善悪に気をつけることが人間としての大切な注意点だと思います。しかし、報道の「自由」というものを主張する(メディアの)人々がいます。それが誰か、何か、権力からの弾圧という状況がある時には「自由」を主張するのは意味のあること(権利の主張)ですが、被害という重圧を被っている人(々)について「取材する自由」を主張する、実行するという無神経は、これは主張してはならない自由だと思います。つまりそのような権利は存在しない。それは何らかの「作品」というものを発表する芸能人、歌手、芸術家についても同様だと思う。

 具体的に述べてみれば、例えば地下鉄サリン事件で被害を受けた人々を取材する時に【例えばの話⇒】麻原彰晃の写真を掲げてみたりすることは、遺族の人が「最も見たくない、接したくない情報」である点を無視し、人としての最低の振る舞いをしていることになりますよね。そのような行動をする主たる目的は「お金」なのであって、だから人間性を踏みにじっているのです。しかし、言葉の上では「取材する自由」などと嘘を述べます。そのような言説をするから、若い人が「取材する自由は大切だ」などと思ってしまうのでしょう。取材する自由が大切なのは、暴政に対する反権力という意味での自由なのであって、弱者に精神的苦痛を与える自由などあってはならない。(202007102257)



 非常に性質の悪い悪人というものがいます。何のために何をやって/言っているのか意味が分からない。また、とても性格の良い人がいて、近くにいるだけでそのオーラのような得体の知れない美しいものに心が洗われるような時があります。このような善良な人の場合も、我々のマインドは意味が分からない。(笑) ただ、人間存在にとって、このように善悪というものは大きな意味があるので大きく影響されます。

 我々のマインドは頭が悪いので、善良性を発揮する時、それは自分が根本からやっているというイメージを持ってしまう。しかし、根本は神であり光であり、人間はその「形」を表現しています。動物も勿論、愛や調和や団結力や感謝や喜びや友好性等々の形を表現しています。このような性質は光の性質であり、その種の法則を司っているのは形のない本質の世界の統合的な存在であることは人間誰にでも分かると思うのです。つまり、マインドによって明確に認識すべきことがあると思うのです。それは「善悪の法則の根本を人間(マインド)が司っているわけではない」という点です。

 アセンションのための光がどんどん増えているというチャネリング・メッセージは何度も繰り返されています。アセンションしたい人はそういうエネルギーに乗る(同調する)ようにするのが好ましいのは確かな事でしょう。そのためには、アークトゥルスのメッセージ(English / Japanese)が述べるように、マインドからハートへ移行するという決断が必要だと思います。上記の強調文字で示しましたのはマインドが考慮すべき真実です。

 誰かや何かの悪を許そうとする時に「必要なこと」は、「自分の負担を軽くすること」です。これが必要な事です。その悪意や自分が被った被害に執着しているのは自分の負担になるわけです。故に、それを気にしない=忘れる=リリースする必要があるのです。しかし、2000年前に偉大な方(イエス様=サナンダ師)が示したような「許し」は以前に述べましたように、長期的な視点では「悪人を元気付けてしまう=惑星を破壊してしまう」というデメリットが発生すると思います。だから「ARIONによる魂の振るい分け」が2006〜2013年に行われたのです。もしもの時に備えて。(下記リンクによると、悪の支配は何十万年も前から始まっているそうです(202007142046))

 私から提言させていただきたいのは、誰かや何かを許す時には、その悪人や悪事を実質的に許そうとすることではない、ということです。何故なら、人間は善悪の法則を制御する存在ではないからです。それは人間の能力を超えた領域で起きている法則です。実質的に許すか許さないかは法則が行う訳です。だから、正しく表現すると、「誰かや何かを許すのは、自分を楽にする為であり、その悪人が行った悪事に対しては痛烈な懲罰を神(法則)に願って法則に委ね、自分はアセンションを継続し楽になるために記憶をリリースする」ということになります。(202007050815)



Commander Ashtar’s Update: Humanity Must Stand United (EnglishJapanese) (202007142041)


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