日本の刑事裁判での有罪率が99%を超えているのは一般的に知られている事実です。日本では冤罪がとても多いことが分ります。でも、それは何故でしょうか。そのことを最近知りましたので、元記事より以下に転載してみます。
 日本の検察組織には各地方検察庁ごとに、捜査予備費という名目の予算が毎年3億円前後、付く。

この予算は、逮捕した「容疑者」を裁判にかけると、それだけで1人に付き3万円の報奨金が検事に支給される「手当て」として使われている。この報奨金は、検事個人の、「コヅカイ」になっている。

容疑者を裁判にかけるのが検事の仕事であり、それで税金から給与、ボーナスが出ている。容疑者を裁判に、かけるたびに、「コヅカイ」を支給するシステム=予算が、出発点から「そもそも異常」である。

裁判にかけず略式起訴で2万円、起訴猶予でも1万円の「コヅカイ」が出る。

起訴猶予は、犯罪を犯してはいるが情状酌量で裁判にかけない場合だけでなく、裁判にかけても無罪になるので、逮捕はしたが裁判にはかけない、という場合をも事実上、含む。つまり「誤認逮捕」のケースである。

無実の人間を逮捕し取り調べ、長期間、牢屋=代用監獄に閉じ込めておけば、通常は、その警察官、検事が「処罰」されて良いはずである。しかし、処罰されずに税金から1万円の「コヅカイ」が出る。

コヅカイが欲しい検事は、何でも良いから事件をデッチアゲ、市民を片っ端から逮捕し牢屋に入れておけば、無罪・無実で裁判所にさえ「持って行けなくても」、コズカイが出る。

デッチアゲで大量に逮捕すれば給与が増える、給与システムになっている。
とのことで、今更ながら、驚きました。検察官のコヅカイシステムの“運用方法”が「(場合によっては)人としてどうなのだろうか」と言える(場合が多いだろう)と思います。

 やはり、法律を運用する際に気を付けるべきことは、「法律の精神」であり、決して「勝ちたいから」とか「お金が欲しいから」という自己利益の都合で判断の第一のポイントを焦って取り逃がし、いや、見過ごしてはいけないと思います。発祥道でも述べましたが、やはり、警察官や検察官は人から感謝されることをしたり判断した時にポイントや給料が増える仕組みに変えないといけないと思います。

 それから、検察は「金額」にばかり目をつけた判断が多いような気がしますが、何か変じゃないでしょうか。(201002261851)

【→阿修羅発言 ←『「検察は墓穴を掘ったかも2・上村被告の場合」』(201002271605)】
【→阿修羅発言 ←『直ちに取調べ全面可視化の実現を 日本支部声明 (アムネスティ・インターナショナル日本)』(201002281513)】



 日本国民は税金を毎年3/15までに確定申告します。災害に遭ってしまった人の場合「雑損控除」または「災害減免額」というのがありますが、これらでは住宅や家財や災害時の止むを得ない支出だけが控除として認められているようですが、「災害の範囲」をもっと広げて、例えば「振り込め詐欺等による支出」などを含めてもっと広範囲に拡大したほうが良いのでは? そして、マイナスの金額が本年分の税金をゼロにしても、余りが1円でもある時は、来年以降に償却して行けるようにしたらいいのに。今の税制だと、【「振り込め詐欺等による支出」がどんなに大金で困っていても、マイナス金額なんか関係ねぇー。とにかく所得を得たなら税金を収めてもらいます】というのが国の態度だから。この概念に限らず、「犯罪被害者」から国が利益を吸い取る=被害者性を国が考慮しない(=無視する)ような構造が存在するのはおかしいのではないかと思います。(200903010223)


 韓国でサイバー侮辱罪を立法するかどうかについて議論が高まっているそうです。韓国では有名人達がネット上の侮辱によって複数の方々が自殺して来た経緯があります。ネット上の侮辱に対する対応として、心理的な面と、社会的な対応行動の側面としての両面があると思います。立法をするのは好ましくないと思います。対応策として私が思いますのは、

1) まず、侮辱を受けた・受ける側の人が「社会的な認知を欲するという自己暗示を解きほぐす」ことが必要です。是非、このような認識を持ってほしいと思います。つまり、「実は、あなたは、周囲からの認知という“外的状況そのもの”を欲していたわけではない」という真実を理解できれば良いのです。

2) 次に思いますのは、侮辱を社会(外部)の側から一律に規制するのは極めて困難(不可能)だと思います。その侮辱が真実か捏造かを決定できるのは「それを言われた本人だけ」だからです。ここを立脚点にしないと。私も以前、「弥勒とは666だ」という言論をpuppenhouseという名前のホームページで行われていた事がありました。で、左のリンクページに書いてあります通り、ネット上で「悪口・侮辱等を言われている人=真実を確定できるただ一人のあなた」は、穏やかに相手に質問すればいいのです。『そんなに言うのであれば、悪口を言っているあなたがその内容を自分の魂を掛けて神に誓って真実であると証言できるなら、匿名のままでいいから、このボードの上で誓いを立ててもらえませんか? 先ずは、被害を受けている私から証言をしましょうか? 神に誓って、その悪口は真実ではなく、捏造である!』みたいにね。私がpuppenhouseに同様の旨を述べましたら、いつのまにかpuppenhouseは消えていました。(200902010559)

 ちなみに、(大統領などの)特定個人または少数の人々が戦争を開始するときは、その開戦が正当である(差し迫った必要性等、真に必要である)ことを、自らの魂を掛けて神に誓って必要であると(全員が)誓ってから始めるべきだと前から主張しております。(200902010617)



 最近、大麻で逮捕される大学生が増えているそうですが、私は大麻を勧めているわけではありません。ただ、ネットや書籍上に溢れる情報としては、「有効な効力を活用したらいいのに」みたいなところで、同意できたからです。かなりの偏見やイメージがあるような気もするし。実際、実験的で客観的な事実関係は、どうなのだろう。(200811180444)
【→阿修羅発言 ←『大麻報道:勉強不足のNHK(麻枝光一の「大麻は日本を救う」、7.27)【カリフォルニア州で大麻解禁?】』(200907280655)】
【→阿修羅発言 ←『大麻は世界を救う、戦争よ不況よさらば、の物凄さ?』(200908011310)】
【→阿修羅発言 ←『「大麻は麻薬ではない」月刊ペントハウス/丸井英弘弁護士緊急インタビューより | zackyChannel』(201001141911)】
【→阿修羅発言 ←『転載:麻は地球を救う W』(201002211630)】

 2009.02.08(日)の「サンデーモーニング」でやってましたが、大麻に関する調査報告として、

・急性・慢性 精神障害の可能性がある
・常用者の1/3から半数が依存に発展。
・被害妄想など急性の精神障害

というのが報道されていました。確かに大麻それ自体の危険性よりも、大麻が「より危険な麻薬への橋渡し」になってしまう可能性とか、大麻を取り巻く法律だとか社会の動きのほうが危険性が高いと思うので、吸わないに越した事はないと思います。(200902081557)



 なるほど。自民党が創価学会化したから「微罪逮捕連発」の世となってきた側面があるのですか。【→阿修羅発言 (200705180144)】
創価学会党化した自民党の五つの特質

1. 排他独善、高じて批判者を抹殺する体質
2. 反自由的で非民主的な体質
3. 詐術的・謀略的手段を平気で用いる体質
4. 理想や理念を求めようとしない俗物的体質
5. 寄生獣(パラサイト)的体質

創価学会には批判者を抹殺するいかがわしい実行部隊があるといわれているが、自民党の場合は権力という大きな力をもっている。権力という大きな力を背景に阿吽あうんの呼吸で批判者を抹殺することはできるし、最後は警察や検察を使い正義の名において批判者を抹殺することもできる。権力の内部には、時の権力者に無条件で迎合する者も多い。だから正義の名においてそのような挙にでることは十分に可能なのである。
【→阿修羅発言 ←『公認会計士は、なぜ特捜検察と戦うのか(ビデオニュース・ドットコム)』(200803181655)】


 最近、思うことがあります。それは「隔離するほど危険な人間なのか?」という点です【→阿修羅発言 (200810310804)】。中には勿論、意味も無く人に切りつけて殺すような人間がおり(→阿修羅発言 (200704232321))、隔離する必然性を納得できるのですが、例えば、ホリエモンは「隔離する必要」なんてあるとは全然思えません。隔離する必要の[ある/なし]の区別をして、隔離する必要がない人は、全員が社会に出られるようにしたほうが良いと思います。従来も、「執行猶予」が付けば社会に出られましたが、それはほんの一部ではないかと思います。放火した事を自分のブログで書いて逮捕された「くまえり」(→阿修羅発言 (200704232330))【→阿修羅発言 ←くまえりは覚せい剤類似物質のパキシル常用者だったそうです(200705221951)】を見てても隔離する必要性があるとは全然思えません。隔離の必要が物理的にあるからこその「刑務所」ではないんでしょうか? 「単に」と言ってはルール違反かも知れませんが、しかし、ホリエモンもくまえりも、単にルール違反者になった訳であり、社会に出て「また同じことをする」とはとても思えません。つまり、最近は微罪逮捕の「行き過ぎ」を見てて感じるのです。立川の自衛隊官舎で反戦ビラを配ったら逮捕(→阿修羅発言 (200704240017))等【→阿修羅発言 (200810271328)】ということをするのは、まるで日本国がどこか別の国から「脅されている」ようにも見えますし。

 従来から、「執行猶予中」というカースト制度が存在しているのだから、「物理的に隔離する必要の無い人」は社会に出して、スードラ階層に一定期間入るとか、そういうことであっても良いのではないかと最近、何故かそのような発想が湧きます。「ルール違反したらぶち込む」−このような発想に「必要性という観点から」違和感を感じます。検察の力が肥大化し過ぎているがための現象では? だとしたら検察権力の「ある程度の切除・適正化」が必要だと思う。検察がイケイケドンドンでは、無駄に収容される人数ばかり増えて行く事になりませんか? 収容の必要[あり/なし]を区別する視点こそ裁判官の方には強化して頂く事が大切なのでは? ルールを「1回だけ破ってしまった人」も「ついつい破ってしまいがちな人」も「わざと破る人」もスードラ階層の社会の中で「破る度に矯正される経験」を通じて適正化ということではいけないのでしょうか。この場合「1回だけ破ってしまった人」は何も矯正を受けることなく、ほぼ普通にしていられるという長所があるシステムだと思います。
 なぜ日本人というのはルールばかり言うのだろうかという感想も持ちます。というのは、正式なビザがない=不法滞在ではあっても、日本を自らの自由意志で選択し、既に子供も日本で育って来たのに、在留許可を出さずに本国に強制送還させるというニュースが何回繰り返されてきたでしょうか。「単に」と言っては何ですが、ルールとは軽いものではないですか?「在留許可を出さない」というのは、これは非常に重い種類の犯罪だと感じます。人道に対する罪というものですよ、きっと。ルールよりも人道のほうが大切だと私は思います。(200704240024)
(→阿修羅発言 (200705010130))
【→阿修羅発言 ←これが日本人権力者達の「何らかの生理」に基づいた発想基準だろうと思う(200705301016)】

 ただ、このような場合が起こらないように注意する必要がありますね。「日本が好きな人」は日本に貢献してくれそうですが、「日本からたらふく利益をかき集めよう」としている人は、相手(日本[人])に対する思慮が存在しないと言えるでしょうから。(200704301336)
【→阿修羅発言 (200705252251)】




 阿修羅発言がありましたが、選挙前にこんなに住民票を移動させて特定候補を当選させるのは、地元住民の民意への侮辱罪に相当しませんか? この種の計画的「犯行」を禁止する法律は「必要」ですよね。(200612110005)
(→阿修羅発言 (200612112228))
(→阿修羅発言 (200612221103))
(→阿修羅発言 (200701131846))
(→阿修羅発言 (200702020907))


 2006.11.19(日)の「サンデープロジェクト」で、父親の精子と子宮のない母親の卵子を第三者女性の胎内で妊娠して出産する問題について議論されてました。今の日本の法律では生んだ女性が母親になるそうでしたが、私はこれほど明確なものはないと思います。誰の胎内で育んでも、その子は実質的には両親の子供ですよね。でも、生みの苦しみを経て生んだ女性が感情移入してしまうのも頷ける話ではありますが、それは最初からそうするものだということで始まったことでしょうし、やはり、両親の子であることは明確な事実ですよね。

 それから、今度の教育基本法は「国による管理の強化」をメインに据えており、その他の事はお飾りのような感があるそうですね。確かに私も教育委員会というものに関して良くない話を阿修羅などで読んできた記憶がありますので、現在の「教育委員会による統制」から「国による統制」に変えたほうが良いようにも思われます。それはベターなのでしょう。でも、ベストなのは、親と、学校などを含めた地域社会による(国の指針による)教育が行われ、各地域、各学校などによる個性ある自由度の高い教育だと思います。だから、国による統制を強めないで、「実際には現場主義」であることを容認したほうが良いと思います。教える教科などは国による規定の指針があっていいのでしょうが。(200611191723)


 どうもずっと前から思うのですが、「罪ではないのに罪だとされる法律」と「極悪なのに、笑って済まされ、無罪かどうかも問われない」という両極端の「不備」が日本の法律にはあるような気がします。

片方の極端:
 「バカスカ売れる」という金銭イメージのあるもの(酒類[ドラッグ類]、風俗・スケベ商品類)は、主にヤクザの専売特許のような扱いが日本の法律にはあるのかどうか、つい先日、半月程前も、「酒類の販売が[やっと]全面解禁になった」というニュースがやってました。つまり、21世紀の2006年10月になるまで酒は「(儲かるから)やたらと売ってはならない」という扱いだった訳でしょ? 一般人に禁じておけばその裏側で儲ける額が大きくなれますから。
 スケベ関係も私には「悪い」とは思えません。光文社の「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日」を著したベンジャミン・フルフォード氏も、そのP173で『日本の法律はおかしなことだらけだが、なかでもヘンなのが、ワイセツ罪public indecencyの定義definitionではないだろうか?』とあり、私の感覚は正常なのだという思いを強くします。明らかに、この問題は意図性の次元の問題であり、それは物品に関しても同じですよ。つまり「同意していないのに、勝手に物品を持って行った」ら「窃盗」になるわけで、同意したかどうかという点が最大に問われる訳であって、それは性に限った話ではないことも自明だと思う。日本人(特に法律を善悪の基準にしてしまっている日本人)には世界から見て「非常識な人が多い」のかな。「自分の考えを持つ」ことが世界の常識であって、「周囲をキョロキョロ、ビクビク」しているのは、日本が未だに少数権力者の為に動く社会である事を意味する。国民は本音を言わず、演技するのがとてもうまい。つまり、正しいかどうかよりも、大勢に付くか付かないかという発想だと思う。それに、どうも幼児的な発想で善悪を捉えていると思う。

・幼児性その1:禁じられていたからだろうと思いますが、性=悪という幼時のイメージがそのままになっている克己心の感じられない人が多い。
・幼児性その2:「仲良くすること=善」という幼時のイメージがそのままになっている克己心の感じられない人が多い。「人が人を嫌いになったり価値観・考え方の差で分裂して行く事は悪ではなく、個人の権利であり、社会の多様化である」という事が分らない人が多いのも、ほとんど何事もなく育ってきたからだろうと思いますが、「仲良くすること=善」という考え方しか採れない(発想しないのではなく、発想が存在しない)というのも、なんというか、ロボットみたいに一辺倒ですなぁ。かと言って敵対しているからと言って、理由も詳細も確認も無しにドンパチやるのもちょっとお猿になってるような(^^;。

 戦後、アメリカが育てて来た日本人ヤクザが専売できるようにと日本の法律にも「考慮」された箇所が残ったままになっている可能性を思います。酒類の自由販売解禁は2006年の10月になってやっと成ったというところでしょうか。最近は急成長市場=インターネットで稼ぐ人が多くなっていますからね。酒類解禁でも「構わない」という感じでしょうか。ドラッグにしても、常習性・危険性がないものがあるそうですよね。勿論、LSDは危ないですよ。超危険です。しかし、マリファナ(大麻)というのはアルコールやニコチンよりも安全な薬物だそうでしょ。体内マリファナさえ分泌されています。「マリファナ」という言葉のイメージで物事を判断してませんか? こうやって「危険だ、危険だ」と安全なものを禁止にするのは、社会的な「裏事情」があるのではないかと疑いたくなります。痛みを軽減し、ウイルス増加を抑制させる薬物を何故「活用しない」という明確な方針を、しかも国家が持つのでしょうか? それに、何故、本当の事ばかり言う私という安全な人間を「危険だ、危険だ」【→阿修羅発言(200710200053)】と言ってはばからないのでしょうかね?
【→阿修羅発言 ←新型抗うつ薬の危険性について述べています(200705221941)】
【→オルタナティブ通信2007年03月12日 ←「コカ・コーラは麻薬」(200707041836)】

医療用マリファナの是非をめぐる議論『法廷に注いできたエネルギーは、今後は、マリファナの独占供給を打ち破るための取り組みに変わっていくだろう。』←アメリカ政府(?)がマリファナを目の色変えて禁止するのを見よ。

大麻取締法の運用の改善と改正を求める請願を見よ。
【→阿修羅発言 ←『大麻 犯罪の創造者は誰か?』(200803061618)】

 まあ、軍事技術にしても、アメリカが「ダメ」と言うだけで日本国は、「つっ伏したまんま(発音だけ誰かさん風で)」で服従するだけの思考停止国家だからしょうがないと言えばしょうがないと分るんですけどね。軍事が中心ですが、日本のエネルギー開発だって、つい最近までアメリカは「ダメ」と言って来た状況証拠がありますよね。自動車燃料だってそうでしよ。2000年頃はアルコール系燃料のGAIAXに対する税金イジメがあったり。「にも関わらず」最近では日本国内でE3燃料(Ethanol3%混合燃料)が最早許可されていますよね。アメリカの現状がE85だから、日本は絶対に85%を超えようとはしないと感覚的に予想できますよね。だから医療用マリファナでガンの痛みを和らげる時が来る【→阿修羅発言 (200901111955)】のもずっと後になりそうですね。勿論、日本が非核三原則を守るという点については合点しますが。これはこれで「自由に開発する」ようなものでもないですね。逆に、日本は世界のリーダーになってアメリカやイスラエル中国に向かって核兵器廃絶を説得したらと思いますが。

もう片方の極端:
 人の恋や結婚を目の色を変えて身を躍らせるようにして奇声を発しながら妨害し、彼や彼女の結婚が実現しないようにと目を吊り上げて疾走する醜い人々の罪の重さは歴然としており、これが何故、笑って済ませられるのかと私は思います。法律的にどうなのか全く私は知りませんが、少なくとも憲法では「(年齢要件を満たした)両性の同意だけで結婚できる」筈です。それを他者が右から左に勝手にシフトさせたり、存在しない話を作って信じさせ、人の人生を左右してから1年後に「あ、あの話、間違えちゃった、ははは」で済ます計画的な行為はこの国では多いと思われますが、これは死刑の一歩か二歩程度手前の重罪であるべきだというのが私の感覚です。意図性の話をすれば、私の感覚では、同意無しに物品を窃盗して疾走して行くのは罪は罪だと「当然だろうと思いますが」という感じなのに対して、同意無しの「裏工作=風説の流布」すなわち「全くの作り話」というものは、結構重罪の部類のような気がしますが。まあ、有名である点が収入源になっている人は、ある程度のゴシップ発生は仕方がないとも思いますが。そういうのを防ごうと思ったら、どこか公の場で公開の文章として「神に誓って事実ではないと証言すると同時に、1千万円程度は賭ける事を宣言する」ことで、ゴシップを流布する人に対峙(退治)して行けばいいだろうとも思います。必ず、どちらかが1千万円を支払う訳です。法律的にもこの種の賭けの存在を保証し、バックアップすればいいと思う。いい加減さに基づく悪を消そうと思えば消せる社会というのもより良いでしょう。特に日本人はそれが正しいかどうかよりも、人数でよってたかって来る傾向あるようですから。考え方の根拠=人数という側面も、本質を無視していたとしたらちょっと幼児的だなぁ。
 ホルモン・ショックの事実についても、「なかなか情報が伝わらない」のは、「見て見ぬフリ」をする人が多いからでしょうし、恋や結婚を目の色を変えて妨害裏工作ばかりする人々も、かなりの割合にのぼるからこそ法制化されないまま(?)なのではなかろうかと思います。つまり、少数権力者達自身がそれに加担し、該当するから法制化されないのでしょうね。それをいいことに、少数権力者による裏工作のやり放題国家の現状があるように思います。だからこそ、芸能人はパトロン権力者収入源の言うことを聞くので、裏工作世界=芸能界に関する情報が漏れる事の無いようにと、第一の義務であるファンへの返事をせずにシカトするのでしょうね。(200610200809)

 私は戦争など、武器を使ったり「1:多」という物理戦には勿論反対です。でも、武器を使わずに肉体だけを使う戦いは別にしてもいいのではないかとは思います。「武器を使わず」「1:1」ならばね。法律的に何でもかんでも禁止する傾向が強いと、活力が社会から失われるのではないかとも思います。「技がある人が強い」のは、それはそれでよろしいんじゃないでしょうか。(200610201045)
(→阿修羅発言 (200705112357))
【→阿修羅発言 ←「朝青龍の暴力許す世相(天木直人のブログ)5/16 」(200705162204)】


 法律(○)だけ守っても、人はロボット化するばかりです。そこに(丶)という魂を入れることは人間にしかできません。関連発言→[文化国家の概念](200306220006)

 国際刑事裁判所(ICC)が発足したそうですね。なんか、いいですねぇ。KKベストセラーズの「イルミナティ 悪魔の13血流」P52によると300人委員会という組織が闇の世界機関の立法府だそうですね。表の世界の国際的な裁判所が出来たのは素晴らしい事だと思います。

 3/12(水)の「ニュース・ステーション」によると、アメリカは、国際裁判所でアメリカ人を対象から外すようにと口撃していた(→動画一覧へ)そうですが、その主張は国連が(アメリカ人だけは?)「捜査と起訴の1年間猶予」を受け入れたことで収まったそうです。今、イラクの民間人の生命と財産を破壊する推進に手を貸している亡国総理(とも言われる^^;)も将来、裁かれる可能性も指摘されています。(アメリカが本当に止まらないのであれば)なぜ、アメリカはピンポイント攻撃が「可能なのにしない」のか? ブッシュ大統領「個人としての結論だ」と言われても意味が分かりませんがぁ。(200303122355)

 警察官が正当防衛で発砲して相手が死んでも、それが真に正当防衛であれば無罪(?)なのに、家庭内暴力を引き起こす者を、真に正当防衛で殺した時には罪になる(?)というのは、変だと思う。(200204291928)

 2001.02.13(火)の「ニュース・ステーション」で裁判官の人が述べておられましたが、現在の司法の問題点は以下の3点だそうです。

1.現在、圧倒的に、量的に対応不可能である。
2.現在、中央集権的であり、硬直的。
3.国民が参加できないシステムである。(これは現在、陪審員制度の導入が決まり、仔細が検討されている段階ですね)
(200102150018)

 下記で私が「現場近くを通りかかったら必ず対処する」と述べた事に対する批判・非難があるように思われたので、意見してみます。その攻撃の理由は、私が片方で「戦争終結への道」という社会的立場からのアイデアを提示しているからです。私は勿論、イエス様のような高次元のを体現している訳ではなく、(私の価値観での)悪に対する強い怒りがあります。なぜなら、私はこの世に対してある程度のリアリティーを感じているからです。もし世界の全ての人がイエス様のようだったとしたら、この世を超えてしまっているので、この世の悪を滅ぼそうとはしないのでしょう(一般的に?)。フランス人のミシェル・デマルケ氏という人のコンタクトストーリー(徳間書店)では、宇宙の兄弟から「外宇宙からの攻撃に対して完全に無抵抗だった惑星文明があり、その惑星は滅んでしまった」事例も知らされたのだそうです。私は自分の現状・立場・価値観に立って以下のように考えます。
 上記の批判に対しては、要は、「個人的な立場」と「社会的な立場」という拮抗する立場がある、という点ですね。宗教というのは、社会的でもありますが、「個人的立場」に深く関わるものですね。ここで問題となっている「人を殺すのかどうか」という考え方については、その人その人(または各宗教)にとっての正義があると思います。
 「個人的立場」からは、生物人間としての遺伝子の促しのような、あるいは、止むに止まれぬ衝動のような、しかも「善であり、である」感情によって悪人の悪(だけ)に対する制裁(のみ)が行われ、時には殺人にもなると思います。この時、この人の心の中では「比較的重い(=自分に近い)判断」を断行したのだと思います。そのようにして、精神性は保護され、精神性の生きてる社会となると思います(ただ、物質性が切り捨てられてしまいましたが)。しかし、世の中は大勢の人間がいて、関係の無い人がほとんどなのですから、「社会的立場」からすれば、「とにかく殺人は止めよう」という事になると思います。この時の判断は、ほぼ全員が「比較的軽い(=自分から遠い)判断」だと思います。すなわち「悪人の悪によって、人々の精神性が濁る可能性があっても、殺すのは止めよう」という立場だと思います。
 多分、両方の立場のどちらを採るかは、その人が(自分の価値観における)悪をどの程度、自分に許した(ている)か、という事に起因すると思います。最近のインドネシアの味の素の製造過程で豚の体内から取り出した酵素(?)のような触媒を使ってグルタミン酸を(?)作り出していたという事で責任者が一時逮捕されましたが、その触媒自体が製品の中に溶け出すのは1億分の1とか(?)。この種の原理的な事をインドネシアでは問題にする人が多いということは、それだけ宗教戒律的に真面目で誠実な人が多いのでしょうね。ということは、インドネシア人は精神性を重視(=物質性を軽視)なのでは? その点、日本人は目に見えないとあまり重要視しないのかも知れませんね(?)。
 「個人的立場」に立つ日本人は、それだけ(自分の価値観での)悪を自分に許さない人でしょうから、「社会的立場」の人が加害者の刑を軽くした ような場合、その精神性をヒドイと思うし、「社会的立場」に立つ日本人は、「個人的立場」を理解したり接近したりするのは「社会的に不利だ」と思い、距離を置こうとする結果、「ヒドイ」と思うのかも知れません。どちらも相手の立場への理解は現状では遠いけれども、果たして、この種の溝を埋めるような真似をしても良いのだろうかとフト思いましたが、少なくとも、「一応、情報として知り得ている」というのはOKだとは思います。すなわち、「ひどいと離れた所から言うのは簡単なのだから、直接、議論なりをしてほしい」という主張をしてみたいですね。(200101130011)

 11/17(金)の「ニュース・ステーション」で、下記の武るり子さんが「加害者少年の保護育成を望む」との国会での発言を報道してました。やはり女性の発想だと社会はうまく行くと思いました。女性の発想は多分、事件の出口・終息点・社会性において生きて来ると思います。この前、裁判中に、子供を殺された父親が加害者少年の首を絞めるという出来事があったそうですが、私もそれは「正しい」と感じます(動機・原因が正しい。行為・結果は社会的には不適当となってしまいますが)。恨みが「聖なる領域」に入っている点を理解すべきである。イスラムはその種の「聖なる心」をバックアップする宗教ですね。コーランの中には至る所、「奴らのような輩には死後、永遠の業火が待っている」という記述があります。「聖なる心」を持つ人はその「神の約束」に喜び、希望を見出すのです(イスラムについては[目を神へ]や[日本テレビの姿勢]で少し述べました)。「恨みという聖性」が理解できない人は、その父親の「(気持ちが)正しい」事が分からないと思います。しかし、社会的・行動的・結果的にはそうではないほうが好ましいことになってしまうので、その父親の気持ちに対しては長い転生の間に補償行為として神から何かが与えられるのは確実だと思います。私への攻撃的念を感じるので、過去、この種の事を述べるときは、「恨みという聖性」の観点から意見を述べていた事を強調しておきます。自分を擁護するために述べておきますと、ちょっと前の事件で、小学校の校庭に入り込んでカナヅチで小学校の生徒の頭を殴って殺したなどという事件がありましたが、もし私がたまたま近くを通りかかったら、その犯人を再起不能にする事は確実だと思います。あなたは近くを通りかかったら、対処しますか? 男性の発想は多分、事件発生の入り口・始発点において生かされると思います。(20001120359)

 11/14(火)の「ニュース23」で報道してましたが、米ミネソタ大学教授のマーク・アンブライト氏とコーディネーターのキャロリン・マクロードさんが、「修復的司法」というものを説くために日本に来られたというニュースでした。
 日本では少年犯罪について「加害者少年の保護か/厳罰化か」ばかりが議論されているが、「加害者が謝るべき対象は国ではなく、被害者である」、「少年が法律を犯した点を認識させるのではなく、被害者にどんな思いをさせているのかを理解すべき」等のアイデアを携えて来てました。それに参加した日本人は「(凶悪殺人)被害者の傷が癒える事は無いとは思うが、それとどうにか付き合って行けるようになれるきっかけとして加害者とのコミュニケーションが有り得るのではないか」との意見を言ってました。まあ、単に物を盗んだ/盗まれたの話ならば、いくらでも対面して話は出来ますが、凶悪殺人の被害者にいたっては、加害者と「仲良く」などは、発想自体があってはならない領域であると私は思います。
 アンブライト教授達も、被害者が、加害者と対面できるような場合でなければ、決して対面できないという事実もあるそうでした。だから、対面プログラムは一部、行われており、そこには長所もあるのだ、という報道のようでした。(200011150346)

 10/31(火)の「ニュース・ステーション」で少年法改正(14才以上は処罰化)について報道してましたが、被害者側から見た問題点が3つあるのだそうです。(少年犯罪被害当事者の会代表の武るり子さんの御主張)[後の「ニュース・ステーション」での司会者の久米宏氏の補足によれば、今回の主張というものは、『少年法を、単なる厳罰化ではなく刑事裁判化することによって、従来は剥奪されてきた被害者の知る権利が満たされる』というものでしたそうです。被害者は過大な要求はしてないのである。加害者は刑事裁判にしてもしなくても、自分で何をやったか事実を知っている](200011150335)

1. 故意の殺人行為は原則逆送(検察官への送致)だが、但し書きがあり、裁判官の恣意によってどのようにでも判断できるのではないかという「不安」を感じる。心が休まらない。
2. 加害者や加害者の家族は「但し書き」無しで意見陳述ができるにも関わらず、被害者には同じ権利が与えられてないそうです。被害者が意見陳述できるようになったのはいいとして、加害者を考慮しながら意見陳述をすべし、という「但し書き」が常につきまとう。これは理不尽ではないか。この但し書きは、被害者に「意見陳述が出来ない場合が出てくるのではないか」との不安材料となる。心が休まらない。
3. 被害者が裁判記録の閲覧が出来るようになったのはいいとして、「加害少年の健全な育成に考慮して」という「但し書き」があるために、被害者は加害少年の情報を「理不尽に」得られない場合があるそうです。加害者側は、ほとんど、どのような情報も知ることが出来るにも関わらず、被害者の権利はそこまで行かない。せめて裁判官の審判の根拠とした、加害少年に関する情報は知る権利があるという主張でした。加害少年の全てのプライバシーではなくとも、審判に関係する情報に関しては知らせてくれてもいいのではないかとの主張です。

 番組の解説者の方が述べてましたが、今回の少年法改正でも、被害者は審判(少年の裁判)に立ち合わせてもらえないままだそうですが、神戸事件を担当したある家庭裁判所の判事さんが、「それは裁判官の裁量次第であり、今の法律でも実現できる」そうでした。裁判所の判事の意識が変わる事が大切ではないかとの事でした。被害者遺族は、死亡した被害者親族の「名誉を守りたい」のであるから、ぜひ、その機会は審判に立ち会う事によって、加害者少年の言葉に対していつでも異義を差し挟めるようにさせてあげるべきではないでしょうか。(200011010309)

 9/25(月)の「ニュース23」で報道してましたが、7/29に大阪府中央区で起きた中国人の韓穎(ハン・イン)さん(女性)が路上を歩いていたら誰かにバッグをひったくられ、それで取り返そうとしたら殺されてしまった事件があり、目撃者はいませんでしたが、丁度その時、彼女は中国の彼氏と電話の最中で、一部始終が伝わっておりました。中国にいた家族は彼らの年収の4年分に相当する日本円にして140万円を使って日本の現場確認に来ました。普通、日本人の場合、犯罪被害者等給付金支給法という法律によってある程度バックアップされるそうですが、日本で被害に遭ったにも関わらず、一切、支給を受けられないそうです。国・司法も頭が変になったのかな。日中関係にも悪い影響を及ぼしてしまわないか?
 それから、在日韓国人に投票権を与えるのは、当然ではないでしょうか? 参政権付与に反対する人の理由は「国籍が無いから」と言いますけど、頭おかしいんじゃないの?(^^; 現にこの地に住んでるのは事実なのにね。異種のものが混ざる事は、発展に繋がります。シュタイナーもそう述べてます。(200009260309)

 9/19(火)の「ニュース23」で報道してましたが、戦後の補償について、日本の司法は一貫して「国としての補償は済んでいる」の一点張りのようですね。それで世界の中では日本の司法に対する信用が薄れてきているそうです。そのため、補償を求める中国や韓国の人達がアメリカの裁判所に訴えるという事になってきているのだそうです。番組では戦後補償問題に詳しい弁護士の新美隆氏が「日本の司法の、法律的で細かい、実証的な議論よりも、“この問題を解決しなければいけないんだ”という市民的な感覚が盛り上がって来れば、補償問題が解決する可能性が出てくるという点で、日本社会よりアメリカ社会のほうがずっと可能性がある」と述べておりました。また、ドイツでは、国と企業が戦後の補償基金を設立することが決まったばかりとのことでした。ドイツも今まで日本と同じで、「国としての補償は済んでいる」という立場だったものが、以前に、そうはいかなくなって、ナチスの被害者に既に5兆円を支払ってきたそうですが、それでも済まなくなって、今度は「強制労働」についての補償に取り組むための補償基金設立が決まったのだそうですね。(200009200415)

 2000.06.07(水)のニュース23で報道してましたが、裁判官が最終的な判決を下してしまう国はあまり無いのだそうです。今度の沖縄サミットに出席の国も日本以外、全部そうなのだそうですね。陪審員制度というのがあって、複数の一般市民が判決を下す制度です。実際の例として、裁判官の意図的で歪んだ判決と言わざるを得ない判決によって人生の25年を無駄に過ごさざるを得ず、つい最近になって無罪が確定した人の例が紹介されてました。警察だけじゃなくて裁判官も歪んでる人がいるんですね。(200006080404)

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