悉く破壊してしまう事が出来る」

 テスラのこの発言は明らかに今日の核抑止力による平和の達成を先どりしている。テスラ兵器は核兵器の様に目的地につくまでの時間もかからないし、又レーザー砲よりも遥かに大きな威力を持っている。それは将に究極の兵器なのである。

 だが、テスラの平和の願いは果して今日、生かされているだろうか。米ソ2大大国が歩み寄りを見せ、各方面における段階的な核兵器の削減が実現しようとしているが、それだけで戦争の勃発を抑える事は出来ない様に思われる。事実、過去に於いては、ソ連軍部はテスラの理論に従った兵器の開発、実験に取組んでいたという噂もあったのである。
 アメリカ空軍情報部長のジョージ・キーガンは、1977年にカナダで起った異常な嵐はソ連の素粒子ビーム兵器の実験によって引き起されたものだと報告している。又カザフ共和国のセミパラチンスクでは、素粒子ビーム兵器の大がかりな実験が行われているという情報もある。

 この様な素粒子ビーム兵器の大規模な実験の骨組は、恐らくテスラの理論と関係がある、と多くの軍事関係者が指摘している。カナダの科学者のアンドリュー・ミクロウスキーに至っては、自信を持って次の様に断言している。

 「ロシア人達がテスラのアイデアに基づいて実験を行っている事は
 極めて明白だ。この実験は世界の気候をも変えてしまう」

 テスラが世界という花壇に蒔いた様々な種は、今のところ萌芽したばかりで、どんな実をつけるか未だ見当もつかない。だが、この不世出の天才が着想した事の顛末が世界の自己崩壊を促す事であるとしたら、余りにも悲しい事である。
 テスラが現代に託したものは何も兵器だけではない。前出のアンドリュー・ミクロウスキーは「地球クリーン・活力協会」の主宰者でもあるが、彼はテスラの理論と20世紀の神秘学者ルドルフ・シュタイナーの自然農法とを2本の柱として、今後における新しいエネルギーのあり方を考察している。
 地球規模でエネルギー危機が叫ばれている今日、其処にどんな可能性が開かれているのか、我々には知る由もない。只、テスラの次の言葉に、悲運の天才学者の未来の洞察を感じ取るのみである。

 「私の計画は自然の法則(自然の法則と云うよりも、自然の法則を預って
 いる霊界の守護霊によって統制されている。今、現在は天上界は、スカラ
 ー波研究を真剣に行い、防衛の準備に整えるようにおっしゃっている!忍
 )。世界は未だ準備が整っていない。未だ早すぎるのである。だがこの法
 則も最後には浸透し、勝利をもたらすだろう」

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「唯物教徒・拝金派」というサイトの最新コラム
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/979.html
投稿者 シエスタ 日時 2004 年 3 月 19 日 01:59:55:ge861RIcLnTT.

●前庭(一般論)
general contents

■最近の話題。


★日本は、「既に」核武装している可能性がある
・・・のではないか?


日本においては、「ワッハマン」の記述のごとく、
内閣総理大臣といえども「パパ」の命令に逆らえないという事実は、
副島隆彦氏の著作「預金封鎖」が世に知られる事によって、
付属して知られるようになった。
しかし、実際の政治の流れを観ると、
私の目から観て決して国益にならない「自衛隊派遣」を現政権は強行した。
「非戦闘地域」という魔法の呪文を唱えながら、
爆風爆片吹き荒れるバグダッドに航空自衛隊を派遣するという。
サマーワの報道は嵐のようだが、本当の問題はこちらの方だ。
個人的に小沢氏が嫌いなので私は自民党に票を投じたが、
それだけに現政権の行動を私は「公約違反」だと断ずる。

問題は、このような行動の裏である。
現政権の軍事面での徹底的な弱腰は、他の分野での部分的な反撃、
たとえばBSEによる輸入制限やアザデガン油田の開発などは屈していないだけに、
「何らかの弱み」を握られているように思えてならない。
それも、相当に致命的なものではないか。
日本は、IAEAに対して「原子力の平和利用」を誓っている。
また、国連/連合国は、「敵国条項」によって日本を無条件に軍事攻撃する事ができる。
だから、日本が、核兵器を「隠し持っていた」場合、この五大核保有国は日本の敵に回る。

仮にだが、裏切り者の血を引く、日本海軍の子供である海上自衛隊が、
通常型潜水艦の魚雷発射管に核弾頭装備型の巡航ミサイルを装備していて、
当然、米軍から供与されているが、米国に無断で「盗み出した」事になっていて、
発射というか炸裂可変のコードは米軍が握っているという状態が既にあれば、
米国は日本政府が楯突こうとしたそのときに、
自分で供与しておいた核兵器を「盗み出された」と言って「敵国条項」を適用すればよい。

もちろん、この仮定では、米国は誤算を犯す可能性がある。
米国に向かないはずの巡航ミサイルの核弾頭が、
日本側に改造されて炸裂可能になっている可能性は常にある。
だが、巡航ミサイルの速度は秒速300メートル程度であり、射程も限られている。
米国側としては、日本側の「暴発」に対処するために、
日本の通常型潜水艦を簡単に捕捉し、撃沈する必要がある。
だが、日本の潜水艦は耐圧鋼板の強度が高いため、米潜より深く潜っている可能性がある。

ここで、注意すべき情報がある。
米国が、環境保護団体から「鯨を絶滅させる気か」と詰め寄られて配置を縮小した、
大型大音量海底設置型アクティブソナーは、日本近海に限って配備される事となった。
もちろん、表向きの理由は「北朝鮮などの不安定要因に対処するため」だ。
だが、このソナーの本当の目的が、日本の潜水艦の動向を捕捉し続けるためであっても、
私は驚かない。

冷戦の時代、西ドイツには核兵器が配置されていたが、
発射コードは米軍が握っていたと聞く。
そのような構造が日本になかったかどうかは、分からない。
「非核三原則」は「作らず、持たず、持ち込ませず」という原則だったはずだ。
しかし現実には、当然ながら、米艦は核兵器を持ったまま入港していた。
(日本が独自に核兵器を)作っているのかどうかも、確かに分かったものではないが、
(日本が米国に渡されて)持っていなかったのかどうか、これが最近は怪しく思える。
日本の指導部は、米国と、日本国民を騙す「共犯」関係に陥らされていたのでなかろうか。

「既に日本は核を持たされ、その事自身によって脅されていた」という仮定をおいて現在の日米関係を考えると、活路らしい活路は見いだしにくくなる。
私は、核兵器の所有を過去の問題とするだけの射程と弾速と攻撃力を持つ兵器を公然もしくは極秘裏に開発を進める他に、起死回生の手段はないと考える。
これは切実な願いである。
核兵器などという、半世紀前の骨董品に引導を渡すのだ。


update2004/03/14
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5615/maeniwa.html

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・統一協会とオーム真理教と北朝鮮の関係
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/943.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 11 日 06:29:43:YTmYN2QYOSlOI

http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/touitukyoukai1.html

◎統一協会とオーム真理教と北朝鮮の関係


 「週刊現代」平成7年5月27日号は「麻原オウム事件の『全真相』」を特集した。その中で「麻原オウムの犯罪と統一協会」は4頁、続けて栗本慎一郎氏(衆議院議員)著名入りの一文「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」にも二頁を割いている。この二本の記事は極めて興味深いのだが、この号が発売されて程なく私のもとには「売ってない。買い占められたのじゃないか」という電話が何本かかかってきた。売り切れたのか買い占められたのかはわからないが、随分早くこの号は店頭から姿を消したので、ここでは内容を紹介しておく。


●「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」
 前述の「週刊現代」に載っている栗本慎一郎氏の「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」という一文で、栗本は専攻する「経済人類学」の立場から、オウム真理教を巡る一連の疑惑を解くキーワードとなるのは「北朝鮮」(朝鮮民主主義人民共和国)と「統一協会」と断定する。

 「実は91年晩秋に、麻原と会談した事がある。話題は輪廻転生や空中浮遊の科学的根拠
 等で、当然彼の超能力の可能性は否定してやったんだが(此の否定が共産主義者の唯物論
 の考え。現実には霊体が存在しているから、霊体自身が宇宙大自然の法則(一番の奥義、
 東洋では「気」で、今現在用語では「スカラー波、重力波」)を使用して現象を起こす。
 人はそれを見て、超能力と言っている!忍)、会談に先立って、意外な事実を掴んだんで
 す。麻原の父親は朝鮮から日本へ渡ってきた人だったんです」(「週刊現代」平成7年5
 月27日号)
 
 この事が栗本氏の研究では大きな意味を持つ。

 「朝鮮半島のキリスト教史を見ると、現地に昔からあった土俗宗教に異文化であるカトリ
 ックが侵入し、土俗宗教が危機に陥った結果、両者が融合された『危機宗教』というのが
 ある事が分かる。
  この『危機宗教』の1種に、朴秦善が起こした伝道館(長老教ともいう)があった。伝
 道館では、信者は1カ所に集められ毛布や醤油を作って生計を立てているんですが、その
 収入は全て教祖に入ってしまう。この朴秦善の『集金システム』を受け継いだのが、文鮮
 明の統一教会なんです。
  そして、オウムも朴秦善・伝道館の支流だろうと思われます。というのも、伝道館では
 一カ所で生活する際、信者に財産の全てを寄進させている。血分けの儀式(悪魔の儀式!
 忍)も『危機宗教』独特のものです。つまりオウムは、このやり方を露襲しているのです。
 朴秦善・伝道館を『父』とするなら、オウム真理教と統一協会とは『兄弟』のような関係
 といえるでしょう」(同上)

 だが、まさか北朝鮮と伝道館とは関係あるまい、と思うと、栗本氏によればそうではなかった。故・金日成の父親は「伝道館の源流ともいえる教団の信者」だった。金日成の叔父は朝鮮キリスト者連盟の中央委員長で、祖父は西欧のキリスト教信者を迫害してカルト性を加えた人物。
 朝鮮半島のキリスト教は反日運動の拠点であった事は有名だが、麻原が生まれた熊本は日本での明治維新後のキリスト教発祥の地。こうも色々な事が符号すると(符合させているのが、悪魔ダビデ又はダビデの手下が、霊界で暗躍しているのです。只、日本の場合は正義の為に剣を出すという傾向がないので、善悪が付けにくくなる。だから聖霊(神)の存在を無視するようになる。又は神(キリスト教)の歴史が知らない日本人の先祖の霊(守護霊)が無知だから誤った方向に導き出す。正統なるユダヤの神が守護している千乃裕子先生の所しか、日本は救い出せない!忍)、「北朝鮮ー>統一協会ー>オウム真理教」は一本の線で繋がる。
 
 「オウムの『反日本社会的意識』はそこに根ざしていると考えられる。決して『革命』と
 か(此の意味不明?北朝鮮と繋がれば革命意識はある!忍)解脱とかカッコイイものでは
 ない。
  又北朝鮮にとってオウムは、利用するだけの価値があったのではないか。麻原は3年間
 だけ阿含宗にいましたが、宗教法人の経営を学ぶ為の入信だろうと思います。この阿含宗
 から麻原が脱会するとき、統一協会から送り込まれていた人物が麻原についていったとい
 う確かな情報もある」(同上)


●オウム真理教は統一協会の仏教部か?
 麻原が阿含宗を脱会した時、早川紀代秀他数人が一緒に阿含宗を辞めて、麻原に付いて行った。その中に「統一協会から送り込まれていた人物」がいたと、栗本は指摘する。
 平成5年の春頃、三橋はある宗教ウォッチャーと雑談して、話がオウム真理教に及んだとき、その人は、「オウムは統一協会の仏教部です」といった。その頃の三橋はオウムには全く関心がなかったが、彼が「会員や信徒が500人以上いる宗教団体には、決まって隠れ統一協会員が入っているか、入ろうとしていますよ」と言い添えた事は記憶している。
 忍者のような彼等(必ずしも統一協会員とは限らないようである)は、最初は熱心な信者であり、幹部の注目を惹く。
 やがて抜擢されて、教団の出版部とか事業部とかに入る。
 いったんそこに入ったら、教祖や幹部の思惑を越えて、いろんな事をやり出す。そしてその教団はガタガタになる(近藤さん、もしかしたら統一協会の差し金で千乃正法をかき回したのか。そうしたら重罪である!忍)。
 前に引用した統一協会員がオウムの雑誌に投稿した記事を見れば、接近の仕方が見えようというものだ。

●ロシア、北朝鮮、韓国、日本、米国を結ぶ忍者
 これまでも統一協会批判はあった。一つには、「勝共連合」に対する批判である(意味不明?反共活動は善。共産主義の悪は、反道徳主義だからです。神を否定している内容だからです。あれぐらい殺された人達を真剣に考える事が出来ないならばそれは悪魔である。日本の皇室の守護神(ミカエル大王様)は怒っている。当時千乃正法で、統一協会出身の近藤氏が一所懸命で反共活動を行ったので勝共連合を擁護したが近藤氏が裏切ったので天から見放された。それから統一協会が北朝鮮、ロシアに近付くようになった。只、文鮮明が心底では共産主義者であったならば、勝共連合は近付かない方が良かったと考えている。天は宗教団体は解散し、千乃裕子先生の下で集まり、反共十字軍を作るように実行している。何故ならば共産主義は悪魔ダビデの思想だから。それ故に勝共連合は千乃先生の所で集まるように。共産主義者(悪魔主義者)の首謀者であるロックフェラーと手を切るように!忍)。勝共連合は統一協会と表裏一体の組織で、文字通り”反共”が旗印だったから、左翼には不倶戴天の敵だった。統一協会とは、世界基督教統一神霊協会の略である。文鮮明が1954年に韓国で創立、その4年後に日本名・西川勝こと崔翔翊により日本に上陸した。日本で宗教法人認可になったのは、昭和39年。その会長の久保木修己が勝共連合のトップを兼ねた。
 以後、統一協会や勝共連合は、文化人に、政界に食い込む。代議士の秘書には多くの統一協会員を送り込み、選挙には、統一協会・勝共連合の力を借りなければ当選しないとまでいわれる程の勢力を持った(当時も今現在も反共活動は神(皇室の守護神であり、ユダヤ教の絶対神であるエル・ランティ様を引き継いだミカエル大王様が率いる天上界)の命令。なぜなら教育勅語精神を否定しているから!忍)。
 昭和61年の衆参ダブル選挙では、130人の”勝共推進議員”が当選したと「思想新聞」(同年7月20日号)が伝えている。又、その3年後に東京で開かれた勝共連合推進国会議員の集いには、自民・民社などの国会議員232名が参加している。
 1984(昭和59)年、文鮮明は米国で脱税の為有罪の判決が下り、1年余りダンベリー刑務所に収監された。その為、平成4年に来日の際は入国出来ない筈だったが、超法規的に日本に入国した。
 文鮮明を招待したのは6名の「北東アジアの平和を考える国会議員の会」名義だが、実際に動いたのは統一協会直系の「スパイ防止法制定促進国民議会」で、法務大臣に口をきいたのは、金丸信自民党副総裁だった。この時、文鮮明から金丸氏に巨額の(億単位の)カネが送られたといううわさがある(お金が動いたから悪ではなく、お金をどの様に使ったのかで神の法(教育勅語、宇宙大自然の法との調和)に基づいて判断する!忍)。
 統一協会・勝共連合は「原理研究会」なる団体を通じて学生に食い込んだ。勝共連合や原理研学生達が、選挙運動の時の手足に駆り出される。
 かっては”親泣かせ”の「原理運動」「花売り」、後には「霊感商法」(霊感商法そのものは、霊の力を利用した商売である。統一協会出身の近藤さんが千乃裕子先生の所で活動した時は、善霊の守護があったと考えられる。其の時には、救いもあったのではないでしょうか。しかし今は、背反をしているから、統一協会は、全て見捨てられているでしょう。「集団結婚」は、神を認めていない文鮮明の下での誓いだから、難しく、只結婚の内容が一夫一妻であるから、其の意味では正しいでしょう。結婚に対する神への誓いは粗遠い所にいる。結婚と云うのは、個人の責任において行うものだから「集団結婚」を行うのは異常でしょう。普通の結婚式は個別に行われている!忍)「集団結婚」で有名(?)になった統一協会、勝共連合だが、原理運動、霊感商法という面での批判者はいても、幾つもの宗教団体に隠れ協会員を送り込み(或いは統一協会の脱会者と称して)破壊工作を進める裏部隊としての統一協会の活動について追究している人がいるかどうかは知らない。


●統一協会の目的は各国の国者を骨抜きにすること
 統一協会が何の為に、とりわけ宗教団体に会員を潜らせているのか。統一協会自身が、その目的を公表するはずもない。ここに極めて興味深い文献がある。アメリカの歴史修正学者であるF・スプリングマイヤー著『蛇の如く狡猾に』(1991年)である。
 スプリングマイヤーは、色々の団体(特に最近はニューエイジ宗教)に入り込むモルモン教とよく似ている団体として統一協会を挙げ、「如何に洗脳(マインドコントロールしてカネ集めをさせるエセ宗教をつくる事が出来るかの良い例である」と見ている。
 が、次の事実は日本では知られていたかどうか。
 韓国政府はロックフェラーの銀行であるチェース・マンハッタン銀行を取引先に指定した(韓国は、北朝鮮を実質的に支援している共産主義者に魂を売った!忍)。1962年10月、米国政府は同銀行の助言に従って、韓国諜報機関であるKCIA(韓国中央情報局)の局長に金鍾泌を就任させた。1962年10月、いわばCIAの出先機関であるKCIA(韓国中央情報局)の金局長が訪米した。その際に同行したのが文鮮明だった。金と文はCIAのジョン・マッコーン並びにキャロル陸軍中将と会談するのが目的だったが、この訪米でネルソン&ディヴィッド・ロックフェラーと会った。文鮮明とネルソン・ロックフェラーは、ぜひ自分達の目で世界統一政府実現を見届けたいと、たちまち意気投合した。
 スプリングマイヤーによると、第2次世界大戦直後にロックフェラーは日本で密かにかなりの株式(又は資金)を保有していたが、その日本セクターが隠密裡に文鮮明に資金援助する事を決定したという。彼の反共十字軍は、「ロックフェラーの新世界秩序(国際共産主義恐怖国家!忍)に反対する日本の国的保守勢力を骨抜きにする」事を使命にして動き出した。これが勝共連合だった。
 スプリングマイヤーは、ロックフェラーと仕事をしている弁護士が自信をもって語った事を次の様に紹介している。

 「ディヴィッド&ネルソン・ロックフェラーは、熱狂的なグローバリストだ。文鮮明だ
 って、そうだ。統一協会の目的は、ロックフェラーが世界各国をがんじがらめにしよう
 としている国際的なタガを、基督教にはめ込んでしまおうというのだから。このゴール
 に到達する為には、チェース・マンハッタンの連中は、いわゆる共和党右翼と呼ばれる
 国者達を骨抜きにしなくちゃならんのだ。よく見てご覧なさい。文鮮明がやっている
 事は、それなんだよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 文鮮明はロックフェラーの”同士”なのである。 
 オウムとロシアとの結び付きはマスコミでも大きく取り上げられたが、ロシア、北朝鮮、韓国、日本、米国を結び事が出来るのは、統一協会である。
 (勝共連合が行っている日本共産党の悪の追及は、今でも天上界認めている。「朝日新聞」を読むならば、「世界日報」を読んだ方が正しい。「世界日報」の論説委員の中では、
日本を大切にする入江先生が存在するから。「産経新聞」(本来ならば、ここが日本の保守本流の生き方を発表しているが、実際の中身はアメリカのリベラル系列(イスラエルが神
の国だと考えている悪魔の集団)と仲が良い)と「毎日新聞」(自然界の問題追及には考える所があるから)と「世界日報」(日本共産党と其れを付随している悪の追究には正しいか
ら)を合わせて読んだ方が良いのではなかろうか。雑誌「全貌」が廃刊になった以上、日本共産党の悪を追及している「思想新聞」と「世界日報」は必読書である!忍)。
参考HP
ロックフェラーと共産主義者の関係
言論弾圧のアメリカの暗黒裁判

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逃げ水を追いかけ続ける日々 (千葉邦雄)
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/724.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 2 月 07 日 01:42:42:YTmYN2QYOSlOI

http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/20030913.html

逃げ水を追いかけ続ける日々

我われは幸せになるためには、いつも何かをしなければならないと思っている。たぶん、そんな風な教育が資本主義の基本なのだ。豊かになるためには技術を身につけなければならないし、それなりに社会人として懸命に働かなければならない。社会から認めてもらうには、やらなければならないことが山ほどある。

当然お金もそれなりに稼がなければならないし、時代の流れから落ちこぼれないために、いろんな物を次々と消費しなければならない。その上自分の属するささやかな組織の中で調和していくために必要な決まりや慣習が、それなりに掃いて捨てるほどある。そんな具合に自分の住む社会で幸福で豊かになるためには、どうしても外に向かって様々な物質的な物を求めなければならない仕組みになってしまっている。

その結果として、何らかの目標が達成できるまで、幸せは、しばらくお預けということになってしまう。いつも楽しみは現在から、目標を達成できるまでの未来に先送りされ、目の前からはかなく逃げていってしまう。

もちろん、これらの発想には罠がある。何故なら、世の中は常に儘ならないものだから、だ。それらの目標を、何らかのトラブルが起きて達成できないかもしれないし、まだ手にもしていないものを手に入れないと幸せになれないと思うことは、まず何よりも自分で幸せを創造する能力を放棄することになってしまうからだ。

幸せになりたければ、安定したければ、されたければ、成功者になりたければ、まずこれこれのことを達成し、これこれの資格を獲得しなければならない。そんなふうに我われはマインドコントロールされ、騙されてきた。

いま資本主義の権化、アメリカ主導の世界 (パックス・アメリカーナ)がほとんどパーフェクトに確立されようとしている。その上世界中の国々がアメリカのような国になろうとしている。つまり、経済主権をしっかり持った国ということである。きれい事を抜きにした世界の経済主権は原子力産業と兵器産業と麻薬産業である。地球全体をひとつのカラーに染め上げようとするグローバル思想、つまり、それが略奪と専制によって不動の国家を構築するための基本思想なのだ。

ようするに、欧米にとって兵器と麻薬はドル箱産業なのであり、国家を支えている基本構造なのである。とくに民主主義とアメリカンドリームは、あくまでショー的な見せかけで、引き剥いた話、お金を独占する者はさらに金持ちになり、底辺では 300万人ものホームレスが虫けらのように人知れず息を引き取っている。そしてその2ヵ月後には、アメリカンドリームを夢見た新たな移民300万人を、自動的に他国から仕入れる仕組みになっている。これを際限なく繰り返せば、すべてはうまくいくってわけなのだ。これが資本主義の権化、アメリカ合衆国の偽らざる姿といえる。兵器や麻薬が消費されてお金を大量に生み出されるためには、どうしても戦争を起さなければならないし、人間の一生のサイクルをかなりスピードアップして消費されなければならない。そんなわけで麻薬や戦争は「死の産業」として、資本主義社会には必要不可欠なものなのだ。

一方日本では、小泉首相の見当違いな経済政策の犠牲となって多くの中小企業が次々と倒産している。そんな状況を、待ってましたとばかりに外資系の不良債権ビジネスグループと弁護士連中等は、雨後の竹の子のように会社が潰れるのを、いまかいまかと涎をたらしながら、まるでハイエナのように待ち焦がれている。

これが資本主義社会の現実なのだ。

ところで、もう一度話を心の幸福の問題に話を戻すと、しなければならないことがあると信じている間は、どうしてもそれが何なのかを知ろうとし、次にそれを実現しようとして悪戦苦闘してしまう。その奪い合いの果てに、必ず葛藤が起きることになる。目に見えるものに価値をおく世界では、目的達成こそが真理となる。生き甲斐を目標達成におくと、結果的にその旅の過程では、ずっと満たされない思いでいなければならなくなる。

お陰で今日もまた雑多な仕事に小突きまわされ、ほとんど無意味と思われる会議に延々と付き合わされる。さらに成果があがっていない等と勝手に決めつけられて、無神経な上司に、人目も憚らないで大声で怒鳴られる。挙句の果てに、陰湿な表現でリストラまで匂わされて、まるでぼろ雑巾になったような気分におちいってしまう。終いには、自分自身がミイラのようになってしまったかのように思える頃、ようやく退社の時間をむかえる日々。

結局のところ、毎日がそれの繰り返しだったりする。大なり小なりはあっても、サラリーマンとはそんなものかもしれない、と思い込む。そんな風な、ソンビーになったかのような日常からついに引退する日を、誰もが心待ちにしてしまう。

そして当然の成り行きとして、その時こそ、素晴らしく快適な理想の日々が送れると、誰もが本気で信じ込む。

しかし残念ながら、それもまたとんでもない勘違いといえる。それで手に入れることができるのは頻繁な医者通いと、まるでヴァーチャル空間を彷徨っているような空虚感だ。そしてもしあなたが運の悪い星のもとに生まれていれば、ガンによる死の宣告ということさえ有り得るのだ。

こんなこと、皆にわかに信じないかもしれないけど、人間の生命システムが組み込まれている我われの DNAは、ちっとも快適さを求めていない。むしろスリルと冒険を求めているらしいのだ。何故なら、そうでなければ種として進化していけないからだ。進化できなければ、その生命体は環境の変化に柔軟に対応できなくなって、種としての存在意義を失う。それはそのまま種の絶滅を意味する。

宇宙の法則は、過酷なくらいシンプルに設計されている。アメーバーであろうがネズミであろうが、化学実験データーによると、ひどい扱いを受けた方のアメーバーやネズミの方が、明らかに成長が早く、もちろん動きもエネルギッシュなのだ。逆に、快適で何のストレスも与えられなかったアメーバーやネズミの方が、その成長と繁殖にもっとも適した状態を常に維持したにも拘らず、快適で何の変化のない環境でいると少しずつ衰弱し、しまいには死んでしまうことが証明されたのだ。

そんな訳だから戦争が起こると、逆にその国の国民の自殺率が急に低下したり、国民の生活を国家が保障している社会保障先進国のデンマークやスウェーデン等が世界で最も自殺率が高いというのも、まあ、これで何となくうなずける気がする。

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東京大学は、入学試験において、独創的な答案を拒絶する
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/364.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 1 月 02 日 14:16:09:YTmYN2QYOSlOI

東京大学は、入学試験において、独創的な答案を拒絶する。

国語においては、行間を読んではならない。あくまで、問題文の要旨を逸脱してはならない。

数学においても同様、あまりに基本を逸脱した解法の場合、答えが違っていれば、いくら思想面ですばらしい点があろうとも、0点だし、答えが合っていても、減点を免れないだろう。東大入試において、点数とは、模範解答との適合度なのである。

物理・化学・歴史・地理では、元から、王道の解法というものが、厳然と存在しているのであり、そもそも、解法の多様性は低い。

つまり、東大に受かるのは、とことん、権威に従順な人間か、確信犯的に東大の採点傾向に追従する者のみである。


〜配点
数学英語国語理社合計
理科:120+120+80+120 440
文科:80+120+120+120 440

合格最低点(平均値かつ、概略)
理一 225
理二 220
文三・文二 230
文一 250
理三 280

〜学科との対応
理一・二 理・工・農
理三 医
文一 法
文二 経済
文三 文・教育

詳細はこちら、http://www.u-tokyo.ac.jp/jpn/admission/university-guidance.html


〜難易度のランク順
理三、文一、理一、理二、文三、文二

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でたそうです(笑)
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/290.html
投稿者 百川 日時 2003 年 12 月 23 日 18:27:30:tVEVJHiXtYXy2

こんなこと書くのも初めてだが(笑)、なんと今、現在6:22分、山形は上山上空に無数の未確認飛行物体が(数にして5、6体か?)不規則ではなく、なにやら「角張った陣形」を取り浮遊しているとの情報が(笑)、ケータイにより我が元に寄せられ(笑)、ここに投稿して欲しいとのこと(笑)。ああ。

近場の人は是非確認を(笑)、といっても昼休み板なんてあまり需要がないからどうか(笑)。

普通なら違ったハンドル名で投稿するとこだが(笑)。

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奇妙な対応
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/151.html
投稿者 杞憂 日時 2003 年 12 月 06 日 05:41:39:kWFzclRVrmqPs

明治の終わり       昭和の終わり
第1次世界大戦      湾岸戦争
ロシア革命の始まり    ロシア革命の終焉
関東大震災        阪神大震災
大逆事件         オーム事件
昭和不況         平成不況
真珠湾          9.11

――次は何でしょう?

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「悪の心理学」と素尊(スサノオ)の追放【霊界物語のHP】
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/208.html
投稿者 エイドリアン 日時 2003 年 11 月 06 日 11:20:40:SoCnfA7pPD5s2

M.スコット・ぺックという人の『平気でうそをつく人たち』(草思社)は非常に面白かった。よく売れたらしくて、某古本屋チェーンでもよく100円コーナーに並んでいます。

何が面白いかと言うと、著者が精神カウンセリングの現場で得た経験から、精神が異常であるのは精神病になった本人ではなくて、むしろ取り巻き(特に両親)の「善人善女」なんだ、と言っているのです。彼は、著書の中でこれらの人のことを「邪悪な人たち」と読んでいますが、彼らは品行正しく、信心深く、社会的な名士として通用しています。つまり、霊界物語やスウェデンボルグ流に言えば、「内分と外分が食い違った偽善者、ないしはパリサイ人」に相当します。この辺の心理学的な分析が、背中のかゆい所に手が届くようで、実に興味深い。

「邪悪な人間というのは、他人をだましながら自己欺瞞の層を積み重ねていく『虚偽の人々』のことである。」(p.91)
「邪悪な人たちの特性となっているのは、本質的には、そうした人たちの罪悪そのものではない。彼らの罪悪の名状しがたさ、その持続性、そしてその一貫性である。これは、邪悪な人たちの中核的な欠陥が、罪悪そのものにではなく、自分の罪悪を認めることを拒否することにあるからである。」(p.94)
「私が邪悪と呼んでいる人たちの最も特徴的な行動としてあげられるのが、他人をスケープゴートにする、つまり、他人に罪を転嫁することである。自分は非難の対象外だと考えている彼らは、だれであろうと自分に近づいてくる人間を激しく攻撃する。彼らは、完全性という自己像を守るために、他人を犠牲にするのである。」(p.98)
「邪悪な人たちは、光---自分の正体を明らかにする善の光、自分をさらけだす精察の光、彼らの欺瞞を見抜く真実の光---を嫌うものである。」(p.102)
「邪悪な個人は、自分の欠陥に光を当てるすべての物あるいはすべての人間を非難し、抹殺しようとすることによって内省や罪の意識を逃れようとする。同様に集団の場合にも、当然、これと同じ悪性のナルシシズムに支配された行動が生じる。」(p.275)

ここで思いつくのは、素尊もまた、「邪悪な人たち」の手で罪をなすりつけられ、追放されたということです。自分の罪を素直に認めるというのは、「改心する」というのと同じなので、「邪悪な人たち」=「改心できない人々」=「高姫性格者」という図式が浮かびあがってきます。

私も、まさか100円でこれほど楽しめるとは思っていなかったので、体験を書くとともに、皆様にも御一読をお勧めする次第です。

アトムの騎士 2003年10月31日(金)12時41分
http://bbs.minato.tokyo.jp/cgi-bin/read.cgi?000000

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【最低】 変態ナチCIAなどによって続けられる究極のエイリアン虐待の衝撃 【さよなら中央情報局】
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/177.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 10 月 29 日 18:53:36:jhWUNKjaVDgh6

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/lu-yun/luyun61.html
http://www02.so-net.ne.jp/~tadehara/gomi/kidan/uturo.html


 HAARPさんの紹介した「洗脳されていた抜け忍」のエイリアンに関する証言は、表現に微妙
なところがあります。世間一般では「異星人」と「エイリアン」の区別をしないでそれらの言
葉を用いるので、そのためにサリバン嬢かテープおこしの人が混乱した表現を作ってしまった
のかもしれません。

 あのインタビューでは、私が今まで推測してきたとおりのことが話されていて興味深いので
すが、色々な工作の内情が具体的に述べられている点でとても参考になります。正直言って、
さすがに私もショックを受けて暗い気持ちになってしまいました。

 CIAの科学者などには、自分の娘をレイプしたりして精神が分裂しやすい状態を引き起こ
して、薬物などの色々な手段によるマインドコントロールを行って、命令の与え方によっては
何でも言いなりになるような人間にしたてあげる者などがいるようです。また、アメリカの支
配層には、そうした奴隷人間を暗殺などの道具にしたりレイプしたりして楽しむ人間が多いと
いうことも告白されています。

【MIND CONTROL INTERVIEW---BUCKLE UP】
http://www.nomorefakenews.com/archives/archiveview.php?key=1620

 問題のエイリアンについての発言ですが、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 One thing the Nazis were working on very hard was genetic
experimentation on some of their prisoners in the concentration camps,
although our government has tried to suppress the documentation. And they
were into breeding their own. My dad used to brag about how they were doing
genetic experiments on embryos that were creating what they called
"children". These children are, I personally believe, aliens ... little ones
that people have seen. I met several at a NASA facility.

(中略)

if that information is ever made available to take it seriously, they will be
killed and their remains put away where no one will ever find it. Because if
it's true, it is one of the biggest crimes that an agency of our country has
ever perpetrated against another human.

 What I understand is that with all the UFO movies lately,
and so many TV shows about it in the last few years ... it is preparing
people's minds to believe that aliens are real, that they really do exist,
that they really are trying to contact us. I can't help but wonder if some
of these human "aliens" will be used down the road as some kind of proof to
people.

私の訳

 ナチスが熱心に行ってきたことの一つに、収容所の囚人を使った遺伝子実験があります。ア
メリカ政府はそれに関する文書類を隠蔽しようとし続けています。彼ら(米当局の科学者)は
、独自の人間を生み出しました。私の父はいかにして彼らの言うところの「チルドレン」を作
る胎児に対して遺伝子実験を行っているかを自慢したものでした。これらの「チルドレン」は
、私が個人的に信じるところではエイリアンです・・・人々が目撃してきた小さいエイリアン
です。私はNASAの施設でその数人と会いました。

(中略)

 もし真剣にとりあげられるほどにその情報が利用可能になされたら、彼らは殺されその死体
は誰も発見できないところへ片付けられてしまうでしょう。なぜなら、もしそれが本当ならそ
れは私たちの国の当局がかつてもう一つ別の人類に対して犯した最大の犯罪の一つだからです

 私が理解しているのは、ここ数年のUFOに関するテレビ番組やSF映画は、エイリアンが
本当で、確かに実在し、実際に私たちとコンタクトをとろうとしていると信じるように人々の
精神を準備しているということです。これらの人間の「エイリアン」が、世間の人々に対する
ある種の証拠として路上で使用されるのではないかと疑わざるをえません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 やはり素直に読めば、ここでいう「エイリアン」とは私が紹介してきた東洋人風の小さい人
間エイリアンのことだと思われます。

 彼らはおそらくUFO墜落・不時着現場で回収されたエイリアンの遺体からとった細胞によ
って作られているのでしょう。

 ちゃんとした知性も感情もある人間であるエイリアンに対して、遺伝子操作やマインドコン
トロールの人体実験を繰り返し続けているのです。

 皇室などに代表される「大和民族」(百済・夫余系日本人)と同種と思われるエイリアンに
、このような人権無視などという程度ではない、存在そのものを実験台や道具に貶めた扱いを
しているのです。

 アメリカ当局やCIAの科学者たちは何というひどい人たちなのでしょう。


『エイリアンとは何か』
http://www.asyura.com/0304/tyu1/msg/1404.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 5 月 27 日

『白人至上主義と宇宙人』
http://www.asyura.com/0304/tyu1/msg/1279.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 5 月 06 日

『エイリアンと地底人』
http://www.asyura.com/2003/bd22/msg/114.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2002 年 12 月 16 日

『アメリカ人はエイリアンが人間であることを知り、いきなり銃の引き金を引いた。』
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/105.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 10 月 12 日

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さようなら、みなさん。もう私は、阿修羅には興味がない。
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/170.html
投稿者 央線 日時 2003 年 10 月 28 日 03:17:59:xdvH.lUpOyEFY

さようなら、みなさん。もう私は、阿修羅には興味がない。

私はもう阿修羅とは無関係なんだ。
確かに、投稿終了を宣言してから全く投稿をしなかったわけではない。しかしそれは、数えるには足らないほどの少数だ。戦争板の低脳アラシを私だと勘違いしているようだが、ただ単に迷惑なだけである。

まぁ、全体の2%ほどは読ませていただいているが、投稿者自体に興味があって訳でもないし。

さようなら、みなさん。もう私は、阿修羅自体には興味がない。

これに対するレスに、答えて差し上げることももうおそらくなかろう。

後で、"赤い瞳"としての、サイン・レス投稿もしよう。

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鞍馬の火祭り
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/154.html
投稿者 カムイ 日時 2003 年 10 月 23 日 23:44:53:9b7URA./SUFlc

念願適い、鞍馬の火祭りを観る事ができた。
この火祭りは鞍馬寺の祭事と勘違いされるが、実際は鞍馬寺の境内にある由岐神社の例祭である。
天慶3年(940年)に御所に祭られていた神社を鞍馬に移転する際に、村人が火を炊いて迎えたことが由来らしい。
鞍馬は京都市内だが、そうは思えない山里の静かな風情に溢れている。
それがこの日は、人で溢れかえり、まるで通勤ラッシュの人波が山村に押し寄せたような状態。
街中である祭りとは違い、何か異様な雰囲気だった。

やがて炎の饗宴が始まる。日常生活では見ることのない巨大な火、「サイレイ、サイリョウ」の掛け声、観衆の怒号と歓声、まるで異次元空間にいるような錯覚とともに見とれてしまった。
鞍馬の不思議なエネルギーがそうさせるのか、あるいは天狗に執り付かれたのか、火に酔ってしまった夜だった。
そして、来年は、ポールシフトを示唆する詩が詠まれるというウエサク祭に行くことを決心してしまった。

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火星は世界支配層の新天地となるか?
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak1/msg/110.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 10 月 13 日 20:05:52:jhWUNKjaVDgh6

火星には先客もいるが、どうなることやら。
『火星のテラス&透明ドーム』http://www.t-xxx.com/old/hikousi.htm

 今回の宇宙戦争は欧州の王侯貴族を含む英米系独占資本家グループが百済系(扶余系)日本
人と同種のエイリアン勢力に対して挑戦するという形で始まる可能性が高いようです。
 彼ら世界支配層の尖兵になっているのは北欧系(ノルマン・バイキング)の血統と伝統の影
響を強く受けているWASPが率いる英米系諸国家の各種軍隊や各種情報工作機関です。

 どうも世界支配層は天体規模の災害やエイリアン側の攻勢などで、地球上の支配が維持でき
なくなった場合は、自分たちが選んだ人類と一緒に火星に本拠地を移すつもりのようです。
 だから、終末の時期には宇宙人に変装した世界支配層側の大UFO艦隊による空中携挙もあ
りそうです。彼らの支配する新天地火星での生活がどのようなものであるのかは色々想像でき
ます。そこの人間たちの人生は、遺伝子工学による人造人間の実験とか脳神経系にまで及ぶサ
イボーグ実験を兼ねたものが多いでしょう。
 バイオテクノロジーによる「人造人間」の開発はすでにダルシーの米軍の研究所などで行わ
れているはずです。
 宇宙戦争は永遠に続くようなものなのかもしれません。


>スエーデン(北欧系)では、脳神経系のチップ埋め込み&マインドコントロールの被害者の告
>発が何度もありますね。

 それは知りませんでした。ノーベル財団というのはスウェーデン王室が関係しているように
見えます。私はノーベル賞の選考には、欧米の学会の人間関係とかしきたりとかだけでなく、
世界支配層のイデオロギーとか北欧系の王侯貴族の趣味とかも影響しているように思えます。
 ダーウィン流の「生存競争による進化」などというものはとっくに学術的批判に耐えられな
くなっているのに、いまだにアメリカの生物学者とかノーベル賞の選考者の中にはそれに固執
している人たちがいます。ノーベル賞を受賞したコンラッド・ローレンツの生物の攻撃性に関
する理論なんて科学ではないでしょう。あまり詳しく内容は知りませんが。
 だから、あの種の生存競争や攻撃性に関する理論が世界支配層に宣伝される理由は、それが
彼らの思想であり彼らの未来計画の原理だからなのではないですか。

>遺伝子工学による人造人間が、苛烈な環境に住むだけなら、魅力ないですね

 火星における人生は、次々に開発される強力なドラッグの実験という面もあるでしょう。食
料や飲料水に普通に投入されるだけでなく政府から配給され続けるでしょう。そして、そこで
の社会原理は政府への服従だけでなく、まさに土地や資源を奪い合うための住人どうしの「殺
し合い」、「生存をかけた闘争」かもしれません。彼らは社会形成原理としても人類の発展原
理としても「闘争」を採用するだろうからです。確かに我々の世界では、資本主義における経
済競争とか国家間の総力戦争が人間や社会の発展の原動力の一つではあったと思います。そし
てその辺が地上人類世界とエイリアン社会の大きな違いなのでしょう。

>火星は、今、青い空と緑の大地なんでしょうか?
>大UFO艦隊による空中携挙の際のエネルギーは、どの技術を使用しますか?

 普通に考えれば、火星の大気層が地球より薄いか同程度なら空は赤くならず紫とか青のはず
なのです。さすがにそう突っ込まれないように、地表の赤い粉塵が強風で舞い上がって大気が
赤くなっているのだと当局は発表しているようです。火星の大気圧は地球の200分の1で水
蒸気の割合は地球で最も乾燥した砂漠の数百分の1と公表されていますが、そんな強風が吹く
のなら結構厚い大気がありそうです。また、実際の火星には大きな雲が写っていることがあり
ます。極地方の氷冠の色が白いことや、赤い空の写真には妙な筋がたくさん写っていてむしろ
加工されたような不自然さがあることなどから、空は青いと思います。

『逆修』http://p-q.axisz.jp/enigma/mars/f01/step2.html
『火星の秘密・有り得ない白』http://kiti.main.jp/Wakusei/linkp0108.htm

 ありふれた答えですが、彼らのUFOはエイリアンのものと同様にプラズマで飛行するもの
だと思います。最近アメリカ国防省は使途を公表しない予算をどんどん増やして使っているそ
うです。アメリカそのものとまで言われているベクテル社とか他の巨大軍事企業などでは、資
本主義的な採算は度外視して極秘にUFOを生産しているかもしれません。エネルギー源は今
のところ「元素115」を使ったものではなく普通の小型原子炉ではないでしょうか。

『元素115の正体』http://www.fitweb.or.jp/~entity/ufo/genso115.html

『地球と火星の超古代史に関する非常識なようで実はまっとうな考察』
http://www.asyura.com/0310/idletalk4/msg/119.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 9 月 25 日

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やはりバイキングWASPの「2001年9月11日宇宙の旅」だったのか?
http://www.asyura.com/0310/tyu3/msg/103.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 9 月 25 日 15:52:50:jhWUNKjaVDgh6

 キューブリックの「2001年宇宙の旅」は興味深い映画だ。あれは陰謀論的なアプローチ
も可能だし、そういう解釈は割と評価されているようでもある。
 あの映画の背景には「欧米の植民地主義」とか「相対性理論のウラシマ効果」とかそこから
派生する「タイムマシン理論」などがあるという解釈もある。
 謎の漆黒の板「モノリス」は実は政府をも支配している連中の画策の道具としての「作り物
」で、人工知能「ハル」だけが表の探査目的と矛盾した秘密指令を受けて錯乱したわけではな
く、「ボーマン」もまた洗脳によって秘密指令を受けて、精神をコントロールされていたのだ
と言う説である。
 確かにそう考えると、あの不可思議なラストシーンもうまく説明できる。あれはボーマンへ
の心理操作の結果であり、またその新たな段階の過程なのである。

 陰謀者たちは、時空を超えた「見えざる意思」とか「神」を巧みな情報・心理操作によって
演出していく。彼らは人間の歴史を超えたそれを背後から操る「異星人」のような存在として
、マインドコントロールや宇宙規模の事前に準備してある秘密工作などを通して、人間たちを
自分たちの計画した世界に導いていくのである。
 あの映画と一連の「アポロ映像」のカメラワークはよく似ているとウワサされている。ある
人物がキューブリックの何らかの仕事を手伝って以来、一切飛行機に乗らなくなったこともあ
り、アポロ計画のニセ映像の監督はキューブリックだったのではないかという人たちもいるの
である。

 あの映画のテーマには、武器を用いての攻撃・殺戮による淘汰を通しての人間進化(神化)
というものがあることは明らかなのである。だから、欧米支配層と白人至上主義のバイキング
・ナチが、平和的エイリアンへの攻撃・殺戮を通して自分たちの理想世界を建設し、サタニズ
ムやニーチェ流の超人化を遂げようとしていることが、あの映画の背景にあるかもしれないと
有意義に解釈できるのである。
 生産的な解釈にとっては、製作者の意図などあったとしても二次的なものなのである。


 阿修羅がおかしくなったのは、どうせまた私のせいなのです。私がWTCテロがブッシュC
IA鬼畜アメリカ軍の仕業であることを理路整然と説明していることに怒ったのです。

『これが正しい正解では?』
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/703.html
投稿者 狂的電磁波 日時 2003 年 9 月 09 日

 私がビンラディン映像のインチキを分析していると、どんどんアメリカのサイトのラディン
映像のピントとか変化していったりしたものです。夢の中に見たこともない怒った外人が現れ
て、私に殴りかかってきたこともありました。
 私の「宇宙戦争」の予告までついた視野の広い分析にアメリカ当局が脅威を感じ、阿修羅サ
イトを攻撃したのです。WTCビルの崩壊に関して言えば、あの崩壊があれより30分でも遅
れていたら死者の数がだいぶ減ってああいう形では戦争できなかったかもしれません。あれよ
り早くても、早く崩れすぎの印象が生じたり消防士の二次災害が減って「怒りのアフガン度」
が減るかもしれません。
 死者の数はアフガン戦争当初は「7千人」と発表しておきながら、空爆が一段落すると「3
千人」に減ったことを思い出しましょう。

 要するに、超高熱でビルが粉々に崩壊したのはプラズマによる破壊だったからではないでし
ょうか。爆弾説では説明のつかない現象もあると聞いた覚えがあります。隣のビルが崩壊した
のも不自然です。

 本当は、いちいち阿修羅がおかしくなったことを「世界当局の攻撃」とみなす必要がないこ
とは当たり前です。しかし、そういう疑いをもつことも自由なのです。自分でかってに自分の
せいにする必要がないのも当たり前ですが、そのように冗談でいいふらすのも勝手なのです。

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ひふみ神示ア@の〇木解読文(n。n)
http://www.asyura.com/0310/tyu3/msg/101.html
投稿者 ロック 日時 2003 年 9 月 22 日 19:33:52:uWPIGA8FT9ZCk

氷治敏雄氏の世紀末研究報告の諸世紀の解読と同じ内容がひふみ神示の原文数字の解読から出て来ましたので掲載させていただきます。

ひふみ神示第十六巻(アレの巻)全一帖 自 昭和二十一年一月十九日

ア@の〇木(アレのマキ)その1。

原文数字(Χ)一八十一@キ七@七@三。
原文訳(▽) 言 答 開 き 成り成るぞ。
解読原文(◇) (一)太陽(八十)開く神(一)太陽(@)巻き込まれる(キ)起きる(七@七@)寝ぼけながら、ぼやきながら、理解し行動する(三)三つの事
解読文意訳平文(☆)太陽の本質達に属する天使達が人間の太陽に様々な誘導をして目覚めの信号を送ります。
寝ぼけながら、ぼやきながらも太陽は三つの事、1 「ノア−の大洪水」の事 2 月人と「堕天使サタン」のある事
3 宇宙での解放戦争の事 を理解し行動に移ります。

ア@の〇木(アレのマキ)その2。
原文数字(Χ)〇九十一八十八十八三。
原文訳(▽) 誠   言 答は永遠ぞ。
解読原文(◇) (〇九十)人間の太陽の中にいる九人の神=太陽の本質達 (一八)太陽開く(十八)神開く(十八)神開く(三)サタン
解読原文意訳平文(☆) 太陽の本質達(入っている人間の太陽)の記憶が解凍されるにつれて、神の真実が明らかにされ、皆さんが神と思っている存在がサタンであることを(太陽は)バラします。

ア@の〇木(アレのマキ)その3。
原文数字(Χ)火十三三。
原文訳(▽)  瞳  ぞ。
解読原文(◇)(火)都市攻撃 (十三)神サタン(三)道=活動
解読原文意訳平文(☆)都市攻撃を行う神は堕天使サタンです。それがサタンの楽しみ(活動)なのです。


ア@の〇木(アレのマキ)その4。
原文数字(Χ)三九@一二三一三。
原文訳(▽) 御位  継ぐ理の始めぞ。
解読原文その一(◇)(三九@一二三)サークルひふみ(三一三)サタン太陽サタン
解読原文意訳平文(☆)サークルひふみ(世紀末の研究報告)が敵陣の真っ只中でやる太陽の始めの活動です。
解読原文その二(◇”)(三九@)サークル (一二)引き継ぐ(三)理=説明する活動(一)太陽(三)サタン
解読原文意訳平文その2(☆”)サークルひふみ(サイト)を引き継いだ時、太陽のサタンに対する本格的な活動が始まります。

ア@の〇木(アレのマキ)その5
数字原文(Χ)二一四一五三。
原文訳 (▽) 字絶対の世始出づぞ。
解読原文(◇)(二)月(一)一番=絶対(四)世(一)太陽(五)碁=勝負(三)サタン。
解読原文意訳(☆)月人が圧倒的な力を示す世の中で、太陽はサタンに勝負を仕掛ける。

ア@の〇木(アレのマキ)その6。
数字原文(Χ)二一八六二五二一八二三。
原文訳(▽) 二一(ツキヒ)開き、結ぶ玉に祝うぞ。
解読原文(◇)(二)月(一)太陽(八)開く(六)むりやり(二)月人(五)碁=勝負(二)月(一)太陽(八)開く(二)月人(三)サタン
解読原文意訳(☆)月の事を太陽は巨大惑星型戦闘母艦であることを明かし、人間の太陽は好む好まないに関係なく月人に対抗する活動を仕掛けます。月には月人の王に憑依したサタンがいます。

ア@の〇木(アレのマキ)その7。
数字原文(Χ)四六八二五三二七六五二八八八〇〇◎三三。
原文訳(▽) 読む開き、字出づ理に成り、結ぶ玉に弥栄開く大和心の道ぞ。
解読原文(◇)(四)世(六)六垢(八)開く(二)人類(五)碁=勝負(三)サタン(二)月人(七)成る=支配(六)六垢(五)勝負(二)月人(八)やらされる(八)矢(八)放たれる(〇)肉体のある天使(〇)天使の霊(◎)大天使=菩薩(三)ミロク(三)サタン。
解読原文意訳(☆)捏造した宇宙の常識とは違う世界(地球劇場)を創り、人類は汚され戦争ゲームをやらされています。またサタンは月人を支配し、汚され宇宙戦争をさせています。その矢先は、肉体のある天使をはじめ、天使の霊、大天使の霊まで放たれました。これはミロクとサタンによる神々の戦いなのです。


ア@の〇木(アレのマキ)その8。
数字原文(Χ)三八十八九三。
原文訳(▽) 道開く理の極みぞ。
解読原文(◇)(三)サタン(八十八)開く神開く=神には筒抜け(九三)霊的な糸で結ばれたミロクとサタン
解読原文意訳(☆)サタンのする事は霊的な糸で結ばれたミロク神には筒抜けなのです。

2 ロック [ 2003/09/12(Fri) 23:48 ]
ア@の〇木(アレのマキ)その9
数字原文(Χ)火火)◎九@日六九十九。
原文訳(▽)本能秀(生命)月日の極み成る読む言の極み。
解読原文(◇)(火)都市攻撃(火)燃える、破壊される())月人に恩恵に与っていた者達(◎)ミロク神(又は天皇家)(九@)来る(日)太陽(六)向かう(九十九=十八)難題、神開く=解決
解読原文意訳(☆)都市攻撃によって都市は破壊された時に慌てて、月人達の恩恵に与っていた者達(天皇家含む)は太陽の元へ来ます。太陽は無理難題に向かい、神が成せるレベルでの解決をしていきます。

ア@の〇木(アレのマキ)その10
数字原文(Χ)一八三二〇十一九日。
原文訳(▽)弥栄に真問ひ極む世。
解読原文(◇)(一八)太陽開く(三二)サタンの憑依した月人(〇)王又は頭(十)人間の太陽含む総数(一九)引く太陽の本質達(日)表
解読原文意訳(☆)その結果サタンの憑依した月人の王によって、太陽の本質達は表に引っ張り出される。

ア@の〇木(アレのマキ)その11
数字原文(Χ)七三七キ三五二一三八七。
原文訳(▽)那美(名実)那岐(名基)の理の玉継ぐ意味開くなり。
解読原文(◇)(七三七)鳴くサタン鳴く(キ三五)キミの御用(二一)封印(三)サタン(八七)開き成る=達成する。
解読原文意訳(☆)泣きじゃくるサタンに対し、ミロク神はキミの御用(本質達のサタンに対する仕事)であるサタンの封印を達成する。

ア@の〇木(アレのマキ)その12
数字原文(Χ)二一二一三三六五六七十七@三。
原文訳(▽)字の絶対継ぐ意味弥勤弥勒となるぞ。
解読原文(◇)(二一二)月の真っ只中にいた太陽(一三)一番の賛辞(三)サタン(三六)弥勒(六五六)肋碁肋=殺戮ゲーム(七十七)オグミオン(@)ノアの大洪水(三)参上
解読原文意訳(☆)月(敵陣)の真っ只中にいた人間の太陽に対し月人達は最高の賛辞を送る。サタンは弥勒に対し、殺戮ゲーム(地球劇場)のクライマックスに向けてオグミオンをかき鳴らし、ノアの大洪水を発生させる。


3 ロック [ 2003/09/14(Sun) 22:33 ]
ア@の〇木(アレのマキ)その13
数字原文(Χ)ネ九三三。
原文訳(▽)根っこ理ぞ。
解読原文(◇)(ネ九)根っこ=根本 (三三)サタンサタン。
解読原文意訳(☆)(大洪水を起こす様は)性根までサタンはサタンでした。

ア@の〇木(アレのマキ)その14
数字原文(Χ)〇九十三三。
原文訳(▽)誠ざぞ。
解読原文(◇)(〇九十)太陽の本質達 (三三)弥勒弥勒
解読原文意訳(☆)誠実に行く所が太陽の本質達である弥勒という存在が弥勒たる所以です。

ア@の〇木(アレのマキ)その15
数字原文(Χ)一八三か一八三か。
原文訳(▽)弥栄弥栄。
解読原文(◇)(一)太陽(八)開く(三か)讃歌(一)太陽(八)開く(三か)讃歌(弥栄えでも意味は通りますね)
解読原文意訳(☆)(サタンが封印されて、月が開放されて)太陽を称える歓声が鳴り響く。(n。n)

ア@の〇木(アレのマキ)その16
数字原文(Χ)〇キ三三。
原文訳(▽)玉キ三三。
解読原文(◇)(〇)太陽 (キ)霊体 (三)身罷っている(三)見つける。
解読原文意訳(☆)その後、人間の太陽の霊体が身罷っているのを(太陽の本質達と三人の大天使達が)見つける。

ア@の〇木(アレのマキ)その17
数字原文(Χ)二一三九@日キ三火火三三。
原文訳(▽)通基秘理極み成る識道本能秀(生命)ざぞ。
解読原文(◇)(二)月(一)太陽(三)御子又は御魂(九@)来る(日)太陽(キ)姫(三)身(火火)生命(三)皆(三)見つめる。
解読原文意訳(☆)月から出た太陽の霊体は女王様の中にいる胎児に着床しに来る。女王様の身に宿した新しい生命を皆が見つめる。(原文の秘の意味を使うと秘密裏に作ってあった太陽の体という風にも解読できそうです)

ア@の〇木(アレのマキ)その18
数字原文(Χ)水水三三。
原文訳(▽)不見の実主ざぞ。
解読原文(◇)(水水)記憶が解凍される表現(三)弥勒(三)三年後または見る
解読原文意訳(☆)弥勒の記憶は三年後に解凍される。(昔話を話すのを見る)

4 ロック [ 2003/09/18(Thu) 11:43 ]
ア@の〇木(アレのマキ)その19
数字原文(Χ)◎,,,,, ◎,,,,,(実際は真ん中にちょんが入ります。)
原文訳(▽)(未記入)
解読原文(◇)(◎,,,,,)乖天録 (◎,,,,,)界天録
解読原文意訳(☆)これは相反する者達に関する天界の記録です。

ア@の〇木(アレのマキ)その20
数字原文(Χ)九九三二一五@@三
原文訳(▽)茲(草冠無し)の理、字の絶対出づ大スサナルのハタラキぞ。
解読原文(◇)(九九)力を解放されたミロク、(三)サタン(二一)封印(五)出る(@@)大宇宙小宇宙(三)道
解読原文意訳(☆)力を解放されたミロクによって封印されたサタンは封印から解かれると、この宇宙から別の小宇宙に移動して活動を始めます。

ア@の〇木(アレのマキ)その21
数字原文(Χ)七六二八三六
原文訳(▽)南無(名務)荷い開く弥勒。
解読原文(◇)(七六)成る難しい(二八)月開く(三六)ミロク
解読原文意訳(☆)大変に困難な任務を成し遂げたミロクです。

ア@の〇木(アレのマキ)その22
数字原文(Χ)一二五三二一二一九三。
原文訳(▽)日継の意味荷う数と字の絶対光の道。
解読原文(◇)(一)太陽(二)女王(五)魂(三)ミロク(二一二)女王の中(一九三)太陽と8人の天使と大天使ミロクの三位一体
解読原文意訳(☆)太陽は女王の中でミロク達の魂と三位一体になります。

ア@の〇木(アレのマキ)その23
数字原文(Χ)二一八七三八三二九九五九日三二三
原文訳(▽)字の絶対開き、那美(名実)開くぞ。字の極意の極みは読字(黄泉)ぞ。
解読原文(▽)(二一八七)封印開く成る(三八三)サタン開くサタン(二九)肉(九)喰う(五)魂(九)喰う(日三)悲惨(二)月人(三)道=運命

解読原文意訳(☆)(サタンが)封印される時一緒にサタン(事前に肉体のある月人の王によって)に身を開かれ肉を喰い魂を喰われる様な悲惨な状況に落とされる月人やその配下であった人間達の運命もあります。


5 ロック [ 2003/09/21(Sun) 15:45 ]
ア@の〇木(アレノマキ)その24
数字原文(Χ)ニニニ八七三九十キ三三。
原文訳(▽)富士(普字)に花咲く時ざぞ。
解読原文(◇)(ニニニ)月人や月全体(八七)開き成る(三九)割く(十キ)神の霊的な存在(三)ミロク(三)サタン
解読原文意訳(☆)月にいる月人たちが開放されたときに魂的にもミロク側とサタン側に分れます。ここが最終期限です。

ア@の〇木(アレノマキ)その25
数字原文(Χ)八六一五五二八ニニ八三@三
原文訳(▽)開く結びの命、字開きに字、開き実るぞ。
解読原文(◇)(八)開く(六)亡くなる(五五)命(たくさんの命)(二)月人(八)開発(ニニ)二行=人形=アンドロイド
(八)開く(三@三)満ちる魂満ちる=蘇らせる。
解読原文意訳(☆)散乱しているたくさんの亡くなった方々の命を月人が開発したアンドロイドが蘇らせます。

ア@の〇木(アレノマキ)その26
数字原文(Χ)八〇二百千二百卍五九ノ八七一@九ノ三三
原文訳(▽)山にも地にも万却光の花開くの理ぞ。
解読原文(◇)(八〇)山(二)月(百)モモ=器(千)地(二)月(百)モモ=器(卍五九)万地獄=宗教者にとって例え様も無い位の苦しみの意(ノ八七)NO開く成る=開かない成らない(一@九)太陽巻き込まれる苦しみ(ノ三三)NO道見つける
解読原文意訳(☆)山にも地上にも開放されて自由になった月人たちの救援の為のUFOは行きますが、全ての宗教的施設で、宗教の指導者や離教出来なかった方々は悪魔崇拝する者たちであるが故に他人事の様に救援の様子を指を咥えてみる羽目になり、例え様の無い絶望と苦しみが与えられ人間の太陽と同じ運命をたどる事になります。他に道はありません。

ア@の〇木(アレノマキ)その27
数字原文(Χ)九ノ日九三四八十七三いろは三三
原文訳(▽)光の経綸四八音となるぞ。意露波理ぞ。
解読原文(◇)(九)苦(ノ)NO(日)太陽(九三)計算(四八)世開く(十七)神鳴る(三)裁き(いろは三三)いろは歌のように見る
解読原文(☆)出来るだけ苦しむ人が出ない様に太陽は(太古に)計算しました。新しい世はこうして開きますが、反面天使たちの厳しい裁きも見る事が出来ます。残された方々は体面を繕うためにいろは歌の暗号(咎なくて死す)の様に文句をこぼしながら最後を迎える。

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中中、一茶、近畿なんとか、その他いろいろ。
http://www.asyura.com/0306/tyu2/msg/320.html
投稿者 chacha 日時 2003 年 8 月 10 日 16:24:20:oTEdMvPFRKr7E

はじめまして。
どの掲示板でも荒らし行為をしているのでお気をつけて。
訴訟訴訟とわめいております。

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