「渡り廊下走り隊」という女性グループがいますが、「廊下」と言うんならVIDAを付けて「渡りVIDA廊下走り隊」にしなくっちゃ。(200904261310)


 以前、ケイト・ブリちゃんが日本に来た時にテレビでコンサートの放送をしてて、真っ白い衣装で「MOVING」を歌っていて、とても衝撃を受けた事を覚えています。その後、ケイト・ブリちゃんのLP「THE KICK INSIDE」や「ライオンハート」を買ったりしました。それは記憶では1973年の中学の時だったような気がしていたのですが、このYouTUBE動画だと真っ白な衣装で東京でコンサートしたのは1978年だったようです。この映像には二度と出会えないだろうなと思っていたので、この発見は大きかったな。

 ところで、2004年(日付不詳)にNHKの「ポップ・ジャム」で一度だけbless4の「ガジュマルの下で」(2004.02.25沖縄発売&2004.10.13全国発売)が歌われたのですが、これも探してるんだよね。

1990.05.25発売のB'ZのBE THEREがテレビ朝日の「M.ステーション」で1990年に歌われたのですが、冒頭部分が欠けてしまったのでこれも探しています(^^;。(200904230137)




 下記のIAN BROWNに歌詞の一部が関連して来るのかも知れませんが、「The Long Blondes」というグループが「Century」という作品で表現してくれましたようです。私はマンジの図形を使ったりしており、風車で暗示しているようです。題名の「Century」は私の自費出版本「世紀末研究」や、それを知っていた筈の神霊が、「(私の事を知らない時期の)某チャネラー」に「世紀末フォーラム」という名前を勧めたかも知れない可能性などを想起させます。歌詞の中で「Nothing in secret.」とあるところからも、私との相性が良くなります。YouTUBEでは暗くてよく見えませんが、周囲の大人たちが逃げ惑っている様子を見てもやはり「近い」と思います。私にも聞き取れるように簡単な単語を使って繰り返してくれているところからも益々ますます可能性が高まります。私が聞き取れた(?)のは

「[Everything I touch.]3 Like in trail the human life(?).(lie?)」

でした。相当に詳しく分析され、受け取られ、理解されているようです。まさにそのために公開し続けてきたのですから。ホームページ冥利に尽きますね。日本国内ではあまり見られない表現形式を感じます。…といよりも、欧米の方々は、主要な論点を「俯瞰ふかんできている」ように思われます。言語が違うというのに。いや、違うからこそ!?

 あまりメジャーな方に触らないとは言いつつも、マイコーには別の箇所で触れたりしてますし。お金持ちになるとアメリカも日本も権力者が怒るよね。マイコーだけをそんなに逮捕したり、ビル・ゲイツ氏に対しても凄いじゃないですか。マドンナだって、アフリカ人一人を物理的に援助しただけなのに非難される筋合いはないと思いますよ。(200805061818)



 私は音楽PVや歌番組の収集は1980年代からずっと行っています。「その上で」政治や預言の問題について「も」取り組んで来ました。最近はパソコンに触れることが出来る時間が約「12時間-睡眠時間」になったために、とうとう社会問題に取り組む(ネット上の時事の記事を追いかけたり阿修羅を読み込んだり等の)事が出来なくなってきました。故に、音楽PVのチェックを行い、ニュース番組のチェックがギリギリできるだけとなっています。そんな中、「THE HOOSIERS」がかつての白黒さんのような拘りを発揮しております(^^;。最初は「Worried About Ray」で黄緑色の一つ目の怪物として描写されているように思いました。それだけならまだ推測の域だったのですが、最近出てきた「Goodbye Mr.A」では「There is a hole in your logic.」から始まっています。次に「You know ? the answer.」と言ってますが、私は嘘はついてないので、今まで言ってきた事の何処に「穴がある」と主張するのか分りませんが。従って、「You don't know ? the answer.」が歌詞として正解です(^^;。もし、私のことを言っているとしたらね。
 次に「You claim science say magic.」と言ってるようです(これは阿修羅でかつてヒエロニムスの害虫駆除装置[私はヒエロニムスの特許は米国特許明細書第2482773のコピーを持っています]について述べた関連だと思います)。その後どうやら、彼らの言いたい事は「Your love is fraction.(あなたの愛は部分的・半端ものだ)」ということのようです。でも、私から言わせてもらいますと、「そりゃーそうですよ」ということです。決定した過去の事実関係ならば断言できても、未来のことは何も断言・保障できません。それに、私個人は、ある特定の人への特定的な愛しか持ちません。全人類へ愛を持とうとするのは私には無理な話で、というか、基本的に「自ら悪の側に立っている人」とは関わらないので、「無理」というよりも、「違います」。イエズス様の発揮されたような愛は、まさに偉大であって、たったお一人で大きな事を成されましたが、現代では、一人の人間に全てを背負わすようなことを神はされませんでした。弥勒十字も集団的・集合的に形成されました。私が何かを背負っているとすれば、それは全くの個人的な因果カルマでした。だから、「愛の大きさ」とかを言われても、「そりゃーそうだ」と「事実を言う」しかありません。それほど(霊的に)大きな責任まで与えられていないと思われます。
 基本的に、精神世界的な傾向を持つ人は私に関して一種異常な状況に陥る場合がよくあるみたいです。精神世界を思考の対象にすることのない人はあまり拘らずに済むようです。今回の文章は、飽く迄も、こちらの事を述べていた場合を想定してタイプしてみただけです。全く違う人の事について拘っているのかも知れませんが。(200803161735)



 と思っていたら、アムロちゃんが「WHAT A FEELING」でやってきました(^^;。これはまさにWOW…なのかも知れませんね(^^;。やはり、こうまでハッキリしていると触れるべきなのかも知れません。(200803082323)
 それに私は22:00の「H.ステーション」はよく見ていますが、01:00の「H.ステーション」も最近よく聞こえてきます。メロディアスな曲で、秀逸ですね。(200803090005)【→阿修羅発言(200803181632)】 と触れてしまうとPerfumeの「Baby Cruising Love」も秀逸ですね。(200803090016)



・またまたKYLIE MINOGUEが2008.02.18発売の新曲「WOW」でやってくれました(感謝しています)。衣装は、日本を意味する「赤+白」です。本当に嬉しいです。KYLIE MINOGUEが「YOU GOT IT(私でもなんとか聞き取れました)」と言っているのは、下記でのIAN BROWNのことなのだろうと思いました。ところで、遠い西洋のお姉さんのことだから触れられるのであります(^^;。KYLIE MINOGUEの歌で「Wouldn't Change A Thing」と「Never Too Late」が私が好きだなぁ。(ただ私が好きな曲というだけであって、余りにも自分自身と物事や発言を関係付け過ぎるタイプの日本人の誰のことも、曲の選択時に意識せずに選んだものです)

 最近、ほとんど時間がなくなってニュースも細かくチェックできず、阿修羅もほぼ読めていない中でこうやってタイプしています(^^;。最後に今回のBGMとして、「古舘伊知郎のNever Gonna Give You Up」(とか紹介しちゃうと??…でも、明らかでしょう)をどうぞ。(200802181901)



・「こういうことはなるべく言わないでいたほうが」と思っていましたが、でも、なぜ言わないんだろう?という疑問が起きてきます。KYLIE MINOGUEが、「CONFIDE IN ME」という歌で、欧米での私の評価を伝えてくれたように思うし(このPVはほんの数日前に初めて知りましたものです)、せっかく善意で表現をしてくれているのだから、ダンマリを決め込むよりもいつものように(一時的に?)「リンク」してみます。

・IAN BROWNが「F.E.A.R.」という歌で、欧米での私の評価を伝えてくれたように思うので、(一時的に?)公開してみます(このPVはほんの数週間前に初めて知りましたものです)。でも、F.E.A.R.とは、最高の誉め言葉と感じます。この言葉「FEAR」についてはアーキエンジェル・マイケルの2007年11月のメッセージの中でも、良い意味で説明がなされていましたね。アーキエンジェル・マイケルは、時々、そのようなさりげないメッセージを出されるときがありますね。また、2m30sの時点で通り過ぎる店の表に「TABU」と書かれているのも印象的ですdownload。YOU TUBEでは、どの動画も黒くなっててよく見えないようですが…。

・最近、tomboyという女性二人組のユニットが歌っている歌は韓国で大ヒットしたJEWELRYの「SUPERSTAR」の日本語Ver.です。韓国で大ヒットするのも無理はないでしょう。メンバーの一人が超美人ですから(^^;。(これは前から知っていましたので、ついでに) 

 この前、私がビル・ゲイツ氏はダチであると2007.11.18(日)に述べたからでしょう(参考)、2007.11.22(木)に日本人の権力者や有名人男性達が私に色々と文句を言い募って来る夢を見ました。彼らの「このような発想」が芸能界への新規参入を阻み、若い才能をゆえなく潰して泣かせている。芸能人の誰かが結婚する時もその種の性格が出ます。つまり、時期を揃えて、皆が一斉に結婚して「差が出ないようにする」のですね。誰かが結婚する、そのことには特別な攻撃性は無いのが一般的です。しかし、それをコントロールしようとする人々が「ネガティブな迷惑」を創造している。このポイントが「ネガティブ迷惑」の発生地点です。ネガティブ迷惑を作り出さないためにはどうしたらいいか?それは、権威者がエゴを通さない(常に上に立つのを諦める)ように注意することではないでしょうか。(200712082356)



 下記で「極悪」と言いました。何故かそのことについて批判があるような気がします。白黒さんは、内的プロセスを(私がかつて某フォーラム内で言及[=質問に答えただけ]したことがあるために)私のせいだとして被害を訴えておりました。でも、某歌手のPVの中で行進してましたが(^^;、あれを某歌手自身も「ヤバイ」と思ったのでしょう、後になってから「たらこ」だということにして打ち消していました、という状況がありました。「ヤバイ」と本人が思うほどのことです。そのようなことまで(心理的なプロセスについてまで)を全面的に私の責任に帰すような誹謗を私の気付かない内に流布していましたよね。さらに確かだと思うのは、白黒さんは某フォーラムに参加するよりも前からそのような心理的プロセスを抱えていた筈だと確信できます。にも関わらず私のせいにして被害を装ったのでしょ? 某歌手も私をそこまで悪者に仕立てるのは「ヤバイ」と思ったのでしょう、後から「たらこちゃん」とか言い始めて、情報の無化を試みていましたよね。だから、「そのような主張」をしていた白黒さんは私個人に対しては相当の悪意に満ちていると言わざるを得ないのは「当然」だと思う。「私から見れば」極悪だと思えるんですが。(200708072307)


 2007.07.09(月)に初めて聞くことになったあの歌(具体的に言うと問題があるみたいなのかも知れないので、歌の題名は「Give me your vibrations」としておきますか)の歌詞で、こちらに問いかけられているように思いますので、[当ホームページについて]のほうにも少しタイプしましたが、目的は「良い情報を広めること」が目的なので、そのための提案だと思いますから、その意味ではどんどん自由に使ってもらって結構です。しかし、白黒さんのように、「自分の発案として使用する」だけであったならいざ知らず、そのようにして自らを目立たせる意図で使用した結果として作り出した社会的状況を使って、私を排除し続ける点は極悪だと思います。「私を排除し続ける」の意味は、例えば、ほんの一例として挙げれば、曰く、私によって社会が窮屈・不自由になるという主張が存在することはジャニーズ事務所の東さんが頭痛の薬か何かでCMに出たとき、白い彫像として固まっていたのが、その殻を破壊して出てくる姿として意味していたもののようでした。最近もmongol800とかいう人の歌でも言ってますことから分るように、要は「私=不自由」という公式がいつのまにか出来上がっている訳です。しかし、それは最近の環境意識を理解すれば、簡単に氷解するものと思います。やりたい放題の自由な生活を維持するには、地球があと5つも必要なのだそうです。⇒download 物質的自然環境だけに留まらず、精神的・政治的な危険を招かない為には、世界中の人々が「世界を良くしよう」という目的意識に賛同する必要があります。その実現のためには多少の「利益の放棄」が必要になります。いついかなる時でも自己利益を優先する生活や発想スタイルに対して工夫する必要が出てくるわけです。ところが、私は常に良いと思った事(同時に、これは潰すべき悪だと思った事)を提案しているつもりなので、それを「不自由」だと言って反感を感じるというのは、何らかの悪を守ろうとしているように(も)見えます。白黒さんが以前、「不自由だ、不自由だ」と言って私をスケープゴート(排除)の対象にしていた状況がありました(今もそうでしょう)。このような視点「真実=不自由」という頭に洗脳されている(フリの)人が多い気がします。真実は自由でもあり、不自由でもあるので、そのような公式はナンセンスで、エゴ(利己)にとってだけ意味がある公式だと思われます。
 このように、私の提案や発見やアイデアを「利用」しただけなら良かったのに、その上で、(分りやすく表現すれば)私を足蹴にして追いやり、偏見を作り出してミスリードしたりしている状況があります。故に、当ホームページの情報は広める点に目的があるので、自由に使って収入やその他の利益を得ることは結構ですが、「from oriharu.net」等のクレジットを入れて下さい。勿論、歌詞の中にいちいち入れていたのでは問題なので、歌詞カードなどに明確な記述を入れるようにして下さい。そうすれば、どの箇所を広めて下さっても構いません。ただ、あなた(良さん)以外の人に使用上の危険性がないとも限りませんので、こちらに述べましたように、私の発想を「悪意で使用した場合」に被害を作り出したりした人については、それがもし大事になったりした場合、私は著作権を主張します。また、私を足蹴にし続けてきた人を人々が受け入れて仲良くするのを見るのは嫌なので、上記のようなクレジットを入れて下さい。「嫌」ついでに言うと、特にあのCMは最低ですね。過去の問題を何も無かったことにするCMだし、私はライオンではないと言っているのだから。そういえば、アニメ「アタック・ナンバーワン」を使ったCMを流していたのもパチンコ業界でした。パチンコ業界(警察と繋がりが深いとか言いますね)って最低の発想をする人ばかりであることは色々なCMから既に判明しています。シノギがきつかった時期に、なぜMSさんや中森A菜さんがパチンコ業界の広告宣伝で収入を得ていられたのだろうか。バックの権力(石原都知事)が斡旋したのだろうね、きっと。(200707160030)



 2007.05.27(日)にZARDの坂井泉水さん(蒲池幸子さん)が亡くなってしまいました【→阿修羅発言 (200706072244)】。ご冥福をお祈りいたします。1991.12.25発売のアルバム「もう探さない」の中の「いつかは…(坂井泉水作詞&作曲)」という歌があり、この中で「残された日々、夢を見させて」とか「あと、どれくらい生きられるのか」とか「あなたの中に生き続けるわ」とか「BABY BABY DON'T YOU CRY」等と歌っておりますので、触れておこうと思いました。発売日から5625日目に亡くなられました。(200706072314)


 でも、あれね、永井美奈子さんも可愛そうだけど、Tommy heavenly6も可愛そうね。新曲の「I'm Gonna SCREAM+」の最後でTommy heavenly6が上げる獣のような叫び声は、の中でMSさんが私に向かって獣のように叫んだ姿そのものですな(笑)。(200606151928)

雌牛の章 272節

『 汝が皆をいちいち導く必要はない。神がみ心にかなう者を導きたもうのだ。』
 どうやら、人々には「神中心」の発想がなく、ただひたすらに「中心人物」を攻撃するばかりに思えます。「私を人間扱いしない=(先ずは)ワザト騙されたようなフリをして」何年も経ちますよね。人々の発想は「騙されたから攻撃していい」というものですね。しかし、私は騙してないし、私は人間だという当たり前の事を何度も述べましたが(述べる必要が本当にあったのだろうか?)。故に、神から下された啓典の一つであるクラーンから上記に抜粋しました。被害を受け続けているのは私であり、この被害状況は、「敵を自認する人々(私にとっては意味が分からない人々)」が情報を開示しないでいる事も大きな一因である。いつまでも加害しないでほしい。私が何かで「根本的に違う」ならば、「根本的に違う」と認識すればそれでいいことでは? 某神霊も「人の人生を比較する事はできない」と言ってます。

女人の章 140節

『 神はすでに啓典の中でおまえたちを戒めたもうたではないか。「神のしるしが信じられなかったり、また嘲笑されているのを聞いたなら、相手が他の話題にはいらないかぎり、彼らと同席してはならない。さもなければ、おまえたちは彼らと同類である」。偽善者や不信者は、神がことごとくゲヘナに集めたもう。』
 それから、日本人の「人間関係至上主義」に私は距離を置きます。故に、神から下された啓典の一つであるクラーンから上記に抜粋しました。つまり、私にとって「良いこと(第一に優先すべきこと)」がある場合、他者と自分との関係性を捨てる事はやぶさかではない、というのが基本なので。

 最後に、神から下された啓典の言葉を引用しておこう。

女人の章 193節

『 迫害がなくなるまで、宗教が神のものになるまで、彼らと戦え。しかし、彼らがやめたならば、無法者にたいしては別として、敵意は無用である。』
 人間関係は、仲良くなろうと(融合)、敵対しようと(断絶)、善悪とは必ずしも対応しない。悪意を秘めた者同士が「仲良く」する場合や誤解と偏見に乗じて「仲良く」する場合があり、一方、大きな善を守る為に「敵対する」場合がある。(200606041914)

参考 (200606070315)
思い込むことの幸せ?の発言No.397参照 (200606112149)


 Tommy heavenly6の新曲の「I'm Gonna SCREAM+」というのを見てて、何を言ってるのか分かった気がする。MS総書記は、なぜ私に嫌われたかという「原因について全く考えない」人のようですね。MS総書記の意向を実行する密約の当事者は、今度はアユではなく、Tommy heavenly6になったようで。ニルギリスに対してもMS総書記はお灸をすえた様子ですね。まるで北朝鮮ですね。こんな言論統制のような社会的状況にあるのが芸能界です。MS総書記のような権力者に従わないと、仕事が干されるのでしょう。この言論統制や独占状態の事実を警察庁はご存知ない筈がないと思うのですが。芸能界の独占状態を禁止しないのは何故ですか?>警察庁。実行部隊のTommy heavenly6さんは「月から伸びた青白い影にささったナイフ。悲しみをなくしたい」みたいに言っており、それを私に要求してますね。Tommy heavenly6さんはイラクやアブガニスタンの悲しみはどうでもいいんですか? 対象を間違えてませんか? 私は善意には善意で応えますが、悪意を向けられたら悪意を返します。どうも皆さんの中には「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」式の善人であるべき像があるみたいですが、私は悪意には悪意を返しますので。それに、「仲直り=善」という感性を感じますが、私はなるべく人と物理的な関わりを断つというモードをいつも導こうとしています。「仲」というものは自然現象として変転してればよろしいという感性です。必要さえなければ物理的に人から離れます。
 白黒さんが未だに私の裏側で何かの裏工作をしている。それはつまり悪意という事ですね。それに、自分を被害者に仕立て上げて、私を加害者にしたがります。中島みゆきさんの「帰れない者たちへ」という最近の歌でも、何か私の事を「冷たい」とか非難してるようですね。何故、私が条件を示してさえいるのに、いまだに完全無視するんですかね? 冷たいですね。私は「謝罪」という行為については無意味さを感じます。私は「洗いざらいの事実の全て」を求めます。
 私は敵対というか、意識していないし、普段は忘れ去っている私の裏側で執拗に何か悪意で工作を続けているのは、これは闘ってさえいませんね。というか、土俵にも上ったこと自体がないですよね。それなのに、妙に私の近辺密着でカサコソしているみたいで。そういう個人的悪意=裏工作という状況を「変えようとしない」のは私ではない事実を認識してもらいたい。条件を無視するのなら、個人的には私はそちらと関わりを持ちたくありませんが。条件を満たさないのは私ではないのに、私を攻撃するとか、そういう悪意ばかりですね。まあ、今回のTommy February6さんのような表現は私としても問題点の把握という意味で役に立ちますので、何も具体的な提示がないままであるよりはずっと「情報開示」という点で良かったと思います。(200605230645)

 今回のMSさんの裏画策で、ますますMSさんは私との格差が拡大しましたね。というのは、私は裏工作というものをしたことがないから。(200605231738)←これ、形としてはあったかも知れない(^^;。私としては「画策をした」という意識ではなく、「されたことをやり返した」という意識ですが。(200605232206)


 ちょっと思い出したもので、述べておきます。以前、自分でも何か作曲してみようと思い、自宅のキーボードを適当に音を鳴らしている内にある綺麗なパターンが整ってきました。それはそれとして、その後忘れていましたら、丁度その頃、平松愛理さんがシングル「Endless Moment」を発売しました。その冒頭の始まり方が「全く同じ」で驚いたものでした(^^;。ドミファソ(かどうかは定かではありませんが)を冒頭で繰り返しますが、私が作曲したのはそれだけでした(^^;。時期的にも平松愛理さんと同じ頃でしたから、もしかして作曲したのは同日同時刻だったりして(^^;。ということが昔々あったとさ。(200511162344)

 day after tomorrowのvo.のmisonoさんも、突然の解散で出てこなくなりましたね。もしかして下記のようなhitomiさんと同様の試練で選り分けられてしまった、とか? 表向きはmisonoさんが激太りになったから、ということでしたが。お姉さんの倖田來未さんは活躍していますね。最近のAVEX内部では掌返しみたいな事が起きているかもね(→参考)。諸行無常ですなぁ。(200508250017)

 hitomiさんについてはちょっと前、理由は不明ですが、「もうhitomiはAVEXからCDを出せなくなる」という話がありました。hitomiさんは結婚するそれまでの間、とても私には好意的なメッセージを発してくれていました。上記の話があってから何事も無かったかのように「Japanese Girl」→「Love Angel」と、立て続けに出してきました。何かの条件を満たしたから新曲を出させてもらえた、という印象を与えていますよね。実際は知りませんが。ここでhitomiさんが私との小さな関係で見れば「ぐれん」となった訳で、ここから類推できるのは、以前の「もうhitomiさんはCDを出せない」話というのは、hitomiさんが私に抗する事はしないと拘ったからAVEXで切られそうになった、と捉えられると私には思えるのです。ここから分かるのは、AVEXが私離れを加速している可能性ですね。まあ、それが自由な判断ならば結構な事ですが、誰かさんの指令に基づいて社長さん宅にヤクザが「ピンポーン」とやって来て、「彼をバックアップするのは、止めなさい」と言って来るのかも知れません。実際、別件で私の所にも「指令命令」がメールで来た事がありましたから。不正軽油をさばく為に運転手個人に接触して取り込むのと同じ事でしょう。そういう訳で、hitomiさんとの個人的な関係の変化については「理解している」という発言をしておきます。(200508240202)

 一つ分かった気がします。下記で、なぜ私自身が予想しなかった表現「心を裸にされたんだ」をしたのか、という点です。これはつまり、損か/得か、という捉え方をあえてしながら、目の色を変えて必死になって奇声を発しながら出てきた表現だと思いました。まあ、大体分かりますよ、MSさんの指令によりバーニング勢(のヤクザ)が動いてhitomiさん他の個々の歌手たちへの「指令」となり、作品作りのテーマと「しなければならない」場合があるということを。ほんの数ヶ月前までのMSさんの指令は「炎のパワーの源を白黒さんであるかのように表現せよ」でしたね。ZONEの「笑顔日和」はその指令を守ったりしているようでしたが、解散してしまいました。
 「心を裸にされたんだ」、これは形だけ、まるで私が損をしたかのようですよね。私は「自分に関して全てを説明し尽くし、私の側に非は存在しない事が明らかとなった」という現状(私の得)が事実として存在します。つまり、私に疑問ばかりを提出して来た結果、敗北(損)したのは皆さんの側であるという現実から必死になって目を背けようとして私が負けている形を社会一般に対して見せておきたいというMSさんの欲求から出てきていると思われます。多分、今日もMSさんは身を躍らせて木々の間を跳びはねているのでしょう。(200508212321)

 他のMSさんの指令として可能性があったと思われるのは、「アイドルは自分だけ」ですね。最近、「うたばん」などで一昔前のアイドル達が出ていたりするので、この指令が解除された可能性が考えられると思います。最近は堀ちえみさんがコンサートをしたりしていますよね。つまり、MSさんが「自分だけ」という指令を「解除する指令」を最近になって発していることが予想されます。だとしたら、前々からMSさんが考えていた「何もせずに大金を手にしたい」をSAYAKAさんに逃げられた為に少し遅れましたが、実現の過程に入ってきているのでしょう。つまり、MSさん自身は引退して、今まで以上に「裏から糸を引く」という蜘蛛の立場に退くのでしょう。(200508220028)

 hitomiさんの新曲「Love Angel」で「強さを履き違えた天使は心を裸にされたんだ」と述べてます。冒頭で言う天使は私のことでしょう。後半で言う最強の天使達とは別の人々でしょう。次に、中村雅俊さんの「空蝉うつせみ」でも、「弱がることの強さだね」と述べる箇所があります。ここらへんも私の性格的な側面に関連させている解釈体系の存在とのリンクを示していると思われます。というのは、私は意図的に(=そのように意志して)性関連以外の情報は秘密がほとんど全く無いからです。この点に発奮したと思われる白黒さんがまた何か裏で「私(=オリハル)と比較して自身が優位に立つような解釈」を広めている様子が窺えます。それがどういう解釈なのか今の時点ではちょっとよく分かりません。
 まあ、確かに、私は「隠し事を持っている人は弱い」というイメージはありますが。というか、強い、弱いという比較的な側面はあまりイメージしていませんが。私としては「事実がどうであるか」に集約している性格なんですが。人からの求めに応じて、「いつも質問に答えてくれない人々の中で、求められるままに答えるのは、なんと愉快な行為だろう」と思いつつ善人への善意によって答え続けてきましたが、それは裏で非難されていたのですね。事実が事実であると述べていると非難されていた可能性が高い。非難したいという感性を持つのならば、その人は私によって「暗に批判された」という感性なのだと予想できます。多分、そのようにして必死になって自己の正当化をしている勢力や解釈体系がありそうですね。(200508150155)

 最近、なんだか犬と猿が手を繋いだりしている番組やCMをよく見ます。猿=私で、犬=白黒さんなのでしょう。[集団的自意識過剰]に記しましたように、「条件」が満たされなければ、それは私に対する完全無視に等しい振る舞いです。そういう勝手な事は止めて下さい。そろそろ、私に関連して裏工作ばかりするのは止めて下さい。

 ミスチルのvo.の櫻井さんは、「やさしい歌」によれば、かつて私に(?)ひれ伏したんでしょ?(^^; それで何らかの被害者意識が生じて鏡の中の男に復讐を誓ったんでしょ? 普通、自分に対して「復讐したい」とは思いませんので、これは自分以外の「誰か」でしょ。鏡=私だと看做され得ますよね(No.397発言より)。それで今まで私に対する裏工作をしていたと思われましたが。でも、最近はなんだか私に接近してますよね。復讐を誓った理由と、最近接近する理由の2つを教えて下さい。

 ちなみに、somariの「無表情」という歌で「月は激しく問いかけても答えてもくれない」とおっしゃいますが、私にメールして下さい。一体、何故、公開の場で恋愛や結婚に繋がる事柄を扱おうとするのか?(200508100052)

 2005.04.15(金)の「ニュース23」(ダウンロード)で、より子さんの「忘れられた桜の木」の作成時の発想を知る機会が与えられました。より子さんは単独個人として作った歌だと分かりました。よくあるように思われる大手事務所による「お金を掛けた宣伝遊び=勢力誇示遊び」(と捉えてOK?)の一環ではありませんでしたので、より子さんは関係性はありませんでしたね。(200504300030)

丹下桜:WINTER BEST「SPUR」2001.01.24発売アニメ「ファンタジック・チルドレン」のエンディングの画像その1
 ミュージック・シーンの中で、私は「やけに桜、桜と言ってるな」と思っていました。純粋に桜や春の訪れについて歌っているものも混じっているので、心の中のモチーフが何かを知る事は中々出来ないのが現状です。ところで、アニメ「ファンタジック・チルドレン」のエンディングの画像を3つ載せましたが、これらはアニメの中では主人公が地球に転生してくる前の非常に進んだ惑星文明での記憶を象徴する絵で、アニメの中でも主人公が好んで描画する絵です。
 私が丹下桜さんのウインターベストアルバム「SPUR」をセールスで見つけて「こ、これは!」と思って買ったのは3月上旬のことでした。このアニメ「ファンタジック・チルドレン」は丹下桜さんの「SPUR」がモチーフとなっていると分かりました。このアルバムには「Fantasy」という歌も入ってるし(だからファンタジック・チルドレンかな)。私の場合、丹下桜さんといえば、「Dancin' in moonlight」で知っておりました。アニメのテーマは転生です。










アニメ「ファンタジック・チルドレン」のエンディングの画像その2アニメ「ファンタジック・チルドレン」のエンディングの画像その3 実は徳永英明さんの1991.10.05に発売された「REVOLUTION」というアルバムの中に「」という歌があり、覚醒意識=自己想起体験をうまく歌っていました。覚醒意識で同時に色々な記憶が甦るのは必然でもありますね。多分、1991年のこの頃、丹下桜さんは思い出す体験をした可能性が高いですね。
 ごく最近では、より子という人が「忘れられた桜の木.」という歌を歌っているので、その種の傾向が最近出て来ていることへ注意を喚起してたりする? 1991年からだと長いですもんね。1991年といえば、私と同じじゃーないですか(^^;。いえいえ、桜は全然忘れられておりませんよ。私だって「やけに桜、桜と言ってるな」と、その有意性を感じていたんですから。宇多田ヒカルさんの「SAKURAドロップス」という歌も、そういえば、「ファンタジーの世界」を描いてましたね。ドロップスということは、とても甘い甘いお話なのでしょう。私も是非知りたくなってきた(^^;。今回は、某フォーラムの私個人への裏攻撃でないものが見つかって良かった。(200503300311)

 かなり前から聞こえておりましたが、「あなた(君)への想いは消せない」と歌われている歌が時々あります。消さなくていいのに(^^;。確かに、私は以前、某フォーラムの中でその種の示唆を自分で行った事があります。多分、その後の某フォーラムの人々の「(私との繋がりを断たせようとする)暗躍」もあったのだろうとは思います。しかし、私が当時その種の発言をしました真の意図は、「宗教と看做されて“危険だ、危険だ”と言われ(せ)ないようにするため」だと思いました。私が自分で上記のように述べておけば、もし仮にタイーホでもされた場合であっても、「自分は宗教形態にならないような発言をして注意していた」と警察に対して言う事ができます。心と心が繋がること自体は、それ自体は全くよろしい事ですよね。まあ、また某フォーラムの人が「心を依存させてはならない」とか言うのかも知れませんが、私なら「いくら依存したところでたかが知れている」と言えますよね。人は外的な誰かに寄りかかっているかのようではあっても、実際には自分のコントロールを超えた所で心臓が動き、細胞分裂し、消化されているから。つまり人は一瞬たりとも神への依存なしに生きられませんよね。これが実態ですよね。(200503250011)

 こんなことを言うのもおこがましいかも知れませんが、私は最初、MSさんと個人的な会話のやり取りができればと思ってレターしたのですが、自分の事が歌なって世に出てくるなどとは思いも寄りませんでした。ここで意味がシフトしています。このシフトは現在も続いています。つまり、私は個人的な情報のやりとりを具体的に出来ればと思っているのですが、歌やCMで、つまり遠いところで、勝手に誉められたりけなされたりしているだけです。関わりが持てない。更に言えば、私は特別、誉められたいのでもありません。私が欲しいのは「自分に関するどのような策謀や作り話が流布しているのか、その事実を具体的に確認したい」のです。私は謝罪を要求するという性格ではなく、「真実がどうであったか=正確な事実関係がどうであったか知りたい」という性格です。人を見てて時々あるんですが、勝手に問題を起こして、その後、勝手に謝って、勝手に逃げて行き、こちらの要求する「正確な事実関係」の説明責任など完全無視する勝手な人がいますが、これは私は嫌ですね。謝ってもらっても、あまり意味がないというか、そういう感覚です。勿論、誉めてもらうのを否定する訳ありませんが、謝ってもらいたいという感覚は持っていません。そこらへん、何か論点がずれてる感は否めないなぁ、という感想を持つのが常です。例えば、「ちょっとそこの目薬取ってよ」と言ったら、その人から塗り薬が渡されたという感じ。まぁ、別にいいんですが、しかし、私には考えられない身勝手な行為と映るのも事実な訳で…。というのは、私だったら、人から「目薬取って」と言われたら目薬を取りますからね。(200503201821)

 これは阿修羅発言したものですが、内容が興味深いので(^^;、こちらにも載せておきます。

  和田アキ子さんは在日の2世だか、だそうですね。実質的には日本人なのかも知れない。

 aikoさんは最初、大阪のラジオ番組のパーソナリティなどやってて、それなりにメジャーでしたが、同じ大阪出身の和田アキ子さんが目を光らせており、「絶対に東京に来させない」としていたようです。ところが、私のホームページの歌の一覧にaikoさんの「あした【喜びの歌、と預言されていた←IEで正常表示されます】」という歌への評価として「秀逸マーク」をつけて最高ランクとして評価しました。(http://oriharu.net/jmusic.htm#wada1)それからaikoさんは東京に歌で進出できるようになりました。

 その「後」になって、「全く同じ曲」を深田恭子さんに「最後の果実【血塗られた雄叫び、と預言されていた】」という題名でまた、ホリプロの新人のデビュー曲として歌わせました。巧妙なのは、全く同じ曲であるにも関わらず、aikoさんの歌を作曲した当の本人(小森田 実氏)を作曲家とした点です。これでは「パクリだ」と言う事も出来ない。また、屈辱的な事に、深田恭子さんの歌のバックコーラスにaikoさんが参加している点です。まあ、確かに芸能界では和田アキ子さんは力があるので、aikoさんもバックコーラスを拒否する事は出来なかった事は想像に難くありません。

 では、なぜ和田アキ子さんがこれほどまでにaikoさんに目を光らせるのか、という点があります。それは、和田アキ子さんは松田聖子さんが嫌いだからです。aikoさんの「あした」は私(=オリハル)をテーマとしてくれた曲だと言えます。つまり、和田アキ子さんは東京の芸能界で私寄りの勢力が伸張する事(=松田聖子の勢力伸張)が嫌なのです。だから全く同じ曲を私の抵抗勢力【当時、勝手に敵対していた某フォーラムの(私の言う)白黒さん】をテーマとする歌詞に書き換えて歌わせました。それもあってaikoさんの東京への進出を妨害しようと工作し続けた訳です。また、いざ東京進出が私の一押しで成ると、今度は深田恭子さんを歌でデビューさせて、aikoさんにバックコーラスをさせて屈辱感を与えるという、人にはよく知らされなかった工作を行いました。結構、和田アキ子も裏側でセコセコしている。

 まあ、確かに、これは韓国勢力とかそういう組織的なものというより、個人的な怨恨関係ですわな。(200501310036)


これは(→阿修羅発言)です。

 私は1990年末から芸能人にレターしていました。その後、@Niftyの某フォーラムで発言するようになり、芸能人とのシンクロニシティーや神の仕組みについて話していたら嫉妬されました。その後、1990年代中頃から、某フォーラムの人達が私の知らないところで、芸能人たちに私への不信を植え付けようと必死の工作活動を始めました。私は「666だ」と言われたりしました。白黒さんが安室さんに「彼は666だ」と主張しました。しかし、安室さんは彼女の腕にバーコードの刺青をして某フォーラムに反抗しました。そのようにして私の表言論と某フォーラムの人々による裏工作が激突し続けました。

 そのような中で、韓国勢力が裏工作をしなければ自分を守れない人々に加勢しました。ほんの一例としての動画を示します。→(http://oriharu.net/jvideo.htm#Soccer3

 彼ら韓国勢力は、「日本と666を結び付けたがり続けた」のです。
http://oriharu.net/j666.htm#666links

 しかし、強硬に私を悪者だと言い張る白黒さんがつい最近、裏工作を止めたようです。森進一さんが「さらば青春の影」という歌でもそれが分かるし、白黒さんに加勢していた芸能人が私寄りの態度を見せているところからも分かります。本当はもっと戦ったほうが良いと私は思うんですがね。(http://oriharu.net/jmiko.htm#kikkoh)というか、その前に、白黒さんが「何について」私と戦うのか、まだ確認も出来ないでいるんですけどね。(200501310054)


これは(→阿修羅発言)です。

 某フォーラムの人たちが私を貶めるための言論による裏工作を始めたばかりの状況は、ランプ・アイの「証言」という歌でよく表されています。安室さんの刺青についての記述もあります。
http://oriharu.net/jvideo.htm#ROHT2

 2004.12.11(土)のNHKの「ポップジャム」見てたら、three NATIONが、観客席からの評価で、今までのアーティスト評価一覧の中で最下位にランクされていた。これを見て私は、その評価が「楽曲に対する評価ではない」ことに気が付いた。three NATIONが最下位にランクされたのはあまりにも意外だった。というのは、彼らは感性レベルの高い音楽を創造しているから。演奏レベルやその他については私は知りません。なぜ彼らが観客席からの評価で最下位になったのか? 「そんなにかっこいい歌を歌うなよ、そんな人間じゃないくせに」とか、あるいは「なにか、こう、ガンガン来る要素がほしいね」という生理的に考え過ぎる人がいたり、「あら、いい英語の発音してるわね。私、優等生ってダメなの」と言って評価しようと思わない人がいたり(←こういうひがみタイプが一番多そう)と、複雑な要因が組み合わさってあの評価になったのだろうと思います。全体として、粗野な人が増えたからなのかも知れない。でも、ああいう評価が、「売れる/売れない」という側面に出てくるのかも知れない。一つの芸術作品に何億という金額を支払う人がいるのを見ても分かると思うのですが、貨幣システムは芸術とか感性の領域では馴染まないよね。でも、私はthree NATIONは感性のいい音楽創ると思うよ。(200412111915)

 浜崎あゆみさんの「TO BE」や稲葉浩志こうしさんの「Wonderland」の中で「ガラクタ」という言葉が出てきます。これも以前から気にはなっていたのですが、こちらの主観から述べてみようと思います。
 私が弥勒である根拠として横たわっているのは、一二三神示と、某神霊の補助的・側面的メッセージ群と、出口王仁三郎の言葉と、私の身辺のシンクロニシティー“など”です。この内、シンクロニシティーについては、「郷ひろみと千年前に縁があったとか、いい加減な事を言ってる」みたいな意見が、よく聞かれます。そのような理由で「ガラクタ」と称されていると思います。歌詞の内容的にもそのような意味合いが範疇はんちゅうに含まれていると思いますから。私は、MSさんとの過去世について具体的に「思い出した」のはほんの数点であると明確に述べていますから、郷ひろみさんについて述べている部分は「MSさんと縁がある人ならば、何らかの可能性を歴史データを元にして推理できないか?」と遊んでみたに過ぎません。“その遊びの部分を真に受けるとはどういうことだろう”とも思う。「ガラクタ」と思いたい人達がいる事は容易に分かりますので、それはそれとして、訂正せずに放っておきましたが、この箇所についても最近、騒がしいようですから述べております。
 これは、「ガラクタ」と思いたい人はそのように思う、ということです。しかし、真実はどうかと言えば、3重以上に重なった359のシンクロニシティーを出発点として(このリンク箇所、きっちり読んでみて下さい)、「水ももらさぬ」シンクロが重なっているのです。ここには、いい加減さや人為的なものは存在せず、神の御意志が表されております。そのようなキッチリとした奇跡を「見たくない」人は、ガラクタに見える部分だけをピックアップしているのだと思います。何故そのように見えるのか? それは、そのように見たいからです。いい加減な遊びの推理の箇所を、あえて/わざわざ真に受けているからです。ただ、そのように見ようとする自由には、今まで特に干渉しないで来ましたが、今後も反復して行くようならと思い、バグを訂正してみました。もし人が、正確に分析しようとか、あるいは、嘘を見つけ出してやるとか(^^;動機は色々でしょうが、細かく詳細に読んだことがある方ならば、これが奇跡であると納得できると思います。逆にボトムアップ的視点から言えば、ギネスブックにも、これほどのものは載ってないと確信できます。
 このように、3重以上のシンクロニシティーは、神の御意志の故に完璧・神秘的であり、また、自然物であるが故に、富士の裾野のように、これをトップとして、2重のシンクロや、単に1重のシンクロ(?)というふうに、可能性としてだけの考察可能エリアも広がっているのである。これら裾野「だけ」を見ている人には「いい加減さ」として映ります。そして、その「いい加減に見える箇所」を“ちょっとだけ表明”して、具体的・詳細に分析しようとしないのは、多分、この骨格の奇跡を分かっているからではないのか?とも思います。このシンクロは骨格=トップがきちんと全体を支えているのである。(200407241837)

 それから、もう一つ、最近、複数の歌の中で、「言葉に出したら終わり」みたいなこと言ってるのに気づきました。その正確な意味合いからは、意味がシフトしてしまいそうなので、軽く触れます。というのは、最近、「言葉に出してから始まるんじゃないの?変なの」という感想を思っているんで。そういえば南野陽子さんが「変なの」という歌で「ミュージシャンなんて変なのばかり」という旨で歌ってましたね。あ、関係ないか。(200407242352)

 バーニングについて最近気が付く点についても触れておこうと思います。基本的に、バーニング事務所なる発想の主体が存在するのではなく、バーニングに毎月一定額の奉納(それは暴力団に流れているのは事実でしょう)を行っているリッチな個々人がおり、そのようにしてバーニング所属の身分となります。そうなろうとする理由は、お金さえ払えば、自分の陰謀(裏表の使い分け)をバーニングの巨大な広告勢力(電通も加担しているような?)が宣伝、啓蒙、いや、攻撃・侮辱をしてくれるからです(断言)。つまり、発想の主体はMSさんとか、桑田佳祐さんとか、ミスチルの桜井さん(の陰謀動画の可能性)とかの個々人です(断言)。

 例えば最近、モーニング娘。のトイレ盗撮画像などがコンビニ雑誌に付録として付いており、ほとんど無料配布のような実態があります。巨大な宣伝勢力(核にバーニング=暴力団だと思う)から出されています。このことから簡単に推定できるのは、モーニング娘。の所属するアップフロント・エージェンシーは、バーニング(の背後のヤクザ?)からの何らかの要求・脅し・指示・命令に「従わない」側面が存在することが分かります。従わないで今まで、芸能界でのバーニング以上(見た目?)の活躍、利益を享受して来ましたし、現在もそうなのでしょう。モーニング娘。が最近、下火だと媒体に書かれたりしているのも、バーニング系からの広告の一環なのでしょう(推定)。
 ところが、トイレ盗撮画像をそのように付録にするのは、バーニングという主体が存在しないのであるから、所属の「誰か」巨大な(バーニングという)権力を持ち、それを使う芸能人個人が命令しているためだと考えるのが常套じょうとう判断だと思います。つまり、「誰か」が、モーニング娘。を気に入らないということで、攻撃している図がありそうに思います。それは女性でしょうか。田代まさしさんが盗撮により逮捕されたのは陰謀というよりも、単に運が悪かったのでしょうが、彼は芸能界から身を引いて今はどこぞの企業で事務をしているそうです。モーニング娘。の盗撮画像というものは、これは卑劣であると思う。誰が指示を出したのか。

 つい先日には、女性誌上で長渕剛さんが筋肉もりもりになった過程において「筋肉増強剤」を使った可能性とかなんとかいう記事が載りました。私はあまりよく知りませんが、筋肉増強剤は単にアミノ酸の配合を工夫したものと思っていましたが、その記事では、筋肉増強剤というものは、麻薬に近いもので、ヤバイとか何とかいう記事でした。このような情報は、かつて麻薬で逮捕された過去を持つ人にとっては、収入面などに与える打撃は相当のものがあるのではないかと分かります。巨大な宣伝勢力が長渕剛さんをターゲットにし始めたのは、バーニングという主体がそうしているというよりも、ある特定芸能人個人が長淵さんを攻撃していると分かります。が指示を出すから、バーニングも動いてしまう。2003年末の紅白で長淵剛さん作詞作曲の歌「狼たちの遠吠え」を歌われた森進一さん(2004.01.20(火)発売の「週間女性」P27〜30の記事に既出)や、このようなことを公開するなどの関連の広告・宣伝暴力の動向を大勢で見ていましょう。どのような攻撃が「誰によって」指図されているのかを認識しながら。

 どちらの例も、根本理由は知りませんが、使っている手段だけについては卑劣なものだと思えてしまうんですが。警察こそが、このような卑劣な手段を使う傲慢芸能人を取り締まるべきだと思います。いくら傲慢でも、バーニングに奉納する個人なのだから、バーニングもこれら個々人(芸能人)にCMの話を取らせて・渡して・流してしまう(電通?いや各テレビ局と共謀か)。(このような裏陰謀を働く)傲慢芸能人にCM収入を得させないようにする努力が企業の側にも求められていると思います。このような人々を取り締まらずに一体、駐車禁止なんかにうつつをぬかしてていいのでしょうか(^^;。(200401242323)

 ミスチルの「HERO」という歌で「もし世界が壊れそうになっても自分は誰かが名乗り出るのを期待しているだけのそんな人間だ」と言ってます。ミスチルはなんとなくイヤミな歌詞をメッセージしますね。まず、「人は命を守ろうとするのが基本である」というのがあります。当たり前にも関わらず、桜井さんはこの前提事実を「全く知らない無垢」を演じているかのようです。下線部が当たり前=常識である事を「知らない」という「作為的演技」を感じます。
 確かに私は高校生の時に「命をしても世界の崩壊を食い止めよう」と真剣に祈って、それに多分応えて下さっての神仕組みだったのだと思います。しかし、そのような精神状態が常時続くのではないことは「当然のこと」です。死の壁を「越える瞬間」に過去世回帰があるのであり、臨死体験後に超常的能力が身についていたりするのであって、それが一時的であるというのが事実です。普段は命を守り健康を守るのである。桜井さんは何か超人思想発想のようなものを「完全に信じるフリ」のようでいて、実は芸能界の汚いやり方に染まって行なっているように思います。ここでいう「芸能界のやり方」というのは、以下の順序を想定しています。

1.誰かが超越的な凄いことを言った時に、「わざと真に受けて」信じ・驚いたフリを見せて、提唱者(の嘘を仮定)を追い込む。
2.色々な情報が判明して来た時に、提唱者に色々な側面から質問をして(嘘だったならば)追い込む。
3.やがて提唱者が逃げたり隠れたりする結論を「楽しむ」。
 私は、たまたま提唱者の側にいるために、こちらの立場から見える汚さを指摘しています。「作為的演技」を感じるような歌が無かったとしても、何の歌だったか「心を許しあい、信じあった友の恋人を抱いた事もある」等と歌っていましたね(→視聴)。これって極悪じゃないんですか? バーニングに所属すると(かどうか?)金さえ払えば脅しでも何でもやり放題・裏表使い分け放題みたいですね。(200401232340)

 久保田利伸の「Respect (this&that)」を聞いてて、その歌詞とは関係ない所での発想で気づいた事がありました。今まで判然とは分からなかった点に気づきました。その疑問は「なぜ彼らは頭の中の個々の発想まで、私を排除しようとする意図に充ち満ちているのだろうか?」という疑問でした。その答えは、「こうだから、こう」という論理的なものではなく、感情的なものとわかりました。彼ら自身のスタンスの社会的な意味が分かっているからこそ彼らは「逃げる」訳でした。彼らは頭脳までが動物的な力によって「動かされている」からでした。「自分で判断している」というものではなく、「好きか嫌いか」みたいな力によって左右、いや、右往左往しているに過ぎなかった点に気づきました。突き動かされているだけだったのですね。(200401162225)

 以前も述べましたが、大橋純子の「微笑むための勇気」という歌の中で「優しさを集めて許し合うのは憎み続けるより簡単なのに」と言ってる部分がありました。いつまで経ってもいつもいつもいつも「同じ発想」の中から物を言い、私を「悪者に仕立て上げよう」とするんですね。私はこの場合、「許す/許さない」という(権威的)主観で判断していない。

 再度言います。私は自分の側に非が無かったという主観です。だから、相手と今後の関係を持ちたい(=許しを得る機会がほしい)という発想が存在しない。私は人として可能な限りの分析を行い、真実に迫った。真実は判明・確定していないにしろ、自分としては、やり残した事は存在しない。どこかの誰かと何らかの関係を持とうとする発想・必要がそもそも存在しない。突き詰めたから。

 そちらが私に、(関係性への)積極性を「期待する弱さ」からもう発言しないでほしい(=社会的に悪者に仕立て上げないでほしい)。

 再度確認しておきますが、私がそちらと関係を「持たない」理由は、関係などは流動していれば良いのであり、

〜〜〜・〜〜〜どちらでもよい〜〜〜・〜〜〜

からです。事実・真実を隠し続ける人々に責任がある。私の事を気にするあなた自身の世話は、あなた自身で焼いてほしい。

 私は加害の意図は無い。そちらは官僚のように、「仲良し状態」という(真実を隠蔽し)腐敗する方向へ向かっている。私はその逆へ向かっている。神霊も述べていたように思いましたが、真実を明らかにして行くのは必ずしも安楽なものではないが、楽ではないと言って私を責めるのは間違っている。これで仕立て屋から無縁になれるかな()。(200312152303)

 下記にも和田アキ子さんのことを述べましたが、何か事件・事故があると、全部私のせいにするような傾向が見えるような気がします。和田アキ子さんもそうでした。しかし、もっと大勢の人からの大量の念という要素を考慮に入れてもいいんじゃないですか? しかし確かに、私はそういう性格なのは事実ですから、あえて自分に引き付けても述べてみます。過去に、特に私個人に対する・狙って悪意によって為されたと思しき行為に対して、訴えるまでです。もし、それが、

・私の側の勝手な誤解(不当な訴え)であった時には、何も起きないはずです。
・全くの事実・真実であったならば、その正当な訴えは認められると思います。

 そこに、誤魔化しようの無い「事実」があったから、「事象」が起こったと私にはそう思えます。ただ、実際の所、具体的な事は何も知りませんが。何かあるのならば、具体的に聞いてもらえれば、具体的に答えますよ。

 ただ、今までのように、「質問者が誰だか分からない」ようにしてCMとか歌の歌詞とかで質問するのではなくて、メールとかで自らを明かして具体的に聞いてほしいと思います。なぜなら、そんな質問方法では、質問した人は、「いつでも逃げられる身分」じゃないですか。私は今までずっと10年以上、あえて言えば、「逃げることは許されない」という不平等な「待遇の差」が常にある訳です。(200310210149)

 UAさんが「ドア」という歌で「その(心の)ドアを開けてよ」と言ってますが、メールアドレスはいつでもオープンなんですが…。あ、私の事じゃない?

 あ、それから、誰か他の人の性格を私に投影して見ている傾向が時々ありますね。具体的に言えば、私を情緒的に支えるような歌は実の所を申せば、悪いですが、その必要は全然ないのです。私は孤独などという理由で泣くことなどありません(私は[結婚以外は]一人が好きな性格です)ので、「泣いてる」などとの断定は「失礼」でもあります。私が求めているのは、「具体的な情報・コミュニケーション」です。(200309182331)

 やっぱ、例え話をしないと伝わらない。ここに一人の男の子がいます。彼は「天体望遠鏡が欲しい」と言っています。ところが、人々は彼の意志を全く無視したまま、「そうか、それじゃあ、虫メガネをあげよう」とか、あるいは、「そんなに天体望遠鏡がほしいなら、ほら、顕微鏡をあげよう」ということが10年以上、繰り返されており、本人の意志は完全無視のままです。なぜ、そんなに無視、あるいは、ズレまくった事ばかりやっているのだろう? こういう種類の無視をずっと続けられた人の気持ちを想像してもらいたいと思う。(200309190123)

 最近、PIERROTの「ネオグロテスク」という歌が聞こえてきたのですが、その歌詞は、少年少女たちに「説教じみた君たちのパパもママも腰を振って君たちを産んだんだ。」みたいに、SEXをまるで悪いことのように表現して潜在意識へ刷り込み、「どんどん気持ち良い事をやっちゃおうよ」と、ホルモン・ショックの薦めをマス・メディアを使って行っているようです。これは、あまり勧められる態度ではありませんね。まあ、PIERROTですからね。PIERROTのイメージがなんとなくヤバイから救われます。むしろヤバイのは、善人の顔をして99の真実の中に嘘を1つだけ混ぜるような者のほうが迷惑者です。でも、なぜ歌の歌詞の中にホルモン・ショックを説明する内容を混ぜるとか、あるいは別の科学的な真実を述べる等の行動をする人ってほとんどいませんよね。誰も真実を歌わないのなら私が歌っちゃうぞ〜。ほ〜れ、ほれほれ(^^;。(200307110042)

 主語的認識から述語的認識へ【恐怖心など】]にタイプしたような内容の以前に、私は某神霊のハローメッセージに引っ掛けて炎に関してタイプしたのですが、あまりに直裁過ぎたのか、変な夢を見ましたので、後で表現を変えて現在の文章となっています。それで、ロウソクなどの炎のゆらめきについてタイプした文章は完全に削除したのですが、多分、完全削除した故に、白黒さんか誰かが「自分の発想」として芸能人女性へ流布しているようなので、その点については「違う」という事実を示そうと思います。テレビを見てて「騙されている」と分ってしまうので。(200303300136)

 Changin' My Lifeの「エトランゼ」は、もう少し寝かせておいて、発酵してから取り出したほうが良かったんじゃないでしょうか? もうちょっといい感じの曲になった気もしました。(200302200111)

 SOUL'd OUTのシングル「ウェカピポ」は、ラップなのに聞かせますねぇ。私もラップで始めて「秀逸」にしました。これはレベル高いですね〜。かなりのものがありますね。「ワー(what)」とか言ってる箇所がありましたが、全然平気でした(^^;。買うとしたらお買い得だと思います。こっちは聞いてるだけだから楽だけど、演じるほうは、かなり積み上げてきたんでしょうね。SOUL'd OUTの「O」の中に☆が入っているので、JPGファイルを使いました。(・∀・)ノィョ-ゥ(200302010218)

 上戸彩さんの曲を「記録」扱いとしましたのは、それを聞いてて何か、機械的なものを感じて仕方がないからです。

 普通(?)なら、対費用効果・労働力などは意識せずに(?)、時間をかけて綺麗なメロディーや編曲など施して流麗さを追及して芸術的に1曲を仕上げるのだと思います。ところが、小室氏の多分発想は、そういう御自分の労力の無駄(?)を極力排除して、「形ができた」と思ったらそれを発売するのだと思います。その故に小室氏の曲は「形だけ」しか感じないのかも知れません。あるいは、リズムなどが全く正確に刻まれており、心地よさの源と言われる 1/f の揺らぎが存在しないから(?)、「感性の破壊」すら感じるのかも知れません。(200211151956)

 前回の書きこみ以来、反発想念が凄いです。それで、多分、パワーについての説明を追加する必要があると思いました。そのために、スブドについて述べます。スブドでは、神の力と繋がり、神の力が人間の身体を自動運動させてそれが浄化作用となります。神の力と繋がった人達は、週に2回、一つのホールに入って神に全託(ラティハン)しますと、自動運動が始まります。入会希望者は、このホールに入って、他の人のように、心の中で自分を神に委ねます。すると、神の力が新入会員に伝達されます。このような意味で第1回目のラティハンを「オープン」と呼んでいます。既会員が力を「伝達しよう」と意図する事はありません。既会員はいつもと同じように全託しているだけです。既会員は新入会員のオープン時の「証人」という言い方がされています。このような意味合いから、「触媒」であるという言い方も出来ますね。一度オープンされれば、後はその新入会員と神との関係「だけ」になります。
 パワーの源が私であるとは下記でも何処でも述べていません。だから、そんなに反発感を強める必要はないと思います。源は神です。一度繋がった人は、その人自身と神との関係です。(200209092159)

 9/11発売の、BON-BON BLANCOというグループの「だって、女の子なんだもん」という歌の中で、「理想ばかり追いかけてちゃ身体から太陽光線が去って行くって、あいつからそう学んだわ」という歌詞部分が、私は「ひどい」と思いました。「良い事をして光が去って行く」と述べているからです。それは明らかに「あいつ」の間違った主張です。多分、「あいつ」は、そのパワーを「所有物」としてしまい、「自我を高める」目的で(多分、本能的に無意識的に)「利用」することにより、光が去ったのだと思います。
 当ホームページでは、表紙において「パワー」を示しております。そもそも、平成3年5月9日に炎に包まれた私は、平成4年10月20日頃に某フォーラムに参加しました。その後、某神霊が1992.11.21 04:55に、COOLという人へのコメントの中で「あなたの中にある炎に注目しなさい」と(フォーラム内の人々へ)語ったことから炎は人々へ広がったのです。COOLさんも「炎」とハンドル名を改めました。その私を皆で非難・攻撃(しかも、裏側で)するというのは、多分、宗教団体の教祖やってる人たちが、信者から崇められ過ぎている状況をバランスさせるという神の意図も働いているのかも知れません。
 要するに、パワーの源はかみであり、歌の歌詞にあるような「理想ばかり追いかける」事が原因ではない筈だという主張を行いました。(200209080251)

 下記の「微笑むための勇気」との関連で述べます。神霊の預言で「許しは得られない」に私が無条件に従う危険なヤツ、という裏批判の可能性に気づいたからです(実際には知りませんが)。

 何故、神が「決して許さない役目」を私に与えたのかというのは、私にとっては明らかです。すなわち、神は私の性質をよくご存知である、という事です。
 「何か得体の知れない霊が命じた言葉を無条件に受け入れて“許さない”」と私は述べているのではありません。預言で“許されない”旨述べられている言葉は、事実に於いて「未解決」と表現される事柄です。まあ、社会的な次元では「許されない」に相当するでしょうが。私は最初、預言の言葉“許しは得られない”とは、どの程度の深刻さで“許されない”旨述べられているのか分からなかったのです(預言が日本化して意味が確定するまでの間)。私は預言の“許さない”の意味を「最も深刻な意味において」も考慮していたのです(確定できなかったから)。意味が確定して判明してから、それほど深刻な意味合いではなく、通常の社会的な意味合いで良いと分かったのです。
 つまり、神は、私の性質をよくご存知で、「普通の意味に於いて許さない」為に私を用いられたという事が分かります。私の性質を神が用いられたのであって、この場合はそのように命じられたから私が従った、という訳ではない事を証言しておきます。(200208302223)

 「問題が解消する条件」については私は、それほど感情的にはなってないつもりです。ただ、比較的長期にわたっているものだから、それによる感情の周辺的変質はあると思いますけどね。一言こうでも言っておかないと、私によりかかって頭から騒ぐんでしょうから、ニュートラルにコメントしときます。(200208230105)

 大橋純子さんの「微笑むための勇気」という歌が聞こえてきました。「優しさを集めて許し合うのは、憎み続けるより簡単なのに」と言ってます(関連)。そういえば、以前、ジャニーズ系の歌手の方もそのような歌詞を歌ってましたね。
 創造的な性質の優しさにとって難しいのは、悪を保護の対象にしないでいる注意深さであると思う。破壊的な性質の憎しみで難しいのは、破壊活動の中で、善を破壊対象から外し続ける注意深さであろうと思う。善悪の概念は(二元的存在である)人間から出てくる必要概念です。人間にとって必要なのは、「善と悪の識別」です。ごちゃまぜにしないことが必要な存在です。
 某フォーラムの人たちは、私の事を非常に意識しているが、私にとっては、既に公開の場で解決してきた事であり、彼らもそれを読んでいた。反論が出てこなかったという事実がある。私にとっては解決した問題である。私はほとんど彼らを意識していない。しかし彼らが絡まってくるので、その間だけ意識するだけの話。一つの求心的な中心を維持する集団であるならば、その構造には根本的に同意できないので、彼らと「合流」という可能性は「絶対に無い」のである。なぜなら、彼らは神霊よりもチャネラーを上位に置いたという根本的な間違いを皆で共有している。だから、大橋純子さんやジャニーズ系が、洗脳された結果のような言葉を述べても無駄なのである。問題の根本は優しさや憎しみではなく、問題が解消する条件を彼らが無視するところにある。すなわち、問題の本質を感情論にすり替えて私を悪者にする彼ら特有の「意味のシフト」がここにある。

 神にとっては優しさも憎しみも愛の相の一つに過ぎないのは明らか。人がどんなに取り繕って問題の本質をはぐらかし、私を悪者にし続けても決して許さないのが私の役目です。はぐらかし続けて来た時間、という要素も無視はできない。何度も言いますが、主な原因は私の側には無い。(200208212232)

 松本梨香さんが「Alive a Life」という歌の歌詞で、「憎しみを映し出す鏡なんて割ればいい」とか「真実を惑わせる鏡なんて割ればいい」と歌ってますが、これは心外だなぁ。とは私の事でしょ。

「憎しみを映し出す鏡なんて割ればいい」:(参考:[怨みについて])

・社会的側面
 先ず、私は「物理的」な戦いによる破壊・消耗には賛成しません。私は言論という「情報的」な戦いによって、次々と(情報を)創造することに賛成しています。物理的に戦うと消耗します。情報的に戦うと、創造されます。だから、インドとパキスタン、あるいは、イスラエルとパレスチナが対話以前に、言葉を「戦わせ」たらいいと思います。
・個人的側面
 次に、私の情緒的側面の中における「憎しみ」は顕在意識では、ほぼメインの位置にあります。他の人は、「人を攻撃するなんてことは本心から継続できるものではない」と言います。しかし、私や、例えば、犯罪被害者の方々などは明らかでしょうが、悪に対して攻撃することで「気持ちが楽になる」のです。そこに無理は無い。良心の呵責かしゃくを感じないのだ、という点について、「識らない」人がおり、そういう人は「自分は怒ったことが無い」とかいう嘘をつく種類の人だと思う。そういう浅い認識で生きている人には理解できない領域であろう。故に、それら浅い人々(松本梨香さんを含めて)も、理不尽な人生の打撃があれば、憎しみを一律に悪いものだとしなくなるでしょう。

「真実を惑わせる鏡なんて割ればいい」:

・社会的な意味で、誰かが私の言葉によって惑っているならば、その人は、「真実を指摘されるとマズイ」からだと思います。つまり、私は真実を惑わせているのではなく、偽りを惑わせている事になるのでは?
・個人的には私は真実・事実を解明するのを本旨ほんしとして発言しております。この歌詞は、何を具体的に述べているのか判然としません。あるいは、誰かが、私を「意図的に」悪者に仕立て上げている単純な構図を「単純に信じてしまっている間違い」から出てきた歌詞かも。(200208132338)

 「瞳にくぎづけ」を出したBREATHという二人組のユニットはどこへ行ってしまったのかな? とても声質が良いから、多分、妬まれたんだね。十戒の十番に反している。将来の可能性が大きかった人がなぜ潰されるかな。ケミストリーの対抗馬という領域に入ろうとしたから潰されたのかな?(200207130148)

 私は今のように「新しい歌手やバンドが次々と出てくる」という状況が好きです。一部のレコード会社とかあるいは、特定の芸能人や歌手、あるいは事務所などが新人を潰すというのは(何か特殊な事情でも無い限りは)、好きではありません。そういうことをやめて、判断は全て「市場」に委ねるべきだと思います。(200205222257)

 音楽以外の芸術として「絵画」というのがあります。名作と言われる絵画を見ていると、「独特の平安」すなわち「独特の印象・フィーリング」が感じられます。ある特定の霊界と繋がっているからこそ、見る人に、ある特定の印象を与えるのだと思います。そういう絵画こそ、「中心(魂)のある絵」だと思います。
 建物にしても、建設が終った後に落慶法要らっけいほうようというのをやったりする場合があります(宗教団体の場合)。それは、その建物に「魂を入れる」手続きですね。昔は、人形やこけしにしても何にしても、完成した製品に魂が入っていましたが、現代では、目に見えない領域が軽視されているので、ほとんどそういう文化的行為(目に見えない行為)が忘却されてます。その意味では、当ホームページは文化的なホームページです。私個人が確かに体験し、確認した目に見えない領域が反映されておりますから。
 同様に、音楽にしても、「中心のある音楽」と「特に中心が無い音楽」とがありますよね。音を組み立てて、一聴して綺麗なメロディーが出来上がりますが、「中心が無い」ものはどうしても何かが足りないですよね。歌の一覧のほうに載せているのは、ほとんどは「魂のある歌」を載せているのだと思いました。
 では、どうしたら文化的な国家・人々になることができるのかと言えば、それは例えば、人々がイザラ書房発行の「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」や「神智学」に書かれているような「普遍的な道」に入れば有効です。
 アンビリバボーで最近、よく出ている女性霊能者の立原美幸さんという方は立派な事をされてますよね。私は敬意を感じます。でも、大勢の人が目に見えない領域を探索して行く事は人として自然な事です。上記2冊の本は、「本来、自然的な人生経験が人にもたらす霊的な発達の原理について理解し、その上で、無駄を省いて霊的発展の効率を高める為の認識の本である」と言えますね。絵画を鑑賞したり、音楽を聴いたりするのは、単に色彩混合や音の連なりではなく、それらの(光や音の)振動を通して、人が自分の中に「(それら波動と)対応する霊界・印象・感じ・フィーリング」を知覚したいとの意思からです。それを更に具体的に霊視化・霊聴化する時は、本人の努力というか意志が、知覚するための脳細胞の共振パターンを発達させるために必要です。例えば、愛をキラキラ星として自分でイメージ化したり、色々と能動的に自分でイメージしている内に、今までとは逆に霊界の動きが特定のイメージを喚起するという現象を自然に経験するのです。これは、特に寝入りばなのような、顕在意識が後退しかけている瞬間には誰にでも起こり易いものですね。でも、私なんかは7時間25分分のニュース番組を「毎日」チェックしてるので、忙しくて。まあ、この世に生きてるのだからこの世の問題に対応しなきゃ、というのもありますけどね。でも、地上的諸力を使いこなすだけではなく、上位の諸力に全託する事も人にとって必要です。→[魂の指針【=覚醒意識】](200205152256)

 元ちとせという人の「わだつみの木」については、某神霊の預言を狙い過ぎという気がして、歌の一覧には載せにくい気がしています。(200205010104)

 山梨鐐平という人が「僕とコスモとイブの夜」という歌で、宇宙が終るかのような歌を歌ってました。また、PIERROTの新曲の「壊れていくこの世界で」も同様です。ここらへんの歌は、まず某フォーラムと私との関係を自意識過剰気味に捉えた歌だと思います。誰でも、どの個人も団体も世界の運命に対して大なり小なり影響を与えますが、某フォーラムに関して言えば、神霊が既にその範囲・制限・領域を「1993年までに為された事々によって、」と述べています。「世界の雛型になる」と神霊が言ったものは、「1993年までの事々」にその根拠があると思われます。(200203291936)

 下記で、「真似した」とか言いましたが、これを必ずしも悪だと見るのも違うという点を指摘しておかないといけないと思いました。要は、真似しなければならないような、何らかの理由によって、「それだけ困った状況にある」という視点があります。だから、かえって同情購入が増えるという場合もあり得ると考え得るような複雑な時代だと思いませんか? 情報公開という状況の中で、どのように皆が考えるかだと私は思います。(200203120219)

 中島美嘉さんの歌のメロディーには、どうも中心軸が無い感じがするし、外形標準課税(形だけの単語の使い方)みたいな曲だと思ってたら、T2yaさんの作曲だった(^^;。どうも中島さんは安室さんに似ている人だなぁと思ってましたが、そうか、もう安室さんの事務所が小室さんとの特別な関係という縛りを積極的に解いたのでしょうね。受動的に解かれてしまった小室氏は、安室さんに似た人をぶつける事で復讐に出てきたのかな。いや、復讐というより、「安室さん似のルックスの女性歌手市場は小室さん自らが開拓したものだから」という金銭的“オリジナリティー”の発想に基づき、その市場を再度所有できる可能性の大きい中島美嘉さんという人を見出して来たのでしょう。まあ、安室さんにルックスなど似ていると言えば、倖田來未さんという人も出ていますが(声まで似ている)、彼女(の事務所?)は、安室さんに対する(挑戦とか、ぶつかるとかいう)意図性が存在しないらしく、むしろ、より大きなチャンスを求めてか、アメリカで活躍しようとしてるみたいですね。また、唐沢美帆さんの「Endless Harmony」という歌のメロディーも、何だか外形標準課税みたいなメロディーだと思ったけど、載せちゃったなぁ。ただ、この曲の作曲者が誰かは未だ知りません。Heartsdalesの「That's Why」という歌は中澤真由の「Changes」に似ているなぁ。
 それから、歌の一覧表に系統付けしてますが、もし、「コピーされた人」との同意が存在しない場合は、大体は「ちょっと気になる〜大いに不服である」というネガティブな範囲内でしょうから、それはやはり明かしたほうが良いと思いますし、同意が存在する場合は、言っても特に問題は無いだろうと思いました。故に、どちらにしても、明らかにするほうが良いと思いましたので、H〜Mの6系統を新たに追加しました。これは私の主観で共通性・有意性が認められるものというだけであって、実際にそうであるとは言い切れないものも含みます。また、「盗んだ」のか、「真似をした」のか、「Respect」したのかは判じておりません。(200203091504)

 歌の一覧表では、全く同じ系統と分るものに(A-1)とか印を付けていましたが、以前に、そのようにしてましたらダメージと言いますか、そういう結果になる事があります。ものごとを明らかにするというのは、この場合、どうなのでしょうか。私にはよく分かりません。でも、THさんが「全部言ったれ」と桜の咲く頃に主張なさるのならば、そうしないことも無いのですが(^^;。どちらにしたら良いのでしょうか? かといって、私は何も恨みはないんですけど(^^;。そうか、やはり、言わないほうが「良い」のかな。「された側」との同意が存在してたりして(^^;。(200203010155)

 歌の一覧表のほうには、カバー曲はなるべく含めないでいようと思います。カバー曲ばかり出てきた時に、それらを全部載せていたら大変なので。でも、池田聡さんの「月の舟」を槙原敬之さんがカバーするみたいな、何かキラッとしたものがあった時には載せたいとも思います。

 それから、以前、宇多田ヒカルさんの「Travelling」について変な事を言ってしまった事がありました。それは歌の一覧に載らない「理由」に触れたものでした。また、Misiaさんのある歌を一覧表に載せませんでしたが、両方の場合共に、敵意も悪意も何もありません。歌の一覧は、本当はプライベートなものとして作るものでしたが、どうせなら、公開モードで作ったほうがそれだけ多くの人が良曲(だと私が感じたもの)に触れる機会が増えると思っただけです。誰でも心の中に「この曲、いいね」というのがあると思います。でも、そういう心の声を、その歌手を嫌いな他の人が聞いたらどう思うでしょうか?そういうのを芸能界とかの人間関係・利害関係とは無関係に公表モードにしているという感じです。だから、誰かの歌を「載せない」というスタンスは存在しません(楽曲使用が禁止されていた時の槙原敬之さんもその時点で表には載せてたし、あるいは、みゆさんの曲とかも入ってるでしょ)し、また、「誰」の歌を載せるという積りもありません。飽くまで「作品」として見ようとしてます。「これ、いいね」という感性で判断しています。松浦亜弥さんの「♥桃色片想い♥」というのも、映像とか綺麗なんですけど、音で判断すると、「遠距離の恋愛」のほうが「いいね」と思うわけです。勝又亜依子さんの歌も「KEEP ON YOUR SIDE」よりも「スタイル」のほうがいいなと思う訳です。(200202242304)

 大野愛果という人の「Shadows of Dreams」というCDが緑色だったので(^^;買いました。普通、私はクラシックやバラードを聞いてると途中で飽きてしまう(すいません)場合が多いのですが、この人の曲は全部バラードなのに、途中で飽きてしまう事が無かったので、ちょっと面白いなと思いました。どの曲も、これといった捉えどころがない感じなのに、聞いてて何かいい感じだと思います。「捉えどころがないのに、いい感じがする」というのも面白いですね。(200202062316)

 でも、2002.01.10(木)の「うたばん」に出ていたし、「CDで〜た」にも載ってたので、歌手活動を辞める事が無さそうでよかったと思い直しました。(200201112322)

 やはり、可能性が高いと思いました。永井美奈子さんの件を思い出したからです。以前、女性アナウンサーの永井美奈子さんが、ある生番組(?)で出演していたMSさんの隣に来て、彼女と顔を並べて「ホラ、似ているでしょ」とテレビカメラで流れました。その時のMSさんの激怒というのが私には理解できないで印象にだけ残っていたのですが、その疑問に関連する部分から、前回の書き込みが出てきたのです。というのは、「島谷ひとみさんの歌い方はどこかMSさんに似ているなぁ」と思っていたからです。突然、島谷ひとみさんが女優業に転向というのはおかしいと思ったので、私の中で話が繋がったのです。MSさんがAVEXに圧力をかけて、AVEXの偉い人が決定をした(?)のでしょうか。でも、まだ推定する事はできないなと思っていたところへ、永井美奈子さんの件が繋がったので、一応、「推定」は可能ではないかと思いました。前回、西野妙子さんの名が出たのも、「歌い方が似ている」という点からでした。単に似ているだけで圧力を裏側で加えるのはフェアではないと思う。文句を言えるのは、真似した上に非難・攻撃して来た時ではないかと私は思うんですけど。それが単に真似というか、似ているだけで可能性を断つというのは、酷いなぁ。でも、MSさんと似た歌い方をしている井上昌己さんが何ともない(?)のは、小さな勢力だからという判断があるのかも。金銭中心の発想は止めるべきだと思う。(200201060205)

 時々思うのは、「美しい歌」を生み出すのは全く結構な事ですが、金銭と密接に絡まっているのが問題だと感じます。「誰」の歌が売れるかというのは、「市場」に任せるべきでしょ。絶対そうだと思います。「強い事務所」や「強い立場」によって新人(しかし可能性が大きい)の可能性を摘んでしまうのは随分と酷い話だと思います。それは、島谷ひとみさんのような歌手の可能性を市場ではなく、市場に至る前の段階で潰してはいないか? 何故、島谷ひとみさんは女優業に転向したのか? 歌手としての可能性は日本でも屈指だというのに。dosも、ある日突然消えていったのは不自然だったなぁ。西野妙子さんはどうしちゃったんだろう? 一種の独占禁止法違反ではないか? 市場の決定を疎外しないでいるのは出来ないものかなぁ。(200112292116)

 J-FRIENDSが「ALWAYS」という歌で「仲良く手を繋ごう」と言ってます。多分、私と某集団の人々を仲直りという善意の意図だと思います。しかし、彼らは意図して被害者を作り出してきた。GREYさんは自らSUB-SYSOPを去った事は後から確認できましたが、排除された人はLOCKEさん、IXTLANさん、久遠さん、私など複数おります。私としては、

1) 基本的に、加害者集団に参加する意志はない

というスタンスです(加害行為を認め、一つ残らずクリアーにすれば、話は別)。また、

2) バイアス問題が解決しない限り危険である

という認識です。神霊の名で発言を行う危険性があるから。以上。(200112202028)

 歌の一覧表のほうにタンポポに関して変な事を書いていましたので、削除しました。長期間、ごめんなさい。曲があんまり似てるように聞こえたもので(^^;。懸案の?(だいぶ古い話)タンポポの「motto」(そういえば、元JUDY&MARYのYUKIさんも「mötto」という歌を歌ってましたね)を次回12/01の一覧表の更新時に入れさせていただきます。また、別件ですが、「桜」に系統付けしてしまった件についてもすみませんでした。多分、何か大きなストレスを生み出してしまったかも。私の感覚ではその種の側面に気づき難いかも知れません。基本的にハッキリ、スッキリして行きたいというのがあるのも事実ですが、あまり人の不確かなデータをいじるのは、基本的に(必要性が無ければ)控えようと思うようになっております。(200111250056)

 K DUB SHINEというラッパーの人が「SAVE CHILDREN」という歌を歌ってますね。「もし殴られてそうな子供がいたら・・・すぐ俺に言え」「もし近くで怪しい家庭があれば、俺に言え」という風な歌詞です。本当に、こういう社会問題を扱う歌が今は?無いですね。でも、この歌は深く人間性に基づいているので、正確には社会問題だけとは言えないでしょうが。(2001092221頃)

 なぜ女性歌手はこちらに公開の場でアピールするのだろう? なぜメールもレターも電話もくれず、その実態が「シカト」なのはどうしてだろう? 実態はシカトなのに、なぜ「フラれて悲しい」みたいな表情をするのだろう? なぜ具体的な関わりを避けるのだろう? 私は具体的な関わりを「求めている」と言ってるのに、実際にメールすらくれずにシカトをしているのは私ではないのに。(200109211853)

 以前、南野陽子さんが「話しかけたかった」という歌で「風が薫る5月の街で輝いてる彼を見かけたわ」と歌ってますが、この頃からスーパーサイヤ人がいたのか!うぬぬ!でも、ベジータも今ではDA PUMPのメインボーカルとして活躍してるし、ピッコロは少年隊の東さんになっちゃいました。ブルマーは誰だろう? でも、理科系の女性って少ないね。NHKの「サイエンス・アイ」のレギュラーだった三井ゆりさんは先日、野口五郎さんと結婚しました。あれ?ブルマーの夫がベジータじゃなかった? ISSAさんが結婚しなきゃブルマーが誰だか分かんないね(単なるアホ話ですので)。

 それから、中澤裕子さんの新曲「二人暮らし」の「Loving Loving You〜」という所と「なぜ、どうしてぇ〜」というところが和田アキコになってるんですけど(^^;。(200108150327)

 郷ひろみさんの「獣は裸になりたがる」という歌では真っ白の服を着ていたので、てっきり私をモチーフとしているのかと思いましたが、歌詞の内容が私の事ではないので、白黒さんだと思いました。ノストラダムスの預言詩には3人の獣が出て来るそうです。ヒトラーとナポレオンともう一人の獣がいるそうで、人によってはサダム・フセインと解釈する人もいる、ということだと思いました。白黒さんはナポレオンを自認しているので多分、彼のことを私に見せかけるように意図しており、実際は彼のことなので、「獣」なのだろうと思います。(200107172022)

 最近のGLAYの新曲でしょうか、「WOW WOW COMMUNICATION MISEDUCATION」と歌ってるのが聞こえてきました。続けて「北と南、見つめあえたなら〜」と歌ってます。これで気づいたことは、北は明らかに某チャネラーであり、南は私を指すと思われます。これに関して、皆さんは「二の次の側面ばかり気遣っている」点を理解してほしいのです。私は立正佼成会だろうと創価学会だろうと、何教だろうと、適度に関わりあうスタンスは持っております。別に、拒絶する理由はありませんから。以前、400万年(?数字ウロ覚え)前の日本の地層から石器が見つかった!と、考古学会内は大騒ぎだったそうですよね。ところが、神の手を持つと言われていた考古学者氏(X氏としましょう)が、自分で石器を埋めてる現場写真が公開され、一挙に発掘そのものの信憑性が薄れ、本人もその事実を認めた、ということがありました。考古学者達にとっての問題解決はX氏と仲良くしたり見つめあう事ではない。X氏が、どの発掘地点と、どの発掘地点で、どれとどれとどれ等を自分で捏造したのか/しなかったのか、という点を明らかにすることだけが問題解決なのです。その後、X氏とどのように個人的に対応するかは個々の考古学者の「二の次の選択」となります。
 某チャネラー一派がいつまでも私に拘る理由は、先ず「利益と打算」であろう。私が社会的な意味で何らかの位置を占めてさえいなければ彼らの内部では、私を「捨て去る」という発想があっただろうと予想します。次に「自分たちが言うべきことを一切何も言わなかった」点から来る反省の念によって私に拘るのだろうと予想します。私からすれば、彼ら人々に対する拘りは何も無かったのである。仲良くしたり見つめあったりしてもしなくても問題ではない。別側面を指摘すれば、私はチャネラー個人に対する私怨は持ってない。GLAYの歌の歌詞は、彼らの視点(二の次の点が第一の問題点と化している=問題の核心を未だに避けてるのね)から構成されているように予想しました。つまり私は「見つめ合えたら」という希望、というか、発想は特にありません。まあ、分断してるなとは思いましたが、私は一切シカトした事はないのだから、私の責任ではない。私は既に言うべき事は言い尽くしている程である。その何年間、彼らはシカトしたのである。まあ、私のスタンスとしては積極的に関係を持とうとは思いませんけどね。(200105042208)

 モーニング娘。のメンバーの後藤真希さんの初ソロ新曲「愛のばかやろう」の中で、「どうすればあなたに響くの」という歌詞部分がありますけど、御本人は結構ジャニーズ系が好きなんじゃないの? なんとなくこちらへメッセージしてるように構成されてると思いましたので、再度言いますけど、私はコミュニケーションをしたいのです。私に響く方法は、e-mail、手紙、電話、FAXなど、そちら側に金銭的収入が発生しない方法で、個人的にコミュニケーションしてくれることが「響く方法」です。この「響く方法」であれば、多分、人類の女性の1/7は射程距離内だと思いますけどね。(200103250056)

 浜崎あゆみさんの「vogue」は最初、とっても秀逸な曲と思ったのですが、歌詞の締めくくりが「散って行くから」と、何やらネガティブだったので、惜しいなといつも思ってます(確か「散って行くのだから思いっきり咲こう」というような内容だと思いました)。そういえば、似たような記憶で連想しましたが、松本明子さんの「SOON」という歌がありました。この曲は彼女が結婚する直前に歌ってたものです。彼女は私に対して態度を根底からひっくり返すようなことを10回位繰り返したので、私、ショックでした。それで「SOON」は、メロディーは良いような気もするのですけど、一覧表のほうに載りにくいです。ここらへんは完全に私の個人的なバイアスがかかってますね。
 HIROさんのTreasureという歌、いい感じだと思いますけど、ピンと来ないところがあって未だ載せないでいます。何か組み立てられた感じの曲のような感じがして。心から生まれたような、心を表現しようと意図したメロディーの場合は、綺麗な旋律があるのは勿論ですが、全体が一つの中心の周りを回ってるという「まとまり感」がありますよね。一聴していい感じでも、「中心点が無い」という感じの曲があり、そういう構成のメロディー流のようなものは心の中にストーリー(線)を作らないのですよね。線が面を形成し、立体となる勢いがあればいいんですけど、個々の綺麗なメロディーを一ヶ所に集合させたというバラバラ感のある曲はなかなか表に乗りにくいかも。でも、少々のバラバラ感があっても、ユーロビートでガンガン飛ばせば、それなりに良く感じます。だからバラードはその点、難易度が高いのでしょうね。でも、「ちょっといい感じ」という曲ならば、最近だとGARNET CROWの「flying」とかMIOの「手のひらの鼓動」とか沢山あります。その中から更に絞って表に載せて行こうと思っています。でも、「thanks」マークをつけてでも載せないと怒られちゃうかな(^^;?「この人でなし!」とか(^^; (200011280335)

 Hitomiさんの新曲で「君にKissを、泣き出しそうな毎日でも君を愛し続けよう」と殊勝な事を言って頂いておりますが、無理しないで下さいませね。ついでに言っちゃうと、私個人はそういう事を求める気持ちはほとんど無いんです(^^;。ですので、あまり義務的に考えなくていいと思います。以前、Hitomiさんのお歌にコメントしましたのは、私に対する第三者の意味不明な攻撃的意図が内在してる様に思われたからだけなのです。第三者の意図が内在してないように思われれば、私も別に異議申し立てみたいなコメントすることもありませんさ。(200011120419)

 椎名林檎さんと同じレコード会社から、彼女を真似した矢井田瞳という人が出てきて、椎名林檎さんは気分を害してレコード会社を移籍する話になってるそうですけど、椎名林檎さんが、その歌い方に関して「ビジネスモデル特許」を取得すればいいのではないかと思いましたけど、どうなんでしょう。(200010200428)

 FANATIC CRISISというグループが「僕は君の側につき、WINNERには唾を吐くよ」とか歌ってるのが聞こえてきたのですが、まあ、これを自分の事に引き寄せて考えてみれば、FANATIC CRISISの動機は「弱者を守る」という正しさが感じられますけど、私は誰とも戦ってませんので「勝者」「敗者」の区別が存在することがおかしいと思います。戦ってはいないけれど、自分に誰かが絡んで来れば、応報するというだけの話です。私は単に自分の目的へ向かっているだけ。「勝者」「敗者」というのは虚構です。そんなに積極的に被害者にならないでほしいと思います。私は加害者ではない。私のそういう感覚は[社会的認知欲求の開放(解法)]を読んで理解してくれれば、と思います。(200010160535)

 以下にも書きましたが、以前、D-LOOPという女性VOのグループが出て、かなり私に近接したアプローチがあったと思ってます。その中で「好きなものだけを選んでゆく、その生き方変えないでね」という部分がありました。今、浜崎あゆみさんが歌われている「SURREAL」という歌の歌詞で「好きなものだけを選んで行くのが無責任だというわけじゃない」という個所があり、私の事を擁護してくれていると分析しました。私を批判している人が、今、浜崎あゆみさんにレター出してどんなことを言ってるかが分かった気がします。つまり「彼(オリハル)は、好きなものだけを選ぶような無責任な人だ」と言ってるようですね。でも、続く歌詞によって、その批判者自身が自分の好きなものさえ見つけられないでいる事がわかりますね。すなわち「好きなものさえもみつけられずに責任なんて取りようもない」と言ってますから、その批判者自身のほうがよほど無責任であるらしい(あえて比較すれば)。また、多分、その批判者は私の事を続く歌詞から判断すると、「(オリハルが)背負う覚悟の分だけ可能性を手にしている(=妬み?)」と言ってるらしい。この批判者の感情的側面を浜崎あゆみさんはよく歌の中でイントネーションとして表現できてると思います。でも、私は背負う背負わないではなく、この動かしようのない「事実」(=日本の文化の一つ)をこの国に広めようとしているのです。上記下線部の言葉は、まるで私一個人が全てを背負い、私一個人が全ての可能性を手にしているかのように言ってるらしいですね。もう、こういう、「人の利益側面しか見えない考え方」から脱却しませんか?(>批判者[達]) 続く歌詞では、その批判者の同情心は「いらない」もののようですね。全然役に立たないらしい。続く歌詞の「大事なものなら痛みを伴うはずだよね」という所から、この批判者は、浜崎あゆみさんが私寄りの表現を時々している事自体を指して「彼女がそのようにしなきゃならない事」に同情しているらしいですね。従って、「彼女自身が痛みを伴ってない(むしろ、自発的にそうしてる)のに、同情なんてされても迷惑だ」という浜崎さんの主張のようですね。また、そんなものは、まるで「二人でいても感じる孤独の辛さのようなもの」のようである、という補足までつけてますね。そりゃそうだ。自分で楽しく釣りをしている所に批判者が現れて「可愛そうに。釣りをしなければならないなんて」と同情されても、そんなものいらないし、批判者が真剣であればあるほどウザ以外の何物でもない。
 それから、一つ気になりますが、以前、小室哲也さんやglobeがガラスを割ったり、Kinki Kidsが「ガラスの少年時代」という歌を歌ったり、椎名林檎さんが足でガラスを割っていましたけど、最近は、ELTがガラスを割り始めましたね。(200010150458)

 下記との関連なのですが、私はよく「善人」「悪人」と言います。これは何か絶対的な基準があるのではなくて、全くの私の「個人としての価値観」から判断するものであります。私は「人はその人自身の価値観で生きてる」という考え方をしております。ですので、私は私の価値観で言っております。ちなみに、私の基準では、「意図において裏をかく」というのは悪だと思うので、私は正面から物を言おうとします。そういうわけで、例でした。(200009290357)

 メロン記念日というグループが歌ってた歌の中のセリフ「ねえ、なんでそんなに優しいの?」という「質問」が「疑問」に聞こえた感じがした事を覚えています。でも、それはそうじゃないですか? 私は皆さんを、特に女性を見てますし、善人と思っているからですね。あんまり弱そうな人に怒りを向けることはないですよ。でも、私は悪人に対しては私なりにキツイと思いますよ。これで答えになってるかな? 逆に聞きますけど、「なんで優しいことが問題になるの?」(200009260627)

 ixeedという二人組が変な歌ばかり歌ってますよね(^^;。最初の歌では、「人を信じることは全てを許すこと。裏切られても恨んだり憎んだりしないで」と言ってました。この考え方の偏りは明らかだと思い、触れませんでしたが、一応、述べて置こうと思いました。人を信じることは、その善意を信じるという事でしょ。信じた相手が悪の道へ行こうとするなら(または、私や他の友人に対して悪意で画策するような時)、それを攻撃し、阻止しようとするのが相手や自分の為です。プロセスにおいて、「全てを許す」事は、間違いである。裏切られた場合には、その変節の心理プロセスについて知る権利があると思います。ただ、芸能人とは具体的な関係が何一つ無いのですから、私は誰にも「裏切られた」と感じたことは今のところありませんけど。それぞれの切実な事情というのもあるでしょうから。
 それで、白黒さんとの関連で、「許す」ということについてですが、上記で述べたように、芸能人に対しても「裏切られた」とさえ言えないような「情報不足」の状況に私はいるのです。同様に、白黒さんに関して許すとか許さないとか言えない状況の私である事を主張します。故に、「彼は許そうとしない」と言う反対勢力の言い分ばかりを聞き入れて、私を問題視し、非難・批判するのはおかしなことです。私は「事実を知りたい」のです。事実を知って始めて「判断」ができます。私の考え方は、「非難」ではなく、「事実を詳(つまび)らかにする」というものであり、その「事実」をどのように判断するかはそれを読む人に委ねるというやり方をします。しかし、やりたいことだけやって真実・責任から逃げ続ける人々は、「逃げるための口実として私のことを“彼は許そうとしない”」と非難します。私に対して加害した集団の一員としては「逃げ」があってはならないと思います。いわんや「非難」をや。あってしかるべきなのは、事実を詳細に私に説明することです。あなたがたが恐れるのは「ありのままの事実」である。それが知られることを恐れて「彼は許そうとしない」と逆ギレしてるのだろう。重ねて言っときますが、私のやり方は、心理プロセスを100%解明して詳細に「事実を公開する」だけです。私がすることは「公開すること」だけです。勿論、意見を加えることもあるでしょうが。(200009240528)

 ちょっと前に気づいたのですが、昨日、芸能人をランク付けする番組「人気者でいこう!」で浅香唯さんが窮地に陥ったのを見てて(^^;また気づいたのですが、広告業界というものがあります。電通とか博報堂とか有名な広告代理店があり、CMとか作ります。彼らの立場に立つと、「誰が宣伝効果が高いか」という「ランク一覧表」が存在することは確かな事実として考えることが出来るでしょう。CMとかに起用されるのは、このランクが高いところから選ばれて来ると思います。また、何か新しい事を始めるに当たって、参考にするのがこの一覧表なのだと思います。この一覧表は常に時代を写して最新であることが望まれると思います。すると、芸能人にとっては、この一覧表での「自分のランク」を下げないこと、あるいは上げることに努力を注ぐという側面が出てくるのではないかと思います。そのために、例えば大勢いるファンの中から、「指標」になる人を電通が選んだら、その人を大勢の芸能人で「奪い合う・競い合う」事で、宣伝効果を実証する、みたいな事も出てくると思います。政治家の場合は、自分の選挙区に毎週のように帰省して応援者たちと親睦を深めて常に応援を頼んでいなければ、次の選挙の時に危ないという状況があるから、地元の国民と触れ合わなければならないけれども、芸能人の場合、多分、「そこまでファンサービスに徹していたらたまらない」ということで、「ファンと具体的に交流をしてはならない」という協定のような、不文律のような約束事があるのではないでしょうか。それで返事がないということも考えられます。
 芸能人が「常に気にしている」のは、「この一覧表」ではないかと思います。だからこそ、芸能人は「ファンを自分の所へ引き寄せよう」として歌などでもアピール合戦となるのではないでしょうか。また、指標となったファンの言葉の一つ一つに仕事として反応して見せ、ランクが下がることの無い様に注意しているのだと思います。もし、1回ファンを逃したら微妙にランクが下がるとかいうことがあると思います。また、電通の人がドラマとかあるいはバラエティー番組を収録している現場で目を光らせていると言う事実も、その芸能人の印象やら性格やら、全てが「一覧表」に関わってくるのではないかと思います。でも、勿論、一覧表が全てではないとは思いますけど。例えば、その企業が「安室ちゃんで」と指定して来れば、そのようになるのだと思います。全てではないとは言っても、芸能人にとっては、自分のランクというものはいつも気になるものだと思います。(200009200449)

 なんとなくJUDY&MARYさんのレスポンスがいいような気がしますけど、そんじゃぁ、今度、「ベッコアメのオリハル」と「弥勒出現」の2ワードを含めた歌を歌ってみましょうか(^^;。さあ、いってみよう!(ドリフの長さん風)
 それから、中谷美紀さんが新曲「こわれたこころ」で、「足かせ」とか「罪の奴隷」とか言ってらっしゃいます。誰が何を言ってたのか知りませんが、下記の「2ワードの提案」をどう思います? 前から同じ事を言ってますけどね。さあ、いってみよう!(200007130700)

 下記で、「軍産複合体」と言いましたが、7/3(月)のニュース23で指摘された気がしました。「軍産複合体」というのは、米ソ冷戦時代のものを指すのだそうですね。私は中丸薫という皇室出身の方が、世界中に交友関係を持つゆえ、「世界を裏で牛耳る組織」について多くを語っているので、その暴露を主な活動とされている人の使う言葉の意味合いで使っていました。(200007050512)

 昨日、[番組「ほんパラ!」の童話について]のほうにHitomiさんの名前を出しましたが、特に、Hitomiさんに限らず、誰が銀色を身につけても何しても、「裏切った」とも何とも思いませんさ(そもそも、どんな具体的な関係すら、存在してないでしょ)。今の私の目的は、日本のなるべく多くの人に、弥勒の出現について知らせる事です。芸能界の人には友情を感じる人もいますけど、芸能界は、いわば手段です。何か組織を作ろうとか、自分を中心にまとめようとか、そういう利益志向ではなく、芸能界以外の、まだ知らされてない日本人に向かっているのですね。だから何も色彩等、制限するものではありません。本当に御自由にどうぞ。あなたが自身の価値観で、必要だと思ったこと、やりたいと思うことをすればいいではないですか。私は人と人が「利益」において結びつくという意識はイヤです。人と人は「目的」において結びつくのがいいと思います。(200007030544)

 つい先日からゴールドの衣装をお使いになる歌手の方々が出てきました。ということは、銀は、別個の何かであった可能性が高いのかも。下記の考察は少し的を外してる可能性もあると思います。でも、この種の事柄は、複数の側面があるので、そういう視点から断定的表現が出ました。(200007020632)

 宇多田ヒカルさんの新曲For youのカップリング曲では「そろそろ成果が見えないと止めてしまう」とか言ってるのは、多分、円盤のことだろうと思うなぁ。ボス猿(私?)がイメージされてるし。芸能人は宣伝してくれるからありがたいけど、これを自分でできるといいんだけどね。止めるかどうかは全然御勝手です。その点は御自由にどうぞ。それから「タイム・リミットにおびえているようじゃ頼れないよ」と言ってるのは、誰の性格をモデルケースにしてるのかなと思いました。私はそんなんで怯えたりしてませんさ。円盤やフリエネ情報を発信・公開してますのは、「誰か引き継いで下さい.and.軍産複合体に潰されない程、多くの人へ」という「非利己的」意図なのです。宣伝してくれるのはありがたいけど、宣伝を止める事はYouの御自由であります。「宣伝が止まってしまう、どうしよう、ビクビク」という「利己的」な動機で公開してるのではないのです。多分、イメージしたモデルケースの性格が正反対だったのだろうと思いますけど。でも、空飛ぶスクーター映像など、宣伝して頂き、(人類の為に)ありがとうございます。願わくば、ビデオクリップの最後に当ホームページのURLを書いて具体的にしてくれると本当は、もっと良かったとは思うんですけどね。円盤の推進原理やフリエネ情報は、私個人が文献研究で今の所、到達している結論です。実際の実験をしている訳ではありませんので、その点、弱いでしょうが、なるべくしっかりした根拠に基づいてるつもりです。ここから誰かが何かを始めて下さる事を期待してるのです。それに、今後、何か分かったら、また追加したりすることもあるかと思いますよ。(200006281415)

 なんだか最近、私には関係ないものが関係づけられてきているので、「泣く」と「勇気」以外についても指摘します。

銀色:聖書の時代区分では、青銅の時代、鉄の時代と来た訳で、次の千年紀は聖書に載っているように、「黄金の世紀」と言われます。Golden=57より、黄金は弥勒と関係づけられます。ただ、キラキラ光るのは金だけではなく、銀もそうです。それで、両方で「ミレニアム・カラー」と言われるそうです。金=弥勒なので、私に対抗したくてしょうがない人達は自分達の色=銀色としています。歌手の人達がよく、銀色のキラキラ衣装をつけているのは、そういうカルト的な彼らからのレターを受け取っており、それに対して反応をしているのですね。

嘆く:私は今まで悲しい気分になったことがあっても、泣いたり、嘆くという事はありませんでした。下記の宇多田ヒカルさんの歌でも「怯えてる」と断言されてますが、そのように吹聴する人がいるのだろうか? 下記でも、「もう10年になろうとしてる」と書きましたが、分かりやすく書けば、その意味は、「すごいだろう」という事であって、「こんなに自分は苦しんでいるんだ」ではないのです(正確に言えば、下記で「10年」と言ったのは、怒りについて強調を意図しただけです)。最近の歌でも、私に関連づけているかのような歌の中で「嘆いてる」とか言ってるけど、もうほとんど当てずっぽうの歌詞の世界ですわね。

 それから、以前、「勇気、勇気と歌詞の中で言ってるのは自分とは関係が無い」と述べましたら、吉田拓郎さんとか、その新曲とか聞きますと、年下の私に反抗して来る気がするんですけど(^^;、私には意味がよく分からないです。他にも何かCMでありましたね。下記のように「自分の事ではない」と述べます理由は、今までは私とは別の扱いだったこれらが、最近は、私の事をまぜこぜにし始めている傾向が出てきたので、区別しておこうと思ったのが理由です。そういえば、坂本龍一さんもなんだか、反抗期ですよね(^^;。なんとなく、いつもそういうの感じますけど、何が理由でその行動が出てくるのかよく分かりませんな。私は自分の好きな歌の一覧表を作ってますけど、それは単純に歌として考えて単純に作ってます。なのに、坂本龍一さんはウラBTTBという、クラシック音楽みたいな癒しのイメージ・ミュージックみたいの創作されましたが、私もあえて一覧表には入れてませんさ。そもそも、私はクラシックは皆、同じに聞こえます(^^;。なんか、いつもそんな感じ(理由を隠し、結果だけぶつける)なのはどちて?おせ〜て?(200006290417)

 私の結婚に対する妨害も既に10年を数えようとしてます。従って、妨害工作者に対する怒りは相当のものがあります。下記で和田アキ子さんのことをタイプして確か2日後か翌日だかに彼女が交通事故に遭って足の骨折という事象が起こりました。これは、私もちょっと驚きました。そして、和田さんは随分と多くの人から恨みや怒りを買っているらしく思えたし、下記の考察が正しかったのを裏付けるものだろうとも思っています。ただ、和田アキ子さんのレスポンスを見てると、私だけに原因があるかのように思っているようですが、私の下記発言はきっかけにすぎないと予想します。和田アキ子さんに対しては、より大勢の人の念が作用していると考えるのが正確な事実だと予想します。私の立場は、事故が起こってから初めて「下記考察=事実」と分かった(と思ってる)のですから。なぜなら、私は真実を知り得ませんが、神は全ての真実を知っておられるからです。私はほとんど何も知らない(事実の判定は極めて困難)。故に、今後さらに事故が起こるかどうかは、人民の訴えに基づいて、神の判定のみによるものだと思っております。
 でも、何をやっても「それは愛だ」で済ませてしまう「予定の上で」人に暴力を振るったりしてるのかもね。もしそうだったら、「愛」(や「性善説における性」など)が目的ではなく、手段にしてしまってますよね。確かに、「問題が起こる」というのは、人間社会には必要な事ですね。現代ではマン・パワーは減少しておりますが、その理由は「問題の減少」なのでしょうね。しかし、それは例えば、障害者の方達が町へ出るようになったり、あるいは今後、老人が増えたり、あるいは震災が多発するようになってくれば、そのような状況の中では多くの人達がマン・パワーを発揮するようになるのは明らかです(反面、このような状況では障害者や老人の方達のような弱者の寿命が短くなってしまう可能性はありますけれども)。マン・パワーは和田アキ子さんの専売特許ではないはずです。故に、和田アキ子さんがそのような「問題提起者」を自認するのなら、私など、他の「問題提起者」に対しても同様の認識をすることは必要でしょう。なぜなら、「問題提起者」を攻撃する事は、和田アキ子さん自身を攻撃する事となるのは明らかだし、価値観は多様なものだから。多様な価値観の存在を認めること=世界を豊かにすることですね。(200006250511)

 そういえば以前、B'zが「Liar!Liar!」という歌の最後で「Baby do you wanna truth?」とありましたけど、ええ、是非、知りたいです。何の事だか分かりませんけど?(^_^;)
 それから、エレファント・カシマシが面白い歌詩を歌ってますね。内容は「生きてるということは、神から“いつか死ぬ”と死刑宣告を受けた事であって、この世は奴隷天国よ」という過激な内容です(^_^;)。なるほどね。ペニシリンのVo.のHakueiさんはミヤマ・クワガタでノリノリになってしまうという奇特な方ですし、芸能界というのも面白い人がいますぁね。そういえば、aikoさんは「あたしはカブト虫」と歌ってましたけど、クワガタとは違うんでしょうね。でも、本当を言えば、私は具体的な話がしたいの。(200005290353)

 SILVAさんのプロモーション・ビデオで、彼女が迫り来る敵を倒しているのを見てて、そのような状況が存在することを認識しました。その歌「Virgin Killer」の歌詞の中でも、「恐くて何も言えないLADY達よ、勇気出して」と歌ってます。以前、CHARAさんがその歌の中で「女なんていなくなれ、なんて酷い夢を見た」とおっしゃってましたが、そのことと結びつきました。女性Vo.の方に対して何かしら酷い攻撃をして来る男性たちが複数いる模様です。そういえば宇多田ヒカルさんの映像もそんな感じですね。(200005280351)

 最近、誰かが主張しているのか何なのか、「自分のやりたいことをやるべきだ」との主張がよく聞かれます。MOVEのWords of the mindなどでも「自分がきしんでも、それを続けるつもり?」との好意的な意見や、藤井隆さんの歌でも「何だかんだ言っても自分のやりたいことをやるべきです」との主張です。そうできるためには、先ず「自由」についてよく理解してからであるべきでしょう。いつも言うようですが、肘は内側にしか曲がりません。だからといって「不自由」な訳ではありません。それが人間であり、人間としての「定められた範囲」があります。物理的・肉体的な意味では、肘の例のように定まっています。しかし、精神的な範囲に於いては、「定められるべき範囲」があり、絶対的に固定されている訳ではありません。例えば、「人を殴るな」という決まりもそのように推奨される訳です(これを読んでから人を殴ったり、女性の顔を殴ったりするような奴に神の裁きあれ)。「自由」というのは、この範疇の事柄であり、「人間としての自由」があるわけです。

 「自分のやりたいことをやる“べき”」という表現が気になります。自分のやりたいことを正当化する表現にも聞こえたりしてます。「自由」=「勝手に何をやってもいい」となりますが、人間は人間ですから「人間としての自由」から考えると、「自分が利己的にやりたいことをやるために、人に被害を与えたり、裏をかいたりしてもいい」というのは間違ってると思います。しかし、銃を大勢に向けて使おうとしている人をその場で殺す(正当防衛)事は正しい事だと思います。「勝手な事」ではありません(全体の利益)。あるいは、自分の属する組織が間違った事をしようとしているのを知り、それが起こる前に広く公表する等のこともまた、「勝手な事」ではありません(全体の利益)。そのようなことを言ってるのではありません。ここで問題になっているのは、「利益主義」です(一人だけの利益)。そのような「利益への偏り」は、バランスの生き物である人間にとって良くない事です。なぜなら、個人の肉体性・欲望だけが考慮され守られており、霊性(ここでは、肉体を越えて進化する可能性を持つ自己)が守られていないからです。霊性は利己主義を超えて全体の利益に結びつくように個人を導く原理でもある事は明らかでしょう。

 一つ申し上げたいのは、「そんなに自分だけの利益を追求して空しくないですか」というものです。まあ、「欲望、欲望と言って何もやらないで後悔するよりは、欲望で何かやったほうがいい」というのも一理あります。欲望が暴走するのならば仕方ありません。そういう人はそういう人で、特定の何かをするという使命があるのでしょう。その動機が欲望である点に何か疑問を感じている人ならば、霊性がささやいているのだと思います。

 利益だけに走って人に被害を加えたりして自らの霊性を圧迫したりもすると思いますが、それらは「人間としての自由」の範囲でやってもらってれば後は本人のすること、ということと思います。(200003150531)

 当ホームページでは、いいなと思った歌の一覧を掲示してるのですが、最初、掲示を始めた時、最初の最初からaikoさんの「あした」という歌には秀逸マークがついてました。その頃、実はある念を感じていたのです。それは「へぇー、aikoの「あした」なんて、どこがいいのかねー」という念です。それに対する返答として[MSさんについて]で少し述べました。その後、aikoさんの「あした」という喜びの歌を、血塗られた雄叫びの歌のようなものとして深田恭子さんが知らずに歌手デビューしましたが、彼女はホリプロです。ホリプロと言えば和田アキ子さんですが、ここで話が繋がったように思ったのです。つまり、当たり前のようですが、和田アキ子さんは常に芸能界全般に目を光らせているという事に改めて気付いた訳です。つまり、和田アキ子さんは、今まで私がレターして来た人たちが返事を出さないようにと圧力を加えていたように思うのです。可能性ですけど。それに、例えば誰にレター出したとしても、その人の所へホリプロから「必ずそのレターをFAXのこと」という圧力が加わるのではないかと思いました。ホリプロの姿をしてはいても、その実態は和田アキ子さんなのだと思います。どの事務所へレターを出しても、その事務所の事務員が先ず開封した後、ホリプロやナベプロやジャニーズやライジングなど主な事務所へFAXするのかも知れません。彼女は誰と誰が結婚するとか別れるとかいう事にまで目を光らせてる(もう一歩つっこんで言うと、許可や指示をしている?)可能性があると思います。まあ、圧力を加えたりまではしてなくても、目だけは光ってる事は大いにありそうだなと思います。そういう人脈情報ネットワークがあること自体は確かです。ここで推理しているのはその指揮系統=和田アキ子さんではないかということです。でも、仮に、人の結婚とか人生まで好きなように指示していたとしたら、随分と罪な事をやってますよね。でも、それはそれでそうする当然の権利があったのかも知れないとは思いますが、もし、それが事実であったならば、このようにして外部に気付かれたという事自体が、その「当然の権利」を消費し尽くした事をも示しているように思います。(200002010404)⇒参考 (200801272236)

 宇多田ヒカルさんが出てきた今という時代と、ユーミンが出てきた時代の背景がとてもよく似ているのだそうです。ずっと前にテレビでやってました。しかも、昨日1/25(火)にフジテレビ19:00〜21:00の番組でやってたのは、このお二人は共に誕生日か1/19で、全く同じ日なのです。ユーミンさんは1954年生で、宇多田ヒカルさんは1983年生です。(200001270412)

 SOFIAのヴォーカルの人が「何か人に教える・知らせる時に、たとえそれが大変に良いことであっても、それが本当にその人にとって良いことなのかと考えてしまう」という視点を述べてました。なるほど、そのような視点があるのですね。私なんかは、そういう判断は相手の人自身にまかせて、事実だけを伝えますけどね。視野が広がり、新たな情報が示されるというのは、人類の器を広げて行く事だと思います。器が広がる時点で苦しみがあるなら、それをどうするかはその人自身の経験になりますし。そのように考えています。(199912270357)

 ついさっき気付いたのですが、福山雅治さんが作った新曲「HEAVEN」は、ある女性タレントさんとの結婚へのOKサインをもらうためのものだったのではないか? ということです。なぜ急にこんな事を思いついたのか不思議です。確かに福山さんがその女性タレントとの結婚を希望しているというコンビニ雑誌の記事は読んで知ってましたが、彼の曲が私の作っている歌の一覧に載るか載らないかによってその人生を決めるみたいな、そんな傲慢に賭け事のようなことをさせるのがそもそも間違っているのである(もし、本当にそうだった場合の話)。そんなだったら、2人して明日から芸能人なんて止めて幸せに暮らせばいいと思う。何故、そんな社長だの専務だのの言葉に従うのかなぁ。もし、そうならば、私の一覧表をそのように使用することは拒否します。さあ、拒否したのですから、これに基づくそのような判断は成立しません。指定用途(=娯楽)外使用の禁止というやつです。そんなことばかりやってるから私がどんどん怨まれるんじゃないか。と書くと、その社長さんは別の無理難題を言ってくるかも知れないけどね。以上の私の歌の一覧表との関連部分は、想像です。(199912230637)

 イエロー・モンキーの新曲で「指の間からこぼれる」とか歌ってますけど、これは何について言ってるのか大体分かります。それは、あるチャネリングメッセージで片目の男の指の間から砂(時間を象徴)がこぼれ落ちており、そのように片目の男が後悔している、の図ですね。もう片目の男説が私ではないというのが定説(^_^;)だと思っていたのですが、まだ消えてなかった可能性を思いました。仮にそうだとしても、その指摘をしてくれたので、バグつぶしが出来ます。
 まず、私があるフォーラムにいたとき、そのフォーラムに反対する人が3〜5人(夏木さんや、くまぴょんさんや、かんがえちゅうさん)位書き込んで、私もそういうの好きだから、その議論に参加しました。ところが、折角楽しんでいろいろこれから過激になろうかという時に、チャネリング会議室メッセージが出て、終了しました。その時に、神霊会議室発言でこちら側を保護する意図の感じられる表現があり、私はもの足りなさを感じ、また、その神霊も、こちらがもっと議論したかった状況を読めてないのが分かったし、また、その程度のもめごとに神霊発言を行ってしまうのも、一体、何の意味があるのだろうかと思ったものです。その種の不審な点(純粋なメッセージではなく、チャネラーの意図が反映されたようなメッセージ)は沢山あります。イエモンが今回の新曲のテーマとしていると思われるメッセージは「片目の男の後悔の図」でしょう。そのメッセージはチャネラーが私の事を知ってる時期(毎日の発言などで)に出されたものであり、私の存在を何も知らない時に出されたメッセージのような信頼性はないと思われます。当時、そこにチャネラーの意図が私には感じられました。以下に、片目の男に、その性格から迫ってみようと思います。
 ここで以前出しました例を使ってみます。私はある湖の環境調査の為に魚を沢山捕ってましたら、現地の漁師(これが白黒さん)が発憤して私のすぐそばで競争して魚を取り始める例です。私は競争などしていないのです。以前から繰り返し何度も言ってますように、その種の側面は二義的なものでしかないのです。それを通して、その先に目的(情報を広めること)があるのです。再度言ってみますと、私が有名人になってCMに出たり、歌を出したりして色々の「利益」が転がり込んで、みたいな事「そのもの」は第一目的では「ない」のです。そもそも一二三神示で金銭と絡まる事について「禁止の“方向”」にあるのですからその“方向”を取り得る訳がないのです。さて、片目の男は何をテーマとして「後悔」しているのでしょうか? 彼はそんなにも「自己利益」を夢見ていたのです。彼が第一の目的としているのは、自己利益です。そういう心情的な描写の一体、何がそんなに絶対的な扱いを受ける要素があるのでしょうか。今まで私は同じようなこと言ってますから、今回も「わっかるかな〜?」という感じです。多分、「ええかっこしやーがってぇぇ(自己利益一色で世界を見るの図)」となるのがオチかも(^_^;)。分っかるかにゃ〜? ←あ、こういう表現も誰かが「空元気」とか言ってたよね。あ、なるほどその先には例の後悔の図があったのかぁ。だから「空元気にしたかった」のかね。このような明るい表現をした理由について触れてみますと、あなたが例えば少年Z君に「1+1=2だよ」と説明しました。次の日になるとZ君は「1+1=3だよ」と言い張ります。それでもう一度説明します。また1週間するとZ君は「1+1=3だよ」と言い張ります。そういう質問が延々と繰り返されたら笑いません? だから「明るい表現」になった訳です。ま、一応、説明は今回「も」しときましたけど、これも含めて社会状況としては、やはり、多少疑われて「いる」ほうが健全だし、また、自己都合で恐縮ですが、そのほうが気楽ではありますね。(199912110449)

 コンビニ雑誌に載ってましたが、鈴木蘭々さんが「バラエティーより歌手活動に専念したい」と主張してるけど、事務所がそうさせてくれないみたいですね。でも、私も本心から思うのですが、鈴木蘭々さんが「Who Who Who」を歌い始めた頃、その曲の素晴らしさがとても好きでした。編曲も何かイタリアっぽくて良かったし。「Who Who Who」の編曲を真似した歌が直後に出たりもしましたよね。彼女の歌う「Kiss」というのもやはりとても美しいと思いました。そのような楽曲を作り出す人たちがいるからですけど、それは蘭々さんの個性がうまく引き出されていたとも言えると思います。確かに彼女は「一際」光ってました。まあ、楽曲が素晴らしかったからでもありますが。でも、当時のミュージックシーンの中に、蘭々さんの才能というか、個性にやっかむちょっとした「動き」もまた私は感知していた記憶が残ってます。世の常ですかね。個性が「ある」からバッシングが出るのだと思います。蘭々さんが歌手活動をすることは水を得た魚状態ではないかと思います。逆に、彼女が歌手活動に専念できないのは残念な気持ちが傍から見ててもします。まあ、そう思うのは一つには彼女が世に送った楽曲が素晴らしかったからでもありますが。(199911170349)

 度々悪いのですけど、なんか566さんの事が気になるので、それが何なのか、もう一度、下記の文章を読んで原因について考察しました。多分、下記の「それから、以上のようなことを書きましたのは、個人的な関係性への意図・欲求ではありません。芸能人ではありませんから。」と書いた部分ではないかと思いました。これではちょっと突き放し過ぎた表現だったと思います。関係性を拒絶する意味合いは、もちろん!ありませんですよ。そういえば、566さんの歌で「I'll be there」とか言う歌詞部分がありましたね。これを自分に引寄せて捉えれば、関係性への意図も推量できますよね。何かあったら私にメールくれればいいのに。でも、何故メディア・ベースで、いわば大衆の耳目の中でしか皆さん、コミュニケーションしないんだろう。まあ、確かに世の中には変な人も沢山いるからね。素の個人として交流するのに不安が芸能人の皆様にあるのでしょうね。でも、それでは情報が日本の人々に行き渡らないですね。でも、ふと思うのですが、この前のフジテレビの「ヘイヘイヘイ」で松M人志さんとモーニング娘の飯D圭織さんはお互いにメールアドレス知ってましたが、それが発覚して松M人志さんは「爆弾発言でしたね」とフォローみたいに言ってました。もしかしたら、芸能人は一般人とは隔絶した環境の中で、お互いに情報のやりとりが活発に行われてて、それ専用のニュースグループとかBBSがあるんじゃないでしょうかね。空想ですけど。
 それからちょっと思うのですが、何か変った事を言う人がいる時に、彼の言う事を一見、大真面目に受け取り、その情報をテレビメディアで(歌などで)大々的に宣伝することで、やがて馬脚を表わすのを楽しむという発想を持つ人も一部、いるように予想できると思います。まあ、確かに、世間はその種の嘘で溢れかえっていますけどね。でも、私の関係の情報については本人が「具体的に言ってくれ」と主張してます。だから当てが外れたと感じるような人もいるんでしょうけど、そのような側面についてはほとんど考慮しないと思います。(199911140658)

 時々思うのですが、白黒さんは、やけに私にぶつかって裏(=私には見えない所)で私を批判していたように予想してます。彼は「戦う限りは勝つまで戦え」という言葉を信奉していた事については私は知っていました。でも、ちょっと待って下さい。私は戦ってないのです(ついでに、その言葉も、実際の殺し合いとしての戦についての言葉と思います)。例えば、私をある湖の環境調査員だとします。私の目的はその湖に生息する全ての生物に対する環境ホルモン物質の作用の有無を調査することでした。それで私の舟には沢山の魚などが並んでいます。それを見た原住民の漁師が、発憤しました。これが白黒さんです。その漁師は環境調査船の目と鼻の先で魚を取り始め、彼の舟も魚で一杯になって来ました。環境調査員は地球の未来を憂えていたのです。原住民の漁師は、目に見える事に発憤しているのです。つまり、私は戦ってないということです。でも、日テレ・電波少年の「地球防衛軍」とは何なのでしょうか(たまに見る)。なんか私の真似してる気がするんだけど、だったらもっと意味のあるものを含めて番組構成をすればいいのにね。わざわざ(?)意味のなさそうな形だけ真似だけしてる感じです。(199911080424)

 以前の、確かフライング・キッズのヴォーカルだった浜崎貴司さんの新曲「誰かが誰かに」が聞こえて来ました。まだ一度しか聞こえてないのですが、その歌詞のポイントは「あなたは、いざ(芸能界の)誰かに会うようなことになったら、ひねくれずに言えるだろうか“好き”を」という風な歌詞だったと思いました。これは核心をついてると思いました。また、このような明確な論点は好きです。また、「本心」や「真剣」を感じられて、嘘のないコミュニケーションをしてる気がしました。「人生・友」のところにも書いたのですが、知識・情報を包み隠さず教えてくれる人が友人だと私は思っています。ですので、情報の壁や嘘があって、なかなかオープンマインドになれない人には、なかなか友人とは感じられません。でも、人は自分自身には赤裸々な真実を全て知られています。ですので、私は自分に嘘を持ちたくないのです。もし、一つでも嘘を持ったりしたら、それを公開せずにはいられないと思います。言葉(助詞)の使い方もそうです。「今日は晴れた」と言うか「今日も晴れた」と言うか、嘘の無い、事実を正確に表すのはどちらか判断しながら「も」と「は」を使い分けたりとか、あるいは、学生の頃(個人的修行時代)は、例え話をすれば、例:友達に私が「ラジオを買ったんで、それはいらないよ」と言ったとします。ところが、実際にラジオを買ったのは3年前であり、このような会話では、つい先日買ったばかりという印象を相手に与えてしまいました。このような時は、例えば、授業が終わった後に訂正します。「さっき、ラジオを買ったからいらないと言ったけど、それは単に不要の意味であって、ラジオを買った時期そのものは3年前なんだよね」とか訂正します。そんな感じです。

 このような事を、自分と友人関係を持つであろう、持とうとするかも知れない人にも私は求めます。その意味は、例えば、「なぜ今までシカトをして来たのか」とか、「なぜあの時そのように言ったのか」とか「なぜAを選ばずにBを選んだのか」等々の未解決の問題が山積しています。で、浜崎貴司さんの下記の問いは、多分、感情的側面についての質問だと思います。普通の人は、自分をコントロールみたくしている訳ではないと思われますから、私のように具体的な意味で9年間もスッポカされたりしたら、その現実の構造が、自然に彼の感情をひねくれさせる大きな力になったと思います。しかし、それではエネルギーの無駄が発生してしまいます。そういう訳で、私の場合には認識を持っているので、そういう現実の構造があっても、それをそのまま感情へと移行させてないのです。思考(データや記憶)へと移行させて、Pendingにしているのです。つまり、私の中では、感情が変質したり、変形したりしてるわけではなく、単に「なぜあの時、Aと言わずにBなどと言ったのだろうか?」という疑問文のデータが疑問のままに大量に蓄積している状態なのです。だから、本人が現れたり、または会ったりしたような場合は、その人との関係を始める「前に」それらの過去の事実を氷解させる必要が生じます。その人が私の問いを避けるならば、関係を未来へと発展させる道は途絶えます。もしその人が私の問いに答えるならば、その解答に応じて初めて、私はひねくれて見せたり、怒って見せたり、喜んで見せたりするでしょう。そのような「現実」によって初めて解答が与えられる訳ですから、その時点で感情的な関わりを「始める」事が「やっと」できるのです。まあ、その人が嘘をついて解答するという可能性がありますが、それは本人の責任であり、私の責任ではないので、私としては、重要な側面でなければ(単なる個人的側面ならば)真偽まで問い正す事は、大体において発生しないと思います。

 ですので、浜崎貴司さんの下記の問いは、私が相手と関係を持てるかどうかという、結構、挑戦的な問いだと思いますが、それに対しては以上のような事実解答になりました。つまり、「好き」とか言うような「関係」を持つ前に、相手は私の問いに答える義務があるという事です。私に対して次のような意見も出てくるでしょう。「そのような考えは、相手が実際に答えるよう強く迫ってないと思う」と。それに対しては、ルドルフ・シュタイナーが霊界の真相について伝えてくれているのです。すなわち、霊界に入ると、自分が知ろうと思えばどんなことでも知ることが出来るとのことです。つまり、人生で理由説明無しに何かされたり/されなかったりしたような事も含め、それらの疑問文の一つ一つに解答が与えられ、解決することになるのです。このような認識が例え無かったとしても、ただひたすら神を信じる人ならば、最終的には全知全能である神は、全ての事柄についての解決・解答をもたらすであろうと期待するのは人の自然な性向です。

 以上の事は、立場が逆の場合も勿論、真なりですね。私はどのような問いにも完全に解答したいと思います。ただ、自分が変な風に受け取られると、偏見の元になりますから、補足しておきますと、私も当然のごとく、生理的な生き物ですから、現実の構造が私の感情的な側面を「一切」変質・変形させていないかと言うと、それは原理的・構造的に無理でしょう。感情的な側面に「周辺部分」や「中心部分」や、「真核部分」などがあるとすれば、その「周辺部分」が記憶の中にある疑問文に触れ合いながら、多少の変質を来たしていないとも言えません。ただ、中心部分や真核部分まで変質されてはいないという点はあります。このような状況が可能なのは、私は何をどうしたいという欲求が薄いタイプの人だからと思います。それで(?)「やられ損」に関する疑問文の蓄積(という思考活動への移行)によって、感情の変質を抑えているのです。まあ、あえて言えば、このような認識を持つ以前の頃には感情も変質して、そのままになっているんですけどね。このような認識を持っている今は変質が少なくて済んでいます。(199911040442)

 時々感じるのですが、私の存在が気に入らない(芸能人)男性たちが、その身近な女性に対して、何か問題が生じる度に、私のせいにしているのを感じます。悪いことに、女性の皆さんがそれを信じてしまうことが問題だと思います。そのようにして、女性達は、本当に私のせいで彼がそうしたと思っているのであろうと予想してます。(199910170327)

 下記の昨日の文章は、NIFTY−Serveの中の誰をもターゲットにせずにタイプしたものです。確かにそちらの関係者に対して意味がドンピシャな感があります(霊界の性質に関する話)。しかし、そういうことは、タイプしている時点で想起してませんでした。あえて言えば、かろうじて、「人が霊界から問われる」という事をタイプしている時に、「該当者がいたような・・・」という「フッとした」思いが0.2秒位あったような気はします。その可能性は、残るかもしれません。どちらであっても、顕在意識では全く忘れていたのであり、そのような意図を持つことは不能でした。従って、昨日の文章にそのような意図性は存在していないのです。でも、今後も、私は何か法則的な事柄についてタイプする時は具体的な側面に関して無頓着であり続けると思います。具体的に誰かに何かを言いたい時は、そのように具体的に言うからです。私の文章には裏が無いので、書かれた文意を読んで頂ければ、と思っています。(199910150405)

 下記の文章を書き込んだ翌朝に566さんの夢を見ました。下記文章に対する、夢でのコメントの内容は(^_^;)、「顔マークなんか入れても全然面白くない。私、あなたをあんまり好きじゃなくなったから」というものでした。566さんが私を好きじゃないと感じるようになった理由に関してはタイプしないでいます。しかし、その理由に関わる部分で以下の文章をタイプしてます。霊性への道はイエズス様も言われましたように、「ラクダが針の穴を通るよりも困難な事」だと言えるでしょう。それは各々の自由意志によって行われるのであって、この世の(金銭的等の)利益とは離れてしまう道になりがちです。つまり「(物質的に)損をした」と感じる場合が多くなろうかと予想します。しかし、例えば、私がよく言う「嘘をつかない」というのも貫けば「損」ばかりだろうと思います。しかし、皆さんが「この世の幸せ」だと思っている事も、霊的には正反対になりがちだそうです。例えば、この世では「利益が多い事が幸せの基盤」という発想があります。従って、(この世の)幸せの為に嘘をつくのだ、という訳です。しかし、それは霊的には苦しみの種なのです。誠実な教師であった霊視者、ルドルフ・シュタイナーによれば、人は死後、霊界に入って再び生まれて来るまでの間の前半の期間において、この世での自らの経験して来た事柄を一つ一つ吟味するのだそうです。そこで、例えば、自分が嘘をついている場面を体験する時に、それが嘘であると分かりつつ、その経験を繰り返す時に、「実は嘘だったという真実」が輝き、それを否定できない為に苦しむのだそうです。この世では良くない事が人を責め立てて苦しみますが、霊界では、素晴らしいものが人を責め立てるという特徴があるのだそうです。他にも、この世と霊界は反対になっているそうです。例えば、この世では、人は周囲世界から学んで智恵をつけて行きます。知識・解答は対象物の反応を観察して、その結果、知った事を自分の中に取り入れます。一方、霊界では、智恵は(自分の中ではなく)霊界に満ちており、知ろうと思えば、何でも知れるそうです。そして、その周囲の霊界からは本人に対して常に問いが発せられるのだそうです。例えば、「あの時、なぜおまえはそのようにしなかったのか?」とか問われるのでしょうね。霊界にいるその時に人が解答を求めるのは、周囲世界ではなく、自分の中から解答(過去の事実)をくみ上げるのです。この世の場合とは他にも色々と逆になっているそうです。(イザラ書房「死後の生活」より) 私は別に、嘘をつかないことを「強要」してるわけではありません。

・霊的な意味での幸せを求めるならば、「どんな問いにも答えられるような自分になる事」が必要です。
・この世での幸せ(利益)を求めるならば、損をしないように振る舞うという事になります。

 でも、私は「利益=幸せ」だとは思えないな。だって、利益を沢山得たとしても、それは自分とは違う別の場所(金庫とか)に保管してるだけであって、自分がどのように変った訳ではありません。行動において、一応、利益を二義的に考慮しつつも、大切なのは、「自分が何の為に何をやったのか」という自己認識に関わる部分だと私は思います。幸せとはそういう事柄だと思います。決して所有物が人を完全に幸せにはしません。ですから、何かを「させられた」みたいに思う部分があるならば、その切っ掛けとなる「(世的に)損をした体験」があり、不服があったのでしょうけど、その時の566さんは何の為に何をした・言ったのでしょうか。何らかの真実を追究したのでは? その自己認識において「幸せ」なのかどうかだと思います。

 それから、以上のようなことを書きましたのは、個人的な関係性への意図・欲求ではありません。芸能人ではありませんから。私が意図しましたのは、566さんの認識の中に、事実でないものがあると思った為であり、それでこのような長文になりました。それが意図です。まあ、最後になりましたが、全く別の女性が私の夢の中では566さんとして出た、というような場合もおおいにあり得るんですけどね(^_^;)。でも、話の切っ掛けではありましたので、一応、サンプル・たたき台となりました。(199910140445)

 のほうでは、坂本龍一さんの「energy flow」を載せてないんですが、それは私があまりクラシックの認識が無いので、載せてないのです。クラシックに関する認識はほとんどゼロと言っていいと思います。「モーツァルトってちょっといい感じぃ?」みたいな認識があるだけで、バッハ、シューベルトとか小学校に習った音楽家の名前を挙げられるだけでして、皆、同じに聞こえてしまうという特別な耳を持っております(^_^;)。あ、勿論、よく聞けば、違いがあることは分かるのですが(^_^;)。洋楽についてもあんまり知りませんので、一覧を作るような事はしてません。でも、基本的には、洋楽には邦楽以上に素晴らしい曲が沢山あると思ったりします。(199910130254)

 「AS TIME GOES BY」はHIM(エイチ・アイ・エム)の歌でしたか(やーい、引っかかったぁ→自分^^;)。でも、HIROさんが歌うのとはやはり違って聞こえちゃうんだなぁ。この場合、純粋にヴォーカルの違いが出てるように思いました。(199909240317)

 脇道にそれないように補足しておきますと、自分の利益を追求することは今の社会(資本主義)の鉄則ですね(まあ、将来的には、「個人の全体に対する奉仕」が基礎となって構成された社会になるのでしょう。利己主義ではなく、宗教の基礎が社会システムの基礎となるのでしょうけど)。人間性というのは、植物性【利益[甘い汁]を吸って自分が成長しようとする傾向】とは違うものですから、私は分けて捉えています。故に、人に善意を向ける時は、全く善意を向けることが目的となるべきだと考えています。その裏に自己利益を想定するのが悪いとは思いませんが、自己利益を想定している時には「あなたをこんなにいい気持ちにさせてあげたんだから、今後は私に金銭的利益を5年間は保証して下さい」と「言葉に出して(おもてにして)」言うならば、それはそれでいいと思いますよ。だけど、全くの人間的善意に見せたままにして、その真意が金銭であるという芸能界は、どうも納得できないんですね。これは、植物的な「利益への欲求」が人間性の上位に立っている状態だと考えます。私は人を所有したり囲い込む発想は持ちません。「人を所有する」など何事かと思います。まあ、場違いな方を持ち出すようですが、イエズス様は人を羊に例えて囲い込みを行っていたのは、また違う意味であって、教養を受けていない当時の人々を保護の意図で囲い込んだのは明らかであって、イエズス様が個人的に人々を所有するというイメージとは根本的な違いがあります。
 肉体は植物的に成長・維持されているのだから、自己利益を得ないと死んでしまいます。だから私も利益は追及します。それは当たり前のことです。私が引っかかるのは、人と人の関係において、そこでは全くの純粋な人間性と人間性の関係であるべきだと考えるのです。善意を向ける時は、ただ善意を向けることが目的であるという関係です。裏があってはならないとは言いませんが、裏がある時には、それを全部言葉にして、表(おもて)にした上で付き合うならば、人間性に対する裏切りにはならないと思います。また長くなってしまいましたが、これは特定の人へ向けた文章ではなく、全般的な事について述べました。(199909080348)

 それに、いつも芸能界というものに一種の偏りを感じているので、その社会的慣習に従いたくないという気持ちもありました。その偏りとは、

1.互いに相手に対して権威を与え過ぎており、また、利己(金銭)主義に基づく過当競争がこの状況を維持させている。誰もあぶれたくないから。

 私はこのような傾向そのものではなく、その「行き過ぎている」傾向に従うのが嫌に思います。だから、仮に、それがたとえ私個人の(利益の)為に「もう止めようよ」と言って「くれた」のだとしても(仮に)、それに対応する筈の利己性を持ちたくなかった。というか、わざわざ利己性を想起して感謝したり反応したりしようとは思わない。そんな「利益」を基本として人間関係をやっているのではない(芸能人ではないので)。ただ、このために、社会からはじき出されているのも事実のようではある。ということは、ほとんどの人は「利益・不利益」の視点で人間関係をやっているかも知れない。利益と不利益を(ある程度)越えて事実と目的だけで人間関係をやれないものですか?>皆々様方

2.「もうやめようよ」というのが、私の利益を想定して言って「くれた」のだと仮定しても、私は芸能人ではありません。そんなことは、ほとんどどうでもよいことです。故に、それが意味を持つのは、そのように考えるあなた(方)の側なのです。もし、利益・不利益の考え方で言ってたのではなく、全く純粋に、そのような善そのものを、例えば私が認知することもなく素通りしてしまった時でも態度をひっくり返すことなく、その善なる目的そのものを目指して一直線のつもりで言ったのだというのなら、それは全く素晴らしい事だと思います。でも、私が認知しないからと言ってひっくり返った時は、利益を期待しての発言だったということになっちゃいます。言葉で言ってた「もうやめようよ」は実はどうでもよかったのね、ということになっちゃうのですね。そういう訳で、私は今まで通り、誰かの「利益」を中心にして物を考えさせられる事から、逃れ続けたいと思います(芸能人ではないので)。つまり、歌の一覧表に載せるかどうかは私個人の感性によって、メロディーや編曲や場合によっては歌詞によっていいなと感じたものに絞っております。とまあ、ちょっと見た夢を根拠にこのようなとんでもない論文が出来上がってしまいました。(199909070427)

 昨日はSPEEDのHIROさんの夢を見ました(リアリティーのある夢では無かったのですが)。彼女は今、「AS TIME GOES BY」という歌を歌ってて、その歌詞が「もうやめようよ、あこがれや夢に瞳そらすこと」とか、こちら寄りである事は気付いてるのですが、音楽的(?)には、歌の一覧には載せるほどではないと感じてるんだけど、夢では「歌の一覧に載せなかったら、ヒドイよね」と友達と話していました。HIROさんはまだ若い人なので、一応、説明を試みてみます。

 先ず、私は、自分の担ってる個人的な神仕組について、それを感情的に「認めて欲しい」と思ってないのです。人が認めても認めなくてもどちらでもいいのです(気持ちとして)。一方、この仕組は「事実」です。例えば、神仕組の存在も「事実」だし、私が昨日パンを食べたのも「事実」です。どちらであっても(つまり、パンを食べた事でも)疑う人がいれば、事実だと言わなければなりません。そして、それだけのことなのです。別段、「認めて欲しい」訳ではないのです。だから、「AS TIME GOES BY」を歌ってくれてもくれなくても、気持ち的に変化はないのです。最近の白黒モードも、白黒さんの動きが分かるので、実は面白がって見ているのです(^_^;)。でも、その「もうやめようよ」との呼びかけ・意見は、そちらの事情が分からないものの、多分、正当なものなのでしょう。だから、その目をそらすのを止める行為そのものは、私とは関係無く、あなた(方)にとってだけ意味のあるものです。そういう訳で、一覧表に載せないままでいるのです。純粋に音楽として見た上で判断したいと思っていますので。本当に傑作の歌だけを集めたいので〜す。

 誰がどのように私の存在から目をそむけさせようとしているのか知りませんので、その歌詞についての判断が、まず出来ません。故に、私やあなたの為ではなく、全体の為に、「今後も正しい判断をしましょう」としか言えませんよ。(199909060437)

 槙原敬之さんが麻薬所持の現行犯で逮捕されてしまいました。彼はその「友人」から麻薬を受け取ったそうです。多分、その「友人」というのは、槙原さんを「洗脳」していた「親友」だったのかも知れない、などと思ってみても、真相など分かる筈もなし。最近、彼は「死刑だ(Cicada)」とか歌ったり、クモ(以前、何かの映画で、麻薬常習者がクモに取り付かれるというのがあった)を自分に例えて「ハングリー・スパイダー」とか歌ってて、どうしたのかなと思っていたけど、こんな事になるなんて。でも、麻薬の「噂」なら、コンビニ雑誌にも時々載ったりしてます。いよいよ(やっと?)警察も動き出した(遅すぎた?)のかも知れません。ただ、槙原さんは「自分を悪く見せる行」をやっていたのかも、と思っても真相は薮の中。何にしても、麻薬を早めに止められて良かった事は明らかだと思います。(199909010449)

 この前ここで、心に対する物質的な作用(YES/NO、白黒)に関して言及しました。それは確かに物質性であって、人間性の部分集合にしか過ぎない性質のものです。しかし、私たちは物質世界に住んでいます。この物質世界から真実を学んでいるのです。例えば、「リンゴはブルーだ!」と思い込もうとしても、物質世界のリンゴを「実際に」手に取って見れば、それは赤いという事実に直面します。そのようにしていつも我々は「勝手な」判断から真理へと戻されるのです。そのようにして時間・空間・忍耐(=無私)の中で、我々は学んで行きます。この物質世界を通して学ぶようになっています。この物質世界が我々の知覚の範囲にある霊界だからです。

 私たちの心理作用を、霊界の法則に則って、規則正しく秩序立って成長させると、人間は霊界の住人になります。そのようにルドルフ・シュタイナーが述べております。だから、道徳や、(個人的)規則というものは必要なものです。勿論、気の向くままに生きたいという人にはそれはそれで何も強制などありません(言わずもがな)。ただ、私たちは、神の思考とも言うべきこの物質世界から「法則」を学んでいるのです。そのようにして学んで行くと、人は自己を変容させて行きます。シュタイナーによれば、人は肉体、エーテル体、アストラル体、自我が生得のものとして(4重の存在として)存在します。ここで言う「自我」とは身勝手なエゴという意味合いではありません。ここでは、このような高次の体の分類が出来るというのが要点です。エーテル体とは、生命体と言われ、植物体と言えるでしょう。人体を成長させ、維持している体です。アストラル体とは動物体と言えるでしょう。精神作用があるのはアストラル体があるからです。

 さて、自我がアストラル体(精神体)を変容させると「マナス」を形成する事となり、エーテル体(生命体)を変容させると「ブディー」を形成し、物質体まで変容させてしまうとアートマンを形成すると言ってます。人が、自らの意志によって7重の存在に高まる事が分かります。これらの用語はシュタイナー用語です。一番、極端な例として、アートマンを考察してみますと、よく考えると、「肉体を変容させる」事まで出来るというのは並み大抵の事ではありません。それができた方は、イエズス・キリスト様がいらっしゃいます。死を“肉体のレヴェルに於いて”超越されてしまわれました(アートマン)。ヨーガ行者などでも心臓の鼓動を変化させたり、土の中に何ヶ月もいたりというのは生命体(エーテル体)をコントロールしているのだと思われます(ブディー)。それに比べてどうでしょうか。私たちは自らの精神作用(アストラル体の活動)のみに対してさえ、その精神活動を霊界に同調させ得ているでしょうか?(マナス)

 私たちが直ちにアートマンになったら大変です。思っただけのことが物質的に実現してしまいます(^_^;)。しかし、人類はそこへ向って進化してもいるのです。だから、YESかNOかをハッキリさせたりするのが反人間的だと言う前に、私たちは物質世界から学んでいるのであり、そのようなYES/NO(法則)を「守る」ような「道徳的」な存在、そのような明確さに従い、それを自己の内に取り込んだ上での存在となって行くのであります。肝心なのは、物質世界そのものに忠実になる事ではなく、そこから抽出した概念・エッセンスによって法則を学ぶという態度です。時間・空間・忍耐(=無我)を通じて私たちは物質世界から学んで行くのだそうです。「時間・空間・忍耐」とはケイシーリーディング中の「人の神概念」として説明があった言葉です。ここで言ってるのは、「物質的であれ」とかそのような行き過ぎた厳格さではなく、例えば、「道徳規則を守る」事による霊界との同調を示しているだけです。(199907180532)

 でもまあ、なんと言いますか、私は避けられてるなぁという感を最近持ちますね。例えば、彼氏にフラレたり、フラれそうになったり、疑われたりした時に、芸能人の女性は急に歌などで私にアピールを始めたりしますが、その目的は彼氏の目を自分に向け直させる事じゃん。もし彼女が実際に、私個人にコンタクトを取るつもりがあったなら、私にメールを直接出せば済む事じゃん。結局、私はそうやって利用されてるだけじゃん。

 他にも、私から「レターが来た」と皆にFAXすれば、そこから噂話が広がって、それを阻止しようと男性達が躍起になります。そうやって沢山の男性がその女性にアプローチを始めるようです。ところがジツは、それが彼女の目的であって、そうやって私はダシにされてるじゃん。

 他にも、自分の好きじゃない男性の接近を受けて、密かに困ってるような芸能人女性は、私に興味を持ってるフリ、そして心が惹かれてるフリをすることで、その男性から都合良く離れる口実にしてるじゃん。そんなことをしたら、私はその男性から怨まれるじゃん。その女性は私を利用するだけじゃなくて、私を悪者にしてるじゃん。私に興味を持ったのなら、直接メールすればいい話じゃん。

 まあ、だいたい、こんな感じだと思ってますけど。(199907140309)

 時々思うのですが、aikoの「あした」の歌詞を180度変えてそのまま深田恭子さんに歌わせていますが(本人は意味を知らないと、この歌のCMで言ってましたが)、これは、喜びの歌を血塗られた雄叫びに変えているようなものです。傘は、雨が当たって影響することのないようにさすのです。わざわざ拡大させる事はないと思う。以下は、以前、危険性があると思い掲示するのを取りやめたのですが、やはり、言及する必要があると判断しました。人は死を「絶対的な損失」と感じています。しかし、そのような感覚は、「白か黒か」とか「0か1か」という2つに1つの(物質的)発想がベースになっています。つまり死というものを、そのような「断絶、決裂、分断」と感じているのです。しかし、来るべき世においては「死がなくなる訳ではないが、死の理解が容易になる」と、確かポール・ソロモンのリーディングで言われています。現代の我々の死の理解は「居る/居ない」の2者択一の物質的世界観です。この絶対的分断性を信じてしまっている為に、それを怖れているのです。これは人の精神の中に作用している、いわば物質力といえるものの性質です。

・例えば、「突然の大きな音」(例えば、カバンを壁に投げつけたりした時の音)は、このような物質的性質の音を人の精神に与え、その音を聞いた人はその物質性(乱暴さ)を不快に感じます。
・あるいは、テレビ画面が切り替わる時も突然です。今まで自分や人が映ってなかったのに、突然、アップで映されます。その物質性(乱暴さ)を不快に感じます。
・あるいは最初、職場は静寂で、仕事もはかどるかと思いきや、突然の大きな咳払い(の乱暴さ)で物質力の白黒、0or1が想起され、不快に感じます。
・死についてのイメージもそうです。現代での死のイメージを物質的側面「だけ」で捉えていると「死ぬか/生きるか」という見方になり、分裂します。よって分裂を避けようとして努力します。

 現代人の死についての理解はこのようなものと思います。しかし、白と黒の間には虹があるのです。つまり、死をそれほどに物質的に捉える必要はなく、亡くなった本人は、実は、我々の身近に「生きて」いるからです。その事を大勢の人が知覚できるような世界になって行くそうです。亡くなった人達は、「(星という)遠い所」に行ってしまうのではなく、我々の精神が属する世界にそのままいるわけです。死は「絶対的」な別離ではなく、物質体が全てのリアリティーではありません。「生きるか死ぬか」ではなく、白と黒の中間の領域があり、そこに虹を見る訳です。死とは状態の変化にしか過ぎません。

 でも、テレビで仕事している人たちは大変のように思います。画面が突然に切り替わるからです。その物質性は死を想起させますね。実のところ、あの画面の切り替えは、人の精神に対してそのような物質的(ある/なし)な影響を与えます。故に、必要な事は、作り手の側からは、なるべく徐々に画面が切り替わるように番組を作るという点であり、視聴者の側からすれば、そのように目の前で「人が映ってる画面」の突然の切り替え(出現と消滅)という物理的現象にそのまま精神を曝(さら)して死のイメージを想起するのではなく、「実は死も相対的なものであった。決して分断されてはいない」と、頭の中の絶対的別離・物質的な死のイメージが誤りであったと知る事です。つまり物質体が死んでも、実は話も出来るし、見る事もできる筈だからです。ポイントは人々の中の、このような「絶対的な死」を「部分的(物質体)別離」と解釈し直す事です。しかし、そのような現実が「実際に」知覚されるような世にならないと難しいかもしれないのですが。(199907040552)

 それから、覚醒意識についてですが、最近よく「自分であれ」とかいう言葉をよく聞きますが、それは霊性発達への示唆・教えなのですが、通常、ほとんどの人は、社会的な側面だけで考えています。つまり、「いかなる宗教やカリスマに寄りかかる事なく、自分で考えよう」みたいな、一種の社会運動です。

 その霊的な側面は、全く同じ表現になり得ます。すなわち、「自分であれ」ということです。これは覚醒意識を目指せと言っています。「自分で“在れ”」と言ってるのです。その真の意味は「在る」ことです。仕事をするのは生きる為ですが、生きるとは「存在する事」と言えます。人生は「“私”が存在」して始めてリアルになるのです。「実在する」というのは大切な事です。自己の「実在」を求め、追及し、(リアリティーと)同調するならば、いずれ感覚がビビッドなリアリティーに満たされた瞬間の意識(覚醒意識)を体験されるだろうと思います。この霊的覚醒の瞬間を認識できるようになれば、自分の存在が今までの夢を見ていたような「あれ?自分って居るの?」みたいな疑問・感覚から抜け出し、リアリティーの状態に在ることがわかると思います。同時にそれはかつて自分が子供の時に体験していた瞬間であった事を思い出すと思います。そのように、それはとても自然な体験なので、「こんなsimpleなもんだったんだ」とか「I'm feeling myself again.」と発想するだろうと思います。決して「自分で在れ=カリスマや新興宗教に注意せよ。惑わされるな」という社会的な発想では必ずしもないのです。「自分であれ」というのは、リアリティーを示唆する言葉でもあります。ここに真実があります。「実在」に目覚めたら、もう特定の誰かに磁石のように盲目的に吸い寄せられたりしないでしょう。いや、吸い寄せられても既に覚醒への道(リアリティーとの同調)を見出したのですから、わざわざ吸い寄せられて楽しんだりしなければ(^_^;)、そうなったりしないでしょう。このような結果・現象は社会的な側面でしょう。結果としてカリスマ・新興宗教に影響されないのです。また、逆にそれらも排斥される事なく、人はただ自己存在を想起し、実在しようと、存在を探求するでしょう。(199906270421)

 知念理奈さんの新曲「BE PROUD」の歌詞「愛というカゴ」という表現から、また一つ気付いた事があります。愛というのはエネルギーです。形ではありません。特定個人のものでもありません。例えば、それは電気に例えられます。ラジオは電気が流れなければ機能を果たしません。しかしラジオは言います。「僕は電気なんかに縛られたくない」と。しかし、電気(愛)が無ければラジオとしては死んでしまいます。人間だってそうです。肘(ひじ)が前だけに曲がり、後ろに曲がらないからといって「不自由だ」と言い始める人のようなものです。肘が後ろに曲がらないのが人間なのです。このように宇宙は規則立って働いています。「決まり事が沢山ある」のです。ところが、人間だけは、「法則を外れることまで自由だ」と、考えがちのようです。それが合法則的であればいいのですが、ほとんどの場合、その人のエゴの場合が多いんじゃないかと思います。人間には「人間として」与えられた「自由の範囲」があり、その範囲の中に於いてのみ、自由なのです。まあ、神が特別に恩寵を下される場合は、人間という範囲を超える事もあり得ますが(例外)。人間も他の被造物と同様、「愛に縛られる」ことなどあり得ません。というふうにきっちり決まっている側面(=法則)から目を逸らそうとするのは、「何か具体的な対象」と愛とを同一視してて、その具体的対象から逃れようとする「余り」だと思われます。

 道徳というのもそうです。道徳というのは、人間が守るべき規則と考えられています。その社会的な側面は皆が理解している通りでしょう。しかし、人間の霊性の発達の為、霊界との同調を維持する為の規則もあります。それは社会的な道徳と同じものの別側面として存在します。例えば、「嘘をつかない」という道徳律を考えてみましょう。その社会的側面は、簡単に予想できると思います。故にその霊的側面については、ルドルフ・シュタイナーが「嘘を付く事は、その言葉が現実の事実と対応しない為に、霊界では、それが破壊的な作用を生じている」と述べています。そのような嘘をつく人間(霊界との同調から遠い人間)をフォローするのは、霊界にとって、大変に重いことは容易に予想できます。私の思うに、今や日本は、ほとんど全員と言えるほど嘘付き大国になっているように予想しています。日本の将来は大丈夫? このような攻撃をかわす為に、「嘘も方便」とお釈迦様が言ったと言うかも知れません。そのようにして正当化して今後も嘘を付くのかも知れませんが、それよりは大きな犠牲を払ってでも嘘をつかないように自分を「変える」べきでしょう。でも、ほとんどの人はこの世(利益)が第一の目的になってしまっています。この世の利益というものを犠牲に差し出してでもなお、霊性の発達に努めるというのは、確かに人間にとって難しい事です。それを選択する(できる)人が少ないのも無理もないとは思います。でも、だからこそ努力のやり甲斐があるとも言えると思うのです。道徳というのはこれ一つだけではない事は説明不要だと思います。物事を社会的な側面からしか見(え)ないというのは一つの偏りだと思います。「個人の行の上での必要性」という観点も必要だと思います。

 なぜこうも人間が「利益第一主義」になってしまったかを考えれば、その理由は明白です。それは「資本主義」です。人々は自分の利益の為に一生働くようにさせられます。だから、そのような「金銭主義=利益主義」の人は「利益>真実」という不等式が頭の中に出来上がっているのですね。

 それから、「愛というカゴ」という表現(元々、愛は束縛ではありません)もそうですが、最近、この種の表現が多くなってる気がします。例えば、「あなたの愛によって深く傷ついた心は・・・」とかの表現(対象不定)を歌詞として聞くことがありますが、逆の言い方をすれば、「あなたの中傷の思い出」と言ってるようなもので、言葉の使い方に偽り・嘘があります。青色を見ながら「これこそ赤だ」と言うような種類の嘘だと思います(え?信号が黒だって(^_^;))。このような歌詞は決して強調を意図したものとは感じられず、マジでそう考えている節があるので、ここで述べています。「愛というカゴ」という表現もそうですが「規則・道徳=不自由」という考え方が蔓延している気もします。しかし、よく考えて下さい。自分を規律の元に置くとどうなるでしょうか? 予想とは逆に、本人の感情の中には多くのファンタジーが溢れるのです。例えば、嘘をつかない人がそれを守る為の日々の行いの一つ一つに美意識があるのです。それは嘘をついてばかりいる人には分からないファンタジーです。それは物理的な表現をすれば、コントラストです。一つ一つがクッキリ・ハッキリしていることを「コントラストがハッキリしている」と言います。コントラストがハッキリした映像は奇麗なものです。規律を嫌がり、排除しようと考える人は、自分の中から「思考」という側面を切り離そうとしているのです。しかし、規律(思考)を受け入れ、ファンタジーを感じられるならば、感情的側面と思考的側面が調和したと言えるでしょう。規律だけになるとまた、それは感情を抑圧し、がんじがらめになります。訳の分からないかんじがらめも止めましょう。(199906250403)

 ザ・ハイロウズの「罪と罰」という新しい歌が出てきました。ハイロウズって結構、過激でファンキーでなんか憎めないキャラですね。その歌詞の中で「結局、何もやらないなら有罪、重罪」と言ってます。私もつい最近まで「何もできないなぁ」と思ってたのですが、あるチャネリングメッセージの中に「思う、というのも人の行為である」というのが出ており、「なるほど」と思いました。だからスペース・ブラザーに教えられたアダムスキーなどは「人は活動する想念である」と言ってたんだなと思いました。故に、このようにホームページに自分の想念を記して行くというのも一つの人間活動・行為なのだとつい最近です、理解したのは。でも、可能性としては、「無罪モラトリアム」なるCDを発表した椎名林檎さんを私が無視(^_^;)というか、フォローしないから、ハイロウズがこういう歌を作ったのかも知れませんね(^_^;)。頑張ってね〜>椎名林檎さん。結構、良質の音楽って全くの個人のアーティストから生まれて来る場合って多いよね。

 それから、私は「人は、何かを肯定するために否定する」というのを広めてもらいたいと思ってたのですが、Dragon Ashの「Under Ages Song」の中で「否定の裏にある自意識」と歌ってました。もうちょっとなんだけどなぁ(^_^;)。「否定の裏にある肯定」って言えば、分かり易いのにね。(199904180346)

備忘録:宇多田ヒカルさんの初ライヴのあった4/2(金)に、T.M.Revolutionと吉村由美さんが入籍しました。(199904080330)

 下記でドリカムとか吉沢りえさんとかお名前を出してしまいました。ドリカムのヴォーカルの方がストレートヘアになっていらっしゃいました(^_^;)。何か仕事上に影響を与えてしまっていたら誠に申し訳ないと思います。色々な時期とかイメージとかあるでしょうから、当方をあまり考慮される事はないです。その理由は、こちらは単に1個人だからです。また、吉沢りえさんの自己プロデュース作品も結構いいと思いますよ。Sweet Revengeいいですねぇ。あ、今度聞いてみなくちゃ(^_^;)。少し間口を広げたので、今度聞いた時には一覧表に入ると思います。(199903260414)

 「なくすものが何もない、そんな奴に何が守れる」という歌が聞こえてますが、例えば、私は缶ジュースを無くしても全く構いません。ところが、缶ジュースに拘りを持っている人がいた時には、その人のニーズに合わせて、その人の缶ジュースが盗まれないようにすることも当然できるわけです。まあ、この場合は、相手のニーズを知らされている場合ですが。では、相手のニーズを知らない時に、自分なりに解釈するとどうなるかというと、完全ではないにしても、そこそこに守れる訳です。ただ、真実であるか、嘘であるかというような場合、嘘を守る事は真に本人の為になるとは思えないので、相手の嘘を守る事をしない場合があり得ると思います。その時、相手は守られてないと感じるかも知れません。しかし、もっと永続的な立場で考えれば、「真実は何か?」ということになります。それで、相手の嘘を守らない事で、相手の霊性を守ることになります。従って、一時的につらくても、相手を守る事になると思います。勿論、そんな勝手な事はしないでしょう。同意の上でそういう場合もあり得るようには思います。

 それと、去年の年末から「雨」とか「泣く」とか歌っているのも私の事ではありません。サザンの「イエローマン」の最後で「もう泣かない、僕」と言ってるのは私ではないのです。私になりきっていると思われる誰かです。(199903250344)

 時々、COOLという呼び方がありますが、多分、芸能界の特に女性の方は一般のビジネス社会の経験の無い方が多いので、COOLという概念が生じるのだろうと思います。多分、自分をどんどん出して行く芸能界と違って、ビジネス社会ではほとんど全く自分を出す機会がなく、仕事にかこつけて自己主張するという道筋になるかと思います。しかし、自分を出さないからといって、決して「冷たい」のではありません。どのような点がCOOLと称されるのかというと、余分な事をせずに、目的に向って必要な事をする、という「自分を出さない態度」の事だと思います。無駄なく効率的に。これはビジネス環境(結果が全ての世界)の中では必要で当たり前の態度です。COOLでも何でもないことなのです(ビジネス環境を離れて言えば、ビジネスマンは、そのように洗脳されているのです^^;)。若い女性芸能人の人は特にこのCOOLという側面が目につくのだと思います。私は以前、ソフトウエア関係の力仕事(^_^;)に関わっておりました。それで例えば、データ入力をしたりするのも、始業ベルが鳴って昼休みのベルが鳴るまでノンストップの作業をする、みたいのが普通になってました。勿論、トイレは別ですけど。例えば、私用でほんの1〜2分の間でもメモ帳に何か書くというだけのことも、その「無駄な時間」がとても申し訳ないという秒単位の環境の中にいました。それは確かに疲れましたが、6年も居て慣れたというのもあります。プログラムも組みました。そんな時期の傾向が残ってしまっているのだと思います。その基本は「自分を出さず、必要な事だけをする」というものです。この「自分を出さない」というのが自然に傾向として出る時にはCOOLと見えるのだと思います。

 例えば、「A駅に10:00までに到着せよ」という指令があったとして、遅れて10:30に着きました。ここで30分遅れた理由について話す事は「自分を出す」ことで、ビジネス環境では嫌がられます。そこでCOOLな行動になります。すなわち「遅れてすみません」の一言で全部済ませてしまう、というような態度になるのです。そこに到着したという結果だけで全て善し、という訳です。でも、それは「冷たい」という事ではないのです。ビジネス環境では、自分や理由を出さないで必要な仕事をこなし、結果を出すことが喜ばれます。という洗脳を受けているとも言えますけど(^_^;)。だから、これはある程度、既に古い考え方になっていると言えるかも知れません。本当ならば、人が喜び楽しめるような仕事が良い仕事ですね。その点で、ダスキンの仕事についての理念は素晴らしいですね。サービス第一という訳です。(199903220458)

 一応、区別が必要なので書いときますが、炎の力が目覚めることが覚醒なのでは「ありません」。炎の力は人間を超えた一つの力と繋がっていることの自覚という状態の事です。一方、覚醒意識というのは、リアリティーの中に自分が実在しているという強烈な、瞬間的だけどリアルな体験です。この強烈なリアリティーによって人の感覚は完全に満たされるのです。

 人の持つ価値観というのは、常に両面があると思います。肉親が亡くなった人の側にいることが良い人もいれば、悪い人もいるだろうと思います。一般的には近くに「いてあげる」という発想になると思います。でも、本当は「一人にしてほしい」と願う人も結構いると思う。極めて個人的な出来事の場合は、「一人でいる」ことが最大の慰めではないかと思います。静謐の中でしか癒せない事ってあると思います。(199903190352)

 今キムタクさんが出てくる競馬のCMの中で「メスと呼ばないで〜」と歌ってて気付きました。それはサザンの「イエローマン」の最後で「ソフトに行こうぜ」と言ってる箇所です。他にもCHARAさんの以前の歌の中で「“女なんか消えちまえ”ひどい夢を見た」と言ってる箇所があることを思い出しました。これはきっとCHARAさんの実体験でしょうね。ここで言って置きますけど、私はそんな風な事を思った事もないですよ。それに、今まで私寄りのメッセージを発していた、例えば、安室さんの写真集など見てもらえば、分かると思うのですが、そういう人を好んで白黒さんはターゲットにしてます。他にもCMなどで私にアピールしていた瀬戸朝香さんや加藤紀子さんなどがターゲットになりました。MSさんには誕生日の話などレターしている事は間違い無いと思われます。こういう状況証拠からしても、CHARAさんの夢に出たのは、私ではない事は納得してもらえると思います。(199903171226)

 人は次なる世界、神なる方角へ向っているというのが頭の片隅にあれば、世界征服へ向うのも良い事ですね。人の本能的に持っている性質を忘れたり無視したりしなければ、どちらへ行ってもOKですよね。後は、個々の運命なりサイクルなりが加味されるくらいだと思います。以上は、おおまかな表現をしてますので、よろしく。(199903160335)

 ある動きを感知したのですが、私が英語ができないからといって、遠慮する必要はありませんので(^_^;)。と言っとかないと、せっかく英語ができてウリなのにそれを使わない内に沈んでしまったなんていう事になるじゃないですか。なので、ビシバシやっちゃって下さいませ。こういうのを杞憂というのかな。(199903150508)

 最近、「世界征服=最終目的」というイカした表現・概念が輸入されて来ました。「イカした」と言いましたのは、「非難してないよ」という意味です。これを肉体ベースで考えれば、DNAの自己増殖要求として理解されるものだと思います。しかし、それは飽くまでも肉体ベースの話で、そのような性質を持つ理由というのがあると思います。それは「自己実現・発現」という傾向だと思います。DNAは自己を発現させようとします。では、自己(の思い)を発現し切れる世界とは何でしょうか? 人は「世界征服」にそれを夢見るのですね。それをやれば「思い通りの世界」になると、信じてしまうから、そのように行動してしまうのですね。でも、この世には「思い通りの世界」は存在しないのです。秀吉も死ぬ直前にこの世は夢のごとし、と詩を詠みました。では、自己(の思い)を発現し切れる世界とは何でしょうか? それは「思い通りの世界」ですね。「思い通りの世界」という表現は、比較級です。「この物質世界よりは思い通り」ということだと思います。やはり、人は自己の内奥、神を求めているのですね。(199903140356)

 芸能が「心を売る仕事」と言いましたが、非難の意味はありません。ここをよく読んでみてもらえればと思います。

 それから、サザンの歌(イエローマン〜星の王子様〜)で気付きましたが、白黒さんは自らを白馬と認識していたのが、「王子様に乗られてしまうのはイヤダ」となったみたいで、一二三神示に「救世主は黄の馬に乗って来る」という箇所を、多分ここで読んでいたので、「自分は黄の馬だ」とか言い始めたようですね(^_^;)。(199903131430頃)

 下記で(CMで)「陽差しあびたい」と言ってる人とは、浜崎あゆみさんのことで、モチーフはそこにありました。そのテーマとしているのは、多分、私が「人が寂しくしているのを見てどう思うか?」という一種の、非難ではないとしても問いかけのようなものがあるかも知れないと気づきました。でも、多分それは寂しいという感情について整理されてないからそう思うのだと思います。私は寂しいとはあまり感じない性格ですが、例えば、数人の友達がいる中で、他の皆は飴をもらったのに、私だけには飴をくれなかったという場面のように「意図性」を感じるような場面では寂しさを感じます。しかし、私がその場所から離れている間にたまたま、皆が飴をもらったのだとしたとき、そこに戻った私は皆が飴を持ってても寂しいと感じません。自分に対する「意図性」を感じないからです。

 さて、私が芸能人の寂しさ(?)をケアしないのは、ケアする「必要」を本当は無いと思ってるからです。それに、心を売る仕事の人ですからなおさらです。本人が寂しさをケアしてもらいたいと思うならば、商業ベース(テレビというメディア)でアピールなどせずに、個人的に相手に連絡して個人的に交流すればいいのです。そういう風に、商売とは無関係のところでなら喜んで私も対応します(一切、何もない事は分かってます)。しかし、私がレターを出せば、あなたの株が上がって仕事が増えたりするのです。そういうものに私は協力などしない訳です。だから、寂しさを強調するというのは、芸能の仕事であり、今、売りに出しているのは「寂しさ」な訳です。だから私はそれを「買わない」訳です。他の人の場合でも「あなたにささげた日々」とか(^_^;)言われても「YES,YES,YES」とかイミフメな事を言われても困っちゃうわ。しかし、だからといってつっぱねるわけでもありません。それで一つの普遍的な方法、つまり、炎の力の伝達という訳です。集合有意識に参加すれば、「寂しさ」という感情を感じなくなります。故に、そういうことを述べた訳です。従って全くケアしてない訳ではないのです。

 それから、3/7に下記にタイプしました分析が間違ってたようですね。訳の分からない敵(自称NAVI夫さん=レインボーマン=白黒さん)もいれば、味方もいるわけですね。まあ、健全な訳です。以下は再びの分析ですが、白黒さんがブラック・ミュージックに詳しいとは、初耳でした。だから安室さんはその路線を行ってるのですね。「ああ、そうだったのか」という感じです。だから、篠原ともえさんの新曲(「君んち。」)が本人は知らずにジャネット・ジャクソン風なんですね(^_^;)。それはいいのですが、私の問題の一つは、こちらに対してどのように白黒さんが絡まって、どのように情報を操作しているのかという事ですね。「訳の分からない敵」と言いましたけど、これは以前から私の身近な人の中から出てくる人のパターンです。私の身近な人は私の事を知れば知るほど、それを「認めないぞ」と頑張る人が出てくるのです。白黒さんのパターンはそれだと思ってます。多分、白黒さんは私を加害者にして、自らを被害者にしているのではないかと思います。でも、本当に自分が被害者であると感じるならば、その人は公の場所で何回でも自分が受けた被害を繰り返し主張すると思います。ところが、白黒さんは私に気付かれないように裏で操作しています。これは、自らを加害者であると分かっているからだと思います。私はどのようにして加害者にさせられた被害者であるのか、どうかを知りたいものです。でも、どうして、今の日本人は、ここまでに嘘つき民族となってしまったのだろう? 問題点を明確にするのを恐れたり、直接のコミュニケーションを避けたり、どうしてここまでひ弱になっているのだろう? あ、追加で言っときますが、私は咆哮してませんので(^_^;)。(199903120422)

 宇多田ヒカルさんって、天才ですね! いやはや、凄いとしか言いようがないですね。もしかして、彼女はスターピープルかもしれないね。抜きん出ており、ダントツ1番! 私なんか英語が喋れないから、凄いなあって感じ。ところで、下記に私は50回とか何とか書きましたが、あまり深読みの必要はありません。それは嬉しい事ですよ。最近は、以前のような「反感」のようなものをほとんど全く感じなくなりました。もしかしてKiroroの言う「青の呪文」がストップしたとか? とにかく、私としては最初から最後まで意味不明で、そういう変なものを「感じなくなった」としか言いようがないですね。説明・分析がうまく出来ません。でも、多分、私が以前、Sさんにお伝えしましたような、人間の2つの極(顔と性)という考えを嫌がってる(フリの)人がいるのだろうと分析してます。その人は、女性が顔を飾り立てたり、髪の毛を伸ばしたり化粧をしたりするのを見るのが嫌(なフリ)で、「女は髪の毛をヘアピンで止めるだけにして掃除や洗濯をしてる姿がいいのだ」とか「歌手は歌で勝負すべきであり、顔ではない」とか言ってるんでしょう。あるいは、それに近い事を言う人がいるんでしょう。そのお手本としてドリカムなどが挙げられたのかも知れません。そのために、吉沢りえさんがドリカム化してしまった(^_^;)のかな? 吉沢りえさん、前の自然なヘアースタイルの彼女らしいほうが良かったのに。あ、ドリカムはドリカムの世界があるのであって、それについて何も言う事はありません(フー)。そんな様な事で安室さんなどは髪の毛でお顔を飾らないようになったのではないかと分析してます。でも、美というのは、歌だけではなく、顔も髪形も総合的なものですよね。歌だけで勝負して勝とうとする前に、他者の価値観=「歌だけで勝負せよ」に先ず負けてしまってますよ。あ、ちなみに、最近よく聞く「キス」とか「唇」とか言ってたのは私ではありません。その人が安室さんへ言ってたものと分析してます。小室さんの新レーベル「True Kiss Destination」も、ここから出てます。私とは関係ありません。(199903070613)

 あのー、私がレター出さないからといって、そんなに凍えそうにならなくてもいいんじゃな〜い?(^_^;) 50回くらい見たかも知んない(^_^;)。「日差し浴びたい」なんて、けなげだね。「見よ、この信仰を」とか言ったりして(^_^;)。炎の力は誰の所有でもないのです。私はスブドで1982年に唯一全能の神の力と繋がって(人から人へと伝達可能なのです)、その後、359の日(1991)に炎となったために、伝達され得る炎となったのでしょう。伝達され得るという事実には「誰のものでもない」という意味が含まれています。まだ炎の力を体験した事がなければ、私個人に同調する為に例えば、当ホームページをじっくり読んでもらっている内に、あなたにも点火すると思うよ。点火すれば、その源はあなた自身なのです。それはあなたが集合意識に参加した証ですね。(199903030423)

 今、野猿が「Be cool」という歌を歌ってて、その中で「あの偽者の預言者が指を指すのさ、明るい未来」みたく歌ってますが、これは多分、ポール・ソロモンのリーディングの事を言ってるのだと思います。これはジョン・ペニエルというイスラエルに出てくる人だと国際ニューエイジ協会の会誌に書いてあったのですが、その国際ニューエイジ協会の会長(?)の浅野信氏が何かの本で、彼の霊名が「ヨハネ・ペヌエル」だと伸べているのをちょっと前に見て、私は「あれ?」と思ったのを覚えています。イスラエルに出てくるんじゃなかったんかいな?(^_^;) ちなみに、私は預言者を自称した事は一度もないですよ。(199902280445)

 今後の新曲はフォローして行こうと思っています。それと、全ての曲をとか書きましたけど、やはり、それは不可能なので、自分の特に印象に残った曲をメジャーとかマイナーとか区別せずに選んで行く方針です。

今流れている徳永英明さんの「青い契り」っていい曲ですよね。思わず、掲載したくなっちゃいますね。ぢつは、私、徳永英明さんの「桜」が大好きです。あ、でも、メジャー系っスね。でも、いっか。あらら、禁断のメジャー系に突入? ほとんど毎週リリースされる新曲をピックアップし続けたら、と思うと(^_^;)。じゃー、素敵な槙原さんはどうなるんだ、サザンは、B'zはどうなるんだ。あ、B'zなんて、ここに載せるなんてことを遥かに、はーるーかーに越えちゃってるか。ミスチルはもう、生きざまだよね。さあ、次から次へとフォローしまくりの感があるので、ここらへんで。スタコラサッサ。(199901300022)でも、メジャー系だからといって差別していいのか!>自分(^_^;) 確かに、いい曲はいいのだ。沢山あるよね〜。いや、理念有線で考えれば、当然、メジャー系の一覧があってもいいよね。それが友情というものではないのかい>自分。ただ、全部のCDを聞けてる訳ではないので、偏りが出そうですがや。(199901300039)

 メジャーな方の曲は、さすがメジャーだけあって、名曲は多いと思います。ただ、流通しすぎてて消費され尽くしていると思います。若い人が始めて聞くにはいいかも知れませんが、ある程度の年令以上の人にとっては、その良さが半減しているかも知れません。それで、メジャーでない感じのある、隠れた日本のポップスの良い歌と思ったのをセレクトしてみました。同時に、メジャーな人には触れずにそっとしておいてあげようと考えました。

 メジャーではない人を中心に選びましたが、中にはテレビ等に時々出る方もいます。でも、私の感覚ではメジャーな感じではないと思ったんですよね。D-LOOPとか、東野 純直さんとか、AMAZONES、池田 聡さん、西脇 唯さん、吉沢 りえさん、米倉 利紀さんなどがそうだと思います。また、ごく最近の曲で耳新しくていいなと思ったので、MISIAの曲や宇多田 ヒカルさんも挙げました。この二人はメジャーだと思うのですが、でも、まだ知られ始めたばかりの人なので、メジャーではない感じがあって挙げました。

 また、MSさんのCD「ETERNAL」と感じが似ている曲があったので(郷ひろみさんの曲もそういうのは多いのですが)、ファニー・ジーンという人の曲も挙げてみました。東野 純直さんの曲では、歌の一部が良かったので挙げたというのもありますが、基本的には、自分で聞いてて、素敵に感じたものを集めてみました。

 メジャー系の一覧を作るとしても、メジャーな人はそれこそ星の数ほどではないでしょうか? 一人のアーティストでいくつもの名曲があったりする(さすが、メジャー系)ので、一覧を作るのは骨が折れそうです。ただ、実際に折れる事はないんですけどね。なお、私は外国の曲は、まだまだよく知らないので、日本のポップスになりました。メジャー系があふれる隙間を縫うように出てきた名も知らぬ人の名曲というのが一応の、とりあえず、それとなく、何気ないコンセプトです。(199812151015)

あんまり否定的な事ばかり言ってないで、もっと楽しい事を書きなさい>自分(<バキッ)

 という訳で、近い内に自分がいいなと感じた、あまり一般には知られていないような歌などを差し障りのない範囲で一覧などここに登録しようと思っております。よく考えたら、歌手の人というのは、テレビでドアップで顔を映されてしまう訳で、多分、自分のテレビ映像を二度と見たくないんじゃないか(^_^;)と思ったりします。微妙な感情なども読まれてしまいます。ものすごくデリケートな側面がありますよね。だから人との距離を空けて置きたいというのが分かるような気がしてます。ですので、あまり否定的な事を言うもんじゃないでしょー>自分

 メジャーな人も「いい加減、露出させないでくれ」と思ってるんじゃないでしょうか、本心として。ですので、一覧表を作るに際しての基準は、「あまりメジャーでない人」ということになります。ほとんど一般に知られていない人ならば、きっと喜んでくれると思います。と、勝手に考えざるを得ないんですけどね。(199812020400)

 内容的に違うかも知れませんが、話の続きになりましたので、ここに登録しました。10/11(日)のNHKの「青春のポップス」では、またまた荻野目さんが刺激的な歌を歌ってました(^_^;)。でも、なぜかこれが心地良いのですね。「GO OUT THE DOOR」とか「I WILL SURVIVE」と言われて心地よく感じる理由を考えてみたら、「I WILL SURVIVE」という意味は、私に関わりを持たずに芸能界で稼いで行くという意味を感じるんですね。すなわち、私を「利用しない」という意味を感じられる歌詩(^_^;)ですね。つまり、金銭目当てではない態度を感じられて心地良かったのですね。(といって、必ずしも全ての人が金銭目当てかというと、そうではないとは思います)これは心地良かった理由についての分析です。

 でも、荻野目さんが怒る(歌詩なんですけど(^_^;))のは筋違いではないでしょうか。会えない理由は、私が行かないからというより、芸能界という「交際制限業界」に原因があります。怒りの対象は、これのはずです。あるいは、怒る理由は、プライドが許さないからかも知れません。しかし、よく考えて下さい。皆さんはファンクラブというのを持って、複数のファンの人が入会します。あなた一人でファンの全員のニーズに答える訳には行きません。同様に、逆人間である私には芸能人のファンが沢山いるという状態です(この状態に対する執着はありません)。私一人で個々のファンのニーズに応える事には無理があります。そういう状況に対してプライドが許さないというのは、なんか変じゃないでしょうか? あるいは、私が多くのファンの人の愛に応えない事に対して怒っているという可能性は、最もありそうですけど、そもそも、「あなたが必要」とか「生きて行けない」とか色々歌で(まあ歌詩なんですけど(^_^;))言ってても、そのようにしてCDで儲けると同時に、こちらには電子メールの1通もないという事実がある訳です。つまり個人的には用は無いのだと思います。芸能的(利益)に用があるだけみたいですね。私個人は芸能界には用はないです。しかし、人と人の出会いという点では用はあります。ここでの「出会い」とは結婚を意味してません。芸能界というシステムがあるから人に会う事が出来ないし、また、そういうシステムを口実に、私と会う(真実がバレル)事を避けていられるという状況を作り出している。だから私は私個人に関わってくる歌の全てを快く感じなくなってしまいました(勿論、心からの歌というのはやはり違いますが)。

 ただ、ここで言ってるのは、そういう芸能活動(歌を作る事)まで拒否しているのではなくて、私個人には用がないのだと考えているという分析です。だから例えば「生きて行けない」とか言われても応じません。生きて行けなくなる前に電子メール1通でも出せばいいじゃない。そうすれば問題点が明確化でき、個々の対応が具体化出来ます。

 そもそも最初から私は芸能界(利益)を意図していたのではありません。今も今後もそうです。意図するのは別のところ(特定の目的)にあるのです。自己利益(金銭)の基盤は既にあるので、「芸能的な関係」をどうこうしようとする必要は生じませんので、本来の目的だけに向かう事ができます。かと言って、そういう事(商習慣)に干渉する予定はありません。そういう訳で、タイプとして、私は芸能界向きではないと思います。それを欲したり指向する理由が存在しないタイプだったのです。だから、そもそも「夢」ではないのです。端的に言ってみれば自己利益に邁進するのではないのです。どのような理由があって何を目的としているのかという事です。勿論、これは自分に関してであって、人様への批判ではありませんので。

 多分、芸能人の人が見ると「極めてもったいない」と思うのでしょう。これは価値観の相違でしょう。私から見ると、過去の話ですが、地球の未来が掛かっていても、小さな保身を優先するというのは、私の理解を越えています。いや、多分、神一厘の仕組も王仁三郎も大本教も何もご存知無かった所に原因があるのでしょうけど。

 以上、述べて来たのは、芸能界という「業界」が、いかに「当たり前でない」か、ということです。人間性を無視していると思います。今まで7年間、私が言って来た精神的な事は「当たり前の事」になって来ました。それは、人がそういうことを「自分のもの」にしてくれている証拠だと思います。「人は肯定しかしていない」という認識は、それまでの「否定の上に否定を上塗りする習慣想念」や、性悪説を一掃し、肯定的で命あふれる現在の状況を作り出しました。しかし、それがまだ主に芸能界の人だけに限られているのが「悲しい所」です。まだまだ一般には、否定の上に否定を上塗りして考えるタイプの人が大勢います。私のタイプした文章そのままをパクッてOKです。どんどん広めてほしいと思っています。「あなたの言葉」として広めて下さって全然結構ですから。「人は肯定しかしていない(何かを肯定するために、否定をするのですから)」という一つの「当たり前」を、もっともっと伝えて行きたいですね。当たり前で自然な状況に戻したいものですね。その種の観点から、私は今の芸能界は、まだまだ「当たり前ではない」と言います。レターを出したら返事を出す。それを「当たり前」と言います。いつになったら、当たり前になるのだろうか。(199810142150)

「私を無価値にしたい人へ」のほうで荻野目さんのお名前を出しましたのは、それなりに必要があったからで、彼女を敵対視だとかそういうのは全然ありませんから。このアーティクルの最初に出てくるペニシリンについても「多分、ヴォーカルの人はミヤマクワガタが好きなんだろう」と思ってる程度ですから、全然なんともないのよ。こうやって引き合いに出すのは、その歌詞の中に情報がちりばめられているのが第一の理由です。歌手や芸能人にどうやってこちらの出すレターが流通するのか不明ですが(一部、経路があることは知ってますが)、色々な歌詞の中にちりばめられている気がします。そういう意味で、最近の内田有紀さんの歌でも、大体どんなことなのか分かった気がします。このような事は、全て「情報が得られない」というこちらの状況にあるのです。(199809211357)

大変にありがたい事だと思いますが、これは降って湧いた事です。私が特に望んだ事ではないんです。なんか、色々な歌で特定個人の事を歌って、「誰」という点にフォーカスしてる場合が沢山あるような気がします。このことを否定するつもりはありません。ただ、私が今まで精神的な事を述べてきましたのは、それぞれの人に生かして頂ける事を願っての事でした。もう色々と言い尽くした感があります。そういうのを「身につける」「体現する」というのは、まだまだの実態ではないでしょうか(^_^;)。だから、何か歌ってくれるなら、精神的にどんな発見をして、どんな風に変ったり、生まれ変わったり、My Revolutionしたのか歌ってくれると嬉しいな。「誰」という視点ではなくて「何」という視点でね。「あなた」という言葉はあまり使わないほうが人類を正しい方向に向けると思うな。個人を強調するんじゃなくて、内容主体で主語抜きで行きませんか? そうすると「売れない」って? はー(ため息)。と言って、「あなた」という言葉を使っても否定的な目を向けてる訳ではないので、よろしく。結局何でもアリですかね(^_^;)。(199808230259)

時々、真剣に私へアピールしていると思えてしまうようなアプローチがありますけど、私はもう中森明菜さんや松本明子さん「だけ」に接近を試みる必要は無くなったので、後は自由に結婚相手を見つけます。で、あんまり真剣に見えるからとレターを送ってあげる場合も時々ありますが、それによって色々と(仕事の)声がかかり易くするためだったようです。私自身は相手の為を思ってのレターなので、執着は特にありません。相手の為を思ってしたことが、かえって、相手の罪を重くさせてしまうというのは、今後は本当に差し控えようと思っています。だから、今まで私からのレターを受け取らなかった人は、幸いだと考えて下さい。あんまり被害者のような顔をしても、命懸けのようなフリをしても、返事が来ないという結果が分かっているので、止めようと思います。止めるのは、あなた(方)の真剣さを無視する為ではなく、369の故に収入が増えるという結果によって罪が重くなって行く可能性を危惧するからです。今までの経験から、どれほど真剣に見えても、その真意は金銭にあるようですから、私は反応しません。真意が金銭にある事自体は普通の事です。それ自体を言ってるのではなく、その増える理由が567や369にあるという、ただ一点が問題なのですから。反面、過去の清算としての、相手の収入増という事が考えられますので(例:秀吉が利用した堺の商人に対する十分な補償行為として)、確定的な事は言えないとは思いますけど。

なお、上記と関係する事ですが、私が小室哲也さんを問題視する傾向があるのは、一二三神示に「これで飯食うなよ」と明示されているからです。つまり、お金を儲ける手段として、これ(369や567)についてだけは特別扱いという判断が私にあるからです。だからこそ、この事で私に収入があった時は、全額寄付になる訳です。でも、「全額寄付」では生活できませんから、自分の時間を取られないような仕事を別に持って収入源としている訳です。いつでも「全額寄付活動」に移行できる環境を整えているのです。

また、「狂信者のように神への絶対服従をするような人間は云々」と言う人が某所にいますけど、そこでは「人間がすべきことは唯一絶対無二の神に全託することだけだ」と言われている事を忘れるべきではないでしょう。「狂信者」と定義して無価値にしたいのでしょうが、そう考えるのは、私にできて、その人に出来ないからでしょう。(199808150346)

最近、意図して潜在意識に訴えようとする歌が増えてきてるように思います。鈴木あみという新人歌手の歌の「LOVE ISLAND」は、日本語にすると「LOVEは、いらん」です。作詞・作曲は小室哲也氏です。(199807200401)

今まで当ファイルで、私は「反感」とか「神経の疲れ」とか随分と変な事を言ってたかもしれません。最近は、自意識過剰にはならずに、普通の事になってしまいました(^_^;)。もしかしたら、色々とお気を使わせていた可能性があるようにも思ったりなんかしちゃいましたが、もう赤い色を見ても大丈夫(^_^;)。とても普通で良いと思います。(199807080439)←う、時刻が与作(Yo So Cool)だ!(だからなんだ?)

聞こえてきたB'zの歌の中で突然「テクマクマヤコン」が出てきて驚いた。まさか、あのB'zの歌詞の中に「テクマクマヤコン」が出てくるとは・・・(^_^;)。単純に歌詞に驚いた。(199807040418)

X JAPANのHideの衝撃的な死(御冥福をお祈りします)に関して、いとうゆうこの、「がんじがらめ」という歌の「〜と考えたらしい」という箇所で歌われているようです。(199807030327)テレビ報道で言ってましたが、Hideは、ギターで左肩が下がり気味になってしまうので、時々タオルなどで左脇をドアノブに掛けて牽引するようにしていたらしいですね。事件の当夜は、酔っていたために、起こってはならない間違いがあったようだとのことでした。(199807200351)

と、ここまで言ってしまった後、さらに欲を言えば、「神の仕組じゃなかったんかい?」とお叱りを給われれば幸いです。(199709150313)

私にとって女性は勿論、男性でもやはり素敵は素敵ですね。やはり、響き合いのようなものによって、縁の深さが分かるのかな? で、当方の実話を知って私という外部に向うのではなく、あなたがそのように響くところの根本ではないでしょうか? あなたにとってあなた自身の探求が大切ですよ。私は私で満ち足りております。あなたはあなたを満たすことだよね。変な言い方かも知れませんが、私は私個人を持ち上げられる事を比較的には喜ばないのかも。それを突き抜けてもっと普遍的な喜び(理想)に向う事が出来れば理想的です。それは、当方の実話がきっかけとなった上ではありますが、私個人の事など忘れて、あなたがあなたの(物質を越えた)真理を見つけ出して行ってくれるような事が出来たら、幸せです。その意味は、社会全般への奉仕が出来れば、それ自体が喜びであるということです。社会全般へ影響を与えて私個人の利益とするという発想とは逆なのです。

で、ちょっと思うのですが、私が「唯一全能の神」と言う事を問題にする人がいますが、その人の発想が分かったような気がします。私がそのように言うのは、文科系のような発想ではなくて、理科系の発想です。例えば、「全ての物質は原子でできている」と主張するかの如くです。「神=0=∞=愛=光=卍」と言ってるのです。社会的な何らかのイメージ(支配・権力等)で言ってないのですよ。それから、言う事が大きい・小さいという事は、ほとんど意識してません。理科系の発想でしょう。素粒子なんて、徹底的に小さいじゃん。

故に、私という個人ではなくて、なるべくなら真理や理想に向ってほしいな。例えば、エジソンがせっかく電球を発明しても、人がエジソン本人ばかり見て、電球を使ってくれないままでは、エジソンだって何の為に発明したのかと悲しくなるのでは? そんな感じです。決して否定などしてないのですが、明確な方向というものがあるのです。あなたの中に呼応する何かが目覚めたなら、その何らかの真理に向う事で、私もあなたも共に生かされるじゃないですか。(199709130539)

今日、テレビである人のちょっとした一言で理解できた気がします。下で書きましたような、よくわからなかった圧力みたいな疲れみたいなものは、女性芸能人の方の恥ずかしいという気持ちによる拒否の念みたいなものが、自分にはよく分からずに一種の圧力として感じていたのだろうと思います。と思ったりしたのですが、最近、段々と分かって来たのは、ある特定の男性が原因らしいと思うようになりました。名前も何も知りませんが。彼は180cmを越えるような大柄な男で、すぐに人に対して手や足を出す人です。体の割には、性格がちまちましているように思います。その人と同時に同じテレビを見ている時に、こちらの潜在意識に、彼の感情が忍び込み、私も理由が分からずに、本人である私まで圧力や拒否感を感じていたのだろうと思います。(199712270356)私が無自覚だったために、その、「怨念にも似たコンプレックス」に私の潜在意識が噛み付かれた瞬間に、私の傾向として、その念に協力してしまう事に気付きました。私の側にレセプターを持っていたために、その念を受け入れ、ある程度の増殖を起こしていたようです。想念的な免疫機構が作動せずに、疲労を起こしていたのです。私の活動の第一目的は、飽くまでも個人的なものでは「ない」のですが、「個人的な利益」という点だけ見て、コンプレックスを作動させて、こちらの潜在意識のレセプターにがっぷりと噛み付いていた事に私が気付かないまま、疲労を起こしていたようです。今後は、噛み付かれる事に十分注意し、そのような念をフォローしないように注意し、疲労を起こさないようにしようと思います。多分、芸能人みたいな知名度のある人は、そのような念にさらされる機会も多いのでしょうが、その念は一見正当なので、「弱者に弱い人」は、その念を潜在意識で受け入れてしまい、自己破壊的になって行く可能性があります。明菜さんとか、そのような外来の念に充分過ぎるほど協力してしまい、自己崩壊の傾向になったとか?他人の唾液も「汚い!」と思う心も時には必要だというお話でした。(199712290331)

私は別に女性芸能人の方が私に超接近した歌なり何なりで表現されても、嫌いになったりするのではありません。こちらの主張は、「私に用があるなら、歌なんか歌わずに、レターなり何なりで具体的な返事を私個人に出して下さい。返事が無い時は、私には何の用も無いと見做しますので悪しからず。」というものです。はっきりさせる為にそのようなレターを出していたのです。その結果、ほとんどの歌は私とは何の関係も無いと考えるようになりました(^_^;)。別に女性が嫌いだとかそういう事はありませんけど。
更に、関わってしまったので、一応コメントしておこうと思いますが、以下は事実かどうか分かりません。しかし、こちらの分析によると、ある男性歌手に関わっている女性ファンがおり、「“CANDY”」(具島直子)で象徴されたり、「“ルージュ”になりたい」(梶谷美由紀)で象徴されていたので、彼女の色は赤系統だと分析していたので、[生まれる想い(目次)]>[楽(十)の道と、苦(九)の道]で1の色彩=赤と述べた時は、被さるような気はしました。最近は、“CAT'S EYE”で象徴されてると思います。ですので、赤い色が全て自分の事だとは受け取ってませんので、安心して着て下さい。

以下の部分は、情報に疲れている人の為に、と思ってタイプしたものです。私は今まで、情報を分析する為に、音楽を聴くときに自分に関連づけ過ぎて聴いていたので、それに関連する神経が疲れ、情報的にも一種の飽和状態に達していました。それで、今まで自分の事のように思っていた歌詞などを「関係ないでしょ」という感じで聞くとリラックスしました。情報が自分に超接近した状態でこびりついていた、というイメージと思います。一二三(秘文)の仕組の最初の頃は、私個人への歌が多かったと思います。最近は、仕組を盛り立てるような歌も沢山出てきたと思います。共に、神の評価に応じて栄光あれ。(1997.07.13)

 ペニシリンというロックグループの今歌っている「99th night」という歌で考えるきっかけを得ましたが、その歌の中に「やさしいだけの愛なんて吐き気がするぜ、早く消えてくれ」というような部分があります。今まで私はテレビなどでも人がとても真剣に純粋な反応をしてくれるのを見ている度に、それに対する反感を持っている人の念を感じていたのですが、その感覚は、まさに「吐き気」と表現するのがドンピシャだと思いました。では、何故「吐き気」を感じるのでしょうか。それは、私の態度、例えばこの場合、「やさしいだけの愛」というのに嘘を感じてしまうのでしょう。で、「その人が感じてる嘘」に対して「吐き気」が対応しているんじゃないかと思います。愛とは、全宇宙を動かす力です。優しさを動かすのも、怒りや復讐を動かすのも愛です。現代のような比較的平和な時代では、愛情表現もわざと喧嘩したり等、ネガティブな面も表現しないと、平和に押しつぶされてしまうかもしれません。しかし、1000年前のドイツで、多分戦争が絶えず、苦難の時間を分け合った相手であるSさんとの関係は、キリスト教文化の香りもあり、とても優しくいたわりあう意識の関係だったのです。そこには嘘が無い。


                                                目次(生まれる想い)に戻る
?jmusic