創価学会党化した自民党の五つの特質【→阿修羅発言 ←『公認会計士は、なぜ特捜検察と戦うのか(ビデオニュース・ドットコム)』(200803181655)】
1. 排他独善、高じて批判者を抹殺する体質
2. 反自由的で非民主的な体質
3. 詐術的・謀略的手段を平気で用いる体質
4. 理想や理念を求めようとしない俗物的体質
5. 寄生獣(パラサイト)的体質
創価学会には批判者を抹殺するいかがわしい実行部隊があるといわれているが、自民党の場合は権力という大きな力をもっている。権力という大きな力を背景に阿吽 の呼吸で批判者を抹殺することはできるし、最後は警察や検察を使い正義の名において批判者を抹殺することもできる。権力の内部には、時の権力者に無条件で迎合する者も多い。だから正義の名においてそのような挙にでることは十分に可能なのである。
国際刑事裁判所(ICC)が発足したそうですね。なんか、いいですねぇ。KKベストセラーズの「イルミナティ 悪魔の13血流」P52によると300人委員会という組織が闇の世界機関の立法府だそうですね。表の世界の国際的な裁判所が出来たのは素晴らしい事だと思います。
3/12(水)の「ニュース・ステーション」によると、アメリカは、国際裁判所でアメリカ人を対象から外すようにと口撃していた(→動画一覧へ)そうですが、その主張は国連が(アメリカ人だけは?)「捜査と起訴の1年間猶予」を受け入れたことで収まったそうです。今、イラクの民間人の生命と財産を破壊する推進に手を貸している亡国総理(とも言われる^^;)も将来、裁かれる可能性も指摘されています。(アメリカが本当に止まらないのであれば)なぜ、アメリカはピンポイント攻撃が「可能なのにしない」のか? ブッシュ大統領「個人としての結論だ」と言われても意味が分かりませんがぁ。(200303122355)
警察官が正当防衛で発砲して相手が死んでも、それが真に正当防衛であれば無罪(?)なのに、家庭内暴力を引き起こす者を、真に正当防衛で殺した時には罪になる(?)というのは、変だと思う。(200204291928)
2001.02.13(火)の「ニュース・ステーション」で裁判官の人が述べておられましたが、現在の司法の問題点は以下の3点だそうです。
1.現在、圧倒的に、量的に対応不可能である。
2.現在、中央集権的であり、硬直的。
3.国民が参加できないシステムである。(これは現在、陪審員制度の導入が決まり、仔細が検討されている段階ですね)
(200102150018)
下記で私が「現場近くを通りかかったら必ず対処する」と述べた事に対する批判・非難があるように思われたので、意見してみます。その攻撃の理由は、私が片方で「戦争終結への道」という社会的立場からのアイデアを提示しているからです。私は勿論、イエズス様のような高次元の愛を体現している訳ではなく、(私の価値観での)悪に対する強い怒りがあります。なぜなら、私はこの世に対してある程度のリアリティーを感じているからです。もし世界の全ての人がイエズス様のようだったとしたら、この世を超えてしまっているので、この世の悪を滅ぼそうとはしないのでしょう(一般的に?)。フランス人のミシェル・デマルケ氏という人のコンタクトストーリー(徳間書店)では、宇宙の兄弟から「外宇宙からの攻撃に対して完全に無抵抗だった惑星文明があり、その惑星は滅んでしまった」事例も知らされたのだそうです。私は自分の現状・立場・価値観に立って以下のように考えます。
上記の批判に対しては、要は、「個人的な立場」と「社会的な立場」という拮抗する立場がある、という点ですね。宗教というのは、社会的でもありますが、「個人的立場」に深く関わるものですね。ここで問題となっている「人を殺すのかどうか」という考え方については、その人その人(または各宗教)にとっての正義があると思います。
「個人的立場」からは、生物人間としての遺伝子の促しのような、あるいは、止むに止まれぬ衝動のような、しかも「善であり、愛である」感情によって悪人の悪(だけ)に対する制裁(のみ)が行われ、時には殺人にもなると思います。この時、この人の心の中では「比較的重い(=自分に近い)判断」を断行したのだと思います。そのようにして、精神性は保護され、精神性の生きてる社会となると思います(ただ、物質性が切り捨てられてしまいましたが)。しかし、世の中は大勢の人間がいて、関係の無い人がほとんどなのですから、「社会的立場」からすれば、「とにかく殺人は止めよう」という事になると思います。この時の判断は、ほぼ全員が「比較的軽い(=自分から遠い)判断」だと思います。すなわち「悪人の悪によって、人々の精神性が濁る可能性があっても、殺すのは止めよう」という立場だと思います。
多分、両方の立場のどちらを採るかは、その人が(自分の価値観における)悪をどの程度、自分に許した(ている)か、という事に起因すると思います。最近のインドネシアの味の素の製造過程で豚の体内から取り出した酵素(?)のような触媒を使ってグルタミン酸を(?)作り出していたという事で責任者が一時逮捕されましたが、その触媒自体が製品の中に溶け出すのは1億分の1とか(?)。この種の原理的な事をインドネシアでは問題にする人が多いということは、それだけ宗教戒律的に真面目で誠実な人が多いのでしょうね。ということは、インドネシア人は精神性を重視(=物質性を軽視)なのでは? その点、日本人は目に見えないとあまり重要視しないのかも知れませんね(?)。
「個人的立場」に立つ日本人は、それだけ(自分の価値観での)悪を自分に許さない人でしょうから、「社会的立場」の人が加害者の刑を軽くした
ような場合、その精神性をヒドイと思うし、「社会的立場」に立つ日本人は、「個人的立場」を理解したり接近したりするのは「社会的に不利だ」と思い、距離を置こうとする結果、「ヒドイ」と思うのかも知れません。どちらも相手の立場への理解は現状では遠いけれども、果たして、この種の溝を埋めるような真似をしても良いのだろうかとフト思いましたが、少なくとも、「一応、情報として知り得ている」というのはOKだとは思います。すなわち、「ひどいと離れた所から言うのは簡単なのだから、直接、議論なりをしてほしい」という主張をしてみたいですね。(200101130011)
11/17(金)の「ニュース・ステーション」で、下記の武るり子さんが「加害者少年の保護育成を望む」との国会での発言を報道してました。やはり女性の発想だと社会はうまく行くと思いました。女性の発想は多分、事件の出口・終息点・社会性において生きて来ると思います。この前、裁判中に、子供を殺された父親が加害者少年の首を絞めるという出来事があったそうですが、私もそれは「正しい」と感じます(動機・原因が正しい。行為・結果は社会的には不適当となってしまいますが)。恨みが「聖なる領域」に入っている点を理解すべきである。イスラムはその種の「聖なる心」をバックアップする宗教ですね。コーランの中には至る所、「奴らのような輩には死後、永遠の業火が待っている」という記述があります。「聖なる心」を持つ人はその「神の約束」に喜び、希望を見出すのです(イスラムについては[目を神へ]や[日本テレビの姿勢]で少し述べました)。「恨みという聖性」が理解できない人は、その父親の「(気持ちが)正しい」事が分からないと思います。しかし、社会的・行動的・結果的にはそうではないほうが好ましいことになってしまうので、その父親の気持ちに対しては長い転生の間に補償行為として神から何かが与えられるのは確実だと思います。私への攻撃的念を感じるので、過去、この種の事を述べるときは、「恨みという聖性」の観点から意見を述べていた事を強調しておきます。自分を擁護するために述べておきますと、ちょっと前の事件で、小学校の校庭に入り込んでカナヅチで小学校の生徒の頭を殴って殺したなどという事件がありましたが、もし私がたまたま近くを通りかかったら、その犯人を再起不能にする事は確実だと思います。あなたは近くを通りかかったら、対処しますか? 男性の発想は多分、事件発生の入り口・始発点において生かされると思います。(20001120359)
11/14(火)の「ニュース23」で報道してましたが、米ミネソタ大学教授のマーク・アンブライト氏とコーディネーターのキャロリン・マクロードさんが、「修復的司法」というものを説くために日本に来られたというニュースでした。
日本では少年犯罪について「加害者少年の保護か/厳罰化か」ばかりが議論されているが、「加害者が謝るべき対象は国ではなく、被害者である」、「少年が法律を犯した点を認識させるのではなく、被害者にどんな思いをさせているのかを理解すべき」等のアイデアを携えて来てました。それに参加した日本人は「(凶悪殺人)被害者の傷が癒える事は無いとは思うが、それとどうにか付き合って行けるようになれるきっかけとして加害者とのコミュニケーションが有り得るのではないか」との意見を言ってました。まあ、単に物を盗んだ/盗まれたの話ならば、いくらでも対面して話は出来ますが、凶悪殺人の被害者にいたっては、加害者と「仲良く」などは、発想自体があってはならない領域であると私は思います。
アンブライト教授達も、被害者が、加害者と対面できるような場合でなければ、決して対面できないという事実もあるそうでした。だから、対面プログラムは一部、行われており、そこには長所もあるのだ、という報道のようでした。(200011150346)
10/31(火)の「ニュース・ステーション」で少年法改正(14才以上は処罰化)について報道してましたが、被害者側から見た問題点が3つあるのだそうです。(少年犯罪被害当事者の会代表の武るり子さんの御主張)[後の「ニュース・ステーション」での司会者の久米宏氏の補足によれば、今回の主張というものは、『少年法を、単なる厳罰化ではなく刑事裁判化することによって、従来は剥奪されてきた被害者の知る権利が満たされる』というものでしたそうです。被害者は過大な要求はしてないのである。加害者は刑事裁判にしてもしなくても、自分で何をやったか事実を知っている](200011150335)
1. 故意の殺人行為は原則逆送(検察官への送致)だが、但し書きがあり、裁判官の恣意によってどのようにでも判断できるのではないかという「不安」を感じる。心が休まらない。
番組の解説者の方が述べてましたが、今回の少年法改正でも、被害者は審判(少年の裁判)に立ち合わせてもらえないままだそうですが、神戸事件を担当したある家庭裁判所の判事さんが、「それは裁判官の裁量次第であり、今の法律でも実現できる」そうでした。裁判所の判事の意識が変わる事が大切ではないかとの事でした。被害者遺族は、死亡した被害者親族の「名誉を守りたい」のであるから、ぜひ、その機会は審判に立ち会う事によって、加害者少年の言葉に対していつでも異義を差し挟めるようにさせてあげるべきではないでしょうか。(200011010309)
2. 加害者や加害者の家族は「但し書き」無しで意見陳述ができるにも関わらず、被害者には同じ権利が与えられてないそうです。被害者が意見陳述できるようになったのはいいとして、加害者を考慮しながら意見陳述をすべし、という「但し書き」が常につきまとう。これは理不尽ではないか。この但し書きは、被害者に「意見陳述が出来ない場合が出てくるのではないか」との不安材料となる。心が休まらない。
3. 被害者が裁判記録の閲覧が出来るようになったのはいいとして、「加害少年の健全な育成に考慮して」という「但し書き」があるために、被害者は加害少年の情報を「理不尽に」得られない場合があるそうです。加害者側は、ほとんど、どのような情報も知ることが出来るにも関わらず、被害者の権利はそこまで行かない。せめて裁判官の審判の根拠とした、加害少年に関する情報は知る権利があるという主張でした。加害少年の全てのプライバシーではなくとも、審判に関係する情報に関しては知らせてくれてもいいのではないかとの主張です。
9/25(月)の「ニュース23」で報道してましたが、7/29に大阪府中央区で起きた中国人の韓穎(ハン・イン)さん(女性)が路上を歩いていたら誰かにバッグをひったくられ、それで取り返そうとしたら殺されてしまった事件があり、目撃者はいませんでしたが、丁度その時、彼女は中国の彼氏と電話の最中で、一部始終が伝わっておりました。中国にいた家族は彼らの年収の4年分に相当する日本円にして140万円を使って日本の現場確認に来ました。普通、日本人の場合、犯罪被害者等給付金支給法という法律によってある程度バックアップされるそうですが、日本で被害に遭ったにも関わらず、一切、支給を受けられないそうです。国・司法も頭が変になったのかな。日中関係にも悪い影響を及ぼしてしまわないか?
それから、在日韓国人に投票権を与えるのは、当然ではないでしょうか? 参政権付与に反対する人の理由は「国籍が無いから」と言いますけど、頭おかしいんじゃないの?(^^; 現にこの地に住んでるのは事実なのにね。異種のものが混ざる事は、発展に繋がります。シュタイナーもそう述べてます。(200009260309)
9/19(火)の「ニュース23」で報道してましたが、戦後の補償について、日本の司法は一貫して「国としての補償は済んでいる」の一点張りのようですね。それで世界の中では日本の司法に対する信用が薄れてきているそうです。そのため、補償を求める中国や韓国の人達がアメリカの裁判所に訴えるという事になってきているのだそうです。番組では戦後補償問題に詳しい弁護士の新美隆氏が「日本の司法の、法律的で細かい、実証的な議論よりも、“この問題を解決しなければいけないんだ”という市民的な感覚が盛り上がって来れば、補償問題が解決する可能性が出てくるという点で、日本社会よりアメリカ社会のほうがずっと可能性がある」と述べておりました。また、ドイツでは、国と企業が戦後の補償基金を設立することが決まったばかりとのことでした。ドイツも今まで日本と同じで、「国としての補償は済んでいる」という立場だったものが、以前に、そうはいかなくなって、ナチスの被害者に既に5兆円を支払ってきたそうですが、それでも済まなくなって、今度は「強制労働」についての補償に取り組むための補償基金設立が決まったのだそうですね。(200009200415)
2000.06.07(水)のニュース23で報道してましたが、裁判官が最終的な判決を下してしまう国はあまり無いのだそうです。今度の沖縄サミットに出席の国も日本以外、全部そうなのだそうですね。陪審員制度というのがあって、複数の一般市民が判決を下す制度です。実際の例として、裁判官の意図的で歪んだ判決と言わざるを得ない判決によって人生の25年を無駄に過ごさざるを得ず、つい最近になって無罪が確定した人の例が紹介されてました。警察だけじゃなくて裁判官も歪んでる人がいるんですね。(200006080404)