下記で自分が思い出した記憶とシェルダン発言の関連付けをしていたのですが、シェルダンの翻訳サイトがいつのまにかなくなっていました。でも、学研「ムー」2006年08月号のゼータ・レティクル座(レティクル座ゼータ連星系)にある惑星「セルポ」の記述『イーブ人には信仰心もあった。宇宙を司る“至高存在”(神)を崇め、教会か寺院のような建物に礼拝に通っている。』にP41で触れる事ができたので、記録しておきます。「神を礼拝する」というのは、当然と言えば当然にも思えるのですが、それが当然と思えないほどの意識の乖離が地球人の側にはあるような今の時代意識の中ですから、やはり何かを述べる意義もあると思う。ムーの記事、セルポ文明では太陽系から彼らの故郷に帰るのに270日ぐらいかかるそうなので、私の記憶にある「全宇宙が自分の庭」という感覚は、かなり進んでいると思われるので、私は別のゼータ・レティクル種族の記憶なのだろうと思います。知ってる中では、ラルフ・チャーコンのところに来たゼータ・レティクル種族ではないかと思う。離脱した幽体で宇宙船に乗り、たとえ地球近辺で事故が起きても故郷の自分の「肉体」に瞬時に戻ることができるような「旅行法」を採っているところから「全宇宙は自分の庭先」という感覚に近いと思うのです。(200607070559)

 [666の「獣」について]のほうに、ちょっと触れました。(200606090010)

 ちなみに、以前、学研の「ムー」誌で、クフ王の大ピラミッドの屋根裏部屋の壁に、端が石組みの中に僅かに隠れている「クフ」とのサインがあるというのが定説ですが、ムー誌のその記事では「クフではなく、ラータである」との主張がありました。それで、戸閉めヒエログリフ というソフトをインストールして試してみましたら、次のようになりました。「ラータ」とは、エドガー・ケイシーのリーディングに出てくるケイシーの過去世であり、ピラミッド建造に深く関わった人物です。この二つのサイン、やはり、結構似ているかも。私はWindows Meですが、動作しました。ちなみに、X線による立体完全スキャナーをピラミッドの隠し部屋探索に利用したらいいと思います。(200501250248)

ラータ(lata=rata):

クフ(kufu):

 私以上に私をよくご存知である神、及び某神霊が、その617預言の中で、過去の世で突然奪われたらしい私の夢は、より規模が大きくなった夢として私に与えて下さったと思っています。その預言が日本化した解読の最中で、「夢とは何を意味していたか」を、確定できました。それ以後、私はこれを夢としておりますので。これを夢とした時に、「迷惑」を感じる人々は、過去の世において私の被った事態を充分に喜んだ者達と考えます。私はつまり、夢の為に誰を裏切ったり汚い手段を使ったり、誰を不当に押しのけてもいません。[私の性格の偏り]に「社会的認知を第一としない」と述べましたが、「汚い道を通らない」と同じ意味です。これは神が私に与えてくれた夢です。その点を外さないで考えてほしいと思います。もし考えるならば。[関連

 それと、昨日、7/5(金)の16:08に、イギリスなのかな?時々映画にも出てくる(と思う)幅の広い並木道の映像が私に与えられました。脳裏に展開したのです。並木道のある大学?に自分は通っていたのかな?少なくとも、その「幅の広い並木道」にはとても馴染んでいたのである。それは確実・事実。(200207060030)

 韋駄天掲示板というところで、下記のような発言が載ってました。(200207030100)

[26862] RE[26854] [26856]  
 投稿者:sophiatp  投稿日: 07/02 Tue 00:54:18 [ID:.cZOEOz7q5A]削除

[26856] をを!神殿建立計画が、とうとう発動しましたねぇ
[26854] イスラエル軍、違法な仮入植地の撤去始める〔朝日新聞〕

→つまり、「パレスティナ国家は認める(最悪、アラファトでもいい)、しかし、エルサレムは完全に併合する。」という、
最も現実的な解決に向けて、米国がゴーサインを出したと言うことである。
ここで、イスラエルが、エジェビット君に対して、「祖先の1453年の大暴挙の清算」をするように要求し、それを飲ませたら、
「イスラエルによるエルサレムの100%領有」について、キリスト教諸国、特に、EUとロシアは全く反対しないと思われる。

 ユダヤの神殿の再建についても文句は無いだろう。
彼らにとっては、ゴルゴダの丘の聖墳墓教会、ビア・ドドローサの14駅等を完全に維持できれば、
なにも文句は無いはずである。



 これも[「後ろの正面=松本明子さん」及び、万灯を掲げます]への補足にもなるかもしれませんが、こちらにタイプしておきます。昔の日記を見ていたら面白い記述があったので、記録しておきます。

1982.01.07(木)
 最近、原田真二が気にかかる。昨日か一昨日は、彼が才能があると思ったり、今日は、原田真二が新人賞受賞を受けず、テレビにも出ず、コンサートだけをやっているということが、その大胆さが出口王仁三郎みたいと思ったりした。
(200205230000)

 これは[「後ろの正面=松本明子さん」及び、万灯を掲げます]への補足にもなるかもしれませんが、こちらにタイプしておきます。昔の日記を見ていたら面白い記述があったので、記録しておきます。

1980.01.19(土)
 
夢でSirアダムスキーがただ1冊出版を許した本があるという。僕がそれを探すジャーナリストとなっていた。矢追さんもこれを見つけられなかった。僕はそれを見つけた。知人の運転する車で、僕が朝やけ時に「ああ、ソロモンの星が消えてゆく」と言うと「いや、ソロモンは蘇りますよ」と言われ、その時、何かがひらめいたと、僕の旅行記に書いてあった。

 この内容は、今では忘れてしまっており、詳細しょうさいが不明です。(200205202305)

 円卓の騎士物語、聖杯探求の物語で有名なアーサー王(King Arthur)物語の中に出てくるお城の中で、本拠地としていつも名前が挙がるのが「カメロット」と言います。カメロットが現在のイギリスのどの場所であるのかは、城壁跡地の中から一番可能性のある場所が推定されてるそうです。ところで、「カメロット=亀六十=弥勒十字」で、“アーサー=朝”王ですので、これで弥勒十字と二重のシンクロニシティーですね。ここで[「57」OR「75」の文字]にも少し述べましたイギリスの国旗が形として、弥勒十字と合致してきますね。これで3重のシンクロニシティーが成立しました。このシンクロニシティーは、かなりグローバルな意味合いのようですね。
 アーサー王物語は、優れた騎士達の冒険物語ですが、その中では同時に、王妃に忠誠を誓う場面などがあり、そのように女性を崇拝する習慣は海を越えた当時のローマ帝国の社会からすると禁忌きんきであり、批判があったそうですね。でも、歴史は当時のローマ帝国の常識が偏っていたと語っていますね。でも、純潔を守る騎士とか、聖杯とか、なんか…(^^;。聖杯についてインスピレーションを感じた事があり、日付などは[MSさんへの第通目]にあります。聖杯については、修道女の幻視者、アンナ・カタリナ・エンメリックが幻視内容を本にしておられます。ノアの箱舟の中で一等高い場所に置かれていたのだそうですね。「アーサー王の本拠地カメロット(亀六十)=弥勒十字で、形はイギリス国旗でもある。その中心にいるのは朝(アーサー)王」という興味深い示しが判明しました。もしかして「西の田が光る」「真は二つ」というのは、人としては元々私一人に集約されており、「栄光はイギリスにも」という国単位の意味であり、二国(英国と日本)を示しているだけなのかな? あるいは、本当に私以外の誰かがイギリスから出てくるのかな? そのイギリスの人(?)が「最後の仕上げ(四上げ=夜明け)」をもたらす「朝王」なのかな? もしかしたら、出てこなかった時にも弥勒十字がイギリスを含めた全体を包含できるように日本語の言霊の中にアーサー(朝)王が含まれているのかも? (200106072326)

 ラルフ・チャーコンのコンタクトについて、「UFOと宇宙」誌のNo.64(1980.11)66(1981.01)67(1981.02)68(1981.03)69(1981.04)号を、プロペラ無しの電磁気推進の関連で見てましたら、彼の第一回目のコンタクトが1979.09.25で、私の誕生日でした。それでここにも書いて置こうと思ったのですが、実は、私はなぜかゼータ・レティクル系の記憶の復活を体験しております。ラルフ・チャーコンは太古地球で彼らが行った混血によって地球に残った最後の血筋の者であり、地球との関係を完全に清算するために、彼らはやって来ましたそうです。そしてラルフ・チャーコンは1980.01に消息を絶ちました。私の所へゼータ系の人達がやって来ない所を見ると、私の肉体には彼らの「血」は混ざってない様だと思います。私がゼータ・レティクル系として生きていた時の事を「思い出した」のは2つで、1つ目は「皆で集まって宗教的行為、礼拝行為のような事をしていた」というもので(シェルダン・ナイドル:「事実、我々は、自分達を儀礼的な生き物であるとみなしています。すなわち我々の社会では、集団的な真儀に対しても、個人的な真儀に対しても非常に重きを置いているのです」)、2つ目は、彼らの考え方・感覚では「全3次元宇宙空間は、自分の庭先である」という感じ方・捉え方をしている事を「思い出した」のでした。それが「過去世」なのか「DNAの記憶のようなもの」なのかは明確には分かりませんが、肉体上の記憶ではないだろうと、上記を根拠として推定することが出来ます。それから、ラルフ・チャーコンによれば、彼がコンタクトしてた1979年の時点で、「1983年にアメリカに爆弾が落ちて国土の半分が悲惨な状況になる。34州が居住不能になる。カリフォルニア州は消滅する」という未来を見てますが、このような事は1983年には起こりませんでした。しかし、次元と重力の話にも少し触れましたが、アカシックを読む時の年号には気をつけるべきだとVOICE発行の「光の十二日間」(\1,900)という本の著者が述べておられますので、もしかしたら、アメリカが他所からの爆弾?彗星?の攻撃・墜落の脅威にさられている可能性があるようにも思います。多分、そのような預言があるとすればクリントン大統領の耳には色々と入っていたのかも知れません。国連が今すぐすべき事だと思いますにもありますが、彼がなぜ命中率の低いNMD構想(ミサイル迎撃げいげきシステム)を北朝鮮を「口実にして」早く実現しようとしたのか分かったような気もします。でも、ヒラリー夫人がニューヨーク州知事に当選した事に感極まって涙するクリントン大統領は、私的にはとっても好感触で、好青年でした。というか、彼は「妻」なのかも知れない(^^; すると、「夫」はヒラリー婦人かな。(200011090511)  7/22(土)の「世界不思議発見」で、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城(→)(ディズニーのシンデレラ城のモデルと言われる)のプロデューサーであった第4代バイエルン国王のルートヴィヒ2世(1845〜1886)はワーグナーの最大のスポンサーであり、莫大な国家予算をつぎ込んで彼の理想とするお城の建設を行いました。しかし、彼はとうとう狂人と見なされ、投獄されてしまったそうです。そして、ミュンヘンの南30Kmにあるシュタルンベルク湖で従者と共に水死体で発見されました。今まで、これは自殺とされて来たけれども、最近、他殺説が出ているそうです(現在の王家からの依頼により、バイエルン州検事局のヴィルヘルム・ヴェプキング検事の調査による。また、バイエルン国者クラブのヘルムート・ペッシル氏によると、今から28年前に王家に近いある婦人から、湖で国王が亡くなった時に着ていたシャツの背中の部分が大きく切り取られており、それは銃弾跡を悟られないようにしたものだという証言を聞いたそうです。また、国家委員会以外に王の遺体を見た者はおらず、誰一人、近づくことは出来ないという状況もあったそうです)。

 国王の生い立ちを見て行くと、ルートヴイヒは子供の頃、父親に拒絶され、引きこもりがちになったそうです。そんな彼は中世のゲルマン伝説にとても惹かれるものがあり、特に悪党をらしめお姫様を救う「白鳥の騎士ローエングリーン」に自分を重ね合わせていたそうです(私と似てる。つまり、この衝動は、今となれば明らかですが、まさに中世ドイツでの聖マチルダ皇后の近くでお仕えしていた時の記憶・衝動がルートヴィヒにそうさせていたと予想できると思います)。そのようにして中世ドイツに強い興味を持ったルートヴィヒは(今、思い出したけど、私の頭の中で「オルドリッヒ大王!」との声が響いた事がありました。→MSさんへの第14通目中森明菜さんへの第48通目御参照)その時代を扱った戯曲、特にワーグナー・オペラに心酔するようになりました。そんな時、心の溝を埋める事無く、父であったマクシミリアン2世が突然崩御ほうぎょし、ルートヴィヒは18才で国王になりました。ところが、彼は国王となった始めての命令が「ワーグナーを探せ」でした。彼はワーグナーを神とあがめるほどになってました。
 一方、彼がもう一人、心を許せたのはオーストリア皇后エリザベートだそうです。彼女はルートヴィヒと同じビッテルスバッハ家の出身で、8才年上の幼馴染おさななじみだったそうです。彼女の妹ゾフィーとの結婚話も、彼の婚約破棄はきによって終わりました。というのも、彼は女性に興味を示さず、むしろ、男性に興味を惹かれる傾向があったそうです。それが原因で、幼馴染のエリザベートは一時、親交を絶ちました。そのようにしてルートヴィヒはますます孤独を深めている時、ドイツ併合の動きが出てきました。ドイツは当時、プロイセンとバイエルンの2国に分かれていましたが、プロイセンの国王、ビスマルクが、強力な軍事力を背景に、バイエルン併合を画策し、それを政治的関心が希薄だったルートヴィヒは屈辱くつじょくを感じながらも要求をんだそうです。その後は政治はプロイセンの首都、ベルリンで決定されることになりました。そのようにしてバイエルン王国の消滅によって、ますますルートヴィヒは政治に関心が無くなり、夢のお城(ノイシュヴァンシュタイン城[エッフェル塔と同時期に建設された]+リンダーホーフ城[彼が憧れていたブルボン王朝のルイ14世にあやかったフランス風建築]+ヘレンキームゼー城[バイエルン最大の湖キーム湖の中の島に建てられた、ベルサイユ宮殿の再現])の建築に専念するようになっていったそうです。設計もルートヴィヒです。ノイシュヴァンシュタイン城は完成までに17年かかったそうです。この頃は、ワーグナーは贅沢ぜいたくな生活振りを非難されて国外に逃れていたそうです。リンダーホーフ城に住んでいた彼は強く人間嫌いになっており、食事も家来にさえ見られないようにと、一人だけで夜中に食べていたそうです。生活は昼と夜が逆転し(今の私に近い)、ワーグナー作のオペラを見るのも、夜中0時過ぎに、一人だけで劇場に出かけて、彼一人の為に100人を超える劇団員が集まり、そのようにしてオペラが209回(記録されている部分だけ)上演されたそうです。すでに上記の3つの城を建築するのに約370億円もの国庫を使っており、底を尽きかけていたそうです。それでもルートヴイヒ王は城建設を止めようとしなかったので、非難さえされるようになり、そして、とうとう、国家委員会によって精神病と見なされ、幽閉されてしまったそうです(1886.06.12)。その知らせを受けたオーストリア皇后エリザペートは大変、悲しんだそうです。翌日の6/13昼過ぎに医師のグッデンを伴って近くの湖に散歩に出かけたルートヴィヒは、その夕刻に二人共、遺体として発見されました。事件後、王家周辺にいたある女性の証言によると、ルートヴィヒの逃亡計画があり、そのために、「ある高貴な女性」がルートヴィヒが幽閉されていた湖のほとりにボートを待機させて待っていたのを見たのだそうです。しかし、王は現れず、ボートは空しく引き上げられたのだそうです。
 事件後、オーストリア皇后エリザベートは王の死を聞いて「彼は狂人ではありませんでした。自分の理想の世界に住むただの変わり者。もう少しいたわりのある接し方をしていれば、こんなことにはならなかったのに」と述べられたそうです。

 これらの話で私が驚いたのは、上記でルイ14世にリンクを張りましたように、[小室哲也さんに関して]の中のルイ14世の部分と、内容がリンクしていることです。つまり、ルートヴィヒ王はルイ14世への憧れを持っていたということとルートヴィヒ王自身が幽閉され、殺されるに至ったこと。ブルボン王朝時代、幽閉されていた鉄仮面(真のルイ14世)の命日と小室哲也氏の誕生日が8日のズレがあるものの、近接していることもあります。また、MSさんへの第14通目にも書いてありますが、今の私自身が、なんと、6/17(月)朝に、頭の中で「オルドリッヒ大王!」と呼ばれるという霊聴の体験をしたことがあり、その日付がなんと!上記ルートヴィヒ王の亡くなった6/13ではないものの、4日だけずれた6/17(月)であったという事実です。また、中森明菜さんへの第5通目にもありますように、1992.02.02(日)13:00頃、私の頭の中で「イザベラ」と言う霊聴体験がありました。これは、ルートヴィヒの幼馴染である「エリザベート」とリンクするように思います。これらの魂の縁に関して、さらに原因を求めるとすれば、もっと歴史を遡った、イザベラ・カトリカであろうと、従来通りに思います。そして、中森明菜さんへの第1通目にありますように、現在の私は中森明菜さんに関して一番、確度の高い過去世記憶の体験は、1991.11.04(月)に「水辺での感動体験」のような印象を感じた事です。この11/04という日付は、どうもルートヴィヒ王との関連性はなさそうなので、さらにもっと前の時代がありそうに思います。ただ、ルートヴィヒ王の逃亡計画を手伝おうとした「高貴な女性(オーストリア皇后、エリザベートらしい)」が「水辺で待機」していた事は、この過去世記憶とリンクしているように思います。少し、映画「バックトゥー・ザ・フューチャー」の様相を呈して来たかも知れません。2000.07.22(土)の「世界不思議発見」を、ありがとう!(200007240607)

 今日、1999.10.12(火)のNHKの22:00〜22:45の「ニッポンときめき歴史館」でやってましたが、秀吉は初の跡継ぎをよどかたとの間に授かりました。それは秀吉が53才の時でした。53才の時に子(9)を授かり、539となったと解釈できそうに思いました。(199910130306)

 1999.06.08(火)のテレビ朝日20:00〜21:00でやってた「たけしの万物創世紀」でチャールズ・ダーウィン(1809〜1882)がガラパゴス島で進化論を思い付く切っ掛けを紹介してましたが、その数字が結構、359とシンクロしてたので、一応、記録して置こうと思います。

 先ず、ガラパゴス島が発見されたのは、パナマの司教トマス・デ・ベルランガがペルーへの航海の途中、海流に流されて辿り着く事によって偶然に発見されました。その年が「1535」年でした。「635」と見えます。

 次に、ダーウィンがガラパゴス島に上陸したのが1835年(「935」年に見えます)で、この島の動物の多様性や特色を見てる内に生物の進化というものを思い付いたというものでした。島の滞在日数が35日でした。(199906100401)2000.05.13(土)の「世界不思議発見」でダーウィン特集やってましたが、ガラパゴス諸島の一つに「イザベラ」という島がありましたので、記録しておこうと思いました。以前も、「不思議発見」では、あるインドの王様の残した建築物が紹介されてて、その王様の宇宙観があって、そこには「宇宙の中心」と呼ばれるポイントがあって、「四方」に線が延びているというもので(卍に似ている概念)、しかも、その王様は「すごろく(356とシンクロ)」が大好きで、宮廷の中庭に人を動く駒として使って遊んでいたのだそうですね(^_^;)。これが日本でも、すごろくとして遊ばれるものの原型になったそうでした。これも記録しておきます。(200005140346)

 数日前に秀吉の番組がNHK1ch、3/26(金)の20:00〜20:45、「ニッポンときめき歴史館スペシャル」でやってました。その中で、秀吉がその子供をする余りに詠んだ詠が紹介されてて、注意が喚起されました。その詠の意味は「この子はとても可いから、いっそ、殺してやりたい」という内容の詠でした。そこから秀吉の心理を推理できると思います。つまり、秀吉など武将として活躍した人は、大勢の人を殺してしまった訳で、その為に良心の呵責に耐えられなくならないように、それを正当化し、「自分は正しかったのだ」と納得しようという傾向はあったと思います。それで、「殺すこと=情表現」というある種、極限まで屈折し切った思想・考え方になったのだと分かりました。故に、秀吉の魂にはそのような傾向があり、これを修正すべきと分かりました。つまり、するが為に「殺す」のでは断じてなく、「生かして、生かして、生かし切る」という発想が必要だと気付きました。これは多分、秀吉の元で働いていた武将などの人たちも同じだと思います。そのような考え方は間違っておりました。向う相手をするならばその人を、当時と同様に、しかし、今回は「生かす」発想をすべきなのです。(199904020453)
キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事 (200704110329)

 私は所沢市に住んでいますが、実は、早稲田エジプト調査隊の吉村教授も所沢市に住んでいらっしゃいます。古代エジプトに関して私は、1995年6月27日の朝の夢で、古代エジプトで「忠実な僕」として生きた生涯の最後の死の瞬間を思い出すことを得たのでした。当時は当時で私は私の独特のフィーリングを感じます。それは、まさに「忠実な僕」です。「どんなことでもする僕」として生きていたのです。そういうフィーリングです。この生涯で学んだ要素が後に神聖ローマ帝国で聖マチルダ皇后の神官として生涯を捧げるという忠実さの基礎となり、この時の「皇后陛下への」は、(多分・後述)秀吉の時には「親方様」衝動として輝く事となったようです。ただ、その衝動が強過ぎて親方様の夢を実現しようと朝鮮へと出兵(→阿修羅発言 (200510130223)) してしまったのかも知れません。既に当ホームページを読んで来て下さった方ならご存知のはずですが、堺正章さんという人が何故か大変に重要な位置を占めていたのでしたが、その理由がいまいちよく分からなかったのです。でも、歴史に疎い私もNHKの「秀吉」を見て推理できました。この理由は「秀吉」で解決するのです。秀吉は大阪・堺の商人の力を時々利用したのです。その時に大きな負担を忠実に負担して下さった商人の代表格が堺正章さんだと思えます。また、NHKの「秀吉」も、堺屋太一氏の本を元に構成されてましたね。

 古代エジプトで忠実な僕として生きていた記憶を思い出す夢を見ることができたのは、「プレアデス+ かく語りき」(太陽出版)という本を読んでいて、それによって色々と過去世を思い出すテクニックというか切っ掛けみたいな記述が色々とあって、それに刺激を受けた事は明らかです。具体的には「骨の中に、骨格の中に過去世の記憶がある」という箇所です。骨にフォーカスすることで、実際、そのような儀式を通過してきた事を夢で知らされたのでした。後で、エジプトの神話を調べてみましたら、「セト神」というのがあり、オシリスは、セトによって殺された神である事を知りました。つまり、この儀式は、「オシリス(冥界の王)」になる儀式だったのかも知れません。そして、この儀式が「必要」だったという点については、どうやら、古代エジプトでは、宗教の力がほとんど絶対的なものがあったようで、引用してみます。

『古代の宗教、すなわち「空の宗教」が王朝期のエジプトを支配していた頃、王さえも生贄に捧げることが要求されたが、支配者たちは大抵はその運命から逃げる方法を求めた。普通使われた方法は、支配者を神格化して、別な生きた人間を生贄に捧げるというものだった。
この赤い色を特徴とする人々は、「セト神の帰依者」あるいはテュポンの帰依者と呼ばれた。(訳者注:テュポンはギリシャ神話ではスフィンクスの父、台風の神様にあたる)彼らは第19王朝までは一つのセクトとして残っていて、彼ら固有の寿命を持つと言われ、また詳細は失われてしまっているが、特殊な死の形式を持っていたと言われている。しかしながら、「セト神帰依者」であることを証する有力なしるしは、赤い肌であった。』 (「エジプト超古代への挑戦」中央アート出版社、\1600より)
 例えば、エジプトという国土の向こうには得体の知れないモンスターがいて、それが嵐を引き起こすと考えられていて、そのような異国の神々を鎮め、農作物を守るために生け贄が捧げられたそうです。私は王の身代わりとしてオシリスになったのかもしれない。ある根拠があって、その時に「かならず聖杯を手に入れるのだ」と王は言ったのかも知れないと思っています。古代エジプトに関して調べた中では、この時代が一番近いように思いました。ちなみに、聖杯はアンナ・カタリナ・エンメリック著の「キリストのご受難を幻に見て」(光明社・発行)の中での記述によれば、大洪水の時のノアの箱船の一等高い位置に置かれていたそうですから、かなり古いものであると分かります。それがイエズス・キリスト様の聖なる血を受け取る為に使われるようになるという運命を見ると、ほとんど聖別された生きている杯のようにも思えます。

このような道を歩ませて頂き、神様に大感謝です。私の中では以上のような経験と文献により、このような理解をさせていただいております。













































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